2012年 エッセイ
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2012.1.15
土光敏夫
今朝、たまたまテレビで、土光敏夫という人について観た。
出かける準備をしながらだったので、
ゆっくりは観られなかったが、その土光さんのこの言葉が、
印象に残った。
できないのは能力の限界だからではない。
執念が欠如しているのだ 。
私は知らなかったが、土光敏夫 (1896〜1988年)という人は、
東芝の社長も務めた日本のエンジニア、実業家、財界人。
国鉄の民営化などに尽力された方らしい。
「土光敏夫 名言」 と検索するといっぱい出てくるよ。
2012.2.14
客が求めているもの
半年ぐらい前かな、駅前の商店街に
ベトナム料理店、フォーのお店が出来た。
女性一人でも入れるようなカジュアルな感じで、
レストランというよりは、食堂と言った方が 近い。
私はタイ料理の焼きビーフン (パッタイ) は大好きだが、
同じビーフンでもフォーは、それほど食べたことがなかった。
1ヶ月ぐらい前、その店にようやく一人で入ってみた。
おつまみセットとビール、そしてフォーを頼んだ。
最初にビールが出てくるのは、当然だろうが、
次に出てきたのが、フォーだった。
私はまず、おつまみセットでビールを飲んでから、
締めにフォーをと思っていたのに、その意図はくじかれた。
(フォーを食べながらビールを飲むのか?
順番ちゃうやろ) と心の中で思ったのは言うまでもない。
おそらく、「なんで先にフォーが出てくるのですか?」 と
尋ねれば、お店側は正当な理由を言うだろう。
たぶん 「おつまみセットの方が時間がかかるから」 とか。
これは、あかんなぁと思いながらも、
今度はそのお店のカレーを食べてみたいな、と思っていたのだが、
今日、前を通ると なんとそこに中華料理店がオープンしていた。
前のベトナム料理店がまだ新しかったせいか、お店はほとんど
そのままの状態で、新しくなっていた。
ベトナム料理店は、数ヶ月で閉めたようである。
先日読んだ ラーメン屋のコンサルの本
『ラーメン屋の看板娘が経営コンサルタントと手を組んだら』 の
中に、「業界の常識は、お客様の非常識」 という言葉があった。
お客様本位という言葉は、当たり前のように言われているが、
本当にお客様の方を向いて仕事をするのは、難しいことだ。
そのベトナム料理店も、「おつまみセットを先に出すには、
お客さんを待たせすぎるから」 と考えたかも知れない。
しかし、それは結果的に客の望みを満たすことにはならない。
それなら、待たせないおつまみセットを作るなど工夫が必要だろう。
私も店頭には立たないまでも、商売に関わる一人として、
常に考えさせられるテーマなのだ。
2012.2.22
マニュアル
マニュアルというのは、必要だと思う。
だが、弊害があることも否めない。
抽象的に仕事を捉えることが出来ず、
応用や融通の利かない人材を育てかねないのだ。
某大手ハンバーガー・チェーン店で、
「ハンバーガー50個ください」 という若い女性客に対し、
「店内でお召し上がりですか?」 と訊いた店員が
いたという嘘か本当か分からない話があるが、
まんざら嘘ではないだろう。
その店員も 50個のハンバーガーを店内で食べるのか、
持って帰るのかも考えられないほど、バカではないだろうが、
マニュアルに沿って仕事をすると、そういうことが起こる。
先日、映画館の受付で、
「10分前からお入りになれます」 と言われたが、
その時、もう上映の2分前だった。
言うこと、違うでしょ。
また、こういうこともあった。
NTTの代理店という会社から営業の電話があった。
相手は若い女性だったが、数分の会話中、
「ホントですかぁ?」 という言葉を4〜5回言った。
これは、まさかマニュアルには載っていないだろう。
きちんと電話営業の訓練を受けていないな、という印象だ。
一応、話を聞こうと思い、翌日のアポを取った。
翌日、営業マンが来る前に別のスタッフから確認の電話があった。
彼は、いくつかの確認を終え、前日電話してきた女性スタッフについて、
こう訊いた。
「分かりにくい説明はございませんでしたか?」
私は、「今日、来て説明してもらうのだから、
