
過去ログ
----------------
不思議な妻
告白と笑える話
07-8 09 10 11
12 13 14 15
16 17 18 19
20 21 22 23
24 25 26
Photo Report
07 08 09 10
11 12 13 14
15 16 17 18
19 20 21 22
23 24 25 26
LIVE&MUSIC
07-8 09 10 11
12 13 14-1 14-2
15 16 17 18
19 20 21 22
23 24 25 26
MOVIE&PLAY
07 08 09 10
11 12 13 14
15 16 17 18
19 20 21 22
23 24 25 26
ESSAY
07 08 09 10
11 12 13 14
15 16 17 18
19 20 21 22
23 24 25 26
Camera & Photo
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10
11 12 13 14
写真展 1 2 3 4
BOOK 1 2 3 4
ENGLISH 1 2
Shop & Restaurant
1 2 3 4
音楽活動とギター
07-13 14-15 16
17 18 19 20
21 22 23 24-25
26
落語 13-14 15
16 17 18 19
20-21 22-23 24-25
26-27
Art 1 2 3
Gogh 1
イタリア旅行 '14
フィリピン旅行 '14
キューバ/メキシコ'18
パリ旅行 ’19
アメリカ旅行’23
カレー 1 2 3 4
ハンバーグ 1 2
その他 1 2 3 4
写真展「僥倖」2022
100km WALK 2023
富山マラソン 2024
福岡マラソン 2025
写真展出展記録
----------------
2025年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2024年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2023年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2022年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2021年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2020年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2019年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2018年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2017年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2016年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2015年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2014年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2013年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2012年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2011年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2010年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2009年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2008年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2007年
6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
|
|
2025.11.25
桂雀々追悼公演
JAK2 FOREVER TOKYO

昨年11月20日に 64歳で雀々が
亡くなってから一年が過ぎた。
今日から3日間にわたり追悼公演が
昼夜全部で6公演開催される。
合計 24人の噺家(喬太郎と白酒が2回
出演するので人数は 22人)が出演する
大きな追悼公演だ。
桂雀々は、桂枝雀の弟子。
著書『必死のパッチ』には、両親が蒸発し
悲惨な子供時代を送ったことが書かれている。
師匠枝雀の芸風を受け継いでおり、
それ加えて必死のパッチな感じが好きだった。
雀々の落語は、十席以上生で観たが、
2017年の「芸暦40周年記念公演」では
ゲストが明石家さんまで、それだけでも
十分に盛り上がったが、シークレットゲストで
なんと桑田佳祐が登場したのには驚いた。
全く繋がらないようだけど、桑田さんとは
親交があったようだ。
さて、今日の追悼公演。
私が観た昼の部の出演は、立川志の輔、
春風亭昇太、古今亭菊之丞、三遊亭兼好。
4人がそれぞれに雀々とは、親交があった方々。
もちろん落語は4人とも面白かったけど、
雀々の思い出話が聞けたのは良かった。
真打昇進や襲名披露公演には、
必ず口上が付きものだが、追悼公演では
故人を偲ぶトークこそあれ、口上はない。
しかし今日は、出演者4人とその真ん中に
雀々が座って指をついてお辞儀をするパネルを
置いての口上があった。
前半に高座に上がった兼好と昇太は、
すでにそれぞれのマクラで雀々の思い出を語っていたが、
志の輔、菊之丞はここで雀々への思いを語った。
志の輔師匠は、雀々よりもよほど貫禄があり
先輩のように見えるけど、十代で芸人になった
雀々の方が芸歴が長い。
なので、全員が「雀々あにさん」と呼んでいた。
口上の時の昇太の話しは、完全に雀々を
ディスっているのだけど、聴いていて何故か泣けてきたよ。
昇太が 雀々をディスればディスるほど、
尊敬と愛が聞こえてくるという、なんとも不思議な口上だった。
でも、それでこそ追悼なのかも知れない。
どんな運命も受け入れて、笑いに昇華する噺家の精神は、
私を含め多くの一般人にも見習うことのように感じる。
あの精神があれば、私たちの殆ど問題は
笑って終わるのではないかと思う。
真打昇進や襲名披露の口上では、
最後に観客も一緒に三本締めで終わるのだけど、
追悼で三本締めもおかしなことだし、
黙祷するのも変だということで、今日は
新しく「黙祷三本締め」なるものが生み出された。
両手を胸の前で合わせ(合掌の形)、
黙祷しながら三本締めを叩く。
雀々も笑ってくれているかな。
『必死のパッチ』をもう一度読みたくなったよ。
会場に展示されていた雀々のサイン色紙

[ 演 目 ]
三遊亭萬都 「初天神」
三遊亭兼好 「粗忽の釘」
春風亭昇太 「宴会の花」
--- 仲入 ---
口上(兼好・菊之丞・雀々・志の輔・昇太)
古今亭菊之丞 「たいこ腹」
立川志の輔 「親の顔」
@ 有楽町よみうりホール
[ 関連エントリー ]
2014.8.2 桂雀々独演会 「夏の陣」
2015.8.10 桂雀々独演会 雀々の逸品 Vol.2
2015.8.20 必死のパッチ
2016.6.3 桂雀々の 落語 Fighter Vol.5 雀々 × 一之輔
2017.4.2 渋谷に福来たる SPECIAL 2017 ~ 百花繚乱 ~
2017.6.22 桂雀々 独演会 芸暦40周年記念公演 地獄八景亡者戯2017
2022.1.30 桂雀々 桃月庵白酒 二人会
2023.6.4 落語ドマーニ ひるの会
爆 弾

「面白い」と評判の映画「爆弾」を観てきた。
主演は山田裕貴。
その他の出演は、佐藤二朗、伊藤沙莉、
渡部篤郎、染谷将太、寛一郎、坂東龍汰、
夏川結衣、等。
原作は、呉勝浩の長編推理小説。
監督は、永井聡。
爆弾犯がしかけた爆弾が順番に爆発して
いくのだが、それにまつわるストーリーがやや複雑。
名前が登場しても「えっとそれって誰だっけ?」
という状態で、完全に理解する前に話しが
進んでいってしまう感じ。
原作小説は「ミステリが読みたい!」と
「このミステリーがすごい!」の2023年の
1位になっているので、おそらく原作小説は
面白いのだろうと思う。
しかし2時間ほどの映画にまとめるのは
無理があったのかも知れない。
原作もの映画のあるあるだ。
評判通り、佐藤二朗は中々の怪演だと思うが、
前述の通り、ストーリーが完全に腑に落ちない
(背景がよく見えない)ので、その分、
もったいないようにも思う。
まあ、私の理解力の問題とも言えるけど。
山田裕貴は今年『木の上の軍隊』も観たので
2本目だけど、本作ではちょっと物足りないな。
もう少し、刑事としての頭の良さというか
天才ぶりを見たかった感じ。
渡部篤郎と犯人のやり取りは面白かった。
あと、警察官役の伊藤沙莉が良かった。
★★★▲☆
2025年製作/137分/PG12/日本
劇場公開日:2025年10月31日
2025.11.19
フルマラソン6時間切りへの道 その8
< 今回のマラソンを振り返って (2) >
「フルマラソン6時間切りへの道」という
タイトルを読むと「6時間切り」を
達成したかのような印象を与えてしまうのでは
ないかと思うが、実際は6時間切りは
成し得なかった。
このタイトルで書き出した7月の時点では、
なんやかんや云うて「結局は6時間切りを
達成する」という筋書きのつもりだったのだけど、
現実は全く甘くなかったっちゅうことや。
まあ、読者にとってはそんなことは
どうでも良いことやろうけど。
マラソンではランナーはチップを身に付けて走る。
5キロごとに計測ポイント(道路にケーブルが
敷かれてある)があって、そのチップが通過する時に
タイムが記録されるという仕組みになっている。
チップ

