過去ログ
----------------
不思議な妻
告白と笑える話
07-8 09 10 11
12 13 14 15
16 17 18 19
20 21 22 23
24 25
Photo Report
07 08 09 10
11 12 13 14
15 16 17 18
19 20 21 22
23 24 25
LIVE&MUSIC
07-8 09 10 11
12 13 14-1 14-2
15 16 17 18
19 20 21 22
23 24 25
MOVIE&PLAY
07 08 09 10
11 12 13 14
15 16 17 18
19 20 21 22
23 24 25
ESSAY
07 08 09 10
11 12 13 14
15 16 17 18
19 20 21 22
23 24 25
Camera & Photo
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10
11 12 13 14
写真展 1 2 3 4
BOOK 1 2 3 4
ENGLISH 1 2
Shop & Restaurant
1 2 3 4
音楽活動とギター
07-13 14-15 16
17 18 19 20
21 22 23 24-25
落語 13-14 15
16 17 18 19
20-21 22-23 24-25
Art 1 2 3
Gogh 1
イタリア旅行 '14
フィリピン旅行 '14
キューバ/メキシコ'18
パリ旅行 ’19
アメリカ旅行’23
カレー 1 2 3
ハンバーグ 1
その他 1 2 3 4
写真展「僥倖」2022
100km WALK 2023
富山マラソン 2024
----------------
2025年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2024年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2023年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2022年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2021年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2020年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2019年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2018年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2017年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2016年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2015年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2014年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2013年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2012年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2011年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2010年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2009年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2008年
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2007年
6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
|
|
2025.1.17
阪神・淡路大震災から30年
1995年(平成7年)1月17日(火曜日)、
午前 5時46分52秒、後に「阪神・淡路大震災」
と呼ばれることになった地震が発生した。
あれから今日で30年が過ぎた。
あの日は、月曜日の早朝だったとばかり
思い込んでいたが、火曜日だったんだね。
15日の成人の日が日曜日だったため、
16日が振替休日だった。
それで17日が月曜日と勘違いしていたんだな。
当時、私は東大阪市高井田西の
小さなマンションの2階に一人で住んでいた。
