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2025.8.28
卒業44年
8年ぶりの同窓会
先日(24日)、大阪の某ホテル宴会場にて、
卒業から 44年経つ高校の同窓会が開催された。
クラスではなく、学年全体の同窓会で、
2006年、2011年、2017年に続いて四度目。
本来なら2022年、私たちが還暦を迎える年に
計画があったのだけど、コロナの影響で叶わなかった。
今回は 96人の卒業生と先生が3人参加された。
先生3人は70代80代だけど、お元気そうに見えた。
もうひとり、私の1年生2年生のときの担任
K先生も来られる予定だったが、体調が悪く欠席された。
確か今年88歳だと思うのでちょっと心配だ。
8年ぶりの開催だったのだけど、
今年はひとつ大きなトピックがあった。
今年4月から、同級生のひとりT君が、
その母校の校長に就任した。
もちろん彼も出席していて、校長先生らしい
スピーチを聞かせてくれた。
同級生の中にはT君の他にも教師になった者が
数名いるが、母校の校長になれる人は稀だろう。
1年生で同じクラスになり、卒業後も
しばらく仲の良かったK君。
彼は、同窓会初参加だったので、会うのは
たぶん35年ぶりぐらいだろうと思う。
彼の家には泊まったことも、彼が泊まりに来たことも
あったし、高校卒業後も学生時代は同じ居酒屋で
アルバイトをしていたので毎日のように会っていたものだ。
人生の限りが見え出して、K君にも会わないとと
思っていたので再会できたことはとても良かった。
また機会を作ってゆっくり会いたいと思う。
8年前の同窓会には出席していたのに
残念ながら他界した者もいる。
私が知っていた者だけではなく、
知らなかった者も数名亡くなっていたことを聞いた。
普段会っていないし、付き合いもない人の死は、
聞かされてもあまりリアルではない。
それでも、彼が、あいつが、もうこの世にいない、
会うこともない、と思うと人の命の儚さを
感じずにはいられなかった。
私は仲の良かった者と話すのはOKなのだけど、
あまり人間関係がなかった人と話すのは得意ではない。
しかし、今回は今までになく色んな人と話すことができた。
中には、面白くてもっと話したいと思う人もいたりして新鮮だったよ。
私は同窓会の発起人に名前を連ねているのだけど、
東京在住と言うこともあって準備を全く手伝っていない。
せめて当日ぐらいはと、少しはお手伝いしたけれど、
行ってみると挨拶や乾杯の音頭をとることになっていた。
前回もそうだったような気がするが、
今回もあまり気の利いたことが言えずちょっと悔しい。
次回の同窓会は、70歳だと7年も空いてしまうので、
3年か4年後に開催しようとなった。
それまで、皆んな元気でいるといいな。
私もね。
全員で記念写真

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2025.8.26
PASQUALE GRASSO TRIO

最近知ったパスクァーレ・グラッソという
ギタリストのライヴを観てきた。
パスクァーレ・グラッソは、1988年、イタリア生まれ。
祖国でクラシックギターを学んだあと、NYへ。
パット・メセニーが「最高のギタリスト」と
絶賛したこともあるらしい。
初来日で、公演は2日間4公演。
そのラストショーを観てきたけれど、満席だったよ。
座席は最前列。
下手側の端の方だったけど、トリオは上手からドラム、
ベース、ギターと並んでの演奏だったため、
パスクァーレ・グラッソまで3メートルもなかったと思う。
なにしろ、ギターを弾くときのフィンガーノイズが、
ダイレクトに聞こえる距離だった。
これはラッキー。
ギターは、ヘッドのロゴを見ても 分からなかったので
知らないメーカーだと思う。
トップには美しいフレイム。メイプル。
フローティングのミニ・ハムバッカーを搭載した
やや薄めのフルアコ。
ギターの裏に太ももで支えるための支持具を
吸盤で取り付けていた。(ギターリフトというみたい)
ネットで探したら、この写真を見つけた。

形も色もピックアップもブリッジもテイルピースも
指板のインレイもこれだったと思うのだけど、
ピックガードがこんな形ではなかったので
別の個体か、もしかしたら交換したのかもな。
アンプは Fender で、ノーエフェクト、アンプ直。
とてもまろやかなトーン。
上手いのは当たり前だけど、
弾き方、出音が丁寧で美しい。
速いフレイズでもきれい。
時々、もの凄く指を開いて、見たことのない
ストレッチフォームのコードを弾いていた。
あんなん無理。
やったらすぐに手首を痛めそう。
トリオは、3人共スーツにネクタイ。
ベースのアリ・ローランドは、
楽しそうで終始笑顔だった。
彼は全曲でソロのときはアルコ(弓弾き)。
ドラムのキース・バッラは、ブラシのソロが良かったな。
[ MEMBERS ]
Pasquale Grasso (g)
Ari Roland (b)
Keith Balla (ds)
@ Blue Note Tokyo
2nd show
2025.8.25
「頭がいい」とはどういうことか
ーー脳科学から考える
毛内拡 著

