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 つつみしんやのひとりごと 
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2025.10.22

アンソニー・ジャクソン 逝く

アメリカのベーシスト、アンソニー・ジャクソン
(Anthony Jackson)が、10月19日に亡くなった。
73歳だった。

彼は自分の楽器(フォデラ製 6弦)のことを
「ベース」とは呼ばずに「コントラバス・ギター」と呼んだ。
最後にしていた仕事は、上原ひろみ、
サイモン・フィリップスとのトリオだった。
報道では「2017年に脳卒中とパーキンソン病による
療養のため、ミュージシャン活動を休止した」とあるが
2016年12月の「上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト」の
東京公演ですでに健康上の理由で出演をキャンセルしていた。
(代わりにフランス人ベーシストの
アドリアン・フェローが出演した。)
だから、2016年にはもうステージに立てなかったんだ。

私が、アンソニー・ジャクソンを初めて聴いたのは、
高校生の時(1979ー80年頃)に買った
LP レコード『Gentle Thoughts』だった。
メンバーは、リー・リトナー (g)、デイブ・グルーシン (keyb)、
パトリース・ラッシェン (keyb)、アーニー・ワッツ (sax)、
アンソニー・ジャクソン (b)、ハーヴィー・メイソン (ds)、
スティーブ・フォアマン (perc) という布陣。
このアルバムは、大好きで本当によく聞いた。

アンソニー・ジャクソンのプレイは、
上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクトで数回観たほか
マイク・スターンと来た時や、ジョン・トロペイとの
来日公演も観た。
あまり派手なプレイはしなかったけど、
独特なプレイだった。

73歳は、ちょっと早いなぁ。残念。
自分名義のアルバムを1枚も残さなかった、
偉大なるベースプレイヤーです。

また、ネオソウルの先駆者と呼ばれている
ディアンジェロ(D'Angelo)が、14日に亡くなった。
まだ51歳だった。

KISS のギタリストだったエース・フレーリー
(Ace Frehley)も 16日に亡くなった。
74歳だった。

合掌。


(追記 2025.10.23)
トリオ・ザ・プロジェクトのおふたりからの
アンソニーへの追悼の言葉が泣ける。
どちらも公式インスタに発表されたメッセージ。
英語は、(自動翻訳で)訳してね。

Simon Phillips -------------------------

I heard the news that we lost Anthony
with enormous sadness.
I was lucky enough not only to play
but also to spend quality time with him.
He had a mind full of remarkable knowledge.
He was scientific in his view of the World ?
loved technology, history, politics,
cuisine and of course music.

Jack Bruce, during my time with him,
in the 70s he would cite both Charlie Mingus
and Anthony Jackson as his favorite players.
I heard Anthony on so many records
but it wasn’t until 1982 that I got to meet
and play with him on the Al Di Meola
(Electric Rendezvous tour).
From the first rehearsal I knew that
he was an extra special player.
His precision alone was a huge lesson for me
and every time we played it made me
strive to play the best I could.

During that tour each night before the show,
AJ would not be in the dressing room
but sitting in the wings of the stage with his Walkman
and headphones listening to Rachmaninoff.
When it was time to play he would take
his phones off and walk onstage, pick up his bass,
sit down (as he always did) and
play the most ferocious performance.

At the end of the show,
while we all walked to the front of the stage
to take a bow, AJ would walk quietly offstage,
put his phones on and continue listening to Rachmaninoff.

In 2010 I received a call from Hiromi’s manager
about playing on her next album (Voice)
and when I heard that AJ would be playing
also I knew this project would be something special.

We traveled, performed and recorded together
for the next 6 years and it was a privilege to play
on the same stage each night with Anthony and Hiromi.
The enthusiasm he had for playing stayed
with him for all his years.
His stories of some of his experiences were
hilarious and enthralling.
He had a wonderful but gentle sense of humor.

His last few years must have been the greatest challenge
of his life but he accepted it with such a brave face.
He never complained and just dealt with it in his own beautiful way.

Anthony my dear friend ― we all miss you terribly.
Thank you for sharing your talents and
love with us all. RIP and shake the heavens with that low B.


上原ひろみ -----------------------------

Anthony, it is very hard for me to put it into words,
because nothing I can say will be enough to express
my love and respect towards you,
but I feel it is my duty to share some memories
for your fans since you were very shy in public.

I don’t need to talk about your music,
because everyone knows you are one and only,
and your music will be with us eternally.

I still want to talk about your musicianship though.
What I respected the most about you is,
you always gave everything you had at every show,
no matter the size of the show, attendance,
none of that mattered, just music, always music,
putting your soul in every note in every single show.
I’ve never seen anyone who cleans their instrument that much,
every show, detailed cleaning.
Pure love toward the instrument, ultimate commitment to his tone.

On the personal side, Anthony loved aircrafts,
he knew every model number of aircraft,
he was such a geek! When there was an aircraft model
that he liked the sound of the engine,
he would always come to my seat to tell me to
listen to the sound carefully.
He loved ham radio, we went to Akihabara (biggest
Japanese electronic town) to find the radio wave machine,
I had no clue what it was at the time.
He was such a historian as well, he knew
about every historic event exactly where and
when, year by year, we didn’t need AI,
we could just ask Anthony, he was Anthonikipedia.
I still remember the moment we got to sit next to
Jack Bruce in the restaurant in Lugano,
he was so excited like a little boy.
He loved Italian food, green tea, sushi, always so chatty,
we always had a great laugh together (even last week!),
so humorous, sometimes stubborn but super pure and loving.

I love you so much and I miss you already,
I wish I could say “on contrabass guitar,
Anthony Jackson” once again.
Thank you for everything you gave me,
and to the world.
Your music will stay with us forever,
and I will keep carrying your spirit.