地震が発生した5時46分はまだ起きていた。
8時には起きなければならないのに、
夜更かししていて「2時間しか寝られへん」と
思いながら、布団に入った矢先のことだった。
神戸ほどではないにしろ、東大阪でもそれなりに揺れた。
結構長い時間だったと記憶している。
自宅に大きな被害はなかったけど、
台所のタイルの一部が割れて落ちた。
その日は、寝ずに出勤したんじゃなかったろうか。
家の近所の瓦屋根が落ちいてたり、
大通りに出ると、銀行のガラス窓が割れていたりした。
後日、地下鉄の通っている大通りの上は、
地下鉄の空洞のせいで、揺れが大きかったと
聞いたが、真偽のほどはわからない。
その日、仕事は普通にしたような気がするが、
高速道路は閉鎖されていおり、
道が混んでいた覚えがある。
夜、大阪厚生年金会館で行われる、
BAHO(Char & 石田長生)のコンサートに
行く予定だったが、当然延期された。
災害関連死を含むと、死者は6,434名、
負傷者は、43,792名 となっている。
大勢の人が亡くなったんだ。
高速道路の横倒しなんて、
もう二度と見ることはないだろう。
地震からしばらくは、神戸方面に出かけると
壊れかけたビルを目にすることも
珍しくなかった。
神戸の方では、冷蔵庫が逆さまになって
立っていたという話も聞いた。
神戸のホテルでコックをしていた人からは、
その時間、調理場で朝食の準備をしていたら、
業務用の大きな冷蔵庫が、歩くように
ドンドンと迫ってきたという話も聞いた。
大阪ガスに勤めていた人からは、
復旧工事のため、2カ月だったか3カ月だったか、
家には帰れず、残業手当で給料が
凄い金額になったという話も聞いた。
昨日、日本赤十字社によるアンケートでは、
阪神・淡路大震災を「全く知らない」と
答えた人が、10.7%という結果を伝えていた。
まあ、10代 20代なら仕方がないとも思うが、
40代で 10・5%、50代で 5・0%、
60代で 2・5%の人が「全く知らない」と
答えているらしい。
その年代なら、発生した日付までは
覚えていなくても、地震があったことぐらいは、
覚えていても(知っていても)良さそうだと
思うけど、違うんやな。
まあ住んでいる地域にもよるやろけどな。
災害の直後は、防災意識が上がるけど
すぐに麻痺してしまうのは、人間の
良さであり、弱さでもある。
私は先日、ソーラーパネル付きの
ポータブル電源を購入したよ。
停電になっても太陽光で充電できるタイプね。
持ち運びも出来る大きさ重さで、
非常時以外にもアウトドアや電源のない場所で
使い道がありそう。
災害では使う日が来ないことを祈るけどね。
地震の後に断水し、トイレに困るというのは、
よく聞く話で、非常時用のトイレも
東日本大震災の後に買って、
備蓄してあるけれど、使ったことはない。
防災グッズも進化しているから、
見直さなきゃな。
The Diver
「クーリエ・ジャポン」は、「2024年に世界が注目した
日本人」ということで、10のカテゴリーでそれぞれ
10人ずつを選出した。
「音楽・映画部門」では、1位に小澤征爾。
黒澤明や Adoの名前もあるが、
半分(5人)は 私が知らない人だった。
「社会・報道部門」の1位は、伊藤詩織。
昨年公開された、自身の闘いを描いた
ドキュメンタリー映画『ブラック・ボックス・
ダイアリー』が数々の映画祭で18の賞を
獲ったらしいのだが、日本での報道は
見たことがなかった。
伊藤詩織以外に 「社会・報道部門」に
名を連ねている人で知っていた人は、
袴田事件の袴田巌、ドキュメンタリー映画監督の
山崎エマだけで、残りの7人は名前を見ても
知らない人たちだった。
いかに自分が世界を知らないかが露呈してしまう。
その中に、高松康雄という人の名があった。
「潜水士」と書かれていた。
2011年に起きた東日本大震災では、
いまだに2500人もの人の遺体が発見されて
おらず、行方不明のままだという。
高松さんの奥さんも津波で流されたとみられ、
彼は2013年からダイビングを始め、
潜水士資格を取り、海に潜り続けている。
彼のドキュメンタリー映画がある。
9分ほどなので観てください。
↓
『The Diver』
2025.1.16
カレーはスポーツだ! #83
野菜のキーマカレー / OMOカフェ(東京五反田)
★★★★☆
大規模複合施設「五反田JPビルディング」の
14階、OMO5(オモファイブ)にある
カフェの「野菜のキーマカレー」、税込 900円也。
カレーはさほど辛くなく、まあまあ旨い。
野菜がたくさんトッピングされてて、
特にドライトマトが旨かった。
軽食という感じで、男性にはちょっと
量がもの足りないかもな。
OMO5は、星野リゾートがやっているホテル。
このビルは、数年前までは、
ゆうぽうとのビルだった。
2025.1.14
マイケル・ランドウ
出演キャンセル
来週、ブルーノート東京に スティーヴ・ガッド・バンド の
