2018年 2月
感想・ご意見は→ shinya◇shin223.com
メールをくださる方は、上記アドレスの◇を@に変えて送ってください。(スパムメール対策)
2018.2.6
LARRY CARLTON
"The Greatest Hits"
引越しの片づけは、まだまだ終わっていないのだけど、
そろそろ更新を再開します。
"The Greatest Hits" と題された、
ラリー・カールトンのライヴに行ってきた。
ブルーノート東京、5日間10公演の
ラスト・ショーだ。
今年は、生誕70年、アルバム・デビュー50年、
大ヒット・アルバム『夜の彷徨(さまよい)』
リリースから40年という節目の年らしい。
そうか、40年か。
当時、私は LPレコードが買えなくて、
『夜の彷徨』からシングルカットされた、
"Room335" のシングル盤を買ったよ。
B面は、シブいバラード、
"(It Was) Only Yesterday" だった。
先日、引っ越しの荷造りの時、
そのシングル盤を見たような気がするのだが、
まだ全ての段ボールをアンパックしておらず、
どこにあるのか不明だ。
さて、ライヴの方はというと、
いままでラリーのライヴを10回近く
観てきたと思うが、その中でも1〜2位に
入るのではないかというライヴだった。
と言っても以前と比べようないねんけど、
それぐらい良かった良いう意味ね。
まず、ギターの存在感に圧倒された。
彼のギターは、トレードマークでもある、
Gibson 社の ES-335 というモデルで、
ラリーは、"Mr.335" という異名を取った
ほどなのだが、その 335 が異常な
存在感を放っていた。
ラリーがギターを抱えているのではなく、
ステージの中央にまず、ギターがあって
(空中に浮いているイメージ)、
そこにラリーが寄り添い、
手をまわしてギターを弾いているように
見えたのだ。
ギターがこんな風に見えたのは
初めてのように思う。
今日のギターが、70年代から使っている、
その個体かどうかまでは分からないけど、
尋常じゃない貫禄で、
もう神々しいとさえ感じたよ。
演奏は、あまり長いインプロはせず、
1曲1曲 コンパクトにまとめられている
印象で、ラストの "Room335" まで
終始リラックスした楽しい演奏だった。
おそらくは、"Room335" がアンコール的
位置づけだったんだろう。
アンコールはなしで、約80分。
曲名が、分からないのだけど、
分かるものだけ書くと、
"Friday Night Shuffle"
"Smiles And Smiles To Go"
"Minute By Minute"
(ドゥービー・ブラザーズのカヴァーね)
15年ぶりに演ると言った(と思う)
"Hill Street Blues"。
これはアメリカのテレビ番組の
テーマ曲であったようだ。
「今まで日本で演ったことのない曲も
演ります」と言って、演ったのが
Michael Jackson の『Off The Wall』に
収録の "She's Out of My Life"。
これ、ギターは、ラリーだったのだ。
この人のギターの魅力は、
やはり歌心やなぁと改めて思った。
バンドも素晴らしかった。
ベースは、ラリーの息子、トラヴィス。
もう何度もお父ちゃんと来日している。
キーボードにミッチ・フォアマン、
ドラムにゲイリー・ノバック。
そして、テナー・サックスにポーリー・セラ。
後半、ラリーが「Special Time」と言って、
スローブルースに突入。
サックスのポーリーが歌い出した。
これが、めっちゃ良い!
この人、ヴォーカルでもOKやん!
と聴きほれていると、
あれ?この感じ前にもあったぞと
思い出した。
2014年 2月の ラリー・カールトン&
デヴィッド・T・ウォーカーの
ライヴの時もやはりポーリーが、
ブルースを歌ったのだ。
最後は、スタンディング・オベイション。
満席で大盛況。
大満足なライヴでした。
[ MEMBERS ]
Larry Carlton (g)
Travis Carlton (b)
Mitch Forman (key)
Paulie Cerra (sax)
Gary Novak (ds)
@ Blue Note Tokyo
2nd show
ところで。
ラリー・カールトンを初めてナマで
聴いたのは、33年前、アメリカ旅行の際、
LA の老舗ライヴ・ハウス Baked Potato で。
当時の旅日記を見ると、1985年11月2日。
ミュージック・チャージが、10ドル!
入替制だったので 1ステージしか
観られなかったと書いている。
今日と同じく80分ほどだったようだ。
ハッキリと覚えていないのだけど、
ラリーのギターは、ES-335 ではなく
Valley Arts のソリッド・タイプだった
ような気がする。
ベースが、エブラハム・ラボリエルで
その弾き方にぶっ飛んだ様子が書いてある。
その時の写真。
私、23歳。
髪の毛、あります。
(2018.2.8 追記)
ポーリー・セラのスロー・ブルースは、
Larry Carlton & David T. Walker のCD、
『@Billboard Live Tokyo』にも
収録されておりました。
"My Baby By My Side" という曲なのだが、
ちょっと歌詞が違うように思うので、
同じ曲かどうか確信がないけど。
まあブルースなんで、似たようなもんです。
歌は、CDより今回のライヴの方が
断然 GOOD だった。
2018.2.7
桂 福車
私の高校の一学年上に大津さんという方がいた。
大津さんと直接話したことはない。
高校時代、大津さんは落研だった。
文化祭の時か何かの機会に一度ぐらい、
その落語を聴いたことがあるような
気がするが、定かではない。
ただ、大津さんという名前も、
着物(浴衣?)姿でひょうひょうと校内を
歩く姿もなぜか記憶に残っている。
大津さんは、高校卒業後、
郵便局に勤めながら、
桂福團治(4代目)に弟子入りし、
桂福車(かつらふくしゃ)として、
プロになられた。
その桂福車さんが、今月1日に亡くなったと、
今日、友人から知らされた。
今月の出演の予定もあったようで、
報道は急死と伝えている。
社会派の落語を聴かせていたらしいが、
残念ながら、私は一度も聴く機会がなかった。
享年56歳。
早すぎる死だ。
合掌。
[ 関連記事 ]
桂福車さん急死、桂福団治門下の個性派 56歳
2018.2.8
Char
@ Billboard LIVE TOKYO
12月に紀尾井ホールで、
「Acoustic Tour」を観てきたばかりだが、
またまた 観てきた Char のライヴ。
今日は、エレクトリックで
ドラムが Robert Brill!