2025.10.21

小柳淳子 (vo) × 村山義光 (g)



昨年の春、関西在住のジャズ・シンガー、
小柳淳子さんについて、ここに書いた。
30年ほど前、ほんの短い期間だったが
彼女と一緒に演奏したことがあったとか、
私が何度か出演したライヴハウス
「スターダイナ―」で彼女がアルバイトを
していたとか書いた。
書いてから、それが本当に小柳さんだったか
不安になって
「ご本人に会うことがあったら、訊きたい。
スターダイナ―でバイトしてたよね?」
と付け加えた。

そして、ついにその日がやって来た。
ギターの村山さんとのデュオで、
東京に来られて、小岩の BACK IN TIME という
お店でライヴがあったのだ。
一度はナマで観たいと思っていた村山さん。
そして、小柳淳子さん。

BACK IN TIME は、20席ほどの
小さなお店だが、今日は満席だった。

一部と二部の間に話せたので、
声をかけてみた。

「人違いだったらごめんなさい。
小柳さんって、30年ぐらい前、
スターダイナーでバイトしてませんでした?」

「スターダイナー」という言葉を聞いて
彼女の表情が変わったように見えた。
やはり私の思った通りだった。
「スターダイナ―」と聞いて、私のことを思い出したそうだ。
なんと、私のことを覚えていてくれていたとは。

「ツツミさん、電話くれましたよね。
なんか売れへんかって、誘われましたよ」
確かにそんなことをしていた時期もあったけど、
スターダイナーに出入りする頃にはもうやめていたので、
それは私ではないと思うのだけど、
何しろ30年前のことで、ふたりとも記憶がアテにならない。

まあ、長生きすると色々あるよね。
30年経って東京でこんな風に再会できるなんて、
思いもしなかった。
しかも彼女は、本物のシンガーになっていた。
村山さんにもご挨拶して少しお話し出来て良かった。

ライヴは、予想を超えて素晴らしかった。
村山さんのギターは、YouTubeで観るより
生で聴くとその変幻自在ぶりがよく分かる。
誰でもがこの人の伴奏で唄える訳ではないのは、
一目(一聴)瞭然。
柔なシンガーなら弾(はじ)かれてしまうだろう。
つまりは、ホンモノでないと唱えないと見た。
小柳さんは、ホンモノだと思った。
村山さんとは、長いらしいが
村山さんと同レベルで共演できることは
すごいことだた思う。
選曲もポップスは演らず全曲ジャズ。
小柳さんは、一部の始まる前に、
赤ワインをボトルで注文した。
ふたりで飲みながら演るのかと思ったら、
ワインは小柳さん専用だ。
かっこ良すぎ。
痺れたね。



曲は、"Love for Sale"、"Body and Soul"、
"Daydream"、"Bye Bye Blackbird"、
"Ain't Misbehavin'"、"Just Squeeze Me"、
"Just Friend"、"The Nearness Of You" など。

とても自由でスリリングだった。
ふたりとももっと認められるべきだと思う。

村山さんのリーダー・アルバムと、小柳さんの
オルガンとのデュオの CD を購入。


[ MEMBERS ]
小柳淳子 (vo)
村山義光 (g)

@ BACK IN TIME


[ 関連エントリー ]
2024.5.28 スターダイナ―でバイトしてたよね?





2025.10.19

見切り千両

そんなに政治には詳しくないのだけど、
最近の国民民主の玉木代表を見ていて
思うことがある。
結局彼は、自民党新総裁の高市氏からの
誘い(ホンマかどうかは分からんけど
大臣の座を準備してくれていた)に
即決しなかったため、その機会を逃した。
すぐに決めた維新の会に対して、
「二枚舌」などと言って、悲しいかな
一層評判を下げている。

世間では、「政策実現より、
総理になりたかっただけじゃないか」とか
「無能だ」とか叩かれている。
私は、国民民主支持でも
玉木さん支持でもないのだけど、
国民民主の幹事長・榛葉氏の会見は
いくつか見て、「この人いいなぁ」と思っていた。
分かりやすく言えば、言葉に「魂」が
こもっていると言えばよいのかな。
もちろん、相手は政治家なので、
それさえもがパフォーマンスである可能性は
十分にあるけどね。
一方で、現東京都知事や伊東市長を
例に出すまでもなく「この人、何言うてんの?」と
いう政治家は珍しくない。
それに比べたら(比べるのも失礼やけど)
榛葉さんは凄く良いと思う。
榛葉さんは、記者の質問にも真摯に答えるし、
誠実な印象で好感を持っていた。
「趣味は玉木雄一郎」と言うほどだったけど
結局、玉木さんをコントロールできなかったと
いうことなのだろうか。
それとも、玉木さんが奔放すぎるのか。
いずれにしろ残念やね。

今回の騒動を見ていて、
不動産の仕事をしていたときのことを
思い出した。

例えば 700万円で仕入れた物件を
1,000万円で売りたい、というか
売れると思っていたとする。
ところが中々買い手が付かない。
すると「800万円なら買います」という
買主が表れた。
1,000万円で売れると思っているので、
800万円では安いと思い。その申し出を断ってしまう。
800万円で売れたなら、100万円の
利益があるのに、欲をかいてしまうのが人間だ。
で、結局1,000万円では売れずに、
どんどん値下をしていって、結局600万円でしか、
売れなかった。
100万円損切って売ったことになる。
そんな話は、不動産では珍しくない。
長く持っているより損切ってでも
売ってしまった方が良い場合もあるのだ。

800万円で売っていれば100万円儲かったのに。
欲をかいたがために、結局損をしたわけだ。
おわかりの通り、これは決断力がものをいう。

このたびの玉木さんを見ていて
なんだか、そのことを思い出したよ。

あとから、800万円で売っても良いと
思った時には、お客さんはもう別の物件を
買っているんだよ。


見切り千両
相場の格言の一つで、「見切り千両、
損切り万両」といった使われ方もする。
含み損を抱えた株式などに対して、
損失の少ないうちに見切りをつけることは
千両の価値があり、損失を拡大させないために、
ある程度の損を覚悟で売買することには
万両の価値があるという例え。
出典:野村証券 証券用語解説集





2025.10.18

渡辺貞夫
meets 新日本フィルハーモニー交響楽団




三度目となる渡辺貞夫と新日本フィルのステージ。
実は今年はうっかりしていて、チケットを
買おうとした時にはすでに売切れていたのだけど。
9月の終わりに リセールで売りに出たのを
見つけてゲットしたんだ。
2階席の5列目(最後列)の端の方。
ステージからは遠いが、それほど見にくくはなく、
もしかしたら1階の最後列よりは見やすいかも知れない。