脳科学の研究者が書いた本。
「頭がいい」とはどういうことか。
この問いかけになんと答えようか。
いくつかの回答か思い付くので
思い着くままに書いてみよう。
● 勉強ができる、つまり学業の成績が良い。
● 問題に対し、誰も思い付かないような解決策を思い付く。
● トラブルが起きたとき、波風を立てずに治めることができる。
● 短絡的に物事を判断せずに多角的に見ることができる。
● 未来や他人の感情に対し想像力が働く。
● 「自分が正しい」と言い張らず、他人の意見を聴くことができる。
考えればもっと出て来るかも知れないけど
パッと思いつくのはそんなところだ。
誰でもそうなのかも知れないけれど、
私が誰かのことを「あの人は頭がいい」と
思うのは、自分が思い付かないようなことを
思いつく人なので、頭がいい・悪いは
自分を基準にしていることになる。
そして、上に書いたことはつまりは
能力のことだと思えてくる。
優秀な大学を卒業していながら、
「頭悪いんちゃうか」と思える人もいるので
「頭がいい」は成績のことだけではないように思う。
本書の最後には著者なりの「頭がいい」の
定義も書いてあったが、それはネタバレに
なるのでここには書かないでいよう。
でも、ヒントだけ書くと
「真に聡明であるということは
○○〇○○を知っていることにあります」
とあった。
全くそうだと思う。
逆を言えば、頭が悪く見える人は、
○○〇○○を知らないように見えるんだ。
興味のある方はお読みください。
本書の中で、私が興味深かったこと。
「知能」とは答えのあることに素早く
答えを出す能力。
「知性」とは答えのないことに答えを
出そうとする営みそのもの。
emotion についての記述。
Emotional Intelligence Quotient(EQ)は
日本語で「感情の知恵」と訳されている。
これは、人の気持ちを察するなど人間関係を
上手く築き、継続するための知恵と言える。
著者は「emotion」は「感情」ではなく
「情動」だという。
「感情」の英語は「feeling」だと。
「情動」は知らない言葉ではないけれど、
私は普段使わないので今一よく分かっていない。
何かが起きたとき、自分のマインドやボディに
起きることが「情動」で、それを言語化
したものが「感情」だという。
その自分に起きた「情動」を言語化する際に
求められることは、語彙である。
嬉しいにしろ、悲しいにしろ、色んな種類が
あるわけで、それを正確に言語化するために
必要なことを 著者は解像度と呼んでいる。
解像度が高いほど、正確に感情を表現できるわけだ。
それで思い出したことがある。
私は、知人の子供(当時小学生)と
数年にわたり、接していたことがある。
彼の感情表見の言葉は「楽しい」と
「かわいそう」のふたつであった。
それ以外の言葉を聞いた覚えがない。
もちろん子供だから、そんなに色んな
喜怒哀楽を表現できるとは思わない。
ある時、彼は一歳上のお兄ちゃんに
暴力を振るわれケガをした。
私は彼に「(お兄ちゃんに対し)腹が立たないの?」と
聞いたことがある。
彼は「腹が立たない」と答えた。
その時は、なんて心の広い子供だろうと
思ったのだけど、あとでよく考えてみると、
彼は母親に対しては癇癪を起こすこともあったわけで、
もしかしたら「腹が立っている」ことを
言語化できるほど自覚がなかったのかも知れない。
自分を振り返ってみても、子供の頃、
腹が立ったとして、何に対して腹が立っているのか、
正確に言語化できたとは思えない。
それは、大人になる過程で自分を観察し
語彙を増やすことで、あるいは、読書や映画鑑賞を
通して、人の感情を疑似体験することで
可能になることだろう。
つまり、自分の感情を正確に表現するには、
自己観察と語彙が必要なわけだ。
そういう風に観ていくと、情動を細かく
言語化できること(解像度が高い)も
頭がいいことのひとつだと思う。
情動に含まれるかどうか分からないけど、
感じたことを言語化することができない場合、
私たちは「なんとなくそんな気がする」
「勘だけど」という風に言うことがある。
本当に所謂第六感が働らくことも否定はできないけど、
本書を読んで「勘だけど」と言ったときの
いくつかのケースは、実は言語化できないなんらかの
情報をキャッチしているのかも知れないと思ったのでした。
その他にも興味深い話がいっぱいありました。
★★★★☆
2025.8.20
死 について
今年はまだ8月だというのに
すでに三回、葬儀に参列した。
こんなことは今までなかったような気がする。
三回というのは、妻の両親と友人の父親の葬儀だ。
3人とも 90歳を過ぎていたので、
大往生と言ってよいと思う。
先日、義父の火葬の日、友人から LINE が来た。
山形に来ていて義父が亡くなったと事情を送ったところ、
その友人から、癌だった友達(たぶん60代前半)が
前日に亡くなったと返信が来た。
癌の発見、余命宣告からたった2ヶ月だったらしい。
昨年は、私の姉と高校時代の同級生が亡くなった。
このふたりは、60代だったのでちょっと早かった。
また昨年は、友人の両親も亡くなった。
一昨年には伯母が、4年前には父が亡くなった。
この数年だけに限っても、ロバータ・フラック、
ロビー・ロバートソン、デヴィッド・サンボーン、マリーナ・ショウ、
坂本龍一、アーマッド・ジャマル、ジェフ・ベックなど、
好きなミュージシャンの死も後を絶たない。
芸能人や有名人だけではなく、親兄弟、友人が
亡くなることで、死をとても身近に感じるようになった。
「身近に感じるようになった」と書いてしまうと
いうことは「身近ではなかった」ということでもある。
しかし、本来死は常に身近であるはずだ。
何度かここに書いたけれど、以前読んだ本
「死を見つめて生きるために」の著者で自らエイズで
死の宣告を受けていたジョゼフ・シャープは、
私たちは「死につつある」 と書いている。
私たちは「いつか(遠い未来に)死ぬ」のではなく、
「いつでも死ぬ」ということをついつい忘れてしまう。
なぜなら、今日、明日、死ぬかもしれないと思って、
そんなことを意識して生きるのはしんどいからだと思う。
最近読んだ記事で知ったが、仏教に、
「死を明らめる」という言葉があるらしい。
「諦める」ではなく「明らめる」。
これは「自分が死ぬ存在であるということを
明らかにして生きなさいという教え」だという。
私たちは、死という自然現象を忌み嫌い、
覆い隠すように生きている。
しかし、自分が死ぬことを明らかにするならば、
死を忌み嫌ったり、覆い隠したり、遠ざけては生きていられない。
いつ死んでもおかしくないことを意識すれば、
つまり、明日死ぬかもしれないと考えたなら、
今日をどう生きるか、真剣に考えざるを得ない。
死ぬことは問題ではなく、生きることこそが問題なのに
ついつい、まだまだ時間があると今日の時間を
大切に使わない自分がいる。
命と言うのは、イコール時間のことでもあるのに。
「明日死ぬかのように生きなさい。
永遠に生きるかのように学びなさい」
これは一般的にガンジーの言葉だとされているけれど、
ガンジー以前からあった言葉だという説もある。
そんなことは、どっちでもええけど。
明日死ぬかのように生きるのも
永遠に生きるかのように学ぶのもどっちも難しい。
けど、若い頃より死が近づいていることだけは間違いない。
そう思うと、嫌な人と付き合っている暇はないし、
やりたくないことを我慢してやることも、
やりたいことを我慢する必要もないなと思う。
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2010.9.19 死を見つめて生きるために
2025.8.17
義父の死
8月13日。
山形の老人ホームにいる義父に
面会に行く日だった。
その前日、義父は39度を超える熱を出して
入院したので、老人ホームではなく、
病院に行くことになった。
病室で横たわる義父の顔には、
酸素マスクが装着されていた。
声をかけても応答はなく、意識はないようだった。
先月9日にも会いに行ったのだが、
その当日、誤嚥性肺炎で発熱し入院したので、
その日も老人ホームではなく病院を見舞った。
看護師さんが大きな声で起こそうとしてくれたけど、
義父は眠ったままだった。
もう93歳で、今年春に義母が亡くなってから
みるみる弱っていた。
先月の入院時、義父はもう退院することは
ないだろうと思ったのだけど、8月5日に退院した。
それから、一週間での再入院だった。
13日夜、妻のお姉さんの自宅で、
バーベキューをやろうと準備をしていた。
そろそろ食べ始めようかという時、
お姉さんの携帯電話が鳴った。
義父の具合が悪化したという知らせだった。
病院はコロナ感染の対策のため、
同時に登録した3人しか面会出来ないルールで、
私は昼間の面会を最後にしたので、
妻とお姉さんが病院に向かった。
21時頃、義父の容態が落ち着いたので、
ふたりは一旦家に戻って来たのだが、
30分もいただろうか、再び病院からの電話で
呼び戻された。
結局、義父は午前2時30分頃息を引き取った。
(医師の死亡確認は2時40分)
義父は娘ふたりに見送られて静かに逝った。
おそらく苦しむことなく。
先月の面会時にも、まるで私たち(というか
娘である妻)を待って入院したかのようなタイミング
だったけれど、今回は入院どころか、息を引き取る
瞬間まで、義父は妻が山形にいる時を選んだ。
私は、義父の娘たちへの思いやりを
感じずにはいられなかった。
お姉さんは山形に住んでいるけれど、
次女である妻は東京暮らし。
お姉さんひとりでは、大変だったろう。
姉妹が揃っている時の逝去は、
奇跡だと思うと同時に、これは、
姉妹への父親の優しさに違いないと思う。
15日、通夜。
16日、火葬。
16日に妻はどうしても外せないミーティングが埼玉であり、
収骨まで居られないかも知れない状況だった。
が、ことは順調に運び、火葬は予定より20分早く
始まり、妻は収骨に参加し、ミーティングにも
遅れずに参加することができた。
そして、最終の新幹線で山形に戻って来た。
そして今日17日、葬儀。
義父は大工の棟梁だった。
葬儀会場に飾る写真を選ぶので、
若い頃のアルバムを見たが、
大工仲間は所謂「◯◯一家」という感じで、
兄弟弟子や大工仲間と、とても仲良く
しょっちゅう集まりがあったり、一緒に旅行に
行ったりしていたようで、そんな写真が何枚もあった。
義父の兄弟弟子や大工仲間の多くは
もう既に他界しているが、その息子さんや、
高齢でもお元気な大工仲間が葬儀に
参列されていて、その絆の強さを感じた。
義父の他人様への面倒見の良さは、
以前から知ってはいたが、色んな方の話しから
「そんなことまでしていたの?」というような話も聞けた。
立派で豪快なお父さんだった。
あのお母さんと あのお父さんだったからこそ、
妻はあんな風に自由にユニークに育ったのは間違いない。
東京へ戻る新幹線を待つ米沢駅のホームで
妻がぼそりと言った。
「ふたりとも いなくなっちゃった」