ライヴを観に行く予定で、楽しみにしているのだが、
今日、ブルーノートからメンバー変更の発表があった。
マイケル・ランドウ (g) が、ロサンゼルス山火事の
影響を受け、出演がキャンセルになったというのだ。
ロスの山火事は、ニュースで観て、
大変なことになっているのは、知っていたけど、
ロスには知り合いもいないし、ちょっと遠いことの
ように思っていたら、影響が現れた。
もしかしたら、マイケルの家や機材が
焼失したのかも知れない。
心配だ。
こんな風に急に身近に感じるんだな。
そういえば、2018年のカリフォルニア州の
マリブの山火事では、リー・リトナーが
家とスタジオを失った。
100本のギター、40台のアンプも
焼失したという記事も読んだ。
自然災害の恐ろしさだ。
今年の山火事は、昨日13日時点でも
まだ鎮火していないようで
火災の死者は13日時点で少なくとも24人、
行方不明も23人だという。
日本は、ああいう山火事は起きないんだろうか。
マイケル・ランドウの代役のギタリストは、
トシ・ヤナギという日本人。
私は、知らなかったし、日本での知名度は
低そうだけど、1985年に渡米し、
21歳で MI (Los Angeles Musicians Institute) を
卒業し、アメリカで活躍しているギタリストだ。
たぶん、私より4歳か5歳ぐらい年下だろう。
知らんだけで、こんな人おるんやなぁ。
マイケル・ランドゥのキャンセルは残念だけど、
トシ・ヤナギがガッド・バンドでどんなギターを
聴かせてくれるのかも楽しみだ。
山火事のことは、早急な鎮火と復旧を祈る。
2025.1.8
ミュージック
Music
ベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀脚本賞)を
受賞した作品。
監督(脚本・編集も)は、アンゲラ・シャーネレク
というドイツの女優、映画監督、脚本家。
1962年生まれとあるから私と同じ年だ。
タイトルが「ミュージック」だし、予告編を観た上で
期待して観に行ったのだが、なんとも難しかった。
始まって、45分ぐらい経っても、
ストーリーが分からない。
登場人物の人間関係が分からない。
なにしろ、ほとんどセリフがない。
あまりにも説明をはしょり過ぎ。
ついに途中で20分か30分ぐらい寝落ちしてしまった。
目覚めてからも、相変わらずセリフは少なく
唐突に場面が変わり、繋がりも分からず、
何が言いたいのかも分からず。
ずっと推測し続けなければならない映画だった。
ちょっと違うけど、昨年観た
『悪は存在しない』を思い出した。
あの映画も高評価だったけど、
私には全く分からなかった。
本作もベルリンで銀熊賞を受賞している。
こんなに評価されている作品の良さが
分からないということは、もしかしたら、
私は現代の評価に全く 付いて行って
いないのかも知れないな。
まあ、途中20~30分も寝てしまったら、
正確な評価なんてできないけど。
もう一度 観直そうとは思わなかった。
★★▲☆☆
2023年製作/108分/ドイツ・フランス・セルビア合作
原題:Music
劇場公開日:2024年12月13日
2025.1.5
哲学について
先日読み終えた『落語―哲学』が、
面白かったので、著者・中村昇氏の
2003年に出版された『いかにしてわたしは
哲学にのめりこんだのか』を買った。
読み始めて50ページで挫折した。
頑張って最後まで読もうかと思ったけれどやめた。
50ページ読んで、理解出来たのは、
せいぜい2割か3割だろう。
サンドイッチマンではないけど、
「何言ってるか分からない」んだ。
この人がどうして哲学にのめりこんだのか、
哲学はのめりこむほど面白いのか、と
期待して買ったのだけど、難し過ぎるねん。
50ページまで読んだ内容は、主に
ウィトゲンシュタイン(オーストリアの哲学者)
の批判なんだけど、このウィトゲンシュタインが
言っていることが分からないので、
その批判も分かるはずがない。
出版社のサイトでは「品切れ・重版未定」と
なっており、ほぼ絶版状態だったので、
中古本で買った。
もともとの定価は2500円+消費税なのだが、
安くはなっておらず、Amazonでは
ほぼ定価(税込2500円)だった。
私が2500円のものを買ったために、
今では一番安くて5000円。
高い物は7000円を超えている。
二束三文で売られている中古本も多い中、
専門的な人たちにとっては価値が
あるということだろうか。
数が少ないからだろうか。
送られてきた中古本は、
ほぼ新品のような美品だった。
私のように読めなかった人が、
もとの持ち主だろうかね。
そんなことはさておき。
この本のような内容が理解出来ないと
学問である哲学は語れないということなのかな。
別に「学問哲学」を語れるように
なりたいとは思わないけど。
「学問哲学」と書いたけど、
学問ではない、もっと日常の暮らしに関わる、