本日の見え方


さて、92歳の貞夫さんのライヴ。
1部はカルテット、2部は新日本フィルと。

4年前に 90歳で他界した父、
来月で 90歳になろうとしている母、
今年 90歳で亡くなった義母、
同じく今年 93歳で亡くなった義父のことを思うと、
貞夫さんは 92歳とは思えない。
すんなり人の名前が出て来なかったり、
オーケストラの名前を間違ってしまうのは
御愛嬌だろう。
貞夫さんのスケジュールを見ると、
来年の3月までのライヴの予定が埋まっているよ。

カルテット、オーケストラとの演奏、
どちらも素晴らしかった。
ドラムの竹村一哲さんのことは、
何度もここに書いてきたが今日も素晴らしかった。
ドラムソロ、増えたんやないやろか。
そして、ピアノの小野塚さんもとても良かった。
ソロがメロディアスで、好きだな。

個人的ハイライトは、カルテットの方は、
ちょいファンキーな『Lopin'』(Charlie Mariano)。
そして、オケとの演奏では、
『Sun Dance』(Dave Grusin)。
オリジナルより心もちテンポが速かったような気がする。
イントロの養父さんのギターが効いていたなー。
そしてもう1曲、『My Dear Life』!
これは、もうイントロで ウルウル。
これもまた養父さんのエリック・ゲイルな
とろとろなギターが良かった。

養父さんのギターは、Gibson ES-335 と
エレガットで、ほとんど1曲ごとに持ち替えてた感じ。

アンコールまでで、休憩を挟んで2時間30分。
貞夫さん、タフやなぁ。
1回ピアノ・ソロの最中に座ったけど、
それ以外は立ちっぱなしです。

次は恒例の12月のクリスマス・コンサート。
ラッセル・フェランテ (pf)、
ベン・ウィリアムス (b) を迎えて。


[ 出 演 ]
-- 第1部 -- 渡辺貞夫カルテット
・渡辺貞夫 (sax)
・小野塚晃 (pf)
・三嶋大輝 (b)
・竹村一哲 (dr)

-- 第2部 -- 渡辺貞夫 meets 新日本フィル
・渡辺貞夫 (sax)
・新日本フィルハーモニー交響楽団
・中田延亮(指揮)
・小野塚晃 (pf)
・養父貴 (gt)
・三嶋大輝 (b)
・竹村一哲 (dr)

@ すみだトリフォニーホール

[ SETLIST ]
-- 1st show --
1. Butterfly
2. Laura
3. Groovin' High
4. I Fall In Love Easily
5. Tree Tops
6. Lopin'
7. Tadd's Delight
8. Manhattan Paulista

-- 2nd show --
1. Tokyo Daiting
2. Early Spring
3. I'm With You
4. Only In My Mind
5. Samba Em Preludio
6. Eye Touch
7. Requiem For Love
8. Tembea
9. Sun Dance
10. Myb Dear Life
11. Life Is All Like That
-- Encore --
1. Harambee
2. Carinhoso(渡辺貞夫, 小野塚晃)





2025.10.17

ゴッホ展
家族がつないだ画家の夢

@ 東京都美術館




生きている間、その実力を認められることなく、
37歳という若さで自らこの世を去ったゴッホ。
売れた絵は1枚と言われているが、
これは事実ではないようだ。
ゴッホが画家として活動していたのは、
たった10年間なので、画家として世に
知られる前に他界したということなのだろう。

ゴッホを経済的にも精神的にも支えたのは、
弟のテオであったが、ゴッホの死後、
テオも兄を追うように 半年後に亡くなってしまう。

テオの死後、妻ヨーが膨大なコレクションを
管理することになり、ヨーは義兄の作品を
世に出すことに人生を捧げた。
テオとヨーの息子フィンセント・ウィレムは、
フィンセント・ファン・ゴッホ財団を設立し、
ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)の
開館に尽力した。
つまり、現代に日本でゴッホの作品を
観られるのも、テオ、ヨー、フィンセント・ウィレム、
この家族3人のおかげなんだな。

ヨーとフィンセント・ウィレムは、
ゴッホの作品が散逸しないように
管理しながら、上手く世界に広げ、
その価値を世界に認めさせていった。
世界中にファンがいるゴッホを思うと、
その手腕は、大したものだったと思う。

人びとの心を癒す絵画を目指し、
100年後の人びとにも自らの絵が観られることを
望んだゴッホ。
その夢を家族が引き継いで実現させたんだ。

今回のゴッホ展は、そのことに焦点をあてた
日本初の展覧会。

「アイリス」や「ローヌ川の星月夜」ほどの
インパクトのある作品はなかったけど、アルルで描かれた
「浜辺の漁船、サント・マリー・ド・ラ・メールにて」や
オーヴェール・シュル・オワーズで描かれた
「オリーブ園」「農家」は良かったな。

あと、ゴッホが影響を受けた作品やゴッホ家の
コレクション、日本初公開となるゴッホの貴重な
手紙4通なども展示されていた。
ポール・シニャックの「フェリシテ号の浮桟橋、アニエール」
という作品は水面が本当に光っているようで良かった。

平日なら比較的空いていると思って
今日(金曜日)に行ったのだけど、
結構混んでたよ。
外国人も多かった。


展覧会名 / ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢
会期 / 2025年9月12日(金)― 12月21日(日)
会場 / 東京都美術館(上野)





2025.10.16

カレーはスポーツだ! #90
贅沢セット / スパイスカレー食堂(五反田)
★★★★☆


2回目となるスパイスカレー食堂。
「南の島のマゼるカレー」というコンセプトで
色んな具材を混ぜながら食べる。
混ぜ方で味が変わるし、複雑な味を
楽しめるというカレーだ。
前回は「ブラックチキンカレー」を食したので
今回はふたつの味を楽しんでみようと思い
「ベジキーマ」と「シーフード」の相盛り、
その名も「贅沢セット」を注文。1700円也。



以前にも書いたけれど、カレーは不思議な
食べ物で ひと口目にそんなに美味しいと
思わなくても食べている間にどんどんと
美味しくなっていくことが珍しくない。
このカレーもそんな感じだった。

