カメラと写真 10
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2022.6.29
写真展に向けて 2
9月に予定している写真展のヒントを
得るためもあって、
昨日、六本木ミッドタウンの
フジフイルム・スクエアで開催されている
写真展を観てきた。
写真家エリオット・アーウィット作品展
「観察の美学 筋書きのない写真たち」
エリオット・アーウィットのことは、以前、
小さな写真集を購入した時に書いた。
とても味のある、面白い瞬間を撮る人だと思う。
絵画がそうであるように、写真も写真集で観るのと、
写真展で大きくプリントされたものを観るのとでは、
その作品から得られる情報量が違う。
当然、写真展で観る方が、色んなことを感じる。
さて、この写真展は、
「往年の名作から1980〜90年代に制作された
貴重なオリジナル・プリント約30点を展示」となっている。
おそらく、オリジナル・プリントというのに
大変価値があるんだろうけど、
実は私は、その辺 あんまり分かっていない。
「約30点」となっているけど、
実際には20数点で、30点なかったと思う。
そんな少数の写真であっても、
アーウィットの個性、ユーモアとウィットに富んだ
視点は充分に感じられるのだった。
プロの写真家の写真を観ることは、
自分が写真を撮る上での視点を
拡大することに直結する。
あるいは、すでに撮った自分の写真でさえ
その視点が変わり、気が付かなかった
魅力を発見することにも繋がる。
大変、刺激のあることなのだ。
アーウィットの写真展を目当てに
フジフイルム・スクエアを訪れたのだが、
隣のブースでは、平間至さんの写真展が
開かれていた。
「写真家・平間至の両A面」
〜アー写(アーティストの写真)/エー写(営業写真館の写真)〜
僕にとってカメラは楽器!
平間さんのことは、存じあげなかったのだが、
多くのアーティストの写真を撮ってこられた方で、
タワーレコードの「NO MUSIC, NO LIFE」の
広告で有名になったようだ。
そう言われると、確かに見たことの
あるような写真もあった。
アーティスト写真の「アー写」、
写真館の営業で撮影した一般の人達の「エー写」、
両方が平間さんの写真の軸だということで、
「両A面」というタイトル。
中々、乙ですな。
平間さんは、撮影は音楽でいうところのライブだと言う。
カメラは楽器だとも。
写真館の撮影というと、撮られる側は動かずに
じっとポーズをとるようなイメージだが、
平間さんの写真館では、
「動かないで」と言うことも
「笑って」と言うこともないらしい。
あくまでも自然にリラックスした中で、
その人が現れるようにもっていくのだな。
話は脱線するが、25年ぐらい前、
私が BAR の店長だった時、その店の経営が
音楽業界の関連会社だったこともあって、
何冊もの雑誌の取材を受けた。
その中には、私の写真入りの記事もあった。
雑誌名は忘れたけど、撮影時に
「笑って下さい」「もっと笑って下さい」と、
しつこく、凄く要求されて、
「おもろないのにそんなに笑えるかぁ!」と
半ばキレそうになった覚えがある。
プロのモデルや役者でもない限り、
「笑って下さい」と言われて自然な良い笑顔が
できる人は、そんなにいないだろう。
でも、苦労の甲斐があって、その雑誌には
中々の私の笑顔の写真が載ったと記憶している。
手元にないのでお見せできないのが、
残念だけど(見たないか)。
閑話休題。
平間さんは、宮城県塩竈市の出身。
写真家のルーツは、そこでおじいちゃんが
写真館を始めたことにあるらしい。
2011年の震災時に、「平間写真館で撮った
成人式の時の写真だけを持って逃げた」と
言う人がいたり、津波に流され、避難所に
集められた写真の中に平間写真館で
撮られた写真が多くあったことなどから、
その価値を再認識し、2015年東京で
平間写真館TOKYOを始められた。
写真は、人生で二度とない、
ある瞬間を切り取ったもの。
撮られた時には、イヤな顔をしていた
写真が、何年も経つと、良い写真に
見えてきたりする。
平間さんの言葉を借りるなら
「永遠に流れ続ける時間を
一瞬止めて切り取るということ自体、
とても大切な行為」
「よく写ってようが、悪く写ってようが、
その瞬間は二度とかえってこない」
となる。
写真って、それだけ貴重なものなんだなと
改めて思った次第。
そして、カラー写真には、カラー写真の
良さがあるけど、人物は絶対モノクロの
方が良いと平間さんのカラー、モノクロ、
両方の写真を観て確信したのでした。
2022.7.16
写真について考える
ちょっと持ち物を減らそうと思って、
本やCD・DVD などを少しずつ処分している。
中古品買取店に持ち込んだり、
ネット・オークションで売ったり。
いつのまにか、写真集も結構な数に
増えていたので、整理を始めた。
大好きな写真集は手元に置いておくとして、
それほどでもないものは、どんどん手放して
いかないと一向に減らない。
どうせ、また欲しいのが出てきたら買うんだから。
荒木経惟の『センチメンタルな旅・冬の旅』
という写真集は、6年前に購入し、
一度観ただけで、ずっと本棚に並んでいた。
私の好みの写真ではなかったことは覚えている。
そういえば、ここに購入時のレビューを書いたなと
思い出した。
読むと、期待外れだったことが書いてある。
6年前には、「私自身も、何年後かに観たら、
違う感想を持つかもしれない」と
書いていたので、このたび、処分するかどうかを
決めるために6年ぶりに写真集を開いてみた。
6年前の印象を覚えているためか、
ニュートラルな心持で観たわけではないが、
やはり、好みではなく手放すことにした。
6年程度では、感性はそれほど変化がないと
いうことか、これは、一生変わらぬ好みということか。
では、自分はどんな写真が好きなのか。
これを言語化しようと思うのだけど、中々難しい。
