2025年2月
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2025.2.1
カレーはスポーツだ! #84
キャベカレ / アカシア(五反田JPビル店)
★★★☆☆
旧ゆうぽうとあとに昨年オープンした
五反田JPビルディング。
その1階に「五反田食堂」という名の
フードホールがある。
「フードコート」ではなく「フードホール」らしい。
何が違うねん、と調べてみたら、
営業時間(フードホールの方が長い)、
店舗専用座席の有無、フードコートは、
ファストフードが多く、フードホールの方が、
お値段高め、などの違いがあるようだ。
その「五反田食堂」内にある、新宿が本店の
洋食店「アカシア」の「キャベカレ」、
税込1,150円也。
「キャベ」は、ロールキャベツのことで、
「アカシア」は、ロールキャベツシチューが
売りの店のようだ。
写真のように、「キャベ」がメインで、
カレーは少なめ。
カレーは、ほとんど辛くなく、香辛料に敏感な
私の頭部の汗腺も反応しなかったほど。
ハンカチを使わず、カレーを食べることなんて
滅多にないよ。
ロールキャベツは、普通に旨かったけど、
シチューがやや甘め。
どうしてもその甘いシチューとカレーが
混ざってしまう。
これは別々に食べる方が良いと思ったのでした。
2025.2.2
リンダ・ロンシュタット
サウンド・オブ・マイ・ヴォイス
Linda Ronstadt: The Sound of My Voice
2022年公開時、劇場で観たいと思いながらも
見逃してしまったリンダ・ロンシュタットの
ドキュメンタリー映画『リンダ・ロンシュタット
サウンド・オブ・マイ・ヴォイス』を 観た。
高校生の頃、リンダの『It's So Easy』が
大好きでシングル盤のレコードを買った。
当時のお小遣いでは、LP は中々買えなかったんだ
この映画は、リンダの生い立ちに始まり、
LA に出てバンド(トリオ)でデビュー、
その後、ソロになってからの活躍から、
パーキンソン病になり、思うように声が
出なくなり、引退することまでが描かれている。
ご本人はもちろん 登場人物は、ジャクソン・ブラウン、
ライ・クーダー、ドン・ヘンリー、ボニー・レイット、
ドリー・バートン、エミリー・ハリス、J.D.サウザー、
カーラ・ボノフなど 超豪華。
そのほかにも演奏シーンや写真では、
グレン・フライ、ニール・ヤングも。
ドリー・バートン、エミリー・ハリスとのトリオの
ライヴ(TVショー)では、バックバンドに
デビット・リンドレーやリーランド・スカラーらしき
姿も見え、ウエスト・コースト・ミュージック
ファンにはたまらない内容となっている。
若い頃、イーグルスはリンダのバックバンドだったと
雑誌で読んだような気もするが、
ドン・ヘンリーご本人の口からそのことが
語られるのを聴けることは貴重だろう。
リンダが、ただのカントリーロックや
ロックンロールに収まらず、オペラまで
歌っていたのは知らなかったので驚いた。
1983年にジャズ・スタンダードを唄った
アルバム『What's New』を聴いた時には、
まだ若かった私は、退屈だと思った。
オペラの公演中に母親が亡くなり、
死に目に会えなかったリンダは、
母親が好きだったジャズを唄おうと思ったのが
あのアルバムのスタートだったんだな。
レコード会社の反対を押し切り、
ネルソン・リドルに直接、編曲を頼み、
実現させたんだ。
オペラ、ジャズの後1987年には、
父親から教わった曲を歌いたいと、
自身のルーツでもあるメキシカン・ミュージックの
アルバム『ソングス・オブ・マイ・ファーザー /
Canciones De Mi Padre』をリリース、
ツアーを行った。
これも当初はレコード会社の反対にあったようだが、
リンダは決めたら突き進む人だったんだ。
結果、アルバムは歴代1位のスペイン語の
アルバムになったという。
ミュージシャンのドキュメンタリー映画というと
酒やドラッグ、異性関係などの
ダークサイドも描かれることが多い。
もちろん、その人の生き方が音楽に現れるのは
間違いないけれど、『ホイットニー
オールウェイズ・ラヴ・ユー』のように
ダークサイドに焦点をあてた映画は
観ていてしんどいし、観たくない。
本作は、リンダの恋愛についても触れているが、
あくまでも彼女の音楽が中心で、好感が持てる。
引退した彼女の言葉が印象的だ。
「たくさんの夢を叶えられて私は幸運だった。
死んだあとのことはどうでもいいの。
大事なのは存命中よ。
何をするか。どう生きるか。」
リンダは、現在 75歳。
最後には2019年に撮影された、
いとこと甥とのハーモニーが聴ける。
ところで『It's So Easy』は、リンダのオリジナルだと
思っていたら、1958年のThe Crickets
(バディ・ホリーがいたグループ)がオリジナルだった。
作詞作曲は、バディ・ホリーとノーマン・ペティ。
あまり売れなかったみたいだ。
1977年のリンダのカヴァーは、
ビルボード・チャートの5位に入った。
リンダのヴァージョンの方が、ややテンポが遅く
重たい感じで好きだな。
★★★★▲
2019年製作/93分/アメリカ
原題:Linda Ronstadt: The Sound of My Voice
劇場公開日:2022年4月22日
Amazon Prime Video で鑑賞
2025.2.4
2025
今年は西暦 2025年。
その「2025」という数について、
ネットで読んだ、役に立たないけど、なんか面白い話。
「2025」は、平方数だ。
中学の数学で習ったんだろうけど
完全に忘れている平方数。
ある数字の二乗であることを平方数というのだけど、
2025は、45番目の平方数。
つまり、そのルートは「45」。
(45×45=2025)
(平方根というときは「−45」も含む。)
西暦が、平方数であった前回はというと
(44×44=)1936年だったわけだから、
平方数の西暦は 89年ぶりなんだな。
そして、次の平方数になる西暦は、
(46×46=)2116年なので、91年後。
2025のルートが「45」と書いたけど。
この「2025」という数を二桁ずつ分けると
「20+25」で「45」になる。
(20+25)×(20+25)=45×45=2025
こんなことになるのは、1000年後の
3025年なんだ。
(30+25)×(30+25)=55×55=3025
さらに「2025」という各数字に「1」を足すと
(2+1), (0+1), (2+1), (5+1)
「3136」という数になるけど、これまた平方数なんだ。
3136=56×56
次にこんなことが可能になる年は、11200年後の
13225年!(13225も平方数。)
「13225」の各数字に「1」を足すと「24336」。
24336=156×156
こんな風に「2025」という数字は
面白い数なんだ。
まだまだあって「1から9の立法数の和が2025」なる。
(1×1×1)+(2×2×2)+(3×3×3)+......+(9×9×9)
=2025
さらに!