インドのカレーや、日本のカレーとは違うカレー。
小麦粉は使っておらず、脂もほとんど
使っていないので、カロリー低めでヘルシーと
いうのも売りだ。

「この一皿で人生が変わります」と
謳っているけれど、それは大げさにしても、
これは、また食べたくなるわ。






2025.10.15

BILL FRISELL TRIO
featuring RUDY ROYSTON
& THOMAS MORGAN




ビル・フリゼールのライヴに行ってきた。
なんと2019年以来6年ぶり!
6年前はライヴのほかに「スペシャル・
ギター・クリニック」にも参加して、
直接ビルに質問することも出来た。
そういえば、その質問が雑誌「JAZZ LIFE」に
取り上げられたので嬉しかったな。

その記事


さて、ビルのライヴ。
3日間6公演の初日 2nd ショー。
6年ぶりということもあってか、満席。
明日も明後日もソールドアウトだ!
今日は追加料金を払って、前から2列目の席。
今回のメンバーは、トーマス・モーガン(ベース)
ルディ・ロイストン(ドラムス)で、6年前と同じ。
長く一緒に演っているトリオだ。
そして、今回そのヘラジカのぬいぐるみはというと、
私の席からは、ドラムが視界を遮っていて
見えなかったのだけど、終演後 確認しようと
思っていてすっかり忘れていた。
終演後、ギターの写真は数枚撮ったので
写っていないかと見てみると...... あったよ!



分かりにくい写真だけど、
ヘラジカでしょう。
なんか凄いなぁ。
この6年の間にパンデミックもあって、その時は
きっとビルはツアーもなくなったのだろうけど、
ずっとヘラジカを大事に持ってたんやな。
これはステージのお守りやからなぁ。

プレイの方はというと、1曲目のルーパーを
使った不思議なイントロダクションから
約65分間、ノンストップ。
一度も止まることなく、
メドレーで5曲か6曲だったと思う。
相変わらず、唯一無二、独特の世界です。
時々ルーパーを上手く使って、トリオ以上の演奏。
メンバーを見つめて嬉しそうにするビルの笑顔が平和。
アンコールは『When You Wish upon a Star』。

ギターは、オリジナルシェイプのピックガードに
鳥のイラスト(PRSみたい)のある
J.W.Black のテレキャスター・タイプ。
黒色に見えたけど、たぶん合ってる。
毎度、ビグスビー付きね。







そういえば、65分+アンコールまで
一度もチューニングしなかった。


[ MEMBERS ]
Bill Frisell (g)
Thomas Morgan (b)
Rudy Royston (ds)

@ Blue Note Tokyo
2nd show


前述の2019年のギター・クリニックについて、
このたび、そのときの様子がブルーノートのサイトにも
アーカイブとして残っているのを発見した。
 ↓
[イベントレポート]ビル・フリゼール
スペシャル・ギター・クリニック


こちらにもQ&Aが書かれているが、
JazzLife より だいぶん短くまとめて書かれている。
会場の様子の写真には、よく見ると
私のハゲ頭の後頭部が写っているよ。


[ 関連エントリー ]
2017.1.12 CHARLES LLOYD & THE MARVELS
2017.6.15 BILL FRISELL: WHEN YOU WISH UPON A STAR
2019.6.8 BILL FRISELL TRIO
2019.6.10 BILL FRISELL Special Guitar Clinic
2019.9.27 JAZZ LIFE の記事 と(笑)





2025.10.15

カレーはスポーツだ! #89
チキンカツカレー / カレーの家(池袋)
★★★▲☆


先日、池袋に行った際、カレーを食べたくなり
探して見つけたお店「カレーの家」。
揚げモノをトッピングしたメニューが
中心だったので、チキンカツカレーにしてみた。
税込1,030円也。



店内スタッフは、全員外国人の様子だ。
スタッフ同士は、何語か分からない言葉で
話しているが、接客の日本語はしっかりしている。
店内は昭和な雰囲気もあり、池袋の雑多な
空気と相まって、ともすれば異国の様なカオスも感じる。

カレーは辛口もあったのだけど、
レギュラーを選んでみたら、やや甘め。
ポークベースのルーで、タマネギも形を残している。

食券を買うタイプのお店で、
ファストフードっぽい店構えだが、
チキンカツはオーダーを聞いてから
衣を付け、揚げていた。
皮なしの胸肉がサクッと揚げられている。
チキンカツは、絶対それが良いね。





2025.10.14

バラスト

私はミュージシャンになりたかったために
(それもあるけど、今から考えると
ただ生活のために働くのがイヤだったために)
20歳で専門学校を卒業してからも就職しなかった。
初めて就職したのは29歳だった。
おかげで、数々のアルバイトを経験した。

学生時代も含めると、楽器店スタッフ、
喫茶店ウエイター、喫茶レストラン厨房スタッフ、
焼き鳥屋、魚屋、八百屋配達、酒屋配達、
イベント音響・照明、ゲームセンタースタッフ、など。
珍しい所では、マジシャンの格好をして、
商業施設でビラを配るというのもあった。
その時は、ただ配るのは面白くないので、
じっとし動かずマネキン人形の振りをして
人が近づいて来たら突然ビラを渡して
驚かしたりして、楽しんだ。
もちろんギター演奏でギャラをもらったこともある。
そんなアルバイトのひとつに鉄道の軌道工事の
バイトがあった。

最終電車が走り終わった後、
始発電車が動くまでの数時間、
線路の整備をするアルバイトだ。
働くのは深夜である上、肉体労働なので
日給が良くて、そのバイトを選んだ覚えがある。
いくらだったかは覚えていないけど。

夜11時頃に集合場所に行くと、
車に乗せられ現場に向かう。
今日の現場がどこかとか、一々知らされなかった。
どこに向かっているのかも知らない車に乗るんだ。
どこでも関係ないからね。
着いたら京都のずいぶん遠い所だったりしたこともあった。
日によっては、その京都のように、移動時間が長く、
作業はほんの2、3時間で終わる日もあった。
(始発が動き出す前に 仕事は終わるから。)
そんな日は「ラッキー」と思ったものだ。
私は体力がなかったので、きついアルバイトだったけど。

