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2026.10.9
人生のほんとう
池田晶子 著

先日、第一章を読んで大きな気づきが
あったことをここに書いた『人生のほんとう』を
読み終えた。
「常識」「社会」「年齢」「宗教」「魂」「存在」、
6つのテーマについて語られたものを
まとめた本だが、テーマによっては私には
かなり難しいところもあった。
しかし、「何書いてあるかわからん」で
終わらせるのではなく、
「何が書いてあるのか理解したい」
と強く思うのだった。
もしかしたら、第一章を読んでいたときの
洞察が強烈であったためだろうか。
字面を追っただけでは理解できないことが
腹に落ちたときの衝撃は、かなりのもの。
またそれを欲求しているということなのかな。
それが知を求める、ということなのかな。
ここにほんとうに「人生のほんとう」が
書かれてあるのかどうか私は知らない。
著者も書いていることが「ほんとう」だと
言っているわけではない。
何が「ほんとう」かなんて、知りようもない。
しかし、よくよく考えると、私たちが
ふだん「ほんとう」だと信じていることの多くが、
ただの作り話、誰かのでっちあげで
あることが分かる。
その作り話をほんとうだと思い込み、
右往左往している人間が見えてくる。
哲学には、そこから抜ける可能がある。
そして、そっちの方が「ほんとう」に見える。
印象に残ったこと。
「常識」(p.24)
(人の死について)
けれどたいていは「もう会えない」という感情の
ほうが、悲しみの内容としては強いのでしょう。
でも、その「もう会えない」とはどういうことかと
考えてみると、裏から言えば、会えたこと自体が、
そもそも奇跡的なことだったと気がつくことになる。
つまり、なぜ存在するのかわからない宇宙に、
なぜかわれわれは存在していて、なぜだか
わからないけれども、その人と出会って
しまったわけです。
これはすごく不思議で、これ自体が奇跡的なこと
だったのだと気がつくと、悲しんでばかりでもなくなる。
驚きとともに、感謝に似た感情も起こってきますね。
また、会えたこと自体が奇跡ならば、なぜまた
会えないことがあるのか、という考え方もできますね。
「宗教」(p.103)
だいたい人は「自分というのは、生まれたから
死ぬまで生きている」と思っています。
「だから、自分が生きている。
自分は自分で生きている」と大抵の人は思って
いますが、よく考えると、これは全然違うんです。
少なくとも、自分が生まれたことを
自分では意志していませんから。
そして、死ぬことも自分で意志できませんよね。
いつ、どこで、どのように死ぬかは、
自殺以外は意志できない。
これはよく考えると、すごいことです。
死ぬのは自分なのに、その死ぬのを
自分で意志できないということです。
つまり、生まれてきたのも死ぬのも、
これは自分の意志でないとすれば、
いま生きていることは、何で自分の意志なんだ
とういことです。
「宗教」(p.104)
そうすると、今ここに命をもって生きていると
いうことは、いったい誰の意志なのだろうという、
この恐るべき不思議、変な構造に気がつきますね。
つまり、自分が生きているというこのこと自体が、
すでにもう自分の意志ではない。
自分の意志を超えている。
超越的な出来事だということに気がつくのです。
自分が今ここにいること自体が超越的な
出来事だと気がつけば、超越的なものは
自分がいることそのものなのだから、自分の外の
どこかに超越的な神を立てる理由はなくなりますね。
「宗教」(p.110)
「月を指す指は月ではない」という有名な
言い方があります。
覚りを語っている言葉をもって覚りだと思うな
という意味ですが、そうやって言葉を否定する
わけですね。
しかし、指がなければ月は指せないですから、
やはり指は要るのです。
つまりああいう言葉は、決して字義どおりには
受け取ってはいけないということです。
「魂」(p.142)
(自分の望む人生の実現について)
そういうものは、たいてい自分の魂の声を
聞こうというふうに呼びかけますが、
この魂の声を聞くのは、たぶん非常に
難しいことだと思います。
ふつう人が聞いているのは、魂の声と
言いながらも、たいていは自我の欲求でしょう。
自我の欲求しかはっきりとは聞こえてこないと
思います。
その声と言われるものが、魂の声なのか
自我の声なのかはすごく微妙なところが
あって、私はそういうことをしようとすること
自体が、すでにエゴの欲求ではないかと
思うんですよ。
「存在」(p.179)
かつての哲学者たちは、今はみんな
死んでいる人たちです、
つまり、死者の言葉をわれわれは
読んでいるわけです。
哲学書に限らず、文学書を読むのもそうですが、
我々は死者の言葉を読んでいるのです。
そうしてみると、この世のわれわれの話している
言葉は、すべて死者の言葉というふうに見えてきます。
法律も慣習も伝統的なものも全部
死者の言葉です。
生者が死者の言葉を語っているのです。
そうすると、動いていないのは実は言葉の
側であって、生きたり死んだりして動いているのは
人間の側だというのが見えてきますね。
言葉はまったく動いていないのです。
★★★★▲
ときどき哲学対話
苫野一徳 著

「本質観取」という哲学の思考と対話に
ついて分かりやすく、誰にでも取り組めるよう
書かれたガイドだ。
著者はまだ40代の哲学者、教育学者。
「本質観取」は、ある概念やものごとの
「本質」を言葉にして射抜いていくこと。
そのことがらの本質を知ること自体が、
思索を深める行為になり、その本質は
自分たちの何に役に立つかも考える。
すでに一部の道徳の教科書にも
取り入れられているという。
小中学校や企業、役所、地域コミュニティでの
取り組みも拡がっているらしい。
全く初めての人にも「本質観取」が
取り組めるように易しく書かれているため
多少 物足りない面や、「本質観取」の例に
議論が不十分と感じる場面もあった。
が、これを読めばすぐに実践してみることが
できるだろうから、入門編としては十分だと思う。
★★★★☆
苫野氏の本は初めて読んだと思っていたら、
4年前に『子どもの頃から哲学者』という本を
読んでいたわ。
最近、人の名前、覚えられないからなぁ。
古くから知っている人の名は、時々名前が
出て来なくても時間が経てば思い出せるけど、
新しく知った人は好きな音楽でさえ、
ライヴを観て来ても数日後には 名前が言えない
ことがあるくらい、ホンマにあかん。
2022.7.24 子どもの頃から哲学者
2026.10.8
Marcus Miller

2年ぶりのマーカス・ミラーを観てきた。
大阪は9月30日と10月1日の2日間4公演、
横浜は10月4日のみ2公演、
そして東京は10月5日から今日まで
4日間8公演、そのラスト・ショーだ。
メンバーは、ゲストシンガー以外、一昨年と同じ。
今回はゲストとして、初来日(from Florida)で
めちゃくちゃ Soulful な唄声の レオン・ティンボ が参加。
ルーサー・ヴァンドロス の『Never Too Much』をバラードで。
もう違う曲ですな。
なんでも(私の英語の聞き間違えでなければ)
マーカスが、 YouTube で レオン・ティンボが
『Never Too Much』を唄っているのを聴いたそうな。
レオン・ティンボはその他2曲で参加。
そのほか曲は、デビッド・サンボーンの『Maputo』や
バスクラリネットでロバータ・フラックの
『The First Time Ever I Saw Your Face』
(これが凄く良かった!)、
『RUN FOR COVER』など。
アンコールは『TUTU』、そして、
まさかの2回目のアンコールで『BLAST』。
なんとトータルで、120分を超えたよ。
私が今までに観た2部入替制のライヴで最長です。
7日間14公演のラストということもあって
マーカスも大サービスしてくれたのでしょうか。
大盛り上がりだったしね。
今回マーカスは、メインの Fender 以外に
Sire(サイア)のベースも2本使用。
[ MEMBERS ]
Marcus Miller (Ba, B.Cl)
Leon Timbo (Vo, Gt)
Xavier Gordon (Key)
Russell Gunn (Tp)
Donald Hayes (Sax)
Anwar Marshall (Dr)
@ Billboard LIVE TOKYO
2nd show
さとこはいつも

