2007年 7月 |
2007.7.1
「LIVEが終わって」
昨日のLIVE、原宿まで足を運んでくださった皆様、
Bar dAZEの関係者の皆様、ありがとうございました。
久しぶりの辻本明子さんとの演奏、おかげさまでええLIVEができました。
しっとりした曲やってても、私にはスリリングだったし、
新しいアレンジで臨んだ曲も数曲あり、とても楽しく演奏できた。
原曲の雰囲気のまま演奏するのも楽しいが、
リズムやハーモニーをアレンジして、新しく自分たちの
versionとして演奏することが、最近面白くなってきた。
中々、アイディアがわかないのだけれど、どんどんチャレンジして行こうと思う。
観に来てくださった方、感想なんかもいただけるとうれしいです。
2007.7.2
「アリガトウゴザイマシタ」
友人と三軒茶屋の居酒屋へ行った。
そこはチェーン店で、お店はあちこちにある割と有名店だ。
料理がまあまあなので時々利用する。
三軒茶屋店はひさしぶりだったが、料理や飲み物を、
カウンターやテーブルにあるタッチパネルで注文するしくみに変わっていた。
別にそれはそれで、混んでる時に、中々店員さんが来てくれないとか、
せっかく注文したのにしばらく待った後に「売り切れです」と言われるとか、
そういうことがなくなって便利な面もあるのだが、
なんとなく、人間ではなく、機械に注文するのは味気ない気がする。
おまけに一番イヤだったのは、注文が完了するたびにそのタッチパネルについた
スピーカーから「アリガトウゴザイマシタ」と音声が流れるのだ。
画面に「ありがとうございました」と文字がでるだけでいいじゃないか。
それなら、別に気にならない。
機械から全く心のないあの自動的な「アリガトウゴザイマシタ」が
流れるたびに、なぜか、イヤ〜な気がした。
あの機械を作った人や、採用した会社の責任者は気にならないのだろうか。
疑問だ。
それとも、気になるのは私だけか。
以前、住んでいた家の近くのコンビニに、
素晴らしい「ありがとうございました」を言う男性店員がいた。
たぶん20代半ばぐらいだったと思う。
文章では表現できないが、
いつ行ってもその「ありがとうございました」を聞くと、すがすがしい、
ちょっと心が洗われたような、軽い、うれしい気持ちになるのだ。
どんなに忙しくてもけっして雑にならず、一人一人のお客さんに
丁寧に「ありがとうございました」と言っていて、感心した覚えがある。
彼は、きっと今ごろ、何の仕事をしていても出世というか、成功しているんだろうな、
と勝手に想像している。
あんな「ありがとう」は機械には言えない。
2007.7.7
「父の喜寿に思う」
2007年7月7日、父が77歳になった。
喜寿である。
スゴイなぁ、77歳。
しかも「7」が並んでいて、なんとなくラッキーな感じである。
日帰りだったが、大阪までお祝いに行ってきた。
自分の親がそんな歳になることも、
自分が45歳になることも、10代20代の頃には
想像がつかなかったことだ。
でも、毎日毎日、歳をとっていくのだ。
このごろ、30代や40代で知り合いが亡くなったりするので
たびたび、あとどれくらい自分が生きるのだろうかと考える。
考えても答えはない。
どれくらいであっても、大した違いはないのだろう。
ただ、生きている間を精一杯生きるしかないのだ。
2007.7.8
「なんていう人やったっけ?」
姉が友人とお笑い芸人について話していたらしい。
友人 「ほら、あのひとりでやってるお笑いの人、なんていう人やったっけ?」
姉 「えぇ?誰?どの人?」
友人 「あの、ほらコンビじゃなくて、ひとりの人やん。ひとりの!
あああ、名前、出てこない〜!」
・・・どうもその友人は「劇団ひとり」のことを言っていたらしい・・・。
2007.7.10
「パーカッションを迎えてリハーサル」
7/15のLIVEで初めて Laguna Moon にパーカッションが参加する。
今日がそのリハーサルだった。
いつもはアルト・フルートとギターだけでやっているのだが、
パーカッションがひとり入るだけでずいぶん力強い感じがしたし、
カッコよくなった。
パーカッションには、板谷達也さん。
彼は、ドラムスが本職だが、今回はパーカッションで参加してくれる。
今まで2人の Laguna Moon を聴いたことある人も、
この初の試み、是非、聴きに来てください。
2007.7.12
「私のこころは・・・」
アンサリーが歌う「こころ」という曲。
曲の雰囲気から昭和歌謡のカバーかと思って調べてみたら、
オリジナルは、韓国人と日本人のハーフである沢知恵という人で、
1998年に韓国で初めて日本語でうたわれ、
日本レコード大賞アジア音楽賞を受賞していた。
その後、シャンソン歌手のクミコも歌っているようだ。
さて、その歌詞であるが、出だしがこんな風だ。
「私のこころは こすいです〜」
「こすい」って分かるだろうか?