九九表の81個の数、つまり1の段から
9の段まで 81ある掛け算の答えを
全部足すと「2025」になる!
そして、九九表の数の平均は「25」で
数字は全部で「81」個あるので、
「25×81」も「2025」になるんだ。
「2025」は、そんな特別な数字だったんだ。
2025.2.5
The Mother as a creator
母親如同創造者
創造者としての母
5年ほど前にニコラス・ニクソンという写真家が、
4人の姉妹を1975年から2017年まで42年間
撮り続けた、その写真集について書いた。
(そのときのエントリー)
久しぶりにその写真集
『LAS HERMANAS BROWN 1975-2017』を
取り出し見直してみたが、5年前同様
よく分からないけど、またもや泣けてきた。
不思議な写真集だ。
さて、今日取り上げるのは、台湾・台北生まれの
Annie Hsiao-Ching Wang(アニー・シャオチン・ワン)
というアーティスト。
写真だけではなく、油絵なども描いている人のようだ。
偶然私がネットで見つけたのは、
彼女が出産予定日の前日に撮ったという
セルフポートレイトだった。
翌年、彼女はその写真の前で、
息子とふたりで撮影をした。
その翌年には、前年の写真の前で撮影した。
同様に彼女と息子は、撮り続けた。
毎年というわけではないが、2001年から
2022年までの12枚の写真が公表されている。
前年の写真には、それ以前の写真も
写っているわけなので、1枚の写真に
現在と過去が、共存している不思議な
写真が、撮影の度に新たに撮られていくわけだ。
当然、子供は成長し、母親は老いて行く。
ニコラス・ニクソンの場合は、自分ではなく
奥さんとその姉妹を撮り続けたわけだが、
アニー・シャオチン・ワンの場合は、
自分と息子であり、同時に過去の
自分たち親子というわけだ。
はじめの頃の数枚はそうでもないが、
途中から、ちょっとポーズや小道具に
作為的なものを感じるのは私の好みではないが、
この視点は、ユニークで興味深い。
写真は、コンピュータのモニターを通してしか
観ていないので、写真展で実際に
プリントされたものを観たら、きっと印象が
違うものになるだろうと思う。
(1枚1枚が大きいのも特徴だ。)
下のリンクから、その写真を観られるので、
ぜひご覧いただきたい。
↓
The Mother as a creator
写真とは関係ないが、上記のサイトには
台湾語(たぶん)と英語で解説がある。
日本語表記(Google による自動翻訳)に
すると、台湾語と英語で訳が微妙に違う。
英語の方が自然な翻訳に感じる部分が多い。
例えば。
【台湾語の日本語訳】
2000年に妊娠して以来、私は不快な妊娠症状と
母親になることの無私の運命への恐怖の下、
芸術的創作を通して母親としての自己同一性の
可能性を維持しようと努め始めました。
【英語の日本語訳】
2000年に妊娠して以来、私は妊娠の痛みと
自己感覚を失うことへの恐怖に悩まされてきました。
そこで、母親としての自己感覚を保つために
芸術創作を利用しようとしました。
【英語】
Since getting pregnant in 2000, I had been
burdened with pregnancy pains and
the fear of losing my sense of self,
and so I attempted to use art creation
to preserve my sense of self during motherhood.
英語の訳の方が自然なのは、英語の方が、
きっと頻繁に利用されているだろうから
その分、自動翻訳が進歩しているということだろうか。
2025.2.7
理想の夫
先日、食事した寿司屋のトイレの壁に
額に入れて飾ってあった「理想の夫」。
理想の夫
一、慈悲と真心とを常に持ち合わせている夫
一、無断で外泊せぬ夫
一、時代の進歩に伴って進む夫
一、親に孝行、目下に親切な夫
一、何となく大きな感じのする夫
一、快活で気品の高い夫
一、男らしくって同情心に富んだ夫
一、生活に不安を与えぬ夫
一、言い出さぬうちから妻の心を察する夫
一、仕事を楽しみ家庭の和楽を図る夫
一、ニコニコしていながら締りのある夫
誰が書いたか分からないけど、
「無断で外泊せぬ夫」以外は、
どれも抽象的で、なんだか良く分からない感じ。
特に「何となく大きな感じのする夫」は
ほぼ意味不明だな。
でもまあ、言いたいことが分からないでもない。
人によって意味合いが違ってくるだろうけどね。
この中で、最も難しそうで、そしておそらくは
世の中の多くの妻達が望むであろうことが
「言い出さぬうちから妻の心を察する夫」
私?
私はいつも妻の心をお見通しさ!