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2025.7.30
Ichiro Suzuki's Hall of Fame
induction speech in English
ふだんは野球の試合中継を観るほどの
野球ファンではないけれど、今の大谷翔平や
イチローの活躍には、日本人として
関心を持たずにはいられない。
そのイチローが、日本人選手として初めて
アメリカ野球殿堂入りを果たした。
先日、ニューヨーク州クーパーズタウンで、
その表彰式典が行われ、イチローが英語でスピーチした。
テレビでは、ほんの一部を観たけれど、
YouTube ではノーカットで観ることができる。
約20分ほどのスピーチだけど、
「素晴らしい」以外の言葉が見つからない。
あれだけの記録・プレイを残して来た人だからこその
説得力のあるスピーチ。
プロであることの責任。
一切の妥協のない野球へのコミットと愛。
そして、ユーモア。
スピーチの途中で、何度も何度も拍手が起きる。
全編英語なのだけど、ひと言だけ日本語を使う。
これまた素晴らしい。
野球だけではない、とてつもない人間力を感じるね。
日本人として誇りです。
こちらで日本語字幕付きで観られます。
↓
最高!イチロー殿堂セレモニーのスピーチで大喝采
さて、大谷翔平がスピーチする時まで
生きていられるかな。
2025.7.29
最後の戦斗機

