2018年
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2018.1.8
水に流せるのか 8
〜 引っ越し先物件探し編 〜
年末にいよいよ引っ越しを決意し、
年が明けて、3日からインターネットで
物件探しを始めた。
希望の条件を入力すると、
候補の物件を地図上やリストにして
表示してくれる、大手不動産サイトが
いくつもある。
便利な時代になったもんや。
昔は、不動産屋さんまで行って、
気に入った物件がなければ、
数軒周ったもんだ。
結構、良さそうな物件を
数軒ピックアップした。
4日まで正月休みを取っている
不動産屋が多く、5日になって
連絡を取ってみたところ、
候補にと選んだ物件が、ことごとく
もうすでに成約済みか申込が
入っているとのこと。
どうも年末年始を挟んだので、
ネットの情報がアップデイトされて
いなかったようなのだ。
それからは、不動産屋P社のWさんと何度も
メールや電話のやり取りを繰り返すが、
私が見つけて良いと思った物件は、
不思議なほどに、すでに申込が入っていた。
やはり良い物件は、足が速いということか。
Wさんが提案してくる物件は、
何か条件を満たしていないものだった。
妻が希望するいくつかの条件があったので、
その条件を満たしていないのだ。
そのせいで、妻と言い争いにもなったが、
こういう場面では、結局、
妻の思い通りになるのを私は知っている。
とにかく、不動産屋のWさんに直接会って
(それまでは電話とメールのやりと取りだった)
顔を見て希望を伝えようと、
昨日、妻と中目黒にあるP社を訪れた。
Wさんと、すぐに内見できる候補物件を
2軒にしぼり、とにかく見に行くことに。
1軒目は、目黒駅近くのマンション8階。
高層階をいやがる妻の妥協の物件。
建物は古いが、中はリフォームされて
きれいになっている。
ベストではないが、悪くない。
Wさん いわく、
「賃貸に100点はないです。」
なるほど、そうだろう。
そして、もう1軒、先のマンションより
やや高いが3年近く前に新築されて、
まだ誰も住んでいないという物件。
なんで、3年近くも誰も住んでいないのか、
大変気になるところだが、
大家さんのこだわりが随所に見える
ずい分、設備の整った物件で、
高めの賃料設定がなされていたため、
借主が付かなかったのだという。
やはり、新築というのは魅力的で、
セキュリティもしっかりしており、
内装も美しく設備も通常の賃貸では
考えられないほどの充実ぶり。
「ここにする」
と一目見て、気にった妻。
結局、妻の希望する全ての条件を
満たした物件が見つかったのだ。
申込は済ませたので、あとは審査の結果を待つのみ。
審査に落ちることは考えにくいのだけど、
最後まで分からないからね。
なんとかこの週末に物件を決めてしまいたいと
思っていたので、申込までこぎつけて一安心。
2018.1.13
水に流せるのか 9
〜 続・引っ越し先物件探し編 〜
日曜日に内見をし、賃貸借の申込みをした
物件の承認がようやくおりた。
まあ、断られる可能性は低いとは
思っていたけど、仕事では、
店舗の申込みを断られた例を
数件見聞きしたので、これだけは
分からんからな。
これで、引っ越しが確定したので
次は、引っ越し業者への依頼と荷造り。
引っ越しは、余計なものを
たくさん捨てて身軽になる機会なのだが、
これが、なかなか捨てられない。
特に古い音楽雑誌が多くて、
なんとかせにゃならんと思うのだが、
見ると捨てたくなくなり困ります。
2018.1.15
水に流せるのか 10
〜 引っ越し編 その一 〜
土曜日の夜に賃貸借契約の承認の連絡を受け、
夜中にインターネットで、
引越の一括見積サイトを覗いた。
今までは、引っ越しで相見積もりなど
取ったことないけど、試しに入力してみた。
とたんに数社から、自動返信のメールが届いた。
受付の連絡だけのところもあるが、
すでに見積金額記載の業者もある。
どういうわけか、3〜5万円の見積だ。
そんなに安くできるわけがない。
これエサに、正式な見積もりを申し込ませようと
いう魂胆なのだろうか。
その日は、どこにも返信を入れずに寝たところ、
朝の 8:30 から電話が数本、鳴り始めた。
日曜日なのに。
さっき寝たばっかりなのに
(寝たのは朝の7時を過ぎていた)。
電話は、引越業者の営業からだった。
見積もりを依頼したのは、
私なので文句を言う立場ではないだろうし、
スピーディな対応は、良いことだが、
もうちょっと寝たかった。
結局、そのまま夜まで寝ず。
電話とメールを合わせると6社からの
コンタクトがあったが、最終的に3社から
見積もりを取った
見積もりのアポイントを取ったあと、
先方からキャンセルされた業者もあった。
アポイントを決めた後、その日の
トラックが足りなくなったのだ。
月末の引越ということもあるのだろう。
見積もりを取った3社のうち、2社は電話で、
1社は直接家に来ての見積もりとなった。
不思議だったのは、電話の2社はほとんど
同じ金額を提示したのに対し、
直接来た業者はその倍の金額を提示した。
実際に荷物を見ての判断だと、
そうなるのだろうかとも思ったが、
電話見積もりの業者が当日のスタッフ2〜3名
だったのに対し、そこは4名で来るというので、
その分も高かったのかもしれない。
見積もりに来た人の実働分も
含まれるのかもしれないが、
それにしても倍は高すぎる。
3社ともトラックの種類は、同じ見解
(つまり荷物の量にそんなに差がない)
だったので、電話での私の荷物の申告が、
少なめに聞こえたとも思えない。
結局、ほとんど同じ金額を提示してきた
2社のうち、一番最初に電話をくれた人の
対応が感じ良かったので、そこに決めた。
もう1社より2千円高かったけど。
ああいう仕事の場合特に、
電話口の人の印象って重要だと思う。
引っ越し先を探す時もそうだったけど、
電話で話してて、(あ、この人に頼みたい)
という瞬間があるのだな。
「感じが良かった」以外の説明が
できないのだけど。
2018.1.27
引越し準備で BOOK OFF
いよいよ4日後に引越しを控え、
荷造りで家の中は大変なことになってきた。
妻には私の荷物が多いと言われるが、
確かに多いんだろう。
今日はブックオフへ、本、CD、DVD を
売りに行ってきた。
今までも何度かまとめて処分したことが
あるので、大体いくらぐらいになるか
見当がついていたが、今回は 171 点で、
23,750円にもなった。
予想より大幅に多い。
嬉しい誤算だ。
明細を観てみると、総合的に
本はあまり良い値が付いていない。
CD や DVD の方が、高値がついてた。
まあ、もともとの値段も高いから当たり前か。
一番安かったのは、本で 10円。
これが数十冊。
一番高かったのは、ボズ・スキャッグスの
DVD で、1,700円!