分かりにくいも何も、まだ話、聞いてないよ」 と答えた。
彼は、「そうですよね」 と笑っていた。
これも、たぶんマニュアルにあるのだろう。
もしかしたら、説明が分かりにくかったかどうかを
聞きたかったのではなく、前日の女性スタッフの話し方や
対応について、聞きたかったのかも知れないと
後になって思った。
そうだとしたら、「ホントですかぁ」 は、
やめて欲しいと言えば良かったな。
なお、来社した営業マンはその女性でなく、
確認の電話をしてきた人でもなかった。
2012.2.23
人間関係
十人十色というが、人によって、考え方や価値観、
行動基準、趣味嗜好、好き嫌いなどが違う。
だからこそ、人と関わることは学びもあり面白いのだが、
中には難しい人間関係もある。
出会った時から、難しければ付き合うこともないので
問題にもならないが、最初はそうでもなかったのに、
付き合っているうちにうまくいかなくなる関係というのが、
多くの人の悩みではないだろうか。
例えば夫婦、親子、兄弟、恋人、同僚、上司、部下、友人など、
最初からもめるんじゃなく、色々あって関係がこじれていく。
私も過去に良好でない人間関係があったし、現在もある。
人間関係のほとんどは、問題にならない程度で、
表面的には何の波風も立っていない。
言ってみれば小さな我慢や妥協、譲歩といったものは、
社会生活には当然、誰にでもあることで、
それは取るに足りないことだし、それらは良好な人間関係のうちに
含まれると思う。
問題は、「小さな我慢や妥協、譲歩」 の範囲を超え、
ストレスになってきた相手と、どう接するかということだ。
うまくいかなくなった人間関係と問題のない人間関係を
良く観てみると、ポイントは2つあることに気付く。
1つ目は、コミュニケーション。
うまくいかなくなった相手には、言いたいことを言っていない。
言えないのだ。
いや、言えないことなどない。
言いにくいのだな。
それは 「相手を傷つけたくない」 「自分が嫌われたくない」 の
両方あるだろうが、ほとんどは無意識で、その場では、
それを 「言ってない」 ことにも気付いていない。
そして、その言っていなことが、わだかまりとなって
溜まっていく。
何でも言える相手には、溜まりようがないもんね。
2つ目は、1つ目とちょっとパラドクスだが、
「言わなくてもOK」 という関係だ。
私の友人の一人のことを思い浮かべると、
彼とはかなり考え方や価値観が違う。
話が合わず、(なんで、こいつ分かれへんのやろ) と思うことも
何度かあった。
でも、それで彼との付き合いが難しいと感じたことは
一度もない。
もう、25年以上。
頻繁に会う友人ではなく、年に数回会うこともあれば、
数年会わないこともある。
それでOKで、時々会いたくなったら会う。
簡単にいうと、無条件なのだ。
この、コミュニケーション云々抜きに問題の起こらない関係を
「相性が良い」 というのかも知れない。
人との関係を言うときに 「波長が合う」 「周波数が一緒」 というような
表現があるが、件の友人の場合、あんまり波長が合うという
感じでもない。(合ってるのかも知れんけど)
ただ、「私にとって相性が良い」 のだと思う。
「私にとって」 とあえて付けたのは、相手はどう思ってるか
知らないから。
もし、相手は私のことを あんまり良く思ってないとしたら、
相性が良いのは、私の勘違いで、ただの片想いということになる。
まとめると、2つの人間関係があるということになる。
「コミュニケーションの量や質に関係なく、問題が起こらない相手」 と、
「コミュニケーションの量と質で人間関係が、築かれる相手」。
ほとんどの関係が後者だろう。
いや、待てよ。
もしかしたら、問題が起こらない相手とは、自覚がないだけで、
スムーズなコミュニケーションがあるのかも知れないな。
じゃあ、違う表現をすれば、
「自分の思い通りでなくてOKな相手」 と
「自分の思い通りでないことにストレスを感じる相手」。
ああ、この方がピンとくる。
そして、そう考えると、問題は相手ではなくて、自分の中にあるのが
分かる。
問題は、「自分の思い通りでないことにひっかかっている “自分”」 なのだ。
相手のことではなくて、自分のことだ。
でも、その自分をどうすればいい? どう扱えばいい?