もう35年ぐらい前の話しで、詳しくは覚えていないけど、
一番辛かったのは、バラストをほぐす作業。
バラストというのは、線路の下にある石のこと。
時々、ほぐしたり交換しないと列車の揺れが酷くなったり、
運行に不具合が生じたりするんだ。
そのほぐし方が、ドリルみたいな機械を
線路の下の石の中に突っ込むのだけど、
これがもの凄く力のいる作業で、私にはとてもできなかった。
機械を操れないので、棒状のものを石の中に
突っ込む手作業になる。
力のない私は、ほとんど役に立たず、
帰りの車の中で、それなりに自己嫌悪に陥ったものだ。

先日深夜に、NHKで新幹線の特集番組を観た。
私がアルバイトしていたのは、JRの在来線で、
新幹線とは訳が違うだろうけど、バラストの交換作業の
映像を観ていて、あの頃を思い出した。
今では、かなりの部分を機械が担っており、
新幹線開通当時に比べると
人間の数は半分でバラストの交換ができるらしい。

人生で安全靴を買ったのは、
あのアルバイトが最初で最後だ。
現場に向かうハイエースの中での心境は
他では味わえないものだった。
今となっては、青春(というほど若くなかったけど)の
1ページの思い出だ。
「〇〇な思い出」と書きたいのだけど、
上手く言語化出来ない。
「甘酸っぱい」ではなく「つらい」でもない。
ちょっと胸が締め付けられる感じ。

大手運送会社の営業所で、入ってくる大型トラックの
荷下ろしのアルバイトをしていたこともある。
結構ハードな仕事で、それも時給が良かった。
腕の力がないため、荷物がガンガン足に当たり、
初日が終わると、足が青あざだらけだった。
誰も使っていなかったけど、野球のキャッチャーが
すねに付けるプロテクターが置いてあって、
何のためだろうと思ったが、青あざを見て意味が分かった。

そのアルバイトに向かう車の中で、
カセットで長渕剛のアルバム『JEEP』を聴いていた。
何も確かなものがなく、自分がどこに向かっているのかも
よく分からずに、長渕の『西新宿の親父の唄』を
カセットに合わせて大声で唄っていた。

「やるなら今しかねえ
やるなら今しかねえ
65歳の親父の口癖は
やるなら今しかねえ」

結局、やらなかった私は、
もうすぐ65歳になろうとしている。

軌道工事のアルバイトと並んで、
上手く言語化出来ない「〇〇な思い出」だ。

嗚呼、青春。





2025.10.13

沖仁×大萩康司×小沼ようすけ
“TRES”




「TRES」は、フラメンコ・ギタリストの沖仁、
クラシック・ギタリストの大萩康司、
そして、ジャズ・ギタリストの小沼ようすけによる
ギタートリオ。

ライヴは、今日が4回目。
毎回とても素晴らしいので、今日は
相模女子大学グリーンホールまで観に行ってきたよ。
家から1時間位だからそれほど遠くないけどね。

覚えていないけど、発売からすぐに買ったんだろうか、
2月に続いて今日も前から3列目!
中央付近のとても良い席だった。

1曲目は、2月のライヴで聴いて
「ぜひ CD 化して欲しい」と書いた
『アルハンブラの思い出』。
やはり素晴らしかった。
アレンジした大萩さんが「半年前より進化している」と
いうようなことを言っていたけど、
この3人だからこその演奏で、本当に良かった。

続いて、それぞれのソロ演奏。
大萩さんは、私が初めて TRES を聴いた時に
しびれた『そのあくる日』。
キューバのレイ・ゲーラの作曲。
とても美しい曲だ。

続いて、沖さんは『My Favorite Things』と
自作の『Ilusion』のメドレー。

小沼さんは、トラディショナルな
『Isn't It Romantic』。
ルーパーを使って 独自の世界を展開。
会場で配られたプログラムには、小沼さんの
ソロ曲だけ曲名が書かれていなかった。
今日のリハでほかのふたりの演奏を聴いて、
数曲の候補の中からこの曲を選んだのだという。
高座に上がってから、演目を決める落語のようだが、
その日の空気や感覚で曲を選ぶというのも
ジャズの大きな要素だろう。
沖さんの演奏した『My Favorite Things』と
小沼さんの演奏した『Isn't It Romantic』は、
どちらもリチャード・ロジャースという人の作曲。

一部最後は、3人でアサド兄弟の
『招待(invitation)』。

休憩を挟んで、トリオの演奏で
『ブラジル風バッハ第1番』、『Bolero』、
『Flyway』、『地中海の舞踏』。
アンコールは、曲名が分からないけど
聞いたことのあるタンゴだった。
(『リベルタンゴ』ではない。)
二部も全部素晴らしかったけど
特に『Bolero』が良かったな。

小沼さんのギターは、Abe Rivera のフルアコ。
2月と同じくギターアンプに Henriksen の
The Bud SIX を使っていた。
あんなに小さなアンプなのにホンマにええ音。
もちろん、ギターも良いのは間違いないけどね。
The Bud SIX は、私も今年 買ったのだけど、
今まで買ったギターアンプの中で一番満足がある。
(一番高い!)



小沼さんは、一時期は髪の毛も伸ばして
ワイルドな感じだったけど、眼鏡のせいか、
最近は知的なイメージ。
なんだか貫禄も出てきた。

このトリオの活動は、ぜひ続けていって欲しい。
また聴きに行きたい。


[ MRMBERS ]
沖仁(フラメンコ・ギター)
大萩康司(クラシック・ギター)
小沼ようすけ(ジャズ・ギター)

[ SETLIST ]
1. アルハンブラの思い出(フランシスコ・タレルガ)
2. [大萩ソロ] そのあくる日(R.ゲーラ)
3. [沖ソロ] My Favorite Things ー Ilusion
 (リチャード・ロジャース、沖仁)
4. [小沼ソロ] Isn't It Romantic(リチャード・ロジャース)
5. 招待(invitation)(アサド兄弟)
― 休憩 ―
6. ブラジル風バッハ第1番(ヴィラ・ロボス)
7. Bolero(ラヴェル)
8. Flyway(小沼ようすけ)
9. 地中海の舞踏(アル・ディ・メオラ/パコ・デ・ルシア)
EC. ?

