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海外旅行 3
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2018.10.26

キューバ旅行準備

2月に申込んだ、キューバ旅行が
いよいよ近づいてきた。
今日は、赤羽橋にあるキューバ大使館領事部へ、
ツーリスト・カードと呼ばれる、
入国に必要な書類の申請に行ってきた。
キューバ入国には、30日以内の場合、
ビザは不要なのだが、ツーリスト・カードと
いうものが必要なのだ。

ツーリスト・カードは、
申請に2100円必要で、代理人に頼むと
5600円、旅行業者に頼むと8000円かかる。
赤羽橋なら自分で行けるので、
予め、妻と私の分、2100円×2を振込み、
振込みの控えや、パスポート、申請書などを
持って、キューバ大使館領事部へ向かった。



ここで、ひとつミスを犯していたのだが、
私は全く気付かなかった。
というのは、私のツーリスト・カードの申請は
本人なので、2100円で良かったのだが、
妻の申請は、私は代理人になるので、
5600円振込んでおく必要があったのだった。

窓口でそのことを告げられ、
「申請を後日にしますか?
それとも、今、そこのファミリーマートで
(差額の3500円を)振込んできますか?」と訊かれた。
「今、振込んできます」と、私。
現金では受け付けてくれないのだ。

申請に行く3日前に振込んでおくことと、
なっていたけど、こういう場合は
当日でも許されるようだ。

それにしても、コンビニで振込が
出来るようになったのは、本当にありがたい。
(と、初めて思った。)
近くに自分が口座を持つ銀行がなくても
振込めるんだもの。

4年前のイタリア旅行の時もそうだったが、
今回も行く前に色々キューバのことを
調べようと思っていたけど、
どうやら、このまま、何も知らないまま
行くことになりそうだ。

出発は、11日後です。


パスポートと交付されたツーリスト・カード





2018.11.5



いよいよ明日から、キューバへ行ってきます。
初 カリブです。
初 社会主義国です。

キューバへは、成田空港からまずメキシコシティへ行き、
メキシコシティから、ハバナへと飛びます。
メキシコシティの乗換えで、6時間以上待つので、
ハバナに着くのは、成田を飛び立ってから、
21時間ほどかかります。
家を出てから、ホテルまでだと24時間だろな。

キューバ6泊、帰りに再びメキシコに寄り
メキシコシティで1泊。
合計、7泊10日の旅となります。
時差の関係で、往路はその日にキューバに着くけど、
復路は、計算上、機中2泊となるわけです。

キューバの雨季は終わっているようだけど、
南国なので、雨はそれなりに降るのかもな。
良い天気が続くこと、旅の安全を祈って
行ってきます。
あと、良い音楽が聴けて、
良い写真が撮れますように。

そういうわけで、10日間ほど
この「ひとりごと」の更新をお休みします。





2018.11.15

帰国しました。

スタバも セブンイレブンも マクドナルドも
ない国、キューバ。
旅行中、キューバに対して一体どんなイメージを
持っていたんだろうと、何度も自問自答した。
何か思っていた感じと違う、と思うのだけど、
じゃあどんなイメージを持っていたのか、
言語化できないのだった。

キューバを離れる最後の日、
アメリカのクラシックカー(1953年製フォードの
オープンカー)に乗って、
ハバナ市街から海岸沿いを走った。
車の中から、沿岸道路の堤防に打ち寄せる波が、
堤防を越えて水しぶきを上げるのを見て、
「あ、これや!」と思った。
それは、映画『Buena Vista Social Club』に
挿入されるシーンのひとつだった。

キューバで6泊、最後の1泊は、
メキシコシティ。
ハバナでバス移動を含めた6泊の旅で
ある程度 疲労も溜まってきたところに
標高2,240 m という慣れない環境に。
キューバ4日目あたりから、
お腹の調子が悪くなり、後半はちょっと
しんどい旅となった。

色んなことがありました。
写真を含め、レポートは
少しずつアップしていきます。





2018.11.18

CUBA・MEXICO Tour Report #1

キューバとメキシコのことを書きたいのだけど、
まだ写真の整理ができずにいる。
なにしろ、写真は2,500枚以上あるので、
ちょっと一仕事だ。
来週の3連休には、少し時間が取れそうだから、
少しは出来ると思う。