映画『さとこはいつも』。
15歳の中井聡子(姫野花春)、
35歳の西田沙都子(有村架純)、
55歳の飯島里子(石田ひかり)、
という3人の「さとこ」の物語。
当初3人に人間関係はないが、
最後にはつながるというやつね。
コミカルな面もあるし、シュールな面もある。
大人のおとぎ話しといったところか。
それぞれのさとこが、自分の物語を書くのだけど、
15歳の聡子の物語が一番だな。
35歳の沙都子は途中で書くのやめてしまうし、
55歳の里子の物語は、出だししか分からないし。
観終わって、それなりに良かったのだけど、
何か物足りない感じが否めない。
でも、自分も何か書きたくなった。
なんでも良いというと何を書けばよいか
分からなくなりそうだけど、聡子が先生に
課題を出されてようにして書いてみると
書けるかもしれない。
いつもここに色々書いているのだけど、
そういうのではなく、物語をね。
あと本作を観ると、イカの塩辛が食べたくなるよ。
監督・脚本は、『南極料理人』(09)、
『キツツキと雨』(12)、
『モリのいる場所』(18)の沖田修一。
『南極料理人』は好きだったな。
★★★▲☆
2026年製作/139分/G/日本
劇場公開日:2026年9月18日
カレーはスポーツだ! #92
骨付きチキンのスパイスカレー / YEBISU BAR STAND
★★★☆☆
血糖値を気にするようになってから、
カレーライスを食べる回数も減ってしまったけど
たまにはいいよね。
今回は、恵比寿ガーデンプレイスにある
YEBISU BAR STAND のランチメニュー、
「骨付きチキンのスパイスカレー」
税込1,430円也。

トッピングされたスパイスが辛さを演出しているが、
ルーは名前ほどスパイシーではなくやや甘めな印象。
チキンはスプーンでも簡単に切れるぐらい柔らかいが、
残念ながら、また食べたいとは思わなかったな。
2026.10.7
増崎孝司 + 矢堀孝一

増崎さんと矢堀さんのデュオは、
2004年にアルバム『月』を発表した。
以来、22年ぶりに今年『季(TOKI)』をリリース。
おふたりのライヴは初体験だ。
ハコは、恵比寿の BLUE NOTE PLACE。
エレキではなく、アコギによるデュオ。
矢掘さんは「フュージョン」という言葉を
使ったけれど、増崎さんは「フュージョン」や
「ジャズ」という言葉を使わず、
「インストゥルメンタル」と言っていたのが
なぜか印象に残った。
アコギ2本(インスト)だと「山弦」や
「DEPAPEPE」が有名だが、それらとはまた違う
デュオでした。
ギターは、ふたりとも SIGMA GUITAR だと
思われる。
SIGMA GUITAR は、昔は Made In Japan
だったみたいだけど、今はどうなんだろう。
矢堀さんは、数曲でエレガットを使用。
それは SIGMA GUITAR ではないと思う(たぶん)。
ギターの個性は当然違うのだけど、
私は増崎さんの方が好みだな。
曲は『Alchemy』、『Orange』、『Clouds』、
『Story』、『Umbrella』など。
アンコールは『Don’t Know Why』。
[ MEMBERS ]
増崎孝司 (gt)
矢堀孝一 (gt)
@ BLUE NOTE PLACE
2026.10.6
フルマラソン 6時間を切れるのか(7)
マラソン当日まであと26日と迫ってきた。
ここにきて、問題が発生。
もう10日以上前だが、9月21日に
家で軽いストレッチの最中に左の足首を痛めた。
全く無理な態勢ではなかったのに、痛みが走った。
捻挫をしたような痛みだ。
その日は、しばらくすると痛みは治まったが、
それから2~3日は歩いている時に
時々だけど突然痛みが襲ってくることもあった。
しかし、3日後(9/24)には痛みもなく、
13 キロを走った。
念のためにかなりゆっくりだったけど。
次に走ったのは、それからまた3日後(9/27)。
この日は、1・5キロぐらいで足首が痛み出したので中断。
しばらく歩いたら、痛みが治まったので、
再び走り出すも、3キロ弱で痛み出し断念。
その日以降も、歩いていても時々、痛むことがあって
練習(ジョギング)は控えている。
そのうち治るだろうと思っていたが、一向に
よくなる気配はなく、今日の時点でも軽い痛みがある。
まだ 26日あるので、完治すれば走る気はあるが、
その間、練習ができないのは不安だ。
せっかく2月から練習で 600キロ以上走って来たのに、
スタートして、数キロでリタイアということも考えられる。
少しでも痛み出したら、アウトだ。
それならばいっそのこと、潔く走ることは諦め、
富山観光旅行にしようかとも思う。
判断するのは、もう少し先だが、
うーん、どうしたものか。
2026.10.5
我々は宇宙人

話題の長編アニメ映画『我々は宇宙人』。
アニメーションだが、先日観た『ちいかわ』とは、
全く違い、限りなく写実的ともいえる作風。
例えば、校舎のベランダの柵の塗装の剥げ方、
校舎の廊下の床の剥げ方といった
ディテールはもうアニメの域ではない。
時には写真ではないかという場面まであった。
人物の表情には幾分ディフォルメが
感じられるものの、それも自然な範囲で
実写のごとく表情(目)でものを言う。
企画・脚本・監督は、1996年生まれの
門脇康平。
今までは主にミュージック・ビデオの監督を
してきたようだが、色んな表現が秀逸です。
「ふたりの少年の物語」という程度の
予備知識で観たのだけど、
これは完全に大人向けのアニメでした。
平成が舞台なので細かい点で私の少年時代
(昭和)とは違うけど、子供なんてものは、
そんなに変わるものでもない。
子供は、単純で残酷だ。
翼と暁太郎(ぎょうたろう)は、
ひょうんなことから親友になるが、
あることを境に関係が壊れる。
翼は、暁太郎を傷付けたが自覚がない。
大人になって、真実を話すことで
さらに暁太郎を傷付ける。
もちろん誰しも自分の人生に起こることは、
誰かのせいにするのではなく、
その責任を自分自身で背負わなければ
自分の人生を生きていることにならない。
それが時には理不尽なことだったとしても。
人生は不公平にできているんだ。
観終わってから、自分の小学校時代を
あれこれ思い出した。
怖いのは、自分の少年時代は、
「この映画ほど劇的なことはなかった」と
言えないことだ。
なぜなら、傷つけた側には記憶がなく、
傷ついた側にだけ記憶が残る。
自覚なく、悪意なく、誰かを傷つけて
いなかったとは言えないわけだ。
小学5年生のときにクラスで仲の良かった
3人が、ある日突然私を無視し始めた。
「これからはお前とはしゃべらない」と
いうような宣言があったような気がする。
理由を言ってくれなかったし、
私には全く心当たりがなかった。
それから数日(たぶん1日か2日ぐらい
だろう)3人とは口を利かなかった。
そのうち、3人のうちの2人が
「(無視するの)やーめた」と言って、
元通り遊ぶようになった。
でも、残りの一人は最後まで口を利かなかった。
6年生になるとき、小学校が新設され、
その彼とは離れ離れになった。
私は彼に何をしたのか、今でも分からない。
★★★★▲
このレビューは読みごたえがあった。
↓
【レビュー】『我々は宇宙人』は露悪的か?
あの結末に我々は安堵して良いのか?
2026.10.4
オデュッセイア
The Odyssey
(2回目)

