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つつみしんやのひとりごと 2010年 8月
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2010.8.1

石川早苗、松尾由堂 and 馬場孝喜

ギターの馬場さんは、昨年8月に始めて観て (聴いて) 以来、

ファンになり、今年の3月まで、(なんと、8ヶ月間で 10回!)

毎月ライヴに足を運んだ。

だが、4月以降、ちょっと多忙になり、ご無沙汰してしまった。

今日は、原宿 bar dAZE にて、私には約4ヶ月振りとなる彼のライヴ。

メンバーは、

石川早苗 (vo)、松尾由堂 (gt)、馬場孝喜 (g)。

そう、今回はギターデュオ+Vo という編成。

奇しくも先週の ハルトラ+私 と同じ。

(正確には、先週のライブは、パーカッション入りだったけどね。)

松尾さんというギタリストは、初めてだったけど、

私の印象では、ちょっとソウルフルというか、R&B とか、

JAZZ でも ファンキーなのが好きなんだろうな、という感じ。

で、馬場さんとのからみも絶妙。

終わってから、「今日のは打ち合わせありですか?」 と

馬場さんに訊いてみたら、全部、ぶっつけだったそうな。

確かに、3人とも店に来たのは、私より遅い。

軽く、サウンドチェックして、すぐ本番。

打ち合わせや、リハーサルなんかしてないわな。

ギター2本による歌伴 ということで、興味があったのだが、

自分達の先週のライブと比べて、決定的に違う!

何がって、「何も決めてない!」 というところだ。

私が山ちゃん (gt) と演奏する場合、きっちり、役割分担を決めて

演奏している。

が、馬場さんたちは、なんとなく役割分担があるものの、

そんなにきっちりと明確に分けているわけでなく、

互いの領域をも行ったり来たりしながら、それで相手や歌の

邪魔するわけでもなく、音楽を創り上げているのだ。

それは、私からすれば非常に高度なことなのだが、

JAZZ では当たり前のことで、要するに、

「相手を聴く」 ということなのだな。

いや、私だって聴いているのだが、聴いていることに

対するレスポンスが、違うんやろな。


ライヴ終了後、After Hours。

馬場さんと、「Mercy, Mercy, Mercy」 をセッション。

その後、Vo 石川さんも加わり 3人で、

The Isley Brothers の 「For The Love of You」。

幸せ。

でも、もうちょっとちゃんと弾きたっかたよう〜!





2010.8.5

妻の非礼と 変なおじさん?

妻は、仕事で色んな講座の講師をしているらしいが、

私は、(怖くて) 参加したことがない。

それは、余談。

さて、先日 妻が道を歩いていると 一人の見知らぬおじさんが、

「野菜ジュース、野菜ジュース・・・」 と言いながら、

近づいてきたらしい。

妻は、その人のことを、アブナイ人だと思い、

完全に無視をして、その場を立ち去った。


彼女は最近、ある会社の主催でグリーン・スムージーの講座も

やっているらしく、そのおじさんに会った翌日、

講座を主催した会社に行き、担当者と会った。

そこで、前日近づいてきたおじさんが、数日前のグリーンスムージーの

講座の参加者だったことに気付いた。

おじさんは、妻と知って 「野菜ジュース、野菜ジュース・・・」 と

言いながら近づいてきたわけだ。

彼女は、大変な失礼をしてしまったことに気付き、焦ったが、

その担当者は、「大丈夫ですよ」 と言ったらしい。

実は、そのおじさんは、大学で心理学を

教えていたような方だということで、

担当者は、「大丈夫」 と言ったようだ。


さて、その日、そのおじさんが、偶然 そこに現れた。

妻は、自分の非礼を詫びた。

「○○先生、昨日は知らないふりをして、本当にすいませんでした」

その時、その方は、何と答えられたか。

その答えが素晴らしい。

「いえいえ、私の名前を覚えてくださっただけで光栄です。」


う〜む。

この答えは、中々 言えんよな。

実は 変なおじさん ではなかったのだ。





2010.8.6

弱腰の教育者 と 父親の本気

知り合いの話。

彼の娘は、9歳というから、小学3年生か4年生だ。

ある日、その娘が学校で男子2人にいじめられた話をしたらしい。

普段は、我慢強く滅多に泣かない娘が泣きながら話すのを聞いて、

よほどのことだと判断した彼は、小学校 (校長) へ電話をし、

そのいじめた男子2人と話させて欲しいと申し出た。

私たちが子供の頃、悪いことをすれば先生はぶん殴って

悪いことは悪いと 教えてくれたものだが、今は、人権だの

何だのと先生が子供を本気で叱れない時代。

子供も先生 (大人) をなめていて、言うことなど聞かない。

学校に任せていても、娘を守れないと考えた彼は、

そのいじめっ子男子との直談判に出たのだ。

校長室では、両サイドに校長と教頭。

目の前にその男子2人を座らせた彼は、二度と自分の娘を

いじめることがない様に 相手を子供扱いせず、本気で話した。

「お前ら、俺の娘の髪の毛引っ張ったり、

ひじ鉄くらわせたりしたそうやけど、今度、そんなことがあったら、

タダでは済まんからな。」

そんなことを言ってるうちは、校長・教頭はだまって座っていたそうだが、

彼が、その男子たちの髪の毛をつかみ、

「お前ら、こんなことされたら、どう思うねん!」 と迫った時は、

さすがに校長・教頭も焦ったようで

「まあまあ」 と止めに入ったらしい。

(それだって見ようによっては、校長・教頭の保身に見えてしまうが。)

それ以来、娘は二度といじめられることはなくなったらしいが、

クラスでは、(○○の親父は、堅気じゃない) という噂が広まったらしい。

結局、今は本気で子供を叱る大人が少なくなったってことだろうな。

で、私が 「そんなことして、もし、その男子の親が

モンスターペアレンツみたいな連中だったらどうするの?」 って

聞いたら、彼は、

「相手がそうだったら、とことん、やりますよ」 と

娘のためなら、命がけの様相。

ああ、親ってホントに強いな、頼もしいな。


子供がいると、子供がいじめられたなんて話は、

珍しいことではないようで、別のある父親は、息子がいじめられた と

聞いて、息子にそのいじめっ子を家へ遊びに連れてくるよう言った。

そして、そのいじめっ子たちが、家に来た時に

「お前ら、うちの息子と仲良くしてくれてありがとな。

何かあったら、いつでも俺が助けてやるからな」 と

凄みを効かしたらしい。

それ以降、息子はいじめられなくなった。


また、別の父親は、息子が一人の子供にだけ

いじめられるというのを聞いて

「それは、お前が何か相手の気に入らないことをしたんだろう。

本人と話して、謝ってみな」 と答えたそうな。

そして、本当にその相手と話した息子は、何とそのいじめっ子と

それを機会に親友になったそうな。


人生って、

正解なんてない。

面白いな。





2010.8.7

告白! 私の反撃

今日は、私の誕生日。

48歳になってしまった。

精神的に、少しずつ、成長というか進化してる部分も

あるけど、基本的にティーンエイジャーのときと

変わってないような気がする。

なので、精神と肉体の年齢差が、どんどん広がって行く感じ。


さて、昨日は、ちょっとイジメのことに触れた。

私の場合、イジメられたわけではないが、

子供の頃、何度かひどい扱いを受けたことがある。

今日は その体験を書こう。


そもそも、私の小中学校時代は、

特定の誰かをクラスの全員で無視したり、

不登校や自殺にまで追い込むような、

そんな陰湿なイジメはなかった。(と思う。)

