2015年
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2015.1.3
カスみたいな ・ ・ ・
元旦から今日まで2泊3日で、
大阪へ帰省していた。
私の実家は、近鉄大阪線の
某駅が最寄駅なのだが、昨日、
上本町という駅から、実家に戻るため、
電車に乗ろうとした時、人身事故のため
運転を見合わせている状況だった。
結局、15分もすると運転が再開されたので、
私たちには大した影響はなかった。
途中の駅で、夫婦らしき2人組が乗り込んで来た。
旦那らしき男 (40代?) が、乗ってくるなり、
はっきり聞こえるぐらいの大きな声でこう言った。
「カスみたいな ウンコ しやがって!」
男の声が、ちょっと大きかったこともあり、
妻らしき女性は、彼をなだめているように見えた。
私の頭の中は、「?」 状態。
(「カスみたいなウンコ」 って、ウンコは
食べ物のカスやのに、どう言う意味やろ?
人のウンコ見たんか?
しかも、そんな大きな声で・・・)
しばらく考えた末、彼は、
「カスみたいな 『運行』 しやがって!」 と
言うたんやと 気づいた。
電車を降りてから、妻に
「カスみたいな ウンコ しやがって!」 って
聞いたかと尋ねると、彼女も聞いており、
どう言う意味か分からなかったと言った。
私が 「ウンコやなくて 『運行』 や。
電車、動き出したけど、ゆっくり走ってたから
気に入らんかったんやろう」 と言うと、
それでも妻には通じない。
どうも 「カスみたいな」 という形容の
意味が分からないようだ。
大阪では、こういう表現が時々ある。
例えば 「アホみたいな」 とかね。
使い方は、
「アホみたいに道、混んでた」
「あれ、アホみたいに高いで (値段)」
「アホみたいな」 は、 言ってみれば 英語の
Very 的な使い方をするのだ。
「カスみたいな」 も同様に
「カスみたいな値段で売ってた」 とか
言うのだけど (この場合は安いという意味)、
「カスみたいな運行」 というのは、
ちょっと訳すの難しいねんけど、
「つまらない運行」
「しょうもない運行」
「ろくでもない運行」
そんな感じだ。
私は 「カスみたいなウンコ」 について、
考え込んでいる間、
その男の発言を聞いていなかったのだが、
妻によると、その男は、その後しばらく、
近鉄電車の文句を言っていたらしいので、
やはり発言は 「カスみたいな運行」 だったのだろう。
謎が解けたから良かったけど、
これ、分からんかったら、ずっと悩むで。
2015.2.10
痛風物語 4
その後
昨年10月18日、痛風を発症した。
痛風は、尿酸値が高い状態が数年続くと
関節に激痛という形で発症する病気。
以前から、尿酸値は高かったのだが、
それまで、発症したことはなかった。
発症4日後からのイタリア旅行では、
痛み止め薬を飲みながら、食事は
ほとんど気にせずに食べた。
11月に入ってからは、痛み止め薬をやめ、
アルコールは、それまでの3分の1から
4分の1ぐらいに控え、お肉も極力
食べないように節制した。
おかげで 体重も数キロ落ちた。
医者は、尿酸値を下げる薬を勧めたが、
私は薬は飲みたくないので、
自力で尿酸値を下げることにしたのだ。
2007年9月の検査では、
9.3 という高尿酸値で、痛風予備軍と
診断され、治療を受けるよう進言されたが、
医者にかかるのはイヤなので、
自力で食生活に気をつけ、翌年の5月の
検査時には、7.8 まで下げた実績が
あったもので、今回も自分流の食事制限だけで、
尿酸値を下げることにチャンレンジしたのだった。
たぶん・・・ 12月初旬に尿酸値を
測っていたとしたら、結構、下がってたと思う。
が、年末年始には飲み会の機会が多く、
ほとんど発症前の食生活に戻ってしまった。
年を明けてからも、中々、その食生活から
抜け出ることができず、そのまま2月1日に
血液検査を受けた。
結果。
10月18日、痛風発症の日、8.2 だった
尿酸値は、なななんと、8.3 に
上がっていた。
ぎょえぇ〜!
ショック〜。
確かに年末年始は、不節制しました。
でも、ちょっとぐらい下がってても
ええんちゃうの?
上がってるって、どういうこと?
しかも、LDL (悪玉) コレステロールの
数値まで上がっとるやないか!
幸い、2度目の発症は まだないものの、
かすかに患部が疼く日もあるので、
もう一度、ふんどしを締め直す覚悟が
必要なのであった。
2015.2.11
節目年
1985年、私は2ヶ月かけて、
アメリカを西海岸から東海岸まで、
バスで横断した。
1995年、私は仕事を辞め、
33年暮らした大阪を離れ、
東京に移った。
2005年は、転職と転居。
そんな風に 「5」 の付く年は、
私の人生において大きな変化の年となり、
節目となってきた。
今年は、その 「5」 のつく年、2015年。
今のところ、大きな変動の予定はないが、
まだ10ヶ月以上あるので 何とも言えない。
果たして大きな変化はあるのか?
2015.3.3
大家といえば・・・
落語を聴いていると
「大家といえば親も同然、
店子 (たなこ) といえば子も同然」
なんてセリフが ちょくちょく出てくるが、
江戸時代、特に長屋の大家さんと店子は、
そんな親密な関係だったのだろうな。
『井戸の茶碗』 のように もめ事の間に
大家さんが入って解決する噺もあれば、
『らくだ』 のように嫌われている大家さんが
登場する噺もある。
また、『長屋の花見』 に登場する大家さんのように
お金はないけど、長屋の皆を花見に連れて行こうと
する大家さんもいる。
そして、落語に登場する大家さんは、大体 優しい。
何年も店賃 (たなちん) を払っていない店子が
登場するけど、あんまりガミガミ言う大家さんはいない。
『妾馬 (八五郎出世)』 の八五郎だって、
店賃を滞納しているようだが、大家さんは
八五郎に着物を貸してあげたりと優しい。
私は、一応 (?) 不動産業に従事している。
会社は、いくつかの不動産物件を所有している。
つまり、大家さんなのだ。
で、いくつかの賃貸借契約をしていると、
どうしても、賃料の支払いのルーズな
店子が現れてくる。
今までに、家賃滞納で提訴したこともあるし、
内容証明で解約通告し、出て行ってもらったもの、
夜逃げ同然でいなくなったものなど、様々だ。
こんなぶっ飛びな店子もいる。
その人は、ある商売 (物販) でわが社の物件を
借りているのだが、結構、滞納賃料が
溜まっている。
私としては、これ以上、滞納金を増やしたくないので、
度々、催促の電話をかけることになる。
「○ 日までに ○ 万円入れてください。
そうしないと、今月末で出て行ってもらいます」
なんて言葉は、何十回 その人に言ったか分からない。
そうすると、こちらが
(もうちょっと様子を見ようか) と思えるほどの
金額を入金してくる。
こんなことを繰り返していても、
溜まった滞納金を取り戻せるとは思えないが、
これ以上、滞納を増やすことは、
許容できないので、催促は厳しくやる。
そういう人は、どんどん滞納が増えていく傾向に
あるからだ。
2月末、約束した金額を振り込んで来なかった、
その店子 (Aさんとする) に 今日、電話をした。
私 「明日、賃料を入れられないのだったら、解約です」
A 「週末にお客さんがきます。月曜日まで待って下さい」
私 「今まで何度も待ったじゃないですか。もう終わりです」
A 「そう言わずに一度、お店に来てください!」
(私は、そのお店に行ったことがなく、
そのAさんと電話でしか話したことがない。)
私 「お店に行ったって何も変わりません。
賃料払ってください」
A 「お店に来ていただければ、理解してもらえます」
私 「理解って?お店に行ったら、家賃払わないことが
理解できるんですか?」
A 「いえ、お金だけ (が全て) じゃないということが分かります」
すごいなぁ、この会話。
コントみたいでしょ。
実際の会話やで。
店賃 滞納している店子が、大家に向かって、
「金じゃない」 って・・・。
笑えるなぁ。
やたらと 「お店に来てくれたら分かる」 と
言うところを見ると、どうも、Aさんは
売っているモノには 自信があるようやね。
でも、家賃 払えなかったら、
場外乱闘なんですけどね。
それとも、お店に行ったら、
「あなた、家賃払わなくても良いですよ」 って
言うとでも思ってるんやろか。
そうやとしたら、この人、ホンマもんやで。
で、優しい大家さんは結局、来週の月曜日まで
待ってあげることにしたのだった。