『オデュッセイア』2度目の鑑賞に行ってきました。
残念ながら IMAX の劇場は混んでいて、
良い席がなかったので、通常上映の劇場で。
1回目観てから、ネットにある解説を読んだり、
YouTube にある解説動画を数本観てからの
鑑賞となったので、1回目よりかなり理解できた。
それでも、細かい点で背景が分からず、
2回目観てからも復習したけれど。
やはりこの手のものは最低限の予備知識は
あった方がよいね。
今回は主人公オデュッセウスの苦悩が、
ノーラン監督の前作『オッペンハイマー』における
オッペンハイマーの苦悩と重なった。
もしかしたら、ノーラン監督のメッセージは
ここなのかしら、と思ってみたり。
それはつまり、古代ギリシャの時代から
20世紀まで人類は進化していないと
いうことでもある。
まあ、ギリシャ哲学が現代でも通じること、
一向に戦争がなくならないことを考えれば、
人間は進化(進歩?)しないのかもね。
時間軸が行ったり来たりするのは、
本作の方が『オッペンハイマー』より
混乱がなく分かりやすいと思う。
映画のスケール、迫力の割に「感動」とかは
あまりなく、考えさせられる部分はあるものの、
本作はやはり極上のエンタメ作品だと思う。
2回目も 172分を長く感じません。
★★★★▲
2026年製作/172分/G/アメリカ
原題:The Odyssey
劇場公開日:2026年9月11日
2026.10.2
ハート・オブ・ビースト
(感想 続き)
昨日観た映画『ハート・オブ・ビースト』の
感想の追加。
これは完全にネタバレなので、
ご覧になりたい方は、ご注意を。
アラスカの奥地からの脱出を試みた
ジェームズとオーディアン(犬)。
途中、川に落ちるわ、オオカミに襲われるわで
ジェームズは満身創痍。
人里まであともう少しというところまで来て、
ジェームズはもう動けなくなる。
ジェームズは、オーディアンに「道を探せ。
お前ならできる」と伝え、何やら書いた手紙を
オーディアンのボディのポケットに入れる。
私は、オーディアンが助けを呼びに行くものと
思っていた。
ところが、オーディアンは動かない。
ジェームズに寄り添い、一晩を明かすんだ。
夜が明けて、ようやくオーディアンは、
走り出す。
ジェームズは、眠ったままだ。
実は、映画の冒頭は、オーディアンが道路の
真ん中で車を止めるシーンから始まる。
ああ、やっとあのシーンに繋がるんだ。
ここから救助に向かうのだ、と思う。
オーディアンを見つけた女性は、
ジェームズの手紙を読む。
そこには、「誰だかわからないけど、この手紙を
読んでいるということは、私はもう生きていない」
「亡骸は自然に返すので探さないでくれ」
「オーディアンのことを頼む」
と書いてあったのだ。(ほかにも色々)
それでも、まだ私はオーディアンが、
ジェームズの居場所に彼女を連れて行くと
思って観ている。
まだ助かると思っていたんだな。
が、オーディアンが女性の車に乗り、
走り出したところで映画は終わる。
ああ、ホンマに死んでしもたんやと
やっと気が付く。
そこで、なぜオーディアンは「道を探せ」と
言われたのにすぐに助けを呼びにいかなかったのかと
疑問が湧いた。
あんな添い寝なんてせずにすぐに走り出せば
間に合ったかもしれないやないか、と思った。
その疑問は、昨夜 解けないままだった。
今日、夕方歩いている時に突然謎が解けた。
ジェームズは自分は助からない、と知っていたのだ。
だから「道を探せ」というのは「助けを呼んできてくれ」
という意味ではなく、「新しい飼い主を探せ。
お前は生きろ」という意味だったんだ。
それはジェームズの手紙の文面から分かる。
そして、夜が明けてからオーディアンが走り出したのは、
ジェームズの息がすでに絶えていたからなんだ。
オーディアンは、最後まで主人のそばを離れず、
最後を看取った。
そして、次の任務(ジェームズは Last mission と
言った)である道を探すために走り出したんだね。
嗚呼、HEART OF THEBEAST(涙)
今日の洞察(おおげさ)の最大のポイントは、
オーディアンは、ジェームズの意図を全部、
理解していたんだ、というところ。
うわぁ、そういうことかぁ!と、
タイトルも一周まわって繋がったのでありました。
そんなことは、現実を注意深く観ていれば
分かりそうなものだけど、とにかく、最後には
ジェームズも助かるものだという思い込みが、
見えなくさせるんだな。
無意識の先入観の怖さよ。
おかげで二度感動できたけど。
2026.10.1
ハート・オブ・ビースト
Heart of the Beast

ブラッド・ピット演じる陸軍特殊部隊の退役軍人
ジェームズと元軍用偵察犬のオーディアン。
この一人と一匹は、アラスカ上空を飛行中
アクシデントに見舞われ墜落する。
命は助かったが、そこはアラスカの奥地。
そこから命懸けで家に帰ろうとする物語。
こういう映画って、助かると分かっていても、
怖いし、痛いし、ハラハラドキドキで、
もうスクリーンを直視できないほどだった。
若い時はこういう刺激的なのがよかったけど、
だんだんしんどくなってきたよ。
年取るとメンタル弱くなっていくのかな。
ブラピって、私より大分若いと思っていたけど、
1963年生まれだから、1年しか違わない。
もう62歳やん。
そのブラピの体当たりの演技も凄いが、
オーディアン(犬)が素晴らしい。
もう目で演技してる。
助演賞ものです。
(もしかしたら、今どきなので VFX かも知れないけど。)
話しはそれるが、映画『落下の解剖学』(2023)で
犬が誤って薬を飲んで嘔吐するシーンがあった。
あまりにリアルだったので、本当に薬を飲ませたのでは
ないかと思うほどで、記憶に残った。
数カ月前、過去にハリウッドで動物の演技の
調教をしていた人(日本人)と話す機会が
あったので、その人に質問してみた。
「あんなことできるのか?」と。
そうすると「犬なら、訓練すれば演技で吐かせる
ことはできる」との答えで驚いた覚えがある。
閑話休題。
監督は、ブラピとは戦車の映画『フューリー』で
タッグを組んだデヴィッド・エアー。
タイトルの「Heart of the Beast」は、直訳すると
「獣の心」だけど、オフィシャルサイトには、
彼らが墜落したアラスカ奥地が、「魔の領域
(ハート・オブ・ビースト)」と呼ばれる地域であったようで、
オーディアンの心とかけているのだと思う。
さて、ここからはネタバレなのでご覧になる予定の方は
読まないでいただきたい。
とにかくアラスカの自然が凄い。
自然は容赦ない。
人間なんて、相手じゃない。
熊に襲われるし、川に落ちるし、
骨は折れるわ、オオカミに噛まれるわ、
道なき道を進むのは もう大変です。
ジェームズが元軍人でなかったら、とっくに死んでる。
「助かると分かっていても、怖いし、痛いし、
ハラハラドキドキ」と書いた。
最後には助かって、ハッピーエンドだろうと思って
観ていたら、まさかの助からないパターン。
「諦めなかったら叶うよ!」みたいな、
薄っぺらい映画で終わっていない。
それが結局、この作品にとても深みを与えている。
「この20年間で3千頭の軍用犬が使われた」と
最後にテロップが出る。
兵士を救った犬もいるだろうが、
戦死した犬もきっといただろうと思う。
犬の能力と彼らの人間に対する忠誠を
戦争などというくだらない人間のエゴのために
利用していると思うと、なんだかやりきれない。
ジェームズの「彼らは人間の一番素晴らしい面と
一番醜い面を知っている」というセリフに
深い意味があるように思う。
★★★★★
2026年製作/101分/G/アメリカ
原題:Heart of the Beast
劇場公開日:2026年9月25日
映画ちいかわ 人魚の島のひみつ

「ちいかわ」とは、「小さくてかわいいやつ」の略らしい。
私には全くかわいいとは思えないけど。
何も知らなければ、観ようとは思わなかっただろうが、
ある人から「大人が観ても面白い、深い」と聞いた。
調べてみると、結構深い考察をしている人たちも
多く、「哲学的」という文字まで飛び交っていた。
「傑作」という人までいる。
ならば観てみようと思った。
99分の映画で、前半・中盤・後半に分けるなら
前半は完全に幼児向けの映画のようで
「これは失敗したか」と思った。
中盤は、時々笑えるシーンがあるのはよいが
やや冗長に感じてきた。
早く「面白くならないかな」と退屈気味に鑑賞。
そして後半、ストーリーが展開し、伏線の回収に
「ああそういうことだったのか」と思うも、
ラストはモヤモヤしたままエンドロールへ。
これって、観客に解釈を委ねるってこと?
と、考えていると、エンドロールのあと、
本当のラストシーンが流れる。
うわっ! こわ!
その意味は、子供には理解できないかも知れないし、
子供の間は理解しなくてよいのかも知れない。
大人になってから観直して「こんなに怖い映画だったのか」
と思い直すのがよいように思う。
「ホラー」だという人がいるのも分かる。
ひとことで言うと「不条理」ということになるのだろうけど
人間の欲望や倫理について、色んな解釈が
可能なテーマが散りばめられており、
そういう風に観ると確かに深い。
この絵、このキャラクターで、このエンディングというのが
よけいに効いているんだろうな。
そういう意味ではよくできていると思う。
こんな風に表向きは子供向けの映画なのに
大人の間で評判を呼ぶのも想定済みで
製作されたとしたら、凄すぎる。
ところで、前半から「討伐」という言葉が出てきて、
子供に分かるのかな なんて思っていた。
桃太郎なら「退治」というもんね。
でも、それも仕掛けのようにも思えてきた。
★★★▲☆
2026年製作/99分/G/日本
劇場公開日:2026年7月24日
オデュッセイア
The Odyssey

