2022年 エッセイ
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2022.7.8
安倍元総理 銃弾に倒れる
えらいことが起こってしもた。
安倍元総理が、11時半ごろ 奈良県の西大寺で、
街頭演説中、元自衛隊員(と報道されている)に
銃撃され、17時過ぎに死亡した。
享年67歳。
総理だった時に色々あったし、
恨んでいた人もいるだろうし、
殺したい気持ちもあるやろけど、
殺したらあかん。
犯人は、単独の犯行なのだろうか。
背景に誰か他の人や組織がいるのだろうか。
アメリカだったら、その場で銃殺されていたかも
知れないけど、犯人は生きているので、
これから動機や色々が明らかになっていくだろう。
「64人いる歴代首相のうち、襲撃を受けて
死亡したのは安倍氏で7人目」という記事を読んだ。
伊藤博文、原敬、浜口雄幸、犬養毅、
高橋是清、斎藤実。
でも、これらの方々が 殺されたのは、戦前の話だからね。
それにしても、救命に当たった医師の記者会見で
相変わらず品のない質問をする記者がいるのは、
残念というか 辟易するなぁ。
2022.8.15
終戦の日に思う
今日は、8月15日。
終戦から77年経った。
私は、1962年生まれなので、
終戦から17年しか経っていなかった。
今から17年前なんて、最近のことやもんね。
3歳頃の記憶には、京橋(大阪)駅前の
商店街で見かけた片足がひざまでで、
もう片方のひざから下を地面に引きずりながら歩く、
傷痍軍人の姿がある。
その姿を見たとき、怖かった覚えがある。
その怖さは、3歳児には言葉で説明できない
怖さで、60歳になった今でも、私の戦後、
いや、戦争の体験として心に残っている。
その私が恐怖を感じた元軍人は、
どんな人であったのだろうか、
家族はいたのだろうか、
どんな思いで戦ったのだろうか、
どんな思いで戦地から帰ってきたのだろうか、
と、この年になって初めて、
「その人自身のこと」に思いが至った。
毎年、終戦記念日が近づくこの時期になると、
戦争に関するテレビの特集番組が報道される。
こういうのを「記念日報道(アニバーサリー・
ジャーナリズム)」と言うらしい。
記念日報道には、賛否があるようだが、
年中、報道し続けるのは現実的には、
難しいだろうし、戦争に限らず、
節目の日にそのことを思い出し、
風化させないことには意味があると私は思う。
今年は、例年より戦争の特集番組が
多いように思う。
おそらくロシアのウクライナ侵攻が
影響してのことだろう。
いくつかの番組を観たが、本当に考えさせられる。
先日、ある報道番組で「クライシス・アクター」の
ことを特集していた。
「クライシス・アクター」というのは、
フェイクニュースで被害者、犠牲者を演じる
人達のことだ。
(調べてみると、本来は防災訓練のときに
災害・事件の被害者役として参加する
人達のことみたい。)
マリウポリが攻撃されたときに
ウクライナは、ロシアからの攻撃だと言い、
ロシアは、ウクライナのでっち上げだと言った。
ロシアの言い分は、そのときの映像に映っていた
妊婦は、クライシス・アクターだというものだった。
日本の取材陣は、その妊婦を探し出した。
そして、「あなたは、クライシスアクターなのか?」と
問いただすシーンがあった。
彼女は「いいえ、私はクライシスアクターでは
ありません」と答える。
映像は、スタジオに変わり、キャスターが
「彼女はクライシスアクターではありませんでした」と言う。
ちょっと待って。
なんで、そのインタビューを信じられるの?
もし、クライシスアクターだったとしたら、
簡単に明かすわけないじゃないか。
私は、ロシアの味方をしているのではない。
何が事実で、何がフェイクなのか、全く分からないのだ。
何も信じられない状況なのだ。
日本では、ロシアが悪者のようになっているけど、
それは事実なのか、あるいは、情報操作が
行われてそうなっているのか、
私のような一般人には、何も分からない。
他国のことだから、そんな風に言えるのであって、
もし、身近に何かが起きて、
信頼している人が言ったことなら、
たとえその人が嘘を信じていたとしても、
嘘だと知っていたとしても、
私なんぞは、簡単に信じ込んでしまうだろう。
そんな風に人々は分断され、
世界は混乱に満ちている。
別の番組では、戦時中の嘘の報道に
ついて特集していた。
太平洋戦争時、日本軍は負けているのに
大本営は勝っているかのような、発表を続け、
国民をだまし続けた。
実際に撃沈させられた空母などの数を
少なく報道したり、連合国軍の被害を
大きく報道したりしていたのだ。
沈んだことになっていない空母の生き残った
乗組員は、無事に日本に帰り着いても、
ろくな待遇を受けず、実際の被害を
口止めされたのだという。
アメリカの戦後の報道では、広島・長崎の
原爆投下で人体に影響を与えるほどの
放射能はない、とでっち上げの報道がされた。
ロシアが、ウクライナにある戦闘機の数以上の
戦闘機を撃墜したとの報道は、
ロシアの国民に向けて、自国が優勢であるとの
嘘の報道なのだろう。
「撤退」は「再編」という言葉に置き換えられ、
負けてるのではない、とアピールする。
戦争では嘘の報道が続く。
77年経っても、同じことを繰り返している。
小学生がケンカして、
「○○ちゃんが悪い!」
「XXちゃんが悪い!」
と言い合っているのと大して変わらない。
なぜ、人間は戦争をし続けるのだろうか。
『花はどこへ行った』の歌詞を思い出す。
When will they ever learn?
