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つつみしんやのひとりごと 2011年 8月
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2011.8.1

初・屋形船

今日は、仕事の関係で、屋形船を借り切っての宴会。

屋形船に乗るのは、初体験。

北品川から出航し、約2時間、東京湾から隅田川への

コース。

途中、お台場前で40分ほど停泊。

料理は、お刺身から天ぷら、お茶漬け、デザートと、

お腹いっぱい。


写真は、船上から撮影したレインボー・ブリッジ。
 ↓






2011.8.2

ダイエット 中間報告 -1

ダイエットを始めたことは、先月、ここに書いた。

6月4日に受けた健康診断の結果がよろしくなかったのと、

5〜6月、80キロを超えた日が数日あったのと、

来年、50歳になることなどを考えてみて、

一生に一度ぐらい、大きな減量を試みてみようと

思ったのだった。

減量を開始した日がいつだったか、覚えていないが、

6月20日前後だったように思う。

時々、体重は計っていたものの、カレンダーに記録するように

なったのが、6月25日。

記録を始めてから、一番 重たかった日が、

6月29日の 79.4キロだった。

今朝の体重は、75.1キロだから ピーク時よりは、

5キロ痩せたことになる。

1ヶ月半ほどで5キロなら、まずまず順調だ。

何をして減量しているかというと、まず、飲食の量を減らした。

食べる量は、減量を始める前の 3分の2から4分の3ぐらい。

時には、半分ぐらいの食事もある。

お酒の量は、もっと減らした。

以前は、飲まない日の方が少なかったが、

今は、飲む日の方が 少ない。

飲んでも控えめ。

トータルの量では、減量を始める前の3分の1か

4分の1ぐらいしか飲んでいないと思う。

これって、計っているわけではないので、感覚的な量だけど。


それから、運動。

自分で勝手に考えたエクセサイズを、ほぼ毎日20〜30分ぐらい

やっている。

それから、なるべくエレベーター、エスカレーターは使わない。

7階だろうと、8階だろうと、階段で昇る。

そんなことで どれくらいの効果があるのか分からないが、

意識を持ち続けるためにやっている面もある。

まあ、そんな感じで、減量に取り組んでいるのだ。


さて、目標である 「年内に65キロ」 を達成するためには、

これから 1ヶ月に 約2キロずつ、落とす必要がある。

70キロを切るぐらいのことは、そんなに難しくないだろうと

思うが、65キロとなると、さすがにハードだろうな。

なにしろ、49歳の減量、代謝は落ちる一方だ。

でも、こんなところに公表した以上、やらないわけにはいかない。


ところで、食べる量を減らしたので、当たり前のことなのだが、

大便の量も回数も減った。

驚くほど、少ないよ。

そんなこと、興味ないか。





2011.8.4

劇団一の会 「坂口さんの秘密の小部屋」

昨年の9月に観て以来の 劇団一の会 の公演に行ってきた。

一の会の公演はこれで4度目。

友人の K彦が、劇団員の熊谷ニーナさんと

知り合いで、その関係で 観させていただいている。

今日の演目は、「坂口さんの秘密の小部屋」 というタイトルで、

ちょっと奇想天外なストーリーなのだが、

面白くて、ちょっと泣ける、素晴らしい作品だった。

映画 「スタンド・バイ・ミー」 と 「未知との遭遇」 を

合わせたようなお話、と言えば分かるだろうか。

(分からんよな。)

4回観に行った中では、最高傑作だと思う。

帰り道、K彦と 演劇について、

「本気ではやれないけど、やってみたいよな。

劇団作ろか。」

なんて、無責任に盛り上がったのでした。





2011.8.5

ジミ・ヘンドリックスの再来か!?

K さんの息子、ヒカル君は 来月11日で2歳になる。

まだ1歳と11ヶ月ほどだ。

単語は発するが、言葉とは言えない。

イエス・ノーは分かるが、会話はできない。

そんなヒカル君は、私がギターを弾くと驚くほど

興味を持って見る (ように大人には見える)。

あまりにギターに関心がありそうなので、

先週、両親がヒカル君に ミニ・ギターを買ってあげた。

紐をストラップをにして、首からかけてあげると、

なんだか、様になっている。
  ↓



一応、ロッカーぽく、お父さんが髪の毛を立てたのだ。

しかし、良く見ると、よだれが・・・。
  ↓



そして、次の2枚は感動的だ。

なんと、ギターにキッス!
  ↓



そして・・・

ジミ・ヘンドリックスが乗り移った!
  ↓






2011.8.6

明日、8月7日は私の49歳の誕生日。

今日は 1日早いが 私の誕生祝いということで、

妻のプロデュース (何それ?) で、

ランチは 五反田 「リストランテ アンジェロ」 (イタリアン)、

ディナーは 六本木 「けやき坂」 (鉄板焼き) と超豪華。

どっちも おいしかったなぁ〜。

ダイエット中なのに、腹いっぱい食べた。

今週も順調に減量できたし、誕生日に免じて許そう。

そして今日は、映画を2本鑑賞。

ロードショーのハシゴは、久しぶりだ。

では、映画のレビューを。




人生、ここにあり!