終戦後アメリカ軍が日本に上陸し、
我が国を占領したことは多くの日本人が
知っていることだろう。
マッカーサー元帥が厚木に降り立った、レイバンの
サングラスとパイプを加えた写真は有名だ。
沖縄の占領は、1972年まで続いた。
私は当時10歳だったが、薄っすらと
沖縄返還のニュースを観た覚えが残っている。
また、小学生の頃 少しだけだけど、
切手を集めていたことがあり、集めた切手の
中には小笠原諸島復帰(1968年)の
切手を持っていた覚えがある。
しかし、本州がいつまで米軍の占領下だったのかと
問われると、明確に知らない自分がいた。
調べてみると、1952年(昭和27年)4月28日の
サンフランシスコ講和条約発効で、GHQ は
活動を終了し解体された。
さて、1956年に製作された日活映画
『最後の戦斗機』。
終戦から11年後に作られた映画だ。
この時代、映画製作に関わる人々は
GHQ の監視はなくなったとはいえ、
どんな思いでこの映画を製作したのだろう。
明らかに、戦争・帝国日本軍に対する
アンチなセリフもある。
なぜ死なねばならないのか、という問いは、
同時になぜ戦うのかという問いでもある。
主人公の「死ぬのが恐いのではないのです。
犬死にしたくないのです」という言葉は、
当時、国に命を捧げた多くの兵士の本音では
なかっただろうか。
もちろん、そんなこと上官に向かって
口には出来なかっただろうけど。
戦闘シーンは、本物のニュース映像だろう。
画質は悪いものの迫力はある。
一部模型らしきシーンもあるが。
特攻に出撃するも、二度も生還してしまう
葉山良二演じる白井中尉。
特攻に出撃するということは、生きて帰って来るな、
ということでもあった。
彼の心の葛藤は、あまり細かく描写されておらず、
ストーリーは淡々と描かれている印象を受けるのは、
70年近い時代の感覚の差か。
感情を最も吐露するのは、白井に想いをよせる
海軍士官倶楽部「ちよもと」の女中、あきこ。
彼らは、何のために命を捧げたのか。
何のためにほとんど効果のない作戦に出向き
何のために海に散ったのか。
これは、人類がずっと向き合うべき課題だと思う。
そして過ちは繰り返され続けている。
今年は終戦80年。
★★★▲☆
1956年製作/90分/日本
公開年月日:1956/10/17
Amazon Prime Video で鑑賞
2025.7.29
『木の上の軍隊』と 山田裕貴
俳優、山田裕貴(やまだ ゆうき)、34歳。
この数年、テレビではドラマやコマーシャルで、
よく顔を見るようになった。
「目」が印象的な人だなと思っていたが、
映画『木の上の軍隊』を見て、俳優として興味が湧いた。
『木の上の軍隊』の感想を書いたエントリーにも
映画関連の YouTube 動画をふたつ紹介したけれど、
それ以外にも何本もこの映画に関する、
山田裕貴のインタビューなどを見て、
すっかりファンになってしまった。
発言を聞いていると、頭の良い人だと思った。
(完全に上から目線だけど。)
何本か動画を観ていて、彼がオールナイトニッポンの
パーソナリティ(月曜深夜)を務めていることを知った。
そして、昨夜のゲストが『木の上の軍隊』で
上官役として初共演した堤真一だと知り、
これは聴かなあかんと思い、数十年ぶりに
オールナイトニッポンを聴いたよ。
今は、ラジオがなくてもインターネットで聴けるんやね。
番組は、ふだん聴けないような話が満載で
とても面白かった。
堤真一って、坂東玉三郎の黒子をしてたんだ。
山田がぶつける質問の、堤の回答がいちいち深い。
堤真一が、坂東玉三郎に言われたらしい。
「上手い役者になりなさんな。
良い役者になりなさい」
これは、ミュージシャンはもちろん、
色んな職業に当てはまるなぁ。
山田は『木の上の軍隊』で、実在した、
沖縄県出身の佐次田秀順さんをモデルにした
安慶名(あげな)セイジュン という役演じている。
何かの動画で、虫が苦手で、虫NG だった彼が、
ウジ虫を食べるまでにいたる心境の変化を語っていた。
それは、撮影中にアリが自分の身体に登ってくるのを
見て、平和な普段の生活の中でなら、イヤだと
思っただろうけど、銃弾が飛び交い、いつ爆弾が
降ってくるか分からない環境では、虫のことなんて
なんでもない、どうでもよい、と思ったという言葉を聴いた。
虫がこわいと言えるなんて、なんて安全で幸福な
生活を送っているのかと、思い知ったという。
実際、メイキング映像には、撮影前半に
虫に触れず NGを出す彼が残っている。
たぶん誰もがウジ虫を食べられないけど、
本当に空腹になって、死ぬかもしれないとなったら、
食べるのが人間なんだと思った。
ちなみに、味はアサリの薄い味のような感じらしい。
(一部の民族では、重要なタンパク源だと
聞いた覚えがある。)
いや、虫を食べられることが重要なのではなく、
今の日本がいかに平和であるか、そして、
戦争が起きるとこの当たり前がすべて失われてしまう、
そのことへの意識を常に高めておかねばならないと思ったんだ。
戦争することのメリットって、誰にもない。
武器商人は儲かるのかも知れないけど、
それさえ、深い意味では、不幸でしょう。
『木の上の軍隊』は多くの人に観て欲しいと思う。
日本人だけではなく、外国の人も。
2025.7.26
木の上の軍隊