もっと子供ならではの、その場限りの悪ふざけの延長や、

子供特有の残酷で幼稚な言動に、今から見れば、

イジメとも言えるようなことがあったんじゃないかな、と思う。

繰り返しになるが、私はイジメられたとは、思っていない。

でも、もし、私が彼らに無抵抗だったら、

その後、何度も同じような扱いを受けた可能性はある。


1つ目。

小学校6年生の時、K君と下校中のこと。

私が言った何かに対して、彼は、私のほほを 引っぱたいた。

言った内容は覚えていないが、彼が本気で怒って

私を 引っぱたいたのではなく、私の言ったことが気に入らなかったので

軽く手が出てしまったんじゃないかと (今となっては) 思う。

それに、彼の方が身体も大きく、力も強かったので、

まさか私が反撃に出るとは、思わなかっただろう。

キレタ私は、その場で彼に掴みかかり、殴り合いのケンカになった。

もちろん、力で勝っている彼にボコボコにされたのは、言うまでもない。

それから、数日、彼と口をきかなかった。

私から、謝ることはないと思っていたが、

数日後、(謝るのではなく、普通に) 彼に声をかけた。

彼は、うれしそうに私を受け入れてくれた。

その時の彼のうれしそうな顔があまりに印象的だったので

はっきり覚えている。

(あ、K君、僕と仲直りしたかったんや) って。


2つ目。

中学1年生のとき。

隣のクラスに野球部で、体が大きくて、力も強い T がいた。

T は普段から、えらそうにしていて、手を洗ったら、

その辺のクラスメートの制服で手を拭くような、イヤなやつだった。

ある日、廊下を歩いていると正面から T が歩いてきた。

普通は彼が来たら、怖いし、面倒にはしたくないので、

道を開けるのだろうが、私は、彼のことを嫌いだったので

よけることなく歩いていた。

真正面まで来て、2人が向かい合って 立ち止まった時、

T が言った。

「どけ!」

「お前がどけや」

彼は、私を見下ろし、右手で私の首の皮をつかみ、

思いっきりひねりながら (めちゃ痛い!)、こう言った。

「お前て、誰に言うとんねん」

キレタ私は、同じように彼の首の皮を 思いっきり ひねりながら、

「お前て、お前に言うとんじゃ」

次の瞬間、私の体は宙を舞っていた。

私は1発のパンチも彼に入れることができず、

ボコボコにされたのだった。


3つ目。

同じく、中学1年生のとき。

塾の帰り、4〜5人で自転車に乗っていた。

信号待ちで停まっている時、H と K が話している話題に

私が口をはさんだ。

H は、それが 気に入らなかったらしく、

「お前は、黙ってろ」 とか何とか言いながら、

私のほほを引っ叩いた。(またや)

普段から、えらそうにしていた H にキレタ 私は、

掴みかかろうとした。

すると、H は、ここでは、勝負を出来ないから家まで来い、

と言った。

そこから、H の家までは、たぶん50〜60メートルだっただろう。

H の家は大きな家で、庭も広かった。

家に着き、自転車を停めた彼はチェーンを手に向かってきた。

完全にファイティング状態の私は、アドレナリン出まくりなので、

チェーンを持っている相手が、全く怖くない。

「そんなもん、持たなケンカもでけへんのか」

とバカにすると、H は、チェーンを捨てた。

飛びかかった私は、彼に馬乗りになり、(今回は) 彼をボコボコにした。

ボコボコにしながら、(あれ?こいつ弱い) と思ったのを覚えている。

何しろ、いつも、ボコボコにされる側だったから、

相手に馬乗りなんて 初めてだからね。

そのうち、騒ぎを聞いて家から出てきた H の母親に止められた。

「やめなさい。友達でしょ!」

すると、H が、「こんなやつ、友達ちゃうわい!」

(それにしても、35年も前のこと、我ながらよく覚えてるなぁ。)

私の胸には今も、H に噛まれた傷跡 (H の歯形) が残っている。

彼の必死の抵抗の痕だ。


余談だが、信号待ちの時、一緒にいた数人は、

ケンカを見物することもなく、帰ってしまったんだろうな。

そんなもんなのか?


4つ目

中学2年生のとき。

冬。

大阪では 珍しく雪が積もった。

友達と2人で下校中、3年生の2人が、突然、雪を投げてきた。

たぶん、相手は誰でも良かったんだろう。

雪を丸めて、弱そうな下級生を 待っていたところへ、

運悪く、私達が通りかかったのだ。

やつらは、思いっきり投げたんだろう、その上、

こちらは、無防備で不意にぶつけられたのだから、

雪と言えども、結構、痛い。

その痛さゆえ、キレタ私は、かばんをその場に放り投げ、

持っていた傘を右手に

「お前ら、3年生や思て、そんなことして、ええと思てんのんか!」

と、その2人に向かって行った。

何しろ、こちらはアドレナリン出まくりだ。

怖いものなどない。

自分で言うのもなんだが、かなりの迫力だったと思う。

すると、彼らは、急に態度を変え、

「ゴメンゴメン、冗談やんけ〜」 とヘラヘラしながら、

私達の制服の雪を はたいてくれた。

突然、豹変した相手に、私は戸惑いながらも、

「う、うん」 と彼らに雪を払ってもらったのだった。


振り上げた拳の持って行き場がなくなったようで、

自分としては、ちょっとマヌケな感じだった。

でも、もし彼らが謝らずに、私を挑発するようなことを

言っていたとしたら、間違いなく、私は傘を振り回して

彼らに怪我を負わせていただろう。

そう思うと、謝ってくれて本当に良かった。


以上、4つの事件を書いてみた。

これらの相手で、その後、私にちょっかいを出した者はいない。

無抵抗だろうとバカにしていた相手が、本気で向かってきたら、

例えば、ケンカでは勝ったとしても、次からはバカにできないよね。

「攻撃は最大の防御」 と言うけど、「反撃も最大の防御」 なのだ。

ただ、反撃するためには、一回は、攻撃されるねんけど。





2010.8.8

昨日は、久しぶりにロードショーをハシゴし、2本観た。

昨年は、まるで中毒のように映画を観たくて 観たくて、

1年間で 61本 映画館で観たのだが、

今年は、諸事情により ペースが遅い。(昨日で25本目。)