イタリア映画。

原題は、『SI PUO FARE』。

イタリア語は分からんが、(たぶん) 意味は 『やればできる』 の

ようだ。

精神病院が廃止されたイタリアで起こった実話を元にした

ヒューマン・ドラマ。

『127時間』 を観に行ったときに予告編を見て、

(ぜひ、観たい) とその日に前売り券を購入していたのだ。

2008年の作品で、イタリアでは54週のロングラン・ヒットをしたらしい。

舞台は、1983年のミラノ。

労働組合員のネッロが、異動させられたのは、

法律の改定で廃止した精神病院を出され、

行き場のない元患者たちの集まる協同組合だった。

そこで、ネッロは彼らに、収入になる、普通の仕事をさせようと

改革を始める。

言ってみれば、自立支援だな。

少しずつ彼らが変化していく様、才能を発揮していく様は

感動的だ。

コメディ仕立てなのだが、扱っている問題はシリアス。

当然、何もかもがうまく行くわけではない。

途中、大きな事件が起こり、(この先どうなるんだろう) と

心配になる。

でも、観終ったあと、すがすがしい気持ちになれる、

希望のある素晴らしい作品だ。

お薦めできる映画だが、

東京は、シネスイッチ銀座の単館上映。

これから、地方で順次公開されていくようだが、

今日の時点では、東京の一館のみ。

全国各地で観られるわけではない。

こんなに良い作品、もっと たくさんの映画館で

やればいいのにな、と思うけど、色々事情があるんやろな。

笑えて泣ける、期待を裏切らない作品だ。

人生、ここにあり! オフィシャルサイト


★★★★★




アンダルシア 女神の報復

2本目は、『アンダルシア 女神の報復』。

『アマルフィ 女神の報酬』 に続く、外交官・黒田康作シリーズの

劇場版2作目。

観終えたあと、正直、前作の方が良かったと思ってしまったのは残念。

黒田を演じる織田裕二も前作の方が、かっこ良かったような気がする。

ドキドキ、ハラハラ感もそれほどなくて、

黒木メイサと伊藤英明も、ちょっと何かが物足りないかな。

黒木メイサは、最近どんどん良くなってるけどね。

そして前作同様、福山雅治出演の意味が分からん。

残念。


★★★☆☆





2011.8.7

BIUTIFUL ビューティフル

本日、49歳の誕生日に選んだ映画は、

ハビエル・バルデム主演のスペイン映画、

『BIUTIFUL ビューティフル』。

ハビエル・バルデムは、本作で アカデミー賞主演男優賞の

ノミネート、カンヌ国際映画祭 主演男優賞を受賞した。

この人、特別好きなわけでもないのだが、

『海を飛ぶ夢』 『ノーカントリー』 『コレラの時代の愛』

『食べて、祈って、恋をして』 と、出演作は割と観ている。

さて、本作の感想を。

舞台は、バルセロナ。

結構、闇の世界を描いているもんだから、

バルセロナのイメージは、悪くなるね、これ。

(フィクションなんだろうけど、ちょっとリアルなので。)

ハビエル・バルデム演じる主人公、ウスバルが癌のため、

余命2ヶ月を宣告され、残りの人生をどう生きるか、という物語。

そう聞くと、よくありそうな物語をイメージしそうだが、

これは、ちょっと違った。

148分という上映時間のせいもあるが、

ちょっと疲れるというか、沈むというか、へこむというか、

けして、希望のある映画ではない。

人生ってつらいんや。

残り2ヶ月の命でも、容赦なく大変な出来事が起こってくる。

自分の余命を知っても、人生の最後の整理ができる人なんて、

ほんの少数かも知れない。

重たい映画だが、感動とかそういうのではなく、

何かがジーンとくるのも確か。

監督は、『バベル』 のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 。

そういえば、『バベル』 も重厚で難解だった。

本作、タイトルに反して 「ビューティフル」 な作品ではない。

何が、「ビューティフル」 なのか、いまだに不明。

「ビューティフル」 のスペルが違うのは、スペイン語のスペルかと

思っていたら、どうも違うようだ。

間違ったスペルなのだな。

確かにそれを示唆するシーンがあった。

何か、深い哲学的な意味があるのかも。


★★★▲☆


BIUTIFUL ビューティフル オフィシャルサイト





2011.8.10

浅草で撮影

ある件で写真撮影を依頼されて、昨日、浅草へ撮影に行った。

昨年の12月に ニコンの写真講座の実習で、

浅草で撮影したことがあるのだが、あの時よりは、

もう少し良い写真が撮れるんじゃないかと思って臨んだが、

あんまり上達してなかったというのが、正直な感想。

こんなんです。
  ↓















全然関係ないけど、狛犬ってルーツは、スフィンクスやねんて。

こないだTVでやってた。





2011.8.11

夏休み

明日から、2泊3日で 妻の実家へ行ってくる。

妻の実家は、山形県東置賜郡というところにある。

山形新幹線 米沢駅から、車で20分ぐらいかな。

近くにあの 「ダリアパン」 で 有名なパン屋さんがある。

えっ? ダリアパン、知らんの?