2025.2.9
TRES W
沖仁×大萩康司×小沼ようすけ
昨日は、2年ぶりに「TRES」の
コンサートに行ってきた。
「TRES」は、フラメンコ・ギタリストの沖仁、
クラシック・ギタリストの大萩康司、
そして、ジャズ・ギタリストの小沼ようすけによる
ギタートリオ。
「TRES W」とあるので、4年目なんだな。
2022年、2023年と聴きに行ったのに
なぜか昨年は行かなかったんだ。
2023年のエントリーに
「次回は同じヤマハホールでも、
1階席の前の方で聴きたいな」と
書いていたけど、それが叶い、昨日は
前から3列目という良い席だった。
覚えてないけど、たぶんチケットの発売と
同時に買ったんだと思う。
この2年間の間に「TRES」は発展を遂げていて、
ヤマハホールでのコンサートに留まらず、
昨年は、色んなところで公演をしたようだ。
今年も全国あちこちでの公演が
すでに決まっているらしい。
こういう企画を継続的に続けるのは、
色んな事情が絡んで難しいと思うのだけど、
単なる企画モノのトリオを脱し、
続けてもらえるのは、オーディエンスとしては
とても嬉しいことです。
このトリオの特長は、フラメンコ・ギタリスト、
クラシック・ギタリスト、ジャズ・ギタリストの
トリオということで、他では聴けない音楽が
奏でられること。
昨日、大萩さんが「今日が今までで一番、
それぞれの個性が際立っていると思う」と
言っていたけど、それは私も特に3人の
ソロ演奏を聴いて感じた。
トリオによる演奏でももちろん個性が出るのだけど、
ソロ演奏だと全くその人ひとりの世界で演奏し、
表現することになるので、フラメンコ、クラシック、
ジャズという それぞれの背景にあるものが
色濃く現れるように思う。
沖さんのソロ曲は、ご本人のオリジナル『カジャオ』。
カジャオというのは、25年ほど前沖さんが
住んでいたマドリードの街の名で、当時は
とても治安が悪く、危険なところだったらしい。
(今は違うと言っていた。)
大萩さんのソロ曲は、横尾幸弘作曲による
『さくらの主題による変奏曲』。
日本の伝統的な曲『さくらさくら』を題材にした
変奏曲で、目を閉じて聴いていると、
琴ではないかと錯覚するような部分もあった。
曲も演奏も素晴らしかった。
小沼さんのソロは、ご自身の『Around The Love』。
ディレイやルーパーも使っての演奏で、
ジャズの自由さと即興の面白さを表現していた。
このトリオの1年目2022年、小沼さんは
ふたりと同じくナイロン弦のギターだった。
翌年は、スチール弦のギターだった。
昨日、ご本人が話していたんだけど、
始まりのきっかけが、アコースティックギターの
イベントだったので、最初はナイロン弦で参加したけれど、
本来はエレクトリック・ギターの方がメインなので
そのことで葛藤というか試行錯誤があったらしい。
それで、2年目はスチール弦で演ってみたりしたらしいが、
結局、自分のメインのスタイルで 演ることが
良いということに行きついたんだな。
昨日聴いていて、それは大正解だと思った。
これで「TRES」が完成したんじゃないか、と思ったよ。
沖さんの乾いた硬質だけどリッチなトーン、
大萩さんのふくよかで深みのあるトーン、
小沼さんの甘くて太いメローなジャズ・トーン。
この、同じギターと言えども異質な3つのトーンが
うまく混ざりあい、溶けあい、そして、
影響し合い一つの楽曲が奏でられるんだ。
本当に素晴らしい演奏で、
最後のスタンディング・オベーションも納得。
なんでも、小沼さんのお母さんが
鎌倉でカフェをやっていたのを閉めて、
3月に八ヶ岳にカフェをオープンするらしく、
そこで合宿をしてきたらしい。
クラシックの大萩さんは、小沼さん・沖さんの
演る度に違う演奏がとても面白く刺激的なようで、
「リハーサルから全部聴いて欲しいぐらい」と言っていた。
個人的に一番良かったのは『アルハンブラの思い出』。
あの主題を大萩さんと沖さんがトレモロでハモる。
もともと好きな曲だけど、アレンジが素晴らしかった。
ぜひ、CD化して欲しい。
小沼さんのギターは(現在の?)メインギターだと
言う Abe Rivera のフルアコ。
ディレイ&ルーパーは、STRYMON の VOLANTE。
これ、良さそうだったな。
そして、ボリュームペダルは、私も所有している Shin's Music。
やっぱりそうでしょう、という感じ。
ギターアンプは、偶然にも この数日間、ずっと欲しいな、
欲しいなと思いながら、YouTubeで試奏動画を
観ていた Henriksen の The Bud SIX。
このタイミングで実物と出会うのは、やばいよなぁ。
やっぱりええ音で、また購買意欲が
上がってしまったけど、これがお安くないねん。
どうしようかなぁ。
まずは、手元のアンプを減らすことにしよう。
[ MEMBERS ]
沖仁 (gt)
大萩康司 (gt)
小沼ようすけ (gt)
@ YAMAHA HALL (銀座)
[ SETLIST ]
1. インビテーション(アサド兄弟)/トリオ
2. アルハンブラの思い出(フランシスコ・タレガ)/トリオ
3. カジャオ(沖)/沖 ソロ
4. さくらの主題による変奏曲(横尾幸弘)/大萩 ソロ
5. Around The Love(小沼)/小沼 ソロ
― 休憩 ―
6. 地中海の舞踏(アル・ディ・メオラ&パコ・デ・ルシア) /トリオ
7. Moun Ka Heley(小沼)/トリオ
8. ファンタスマ(沖)/トリオ
9. リベルタンゴ(ピアソラ)/トリオ
EC1. カバティーナ(スタンリー・マイヤーズ)/トリオ
EC2. ? /トリオ
[ 関連エントリー ]
2022.2.5 沖仁×大萩康司×小沼ようすけ "TRES”
2023.2.26 沖仁×大萩康司×小沼ようすけ "TRES U"
余談。
実は、昨日のチケットを二度も購入してしまった。
2回目は、発売から大分日が経っていた。
席は、2階席だった。
二度目の購入後、「早く買わなかったから、
2階席やぁ、残念」と思ったのだけど、
それからしばらくして、
すでに買っていたことに気が付いた。
それが前から3列目だったんだ。
なんというマヌケ。
これも年を取った証かしらね。
2階席の方は、なんとかチケジャムで売ることが
出来たけど、もともと転売目的ではないし、
売れなかったら全額損なので、少し安くした。
それでも、売れるまでしばらくかかったけど。
昨日は満席で、チケットを持っていない人が
来ていて「満席?」と残念そうに帰って行っていた。
なんでも「TRES」の公演は、今まで全部
ソールドアウトなんだって。
大人気なのも納得の演奏です。
もうひとつ、余談ではないけど。
「アサド兄弟」というブラジルのギター・デュオが来日する。