これは、難しくて深い永遠のテーマなのだ。
2012.3.11
3月11日
東日本大震災。
あれから、1年。
長いのか短いのか分からない1年が経った。
何か書きたい、書かなきゃいけないと思うが、
何を書いて良いのか分からない。
テレビで 震災1年の特集番組をやっていた。
私の知らないことだらけだ。
観るとつらい。
でも、観ておかなきゃいけない、
被災地の今を知らなきゃいけない、とも思う。
東京にも 大地震がくるという。
いつ来るか、自分がどこで 被災するか、
それによって 生死さえ左右されるだろう。
この震災では、犠牲者の 90% が津波の犠牲となった。
逃げることができたのに、結局逃げ遅れて犠牲になった方も
多いようだ。
逃げ遅れた理由は様々だろうが、一部の人たちは、
まさかそんなにでかい津波が来るとは、
思っていなかったようだ。
地域にもよるだろうが、津波がそこまで来ているのに、
緊迫感なく歩いている人達が、いくつかの動画に残されている。
津波に対する 防災意識が高いと言われた、東北でさえ
そんな風だった。
「想定外」 という言葉が何度も聞かれたが、
自然は、人間の想定などおかまいなしだ。
(来たら来た時や) と、楽観的にいるのも良いけれど、
その前に一通りの準備はしておこうと、
あらためて思った。
あの震災からの教訓を活かさなければ。
2012.3.12
報道の現場 と 野次馬根性
ニュースでご覧になった方も多いだろうが、
今日夕方、五反田のファミリーレストランで、男が刃物を持って、
20代の女性店員を人質に従業員専用のトイレに
立てこもるという事件があった。
そのファミレスは、私の勤務先と五反田駅の間に位置し、
毎日その前を通っている。
6時前、その情報を聞き、テレビをつけたところ、
ちょうどそのニュースが流れたが、すでに犯人は逮捕された
あとだった。
警察官らが説得にあたったところ、10分ぐらいで
トイレから出てきたということだ。
たぶんそれが、5時過ぎのことだろう。
帰り道、6時過ぎにその店の前を通ったが、
たくさんのパトカー、警察官、報道陣、野次馬で、
現場はまさに騒然としていた。
セブンイレブンの上がそのファミレス
道路の反対側からカメラを構える報道陣
ニュースによると、その店で酒を飲んでいた50〜60代の男が、
突然、厨房に入り込み、刃物を奪って女性店員を
厨房奥のトイレに連れ込んだということだ。
客や店員に怪我はなく、すぐに現行犯逮捕されたので、
良かったが、その女性店員は、怖かっただろうな。
こういう事件が近所で起こると、(何があったのか知りたい)
(何が起こっているのか見たい) という気が起こる。
私は、あんまり野次馬な方ではないので、わざわざそこまで
行ったりはしないが、それでも、通り道でこういうことがあると、
この通り、写真まで撮っている。
写真はここにアップするためだが、
その、事件や事故などを誰かに 「伝えたい」「見せたい」 という心理、
または伝えるためでなくても、自分の目で 「見たい」 という心理は
一般的に誰にでもあるようで、昨日のテレビで どっかの先生は、
「人間は事件、事故、緊急事態を心のどこかで待っている」 と
いうようなことを言っていた。
その心理と野次馬根性がイコールかどうか分からないが、
似た要素はあるだろうし、ここではその心理も野次馬根性と
呼ぶことにする。
昨年の震災時、その野次馬根性が働き、死にかけたおじさんが
テレビのインタビューに答えていた。
「津波を見たかった」 と。
その人は、わざわざ津波を見に行って、
逃げられなくなり、電信柱に5mほど登り助かったが、
ひとつ間違ったらどうなっていたか分からない。
夜になっても水が引かず、電柱の上で寒さに耐え切れず、
避難場所まで、泳いだらしい。
また、津波をギリギリまで、携帯電話の動画で撮影していて、
死にかけたおじさんもいた。
その人は、校庭の木の上で一夜を明かした。
野次馬根性は、死をも招きかねない。
気をつけよう。
2012.3.26
姪っ子
今年、高校3年生になる妻方の姪っ子が、
先週金曜土曜と1泊で、山形から東京に遊びに来た。
私が妻と結婚したのは、1999年だったので、
当時、彼女は、まだ4歳だった。
一人っ子の上、初孫とあって、私から見ると
(そんなに甘やかしたら、あかんのちゃう?) と思うほど、
じいちゃんもばあちゃんも、彼女の両親も
彼女に甘いように見えた。
まあ、かわいいのだから仕方がない。
でも、このまま彼女が大人になって世間に出たら、
本人が苦労するんじゃないかと、余計な心配をしていたのも
事実。(たぶん、私だけ=余計なお世話)
私は毎年、春や夏に山形を訪れているが、
この数年は、甘やかされて わがままに感じていた
その姪っ子が、少しずつ変わってきているように感じていた。
当然だが、高校生ともなれば、もうほとんど大人である。
いつまでも、自分のわがままばかりが通らないのも
知っているだろうし、周りの人に気を遣うことも覚えるだろう。
高校生になって、アルバイトも始めたしね。
今回、東京にやってきた彼女に会って、
しっかり育っていることに、安心したのだった。
彼女の躾や教育に何も関与していない私が、
「安心」などというのは、お門違いだとは重々承知の上で。
改めて、
子は、“育つ” のだな。
2012.4.2
知行合一
「知行合一(ちこうごういつ)」 という言葉に出会った。
「ちぎょうごういつ」 とも読むようだ。
文字通り、「知っていること」 と 「行動」 が、
合致しているという意味だ。
中国の明時代に王陽明という人が、
おこした学問である陽明学の命題のひとつらしい。
一般的には、「知識」 と 「実践」 は、分けて考える。
でも、「知行合一」 は、「知っていて行わないのは、
まだ知らないことである」 という意味だ。
「知らないのと同じだ」 と言っているのではなく、
「知らないのだ」 と言っているのだ。
そこに、「知識」 と 「実践」 の分別はない。
「知っているけど、やっていない」 ということは、
ありえないわけだ。
そう考えると、知らんことばっかりやな。
ここに詳しく書いてあるけど、難しくてよく分からん。
↓
知行合一 (四字熟語図書館)
2012.4.16
私は正しい・・・のか?