ぜひ、検索してみておくれ。

山形に初めて行ったのは、まだ籍を入れる前で、

同棲中だった。

それ以来、(たしか) 毎年、行っているので、

14回目かな。

山形って、東北だけど 夏は結構暑い。

天気予報によると明日から3日間は、

雨は降らないが、気温は、32〜34度だ。

暑そう〜。

そういうわけで、この 「ひとりごと」 もちょっとお休み。

食べ過ぎないように注意せねば。





2011.8.14

山形より戻った。

美味い蕎麦屋や、ダリア園のことなど、

写真付でレポートしたいことがあるのだが、

それらは、明日以降にするとして、

今日は、観てきた映画のことを書くことにする。




コクリコ坂から

宮崎吾朗監督のジブリ作品。

彼の前作 『ゲド戦記』 は観ていないので、前作との比較なしで、

親父 (宮崎駿) が監督した作品との比較もなく感想を書きたい。

(ちなみに本作、企画・脚本は宮崎駿)

舞台は、1963年、東京オリンピック前の横浜。

主人公、高校2年生の少女と3年生の少年との

恋愛をさわやかに描いている。

特別、感動的ではないが、まあ、良かったかな。

ただ、主役の少女の声 (長澤まさみ) が、下手で

ちょっとどうかな、と思うシーンも少しだがあった。

声優は俳優陣を起用し豪華だ。

長澤のほかに、岡田准一、 竹下景子、石田ゆり子、

風吹ジュン、内藤剛志、大森南朋、香川照之。

こんなんでは、声優専門の人の仕事がなくなるのでは、

と余計な心配をしてしまう。

音楽 (武部聡志) は、ノスタルジックで良かった。

歌 (手嶌葵) も。


私は、1962年生まれなので、この設定が ど真ん中に

懐かしかったわけではないが、それでも 昔の洗濯機なんかが

出てきて、あの時代を感じることが出来た。

ちょっと違和感があったのは、

少年は自分の家のことを貧乏だと言うのだけれど、

「1963年現在で、家にテレビがあって、高校 (舞台になる高校は、

私学にしか見えない) に通っているなんて、貧乏とちゃうやん」

と思ってしまった。

しかも、国立に限られるとはいえ、大学に進学しようとしてるもんな。

この少年と同じ年代の私の叔父たちは、

働きながら夜間高校を出るのが精一杯だったようだから。

まあ、そんなこと本作には重要ではないのだけれど。

なお、本作、アニメと言っても、夏休みの子供向けではございません。


★★★☆☆





2011.8.15

英国王のスピーチ

今年のアカデミー賞では、最多となる12部門で

ノミネートされ、4部門 (作品賞、監督賞、主演男優賞、

脚本賞) で受賞を果たした作品 『英国王のスピーチ』。

原題は、『The King's Speech』。

ロードショーでは観そびれてしまっていたが、

目黒シネマで上映していたので、観てきた。

アカデミー賞以外にも たくさんの賞を取った作品だが、

それもうなずける素晴らしい映画だった。

実話をベースにしているということで、なおさら感動的。

舞台は、1920〜30年代。

吃音 (きつおん/どもり) に悩んでいた英国王ジョージ6世

(現在のエリザベス女王のお父さん) の物語。

彼は、次男だし 吃音のこともあって、王になんて

なりたくなかったのに、なんだかんだあって、国王に。

(吃音症になった背景も王族だからというのが、悲しい。)

国王と言えば、様々な場面でのスピーチがつきもの。

いや、国王にならなくても王子なら、スピーチの機会もある。

彼は、いろんな治療を試すが、効果が上がらない。

そして、言語聴覚士ライオネル・ローグ と出会う。

国王ジョージ6世 (王になる前はアルバート王子) も

素晴らしい人だが、この ライオネル・ローグ が素晴らしい。

医者でもなく、なんの資格もないのに経験だけで、

成果をあげてきた人なのだ。

最初は、ローグの治療に抵抗を示す王子も やがて、

彼に信頼を寄せ、王になる頃には ローグは、

なくてはならない存在になっていく。

国王といえども、人間だ。

人前で自分の欠点をさらけ出すのはイヤだっただろう。

しかも、国民が自分に注目しているのだ。

だが、彼にはその欠点を克服するしか選択肢がなかった。

その勇気とチャレンジが、感動的。

そして、本作では撮影というのか、カメラワーク、構図が

素晴らしいと思った。

何度も見とれるほど。

これは最近、私が写真を撮っているので、

そういう見方をするようになったのかも知れないけど。

良い映画でした。


★★★★★





2011.8.16

山形レポート そば屋編

12日から14日まで、妻の実家のある山形に行ってきた。

山形と言えば、ラフランス、さくらんぼ、ぶどう、米沢牛、

山形牛、はえぬき (米)、などなど おいしくて有名な

食品がたくさん。

また、ラーメンの消費量も全国一とかで、

確かにラーメン屋さんも多い。

日本そばも伝統食として有名なようだが、

不思議とそばは 食べに行ったことがなかった。

で、今回、米沢駅にお昼に到着し、迎えに来てくれた

妻のお父さんに 「おいしいおそばが食べたい」 と

リクエストすると、連れて行ってくれましたがな。

米沢駅から車で走ること、一時間あまり。

南陽市小滝というところ、

「こんな山の中に おそば屋さんがあるの?」 と、

聞きたくなるようなところにそのお店はありました。

古民家をそのまま使った風情のある店内は、

都会から来た人間には、うれしい限り。


 外観



 庭 (店内からの眺め)