結成60年という円熟のデュオだ。
その「アサド兄弟」と「TRES」も出演するコンサートが
4月24日にあるのだけど、その日は、
エリック・クラプトンのチケットを買っていて 大変に悩ましい。
アサド兄弟だけのコンサートも25日にあるのだけど、
その日は、東京フィルのコンサートのチケットを
買ってしまった。
うーむ、どうしたものか。
アサド兄弟は、どうも20年ぶりくらいの来日のようだし、
この機会を逃したら、生では聴けないかも知れない。
名古屋(4月29日)まで行こうか。
2025.2.10
小澤征爾
世界的な指揮者、小澤征爾氏が亡くなって
2月6日で一年だった。
そのためか小澤さん関連の記事が目に入ってきたり
テレビ番組をいくつか観たりしている。
そのこととは関係なく、たまたま小澤さんの
本を読んでいるところでもある。
名前ぐらいしか知らなくて、何がそんなに
凄かったのかを今頃になって知っている状態で、
なんというか、彼が生きている間に一度は
生で観ておくべきだったと、今さら遅い後悔をしている。
といっても、私の20代から50代の頃に
聴いていた音楽は、ロックやジャズが中心で、
クラシックは本当にわずかしか接していなかった。
つまり興味がなかったのだから仕方がない。
(この頃は、妙にクラシックが聴きたい。)
20歳ぐらいの時、あるミュージシャン
(女性シンガー)に、音楽をどうやっていったら
良いかという相談を電話でしたことがある。
彼女のお父さんは、ヴァイオリニストで
クラシック音楽の教育者だった。
私の父と一緒に仕事をしていた関係で、
父を通して、紹介してもらったような記憶がある。
その時のアドバイスで、明確に覚えているのは、
「ブラック・ミュージックを聴きなさい」だった。
彼女自身が黒人音楽の影響を受けていたのは
間違いない。
そして、話の中で彼女が言った言葉で、
なぜかずっと心に残っている言葉が
「クラシック音楽が一番」というような言葉だった。
正確には覚えていないのだけど
「クラシック音楽が一番 難しい」だったのか
「クラシック音楽が一番 芸術的」だったのか
「クラシック音楽が一番 高尚」だったのか
覚えていない。
ただ、私は当時、ロックが一番カッコイイ音楽と
思っていたときだったので「クラシックが一番」に
同意できず、その意味も分からなかったんだ。
今なら、彼女の言いたかったことも
私なりにだけれども分かる。
一番とか二番とか、順位を言いたかったのでは
ないだろうし、優劣を言いたかったのでもないだろう。
ロックやブルース、ジャズの表現がクラシックに
比べて貧しいなんて思わない。
でも、40人ぐらいから多ければ150人にも
なるというオーケストラを纏め上げることは、
4〜5人のロック・バンドの比ではないのは明白だ。
昨日観た NHK の小澤さんのドキュメンタリーで、
彼がオーケストラを指揮する姿、
音楽と向き合う姿は、本当に感動的だった。
リハーサルで、楽曲を作り上げていく様子は
それ自体が別の作品として鑑賞に値すると思う。
そのうち、映画が作られるだろうな。
小澤さんは、「日本人が西洋の音楽を
どこまで理解できるのか」一生をかけての
実験だと言っていた。
実験は、大成功だったんだ。
2025.2.11
Tribute to Jeff Beck
by Char with HOTEI and Tak Matsumoto
featuring The Jeff Beck Band
2023年1月10日に急逝したジェフ・ベックの
トリビュート・ライヴが開催された。
出演は、Char、布袋寅泰、松本孝弘という
日本のロックギターを代表する3人に
バンドは、ザ・ジェフ・ベック・バンドだ。
メンバーは、ロンダ・スミス (b)、アニカ・ニールズ (ds)、
ジミー・ホール (vo)、ゲイリー・ハズバンド (kbd)。
3人のギタリストの名前が並んでいるけれど、
私の感想は、Charさんがメインで、あとのふたりは
ゲスト的な印象がぬぐえなかった。
アンコールをを含めて18曲中、演奏したのは
Charさん 14曲、
布袋さん 5曲、
松本さん 3曲。
(ふたりで演奏した曲と3人で演奏した曲が
あるので、合計は18曲を超えます。)
まあ、私は Charファンなので文句はないけど、
松本さん目当ての観客は残念だったろうなと思う。
休日の16時30分開演だったので、結構長く
(3時間位)演るのかなと思っていたら、
本編終了時で 90分。
アンコールを入れても1時間50分もなかった。
ちょっともの足りない感じもするけど、
リハーサルのこととか考えると こんなもんかね。
Charさんは今日も良かったけど、
布袋さんも 良かったなぁ。
Charさんとは、また違う「華」がある。
ギターのプレイもきれいだ。
一方で松本さんは、このふたりに挟まれると
見た目もギタープレイも、地味な印象。
弾いている姿もあまり表情豊かとは言えない。
まあ、彼はフロントマンではないから仕方ないね。
ギターは、Charさんはクリーム色のストラトキャスター
たぶんジェフ・ベックモデルじゃないかと思う。
『Little Wing』だけバーガンディミストの
ストラトに持ち替えた。
松本さんは、ゴールドのレスポールと、
アンコールでは黒いレスポール。
布袋さんは、Zodiac の布袋寅泰モデル。
『People Get Ready』のときだけ
黒いテレキャスターに持ち替えた。
去年、ロッド・スチュワートは、
『People Get Ready』を演らなかった。
聴きたかったのに。
まさか1年後、同じ有明アリーナで、
こんな形で聴けるとは思わなかった。
演奏には満足だけど、ステージ横の
モニターがコンマ何秒か遅れていて、
気持ち悪くて見ていられなかった。
特にドラムのときね。
16分音符分ぐらい遅れてるんやもん。
最近は、こういうモニターにも
ほとんどレイテンシーを感じなくなっていたのに
今日のはシステムのせいでしょうか。
あと、チケットが高いのは仕方ないのかな。
S席 22,000円、VIP席 35,000円(特典付)ですわ。
私は特典なんか要らないのだけど、
前で観たいから VIP席を買ったけど、
前から 33列目で、全然 VIP ちゃうやん。
その名前、やめて欲しいわ。
ロッドのときは「ゴールド席」やったな。
どっちでも同じようなもんやけど。
まあ愚痴ってもしゃあない。
ちなみに特典は、ロックグラスと VIPパス & ストラップ。
あと、隣の席のおっさんが酒臭いのよ。
なんか身体に染みついているような におい。
それに食べとるポップコーンのにおいが混ざって
独特なオイニ―を発しとった。
[ MEMBERS ]
Char (gt)
布袋寅泰 (gt)
松本孝弘 (gt)
The Jeff Beck Band:
Rhonda Smith (b)
Anika Nilles (ds)
Jimmy Hall (vo)
Gary Husband (kbd)
@ 有明アリーナ
[ SETLIST ]
<Char>
1. Led Boots
2. Beck's Bolero
3. Rice Pudding
4. Morning Dew
5. Wild Thing
<松本孝弘>
6. Cause We've Ended as Lovers
7. Too Much to Lose
<Char>
8. Superstition
9. Jailhouse Rock (監獄ロック)
10. Train Kept A-Rollin'
11. All Shock Up
12. Little Wing
<布袋寅泰>
13. Hammerhead
14. People Get Ready
<Char × 布袋寅泰>
15. Freeway Jam
16. Blue Wind
<Char>
EC1. Jeff's Boogie
<Char × 布袋寅泰 × 松本孝弘>
EC2. Going Down
2025.2.14
五街道雲助・隅田川馬石
バレンタインデー親子会
人間国宝 五街道雲助 師匠と
その弟子 隅田川馬石 の親子会に行ってきた。
馬石は結構好きな噺家なんだ。
前座は、馬石の弟子、隅田川わたし。
なんでも馬石の前座時代の名前が
「わたし」だったようだ。
この名前は雲助師匠の考案のようで、
師匠が仕事を受ける時、先方から
「前座さんもお願いします」と言われ
「前座はわたしです」と答え
「どこまで欲張りなんだ」と思ったという笑い話しも出た。
その前座のわたし、前半、前座としては
面白いと思って聴いていたけど、やはり
二つ目、真打の差が出るものだな。
今後に期待だ。
雲助師匠と馬石、2席ずつという
構成だったが、雲助師匠の一席目は、
何故か始まった途端に睡魔。
前回、雲助師匠を観たときも
そうだったので、相性が悪いのか、
独特の声色が私には睡魔を呼ぶのかと
勘繰ってしまった。
仲入前に「バレンタイン・トーク」と称して
女性(何者か不明)が、ふたりにインタビュー。
落語とは関係ない話しばかりだったが、
それなりに面白かった。
仲入後の雲助師匠は、
眠くならずにしっかりと聴けた。
「身投げ屋」という、もしかしたら
初めて聴いたかも知れない噺。
トリは、馬石の「夢金」。
久しぶりに聴いたので、どんなオチだったか
忘れていたので、楽しめたよ。
やっぱり、いいなぁ馬石。
バレンタインということで
終演後観客にチョコレートが配られた。
雲助師匠の好きなダークチョコと
馬石の好きなラムレーズンの入ったチョコ。
[ 演目 ]
「浮世床」 隅田川わたし(前座)
「王子の狐」 隅田川馬石
「庚申待(こうしんまち)」 五街道雲介
バレンタイン・トーク(雲助・馬石)
― 仲入 ―
「身投げ屋」 五街道雲助
「夢金」 隅田川馬石
@ 日本橋社会教育会館ホール(人形町)
2025.2.18
ボクの音楽武者修行
小澤征爾 著
小澤征爾さんが音楽之友社から、1962年に
出版した『ボクの音楽武者修行』を読んだ。
1959年、小澤さんが23歳の時、神戸港から
貨物船に載ってフランスに渡り、ブザンソンの
指揮者コンクールで1位になり、そこから急展開で
カラヤン、ミュンシュ、バーンスタインに師事するなどし、
1961年にはニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任。
コネも資金も、語学力もない若者が
世界の小澤になっていく、
輝かしい歴史のそのスタートの部分を
ご自身の言葉で語られる。
スクーターとギターを持って、貨物船に載せてもらい、
2カ月かけてフランスを目指すくだりは、
もう冒険小説でも読んでいるかのようにワクワクした。
本を読んでこんなにワクワクしたのは、
子供の時以来かも知れない。
1959年というと まだまだ一般の日本人が
外国に行くのは難しかった時代だ。
その時代にこんな破天荒なやり方で
ヨーロッパやアメリカで認められたのは、
小澤さんの音楽に対する情熱に他ならないが、
時代が良かったのかも知れないとも思う。
今なら、色んな規則が多すぎて、
この時代のようには行かないだろう。
そんな時代に海外に音楽の勉強をしに行くなんて
よほど裕福な家庭だったんだろうと思ったが、
そうでもないんだな。
小澤さんの音楽に対する情熱が、
周りの人たちを動かし資金をかき集め、
富士重工のバイクを手に入れ(そのために
東京じゅうかけずり回った」とある)、貨物船に
載せてもらいフランスに渡ることができたんだ。
そして、言葉の壁に阻まれ、色んなトラブルに
遭いながらも着実にステップアップしていく。
この本が、60年経った今もベストセラーとして
読み継がれているのは、小澤さんが辿った道、
その奮闘が、きっと多くの音楽家を目指す若者に
勇気と力を与え続けているからだと思う。
さて本書は、現在は新潮文庫になっているが、
もう文庫本の字は、小さくて読めないのと、
ある事情でオリジナルの音楽之友社版を
中古本で買った。
(50年以上の前のものにしては、
カバーも付いており、状態は悪くなかった。)
その事情というのは、哲学者の武田康弘先生の
ウェブサイトに書いてあったこと。
武田先生は、1970年代にこの本を小学6年生の
読書会で使っていたらしいが、数年でやめてしまった。
その理由が、文庫化された際にある文章が
削除されてしまったことだった。
小澤さんがカラヤンの弟子になったくだりだ。
「 レッスンになると、カラヤンは指揮台の真下の
椅子に腰かけて、ぼくらが指揮しているのを、
じろっと睨むように見ている。
ぼくは睨まれると、カラヤンの音楽そのものを
強要されるような気がした。そこで考えた。
こんなことをしているとカラヤンの亜流になってしまう。
カラヤンなにくそと思って、ぼく流の音楽を
作らなければいけないと固く心に誓った。」
新潮社による文庫本では、上記の青字部分が
削除されているらしい。
(新潮文庫は、手元にないので未チェック。)
それに対して、武田先生はこう書いている。
「若き血潮ほとばしる小澤のこの決意の言葉が
抜け落ちた文章を通読すると、当時、
楽団の帝王として大きな政治力をもっていた
カラヤンへの賛美だけとなり、平板で面白味が
ないだけでなく、小澤の見方と決意=【魂】が
消されて、全体はまるで別物の印象となります。」
またそのページにある写真に添えられた説明文
「カラヤンの指揮でベルリン音楽祭の幕は
切っておとされた」が、「カラヤンの人気は
ヨーロッパ全体でもすばらしい」と
変えられているらしい。
もう一か所、「あとがき」の一部(6行)が
削除されていることも先生は指摘しているが、