2015.3.5
おとなになろっと
先日、30代半ばの若者 (?) と
飲む機会があった。
別に相談されたわけでもないのに、
酒の勢いで ずい分説教じみたことを言った。
イヤなオヤジだ。
翌朝、目覚めた瞬間から、
心に何か引っかかるものがあった。
私は、彼に一つの指針を示した。
求められてもいないのに。
そして、彼は私の言った方法を選択せず、
従来通りの自分のやり方を続けると言った。
(言葉は、そんな風じゃなかったけど。)
そのことから、私はこんな風に感じた。
彼は人生に少々の不満や不安は
あるのかも知れないが、
” 本気で ” それをどうにかしようとは
思っていないんだ、と。
「思っていない」 と 断言はできないが、
「人は、やりたいことはやる」 という
前提に立てば、そういうことになる。
この 「やりたいこと」 の中には、
本人は (やりたくない) と思いながらも
やっていることも含まれる。
それは、本人が選択しているのだから。
そこまで含めての「やりたいこと」 だ。
「心に何か引っかかるものがあった」 と書いたが、
何に引っかかっているのか、自分に問うてみた。
最初は、本気でどうにかしようと
思っていない相手に酒の勢いで、
もっともらしいことを並べ立てた自分への
嫌悪感かと思ったが、ちょっと 違う。
引っかかっていたのは、
全くの大きなお世話で、
勝手な持論を展開しておきながら、相手が、
自分の言う通りにしなかったことへの不満だ。
そして、その不満の裏返しの無力感だ。
そこから見える、自分の傲慢さへの嫌悪だ。
これが翌朝の私の心の違和感だった。
彼に話している最中の私は、酒だけでなく、
もっともらしい持論にも酔って、
「さあ、どうだ、俺の言うとおりだろ」 と
言わんばかりに高揚していた。(恥)
その高揚した分、翌朝、気分が悪いわけやね。
バランスやね、全く。
妻は、人にコーチングしたり、
コンサルティングしたりするのを
仕事にしているが、
彼女はクライアントから
お金を頂いて、ものを言う。
それは、クライアントが、
お金を払ってでも、有効な、価値のある、
アドバイスや意見を聞きたいと思っているから
成り立つビジネスだ。
つまりは、相手は、本気でなんとかしようと
思っている人だから聞く耳があるのだ。
いや、なんとかしたいと、お金を払っていても、
自分のやり方を曲げることは、
ほとんどの人にとって 大変困難なことだ。
だからこそ、高いお金を払わねばならないのだ。
つまりは、求められてもいないのに
あれこれ言うのは、不毛っちゅうことなのだ。
そんなこと、知ってるねんけど、
つい、やってしまうのね。
人って、いや、私って、
なんやかんや、言いたいのだな。
なんか、えらそーに。
自分の言うことが、「その道」 で
あるかのように。
そんな自分にちょっと辟易したな、今回は。
もうちょっと、大人になろっと。
2015.3.6
続 おとなになろっと
昨日は、
「人に意見をして、その人が
自分の言うとおりにしなかったことについての
不満とその背景」 について考察を書いた。
考察なんて、そんな大そうなもんとちゃうけど。
で、続きというわけではないが、
こんな話も読んでくれ。
先日、ある女性 (30歳前後) が、
私に相談ともなくこう言った。
「ベースをやりたいんですけど、
私、もともとバンドでピアノを弾いていて、
友達が 『ベ―スはお前のイメージに合わない』
って言うんです。
でも、私、ベースをやりたいんです!」
私は、
「やればええやん。
友達がなんて言うかなんか関係ないやん。
その友達の 『イメージ』 をぶち壊してこそ
ロックだろ」 と答えた。
我ながら、(ええ答えやな、ふっ) と思った。
「友達にそう言われて、どうしょうかなって
思う程度のことやったら、やめとき。
そんな程度やったら、やらん方がええで」
という、ちょっと厳しい、ネガティヴな言い方も
あるだろうが、ポジティブ・ヴァージョンで
答えたのだった。
さて、彼女がベースをやろうがやるまいが、
それは私に何の影響もなく、
実際、どっちでもええことで、
やってもやらなくても 私は何とも思わない。
相手に何かを意見したという点では、
昨日のエントリーと同じなのに、
私の内面の状態は明らかに違う。
もちろん、トピックが違うということもあるが、
そこじゃない。
「自分の思い通りにしたい」 度合いは、
言い換えれば、執着の度合いなんだ。
執着は、たびたび愛情と混同される。
特に親子・夫婦など、近い人間関係においてね。
友人関係でも、ある程度近くなれば、
同じことが起こるだろう。
「お前のために言うてんねんで」 と、
愛情の押し売りをするのだ。
これ、愛情ではなく、相手を自分の思い通りに
コントロールしたいというエゴやねんな。
つまりは、執着。
なんかあったな、コマーシャルで
「あなたのためだから」 っていうセリフ。
あれ、明らかに 「ちゃうよね」 っていう
メッセージやもんね。
場合によっては、「親切」 と評されることの正体が、
実は 「執着」 「エゴ」 なのだということに
常から目覚めておきたいものだ。
「目覚めておきたい」 も 一歩間違うと執着。
ああ、終着駅のない執着。
人生いろいろパラドクス。
2015.3.11
続 大家といえば
先日、賃料を滞納する店子 (たなこ) のことを
書いた。→ これ。
「週末にお客さんが来る (入金がある) から、
週明けには振込みます」 と 言っていたが、
月曜日に入金はなかった。
まあ、よくあることですが。
(と、こちらが思うぐらい信頼関係は崩壊している。)
本人からの連絡はない。
(払われへんのやったら、電話くらいしてこいよ!)
という自分の内面の反応はあるものの、
そんなことに腹を立てていたのでは、
大家はつとまらない。
常習的に賃料を滞納する店子は、
賃料が遅れることを、
自ら連絡などしてこないし、
ましてや、詫びてはこない。
なので、「『すいません』 の一言もない」 などと
そんなところに引っかかっていては、
仕事にならないのだ。
Aさんからは連絡がないので、
こちらから携帯に電話をかけると、
留守番電話になっている。
このパターンも珍しくない。
で、火曜日になって、連絡がついた。
あい変わらず、「待ってください」 と
「一度、お店に来てください」 の連発。
「のんべんだらり」 とはこのことを言う。
「大家さんに甘えている」 という表現もできるが、
違う表現をすると 「なめられている」 のだ。
おそらく滞納が始まった初期の段階で、
私は対応を誤り、相手に完全に
なめられることになってしまった。
「言えば、待ってくれる」、
「本当には契約解除されない」 と。
うむ、これでは、沽券に関わる。
脱、優しい大家さん。
ということで、
昨日中に ○万円振り込まなければ、
契約解除、待ったなしと通告した。
が、今日、確認したところ、入金はなかった。
以前は内容証明郵便を送るのが、
結構面倒だったが、数年前からネットで
送れるようになった。
これは、非常に便利だ。
で、早速、契約解除通知を送った。
速やかに進むことを祈っていてね。
ところで、
「賃料滞納」 「賃料催告」 などのキーワードで
検索すると、色んなサイトがヒットする。
色んなサイトといっても、滞納者のサイトは
見当たらず、不動産業者や大家さんの記述が多い。
中には、某相談サイトに
「管理会社から督促状が来ています。
△□○◇▽ の事情で家賃が払えません。
先方に正直に話した方が良いでしょうか?」
という困った相談も見受けられる。
正直に話したら、家賃を払わなくて済むとでも
思っているのだろうか。
その質問者への回答は、ほとんど馬鹿にしたような
キツいものから、親切なアドバイスまで様々だった。
また、ある法律事務所のサイトに弁護士が
「26年間の経験の中で、滞納家賃を支払うよう
催告して、全部支払ってきた人はいません」 と
明言していた。
そうやろな、と思う。
さて、賃料滞納者の心理というものは、
いかなるものなのであろうか。
前述したとおり、たっぷり滞納している店子、
毎月、期日を守らない店子は、前もって
「遅れます」 などとは、連絡してこない。
だが、希に 「今月3日ほど遅れます」 と
連絡してくる店子もいる。
毎月、きっちり月末に振り込んでくるような人で、
遅れたことのないようなタイプだ。
今まで遅れたこともないし、
誠実に連絡をしてきてくれたので、
ついつい、甘くなり、
「はいはい、○日の入金ですね。
分かりました」 と愛想よく応じてしまう。
ここが肝心なのだ!