チップは、ビニールタイで靴ひもに固定する。
昨年のチップは、靴に付けるタイプではなく
身体のどこかに付けて走ったと思う。
ゴールで回収されたのでリサイクルするのかも知れない。
今年のチップは返却不要だったので
使い捨てということだな。
1万3千人ものランナーの記録を
取るのだから、考えてみれば凄いシステムだ。
さてそのテクノロジーのおかげで簡単に
自分の記録を知ることができる。
先日ここに書いた10キロごとの通過タイムも
そうだけど、今日は5キロごとのラップタイムを見て
今回のマラソンを振り返りたい。
5キロごとのラップから1キロあたりのタイムを
計算して、昨年の富山マラソンと比較してみた。
計測
ポイント |
2024富山マラソン |
2025福岡マラソン |
| ラップ |
1キロ |
ラップ |
1キロ |
| 5km |
0:49:06 |
9:49 |
0:39:20 |
7:51 |
| 10km |
0:43:55 |
8:47 |
0:43:50 |
8:45 |
| 15km |
0:46:02 |
9:12 |
0:41:05 |
8:12 |
| 20km |
0:48:28 |
9:41 |
0:43:25 |
8:41 |
| 25km |
0:47:47 |
9:33 |
0:44:52 |
8:58 |
| 30km |
0:48:21 |
9:40 |
0:49:09 |
9:49 |
| 35km |
0:49:16 |
9:51 |
0:53:20 |
10:39 |
| 40km |
0:49:54 |
9:58 |
0:55:01 |
11:00 |
| Finish |
0:21:25 |
9:45 |
0:23:36 |
10:45 |
驚いたのは、スタートからの5キロは、
昨年より1キロあたりほぼ2分も速く走っている。
1キロ 7分51秒は私にすればかなり速い。
昨年のラップ「49分 6秒」には スタートして
20分ほどで うんこをするために4~5分を
要したという背景もあるのだけど。
次の5キロ(5 ~ 10km)は、昨年と
ほぼ変わらないが、今年は9キロぐらいで
おしっこするためにトイレに並んだ。
7~8人並んでおり、たぶんここで2~3分は
止まっていたと思うので、それを除けば
1キロあたり8分台前半で走っている。
「それを除けば」と書いたけど、記録から
トイレ時間を差し引くことはできないのだけどね。
とにかく 25キロまで昨年を大きく上回る
ペースで走っていたのが分かる。
走っている最中は、そんなに速い気が
していなかったので「〇キロ」という表示を
見る度に「ほんまか?」と疑っていたほどだった。
しかし、25キロを超えて完全に失速したのが分かる。
25キロ以降のラップは、昨年より遅い。
35キロから40キロなんて 11分もかかっている。
これは時速にすると 5・45キロでちょっと早歩き
程度のスピードだ。
マラソンでは3時間を切ることを「サブ・スリー」、
4時間を切ることを「サブ・フォー」と言う。
サブは英語の「sub」、「~未満」という意味。
6時間切りは「サブ6」だけど、レベルが低すぎて
「サブ6」という言葉は、あんまり目にしない。
「サブ6」のためには、1キロ8分30秒で
走る必要がある。
今回ハーフ地点までは、1キロ8分25秒で
走れたのでハーフのサブ3は達成できたわけだ。
問題は、後半。
「30キロの壁」という言葉は知っていた。
昨年は最初から遅くて、最後までそんなにペースが
変わらなかったので「30キロの壁」を感じなかった。
(それはそれである意味凄い。)
でも、今年はハッキリと思い知った。
あるマラソンに関するサイトにこんな風に書いてあった。
「フルマラソンでは 30kmの壁と呼ばれる、
いわゆる体の限界が来ます。
そこから足が動かなくなってこようとも、
どれだけ気持ちを使って走り続けられるかが
大きなポイントになります。」
そういえば、ずい分前に何かで聞いたことを思い出した。
女性は生理的(身体的)にフルマラソンを
走り切ることができるが、本来、男性の身体は
そういう風にはできていない。
男性がフルマラソンを完走するためには、
気力が必要だと。
おいおい、根性論かい。
まあ、根性だろうと何だろうと不可能ではない。
先日、フルマラソンを走り終えた時には、
足が痛くて痛くて「もうフルマラソンはええわ」
と思ったけど、あれから10日経ち、
フツフツと何かがうごめいているのでした。
3日前、フルマラソンから1週間ぶりに走ってみた。
10キロ走ろうとスタートしたけど、
走ってみて分かったのは、まだ足の疲労が
残っているということ。
右足のひざの裏、左のひざにそれを感じて
6キロでやめた。
やはり 42キロは結構なダメージなんだな。
2025.11.14
もつ鍋 3連ちゃん
中学生の時の修学旅行は北九州だったけど、
たぶん博多には泊まっていないと思う。
水前寺公園(熊本)に行った覚えがあるが、
行きたかった熊本城はコースに入っておらず
残念だったような覚えがある。
ほかにどこに行ったんだろう。
どこかのサファリパークに行ったような気がする。
何しろ50年近く前のことで全ての記憶が当てにならない。
このたびマラソンに参加するために博多を訪れた。
昨年2月、妻の仕事に付いて行ったのに
続いて二度目だ。
博多は食べるものが美味い。
昨年は、泊まったホテルの前にあった居酒屋
「竹乃屋」のもつ鍋があまりに美味くて、
二日続けて通った。
それから、すっかりもつ鍋ファンになり、東京でも
数軒行ったし、お取り寄せもいくつか試してみた。
今回も もつ鍋は食べようと決めていたが、
三泊して、三日連続でもつ鍋を食べたので
そのレポートをしよう。
Day 1 夕食

初日の夜は天神の「博多もつ鍋 前田屋」の
和牛もつ鍋(しょうゆ味)
一人前 税込 1,958円。

やや甘めだが、食べているうちに唐辛子が
効いてきて汗が止まらなくなった。
もつは上品な味。
シメはちぢれ麺(ラーメンみたいな麺)
一品料理で食べた「すもつ」。
薄切りにした牛のもつを茹でてあるのかな、
それにポン酢がかかっている。
初めて食べたけど美味しかった。
Day 2 夕食

天神の「元祖もつ鍋 楽天地」、
ソラリアステージ味のタウン店。
ここはもつ鍋以外のメニューはほとんどなく、
もつ鍋専門店な感じ。
スープは一種類のみでしょうゆベース。
一人前 税込1,771円。