本日は、ずいぶん久しぶりに映画を3本ハシゴ。
3本目はこれも話題の『オデュッセイア』。
『オッペンハイマー』に続く、
クリストファー・ノーラン監督作品。
172分を長いと感じさせないのは、さすがはノーラン。
比べなくても良いけど『ちいかわ』は99分でも
途中退屈に感じたから余計にそう思った。
原作は、古代ギリシャの詩人ホメロス作の
叙事詩『オデュッセイア』。
そういう古代人の物語って、あんまり興味が
湧かないのだけど、クリストファー・ノーランなので
一度は観ておこうかと思い鑑賞。
出演は、王オデュッセウスに マット・デイモン、
その妻ペネロペに アン・ハサウェイ、
息子テレマコスに トム・ホランド(スパイダーマンの人)。
今回も観るからにお金がかかっております。
オデュッセウスの、戦争に出てから
故郷へ戻るまでの20年間の物語。
戦争が 10年間で、故郷に戻るのに 10年かかっている。
ギリシャ神話に出てくるアテナ、ゼウス、
ポセイドンなどの神々が登場する壮大なスケールの物語。
途中『ちいかわ』にも登場していた「セイレーン」
(ギリシャ神話に登場する美しい歌声で船乗りを
惑わす人魚/スタバのロゴになっている)も登場したよ。
こっちが本家やけど。
ノーラン監督作品ということで、あいかわらず
一度の鑑賞では、人間関係など全てを
理解することはできなかったが、「これぞ映画!」という
感じで、本作は劇場の大きなスクリーンで観るべきだ。
大迫力です。
そして、戦争や正しさについても
十分なメッセージを感じました。
ちょっと復習してから、もう一度観ようかなと思う。
今度は IMAX で。
★★★★▲
2026年製作/172分/G/アメリカ
原題:The Odyssey
劇場公開日:2026年9月11日
2026.9.30
し び れ

宮沢りえ、北村匠海主演の映画『しびれ』。
予告編を観て良さそうだったので観てきた。
ちょっとしんどいストーリーなのは良いが、
登場人物の誰にも感情移入ができず
残念ながら、私には合わなかった。
DV の父親のせいで、失語症になり、
父親が出て行ったあとは、ほぼネグレクトの
母親と二人暮らしの主人公・大地。
ただただ、貧困と孤独が続く。
実際にこの映画のような両親に
育てられた人もいるのだろう。
それを思うと、私のような育ちの人間は、
幸せであると同時に生ぬるいとも思う。
劣悪な環境は、時に強い大きな人を
育てるかも知れないが、ひとつ間違うと
とんでもない極悪人を生み出すこともある。
(本作の主人公を、私は極悪人とまで
思わないけど、そこそこ悪いこともやってる。)
その主人公・大地を3人の子役と北村匠海が演じる。
子供時代は、幼少期、10歳ぐらい(?)、
16歳ぐらい(?)と子役が変わる。
失語症なので、台詞のない難しい役だったと思うが
4人とも素晴らしい。
(幼少期の大地は、ひと言だけしゃべる。)
宮沢りえもひどい母親、イタイ女を好演。
以下、ネタバレ含む。
めちゃくちゃひどい毒親なのに、ふたりとも
年老いてから(といっても大地が25歳の設定
なので、50代ぐらいの設定か)大地に謝るのね。
母親には(悪いことをして稼いだ)大金を
持って行くし、父親は(許せなくて)包丁で
刺しに行く。
刺された親父は、刺されて当然と思ってたのか
どうか分からないけど、警察にも届けない。
幼少期、少年期のひどい親もあかんけど、
年老いてから謝られても、簡単に赦せるもんでも
ないやろし、どっちも、キツイ。
エンドロール直前に「母に捧ぐ」の文字が出た。
現在34歳の内山拓也監督が15年間あたためた
脚本で、監督自身の自伝的作品ということらしいが、。
どこまでが監督の体験で、どのあたりが創作なのか
知りたいところだ。
単なる興味本位だけど。
あえてフィルムで撮影したとのこと。
スクリーンに映し出されるフィルムの質感、
今や少しレトロな感じというか、アナログな感じは、
本作によく合っていると思う。
ただ、カメラワークは私は苦手だな。
手持ちカメラで撮影するのは良いのだけど、
「寄り」が多く、ぶれると観ていてちょっとしんどい。
途中で、オフィシャルサイトにある監督の
インタビューに「いくつかのシーンをのぞいて、
大地はハッキリとスクリーンの右=未来を
向いている」と書いてあったことを思い出した。
確かにそういう風に観ていると、右向きが多い。
左向きの時には意味があるようにも観えた。
インタビューを読んでいたから気付いたけど、
知らなかったら、そんなこと気付かないな。
気付かなくても良いのだろうけど。
あと、音楽は なしね。
予告編では 「愛の讃歌」 が流れるのだけど、
映画では一切なし。
風や雨や波の音のみ。
(その「愛の讃歌」は、加藤修平[ロックバンド
「NOT WONK」のボーカリスト・ギタリスト]の
ソロプロジェクト「SADFRANK」によるカバー。)
あと、説明的な描写がほとんどないので
よく分からないシーンもあった。
なぜ、電気は来てるのに水道が止められるのか不明。
家が火事になる原因も不明。
(それは知らなくてもよいかも知れないけど)
少年期後半に電車に乗って見に行った
家は、誰の家なのか不明。
(これは結構重要な気がするけどな)
なぜ大地が死のうとしたとき、突然イワン(ロシア人
で大地の唯一の友達)が現れるのか不明。
(通りがかりで見つけられるはずがない)
別れた父親が母親にお金を送っていたのも
あまりに謎。
失語症で話せないのに、接客業(バーテンダー)を
できるのだろうかと疑問。
全て私の理解力・想像力の欠如かも知れないしけど、
そういう一切合切を「そんなことどうでもええねん」と
思える映画を観たいんだな。
25歳の大地は、顔や身体にタトゥーを
彫っているのだけど、首のタトゥーが
意味深なのは良かった。
内山拓也監督の作品は、初めて観た。
本作は私には合わなかったけれど、
海外での評価も高いらしい。
今後にも期待だね。
★★★☆☆
2025年製作/118分/PG12/日本
劇場公開日:2026年9月25日
Molly Miller
聴きたい音楽は増え続け、
読みたい本は増え続け、
観たい映画は増え続ける。
さて、モリー・ミラー。
某サイトの紹介には
「今やアメリカを代表する女性ギター教授の一人」
とある。
「教授」と書かれているのは彼女が博士号を持ち、
自身の音楽活動に加え、ロサンゼルス音楽大学や
南カリフォルニア大学で教授を務めているからだ。
その音楽性の共通点(アメリカーナ)から、
ジュリアン・レイジやビル・フリーゼルと
並べられていることもある。
そのふたりは、私のお気に入りなので
モリー・ミラーを気に入るのも必然だわな。
時々、YouTube に上がっているライヴ映像を
観て楽しんでいたのだけど、前述のおふたりほど
日本では有名ではないので、
「まさか来日しないよなぁ」と思って何気なく
モリー・ミラーのウエブサイトの「LIVE」を
クリックしてみると、なんと「Japan」の文字が!
時々、見つけたらもう終わっていた、なんて
こともあるんで、これからの予定であることを
祈りながら、詳細を見ると、11月やないか!
なんという奇跡的なタイミング。
ライヴは 東京(11/8)、鎌倉(11/15)、
所沢(11/19)の3公演。
いずれもホールやジャズクラブなどではない。
日程を見ると、東京と所沢の日は、すでに
予定があったが、15日の鎌倉なら行ける!
すぐ予約のメールを送信。
ライヴハウスではなく、小さなカフェバーの
ようなので、きっと一杯になるよ。
私は本当にたまたまこの情報を
見つけられたから良かったけど、
知らずにミスするファンも多いだろう。
東京(高円寺ジロキチ)は、予約受付前だけど、
調整すれば、この日も行けそうなので検討中。
まさか来日するとは思っていなかったので、
もし、予定が許せば3公演とも聴きに行ったよ。
[ 参考動画 ]
Molly Miller Trio- "Mood Indigo - Live in Rio" (Official Video)
2026.9.27
人生のほんとう
池田晶子 著
第一章の途中まで読んで