周辺には、ぽつぽつと民家があるけど、たぶん、夜来たら

真っ暗だろな。

そして、そばと天ぷらを注文すると、お通しのようなものだろうか、

頼んでいないのに (サービスで)、ナスの漬物、さくらんぼの漬物、

ナスの煮物、きくらげの煮物 (?) が運ばれてきた。





これが美味い!

さくらんぼの漬物なんて初体験。

きくらげも、こんな肉厚のきくらげ食べたことない。

からし風味の味付けで、おいしい。

これが、きくらげか! と感動。

そして、私の注文した 「冷やし肉そば」 と 「アスパラの天ぷら」 が

運ばれてきた。

アスパラ、太い!





そば、めちゃ美味い!





だしは、さっぱりしていて、ごくごく飲めるほど美味い。

肉は、地鶏だろうか、しっかりした歯ごたえ。

この 「冷やし肉そば」 は、夏のメニューで、冬には、

「鴨鍋かけそば」 というのがある。

う〜む、ぜひ、食したい。

近くにあったら、ぜったい常連になるであろうそば屋だった。
  ↓
手打ちそば 宝山





2011.8.16

山形レポート 米沢牛編

「そば屋編」 に続いて、「米沢牛編」。

妻の姪っ子 (高校2年生) のアルバイトするお店に

夕食に行った。

何が驚いたって、その安さ。

例えば、この米沢牛の握りずし。





写真には写っていないけど、手前に肉のタタキの握りが、

2貫乗っていて、合計6貫でいくらだと思う?

な、なんと、1400円!

ひぇ〜!って感じ。

この6貫なら、東京では 3000円は確実だ。

ちなみに戸越銀座にある 高級焼肉店の 「牛トロにぎり」 は、

2貫で1260円でっせ。 (高くて入ったことない。)

なんでこんなに安いかというと、お肉屋さんが、

「こだわりの米沢牛をお手ごろ価格で味わってもらいたい」

と始めた直営店なのだ。

(まあ、それでも東京なら1400円はないだろう。)

焼肉は、網焼きではなく石焼。

ステーキやすき焼きもある。

ワインは、山形の高畠ワイン (赤) を頂き、

山形三昧の夕食でした。





肉の旭屋直営 食楽亭





2011.8.17

山形レポート ダリヤ編

妻の実家のある 「川西町」 は、ダリヤの町だ。

駅前のサイン



町には日本一の 「ダリヤ園」 があるのだ。

ダリヤ園の広さは、2.1ヘクタールで、園内には 650品種、

10万本のダリヤが咲き誇っている。

「咲き誇っている」 と言っても、いつも咲いているわけではない。

8月〜11月上旬が、シーズンのようだ。




さて、今回、このエントリーを書くにあたって、

「ダリア」 だと思っていたのに、川西町にあるのは 「ダリヤ」 園だと

気付いた。

ここでは、川西町式に 「ダリヤ」 と書いているが、

調べてみると 日本では、「ダリア」 が一般的らしい。

スペルは、「Dahlia」 なので、その方が自然なのかも知れないが、

川西町ではダリヤ園開演当時 (昭和35年) から、「ダリヤ」 と呼び、

ダリアにあやかった商品の呼称まで 「ダリヤ」 となっていたため、

TV番組で 「『ダリア』 を 『ダリヤ』 と (勘違いして) 呼ぶ町」 と

報じられたこともあったようだ。

ウィキペディアによると、当時の川西町長は、

 「今から 『ダリヤ』 をすべて 『ダリア』 と変更するとなると莫大な予算が
 かかり、また町民にも 『ダリヤ』 の名で慣れ親しまれているので、
 今後も 『ダリヤ』 のままでとおす」 とコメントしたらしい。