生きている限り誰にでも関係のある
哲学もあると思う。
それは、仕事や人間関係など、
日々の暮らしに直接現れる問題として、
考えなければならない分野のこと。
一般的にそれらをわざわざ哲学と
言わないけれど、そのことも「哲学」と
呼ぶ(区別する)ことで整理され、
発展・進化があるように思う。
妻は市井の人々に向けて、サルトルや
キルケゴールの超解釈本を出して来た。
これは「学問哲学」ではなく、「日常哲学」とも
言えるもので、専門的な知識や土壌がなくとも
誰しもが、学び、語れるものなんだ。
もちろん「学問哲学」の背景があった方が、
より深く考えることは出来るかも知れないけど、
なくても最低限の区別さえあれば
「日常哲学」は可能だ。
「日常哲学」とは、何か。
(本当はもっと違う表現を探しているけど、
思いつかないので仮称。)
ちょっと違う観点から考えてみる。
哲学はもちろん、例えば、数学・科学・化学・
医学・社会学など「学」がつく学問は多い。
ところがなぜか「音楽」には「学」がない。
「音楽学」でもなく「がく」という言葉に
「楽」なんて漢字を充てている。
「音学」という言葉は、聞いたことがない。
音楽を作曲したり演奏したりするための
ルールや知識、いわば音楽・楽譜の
文法のようなものは「楽典」と呼び、
面白いことにここでも「学」という文字は使われない。
楽典は音楽理論とも言われるし、
楽典を知ることは、学ぶことに他ならないから、
学問と言って差し支えないと思うんだけどね。
音楽には、楽典の他にも、音楽史であったり、
楽曲のアナライズであったり、演奏以外にも
学問的なことは存在している。
小学校の音楽の授業では、楽譜の読み方
(楽典の基礎)を習うし、クラシック音楽の
歴史(音楽史)を学ぶ。
それらを、音楽の授業で学ぶけれど、
実はそれは「音楽」とは別の分野として存在している。
では「音楽」とは何かというと、
演奏(歌唱も含む)と鑑賞なのだ。
拡大しても作詞作曲編曲までかな。
小学校に入ると数(算数)の時間に
数の数え方、数字の書き方を習うけど
それままだ数学ではないように、
楽典は音楽に関することではあるけれど、
音楽自身ではない。
なぜなら、楽譜が読めなくても、
楽典を知らなくても、音楽を演奏することは
出来るし、実際にそういうミュージシャンはいる。
聴くだけなら、何も知識など必要がない。
知識がなくても、鼻歌で作曲することだって出来る。
音楽とは、作ること、演奏すること、聴くことなんだ。
で、哲学に戻る。
哲学にも必要な区別がある。
いや必要ではないかも知れないけど、
知っていた方が良い区別はある。
例えばサルトルであれば「即自存在」
「対自存在」「投企」「アンガージュマン」といった
区別は、数学であれば数字を覚えたり、
加減乗除を覚えたり、
国語であれば文字を覚えたり、
音楽であれば楽譜の読み方(楽典)を
覚えたりするのと同様に
その分野の基礎的な知識だと思う。
それらの区別・抽象を分かった上で、
日常の暮しを哲学すれば、より深く
考えることが出来るし、
世界が広がるのではないかと思う。
妻は、哲学を広めたいと思っている。
私も「学問哲学」ではなく、「日常哲学」が
もっと広がればよいし、子供たちに
学校で教えればよいと思っている。
しかし「哲学」と聞くと、ほとんどの人が
「難しい」「理屈っぽい」「役に立たない」と
引いてしまうんだな。
「学問哲学」は確かに難しいけど、
「日常哲学」は面白いし、役に立つんだけどね。
これが世の中に一般的に拡がるためには
同じ「哲学」ではなく、違う呼び名が必要だと思う。
哲学には、経営哲学や政治哲学、宗教哲学など、
「哲学」がつくものも多いが、
物理学や心理学などが哲学から発生して
いったように、「日常哲学」にも「哲学」が
つかない呼び名があれば良いと思う。
できれば「学」がつかない言葉で。
「哲学」は英語で「フィロソフィー」。
語源は、は古典ギリシア語の「フィロソフィア」で
「知を愛する」という意味らしい。
武田康弘先生はフィロソフィーを
「恋知(れんち)」と訳す。
明治時代に西洋から日本に「フィロソフィー」が
やって来た時、西 周(にし あまね)という
人が「哲学」という言葉(漢字)をあてた。
「哲」という漢字は「あきらか。道理にあかるい。
かしこい。またはその人」という意味。
「恋知」も良いけど、直訳じゃない言葉を
探している。
以前「哲楽(てつがく)」っていうのを
思いついたんだけど、すでに使っている人がいたよ。
2025.1.4
モノクロ写真展
The Monochrome 2025
4月4日から6日まで 横浜で開催される、
モノクローム写真展に出展する。
この写真展は、日本文藝という会社の
主催で、今回が第2回。
昨年の第1回には、約100名が参加した
グループ展だ。(私は初めての出展。)
ひとり8点まで出展できるということで、
私は8点出展することにして
申し込んだのだけど、
どの写真を出展するかは