煮えた後の写真を撮り損ねた。
前日の「前田屋」に比べると甘さも辛さも
やや控えめで、美味いのは美味いが、
前田屋に比べると ここのもつは、やや固め。
もつがシマチョウなど以外のホルモンも混ざっている。
シメは、ちゃんぽん麺で。
もつ鍋にはちゃんぽん麺が合う。
「前田屋」で美味かった「すもつ」も頼んでみた。
なんと税込209円と安かった(量も控えめ)が、
これは豚のもつで、大した美味くなかった。
断然、前田屋の「すもつ」の方が美味かったな。
(税込858円)
前田屋は和牛と謳っていたので、その違いだろうか。
Day 3 夕食

フルマラソン走った後の夕食は、(足が痛いので)
ホテルに近い「らまい」のもつ鍋。
一人前 税込1,848円
お勧めの「水餃子」も入れてみた。
前日 前々日のもつ鍋とはまた違った味のスープ。

こちらは、同店の赤身(馬刺し)。

もつ鍋は、3軒ともそれぞれの味で、
甲乙つけ難いのだが総合的には、
一番辛かったけど前田屋が美味かった。
値段も一番高かったけれど、なにしろもつが
柔らかく、上品だったのが良い。
「元祖もつ鍋 楽天地」はやや庶民的な印象。
この二店は複数店舗がある。
「らまい」は、一店舗だけのようなので、
たぶん個人店かな。
ついでにランチのレポートも。
Day 2 昼食
「39うどん」
肉+ごぼう天うどん(税込1,089円)に
しょうが(?円)をトッピング。

やや甘めのダシだけど、しょうがを追加したので
パンチのある味になった。
勝手に博多のうどんはもっと柔らかいのかと
思っていたけどそうでもない。
讃岐うどんほどのコシはないけど。
肉は好きな味付け。
ごぼう天のごぼうは、薄切りでなく
しっかり歯ごたえのある厚さ。
近所ならリピートするね。
Day 4 昼食
福岡空港内のレストラン「博多食堂 いっかく」。
「博多新名物 明太チキン何番定食」
税込 2,255円。

チキン南蛮に大きな明太子が一本(半腹)
丸々乗った定食。
ご飯、みそ汁、豚酢もつ、自家製ふりかけ、
ケールサラダ、自家製ドレッシング、お刺身付きと豪華。
博多は全体的に味付けが甘め。
割と濃い目が好きな私にもやや甘すぎな感あり。
天神には、たくさん屋台が出ていたので、
次回は屋台もぜひ試してみたいな。
2025.11.13
フルマラソン6時間切りへの道 その7
< 今回のマラソンを振り返って >
本番前日の「メンタルやられました」は、
本当にひどい状態だった。
よく完走するまでにあの短時間で回復したものだと思う。
福岡入りする前日には、寝不足のまま早朝から
大阪に行って日帰りしたし、福岡に行った日も
十分に睡眠は取れていなかったので、
体調不良の原因は、そういうことの重なりだったのかと思う。
2週間、お酒を控えるなどの準備はしてたけれど、
生活のリズムもきっちり整えておく必要が
あると痛感したのでした。
さて、主催者の結果報告によると、本大会の
フルマラソン出走者数は、13,212人で
完走者数は、12,724人(完走率 96.3%)。
この完走率の高さは、ひとえに制限時間
7時間によるところが大きい。
6時間だと、完走率はかなり減ると思う。
ちなみに私は「男子60~64歳」という種目で
641人中 620位だった。
ベッタ(最下位)でなくて良かった。
全体では、完走者12,724人中 10,034位。
後ろに2千人もいたんだ。
〔順位はグロスタイム(8:20スタートからの
タイム)によるもの。〕
地方のマラソンの楽しみの一つは、走りながら
観る風景に加えて、給食で出されるご当地名物。
今回も、お菓子はもちろん、うどんや冷やしぜんざい、
とり団子なんてものもあった。
ただ今回は途中で何度も雨に降られたので、
雨の中の給食や給水は、雨水がかかって
あまりよろしくない。
仕方ないけど。
サロンパスがスポンサー企業のひとつだったので
35キロあたりだったかな、エアーサロンパスの
試供品を配ってくれた。
そういうのはありがたい。
あと富山マラソンもそうだったけど、
沿道での地元の人による声援。
時々、なんだか うるさいのもいるけど、
天邪鬼な私でも特に後半は力づけられた。
参加者のアンケートを読むと、数は少ないけど
「アップダウンの多いハードなコース」
「後半の山道が険しく」
「道路の傾きや坂が多くあって走るのが大変」
などの書き込みがあった。
私は、全くといって良いほど坂道は
気にならなかった。
これは、ふだんの練習コースが結構な坂道を
含んでいるためだと思う。
それは良い練習になっていた証だろう。
坂道といえば昨年の富山の新湊大橋の
方がよっぽどしんどかった。
ゴール直後

完走のメダル

昨年の記録と比べてみる。
| 年月日 |
2024/11/02 |
2025/11/09 |
| 大会 |
富山マラソン |
福岡マラソン |
| 10km |
1:33:01 |
1:23:10 |
| 20km |
3:07:42 |
2:47:40 |
| HALF |
3:18:47 |
2:57:02 |
| 30km |
4:43:50 |
4:21:41 |
| 40km |
6:23:00 |
6:10:02 |
| 42・195km |
6:44:14 |
6:33:38 |
| 1kmあたり |
9分34秒 |
9分19秒 |
ご覧のように昨年に比べ、前半は快調だったのが
分かるが、40キロを超えて最後の2・195キロは、
昨年の 21分14秒に対し、
今年は 23分36秒もかかっている。
それだけ、今年の方が足が痛かったということだ。
靴は昨年は、アシックスの「ゲル・カヤノ 31」だったが
今年は、アルトラの「EXPERIENCE FLOW」。
今後もアルトラを使うと思う。
ALTRA EXPERIENCE FLOW

二度目のフルマラソンを走ってみて思うのは、
42キロ走れる身体は全然出来ていない、ということ。
20キロや25キロを超える練習を積まないと、
フルマラソンは厳しいということがよく分かった。
しかし、練習で日常的に20キロ以上走る身体も
まだ出来ていないと思う。
今は 12~13キロだな。
身体は、マッサージ、オイルのおかげもあってか、
日曜日に走って、翌日(月曜日)の足の痛みも
昨年よりマシ。
火曜日には、かなり楽になっていて、
今日には 98% 回復している感じで、
もう普通に走れるような気がしている。
走り終えた直後は「もうフルマラソンはいいや」と
思ったけど、こうやって昨年との記録を
比べたりしていると、もっと走れるんやないか、
という気もしてくる。
90歳を過ぎてフルマラソンを走っている人の
話を見聞きすると、心の中に何かが芽生えてきそうだ。
まぁ、フルマラソンは、考えることにしよう。
いずれにしろ、ジョギングは続けたいと思っているので
そのうち ハーフ・マラソンぐらいなら出てみるかも知れない。
スタート前写真

2025.11.12
フルマラソン6時間切りへの道 その6
< マラソン本番当日 >
マラソン本番前日(11/8)の朝、
声はガラガラで走る気力も失っていた。
その日の観光を取りやめ、ホテルで寝ていたが、
妻に風邪薬とユンケルを買って来てもらい、
飲んだら夕方にはなんとか
「これなら出場できるぞ」というところまで
気力が戻って来た。
当日(11/9)6時に起床。
天気予報は、前日より少しだけ降水確率が
減っており、午後には雨が上がる様子。
ホテルからスタートラインまでは歩いて10分ほど。
7時過ぎにホテルを出発。
じゃじゃ降りというわけではないが、傘を差して向かう。
手荷物を預けたり、準備をしている間に
雨はどんどん小雨になり、スタートラインに
並んだ8時頃には完全に上がっていた。