いつになったら、分かるんだろう。
ウクライナのこともあって、
台湾と中国の緊張もあって、
私が年を取ってきたこともあって、
平和の大切さを一層身に染みて感じるこの頃です。
2022.8.22
83歳、太平洋ひとりぼっち
1962年、世界初の単独無寄港太平洋横断を
成功させたことで有名な堀江謙一さん。
「太平洋ひとりぼっち」といえば、
ある程度の年齢以上の多くの日本人が
聞いたことがあると思う。
先日テレビで観るまで知らなかったのだけど、
堀江さんは、今年83歳で、再びヨットで
単独無寄港の太平洋横断を成功させていた。
3月26日にアメリカ・サンフランシスコを出航、
6月4日に、新西宮ヨットハーバー(兵庫県)に到着した。
約8,500キロ、69日間の航海だ。
ゴールのあとの記者会見の映像を観て、
なんだか感動してしまった。
「精神と肉体が完全燃焼した。今、青春の真っただ中」
そんなこと言える83歳って中々いないんじゃないか。
「次の目標は、100歳で太平洋横断」だという。
ご自身では、冒険家と名乗らずあくまでもヨットマン。
きっと、好きなことをやっているだけで、
冒険だなんて思っていないのではないかなと思った。
初めての横断成功の年、1962年は奇しくも私の生まれた年。
今回、初めて堀江さんのことを調べてみて 知ったことがある。
ウィキペディアによると、
1962年には、ヨットによる出国なんて認められておらず、
「密出国」だったらしい。
海上保安監部は、この危険な行為を自殺行為とみなし、、
堀江さんがサンフランシスコに到着しても
「不法入国ですぐに強制送還され、
日本に着くとすぐ捕まえられる」としたが、
サンフランシスコ市長が、
「コロンブスもパスポートは省略した」と堀江さんを
名誉市民として受け入れ、1か月間の米国滞在を認めた。
とたんに日本のマスコミや国民の論調も
手のひらを返すように、堀江の“偉業”を称え出したらしい。
なんだかなぁ、という感じだが、
いつもいつも、世界を変えるのは、異端児なんだ。
もちろん、堀江さんの密出国については、
(当局の事情聴取を受けたが、)起訴猶予だった。
まあ、こんなこと(ヨットで出国)を認めて、
ヨット愛好者がみんな堀江さんの真似をされては
危険で困るという、海上保安の言い分も分からないではないけど。
「83歳、太平洋ひとりぼっち」とタイトルに書いたけど、
60年前と違って、今では 衛星電話もあって
毎日家族と連絡が取れるし、ヨットには GPS が
付けられていて、どこにいるかもちゃんと
分かるようになっている。
なので、ひとりぼっちだけど、
ひとりぼっちじゃないんだ。
2022.10.21
諧 謔(かいぎゃく)
先月、開催した写真展のタイトルを
「僥倖(ぎょうこう)」とした。
今年になって知った言葉で、
意味は「偶然の幸運」のことだ。
「僥倖」を知ったは、池田晶子の本であったが、
彼女の別の本『知ることより考えること』で、
また新しい言葉を知った。
「諧謔」。
「かいぎゃく」と読む。
聞いたことのない言葉だった。
振りがなもなかったので、
読み方を調べるのも一工夫いった。
その言葉の響きとは裏腹に意味は軽い。
「おどけた滑稽な言葉」
「おどけた滑稽なこと」
「面白い気のきいた冗談」
「しゃれ」「冗談」「ユーモア」
「諧」の字にも「謔」の字にも、
いずれも「たわむれ」「冗談」の
意味があるらしい。
「僥倖」と並んで、濁音「ぎ」が
含まれているのがなぜか良い。
聞いた感じ、ちょっと堅苦しくて、
ちょっと古風で、ちょっとインテリっぽいのも良い。
どこかで使ってみたくなる。
話し言葉で使うと、通じないだろうけど、
文章なら良いかな。
60歳になっても 知らない日本語があり、
それを学べることに喜びがある。
さすがに「僥倖」は覚えたけど、
「諧謔」は、使わなければ、
覚えている自信がないけどね。
2022.11.17
夫源病(ふげんびょう)
定年退職後、仕事も趣味も仲間もなく、
妻に頼りきって離れようとしない男のことを
以前は、「ぬれ落ち葉」なんて呼んでいた。
調べてみると、「平成元年(1989)ごろの
流行語」とあったので、最近は使わないのかも知れない。
「ぬれ落ち葉」は、妻にべたべた引っ付いて
離れない夫を、ぬれた落ち葉が地面に
貼り付いて取れない様子に例えた言葉で、
どう考えても夫への誉め言葉ではないし、
そんな夫を妻が喜んでいるわけでもない。
明らかに妻が、夫を面倒に思っている様が
目に浮かぶ。
しかし「ぬれ落ち葉」と呼ばれ、
めんどくさがられているぐらいなら
まだかわいいもんで、
最近は「夫源病」というのがあるらしい。