これは私の入手した1973年の第十二刷では
すでに削除されていた。
「プライベートの話」とあるので、
音楽之友社の時代に削除されたのだろう。
クラシック音楽業界の政治的圧力なのか、
カラヤン賛美の現れなのだろうか、
何者かに対する忖度なのだろうか、
どういう力が作用したのかは想像するしかないが、
小澤さんの反骨精神を表した文章は、
消されてしまった。
確かに、今出版するとしたらOKではないだろう
表現も数か所あった。
例えば黒人のことを「黒ん坊」と書いていたり、
「土人」という表現を使っていたり。
もちろん差別の表現ではない。
これは、1960年代は今よりも鷹揚な時代だった
証にはなるが、カラヤンのくだりの削除とは話が違う。
その小澤さんの
「若き血潮ほとばしる小澤のこの決意の言葉」
が、書かれた本を読みたいと思って、
わざわざ古いものを取り寄せたんだ。
感想は、前述したようにワクワクする冒険小説の
ようでもあると同時に、知らないクラシック音楽業界を
覗き見ることができてとても面白かった。
フランスとドイツとアメリカのオーケストラの違いなんて
3つの国のオーケストラで指揮をしたことの
ある人にしか語れないだろう。
この違いはある種、各国の国民性とも繋がっていて
とても興味深い話だった。
1961年4月にニューヨーク・フィルハーモニーと共に
2年数カ月ぶりに帰国したところで本は終わっている。
ここからは、本には書かれていない話。
先日、TBSで深夜に放送されたドキュメンタリー
『解放区 小澤征爾 〜魂のタクト・奇跡の第九〜』
では、小澤さんが、ブザンソンの指揮者コンクールで
1位になった際、司会者が「Seiji Ozawa」と
名前を呼ぶ映像が流れた。
こんな映像が残っていることに驚き。
1962年小澤さんはN響(NHK交響楽団)と
仕事をするが、アジアの演奏旅行中に
オーケストラの団員と小澤さんの間に
軋轢が生じ、N響側が小澤さんをボイコットした。
大変な事件に発展したようで、
「日本で音楽をするのはやめよう」と
思ったほど小澤さんにとってはショックだったらしい。
その理由は色んな記述があり、
何が本当かなんて分からないけど、
次に小澤さんとN響が共演するのは、
32年後の1995年になる。
もちろん1962年当時の楽団員はひとりも
残っていなかっただろう。
そのドキュメンタリーでは、1965年に再び帰国し
武道館で第九を振る映像も練習風景を含めて
収められていた。
武道館でクラシックというのも珍しいのではないかと思う。
明日は、小澤さんが作った、
「サイトウ・キネン・オーケストラ」の
ブラス・アンサンブルを聴きに行くよ。
★★★★▲
2025.2.18
デューク・ガッド
先月、ブルーノート東京で、父親である
スティーヴ・ガッドとの素晴らしい親子
ユニゾン・ドラム・ソロを聴かせてくれた、
デューク・ガッドが2月12日に逝ってしまった。
「住んでいたラスヴェガスで、鎮痛剤の
過剰摂取による」との記述を見た。
ジェフ・ポーカロが死んだとき、最初の
ニュースは「殺虫剤を撒いていて」
だったことを思い出した。
FBを見ていると「drug」という言葉が散見される。
事実は分からないけど、もしドラッグが
原因だとしたら本当に本当に残念。
デューク、お父ちゃんより先に逝ったらあかんやん。
スティーヴはさぞや悲しんでいることだろう。
ガッド家族に心の平安を。
合掌
2025.1.24 STEVE GADD BAND JAPAN TOUR 2025
2025.2.19
サイトウ・キネン・オーケストラ
ブラス・アンサンブル
セイジ・オザワ 松本フェスティバル特別公演
小澤征爾のスピリットを受け継ぐ
サイトウ・キネン・オーケストラ。
そのオーケストラの金管と打楽器セクションの
12名からなる「ブラス・アンサンブル」。
6年ぶりの全国ツアーらしいが、
その東京公演を観てきた。
もともと私が中学高校と吹奏楽をやっていた
ということもあるけれど、やっぱり、
ブラスバンドって良いなぁと思ったのでした。
活力が出てくるね。
ハーモニーがとてもリッチだし。
サイトウ・キネン・オーケストラといっても
世界からメンバーが集まっているので、
今日のメンバーも日本人以外にも
ハンガリー人、オーストリア人、チェコ人、
アメリカ人など国際色豊か。
打楽器の竹島さん(N響の打楽器奏者)が凄い。
パーカッションはもちろん、ティンパニ、ドラムセット、
マリンバ、そして ピアノまで。
一曲の中でもパーカッションとピアノの掛け持ちしてた。
知らない曲が多かったけど、とても楽しめた。
印象に残ったのは、サン=サーンスの『交響曲
第3番「オルガン付き」より終楽章』の
出だしの部分。
タイトルにあるように原曲は、オルガンが
入っているし、オーケストラが演奏するのとは、
違う感じなんだろうけど とても良かった。
アルカディ・シルクローバーの『フィガ』という曲での
ホルンとフリューゲルホルンの8バースも
ジャズっぽくて良かった。
調べてみたら、アルカディ・シルクローバーは、
存命のロシアのホルン奏者でクラシックから
ジャズまでこなす人のようだ。
このアンサンブルでは、クラシックだけに留まらず、
ピアソラやガーシュウィンなども取り上げ、
音楽のジャンルを感じさせないのも良かった。
アンコールは、スターウォーズの『王座の間とエンドタイトル』。
これが、感動的でとても良かった。
改めて、ジョン・ウィリアムスの偉大さを感じたね。
アンコールは続き『花は咲く』と『バードランド』。
『バードランド』はちゃんとリズムがバックビートに聞こえたし、
アドリブパートっぽいところもあって、ジャズに迫っていたよ。
[ MEMBERS ]
トランペット:ガボール・タルコヴィ、
ライナー・キューブルベック、高橋 敦、服部孝也
ホルン:ラデク・バボラーク、勝俣 泰、阿部 麿
トロンボーン:ワルター・フォーグルマイヤー、呉 信一
バス・トロンボーン:ヨハン・シュトレッカー
チューバ:ピーター・リンク
ティンパニ&パーカッション&ピアノ:竹島悟史
[ PROGRAM ]
1. ヤナーチェク:《シンフォニエッタ》よりファンファーレ
2. サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」より終楽章
3. ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
4. プロコフィエフ:バレエ音楽「ロミオとジュリエット」より
― 休憩 ―
5. ピアソラ:《ブエノスアイレスのマリア》より
6. アルカディ・シルクローバー:フィガ
7. ジョージ・ガーシュウィン:《ポーギーとベス》より
EC1. ジョン・ウィリアムス:スターウォーズより