昨年は、(不動産の仕事で) 人生初の裁判を経験した。
と言っても、刑事事件でなく、家賃を滞納したテナントを
訴えた、かわいらしい (?) 裁判だ。
今、また、弁護士と準備を進めていることがある。
今度は、家賃の滞納ではなく、もうちょっとややこしい。
訴えるかどうかは、通知を出してからの相手の出方しだいだが、
弁護士と話していて、発見したことがある。
私は、「自分の言い分が正しく、相手が間違っている」 という
ことに がんじがらめだ ということだ。
弁護士に何度か、
「そうです。そうです。全くおっしゃる通りです。
でも、相手は、こう言いますよ」 と、予想される反論を
言われた。
言われたとたん、私は返す言葉を失ってしまう反論だ。
なぜなら、私にすればその反論は、めちゃくちゃだからだ。
「そんなこと言うの?めちゃくちゃやん!
話にならんやん!」 と思うようなことだ。
しかし、その相手が 言いそうなことなのだ。
私の言い分は、私の尺度と標準の中で、
「いかに私の言っていることが真っ当で、そして、
あなたの言っていることが、非常識で間違っているか」 を
主張している。
そして、それは、(信じられないけど) 相手も全く同じなのだ。
相手も、「自分が正しい、お前は間違っている」 と
思っているのだ。
そして、お互いの尺度と標準が違っており、
そこに利害もからんでくると、これはもう、どうしても、
お互いの考えが、折り合うはずがない。
だから、第三者 (裁判) にジャッジを仰ぐことになるのだけれど。
割と冷静に考え、客観的にも観ているつもりでいたが、
自分がこんなにも 「自分が正しい」 に縛られていることを
発見して、ビックリ。
それだけでも、大きな収穫だった。
って、これから始まるのだけれど。
そして、やるからには、少しでもこちらの主張を通すべく、
作戦を練らねば。
正しいか、間違っているかではなくね。
2012.5.7
雨の東北 前編
ゴールデンウィークの5月4日〜6日、今年は東北を旅行した。
1日目、羽田から飛行機で秋田県の大館能代空港へ飛んだ。
あいにくの雨。
私は、どうも雨男のようだ。
旅行に行くとかなりの確率で雨にあっている。
昨年GWの山梨も、一昨年、夏の南房総も、秋の八丈島も雨、
その前の年の南九州も奥多摩も雨だったし、
数年前の沖縄も屋久島も雨だったなぁ。
そう言えば、去年の暮れの沖縄もちょっと雨降ったよな。
当たり前のことだが、地上がどんなに雲におおわれていても、
その雲の上は晴れているのだな。
羽田を飛び立ち、雲を抜けるとまるで、
雲のじゅうたんを敷き詰めたようで、別世界だった。
秋田に着くと、雨。
1日目は、日本海側へ向かい、男鹿半島を一周した。
昼食は、海鮮屋というお店で、海宝丼2800円なり。
夜は、きりたんぽ鍋をと大館のホテル近くの
「元祖きりたんぽの店 むらさき」 に行ったら、
満席で1時間半待ちと言われて断念。
適当に近所にあった 「郷土料理」 と書かれた店に入ったら、
イマイチだった。
やっぱり、ちゃんと予約しとかなあかんな。
2日目。
やっぱり、雨。
今回の旅行の計画当初、太平洋側の被災地に行くことを
ずいぶん迷った。
一度は、現地を見ておいた方がいい、という気がしていたが、
その 「見ておいた方がいい」 とは、一体 何なんだろうと、
自分の中で釈然とせず、迷っていたのだ。
興味本位で見るもんじゃないだろうし、
実際に見なくてもテレビやYouTubeで、
被害の凄さは、知っている。
そんなわけで、この旅行の計画時には、
被災地に行くことはプランに入れず、十和田湖や
白神山地、男鹿半島を周るつもりでいた。
その後、現地でお金を使うことも復興の手助けに
なるかもしれないし、テレビやYouTubeでは、
伝わらないことも感じるかもしれない、と
考えを改め、三陸まで足を伸ばすことにした。
宿泊地の大館から、まず盛岡に出て、昼食。
そこから106号線を東へ、宮古市まで車を走らせた。
宮古の津波の様子
↓
動画の冒頭、真っ黒な波が堤防を乗り越え
道路を飲み込んでいく。
その道路を走った。
瓦礫がきれいに片付けられ、家の土台部分以外
何もなくなった景色はテレビで何度も見てはいるが、
やはり目の当たりにすると違う。
一番衝撃的だったのは、津波の恐ろしさを生々しく物語る
まだ、何も手付かずのままのガソリンスタンドだった。
もうすぐ、1年2ヶ月経つというのに、そのままだ。
その光景には、言葉を失った。
写真を撮る気にもならなかった。
幸い、宮古は雨が降っておらず、晴れていた。
この、のどかな風景が、あの真っ黒な津波に