愛想よく応じることは構わないだろう。
不機嫌に応じるよりは、よっぽど良い。
だが、一言を付け加える必要があるのだ。
その一言とは、
「今回だけは、特別に認めますが、
次回からは 必ず 月末までに入れてください」
という、厳しい言葉だ。
これは、実際にあったことなのだが、
そうやって、3、4日遅れることを
2、3回容易に受け入れたところ、
遅れることを自ら連絡してきていたその店子は、
やがて、連絡なしで遅れるようになった。
つまり、当たり前になってしまったのね。
人間の順応力というのは、恐ろしいね。
ま、なめられたわけですな。
電気料や電話料金は、支払わないと
止められてしまうので支払うけど、
家賃はどんどん優先順位が下がっていくわけですな。
電気や電話を止めるのは簡単やけど、
賃貸借契約を解除し、明け渡しまでもっていくのは、
時間がかかるし、大家としてもすぐに追い出すのは、
人として気が引ける部分もある。
店子は、そこにつけ込むわけやな。
で、一度、そういう癖がついてしまうと、
正常な状態 (月末に入金) に戻すのは、
大変難しいのだった。
新宿歌舞伎町に物件を持つ大家さんに聞いた話だが、
店賃 (飲み屋) を滞納しては、物件を転々とする
あくどいヤツもいる。
契約者名を替えて、次の契約をするので、
新しい店に 以前の未払賃料を請求に行っても、
自分には関係がないと、
言い逃れられてしまうという。
対策としては、滞納が始まっても、
貸主側に被害が出る前に契約解除・明け渡しまで
持っていけるよう、半年分とか1年分とか、
十分な敷金を預かるか、
保証会社を付けるしかない。
そして、保証会社の審査が通らない人には、
貸さないことが賢明だということになる。
う〜ん、「大家といえば親も同然、
店子といえば子も同然」 の時代から、
100年ぐらだろうか。
大家と店子の関係は、
すっかり世知辛いものになってしもうた。
2015.3.28
花 と 女
昨日 乗ったタクシーの話。
私が乗り込み、行き先を告げるなり
運ちゃんがこう言った。
「桜、咲きましたねぇ。男性にとっては良いことですね。」
私は、どういうことやろ と思いながら、
「花見で飲めるからですか?」
と訊いてみた。
「違いますよ。お客さん知らないのですか?」
「ええ、なんで桜が咲くと、男性にとって良いのですか?」
「花を見ると女性が優しくなるんですよ。」
「そうなんですか。知りませんでした。」
「そうですよ。これ、女の人が言ってたんですから、
本当ですよ。
つまり、普段、女は優しくないってことですよ。」
さて、ここで私は、なんと言ったでしょうか?
1番 「私の周りには、優しい女性しかいませんよ。」
2番 「優しい女性なんているんですか?」
3番 「だから、男は女に花を贈るのか!」
4番 「外面如菩薩 内心如夜叉」 ※
※ 「げめんにょぼさつないしんにょやしゃ」
女性の顔はいかにも優しい菩薩のように見えるが、
心の中は悪魔のように険悪で恐ろしいところがあるということ。
2015.3.31
続々 大家といえば
「大家といえば」、「続 大家といえば」 の続編だ。
3月の中旬、その A さんに対し、
契約解除、月末に明渡しを通告するも、
「待ってください」 だの 「がんばります」 とは
言うものの、結局、A さんは、
店賃 (たなちん) を払ってこなかった。
月末に明渡しなので、今日が期日だ。
先週の土曜日に、現地に行き、直接本人に
「あと3日ですよ」 と念を押しておいたのだが、
電話をかけてみると、なんと今日も平常営業をしている。
ふてぶてしいというのか、
図太いというのか、大胆というのか、
本人は 「眠れない」 だの
「堤さんの顔が頭から離れない」 だの
言うのだが、実際はどんな心境なのだろうか。
全く理解に苦しむ。
これ以上、待つわけにもいかないので、
「退去するのに何日要りますか?
退去しないんだったら、商品に 『差し押さえ』 と
貼り紙しますよ」 と言っても、
「もうちょっと待ってください」 と言う。
「じゃあ、いつ、いくら支払えるのですか?」 と
訊いても明確に答えられない。
なぜなら、支払えるプランなどないからだ。
で、私は、今日明日に 「出てけ」 というのも
可哀想だと思い、15日の猶予を見て
「4月15日に明け渡してください」 と申し出た。
その日になって、今日と同じ会話をしたくないので、
何が何でも A さんに退去を約束してもらわないと、
話を終えるわけにはいかない。
お分かりのように、A さんには選択肢はない。
だが、「分かりました。4月15日で
明け渡します」 と 言わないのだ。
どこまで、図太い人なのだろうかと
あきれるばかりだが、本人は、
「これ以上、迷惑かけたくありません」 と言う。
「十分、迷惑かかってます。
これ以上、迷惑かけたくなかったら、
すぐに出て行ってください」 と言っても
どういうわけか、
「滞納賃料をきれいに払ってから
出ていきます」 と言うのだ。
律儀なのか何なのか分からん。
「滞納賃料をきれいに払ってから」 は、
もちろん、望むところだが、
そんな見通しはないのだ。
挙げ句の果てに A さんはこう言った。
「違う角度から、見て良いですか?」
私は、(この場に及んでどの角度やねん) と
思いながら、「どうぞ」 と言った。
「堤さんに提案なんですけど」
「はい」
「堤さんが個人的に私のスポンサーに
なるというのは、どうですか?」
あほかぁぁぁ〜!
と言いたかったが、グッとこらえて 冷静に
「できません。ほかを当たってください」
そこで私が、
「その手があったか、気がつかんかった」
って言うたら、落語やで。
いやぁ〜すごいね。
なんで、私が家賃滞納者に金貸すねん。
考えたら分かるやろ。
この人、ホンマもんやね。
2015.4.7
くうはく の はく
週一で勉強見ているK君は、
この4月から中学3年生になった。
小学5年生の夏ごろから、
見始めたので、もうすぐ丸4年になる。
毎週会っているので、普段は気にしていないが、
改めて 見てみると、顔にはニキビが出、
体つきも大人に近づき、もう少年とは
呼べなくなっていることに 気づかされ、
月日の流れを感じるのであった。(しみじみ・・・)
さて、そのK君が、問題を解きながら、
私に 「『空白 (くうはく)』 の 『はく』 って、
どんな漢字?」 と訊いた。
私は 「白 (しろ)」 と、答えた。
「しろ・・・」 と呟きながら、
何かを書き込んでいるK君。
しばらくして、また
「『くうはく』 の 『はく』 って、
どんな漢字?」 と訊くので、
「白って言うてるやん」 と言いながら、
彼のノートを覗き込んだ。
するとそこには・・・
空 城
「その城ちゃうやん、白やって」
「しろ」 と言いながら、「城」 の字を
指さす彼。
私は、「ちゃうちゃう、ホワイト!」 と言った。
「ワイト?」
「ホワイト!」
「ワイト?」
私の発音が良いのか、
なんのことか分からないようだ。
「ブラック & ホワイトのホ、ワ、イ、ト!」
「ああ 白!」
「言うてるやん、白って」
「だって、それは 城 だよ」
「いや、それは、城 やろ」
この会話、文字に書くとなんのことか
全く分からないが、私とK君とで
「白」 のアクセントが違うのだ。
私 (大阪人) の 「白」 は、「ろ」 に
アクセントがあり、
K君 (東京人) には 「城」 に聞こえるらしい。
K君の 「白」 の発音は、「し」 にアクセントが
あり、私には、犬の名前の 「シロ」 に
聞こえてしまう。
「雲」 と 「蜘蛛」、「橋」 と 「箸」 など、
東京と大阪のアクセントの違いは、
知っていたが、「白」 も通じないとはね。
東京の発音は、
「白」 と 「シロ」 が同じに聞こえたが、
大阪では、「白」 「城」 「シロ」 の
3つは、言い分けられるのだよ。ふふ。
「橋」 と 「箸」 と 「端」 も。
さあ、声に出して言ってみよう!
「橋 の 端 を 箸 を持って歩く」
「シロ と散歩に行った 城 の色は 白」
2015.4.8
プリン体をやっつけろ!