「良いな。好きだな」と思う写真は、
その写真を観て何かを思うか、あるいは、
何かが心に湧くわけだろう、
それが何かと言われると言葉に悩む。
それは、写真によって違う。
幸福感、満足感、郷愁、哀愁、物語、
美、歓び、愛、神々しさ、驚き、生命、人生・・・
なんだか、そんなものなんだけど、
それらを、というか、私が「良い・好き」と
思うものをひと言で表すとしたら、
何なんだろうと、その抽象を探しているんだ。
9月に2日間だけだけど、
初めての写真展を開くこともあって
写真について考える時間が長い。
考えてないで、早く展示する写真を
選別しなきゃいけないんだけど。
[ 関連エントリー ]
2016.11.26 センチメンタルな旅・冬の旅
2022.8.1
初の写真展開催のお知らせ
9月に写真展を開催します。
品川区西五反田の会議室のような
会場を借りての初の試みです。
1985年のアメリカ旅行で撮影したものから、
2010年に初めて一眼レフカメラを買い、
この12年間に撮りためたものまで、
約50〜60点程度の展示を予定しています。
開催は、確か4月ごろに決めたような気がします。
まだまだ先のことと思っていたら、
あっという間に2ヶ月を切りました。
まだ展示する写真を選びきれておらず、
焦り始まております。
当初の考えでは、風景の写真が中心だったのですが、
いざ選び始めてみると、断然 ポートレイトや
人物を写したスナップの方が、面白いことに気付きました。
選別の段階で、そんな新しい発見もあって、
どんな写真展になるか、自分でも楽しみですが、
なにしろ、写真展など経験のない、
アマチュアのやることで、ちょっとドタバタするかな、
とも思っております。
写真展のタイトルは、「僥倖(ぎょうこう)」。
思いがけない幸運のことです。
何かを感じ取ってもらえる写真が一枚でもあれば
嬉しいです。
ぜひともご来場をお待ちしております。
はい、今すぐ、手帳に書き込んで!
つつみしんや 初の写真展
「僥倖(ぎょうこう)」
2022年 9月23日(祝)〜24日(土)
10時〜19時
入場無料
会場 / 五反田コルソG(地図)
東京都品川区西五反田8-1-13 タケウチビル2階
JR山手線・都営浅草線・東急池上線「五反田駅」西口より徒歩 約10分
東急池上線「大崎広小路駅」より徒歩 約5分
展示予定の1枚(Manila, 2014)
2022.8.4
写真展「僥倖」フライヤー
9月に開催する写真展の
フライヤー(チラシ)を作成しました。
こちら から ダウンロードできます。
PDFファイルです。
2022.8.14
インスタ用に写真展の告知画像を作った。
展示予定の色んな写真を使って週一でアップの予定。
この写真は、フィリピンのマニラで撮影(2014年)。
2022.8.19
インスタ用告知画像 その2
今回は、カラーで。
全く季節外れだけど、桜。
2022.8.21
9月の写真展「僥倖」のスペシャル・ページを作りました。
スペシャルというほどでもないですが。
今は、ご案内だけですが、もう少し内容を
充実させていきたいと考えています。
↓
僥倖 スペシャル・ページ
2022.8.23
写真展の宣伝
2018年12月のオープン時から、
写真を数点、展示させてもらっている、
渋谷(恵比寿)の MAT COFFEE さんに、
写真展の告知を貼らせてもらいました。
合わせて、お店のお客さんに
お持ち帰りいただける名刺サイズのものも作りました。
これを見て、ひとりでも来てくれたら
凄いことだと思います。
これらを作成するために スペシャルページの
QRコードも作りました。
今は、こんなのも素人でも簡単に
作れてしまうねんな。
読み込んでみて。
2022.8.26
インスタ用告知画像 その3
毎週、インスタとFacebookにアップするのは、
ちょっとくどいかなぁ、なんて思いながら
3週目の告知画像。
「僥倖」を草書体にしてみたら、
ちょっと中国っぽくなった。
写真は、山形なんだけどね。
2022.8.27
僥倖(ぎょうこう)について
来月の写真展のスペシャル・ページに
写真展開催に向けてのごあいさつ文的な、
文章をアップしました。
なぜタイトルを「僥倖」にしたかについて、書いてます。
良かったら読んでください。
↓
スペシャル・ページ
2022.9.4
インスタ用告知画像 その4
いよいよ開催まで3週間と迫りました。
準備も佳境に入っております。
と、書くと聞こえは良いが、
予定より遅れており、やや焦ってきております。
展示したい写真が多すぎて、絞り切れない。
あれもこれも観て欲しい、と思ってしまう。
「あれ?これなんかに似てるな」と思ったら、
若い頃、音楽事務所に自作曲のデモテープを
送った時と同じや。
あの頃も、1曲に絞れなくて、というか
1曲では自信がなくて、何曲も収録して送ったもんです。
人間、変わらんというか、成長しとらんな。
2022.9.10
インスタ用告知画像 その5
ようやく、額装を完了した(約130枚)。
でも、その中から数十枚は、
減らさなきゃいけない。
う〜ん、つらい作業だ。
2022.9.15
写真展を前に思う
ようやく写真展に飾る写真が、
ほぼ決定した。
「ほぼ」と書いたのは、
また気が変わるかも知れないからだ。
もう、額装を入れ替える気は
ないのだけど、気が変わったら
妥協はしたくないからね。
ただ、正解がないんねんな、これには。
こうした方が良いかな、
ああした方が良いかな、と
アイディアは浮かぶけど、
どれが最善、最高かが分からんのだよ。
この写真と、あの写真と、どちらが
人に観てもらう価値があるのかなんて、
分からんのだよ。
でも、そんな中で、取捨選択するのが
表現する人に課せられた役割なのだな。
展示する写真は、当初、
50〜60点のつもりだったが、
結局、100点以上になってしまった。
これでも心を鬼にして(?)