とある。

「(今さら変えられないので) 今後も 『ダリヤ』 のままでとおす」 と

いうアバウトな感じが、なんとなく 山形らしいというか、

妻の故郷らしい、と思ってしまった。

山形では、私が聞き取りにくい言葉 (方言) も多い。

もしかしたら、「ダリア」 を 「ダリヤ」 と訛っているのかも知れない。

それはさておき、ダリヤ園のレポートをしよう。


私がダリヤ園を訪れるのは、たぶん、3度目か4度目ぐらいだと思う。

なにしろ、妻の実家からは、歩いていける距離なのだ。

8月の半ばだと まだ咲いている花は少ないのだが、

それでも、たくさんの種類のダリヤが咲いている。

650種ある、その全てに名前が付けられているようだ。

たとえば、こんな風に。
  ↓



これは、「思春期」 という名前のダリヤ。

650もあると 名前も平凡なものからユニークなものまで様々。

いくつか写真を撮ってきたので紹介しよう。


歓喜



幸福



お色気







セクシーポーズ



美鈴



彩乃



そして、ダリヤ園の周辺には、自然がいっぱい。

カモ



側溝には、蛇



これは、川西町の名物、ダリヤパン。
 ↓



ダリヤをかたどり、なんと、あんことジャムが入っている。

このパンは、川西町の 「パリドール・サノ」 というパン屋さんのオリジナル。




まだまだ奥深い、山形レポートは、続く・・・。


川西ダリヤ園 ホームページ





2011.8.18

山形レポート 井上ひさし編

作家・劇作家であった 井上ひさし は、川西町生まれ。

1934年生まれで、妻のお母さんの同級生だった。

1999年に 川西町名誉町民、そして昨年、亡くなった後、

山形県民栄誉賞が贈呈された。

昨年11月には、町の施設内に 井上の展示施設もオープンした。

残念ながら、その展示施設には 今回は訪れなかったので、

次回はぜひ行ってみようと思う。

そういうわけで、川西町には、「ひょっこりひょうたん島」 の

キャラクターが、あちらこちらに存在しているのだ。
















山形レポート 番外編

この番外編では、山形の色々、妻の実家近辺などを紹介しよう。

山形に行って、初めて見たのがこの道路。




何か分かるだろうか?

道路のセンターに穴が開いていて、

水 (地下水) が出てくるようになっている。

これは、夏に打ち水をするためではない。

冬に雪を溶かすためのものだ。

地下水は温度が高いので雪を溶かしてくれるというわけだ。

錆びたような色に見えるのは、地下水が鉄分を多く含むためらしい。





これは、妻の実家近くを通る鉄道、米坂線。

米坂線は、米沢駅から新潟県の坂町駅までの約90キロを走る。

全線単線で、1日10本ほどしか走っていない。

米沢行きの最終は、19:37だ。(早!)



散歩中、ちょうど走る列車を撮影。




これが、最寄り駅の 「羽前小松駅」。

もちろん、自動改札などない。

のどかだ。




米坂線は、1日10本と書いたけど、バスは1日3本。

行き先が 2ヶ所あって、6本あるように見えるのは、

反対車線の時刻表も書いてあるため。




近くの温泉に併設されたお土産屋さんで売っていたタマネギ。

1袋、10キロで1000円。(安!)




たかはたの道の駅で売っていた きゅうり。(太!)




病院の看板の横に 「天の国は近い」 。(怖!)




妻が子供の頃、寝ぼけて歩いていった肉屋さん。

なんでも昼寝中、気が付いたらこの店内にいたそうだ。(驚!)





2011.8.19

山形レポート (最終回) 写真編 

いよいよ、山形レポートも最終回。

今回は、初めて山形に一眼レフを持って行った。

やはり、東京では撮られない写真が撮れた。

その一部を紹介しよう。

















































2011.8.20

分かりやすい文章を!

今回は、小学校の先生の書く文章への批判だ。

4月から始めた友人の息子 (小学5年生) のひとり塾は、

ほぼ毎週 続いていて、先日で16回目だった。

大体は算数をやっているのだが、ここ数回は、夏休みの宿題の

読書感想文や絵日記を一緒に書いたりしている。

私は、文章というものは、誰が読んでも同じ理解ができるように

書くべきだと思っている。

もちろん厳密には、読む人によって 解釈は異なるのだが、

普通に考えられるレベルでは、読み手が混乱しないように、

誰が読んでも同じ解釈をするように書くことを心掛けている。

そう思っている私が、小学5年生向けに書かれたプリントを読んで、

理解に苦しむことがある。

教科書ではなく、先生が作成したプリントだ。

教科書にも もしかしたら分かりにくい表現があるのかもしれないが、

さすがに教科書は、第三者のチェックを通っているので、

分かりにくい文章は、少ないだろう。

(教科書は あんまり読んでいないので分からない。)

が、先生が書いた問題文の中には、子供に質問されて、

「これって、こういうことやろな」 と推測しなければ

ならないものもあり、困ってしまう。

例えば、先日やった国語の読解問題で、

「それは、どんな建物ですか?」 という問題があった。

答を見ると、問題文の中にあるその建物の説明が正解なのだが、

子供は、「どんな建物ですか?」 と訊かれると

「古い建物」 と答えた。

「古い建物」 は、間違いではない。

問題文を読むと、古い建物だということが分かるからだ。

正解を見なければ、私は 「古い建物」 でも正解と思っただろう。

が、それでは テストだと正解にならないかもしれない。

もし、答にある正解を答えさせたいのなら、質問の仕方が

間違っていると思う。

例えば、

「その建物について説明されている部分を書き抜きなさい」 とあれば、

子供は問題文の中から、答えになる文章を探すだろう。

だが、「どんな建物?」 と訊かれれば、

「古い建物」 と答えても当然だ。

そして、テストで正解にならなくても、それは間違いではない。


次に、夏休みの宿題を書いたプリントを例に挙げよう。

 ・ 絵日記5日分
  → 1日分はエコ日記の内容で書く。残りは心に残る1日


全くもって分かりにくい。

「残りの4日は、心に残ったことを書きましょう」 とかなら

分かるが、文章が完結さえしていない。

子供は私にこう質問した。

「1日分はエコ日記、1日分は心に残る1日、

残りの3日は何書くの?」


次は、分かりにくい文章と言うわけではないが、不思議な文章。

 ・ 体力トレーニング
  →運動会の 「組体操」 に向けて体力増強をお願いします。


なんで、「お願いします」 なんだ?