平均すると一点あたり約139円でした。
明日から数日間、準備と引越し、
そして片づけのため、
「ひとりごと」をお休みします。
2018.2.12
引越しに想う 0
― 序章 ―
以前何かで読んだことがある。
自分を変えるには、
以下の3つのどれかを実行すればよいと。
・時間配分を変える。
・人間関係(付き合っている人)を変える
・住んでいる場所を変える。
時間配分を変えるのは、
今までの生活パターンを変えるわけだから、
意外と難しいだろう。
職場を変えれば(転職すれば)、
付き合っている人は変わるだろう。
また、引っ越しすれば、
住んでいる場所はもちろん、
遠くに引っ越せば、おのずと
付き合う人も変わってくる。
私が、大阪から東京に転居したときは、
住む場所だけではなく、仕事も変わったので、
確かに色んなことが変わり、
自分にも変化があった。
例えば、聴く音楽の趣味まで変わったし、
当然付き合っている人も変わった。
自分が変わったのかと言われれば、
よく分からないのだけど。
さて、今回の引っ越しは、
距離にして1km ほどの引越しで、
最寄駅も変わらないし、
環境的には大差がないようだが、
寝るところが変わるだけで、
ずい分と気分が違う。
また、引越しという作業自体が、
色々なことを引き起こす。
今回の引っ越しで色々思ったこと、
感じたことを「引越しに想う」と題して
2〜3回に分けて書いてみたいと思う。
まずは、今回粗大ごみとして
処分したタンスと本棚から思ったこと。
引越しに想う 1
― 青春の八戸ノ荘 ―
毎回、引っ越しのたびにたくさんの物を
処分するのだが、今回も長年持ち続けてきた
いくつかの物とおさらばした。
その中でも特に古い付き合いだった、
タンスと本棚。
両方とも私が実家に
住んでいた頃からのもので、
10代の頃から使っていることになる。
約40年人生をともに
歩んできたことになる。
まあ「人生をともに」は大げさだが。
23歳の時、実家を出た。
私は大学に進学しなかったが、
子供の頃、母に言われた、
「大学を出る22歳までは、
家に置いてあげるけど、それからは、
自分で生きていきなさい」という
言葉の通りにしたのだ。
そういうと、聞こえが良いが、
一人暮らしに憧れていただけだ。
23歳で見つけた新居は、
家賃 17,000円の木造アパート。
友達の友達が住んでいたので、
訊いてもらったら、
一部屋空いていたのだ。
「八戸ノ里(やえのさと)」という、
大阪の近鉄線の駅から1〜2分という
好立地で、駅名にちなんで
アパートの名前は、「八戸ノ荘」。
住所は、東大阪市御厨南(みくりやみなみ)
1丁目だったと思う。
4畳半と2畳+板の間1畳に
流しが付いていた。
共同トイレだったけど、
管理人のおばちゃんが毎日、
掃除してくれていたので、
トイレも廊下もきれいだった。
風呂はなかったけど、
アパートの隣が銭湯で、
朝6時から夜中の3時まで
営業していたので、いつでも入れた。
反対側の隣が、24時間営業のコンビニ。
そして、駅近。
大阪の繁華街、難波まで電車で
15〜20分ほどだった。
めっちゃ便利。
25〜26歳の頃、友達に車(赤の
ファミリア)を10万円で譲ってもらった。
しばらくは、アパートの前に無断で
停めていたけど(ええ時代やなぁ)
そのうち、そういうわけにもいかなくなって、
近所の駐車場を借りた。
17,000円のアパートに住みながら、
借りた駐車場の使用料が月額17,000円。
でも、払うのがしんどくなって、
12,000円ぐらいの家から遠い駐車場に
替えた覚えがある。
八戸ノ荘には、23歳から31歳ぐらいまで
住んでいたが、立ち退きになった。
立ち退きの通知をもらっても、
私はどうすることも出来なかった。
なにしろ、借金こそあれ、
貯金なんて1円もなかった。
引越し資金など、あるわけがない。
それに、八戸ノ荘ほどの好条件の物件は、
そうそうあるもんでもない。
どうしたもんかと思っていたら、
同様に困っている住民が集まって、
説明会を開いてもらうことになった。
説明に来たのは、たぶん、
大家さん自身ではなく、
不動産業者だったんだろうと思う。
住人には、高齢の人も多く、
出て行ったら行くところがない、と訴えた。
結果、出ていくまでの確か3カ月家賃が
ただになり、立ち退き料として、
40万円ぐらいもらうことが出来て、
めでたく引っ越すことができた。
次に住んだのは、「福寿マンション」。
家賃は、6万円ぐらいだったと思う。
いきなり、3倍以上だ。
八戸ノ荘は、当時で築30〜40年といった
感じだったので、
てっきり取り壊しかと思ったら、
立ち退いた後、当時流行っていた
屋台村のような店舗に変わっていた。
現在は、どうなっているか分からない。
今度、大阪に行ったら、見に行ってみよう。
ところで、今回処分したタンスや本棚は、
妻に「八戸ノ荘」と呼ばれていた。
凄い呼び名や。
青いタンスにはおそろいの洋服ダンスも
あったのだが、それは前回か前々回の
引っ越し時に処分した。
これで、私もいよいよ八戸ノ荘は卒業か。
ああ、青春の八戸ノ荘。
2018.2.13
引越しに想う 2
― EC is Back Again ―
今回の引っ越しでは、40年ぐらい
使っていた本棚を処分した。。
その本棚の側面にこんなものが
貼ってあった。
エリック・クラプトン、
1985年の来日時の大阪のコンサートの
チラシ(A5サイズ)だ。
23歳の私は、このチラシをよく見える
この本棚の側面にセロテープで
貼り付けたのだな。
それが、なんと5回の引っ越しにも
剥がれることなく、22年以上の時を経て
今まで残っていたのだ。
せっかくなので、剥がしてスキャンした。
↓
クリックで拡大
1985年というと、エリックの
アルバム『Behind the Sun』が
発売された年。
10月 7日 厚生年金会館大ホール
10月10日 フェスティバルホール
とあるが、私は2日とも観に行った。
エリックのコンサートは、
この時が初めてで、
特に厚年大ホールでの演奏は、
一生忘れることがないだろう。
"White Room" だったと思うが、
ギター・ソロで、涙が止まらなくなって
「もう弾くのやめて!」と言いたいぐらい
嗚咽で大変なことになったのだ。
それから "Wonderful Tonight" でも
涙が止まらなかった。
人生で一番泣いたコンサートだった。
このあと、10月27日に私は、
ひとりでアメリカ横断の旅に出た。
そういう特別な時期だったのだな。
当時のクラプトン・バンドのベースは、
ドナルド・ダック・ダンだった。
6年前、ダック・ダンの最期の演奏を聴いた。
翌日のニュースのショックも忘れられない。
2018.2.14
引越しに思う 3
― 恋文編 ―
引越しの荷造り中に見つけた段ボール箱。
前の家には、押し入れや物置棚など
結構、収納スペースがあったので、
2009年に引っ越してから、
そのまま開けもせず置きっぱなしに
なっていた段ボール箱だった。
何が入っているのだろうと開けてビックリ。
19歳の時にもらった手紙に始まり、
30歳ぐらいまでにもらった
手紙が数十通 入っていた。
全部、女性からだ。
付き合っていた女(「ひと」と読んで)からの
ものでなく、ほとんどが友達からなのだが、
中には、付き合っていた女性からの
手紙もあった。
そういうのは、結婚する時に
全て捨てたと思ってたけど、
なぜか置いてたんやな。
読み返してみると、もらった私でも
ちょっと赤面しそうな文面。
いくつかの手紙を読み返してみて、
もう忘れてしまっていたような
細々した出来事にも想いを馳せ、
なんというか、そういう自分の
人生が愛おしく思えてきたよ。
20代前半で付き合ってた女(ひと)からの
30歳の誕生日にもらった手紙とかね。
年取ったな、オレ。
安心して。
今回は、全部捨ててきたから。
別の箱からは、結婚前、
付き合って間もない頃に
私が妻に送った恋文も出てきた。
オ、オレ、こんなこと書いてたのか・・・。
もし、今 恋をしてもこんな文章
書かれへんで、と思うような文面。
若いって素晴らしいね。
若いと言っても、20年前、
35歳の時に書いたんやけど。
ちなみに私の妻宛の手紙が出てきたのは、
妻の持ち物が入っていた箱で、
彼女は中身を見もせず、
「全部 捨てて」と言ったのでした。
彼女に言わせると、数年間、開けもしなかった
箱の中には要るものはないということなのだが、
私は、中身を見ずに捨てることが出来ず、
チェックしてその手紙を発見した。
なんと、その箱の中には、
(妻の)数千円の現金も入ってたよ。
今日は、バレンタイン・デイだからか、
恋文のネタになった。
今は、メールだのラインだので、
郵便で手紙を送ることなんて、
ほとんどないのだろう。
紙で残ることはほとんどないのかも知れない。
そう考えると、良い時代やったなぁと思う。
大した内容じゃないのに、
速達で送ったりしてたもんね。
今の子は、20年30年経って、
押し入れの中から出てきた
ラヴ・レターを読み返して
青春を想うなんて特別な体験は、
出来ないのかもしれないね。
手紙と言えば。
ユーミンの『青いエアメイル』という曲が
好きなのだが、もしかしたら、
こんな風に手紙に対する特別な思いが
あるのかも知れない、なんて思ったのでした。
『青いエアメイル』、特定の思い出のある人は、
きっと泣けるよ。
2018.2.15
引越しに想う 4
― シングル・レコード ―
先日、ラリー・カールトンのライブの日、
「当時、私は LPレコードが買えなくて、
『夜の彷徨』からシングルカットされた、
"Room335" のシングル盤を買った」
と書いた。
引越荷物の中から、そのレコードを
発見した。
1977〜78年頃に購入したものだ。
アナログ・レコードは、実家に数十枚
(いや、百枚以上はあるか)
置いたままだが、10年位前、一時期
レコードプレイヤーを持っていた時があって、
その時に、20〜30枚の LP レコードとともに
シングル盤も数枚東京に持ってきたのだ。
"Room335" 以外にはこんなの。
サンタナ『君に捧げるサンバ』
ニルソン『ウイザウト・ユー』
(「ウイズアウト」ではないのが良い。)
リンダ・ロンシュタット『イッツ・ソー・イージー』
映画音楽について、何度かここに
書いてきたけど、こういうのを
買ってた少年だった。
『ロミオとジュリエット』。
音楽は、Nino Rota。
そして『パピヨン』。
音楽は、Jerry Goldsmith。
シングル盤は、大体1枚500〜600円だったけど
これは、400円だった。
吉田拓郎『イメージの詩(うた)』『マークU』。
紙ジャケットの裏表に歌詞も印刷してあり、
どちらがA面なのか分からない。
これは、中学生の時、実家のある町に
唯一あったレコード店で発見し、購入した。
当時、シングル盤は500円、LP盤は
2,500円が相場だったのに、400円だったので、
嬉しくなって買った覚えがある。
あの頃の100円の違いは、大きかったんやな。
高校時代、たぶん10枚以上のシングル盤を
レコードを集めていた友達に
売った覚えがあるが、
これらは、売らなかったんだな。
最近は「アナログ・レコード」などとは呼ばずに
「ヴァイナル」「ヴァイナル・レコード」
なんて呼ばれていたりする。
「ヴァイナル(Vinyl)」は「ビニール」の
英語的発音。
やっぱり、レコード・プレイヤー欲しいな。
最近は1万円以下でもあるようなので、
考えているのだが、結構置き場所取るねんな。