調べてみると静岡地方の方言なのだが、
「ずるい」「せこい」というような意味だ。
私は大阪出身だが、まれに「こすい」という言葉を
使う人がいて、意味も知っていた。
「私のこころは、ずるいです」なんてスゴイ歌詞だなぁと思っていた。
で、先日歌詞を読む機会があって驚いた。
こう書かれていたのだ。
「わたしのこころは湖水です」
続きは「どうぞ 漕いでお出でなさい」だ。
続きを聴けば予想がつきそうなのだが、
出だしの「私のこころはこすいです〜」のインパクトが
強烈過ぎて、あとは聞こえていなかったのだ。
でも「湖水」って言葉も普段使わないから仕方ないだろうと
自分に対して開き直っておいた。
子供の頃は、知らない言葉が多く、勝手に解釈していたものだ。
「赤い靴」という曲があるが、あれなど私は、
「赤い靴 はいてた 女の子
にんじんさんに連れられて いっちゃった」だと思っていた。
「異人さん」なんて言葉、子供が知るわけない。
その部分は、「ひいじいさん」だと思っていた人も多いと聞く。
「コールユーブンゲン」でも書いたが、思い込みというのは怖い。
高校生時代の話だが、同級生のM子と真珠湾(パールハーバー)攻撃の話が出た時のことだ。
彼女はこう言った。
「ええー? 真珠湾ってハワイにあるの?
伊勢にあるのと違うの?」
それは、“ミキモト・パール・アイランド” や!
2007.7.14
「ジダンダ」
高校生の時の話。
何かの本にこんな小話が載っていた。
「電車の中で、ある会社員が、前の人に足を踏まれました。
その会社員は、悔しくて後ろの学生の足を踏みました。
学生は悔しくて、後ろのおばあさんの足を踏みました。
おばあさんは悔しくて後ろのOLの足を踏みました。
と、どんどん後ろの人の足を踏んでいき、とうとう車掌さんが
足を踏まれました。
車掌さんも、後ろの人の足を踏もうと思いましたが、
後ろには誰もいなかったので 悔しくて地団駄を踏みました。」
この小話が、とても面白かったので私は、色んな人に話した。
皆、それなりに笑ってくれた。
同級生のA子にも話した。
私 「・・・・・後ろには誰もいなかったので悔しくて地団駄を踏みました。」
(ここで笑いを取れると思っていると・・・)
A子 「ふ〜ん。 ジダンダって、ブレーキ?」
2007.7.15
「音楽は深い・・・」
今日は、四谷3丁目、荒木町 pocotan で Laguna Moon のLive 。
初めて、パーカッションをゲストに迎えて。
パーカッションは、ドラムスが本職の板谷達也さん。
いやぁ、楽しかった。
朝の天気予報では、6時や7時は東京は台風でめちゃくちゃだろう、
お客さんも来れないかも知れない。
それでも来てくださる方には、ホントに申し訳ないな、と
思っていたが、夕方あたりから雨が上がり、
天気予報を見なかったので詳しいことは分からないが、
夜には晴れ間も見えた。
ああ、良かった・・・。
来てくださった方々、pocptanのお店の方々、ありがとうございました。
私は、ギターを弾き始めて、なんと、34年になるのだが、
音楽は深い、とつくづく思う。
まだ、入り口にさえ入っていなくて、外からながめて
あれこれ言っているだけではないか、とさえ思う。
たぶん、一生かかっても、音楽の本質や、本当に演奏することなんて
つかめそうにない。
そう思うと時間が足りない。
せめて、入り口には入りたいな、と思う。
今日は、朝11時からレッスンを受け、個人練習をして、リハーサルをして、
LIVEをして、とギター三昧の充実の一日であった。満足。
ギターだらけのお店、pocotan にて。左から 梅林、板谷、つつみ。
2007.7.16
「音の不思議」
例えば、絵の具なら、黄色と青色を混ぜると緑色になる。
そこには、もう黄色も青色もない。
新しく出来た緑色があるだけだ。
でも、音は違う。
「ド」と「ミ」を混ぜると(同時に鳴らすと)、「ド」も聞こえるし、「ミ」も聞こえる。
そして、あらたに生まれた「ド」と「ミ」の「ハーモニー」が聞こえるのだ。
「ハーモニー」は、音ひとつではありえない。
音が2つ以上必要だ。
でも「ド」と「ミ」を別々に聞いても「ハーモニー」は聞こえない。
そして、「ハーモニー」は時間とともに消えてどこにも存在しない。
その組み合わせで、きれいな「ハーモニー」、にごった「ハーモニー」、
不安定な「ハーモニー」、緊張感のある「ハーモニー」など、色々出来あがる。
神秘だとは思わないかい?