SALT

アンジェリーナ・ジョリー 主演のアクション・サスペンス。

アンジー演じる CIA のソルトが、ロシアのスパイだと

疑われ・・・。

私は、国際情勢に疎い。

なので、(今どき、ロシアのスパイなんて・・・) と思っていたら、

アメリカで最近、10年以上潜伏していた元KGB の

スパイ10人が、一斉に逮捕されたらしい。

それはさておき、本作、ストーリーは荒唐無稽。

途中で、(マンガやな) と思ったのは、私だけではないだろう。

アクションなど、それなりに楽しめたが、

2008年の 『ウォンテッド』 の方が、迫力があったし、面白かった。

でも、あんな役 (ソルト) できる人、アンジー以外思いつかないし、

彼女は、やはりカッコよかった。

ただ、アップでは、ちょっと年齢を感じたな。

もう、35歳やもんな。

それと、終わり方がなんかスッキリせんかったな。

続編作る気やろか。


★★★▲☆



告 白

松たか子主演の 『告白』。

ちょっと変わった作品で、登場人物の告白によって、

話が進んでいく。

観終わった時、映画を観たと言うより、本を読み終えたような

感じがした。

帰宅してから、調べてみて納得。

本作、原作は2009年本屋大賞に輝いた同名ベストセラー小説。

そして、その原作の世界観変えずに、中島哲也監督が

脚本化したようだ。

ストーリーは、中学1年の終業式のホームルームで、

松演じる担任の森口悠子が、自分の娘はこのクラスの生徒に

殺された、と告白するところから始まる。

映画だから、大げさに描いているのか、本当に今の中学ではそうなのか、

生徒は、ろくに先生の話を聞いていない上、イジメもひどい。

(あ、またイジメの話。)

人間のダークサイドにばかり焦点を当てていて、

ヘビイで、救いがあるとは思えないのだが、

ずっしりと見ごたえのある作品。

観終えて幸せになれる映画ではないので、

好き嫌いは、分かれるだろう。

私は、あんまり好きではないが、作品としてはありだと思う。

下村直樹役の 藤原薫 という少年が良かった。注目。


★★★★☆





2010.8.9

告白! 負けるケンカ

一昨日、 「告白! 私の反撃」 を書いていて、

もう一つ思い出した事件がある。

それは、 「告白! 私の反撃」 に書いた事件とはちょっと違う。

私が先に手を出したのだ。

中学2年生の時のこと。

私は、学級委員でホームルームの時間に教室の前で議長を

務めていた。

一番前の席に、E が座っていた。

当時、私たちには、番長というような区別はなかったが、

いわば、E は私の学年ではそういうような存在だった。

つまり、彼に逆らうような生徒は いなかったのだ。

私は、小学校時代から、何度も E の家に遊びに言っていたし、

中学時代も E とは仲が悪かったわけではない。

議題は忘れたが、私が議長をしていたその時間、

一番前の席の E と意見が割れた。

一触即発のムード。

その時、E が言った。

「じゃかましい!後で勝負付けるたぁら!」

キレタ 私は、思わず、

「何言うとんねん!今、勝負付けたぁら!」

と、彼に飛び掛った。

彼を押し倒し、馬乗りになったのだが、

彼は、全くの無抵抗だった。

あまりの無抵抗さに 私は、

(えっ?やる気ないの?) と力をゆるめた。

すると、彼は低い声で こう言った。

「それで、終わりか。」

次の瞬間、私は彼の猛打を受け、リング (?) に沈んだのであった。

結局 私は、彼を押し倒しただけで、一発も殴ることなく、

ボコボコにされたのだ。

ちなみに彼は、空手だったか柔道だったかを習っていた。

だが、ボコボコにされ、ひくひく泣く私を見ながら、

こっそり、「つつみくん、かっこええ」 と言っていた女子の声を

私は聞き逃さなかった。

それから、私は、「勝つと分かっているケンカはしないのさ」 と

言うようになった。


それにしても、あんなにボコボコにされるんなら、

一発ぐらい殴っておきたかったな。





2010.8.10

こばなし

とある会社のオーナーが、部長を決めるために面接をしていました。

まずオーナーは 2+2 はいくつになるか、という問いに答えられる人々を

選びました。

エンジニアは手持ちの定規を出して、あちこちに動かし、

ようやくこう答えました。

「答えは 3.98 と 4.02 の間です」

数学者はこう答えました。

「2時間以内にはそれが4であることを短い証明とともに立証出来ます」

弁護士はこう答えました。

「スベンソン氏が州と争った判例からすると2+2は4と宣言されています」

トレーダーはこう尋ねてきました。

「売りですか?買いですか?」

会計士は会社のオーナーを見て、椅子から立ち、誰も聞いていないことを

確かめにドアの方まで行き、カーテンを閉め、

もう一度オーナーのところに戻って来ました。

そしてデスクによりかかり、とても小さな低い声でこう言いました。

「どんな数字にして欲しいですか」



元記事 らばQ


元ネタ (英語)





2010.8.11

告白! 大人への道

数日前の 「告白! 私の反撃」 と、一昨日の

「告白! 負けるケンカ」 を読んで、たくさんの読者から色んな反響が

寄せられた。

というのは、ウソで、2人の人から、コメントをいただいた。

一人は、私のことを 「そんなにコワイ人だったのか」 というもの。

もう一人は、私のことを

「殴り合いのケンカをしたことがある人に見えない」 というもの。

この違いも面白い。

さて、その2つの記事で、小学6年生から中学2年までの

ケンカのいくつかを書いた。

実際、中学2年の時には、割とよく遊んでいた S と悪ふざけをしていて、

途中で本気になってそのまま殴り合いのケンカになったことも

2〜3回はあった。

別に私がケンカ早いとは思わないのだが、

今思うと、その頃は、そんな風な時期だった。

そして、中学3年生になり、(もう、ケンカはしない) と

決めたのを覚えている。

それは、別に大人になったわけでも何でもなく、

ただ、「内申書に書かれたら進学に影響する」 という

(今から思うと) ちっぽけで くだらない 理由だった。

だが、不思議なことに3年生の時に、ケンカしたいのを

ぐっと我慢したような覚えはないので、

私が 「ケンカをしない」 と決めたとたん、

「そういうことが起こらなくなった」 とも言える。

そう言えば、中学を卒業してすぐの春休み、大阪ミナミで、

友達と2人で歩いていて、カツアゲ にあったことがあるが、

その時は ビビッて何もできず、いくらかの小遣いを不良に

巻き上げらて終わった。

つまり、基本的には、弱虫なのだ。

さて、ケンカはしないと決めてから 私は気の長い温厚な人間になったのかと

言えば けしてそんなことはない。

だが、あの頃のように、ストレートに怒りを表現することが

できなくなったような気はする。

高校2年生の時のこと。

学年でクラス対抗の合唱大会があった。

私は、指揮者を務めることになった。

私の父が音楽関係の仕事をしていたため、たまたま指揮棒を

持っていたので、それを借りて、練習時から指揮をしていた。

ある日、練習の合間だったと思うが、クラスの数人で

(冬だったので) ストーブを囲んで雑談していた。

その時、クラスメートの N が、その指揮棒を持って、

先っぽをストーブに押し付けて焼いているのに気がついた!