数十点の展示を諦めたんだ。
それでも、もしかしたら、観た人に
「写真、多すぎるよ」という感想を
抱かせてしまうかも知れないな。
なにしろ欲張りなのでご容赦ください。
まあ、100枚くらいなら大丈夫だと思うけど。
初めての事でもあるし、アマチュアゆえに
選別は全て自分でやった。
第三者の意見は聞いていない。
本当は、客観的な意見も聞いた上で
決めた方が良いのだろうけど、まぁいいや。
今回は、自分のやりたいようにやる。
第三者として招き入れる適切な人材も
思い浮かばないしね。
プロジェクトを始めるとき、目標はもちろん、
「何のためにやるのか」という「目的」を創作することが、
重要だと以前セミナーで習ったことがある。
今回の写真展を「何のために」やるのか、
企画当初からずっと考えて来たのだけど、
いまだに創作的な目的を創ることが出来ずにいる。
では、なぜ写真展をやりたいと思ったのか。
それさえ、今となっては明確ではない。
今年は還暦だからとか、大分写真が溜まって
来たので、一度アウトプットしようとか、
私の写真を観たら人がなんと言うか知りたいとか、
世界に向けて写真家宣言とか、
色々言えるのだが、それらは全て後付けなんだな。
本当に「写真展をやろう」って決めたとき、
心の中に何があったのか、覚えていないんだ。
承認が欲しいというのは、なんとなく分かるけど、
そのためか?と訊かれるとそれほどでもない。
きっと、自分の心理の深いところで、
自分も知らない何かがあるんだろうけど、
分からないので考えるのをやめた。
よくある、終わってから「ああ、このためだったのか」
と分かるということもあるかも知れない。
でも今はそれより、写真展をすることによって、
つまり今までやらなかったことを
やることによって、自分の人生に
どんなことが起きるのか、
それを見てみたい気がしている。
と言いつつ、何も起こらないかも知れないわけで、
別に何か期待があるわけではないので、
何も起きなければ、それはそれで良いんだ。
何もなかったとしても、今回のことは、
その後の私の写真家(?)人生に
何らかの影響はあるだろう。
そんな風に今後の人生の思いがけない
展開、発展に繋がることを意図し、期待している。
なぜ、写真展をやろうと思ったか、
今では分からなくなったと書いたが、
ひとつだけ明確なことがある。
以前、この「ひとりごと」に書いたが、
2018年に、私の写真が某ホテルの150室ほどの
客室に飾ってもらうことが決定し、
150数枚、全ての額装をし終えたのだけど、
諸事情で、実際に設置することが
延び延びになっているうちにコロナ禍に
突入し、そのホテルは閉業してしまった。
そのおかげで、A4サイズの写真を飾れる
フォトフレームが、150個ほど手元にあった。
これがなかったら、写真展をやろうとは
思わなかっただろう。
フォトフレームがひとつ3,000円だとして、
100個で300,000円だからね。
これも「僥倖」のひとつだな。
輪島 2022
2022.9.16
まだ見ぬソール・ライター
The Unseen Saul Leiter
昨日、久しぶりに書店に立ち寄ると
写真集のコーナーにソール・ライターの
先月発売された新しい写真集
『まだ見ぬソール・ライター』が、
横積みされていたので迷わず購入した。
タイトルの通り、未発表作品ばかりの写真集。
なんと世界同時刊行だという。
(何か国で出版されるのか分からんけど。)
もう、表紙からして最高やね。
初めて見る写真なのに、
ソールの写真だと分かる!
音楽でいうところのシグネチャー・フレーズと
いうのかな、写真にちゃんと
ソール節が表現されているのだ。
収録された写真を観ると
なんて大胆で素敵な構図。
なんという瞬間。
そして、この独特の色のトーン。
全く素晴らしい。
ここに収録された写真76点は、ソールの
アトリエに遺された約1万点の
未公開スライドから厳選されたという。
私は、写真はモノクロの方が好きなのだが、
ソールに限っては、カラーが素晴らしい。
2022.9.16
インスタ用 告知画像 その6
写真展までいよいよ1週間!
会場は、表に「五反田コルソG」や「写真展」という
サインが出ておりませんので分かりにくいです。
「とん清」というとんかつ屋さんの隣のビル、
1階に「レ・アール (LES HALLES)」という
フレンチがある、タケウチビルの2階です。
詳細はこちらで!
2022.9.21
いよいよ あさってから!