1枚も決まっていない(汗)。
今までの作品の中で
自分が気に入っているものを選べば良いと
安易に考えていたのだけど、
申し込んでから募集要項をよく読むと、
四つ切りサイズにプリントされて展示されるため、
ある程度の大きさが必要だと分かった。
私の気に入った写真の中には、
その条件を満たさないものも多い。
風景にするか、ポートレートにするか、
半分ずつにするかも考え中。
過去の写真だけではなく、新しいものも撮ろうと、
少し前から撮影の機会を意図的に
作ってもいるが、写真の選別には悩みそうだ。
写真展の会期等は、下記の通り。
ぜひご来場ください。
【 会 期 】
2025年4月4日(金) - 6日(日)
【 開場時間 】
12:00 -18:00 (最終日のみ16:00迄)
【 ギャラリー 】
みなとみらいギャラリーABC全会場
横浜市西区みなとみらい2-3-5
クイーンズスクエア横浜クイーンモール2階
2025.1.3
私物持ち込み禁止
時々、利用するコメダ珈琲。
先日、久しぶりに行ったら 小豆入りのコーヒー
(小豆小町)が メニューから消えていた。
初めて飲んだ時は 冒険だったけど、
意外にも コーヒーに小豆は合っていて
それからは何度も飲んでいた。
ホットでもアイスでもいける。
コーヒー飲みながらチョコレートを食べると
美味しいのと同様、あんこだって合うんだよ。
調べてみると、小豆小町は昨年4月で
販売終了になっていた。
理由は 発見できなかったけど、なんでかな。
小豆の高騰のせいだろうか。
残念だ。
ぜひ復活させて欲しい。
さて、そのコメダ珈琲の座席の横に
こんな案内が貼り出されていた。
「私物持ち込み禁止の
ご協力お願いします」
推測するに「飲食物の持ち込みは
やめてください」という意味ではないかと
思うのだけど「私物」っておかしくないか。
バッグもスマホも着ているものも持ち物
全てが、私物ですぜ。
私物禁止となると全裸で入店になりますぜ。
お店の人、誰も気が付かないのかしら。
ちょっと違うけど、トイレの個室に時々
「トイレットペーパー以外流さないでください」
という貼り紙がある。
その下に「ウンチは?」って落書きが
書き込まれたのを見たことがあるよ。
言葉って難しいね。
2025.1.2
新 年
新しい年を迎えました。
2025年、令和7年。
昭和で言うと「100年」と聞いて驚きました。
でも、昭和37年生まれの私が、
今年で63歳になるのだから、
「37+63=100」。
何も驚くようなことではないと気付き
そのことに再び驚きました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
2024.12.30
小学校
~それは小さな社会~
今年最後の映画は、ドキュメンタリー映画
『小学校~それは小さな社会~』。
イギリス人と日本人のハーフである、
山崎エマ監督は、小学校は大阪の公立、
中高はインターナショナルスクール、
19歳で渡米し、ニューヨーク大学
映画制作学部を卒業。
彼女は、ニューヨーク暮らしで、自身の強みは
小学校のときに培われた責任感や勤勉さに
由来していることに気付いたという。
映画のコピーにはこんな言葉がある。
「6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、
12歳になる頃には、日本の子どもは
“日本人”になっている。すなわちそれは、
小学校が鍵になっているのではないか」
監督のその思いが、この映画の制作の
背景にはあったらしい。
映画では、1年生と6年生の1学期から
3学期まで、6年生は卒業式まで、
1年生は、2年生になって新1年生を
迎え入れるまでの1年間を追っている。
東京都世田谷区立塚戸小学校で
1年間、150日、700時間を撮影。
監督が現場で過ごした時間は、
4,000時間という。
編集にも1年を要した作品だ。
日本の教育は何かと遅れているかのように
言われている印象があるのは、
私だけではないと思うのだけど、
興味深いことに、この作品は、海外で
大きな反響を呼んだらしい。
フィンランドでは、1館上映から
20館の拡大公開で4カ月もの
ロングランヒットになったという。
おそらくは日本人には、それほど珍しくない
小学校の光景が収められたこの作品。
例えば、児童による教室の掃除。
日本の小学校では、当たり前のことだが、
アメリカでは子供たちは教室の掃除をしない。
また、脱いだ靴をきれいに揃えることなんて
特に海外ではないだろう。
そんな勉強とは別の分野(特別活動)で、
日本人は協調性や秩序を学ぶ。
電車を待つホームで並ぶ日本人、
震災のような災害時でさえ、
順番を守り、秩序を守る日本人。
これらを小学校で身につけているというわけだ。
そして、この日本式の教育
「TOKKATSU(特活)」をエジプトでは、
8年前から取り入れだしたという。
国学院大学の杉田洋(ひろし)教授は