私は、動揺した。

驚きと、怒り、父に叱られるという思い、色んな感情が

一度に押し寄せた。

音楽家にとっての楽器や指揮棒は神聖な道具、

それをストーブで焼くなど、言語道断。

私は彼に何を言ったか覚えていない。

ただ、私がひどく動揺しているのを見て、N は、

(これは、やばい、ただ事ではない) と感じたに違いない。

困ったような、表情で私を見たのを覚えている。

私は、彼を殴りたい衝動にかられた。

中学2年生の時だったら、間違いなく飛び掛っただろう。

しかし、私は殴らなかった。

それどころか、その時の私は、彼に対して 言葉でさえ十分に怒りを

表現することができなかった。

それが、成長したということなのかどうか、今でも分からない。

しかし、私は、中2の時のように彼を殴りたかったと

今 考えても思う。


殴りたいぐらい腹が立った。

しかし、心のどこかで、合唱大会の前にクラスの 「和」 を乱しては

いけない、という思いもあった。

しかも、指揮者である私が。

しかし、殴ったからと言って必ずしもクラスの和が乱れたわけでも

ないだろうとも (今では) 思う。

あの事件は、なんというか、純粋な何かを大事にするより、

物分りの良いつまらない大人への第一歩であったような気がしてならない。


あ、私は、けして、暴力を認めているわけではないので、誤解なく。

その辺の所、読み取ってね。




小沼ようすけ LIVE

昨日は、小沼ようすけのライヴへ行って来た。

@ COTTON CLUB 。

なんと、誕生月ということで、COTTON CLUB から

ご招待のメールが届いたのだ (しかも2名様)。

最近は、個人情報についてうるさいが、そういう所では、

誕生日など書いておくと、こういうラッキーもあるのだな。

メンバーは、

gt : 小沼ようすけ
or : 金子雄太
drs : 大槻 “カルタ” 英宣

小沼ようすけは、デビュー当時から聴いていて、

今年、発売された最新アルバム以外は、全部聴いているし、

ライヴも 3回目だ。

彼は、デビュー当時は、ピックで弾いていたのだが、

3〜4年前から指弾きに転向した。

ギターは、指で弾くと独特のトーンが得られる代わりに、

ピックのように自由には弾けず、その分 ストレスもある。

彼も当初は、苦労していたようだが (インタビューで読んだことがある) 、

昨日の彼の演奏を聴いて、全く、その過渡期を脱し、

指弾きのスタイルを確立したように感じた。

実際、あのスピードを指で弾くのは、

かなりの鍛錬が必要だっただろう。

しかし、観ていると、軽く弾いているようなので、

中々、一般のオーディエンスにはその凄さが

伝わらないのではないか、と思った。

もちろん、そんなことは、音楽自体とは関係のないことで、

プロのアーティストは皆、想像を絶する練習を積み重ねて

いるのだけれど。

気心の知れたメンバーとの演奏で、余裕も感じられたが、

欲を言えば、もう少しギターのヴォリュームが欲しかったな。

でも、ファンキーでグルーヴィで よいライヴでした。


ちなみに私も指弾きをマスターしたいと思っているので

今日のライヴは、良い刺激でした。





2010.8.12

人は変わるのか、変わらないのか?

一連の記事を読んで、私に対して

「殴り合いのケンカをしたことがある人に見えない」 と

言った人がいると 昨日書いた。

自分のことを (小中学生の頃) 殴り合いのケンカをした人に

見えるかどうかなんて、考えることは 普通ないと思うが、

そう言われてみて 周りを見渡すと面白いことに気がついた。

私の知る人の中には、中高生時代、ヤンキーだったり、

暴走族だったり、かなりのワルだった人もいる。

彼らの若い頃の写真を見ると、当時、街で会ったとしたら

100% 目を合わさないようにしただろうと思う。

話を聞くと、ケンカも相当強かったような人もいる。

しかし、それから30年ほど経った彼らには、

仕事があって、妻がいて、子供がいて、良いパパになっていて、

普段の顔には、ティーンエイジャーの頃の血気盛んな彼らは

見えない。

では、彼らは、変わってしまったのか?

私も変わってしまったのか?


かなり悪いことをしていた人が、刑務所の中で改心し

牧師になったというドキュメンタリーを以前 TV で観た。

牧師なのに全身刺青。

極道の妻だった人が、弁護士になって出した本を読んだ。

彼女は弁護士なのに背中に刺青。

彼らは、「変わった」 「人は変われる」 という象徴だ。

一方で 「三つ子の魂百まで」 ということわざも度々聞く。


「人は変われる」 「人は変わる」 「人は変わらない」

これらは、人生で何度も聞く言葉だが、一体どれが正解か。

若い頃にはその答えが知りたかったものだが、

結局 「全て正しい」 のだな。

人は、「変わりたければ 変わるし、変わりたくなくても 変わるし、

いつまで経っても どうにもこうにも 変わらない生き物」。

人生はパラドクスなのだ。





2010.8.12

ALWAYS 続・三丁目の夕日

DVD にて鑑賞。

一作目は、映画館で観たのだが、2005年だったので

もう 5年も前のこと。

この続編 (2007年) も観に行きたかったのだが、見損ねてしまった。

登場人物、人間関係は一作目のまま引き継いでいたが、

5年も経っていたので、所々、

(あれ? この人、なんでこうなんだっけ?) と、

背景を忘れてしまっている部分もいくつかあった。

それでも まあまあ楽しめた。

でも作品自体は、一作目の方が、良かったかな。

それにしても、昭和30年代の雰囲気はよく出来ている。

今は、いろんな面で便利になり、物も豊富だが、

なんとなく、あの頃の日本の方が今の方が

良かったような気がするのは、歳を取った証拠かな。





2010.8.13

今日は、妻とお台場へぶらりと買い物に出かけ、

そのまま 食事をして映画を2本鑑賞。

『借りぐらしのアリエッティ』 と 『魔法使いの弟子』 の2本。(子供か)

なので、今夜は 勝手に ファンタジー・ナイト 。



借りぐらしのアリエッティ

スタジオジブリのアニメ最新作。

興味があったが、ネット上での評価が、

それほどでもないことを知っていたので

過渡な期待なく鑑賞できた。

ジブリ作品と言っても、監督は 宮崎駿 ではなく

米林宏昌という人。

彼は 宮崎作品には関わってきたが、長編の監督は本作が

初めてのようだ。

原作が 外国作品 (メアリー・ノートン作) ということもあるのか、

舞台は、日本なんだけど、ちょっと 国籍不明感もあり、

それは、ファンタジーとしては良かったと思う。

床の下に住んでいる小人達が、人間に見つかってしまったことによって

翻弄される様子と、小人の少女 アリエッティ と 人間の少年 翔との

短い心の交流が描かれている。

小人達にとっては、生死の懸かった大変な話なのだが、

人間目線で見てると 「物語」 というほど劇的でもなく、極端に言えば、

小人達の数日間の日常を切り取った様な話に感じた。

酷評するほど 悪くないけど、特別 素晴らしいとも

思えなかったというのが、正直な感想。

でも、子供が観たら違うのかな、と思う。

良かったのは、

小人が人間の部屋へ必要なものを 借り (狩り) に

行く描写など素晴らしいアドベンチャーだし、

小人が聞く、人間の足音などの表現も素晴らしいと思った。

声の出演は、クレジットを見ないと気がつかなかったけど、

志田未来 (アリエッティ)、神木隆之介 (翔)、
大竹しのぶ (ホミリー)、竹下景子 (貞子)、
藤原竜也 (スピラー)、三浦友和 (ポッド)、
樹木希林 (ハル)