15日の朝に帰国して以来、体調が優れず
今朝の体重は、旅行に行く直前からすると
4キロ以上落ちている。
旅行中からするとかれこれ1週間以上、
お腹の調子が戻らない。
おまけにどうやら風邪をひいてしまったようだ。

ガイドさん1名(女性)をいれて、
合計12名のツアーだったが、
半分の6名が腹痛や下痢など
体調不良をおこした。
思った以上に、中南米の旅は、
ハードだったのだ。

ガイドのWさん(女性・50代)は、
とてもタフな人で、どこに行っても
体調を崩したことがないのだそうだ。
どこだったか忘れてしまったけど、
5人で行った旅では、4人が酸素吸入を
するまでの状態になったらしいが、
Wさんだけは、平気だったらしい。
旅行ガイドを務めるには、
強靭な身体とどこにでも寝られる、
何でも食べられる精神を
持っていなければならない。
とても、私のようなヤワな人間には
務まらないのだった。

今回の旅で残念だったのは、
自由時間が少なく、あまり写真が
撮れなかったこと。
市街を歩いていても観光客が邪魔で、
(と言っても自分もその一人なのだけど)
思うように良いものが撮れない。
2,500枚と書いたけど、何割かは、
移動中のバスの窓越しに撮影したもので、
バスの窓ガラスに遮光で色が付いていること、
バスが結構スピードを出して走っていたこと、
ゆっくり走るときは、道が悪く
大きく揺れてしまうことなどから、
バスの中からは、満足のいく写真は、
撮れなかった。
中には、編集すれば使えるものも
あるかもしれないけど。
何度も、「あ、バス止めて、ここで降ろして
写真撮らせて!」って言いたい所が
あったのだけど、団体ツアーでは、
そういうわけにもいかない。
写真が目的なら、一人で行くしかないな、
と思ったのでした。




3日目に宿泊したトリニダでの1枚。





2018.11.24

CUBA・MEXICO Tour Report #2
現地ガイドさん、そしてキューバの歴史とゲバラ


キューバ6泊、メキシコ1泊の今回の旅行。
どちらも初めての国で知らなかったことばかりだった。
やはり何ごとも百聞は一見にしかず。
本やテレビからの知識と体験とでは、雲泥の差がある。

キューバでは、キューバ人ガイド Y さん
(43歳・男性)が、ずっと付き添ってくれたのだが、
この人が素晴らしかった。
とてもきれいに日本語を話す人で、
子供の頃の友人が、在日キューバ大使の息子だったらしく、
その友人の影響で日本に興味を持ったとのこと。
20代の時、まだ日本語を勉強する前に一週間だけ
日本に行ったことがあるけど、
日本語は、キューバにある外国語学校で
マスターしたらしい。
先生は、日本に留学経験のあるキューバ人だったらしいが、
この先生も素晴らしかったんだろうな。
20代後半から、日本語を学び始めて、
あんなに話せるようになるんだから、
本当に凄いと思う。

キューバ最終日の夜、ハバナ空港へ向かう
バスの中での Y さんの挨拶が素晴らしかった。
大体こんな内容。

「キューバの旅が皆さんの良い思い出になれば嬉しいです。
キューバには、まだまだ問題があります。
でも、キューバ人は、私個人も、
キューバはこれから必ず良くなっていくと信じています。
キューバ人の強みは、待つことです。
ヒッチハイクするために、
いつ乗せてもらえるか分からない車を
道路で待ち続けるように、キューバ人は待ちます。
このまま社会主義のままなのか、
資本主義になるのか、未来を予測することは出来ません。
でも、いずれにしろ良くなっていくと信じています。
そして、どんな風に変わっていったとしても、
私はいつでも、皆さんを両手を広げて待っています。」


文章にすると伝わらないだろうけど、
この「キューバ人は待つ」と、
「皆さんを両手を広げて待っています」という言葉に
とても心を打たれた。
バスを降りて握手をしたときに思わず、
落涙したほど感動的だった。