2018.2.16
引越しに思う 5
― 捨てられない音楽雑誌 ―
モノが増え続ける実家。
両親と姉と私の4人で暮らしていた時より、
両親2人になってからの方が、
実家のモノは増えた。
捨てないからだ。
最近、姉が実家に戻り、
両親と住むことになったので、
姉の暮らすスペースを空ける必要が
出てきたのだが、母はモノが捨てられない。
着ない服。
いつか着るかもしれないと思って捨てられない。
使っていない植木鉢。
いつか使うかもしれないと思って捨てられない。
そんな風にモノが増え続けてきたのだ。
そんな母を、やや批判的に見ている私だが、
バリバリその DNA を引き継いでいるのか、
実は私も中々捨てられない人である。
しかも、モノ持ちが良い。
例えば、高校生の時に買った、
ギターのストラップをいまだに使っている。
ほぼ40年前のものだが、全く問題なく使える。
中には、数年もたないストラップも
あったけど、これは丈夫。
高校生がお小遣いで買ったのだから、
そんなに高価ではなかったと思う。
2〜3千円ではなかっただろうか。
たぶんアメリカ製で、本革ではない。
まあ、これは、使っているので
捨てる必要はないのだけど。
前回の引越でも悩ましかったが、
今回の引越でも困ったのが雑誌。
毎月、「JAZZ LIFE」と
「Guitar Magazine」の2冊を
定期購読しているのだが、
これが捨てられない。
ほとんど読み直すことなんてないのに
捨てようかと思って、手に取ると
とたんに興味のある記事や楽譜に
心を奪われ、捨てられなくなってしまう。
前回の引越時には、思い切って
捨ててきたのだけど、引っ越した
2009年7月から8年半分の雑誌が
行き場を失い、積み上げられていた。
2冊の雑誌8年半分というと
200冊を超える。
場所をとる上、重い。
おまけに「JAZZ LIFE」と
「Guitar Magazine」以外にも
楽譜や音楽雑誌が、いっぱいある。
で、最後までどうするか迷った挙句、
雑誌をいったん会社の空いている本棚へ移動。
これは危険だ。
このまま、ずっと放置される可能性大。
しかし、そうならないように
少しずつ、チェックして
欲しい楽譜や記事だけ、スキャンして
処分していこうと思っている。
あるいは、安い
スキャンの業者に頼むか。
それだって、本当に必要なのかどうか
疑問だが、とりあえずモノを減らす方向で。
会社の本棚に並んだ「JAZZ LIFE」(一部です)。
2018.2.17
引越しに思う 6
― 聖域を出て ―
「引越しに思う」シリーズ、
当初は、そんなにたくさんネタが
思い浮かんでいたわけではなかった。
なので、序章を書いたときには、
「2〜3回に分けて書いてみたい」と
記したのだが、もう6回目になった。
意外と次から次へとネタが思い浮かんだのだ。
さて、私は 1月31日に新居へ移ったのだが、
妻は前の家に残った。
軽く別居状態だ。
これには事情があり、今日 2月17日が
妻の引っ越しの日になっていたのだ。
ほとんどの荷物は、1月31日に運んでいたが、
妻が17日間生活する最低限のものを
残していたので、
昨日と今日の2日間で運んだ。
これで、引っ越し自体は
完全に終わったわけだが、
すでに触れてきたとおり、
これからたくさんの荷物の整理が、
待ち受けている。
この機会に買い換えたタンスやベッドなども
まだ届いていない状態で、
この片づけは、当分続くことになる。
前の家には、2009年7月18日に
移っており、8年半ほど住んだことになる。
おっ、今日が17日だから、
妻はちょうど8年7ヶ月だな。
快適な環境だったので、
今回の水漏れ事故がなければ、
あと数年か、もっと住んでいたかもしれない。
あっという間の8年半だった。
大家さんにも大変お世話になった。
水漏れ事故がなければ、大家さんと
あんな風に懇意に話すこともなかっただろう。
そう思うと、人の縁は不思議なもんだ。
水漏れ事故の話は、
「水に流せるのか」シリーズとして
10回まで書いたけど、完結した感もなく
そのままになってしまった。
ここで、そのシリーズの終了も宣言する。
そして、全ては「水に流すことができた」
ことも報告として(誰に?)付け加えておこう。
2009年、引越し先の物件探しの時、
その家の玄関に立った瞬間、
内見する前に「ここだ」と
思ったことをハッキリと覚えている。
建物の名前には、「聖域」を
意味する「Sanctuary」という言葉が、
含まれていた。
この8年半の間に、妻も私も、
五十路を超えた。
お陰様で健康で仕事も順調だ。
私たちは、8年半の間、その聖域で
守られていたのかもしれない。
8年半、暮らしを許してくれた、
聖域にありがとう、
そして、さようなら。
全ての荷物を出した後。
モノがないと、こんなに広かったんやね。
2018.2.20
引越しに思う 7
― 人生は思い通りにならない ―
次々と問題が起こり、物事が上手く運ばない時、
これは「やめろ」という天のメッセージでは
ないかと思うことがある。
そして、実際に途中でやめて、
後々、良かったと思えることもある。
一方で、たくさんの問題を乗り越えて、
達成し、その後、途中でやめなくて
良かったと思えるようなこともある。
人生にはどちらもあるだろうし、
結果は一つしかないので、
「たら・れば」の結果と比較することは出来ない。
つまり正解などなく、
自分の都合のよいように思えば良いのだ。
今、進行中のプロジェクトで笑ってしまうほど、
ことが上手く運ばないものがある。
関係者に会いに、田園調布まで出向き、
約束の喫茶店で待っていると相手が現れない。
なんと、アポイントが一日ずれていた。
全ての書類をそろえたと思っていたら、
関係者一人の印鑑証明書が不足していた。
ある契約に行くと 契約するはずの業者が、
前日に閉店を決めたと言ってキャンセルされた。
これはビックリやった。
代わりの業者を見つけ、オンラインで
契約を申し込んだら、数日経ってから、
サーバーにトラブルがあって、
申し込んだ内容が飛んじゃったと連絡があった。
とにかく、珍しいほど順調に進まないので
そのサーバーの件の連絡メールが来たときには、
思わず声を出して笑ってしまったよ。
これは、やったらあかんのちゃうかと
思うほどだが、途中でやめるわけにもいかないので
なんとか進めますが。
さて、今回の引越し。
こちらも、とてもスムーズとは言えなかった。
もともと、引越のきっかけになったのが、
天井裏からの水漏れという、
好ましくない事故だった。
その時点で、順風とは言えないよな。
まず、引越し先が中々決まらなかった。
年末年始ということ、
狭い条件で探していたせいもあるが、
気に入った物件は、ことごとく
申込済みか契約済みで、
申込にさえ至らなかった。
ようやく、物件が決まり引っ越した後も
ことはスムーズに運ばなかった。
インターネット工事の当日、
工事業者が建物を見て、
「工事できません」と言いだした。
電話線引込部に何か機械を設置する
らしいのだが、建物の壁と塀との隙間が
狭すぎて、その作業のための脚立を
立てられないという。
この21世紀に「脚立を立てられない」という
まさかの超アナログな理由で、
その業者をキャンセル。
幸い、ケーブルテレビが通じていたので、
急きょケーブルテレビのインターネットに
変更した。
キャンセルしたインターネットは、
開通にひと月ほどかかる予定だったので、
その間、ポケット Wi-Fi をレンタルしていた。
機器が届いてから、接続を試みたが、
繋がらない。
私の自宅のデスクトップPCには、
無線機能が付いておらず、
そのことに気付いていなかった。
アホである。
まあ、スマホとタブレットは、
繋がったのだけど、
結局、2〜3日でケーブルテレビの
インターネットが開通したので、
ポケット Wi-Fi は、
ほとんど使用せずに返却。
数日の使用でも料金は、
1ヶ月分(約5千円)だ。
前の家で使っていたベッドは、
水漏れ事故でびしょびしょになったので
買い替えた。
先日、納品当日のこと。
ベッド・フレームは組み立て式だから
問題なかったのだけど、入口階段が狭くて、
マットが2階に上がらないことが発覚。
(我が家は2階。階段のみ。)
マットの厚みがそこそこあって、
折り曲げることも出来ない。
窓から吊るし上げるという手も無理で、
あえなく断念。
これまたキャンセルだ。
いまだマットなしで寝ている。
水漏れ事故の被害は、
大家さん側の保険と
借主側の保険の両方合わせて、
申請した被害額が全額まかなわれたのだけど、
その振込に関しても、面白いことに
書類が届かなかったり、
記入内容に不備があったりで、
両方ともスムーズに進まなかった。
まあ、数日遅れただけやけど。
引っ越した先の大家さんは
とても防犯意識が高く、建物自体に
色々な工夫・装備がなされている。
それだけで十分すぎるほどなのだけど、
階段を上がるためには、ダイヤル錠を
解錠しなければならない。
そして、解錠したら、
当然 施錠しなければならない。
これが、不精な私にはめんどくさくて
大変なストレスになった。
両手に荷物を持っていて雨でも降っていれば
なおさら、ストレスは大きい。
3階の住人に「あの鍵、必要ですか?」と
訊いたら、「なくてもよいです」という。
それなら、大家さんに言って、
ダイヤル錠をやめてもらおうと交渉したが、
大家さんの防犯意識は半端なものではなく、
そこまで言うならと逆に納得してしまった。
そして、不思議なことに
「そこまで言うなら、鍵も仕方ないな」と
受け入れた途端、そのことはストレスで
なくなった。
人生は思い通りにいかないが、
それを受け入れてしまえば、
大したことではないのだなと
実感した次第である。
そうは言っても、いつもいつも
そう簡単に受け入れられるわけではない。
さんざん抵抗して、
ストレスを感じるのも人生。
さっさと降参して(受け入れて)
問題を消してしまうのも人生。
選択は自由だが、
自由に選択できるほど、
私は人間が卓越していない。
いつもいつも、どんなことであっても、
受け入れることが出来たら、
人生は楽だろうな。
と思った次第である。
2018.2.22
ボルトの気持ち
夕食を食べに外に出た。
帰り道、目の前の信号が点滅を始めたので、
渡ってしまおうと駆け出した。
信号の手前で、右足ふくらはぎに
異変が起こった。
グビッ!という感触で痛みが走った。
グキッ!でも、バリッ!でもない。
グビッ!という感じだ。
音は出ていないのだろうけど。
その瞬間、自動的に身体が止まった。
あ、なんかやってしもた。
そう思った。
普段から運動不足の上、身体が固い。
もう若い身体ではない。
何の準備運動もなく、突然走り出したら、
足の筋肉の方が、脳の命令に
付いて行けないのは、当然だ。
信号は赤に変わってしまった。
信号待ちしている間、
ふくらはぎの様子を確かめる。
それほど痛くはない。
腱が切れたわけではなさそうだ。
もし、そうならもっと激痛のはずだ。
筋が違ったのだろうか。
経験がなかったけど、
これが肉離れというやつだろうか。
そんなことを思いながら、
信号が変わったので歩き出すと、
普通に歩けない。
「それほど痛くない」と書いたけど、
それは、じっとしていればの話で、
歩き出してみると右足に体重が
かからないようかばってなので、
ゆっくりしか歩けない。
あ、これ、痛風の時と同じ歩き方やん。
道行く見知らぬ人たちに、
「僕、痛風と違いますから」と
言いたい衝動に駆られた。(なんで?)