「王座の間とエンドタイトル」
EC2. 菅野よう子:花は咲く
EC3. ジョー・ザヴィヌル:バードランド
@ すみだトリフォニーホール
2025.2.21
礼儀と親切について
昨日今日と大阪に帰省していた。
今日、大阪から東京に戻る新幹線の中でのこと。
私は、D席(通路側)に座っていた。
名古屋で隣りの E席(窓側)に
座っていた男性が降りた。
駅の手前で、男性は席を離れたので、
私はテーブルを倒して手帳にメモを書いていた。
名古屋駅で入れ替わりに
20代と思しき若い男性が乗ってきた。
彼が私の横に立ったので、E席に座るのだと思い、
すぐにテーブルを戻して、彼が席に座りやすい様に
足を引っ込めた。
彼は、スマホや小物を席に置き、
荷物を網棚に置き、そしてロングコートを脱いだ。
大した時間ではなかったけど、
その間、私はじっと同じ姿勢で待った。
彼は、何も言わず、会釈をするでもなく、
つまり私がいないかのように自分の席に着いた。
別に礼を言われたい訳ではないし、
腹が立つほどのことでもないのだけど、
普通は「すみません」とか「ありがとうございます」とか
言うよなぁと思った。
何かが気持ち悪かった。
まあ、そういうことが言えない人もいるし、
彼は大きなヘッドフォンをして何かを聴いていたので
「ここ」にはいなかったのかもな。
こういうの、自分も無意識のうちに
やっているかも知れないなぁとも思った。
昨日のこと、歩いていると、
老人(男性)が倒れたようで、
奥さんらしき老女が腕を持って
立たせようとしているところに遭遇した。
老人は大きな人ではなかったけれど、
その老女がとても小柄だった。
私は思わず「大丈夫ですか?」と声をかけ
男性を立たせるのを手伝った。
すると、目の前で見ていた若い男性も
一緒になって、立たせる手伝いに参加してきた。
男性の老人を支える手が、私よりもよっぽど
積極的だったため、私は自然と手を離した。
そこへ、少し離れたところから、今度は
50歳ぐらいの別の男性が声をかけてきた。
「大丈夫ですか?車で送りますよ」と。
見ると男性の後ろには、
大きなワンボックスカーが停まっている。
老夫婦は、一瞬迷ったように見えた。
私は(無責任に)「送ってもらったらいい」と言った。
別に私が言ったからではないと思うけど、
老夫婦と介抱していた若い男性は、車の方に歩き出した。
若い男性が老人をしっかり抱えているので、
私はやることがなくなり、その場を離れた。
ほとんど何もしていないのに、なんだか気分が良かった。
何より、あの場面で「車で送りますよ」という人の
出現が良かったな。
アメリカでは、倒れている人を見ても近づかないと
聞いたことがあるけど、日本人はまだまだ親切だ。
老夫婦は「家がすぐそこです」というようなことを
言っていたけど、もしめっちゃ遠かったらどうすんのやろ。
それでもあのおっちゃんは、送るんやろな、と思いたい。
2025.2.22
男の居場所
大阪の某駅前にあった居酒屋。
その名も「男の居場所 居酒屋 こまち」
なんだか「男の居場所」という言葉に
妙に反応してしまい、思わず写真を撮った。
お店には入ってないんやけど、
どんなお客さんが来るんやろか。
どんな人がやってるんやろか。
女人禁制なのかしら。
興味津々。
行けへんけど。
2025.2.23
変わりゆく故郷(ふるさと)
私は、4歳から23歳までの19年間を
大阪の柏原市という町で過ごした。
大阪駅までは1時間ほどかかる。
都会ではなく、市の4分の3ぐらいは山。
住宅しかない町でコンビニも数えるほどしかない。
町も生きもの。
私が住んでいたころと比べると、
ずい分と変わったように思う。
諸行無常、栄枯盛衰。
変わりゆくのは当然のこととはいえ、
変わりゆくことは失われていくことでもあり、
どこかで寂しくもある。
少し前に子供の頃のプールでの思い出を書いた。
地元のインドアプールに家族で行った際、
まだ泳ぐことができなかった私を両親のどちらかが
プールの中に放り込んだ話だ。→ 2024.12.7 しつけ
溺れかけている私を母と姉が、プールサイドから
笑いながら見ているという恐怖の思い出だ。
先日、帰省した際、そのプールの近くを
通りかかったので、今はどうなっているのか見に行った。
写真のように「サンディ」というスーパーに変わっていた。
プールからスーパーに変わったわけではなく、
プールはずい分前になくなったので、それから
色々変わり、今のスーパーになったのではないかと思う。
その並びに中学時代の同級生が勤めていた
喫茶店&雑貨(ファンシーショップ)店があった。
「ペルル」という店名だったと思う。
1981年から82年頃、たまに休みの日にモーニングを
食べに行って、うだうだと話していた覚えがある。
定かではないけど、このリボンのディスプレイに
薄っすらと覚えがあるので、ここだったと思う。
私がモーニングを食べに行っていた数年後には
その同級生も辞めてしまったので、
その後のことは知らないけど、
看板がないので もう「ペルル」ではないだろう。
40年以上前の話だ。
子供の頃、年に数回(たぶん一度か二度)
家族で外食することがあった。
行くのは、いわゆる町中華かお寿司屋さん。
その二店は隣同士ではなかったかも知れないけど、
並んですぐ近くにあったような気がする。
中華店の名前は覚えていない。
肉団子が好きだったな。
今でも好きだけど。
お寿司屋さんは、確か「栄楽(えいらく/漢字自信なし)」
という名前だったような気がするが、
電話番号の下四桁が「1887」だったので
「イヤやな」と呼んでいた。
「今日の晩ご飯は、イヤやなに行くよ」ってな感じ。
そう呼んでいたのは、うちの家族だけでは
なかったと思うのだけどどうだろう。
その中華店とお寿司屋さんがあったあたりの写真。
この「鳥貴族」の場所かどうか定かではないけど、
この辺りだったことは間違いない。
同じ並びに「タイガー」というプラモデル屋もあり、
そこにもよく通った。
プラモデル、大好きだったからなぁ。
[ 関連エントリー]
2024.5.17 鉄道今昔物語
2025.2.24
Henriksen Amplifiers
The Bud SIX
3週間ほど前「いいなぁ、欲しいなぁ」と思いながら、
ヘンリクセンというメーカーのギターアンプ(BUD SIX)の
試奏動画を連日のように続けて観ていた。
そんな中、2月8日に聴きに行った「TRES W」のライヴで
偶然にも小沼ようすけさんがそのアンプを使っていた。
モデルも私が購入を考えていたそのものだった。
私は、前から3列目の席だった。
生で音を聴き、ますます欲しくなった。
ネットでのレビューを読むと「高いけれど、これ一つ買えば
アンプの旅は終わるといっても過言ではない」とか