1945年、沖縄県の伊江島で、
戦争が終わったことを知らないまま、
約2年もの間ガジュマルの木の上に隠れて
生き延びた日本兵ふたりいた。
その実話から着想を得た井上ひさしが、
原案を作った舞台「木の上の軍隊」が
映画化された。
沖縄県では、6月に先行公開されたが、
全国では昨日公開された。
終戦を知らずにジャングルで生きたと言えば
グアム島のジャングルに28年間潜伏した
横井庄一さん、フィリピン・ルバング島の
ジャングルに29年間潜伏した小野田寛郎さんを思い出す。
実際には、横井さんや小野田さん以外にも
何人もの日本兵が、終戦を知らずに
ジャングルの中で飢えや病気で亡くなったのだと思う。
木の上で闘い続けたふたりの兵士のことは、
伊江島では誰もが知っている話のようだが、
私はこまつ座(井上ひさし関係の作品を上演する
劇団)の「木の上の軍隊」も知らなかったので、
今回の映画で知った。
映画では、実話をもとに創作も含まれているので、
お名前や細かいことは事実と違う点もあるようだが、
沖縄戦から80年の節目の年に公開された
映画のメッセージとしては、充分でずい分と
心を揺さぶられる映画だった。
そのふたりの兵隊、宮崎県出身の厳格な
少尉役に 堤真一。
伊江島で生まれ育った、新兵に山田裕貴。
ふたりとも素晴らしかった。
実際に痩せていく姿が痛々しく、
きっと撮影もハードだったことだろう。
虫が苦手で、虫関係はNGにしていたという
山田裕貴が、食べるものがなくなり、
ウジ虫を食べるほどの魂のこもった演技を見せる。
反戦の意味はもちろん、
あの戦争を忘れないこと。
生きることを諦めないこと。
先人たちが生き延びたから、
尊い命が続いていること。
平和が大事というのは、
言葉にすると陳腐だけど
人間は、愚かにも闘い続けている。
これは過去の話ではなく、現代にも通じる話だと思う。
昨日観た「国宝」とは違う意味で、
涙腺決壊だった。
監督・脚本を手がけたのは、
沖縄出身の平一紘(たいらかずひろ)。
★★★★★
2025年製作/128分/G/日本
劇場公開日:2025年7月25日
[ 参考動画 ]
『木の上の軍隊』メイキングドキュメンタリー(語り 山田裕貴)
『木の上の軍隊』公開記念舞台あいさつ
ところで、井上ひさし関係の作品を上演する
劇団は「こまつ座」という。
山形県出身の今年亡くなった妻の母は、
井上ひさしと小中学校の同級生だった。
妻の実家の近くのシャッターや壁には、
井上ひさし原作の「ひょっこりひょうたん島」の
イラストがいくつも見られる。
その町の名が「小松」なので「こまつ座」と
名付けたらしい。
郷土愛やな。
F1 エフワン

「トップガン マーヴェリック」に続く
ジョセフ・コシンスキー監督の作品と聞いて
きっと面白いだろうと思っていた映画『F1』。
年老いたカーレーサー、ソニー・ヘイズ役に
ブラッド・ピット。
若いルーキーのレーサー、ジョシュア・ピアス役に
イングランドのダムソン・イドリス。
F1 チームのオーナーで、ソニー・ヘイズの旧友
ルーベン役にスペインのハビエル・バルデム。
チームのマシン開発担当ケイト役に
アイルランドのケリー・コンドン。
という風に出演者は国際色豊かだが、
映画は、とてもアメリカ的。
レースシーンは、結構な迫力でドキドキハラハラ。
ラヴ・ロマンスは控えめで、レース展開と
人間模様に重点を置いた感じ。
まあ、ブラピがカッコ良い。
もう61歳ですぜ。
ソニー・ヘイズは、走る理由を(正確ではないけど)
「レース中、静寂に包まれ、時間が遅く感じ、
空を飛んでいるように感じる瞬間があって
その瞬間を味わいたくて走る」と言う。
これってレースの映画、『ラッシュ/プライドと友情』、
『フォードVSフェラーリ』、『グランツーリスモ』の
どれかで似たようなセリフがあったと思う。
本物の F1レーサーが何人も本人役で
出演しており、レース会場も世界を周る。
(鈴鹿もチラッと出て来る)
とにかくお金がかかってます。
(製作費は3億ドルを超えるという話もある。)
音楽は今や映画音楽の巨匠ハンス・ジマー。
音楽でももの凄く盛り上げます。
レッド・ツェッペリンやクィーン、
(詳しくないけど)ヒップ・ホップなどの
挿入歌も楽しめる。
★★★★☆
2025年製作/155分/G/アメリカ
原題:F1 The Movie
劇場公開日:2025年6月27日
2025.7.25
国 宝