その背景には、数日間の滞在で
ほんの少しだけど、キューバのことを
知ったからということも大きい。
確かにキューバの人々は、
ずっと待ち続けているんだ。

キューバは、15世紀の終わりに
コロンブスによって「発見」された。
(そもそも、この「発見」ってなんなんやろな。
完全に西洋人目線やん。)
そして、その後スペインに支配される。
原住民は、植民地化が進むうちに
スペイン人による虐殺、虐待や疫病によって
そのほとんどが絶滅したという。
それからスペインの支配が続き、
19世紀、独立戦争の末、独立ではなく、
今度はアメリカの支配下におかれることになる。

1953年、フィデル・カストロらが
革命を試みるが失敗に終わり、投獄された。
その後、恩赦により解放されたカストロは、
メキシコに亡命、そこでアルゼンチン人の
チェ・ゲバラに出会うわけだ。

1956年12人乗りの船(グランマ号)に乗った
カストロ、ゲバラら 82人が、
メキシコからキューバに向かい上陸。
12人乗りの船に82人・・・。
もう革命以前にその航海が命懸けです。
(そのグランマ号もハバナの革命博物館で
見て来たのだけどなぜか写真が見当たらず。
革命博物館に行った時、腹具合が悪かった影響大。)

1958年、ゲバラらが、政府軍の武器と兵士を
乗せた装甲列車を転覆させたゲリラ作戦の
現場にも訪れた。(サンタ・クララ)



当時、ゲバラらが襲ったコンテナが、
そのまま展示されている。
コンテナに残された弾痕が生々しい。



線路を剥がして、列車を脱線させたブルドーザー。



武器が十分にない、革命軍は
火焔瓶で列車の中から、
敵兵士を追い出させたとか。



カナダドライのジンジャエールとコカコーラの瓶です。

公園に作られたモニュメントは、
「爆発」を表しているとのこと。



コンテナの色を塗り直している職人さんたちに
カメラを向けると頼んでないのに整列。



この後、ツアー一向と記念撮影。
人懐っこい南国人という印象。

話を革命に戻すと、
いよいよ1959年に革命政権が誕生した。

キューバ人でもないのに、命を懸けて
闘ったゲバラの、キューバにおける扱いは
相当なもので、あちこちにゲバラの肖像画が
見られた上、サンタ・クララの霊廟と
ゲバラ博物館も大変立派なものであった。
残念ながら、霊廟は改装中で中には
入れなかったのだけど。



この下に霊廟と博物館。
壁沿いに小さく写っているのが人だから、
その大きさが分かってもらえると思う。
なお、博物館も霊廟も館内は撮影禁止。

こちらは、ハバナのゲバラの邸宅。



ベッド。



あんまりここで寝てないんだろうな。
ベッドの上の写真は、このベッドに
腰かけてカストロと話すゲバラ。

ハバナ、革命博物館のゲバラの顔の像。



こちらも革命博物館内、やや微妙な人形。



ハバナ、革命広場前の内務省の建物。



パラデロのショッピングモール内のお店の壁。



サンタ・クララの役所の前。
右手に葉巻、左手に子供を抱えるゲバラの像。



花が手向けられています。
ここは、ゲバラと手をつないで写真を撮れる
スポットとして、ゲバラ・ファンには有名なようだ。

サンタ・クララの街中、
ゲバラの肖像を飾る商店。




今回のキューバ旅行を言い出した人が、
若い頃からのゲバラ・ファンであったので、
旅行会社のツアーではなく、特別に組まれた、
ゲバラ所縁の土地を訪れる旅だった。
もちろん、ゲバラ以外にもヘミングウェイの家や、
ハバナクラブ(ラム酒)の博物館、
キューバ最大のリゾート地バラデロなどにも
行きました。

ちなみにゲバラはキューバ革命の直後、
1959年7月に来日している。
来日中、予定にはなかった広島へ行きたいと
言い出し、予定を変更し広島平和記念公園や
原爆資料館、原爆病院を訪れたという。
当時は、日本でのゲバラの知名度は低く、
ほとんど報道されなかったようだけど。