と 超豪華。


★★★▲☆




魔法使いの弟子

こちらは、特に観たかったわけではないが、

時間がちょうど合ったので鑑賞。

TV CM を観た覚えはあるが、

ニコラス・ケイジ が出演していることも知らない程度の

予備知識で鑑賞。

勧善懲悪、そして、ハッピーエンド。

これぞ、ディズニー、これぞ、アメリカ映画。

そんな作品。

元々は、古いミッキーマウスの短編の実写版。

子供向けだけど、素直に楽しめます。

で、いつもは “必ず” エンドロールも最後まで席について観て、

明るくなってから席を立つのに、なぜか今回だけ、特に理由もなく

エンドロールの後半で席を立ってしまった。

帰ってきて、ネットで他の人のレビューを読んでたら、

「エンドロールのあとに、もうワンシーンあるのでご注意を」

だって!

あ〜失敗。


★★★★☆





2010.8.14

手紙

五反田に時々行くおいしい和食の店がある。

そこのお手洗いの壁に 「手紙」 という詩が貼ってある。

年老いた親から、子への手紙なのだが、

素晴らしい詩だな、と思っていた。

今日、TV で、「歸國(きこく)」 というスペシャルドラマを観た。

そのドラマの中で、その 「手紙」 が 曲として流れた。

私は曲になっていることを 知らなかったのだが、

樋口了一という人が歌っていて、昨年、オリコンのベスト10入りし、

昨年度の日本レコード大賞の大賞にノミネートもされたようなので、

ご存知の方も多いのだろう。

元の歌詞は、ポルトガル語で作者不詳。

樋口了一の友人に偶然届いたチェーンメールにこの詩が記載されていた。

その友人が、この詩に感銘を受け翻訳し、樋口了一に見せたところ

彼も感銘を受け、曲の制作に至ったらしい。

ご存知でない方は、是非お読みください。
   ↓
手紙〜親愛なる子供たちへ〜





2010.8.15

踊る大捜査線

『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』 を

観てきた。

ムービー 1 と 2 は数年前、2本立てで観た。

両方、それなりに面白かった覚えがあるのだが、

本作は、あまり評価が良くないようだった。

なるほど、評判どおり あまり面白くなかった。

スクリーンの中で 起こっている事件の緊迫感が

客席には伝わって来ない感じ。

小泉今日子は、異常犯罪者なんだけど、

かわいすぎて 全然怖くないし、

小栗旬 の使い方も、イマイチもったいない。

全体にスピード感、緊迫感に欠ける。

織田裕二 は、相変わらず頑張ってたけど、ちょっと物足りない。

そして、やはり、いかりや長介がいないのは 寂しかったが

本作では 彼への追悼の意味も感じた。

あんまり、いい使い方ではないと思うけど。

あ、内田有紀 は 可愛くて良かった。


★★★☆☆





2010.8.16

九品仏

「九品仏」 と書いて 「くほんぶつ」 と読む。

東京都世田谷区に 浄真寺 (じょうしんじ) というお寺があり、

そこに 9体の 阿弥陀如来像 が安置されている。

九品仏とは、そのお寺の通称でもある。

今日は朝から、友人の子供 (小4) と妻と3人で

その九品仏へ行って来た。

東急大井町線の九品仏駅は、ホームが短く、

二子玉川 寄り1両のドアが開かないという珍しい駅。

お寺は、駅からすぐの所にある。

9体の 阿弥陀如来像 は、3つの阿弥陀堂にそれぞれ 3体ずつ

置かれているのだが、ガラス越しにしか観れず、

あまりよく見えなかった。

境内には、立派な大木が何本もあり、天然記念物と書かれた

イチョウの木もあった。

駅からの参道も樹々に覆われセミの鳴き声がなんとも

日本の夏の風情たっぷり。

もみじ もたくさんあったので、紅葉の季節にもう一度

訪れてみたい。

 参道





2010.8.16

インビクタス / 負けざる者たち

観たかったけど、見損ねていたので DVD で鑑賞。

クリント・イーストウッド 監督作品。

ネルソン・マンデラ が、大統領になって、国をまとめるため

自国の弱小ラグビー・チームの再建を図るという

実話を基にした物語。

ネルソン・マンデラに、モーガン・フリーマン、

ラグビー・チーム主将に、マット・デイモン。

弱小チームは、ワールドカップで優勝してしまう。

フィクションではないという点が、スゴイ。

そして、何よりネルソン・マンデラという人の大きさに

平伏せてしまう。

ネルソン・マンデラといえば、2年前観た映画、

『マンデラの名もなき看守』 も良かったが、

本作も素晴らしい。

27年間投獄され、シャバに出てきたのだから、

普通は復讐したいところだろうが、彼は全てを赦し、和解した。

昨日までの敵を部下として雇い、反対する黒人達を説得し、

徹底的に 「和平への道」 を説いた。

彼のセリフを聞くだけで、価値のある映画だ。





2010.8.17

生きること

こんなに何不自由なく生きていると

どんどん鈍感になっていくような気がする。

自分は まだまだ出来るのに

何もやっていないんじゃないかと

ドキッとさせられる。


そんな風に思った2つの動画をご紹介。必見。

一本足の野球少年

LOOK AT YOURSELF AFTER WATCHING THIS





2010.8.18

生きがいの創造

『決定版 生きがいの創造 (飯田史彦 著)』 を読んだ。

この本を読むきっかけは先月のひとりごとに書いた

こんなシンクロニシティ がきっかけ。

本書は、1996年に出版され、50万部以上の

ベストセラーになった初版を 大幅加筆 & 全面修正し、

2006年に出版されたものであるため タイトルに 『決定版』 と付く。

帯には、

「スピリチュアルな科学研究から読み解く人生のしくみ」

とある。

受け入れられる人 と 受け入れられない人が

はっきり分かれる内容だ。

私は、抵抗なく読めたし、なんとなく知っては いたことが

整理されて良かった。

もし、人生に大きな悩みを抱えていたら、

この本で救われたかも知れない。

本書、および著者の別の本へのレビューは、多くの人が、

「良かった」 「救われた」 「楽になった」 と書いている一方で、

ボロクソに書いている人たちも 少数いる。

私は、いくつかの批判を読み、その “負のエネルギー” に

気分が悪くなった。

で、はっと 気付いた。

本書のテーマのひとつでもあるんだけど、

「愛 と 赦し」。

なるほど、そういうことか。


えっ、何のことか分からん?