飲み込まれたのだ思うと何とも言えない、言葉に表せない
気持ちがした。
(つづく)
【写真の説明】
サイズが2種類あるが、横に長い 2:3のものは一眼レフ、
3:4のものはコンパクトデジカメで撮影。
2012.5.8
雨の東北 後編
岩手県宮古市のレポートの続き。
海辺の「道の駅」 の建物は閉鎖されており、
駐車場に建てられたプレハブで営業していた。
その前の歩道には、こんなサインが。
浄土ヶ浜の青い洞窟が見られるという小型の遊覧船に
乗ってみた。
青い洞窟 紹介ビデオ
↓
残念ながら、私たちが行った時は、満潮時だった上に、
前日の雨で海が濁っており、このビデオのようには、
きれいな青は見られなかった。
でも、船の上に2羽のウミネコが飛来。
この小型遊覧船の浄土ヶ浜マリンハウスも、
完全に津波に飲まれたようで、屋根の上に船が2艘
置き去りにされていたそうだ。
自然の力は、でか過ぎる。
テレビで観たが、最近は 「被災地ツアー」 なるものもあるようだ。
その響きからは、何か不謹慎な印象も受けなくもないが、
そんなことはない。
戦争と自然災害は根本的に違うが、原爆資料館や、
ひめゆり平和祈念資料館に行くのと共通している面もある。
今回、ほんの数時間だが、現地に行ってみて感じたのは、
自然災害の恐ろしさ、自然の力の大きさ、人間の無力さ、
人間がこしらえたもののもろさ、命のはかなさ、
普通に生活できることのありがたさ、希望の大切さ、
そして、東北の方々の我慢強さと たくましさだ。
3日目。
やっぱり、雨。
十和田湖畔で昼食。
ヒメマスの塩焼き、マスの刺身、春野菜の天ぷらなど。
食事中からどしゃ降りになり、雷も鳴り出した。
「なんで、こんなに雨にあうんやろな」 という私の問いかけに
「日頃の行いでしょ」 と妻。
自分も一緒に雨にあってるというのに・・・。
2012.5.21
あいみつ
「あいみつ」 とは、複数の業者から見積もりをとる、
「合い見積もり」 のこと。
先日、かばんを修理に出した。
ポケット部分のマグネットが外れてしまったものの修理だ。
近所の商店街に、3軒のくつやかばんの修理店があるのだが、
まず、一番近いA店に持って行った。
すると、修理費が 10500円だと言う。
(ちょっと高いなぁ) と思ったので、数十メートル先にある、
B店に行ったら、いくらと言うたと思う?
2625円ですわ。
なんや、この違いは。
4分の1や。
実は、以前、バッグの肩紐のバックル部分の交換をしたときにも、
そのA店は、ダサいバックルしかないというので、
違う店に持っていった。
その頃は、まだB店はなかったので、別の C店に出したのだが、
その C店も非常に良心的で、そのかばんに元々着いていた
バックルに似ているバックルを取り寄せて着けてくれた。
もう、A店に行くことはないでしょう。
高いと思ったら、または、イマイチと思ったら、他の店でも
見積もってもらおう。
私見だが、A店は、客のニーズを分かっていない、という印象。
でも、店が存続しているところをみると、靴の修理は上手いとか、
何か良い点もあるのだろう。
見積もりではないが、先日、こんなこともあった。
渋谷の楽器店でギター用のチューナーを買ったのだが、
2016円だった。
そのあと、その店の並びにある、20メートルも離れていない
別の楽器店にも入った。
何気なく、私が買ったそのチューナーを見ると、
3360円で売っていた。
危ないところだった。
入る順番を間違えたら、3360円で買っていたところだ。
それにしても、こんなに値段が違うのは、珍しい。
2〜3ヶ月前、ネットで懐中電灯を買った。
ソーラー電池と、手巻き発電機のついた災害時用のものだ。
送料込みで、4200円だったのだが、
購入後、別のサイトで同じ物を 2980円で売っているのを
発見。
まあ、2980円は、送料別だったので、
送料を入れると、きっと数百円の違いだっただろうけど、
これは、失敗した例ね。
2012.6.8
何のための存在か
先日、K さんがこんなことを言った。
存在する全てのものは、その物のためではなく、
その物以外のために存在している。
つまり、栓抜きは、栓抜きのために存在しているのではなく、
栓のために存在している。
栓がなければ栓抜きは要らないのだ。
そう言われると、確かに全ての物が何かのために
存在している。
鉛筆は、書くため、書かれるもののために。
食物は、胃袋のため、味わうため、空腹を満たすために。
絵画や音楽は、鑑賞するため、感動するため、批判するために。
で、次の質問だ。
では、自分は何のために存在しているのか?