今日、初めてテレビCMを観たのだが、
某メーカーから「プリン体と戦う乳酸菌」 という
謳い文句のヨーグルトが発売された。
プリン体は、ほとんど全ての食品に
含まれており、体内で尿酸になるので、
高尿酸値者の私としては、
非常に興味のあるところだ。
早速、ウェブでメーカーサイトを見てみると、
「プリン体への可能性に着目して
選び抜かれた “ プリン体と戦う乳酸菌 ”」
とある。
う〜む、微妙な表現やなぁ。
高尿酸値者が知りたいのは、これを摂取すると
「尿酸値が下がるのか」 どうかだ。
「戦う」 かどうかではない。
で、切実な私はメーカーに、
「摂取すると尿酸値が下がりますか?」 と
問合せメールを送ってみた。
メーカーからの回答内容は、予想通り、
食品なので効能は答えられないというものだったが、
参考となることが書き加えられていた。
秘密にするようなことではないが、
メーカーの許可なく、その内容を転用、
二次利用することは 「ご遠慮ください」 と
あったので、ここには書かない。
だが、メーカーには、「プリン体と戦う」 と
謳う根拠があることは分かった。
そらそうやろな。
私は、身近にウーロン茶でダイエットした
人を知っているが、
「ウーロン茶を飲んで痩せる」 と言って
売ってはいけないようなものだろう。
幸い、昨年10月の痛風発症以来、
一度も発症は していない。
尿酸値を下げる効果があるといわれる
「アンセリン」 というサプリを飲み、
これまた、尿酸値を下げる効果があると
いわれる 「バナジウム」 含有の
ミネラルウォーターを日に1500ccほど
飲んでいる。
どちらも、食品なので効能は謳っていない。
効果はゼロではないのだろうが、
時折、患部がうずくような
気がして安心できないでいる。
そのくせ、酒を飲みたい。
発症前に比べたら、アルコール摂取量は、
半分ぐらいに減ったと思うけど。
やはり、そのヨーグルトにプリン体と
戦ってもらおかな。
2015.4.10
日本語は難しい
先日、関東と関西の発音、アクセントの
違いについて書いた。→ これ。
「橋 の 端 を 箸 を持って歩く」
「シロ と散歩に行った 城 の色は 白」
を声を出して読んでくれと書いたが、
「しろ」 の方は、もっとシンプルにしたので、
改めて読んでみて欲しい。
新作も追加しておく。
「シロ と行った 城 は 白」
「蝶 の 腸 は 超 長い」
「雨 の日に 飴 を舐めて 編め」
「雲 を見ながら 蜘蛛 と チームを 組も」
こんな言い回しすることないだろうが、
日本人同士でも難しいのだから。
外国人にとって日本語は 「悪魔の言語」 と
言われるのも分かるよね。
2015.5.16
痛風物語 5
再発症
昨年10月18日、痛風を発症し、
しばらくは食事に気を使い、数キロ減量もした。
しかし、年末年始には、ほとんど元の
食生活に戻ってしまい、2月初旬の
血液検査の尿酸値は、10月の
痛風発症時 8.2 よりも高い
8.3 というショッキングな結果だった。
このままでは、マズイと思いながら、
ここんとこしばらくは、ズルズルと
ほとんど発症以前のような食生活に
なってしまっていた。
この数日、なんとなく患部が疼いていたのが、
ついに昨夜、再発症となった。
前回もそうやったけど、寝ている間に
痛くなるねんな。
昨夜というか今朝は、夢の中の自分が、
痛風になって痛がっていたけど、
痛みは夢ではなかったっちゅうことや。
昨年11月あたりは、ホントにアルコールの量も
少なくなっていたし、食べる量も減っていた。
最近は、家でも酒を飲むようになっていたし、
よく食べるようになり、体重も、
2〜3キロ増えていたけど、
意外と発症せえへんやん、と思っていた。
つまり、完全に油断していたのが原因だ。
自業自得という他ない。
やはり、尿酸値を下げる薬に頼るしかないのかとも
思うが、きっと薬を飲むと 節制しないやろから、
もう一度チャレンジしてみよう。
昨年の発症後は、あんなに
真面目にやってたのに、
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」 とは正に。
2015.5.19
痛風物語 6
昨年10月の痛風発症時は、
その4日後から、イタリア旅行へ出かけた。
旅行中は、痛み止めの薬を飲み、
食事もワインも気にせずに楽しんだ。
旅行から戻ってから、節制を始めたわけだ。
薬のおかげで、旅行中は一度も痛むことがなく、
歩行に困ることもなかった。
だが、今回は痛み止めを飲んでも
薬の効きが悪いようで、痛い。
びっこをひき、ゆっくりでないと歩けない。
じっとしていると、そうでもないが、
歩くとゆっくりでも、結構痛いので、
昨日と今日は、職場へタクシーで往復した。
土曜日、発症の日は一歩も家から出なかったが、
翌日は、横浜まで出かけた。
びっこをひきながらでも、ゆっくりだと
歩けたのだ。
しかし、昨日、今日は、一昨日より
もっと痛い。
色々調べていると、2回目の発症の方が、
酷いとか、3日目がピークとか書いてある。
うん、当たっているぞ。
今日はもう4日目やけど。
見た目にも昨年の発症時よりも、
腫れ方が明らかにひどい。
右足の親指の付け根あたりの赤くなっている
関節 (中足指節関節というようだ) が
患部なのだが、そこだけではなく、
全体的に腫れて、右足が一回り
大きくなったように見える。
左足は血管が見えるが、右足は腫れて
血管が見えない。
痛くて、靴など履けない。
昨年の発症時には、こんなに腫れることも
なかったので、今回の方が、病状が悪い。
今回も前回も 発症は、夜中だった。
これも調べていると、どうも、
夜中に発症することが多いことが分かった。
2回とも金曜日の夜から
土曜日の朝にかけてだったのは、調べてみると
なんと、痛風は金曜の夜に発症するという!
うそです。
単なる偶然に決まってるやろ。
前回は、友人の子供らの運動会の撮影に
行く予定の日だったが、
とても歩ける状態ではなく、仕方なく断念した。
今回は、特に予定がない土曜日だったので、
良かったが、今週の土曜日は、その同じ子供らの
運動会がある。
(例年、運動会は5月なのだが、
昨年だけどういうわけか10月だったのだ。)
一週間遅れていたら、またその運動会に
当たっていたので、危ないところだった。
しかし、あと4日で、サクサク歩けるように
なるんやろか。
今回の発症で、分かったことは、
アンセリン (尿酸値が下がると言われている
サプリメント) を飲もうが、バナジウムを
含むミネラル・ウォーターを飲もうが、
それだけでは、尿酸値はそんなに簡単には
下がってくれない、ということだ。
(これらは、結構 真面目に飲んでてんけどね。)
だからといって、それらをやめる気はない。
「気休め」 的な意味もあるが、
サプリを摂ったり、バナジウム水を
飲むことで、毎日、尿酸値のことを
意識するという意味合いもある。
でも、どうも安いサプリメントでは、
効き目がイマイチな感じなので、
ちょっと高いサプリを発注してみた。
田七人参という朝鮮人参の一種のサプリで、
これは尿酸値だけでなく、血糖値や更年期障害にも
効果があったというレビューが多い。
ひと瓶 (1ヶ月分) 1万円もするので、
効果がないと辛いけど、試してみるしかない。
いずれにしろ、痛風のリスクとは、
一生付き合うと観念するしかない。
ところで、「びっこ」 は差別用語らしく、
調べてみると、こんな場合は 「跛行 (はこう)」 と
いうらしいが、普通、知らんよね。
そんな言葉。
2015.5.21
買っちゃえ!
私が 銀行から出た時、30代と思われる
母親らしき女性と、5〜6歳の女の子が、
出入り口の横に立っていた。
前を通り過ぎる際、母親の声が聞こえた。
「ピアノ買おうか迷ってんだよね〜」
見ると、携帯をいじりながら、
女の子に話しかけるでもなく、
ひとり言のようにつぶやいた感じだった。
私は、思わず 「買っちゃえ、買っちゃえ!」 と
言いたくなったが、無言のまま通り過ぎた。
その直後、気が付いた。
頭の中の会話が 東京弁 (?) になっていると。
「買っちゃえ」
大阪では、けっして許される言い回しではない。
大阪では、その場面なら、
「買 (こ) うてまえ」
もう ちょっとワイルドに迫るなら、
「買うてもたれ!」
ソフトにいくなら、
「買うたらええやん」 てな感じだろう。
いずれもイントネーションを間違うと、
大変気持ち悪いことになるので、
心得のない者は、けっして真似をしないように。
先日、深夜のテレビで、お笑い芸人が、
えせ関西弁に関西人がイラッとしている、
というようなことを取り上げていた。
どの言葉が一番、関西人をイラッとさせるか
なんて、くだらんランキングをしていたのだが、
私は、イラッとはしない。
イラッとするのではなく、気持ち悪いのである。
その番組では、なぜ関西人がえせ関西弁に
反応するかに言及することはなかったが、
正しいイントネーションでない関西弁は、
ホンマに気持ち悪いのである。
否、これは関西弁に限ったことではないだろう。
どこの地方の人でも地の言葉を真似て
変なイントネーションで喋られれば、
気持ち悪いだろうと思う。
私が、わざと東京弁 (?) で喋ると
やはり妻は 「気持ち悪い」 と言う。
ちなみに、妻は、東京生まれの山形育ち。
両親が山形から東京へ出稼ぎに来ていた時に、
東京で生まれ、幼少の頃、山形へ戻り、
そこで、 のびのびと 育った。
高校卒業とともに上京したので、
山形で暮らしたのは、15年ほどで、
本人は、生まれも東京であることから、
東京人との自覚が高い。
一方、私は東京へ出てきて、今年の12月で、
まる20年になるねん。(いきなり大阪弁)
(そうや、20周年記念でなんかしよ!)
今年、53歳になるので、人生のおよそ5分の2を
東京で生きたことになる。
あと10年もすれば、半分っちゅうことだ。
それにしても、だ。
20年も住んでいると、頭の中の会話が、
東京弁になるっちゅうことやな。
まあ、全部ちゃうけど。
2015.5.28
痛風物語 7
再発症から13日目
痛風の再発症から、13日目にして
ようやく靴を履けるようになった。
痛みが治まったわけではない。
ピーク時の痛みを10だとすれば、
2〜3ぐらいまで下がった感じ。
歩くスピードもほとんど、
平常時に近いスピードに戻った。
でも、完治ではない。
というか、発作は治まっても、
高尿酸値症は治ったわけではないので、
これからが戦いなのだ。(自分とのね。)
それにしても、2回目の痛風、
痛かったねぇ。
この辛さを忘れないようにしなさい、オレ。
2015.6.1
ひとりごと8周年
2007年6月1日にこの「ひとりごと」を
書き始めたので、今日で丸8年になる。
44歳だった私も今や52歳。
あっという間やね。
これから8年後というと、60歳。
ひぇ〜、カンレキ〜!