@ 相模女子大学グリーンホール 大ホール


[ 関連エントリー ]
2022.2.5 沖仁×大萩康司×小沼ようすけ "TRES”
2023.2.26 沖仁×大萩康司×小沼ようすけ "TRES Ⅱ"
2025.2.9 TRES Ⅳ 沖仁×大萩康司×小沼ようすけ





2025.10.12

ひゃくえむ。



私がマラソンに取り組んでいることもあるけれど、
どこかで「スポーツ哲学の映画」と読んで
面白そうだと思ったアニメ映画「ひゃくえむ。」を
観てきた。
先日、世界陸上が終わったばかりだしね。

以下、少しネタバレ含む。

生まれつき足が速く「100メートルで1位に
なれば、何でも解決できる」と生きている、
小学六年生のトガシ。
現実から逃げるために走り続ける転校生、
小宮にトガシは速く走る方法を教え、
やがてふたりはライバルになっていく。

小学生から、中学、高校、社会人と
ストーリーは進んでいき、
当然ながら、大人になるに連れ
トガシも挫折を味わう。

ラストは、日本選手権の決勝レース。
さて、勝つのは?

陸上競技に限らず、スポーツは勝ち負けの
世界だが、それを超えたところに、
スポーツの本当の意味と価値があるように思う。
単に主人公が勝って、めでたしめでたしでは
ないラストは、秀逸だと思う。

原作は、魚豊(うおと)の漫画。
調べてみると、魚豊はまだ28歳という若さだ。
大学では哲学を専攻していたが
2年で中退したという経歴の持ち主で、
登場人物に哲学的な台詞が多く面白い。

原作も面白いとのことなので
ぜひ読んでみたい。


★★★★☆


2025年製作/106分/G/日本
劇場公開日:2025年9月19日





2025.10.11

BRIAN BLADE
& THE FELLOWSHIP BAND




先日、武道館で観たノラ・ジョーンズの
コンサートでは、絶妙な歌伴のドラムを
聴かせてくれたブライアン・ブレイドの
ライヴを観てきた。
「BRIAN BLADE & THE FELLOWSHIP
BAND」という名義で、4日間8公演も
あるのにソールド・アウトという大人気。
少しだけチケットが残っていたのが
今日の1st show 。
もともと今日は、チャボ・バンドのライヴを
予約していたけれど、土曜日のため
ブライアン・ブレイドのライヴの時間が
早かったおかげで 両方観ることができた。
それぐらい、ノラ・ジョーンズのときの
ブライアン・ブレイドが良かったんだ。

ブライアンのプレイは、なんと表現すれば
良いのか言葉が見つからないのだけど
「密度が濃い」という感じ。
パワフルというのとは違って、
エネルギーがギュッと詰まっている様な演奏だ。

1曲目、ブライアンのブラシのソロで
始まったのだけど、すぐにそんな風に感じた。
そして、演奏中の表情も良い。
MC のトーンなんかも合わせて、
たぶん人格的にも素晴らしい人ではないかと想像する。

バンドは、サックスが2人とピアノ、ベース、
ドラムのクインテット。
テナーサックスとアルトサックスの
ふたりのハーモニーも良い。
アンコールでジャズには珍しい
『500 Miles』を演ったのだけど、
あのメロディを聴き入ってしまった。


[ MEMBERS ]
Brian Blade (ds)
Melvin Butler (ts,ss)
Myron Walden (as,bcl)
Jon Cowherd (p)
Roland Guerin (b)

@ Cotton Club
1st show




CHABO BAND
First appearance [リーリン&ロッキン]



今日は、久しぶりのライヴのはしご。
チャボ(仲井戸麗市)は、つい一昨日に
75歳になった。
75歳にしては、若々しい。
いくつになっても、ピュアで少年の様な
人だろうと想像する。

チャボの音楽は、洋楽の影響も
大きいはずなのに、どことなく日本の
フォークソングの匂いもする。
RCサクセションに参加する前は
「古井戸」というフォーク・デュオをやっていた。
『さなえちゃん』って曲、覚えてる?
「大学ノートの裏表紙に
さなえちゃんを書いたの」って歌詞の曲。
チャボは、ブルースを歌ってもとても日本的だ。
それが彼のオリジナリティとなり、
味となっている。

今日は、自身のソロの曲、カバー曲、
RCサクセションの曲、RCのあと 清志郎と
作った曲など、新旧取り混ぜてのセットリスト。
本編ラストの『雨あがりの夜空に』は、
グッと来たなぁ。
この曲でウルウルするなんて、
高校生時代には考えられへんかったわ。
バンド全員で順番にヴォーカルを
担当するねんけど、これがまた良かった。
ギタープレイもこの曲は、他のと違うように聞こえた。
何しろ45年弾いているだろうからね。

あと個人的に良かったのは、
ブルース・スプリングスティーンのカバーで、
『Waitin' on a Sunny Day』。
日本語カバーだったけど、とても良かった。
オリジナルも聴きたくなった。

チャボのギターは、テレキャスター・タイプ。
フェンダーっぽかったけれど、ヘッドに
ブルーの印が見えたので、たぶん Amrita Guitar。
日本製で、以前、チャボが 雑誌で
ここのギターをべた褒めしてたのを読んだ覚えがある。
ボディには、ステッカーが何枚か貼られており、
J.L&C(ジョニー、ルイス&チャー)のステッカーが
2枚も貼られていたよ。
『You Gotta Move』で、Kヤイリのエレアコを使用。

素晴らしいと思うのは、70歳を過ぎても
アルバムを発表していること。
(昨年、『Experience』リリース)
中々出来ないですよ。
新しい音楽を創り続けるって。


[ MEMBERS ]
仲井戸麗市 (Vo,Gt)
早川岳晴 (Ba)
河村“カースケ”智康 (Dr)
斎藤有太 (Key)

当初キーボードは、Dr.kyOn だったが、
体調不良で斎藤有太に交代。

@ Billboard LIVE Tokyo
2nd show

[ SETLIST ]
1. よォーこそ
2. 打破
3. 逃亡者 '69
4. 毎日がブランニューデイ
5. Little Wing <cover>
6. You Gotta Move <cover>
7. Rain Fall Down(雨) <cover>
8. やせっぽちのブルース
9. Waitin' on a Sunny Day <cover>
10. 雨あがりの夜空に
EN.
11. アイコ・アイコ <cover>
12. Resilience