私は、人生の目的とか、使命とか、自分は何のために
生まれてきたのかとか、そういう疑問を持たない人だ。
いや、もしかしたら過去には、そういうことを多少考えたことも
あったかも知れない。
でも、少なくとも今は、「何のために生きているんやろ?」
とか、考えることはない。
たぶん、幸福なんだろうと思う。
でも、
全てのものは何かのために存在している。
では、自分は何のため?
という質問は、確実に私の何かに触れた。
質問は、「何のために生きているか?」 ではなく、
「何のために存在しているか?」 なのだ。
ちょっと、この質問は、
深い。
答えられますか?
2012.8.10
大の字
一昨日、23:30 ごろ、有楽町駅からJR山手線に乗った。
すると、ご覧のようにドアの前に豪快に 大の字になって
寝ているサラリーマン風の男性がいた。
30歳前後だろうか。
おそらく、酔っ払って寝てしまったのだろうが、
どうやって、この寝姿に至ったのだろう。
椅子に座っていてずり落ちたとは、思えないし、
まさか電車に乗って、いきなり横になったとも思えない。
それはさておき、その豪快な姿に見とれて、
写真を撮っていると、電車は新橋駅に着いた。
乗客は、彼をまたいで乗り込んでくる。
すると、50代ぐらいと思われる一人の男性が、
寝ている彼を起こそうと、何やら声をかけながら、
ほっぺたをパンパン叩いた。
全く反応がない。
(えっ?大丈夫?まさか死んでんの?) と冷っとしたが、
何発も叩かれるうちに目を覚ましたようだ。
そして、そばにいた男性と2人がかりで立ち上がらせた。
寝てた男は、起こしている男性にどこの駅で降りるのか
訊かれたんだろう。
何かを答えていたが、寝ぼけているようにも見えた。
そうこうしているうちに電車は、浜松町駅に着いた。
すると、寝ていた男は、電車を降り、
起こしてくれた男性に握手を求めて、
「じゃあ、また」 みたいな挨拶をして去って行った。
なんか、面白かった。
あんなに気持ち良さそうに寝ている人を
私は起こそうなどとは、思いもしなかったが、
考えてみれば、迷惑なことだし危険だ。
確かに 起こしてあげるのが親切だろう。
誰もが寝ている男を見て見ぬふりをする中、
通りがかりに見つけるなり、迷わず起こそうとした
あのおっちゃんって、どんな人なんやろう。
知らん人に、あんなに遠慮なく、ほっぺたにビンタ出来るもんか?