「体力増強すること」 あるいは 「体力増強してください」 で

いいじゃないか。

それまで、例えば、国語のプリントのところには、

  雑な字、いいかげんなやり方の人は、全てやり直しです。

と、強気に書いていたのに、そこだけ なんで 「お願い」 に

なるのか、理解に苦しむ。

父兄宛に書いているのならまだしも、児童向けのプリントだ。


こんな風に反応する私は、もしも親ならモンスターと呼ばれてしまうのやろか。



分かりやすい文章を書くことは、何かを表現する者、

他人に何かを伝えたい者にとっては、大変重要だ。

次の例を考えてみてほしい。

  「5歳になる和子さんの息子」

とあったら、息子が5歳だと思うよね。

でも、

  「65歳になる和子さんの息子」

とあったら、65歳なのは和子さんか息子か分からない。

これは、分かりやすい (分かりにくい) 例で、

多くの場合、それまでの文脈で、どちらが65歳なのか

読者は、知っている。

でも、もし、文脈なしにどちらが65歳か分かるように

書くとしたら、どうだろう。

和子さんが65歳の場合

  「和子さん (65歳) の息子」
  「65歳になる和子さん、その息子」

息子が65歳の場合

  「和子さんの65歳になる息子」

という風に (明確にするための) 工夫が必要になってくる。

書き手はもちろんどちらが 65歳か分かって書いているので、

無意識に 「65歳になる和子さんの息子」 と書いてしまうことも

あるだろう。

だが、誰が読んでも 迷いなく読める文章を書かなければ、

書き手の意図と違う風に読まれてしまうことも起こりうる。

それは、望ましくないことだ。


小学生は、先生に向かって、

「この文章、分かりにくいですよ」 とは、言わないだろう。

また、先生はいちいち他の先生に

「この文でおかしくないですかね?」 なんて、

チェックを求めないだろう。

だからこそ なおさら、先生には明確な文章を書く能力が

必要だと思うのだ。





2011.8.21

渋い趣味

先日、このエントリーで紹介した ヒカル 君。

お父さんが、YouTube の この 『The Dock Of The Bay』

聴かせて以来、毎日のように 「ドガオバベェ (を観せろ)」 と

せがむそうだ。

お父さんは、合わせて 『Stand by Me』 も 毎日観せた。

ヒカル君、今では、「When the night」 と言えば、

「has come」 と答えるようになった。

私は、ヒカル君のことを

「2歳の誕生日を前に、初めて覚えた洋楽が 『The Dock Of The Bay』 と

『Stand by Me』 なんて、渋すぎる」 と 思っていた。

先日、数日ぶりに ヒカル君に会うと、お父さんに

「おつぅたんこんばんわ」 とせがんでいる。

「ドッグオブベイ?」 と聞いても

「おつぅたんこんばんわ (がいい)」 と答える。

そして、森昌子の 「お月さん今晩は」 を 何度も 何度も 繰り返し、

観るのであった。

もちろん、教えたのは お父さんだ。

ヒカル君は、オリジナルの 藤島桓夫 ではなく、

森昌子 ヴァージョン がお気に入り。

歌詞が 「お月さんこんばんは」 のところに来ると、

そこだけ合わせて一緒に歌うのだ。

初めて、好きになった日本人歌手が 森昌子 とは、

やはり ヒカル君は渋すぎるのだった。



森昌子版 「お月さんこんばんは」 をじっと鑑賞するヒカル君




重い・・・

山形レポートで写真をたくさんアップしたために

「ひとりごと」 が表示されるのに多少時間がかかってしまう

状況です。

「ひとりごと」 は、14エントリー (2週間分) が、

表示されるようにしていますので、そのうち 写真入りエントリーが

削除されれば 表示されるまでの時間も 改善されますので、

ご了承ください。





2011.8.22

ライヴ と ヒカル君

昨日は、Laguna Moon のライヴだった。

お出でくださった皆さん、ありがとうございました。

先月のライヴで、梅林さんが告知したとおり、全曲、

前回とは違う曲を演奏した。

といっても、初めての曲はなく、以前から何度か演奏している

曲なのだが、私の場合、上手く弾ける曲とそうでない曲の差が

(自分としては) 激しく、できれば上手く弾ける曲ばかり

やりたいと思う。

だが、それでは、曲調が偏ってしまうので、

そういうわけにもいかないのだ。

それにしても、「継続は力だな」 とつくづく思う。

梅林さんと Laguna Moon を始めて、5年以上経つが、

最初に比べると (自分で言うのもなんだが) かなり、

進歩 (上達?) したと、昨日、演奏している最中に思った。

もちろん、まだまだ、まだまだ、まだまだ、なのだが、

5年前に演奏していた曲を、久しぶりに演ってみることによって、

自分の進歩を感じたのであった。

けして多いとは言えない練習時間でも5年もやっていると、

進歩があるのだ。

練習量を増やせば、もっと上手くなる可能があるっちゅうことだ。

精進、精進。


ところで、昨日は、ヒカル君 (もうすぐ2歳) が

観に来てくれた (両親と0歳児の弟と)。