では、ご一読を。





2010.8.19

GENTLE  THOUGHT

ROCK が、一番と思っていた16歳の頃、

FM ラジオからそれまで感じたことのない

気持ちよい音楽が流れてきた。

渡辺貞夫の 「マイ・ディア・ライフ」 という番組で、

流れてきたのは当時の彼の LIVE で、

バンドは、LA のミュージシャンたちだった。

ギターがやたらと気持ち良い。

それが、リー・リトナーだった。

それから、しばらくして リー・リトナーの LP を買いに

レコード店へ行った。

当時、LP レコードは1枚、2,500円。

小遣いは、月5,000円。

レコードを買うと半分がなくなるのだから、

何を選ぶかはめちゃくちゃ慎重になる。

さんざん、迷った挙句、思い切って 3,000円するこれを選んだ。

「ダイレクト・カッティング」という言葉に惹かれて。

『GENTLE THOUGHT』 (Lee Ritenour and His Gentle Thoughts)



普通、レコードは マルチ・トラック・テープに楽器ごとに

別々に録音する。

そして、後から失敗した部分だけやり直したり、

音響的に微調整したりするのだが、

ダイレクト・カッティング というのは、演奏を直接、

カッティングマシンに接続して レコード用ラッカー盤に

音溝を刻む方式。

つまり、演奏者もエンジニアも失敗が許されない

超緊張感の伴う録音なのだ。

音源を テープに録音しない分、音が良い、というのが売りだった。

そんな やり直しのきかない状況で、録音されたそのレコードには

スゴイ演奏が満載だった。

ずい分、そのレコードは聴いたものだ。

もう、何年も前だが、CD が発売されたので即購入。

聴いてみると、なんと、私が聴いていたものと

演奏が違うじゃないか。

その後、ADLIB (雑誌) の記事で読んだが、

なんでも 2 ヴァージョン録音されたようで、

アナログレコードも 2種類発売されたようだ。

確か、その記事では、ダイレクトカッティングだと、

作れるレコードの数が限られているので、2 ヴァージョン録音し、

その両方が、レコードになったように書かれていた。

レコードの商品番号は、違ったようだ。

CD になったのは、私が買ったのではない方の

ヴァージョンだったというわけだ。

私としては、アナログ・レコードで買った方の演奏の方が

好きなのでちょっと残念。

そういうマニアのために、もう一つの方も

CD化してくれへんやろか。

とはいうものの、どちらも名盤です。

2005年の『OVERTIME』 というアルバムに

同じメンバーによる 『Captain Fingers』 が収録されている。

それも良いが、やはり私にはあの頃聴いた テイクが一番だ。


『GENTLE THOUGHT』 (Lee Ritenour and His Gentle Thoughts)
(1977年発売)

曲目
 1 Captain Caribe/Getaway
 2 Chanson
 3 Meiso
 4 Captain Fingers
 5 Feel Like Makin' Love
 6 Gentle Thoughts

メンバー
 Lee Ritenour (Guitar)
 Ernie Watts (Saxophone)
 Dave Grusin (Keyboard)
 Patrice Rushen (Keyboard)
 Anthony Jackson (Bass)
 Harvey Mason (Drums)
 Steve Forman (Percussion)





2010.8.20

告白! ギターを始めたきっかけ

人に限らず、出会いは突然訪れる。

私は、今の実家に小学3年生になってすぐの頃 引っ越した。

引越し先は、同じ町内だったので転校はしなかった。

新しい家の3軒先に2歳年上の進 (しん) ちゃんがいた。

進ちゃんは、どこかの町から転入してきて 間がなかった。

私も “しんちゃん” だったからというわけではないが、

引っ越してすぐに 彼と仲良しになった。

進ちゃんが中学生になるまでの2年間、ホントによく遊んでもらった。

進ちゃんが中学に入って、あまり遊ぶこともなくなった6月のある日、

彼がフォーク・ギターを持って遊びに来た。

彼は、中学の軽音楽部に入っていた。

玄関で進ちゃんが、弾き始めて2ヶ月だというギターを

披露してくれた。

曲は、吉田拓郎の 「落陽」 。

始めてたった2ヶ月で こんな風に歌いながら弾けるように

なるものなのか!と 驚いている所へ、母が台所から出てきて、

こう言った。

「進ちゃんかいな。ラジオかと思った。」

その言葉は、私に益々インパクトを与えた。

(ラ、ラジオに聞こえたのか!) と。


私の父は音楽好きで、たまたま家にクラシック・ギターが

あったものだから、早速 私は、ギターを始めたのだった。

小学5年生の時だ。


その数日後だったと思うが、進ちゃんが今度はレコードを

持ってきた。

ビートルズの 「Hey Jude」 と 「Let It Be」 のシングル2枚だ。

それまで、洋楽に全く興味のなかった私は衝撃を受けた。

特に 「Hey Jude」 の後半のリフレイン、Paul のシャウトに

ゾクゾクした覚えがある。


あれから、37年。

今、これを 「Hey Jude」 を聴きながら書いているが、

改めて、ビートルズってホンマにすごいな。





2010.8.21

あああ

何が 「あああ」 なのか。

意味不明。

16日連続更新したのに、今日は酔っ払っていて、

書くことが思いつかない。

昼間、(あ、このこと書こう) と 思ったことが

あったのに 思い出せない。

メモっておくべきだったな。

というわけで、こんな内容でゴメン。





2010.8.22

DRUMSTRUCK

『ドラムストラック』 を観に (参加しに?)

天王洲アイルの銀河劇場へ行ってきた。

『ドラムストラック』 は、アフリカの伝統的な打楽器による

パフォーミング・アート。

なんと全ての座席に ジャンベ が用意されており、

出演者たちと一緒にパフォーマンスに参加できるという

参加型エンタテーメント。

マニアックなお客さんが多いのだろうと 思って行ったら、

意外と子供連れのファミリーが多かった。

確かに子供が観ても (参加しても) 楽しめる。

総勢700人以上の人が一緒にリズムを叩くのは圧巻だ。

以前 参加したドラムサークルと 似ている部分もあるが

ドラムサークルは、100%参加型で 鑑賞の部分はない。

ドラムストラックは鑑賞の部分もある点が、ちょっと違う。

観るパフォーマンスと 参加するパフォーマンスが

交互に演じられるのだが、私としては、もっと叩きたかった。

面白いと思ったのは、普通のドラムセットが参加し、

ハイハット・シンバルの音が混ざると民族音楽度が下がり、

西洋化された感じがして ちょっと興ざめした点。

なお、ドラムストラックは、来年の来日も決まった模様。


  ↑
開演前の会場の様子  全席にジャンベが。



ドラムストラック 2010 PV





2010.8.23



最近は、作曲しなくなったが、

一時期 (30歳前後)、結構たくさん曲を書いた、

その頃、自分でも歌っていたので (恥ずかしい!)