ただもんやないで。
2012.8.20
素晴らしいアフターサービス
もう7〜8年前になるかな、
タイムドメインというスピーカーに出逢った。
ポータブルなのに驚くほど音が立体的で、
しかもそんなに高価でもないので、買ってみた。
アンプ内蔵型で、CDプレイヤーや iPod を
直接つないで聴くのに使っていた。
大分前から、ヴォリュームのガリが出だし、
最近ついに左のスピーカーが鳴らなくなった。
買い替え時かなと思ったが、何気なくタイムドメイン社の
サイトを覘いてみると修理の受付コーナーがあり、
簡単な修理なら2000円で済むように書かれていた。
修理に1万円かかっても買うよりは安い。
そう思って、大阪まで修理品を送ったのだが、
担当の方が、マメにメールで状況を送ってくれる上、
すごくスピーディで、送ってから戻ってくるまで、
1週間を要しなかった。
簡単な修理だったようで、修理費は2000円。
(銀行振込み、後払い)
送料は、送るときは私の負担だったが、返送は先方持ち。
大阪までの運賃は、950円だった。
先方は、運送会社と契約していたとしたら、950円より
少しは安いのかもしれないが、それでも、2000円の工賃に
送料負担してもらうのは、申し訳ないような気がした。
届いた修理品は、もちろん直っていたのだが、
どうも運送中に (振動のせいか) 部品の一部が、
取れてしまったようで、左スピーカーの本体の中で
カラカラと音がする。
その旨、メールを送ると、「着払いで送り返してください」
と返事が来た。
すでに、片道の送料を負担してもらっている私は、
あまりにも申し訳ないので、昨日、元払いで送った。
今日夜になって、「部品を交換し返送しました。この件には
お支払はありません」 というメールが届いた。
は、早い。
明日か明後日には、修理品が届くだろう。
なんか、素晴らしいサービスを受けた印象。
お盆の間も何度かメールが来て、
(この人、休んでないんちゃうか?) と
思ったほどだった。
なんというか、担当者の商品への愛情が伝わってくるような対応で、
(こんな風にされたら、このスピーカー、大切にするよなぁ)
と、思ったのだった。
TIMEDOMAIN
2012.8.22
猛 暑
暑いねぇ。
って、夏やから当たり前なんやけど。
今日は、あちこちで 35度を超えてたみたいね。
今日、仕事でお会いした方 (男性) は、長袖のワイシャツに
長袖のスーツにネクタイを締めてた。
もちろん、汗をかいてたよ。
「暑くないですか?」 と訊くと、
お客さんに 「やせ我慢がえらいと誉められて、
(長袖を) 着ないわけにいかなくなった」 と訳のわからないことを
言ってました。
もう、毎日着るユニフォームみたいなもので、
あんまり抵抗もないみたいだった。
私は絶対無理。
夏の長袖。
私の場合、ありがたいことにネクタイを締めなくてもよく、
夏場は、Tシャツかアロハシャツに短パンで出社している。
最後にネクタイを締めたのはいつだったか、思い出せない。
ていうか、仕事では ジャケットは着ることがあっても
ネクタイは締めることないな。
以前、クールビズ な服装の営業マンに
ノーネクタイであることを、詫びられたことがある。
礼儀として、ひと言挨拶するように、
会社から指導されてるのかも知れないが、
こっちは、短パン・Tシャツ やで。
詫びられる方が、困るよ。
2012.8.25
終戦 67年目の夏に思う
竹島問題、韓国大統領の天皇謝罪要求発言、
韓国による野田首相の親書返送、中国との尖閣諸島問題、
そして 先日のシリアでの日本人ジャーナリスト、
山本美香さんの銃撃死。
平和の祭典オリンピックの直後なのに、
なんか考えさせらることが続いてるなぁ。
先日、何の話からだったか、
友人が 「(戦争は反対だけど) 戦争になったら、
志願するよ」 と言った。
私が、「えっ〜?」 と反応すると、
「俺の信念 (信条?) だから」 みたいなことを言ったので、
それ以上 そのことについては話さなかったけど
私には、驚きだった。
戦争に行くということは、爆弾を落とすということだ。
鉄砲や大砲を撃つということだ。
それがどういうことか、書くまでもない。
色んな考えの人がいるのは 当然だが、
ちょっと悲しかった。
そういう人達がいることは、もちろん知ってるけど、
無意識に自分の身近にはいないと思ってたんだな。
でも、考えてみれば友人知人に、
有事の際の身の振り方なんて、訊いたことないねんから、
本当のところ、誰がどう考えているかなんて知らないんだ。
先日テレビで、広島で原爆ドームの絵を 3000枚以上
描き続けている、81歳のおじいちゃんが、言ってた。
「戦争は、どんな理由があっても、してはならない」
私もそう思う。
「どんな理由があっても」 だ。
そりゃあ、愛する家族や友人を殺されたら、
逆上してしまうかも知れないけど、願わくば冷静に、
たとえ攻撃されても、最後まで、武器を持たない人でありたい。
そんなの理想論だと言われるかもしれないが、
どうせ命を賭けるなら、
敵を殺すためではなく、
戦争を止めるために命を使いたいね。
戦争がどんなにひどいか世界に伝えるジャーナリストが
何人殺されても、世界から紛争がなくならないのはなぜだろうか?
人間が、何千年もその過ちを繰り返し続けるのは、なぜだろうか。
「攻撃されたから、攻撃する」 この報復の輪廻が、
いまだに地球上から、戦争をなくしていない
原因のひとつじゃないだろうか。
でも、やっかいなのは、戦争をしている人たちは、
「平和のために」 と やってたりするねんなぁ。
「侵略」 か 「自衛」 かは、解釈やし、紙一重やねんけどね。
ただただ 平和を祈るばかりです。
2012.11.2
肉じゃが
お宅の 「肉じゃが」 の肉は、何ですか?