彼には、ライヴ鑑賞デビューだ。

ギターを演奏する私を 凝視するように観ていた。

2歳にならない幼児が、あんなに集中して鑑賞するということが

とにかく、驚愕だ。

演奏後、お店にリクエストして、ヒカル君の好きな

『The Dock Of The Bay』 と 『Stand by Me』 を

かけてもらった。

ヒカル君、『Stand by Me』 を聴きながら、

「お月さんこんばんは!」 と言っていた。

(詳しくは、昨日のエントリー参照)

ヒカル君の中では、演歌もリズム&ブルースも ボーダーレスなのだ。

素晴らしいな〜。





2011.8.24

島田紳助引退

紳助の引退は、大きなニュースになっている。

一部では、「逮捕」 という噂もあるようだが、

ただの噂であってほしいものだ。

私は、今は 特別 彼のファンというわけではないが、

紳助が 「芸能人の中で一番友達になりたい人」 だった時期がある。

今から、20年くらい前、彼が30代の頃だ。

ちょうど、彼が映画 『風、スローダウン』 を監督した頃だ。

この映画は、家で一人でビデオで観たのだが、

かなり、泣いた覚えがある。

今観たら 泣くかどうか分からないが、

あの頃には、ど真ん中の青春映画だったのだ。

(もしかしたら、あの映画を観て彼のこと、好きになったのかも知れない。

もし、すでに好きだったら、映画館に観に行ってるはずだから。)

映画も素晴らしかったし、

テレビを観ていても、本当に頭の良い、おもろい人だと思っていた。

でも、いつの間にか 「一番友達になりたい人」 では、

なくなっていた。

何かがあったわけではないので、なんで冷めてしまったのか、

自分でも覚えがない。

それは、さておき、引退の理由がイマイチ納得がいかないという

報道が多いが、ホンマのことは分からん方がええんちゃうか。

会見で言うたことが引退の理由でないのなら、

引退せなあかんほどの何かがあったんやろう。

そんなん本人も言いたないやろう。



紳助さん

あんまり いい辞め方とは思えへんけど、

今まで いっぱい、笑わせてもらいました。

長いこと お疲れ様でした。





2011.8.25

3G

今日は、ビルボードライヴ東京へ、

「3G」 というバンドのライヴを観に行ってきた。

「3G」 のメンバーは、

仲井戸麗市 (Vocal&Guitar)
吉田建 (Bass)
村上 秀一 (Drums)

日本の音楽シーンに欠かせないベテラン3人が

今年結成したバンドだ。

私はこのバンドについて詳しくないのだが、数日前、

ビルボードライヴのスケジュールを見ていて、

ふと思い立って観に行くことにした。

ご存知のない方のために、簡単にこの3人の紹介をすると、

ギターの仲井戸麗市 (チャボ) は、「古井戸」、「RCサクセション」 を

経てソロ活動。

また、ストリート・スライダーズの土屋公平と、「麗蘭」 としても

活動している。

昨年10月で還暦、現在 60歳だ。

吉田建 は、ベーシスト、アレンジャー、プロデューサー。

その仕事は、沢田研二、泉谷しげる、吉川晃司、ウルフルズ、

氷室京介など。

現在、61歳。

そして、村上 秀一 (ポンタ)。

フォーク・グループ 「赤い鳥」 のメンバーとして、デビュー。

その後は、スタジオ・ミュージシャンとして、

バック・バンドとして、この人のドラムを聴いたことのない日本人は、

いないだろうというぐらいのセッションをこなしている。

仕事の一例は、井上陽水、大貫妙子、大村憲司、角松敏生、

沢田研二、長渕剛、ハイ・ファイ・セット、浜田省吾、福山雅治、

松岡直也、氷室京介、山下達郎、吉田美奈子、渡辺香津美、

などなど、歌謡曲から、ロック、ジャズまで何でもこい。

「宇宙戦艦ヤマトのテーマ」 なんかもポンタさんだ。

この人も今年、60歳。

「3G」 は、そんな おっさん達の新しいバンドというわけだ。

彼らには、オリジナル曲もあるようだが、今晩一夜限りの

ビルボードライヴでの演奏は、全曲カヴァーという企画で

楽しみにしていた。

当然、チャボが歌うのだろうから、

70年代の ROCK や R&B だろうと期待していたら、

正にその通りだったが、あまりにもマニアックな選曲で、

知っていたのは、数曲だった。

カバーしたアーティストは、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、

ヴァン・モリスン、リンゴ・スター、ローリング・ストーンズ、ザ・バンド、

CCR、オーティス・レディング、ジミ・ヘンドリックス など。

それらのアーティストの曲に日本語詞をつけてのカヴァー。

チャボが歌うだけでも、独特の世界なのに

日本語詞になるとますますワン・アンド・オンリーな

チャボ・ワールドだ。

それにしても、この人、ギターが上手い。

いや 「ギターが上手い」 というより、「ギターの扱いが上手い」。

今日は、ほとんどの曲でテレキャスターを弾いていたが、

手元だけで、あれだけ音色をコントロールできる人は、

あんまりいないんじゃないかな。

ええ音してた。

思わず、テレキャスターが欲しくなってしもた。(危険)