「このサイズ、重さのアンプの中では最高峰のアンプ」などと
すこぶる評価が高い。
大体楽器を買う時は、ギター以外の機材なら一番安い店を
探して買うのだが、このアンプに関しては、どこの店も
同じ価格(253,000円)で安い店がないんだ。
ちょうどアマゾンでポイントが10%付くとあったので、
実質 10%オフのようなもんだから、思い切って
ポチったら、なんと合計で3万円分もポイントが付いた。
これはラッキーだった。
まだ自宅で小さな音しか出していなけれど、とても良い。
ヘッドフォンも使えるし。
電源を入れると、正面の「Henriksen」の文字が
光りカッコ良いぞ。
何よりも思ったよりも小さくて軽い。(約5・9kg)
2チャンネル仕様で、5バンドのEQ。リヴァーブも搭載。
Ext. Speaker out、Headphone、Line out など
機能も充実している。
ケースも付いていて持ち運びも楽だ。
エレキギターだけでなく、エレアコやエレガッドにも使える。
2チャンネルあるので、デュオにも使えるし、
2本のギターを使う時、それぞれのセッティングに
しておくこともできる。
アメリカでは 1500ドルほどのようだから、円安の影響で
この値段になってしまっているのかも知れないが、仕方がない。
これと「Udo Roesner Amps Da Capo 75」が
あれば、私のスタイルならアンプはもう十分かな。
その「Udo Roesner Amps Da Capo 75」は
5年前の発売時、10万円を切った値段で
売り出されたけど、現在ではサウンドハウスでも
128,000円、多くの楽器店で143,000円だ。
高い所では、16万円を超えている店もある。
(サウンドハウスという店は、大体のモノが他店より安い。)
「VOX VX50-AG」と「AAD "CUB"」は、
処分することにした。
どちらも好きだったけど、そんなにたくさん持っていても
しょうがないもんな。
2025.2.26
ジャズ深掘りトーク・セッション
魚返明未 井上銘 石若駿 著
著者の3人は、全員間違いなく日本の
若手ジャズ・シーンの重要人物。
3人ともの演奏をライヴで聴いたことがある。
魚返さんは、たぶん一度だけだと思うけど、
あとの2人は、何度もライヴを観ている。
本書は、魚返さんと井上さんのトーク・セッションで
話したことを編集部がまとめたもの。
石若さんはほとんど登場しなくて、
別に取材をしたものをちょこっと書き足した感が否めない。
個人的な感想としては、何とは言えないのだけど、
この編集があまり良いとは思えなかったのは残念。
内容ではなくね。
「ミュージシャンが語るライブ・演奏・音源の愉しみ方」
とある通り、内容としては、これからジャズを聴く人、
ジャズに興味を持ち始めた人向けだろう。
どちらかというと私のような彼らの父親の世代が
読むのではないかなという印象。
別に知っていることばかりだったというつもりは
さらさらなくて、私もジャズに詳しいわけではないので
えらそうに言うつもりはない。
実際、後半の魚返さんの作曲家についてのくだりは、
とても興味深く 参考になった。
彼はかなり勉強されていて、ツウだと思う。
ただ、これまた何とは言えないのだけど、
前半はちょっと期待していたものとは違ったんだな。
ちなみに「魚返明未」、「おがえり あみ」と読む。
読めん。
★★★▲☆
2025.2.28
三遊亭王楽改メ 七代目三遊亭円楽
襲名披露興行
今月26日から3月2日まで よみうりホールで
6公演、そのあとは全国を周るという
七代目三遊亭円楽襲名披露興行に行ってきた。
七代目に襲名したのは、三遊亭王楽。
笑点でお馴染みの好楽さんの息子だ。
王楽、父好楽ともに師匠は五代目円楽なので
この親子は兄弟弟子関係になる。
王楽さんの落語は、過去に三度観ているが、
一度目はまあまあ。
二度目の「芸歴15周年記念落語会」では
三席聴くもいずれも不完全燃焼。
三度目は、5分ほどの小噺のみ。
というわけだったのだけど「円楽」という名前を
継げるようになったのだからと期待して聴きに行った。
9年ぶりだし、ゲストも良いし、基本的に
襲名披露公演って、口上の時に
普段聴けない話が聴けるので面白いしね。
襲名披露興行ということで 今日もゲストは豪華。
トップは、好楽師匠の弟子、好一郎による「釜泥」。
続いて笑点メンバーになりすっかりお馴染みとなった
宮治の「道灌(どうかん)」。
三番手に親父さん好楽の「胡椒の悔やみ」
これには、小朝に「息子の襲名披露に葬式の
ネタをやるかね」といじられてた。
その小朝は「荒大名の茶の湯」。
小朝師匠を聴くのは、ずい分ひさしぶりだったのだけど
この「荒大名の茶の湯」は、今日で4回目だった。
よほどのお得意ネタなのかもしれない。
面白いのだけど、マクラも落語も完全に
プロデュースされている感が強く(もちろん、ご自身に
よるプロデュース)悪く言うと作り込まれた感を否めない。
仲入りを挟んで口上。
好楽さんが「昔の口上は笑いがなかった」と
言っていたけど、今ではあまり儀式的な感じはなく
どうかするとトークショー的な感じさえする。
面白いので良いけどね。
小朝は円楽の息子ふたりの名付け親だそうで、
仕事以外の繋がりも深いようだった。
お目当ての談春は「子別れ」の「中」を演り、
トリの円楽が「下(子は鎹)」を演った。
これは、円楽が(王楽として)真打に昇進した際の
披露公演で同じ有楽町よみうりホールで演ったことらしい。
15年前を超えての再演となったわけだ。
こういうリレー落語は、いつも聴けるわけではない。
同じ人物を別の噺家が演じるのを続けて聴くことで
発見できることもあり、興味深い。
個人的には、今日の出演者の中では、談春師匠の
落語が一番素晴らしいと思った。
惜しかったのは、談春はわざわざ亀吉が「げんのう」を
持って行きたいという場面を作ったんだけど、
そのげんのうがまるでハンマーのように大きく感じたことと、
引き継いだ円楽は「げんのう」とは言わずに
「金槌」と言っていたこと。
「げんのう」だと現代の人には分からないので
「金槌」にしたんだと思うけど、そこはどっちでも良いので
統一して欲しかったな。
王楽改め円楽の落語は、約9年ぶりだったけど
ちょっとオシイなというところはあったけど、
今日はさすがに不完全燃焼ということはなかったよ。
この9年間の間に父親になったみたいで、
そう意味でも「子別れ」は良かったのかも。
めっちゃえらそうに書くけど。
【 演 目 】
「釜泥」 三遊亭好一郎
「道灌」 桂宮治
「胡椒の悔やみ」 三遊亭好楽
「荒大名の茶の湯」 春風亭小朝
ー 仲入 ー
口上(好一郎・宮治・談春・円楽・小朝・好楽)
「子別れ(中)」 立川談春
「子別れ(下)」 三遊亭円楽
@ 有楽町よみうりホール