そのエジプトでのプロジェクトにも関わっておられるが、
映画の中で、杉田教授が教師向けに
講演するシーンがある。
そこで彼はこう言う。
「日本の集団性の強さ、協調性の高さは
世界が真似たいことの一つだけど
実はこれは諸刃の剣であることを
よく知っておく必要がある」
そう思う。
何ごとも、プラスとマイナス、明と暗が
あるのは当然で、避けられないけど、
この映画で描かれているのは、
日本式教育の「明」の部分だ。
監督が、日本の教育のよいところを
映画にしたくて作ったんだから当たり前だけどね。
もし、「暗」の部分ばかり、取り上げて
映画を作ったら「日本は小学生にとんでもない
教育をしている」と評されるだろう。
教師は子供をきつく叱ることも出来なく
なってきていて、社会に出てやっていける
人間を育てることが出来るのか。
教育というのは、本当に難しい事業だと思う。
映画の中でも教師がそういうことに
言及するシーンがある。
正解がないから、ずっと考え続け、
やってみるしかないんだろうな。
私が小学校に入学したのは、55年も前。
本作を観て一番驚いたのは、
生徒が帰った後、ルンバが教室を
掃除していたことね。
★★★★☆
映画 オフィシャルサイト
[ 参 考 ]
映画『小学校~それは小さな社会~』公開記念特別対談
〈杉田洋先生×山崎エマ監督〉「TOKKATSU(特活)は教育を変える」
2024.12.29
さとしん ライヴ
今年は、時間があってライヴもできるかなと
思ったけど、結局、12月になってようやく
今年最初で最後のライヴとなった。
昨年は「マンディ・マット・ライブ」と
銘打って 月曜日に何度か演れたけど、
それもフェードアウトしてしまった。
今日は、年末の忙しい時期にも関わらず、
大勢の方が来場してくださった。
ありがとうございます。
久しぶりの人にも会えて楽しかった。
演奏の方はというと、練習時には、
もう大丈夫やろと思うのだけど
本番では、いまだに練習した通りに
弾けなくて悔しい情けない思いだ。
この修業は、死ぬまで続くのだろうな。
ただ、アレンジのアイデアは、
中々良いだろうと自負している。
今回は『飾りじゃないのよ涙は』は
中々カッコ良いと思う(自画自賛)し、
『また逢う日まで』のゆったりボサ風も
割と気に入っている。
ギターは、ライヴで使うのは初の
VG のエレガット、EAR-01 NC Nylon 。
[ SETLIST ] カッコ内はオリジナル・アーティスト
1. カサブランカ・ダンディ(沢田研二)
2. メロディ(サザンオールスターズ)
3. 夜空ノムコウ(SMAP)
4. ディープ・パープル(五十嵐浩晃)
5. 街角トワイライト(ラッツ&スター)
6. Don’t Let Me Down(The Beatles)
--- 休憩 ---
7. 傷だらけの天使のテーマ [ソロ・ギター](井上堯之バンド)
8. よろしく哀愁(郷ひろみ)
9. また逢う日まで(尾崎紀世彦)
10. 初恋(村下孝蔵)
11. 君は薔薇より美しい(布施明)
12. 飾りじゃないのよ涙は(中森明菜)
EC. 愛燦燦(美空ひばり)
さとしん:
さとし(vo)
しんや(gt)
@ MAT COFFEE(渋谷)
2024.12.28
東京交響楽団 特別演奏会
『第九』 2024
今年最後のコンサートは、『第九』。
ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付」だ。
人生で一度くらいは、年末の『第九』を
生で体験しようと、今日はサントリーホールでの
演奏会に行ってきた。
『第九』は、日本では年末の風物詩とまで
言われるが、62歳になった今まで、
年末に『第九』を聴きに行ったことがなかった。
いや、年末でなくても『第九』を
生で聴いたことはなかった。
第4楽章の『歓喜の歌』の部分だけなら
何かで聴いたこともあっただろうけど、
交響曲としては一度も聴いていないんだ。
レコードでも通しで聴いたことがあるかどうか
記憶がなかったけど、今日聴いていて、
第1楽章や第2楽章のテーマにも聞き覚えが
あったので、中学生か高校生の頃にレコードで
聴いたことがあったのかも知れない。
オーケストラは、東京交響楽団。
指揮は、ジョナサン・ノットというイギリス人。
私と同じ年(62歳)だ。
このジョナサン・ノットの指揮する姿、所作、
手の動きが素晴らしかった。
芸術的で、情熱的。
そして何よりも美しい。
見惚れるような動きだった。
もちろん演奏も素晴らしかった。
席は、後ろの方だったけど、真ん中だったので
ステージ全体が良く見えて良かった。
世界中で愛され親しまれている『第九』の
メッセージは、全世界の平和。人類皆兄弟。
第4楽章の合唱の部分は、フリードリヒ・シラーと
いう人の「歓喜に寄す」という詩にべ―トヴェンが
メロディを付けた。
第1楽章から短調の重い感じで始まるが、
第4楽章でバリトンが唄い出す歌詞は
「おお友よ、こんな音楽はもうやめよう!