ガイドの Y さんの話では、
ゲバラと並んで(というかキューバ人には
ゲバラ以上に)の人気のある革命兵士が、
カミロ・シエンフェゴス。
カストロが、富裕層の人間であったのに対し、
カミロは、庶民階層出身。
革命後28歳で飛行機事故で死亡。
機体も死体も見つかっておらず、
事故なのか、殺されたのかも不明。
謎の死を遂げていることもあってか、
キューバでは英雄視されているそうだ。
残念ながら、カストロは長生きしたためか
そういう意味では、あんまり人気はないらしい。





2018.11.28

CUBA・MEXICO Tour Report #3
何も知らなかったキューバ


キューバについては、何も知らなかった。
まあ、今もほとんど知らないのだけど。

スタートは数年前に観た
「BUENA VISTA SOCIAL CLUB」。
とにかく、漠然としたあこがれだけで、
行きたいと思っていたら実現したのだった。

2015年オバマ政権時代の米国とキューバが、
54年ぶりに国交を回復したが、
トランプが大統領になってから、
両国の関係は、良好とはいえないようだ。

たかだか6泊だけだが、私が見てきた
キューバは、先進国という感じではなく
これからの国という印象だった。
マニラ(フィリピン)もそんな感じだったが、
フィリピンには勢いを感じた。
キューバには、勢いよりも、
戸惑いのようなものを感じた。
キューバ人ガイドのYさんが言っていた、
「キューバ人は待っている」という言葉が
ピンとくる。
何かを待っている感じ。

1990年代の社会主義国の崩壊は、
キューバに大きな影響を与えた。
Yさんの語るキューバの歴史を
聞いていると、外国や世界情勢に
翻弄され続けてきたんだと思った。
もちろん、どこの国だって世界の
影響を受けているんだけど、
日本のそれとは、文脈が違うような気がする。

物がない国で、今も配給制度がある。
ガイドのYさんに実際の配給手帳も
燃せてもらったが、配給も有料で、
十分ではないらしい。


配給に並ぶ人々。

ツアーで一緒だったSさん。
ホテルの部屋でお香を焚こうと
100円ライターを持っていたのだが、
帰り、ハバナからメキシコシティへ
飛ぶときに空港の手荷物検査で
取り上げられた。
キューバに入国する際は、
引っかからなかったのに。
ツアーメンバーの一人が、
道端で、100円ライターを修理して
売っている人を見かけたという。
100円ライターは貴重な物資なのだろう。

みやげ物は、ラム酒(ハバナ・クラブ)と
葉巻以外は、美術品(オブジェや絵画)が
目立ったが、大したものはない。
みやげに買ってきたTシャツは、
(帰国後気付いたのだが)Made in China、
Made in Bangladesh だった。
(1枚、キューバ製らしきものもあった。)

おばさん(というよりはおばあちゃんか)が、
ストリートで演奏している音楽に合わせて、
近づいてくる。
気が付くと私も手に手を取って踊っていた。
数十秒も踊ると、手を出して
「はい、お金ちょうだい」
(実際は、何と言っているのか分からない。)

葉巻をくわえ、オシャレをしたおじさん、
おばさんが一緒に写真を撮ろうと
寄ってくる。
写真を撮れば、チップを払うのだ。

これは、文化なのだろうし、
立派な仕事なんだろうけど、
日本ではあまり見かけないことなので、
戸惑ってしまう。
(日本でも着物を着て、外国人と一緒に
記念撮影して、お金をもらっている人が
いるかもしれないけど。)

キューバでは、外国人用とキューバ国民用と
2種類の通貨がある。
外国人用のペソは、CUC(クック)といって
1CUC=1USドル。
私がハバナで両替した日は、
手数料を入れて、1ペソ=約118円ほどだった。
キューバ国民が使うのは、人民ペソ(CUP)。
1CUC=24人民ペソ。

500mlのペットボトル入りのミネラル・
ウォーターは、街中で、0.5 CUC(約59円)。
ホテルやレストランでは、
2〜3 CUC(236〜354円)。
この水が、飲めなくはないが、あまり美味しくない。



そして、クレジット・カードはほとんど使えない。
バラデロというリゾート地の
ショッピングモールで、一度 VISA を
使ったが、20%ぐらい高く取られてしまった。
説明を求めると、米国ドル換算になるとかで
この値段になる、と言われた。
やり取りは、英語でも大変なのに、
スペイン語なのでもっと大変だ。