これは、夫の言動が原因で妻がストレスを感じ
妻の心身に不調が現れるというもの。
医学的な病名ではないらしいが、
離婚の原因にもなっているようだ。
似ているものに、夫が家にいると
妻の体調やメンタルが悪化する、
「主人在宅ストレス症候群」というのもあるらしい。
男尊女卑的な考えやモラハラなど、妻を理解しない、
ひどい場合は妻の人格を認めないような、
夫の言動がその原因になっているようだ。
問題の根深さは、夫の側に自覚がないこと。
例えば、自分は家族のために仕事をしている、
妻のためを思って言っている、
などの正当化があるため、
家事を全部妻に押し付けていることや、
相手の人格を否定していることに
全く自覚がないのだな。
すると ある日突然、
「私はあなたの家政婦じゃありません!」と
妻から離婚を言い渡されたりする。
その状態に行くまで、妻の気持ちやストレスなど
気付きもしないし、考えたこともないわけだ。
それにしても「夫源病」。
夫が源(みなもと)の病気って、
その命名が凄いよな。
でも、世の夫たち、安心して。
ちゃんと「妻源病」もあるから。
妻が近くにいると、めまい、動悸・息切れ、
頭痛、腹痛、不眠、食欲不振などが
現れるんだって。
「夫源病」にしろ「妻源病」にしろ、
結婚生活がストレスというのは、
人生しんどいなぁ。
私も 気をつけよう。
って、気をつけられるのか?(自覚ないのに)
でも、まあ「夫源病」も「妻源病」も、
病気は自分が源なんやと思った方が
未来があると思うけどね。
2022.12.2
謝罪とはなんだろう
一昨日、珍しく国会の模様を数十分観た。
(夜中にYouTubeで。)
それは、杉田水脈総務政務官の過去の
複数回の差別的発言や、ネットへの発信について
参院予算委員会での、立憲民主党の塩村議員の
質問に対する答弁だった。
内容は、私が観ていても
「この人アウトやろ」と思うような答弁だった。
ツッコミどころはいくつもあった。
例えば、問題の発言のいくつかは、
議員ではない時のものだったようだが、
「(今は)考えを改めたのか?」と訊かれ
「現在は政府の一員として、内閣の方針に従っている」
という答弁だった。
「じゃあ、政府の一員じゃなきゃ、
以前の考えのままなのか?」と訊きたくなった。
結局、曖昧な答弁を繰り返し、
謝罪も撤回もなかったが、
今日の国会で謝罪し、発言(一部)を撤回した。
国会の約25分ほどのこの部分を観た。
謝罪は、自発的なものではないようで、
松本総務大臣が、杉田政務官に対し
発言を撤回、謝罪するよう指示したかららしい。
上から謝れと言われたから、謝ったということか。
なんじゃそれ。
そして、今日は、福島みずほ(社民)の質問に
相変わらずな答弁の杉田政務官。
松本総務大臣と岸田総理は、
杉田政務官を守っているように見えるんだけど、
(あるいは、自分たちを守っているのか)
ホントにこの人で良いと思ってるのかな。
「なぜ任命したんですか?
差別発言を繰り返した人ですよ」という問いに
「能力を持った人物だと判断した」という答える岸田さん。
「能力があれば、差別発言する人でもいいんですか?」
と問われ「内閣の一員になった限りは、内閣の方針に
従ってもらいます」と、何やらトンチンカンな
やり取りが続く。
う~ん、結局、杉田政務官もやめることに
なるんちゃうんかな、という気がする。
というか、やめた方がいいし、やめてもらいたい。
こないだの葉梨法相といい、
なんだか人として
残念な政治家が続いております。
2022.12.24
夭 折
今年は、今まで知らなかった日本語に出会った。
写真展のタイトルにもした「僥倖(ぎょうこう)」
(思いがけない幸運のこと)、
「諧謔(かいぎゃく)」(しゃれ・冗談のこと)。
先日、川本三郎さんという評論家の記事を
読んでいたら「夭折(ようせつ)」という言葉が出てきた。
ルビがなかったら読めないし、意味も分からない。
それは、永井荷風について書かれた一節に
こんな風に使われていた。
「芥川龍之介や太宰治のように
夭折(ようせつ)せず、79歳まで生きた」
芥川、太宰ときたので「夭折」とは自死のことかなと
思って調べてみると「年が若くて死ぬこと・若死に」とあった。
「夭」という漢字には「若い・若々しい」という意味と
「若死に」「早死に」という意味とがあるようだ。
「夭折」と同様の意味で「夭死(ようし)」、
「夭逝(ようせい)」という言葉もある。
こんなのたぶん、忘れてしまうだろうな。
でも、普段使うことのない、こういう言葉に魅力を
感じるようになったのは、私が年老いてきたということなのか。
なんだろうね。