鮎川誠が死んだあと、甲本ヒロトが
「いなくなったことなんてどうでもいい。
いたってことがすごいんだ。
いたってことに比べたらいなくなったことなんて
大したことない」
と言ったと何かで読んだ。
それを読んだとき、なるほどそういう考えも
あるのかぁ、と感心はしたものの、本当に
自分の腑に落ちた、という感じではなかった。
池田晶子の『人生のほんとう』。
本書は、「常識」「社会」「年齢」「宗教」
「魂」「存在」の6つのテーマで、2004年
2005年に行われた講義をもとに纏めたもの。
第1章の「常識」では人の生死について
触れている。
ここに、前述の甲本ヒロトの言葉と似たような
意味のことが書かれている。
私たちは、身近な人が亡くなると、どうしても
その「死んだ」「いなくなった」ということに
焦点を当ててしまう。
しかし、よくよく考えるまでもなく、
人が死ぬのは当たり前だ。
死なない人はいない。
生まれた順番に死ぬとは限らないけど、必ず死ぬ。
どうして、この当たり前がそんなに重要なことの
ように生きているんだろう。
大好きな人が死んだら、「もう会えないから
哀しい」とか、若くして死んだ人に対しては、
「もっと生きたかっただろうにかわいそう、とか色々思う。
でも、死ぬことは最初から決まっているやないか。
人の「死」は当たり前、常識だけど、
その人と出会ったことは、当たり前じゃない。
当たり前のように生きているけど、
よくよく考えると、なぜ当たり前だと
思っているかも説明できない。
9月8日に母が死んだが、
私は死んだことばかりに注意を向けて
いたような気がする。
でも、「死」自体は毎日太陽が昇るように
当たり前のことだ。
それよりも、あの人がなぜ自分の母親だったのか、
なぜあの人の息子として自分は存在しているのか、
そして、そもそも自分はなぜ存在しているのか、
それらの方がよほど不思議で謎なわけだ。
これには、説明がつかないもの。
池田晶子は、この謎について、
あちこちで触れている。
理屈では理解できていたけど、
本物の謎、不思議、神秘としては、
私には迫って来ていなかった。
云うてることは、分かるねんけどな…
という感じだった。
本書を読んで、初めて池田が言っている
ことの意味が、本当に掴めた。
とたんに世界が変わった。
大げさにいうと人生が変わったといっても良い。
池田は「見方が逆転する」と表現しているが、
パラダイム・シフトが起きた、といっても良い。
世界をひっくり返して、裏側から観たような感じだ。
純粋に感動して、涙が流れてきた。
こんなことは初めてだ。
世界が変わったことに驚き、
そのことに感動している自分に驚いた。
「死ぬ」ことは、存在のほんのひとつの
点であって、重要なことは そこではないのだ。
ああ、こんな風に世界を観ることが
できるなんて思ってもみなかった。
ホントに自分でも驚いている。
池田はこう書いている。
「そんなふうに考えると、一種驚きというか、
独特な感情が起こります。
そうすると、単純に悲しむだけでなくてもよいと、
だんだん気持ちが広い方へ開けてゆきますし、
そのことだけでも、その意味では救われると思います。
謎を味わうというか、一種の至福というと
強すぎるけれども、そういう喜びの感情に
変わっていくような感じがします」
至福。
確かに。
まだ、20ページほどしか読んでないけど
感動のあるうちに、このことを書いておこうと思った。
ホンマにビックリしたんよ。
私はあなたを知らない、

中野量太、原案・脚本・監督作品、
映画『私はあなたを知らない、』。
期待以上に、とても良かった。
28歳まで家庭・家族を知らなかった
天涯孤独の西山夕平。
図らずも紗月(さつき)と朝子(紗月の娘・
5歳)という家族ができる。
初めての家族に泣く夕平。
初めての家族を大切に思うあまり、
そして純粋なあまりに、不器用なあまりに、
夕平と紗月の歯車が狂いだす。
紗月から別れを告げられても、
夕平はその別れを受け入れることができず、
事態はますますこじれていく。
予告編の「私を娘のように愛してくれたのは、
母を殺した男(ひと)でした」という言葉で、
夕平が紗月を殺すのは、初めから
分かって観ているのだけど、ストーリーが
進むうちに「どんな理由で殺すのだろう?
かっとなってやってしまうんだろうか」
「紗月が殺されるようなこと言うんやろか」と
推測するも見事にハズレ。
エンディングに入り、「ははーん、これは
こういう終わりやな」と推測するもハズレ。
まあ、そんなに予想のつく終わり方では、
あかんわな。
そのええ意味で裏切られた終わり方も
押し付けがましくなく、ええ感じ。
タイトル「私はあなたを知らない、」の意味も深い。
「知らない」の後ろに「、」(読点)があるのも
文章に続きがある(そこで終わっていない)ことを
示しており意味深だ。
伏線の張り巡らせ方、回収の仕方もう良い。
途中でオチが分かるのもあったし、ひとつだけ
回収しきれなかったのもあったけど。
出演は、坂口健太郎、早瀬憩、堀田真由など。
3人ともとても良いが、特に夕平を演じる
坂口健太郎がよろしい。
かなり難しい役だと思うけど素晴らしいです。
以下、ネタバレ。
裁判では、夕平に殺意があったのかどうかが
重要だったわけだが、夕平は裁判では
黙秘を通した。
「殺意はなかった」といえば、もっと軽い刑で
済んだかもしれないのに。
それは、ことの重大さと責任の重さを感じての
彼なりの誠実さであったっと私は思う。
大学生になった朝子は、何度か夕平に会いに
刑務所に面会に行くが、最後の面会で
朝子に「殺意があったのか?」と聞かれて、
夕平は泣きながら、うなずく。
しかし、私(観客)は知っている。
彼に殺意はなかったことを。
でもレビュー読んでると、「殺意あり」と
解釈している人もいてるねんなぁ。
まぁ全ての解釈が正解とも言えるけど、
「殺意あり」では、夕平がかわいそう過ぎるやん。
殺意なんかなかったけど、朝子のために
(朝子は「私のために答えて」と言ったので)
「殺意があったと表明した」、と考えるのが
夕平という人間を表現していると思うのだけど、
どうでしょう。
そして「殺意あり」では、タイトルの「、」に
意味が生まれないと思う。
★★★★★
2026年製作/126分/G/日本・フランス合作
劇場公開日:2026年8月28日
母が死んだ(其の七)
はっきりと覚えている。
あれは小学6年生の修学旅行の
前日のことだ。(52年前!)
そろそろ私も思春期というのか、
所謂反抗期というのか、
なんだか分からないが、
難しい年頃に入った頃だった。
何かがあったとは記憶はないのだけど、
どうもイライラしていた。
そこにそんな私の心持ちを全く知らない母が、
私に向かって何かを言った。
内容は、なんてことのない普段の会話であったと思う。
しかし、そのいつもと変わらぬ母の態度が
私のトリガーを引いた。
いきなり奇声を発した私は、母に殴りかかった。
母に対して怒りがあった訳ではない。
どうすることもできないイライラをたまたま
目の前にいた母にぶちまけたようなもの、
それは地表からマグマが吹き出したようなものだった。
おそらく母は驚いたに違いない。
しかし、まだ身体も母の方が大きく、力も上だった。
鬼と化した母は「親になんてことを!」と
言いながら、強烈な反撃に出た。
母に叩かれて、一瞬で私は戦意を喪失した。
そのあとのことは覚えていない。
ちゃんと謝ったかどうかも覚えがない。
ただ翌日から修学旅行に行くのに、
何か親に用意してもらう物があったように思う。
それをちゃんと用意してもらえなかったら
どうしよう、と不安になったことは覚えている。
あ、思い出した。
たぶん、修学旅行に持って行くお小遣いを
貰えなかったら、どうしようと思ったんだ。
翌朝、母はいつもの通りで、お小遣いもちゃんとくれた。
が、あんなことをしでかした自分は、
気持ちよく旅行に出発することはできなかった。
私の小学校(大阪)の修学旅行は一泊で、
行き先は三重県の伊勢志摩だった。
伊勢神宮の参拝と、ミキモトパールの見学を
したように思う。
二見ヶ浦の夫婦岩が見える旅館に泊まったと
記憶しているが、本当に旅館から見えたのか
どうか、はなはだ怪しい。
母から貰った小遣いの使い道は、
家族へのお土産である。
母に貰ったお金で、母に土産を買うという訳だ。
なんとなく まだモヤモヤしながら、
母(というか両親)への土産を選んだ記憶がある。
選んだのは、伊勢の風景が描かれた
小さな徳利とお猪口のセットだった。
そんなこと、よく覚えているなぁ、オレ。
ずっと実家のサイドボードの中に飾られて
いたような気がする。
今もあるのかな。
2026.9.26
Toninho Horta
〈Jazz in Hokutopia Vol.4〉

