海外旅行 5 [New York & Memphis]
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2023.11.10
Omara Portuondo
Live at SONY HALL in New York City
11月2日から7日まで、4泊6日で
アメリカに行ってきた。
ニューヨーク2泊とメンフィス2泊。
そのレポートは、また別に書くとして、
今日は11月3日にニューヨークの
ソニーホールで観た オマーラ・ポルトゥオンド に
ついて書いておきたい。
せっかく、ニューヨークに行くのだから、
ジャズ・クラブに行きたいなと思い、
事前に調べたら、3日にオマーラのライヴが
あることを発見した。
オマーラは、キューバの国民的シンガー。
来日公演は、二度観たことがあるが、
2018年3月に観た時には、88歳で
それが最後の来日かも知れないと思って
いたので、こんなチャンスはもうないと思い、
初めて海外のライヴのチケットを購入した。
ソニーホールはホールと名が付くけど、
日本で言うと、ちょっと大きめの飲食が
出来るライヴハウス的なハコ。
ロック、ポップスからジャズまで、
色んなジャンルの人が、出演している。
ざっと見たところ、500人程入るだろうか。
今回のショーは、Blue Note Presents で
ニューヨークのブルーノートのサイトに広告が
あったので見つけることができた。
チケットの予約と支払いは済ませたが、
英語の説明を読むと、席の確保は保証しないと
いうようなことが書いてあった。
立ち見はイヤなので、開場時間の18時過ぎに
会場に到着。
食事をしながら開演(20時)を待った。
ちなみにチケット代は、一人当たり
ミュージック・チャージ65ドル
+サービスフィー 7.65ドル。
150円換算で、11,317円。
円安のせいで日本で観るのと
変わらないような値段だった。
ほぼ定刻にバンドがステージに登場。
ピアノ、ベース、ドラム、パーカッションの
4人で皆んなまだ若そうに見えた。
1曲インストを演奏した後、
オマーラがふたりのスタッフに支えながら
登場した。
2018年の来日時もスタッフに支えられて
ステージに上がったような記憶があるが、
あの時は念のためひとりのスタッフが
付き添っているような印象だったけど、
今回は、ふたりに両脇を抱えられての
登場で、もう自力では歩けない様に見えた。
しかし、歌い出したその歌声は、
とても介助されながら歩く93歳の老婆の
声とは思えなかった。
気がつくと会場は、後ろの方まで
立ち見客で埋め尽くされていた。
隣のテーブルの3人組は、キューバ人の様だった。
その人たちを含め多くの観客がオマーラと
一緒に歌っていたので、たくさんの
キューバ人が来ていたのかも知れない。
その観客の歌声を聴きながら、
オマーラの人気の高さを感じた。
途中、オマーラが、何度も涙を拭うように見えた。
私なんぞには想像もつかない様々な
想いがあるのだろうと思った。
オマーラのライヴは、この日1日だったので
ニューヨーク在住のキューバ人にとっては
特別な夜だったのかも知れない。
オマーラは、どこで歌い出して良いのか
分からないのか、ピアニストが合図を
出していた。
そんな風なのに、歌い出すととんでもない
世界に連れて行ってくれるのだった。
途中、オマーラは一旦ブレイクで退場。
休憩があるのかと思ったが、
バンドの演奏が続いたあと、
再びステージに上がった。
トータルで90分ぐらいだっただろうか。
なんだか奇跡のようなショーだった。
[ 関連エントリー ]
2013.9.7 Buena Vista Social Club
2018.3.18 Omara Portuondo
2023.11.22
38年ぶりにアメリカを撮った
1985年、阪神タイガースが日本一に
輝いた年に私はアメリカを横断した。
そして、38年ぶりに阪神が優勝した今年、
私は再び、アメリカの土を踏んだ。
(何の関係もないけど。)
ニューヨーク2泊、メンフィス2泊、
4泊6日のやや強行軍な旅行。
あの時観たアメリカとは、
ずい分と様変わりしてしまった印象だった。
それにしても、行き先がニューヨークと
メンフィスになったのは、とても興味深い。
なぜなら、この2つの街は、1985年の
アメリカ旅行の中でもとりわけ思い出深い街だったんだ。
その土地に、私が意図したわけではなく、
自然に行くことになったんだ。
今回の旅行は元々、友人夫婦の次男が、
アーカンソー州立大学に留学中で、
彼に会いに行くというのが始まりだった。
その大学は、メンフィスから100キロほどの
所なので、メンフィスは自然に決まったんだ。
日本から、メンフィスへの直行便は飛んでいないので、
どこかの都市を経由することになる。
いくつかの候補があるんだけど、
私は特に希望はなかった。
友人が、ニューヨークに行きたいと言ったので、
ニューヨークになったんだけど、妻も
ニューヨーク(というか MOMA とメトロポリタン
美術館)に行きたかったようだった。
結果的に、思い出深い二つの街を
38年ぶりに訪れることになったんだ。
何も考えずにこの2つの街を訪れたのだけど、
これは、後になって考えると、
かなり、興味深いことなんだよ。
アメリカに行く前には、38年前と同じ場所で
写真を撮るなんて、アイディアはなかった。
もし、思いついていたなら、もっと下調べや
準備をして、面白い写真がもっと撮れたかも
しれないと思うのだが、今さら言っても遅い。
ニューヨーク2日目、ロックフェラーセンターを
見つけたときに、1985年の写真を思い出したんだ。
1985年
2023年
そして、カルティエにビルを観たときにも。
1985年
2023年
こちらは、夜のタイムズスクエア。
1985年
2023年
そして、テネシー州メンフィス、ビール・ストリートにて。
1985年
2023年
この写真が、ビール・ストリートだったかどうかなんて
覚えていなかったのだけど、実物の建物を観たとき、
すぐにこの 85年の写真を思い出したよ。
85年の 800枚ほどのアメリカの写真は、
何度も何度も見返して、写真展の展示用に
選んだりしたものでしっかり脳裏に焼き付いていたんだな。
こちらですこし大きめの写真をご覧になれます。
2023.12.2
BEALE STREET
メンフィスのビール・ストリートで見つけた
「Beale Street Merchants Association」
(ビールストリート商店会?)のロゴ。
見覚えがあったので、1985年の旅行の時に
写真を撮っていたのだと思って、
探してみたら、なかった。
でも、この BEALE ST. の文字がラッパに
なっている図柄は、間違いなく知っている。
写真でないのなら 何で知っているんだろうと
考えて思い出した。
これだ。
そう、トランプ。
85年にメンフィスを訪れた際に買ったんだ。
38年間大切に持っているというのも珍しくないか?
カードにはちゃんと「MEMPHIS, TENN」と
書いてあるのが嬉しい。
(TENN. はテネシー州の略)
でも、ケースの裏には、小さな文字で
「HONG KONG」って書いてあるんだよ。