ここからはもっと快い喜ばしい音楽を
始めようようではないか」
この部分は、ベートーヴェンの作詞。
唄うのはソロの4人と合唱には、
100人ほどいたんじゃないだろうか。
力のみなぎる、結構な迫力の合唱だった。
知らずにコンサートのチケットを取ったけど、
なんと初演(ウィーン)が、1824年だった!
今年は、発表されてから
ちょうど 200年の節目だったんだ。
人類は、ずっと世界平和を唄っているのに、
いまだに戦争がなくならないのはどういうわけかね。
オーケストラの配置は、チェロ、コントラバスは
通常、ステージ上手だと思うのだけど、
今日は、下手から第1ヴァイオリン、
コントラバス、チェロ、第2ヴァイオリン、
ヴィオラという並びだった。
これは、合唱付きと関係があるのかな。
アンコールは、年末らしく『蛍の光』。
とってもドラマチックな『蛍の光』で、
ハミングの上に「2024年も終わろうとしてます」
みたいなアナウンスを入れたくなったわ。
『蛍の光』は、元はスコットランド民謡で
閉店や卒業式の歌なのは、
日本語歌詞のせいのようだ。
ところで、ベートーヴェンと言えば
耳が聞こえなくなった作曲家として有名だが、
この『第九』の作曲時には、ほとんど聞こえて
いなかったらしい。
高校1年生の夏休み、研究課題か何かで、
ベートーヴェンの本を2冊読んで、感想だか
レポートを書いたことを思い出した。
内容は何も覚えていないけど、
ベートーヴェンの人生に感動したことは覚えている。
[ 出 演 ]
指揮:ジョナサン・ノット
ソプラノ:安川みく
メゾソプラノ:杉山由紀
テノール:宮里直樹
バリトン:甲斐栄次郎
合唱:東響コーラス
合唱指揮:辻 博之
東京交響楽団
[ 曲 目 ]
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125 「合唱付」
(アンコール)蛍の光
@ サントリーホール 大ホール
鳴りやまぬ観客の拍手に応えるため、
何度目かの再登場のジョナサン・ノット
『第九』が、なぜ年末の定番となったか等、
第九豆知識は こちらを参照。
2024.12.26
答え合わせ
石田 明 著
お笑いコンビ「NON STYLE」の、
ボケ担当、石田明の著作『答え合わせ』。
表紙には「この1冊で NSC 1年分の
価値ありますけど逆に大丈夫ですか?」
という、令和ロマンの高比良くるまの言葉がある。
漫才の分析は、なるほどと思いながら
読んだけど、これは専門家やお笑いを目指す
若者にとっては、ためになる本だろう。
しかし、私のようなお笑いファンは、
その漫才がなぜ面白いかを解説された
ところで、そこにはあんまり興味がなかった。
しかし、本書を読んで「NON STYLE」の
漫才が特別好きではなかった私は、
石田への見方が変わってしまった。
読後に、改めて「NON STYLE」の
漫才を観ると、印象が違っているんだ。
彼らの漫才が、妙に深く見えだした感じ。
中高生のときにオタクのように漫才を
聴いていたけど、プロになろうなんて
思っていなかった石田。
自分は面白くない人間だと
決めつけていた石田。
父親が板前という理由で、父親に
認められたくて、板前の道に進んだ石田。
そんな石田が、友達に誘われて出場した
お笑いのオーディションで目覚め、初めて
自分で自分の人生を歩みだすくだりは
感動的でさえある。
しかし、吉本に入ったあとも、
うつ病になるほど苦しむことになる。
そういう経歴を経て、今の石田、
NON STYLE があるのだなと
漫才を観ながら、感慨深い心持になった。
彼の漫才への愛、相方・井上への信頼も
素晴らしいと思う。
★★★★☆
2024.12.25
むくり鮒
先日、妻の両親に会いに山形に行った際、
道の駅で購入した玉庭名物「むくり鮒」。
一つが5cmほどの 鮒(ふな)の子の料理だ。
アップ
これが、見た目のややグロに反して、
意外に旨い。
めちゃくちゃ美味しいと
いうわけではないが、見た目と鮒という
印象から考えると旨いと思う。
味は、ちょっと違うけど、
イワシの味醂干しに近い。
今では山形の内陸部でも海鮮物も
食べられるようにだったけど、
昔は日本海側でしか
食べられなかったんだろう。
妻の実家のある地域は、
海から遠いので、鯉や鮒などを食べる