8:20、スタート。
何しろ1万3千人が走るレースだ。
私達は後方の「J」グループなので、
スタート地点を通過したのは、8:34を過ぎていた。
妻は私よりゆっくりのペースなので
数分で分かれた。
私は、練習の時と同じぐらいのペースで
走っているつもりだけど、どうも速い。
6キロ通過時点でキロ8分のペース。
「そんなに速く走ってないのに」と思うが、
本番では普段ではない何かが
作用しているのかも知れない。
雨は上がって良かったと思ったが、
湿度が高く暑い。
この数週間にはないほど、かなり汗をかいた。
10キロ地点を 83分10秒で通過した。
新記録だ。
走りながら計算する。
これなら、6時間切れるんちゃうか。
6時間切りなんて無理だと諦めていたが、
光が差して来る。
中間地点(21・1キロ)を2時間57分02秒で通過。
なんとハーフマラソンを3時間切った。
つまり、このペースなら6時間を切れるということだ。
28キロ地点(約3分の2)を4時間ちょうどで通過。
ややペースは落ちてきているが、まだ
6時間切り射程圏内だ。
しかし、フルマラソンはそんなに甘くない。
30キロを超えたあたりで足が痛くなり、
急にペースが落ちた。
右足の太ももの下の方からひざの裏あたりが痛い。
このままだとつるんじゃないかという痛み。
こんな所がつったら完全にリタイヤだ。
場合によっては歩けず、車椅子ということもあり得る。
なんとか最後まで持って欲しいと思う。
そのうち雨が降り出した。
小雨程度のが降ったり止んだりを繰り返す。
一度だけ、素肌にあたる雨が痛かったほど
本降りのように降った。
その時は足が痛いのと雨で寒いのと
ダブルパンチだった。
右足の次は左の太ももの付け根、
お尻の横あたりが痛み出した。
練習時でも痛かったひざは、30キロを
超えているのだから当然痛い。
でも、ひざより右足の太ももの裏、
左のお尻あたりの傷みがひどい。
たぶん 33キロあたりからは、
気持ちだけが走っていて、フォームも
スピードも早歩き程度だったと思う。
もう走ることを放棄したかのように
普通に歩いている参加者も多くいたが
私は性格的なものなのか、
そんな風には歩けず、気持ちだけは
走り続けていた。
そういう人たちとスピードは、
大して変わらないのだけどね。
結局、前半のペースから大きく落ちて、
6時間33分38秒でフィニッシュ。
(記録は 6時間47分47秒だけど、
スタート地点通過に14分9秒かかっているので、
それを差し引いたネットタイム。)


なんとか完走だ。
昨年の「6時間44分14秒」より
10分ほど縮まった。
せめて1キロ30秒、全体で21分縮めたかったけど、
そんなに 甘くなかった。
前半を2時間57分で走り、
後半に3時間36分かかったことになる。
前半の調子の良さが、後半に響いた感じ。
練習では、10キロから15キロぐらいを
走っていたわけだから、考えてみれば、
これは当然の結果だろう。
トータルのペースは、1キロ9分19秒。
昨年より 15秒だけ速い。
記録は大したことないけど、
ハーフを3時間切れたのは嬉しい。
妻は「第一関門(5・3キロ)、第二関門
(9・9キロ)を時間内に通過できるかどうか」と
言っていたが、なんと第四関門(19・8キロ)まで
走ってタイムオーバーで失格。
練習で走った最長が8キロと言っていたので、
その倍以上走れたと本人は満足の様子。
2025.11.10
フルマラソン6時間切りへの道 その5
< いよいよ福岡へ >
昨日は、福岡マラソンの本番だった。
結果を書く前に福岡入りから本番までの
道のりを書いておこう。
本番2日前(11/7)、12:25 に福岡空港に
到着後、レンタカーでマラソンの受付会場、
博多市役所に向かう。
受付を済ませ、アスリートビブスと
靴に付けるチップ、予め申込んであった
Tシャツを受け取る。
アスリートビブス

計測チップ(靴に取り付ける)

Tシャツは、申込者全員が貰える大会もあるが、
本大会では有料だった。
申込会場には、スポーツ用品や地元企業などの
ブースが並び、さながら何かのフェスのような感じだ。
(昨年の富山マラソンもそんな感じだった。)
受付会場にて

大会前日(11/8)。
前日に申込みを済ませたので、早起きして
レンタカーで一日ゆっくり観光をと思っていた。
ところが、朝起きると喉がおかしい。
声がガラガラで、明らかに風邪の症状だ。
2週間ほど前から風邪気味で、
一旦治ったかのように思っていた。
前日には風邪の気配は感じなかったのだけど。
熱はないし、咳や鼻水もほとんどないけど、
頭はぼうっとしてる。
早起きは取りやめて、とりあえず寝る。
前日、ホテルの目の前にあるマッサージ屋さんを
11:30に予約していたので、11時に起きてマッサージへ。
マッサージ後も体調は戻らず、気持ちは沈んだまま。
頭の中では
「こんな体調でフルマラソンなんて絶対無理」
「いや、途中リタイヤでもいいから
とにかくスタートするんだ」
「無理無理、スタートラインに立つ気力もない」
という自己話が続く。
おまけに天気予報では翌日の博多は
降水確率95%で、雨の中のマラソンになる。
ますます気が滅入る。
私の心では、棄権率 95%。
完全に心は折れ、メンタルやられました状態。
昼食後、観光を楽しみにしていた妻には悪いが、
再びホテルに戻り寝ることに。
さて、翌日走ることが出来るのだろうか。
(つづく)
2025.11.6
あいては人か
話が通じないとき
ワニかもしれません
レーナ・スコーグホルム 著