映画『国宝』を観てきた。2回目。
邦画でも洋画でも2回か3回観た方が良い。
2回観るなら、何年も経ってからではなく、
公開中に続けて観る方が良いんだな。
1回目の記憶があるうちに観ると、
より深く理解できるし、新しい発見がある。
何年も経ってから観るとほとんど覚えていないことも
あるし、「良かった」という記憶だけで観ると
知らずにハードルを上げてしまっていて、
それほどでもなかったりするんだよな。
さて、本作は続けて観たので2回目の方が良かった。
というのも、1回目はどういう意味なのか、
どうなっていくのか分からないで観ているわけだけど、
2回目は背景が分かって観るので、
観方も1回目とは違うわけだ。
例えば、永瀬正敏がヤクザの親分役で出演しているが、
1回目は何者か分からず、途中でヤクザだと分かったが、
2回目は最初からヤクザだと知って観ているわけだ。
すると、永瀬のヤクザっぷりが最初から
凄いことに気付く。
1回目観た時より迫力があって驚いた。
そんな風に背景を知って観るのと、
「これ、どういうことやろ?」と探りながら観るのとでは、
映画への没入度も違うことに気付いた。
その他、1回目には見過ごしていた細かい演出にも
気付いたりして、1回目観たときより、
これはスゴイ映画だと思ったよ。
1回目は思わなかったけど、原作も読みたくなった。
★★★★★
2025年製作/175分/PG12/日本
劇場公開日:2025年6月6日
OZ NOY ORGAN TRIO
with DAVE WECKL & BRIAN CHARETTE

ジョン・パティトゥッチ、キース・カーロックとの
トリオで来日した2019年12月以来
約5年半ぶりの来日のオズ・ノイ。
今回のドラムは、デイヴ・ウィックル。
そしてベースではなくオルガンの
ブライアン・シャレットとのトリオだ。
オルガン・プレイヤーについては、
私は明るくないので、ブライアン・シャレットの
ことも今回のライヴで知った。
あいかわらず変幻自在なオス・ノイのギターと
デイヴのグルーヴの組合せが心地良い。
デイヴのメンバー紹介の時、ひと際歓声が
多かったので、彼目当ての観客も多かったんじゃないかな。
ジミー・スミスとウェス・モンゴメリーが代表だと思うけど
ギターとオルガンは、相性が良い。
オズ・ノイのギターは薄いグリーンのストラトキャスター。
アンコール『Chocolate Souffle』は、ステージを降りずに。
全部で75分ぐらいかな。
[ MEMBERS ]
Oz Noy (g)
Dave Weckl (ds)
Brian Charette (org)
@Cotton Club
2nd show
2025.7.22
Instagram
街中で見つけた諸行無常
連続千日アップ達成!
2022年10月26日に毎日インスタグラムに
写真をアップするプロジェクトを始めた。
当初は「移ろいゆくものをシリーズで撮影する」
というアイディアだった。
それで「街中で見つけた諸行無常・生生流転」
というテーマにしたのだけど
すぐにそんなことは言ってられなくなって
街中だろうが山の中だろうが何でもアップするようになった。
スタート時は、1年間は毎日続けてみようと思ったが、
1年が過ぎ、500回を過ぎ、2年を過ぎると
千回を目指すしかなくなった。
私の記憶では、3回か4回、24時を過ぎてしまったことが
あったけど、ついに今日、千日連続を達成した。
インスタのアップなんて、別にしんどいことでもないし、
同じ千日でも「千日回峰行」のような修行に比べると
全く大したことはないのだが、それでも私のように
三日坊主の典型のような人間が、一日も忘れることなく、
連続で千日を達成したことは個人的には充分意義があることだ。
アップした写真は、基本的にスマホで撮影し、
スマホ内で編集したもの。
毎日毎日、アップするネタを探す行為は、被写体を探し、
被写体を観る訓練になっただろうと肯定的に考えている。
もうひとつ、構図を考える良い機会にもなった。
4月にモノクロ写真展に出展したが、
その出展を決めてから、モノクロ写真の投稿を増やした。
それまではモノクロで投稿しようなどとは
思わなかった写真もモノクロにすることは、
これまた新しいチャレンジでもあった。
最近のインスタは、スクエアでなくても良いみたいだし、
動画の方が多くなったけど、アップするのは
スクエアのスチールに限定した。
毎日アップしていると、自分で納得できる写真がなく、
正直に言うとやっつけ仕事的な日があったことも否めない。
しかしおかげで「自分で納得できる」そのラインというか
レベルは、上昇したのではないかと思う。
さて、このインスタを今後どうするかだが「毎日連続」には、
一区切りをつけて、今後は、自分が納得できる写真に絞って
アップしようかと思っている。
アップする数は、減るよね。
1年9カ月間も続けていたので、結構、
このインスタについて書いたエントリーも多く、
たくさんの写真をここでも紹介している。
今日は、インスタにアップした写真の中から
今までここで紹介していない数枚を選んでみた。