詞も 自分で書いた。

幸か不幸か、世の中には出なかったが、

今でも、誰か歌ってくれる人がいれば、歌って欲しいと

思っている。

ふと、思いついたので、ここでその詞たちを発表することにする。

はっきり言って、恥ずかしいのである。

詞というのは、自分の考え、生き方の反映だ。

(こんな風に思ってるんや) と心の中を見られるようで、

恥ずかしい。

でも、もう15年以上前に書いたものが多いので

恥ずかしさも半減した。

先日、テレビで 福山雅治が、

「曲 (詞) を作るなんて、女々しいことなんだ」 というような

ことを言っていた。

確かにそう思う。

私の詞は、失恋ものが多く、大変女々しい。

「女々しい」 という形容詞は、女性には失礼なようだが、

女性に対しては、使わない。

男性専用の形容詞だ。

なぜなら女性は、女々しくないからね。

いつか、曲付きで発表したいが、自分が歌うのは

イヤなので、いつか歌ってくれる人が現れたら、ということで。


一度には、たくさんアップできないので、少しずつアップ予定。

時々、覘いてね。

詞は、こちら → LYRIC





2010.8.25

詞 - 2

誰が読むねん。

と 思いながら、詞を 2つアップ

何になるねん。

と 思いながらも、なぜか楽しい。

でも実は、

読まれて ホントに恥ずかしいやつは、

まだ出してない。

あまりにも個人的過ぎて、

あまりにも エゴイスティックな内容で。

あまりにも恥ずかし過ぎて。





2010.8.26

Laguna Moon

今年は、Laguna Moon の ライヴ をしなかった。

まだ 8月なのに 「今年は」 と書いたのは、

この数年、Laguna Moon の相方の梅林さんは、

1年の半分以上を タイのプーケットで 過ごしていて、

来月またプーケットに行ってしまうからだ。

今年は4月に帰国されてから、10回ほど一緒に練習したが

ライブはしなかったのだ。

元々このプロジェクトは、アルトフルートとギターのデュオとして

スタートしたが、昨年は サックス、今年は、クラリネットも導入し、

芸風 (?) も広がってきている。

さて、そういうわけで 今日は今年最後の練習だったのだが、

私は、普段の個人練習が不十分なことは否めないものの

このデュオを始めた4年半前に比べると、

自分でもずい分 前進したな、と思えるようになった。

とは言うものの、プロとして生きてきた彼が、

いつまで私の相手を してくれるのだろうかと

いつも不安に思っていた。

今日、練習後、一杯やりながら 話していて分かったことは、

彼は このデュオをやっていて面白い と思っていることと

私以上にこのデュオの可能性を見ていることだ。

私は、自分が (まだまだだ) と思ってしまうので、

音楽全体ではなく自分の技量や演奏に注意がいってしまう。

当然、自分の演奏に OK じゃないので

「練習せな」 という思いばかりになってしまう。


今日たまたまテレビで観たのだが、

大滝秀治が、ある人にこんな話をしたという。

言葉は正確ではないが内容はこんなこと。

  役者は、自信を持たなきゃならんが、自信の上にあるのは、「おごり」。

  謙虚でいた方がいいが、謙虚の下にあるのは 「卑屈」。

ああ、その通りやな。

自信があるのに謙虚。

謙虚でありながら 自信がある。

そうありたいものだ。

Laguna Moon、

来年は、ライヴもやるよ。





2010.8.28

ミュージシャン と バンドマン

今は、「その区別は違うな」 と思うのだが、

20〜30代の頃は、演奏家には 2種類いると思っていた。

一つは、「ミュージシャン」、もう一つは、「バンドマン」。

ミュージシャンの方は、文字通り 音楽家で、

楽器演奏で音楽をクリエイトしている人達。

バンドマンの方は、やりたくない音楽を お金のために

仕方なく演奏していて、音楽をクリエイトしているとは

言えない人達。


なぜ、こんな区別を持ったか.。

私はギターを弾くが、23〜24歳の頃、

あるラウンジの生バンドの仕事を 何度かしたことがある。

レギュラー・メンバーではなく、

トラ (代役 : エキストラの略) として頼まれての出演。

大好きなギターを弾いて、お金がもらえるなんて、

なんてステキなこと、とも思えるが、

演奏する音楽は、ロック好きだった私にはつらい、演歌や歌謡曲。

しかも、お客さんの歌の伴奏。

ヘタクソで酔っ払いの客の歌にも合わせなければならない。

これが、結構大変。

まず、初見 (始めて譜面を見て演奏すること) が 利かなければ

ならない。

そして、お客さんの声域に合わせるので、

色んなキーで演奏しなければならない。

それに、お客さんの歌のリズムがめちゃくちゃで、

小節を無視したりしても すぐに合わせなければならない。

つまり、合わすということは、歌をよく聴き、他のメンバーの音も

よく聴いている必要があるわけだ。

今思うと、これほどスゴイ訓練はない。

もちろん、皆が皆、ヘタなわけではなく、

中には、とても上手いお客さんもいたよ。

でも、自分の歌が めちゃくちゃなことを棚に上げ、

バンドの方を振り返り、

「こらぁ、ちゃんとやらんかぁ!」 という

たちの悪いおっさんもいた。


酔っ払いの伴奏をするのも

やりたくない音楽を 演奏するのもイヤだった上に、

そこで一緒に演奏ていた人達が、

楽しそうには見えなかったことで、

(こんな仕事はしたくない) と思うようになった。

中には休憩時間中に酒を飲み、「飲まな やってられへん」 と

言いながら、演奏していた人もいた。

結婚して子供もいる人たちの中には、

もう自分がやりたい音楽をやることは、

あきらめているかのように見える人もいた。

ある人は、こんな風に言った。

「楽器持って家 出たら、嫁はん、お金持って帰ってくると

思いよるからなぁ」

やりたい音楽をやるということは、

お金を使う (スタジオ代とか) ということだから、

やりたいけど 出来ない、というわけだ。

そこで私は、音楽を仕事としている人の中に、

「ミュージシャン」 と 「バンドマン」 という2種類の人たちが

いることを知ったわけだ。

バンドマンではなく、ミュージシャンになりたい、と思っていた私は、

バンドマンになってしまうと、好きな音楽ができなくなると思い、

それ以来、そういう仕事はやらなくなった。

(というか、話も来なかったんだけど。)