人生の悩みごとのほぼ全ては人間関係。
その人間関係の摩擦を少しでも少なくし、
快適な人生を歩むための指南書。
著書は、スェーデンの行動科学の
研究者、講演者、教育者。
無意識に男性だと思って読んでいたら、
途中で女性だと分かった。
こんなところにも全く非意識に
バイアスがかかっているんだと再認識。
本書は、今までになかったいくつかの区別を
提供してくれた。
特に興味深く、私の人間への理解を
深めてくれたのは、「ワニ脳・サル脳・ヒト脳」の区別。
これは所謂「反応」を区別しているのだが、
コンテクストが脳科学で、人類の何万年もの
歴史を踏まえての話しで、妙に説得力がある。
簡単に言うとヒトは「ワニ脳」の時と
「サル脳」の時と「ヒト脳」の時があり、
どういう時に「ワニ脳」になるのか、
「ワニ脳」になるとどういう言動になるのか、
そのメカニズムを解説したもの。
それぞれの時に話す「ワニ語」「サル語」「ヒト語」が
どういうものかも書いてある。
「ワニ脳」で「ワニ語」を話している人との対応は、
本当に難しいが、区別ができただけでも前進がある。
自分がどういう時に「ワニ」になるのかも分かる。
それから、生存本能の3つのモードが
ヒトが取る態度を決めているという話し。
ヒトはどんな場面でも「前進・脅威・鎮静」の
どれかのモードで動いているということで、
これもまた人類の何万年もの歴史に
基づいており、なるほどと思った。
他にも左脳と右脳の関係なども興味深い。
全体的にそんなに難しい話しではないし、
すでに知っていたことも書いてあったが、
それらを総合的に使うことで、
より自分や他人を理解するツールとして
役に立てたいと思う。
途中、ちょっと中だるみ感があったことは
否めないが、総じて良いと思う。
スウェーデンではベストセラーとなったのも頷ける。
★★★★▲
フルマラソン6時間切りへの道 その4
あっという間に本番3日前になってしまった。
明日から現地(福岡)に乗り込み
最終調整をする。
というと何やら本格的に聞こえるが、
実は今さら何も調整するようなことはない。
マラソンの申し込みが前日、
前々日ということもあるけど、
要は観光を兼ねて早めに行くだけだ。
残念なのは、せっかく食べ物が美味い
博多に泊まるのに、本番終了まで
アルコールが飲めないこと。
正確には、飲めないのではなく、
飲まないと自分で決めているだけだけど。
日曜日、本番を終えたら飲むぞ!
絶対美味いぞ、馬刺し、モツ鍋と焼酎。
禁酒期間は2週間だけだけど、
こういうの気持ちの問題やからな。
結局、当初の目標「6時間切り」は
思っていた以上に手強く、数ヶ月の我流の
緩い練習では達成しそうにない。
はい、すでに諦めています。
無理です。
断言しておきます。
予想では、6時間20分を切れば
立派なもんだと思っております。
そのタイムでも、ケガなく完走すれば、
スポーツをしてこなかった 63歳の自分には上出来です。
と、自分を褒めることにしました。
完走したら、だけど。
練習で走ったトータルの距離は昨年は
3カ月半で 410キロほど。
今年は倍近い6カ月半で 450キロほど。
期間が長いのにトータルは少ない。
8月暑さで4週間走らなかったこともある。
この8週間は一回に走る距離を
最低10キロと決めて走った。(最長は15キロ)
8週間で16回走ったから、週2ペース。
走った回数は昨年より少ないけど、
一回あたりの距離は伸びた。
もしかしたら、これを一年ぐらい続けたら、
タイムにも違いが出てくるのかも知れない。
でも、もうタイムはいいや。
今年は、走ってない時に普通に歩けないほど、
普段痛んだことのない所(ひざではなく何でここが
痛い?と思うような所)が痛い日もあった。
翌日にはどうもないんだけど。
今日も少しだけ左足のスネの辺りが痛んだ。
当日、この痛みが来たら、100%棄権だ。
だから、とにかく無事完走したい。
このフルマラソン、妻も申し込んでいるのだが、
彼女の場合、はなから完走は問題ではなく、
第一関門(5・3キロ)、第二関門
(9・9キロ)を時間内に通過できるかどうかが
問題で、それ以外は専ら旅行気分でいるようで、
いささかお気楽に見える。
というと怒るかも知れないけどね。
福岡マラソン
2025.11.5
山下達郎
PERFORMANCE 2025

今年は10回目の抽選で当選した
山下達郎 PERFORMANCE。
その NHKホール公演に行ってきた。
今年のツアーは、11都市26公演。
昨年は 21都市43公演だったことを
考えると6割ほどに減った。
当然、チケット争奪の競争率も上がるわけだ。
毎回100%全力でステージに挑むのは、
プロなら当たり前かもしれないが、
達郎氏のライヴの密度を考えると、
やはり72歳という年齢は
長いツアーはしんどいということだろうか。
いや、72歳でなくてもしんどいわな。
回数を演ってクオリティを下げるぐらいなら、
回数を減らしてでも妥協なく演りたいと
思うのがアーティストだろう。
さて、セットリストは『SPARKLE』に始まり
『YOUR EYES』で締めくくるというのは
ここ数年変わらずだが、今年はデビュー
50周年ということでちょっと変わった企画もあった。
デビューの75年から10年ごとのシングルを演奏。
『Down Town』(1975年 single)、
『土曜日の恋人』(1985年 single)、
『風の回廊』(1985年 single)、
『世界の果てまで』(1995年 single)、
『Forever Mine』(2005年 single)。
2015年はシングルがなかったそうだ。
その他 前述の『SPARKLE』のほか『クリスマス・イブ』、
『ドーナツ・ソング』、『蒼氓』、『Let's Dance Baby』、
『Down Town』、『アトムの子』、『BOMBER』、
『Blue Velvet』、『Bella Notte』、『すてきなメロディー』など。
アンコールは、奇しくも本日発売の
シングル『オノマトペISLAND』。
ポケモンのタイアップ曲らしい。
そして、『Ride On Time』。
いつもはエンディングで ステージの後ろの方に
作られた台に乗ってマイクなしで
パフォーマンスするのだけど、
ついに封印したのか今回はなかった。
それがひとつの見せ場だったけど、
あれ、物凄く喉に負担だろうから
翌日もライヴがあるなら、やっぱり控えた方がいいよな。
それから大好きな『サムデイ』。
これは嬉しい。
何度も「身の丈にあったペースで続けます」と
言っていたけど、終わってみると
アンコールを含めて約2時間45分ほど。
いつもながら、音楽への愛と情熱、
妥協なきパフォーマンスへのコミット、
オーディエンスへの感謝に溢れたステージでした。
「50年前、72歳なっても NHKホールで
ライヴを演っているなんて想像できなかった」
と言っていたけど、そうだろうけど、
まだまだ続けて欲しいね。
来年のツアーも決まっているとのこと。
きっとまたチケットを取るのが難しいだろうけど、
来年もまた行くよ!
見え方

またもや3階席(R16列 1番)。
達郎 - NHKホール 3回連続3階席だ。
でも 写真で見る感じより観やすい。
[ MEMBERS ]
山下達郎(ヴォーカル/ギター)
柴田俊文(キーボード)
難波弘之(キーボード)
鳥山雄司(ギター)
伊藤広規(ベース)
小笠原拓海(ドラムス)
宮里陽太(サックス/フルート)
ハルナ(コーラス)
ENA(コーラス)
三谷泰弘(コーラス)
@ NHKホール
2025.11.4
初めてのリコール
先日、テレビの報道番組で
「発火の危険のあるモバイルバッテリーを
回収している」というニュースを観た。
実際に発火した事故があったようで、
メーカーが回収に乗り出したようだ。
製造過程で異物が混入したため、
内部でショートする可能性が確認されたらしい。
一昨日、100キロウォークに出場した際、
スマホ用にモバイルバッテリーを購入した。
それから、アメリカ旅行で少し使ったぐらいで
ほとんど出番がなく置いてある。
国内でも何度か持ち出したことがあるが、
結局モバイルバッテリーを使うほど
スマホのバッテリーが減ったことがなく
荷物が増えるだけで出番がないので
持ち歩くことがなくなった。
まさか回収対象品ではないだろうと
思いながら、念のため見てみたら
回収している「アンカー」というメーカーなものだ。
本体に書かれた品番を確認しようとすると、
これが文字がちっちゃい。
スマホで写真を撮って拡大しても読みにくいほど。
しかし、確認の結果、回収対象となっている
製品であることが分かった。
回収案内のサイトを見ると、シリアルナンバーを
入力すると、その個体が回収対象かどうか
分かる仕組みになっていた。
このシリアルナンバーがまた読みにくい。
文字が超ちっちゃくて、文字の色も見にくい。
まあ、こんなことでもなければシリアルナンバーを
確認することなんてないねんけどな。
結局、私の買ったものが回収対象品で
あることが判明したので、回収キットを申し込んだ。
数日後、耐火バッグとレターパックが送られてきた。
運送中に発火しないように(というか発火しても
良いようにか)耐火バッグに入れて送るんだ。
一体何個回収するのか分からないが、
この耐火バッグ、返信用レターパック、
送料、手間賃を考えると相当な費用だろう。
回収されたら、私のモバイルバッテリーは
なくなるわけで、それはどうしてくれるのかと思ったら、
代替え品が送られて来るようだ。
回収された製品はすでに製造中止になっているので、
上位製品が送られて来るようだ。
面倒なことになったようだが、ある意味ラッキーでもあった。
何より事故に遭ってないことは幸いだ。
とはいうものの、あのニュースをたまたま観たから
回収・交換に至ったけど 知らなければ、
不良製品をそのまま使うこともあっただろう。
それで発火事故が起きて
何か被害に遭うこともあり得るわけだ。
テレビの様なオールドメディアへの批判が
激しい昨今だが、まだ役に立つこともあるな。
回収対象の私の Anker PowerCore 10000