唐突な質問で始まったが、
先日、京都に出張に行ってきた妻が、
「関西では、肉じゃがの肉は牛肉なの?」 と
驚いたように話した。
(何を当たり前のこと言うとんねん) と思ったが、
調べてみると、西日本と東日本でえらい違うようだ。
(私は大阪出身、妻は山形出身。)
そのことに関する非常に興味深い統計結果を
見つけたので、ぜひご覧ください。
↓
「牛肉」と「豚肉」〜肉じゃがの肉は牛? 豚?
私は、肉じゃがは牛肉と思い込んでいたので、
きっと東京に来てからも居酒屋とかで豚肉の肉じゃがを
食べただろうけど、豚肉であることを
見落としていたのかも知れないな (それはそれでどうよ) 。
ちなみに大阪でお好み焼きは、
豚肉入りは、豚玉、牛肉入りは、肉玉と言います。
それぐらい大阪では、「肉」 と言えば、ビーフだが、
妻に 「肉 買ってきて、と言われると、何買う?」 と
訊いたところ、「豚肉」 と答えたので、
この違いは、ホンマもんやね。
2012.11.24
報道について
一昨日の信用金庫の立てこもり事件で、
事件発生から 数時間経過した報道で、
「犯人がテレビを観ているかも知れないので、
犯人を刺激してはいけないので、現場近くからの
放送は出来ません」 と警察署前からの生放送をしていた。
もし。
もし、私が犯人でテレビを観ていたとしたら
「犯人を刺激してはいけない」 という言葉に
一番刺激されそうなのだが、私だけだろうか。
地 震
今日、17:59 関東地方で地震があった。
品川区 (東京23区) は、震度4 だったようだ。
「だったようだ」 と書いたのは、私が品川区内にいながら、
地震を感じなかったからだ。
その時刻、私は家に向かって歩いていた。
ちょうど家の近所の町工場の前を通りかかったところで、
「パーン!」 という金属音を聞いた。
シャッターに何かがぶつかったような音だったが、
周りを見ても異常は認められなかった。
その時、(もしかしたら地震かな?) と思い、
周囲を見渡したが、特に何かが揺れているとか、
地震を裏付けるものは、確認できなかった。
家に着いて、確認しようと思い、テレビを点けたら、
地震だと報道していた。
震度4といえば、それなりに大きな揺れだと思うのだが、
歩いていると気がつかない程度なのだ。
実際、地震発生時の渋谷駅前交差点の映像を放送していたが、
歩いている人たちは地震に気付いていないようだった。
地震に気付かなかった人にとっては、
「地震はなかった」 んだよね。
ニュースで観れば、私のように 「地震があったんだ」 と
思うが、それも観ない人には、「地震なんてなかった」。
実際に地震があったかどうかではなく、
それを感じたかどうか、つまり体験したかどうかが、
その人にとっての事実になるというのは、
面白いよな。
知らない人にとっては、
“実際に” 地震はなかったんやからね。
2012.12.4
東京都知事選挙
16日は、東京都知事選挙だ。
今日、会社にも家にも東京都選挙管理委員会が
発行する選挙公報が配られた。
隅々まで読んだわけではないが、
いくつか目についたことを書いておこう。
「誰が」 ということは、ここではどうでも良いので
候補者の名前は書かない。
まず、ある候補者のマニフェストとして書かれているこの文。
眉間にシワで東京都の街頭を歩いた時は
東京都迷惑条例により3万円の罰金に処す。
・・・本気やろか?
同じ候補者だが、こんなのも。
東京都民は老若男女、恋愛を人生の喜びとする。
東京都民は恋愛モテモテコースを都民割引で
優先受講できる。
・・・本気やろか?
人生の喜びぐらい自分で決めるで。
ほんで、「恋愛モテモテコース」 て、何や?
それから、別の候補者だがこんなのもある。
マニフェストとは書いていないけど。
核攻撃にも安心な 「安全都市TOKYO」 を実現!
・・・どういうことやねん?
それに、なんで 「TOKYO」 やねん?
バイオ技術で、米・野菜工場や魚の養殖を高層ビルで!
・・・高層ビルで養殖された魚、食べたないやろ。
もう1人、いっとこう。
一番最初にこんなん書いてある。
○○○○(候補者の名前)は、平成元年から著作や講演で
「維新」を提唱し、政党設立以前に「日本維新の会」商標を
特許庁に出願した洗願者であり、元祖です。
・・・だから?
その人は、自身のことを、
「原発のプロとして〜」 「地震のプロとして〜」 と書いていた。
知らんかった、その道のプロだったとは。
そういうわけで、皆さん素晴らしく、これを読んでも
誰に投票すれば良いのか決められず、
混迷しているのであった。