食べるものは、一度も美味いと思わなかった。
フルーツもイマイチ、水くさいスイカ、
味の薄いメロン(?)、パイナップルは、
まあまあだったな。







そこら中の道端で、ヒッチハイクのために
人が立っている。
交通が整備されていないのだ。
自動車を持てない人たちも多いのだろう。

アメ車のクラシック・カーで
タクシーをやっている人たちは、
外国人相手なので、稼いでいるようだ。



私達もオープンカーでハバナ市街を
30分位周ったけど、なんとなく、
渋谷界隈を走るゴーカートに乗った、
外国人をバカにできないような気がした。



ハバナから車で少し走ると、
さとうきび畑と時々マンゴ畑、
そして牧場、たまにジャングル。
ほとんど山はなく、平地。
信号もほとんどない。



トリニダという海辺の街のホテルでは、
ちょっと雷が鳴ったなと思ったら、停電した。
もう、辺りが暗くなり始めた頃で、
客室内は真っ暗。
夕食前だったので、このままだと
食事にありつけないかもと心配した。
復旧までに30〜40分位、外にあるバーで過ごした。
バーテンダーに「モヒート」を
注文したら、「今、それどころちゃうねん」って
(スペイン語で)言われた。
停電も珍しくないのかもしれないな。

イタリアや、フィリピンでも見かけたけど、
便座のないトイレが多い。
今回、ついに便座のないトイレで、
用(大きい方)を足した。
腰を浮かしたままするのだが、
やれば出来るもんだ。
でも、腰痛持ちは無理だろうな。



キューバではないけど、
ツアー最終日の朝、メキシコのホテルで、
うっかりチェック・アウトしてから、
朝食のビュッフェへ行った。
レストランに入る時、ルームナンバーを
訊かれたので答えた。
食べ終わる頃、ボーイが伝票を持ってきた。

朝食付きの宿泊だったのだが、
どうやら、チェックアウトしたので、
有料だと言っているようだ。
日本であれば、コミュニケーションで
なんとかなりそうなことだけど、
これまたスペイン語だ。
先にチェックアウトしてしまった、
私の不注意だ。
仕方なく、2人分で3,000円ぐらい払う羽目に。

(訂正 2018.11.30)
旅行中のメモを見ると「2人分で300ペソ」とあった。
1円=6.7ペソ ぐらいだったから、
「2,000円ぐらい」の間違い。


考えてみたら、あれで無料で朝食が
食べられるなら、泊ってもいないのに
適当なルームナンバーを言えば、
良いということになってしまうもんな。

食事は、キューバよりは少しは美味しかったけど、
また食べたいと思うものはなかった。







メキシコでは、レストランで演奏していた
バンドが、私たちが日本人だと知ると
『川の流れのように』をラテン・アレンジで
日本語で歌ってくれた。
もろ、観光客対応な感じで、
あんまり嬉しくなかった。
まあ、観光客なんだけど。



キューバも道は悪かったけど、
メキシコも道が悪い。
ティオワンカン遺跡近くの道が、大きめの
丸い石を敷き並べたようなガタガタ道だった。
観光客が来る、こんなところぐらい、
道を整備したらいいのに、と思っていたら、
ガイドさんの話のよると、
平らな道にすると、メキシコでは、
とたんにレース場になってしまうそうで、
わざとガタガタの道にしているそうな。

メキシコなどに海外出張慣れしている人の勧めで
トイレット・ペーパーを持って行った。
日本のトイレット・ペーパーは優秀だ。
海外旅行に行く際は、持って行った方が良い。
行きはトランクも空いているしね。

思いつくままにキューバ、メキシコでのこと、
その印象を書いた。
レポートは、まだ続きます。





2018.11.29

CUBA・MEXICO Tour Report #4
ミュージック編


本当は、ハバナの現地の人が聴きに行くような
ライヴ・スポットに行きたいと思っていたけど、
ツアーでスケジュールが組まれている上、
体調不良などもあって、叶わなかった。
ただ、あちこちで生演奏には接することが出来た。
良く演奏されていた曲は、世界的に有名だからか
ラテンの超スタンダード、"Quien Sera"、
"Quizas, Quizas, Quizas"、
"Besame Mucho" あたり。