いつまで続くか続けるかも決めずに、
始めたことだが、書いているうちに
自然と自分に課したルールがある。
・人が読んで、良い気のしないことは書かない。
これは、出来ているかどうか分からないけど、
ネガティヴなことは、
書かないように気をつけているつもり。
例えば、腹が立ったことを書くにしても、
読んだ人が不快にならないように書きたい。
できるなら、読んで笑ってもらえるものを
書きたいが、いつもいつも、そんなネタは
ないよなぁ。
・一旦アップしたら削除しない。
これは、ええかげんなことを
書かないように自分への心構えとして。
後日、間違いに気付いて
訂正することはあっても、今までに
削除したエントリーは一つもない。
8年も書いてると、中にはイマイチな
エントリーもあるけど、まあそれも
ありのままの私ということで。
音楽や写真同様、作品やと思って書いてます。
お気づきだと思うけど、
最近、トップの画像を変えたり、
フォントを変えたり、
マイナー・チェンジをしております。
もっと大幅にカッコよくしたいねんけど、
そんなセンスも時間もないので地味に。
ひとりごと、9年目に突入ですが、
これからもヨロシク _(._.)_ 。
2015.7.2
健康診断
年に一度は、健康診断を受けるようにしている。
正式名は、「生活習慣病予防健診」。
大崎駅前の大きなビルの中にある、
某クリニック。
ここでの健診は、今年で4度目。
ここは健診専門のクリニックのようで、
多くのスタッフがおり、手際が良く早い。
今日はやや混んでいて 1時間強かかったけれど、
以前には、45分ほどで終わったこともあった。
受付で、予め送られてきていた、回答済みの問診票
(マークシート方式)と検便、検尿を出し、
次の指示を待っている時だった。
隣にいた40代と思われるサラリーマン風の
男性が、受付の女性に何度も
「ここも書いてください」と言われている。
何気なく見ると、問診票の回答が
所々抜けているようだ。
思わず心の中で
「なんでそんなに(答えが)抜けるんや。
順番に答えたらええだけやのに」と
えらそうな私が反応する。
「つつみさん」と呼ばれたので
カウンターに行くと、
先ほど提出した問診票を差し出され、
受付嬢に こう言われた。
「裏にもありますので書いてくださいね」
とほほ。
表だけ書いて、裏面など見ずに出したのだ。
人のことをえらそうに非難している場合ではない。
自分こそ、間抜けではないか。
さて、検査の内容は下記。
身体計測(身長・体重・腹囲・視力・聴力)、
血圧測定、血液検査、心電図検査、胸部レントゲン、
胃部レントゲン(バリウム検査)、検尿、検便、
診察(問診、視診、触診、聴打診)
体重は、昨年より3キロほど減っている。
スタッフが、昨年の数値と比較しながら、
測定してくれるのだ。
体重に関しては、ここんとこ節制しているもんね。
一番気になるのは、なんといっても尿酸値。
この1年間に痛風発症2回やからね。
今回は、せめて「8」を切っていることを
期待しているのだが、さて、どうなるか。
結果は、2週間ぐらいで送られてくる。
乞うご期待。
2015.7.7
七 夕
7月7日は、私の父の誕生日である。
1930年生まれ、今日で、85歳だ。
自分の父親が、85歳まで生きているなんて、
若い頃には、想像できなかったけど、
現実になれば、現実なんだ。
変な言い回しになったけど。
母は、今年11月で80歳になる。
妻の両親も健在で、4人とも
健在であることに感謝である。
パパ、お誕生日おめでとう!
(もちろん、パパなどと呼んだことはない。
我が家では、子供の頃から、
いつも「ダディ」だもんね。)
(うそ。)
2015.7.13
痛風物語 8
〜 健康診断 結果 〜
7月2日に受けた「生活習慣病予防健診」の
結果が届いた。
その結果報告の前に、
一番気になる尿酸値について、
この2年間のデータを見てみよう。
(って、誰も興味ないか。)
2013/09/04 8.0
2014/05/26 8.2
2014/10/18 8.2
(痛風発症1回目)
2015/02/01 8.3
2015/05/16 ?
(痛風発症2回目)
(尿酸値は、7.0以下で正常。)
2月の検査では、昨年10月の痛風発症時より、
数値が「0.1」上がっており、ショックを受けた。
その後、食生活に油断が現れ、
5月に 2回目の痛風発症があった。
それからは、それなりの努力をしており、
当然、尿酸値はいくらか下がっているものと
疑わなかったのだが・・・。
結果は、まさかの「8.4」!
また、上がっとるやないか!
どういうことやねん!
こんなにお酒を減らし、お肉も控えて、
体重も数キロ落とし、尿酸値が下がると言われている
サプリを服用しているにも関わらず、
数値が上がっとるとは、どういうことや?
1ヶ月半では、効果が現れないということか。
全く、よう分からん。
他の数値を見てみると、中性脂肪は、
一昨年の半分以下と劇的に下がっている。
2013/09/04 223
2014/05/26 162
2014/10/18 149
2015/02/01 133
2015/07/02 105
今の私の場合、中性脂肪は 150を
超えると異常値とみなされるので、
異常値から正常値に移行した。
これは、明らかに食生活に気をつけた
成果だと思う。
ところがだ。
どういうわけか、コレステロール値は、
変わらないか、悪化しているのだ。
総コレステロール(正常値:140〜200)
2013/09/04 231
2014/05/26 211
2015/07/02 221
横ばいですな。
HDL(善玉)コレステロール(正常値:40〜86)
2013/09/04 47
2014/05/26 40
2015/07/02 34
悪くなってます。
LDL(悪玉)コレステロール(正常値:70〜139)
2013/09/04 148
2014/05/26 134
2015/07/02 165
これも悪化ですな。
あんまり油っこいもの食べないようにしてるし、
体重が落ち、中性脂肪値は下がっているのに、
コレステロール値が良くないのは不思議やなぁ。
で、診断結果に血液脂質の二次検査を
するようにと書かれていたので
尿酸値も含めて、近々再検査の予定だ。
2015.7.30
痛風物語 9
〜 ついに尿酸値が! 〜
7月2日に受けた「生活習慣病予防健診」の
結果、コレステロール値が異常ということで、
二次検査を促され、7月17日に血液検査を受けた。
コレステロール値が異常といわれても、
なんの自覚症状もないので、あんまり気には
しておらず、もっぱら私の関心は尿酸値にある。
尿酸値は 7.0 を超えると、高尿酸値症と判断され、
治療(投薬)を勧められる。
高尿酸値の状態が数年続くと痛風を発症する
リスクが高まるのだ。
私は、もう何年もその高尿酸値症だったが、
昨年10月、初めて痛風を発症した。
2014/10/18 尿酸値 8.2(痛風発症1回目)
それから、それなりに飲酒・食事を節制した
つもりでいたが、2月1日の検査では尿酸値は
下がるどころか、0.1 上昇。
2015/02/01 尿酸値 8.3
それでも、尿酸値を下げる薬は飲まずにいたら、
喉元過ぎればなんとやらで、油断がたたり、
5月16日に 2度目の痛風を発症。
1度目より、症状は重い。
つまり、痛い!
それからは、さすがに気を付けるようになり、
体重も少し落ちた。
今度は、尿酸値が下がっているだろうと
臨んだ7月2日の検査。
その結果にショック!
2015/07/02 尿酸値 8.4
あんなに気をつけていたのに、
なんと、下がるどころか 上がっていたのだ。
そんなはずはない、これは何かの間違いや、
もう一度、測ってもらおうと、
7月17日のコレステロール値の二次検査の際、
尿酸値も検査してもらうことにした。
その検査結果を不安と期待と共に待っていたのだった。
実は、一昨日、昨日と痛風の患部が、
かすかに疼くので、もしや 3度目の発症の
前兆ではないか、と心配していた。
そして、今日、その検査結果が届いた。
まず、コレステロール値。
7月2日とほとんど変わらず、やはり異常。
そして、尿酸値。
(ちょっとは、下がっててね)と祈るような
気持ちで、その欄に目をやると・・・
7.4〜!
やったぁ〜!
ついに下がったぞ!
しかも、2週間で −1.0 や!
あ〜良かった。
薬に頼らずに自分を信じて良かった。
よく頑張りました。
えらいぞ、おれ。
よし、この調子で、7.0 を切るまで、やるぞ!