ビルボードライブ東京にて、
2日間4公演の最終 show を観てきた。
Robert は、Char のデビューアルバムから
3rd アルバムまでの初期三作に
参加したドラマー。
いつも一緒に演っている古田たかしも
好きだけど、聴き比べるとどうも
Char のギターには、Robert の
ドラムの方が合っているように感じるのだ。
今日もドラムが聴こえない瞬間が何度かあった。
これ、いい意味で、ドラムが
音楽に溶け込んでいるような感じなのだな。
そして、キーボードが同じく Char の
初期作に参加していた 佐藤準。
ベースは、いつもの澤田浩史。
2014年12月と2015年12月に
このメンバーでのライヴを
EXシアター(六本木)で観たけれど、
それ以来となる。
Char のギターは、バーガンディミストの
ストラトとホワイトのムスタングの2本。
曲は、"I'm Here For You"、"All Around Me"
"Cry Like A Baby"、"Tokyo Night"、
"空模様のかげんが悪くなる前に"、
"Smoky"、"Shinin' You Shinin' Day"、
"Rainbow Shoes" など。
"Cry Like A Baby" を久しぶりに聴けて、
嬉しかったな。
『気絶するほど悩ましい』や『闘牛士』
『逆光線』は演らず。
やっぱり、この人のギターを抱えた姿は、
絵になるなぁ。
カメラが入っていたので、DVD になるかも。
そうそう、今日は久しぶりに
エイトビートおばさんを見たよ!
エイトビートおばさんについては、
こちらを参照。
[ MEMBERS ]
Char (Gt,Vo)
Robert Brill (Drs)
佐藤 準 (Key)
澤田浩史 (B)
@ Billboard Live TOKYO
2nd show
2018.2.9
続く訃報
レオン・“ンドゥグ”・チャンクラー
デニス・エドワーズ
先日(1月5日)、David.T.Walker の
ライヴで観たドラマー、
Leon Ndugu Chancler(レオン・ンドゥグ・
チャンクラー)のことをこう書いた。
いつもとっても嬉しそうに演奏する
ドラムのレオン・ンドゥグ・チャンクラー。
今日は、登場するなり、
痩せていてビックリした。
何か病気でもしたんだろうか。
心なしか笑顔もいつもより
少なかったような気がする。
時々、満面の笑みで叩いてたけど。
あれから、ひと月もたたない今月3日、
チャンクラーは死んでしまった。
やっぱり、具合があまり良くなかったんやね。
今回の訃報で知ったのだけど、
チャンクラーって、マイケル・ジャクソンの
"Billie Jean" のドラマーやったんやね。
デヴィッドのライヴで、何度も観たけど、
全然知らんかった。
この出だしドラム、世界中の人が知ってるやん。
↓
Michael Jackson - Billie Jean
マイケルだけでなく、マイルスやカルロス・サンタナ、
ザ・クルセイダーズ、フランク・シナトラ、
ウェザー・リポート、ライオネル・リッチー、
ケニー・ロジャース、セロニアス・モンク、
ジェームス・ブラウン、エリック・クラプトン、
ハービー・ハンコックなどなど
凄いメンツと共演してきたドラマーだったのだ。
Darryl Jones らと、こんなカッコええのも演ってたよ。
↓
3 Brave Souls 「Wanna Get Away? ft. Sy Smith」
いつもホントに嬉しそうにドラムを叩く、
姿が印象的でした。
享年65歳。
ちょっと若いなぁ。
合掌。
[ 関連記事 ]
米ドラマー、レオン・チャンクラー逝去
R.I.P Leon Ndugu Chancler
「ビリー・ジーン」などの名ドラマー、ンドゥグ・チャンクラーが死去 65歳
それから、昨年3月、
「THE TEMPTATIONS REVIEW
featuring Dennis Edwards」として観た、
デニス・エドワーズが、今月1日、
シカゴの病院で死去した。
享年74歳。
そのライヴのレビューで
私はこう書いている。
ちょっと残念だったのは、
デニス・エドワーズ の声が
出ていないというか、
聴いていてちょっとしんどかったこと。
ステージ中、何度も水を飲む様子から、
体調が優れないのかなとも推測したが、
隣のテーブルからは、
「デニス、前回よりも良いよ」という
声が聞こえてきた。
やっぱり、好調ではなかったのかもな。
合掌。
写真中央がデニス。
[ 関連記事 ]
R.I.P Dennis Edwards
デニス・エドワーズさん死去、テンプテーションズのリードボーカル 74歳
東 京 都 庁
久しぶりに新宿にある都庁を訪れた。
仕事上のある手続きのため、
不動産課に用があったのだ。
1階で入庁の手続きをする。
名前、会社名、電話番号、行き先を
用紙に記入し、通行証をもらう。
記入した用紙を1枚1枚スキャンして
コンピュータに取りこんでいるようだった。
誰が出入りしたのかの記録のためだろうか。
数年前は、こんなことせずに
入れたような気がするが、
やはりテロ対策の一つだろうか。
でも、手荷物検査があるわけでもなく、
身分証の提示を求められるわけでもないので、
あんまり意味があるようにも思えない。
用紙に書いた名前だって電話番号だって
でたらめを書いても分からないからね。
そう考えると、このための設備投資と、
毎日毎日、数人のスタッフ・警備員を
立たせる人件費が、果たして、
有効な税金の使い道なのかどうか
私には分からない。
ただ、このシステムがあれば、
実際に何かあった時に、
入庁者を制限したり、
身分を確認したりするのは、
容易だろうとは思うけどね。
手続後、この「一時通行証」を
付けて、入庁する。
自動改札機のような機械の
パスの役目も兼ねている。
周りを見ると、胸に付けている人が多かった。
私は、ポケットに突っ込んで
庁内を歩いていたけど、
別に何も言われなかった。
こんなに怪しいのにね。
2018.2.12
引越しに想う 0