この写真は、キューバのレストランでの一コマ。



バンドメンバーに促され、ボンゴを叩いた
こういうのは、単純に楽しい。

こちらは、ツアー最終日、メキシコのレストランで。



この時は、バンド・メンバーに
呼ばれたわけでもないけど、
パーカッショニストが、ボンゴの前を離れて、
他の客の相手をしているうちに、乱入。
帽子は、バンドの人が被せてくた。
隣のテーブルのフィリピン人観光客に
凄くウケて、写真をバチバチ撮られたので、
今頃、フィリピンでは有名な
パーカッショニストになっているだろう。(嘘)

キューバのみやげ屋で、女性店員に勧められたCD。



新品(だと思いたい)のはずなのに、
袋にも入っていないし、封もされていない。
聴いてみると、ご機嫌なキューバン・ミュージック。

ググってみると、ジャケットの人は、
ダヴィ・カルサド(David Calzado)という人。
今年61歳のベテランのようだ。
このアルバムは、ダヴィ・カルサドがらみの
ベスト盤のようで、disk union のサイトでは、
2,257円で売られていたようだけど、
現在は注文不可になってた。
「おお、日本では入手困難か」と思ったら、
Amazon では、中古盤が529円で売ってた。
それどころか、Amazon Music Unlimited で
(ただで)聴けるやん!
CD代、いくら払ったか覚えてないねんけど、
1,500円くらいだったような気がする。

ダヴィ・カルサの音楽は、
「Timba(ティンバ)」と呼ばれる
サルサの発展形。
ティンバって、初めて知った。
あんまりサルサとの違いが分からないけど。

もともとキューバで、スペイン+アフリカで、
「ソン」が生まれ、そこにアメリカの要素も
加わって、「サルサ」になって、
そこにもっと現代の音楽の要素が加わり、
複雑になってきたのが、
「ティンバ」ってことかな。
めっちゃ大雑把やけど。

これは、CDショップの前にあった
「5 LEGENDS OF CUBAN MUSIC」と
書かれた看板。
「BUENA VISTA SOCIAL CLUB」の面々です。



この壁画は、ちょっとオマーラ・ポルトゥオンド
にも見えるんやけど、違うかなぁ。(ハバナ市内)




余談だが、スペイン語ってほとんど
ローマ字読みでOKらしい。
「David」は、英語なら「ディヴィッド」だろうけど、
スペイン語では、「ダヴィ」。
最期の「d」は発音しないようだ。
ローマ字読みなので、「Cuba」は「クゥーバ」。


あんなにしんどい旅行で、
途中でもう帰りたいと思ったのに、
なんだか また行きたくなってきた。
今度行くとしたら、ハバナだけに絞って、
数日間滞在したいな。
観光ツアーではなく、もっと現地に触れたいと思う。





2018.11.30

CUBA・MEXICO Tour Report #5
成田からハバナへ


すでにキューバのことを大分書いたのだけど、
今日は、初日のことを書こう。



11月6日。
成田からメキシコシティまで約12時間のフライト。
航空会社は、「AERO MEXICO」。
メキシコとは読まず、「アエロメヒコ」と読むようだ。
メキシコシティまで、一睡もできず。(意外にデリケート)
機内で映画3本観賞。

メキシコシティでハバナ行きへの乗換に
6時ほど待ち時間があった。
一緒に行った人が、空港内のラウンジに
入れるカードを持っていたので、
ゲスト扱いで一緒に入れてもらった。
空港のラウンジって初めて入ったけど、
飲み物も食べ物も無料の上、
何時間 いても良いようで、
旅の多い人にはありがたい施設だと思った。