食文化が発展したのではないかと思う。
スーパーなどで売っている、お惣菜の
中くらいのパックで、1,005円(税込)。
けして安くはない。
珍しい鮒(ふな)の郷土料理だが、
妻の話しによれば、子供の頃には
売っていなかったらしい。
そう言われれば、お土産物屋には
鯉の煮付けたものは、以前から売っていたけど
これは以前にはなかったような気がする。
もしかしたらだけど、一部の家庭では
食べられていたけど、そんなにメジャーな
ものではなかったのかも知れない。
「玉庭名物」の「玉庭」は、
妻の故郷の近くの地名で、
そこに住んでいた妻の叔母さんは
通称「玉庭のおばさん」で、もう故人だけど
私も何度かお会いしたことがある。
2024.12.22
落語―哲学
中村 昇 (著)
哲学者が落語を説くとこんな風になるんだと
驚きながら、読み進めた。
いくつかの落語を題材に、哲学的思考を
進めているのだが、そのひとつに
「粗忽(そこつ)長屋」があった。
「粗忽長屋」は、唯一私が演じたことのある落語だ。
高校1年生の時、クラブ(アンサンブル部という
合奏のクラブ)の催し物で、隠し芸として演った。
別の高校に通う、落語研究部に属する
小中学校時代の友人Yに教えてもらったんだ。
ストーリーは、こんな感じ。
八五郎が誰かが行き倒れで
死んでいるところに遭遇する。
よく見ると死んでいるのは、同じ長屋に
住んでいる熊五郎だ。
これは大変だ、熊五郎に知らせなきゃと
長屋に戻り、熊五郎に行き倒れの一件を話す。
熊五郎も自分が死んでいるような気がすると言って、
ふたりで死体を引き取りに行くという噺。
「粗忽」というのは、そそっかしいことで
あわてんぼうのことを「粗忽者」という。
落語ではよく出てくる言葉だ。
「粗忽長屋」は全くバカバカしい噺だが、
本書を読むとそんなに深い、哲学的な
噺だったのかと、驚く。
いや「粗忽長屋」が、深い噺だったわけではない。
著者、そして哲学というコンテクストが、
このバカバカしい物語を深いものに
読み解いてしまうわけだ。
全体を通して、哲学のエッセンスが
散りばめられており、私のような哲学初心者が
読むには、ちょうど良い。
難しくてよく分からないくだりもあったけど。
「子別れ」のついて書かれた部分に
興味深いことが書いてあった。
人は、自分が生まれた時のことや
乳幼児の頃のことを覚えていない。
大人になって、子供を持って、その子の
誕生や成長を通して、自分もこうして親に
育てられたんだ、と知ることができる。
それに対して、子は、親より長生きをする限り
親の死に立ち会うことになる。
子は、親の死を通して人間の死を知り、
そのプロセスにじっくり付き合うことになる。
「つまり親は、自分の過去を子によって知り、
子は、自分の未来を親によって知る」。
なるほど。
子供のいない私たち夫婦のような場合は、
子供の誕生や成長を身近に体験することがなく、
人の誕生や成長について、知らないことだらけで、
死んで行くことになる。
その分、人生が未完成のような気もしないでもない。
まあ、だからなんだということではないが。
「涙や苦衷に染まっていない哲学は偽物である」
という言葉が出て来る。
(「苦衷(くちゅう)」は「苦しい心のうち・
つらさ・辛苦」の意。)
落語には多くの「悲哀」がつまっているが、
哲学も同じだというのだな。
著者はこういう。
「人生における苦しさや悲しさの経験から
哲学や落語が生まれたのだから、この二つは、
双生児のようなものだといえるだろう。」
そこまで言い切れるのは凄いが、
本書を読むとこの言葉にも説得力がある。
もうひとつ、古今亭志ん朝さんが、
セロニアス・モンク(ジャズ・ピアニスト)を
聴いて「これは志ん生だなと思った」という
話が出て来る。
なんだか興味深くて、モンクも志ん生も
聴きたくなった。
私は この十数年で結構な数(二千席以上)の
落語を聴いてきた。
滑稽噺なら笑い、人情話なら泣く。
そんな風に言ってみれば、浅い理解と反応で
落語を聴いていたんだと思った。
結局、世界なんてものはあっち側にはなくて、
全部こっち側(自分の内側)にしか
存在しないのだから、こっち側の、
受取るセンスしだいで人生は豊かにも
貧相にもなるんだよな。
そのセンスは、自分で磨くしかないんだな。
★★★★☆
|