― 序章 ―
以前何かで読んだことがある。
自分を変えるには、
以下の3つのどれかを実行すればよいと。
・時間配分を変える。
・人間関係(付き合っている人)を変える
・住んでいる場所を変える。
時間配分を変えるのは、
今までの生活パターンを変えるわけだから、
意外と難しいだろう。
職場を変えれば(転職すれば)、
付き合っている人は変わるだろう。
また、引っ越しすれば、
住んでいる場所はもちろん、
遠くに引っ越せば、おのずと
付き合う人も変わってくる。
私が、大阪から東京に転居したときは、
住む場所だけではなく、仕事も変わったので、
確かに色んなことが変わり、
自分にも変化があった。
例えば、聴く音楽の趣味まで変わったし、
当然付き合っている人も変わった。
自分が変わったのかと言われれば、
よく分からないのだけど。
さて、今回の引っ越しは、
距離にして1km ほどの引越しで、
最寄駅も変わらないし、
環境的には大差がないようだが、
寝るところが変わるだけで、
ずい分と気分が違う。
また、引越しという作業自体が、
色々なことを引き起こす。
今回の引っ越しで色々思ったこと、
感じたことを「引越しに想う」と題して
2〜3回に分けて書いてみたいと思う。
まずは、今回粗大ごみとして
処分したタンスと本棚から思ったこと。
引越しに想う 1
― 青春の八戸ノ荘 ―
毎回、引っ越しのたびにたくさんの物を
処分するのだが、今回も長年持ち続けてきた
いくつかの物とおさらばした。
その中でも特に古い付き合いだった、
タンスと本棚。
両方とも私が実家に
住んでいた頃からのもので、
10代の頃から使っていることになる。
約40年人生をともに
歩んできたことになる。
まあ「人生をともに」は大げさだが。
23歳の時、実家を出た。
私は大学に進学しなかったが、
子供の頃、母に言われた、
「大学を出る22歳までは、
家に置いてあげるけど、それからは、
自分で生きていきなさい」という
言葉の通りにしたのだ。
そういうと、聞こえが良いが、
一人暮らしに憧れていただけだ。
23歳で見つけた新居は、
家賃 17,000円の木造アパート。
友達の友達が住んでいたので、
訊いてもらったら、
一部屋空いていたのだ。
「八戸ノ里(やえのさと)」という、
大阪の近鉄線の駅から1〜2分という
好立地で、駅名にちなんで
アパートの名前は、「八戸ノ荘」。
住所は、東大阪市御厨南(みくりやみなみ)
1丁目だったと思う。
4畳半と2畳+板の間1畳に
流しが付いていた。
共同トイレだったけど、
管理人のおばちゃんが毎日、
掃除してくれていたので、
トイレも廊下もきれいだった。
風呂はなかったけど、
アパートの隣が銭湯で、
朝6時から夜中の3時まで
営業していたので、いつでも入れた。
反対側の隣が、24時間営業のコンビニ。
そして、駅近。
大阪の繁華街、難波まで電車で
15〜20分ほどだった。
めっちゃ便利。
25〜26歳の頃、友達に車(赤の
ファミリア)を10万円で譲ってもらった。
しばらくは、アパートの前に無断で
停めていたけど(ええ時代やなぁ)
そのうち、そういうわけにもいかなくなって、
近所の駐車場を借りた。
17,000円のアパートに住みながら、
借りた駐車場の使用料が月額17,000円。
でも、払うのがしんどくなって、
12,000円ぐらいの家から遠い駐車場に
替えた覚えがある。
八戸ノ荘には、23歳から31歳ぐらいまで
住んでいたが、立ち退きになった。
立ち退きの通知をもらっても、
私はどうすることも出来なかった。
なにしろ、借金こそあれ、
貯金なんて1円もなかった。
引越し資金など、あるわけがない。
それに、八戸ノ荘ほどの好条件の物件は、
そうそうあるもんでもない。
どうしたもんかと思っていたら、
同様に困っている住民が集まって、
説明会を開いてもらうことになった。
説明に来たのは、たぶん、
大家さん自身ではなく、
不動産業者だったんだろうと思う。
住人には、高齢の人も多く、
出て行ったら行くところがない、と訴えた。
結果、出ていくまでの確か3カ月家賃が
ただになり、立ち退き料として、
40万円ぐらいもらうことが出来て、
めでたく引っ越すことができた。
次に住んだのは、「福寿マンション」。
家賃は、6万円ぐらいだったと思う。
いきなり、3倍以上だ。
八戸ノ荘は、当時で築30〜40年といった
感じだったので、
てっきり取り壊しかと思ったら、
立ち退いた後、当時流行っていた
屋台村のような店舗に変わっていた。
現在は、どうなっているか分からない。
今度、大阪に行ったら、見に行ってみよう。
ところで、今回処分したタンスや本棚は、
妻に「八戸ノ荘」と呼ばれていた。
凄い呼び名や。
青いタンスにはおそろいの洋服ダンスも
あったのだが、それは前回か前々回の
引っ越し時に処分した。
これで、私もいよいよ八戸ノ荘は卒業か。
ああ、青春の八戸ノ荘。
2018.2.13
引越しに想う 2
― EC is Back Again ―
今回の引っ越しでは、40年ぐらい
使っていた本棚を処分した。。
その本棚の側面にこんなものが
貼ってあった。
エリック・クラプトン、
1985年の来日時の大阪のコンサートの
チラシ(A5サイズ)だ。
23歳の私は、このチラシをよく見える
この本棚の側面にセロテープで
貼り付けたのだな。
それが、なんと5回の引っ越しにも
剥がれることなく、22年以上の時を経て
今まで残っていたのだ。
せっかくなので、剥がしてスキャンした。
↓
クリックで拡大
1985年というと、エリックの
アルバム『Behind the Sun』が
発売された年。
10月 7日 厚生年金会館大ホール
10月10日 フェスティバルホール
とあるが、私は2日とも観に行った。
エリックのコンサートは、
この時が初めてで、
特に厚年大ホールでの演奏は、
一生忘れることがないだろう。
"White Room" だったと思うが、
ギター・ソロで、涙が止まらなくなって
「もう弾くのやめて!」と言いたいぐらい