送られてきた回収用の立派な耐火バッグ

2025.11.4
kindle
先日、電車の中で電子書籍を読む
女性を見かけた。
手のひらになるサイズでとても軽そうだった。
私も Amazon で、何冊か電子書籍を
買ったみたことがあるが、スマホで読んでいたので、
どうも読みにくく結局は紙の本に戻っていた。
視力が衰えてきて、文庫本は字が小さくて
読めないし、単行本は大きくて重くて持ち歩くには
面倒な時もある。
もしかしたら、kindle を買えば
もっと読書がし易くなるかな、と思い買ってみた。
今ではカラー表示のものも出ていて迷ったが、
カラーだと電池の減りが早いとか、
ストレージの容量を食うとかのマイナス点もあり、
私の場合、読みもの中心で、写真や図のある本は
あまり読まないと思い白黒表示のものにした。
7インチ、16ギガ、2024年モデルが
セールで 22,980円。
届いたものは、B6サイズぐらいかな。

片手で持っていても疲れない重さ(214g)。
考えてみると、文庫本でさえ開いたページを
片手でキープしながら読み続けるのは
難しかったので、これは楽だ。
製品のレビューに「もっと早く買えば良かった」と
いうようなコメントが散見されたのも分かる。
ページをめぐるのも指先で軽くタップするだけでいいし、
白黒でもハイライトを付けることもできるし、
字の大きさや画面の明るさの調節も可能。
(文字の大きさが変えられるのはかなりありがたい。)
何より同時に何冊も持ち歩くことができる。
(商品説明には数千冊保存可能とある。)
で、読みかけの本やまだ読んでいない本が
何冊もあるのだけど、kindle で読んでみたくて
一冊買ってみた。
続いては、そのレビュー。
自分とか、ないから。
しんめいP 著

偶然観たテレビのクイズ番組にベストセラーになった
本の著者が出ていて、この本が紹介された。
面白そうなので kindle で読めるように
電子書籍で買ってみた。
サクサク読めたので、一日で読み終えた。
文章のタッチは軽く、今時の若者が
SNS に書き込んでいるような感じ。
本書は何かに悩んでいる若者が対象であって、
60代のオッサンが読む本ではないかも知れない。
それでも東洋哲学の入門書としては良いと思う。
かなりザックりだろうが分かりやすい。
すでに知っていたことも、なるほどそういう風に
説明すれば分かりやすい、と思うこともあった。
東洋哲学の7人の哲学者、ブッダ、龍樹、
老子、荘子、達磨、親鸞、空海の教えを
噛み砕いて説明している。
著書自身が、仕事や結婚でつまずいたからこそ
書けた本でもあると思う。
本書は20万部を超えるベストセラーになっている。
いつの時代にも人は迷っているのだな。
それにしても、この本が20万部であれば、
妻の本も もっと売れても良いと思うのだけどね。
★★★★☆
2025.11.2
舘野泉 卒寿記念コンサート

今月数え年で90歳になるピアニスト舘野さんの
卒寿記念コンサートに行ってきた。
会場はサントリーホール。
1階 13列目の中央という良い席だった。
見え方

舘野さんは、2002年に脳溢血で倒れ、
右半身不随となったが、その後
「左手のピアニスト」として活動を再開した。
左手しか使えないので、演奏できる音楽は
当然限られる。
今日のコンサートで演奏された曲は、
全曲 舘野さんのために書かれたか
献呈された曲。
作曲家はアイスランドのマグヌッソン、
フィンランドのノルドグレン、
同じくフィンランドのティエンスー、
アルゼンチンのエスカンデ。
全曲、21世紀なってから書かれたもので、
現代音楽ということになろうかと思う。
マグヌッソンやノルドグレンの曲は、
知らずに聞かされたら、フリージャズだと
思っても不思議ではないだろう。
ティエンスーの『復活』では、左手の膝で
低音の鍵盤を叩きながら指でも演奏していた。
あんな奏法は初めて見たよ。
本編ラストは、管楽器7人とのアンサンブル。
アンコールは2曲。
最後に演った『赤とんぼ』の変奏が
とても美しく心に沁みた。
以前観たドキュメンタリーで
脳溢血で倒れ、ピアノを弾けなくなった頃のことを
舘野さんは、こう語っていた。
「ひもじくて、音楽が欲しくてしたくて、
いくら聴いたって満足することじゃないんだ。
いくら譜面を見たって CDを聴いたって
それでいいということじゃなくて、
自分で弾きたいというたまらない飢えっていう
気持ちがあった」
またこのたびの卒寿コンサートに臨んでの
インタビューでは「卒寿(90歳)への感慨は
ありますか?」という問いに
「90歳にもなれば、身体上の障害は持って
当たり前ですし、"向こう側" と "こちら側" の世界の
二股をかけている感じはあります。
未練や執着はなく、長く生き続けたいとも
死にたいとも思いません。
別にどうということもなく、当たり前の世界に
終わりが来たら終わり。
弾ける時まで弾き続けて行きます。
弾けることが、ひとつの命の証(あかし)です」
と答えている。
尽きることのない音楽への情熱を
生き続けた人の諦念とも言える境地の言葉。
舘野さんの人生は、きっと筆舌に
尽くしがたいこともあっただろう。
でも、アンコールを終え、車椅子でステージを降りる
その後ろ姿を見て、90歳でサントリーホールで、
この拍手を浴びられるなら、音楽家としては
この上なく幸福なのではないかと思ったのでした。
[ 出 演 ]
舘野泉 (Piano)
平石章人 (Conductor)
甲斐雅之 (Flute)
辻本憲一 (Trumpet)
伊藤駿 (Trumpet)
新田幹男 (Trombone)
Zachary Guiles (Trombone)
野々下興一 (Bass trombone)
齋藤充 (Euphonium)
@ サントリーホール
[ プログラム ]
■ マグヌッソン:組曲「アイスランドの風景」 (2013)
第1楽章 東部の小川の滝
第2楽章 鳥の目から見た高地
第3楽章 オーロラの舞
第4楽章 うららかなひと時、夏至の深夜の煌々と明るい夜に
第5楽章 大河ラーガルフリョゥトのほとりを歩く
■ ノルドグレン:小泉八雲の『怪談』によるバラードⅡ (2004)
振袖火事・衝立の女・忠五郎の話
--- 休憩 ---
■ ティエンスー:復活 (2013)
■ エスカンデ:奔放なカプリッチョ ~ピアノと管楽器のための (2023)
--- アンコール ---
■ ?
■ 赤とんぼ
ピアニスト舘野泉、「卒寿記念コンサート」を語る
[ 関連エントリー ]
2015.3.19 左手のピアニスト
2015.6.3 舘野 泉 ピアノリサイタル
2024.11.29 舘野さん
2025.4.25 東京フィルハーモニー交響楽団
2025.10.29
STEVE GADD
"Blicher Hemmer Gadd" Project
かわさきジャズ 2025