静寂が聞こえるなぁ。
ECMレーベルのジャケットのようで気に入っている。

これはもうソール・ライターだな。
カフェで撮った冷蔵ショーケースの中のビール瓶。

夜の街で見つけた、ミラー。
シャッターが下りていたけど、車庫なのだろう。
シャッターが扇のようにも見えるし、
シェルのようにも見えて面白い。

港区高輪にあるマンション入口の少女像と飛行機。
少女像は、本郷新という彫刻家の『花束』という作品。
顔に電線の影があるのが悔しい。
[ 関連エントリー ]
2022.10.29 諸行無常 生生流転
2022.11.7 何の写真でしょう?
2022.11.16 何の写真でしょう?(その2)
2022.12.6 何の写真でしょう?(その3)
2023.2.2 100日達成!
2023.6.5 両親と裏磐梯と写真とインスタ
2023.11.1 街中で見つけた諸行無常 その372
2024.3.11 500日突破!
2024.11.13 インスタ 毎日更新 2年越え
つつみしんや Instagram
2025.7.17
ANDREA MOTIS Duo
featuring JOSEP TRAVER

スペイン・バルセロナ出身のトランペット奏者、
シンガーのアンドレア・モティスと、彼女が
デビュー当時から共演するギタリスト、
ジョセップ・トレイバーとのデュオを観てきた。
このデュオでの来日は初。
歌だけでなくトランペットも吹けるというのは、
彼女の強みだろう。
小さな身体で吹かれるトランペットのトーンは、
男性のそれとは違い、甘く優しい。
フリューゲルホルンとまではいかなくとも
コルネットを思わせる音だった。
曲は、スタンダードから
『Someone to Watch Over Me』、
『My Favorite Things』、
Nancy Wilson の『Old Country』など。
リクエスト・コーナー (?) では、数人のリクエストを
聞いた結果『All Of Me』に決定。
これがまた良かったな。
でも、彼女はスペイン語で唄う方が魅力的だなと思った。
彼女は、カタルーニャ語、スペイン語、
ポルトガル語、英語で歌唱するらしいので、
スペイン語かどうかも怪しいけどね。
ギターのジョセップ・トレイバーは、
来日してすぐに渋谷に買いに行ったという
ニューギター、Sadowsky のフルアコを使用。
面白いもので、そう言われると途端に
新品のギターの音に聞こえてきた。
わざわざ来日して買ったのは、スペインでは
入手しにくいということなのだろうか。
もしかしたらだけど、それだけ日本(東京)には
良い品が集まっているということなのかな。
一曲、ジョセップが構成を間違えたような場面があった。
本当に間違えたかどうかは、分からないのだけど、
私には、歌がまだあるのに歌終わりのリプを
ジョセップが弾き始めたように聞こえた。
彼は、一拍弾いただけで何事もなかったかの様に
プレイをバッキングに修正した。
あまりの速さにおそらく殆どの人が気づかなかったと思う。
その反応の速さにしびれてしまったよ。
ああいうところで、歴然とプロとアマの差が表れると思うな。
先月観たグレッチェン・パーラト&リオネル・ルエケの
デュオとは全く違うタイプで、デュオ好きの私には、
楽しく、刺激的で、学びのあるライヴでした。
[ MEMBERS ]
Andrea Motis (vo,tp)
Josep Traver (g)
@ Blue Note Tokyo
2nd show
2025.7.16
フルマラソン6時間切りへの道 その1
今年もフルマラソンに出場すると決め、4月に
11月9日開催の福岡マラソンの抽選に申し込んだ。
なんでわざわざ福岡と思うかも知れないが、
日本で開催されるマラソン大会は、
ほとんど 制限時間が6時間。
それで昨年は制限時間7時間の富山マラソンを
走り、6時間44分14秒という記録でゴールした。
今年の目標は6時間を切ることだが、
今のところ、これが中々手ごわそうだ。
6時間を切れずに途中で失格になることはイヤだし、
今回は妻も走るというので制限時間7時間の
大会を探し、福岡マラソンに申込んだというわけだ。
(富山マラソンでも良かったけど、日程が合わなかった。)
先日、その抽選発表があり、当選の連絡が来た。
ホテルも予約したし、福岡往復の航空券も予約した。
あとは、準備、練習を積むだけだ。
ちょうど1年前、7月15日に練習を始めた。
何十年も走っていなかった私が、
その日走ることが出来たのは、10分。
距離にして1キロちょっとだった。
11月にフルマラソンを完走した後も、週一ぐらいで
走っていたのだけど、12月に寒くなってやめてしまった。
4月からぼちぼち練習を始め、3か月経って
ようやく体力もスタミナも戻ってきた感じだ。
昨年7月15日にはたった1キロしか走れなった私が、
1年後の昨日は、10キロを 91分で走った。
それだけでも、昨年に比べるとかなり心強いが、
そのペースでは6時間は切れない。
富山マラソンは、1キロあたり9分34秒で走って
6時間44分14秒。
6時間を切るためには、1キロを8分30秒で
走らなければならない。
つまり、昨年より1キロにつき1分以上、
時間を縮めなければならない。
言ってみれば、1キロあたり9分34秒で走ったのは
ベストを尽くしてのことだ。
それを1分縮めるというのは、中々手ごわいことなのだ。
ポジティブにとらえれば、1キロ3分で走る選手が
2分に縮めるのは現実的ではないが、
9分半を8分半に縮めるのは、充分に可能なことだけどね。
今のところ、あまり暑くなかった先日、調子も良く、
6キロを1キロあたり8分25秒で走れた日があった。
しかし、そのペースで42キロ走ることは、今の私には
まだまだできそうにない。
あと3か月半ほどでどこまでやれるかの挑戦なのでした。
ただ、面白いなと思うのは、昨年は練習中走りながら、
「42キロ完走できるやろか」
「いける!できそうや!」
「あかん、無理かも」
と完走できるかどうかを考えながら走っていたけど、
今年は完走できるかどうかは考えない自分に驚いた。
考えるのは「6時間を切れるかどうか」であって、
完走する前提でいるのだ。
でも、今年だって、完走できるかどうか分からんのだよ。
42キロをなめたらあかんのだよ。
人間の心理というものは、面白いなぁと思う。
あと、昨年もそうだったけど、この時期は暑い。
暑くて湿度も高い日は、本当に体力が奪われるのが分かる。
これも走ってみてよく分かったことだ。
本番まであと116日。
福岡マラソン 2025 公式サイト
2025.7.15
カレーはスポーツだ! #88
復刻版リオ挽肉カレー / カレーハウス リオ(大崎)
★★★☆☆
JR大崎駅改札内にあるカレー店。
たぶん以前にも食べたことがあると思うのだけど、
どんな味だったか全く覚えてないなと思いながら、
入ってみた。
食後に調べてみたら、カレーハウス リオは、
今年の3月にオープンしたようで、以前入った店は
スパイスファクトリーというカレー店だったようだ。
カレーハウス リオは横浜が本店のようだ。
トンカツやコロッケなど揚げ物が乗ったカレーは
避けたいので「復刻版リオ挽肉カレー税込880円」に
ルー増量200円をチョイス。