びっこを引きながら、昨年の世界陸上の
男子400メートルリレーの
ウサイン・ボルト選手を思い出した。
ボルトのラスト・ラン。
アンカーだったボルトは、
左太もも裏を痛めて途中棄権となった。
少しだけ、ボルトの気持ちが分かった・・・。
わかるかぁ!
2018.2.23
ボルトの気持ち 2
「ボルトの気持ち」なんてタイトルを
付けてしまったけど、読んで頂ければ
分かる通り、内容はボルトとは関係ない。
昨日のエントリーを読んだ妻は、
私を「ウサイン」と呼ぶ。
なんじゃそれ。
昨夜は、痛めた右のふくらはぎが、
左に比べて、約20〜30%太くなっていた。
腫れているのだ。
そして、熱を持っているかと思いきや、
触ると冷たい。
血が回っていないのかな。
見た目は、黒ずんでいるとか、
見て分かる内出血があるとか、
そんな風ではないが、
やはり健康的な色には思えない。
ちょっとググってみるとやはり
「肉離れ」のようだ。
肉離れって、スポーツ選手がなるものと
思っていたけど、そういうわけでもないらしい。
要は、筋肉に無理な力が加わり、
起こることなので、
スポーツをやっていなくても
それぞれのレベルで起こりうることなのだ。
痛みは、大したことないし、放っておいても
自然に治るだろうと思っていたが、
普通に歩けないことや
階段の上り下りが不便なので、
治療に行くことにした。
ネットで見つけた、評判の良さそうな
治療院の予約を取り、夕方、行ってきた。
「ゆらし療法」という治療で
特に肉離れの治療には、評判が良いようだ。
「ゆらし療法」は、非常に優しい治療で
一切、痛いことはやらない。
施術してくれた人の話では、
今年は、寒さのせいか肉離れの人が多いと言う。
整形外科で全治一ヶ月と言われた人が、
一週間の治療で走れるようになったというような
劇的な治療例がたくさんあるようで、期待大。
私は、スポーツの試合に出るわけではないので、
いついつまでに治したいとか
期限はないのだけど、完治は早い方が望ましい。
「肉離れ」というけれど、
実際には、筋肉が切れているのだそうで、
酷い時には、横に切れて、
ギブスを付けなければならないような
ケースもあるらしい。
私の場合、そこまでではなかったので、
軽症で済んで良かった。
今日の施術の結果は、
劇的というほどではないが、
結構 楽になったのは分かる。
思ったより歩けると油断して、
また悪くしてしまう患者さんもいるらしく、
ここは、慎重に意識しておかなければならない。
3回ほど通えば、普通に歩けるようになるでしょう
ということだったので、とりあえず、
3回は通ってみようと思う。
2018.2.24
ボルトの気持ち 3
肉離れレポートのその3だ。
なんで「ボルトの気持ち」という
タイトルになってしまったかは、
こちらをお読みください。
一昨日、点滅し始めた信号を見て
ちょっと走ってしまい、
左足ふくらはぎに肉離れを起こした。
昨日、治療に行ったのだが、
他の治療院と同様、そこでも治療前に
住所氏名などとともに症状などを
問診票に書き込んだ。
その中に「最近、環境が変わりましたか?
(例えば引越しや転勤など)」というような
質問があった。
引っ越してまだ1ヶ月も経っていないの
「最近、引っ越しました」と記入した。
気になって、治療中、施術してくれた人に
そのことについて質問をした。
「肉離れになることと引越しが
関係あるのですか?」と。
答えは「大いに関係あります」だった。
まず、引っ越しの時には、
普段使わない筋肉を使うということ。
そして、引っ越したあと、
環境が変わったことに慣れていないので、
知らないうちに(筋肉が)
緊張しているということ。
もともと、肉離れの原因のひとつには、
筋肉が緊張し固くなっていることが
考えられる。
その観点から観ると、
環境の変化で無意識に筋肉が
固くなっていることは、
十分考えられることだ。
おまけに普段の運動不足。
小まめにストレッチなどを
していれば良いが、
そういうことも出来ていない。
私の場合、引越しの影響もあるだろうし、
普段の運動不足と準備なく突然
走り出したことが、原因と考えられる。
走り出したのは、緩やかな
上り坂だったが、上り坂を
(準備なく)走り出すことは
「一番やってはいけないこと」と
言われてしまった。
なるほど、いくつかの条件が
重なって、こういうことは
起こるのだな。
2018.2.25
ボルトの気持ち 4
肉離れ3日目。
昨日までは、歩くとき右足の前に左足を
出すことが出来なかった。
右足が後ろになるとふくらはぎが
痛むからだ。
なので、右足を出しそのラインに
左足をそろえ、また右足を前に出すという
とろい歩き方しかできなかった。
治療先では、それが肉離れ時の
正しい歩き方だと教えてもらったけど。
今日は、一昨日の治療の成果が表れたのか
かなり楽になっており、左足を
前に出すことが出来るようになった。
100%完治ではないけれど、
普段の歩き方を「10」だとしたら、
「7〜8」まで治った感じ。
一応、今日も治療の予約をしていたので、
行ったけれど、もしかしたら、
私の場合、一昨日の施術だけで
足りたかもしれないと思ったほど
今日は快方に向かっていた。
今日の治療で、明日明後日ともっと
改善が見込まれそうなので、
この分だともう治療には
行かなくて良さそうだ。
良かった、大したことなくて。
こういうことがある度に
自分の身体と向き合って
上手く付き合っていかなあかん年に
なったと思うのだが、
元来無精で健康な私は、
ついついサボってしまう。
なんか考えなあかんな。
2018.2.27
諦 観
昨年の暮れに
「来年のテーマは『諦観』『諦念』にしようと思う」
と書いた。( → 2017.12.30 煩悩の数)
実は、その時には「諦観」の意味を
あんまり分かっていなかった。
なんとなく字面からくるイメージで、
「達観」というか「諦めて受け入れている」
「悟りの境地」のような印象を持っていた。
それは、まんざら外れてはいないのだが、
本来「諦」という漢字は、
普段私たちが使っている「断念する=諦める」の
意味ではなく「明らかにする」
「つまびらかにする」というような
意味があるようだ。
「つまびらか」って聞いたことはあるけど、
普段はあんまり使っわない言葉だ。
調べてみると
「詳細まではっきりしている様」を言うらしい。
つまり「諦」には、細かい所まではっきりとして、
明らかにするというような意味がある。
そこから観ると「諦観」「諦念」「諦視」「諦聴」
という言葉の意味もおのずと見えてくる。
「諦める」というのは「明らかに見極める」という
意味もあるところから考えると、
私たちが普段言う「諦める」は、
本来それ相当のことを見極めた上で
断念するということなのかもしれない。
今までの人生で、数々諦めてきた。
それは、苦しみから逃れるために
諦めたのが ほとんどのように思う。
それも能動的に諦めたのではなく、
環境や状況が諦めざるを得なかったから
諦めたような気がする。
諦めてきた数々を後になって観てみると、
明らかに諦めるべき事柄であったのだろうが、
その最中にいる時には、物事を
つまびらかに観ていたとは思えない。
いや、物事をつまびらかに観ることができる
自分であったとは思えない。
金メダルを取った選手は、もちろん
断念しなかった(諦めなかった)から、
メダルを手にしたのだが、彼らは、
自分の実力を、また金メダルを取るためには、
何を準備すればよいのかを、
「諦観(本質をはっきりと見きわめること)」
していたとも言える。
そんな風に考えると、
今まで知っていた「諦める」が
違う言葉のように思えてくる。
最近、自分に起こった事から観察すると
自分が感情的であると
物事をつまびらかに観て、
その本質を見抜くことは出来ない。
エゴは自動的に自分の都合の良いように
物事を捻じ曲げる。
例え自分が蒔いた種であっても、
簡単に人のせいにし、厄介なことに
それが真実であるかのように
自分に思い込ませる。
しかし、自分のエゴを超えて
その本質が見えたなら、
実は人生は簡単なのかも知れない。
そんな風に生きられたら、
それこそが「諦」なのだろうな。
ねぇ、お釈迦様、そういうことですよね?