嗚咽で大変なことになったのだ。
それから "Wonderful Tonight" でも
涙が止まらなかった。
人生で一番泣いたコンサートだった。
このあと、10月27日に私は、
ひとりでアメリカ横断の旅に出た。
そういう特別な時期だったのだな。
当時のクラプトン・バンドのベースは、
ドナルド・ダック・ダンだった。
6年前、ダック・ダンの最期の演奏を聴いた。
翌日のニュースのショックも忘れられない。
2018.2.14
引越しに思う 3
― 恋文編 ―
引越しの荷造り中に見つけた段ボール箱。
前の家には、押し入れや物置棚など
結構、収納スペースがあったので、
2009年に引っ越してから、
そのまま開けもせず置きっぱなしに
なっていた段ボール箱だった。
何が入っているのだろうと開けてビックリ。
19歳の時にもらった手紙に始まり、
30歳ぐらいまでにもらった
手紙が数十通 入っていた。
全部、女性からだ。
付き合っていた女(「ひと」と読んで)からの
ものでなく、ほとんどが友達からなのだが、
中には、付き合っていた女性からの
手紙もあった。
そういうのは、結婚する時に
全て捨てたと思ってたけど、
なぜか置いてたんやな。
読み返してみると、もらった私でも
ちょっと赤面しそうな文面。
いくつかの手紙を読み返してみて、
もう忘れてしまっていたような
細々した出来事にも想いを馳せ、
なんというか、そういう自分の
人生が愛おしく思えてきたよ。
20代前半で付き合ってた女(ひと)からの
30歳の誕生日にもらった手紙とかね。
年取ったな、オレ。
安心して。
今回は、全部捨ててきたから。
別の箱からは、結婚前、
付き合って間もない頃に
私が妻に送った恋文も出てきた。
オ、オレ、こんなこと書いてたのか・・・。
もし、今 恋をしてもこんな文章
書かれへんで、と思うような文面。
若いって素晴らしいね。
若いと言っても、20年前、
35歳の時に書いたんやけど。
ちなみに私の妻宛の手紙が出てきたのは、
妻の持ち物が入っていた箱で、
彼女は中身を見もせず、
「全部 捨てて」と言ったのでした。
彼女に言わせると、数年間、開けもしなかった
箱の中には要るものはないということなのだが、
私は、中身を見ずに捨てることが出来ず、
チェックしてその手紙を発見した。
なんと、その箱の中には、
(妻の)数千円の現金も入ってたよ。
今日は、バレンタイン・デイだからか、
恋文のネタになった。
今は、メールだのラインだので、
郵便で手紙を送ることなんて、
ほとんどないのだろう。
紙で残ることはほとんどないのかも知れない。
そう考えると、良い時代やったなぁと思う。
大した内容じゃないのに、
速達で送ったりしてたもんね。
今の子は、20年30年経って、
押し入れの中から出てきた
ラヴ・レターを読み返して
青春を想うなんて特別な体験は、
出来ないのかもしれないね。
手紙と言えば。
ユーミンの『青いエアメイル』という曲が
好きなのだが、もしかしたら、
こんな風に手紙に対する特別な思いが
あるのかも知れない、なんて思ったのでした。
『青いエアメイル』、特定の思い出のある人は、
きっと泣けるよ。
2018.2.15
引越しに想う 4
― シングル・レコード ―
先日、ラリー・カールトンのライブの日、
「当時、私は LPレコードが買えなくて、
『夜の彷徨』からシングルカットされた、
"Room335" のシングル盤を買った」
と書いた。
引越荷物の中から、そのレコードを
発見した。
1977〜78年頃に購入したものだ。
アナログ・レコードは、実家に数十枚
(いや、百枚以上はあるか)
置いたままだが、10年位前、一時期
レコードプレイヤーを持っていた時があって、
その時に、20〜30枚の LP レコードとともに
シングル盤も数枚東京に持ってきたのだ。
"Room335" 以外にはこんなの。
サンタナ『君に捧げるサンバ』
ニルソン『ウイザウト・ユー』
(「ウイズアウト」ではないのが良い。)
リンダ・ロンシュタット『イッツ・ソー・イージー』
映画音楽について、何度かここに
書いてきたけど、こういうのを
買ってた少年だった。
『ロミオとジュリエット』。
音楽は、Nino Rota。
そして『パピヨン』。
音楽は、Jerry Goldsmith。
シングル盤は、大体1枚500〜600円だったけど
これは、400円だった。
吉田拓郎『イメージの詩(うた)』『マークU』。
紙ジャケットの裏表に歌詞も印刷してあり、
どちらがA面なのか分からない。
これは、中学生の時、実家のある町に
唯一あったレコード店で発見し、購入した。
当時、シングル盤は500円、LP盤は
2,500円が相場だったのに、400円だったので、
嬉しくなって買った覚えがある。
あの頃の100円の違いは、大きかったんやな。
高校時代、たぶん10枚以上のシングル盤を
レコードを集めていた友達に
売った覚えがあるが、
これらは、売らなかったんだな。
最近は「アナログ・レコード」などとは呼ばずに
「ヴァイナル」「ヴァイナル・レコード」
なんて呼ばれていたりする。
「ヴァイナル(Vinyl)」は「ビニール」の
英語的発音。
やっぱり、レコード・プレイヤー欲しいな。
最近は1万円以下でもあるようなので、
考えているのだが、結構置き場所取るねんな。
Victor Wooten
featuring Dennis Chambers
& Bob Franceschini
一昨年、ゴールデン・ウィークの
旅行の帰りを早めてまで、観たライヴが
ヴィクター・ウッテン、featuring
デニス・チェンバース、
ボブ・フランチェスチーニのトリオ。
その3人がアルバムをリリースした上に、
再び来日してくれた。
毎度毎度、ビクターのプレイには
ぶっ飛びなのだが、今回も然り。
もう何をやっているのか分からない。
ルーパーの使い方も進化している。
リズムをあそこまで完全にコントロール
出来る人は、プロの中でもそんなに
いないんと違うやろか。
テクニックも凄いし、ベースだけでも
観ていて飽きない。