カジュアル席だったのだけど、オペラグラスを
持参したおかげで、ステージ上の
セットリストが読み取れた。





2025.10.10

舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」芸劇オータムセレクション
Mary Said What She Said



イザベル・ユペールの一人芝居、
『Mary Said What She Said』。

イザベル・ユペール(Isabelle Huppert)は
フランスの女優。
彼女について、というかフランスの映画界について
私は詳しくはないのだけど、2016年に観た
『アスファルト』という映画で彼女を知った。
この映画がとても良かったので、
劇場で2回観たほど。
で、その『アスファルト』に出ていた
イザベルが、一人芝居をするというので、
興味を持ったんだ。

「従妹エリザベス一世との権力闘争に敗れた
16世紀の悲劇のスコットランド女王、
メアリー・スチュアートの処刑前夜。
陰謀と策略に翻弄された数奇な一生を
振り返り、溢れ出る内面と葛藤、
そして依然として戦い続ける女王の姿を、
詩的な言葉と鮮烈な視覚演出で描き出す孤高の世界。
イザベル・ユペールの圧倒的な存在感と共に、
運命に抗い自らの言葉と意志を貫いた
一人の女性の姿が鮮やかによみがえる。
極限の演技と演出美を体感する、
唯一無二の舞台体験!」


これが、本作の説明文。
フランス語による上演で、日本語字幕があるとはいえ、
私には馴染みが超薄い、中世ヨーロッパのお話し。
イザベル・ユペールをナマで観られるので
興味を持ったものの、理解できるやろか、
ストリーについてけるやろかと不安を持ちながら
鑑賞に臨んだ。

不安は、的中した。
緞帳が上がると、イザベルが後ろ向きに立っており
シルエットだけが浮かび上がっている。
舞台には彼女以外、小道具などはなく
背景は無地で照明による演出がされている。
私はてっきり、その舞台の無地の背景に
字幕が映し出されるものと思い込んだ。

ところが、彼女が喋り出したのに、
一向に字幕が出ない。
あれ? 何か故障じゃないの?
一旦止めた方がええんちゃうの?と
思うが止まる気配はなく、台詞は進んでいく。
数十秒、もしかしたら1分以上経っていたかも知れない。
ようやく暗い会場に慣れてきた私の目は、
ステージの両サイドに電光掲示板のようなもので
字幕が表示されていることに気付いた。

しかし、演出のためからか、字が暗い。
そして、小さくて読みにくい。
イザベルの台詞は結構なスピードなので、
読みにくい字幕を読もうとするも、
読み終えぬうちに字幕はどんどん変わって行く。
それに、イザベルを見ていると字幕が読めず、
字幕を見ているとイザベルが視界から
外れるという状態。

そして、冒頭を聞き逃したためか、
聞いていたとしても同じだったか分からないが、
字幕を読めても、何の話が全く分からない。

わぁ、これはあかんわ。
何やわからんで。
参ったなぁ、と思ったがどうしようもない。

開演からたぶん5分以上か
もっと経っていたかも知れない。
突然、ステージの上部にも字幕が
表示されていることに気付いた。
なんで今まで目に入らなかったのだろうと思うが、
言ってみれば、ステージの外なんだな。
かなり視線を上に上げないと読めないんだ。
やはり字幕とイザベルを同時に
視界に入れることはできない。
字幕を読めるようにはなったものの
その時点では、話の内容は全く分からず。
全く分からない台詞の字幕を読んでいると、
突然、睡魔が…...。

90分ほどの公演で、30分以上はウトウトしていただろう。
結局、話の中身は、なんだかよく分からないままに終わった。

ただ、分かったことがある。
イザベル・ユペールの凄さと存在感。
早口言葉のような台詞を
よくもまああれだけ、間違わずに連続で、
かまずに言えるもんだ。
もし、台詞を全て理解できたなら、
相当素晴らしい芝居だったんだろうと思う。

そして、もう一つ、
演出家のロバート・ウィルソン氏について。
彼も もちろん来日の予定だったが、
今年7月31日に83歳で逝去された。
私は、演劇の世界に疎いので知らなかったが、
ロバート・ウィルソンという人は、
ニューヨーク・タイムズに「アメリカ、あるいは
世界でも最も先端的な『演劇アーティスト』」と
評された人物で、「世界の現代舞台芸術を
牽引する偉大なアーティスト」という肩書が
付くような人物だった。
始まってすぐに、音楽と照明だけの
演出の素晴らしさに気付いた。
余計なものは一切ない。
あるのは、光と影と音楽、そしてイザベルだけ。
ロバート・ウィルソン氏が、それだけ評価されて
いるのも素人の私にも分かるほどだった。

厳密には、もう一人イザベルと同じドレスを着た女性が
登場するし、椅子やスモークも使われるんだけど、
基本的に何もない。

音楽は、ルドヴィコ・エイナウディという人で、
『最強のふたり』、『三度目の殺人』(是枝裕和監督作品)、
『ファーザー』、『ノマドランド』などの映画音楽も
手がけてきた人。

原作(ダリル・ピンクニー)、演出(ロバート・ウィルソン)は
アメリカ人、出演(イザベル・ユペール)はフランス人、
音楽(ルドヴィコ・エイナウディ)はイタリア人という
国際的なチームなんだ。

一体どれだけの日本人がこの芝居を理解できたのかと
思うけれども、フランス語が分かる人や、
メアリー・スチュアートについて、詳しい人には
本当に素晴らしい芝居だったのだろうと
終演後の拍手を聞いて推測する。
ただ、いきなりスタンディング・オベイションではなく、
鳴りやまぬ拍手の中、イザベルが何度も
出て来るうちに立ち上がる人がポツポツ
増えて行ったという感じだった。

公演は、今日が初日で明後日12日まで。
明日は昼夜2回公演、明後日は1回の
合計4公演。


演出・舞台美術・照明:ロバート・ウィルソン
出演:イザベル・ユペール
作:ダリル・ピンクニー
音楽:ルドヴィコ・エイナウディ

@ 東京芸術劇場 プレイハウス(池袋)