あとは、コレステロール値がなんとか
改善されれば良いねんけどね。
今日の尿酸値標語
「食生活、変えてもすぐには、下がらない
あきらめないで、下がるから」
2015.8.6
接客
まだ私の頭に髪の毛が(今よりは)
豊富にあり、月に一度は散髪に通って
いた20代の頃の話。
その頃の私は、フリーターみたいなもんで、
散髪に行くのに平日の昼間に行くことがあった。
平日の昼間に行くと、ある散髪屋は、
髪を切りながら、
「お客さん、今日はお休みですか?」などと
話しかけてくる。
私は、話したくもないのに話しかけられるのが
イヤで、その散髪屋へは2〜3度行った末、
行かなくなった。
私が好きだったのは、いっさい無駄口をたたかない
散髪屋だった。
何度か通うと、髪型の注文も
「いつも通りで」の一言で済んでしまう。
散髪屋の言葉も「いらっしゃませ」と
「ありがとうございました」ぐらいだ。
最高にシンプル。
タクシーの運転手にも話し好きがいる。
いつだったか、4人でタクシーに乗ったことがあった。
4人でワイワイ話していると、運転手(割と若い、
30代かな)が、話に加わってくるのだ。
内心(お前に言うてないんじゃ)と思うが、
大人なのでそんなことは、口に出さず、
密かに(黙って運転してろ)という
空気を発しつつ、運転手の言葉を軽く受け流す。
ほかの3人も同様にしている。
だが、そういう人は、全く空気が読めないので、
何度も話に加わってきて、しまいには大声で
爆笑までする。
その場にいると、ものすごい違和感です。
きっと、口うるさい、酔っ払ったオヤジに
たしなめられることもあるだろうな、と思う。
レストランでも時々いる。
先日も一人で入ったカジュアルなレストランで、
私がグラスワインを注文すると、
お店がヒマなせいか、ホールのお兄ちゃんが
近づいてきて、
「ワイン好きなんですか?」
「お近くですか?」
などと訊いてくる。
めんどくさいっちゅうねん。
厄介なのは、こういう接客がサービス、
あるいは、おもてなしだと勘違いしている
店員がいることだ。
中には、話しかけられることが
嬉しい人もいるんやと思う。
でも、話しかけられたくない人も
いるっちゅうことを分かってないねんな。
私が以前勤めていたバーでは、
お客さんに対し「付かず離れず」という
距離感を保っていた。
つまり、バーテンダーと話したいお客さんとは
話すが、あまり話したくなさそうなお客さんには、
こちらからは声をかけない、という姿勢だ。
お客さんを見ていれば、話しかけて欲しいか
そっとしておいて欲しいか分かるもんだ。
座る席(どこに座るか)でもある程度分かる。
さて、そのバーテンダー時代、何度か来たことのある
お客さんの中に、あまり好きになれない
男性客がいた。
「あまり好きになれない」とは、
ソフトな表現だが、ストレートに書くと
「嫌い」ということになる。
「嫌い」というほど積極的ではないので、
「あまり好きになれない」という表現になるのだが。
私は、人に対する好き嫌いが激しく、
何かイヤな感じがする人とは、話もしたくない。
そして、そのことを隠しきれないので、
相手にも伝わってしまうようだ。
バーのお客さんに対してもそうであったようで、
そのあまり好きになれない男性客に
ある日、こう言われた。
「ぼくのこと、嫌いでしょ?」
お客さんにそんなことを言わせるバーテンダー、
あんまりおれへんやろな。
ま、プロとしては、サイテーですな。
2015.8.26
暑くないのに
今日は8月にしては、かなり涼しい日だった。
朝、出かけるときは、半袖だと肌寒いほどで、
長袖で出歩いている人もかなり見かけた。
ランチに入った、回転寿司でのこと。
私が座ったカウンター席の正面にいた板前さんが、
ホールの係りの人に、2〜3回、冷房を
強くするように言った。
別段、暑くもないのになぁ、と私は
不思議に思っていたが、途中で(あっ!)と
気づいた。
以前、ここにも書いたように、
私は刺激物(ワサビ、生姜、コショウ、唐辛子、等)を
食すると、頭のてっぺんから汗が吹き出す。
寿司屋に入っても、ガリとワサビで
100%、汗をふきふきの食事になる。
そう、板前さんは、私が汗をふきふき
食べているので、暑いと勘違いしたのだな。
たぶん。
暑いわけやないのに・・・。
2015.9.9
結婚記念日
今日は、私の両親の結婚記念日だ。
私の思い違いでなければ、56周年。
50周年を「金婚式」と呼ぶのは有名だが、
55周年を「エメラルド婚式」
60周年を「ダイヤモンド婚式」
70周年を「プラチナ婚式」と呼ぶようだ。
私の同級生の中には、片親のみならず、
両親とも他界した者もいる。
死別でなくても、両親が離婚したケースもある。
両親がこの年(父85歳、母80歳)まで別れず
健在でいることは、スゴイことなんだと思う。
実家の近くに住む姉に聞いたところでは、
いまだに時々、夫婦喧嘩をしているようだ。
いや、「いまだに」と書いたが、子供の頃、
両親が喧嘩しているのは、あまり見た覚えがない。
どちらかといえば、仲の良い夫婦であったように思う。
一度だけ、あれは私が小学4年生ぐらいだったと思うが、
父が大声で母に「出ていけ!」と怒鳴りつけた
ことがあった。
姉と私は、すでに布団に入っていた時間だったが、
何が起こったのか、わけが分からなかった。
そして、本当にバッグ一つ持って
その夜、母は出て行った。
後日、母に聞いた話では、
母は「明日出ていく」と言ったらしいが、
父は「今すぐ出ていけ」と怒鳴りつけたようだった。
母は、その夜は近くのホテルに泊まり、
翌日、伯母(母の姉)の家へ行き、姉と私を呼び寄せた。
確か、伯母の家に一泊した後、
3人で家に戻り、何事もなかったかのように
日常が再開されたように記憶している。
普段、どちらかというと穏やかな父が、
そんな大声を出したということは、
おそらく、たまたま父の虫の居所が悪いのと、
母の余計な言葉が重なったんだと思う。
その時の話は、母からは聞いたことがあるが、
父からは、聞いたことがない。
元来、父はそういう自分の心情なんかを
話す人ではない。
子供に向かって、言い訳や自己弁護もしない人だ。
あの時、寝かけていた姉と私を起こし、父は、
「お母さん、出ていくぞ」と言った。
母に言わすと、引っ込みの つかなくなった
父は子供たちが「お母さん、行かんといて!」と
止めてくれると思ったんじゃないかと言う。
残念ながら、私は口をぽかんと開けて、
黙っているしかなかった。
大体そんなん、止められるような雰囲気ちゃうで。
こっちも動揺してるし、
何が起こったんか分かってへんのやし。
でも、その夜、眠れなかったという記憶がないので、
母が出て行ったあと、スヤスヤと寝たということか。
それはそれで、どうよって感じやな。
今となっては、喧嘩の顛末はどうでもよいが、
両親の思い出を振り返った時、
アクセントとなるエピソードだ。
そんな2人も今日は、
お祝いの食事に出かけているようだ。
父上、母上、
結婚記念日、おめでとうございます。
2015.9.18
私の暴力行為
昨日は、学校内における小学生の
暴力行為の増加について書いた。
私は小学生の頃、友達と殴り合いのケンカを
したことはあっても、昨日の記事のような
暴力行為はした覚えがない。
でも、学校内ではないが、
暴力を振るったことを思い出した。
確か、小学2年生だったと思う。
親戚のおっちゃんと将棋を指していた。
たぶん、将棋を覚えたてだったんだと思う。
詳しいことは、覚えていないけど、
負けたことが悔しくて、
何かが気に入らなくて、
そのおっちゃんに殴りかかった。(ガキですな)
おっちゃんは、笑いながら、
私の暴力を受け止めてくれたように
記憶している。
小2とはいえ、全力でおっちゃんの
(顔ではなく)体を殴ったのだ。
多少は痛かったと思うのだが、
おっちゃんは、笑っていた(ように思う)。
あの時の私は、怒りをコントロールできず、
暴力という解決(発散?)に走ったわけだ。
もう一つ、小学6年生の時のこと。
いわゆる反抗期。
詳しいことは覚えていないが、
何かにイライラしていた私は、
母親の何気ないひと言が気に入らず、
自分を抑えることができず、
何か(たぶん「うるさいんじゃあ〜」とか
そんな言葉だっただろう)を叫びながら、
母親に飛びかかった。
飛びかかったと言っても、
殴りかかったわけでは なかったように思うが。
私が12歳ということは、母はまだ30代。
まだまだ負けてはいない。
結果は、「親に向かってなんということを!」と、
強烈な逆襲(お仕置き)にあったのだった。
まあ、簡単にいうと、オカンにしばかれて
終わったわけだ。
あ、もう一つ、思い出した。
たぶん、5年生か6年生の時。
姉とケンカして、殴った。
それまでも、何度も姉弟で殴り合いのケンカは、
してきていたが、それまでは2歳違いの私が、
負けていたのだ。
しかし、その日、久しぶりの殴り合いで、
本気で姉を殴った私は、完全に姉に勝利した。
(「殴り合い」と書いたけど、一方的に
私が殴っただけかもしれない。)
あの、勝った時の
(あれ? 俺、勝ってしもた、姉ちゃん弱いやん)
という、ちょっと戸惑いを含んだ複雑な征服感、
優越感は今でも覚えている。
そして、その日以来、私が姉に手を上げることはなくなった。
もう、姉ちゃんを殴る必要はなくなったんやろな。
2015.9.20
ハワイ
今夜から、5泊7日でハワイに行ってきます。
マウイ島3泊、オアフ島2泊、
総勢9人のグループ旅行です。
オアフ島へは一度行ったことがあるけど、
27〜8年前、20代半ばのこと。
あの時も大勢で行ったのだけれど、
ワイキキで、サーフボードを借りて、
サーフィンをしようと無謀なことを試みた。
(ろくに泳げないのに。)
ワイキキは遠浅で、波が立っているところまで
出ていくだけで、ヘトヘトになり、
何もせずに また浜までヘトヘトになりながら、
戻ったというイタイ思い出がある。
心配しないで。
今回は、やらないから。
あと、ストリップにも行ったなあ。
日本では行ったことないねんけど。
ブロンドのめっちゃきれいなダンサーが、
目の前で ××× を ××× で、もう ××× が
××× な感じ。
すごかったなぁ〜。
心配しないで。
今回は、行かないから。
心配してないか。
そんなわけで、数日間、この「ひとりごと」の
更新をお休みします。
ええ写真が撮れるとええなぁ。
乞うご期待。
2015.9.26
楽 園
まさに「あっ!」という間だった
5泊7日のハワイ旅行。
こうやって日常生活感満載の自宅でPC に
向かっていると、ホンマに行ってたんやろか、
と思うほど、瞬く間に感じた。
この旅、マウイ島では、Four Seasons Resort、
オアフ島ホノルルでは、Halekulani という、
普段は泊まったことのない、
高級リゾートホテルに宿泊!