デニス・チェンバースは、2014年
マイク・スターン・バンドでの来日時に
激やせしており、ずい分心配した。
実際にその後、倒れたらしいが、
2016年このトリオで来日時には、
かなり体重も戻っていたようで安心した。
ところが、今日はこれまた
もの凄いお腹の出方で、今度は
太り過ぎなのではないかと心配になった。
アンコールには登場せず、
ビクターとボブの2人だったのも気になる。
最近、こういうことを書くとその後、
最悪なことになる例が続いたので、
今回はそうでないことを祈る。
曲目は、ニュー・アルバム『Trypnotyx』から
"Dc10"、"Liz & Opie" などの他、
Bela Fleck & The Flecktones の曲(タイトル
言ってたけど忘れた)や、"Summertime" など。
アンコール "The Lesson" まで入れて
90分ぐらい。
大満足。
[ MEMBERS ]
Victor Wooten (B)
Bob Franceschini (Sax, Fl)
Dennis Chambers (Drs)
@ Billboard LIVE Tokyo
2nd show
2018.2.16
引越しに思う 5
― 捨てられない音楽雑誌 ―
モノが増え続ける実家。
両親と姉と私の4人で暮らしていた時より、
両親2人になってからの方が、
実家のモノは増えた。
捨てないからだ。
最近、姉が実家に戻り、
両親と住むことになったので、
姉の暮らすスペースを空ける必要が
出てきたのだが、母はモノが捨てられない。
着ない服。
いつか着るかもしれないと思って捨てられない。
使っていない植木鉢。
いつか使うかもしれないと思って捨てられない。
そんな風にモノが増え続けてきたのだ。
そんな母を、やや批判的に見ている私だが、
バリバリその DNA を引き継いでいるのか、
実は私も中々捨てられない人である。
しかも、モノ持ちが良い。
例えば、高校生の時に買った、
ギターのストラップをいまだに使っている。
ほぼ40年前のものだが、全く問題なく使える。
中には、数年もたないストラップも
あったけど、これは丈夫。
高校生がお小遣いで買ったのだから、
そんなに高価ではなかったと思う。
2〜3千円ではなかっただろうか。
たぶんアメリカ製で、本革ではない。
まあ、これは、使っているので
捨てる必要はないのだけど。
前回の引越でも悩ましかったが、
今回の引越でも困ったのが雑誌。
毎月、「JAZZ LIFE」と
「Guitar Magazine」の2冊を
定期購読しているのだが、
これが捨てられない。
ほとんど読み直すことなんてないのに
捨てようかと思って、手に取ると
とたんに興味のある記事や楽譜に
心を奪われ、捨てられなくなってしまう。
前回の引越時には、思い切って
捨ててきたのだけど、引っ越した
2009年7月から8年半分の雑誌が
行き場を失い、積み上げられていた。
2冊の雑誌8年半分というと
200冊を超える。
場所をとる上、重い。
おまけに「JAZZ LIFE」と
「Guitar Magazine」以外にも
楽譜や音楽雑誌が、いっぱいある。
で、最後までどうするか迷った挙句、
雑誌をいったん会社の空いている本棚へ移動。
これは危険だ。
このまま、ずっと放置される可能性大。
しかし、そうならないように
少しずつ、チェックして
欲しい楽譜や記事だけ、スキャンして
処分していこうと思っている。
あるいは、安い
スキャンの業者に頼むか。
それだって、本当に必要なのかどうか
疑問だが、とりあえずモノを減らす方向で。
会社の本棚に並んだ「JAZZ LIFE」(一部です)。
2018.2.17
引越しに思う 6
― 聖域を出て ―
「引越しに思う」シリーズ、
当初は、そんなにたくさんネタが
思い浮かんでいたわけではなかった。
なので、序章を書いたときには、
「2〜3回に分けて書いてみたい」と
記したのだが、もう6回目になった。
意外と次から次へとネタが思い浮かんだのだ。
さて、私は 1月31日に新居へ移ったのだが、
妻は前の家に残った。
軽く別居状態だ。
これには事情があり、今日 2月17日が
妻の引っ越しの日になっていたのだ。
ほとんどの荷物は、1月31日に運んでいたが、
妻が17日間生活する最低限のものを
残していたので、
昨日と今日の2日間で運んだ。
これで、引っ越し自体は
完全に終わったわけだが、
すでに触れてきたとおり、
これからたくさんの荷物の整理が、
待ち受けている。
この機会に買い換えたタンスやベッドなども
まだ届いていない状態で、
この片づけは、当分続くことになる。
前の家には、2009年7月18日に
移っており、8年半ほど住んだことになる。
おっ、今日が17日だから、
妻はちょうど8年7ヶ月だな。
快適な環境だったので、
今回の水漏れ事故がなければ、
あと数年か、もっと住んでいたかもしれない。
あっという間の8年半だった。
大家さんにも大変お世話になった。
水漏れ事故がなければ、大家さんと
あんな風に懇意に話すこともなかっただろう。
そう思うと、人の縁は不思議なもんだ。
水漏れ事故の話は、
「水に流せるのか」シリーズとして
10回まで書いたけど、完結した感もなく
そのままになってしまった。
ここで、そのシリーズの終了も宣言する。
そして、全ては「水に流すことができた」
ことも報告として(誰に?)付け加えておこう。
2009年、引越し先の物件探しの時、
その家の玄関に立った瞬間、
内見する前に「ここだ」と
思ったことをハッキリと覚えている。
建物の名前には、「聖域」を
意味する「Sanctuary」という言葉が、
含まれていた。
この8年半の間に、妻も私も、
五十路を超えた。
お陰様で健康で仕事も順調だ。
私たちは、8年半の間、その聖域で
守られていたのかもしれない。
8年半、暮らしを許してくれた、
聖域にありがとう、
そして、さようなら。
全ての荷物を出した後。
モノがないと、こんなに広かったんやね。
2018.2.19