「かわさきジャズ 2025」というのは、
神奈川県川崎市で 9月15日から
11月23日まで70日間にわたって
開催されるジャズ・フェスティバル。
2015年から続く。
そのメイン・ライヴのひとつ、
スティーヴ・ガッドの「BHGプロジェクト」を
観にミューザ川崎シンフォニーホールへ行って来た。
BHGプロジェクトは.、2023年の来日公演が、
とても良かった覚えがある。
ドラムとサックスとオルガンというトリオで、
スティーヴ以外のふたりは、デンマーク人。
ジャズというよりは、ブルース、R&B の色が濃い。
すでに10年も続いているトリオだ。
今回の来日公演では、すでに大分2回、
静岡の公演を終え、今日が4回目。
これから、大阪、栃木、沼津、そして東京公演がある。
9日12公演というジャパン・ツアーだ。
ビルボードライブ東京の公演は、9,400円や
10,500円なのに 今日のチケットはなんと4,000円!
これは ありがたい&嬉しい。
ミューザ川崎は、そこそこ大きなホールなので
3階や4階の後ろの方だったらイヤだなと思っていたら、
2階の1列目という、とても見やすい良い席。
ちょい下手側だったのだけど、スティーヴが
ステージ中央向いての配置だったため、
彼の顔もよく見えた。
オルガンのダン・ヘマーはずっと後ろ姿だったけど。
見え方


1曲目は『It Will Be Alright』。
三連のスローだが、曲が始まった途端に
別世界に連れて行かれた。
いやいや凄い。
ミカエル・ブリチャーのサックスは、あまり派手な
ブローはせず、暖かみのある穏やかなトーン。
ダン・ヘマーのオルガンもとても品のある、
調和のあるプレイ。
スリリングな音楽も良いけれど、こういう、
世界を包み込むような音楽も良い。
プレイヤーにエゴはなく、ただ美しい音楽を
創る使命だけのために存在している。
平和です。
ガッドは、ほとんどの曲でブラシを使用。
ミカエルは数曲でフルートを吹いた。
全体にソロは短めで、1曲あたり5分程度だろうか。
長々とソロをしないの良い。
ドラム・ソロは3回あったかな。
特に『Omara』でのソロが良かった。
スティーヴは、80歳。
一昨年のドラムクリニックで、健康には
気を付けている、という話はしていたけれど、
これからもまだまだ元気で演って欲しい。
スティーヴのドラムセット

ところで「Michael Blicher」は、日本語で
「ミカエル・ブリチャー」と書かれているのだけど、
「Michael」は英語読みだと「マイケル」だし
「Blicher」は「ブリチャー」というより「ブレッカー」に
近いようで、どうも「マイケル・ブレッカー」と
聞こえてしまう。
[ MEMBERS ]
Steve Gadd (Drums)
Michael Blicher (Saxophone, flute)
Dan Hemmer (Hammond organ)
@ ミューザ川崎シンフォニーホール
SETLIST