2007.7.17
告白! 「初体験だらけの日」
たぶん、私が3歳の時だ。
その頃は、大きい方をした後、自分ではまだおしりを拭いてなくて
用が終わると大声で「おわったぁ〜!」とお母ちゃんをトイレへ呼び、
おしりを拭いてもらっていた。
ある日、近所の女の子と2人で遊んでいて、
大きい方をしたくなり、そこらへんで“のぐそ”をした。
が、おしりを拭いてないのでパンツをあげられない。
当然だろう!
おしりを拭かずにパンツをはくなんて、私にできるはずがない!
仕方なく、家までパンツをひざまでさげたまま歩いて帰った。
しかもその女の子と手をつないで。
初体験@ のぐそ
初体験A パンツをひざまでさげて道を歩いた
そのうんこをした場所は、渡ってはいけないと母に言われていた信号の向うだった。
私は「渡っちゃいけない」と言ったが、
その女の子に「えーやん」と言われ渡ったような気がする。
(その頃から女性に弱かったようだ。)
で、お母ちゃんに当然(うんこを)「どこでしてきたの?」と聞かれ、
信号の向うと言うと怒られると思い、「すぐ近くの広っぱ」と嘘をついた。
初体験B 人生初めての嘘
その渡っちゃいけない横断歩道を(パンツを下げて)渡っている時、
4、5人の大人達が私を見て大笑いしていたのを
なんとなく不愉快に感じたのを覚えている。
それは、今も私の無意識になんらかの暗い影を落としているのだ・・・・
初体験C 知らない人に笑われて傷ついた
こうやって、大人になっていくのだ。というか、なってきたのだ。
これを読んでる皆さん、
どうか、パンツをひざまで下げて歩いている子供を見ても
笑わないであげてほしい。
彼には彼の事情があるのだから。
2007.7.19
「Barにて その3」
これもBarに勤めていた時の話だ。
始めて見るカップルのお客さんだった。
恋人ではないけれど、これからそんな風に発展する可能性もある、
そんな感じの2人だ。
2人とも、20代後半か、30代前半という感じ。
その日は、彼の誕生日だったらしく、彼女は彼にプレゼントを渡した。
喜んで彼が開けると中には素敵な財布が入っていた。
彼は、嬉しそうに今まで使っていたボロボロになった財布に入っている物を
その新しい財布に移し変え、帰り際、その古い財布を
「これ捨ててください」と置いていったのだ。
彼らが帰った後、「お金が残ってないかなぁ」などと
冗談交じりにその財布を開けてみた。
ポケットの部分になにやらくっきりと直径3cmぐらいの輪型がついている。
その財布は、皮製だったのでその輪の部分が擦れて色が変わっていた。
中には何かが入っている。
「?」とポケットに指を入れ中の物を取り出すと、
「いつか使う時があるかもしれない」と何年も毎日持ち歩いていて
とうとう使わなかったんだな・・・・
と思われるコンドームが入ってた。
いくらなんでも彼女の前で、それだけは出せなかったらしい。
もしかしたら、その日が必要な日だったかもしれないのに・・・
2007.7.22
コメントしたい皆様へ
友人から、この「ひとりごと」に読者がコメントを書き込めるようにして欲しい、
とリクエストがあった。
うれしい、リクエストだ。
でも、その方にも返事を出したのだが、今のところ、それは考えてない。
このホームページを開設した時、もう一人、同じリクエストを
くれた友人がいたので、もしかしたら、そんな風に思ってくださっている方が、
他にもいるかも知れないと思い、そのことについて書いておこうと思う。
もし、読者の方々が、コメントを書き込めるようにすると
私は、コメントが来ることを大いに期待しだすだろう。
間違いなく、一日に何回もチェックするだろう。
そして、コメントがないと、内容がまずかったのか、誰かに不愉快な思いを
させたんじゃないかと、悩むだろう。
そんな風にコメントの数や内容に一喜一憂するのは明白だ。(小心者なのだ。)
ブログをするのならそんなことは、当然のことだろうが、
私が目指すのは世の中にたくさんあるブログではないのだ。
読者が、気安くコメントを書き込むのではなく、わざわさ、メールを
送ってまでも、筆者にコメントしたくなるような、「ひとりごと」なのだ。
ほとんどの人は、送らないだろう。
私だって数年、愛読しているブログがあるが、一度もコメントもメールも
したことがない。
よほどじゃない限り、わざわざ、メールを送って「面白かったです。」とか、
「参考になりました。」とか、言わないだろ?