トニーニョ・オルタ、8年ぶりの来日だそうだ。
私はジャック・リーとのデュオで一度観たことが
あるが、それは 2010年のことだったので、
もう16年も前になる。
その時のエントリーを読むと、ゲストで日本人
女性ヴォーカルが登場したとあるが、
それが今日も出演した Nobie さんだった。
今年6月にピットインに Nobie さんの
ライヴを観に行った(ギターは馬場孝喜さん)。
その時に今日のライヴのチラシが置いてあったんだ。
「Jazz in Hokutopia Vol.4」という
イベントの2日目で ライヴは三部構成。
<1部>トニーニョのソロ
<2部>トニーニョと、日本の若手のジャズ・
ミュージシャンとの共演。
<3部>トニーニョと、ブラジル音楽を演奏する
日本のミュージシャンとの共演。
トニーニョ、77歳。
元気です。
登場から開口一番は
「スミマセン、コンニチハ、コンバンワ」
ソロ・コーナーの1曲目は『Moon River』。
とても美しい。
私的には、ジャズメンとのセッションより、
ブラジル音楽を演奏する日本人ミュージシャンとの
セッションが面白かったなぁ。
16年前に聞いた「シンカンセン、シンカンセン」も演ったよ。
この曲、新幹線で東京から博多まで行くんだ。
私見だけど、<3部>が面白かったのは
トニーニョはジャズメンとはの共演も多いが、
やはり「ザ・ジャズ」の人ではないからかなと思った。
即興的要素も多かったと思うけど、ジャズ的
というよりトニーニョのビジョンというかやりたいことが
ハッキリしているように感じた。
時にそれがメンバーへの合図となって表れるのだが、
どうも完全にそれに応じられていたようには
感じられなかったのは私の気のせいか。
<2部><3部>ともにドラマーに「もっともっと」と
求めているように感じた場面があったんだ。
きっと限られた時間での打合せとリハーサルで
本番に臨んだのだろうから、それでも十分に
コラボしていたと思うけど。
何曲かで観客に歌わせようとするのだけど、
日本人はシャイだから大声で歌う人は少ない。
三部でハモらせようとまでしてた。
きっとブラジルでなら大合唱なんだろうな。
とはいえ、最後にはスタンディング・オベイション。
日本は4回目だと言っていたけど、
貴重なライヴを観られて良かった。
トニーニョは、ガットギター1本とフルアコ、
テレキャスタイプのシンラインを使用。
フクオカ・ギター、ニシムラ・ギター(Westville)
(もしかしたら ニシガキ・ギターだったかも)、
エチゼン・ギターの話をして謝辞を述べていた。
Made In Japan のギターを数本使っているようだ。
(英語で話してくれてたけど、内容は相変わらず
聞き取れません。)
ルシアーにすれば、トニーニョに弾いてもらえるなんて、
この上ない光栄と歓びだろうね。
今回のギターは、エレキは2本とも Westville。
ガットギターは、フクオカ・ギターかな(自信なし)。


後半にはトニーニョが 500ccのペットボトルの水を
一気飲みする場面もあった。
結構な時間をかけて飲み切ったけど、
大丈夫かね、高齢なのにあんなことしてと
心配になった。
ロビーには「15:00開演、17:10終演予定」と
貼り出されていたけど、終わったのは 17:55。
5分ほど押して始まったけど、予定を大きく上回り
(休憩を挟んで)2時間50分ほどのショーだった。
今日のチケットは、当日券も多少残っていたようだけど
明日の東京、29日の大阪、30日の静岡公演は、
ソールド・アウトのようだ。
帰ってきて、トニーニョの発売されたばかりの
ニューアルバム『Standards & Stories』をポチリました。
[ プログラム ]
◇ トニーニョ・オルタ・ソロ
◇ トニーニョ・オルタ・ジャパン・ジャズ・コレクティブ
〈トニーニョ・オルタ(vo&g)、馬場智章(ts)、Akira Ishiguro(g)、
小川晋平(b)、小田桐和寛(ds)〉
( 休 憩 )
◇ トニーニョ・オルタ・ジャパン・ブラジル・コレクティブ
〈トニーニョ・オルタ(vo&g)、ノビー(cho&vo)、太田朱美(fl)、
小畑和彦(g)、織原良次(b)、斉藤良(ds)〉
@ 北とぴあ さくらホール(東京都北区王子)
[ 参考エントリー ]
2010.10.7 TONINHO HORTA & JACK LEE
2026.6.6 Nobie Especial Band
2026.9.26
新版 思考の整理学
外山滋比古 著

「東大・京大で1番読まれた本」として
知られる『思考の整理学』。
刊行は 1983年なので、もう43年も前の本だ。
本書は、それに 1986年文庫本された際に
加えられた一章と 2009年の東大での
講演会をまとめたものを加えた新版。
著者は、日本の英文学者、言語学者、
評論家、エッセイスト。文学博士、大学教授の
外山滋比古(とやま しげひこ)(2020年没)。
内容はタイトル通り、「思考の整理」についてだ。
たぶん、大学生向けに書かれたと思われる。
大学生が、論文を書くための資料や、
思考の整理の仕方、知識や記憶の扱い方に
ついてのヒントが書かれている。
著者は 1923年生まれだから、83年当時
すでに 60歳だった。
今ほどデジタルが普及していなかった時代なので、
その整理方法が(今となっては)恐ろしく
アナログで気が遠くなりそうだが、昔の人は
こうやって本を書いていたのだろうと思う。
今、本書に書かれている方法をそのまま
実行する人はたぶんいないと思うけど、
ここに書かれていることをヒントに、
自分なりにアレンジしてデジタルで
整理することは可能だろう。
その方が、効率的だろうしね。
本書が書かれた時点では、「コンピューターの
出現で人間は知識を記憶する必要がなくなった。
事務仕事がコンピューターに奪われる。
が、創造的な仕事はコンピューターにはまだできない」
という旨のことが書かれている。
が、40年経って、AIというものが、
創造の分野にまで及んでいる。
創造の分野においても、人間はだんだん
必要でなくなり始めているように見える。
今から 40年後にはどうなっているんだろう。
きっと、無人運転のタクシーやバス、もしかしたら
鉄道も当たり前になっているかも知れないし、
AIが創ったアートや、音楽、文学などが
ひとつのジャンルになっているかもしれない。
あるいは、もっと恐ろしいことが起こっているかも。
私は論文を書いたり、研究発表をしたりする
ことはないが、本書に書かれていることは
考えたことのなかった区別が色々あって
参考になった。
それらは思考の役に立つと思う。
(覚えていればだけど。)
以下、印象に残ったこと。
学校で作られる「グライダー人間」と
「飛行機人間」の違い。
学校教育の弊害。
(これは色んな角度で同じようなことが
言われているけど、「グライダー人間」を
使っての説明が良かった。)
知的活動には3つの種類がある。
(1)既知のことを再認する
(2)未知のことを理解する
(3)全く新しい世界に挑戦する
これは本を読むときに、今どれを実行しているか
意識することで、読み方、取り組み方が
変わると思う。
第一次的現実と第二次的現実の区別。
ふたつの相反する能力。
拡散と収斂(しゅうれん)。
など。
★★★★☆
2026.9.25
キャロル・キング&ジェイムズ・テイラー
ジャスト・コール・アウト・マイ・ネーム