[ 関連エントリー ]
2023.10.19 Blicher Hemmer Gadd Japan Tour 2023
2025.10.26
今年もヤマタツ!
山下達郎のコンサートチケット抽選に当選した。
11月5日 NHKホール(東京)だ。
今年は、東京、横浜、宇都宮の公演に
合計10回申込んで、やっと当選したよ。
もっとハズレ続けて観られなかった年もあるから
当選して良かった。
山下達郎のコンサートは、
2017年(群馬)、2018年(神奈川)、
2019年(東京)と続けて観に行った。
2020年、2021年はコロナのためツアーなし。
2022年は、抽選に外れ続けた
そして、2023年(山形)、2024年(東京)に
続いて、これで6回目となる。
先日の高中正義同様、一年に一度は
ライヴを観たいアーティストだ。
今まで6回とも一度の抽選で当選したことは
なかったと思う。
毎年、毎回もの凄い競争率のようで、
東京は中々当選しないので、
2017年は群馬へ、一昨年2023年には、
山形まで観に行った。
達郎氏は、72歳。
毎回、そのレベルの高いパフォーマンスと
妥協なき姿勢、音楽への愛、
オーディエンスへの感謝、
そしてご自身の使命を全うする姿に
感動を頂いている。
今年も楽しみだ。
[ 関連エントリー ]
2017.3.26 山下達郎 PERFORMANCE 2017(その1~その3)
2018.9.3 山下達郎 PERFORMANCE 2018
2019.5.24 TATSURO YAMASHITA THEATER LIVE PERFORMANCE 1984-2012
2019.7.17 山下達郎 PERFORMANCE 2019(その1~その2)
2023.8.6 山下達郎 PERFORMANCE 2023
2024.7.20 山下達郎 PERFORMANCE 2024
2025.10.22
アンソニー・ジャクソン 逝く
アメリカのベーシスト、アンソニー・ジャクソン
(Anthony Jackson)が、10月19日に亡くなった。
73歳だった。
彼は自分の楽器(フォデラ製 6弦)のことを
「ベース」とは呼ばずに「コントラバス・ギター」と呼んだ。
最後にしていた仕事は、上原ひろみ、
サイモン・フィリップスとのトリオだった。
報道では「2017年に脳卒中とパーキンソン病による
療養のため、ミュージシャン活動を休止した」とあるが
2016年12月の「上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト」の
東京公演ですでに健康上の理由で出演をキャンセルしていた。
(代わりにフランス人ベーシストの
アドリアン・フェローが出演した。)
だから、2016年にはもうステージに立てなかったんだ。
私が、アンソニー・ジャクソンを初めて聴いたのは、
高校生の時(1979ー80年頃)に買った
LP レコード『Gentle Thoughts』だった。
メンバーは、リー・リトナー (g)、デイブ・グルーシン (keyb)、
パトリース・ラッシェン (keyb)、アーニー・ワッツ (sax)、
アンソニー・ジャクソン (b)、ハーヴィー・メイソン (ds)、
スティーブ・フォアマン (perc) という布陣。
このアルバムは、大好きで本当によく聞いた。
アンソニー・ジャクソンのプレイは、
上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクトで数回観たほか
マイク・スターンと来た時や、ジョン・トロペイとの
来日公演も観た。
あまり派手なプレイはしなかったけど、
独特なプレイだった。
73歳は、ちょっと早いなぁ。残念。
自分名義のアルバムを1枚も残さなかった、
偉大なるベースプレイヤーです。
また、ネオソウルの先駆者と呼ばれている
ディアンジェロ(D'Angelo)が、14日に亡くなった。
まだ51歳だった。
KISS のギタリストだったエース・フレーリー
(Ace Frehley)も 16日に亡くなった。
74歳だった。
合掌。
(追記 2025.10.23)
トリオ・ザ・プロジェクトのおふたりからの
アンソニーへの追悼の言葉が泣ける。
どちらも公式インスタに発表されたメッセージ。
英語は、(自動翻訳で)訳してね。
Simon Phillips -------------------------
I heard the news that we lost Anthony
with enormous sadness.
I was lucky enough not only to play
but also to spend quality time with him.
He had a mind full of remarkable knowledge.
He was scientific in his view of the World ?
loved technology, history, politics,
cuisine and of course music.
Jack Bruce, during my time with him,
in the 70s he would cite both Charlie Mingus
and Anthony Jackson as his favorite players.
I heard Anthony on so many records
but it wasn’t until 1982 that I got to meet
and play with him on the Al Di Meola
(Electric Rendezvous tour).
From the first rehearsal I knew that
he was an extra special player.
His precision alone was a huge lesson for me
and every time we played it made me
strive to play the best I could.
During that tour each night before the show,
AJ would not be in the dressing room
but sitting in the wings of the stage with his Walkman
and headphones listening to Rachmaninoff.
When it was time to play he would take
his phones off and walk onstage, pick up his bass,
sit down (as he always did) and
play the most ferocious performance.
At the end of the show,
while we all walked to the front of the stage
to take a bow, AJ would walk quietly offstage,
put his phones on and continue listening to Rachmaninoff.
In 2010 I received a call from Hiromi’s manager
about playing on her next album (Voice)
and when I heard that AJ would be playing
also I knew this project would be something special.
We traveled, performed and recorded together
for the next 6 years and it was a privilege to play
on the same stage each night with Anthony and Hiromi.
The enthusiasm he had for playing stayed
with him for all his years.
His stories of some of his experiences were
hilarious and enthralling.
He had a wonderful but gentle sense of humor.
His last few years must have been the greatest challenge
of his life but he accepted it with such a brave face.
He never complained and just dealt with it in his own beautiful way.
Anthony my dear friend ― we all miss you terribly.
Thank you for sharing your talents and
love with us all. RIP and shake the heavens with that low B.
上原ひろみ -----------------------------
Anthony, it is very hard for me to put it into words,
because nothing I can say will be enough to express
my love and respect towards you,
but I feel it is my duty to share some memories
for your fans since you were very shy in public.
I don’t need to talk about your music,
because everyone knows you are one and only,
and your music will be with us eternally.
I still want to talk about your musicianship though.
What I respected the most about you is,
you always gave everything you had at every show,
no matter the size of the show, attendance,
none of that mattered, just music, always music,
putting your soul in every note in every single show.
I’ve never seen anyone who cleans their instrument that much,
every show, detailed cleaning.
Pure love toward the instrument, ultimate commitment to his tone.
On the personal side, Anthony loved aircrafts,
he knew every model number of aircraft,
he was such a geek! When there was an aircraft model
that he liked the sound of the engine,
he would always come to my seat to tell me to
listen to the sound carefully.
He loved ham radio, we went to Akihabara (biggest
Japanese electronic town) to find the radio wave machine,
I had no clue what it was at the time.
He was such a historian as well, he knew
about every historic event exactly where and
when, year by year, we didn’t need AI,
we could just ask Anthony, he was Anthonikipedia.
I still remember the moment we got to sit next to
Jack Bruce in the restaurant in Lugano,
he was so excited like a little boy.
He loved Italian food, green tea, sushi, always so chatty,
we always had a great laugh together (even last week!),
so humorous, sometimes stubborn but super pure and loving.
I love you so much and I miss you already,
I wish I could say “on contrabass guitar,
Anthony Jackson” once again.
Thank you for everything you gave me,
and to the world.
Your music will stay with us forever,
and I will keep carrying your spirit.
2025.10.21
小柳淳子 (vo) × 村山義光 (g)

昨年の春、関西在住のジャズ・シンガー、
小柳淳子さんについて、ここに書いた。
30年ほど前、ほんの短い期間だったが
彼女と一緒に演奏したことがあったとか、
私が何度か出演したライヴハウス
「スターダイナ―」で彼女がアルバイトを
していたとか書いた。
書いてから、それが本当に小柳さんだったか
不安になって
「ご本人に会うことがあったら、訊きたい。
スターダイナ―でバイトしてたよね?」
と付け加えた。
そして、ついにその日がやって来た。
ギターの村山さんとのデュオで、
東京に来られて、小岩の BACK IN TIME という
お店でライヴがあったのだ。
一度はナマで観たいと思っていた村山さん。
そして、小柳淳子さん。
BACK IN TIME は、20席ほどの
小さなお店だが、今日は満席だった。
一部と二部の間に話せたので、
声をかけてみた。
「人違いだったらごめんなさい。
小柳さんって、30年ぐらい前、
スターダイナーでバイトしてませんでした?」
「スターダイナー」という言葉を聞いて
彼女の表情が変わったように見えた。
やはり私の思った通りだった。
「スターダイナ―」と聞いて、私のことを思い出したそうだ。
なんと、私のことを覚えていてくれていたとは。
「ツツミさん、電話くれましたよね。
なんか売れへんかって、誘われましたよ」
確かにそんなことをしていた時期もあったけど、
スターダイナーに出入りする頃にはもうやめていたので、
それは私ではないと思うのだけど、
何しろ30年前のことで、ふたりとも記憶がアテにならない。
まあ、長生きすると色々あるよね。
30年経って東京でこんな風に再会できるなんて、
思いもしなかった。
しかも彼女は、本物のシンガーになっていた。
村山さんにもご挨拶して少しお話し出来て良かった。
ライヴは、予想を超えて素晴らしかった。
村山さんのギターは、YouTubeで観るより
生で聴くとその変幻自在ぶりがよく分かる。
誰でもがこの人の伴奏で唄える訳ではないのは、
一目(一聴)瞭然。
柔なシンガーなら弾(はじ)かれてしまうだろう。
つまりは、ホンモノでないと唱えないと見た。
小柳さんは、ホンモノだと思った。
村山さんとは、長いらしいが
村山さんと同レベルで共演できることは
すごいことだた思う。
選曲もポップスは演らず全曲ジャズ。
小柳さんは、一部の始まる前に、
赤ワインをボトルで注文した。
ふたりで飲みながら演るのかと思ったら、
ワインは小柳さん専用だ。
かっこ良すぎ。
痺れたね。

曲は、"Love for Sale"、"Body and Soul"、
"Daydream"、"Bye Bye Blackbird"、
"Ain't Misbehavin'"、"Just Squeeze Me"、
"Just Friend"、"The Nearness Of You" など。
とても自由でスリリングだった。
ふたりとももっと認められるべきだと思う。
村山さんのリーダー・アルバムと、小柳さんの
オルガンとのデュオの CD を購入。
[ MEMBERS ]
小柳淳子 (vo)
村山義光 (g)
@ BACK IN TIME
[ 関連エントリー ]
2024.5.28 スターダイナ―でバイトしてたよね?
|