ああ、贅沢。
そう、今回の目的のひとつは、
贅沢を満喫すること。
おかげで、ハワイが楽園と言われるゆえんを
実感できる旅でした。
それにしても、1週間では、短いなぁ。
また行きたいなぁ。
2015.10.20
滲出性中耳炎
先月、ハワイに行った時、
往路の飛行機の中で、ずい分と耳が痛かった。
気圧の変化のせいだ。
ハワイに到着してからも、しばらく痛みと
違和感が取れず、何かの拍子に耳の中で
「バリッ!」という大きな音がして、正常に戻った。
左耳だったような気がするが、確かでない。
ハワイから戻って、しばらくして、
耳がおかしいことに気がついた。
復路の飛行機では、往路ほど痛むこともなかったし、
旅行後からずっとおかしかったのか、
しばらくしておかしくなり始めたのか、
そのへんが自分でも曖昧だ。
ハワイに行く、4〜5日前から、
咳が出ていて、ちょっと気になってはいたが、
ハワイに行けば治るだろうと、軽く考えていた。
結局、その咳は 1ヶ月間続き、
この2〜3日、ようやく治まってきた感じだ。
耳がおかしいことと咳が関係あるのかどうか
分からないし、飛行機に乗ったことと関係あるのかも
今となっては、よく分からないのだが、
先週末あたり、その耳の違和感がピークに達した。
違和感というのは、
耳に水が入っている感じというか、
蓋がされている感じというか、
膜が1枚張っている感じというか、
とにかく、ちょっとこもっていて、
微かに聴力が落ちいている感じ。
聞こえにくい感じだ。
でも、自分の声や食事の時の自分の口の中の
音はいつもより よく聞こえる。
自分の声はよく聞こえるので、
話し声が小さくなってしまっていたのだろう、
妻に「声が小さくて聞こえない」と言われた。
自分では、いつも通り話しているつもりなのに。
その耳が塞がった感じもずっと右耳だと
思っていたが、この数日は、左耳にも
違和感を感じ始め、とうとう どっちの耳が
おかしいのか確信が持てなくなってしまった。
耳が塞がった感じは、人と話すとか
外部の音を聞かないと自覚がないのだが、
静かなところで黙っていても、
おかしなことが起こる。
頭をまっすぐにしていると
何も聞こえないが、キーボードを
打とうと下を向くと、右の耳に
「ひゅ〜」と風が吹いているような
音が聞こえるのだ。
海辺で耳に貝殻を当てると音がする、
あの感じだろうか。
海辺でなくてもええねんけど。
痛みもなく、熱が出るわけでもない。
放っておいてもそのうち治るだろうと、
ひと月近くが経過したが、一向に良くならない。
自分の声量がわからなくなったようなので、
いよいよ、これは放っておくと
まずいことになるかも、と不安になりだした。
何か別の大きな病気の前兆でも困る。
それで、昨日、やっと重い腰を上げて
耳鼻科に行ってきた。
耳鼻科なんて、子供の頃以来だ。
幼稚園の時、中耳炎になった。
小学校でも3年生か4年生の時に
中耳炎になり、「プールに入ってはダメ」と
水泳にドクター・ストップがかかり、
体育の授業の水泳がイヤだったので、
嬉しかったのを覚えている。
それはさておき。
診察はまず、鼓膜の写真を撮った。
その場で、モニターに映し出す。
「こことここに水が溜まっていますね」と先生。
どうも、両耳とも鼓膜内に水が溜まっているようだ。
素人には、見ても分からんけど。
続いて、聴力検査。
結果は、両耳とも聞こえにくくなっているが、
特に左耳が聞こえにくくなっている。
続いて先生がこう問うた。
「強いですか?」
「えっ?」
「強いですか?怖がりですか?」
この質問は十分に怖い。
次の治療に何が待ち受けているのかと
患者をビビらせるには、十分な質問だろう。
「あ、はい。怖がりです。
かなり、怖がりで、弱いです」と私。
「じゃあ、痛かったら手を挙げてくださいね」
げっ、痛いのか!
しかし、仕方ない。
やるしかない。
長い綿棒のようなものを鼻の穴から奥に突っ込む。
まあ、我慢できる程度。
何度もやるの嫌やけど。
続いて「空気を通します」と、鼻の穴に
細いホースのような物を突っ込み、
空気を噴射。
鼻から耳へ空気を通すのだ。
あんまり、楽しい治療ではない。
「ちょっと良くなりましたか?」と先生。
そんな気もするけど、良く分からない。
もう一度、鼓膜の写真を撮ると、
少し改善されているようだ。
これまた、素人目には分からない。
その後、「鼓膜のマッサージをします」と
音と振動の出る器具を耳に突っ込む。
まあ、色んなものがあることにビックリ。
診断は、滲出性中耳炎(しんしゅつせいちゅうじえん)。
中耳に液体(滲出液)が溜まる病気らしい。
先生曰く、
「今、飛行機乗ると、痛いですよ。
もし近々、飛行機に乗るんだったら、
鼓膜に穴を開けたほうが良いです。」
鼓膜に穴を開ける・・・。
そんな治療があるんか。
開けた穴は、どうなんのやろう。
ま、今のところ、開ける気はないので、
深く聞かんでええことにした。
薬を2種類処方してもらい、
しばらく様子を見ることに。
今日の時点では、まだ改善は感じられない。
完治するには、しばらくかかるようだ。
2015.10.27
滲出性中耳炎 2
先週月曜日に耳鼻科に行き、
「滲出性(しんしゅつせい)中耳炎」との診断を受けた。
2種類の薬を処方されたが、飲みはじめて
3日目の夜あたりから、ふくらはぎや腕に
発疹が出始めた。
薬との因果関係は不確かだが、
5日目に服用はやめた。
その発疹は、いまだに消えず結構痒い。
耳の塞がった感は、いくぶん右耳は
ましになったような気がするが、
左耳は一向に良くならない。
それどころか、どんどん耳が
遠くなっているように感じる。
歩きながら話している時など、
人の右側に立ち、左耳で聞こうとすると、
非常に聞こえにくく、不便を感じ始めた。
この2〜3日はあくびをした時に
耳の奥で「バリッ」とか「ベリベリ」とか
音がするようになった(痛みはない)ので、
何か変化が起こっているのだろうとは思う。
自然に治癒するものだろうと楽観視していたが、
時間がかかり過ぎているような気がするし、
何よりも不便を感じ始めたので、
今日、2回目の診察を受けに行った。
まず、鼓膜の撮影。
鼓膜の写真を撮ると、右耳は先週より、
改善されているようだが、左耳は悪化しているようだ。
右耳が改善された分、余計に左耳が
聞こえにくく感じるのだろう。
先生 「ちょっと痛いけど、やってしまおうか?」
私 「えっ?」
看護師 (笑顔で)「大丈夫。大したことないですよ」
先生 「臆病?」
私 「はい。臆病です」
先生 「でも、こないだも大丈夫だったよね」
私 「は、はい・・・」
そんな会話の後、鼓膜に穴をあけ、
中に溜まった水分を吸いだすことに。
まあ、終わってみればホントにどうってことない
治療なのだけど、歯の治療と一緒で、
自分の身体に器具を突っ込まれ、
見えないところで何かされるというのは、
いくら先生を信頼していると言っても、
気持ちの良いものではない。
ちょっと先生の手元が狂い、
ブスッと耳を突いたら・・・なんて考えると
身体に力が入ってしまうのは致し方ない。
そういうわけで、注射針で鼓膜に穴をあけ、
溜まっていた水分を取りだしたところ、
完治とは言わないが、かなり、塞がった感が
取り除かれた。
聴力も大分回復した感じ。
問題は、水が溜まる原因が解消していなければ、
また水が溜まるということだが、
これは、しばらく様子を見るしかない。
今日の診療の明細書を見ると
「鼓室穿刺」と書いてある。
漢字を見るといかにも痛そうな治療だ。
読めないので調べてみたら、
「こしつせんし」と読むみたい。
それにしても、鼓膜って穴をあけても
平気やねんね。
知らんかった。
2015.11.13
滲出性中耳炎 3
9月の終わりごろからだったと思うが、
聴覚に異常を覚えた。
耳が塞がれているような違和感だ。
放っておけば自然に治るだろうと
思っていたが、一向に良くなる気配がないので、
10月19日に医者に診てもらい、
「滲出性(しんしゅつせい)中耳炎」との診断を受けた。
鼓膜に水が溜まっているらしい。
当初は、右耳もおかしかったのだが、