永岩菜月 ライヴ
昨日は、今年最初のライヴだった。
永岩菜月ちゃんという女性のサポート。
11曲、全曲 彼女のオリジナル曲でのライヴ。
昨年11月の終わりごろだったか、
彼女が習っているギター教室の先生に
紹介され、サポートを務めることになった。
数曲でコードアレンジから、イントロや間奏を
作るまでのアレンジをしたが、
自分では中々の出来だったと思っている。
本番の演奏は、90点ぐらいかな。
まあまあ上手く弾けたよ。
満席御礼。
[ MEMBERS ]
永岩菜月 (vo, gt, harmonica)
つつみしんや (gt)
@ bar dAZE(原宿)
2018.2.20
引越しに思う 7
― 人生は思い通りにならない ―
次々と問題が起こり、物事が上手く運ばない時、
これは「やめろ」という天のメッセージでは
ないかと思うことがある。
そして、実際に途中でやめて、
後々、良かったと思えることもある。
一方で、たくさんの問題を乗り越えて、
達成し、その後、途中でやめなくて
良かったと思えるようなこともある。
人生にはどちらもあるだろうし、
結果は一つしかないので、
「たら・れば」の結果と比較することは出来ない。
つまり正解などなく、
自分の都合のよいように思えば良いのだ。
今、進行中のプロジェクトで笑ってしまうほど、
ことが上手く運ばないものがある。
関係者に会いに、田園調布まで出向き、
約束の喫茶店で待っていると相手が現れない。
なんと、アポイントが一日ずれていた。
全ての書類をそろえたと思っていたら、
関係者一人の印鑑証明書が不足していた。
ある契約に行くと 契約するはずの業者が、
前日に閉店を決めたと言ってキャンセルされた。
これはビックリやった。
代わりの業者を見つけ、オンラインで
契約を申し込んだら、数日経ってから、
サーバーにトラブルがあって、
申し込んだ内容が飛んじゃったと連絡があった。
とにかく、珍しいほど順調に進まないので
そのサーバーの件の連絡メールが来たときには、
思わず声を出して笑ってしまったよ。
これは、やったらあかんのちゃうかと
思うほどだが、途中でやめるわけにもいかないので
なんとか進めますが。
さて、今回の引越し。
こちらも、とてもスムーズとは言えなかった。
もともと、引越のきっかけになったのが、
天井裏からの水漏れという、
好ましくない事故だった。
その時点で、順風とは言えないよな。
まず、引越し先が中々決まらなかった。
年末年始ということ、
狭い条件で探していたせいもあるが、
気に入った物件は、ことごとく
申込済みか契約済みで、
申込にさえ至らなかった。
ようやく、物件が決まり引っ越した後も
ことはスムーズに運ばなかった。
インターネット工事の当日、
工事業者が建物を見て、
「工事できません」と言いだした。
電話線引込部に何か機械を設置する
らしいのだが、建物の壁と塀との隙間が
狭すぎて、その作業のための脚立を
立てられないという。
この21世紀に「脚立を立てられない」という
まさかの超アナログな理由で、
その業者をキャンセル。
幸い、ケーブルテレビが通じていたので、
急きょケーブルテレビのインターネットに
変更した。
キャンセルしたインターネットは、
開通にひと月ほどかかる予定だったので、
その間、ポケット Wi-Fi をレンタルしていた。
機器が届いてから、接続を試みたが、
繋がらない。
私の自宅のデスクトップPCには、
無線機能が付いておらず、
そのことに気付いていなかった。
アホである。
まあ、スマホとタブレットは、
繋がったのだけど、
結局、2〜3日でケーブルテレビの
インターネットが開通したので、
ポケット Wi-Fi は、
ほとんど使用せずに返却。
数日の使用でも料金は、
1ヶ月分(約5千円)だ。
前の家で使っていたベッドは、
水漏れ事故でびしょびしょになったので
買い替えた。
先日、納品当日のこと。
ベッド・フレームは組み立て式だから
問題なかったのだけど、入口階段が狭くて、
マットが2階に上がらないことが発覚。
(我が家は2階。階段のみ。)
マットの厚みがそこそこあって、
折り曲げることも出来ない。
窓から吊るし上げるという手も無理で、
あえなく断念。
これまたキャンセルだ。
いまだマットなしで寝ている。
水漏れ事故の被害は、
大家さん側の保険と
借主側の保険の両方合わせて、
申請した被害額が全額まかなわれたのだけど、
その振込に関しても、面白いことに
書類が届かなかったり、
記入内容に不備があったりで、
両方ともスムーズに進まなかった。
まあ、数日遅れただけやけど。
引っ越した先の大家さんは
とても防犯意識が高く、建物自体に
色々な工夫・装備がなされている。
それだけで十分すぎるほどなのだけど、
階段を上がるためには、ダイヤル錠を
解錠しなければならない。
そして、解錠したら、
当然 施錠しなければならない。
これが、不精な私にはめんどくさくて
大変なストレスになった。
両手に荷物を持っていて雨でも降っていれば
なおさら、ストレスは大きい。
3階の住人に「あの鍵、必要ですか?」と
訊いたら、「なくてもよいです」という。
それなら、大家さんに言って、
ダイヤル錠をやめてもらおうと交渉したが、
大家さんの防犯意識は半端なものではなく、
そこまで言うならと逆に納得してしまった。
そして、不思議なことに
「そこまで言うなら、鍵も仕方ないな」と
受け入れた途端、そのことはストレスで
なくなった。
人生は思い通りにいかないが、
それを受け入れてしまえば、
大したことではないのだなと
実感した次第である。
そうは言っても、いつもいつも
そう簡単に受け入れられるわけではない。
さんざん抵抗して、
ストレスを感じるのも人生。
さっさと降参して(受け入れて)
問題を消してしまうのも人生。
選択は自由だが、
自由に選択できるほど、
私は人間が卓越していない。
いつもいつも、どんなことであっても、
受け入れることが出来たら、
人生は楽だろうな。
と思った次第である。
2018.2.21
ギターを買おう!