2018.3.1
ボルトの気持ち 5
〜 肉離れから一週間
早いもので、右ふくらはぎの
肉離れから一週間が経った。
まだ完治はしていない。
足は肉離れだが、最近食事は
肉が多く、肉から離れられない。
なんのこっちゃ。
五十肩で左、右と順番に痛めた次は、肉離れ。
肩の方は、痛みはないが、
時折手がピリピリと痛むこともある。
素人考えだが、全ては筋肉のことのように思う。
肉離れになって、改めて筋肉が
緊張し固くなっている事を実感したのだ。
先日テレビでは、朝起きた時、
腰が痛い人と痛くない人の違いを
やっていたのだが、
それは、寝返りの回数だった。
寝返りが多い人は腰が痛くならない。
寝返りが少ないということは、
同じ姿勢で長時間寝ているということで、
当然、体重がかかっている部分の
筋肉や血管は、圧迫されているわけだ。
そして、筋肉が固い人は、
寝返りの回数が少ないのだという。
私も年を取ってきて、
寝返りが少なくなってきているような
実感がある。
私の場合は、それは腰痛ではなく、
肩に現れる。
朝起きた時、時折肩が痛いことがある。
五十肩の始まりも、肩の寝違えだった。
また別のテレビ番組では、
肩甲骨を柔らかくする簡単な
体操を紹介していた。
ベストセラーになっている、
「骨ストレッチ」の特集だった。
今日、注文していた本が届いた。
「演奏者のためのはじめてのアレクサンダー・
テクニーク」という身体の使い方の本だ。
演奏者のために書かれた本で、
興味があったので買ってみた。
まだ、最初の方しか読んでいないけど、
ここ数日、連続で入ってくる情報、
「筋肉を緩める」ということが
共通しており、驚いた。
私は漠然とだが、筋肉を伸ばし、
身体を柔らかくするためには、
きついストレッチをする必要が
あると思っていたのだが、
どうやらそれは間違っているようだ。
「アレクサンダー・テクニーク」は、
演奏家に効果的なので、
ジュリアード音楽院などでも
取り入れられている。
冒頭にいきなり
ジュリアン・ラージが取り入れたと
出てきて、俄然興味が倍増した。
とはいっても、演奏家だけに
効果があるわけではない。
まだ、少ししか読んでいないけど、
真剣に取り組んでみる価値がありそうだ。
健康のためにも、音楽のためにもね。
2018.4.1
甥の結婚式
人生にはいくつものセレモニーがあるが、
結婚式とその披露宴が、一番感動的で
参列者も幸福な気持ちになれると思う。
さて、今日は甥(私の姉の息子)の結婚式に
参列するため、大阪に行ってきた。(日帰り)
甥は、34歳。
長く付き合っていた彼女と昨年4月1日に
入籍したのが、ちょうど1年経った今日、
その結婚式と披露宴を行なった
大阪人の披露宴ということもあるかもしれないが、
20〜30年前の結婚式や披露宴とは
ずい分と様変わりしたように思う。
結婚式は、チャペルだけど
人前式というスタイルで、
終始 笑いが絶えず、
昭和の時代の厳かで厳粛な雰囲気はない。
参列者は、全員で60名ほどだが、
親族は両家合わせても10名ほどで、
ほとんどが新郎新婦の友人や同僚、
先輩、後輩、上司。
私の姉の家族は、とてもひょうきんで、
実家で飲んでいても、親子で小芝居や漫才を
始めることも珍しくない。
そんな甥っ子なので、披露宴も
まるでバラエティショーのように面白かった。
披露宴の入場では、新郎は背中に
生ビールのサーバーを背負い、
各テーブルのピッチャーに
ビールを入れて周った。
新婦は、サングラスをかけて、
隣で踊っている。
新婦の友人数人の余興は、
80年代バブル風衣装での
『ダンシング・ヒーロー』のダンス。
途中から、新郎も参加。
ちゃんと、練習してきとるがな。
そして、ヴォーカルだった甥と
バンド仲間による演奏。
甥の熱唱と、あらためての公開プロポーズ。
最後の親族代表の挨拶で、
新郎の母(私の姉)は、
「な〜んちゃって」を繰り返す始末。
そんな挨拶初めて聞いたわ。
楽しい涙と笑いの披露宴だった。
甥が2歳になるかならないかで、
両親が離婚したので、彼は実の父親を知らない。
姉は再婚したが、2回目の結婚も
そう長くは続かなかった。
こういうのを「家庭に恵まれなかった」と
言うのだろうか。
そんな彼が、結婚し家庭を持つ。
そう思うと感慨もひとしおだ。
ここに至るまでには、色々あったことだろう。
新婦がまた底抜けに明るく楽しい人。
この二人ならきっとうまくやっていける、
そう確信したのだった。
末長くお幸せに。
2018.4.17
なんで安倍首相が。
私は、ギターを担いで
どこかに 向かって歩いていた。
近道をしようと、ある建物の中を
通り抜けようとしていたが、
思った抜け道は見当たらなかった。
そこは、裁判所で裁判が行われていた。
その中を私は「すいませ〜ん」と言いながら、
歩いて行った。
場違いも甚だしい感じで、早くここを
出なきゃと急いでいると、広い部屋に出た。
そこには多くの人がいて、
会議をしているようだった。
それも裁判なのかもしれないが、
良く分からない。
「しんちゃん」と私を呼ぶ声がして、
振り向くと私を知る人が座っていた。
その人が私のことを知っているのは、
分かったが、私はその人が誰なのか分からない。
その部屋には、安倍首相も座っていた。
安倍さんは、私を見つけると近づいてきた。
二人でソファに腰掛けると、
安倍さんが話し出した。
「こないだいらっしゃいましたよね?」
そうだ、安倍さんはちょっと前に
家(うち)に来たんだった。
何しにきたのか覚えてないけど、
2〜3度 家に来ているように思う。
安倍さんが家に来た時、
顔を見かけたことはあったが、
一度もちゃんと挨拶をしたことがなかった。
安倍さんは、「このところの一連の
ゴタゴタで大変 困っている」と
私に話し出した。
かなり困っている感じが伝わってきた。
なぜ、安倍さんが私にそんな相談めいた
話をし出したのか、疑問もなく、
私は「それは安倍さんがちゃんと国民に
正直に話さないからですよ」と
言いたかったが、言う前に目が覚めた。
2〜3日前の夢だ。
珍しくかなり明確に覚えている。
政治にほとんど関心のない私が、
総理大臣の夢を見るとはどういうことだろう。
安倍さんの SOS か。
残念ながら、同じ「しんちゃん」でも
私は安倍さんを救えない。
2018.4.18
最期に何を聴きたい?
先日観てきた、
浜田真理子&小泉今日子のライヴは、
演出家の久世光彦(くぜてるひこ)氏が
何年にも渡って書き続けたエッセイ
「マイ・ラスト・ソング」が、元になっている。
私はまだ読んでいないのだけど、
ライヴの時のキョンキョンの話では、
音楽好きだった久世さんが、
臨終の間際に1曲だけ好きな曲を
聴けるとしたら、何を聴きたいか、
というコンセプトで書かれた
エッセイだということだった。
私は、自分の葬式で流してほしい曲は、
考えたことがあるが、自分が
死ぬ間際に聴く曲のことは、
考えたことがなかった。
しかし、ちょっと考えただけでも、
1曲選ぶというのは、めちゃくちゃ難しい。
選んだ曲を聴き終えた瞬間、
「あ、あっちの曲の方が聴きたかった」と
思い、ちょっと後悔しながら、
死んでいく自分を想像してしまう。
そうじゃなくて、
「最期にこれを聴けたら満足」という
1曲を選ばなければならない。
そんなん、選ばれへん。
決める前に死んでしまいそうや。
「マイ・ラスト・ソング」は、
久世さんが60歳の頃に書き始めたようだが、
結局、亡くなるまで11年に亘り、
5冊ものシリーズになっている。
120曲あまりの曲が取り上げられているらしい。
最後の1曲を選ぶのは、それぐらい
難しいということだろうか。
読んでいないので、分からないのだけど、
久世さんは、1曲を選べたのだろうか。
そして、最後に何を聴いたんだろう。
ちなみに私が葬式で流してほしい曲は、
数曲あるのだけど、最初にそう思った曲が、
Stuff の "And Here You Are"。
Aメロの2回目にヴァイオリンとドラム
(Steve Gadd)が入ってくるところと
サビの後のAメロで、ヴァイオリンが
オクターヴ上がるところが特に好き。
あぁ今、これ聴きながら、
ラスト・ソング、これでもいいかもと思った。
なんか安らかに、逝けそうな感じせえへん?