ルーは甘めで辛くない。
子供でも食べられるんじゃないかと思うぐらい。
フルーティな感じがしなくもないが何か物足りない。
そして挽肉が、たまにしか入っていない感じ。
これは残念。
珍しく福神漬けもあまり美味しくない。
ファストフード店、チェーン店のカレーで
満足できるものは少ないね。
良い点は、駅中ということで、
待ち時間のないことだろうか。
券売機で食券を買うシステムだが、
食券を出したら、すぐにカレーが出てきたよ。
もしかしたら、カツカレーとか頼むと少し時間が
かかるかも知れないけど。
2025.7.14
MONTY ALEXANDER

昨年に続いて、ジャマイカ出身のジャズ・ピアニスト、
モンティ・アレキサンダーのライヴを観てきた。
今回で三度目。
初めて観たとき、モンティは78歳だったけど、
今年6月6日で、81歳になった。
でも、全く年を感じさせないほどに若々しい。
ピアニストで観たことのある最高齢のライヴは
2022年に観た穐吉敏子さん、92歳。
シンガーなら 2016年に観たシャルル・アズナヴールが
同じく92歳。
サックス・プレイヤーでは、渡辺貞夫さんが
今年92歳でまだまだ現役。
クラシック界のレジェンド、舘野泉さんは88歳。
そう考えると、81歳はまだ若いか。
さて、モンティ・アレキサンダー、
3日間6公演の最終公演。
今回のメンバーは、昨年のトリオに
ハンドドラムのロバート・トーマス・ジュニアを
加えてのカルテット。
ブルーノートのサイトには「ハンドドラム」と書いて
あったので、何だろうと思っていたら、
パーカッションのことね。
なるほどコンガやボンゴは、手で叩くドラムだわな。
最近は、ドラムパッドを指で叩く、
フィンガードラムというのもあるけどね。
ライヴは、メンバーも楽しそうでとても感動するほど平和。
モンティが長年の友人だと紹介したハンドドラムの
ロバートは、見るからにレジェンド。
ウェザー・レポートに在籍していた人だった。
そのロバートがとにかく渋い。カッコ良い。
この人もジャマイカの人かなと思ったら、
アメリカ人でした。
ルーク・セリック(ベース)、
ジェイソン・ブラウン(ドラムス)もとても良い。
曲はジャマイカの民謡『Banana Boat』、
チャップリンの『Smile』、ガーシュウィンの『Summertime』、
『007 Dr. No』は『Dr. Yes』と言ってプレイした。
「ジェームズ・ボンドは、ショーン・コネリーが一番」と言ってた。
『007 Dr. No(邦題:007は殺しの番号)』は、
ジャマイカが舞台だったんだな。
そのほか、ボブ・マーリーの『No Woman, No Cry /
Get Up, Stand Up』のメドレーなど。
おそらくセットリストは決まっておらず、その場で
決めて行っている印象。
ピアノ以外にシンセサイザーや鍵盤ハーモニカも演奏。
モンティの遊び心も満載。
やはりジャズとレゲエの融合は心地良い。
そういえば、天地真理の『水色の恋』だと
思われるメロディを鍵盤ハーモニカで吹きながら
「ジャパニーズなんとか」と言ったので、私は
てっきり『水色の恋』だと思って聴いていたら、
サビのメロディが違った。
『水色の恋』は『Gran Hotel Victoria』という
タンゴの曲と似ている部分があるというのは
真理ファンには有名な話のようだが、
それでもないような気がする。
あの曲は何だったのだろう。気になるな。
アンコールを入れて80分ほど。
最後はスタンディング・オベイションでした。
来年も元気で、来日して欲しい。
[ MEMBERS ]
Monty Alexander (p)
Luke Sellick (b)
Jason Brown (ds)
Robert Thomas Jr. (hand ds)
@Blue Note Tokyo
2nd show
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