今年2月に公開されたらしいのだが、
全くノーチェックだった映画『キャロル・キング
& ジェイムズ・テイラー ジャスト・コール・
アウト・マイ・ネーム』が、角川シネマで
上映されたので観て来た。
2月に公開なのになぜ9月に? というのは
角川シネマでは現在「ピーター・バラカン
音楽映画フェスティバル 2026」(Peter
Barakan’s Music Film Festival 2026)を
開催中で、その1本として本作が上映されたんだ。

これが、予想をはるかにはるかに超えて、
とにかく全てが素晴らしかった。
まさか落涙するとは思ってなかったよ。
私的には、アメリカの良心のシンガーソングライター、
キャロル・キングとジェイムズ・テイラー。
彼らの共演は、1970年に遡る。
ロサンゼルスの老舗ライブハウス、トルバドールで
共演したのが始まりで、2007年に
トルバドール開業50周年記念で、37年ぶりに
再共演を果たし、2010年に「トルバドール・
リユニオン・ツアー」と題し、世界各地で公演を実施した
本作は、70年代の映像も交えながら、
まるで 2010年のコンサートを観たかのような
体験のできる作品に仕上がっている。
余計な編集は一切ない。
過去の映像が挟まれるのもとても効果的。
(ちょっと、最近観た某アーティストのライヴ・
ドキュメンタリーの編集が酷かったので、
余計に素晴らしく思ってしまったかもしれない。)
音楽はもちろん素晴らしいのだけど、
一番はジェイムズとキャロルの「親密」。
「親密さ」とは書かずにあえて「親密」。
これに感動する。
途中、1970年頃の親密さを表現したいと
いうようなことをジェイムズが言うのだけど、
ふたりの心の間に全く壁がないというか、
距離がないというか、ラブラブの恋人同士でも、
こんなに「親密」ではないのではないかと思った。
誤解のないように書くと、その親密は
所謂 男と女のそれではない。
ミュージシャン同士、あるいは人間同士の親密で、
あまりの距離のなさにふたりがひとりかと思うほどだった。
そして、その親密はジェイムズとキャロルの
間だけではなく、バンド・メンバーにも存在していた。
バンドがこれまた素晴らしい。
特にダニー・コーチマー(ギター)、ラス・カンケル
(ドラムス)、リーランド・スカラー(ベース)が、
バリバリええ仕事してまっせ。
彼らは、1970年にも一緒に演奏していた仲間たちだ。
(それもあってリユニオン・ツアーなのだと思う。)
2010年、彼らはこのツアーで来日もした。
見逃したことは、痛恨の極みだ。
ジェイムズは、2024年の来日公演を観られたけれど、
キャロルとの共演は、もう観られることはないだろう。
そういえば、2024年のジェイムズのコンサートでも
バンドメンバーに対する深い愛と尊敬を感じたっけ。
ジェイムズの歌っているときの表情が素晴らしい。
本当に幸せな人はこういう顔をしながら
歌うんだと思った。
キャロルはハイヒールでピアノを弾き、時々
踊るものだから、足をくじきやしないかと
ひやひやしたよ。
(キャロルは 2010年当時 68歳かな。)
キャロルとジェイムズのハーモニーは、
声が溶け合って美しい。
時々、個性豊かなシンガーふたりがハモると、
個性的過ぎて声が溶け合わず、
ふたりのシンガーが、別の音程で唄っている、
という風に聞こえることがあるけれど、
このふたりの大御所は、きれいに溶け合うんだ。
ここにも「親密」を感じたね。
そして、親密の絶頂、本編ラストの
『You Can Close Your Eyes』で落涙です。
映画のチケットは、「トークイベント付き上映」と
なっていたので、業界の人か音楽ライターの
誰かが登壇するのかと思っていたら、
ピーター・バラカンさん ご本人だった。

かなりマニアックなお話しで面白かった。
「JAMES」は「ジェイムス」ではなく「ジェイムズ」。
「日本人はなぜか「ジェイムス」と表記するけど
「ジェイムス」なんて名前はないから」と言ってました。
確かに日本での表記は私が見た限り、
全部「ジェイムス」だわ。
試しに AI に「JAMES の発音は、ジェイムスですか?
ジェイムズですか?」と投げかけてみたら
「ジェイムズ(またはジェームズ)の方が原音に近い」
との回答でした。
でも、「S」は日本人には「ス」なんだよなぁ…
2022年製作/97分/G/アメリカ
原題:Carole King & James Taylor: Just Call Out My Name
劇場公開日:2026年2月20日
(2026.9.26 追記)
[ TRACKLIST ]
Opening (You Make Me Feel Like) A Natural Woman
1. Something In The Way She Moves (彼女の言葉のやさしい響き)
2. So Far Away
3. Carolina In My Mind (思い出のキャロライナ)
4. Country Road
5. Smackwater Jack
6. Where You Lead (地の果てまでも)
7. Your Smiling Face (きみの笑顔)
8. Beautiful
9. Enough To Be On Your Way > Shower The People (愛の恵みを)
10. Way Over Yonder
11. Sweet Baby James
12. Up On The Roof
13. It's Too Late
14. Fire And Rain
15. I Feel The Earth Move
16. You've Got A Friend (きみの友だち)
17. How Sweet It Is (To Be Loved By You) (君の愛に包まれて)
18. You Can Close Your Eyes (目を閉じてごらん)
Ending Mexico (あこがれのメキシコ)
[ MEMBERS ]
キャロル・キング(vo, p, g)
ジェームス・テイラー(vo, g)
ダニー・コーチマー(g)
ラス・カンケル(ds)
リーランド・スカラー(b)
ほか
2026.9.25
原田真二
OUR SONG and all of you
― Live at 武道館 ―

私が中学生から高校生にかけて、
原田真二、世良公則、Char の3人は
「ニューミュージック 御三家」と呼ばれた。
それまでお茶の間で聴くことのなかった音楽が
テレビを通して流れるようになった時代だった。
2年前に死んだ姉が 高校生のとき、
原田真二のファンだった。
当時の彼氏まで原田真二似の男だったよ。
真二のデビューから2年ぐらいは、アルバムも
シングル・レコードも全て家にあった。
原田真二は、そのかわいらしい見た目からか
女性のファンが多く、当時アイドルのようだった。
私はもっとロックな音楽が好きだったけれど、
真二の曲の中にも好きなものがあって、
姉に隠れて(なんで?)こっそり、ギター・ソロを
コピーしたりしていた。
1979年、高校2年生になる前の春休み、
私は姉に連れられ、大阪フェスティバルホールの
真二のコンサートに出かけた。
姉が私の分も チケットを買ってくれたんだ。
これが私の初のロックコンサートだった。
なんと48年前のそのチケットの半券が
手元に残っている。