しばらくすると、右耳は治ったようで、
左耳の聴力の低下がひどくなった。
10月27日には、「鼓室穿刺(こしつせんし)」という
鼓膜に針で穴をあけ、水分を取り除く治療受けた。
その直後は100%ではないにしろ、
ほとんど治ったかのように感じたのだが、
3日も経つとまた元通り、塞がれたかのような
感覚に戻った。
水を取り除いても、
「水が溜まる原因が解消していないと、
また発症します」と医者が言った通りだった。
お気楽な私は、再び、
放っておけば治るだろうと、楽観的に考えた。
ところが、全く良くなる気配はなく、
先週末あたりは、かなり悪化しているように
感じた。
左耳に無音の音が聞こえるのだ。
無音というと音がないわけだが、
本当に静かな所へ行ったときに、
「し〜ん」という音(実際には音ではないけど)が
聞こえた経験はないだろうか。
あんな感じの音(?)が聞こえるのだ。
まあ、雑音の多いところにいると、
気が付かない程度だけど。
時々、あくびをしたり、つばを飲み込んだ時に
耳の奥で「バリッ」という音がするのも
気持ち良いもんではない。
痛みは全くないが。
そんなわけで、もう一度、診療を受けようか、
大きな病院に行った方がええんやろか、と
考えるだけで時間が過ぎていた。
ところが。
昨日あたりから、ちょっと聴力が回復し始めた。
耳元で、親指と人差し指の腹をこすると
小さな音がする。
その音が右耳では聞こえるものの
左耳では全く聞こえなかったのが、
聞こえるようになったのだ。
まだ右耳と同様とはいかないが、
9割ぐらい戻ったような感じなのだ。
同時に無音の音(?)もまだしているけれど。
このまま、完治に向かってくれれば
良いのだが。
数週間前から、左肩が痛い。
50肩かと思ったが、調べてみると違うみたいだ。
寝ている時、長時間 左肩に負担が
かかったようで、起きた時に痛かったのが
始まりなので、その時に変な力がかかり、
炎症を起こしているというのが、
素人なりの考えだ。
53年も生きていると、身体が少しずつ、
変わってきていると感じざるを得ない。
2015.12.3
サボり
先週、三日続けて「ひとりごと」の更新をサボった。
一日は飲み会で 結構 酔っぱらって帰宅したためで
他の二日は特別な理由などなく、
「書くネタを思いつかなかった」というのが正直なところだ。
少数だが、このサイトを楽しみに訪れて下さる方々がいて、
日曜日に会った人に
「(身体の)具合でも悪いのかと思った」と言われた。
書くネタが思いつかなかっただけなのに、
そんな心配をかけてしまい申し訳ない。
具合が悪ければ、そのことをネタに書くので心配無用。
と言いたいが、ホンマに具合悪かったら、
それどころではないもんな。
本当は、書きたいことがいくつかあるのだけど、
諸事情により、オープンにはできない内容なのだ。
片付いて時間が経ったら、書けるかもしれないけど。
そんな風に聞くと、「何?何?」って興味を
持ってもらえるかもしれないけど、
大したことではないです。
2015.12.5
くんちゃん。
私の母は、6人兄弟。
母は、上から2番目(次女)で、
下には3人の弟と1人の妹がいる。
いや、3人の弟は「いる」ではなくなった。
一番下の弟は、5年前62歳で他界。
そして、一昨日、真ん中の弟、
つまり私にとっての叔父が亡くなった。
誕生日が来ていれば、74歳だったと思う。
名前が「国一(くにいち)」だったので、
その叔父のことを親戚みんなが、
「くんちゃん」と読んでいた。
くんちゃんのことは、2年前に ここ に書いた。
あの日の昼間、大阪に帰省していた私に
電話をかけてきた時には、
すでにゴキゲンに酔っ払っていたくんちゃん。
夜には、2万円以上タクシー代を払って
会いに来てくれた。
酔っ払っているので、電車になど乗れないのだ。
「こんなタクシー代払ったの、人生で初めてや」と
言ってた。
とても、楽しいひと時だった。
くんちゃんは、すでに癌を患っていたので、
ふと(もしかしたら、最後になるかも。
別れを言いに来たのかも)と思ったが、
あれから2年以上が経った。
そして、その後 会う機会がなく、
本当にあの日が、最後になってしまった。
今から大阪へ、お通夜と告別式に行ってきます。
2015.12.6
R.I.P. くんちゃん。
叔父 くんちゃんのお通夜と葬儀に参列するため
大阪に行ってきた。
最期は、呼吸困難で苦しそうだったという
くんちゃんは、思いのほか静かな死に顔だった。
昨夜は、くんちゃんの息子2人と
親戚の人達と結局、朝の5時過ぎまで飲み
故人を偲んだ。
息子(つまり私のいとこ)2人は、私より8歳下、
11歳下なのだが、喪主の長男は、
立派に最後の挨拶までを努めていた。
今日11時から葬儀、その後、会場の隣にある、
火葬場に移動し荼毘に付した。
2時間後、骨上げ。
あっという間に、骨だけになってしまった。
この瞬間は、何度体験しても
驚く程に あっけない。
くんちゃんは、5人の孫を残して旅立った。
出棺の際の、小学生の孫の泣きじゃくる様子が、
くんちゃんがいかに孫を可愛がっていたかを
思わせた。
合掌。
2015.12.14
肩が痛いねん
10月から 11月にかけて、
滲出性(しんしゅつせい)中耳炎 になったことは、
ここに何度か書いた。
鼓膜に水が溜まって、聴力が落ちる中耳炎だが、
鼓膜に針で穴をあけ、水分を取り除く治療受けたにも
関わらず、一時的な改善しか見られず、
困ったもんやと思っていたところ、結局、
自然治癒というのか、勝手に治ってしまった。
1ヶ月半ぐらいかかったけどね。
さて、その次は、肩(左)にきた。
寝ている時に肩に負担がかかったのが
始まりだと思うのだが、これがどんどん酷くなっている。
当初は、動かすと痛い程度だったのだが、
動かさなくても痛みが腕にまで感じるようになり、
この 1週間ほどは、明け方、毎朝のように
肩の痛みで目が覚めるほどだった。
今のところ、ギターを弾くのに支障はないのだが、
チューニングするときに左手をギターのヘッドまで
手を伸ばすのがつらい状態だ。
これ以上、悪くなると演奏に支障をきたす。
23日に、ライヴの本番があるので、
その日まで、これ以上悪くなっては困る。
で、どうしようか考えた挙句、
以前ここでも紹介したパーレ・テラピーを
集中的に受けることにした。
写真は、一昨日、施術を受けている様子を
妻が撮ったもの。
私は、うつ伏せになったままだったので、
こんな柄のものを被せられているとは、
知らなかった。
今日も施術を受けた。
少しだが、痛みが和らいだ感じ。
なんとか、楽になれば良いが。
2015.12.22
肩が痛いねん 2
もう2ヶ月ぐらい前から左肩が痛い。
最近は、肩だけでなく腕にも痛みがある。
10日ほど前から、パーレ・テラピーに
1日おきに4回通った。
施術直後は身体が軽くなった感はあるものの
患部にあまり改善は見られなかった。
電車が揺れた時、とっさに反応で
左手でつり革に掴まろうとした時など、
数十秒間、動けなくなるほど痛い。
何もしなければ、(動かなければ)
大したことはないのだが、
服を着るときや頭を洗う時など、
左手に痛みがあり不自由である。
今までギターを弾いていて、
痛いことはなかったのだが、
いよいよ、演奏中に痛みを感じるようになった。
明日、ライヴの本番を控えて、
今日の練習中のことである。
演奏にノってくると、アクションがちょっと
派手になるのだろう、そんな時、
痛みが走ることが数回あった。
そのために、続けて弾けなくなるほど
深刻ではないのだが、
明日は、気をつけておとなしく地味に弾こう。
(なんやそれ)
昨日、近所の寿司屋に行った。
板前のOさんは、普通の人が見えない世界が
見える人。
私は、左肩・腕の不具合を彼には、
話していなかったのだが、
入店した私を見るなりこう言った。
「左、具合悪そうですね」
なんでも彼の話によると、
私の左半身は、モヤに包まれているらしい。
足までモヤに包まれているので、
足も悪いのではないかと言う。
今のところ、足に不具合は感じていないけど。
なんやろな。