ず〜っと、(あんな風になりたくないから、ああいう仕事を

しなかったんだ) と思っていた。

でも、先日、そうじゃないことに気付いた。


私は、怖かったんだ。

「出来ない自分」 に直面したくなかったんだ。

色んなジャンルの音楽を どんなキーでも即座に演奏する、

なんてこと、とてもじゃないけど、出来ない。

トラでやっている間は、バンドのメンバーも大目に見てくれていたが、

レギュラーとなると そうはいかなかっただろう。

ずい分叱られることになっただろうし、

クビになっていた可能性も充分にある。

「出来ないこと」 は、「やりたくないこと」 だと決め付け、

そこで 出来るようになることが、自分の演奏の幅を広げること、

未来の自分の能力、財産になるとは考えずに、

自分の未来を小さく考えることしか出来なかった私。

そして、その根底にあったものは、「恐れ」 だった。


一流のミュージシャンの中にも、若い頃、そういう仕事を

していた人たちがいることも知っていたから、

「そういう仕事をする = ミュージシャンになれない」

という式は、成り立たない。

なぜなら、彼らは どんな仕事をしていても

「ミュージシャンである」 からだ。

むしろ、そういう仕事で 鍛えられたであろうことは、

今なら、容易に想像できる。

「でも 20代の頃、私がやりたかったことは・・・」 と言い出せば、

自分の選択は、いくらでも説明が出来そうだが、ひと言で言うと、

“私は、最初から ミュージシャンではなかった” んだ。


これは、過去の自分を非難してるわけでも、反省しているんでもない。

なぜなら、全てこれで良かったと思っているから。

ただ、気付いた内容に驚いたから 書いているだけだ。

あまりに自分が自分のことを知らなさすぎる。

そして、それは、若い頃だけじゃなく、今でもそうなんだろうな、と思う。


さて、冒頭に “今は、「その区別は違うな」 と思う”  と書いた。

今はこう思う。

 演奏家には 2種類いる。
 クリエイティヴに演奏する人と そうでない人。

じゃあ、「クリエイティヴに演奏する」 ってなんだ?

それは、長くなるので またの機会に。





2010.8.29

CREATION

昨日の続き。

「クリエイティヴに演奏する」 とは、どういうことか。

まず、言葉の意味を確認してみよう。

「クリエイティヴ (creative)」 は、辞書を引くと

 創造 [創作, 独創] 力のある, 創造的な

とある。

「クリエイション (creation)」 の形容詞だ。

では、「創造」 「創作」 とは何か。

 創造 : 新しいものを初めてつくり出すこと

 創作 : 新しいものをつくり出すこと


とある。

つまり、「クリエイティヴ (創造的) に演奏する」 とは、

その演奏の一瞬一瞬に新しい音楽を生み出すことに他ならない。

練習したことを 「再現」 するのではなく、

練習したことは全て手放して 音楽を 「創造」 する。

その創造に立ち会った時に、聴き手は感動するんやないやろか。

自分で演奏していても、たま〜にそういう瞬間がある。

(あ、うまくいった!) と思った瞬間に

執着が芽生える。

2回目には、それを再現しようとしてしまう。

そこには、「創造」 は、ない。

今度は失敗したとする。

2回目には、その失敗を避けようとし、つまらない演奏をしてしまう。

そこには、「創造」 は、ない。

うまくいったことに執着し、失敗を嫌悪する創造的ではない

自分がいるだけだ。


では、どうすれば創造的に演奏できるのか。

どうすれば、過去から、演奏するのではなく、

いつもいつも、新しい自分で演奏できるのか。

これは、人生の課題と全く同じだ。

自分を観察する限り、創造の邪魔をしているのは、

「恐れ」 に他ならない。

失敗を、批判を、非難を、人にどう思われるかを

恐れなければ、かなり、創造的になれるんやないやろか。

修行は続く。





2010.8.30

牛丼ひと筋

私が10代だった頃、

牛丼の吉野家の テレビCM は、こんな風だった。

お父さんが、子供 (男の子) へのお土産に

牛丼を買ってきて、それを見た子供がうれしそうに、こう叫ぶ。

「パパ、明日はホームランだ!」

なんとも、のどかでファミリーで 昭和な CM だ。

確か、その後のジングルが、

「牛丼ひと筋、80年」 という歌詞だった。

若い頃にそれを何度も何度も聞いて、すり込まれているので、

今、吉野家が何年目なのかなんて 考えたこともなかった。

おかしなことにずっと、80年だと思っていたんだな。(無意識にね。)

で、今日、吉野家の前で こんな垂れ幕を発見。
   ↓


  『うまい』 の声に
  支えられて、
  百十一年。

(ゲッ! 111年?)

思わず目を疑った。

(そうかぁ〜、「牛丼ひと筋80年」 の CM から、

31年も経ったのかぁ。

この31年間に、私は一体、何杯の牛丼を食したことだろう。)

などと、ひとり、感慨にひたったのであった。

今では、滅多に食べなくなったが、若い頃は、よく食したものよ。


ちなみに、創業 111年ということは、吉野家の1号店の開業は、

1899年 (明治32年) 。

今も 東京 築地で 営業している。





2010.8.31

為せば成る

昨日は、吉野家の1号店が築地にあると書いたが、

日本マクドナルドの 1号店は、どこだったか ご存知か?

1971年、銀座三越店内にオープンした 銀座店 だ。

今から20年ぐらい前に ある講演会で

マック 1号店オープンのエピソードを聞いて、

いたく感動した覚えがある。

割と有名な話なので、ご存知の方も多いと思うが、

ここで紹介しよう。

以下、ウィキペディア から抜粋。

 貿易会社の藤田商店社長・藤田田 (ふじた でん) が
 マクドナルドに着目し、フランチャイズ権を獲得。
 子会社・日本マクドナルド株式会社を設立し、
 1971年(昭和46年)7月20日、1号店である銀座店を
 銀座三越店内に開店した。

 当初米国本社からは、アメリカと同様な郊外型の店舗で
 展開するよう指示があった(交通量の多い神奈川県茅ヶ崎を
 希望したといわれる)。
 しかし、1号店として郊外でなく銀座に拘ったのは、
 「(開店当時は) 銀座が流行の情報発信基地だ、
 銀座で話題になれば商売も必ず成功する」 と踏んだ
 藤田の発案による。

 また、1号店として三越に拘ったのも、
 交差点角という絶好の立地条件から。
 「ここしかない」と、藤田は三越まで直談判に行くが、
 当時藤田と掛け合った銀座店店長で
 後に社長となる岡田茂から、
 「三越の営業の邪魔にならぬよう、
 火曜日朝に開店できるなら
 出店してもらっても構わない」 と
 無理難題を突き付けられる。
 当時、銀座三越は月曜日が定休日で、
 これは 『日曜日の閉店時刻 (18時) から
 火曜日の開店時刻 (10時) までに、
 水周りを含め全ての作業を終わらせた上で
 開店させることができるなら出店を許可する』
 といった意味であった。

 作業できる時間は実質40時間しかなかったが、
 どうしても銀座三越に拘った藤田は、都内のとある空き地で
 銀座三越の出店予定スペースを再現させ、
 作業員に何度も何度もシミュレーションさせた。
 最初は60時間近くかかったが、練度が上昇すると、
 仕舞いには39時間足らずで作業を終わらせることに成功した。



為せば成る、だ。


ちなみに 東京ではマクドナルドを

略して 「マック」 というが、

大阪では 「マクド」 という。

全然 関係ないけど。


ひとりごと  ひとりごと