あさって(9月23日)にいよいよ写真展が始まる。
始まると言っても、次の日に終わるねんけど。
さて、どんなことになるのやら。
どうやら天気はあまり良さそうでない。
天気予報が外れることを祈る。
明日は夜遅くまで、会場の準備なので
帰宅後この「ひとりごと」を更新する元気は
ないだろうから、次に書くのは、
写真展のレポートになるな。
明日、最後のインスタ、フェイスブック告知を
アップする予定。↓
これをお読みで ご来場予定の方へ。
会場は、表に「五反田コルソG」や「写真展」という
サインが出ておりませんので分かりにくいです。
「とん清」という とんかつ屋さんの隣のビル、
1階に「レ・アール (LES HALLES)」という
フレンチがある、タケウチビルの2階です。
よろしくお願いします。
詳細・地図はこちら
2022.9.25
初の写真展「僥倖」 終わる
人生初めての写真展「僥倖(ぎょうこう)」
一昨日、昨日と2日間の開催が終わった。
スタッフも入れると2日間で合計(のべ)60人の
方々にご来場いただき、写真を観て頂けた。
ご来場くださった皆様、
差し入れやお花をくださった皆様、
お祝いの電報やお花を送ってくださった皆様、
写真をお買い上げくださった皆様、
ご自分の写っている写真の展示を
快くOKしてくださった皆様、
SNS で写真展のことをアップしてくださった皆様、
休日なのに当日スタッフとして手伝ってくださった
あっちゃん、さとみちゃん、
連日、観に来てくれたすみよちゃん、伊藤夫妻、
そして、終始心強いサポートをくれた妻の久美子、
本当にありがとうございました。
木曜日の夕方の搬入・設営から、
土曜日の夜の撤収・搬出まで
実に充実した2日間だった。
搬入搬出では、久しぶりに
汗をかいて良い運動にもなったよ。
2日目の19時過ぎ、最後のご来場者が
退室されたあと、思いがけず
こみ上げてくるものがあって ちょっと感動してしまい、
人生で初めて心の底から「感無量です」という
言葉が出た。
そうそう味わうことない感情だった。
開催数日前に、
「写真展をやることによって、自分の人生に
どんなことが起きるのか見てみたい」と
ここに書いた。
この年(60)になって、今更だけど
「やってみないと分からない」と実感した。
「分からない」は「知らない」ということだ。
写真展のタイトルは、「僥倖(ぎょうこう)」、
「思いがけない幸運」のこと。
このタイトルにしようと思いついた時には、
たまたま うまく撮れた写真のことを「僥倖」と
呼んだのだけど、開催中にあれもこれも
僥倖じゃないかと 気付き始め、やがて
写真展の開催自体が僥倖の上に成り立って
いることに気付き、ついには、今、こうして
生きていることが僥倖なのだという思いに至った。
何も変わっていないのに、写真展の前とあとでは、
「僥倖」の持つ意味が大きく変わってしまったんだ。
若い頃から、今まで何度も何度もライヴを演ってきた。
音楽なら、観に来てもらえれば少しぐらいは、
楽しんでもらえるんじゃないかという自惚れもあった。
でも、写真は全くどう思われるか分からなかった。
結果は、とても肯定された体験だった。
観に来てくれた人はほとんど、友人や知合いなので、
好意的な反応だったということは、分かっている。
ご意見ご感想を書いてもらうために会場に
置いておいたノートや SNS のメッセージには、
「次回を楽しみにしています」
「毎年開催期待しています」
「名古屋でも開催してください」
などという思いがけない言葉があった。
あんなに統一感のない写真を観て、
「つつみさんらしい」という言葉も頂いた。
なんだか自分のやっていることを
とても肯定されたという体験だった。
誰もが自分の好きなことをやりたいだろうけど、
色んな事情でやれない人たちもいるだろう。
私は、本当にラッキーなことに
好きなことをさせてもらえる環境にいる。
でも、心のどこかで 少しだけだけど
こんな道楽ばかりしていることに
罪悪感めいたものがあった。
(だからってやめないけど)
この「肯定された体験」は、
そういう罪悪感めいたものを払拭してくれた。
音楽では、得たことのない肯定の体験だった。
「残りの人生でもっとやりたいことをやりたい」
還暦を迎える少し前から、
そういう思いが募ってきた。
その表現のひとつが、この写真展で
あったのだけど、なんだか背中を押されたと
都合の良いように感じている。
これからは一層、道楽者として生きよう。
今回のご来場者の中には、
思いがけない人も数人いた。
しばらく会っていなかった人に何人も会えた。
これまた「僥倖」なのだな。
感謝。
2022.9.29
写真展「僥倖」を振り返って
早いもので初めての写真展「僥倖」の
開催から1週間が経とうとしている。
終了後の感想は、9月25日にも書いたのだけど、
色々思うことも多い写真展だったので、
記憶が薄まる前にここに書いておきたい。
私は、自分のことを あまり「人」には興味が
ない人だと思っている。
社交的ではないし、初対面の人は苦手だ。
しかし、この写真展には、とても「人」が
存在することになった。
ポートレート(人の写真)を展示したのは
もちろんのこと、観に来てくれるのは、
ほかならぬ「人」なのである。
音楽ライヴは、聴衆がいないと成り立たないように、
写真展は、観に来てくれる人がいないと
開催した意味がない。
しばらく会っていなかった友人知人が、
この写真展のことを知って、足元の悪い中、
観に来てくれたり、花や電報やメッセージを
送ってくれた。
今の家に越してきて半年ほどだが、
近所の居酒屋やワインバーのマスター、
そのお店で客同士として知り合った方も
来てくださった。
普段にはなく私の人生に「人」が存在した
2日間だった。
2日目が終わった時に思わず口から出た
「感無量」という言葉は、そんな「人」たちの
存在と彼らへの感謝から出たように思う。
うまく表現できないのだけど、この「人」の存在は、
私に とても豊かな体験をもたらしてくれた。
そう「豊か」という表現が合っている。
大げさにいうと今まで知らない世界が
開けたような感じだったよ。
うまく書けないので、きっと時間が経って読んだら
自分でも何のことか分からないだろうと思うけど、
できることなら忘れずにいたいと思う体験だった。
写真展をやろうと明確に思い立ったのは
いつのことだったか覚えていない。
昨年からぼんやり思い浮かべていて、
今年に入って、日取りを決めたように思う。
当初は、外国で撮ってきた風景の写真を
メインに考えていた。
ポートレートは、友人の子供たちぐらいで
そんなに多くは思いついていなかった。
春ごろから、写真の選別を始めた。
撮りためた写真数万枚をざっとだけど、
一応全部 目を通した。
すると、展示したくなるようなポートレートが
数枚見つかった。
面白いものでその観点で観だすと、