2018.5.17
迫りくる詐欺
振込め詐欺の被害があったとの
ニュースを見ると、いまだに騙される人が
いるのかと思ってしまうが、
その手口は年々巧妙になり、複数の
登場人物による劇場型というものもあって、
どうしても騙されてしまう人が
後を絶たないようだ。
先日、私の大阪の実家にも
それらしき電話がかかってきたらしい。
電話に出たのは姉だったのだが、
電話をかけてきた男は
「眞也やけど、お母ちゃん?」と
言ったらしい。
この時点で、姉は気付いたらしい。
そもそも、私は母のことを
「お母ちゃん」とは呼ばない上、
声も私の声ではないとすぐ分かった。
それに、もし私なら母の声と姉の声は、
100%聞き分けられるしね。
で、「詐欺や!」と思った姉は、
興奮してしまい、思わず
「オレオレ詐欺!」と言ってしまった。
すると、電話は切られた。
当たり前や。
騙された振りをして、
逮捕されるところまで見たかったと、
姉はがっかりしていたよ。
それにしても、「眞也やけど」と
名乗ったということは、
あてずっぽうに電話をかけているのではなく、
下調べをしてから、かけていると
いうことだな。
その知恵と時間と労力を
他のことに使ったらいいのにね。
2018.6.5
11年
気が付いたら、もう4日も過ぎてしまったけど、
6月1日は、11年前に
この「ひとりごと」を始めた日。
そう、ひとりごと記念日。(サラダ記念日みたい)
11年も経ったのだ。
11年間、読み続けてくださっている方、
新たに読者になってくださった方、
ありがとうございます。
11年って、長そうやけど、
あっという間やね。
この頃は、一週間が驚くほどに早く、
当然、一ヶ月も一年もあっという間だ。
古今亭志ん朝が、
「光陰矢の如しというのは、
ああ、光陰は矢の如しだなぁ、
という意味です」と言っていたのだけど、
まさにそんな感じ。(どんな?)
子供の頃は、そんな感じじゃなかったのにね。
そういえば、先日こんな話を聞いた。
生きた日数を分母にして一日を考えるらしい。
今日生まれた赤ちゃんは、1分の1。
1歳になった赤ちゃんの一日は、365分の1。
そんな風に考えると、私は2万日以上
生きているので、ざっと2万分の1になる。
当然、子供より大人、年を取れば取るほど
一日の値は減っていく。
2万分の1なんて、あっという間、というわけだ。
さて、11年というと、365×11=4,015日。
この4千日の間に、私も妻も50歳を超え、
4人の両親は80歳を超えた。
自宅の2度の引越し、会社の引越しなど、
環境も身体にも11年分の変化があったわけだ。
以前、習いに行った瞑想は、仏教以前の
仏陀の教えを引き継ぐもので、
その講話の中で「アニッチャ」という言葉を知った。
「無常」という意味だ。
もちろん「無常」という言葉は、その前から
知っていたけど、「アニッチャ」という言葉を
知ってからの方が、「無常」を意識するようになった。
過去を見て、変わってきた諸々を見て
無常を感じたり、散りゆく桜を見て、
無常を感じるのは容易なことだが、
今、この瞬間に無常を感じること、
執着しているものへの変化を
受け入れることは、意外に難しい。
昨日見た景色と今日見る景色、
昨日のあの人と今日のあの人、
昨日の自分と今日の自分、
何一つとして 同じではない。
世界は、一瞬たりとも止まらないのに
止まっているのは、自分の頭なのだな。
これから先の人生は、今までの人生には
経験しなかったことの連続だろう。
いや、正確にはいつもそうだったのだけど、
もっと一般的なレベルでね。
いつまで元気にこの「ひとりごと」を
書き続けられるのか分からないが、
今のところやめる気はないので、
もうしばらくお付き合いください。
感謝。
2018.6.14
人生の5分の1
先日のエントリーに、この「ひとりごと」を
書き始めて11年が経ったと書いた。
それで、気が付いたことがある。
私は、今55歳なので11年ということは、
人生の5分の1に相当する。
11年といっても、最近始めたような
感覚があったので、あらためて、
人生の5分の1と言われると、
その結構なボリュームに驚いたわけだ。
もっと長い期間を生きてきたような気がするのだが、
この期間(11年)の5倍と考えると、
「えっ?それだけ?」ってな感じもして、
なんとも不思議なのだ。
今からあと11年続けると、私は66歳になり
「ひとりごと」は、22年続けたことになるので、
人生の3分の1に相当する。
あと33年続けると、2分の1。
その時、私は88歳。
それ以降は、人生の半分以上というわけだな。
まあ生きていればの話だが。
そういえば来月、父が88歳になるよ。
米寿。
すごいなぁ。
2018.6.28
目覚めているか?
仏陀(ぶっだ、Buddha)というのは、
お釈迦様の尊称でもあるが、
「悟りをひらいた者」「覚者」という
意味でもある。
「悟りをひらいた者」というとどういう人か
分かりにくく、人によってそのイメージや
解釈が分かれるかも知れないが、
「覚者」なら分かりやすい。
「覚者」とはつまり「目覚めた人」。
何に目覚めているかというと、自分に。
自分が、今、何をしているか、
何を言っているか、それは何のためか、
それらのことに自覚があること。
私たちは、ほとんど無意識に生きている。
もちろん、起きている時、意識はあるのだけど、
無意識に行動し、無意識に喋る。
それは、「目覚めている」とは言わない。
もちろん無意識でいられることで、
ずい分、便利というか楽なこともあるだろうけど、
きっと、無駄な会話、非効率な言動、
人を傷つける言動も多いだろうと思う。
先日、こんなことがあった。
仕事で A さんにある文書を
作ってもらうことになった。
A さんは肩書に「〜士」の付く、
一般に「先生」と呼ばれる人。
A さんは、打合せの時に、その文書を私に
「X日までにメールで送ります」と言ったので、
私はわざと A さんの目の前で
手帳にその旨を記入した。
「わざと」というのは、A さんに
その約束を存在させる意図があったのだ。
X日が来たが、その日に文書は届かなかった。
X日は、金曜日だったので、週明けの月曜日に
「どうなっていますか?」とメールを送った。
すぐに「作業が遅れています。一両日中に送ります」と
返信があった。
それから、一週間、何もなく過ぎた。
A さんとのこういうことは、初めてではない。
だからこそ、目の前で「わざと」メモったわけだ。
「またか」「ええかげんな人だ」と
感情的に反応がある自分を観察しつつ、
ただ淡々と進めるのだと自分に指示し、
もう一度、催促のメールを送った。
翌日の昼頃、ようやく A さんから文書が送られてきて、
ほぼ同時に、その件で「午後に来社したい」という
電話があった。
「一両日中に」と書いてきたのに
一週間遅れたことへの謝罪の言葉はなく、
「近くに来る用事があるので、そのついでに」的な
アポの申し込みだった。
午後の打合せで、その文書の内容に関する
確認をした。
私は、A さんから連絡がなかったことも
書面が遅れたことも一切、触れなかった。
仕事の話のあと、A さんが(私にとっては唐突に)
「この2〜3日、体調が悪いんです」と言った。
私は、「そうですか」とだけ答えた。
それは、文書が遅れたことへの弁解なのだろうか。
私には、A さんがそんなことを言う背景が、
ほかに思い当たらないが、残念ながら
「一両日中に送る」と答えておいて、
一週間音沙汰がなかったことの弁解にはならない。
相手が(大人しい?)私だから、
こういう対応を取られるのか、A さんは
誰に対してもそうなのかは分からないが、
私の知る限り、こういう人は、
どういう場面でもこういう人だ。
A さんに対する文句やストレスは、
「全くない」と言うとウソになるかもしれないが、
幸い(?)慣れてきたせいか、「ない」と言って
差し支えない程、問題ではない。
大きなお世話の領域に入るが、
こんな風では、信用もなくし、
当てにもされず、仕事が減って行くんじゃ
ないかと思う。
事実、私は今の件が終わったら、
次の仕事は、A さんに依頼する気はない。
で、目覚めているかどうか。
出来ることなら、人のことではなく、
自分のことで、観察・探求をしたいところだが、
「人の振り見て我がふり直せ」という言葉が
あるほど、自分のことは分からない。
きっと、A さんもご自身が世の中にどんな風に
映っているかは、ご存じないだろうと思う。
そこで、A さんを例にしているわけだが、
もし、A さんの自覚が高ければ、
約束のX日に書類を送れないと分かった時点で、
コミュニケーションできただろう。
「一両日中に送る」と言って、それが無理だと
分かった時点でも、コミュニケーション
できただろう。
そうするのが、ビジネス上のマナーだということは、
A さんだってご存じのはず。
それをしない、というのは、
「無意識だから」という説明しか
私には見当たらない。
もし、知っていて、そういうコミュニケーションを
する人だとしたら、それこそチームを
組みたいと思わないもんね。
「無意識だから」と書いたけど、
A さんが、約束のX日を過ぎていることを
全く知らないわけではない。
もちろん覚えているし、気付いていただろう。
ただ、何が何でも守らなければならない
期日ではないから、こういうことに
なってしまうのだろうが、間違いなく
あるレベルでは、知っている。
それが証拠に一度目の催促のメールの返信に
「X日までにということでしたが〜」と
ご本人が書いてきている。
ちらっと「あ、あれやらなきゃ」と思ったのに
面倒になって「まぁ、いいか」とそのままに
しておいたことで、問題が大きくなったことは、
ないだろうか?