アメリカのギター・メーカー、
ギブソン社が倒産危機というニュースが
この2〜3日に飛び交っている。
う〜む。
エレキギターが売れなくなっていると
いう記事は、読んだことがあるが、
そこまで酷い状況か。
ギブソン社は、この数年、私なんかでも
(えっ?そんなん出すの?)と
思ってしまうようなモデルも出しており、
それが実は、経営困窮の表れだったようだ。
ちなみに私もギブソンのギターは、
1本持っており、55年の人生で
一番高かった買い物が、
なんとそのギターだ。
(2009年製 Historic Collection Byrdland)
まあ、車を新車で買ったこともないし、
住宅も買ったことがないので、
高価な買い物は
ギターぐらいしかないのだけど。
この記事には、ギターが売れなくなった原因を
ワシントンポストのインタビューに
ポール・マッカートニーが
こうコメントしたとある。
「電子音楽が増えて、若者は以前と
違った聴き方をしている。
私はジミ・ヘンドリックスに憧れたものだが、
ギターのヒーローは、もういないんだ。
かつては誰もがギターを
欲しがったものだが......」
若者がギターを買わなくなったという
データもあるようなので、
ポールの言うことも一因かも知れないが、
私は今までにギターを作り過ぎたんじゃないかと
勝手な推測をしている。
メーカーは、新品が売れないと商売に
ならないが、市場は中古ギターで
あふれ返っている。
今、ヤフオクを覗いてみても、
エレキ、アコギ合わせると約6万本もの
ギターが出品されている。
中には、楽器店が出している新品もあるが、
ほとんどは個人なり業者が出品している
中古品だ。
まあ、売りに出されているだけで、
売れているかどうかは分からないので、
私の推測は、全くあてにならないが。
おまけに安いギターが増えた。
これは、技術の進歩で安く良いものが
出来るようになったからだ。
ギター好きの私としては、
ギブソンが倒産するのは、大変残念なので、
なんとか生き残って欲しいと願っている。
色んなメーカーが経営母体が変わっても
そのブランドは残っているところが多いので、
ギブソンも消えてしまうことはないと
思っているのだけど、どうだろう。
ちなみに、私はまだまだギターが欲しいので、
ギター業界に貢献し続けます。
ギタリストの中には
「我々ギタリストは一生買い続けるしかない」
という至言を残した人もいるようで、
それを聞いて自分は間違っていなかったと
安心したよ。
さあみんな、ギターを買おう!
[ JAZZ GUITAR BLOG 関連記事 ]
エレクトリック・ギターのゆるやかな死
エレキギターが売れなくなった本当の理由は何なのか
[ ワシントン・ポストの記事 (英語なので読めませんが)]
Why my guitar gently weeps
2018.2.22
ボルトの気持ち
夕食を食べに外に出た。
帰り道、目の前の信号が点滅を始めたので、
渡ってしまおうと駆け出した。
信号の手前で、右足ふくらはぎに
異変が起こった。
グビッ!という感触で痛みが走った。
グキッ!でも、バリッ!でもない。
グビッ!という感じだ。
音は出ていないのだろうけど。
その瞬間、自動的に身体が止まった。
あ、なんかやってしもた。
そう思った。
普段から運動不足の上、身体が固い。
もう若い身体ではない。
何の準備運動もなく、突然走り出したら、
足の筋肉の方が、脳の命令に
付いて行けないのは、当然だ。
信号は赤に変わってしまった。
信号待ちしている間、
ふくらはぎの様子を確かめる。
それほど痛くはない。
腱が切れたわけではなさそうだ。
もし、そうならもっと激痛のはずだ。
筋が違ったのだろうか。
経験がなかったけど、
これが肉離れというやつだろうか。
そんなことを思いながら、
信号が変わったので歩き出すと、
普通に歩けない。
「それほど痛くない」と書いたけど、
それは、じっとしていればの話で、
歩き出してみると右足に体重が
かからないようかばってなので、
ゆっくりしか歩けない。
あ、これ、痛風の時と同じ歩き方やん。
道行く見知らぬ人たちに、
「僕、痛風と違いますから」と
言いたい衝動に駆られた。(なんで?)
びっこを引きながら、昨年の世界陸上の
男子400メートルリレーの
ウサイン・ボルト選手を思い出した。
ボルトのラスト・ラン。
アンカーだったボルトは、
左太もも裏を痛めて途中棄権となった。
少しだけ、ボルトの気持ちが分かった・・・。
わかるかぁ!
2018.2.23
ボルトの気持ち 2
「ボルトの気持ち」なんてタイトルを
付けてしまったけど、読んで頂ければ
分かる通り、内容はボルトとは関係ない。
昨日のエントリーを読んだ妻は、
私を「ウサイン」と呼ぶ。
なんじゃそれ。
昨夜は、痛めた右のふくらはぎが、
左に比べて、約20〜30%太くなっていた。
腫れているのだ。
そして、熱を持っているかと思いきや、
触ると冷たい。
血が回っていないのかな。
見た目は、黒ずんでいるとか、
見て分かる内出血があるとか、
そんな風ではないが、
やはり健康的な色には思えない。
ちょっとググってみるとやはり
「肉離れ」のようだ。
肉離れって、スポーツ選手がなるものと
思っていたけど、そういうわけでもないらしい。
要は、筋肉に無理な力が加わり、
起こることなので、
スポーツをやっていなくても
それぞれのレベルで起こりうることなのだ。
痛みは、大したことないし、放っておいても
自然に治るだろうと思っていたが、
普通に歩けないことや
階段の上り下りが不便なので、
治療に行くことにした。
ネットで見つけた、評判の良さそうな
治療院の予約を取り、夕方、行ってきた。
「ゆらし療法」という治療で
特に肉離れの治療には、評判が良いようだ。
「ゆらし療法」は、非常に優しい治療で
一切、痛いことはやらない。
施術してくれた人の話では、
今年は、寒さのせいか肉離れの人が多いと言う。
整形外科で全治一ヶ月と言われた人が、
一週間の治療で走れるようになったというような
劇的な治療例がたくさんあるようで、期待大。
私は、スポーツの試合に出るわけではないので、
いついつまでに治したいとか
期限はないのだけど、完治は早い方が望ましい。
「肉離れ」というけれど、
実際には、筋肉が切れているのだそうで、
酷い時には、横に切れて、
ギブスを付けなければならないような
ケースもあるらしい。
私の場合、そこまでではなかったので、
軽症で済んで良かった。
今日の施術の結果は、
劇的というほどではないが、
結構 楽になったのは分かる。
思ったより歩けると油断して、
また悪くしてしまう患者さんもいるらしく、
ここは、慎重に意識しておかなければならない。
3回ほど通えば、普通に歩けるようになるでしょう
ということだったので、とりあえず、
3回は通ってみようと思う。
2018.2.24
ボルトの気持ち 3
肉離れレポートのその3だ。
なんで「ボルトの気持ち」という
タイトルになってしまったかは、
こちらをお読みください。
一昨日、点滅し始めた信号を見て
ちょっと走ってしまい、
左足ふくらはぎに肉離れを起こした。
昨日、治療に行ったのだが、
他の治療院と同様、そこでも治療前に
住所氏名などとともに症状などを
問診票に書き込んだ。
その中に「最近、環境が変わりましたか?