展示したくなるものが何枚も出てきた。
妻の仕事のイベントの記録写真を
5〜6年撮っているのだけど、
その中にも良い表情を捉えたものがあった。
そんなわけで風景写真も合わせると
候補が250枚以上になってしまった。
あれもこれも観てもらいたいと思うので、
選別の作業は、とても難しかった。
結局、写真以外のデザインの作品(4点)も
合わせ、合計124点もの展示になった。
そのうち、ポートレートは海外のものも含め
51枚にのぼった。
以下は、次回があるとしたら生かすべき反省点。
当日スタッフを含み、2日間でのべ60人の方が
来場し、写真を観てもらえたわけだが、
直前に個別のリマインドやお知らせをすれば、
もう少し集客できたのにと思う。
中には「来る」と言っていたのに、翌日、
「忘れていた」と連絡くれた人もいたからね。
それから、勝手に「来てくれるだろう」と
無意識に期待していた人が数人いた。
もっと積極的に個別にお誘いすれば良かったと
反省している。
2日とも天気が良くなかったことも
影響がゼロではない。
特に2日目は午前中、東海道新幹線が
不通になって、名古屋から来て下さる予定の方が
来られなかったが、これは仕方がない。
3連休の中の2日間というのも旅行に行く
人たちのことを考えると微妙かも知れない。
これらのことも踏まえて、次回は企画したい。
というて、次回があるかどうかは分からんのだけど。
<展示写真の記録(124枚の内訳)>
1985年のアメリカ 19
2014年のイタリア 8
2014年のフィリピン 2
2018年のキューバ 11
2018年のメキシコ 1
2019年のパリ 3
上記海外のポートレート 6
日本の風景等 23
友人知人家族のポートレート 45
その他デザイン等 6
Cuba の店員
2022.10.5
続・写真展「僥倖」を振り返って
9月23〜24日に開催した写真展「僥倖」に
ついて、もう少し書いておきたい。
観に来てくださった方の中に、過去に
写真の仕事に関わっておられたKさんがいた。
今は違う仕事をされていて、私はKさんが、
写真の仕事に携わっていたことを知らずに、
以前、写真の話をしたことがあった。
分かった風なことを言っていたので、
ちょっと恥ずかしい。
Kさんは、なんと浅井慎平さんのもとで
働いていたという。
Kさんは、私の写真を観て、
とてもユニークな講評をくださった。
1985年のアメリカ旅行の写真と、
2010年代の海外旅行の写真は、
カメラも撮り方も目的も何もかも違う。
何より、私自身が違うのだけど、
Kさんは、85年の写真を「ロックだ」と
言ってくださった。
嬉しかった。
なんだか、ハービー山口さんが、
1981年、ロンドンの地下鉄で、
ジョー・ストラマーに言われた言葉
「撮りたいものは全て撮るんだ!
それがパンクなんだ!」を思い出した。
全然違うねんけど。
1985年の写真が「ロックだ」という一方で、
Kさんの言葉は正確には覚えていないのだけど、
私には、2010年代以降の写真は、
写真撮影の知識が入り、こざかしい写真に
なっているという風に聞こえた。
そんな風には、言ってなかったのかも知れないけど、
自分でも そうかも知れないと思う。
85年の写真は、構図の知識なんてなく、
ただ撮りたいものを撮っている。
この「ただ撮りたいものを撮っている」というのが
彼に「ロックだ」と言わせたのではないかと思う。
しかも、フィルムなのでデジタルほど数は撮れなかった。
その分、今は失ってしまった何かを
あれらの写真は、秘めているのかも知れない。
写真展を観てくれた違う人は、私のことを
「カメラマンではなくて、写真家だね」と
言ってくれた。
写真家・・・
ええ響きやなぁ。
エゴがくすぐられるなぁ。
「写真家」というのは、写真を撮ることを生業にしている、
つまりプロのことをいうのだけど、
「フォトグラファー」が商業写真的なイメージがある
一方で、「写真家」というと芸術性を求めて、
写真を撮る人のことのようだ。
「家」が付く人って「音楽家」「芸術家」
「画家」「建築家」「書道家」「舞踏家」
「武道家」などなど、みんなプロフェッショナルな
その道を追及している感じだもんね。
「政治家」以外は。(あ、失礼)
それから、「写真を撮って欲しい」という人が
現れないかなと、密かに "地味に" 期待していたのだけど、
ひとりだけ、「子供の写真を撮ってください」と
言ってくれた。
彼女の子供は、まだ2〜3歳だと思うけど、
「無垢な可愛さのあるうちに」とのこと。
私が撮った子供たちの写真を観ての申し出、
これほど嬉しいことはないよね。
でも、依頼をされて写真を撮るとなると、
なんだかハードルが高くて、
ちょっと緊張感があるなぁ。
まだ具体的には、決めてないけど、
近いうちに実現しよう。
2022.10.10
小島 一郎 写真展
「ROMA」
昨日、小島一郎さんの「ROMA(ロマ)」という
写真展に行ってきた。
@ OM SYSTEM GALLERY(新宿)
Facebook に友人が投稿していて
たまたま、この写真展を知ったのだが、
私は、この小島一郎さんのことを存じ上げなかった。
「小島一郎」というのは、私の母方の祖父の名である。
同姓同名なのだ。
それだけでも十分、フックがあったのだが、
写真のテーマが「ROMA」だった。
当初、イタリア首都ローマのことだと思い、
私も訪れ写真を撮ったことがあったので、
一層、興味を持ったのだが、
「ROMA」は「ローマ」ではなく「ロマ」のことだった。
「ロマ」は、「ジプシー」とも呼ばれてきた人たちのこと。
正確には、「ジプシー」には色んな部族がいるようで、
全員が「ロマ」ではない。
「ロマ」は北インド・パキスタンにその起源を持つらしい。
ジプシーと言えば、フランスを旅行した際に
ガイドの人にずいぶんと「スリ」に注意するよう言われた。
その「スリ」をする人たちが、ジプシーなのだ。
実際、私はパリの地下鉄で若い女性のグループに
スリに遭い、その場にいた現地の警備員のおかげで
幸い財布を取り戻し、犯人は警察に逮捕された。
見た目だけでは、フランス人なのかジプシー(国籍は
フランス?)なのかなんて、日本人には
そうそう見分けがつかないのだけど、とにかく、
ジプシーは、そういう人たちだという認識を
あのパリ旅行では、植え付けられた。
しかし、あの犯人の女の子たちが、ジプシーだという
確信は私にはない。
一般的には、そういう悪いイメージが
付いてしまっているかもしれないジプシーだが、
音楽、特に JAZZ の中では、悪いイメージはない。
1930年代にギタリストのジャンゴ・ラインハルトが
始めた「ジプシー・スウィング」「ジプシー・ジャズ」と
いうジャンルがあり、ジャンゴの影響力はいまだに生きている。
一方で日本では「ジプシー」という呼称が