その「あ、あれやらなきゃ」は、
無意識からのシグナルでもある。
しかし、よほど「目覚めて」それを
キャッチしない限り、もともと、いつもすでに
無意識の自分は、「まぁ、いいか」ということに
なってしまいがちだ。
つまり、「目覚めている」ということは、
そういう無意識からのインスピレーションも
逃さないので「冴えている」とも言えるわけだ。
そう、目覚めている人は、冴えている。
長々と書いてきたが、
前述したように自分のことは、
見えにくい。
周りのこういう、自分が引っかかる、
人の言動は、私も似たような言動を
無意識にしてはいないかと、
自分を見直す機会にすることにした次第。
そして、
私は、目覚めていたい。
と思うのだった。
2018.7.3
明 と 暗 と 幕の内弁当
人生には「明と暗」がある。
「明と暗」でピンと来なければ、表と裏、
プラスとマイナス、光と影、陰と陽、
ポジとネガ、ダークサイドとライトサイド、
ダウンサイドとアップサイドでも良い。
私たちは「明」は欲しいが、
「暗」は好ましくなく、排除しようとする。
ところが、お日様が当たれば、
必ず日影が出来る。
日影を作らずに日向を作ることは出来ない。
昼があれば、夜もある。
昼が好きだから、夜は要らないと
いうわけにはいかない。
仕事でも家庭でも、人生全般において、
欲しくないことを排除しようとし、
人生をコントロールしようとし始めると、
やがて限界が訪れる。
例えば、経営者が気に入らない社員を
クビにし続けていたら、その会社の
発展はないだろう。
自分の思い通りでないからと、
家族の批判ばかりしていたら、
円満で幸福な家庭はないだろう。
そんなことは、分かっている。
しかし、分かってはいても、
人生の「暗」は欲しくなく、
ついつい、抵抗してしまう。
今、妻が仕事にしてる講座を受けているが、
それは20回の講座で、早くも先日11回目が
終わった。
ちょうど今扱っているトピックが、
「暗」なので、そういうことばかりが
目につくというか、意識に上る。
講座は、自分の「個」を発展させる目的だ。
自分の「個」が発展する時、
「明」だけが発展するものと思っていたが、
そうではないようだ。
考えてみれば、そりゃそうだ。
「個」は「明」も「暗」も含んでの「個」だ。
片方だけ発展するなどという
いびつなことは起こらない。
両親を観ていると80歳を過ぎて、
今まで抑えつけていた「暗」が吹出して
しまったようで、どうにもしんどい状況が
起きている。
それは、父母の「暗」であると同時に
私の、私達家族の「暗」でもある。
では、その欲しくないけど存在し続ける
「暗・陰・ダークサイド・ダウンサイド」と
どう付き合って行くのか。
どう付き合っていけば、自分はその「暗」を
含んでもなお、幸福に生きられるのか。
答えは、いともシンプルだ。
包含、許容。
言葉にすれば、そんな簡単な言葉になるが、
これが、大変にチャレンジングで、
それが出来ないがために、
世の中では、たびたび殺人事件にまで発展する。
先日、一緒に講座を受けている N 氏から、
この「暗の包含」をとても上手く、
言い表した言葉を聴いた。
N 氏が敬愛する K さんから言われた言葉で、
私もその K さんを知っているので、
大変に K さんらしい表現で気に入ったので、
ここに書いておくことにした。
↓
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人生に好ましい事ばかり望むのは
幕の内弁当を頼んでおきながら
漬物がキライだから
代わりに卵焼きをもう一切れ入れてくれと
言う客ぐらい滑稽だよ
好きなおかずも
どうでもいいおかずも
全部で幕の内弁当であり
それが人生だよ
全部平らげて
味わい尽くしてやんなよ
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「人生は幕の内弁当、好きなおかずも
嫌いなおかずもあるよ」と言うだけなら
感動しなかったかもしれないけど、
最後の
「全部平らげて味わい尽くしてやんなよ」
にやられたね。
おぅ、全部平らげて味わってやろうじぇねえか。
って気になるよ。
大阪弁でもう一度。
よっしゃ、全部食べて味わったろやないか。
2017.7.8
父 米寿
昭和5年7月7日生まれの父は、
88歳になった。
昨日、米寿の祝いに大阪まで行ってきた。
(最近は、大阪に「帰る」という感じが
しなくなって「行ってきた」と書いてしまう。)
お祝いは、家族8人で、甥(父の孫ね)が
勤めるイタリア料理店で。
甥は仕事なので、飲み食いは7人だけど。
父と母2人合わせて、170歳を超えたけど、
お陰様で深刻な病気もなく健在だ。
時々は夫婦喧嘩もあるみたいだけど、
結婚して、59年になる。
ここ数年思うのは、父の変わりよう。
昨日も「ここまで来られたのは、
母のおかげだ」と家族の前で
母に礼を言っていた。
いや、以前は礼を言わなかった人と
いうわけではないが、
以前とは何かが違っていて、礼に限らず、
こんなこと言う人だったかな、と
思うこともしばしば。
それは、父が年を取ったということも
もちろんあるのだろうけど、
考えてみればと父のことを、
私はほとんど知らないんだ。
子供の頃から、父に何かを
反対された覚えはない。
母は、(それが母親というものだろうし、
心配してくれていたからだろうけど)
何かと口うるさかった覚えがあるが、
父は、ホントに何も言わない人だった。
「勉強しなさい」なんてもちろん言われた
覚えはないし、私が学校を出て就職しなくても、
「仕事に就け」と言われた覚えはない。
今、気が付いたけど、
なぜ、何も言わないのかも聞いたことがない。
母は、父に不満があるようで、今でも
「話を聞いてくれない」だの
「会話ができない」だのと言う。
しかし、父から母への不満を聞いたことはない。
いや、母のことに限らず、仕事だろうが
世間だろうが、何かへの不満や愚痴を
聞いたことがない。
時に自分の中で何かを抑えつけて
溜めているのではないかと心配になるほどだ。
そして、母は父が「話を聞いてくれない」と
言うけれど、周りから見ても、父が母の全てを
受け入れているのが分かる。
頑固で、融通の利かない困ったところも
ある人だが、私は父に見習うべきところも多い。
↑
孫夫婦にプレゼントされた米寿祝の
黄色いちゃんちゃんこ(鶴と亀甲柄)と
大黒頭巾を身に付けた父。
来年、両親は結婚60周年(ダイアモンド婚式)。
そして、再来年は、父の卒寿、姉の還暦と続く、
そのうち(あと4年)で、なんと私が
還暦を迎え、その翌年は、母が米寿だ。
まあ、全て、生きていればの話だけどね。
2018.7.10
壊れてしもた
冷蔵庫が壊れた。
昨夜遅くから、キッチンのどこかで時々、
「カチッ」という聞きなれない音がしていた。
気になったけど、夜遅かったので、
原因を突き止める気にならず、そのまま寝た。
たぶん、その時点で壊れていたんだと思う。
今日、帰宅して、冷蔵庫を開けると、
冷えていない時のあの独特の臭い。
そして、冷凍庫・・・。
今、セブンイレブンでは、700円以上買うと
アイスクリームや缶コーヒーなどが当たる、
ハズレなしのくじを引かせてくれる。
先日、セブンイレブンで14,000円の支払いをした。
弁当やジュースをそんなに買ったわけではない。
コンビニ引取りで買ったものの 支払いだった。
それで、20枚のくじを引いて、
10枚以上、色々なアイスが当たった。
いくつかは食べたけど、
冷凍庫にはそのアイスクリームが
まだまだ残っていた上に、
そのくじの前に買ってあった未開封の箱入りの
「ガリガリ君ソーダ(7本入り)」も入っていた。
つまり、普段になく、最高に冷凍庫の中が
充実していたのだ。
冷凍庫を開けると、コンビニの
アイスコーナーのようで、
どれを食べようかと選ぶのも楽しい
この数日だった。
それなのに・・・。
こんな時に限って・・・。
ガリガリ君は融けるとジュースのように
液体になるんだね、グスン。
そういうわけで、ネットで新しい冷蔵庫を発注。
でも、我が家は数日間、冷蔵庫なしの
暮らしを送ることになった。
夏なのに。
考えてみれば、壊れた冷蔵庫は、
結婚前に買ったもので、
ちょうど20年使ったことになる。
寿命ですな。
おかげで、冷蔵庫の中の整理ができた。
引越しの時、一度整理をして、
まだ半年しか経っていないのに、
結構、汚いし、捨てるもんもあった。
ちなみに「冷蔵庫 寿命」でググってみて、
いくつかの記事を読んだところ、
もちろんモノによるだろうが、
大体、10年のようだったので、
20年使ったということは、
長持ちした方なんだろう。
今年は、テレビも洗濯機も買い換えた。
そういう時期なのかもな。
2018.8.4
カキフライの意味
今から17〜18年前、不登校の中学生のための
フリースクールで仕事をしていた。