メキシコシティから、ハバナまで、約3時間。
機内でワインを飲もうとしたら、なかったので
メキシコのビールを飲んでみたら、
薄くて美味しくなかった。



ここでやっと1時間ほどうつうつした。

ハバナ空港に着いたのが、現地時間の22:30頃。
空港内がやたらと暗い。
日本でいうと営業を終えた何かの施設のようだ。

夜遅かったからか、混んでいると聞いていた、
空港の外にある両替所は、がら空きだった。
っていうか、そんな時間(23時ごろ)でも
開いてるのにもビックリ。

ガイドさんが「物価が安い上、
そんなにお金を使うところがないので、
1万円ぐらいで十分でしょう」と言うので
1万円をキューバ・ペソ(CUC)に両替。
妻の分と合わせて、2万円=170.45CUC。
CUC は、USドルと同じということだが、
この日のレートは、手数料込みで
1CUC=117.3円。
私は2万円で両替したが、
1万円だけ両替した人とレートが違っていた。
どういう計算か分からないけど、
手数料が違ってくるのかな。

1万円では、すぐに足りなくなり
後日、追加で両替したが、それは、
ショッピング・モール内にあった
両替所で、1CUC=117.9円。

空港から、ホテル(Hotel Nacional de Cuba)
まで バスで約30分。
空港の外も暗い。
ホテルに着くまで、日本では考えられないくらい暗い。
外灯が少ないのだ。
昭和40年代前半の日本のようだ。
あの頃って、夜出かけるとき、
懐中電灯持って出たもんね。
車もあんまり走っていないし、信号もほとんどない。
日本が明るすぎるのかもしれない。

ホテルに着いたのは、家を出てから
26時間ぐらい経ってたということか。
まあ、メキシコで6時間待ったからな。

Hotel Nacional de Cuba は、
5つ星ホテルだが、1930年の建物らしく、
歴史を感じさせる。
違う言い方をすると、古臭くて
日本的な最新設備完備のホテルとは程遠い。
そんなもの求めるなら、キューバに
行ったらあかんのやろな。

ホテル外観





室内



部屋からの朝の眺め(確か7階だったと思う)



ロビー



なんと、ロバート・プラントが泊ったようで、
写真とサインが!



98年に泊ったということなのかな。





2018.12.7

キューバの写真

キューバの写真を A4にプリントし、
額に入れて飾ってみた。



この写真では、伝わらないだろうけど、
自分で言うのもなんだが、とても良い。
これなら、人に見せても恥ずかしくないだろう。
専門家が見たらどう思うか分からないけど。

旅行中は、自由時間が少なくて
思う存分写真を撮れなかったのだけど、
4年前のイタリア旅行の時の写真と比べると
使えそうな写真が多いのには驚いた。
これは、私の腕が上がったというより、
明らかにキューバという国自体が
フォトジェニックである証拠だろう。
鮮やかな色の自動車、古い建物、
強い日差し、青い空、黒い肌、そして、
日本がもう失ってしまった何か・・・。

やっぱり、もう一度、キューバに行きたいなぁ。
今度は、正露丸持って行こ。

写真の専門書を読んでいると、
プリントまでして、撮影が完了すると
いうような事が書いてる。
撮って、PCのモニターで眺めているだけではなく、
紙にしてみないとその写真の良し悪しは
分からないということなのだろう。
確かにモニターで見ていると、
良い感じなのにプリントするとイマイチだったり、
それほど良いとは思えなかった写真が、
プリントすると凄く良く見えたりする。
上の写真は、モニターで見ていた時より、
プリントしてみると数段印象が上がった例。

撮った時に、上手く撮れたと思う写真は、
悪くはないけど、時間が経つと、
それほど面白くないということにも気付いた。
あまりに作為的なもの、狙ったものは、
ただきれいなだけで、絵葉書のようになってしまい、
「作品」としてのパワーに欠けるのかも知れない。
ちょっと、色々分かってきた。





2018.12.13

キューバの写真 2

会社の廊下は、さしずめプチ写真展状態です。
(3枚ともキューバで撮った写真。)







2018.12.17

CUBA・MEXICO Tour Report #6
雨男とピラミッド


11月に行ったキューバ・メキシコ旅行。
まだ色々書きたいと思っているうちに
もう帰国してからひと月以上経ってしまった。
そのうち、何を書きたかったか忘れてしまうで。