3月29日。
春休みだったことと、入場の際、会場の
入口に並んでいると、女の子ばかりが多く、
ちょっと恥ずかしかったことを覚えている。
あのとき、原田真二は 20歳だったんだな。
『OUR SONG and all of you』は、
デビュー後 わずか 10ヶ月、十代(19歳)で
史上初めて武道館単独公演に臨んだ、
原田真二のドキュメンタリー。
もう 10年くらい前だと思うが、この DVD の存在を知った。
私は 79年春のコンサートを観たこともあって、
この武道館公演(1978年7月24日)を
観たいと思い、DVD を購入した。
DVD は 2005年の発売で、すでに廃版になっていた。
中古品は見当たらず、新品はもともと税込(5%)
3,990円だったのに少々高かった覚えがある。
自分も観たかったが、姉も観たいだろうと思って
購入したが、姉に話すと全く興味がなさそうだった。
それで、いつか観ようと思ってそのままになっていた。
1978年当時 VHS で発売されたライヴ・ビデオが、
DVD になって 発売されたのだとばかり思っていたが、
そうではなく、1978年12月に劇場公開された
ドキュメンタリー映画だった。
しかし、購入時は(というか 観るまで)
ドキュメンタリーとは知らず、ライヴ・ビデオだと
思っていた。
ちょっと苦言。
まず、武道館のステージ設営のシーンから
始まって、ライヴが始まるまで、13分以上ある。
予算の関係か、技術がまだなかったのか分からないが、
2005年の作品としては、大変音が悪い。
ミックス・バランスが悪く、ヴォーカルが
奥に引っ込んでしまっている曲もある。
ギターやドラム、ベースはよく聞こえるのだけど
全般的にとにかくバランスが悪い。
ハウリングも何度かある。
アスペクト比が4:3なのは、時代だから
仕方がないとして、映像のノイズも多い。
今なら、ノイズ・リダクションや、リミックス、
リマスターして世の中に出すべき作品だと思う。
おまけにこの時代のこういう映像作品の特徴か、
演奏中に全く関係ない映像が挟まれる。
例えドキュメンタリー作品だといえども、
純粋に演奏シーンを観たい音楽ファンには
まったく余計な仕事をしてくれたもんだと思う。
ちなみに監督は、地球交響曲〈ガイアシンフォニー〉
シリーズの龍村仁。
これは劇場公開作品のビデオだから仕方がないけど、
DVD として発売するなら、今なら、舞台裏映像、
合宿中のリハーサル風景、ファンとの触れ合い、
オフショットなどは、本編とは別の特典映像として
まとめるんじゃないだろうか。
いや、まとめて欲しい。
それから観ていて気になったのは、やたらと裸になる。
真二もバンドメンバーも。
上半身だけだけど。
そして、ステージ以外のシーンでは、
やたらとホットパンツ(丈が短い短パンね)なんだ。
これも真二もバンドメンバーも。
あの時代って、そんな風だったっけ?
今ならちょっと恥ずかしいような気がする。
というか今、ホットパンツをはいている男性は見ない。
ファンと話しているオフショットでも、
真二は上半身裸に、ホットパンツなんだ。
なんかスゴイ時代だったんだな。
で、観ていると、リハーサルでも上半身裸の
シーンがあって、真二の背中の汗を観て、
当時は今ほど冷房があまり効いていなかったせいも
あるのかとも思った。
それにしてもね。
バンドについて、特筆すべきは、
ツイン・ドラムスであることだ。
それがなんと Robert Brill と 古田たかし。
Robert Brill といえば、Char さんの
デビュー当時の バンドメンバー、
1st アルバムのレコ―ディングメンバーだ。
Robert Brill と しーたか(古田たかし)は
違うタイプのドラマーだが、このふたりが
一緒にリズムを創っているのも面白い。
ふたりとも Char さんのライヴで聴いたことが
あるのだけど、ツインになると 印象としては、
Robert のリズムが強いような気がする。
私が観た翌年3月のライヴが、ツインドラムで
あったかどうかは、全く記憶がないのだけどね。
(調べてみると、しーたかひとりだった。)
『タイムトラベル』など、レコードの演奏より
アレンジがされていてカッコ良い。
真二が、デビューから10カ月で、まだ19歳だった
ことを考えると、スゴイ才能だったと思う。
ギター(青山徹)は、かなりフューチャーされており、
レコードよりロック色が強い。
バンドの演奏は良いので、音が悪いのが残念だ。
10代からとても才能があった人であることには
間違いないが、当時、音楽家としての活動と
芸能界の板挟みになっている様子が伺える。
それは、Char さんも同じだったけど。
特典映像として、DVD発売時(2005年)の
原田真二に、龍村仁監督を交えたインタビュー
映像も収録されている。
武道館から、27年後のご本人のトーク。
真二は、自分を観て「なんて生意気なんだ」と
言い、龍村仁監督は、「あの頃から真二は
年齢不詳だった」という。
そのインタビュー時、まだ 40代の真二は
良い感じだが、最近 YouTube で観た4年程前の映像は、
遠目には石塚英彦(ホンジャマカの石ちゃん)かと
思うほど大きくなっており、ビックリしました。
ちなみにこの武道館コンサートは、1996年に
なって CD 化されている。
そちらの音はどうなっているのだろうと、
『てぃーんず ぶるーす』を聴き比べてみた。
ちゃんとリミックスしたようで、バランスは、
改善されているが、どうやら唄は差し替えたようだ。
(ほかの曲は未チェック)
ライヴ盤を出す時にまずいところを録り直すのは
よくあることだと聞いたことがあるが、
コンサートから18年後のリリースなので、
これはいつ頃 録り直したのだろうか。
最近の真二の活動はよく知らないけど、
ライヴはやっているようなので、一度観たいな。
[ 曲 目 ]
1. Curtain Rise
2. てぃーんず ぶるーす
3. Angel Fish
4. 風をつかまえて
5. タイムトラベル
6. Our Song
7. Joy
8. 黙示録
9. シャドーボクサー
10. Sports
11. Wake Up
12. High-Way 909
13. Wise Way
(1曲目『Curtain Rise』は レコード音源)
[ MEMBERS ]
原田真二 (ヴォーカル・ピアノ・ギター)
山田秀俊 (キーボード)
青山徹 (ギター)
関雅夫 (ベース)
Robert Peter Brill (ドラムス)
古田たかし (ドラムス&パーカッション)
2026.9.24
DIANA KRALL
LIVE AT THE MONTREAL JAZZ FESTIVAL

2004年とあるからもう 22年も前の作品、
ダイアナ・クラールの「モントリオール・ジャズ・
フェス」の DVD を観直した。
(ええ、終活の一環、CD・DVD・書籍の
処分のためです。)
購入時に最後までちゃんと観たか
どうかも覚えていない。
頭の方だけ、ちょっと観てあとからゆっくり
観ようと思ってそのままになっている DVD も
少なくないと思うが本作はどうだったのだろう。
ダイアナ・クラール(Pf &Vo)+ギター・トリオ。
驚いたのは、ドラムが ピーター・アースキンだったこと。
そんな重要なことも覚えていないのか。
この DVD を買った時には、私にとってそれは
さほど重要ではなかったのか。
いずれにしろ、初めて観るように鑑賞した。
認識を改めたのは、ピアニストとしてのダイアナ。
弾き語り程度に自分の唄のバッキングを
するレベルではなく、完全にジャズ・ピアニストだ。
私は 10年前にダイアナのライヴを観たのに
今さらそんなことを言うと、ファンに叱られそうだが、
なんとなくシンガーとしてのイメージが強いんだな。
ギターは、アンソニー・ウィルソン。
私が不勉強なだけかもしれないけど、
ジャズ・ギター界ではそんなに有名な人ではない。
調べてみると、父親もジェラルド・ウィルソン
というジャズ・トランぺッターの息子。
ダイナとの仕事は長いが、そのほかにも
驚くほど多くの著名なアーティストと仕事を
してきた人だ。
ダイアナのギタリストといえば、故ラッセル・
マローンの印象が強かったが、アンソニーの方が
ダイアナとのキャリアは長いんだ。
今年は12月に来日公演があるのだけど、
チケット代 21,000円と見て、行く気が失せていた。
もう良い席はないかも知れないけど、
ちょっと観たくなってきたなぁ。どうしよう。
ダイアナは、私よりずっと若いと思っていたが
1964年生まれなので、私より2歳下。
妻と同じ年だった。
本作では、ダンナであるエルヴィス・コステロ
との共作も4曲演っている。
特に『Narrow Daylight』が好きだな。
(2026.9.26 追記)
[ 曲目リスト ]
1 Sometimes I Just Freak Out
2 All or Nothing at All
3 Stop This World
4 The Girl in the Other Room
5 Abandoned Masquerade
6 I'm Coming Through
7 Temptation
8 East of the Sun (And West of the Moon)
9 Devil May Care
10 Black Crow
11 Narrow Daylight
12 Love Me Like a Man
13 Departure Bay
14 Narrow Daylight [Video]
[ MEMBERS ]
Diana Krall (vo, pf)
Anthony Wilson (gt)
Robert Hurst (b)
Peter Erskine (dr)
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