巷にあるフリースクールとは少し違い、
生徒が学校に通える自分を手に入れるため、
週4日、半年間で合計100回の
セッションを行うというもので、
朝の9時から3時まで6時間、
合計600時間のセッションだった。
第1期生は、M君(男子)と
Yちゃん(女子)の2人。
プログラムをリードするのは、
K先生で、スタッフは私と妻の2人。
完全に赤字経営だった。
それはさておき。
セッション中の私の仕事は、
その記録をノートに取ることだったが、
忘れられないセッションがある。
セッションといっても、
それは、お昼ごはんの時のことだった。
生徒は、それぞれ弁当を持って来ていた。
ある日、弁当箱の蓋を開けたM君
(中学2年生)は、「フン」と
皮肉な笑いを浮かべた。
それを見逃さなかったK先生は、
「どうしたの?」とM君に尋ねた。
「いや、カキフライが入っているので、
今日は母さんの機嫌が良かったんだなと思って。」
K先生「どうして、お母さんの機嫌が良かったら、
お弁当にカキフライが入るの?」
M君「だって、そうですよ。機嫌が良いから、
僕の好物のカキフライを入れたんですよ。
そうじゃなきゃ、入れないですよ。」
その日は、M君の誕生日だった。
K先生は、M君に質問をした。
「お母さんが、機嫌が良い以外に、
カキフライを入れた理由があるとしたら、
どういうことが考えられる?」
一瞬、驚いたような表情を浮かべたM君は、
黙って、しばらく考えた後、こう答えた。
「今日は、僕の誕生日なので、
母さんが僕の好物のカキフライを入れてくれた。」
後ろで聴いていた私は、感動してしまった。
さっきまで、あんなに皮肉な
(言ってみれば かわいげのない)ことを
言っていた同じ子供の言葉とは、思えなかった。
たった、それだけのことで世界が違って見えた。
M 君の皮肉の対象だったカキフライは、
瞬時に母親の愛情の証しに変化したのだ。
凄い瞬間を観たと思った覚えがある。
ところで。
何度も書いてきた通り、7月20日に妻の著作
『超解釈 サルトルの教え』が発売された。
そして、いよいよその本をテキストにした
「サルトル塾」なるものがスタートした。
今日は、その第1回だった。
本の中に書ききれなかった補足や説明を
交えながら、読者の疑問にサルトル先生が
答えるという趣旨で、今日は40数名の人が参加した。
第1回のテーマは、本の「ストーリー1」の
テーマである「事実と解釈の区別」だった。
ほとんどの人が何かイライラしたり、
腹が立ったりした時、「事実」とそのことへの
「解釈」がごっちゃ混ぜになり、
問題を複雑化しているのだが、
本人はそのことに気付かない(知らない)。
あるいは、気付いていても、
「事実」と「解釈」の区別をするには、
少々練習が必要だ。
他人のことは見えるのだけど、
自分が当事者になると、中々難しいのだ。
参加者とサルトル先生(妻ですが)の
問答を聴きながら、前述のカキフライの
一件を思い出した。
当初、M 君にとってカキフライは、
母さんの今日の機嫌の良さの表れだった。
この時に、M 君には事実と解釈の区別は
なされていない。
区別してみると。
「事実」=
お弁当のおかずにカキフライが入っていた。
「解釈」=
今日は母さんの機嫌が良かったから入れたんだな。
K 先生は、「事実」と「解釈」を
区別しなさいとは言わなかったけれど、
お母さんがカキフライを入れた他の理由を
考えさせることで、本人が気付くことなく、
M 君の中で、その区別が起きた。
そして、M 君は、
「事実」=「お弁当のカキフライ」に
新しい「解釈」=「誕生日なので
好物のカキフライを入れてくれた」を
生みだした。
そう、新たな解釈を「創作」したのだ。
そして、新たな「解釈」を創作したとたん、
「母さんの機嫌が良かったから」は、
事実(真実)なのではなく、ひとつの「解釈」に
過ぎないことに M 君は気付いたのだ。
「お母さんが、機嫌が良い以外に、
カキフライを入れた理由があるとしたら?」と
問われた時の M 君の驚いたような表情は、
自分が真実だと思い込んでいることに
メスを入れられた時の戸惑いの表情だと
私は "解釈" している。
私にも似たような経験があるが、
自分の「解釈」が、「真実」だと
思っているうちは、人生は大変に困難だ。
そして、「真実」だと疑わなかったことが、
単なるひとつの「解釈」に過ぎないと知る体験は、
まさに「目からうろこ」であり、
何か荷物をひとつ降ろしたかのように
人生が軽くなる体験でもあった。
「事実」と「解釈」を区別することは、
問題をシンプルにする。
そして、それは新しい解釈を生み出す
(創作する)第一歩でもあるのだ。
2018.8.7
56歳になりました
母の話では、私は予定日を2週間遅れて、
世の中に出てきたらしい。
よほど、腹の中の居心地が良かったのか、
出てくることに怖れがあったのか、
もう覚えていないけど、
とにかく、今日で丸56年経ちました。
この数年、身体と気持のギャップを
目の当たりに感じることが増えたけど、
これから残りの人生では、もっと
そういう体験をするのだろう。
日ごろの心掛けしだいで、
身体も精神もある程度は健康に若々しく
保つことも可能なんだろうけど、
なんせ無精もんなので、中々難しいですわ。
56歳の祝は、妻と五反田の
リストランテ・アンジェロ で。
食べたことのないような
創作料理の連発で、ひとつひとつが
めちゃくちゃ旨かった。
大満足。
お店からは、オリジナルボトルの
ビールのプレゼントまでいただきました。
HAPPY BIRTDAY
SHIN-SAN!
2018/08/07
ラベルのギターを弾いている人が、
「あれ?これオレ?」と思うような絵で
ビックリ。
似てるのを探してくれたようです。
感謝。
2018.10.23
検便に 便利は不便
この夏の北海道の地震による
大規模停電では、買い物しようにも
電子マネーやクレジットカードが使えなくて、
現金を引き出そうにも銀行の ATM が
使えないという事態で、現地の方々は
ずいぶんと不便されたようだった。
便利な筈のそれらが
電気が使えないとたちまち
何の役にも立たない。
便利になるのはいいが、
その分、それが使えない時に
私達は弱くなっているような気もする。
地震とも停電とも関係ないのだが、
先日、こんなことがあった。
健康診断のために検便を提出するので、
出かけた先の商業施設のトイレで便を
採ろうとした。
便を出し終えて、そこのトイレが
新しいことに気づき、もしかしたら、
立ちあがったら、うんこを採る前に
流れてしまうかもしれないと思った。
最近のトイレは、レバーやボタンを
押さなくても自動的に流れるものがあるのだ。
さて、どうやって採ろうかと
考えていると、動いてもいないのに
勝手に流されてしまった。
誰が流して ええっちゅうてん!
と、トイレに文句を言っても仕方ない。
会社のトイレも自動的に流れるタイプなので、
コンセントを抜いて、ウンコしたよ。
TOTO さん、「検便スイッチ」付けて下さいな。
今日の川柳
「検便に 便利で不便な トイレット」
2018.10.26
キューバ旅行準備
2月に申込んだ、キューバ旅行が
いよいよ近づいてきた。
今日は、赤羽橋にあるキューバ大使館領事部へ、
ツーリスト・カードと呼ばれる、
入国に必要な書類の申請に行ってきた。
キューバ入国には、30日以内の場合、
ビザは不要なのだが、ツーリスト・カードと
いうものが必要なのだ。
ツーリスト・カードは、
申請に2100円必要で、代理人に頼むと
5600円、旅行業者に頼むと8000円かかる。
赤羽橋なら自分で行けるので、
予め、妻と私の分、2100円×2を振込み、
振込みの控えや、パスポート、申請書などを
持って、キューバ大使館領事部へ向かった。
ここで、ひとつミスを犯していたのだが、
私は全く気付かなかった。
というのは、私のツーリスト・カードの申請は
本人なので、2100円で良かったのだが、
妻の申請は、私は代理人になるので、
5600円振込んでおく必要があったのだった。
窓口でそのことを告げられ、
「申請を後日にしますか?
それとも、今、そこのファミリーマートで
(差額の3500円を)振込んできますか?」と訊かれた。
「今、振込んできます」と、私。
現金では受け付けてくれないのだ。
申請に行く3日前に振込んでおくことと、
なっていたけど、こういう場合は
当日でも許されるようだ。
それにしても、コンビニで振込が
出来るようになったのは、本当にありがたい。
(と、初めて思った。)
近くに自分が口座を持つ銀行がなくても
振込めるんだもの。
4年前のイタリア旅行の時もそうだったが、
今回も行く前に色々キューバのことを
調べようと思っていたけど、
どうやら、このまま、何も知らないまま
行くことになりそうだ。
出発は、11日後です。
パスポートと交付されたツーリスト・カード