Mary Said What She Said





2025.10.8

高中正義
SUPER TAKANAKA WORLD LIVE
2025-2026




1年に一度は、観たいアーティスト、高中正義。
(前回は昨年9月21日 @日比谷野音)
今年72歳になられ、オールバックに固めた髪の
頭のてっぺんは、悲しいかな地肌が見える。
髪の毛のことは、人には言えないけど。

今年3月には、30年ぶりのLA公演を実現させた。
来年はオーストラリア、ニュージーランドなどの
ワールドツアーも決まったという。
ますます精力的な72歳だ。

本日の会場は、LINE CUBE SHIBUYA。
以前の渋谷公会堂の跡地に
建てられたコンサート・ホールだ。
始まる前から「高中コール」で会場の
ボルテージは最高潮!
私は 2階席だったので、1階席が
良く見えたのだけど、1曲目『Blue Lagoon』で
1階席はいきなり総立ち!凄い!
(歌なしで)ギターだけでこれだけ聴衆を
熱くできる人は、ジェフ・ベック亡き後、
この人だけではないのか。
50年にわたって「TAKANAKA」という
ギターミュージックを続けてきた
唯一無二の存在だ。

曲は『Blue Lagoon』に続き
『Radio Rio』、『Beleza Pula』、
『渚 モデラート』、『トーキョーレギー』、
『Oh! Tengo Suerte』など、
お馴染みの曲が続く。
本編最後は『Ready To Fly』。
アンコールは、サーフボードギターを
持って登場し『Jumping Take Off』。
オーラスはドラマティックに
『You Can Never Come To This Place』。
アンコールまで入れて2時間10分ぐらい。

いやホントにスゴイ。
ファンサービスもあるし。
前にも書いたことがあるけど、
この人の場合、なぜか演奏中に
「がんばれ!高中!」と応援したくなる。
Char さんや 山下達郎氏、キー坊(上田正樹)の
場合は、そんな風には思わないのだけどね。
もしかしたら、それも人気の秘密なのかな。
今日は、いつもより女性の声援が多く
「大好き!」とか「愛してる!」とか聞こえたよ。

ギターは、濃いブルーの YAMAHA SG と
赤褐色の SG。
それに ストラトキャスターが1本。
私も所有していたことがあるが、
YAMAHA の SG は重い。
たびたび高中氏が MC で「SG 重い」と
言うのを聞いたファンが軽い SG を
作ってプレゼントしたらしい。
どうやら今日使っていた赤褐色の SG が
それで「SG KARUIZAWA 紅葉」という
名前のようだ。
(詳しくは、後記リンク記事を参照。)

バンドは、いつもの安定のメンバーに加えて
あらたにキーボードに高本(こうもと)りな。
まだ若そうな女性で、結構激しめのソロも
弾いていた。

高中氏は、海外の人気も高く、最近では、
YouTubeで驚異的な再生回数を
叩き出しているらしい。
アメリカでは、初期のアルバムも
発売されていているらしい。
確かに 外国人客が多かった。
私の前の席の外国人は、途中で
スタッフに注意されてもなお、
動画や写真を撮っていたよ。
この人が、手拍子の音は めちゃくちゃ大きいのに
リズム感が悪いのには閉口した。
外国人はリズムが良さそうに思うけど
それは偏見やわ。

それにしても、高中の70歳過ぎてワルドツアー。
凄いわ。


[ MEMBERS ]
高中正義 (g, vo)
井上薫 (key)
髙本りな (key)
岡沢章 (b)
宮崎まさひろ (dr)
斉藤ノヴ (per)
AMAZONS(大滝裕子、吉川智子、斉藤久美)(cho)

@ LINE CUBE SHIBUYA


本日の見え方(開演前)

2階席 2列目の一番端。


[ 関連記事 ]
高中正義、白熱のL.A.公演とニュー・ギターを語る






2025.10.6

高市さん姉ちゃん

高市さんが自民党の総裁に選ばれた。
女性が自民党の総裁になったのは
初めてだという。
女性が国家首席、首相の国は
世界に27しかないそうだ。
100以上の国で、一度も女性が
国のリーダーになったことがない。
日本もそのひとつだ。

女性が男性と比べて不当に冷遇されて
いることに関しては、改善すべきだと考える。
一方で男女平等に関しては、
女性と男性は、役割が違うとも思う。
それぞれにしかできない仕事、
それぞれに向いている仕事があるだろう。
その考え自体が、最近では時代遅れのように
言われている気がする。
確かに更新すべき古い考えもある。
でも、何もかもが男女同じようである必要は
ないのではないか、とも思う。
例えば、世界の国家主席の半数が女性に
なったとして、それが理想の世界なのか
私には分からない。
女性の国家主席が生まれない国は、
遅れているということなのか
私には分からないんだ。

高市さんのような人は、
政治家に向いているのだろうけどね。

女性が自民党の総裁になったというのに、
それを快く思っていない女性がいる。
面白いなぁ。

ところで、少し前まで、私は高市さんに
対するイメージが あまり良くなかった。
今となってはそれは何者かの意図的な
報道を繰り返し見たからのような気がする。
または、自分が何か思い込んでいたような気がする。
今も高市さんを全面的に
支持しているわけではないけど、
同じく総裁候補だったK氏よりは良いでしょう。

さて、高市さんは1961年3月7日生まれ。
昨年他界した私の姉は1960年8月生まれで
高市さんと同級生だ。
癌になり、早々に人生の幕引きをした姉。
これから益々国のために仕事をしようと
思いを語る高市さん。
寿命は、自分では選べないとしたら、
何がこれを決めるのだろうね。

先日、10月2日は姉の命日だった。
あっという間の一年で、時の流れの速さに驚いてしまう。
仏教では「一周忌」という。
私の実家では宗教がなく、
私も宗教を持たずに育った。
父の生まれは金光教の教会で、
こちらは神道なので「一年祭」と呼ぶ。
「忌まわしい」という字を使わずに
「祭り」である方が、なんとなく明るくて
姉には 良いような気がする。





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