それでも、いいのだ。
この「ひとりごと」だって、開設当初は、数人の方が、メールでコメントを
くださったが、今はもうない。
でも、ご愛読いただいている方が、数名いてくださることは、承知している。
そして、面白くなくなったら、誰も読まないことも承知している。
今のところの目標は、まったく知らない方から、意見や感想がメールで送られて
来るようになることだ。
その時、初めて、この「ひとりごと」は、一人前になったと言えるのだ。
とは言うものの、知っている方からのコメントも実は大いにうれしいので、
よかったら、たまにはメールちょうだいね
2007.7.23
LIVE前夜
明日は、Laguna MoonのLIVE。
練馬春日町の「LADY DAY」という初めてのお店。
今回もゲストにパーカッションを迎えての演奏。
パーカッションは貝増直樹さん。
なんと、今回は一度もパーカッションを入れて、リハーサルをしていない。
リハーサルどころか、その貝増さんとはまだお会いしたこともない。
プロのJazzの世界では、当日初めて顔を合わせた人と演奏することも
珍しくないようだが、私のように、決まった人たちと練習してから
LIVEに臨んできた者にとっては、初めてのことだ。
いったい、どうなるんだろう・・・ちょっと不安、ちょっとワクワク。
「初めて」で思い当たったことがある。
Laguna Moonの梅林さんとの練習で時々体験するのだが、
初めて演る曲を練習するその1回目が一番面白いということがあるのだ。
初めてやるのだから、まだどう弾くか、何も決めていない時、
とりあえず、演ってみようと音を出す。
探りながら、創っていく、その時が、一番面白い。
そして、2回目からは、さっきと同じように弾くか、
ちょっと違うように弾くか、全然違うことをやろうとするか、
いずれにしろ、1回目が基準になってしまう。
特に、1回目がうまくいった時は、それを再現したくなる。
(残念ながら、どの曲をやっても1回目が面白いかというとそうではない。
それは「時々」体験するのだ。)
「Creation」とは、同じ曲を何度演奏しても、新しく、初めて演奏するように演奏することだと思う。
たとえ、何度も練習したフレーズであっても、それは、可能だと思う。
それは、毎日毎日を、瞬間瞬間を、新しく生きることに他ならないのだと思う。
「どうしたら、そう生きれるんやろ?」と思ってるうちは、
まだまだなんやろな。
2007.7.24
めちゃくちゃおもしろかった!
あぁ、面白かった。
昨日書いた通り、パーカッションの貝増さんとは事前のリハーサルなしだったのだが、
結局、本番当日の今日、リハーサルや打ち合わせに1時間足らずで本番突入。
何が起こるかわからない、どこへ行くのか分からない、という
緊張感いっぱいでありながら、すごく楽しいLIVEだった。
昨日は初めての曲を演奏する面白さを書いたが、
今日は、初めての人と、初めて演奏する面白さ(しかも本番)を満喫した。
そして、演奏しながらコミュニケーションすることがちょっとだけ分かったような、
何も決めていなくても、また、決めたことと違う方向へ行ってしまっても、
くずれることなく、ちゃんと音楽を創り上げていくことが出来るんだ、
そんなことを思わせてくれ、ちょっと自信にもつながったLIVEだった。
観に来てくださった皆さん、LADY DAYの宮澤さん、八月さん、ありがとうございました。
LADY DAY にて。左から貝増、梅林、つつみ。
2007.7.29
リハな週末
昨日は、8/4のPICOちゃんとのLIVEのリハ。
今日は、11:00からギターのレッスンを受けて、
その後、8/25のLIVEのリハだった。
8/4に一緒にやるPICOちゃんとは、2001年から2002年にかけて、
約1年間ふたりで、「Peace of mind」というユニット名で活動していた。
その後も1、2度同じステージに立つ機会はあったが、
まったく2人でやるのは5年ぶりということになる。
今回は、5年ぶりにやるそれぞれのオリジナル曲もあり、
あの頃を知ってる人には、その成長ぶり(?)も見どころか。
メニューは洋楽POPSカバー、昭和歌謡、オリジナル。
是非、観に来ておくれ。
8/25のLIVEは、辻本明子さんの生徒さんたち3名、
(古賀万希子さん、小笠原麗さん、穴水多恵さん)の初LIVE。
話をしてても初めてのLIVEということで、初々しい!
それぞれのソロの曲、3人のコーラス曲、バンドあり、デュオありと、
バラエティに富んだ内容。
私は、数曲のサポートだが、これまた是非、観に来ておくれ。