差別用語だという記述も読んだ。
彼らは、長らく迫害されてきた歴史を持つんだ。
昨日は、14時から作品解説があるというので、
それに合わせて行ってみたら、
全然椅子の数が足りず、立ち見だった。
作品解説は、小島さんご本人と小島さんが
尊敬されている写真家の橋口譲二さん。
この方も主に人物を撮ってこられた。
1989年、ロンドン滞在中にベルリンの壁が
崩壊した際は、ベルリンまで写真を撮りに行ったという人。
とても貴重な面白い話が聴けた。
展示されているのは、バルカン半島の小国、
アルバニアで小島さんが撮影してきたロマの人々。
道端で羊を売っていて、買うとその場でさばいてくれる。
鎖につないだ熊を連れていて、観光客と熊を
一緒にポラロイドカメラで撮ってその写真を金にする。
住んでいるのは、今にも壊れそうなバラック。
およそ、ヨーロッパというイメージとは遠い、
人々がそこには住んでいるのだという。
写真は、ちょっと暗いというか重いトーン。
写る人々に笑顔はなく、
どちらかというとちょっと哀愁を感じた。
デジタルではなく、フィルムで撮られたもので、
もしかしたらデジタルには写らない何かが
そこには写っているのかも知れない。
橋口さんのいくつかの言葉が心に残った。
「出会ってしまったのだから、責任がある」というのは、
世界で起きている現実を観てしまったのなら
写真家として、それを世界に発信する責任がある、
という意味だと思う。
例えば小島さんの場合、ロマの現実を知った以上、
良い写真が撮れたからこれでおしまい、
というわけにはいかない、という風に聞こえた。
「写真には自分(カメラマン)の態度が写っている」
これは、ちょっと怖い言葉だった。
人物を撮った場合、その被写体となった
人物のことばかりに気がいくが、
カメラを向けている自分の態度
(この場合、撮影時のことだけではないように思う)が、
写真には写っているよ、と言うのだ。
確かにそうだろうと思う。
撮影時のことだけをとっても、相手の表情は、
自分に向けられているわけだから、
どんな表情を引き出すかは、こちらの態度なんだ。
小島さんの写真集「正方形の故郷」が
売られていたので、買った。
ほとんどが人物で、鬼海弘雄の「東京ポートレート」に
共通するものを感じたけど、それよりもっと
生活の臭いがする写真だ。
写真展の写真も 写真集の写真も
自分の写真と比べると、なんというか
「覚悟」みたいなものが全然違うと思った。
2022.10.29
諸行無常 生生流転
先日、会社の近くを歩いている時に
錆びたトタン板を見つけて、
iPhone で撮影した。
錆びたトタン板
その時、ふとこういう「移ろいゆくものを
シリーズで撮影する」というアイディアが浮かんだ。
その素材への着眼や発想は新しくないけど、
ひとつのテーマで、何枚も撮るというのは、
自分の写真の練習のためになると思った。
それに、街中にひっそりと存在する、
わびさびのようなものを撮れないかとも思ったのだ。
それで、毎日1枚インスタグラムに
そのテーマで写真をアップすることにした。
写真の練習といっても、撮影も編集も
iPhone で完了するので、撮影の練習というより、
被写体を観る、発見する練習という感じだけど。
その観点で見始めると、色んなものが
目に入ってきたので、撮りためている。
しかし、撮ってはみたけれど、
絵にならないというか、気に入らないというか、
今でいう「映え」ないものも多い。
そういうものは、迷わずボツにすることにしている。
それでもしばらくは、ネタに困らないだろうけど、
すぐに底をつくだろうと思う。
それからが、本当の意味で練習に
なるんじゃないかと考えている。
インスタグラムにアップする写真には、
「街中で見つけた諸行無常・生生流転」と
タイトルを付けた。
「Everything must change」である。
ぜひ、インスタのフォローもお願いしたい。
→ こちら。
自動販売機横の空き缶入
剥げたブロック塀の塗装
道端の煙草の吸殻
2022.11.2
Vivian Maier:The Color Work
ヴィヴィアン・マイヤー:カラー・ワーク
2016年にアメリカの写真家、
ヴィヴィアン・マイヤーのことを知って、
写真集『Street Photographer』を購入し、
ドキュメンタリー映画『ヴィヴィアン・マイヤーを
探して』をDVD で観た。
その時に買った『Street Photographer』は、
モノクロの写真集だったので、このたび
『The Color Work』という写真集を購入した。
カラー写真は、断然ソール・ライターが好きなのだけど、
モノクロのヴィヴィアンの写真が好きだったので、
どんな写真か観たくなったのだ。
円高だったら、アメリカのアマゾンで買った方が
安いんだけど、今は円安(1ドル140円台後半)
なので、送料を入れるとそんなに変わらない。
以前、アメリカから取り寄せた写真集の
角が折れていたことがあったので、日本で
買う方が安心だし、日本のアマゾンで購入した。
2018年に発行された写真集で、
240頁ある立派な装丁の大型本。
50年代から80年代に撮られた(70年代が多い)
主にシカゴの人物、街の風景などの写真。
中には、ロケーションやデータが不明のものも含まれる。
モノクロの方にもあったけど、ヴィヴィアン自身を
写した「セルフ・ポートレイト」も数枚含まれている。
鏡に映った自分や、自分の影など、
ユニークなものが多い。
生涯で15万枚以上もの写真を撮り、
誰にも見せないことを選択したヴィヴィアン。
ヴィヴィアンは、死んでから写真が発見され
有名になった謎の多い人だ。
この約150枚のカラー写真は、
スライドで見つかったものらしい。
ソールもそうだったけど、インターネットや
コンピューターが普及していなかったあの時代、
スライドというのは、ひとつのツールだったんだな。
まあ、ヴィヴィアンの場合、発表していないけど。
自分ひとりでスライド観ていたんだろうか。
街の景色は、ソールとは違った切り取り方で、
写真家としてのタイプの違いを感じる。
ソールの方が、絵画的だ。(彼は画家でもあった。)
窓越しに撮った写真や、ガラスの反射を利用した
写真なんかは、共通するテイストのものもあったけど。
総じて、カラーは、ソールの方が好き、
モノクロは、ヴィヴィアンの方が好きだな。
[ 関連エントリー ]
2016.9.16 Vivian Maier
[ 参考 ]
VIVIAN MAIER - THE COLOR WORK
ヴィヴィアンの写真を「70年代の写メ」と
書いている上原京平さんという方の意見が面白い。
↓
写真集レビュー【 Vivian Maier : The Color Work 】
ヴィヴィアン・マイヤー × カラー写真の魅力とは
2022.11.7
何の写真でしょう?