さて、私はいつの間にか雨男になり、
旅行に行けば、実に8割ぐらいの確率で
旅行中に一度は、雨に見舞われるようになった。
屋久島、八丈島を訪れた際には、
嵐を呼び、帰りの飛行機が飛ばず、
延泊を余儀なくされた。
別名「嵐を呼ぶ男」との異名も持つ(嘘)。

そんな私が、7泊もする海外旅行で、
雨に遭わないわけがないと思っていたのだが、
キューバでは、晴天に続く晴天。
2回ほど、バスで移動中に軽く雨が降ったが、
目的地に着くと、そこは降っていないという、
奇跡の旅だった。

ついに雨男返上かと思いきや、
旅行最終日のメキシコでついに雨が。

ランチを食べるレストランに着くころには、
雨が降り始めていた。
その日の予定は、午後からティオワンカン遺跡の
ピラミッドへ登るという。
数日にわたる体調不良で、その前夜の夕食も
食べていなかった私は、疲れと遺跡への
興味のなさから、心の底でこのまま
どしゃ降りになり、ピラミッド見物が、
中止なればいいと自分勝手なことを思っていた。

しかし、雨は上がらず、中途半端な降り方のため
ピラミッド見物も中止にならなかった。
雨の中、売店で薄いビニールの雨がっぱを購入した
ツアー一行は、ティオワンカンの遺跡のメイン
「月のピラミッド」 「太陽のピラミッド」 を
目指したのだった。

遺跡に入ってすぐ、高校生の遠足だろうか
メキシコ人らしき学生の団体に会った。
その中の女子3人と男子1のグループが、
私に「一緒に写真を撮ってくれ」と
言ってきたので、撮ってもらうことにした。
「キミたちの写真も撮らせてくれ」と
頼んで撮ったのがこの写真。



一緒に撮れば良かったと後になって思ったが、
その時はふと「カメラを渡してはいけない」という
旅行者への注意書きを思い出したのだ。
写真を撮ってあげるからと言われ、
カメラを渡すとそのまま走って逃げられる
こともあるからだ。
でも、この子たちだったら、
そんな心配なかったのにな。

ちなみに「写真を撮らせてほしい」とか
そんな会話は、全部スペイン語なので、
私には全く分からないのだけど、
不思議なことに、ほとんど雰囲気だけで
通じ合えるのだね。

この子たちと写真を撮った時は、
雨は一時 止んでいたのだけど、
その後、また降り出した。

小雨降る中、結構歩いて
「月のピラミッド」に到着。



このピラミッドは、途中までしか登れないのだが、
階段の一段一段がやたらと高く、
急こう配なので、ロープにつかまって登り降り
しないととても危険だ。



登った上で記念撮影。
雨のピラミッド登頂記念。



前列、右から3番目の紺色のウインドブレーカーを
着ているのが私。
他の人が来ているピンクの雨ガッパは、
現地の売店で調達したもので、
何人かは、買ってすぐ、着ている時点でどこかが
破れてしまうというとんでもないカッパだった。
後ろに見えるのは、「月のピラミッド」の
頂上部だが、現在は登れない。

「月のピラミッド」から「死者の道」と
呼ばれる大通りを2キロほど歩いたところに
あるのが、「月のピラミッド」より
大きい「太陽のピラミッド」。
(世界で3番目に大きいピラミッド。)



こちらは、頂上まで登れる。
頂上まで登れるピラミッドとしては、
世界一の大きさらしい。(高さ65m)

もうツアーの皆もさすがに登る元気がなく、
元気な3人だけが登りに行ったよ。
もちろん、私も妻もバスに戻った。

遺跡には、興味がないと書いたけど、
話を聞くと、このティオティワカン遺跡は
実に興味深い。
紀元前に繁栄した都市なのだけど、
文字が残っていないので、何もかも謎らしい。
「テオティワカン」という名前でさえ、
12世紀にこの遺跡を発見したアステカ人が
命名したのだという。
今では、世界遺産です。

マヤ文明やインカ文明は、聞いたことがあったけど、
ティオティワカン文明は、全く知らなかった。
でも、写真を見た知り合いの一人は、
「ティオティワカンに行ってきたんですか!」
と言ったので、やっぱり知ってる人は知ってるんやね。

雨のため、遺跡の写真がほとんどないです。







ひとりごと