(例えば引越しや転勤など)」というような
質問があった。
引っ越してまだ1ヶ月も経っていないの
「最近、引っ越しました」と記入した。
気になって、治療中、施術してくれた人に
そのことについて質問をした。
「肉離れになることと引越しが
関係あるのですか?」と。
答えは「大いに関係あります」だった。
まず、引っ越しの時には、
普段使わない筋肉を使うということ。
そして、引っ越したあと、
環境が変わったことに慣れていないので、
知らないうちに(筋肉が)
緊張しているということ。
もともと、肉離れの原因のひとつには、
筋肉が緊張し固くなっていることが
考えられる。
その観点から観ると、
環境の変化で無意識に筋肉が
固くなっていることは、
十分考えられることだ。
おまけに普段の運動不足。
小まめにストレッチなどを
していれば良いが、
そういうことも出来ていない。
私の場合、引越しの影響もあるだろうし、
普段の運動不足と準備なく突然
走り出したことが、原因と考えられる。
走り出したのは、緩やかな
上り坂だったが、上り坂を
(準備なく)走り出すことは
「一番やってはいけないこと」と
言われてしまった。
なるほど、いくつかの条件が
重なって、こういうことは
起こるのだな。
2018.2.25
ボルトの気持ち 4
肉離れ3日目。
昨日までは、歩くとき右足の前に左足を
出すことが出来なかった。
右足が後ろになるとふくらはぎが
痛むからだ。
なので、右足を出しそのラインに
左足をそろえ、また右足を前に出すという
とろい歩き方しかできなかった。
治療先では、それが肉離れ時の
正しい歩き方だと教えてもらったけど。
今日は、一昨日の治療の成果が表れたのか
かなり楽になっており、左足を
前に出すことが出来るようになった。
100%完治ではないけれど、
普段の歩き方を「10」だとしたら、
「7〜8」まで治った感じ。
一応、今日も治療の予約をしていたので、
行ったけれど、もしかしたら、
私の場合、一昨日の施術だけで
足りたかもしれないと思ったほど
今日は快方に向かっていた。
今日の治療で、明日明後日ともっと
改善が見込まれそうなので、
この分だともう治療には
行かなくて良さそうだ。
良かった、大したことなくて。
こういうことがある度に
自分の身体と向き合って
上手く付き合っていかなあかん年に
なったと思うのだが、
元来無精で健康な私は、
ついついサボってしまう。
なんか考えなあかんな。
2018.2.27
諦 観
昨年の暮れに
「来年のテーマは『諦観』『諦念』にしようと思う」
と書いた。( → 2017.12.30 煩悩の数)
実は、その時には「諦観」の意味を
あんまり分かっていなかった。
なんとなく字面からくるイメージで、
「達観」というか「諦めて受け入れている」
「悟りの境地」のような印象を持っていた。
それは、まんざら外れてはいないのだが、
本来「諦」という漢字は、
普段私たちが使っている「断念する=諦める」の
意味ではなく「明らかにする」
「つまびらかにする」というような
意味があるようだ。
「つまびらか」って聞いたことはあるけど、
普段はあんまり使っわない言葉だ。
調べてみると
「詳細まではっきりしている様」を言うらしい。
つまり「諦」には、細かい所まではっきりとして、
明らかにするというような意味がある。
そこから観ると「諦観」「諦念」「諦視」「諦聴」
という言葉の意味もおのずと見えてくる。
「諦める」というのは「明らかに見極める」という
意味もあるところから考えると、
私たちが普段言う「諦める」は、
本来それ相当のことを見極めた上で
断念するということなのかもしれない。
今までの人生で、数々諦めてきた。
それは、苦しみから逃れるために
諦めたのが ほとんどのように思う。
それも能動的に諦めたのではなく、
環境や状況が諦めざるを得なかったから
諦めたような気がする。
諦めてきた数々を後になって観てみると、
明らかに諦めるべき事柄であったのだろうが、
その最中にいる時には、物事を
つまびらかに観ていたとは思えない。
いや、物事をつまびらかに観ることができる
自分であったとは思えない。
金メダルを取った選手は、もちろん
断念しなかった(諦めなかった)から、
メダルを手にしたのだが、彼らは、
自分の実力を、また金メダルを取るためには、
何を準備すればよいのかを、
「諦観(本質をはっきりと見きわめること)」
していたとも言える。
そんな風に考えると、
今まで知っていた「諦める」が
違う言葉のように思えてくる。
最近、自分に起こった事から観察すると
自分が感情的であると
物事をつまびらかに観て、
その本質を見抜くことは出来ない。
エゴは自動的に自分の都合の良いように
物事を捻じ曲げる。
例え自分が蒔いた種であっても、
簡単に人のせいにし、厄介なことに
それが真実であるかのように
自分に思い込ませる。
しかし、自分のエゴを超えて
その本質が見えたなら、
実は人生は簡単なのかも知れない。
そんな風に生きられたら、
それこそが「諦」なのだろうな。
ねぇ、お釈迦様、そういうことですよね?