問題です。
これらは何の写真でしょう?
先日から「街中で見つけた諸行無常・生生流転」
というテーマで、毎日インスタグラムに
アップし始めた。
上の4枚の写真は、昨日アップした
いわば組写真なのだけど、おそらく、
観た人は何の写真なのか分からないだろうと思う。
インスタには「錆」と書いたので、
錆であることは分かるだろうけど。
この「ひとりごと」をお読みの人だけに
何の写真なのかネタ晴らしをしよう。
ちなみに、上の写真は画質を落としているので、
あまり鮮やかな色ではないが、インスタに
アップした写真は、もっとビビッドで美しい色です。
ぜひ、インスタで見てね。
答え。
↓
看板の剥がれている部分のアップの写真。
アップで撮って、少し色を強調しただけで
とても不思議な絵の写真が撮れたのでした。
2022.11.16
何の写真でしょう?(その2)
問題です。
これらは何の写真でしょう?
こちらは、昨日 インスタグラムにアップした写真。
「街中で見つけた諸行無常・生生流転」
というテーマで毎日連続で、アップし始めて
昨日で 21日目だった。
観た人は、おそらく何の写真か分からないと思うから、
前回 同様、ここだけでネタばらしね。
これは、会社の近くのビルの植え込みの
大きな葉っぱの写真のアップ。
全体はこんな風だ。
植物の名前は、分からないけど、
直径は、30センチぐらいある。
葉全体の写真は2枚だが、
問題の方の3枚の写真の色が微妙に違うのは、
3枚別々の葉だからだ。
2枚目の葉脈がはっきり写っているものは、
葉だと分かるかもしれないけど、
それ以外は、なんだか緑色のペンキが垂れて
固まったように見えなくもない。
なんとも自然は不思議なのでした。
いや、人間が勝手に不思議に見ているだけなのだけど。
ぜひ、インスタもフォーローしてね。
2022.12.6
何の写真でしょう?(その3)
問題です。
これらは何の写真でしょう?
「街中で見つけた諸行無常・生生流転」
というテーマで、毎日インスタグラムに
アップし始めて、今日で連続42日が過ぎた。
結構、楽しくやりがいがある。
何か分からないけど、自分の写真のために
なっているような気がするよ。
上の写真は、最近アップしたもの。
これらは、「赤と白」というテーマで、
街中で撮ってみたが、意外と何だか
分からないんじゃないかと思う。
翌日に答え合わせとして、インスタにも
アップしたけど、ここにも記しておこう。
1枚目は、コカ・コーラの看板。
ロゴの下の波線部分。
2枚目は、赤い壁と白い壁の境目。
3枚目は、キリンの自動販売機。
「R」の部分。
4枚目は、進入禁止の道路標識。
2023.1.29
祈り・藤原新也
午後2時過ぎに友人から、「世田谷美術館へ
藤原新也の写真展に来ている」と
LINE で連絡があった。
藤原新也という人を知らなかったので、
調べてみると、何やら面白そうな写真展だ。
しかし、11月26日に始まった本展は、
なんと今日が最終日だった。
数分迷った挙句、予定を変更して観に行ってきた。
最終日ということで、結構混んでいたよ。
藤原さんは、1944年生まれだから、現在78歳。
本展では、「祈り」をキーワードに、初期作から
最新作までの50年以上の期間の
250点以上の作品が展示されており、
公立美術館で大規模に開催される個展は
今回が初めてなのだという。
とても力強い訴えてくる写真が多かった。
中には、3メートルぐらいある
大きなサイズのものも数点あった。
特にインドで撮影された写真が印象的だった。
「生と死」が同時に存在している感じ。
例えば、この写真。
キャプションにはこうある。
「水葬された死者が
ガンジス川の中洲に打ち上げられ、
それを野犬の群れが食う。
アリの群れが
死んだ昆虫に群がる光景と
同じように見えた。
その瞬間、
わたしはヒトの命の重荷から
自由になった。」
衝撃的な写真なのだが、
不思議と嫌な感じがしなかった。
それから、これは感動したな。
(キャプション)
「ともしび。
ガンジス川の岸辺。
ひとりの老人が
死者に線香を手向けるために
マッチを擦る。
川風から火を守るように囲う
そのてのひらは
聖なる彫像のように美しい。」
本当にこの手を見ているだけで
グッとくるんだ。
写真に添えられている文章を読むことで
観ている写真の意味が大きく広がる。
何の説明もなく、写真だけで
訴えるのも良いけれど、
言葉の持つ力も大きい。
今日はずい分と写真と言葉の組合せに
やられた感じ。
これも凄い。
(キャプション)
「サドゥ(聖者)が
三日月型に割ったスイカを
なんと皮の側から
食っていた。
生まれてはじめて
スイカを皮の側から
食らう人間を見た。
だが、なぜスイカを
皮の側から
食ってはいけないのか。
ふと、自分に問い返す。」
インド、チベット、バリ、台湾、香港、
朝鮮半島、そして日本とアジアが中心だが、
1989年のアメリカの写真もあった。
藤原さんのお父さんの最期の写真も良かった。
お医者さんが、「そろそろご臨終です」
と言ったので、藤原さんはカメラを構え
「はい、チーズ」と 99歳のお父さんに声をかけた。
すると、もう意識はないかのように見える
お父さんが、口を開けて微笑んだのである。
そして、口を閉じ一気に死相へと変化した。
藤原さんは、その変化を写真に収めた。
「はい、チーズ」と言ったときにあっけにとられた
老年の医師は「お見事なご臨終です」と言ったという。
場内は、有名人が写っている写真のみ
撮影禁止で他は撮影してもOKだった。
印象に残った写真が他にもあったのだけど、
図録を買って帰るつもりでいたから、
図録を見ればいいやと、あんまり
写真を撮らなかったら、図録は売切れだった。
増刷中とのことで、予約してきたよ。
前述の有名人の写真の中には、
引退後の山口百恵の写真もあった。
最終日だからか、藤原さんご本人がいらして、
何か買った人にサインをしていたが、長蛇の列だった。
参考
【開幕レビュー】<生>への畏敬が満ちた「祈り・藤原新也」
2023.1.31
祈り・藤原新也 追記
一昨日、世田谷美術館で観てきた
「祈り・藤原新也」展のこの写真について
もう少し書きたい。
ガンジス川の中洲に打ち上げられた
水葬された死体に野犬が群がっている写真だ。
ある意味、ショッキングな写真ではあるが、
残酷さよりも、自然界の厳しさと逞しさを感じる。
先日のエントリーにも書いたが、
もう一度キャプションを紹介しておこう。
「水葬された死者が
ガンジス川の中洲に打ち上げられ、
それを野犬の群れが食う。
アリの群れが
死んだ昆虫に群がる光景と
同じように見えた。
その瞬間、
わたしはヒトの命の重荷から
自由になった。」
そして、写真の反対側にはもうひとつ短い文が添えられていた。
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」
写真同様に強烈なメッセージだ。
死体を撮ることについて、藤原さんは、
「生命のざわめきを感じられるか」どうかが
ポイントで、事故死などの写真は撮りたくないという。
「生命のざわめき」って、いい言葉だな。
生命って、ざわめいているもんだよな。
ミュージアム コレクション
それぞれのふたり
萩原朔美 と 榎本了壱
一昨日「祈り・藤原新也」展を観に行った
世田谷美術館の2階展示室で
「それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱」と
いう展示も開催されていた。
萩原朔美(はぎわらさくみ)さんは、映像作家、
榎本了壱(えのもとりょういち)さんは、
アートディレクター。
藤原さんの写真を1時間半ぐらい、たっぷり
観た後で、少々キャパオーバー気味だったので、
軽く観ただけなのだけど、萩原さんの
写真を観て驚いた。
私は、この3カ月ほど前から毎日、
インスタグラムに写真をアップしているのだけど、
なんだか似たようなことを撮っている写真が
数枚あったのだ。
もちろん、萩原さんの方は、美術館に展示される
レベルなので、比べるのは失礼な話だし、
似たようなコンセプトで撮っていても
私の、通りすがりにスマホで撮った写真に比して
萩原さんの写真は、準備に時間や労力が
掛けられているのは明らかで、比較にならない。
当然と言えば当然だが、
いいアイディアだと思っても、
すでに誰かがやっているんだな。
結局、オリジナリティというのは、
少々のことでは、産み出されないのだと
感じたのでした。
2023.2.2
100日達成!
昨年10月26日にふとした思い付きで
毎日インスタグラムに写真をアップすることを始めた。
テーマは「街中で見つけた諸行無常・生々流転」。
始めたときは、「移ろいゆくものをシリーズで
撮影する」というコンセプトで、街中に
存在するわびさびのようなものを撮ろうと
思っていたのだけど、数日でそれは難しいことに
気付き、「諸行無常」の解釈を広げて撮り続けた。
実際にその日に撮影したものをその日に
アップしているのではなく、数日分、
撮りためてはアップするという作業の繰り返し。
過去にカメラで撮った写真を1枚だけ使ったけど、
それ以外の撮影は、全てスマホで、
編集もスマホ(iPhone)内で行っている。
始めた10日間ほどは、1日1枚の写真を
アップしていたけど、これは組写真的でも
良いなと思い、一度に数枚の写真を
アップするようになった。
一日も欠かさずアップし続けて、
今日がその100日目だった。
もう、毎日のルーティンになってしまった。
100日でアップした写真は、
合計412枚になった。
このプロジェクトは、作品を撮りアップするという
意味合いもあるけれど、それより
エクササイズとしての意味が大きい。
毎日撮っていると、撮るものがなくなってくる。
いや、撮るものは世界に溢れているのだが、
自分が、被写体として観るものが
なくなってくるのだ。
実際、80日目ぐらいで一度、
ネタが尽きてきた感がしたのだけど、
被写体を求めて街中を歩いていると
面白いことに、新しいアイディアが出てくる。
似たような写真があることは否めないけど、
「何を、どう撮るか」「どんなテーマで撮るか」は、
考え続けなければならないので、
とても良いエクササイズになっている。
目標は、今年の10月25日まで毎日アップすること。
365日続ければ、今見えていない何かが
見えだすことを期待意図して。
shinya.223 Instagram
100日間アップした中で自分で気にっている写真
その36 雨上がり
その59 雨上がり
その60 雨上がり(車のボンネットの映り込み)
その79 タクシー待ちのハト
その99 夜の公園