本編最後は、聞いたことある曲だけど、曲名も誰の曲かも

知らない曲。

曲名アナウンスしてたけど、ちゃんと聞き取れなかった。

これが、思わずウルウルしてしまうほど 良かった。

バンドが還暦越えなので、観客もおっさん、おばはんが

ほとんど。

ええ感じで、盛り上がってたよ。





2011.8.26

天上天下唯我独尊

最近、時々 この 「ひとりごと」 に登場するヒカル君。

そのヒカル君の弟、タイラ君 (4ヶ月) にカメラを向けると、

このポーズをとってくれた。





この写真では、あまり感じないが、タイラ君は、

生まれて1〜2ヶ月は、まるで全てを悟った仙人のような

顔をしていた。

そんなタイラ君なので、このポーズにも納得。





2011.8.30

30年目

一昨日の日曜日は、大阪で高校の同窓会があり、

帰省していた。

学年全体の同窓会で、5年ぶり 2回目。

前回が卒業25年だったので 今回は卒業30年だ。

370人ほどの同級生がいたが、今回の出席は、約80人。

(前回は、約100人)

先生も 3名ご出席。

その中の一人は、私の1年、2年の担任の K先生。

今回は、5年前には欠席だった友人も出席した。

その中には、17歳 (高校2年) から25歳ぐらいまで、

一番の仲間だった S や Y もいた。

たぶん、2人とも18年ぶりぐらい。

S は 奈良、Y は 静岡、そして私は 東京在住なので、

会うこともなくなっていたのだ。

でも、スゴイと思う。

あった瞬間に時空を超えて、あの頃に戻るのだ。

同級生って、ホントにスゴイ。


日曜日の夜には、東京へ戻るつもりで新幹線の

チケットも買っていたのだが、結局、4次会まで

行ってしまい、新大阪駅前のビジネスホテルに

泊まる羽目に。

でも、楽しかった。





2011.8.31

賢い方の・・・

日曜日の同窓会のことを、もう少し書こう。

私の卒業した高校は 進学校で、国立大学や大学院に

進んだ者もいる。

私は 完全な落ちこぼれで、3年の秋の懇談では、

進学の話よりも卒業できるかどうかが、テーマだった。

そんな私とは対照的に国立大学へ進学し、

今では、大学教授や医者になった者もいる。

たまたま、その大学教授になった同級生が

私と同じ苗字 「堤」 なのだ。

おかげで、先日の同窓会で、数人の同級生に

「つつみ、大学教授になったんやって?」 と

声をかけられた。

そのたびに、

「それは、賢い方の堤や!」 と答えなければならなかった。

彼は、日本文学の (専門書も出している) 専門家のようだ。


また、医者になった K は、私の実家近くで開業しており、

両親、姉貴が世話になっている。

まさか、同級生に両親や姉が診察されるなんて、

30年前には想像もつかないこと。

人生って、すごいなぁ。


そういえば、今回、ある女子 (?) に

「つつみ君が (今日の出席者の中で) 一番変わったね!」 と

言われた。

どこを見てそう思ったのか知らんが、

褒め言葉やね? これ。




ミカリンバ

一昨日は、COTTON CLUB へ “ミカリンバ” のライヴに

行ってきた。

メンバーは、

 Mika Yoshida (marimba)
 Steve Gadd (ds)
 Eddie Gomez (b)
 Stefan Karlsson (p)

マリンバの 吉田ミカ は、ニューヨーク在住で、

クラシックだけではなく、ジャズ・フィールドでも活躍している。

上記 メンバーを見ての通り、ドラムは、スティーヴ・ガッド。

最近、スティーヴのドラムの気持ち良さを改めて感じており、

Stuff 時代の音源なんかをよく聴いている。

一昨日は、鹿児島から始まった今回のジャパン・ツアーの

最終日で、満席だった。

ライヴ前、入口で偶然、知り合いの M子ちゃんと会った。

聞くと、何と、吉田ミカの同級生で、中学のとき 吹奏楽部で

一緒に打楽器を担当していたという。

吉田ミカが 知り合いの友達とは、なんとまあ、世界は狭い。


マリンバ演奏を聴く機会は、滅多にないが、

「そんなこと出来るんや!」 という、超絶テクニックもあり

ビックリ。

JAZZ といっても、結構アレンジされていて、それはそれで面白い。

素晴らしかった。

興味のある方は、ぜひ 1曲ご覧ください。
  ↓
MIKA Marimba Madness (Jubilation)


アンコールで Michel Petrucciani の 『Cantabile』 を演った。

Michel Petrucciani は そんなに詳しくないのだけど、

『Cantabile』 は、美しく、そして どことなく哀しくて、

大好きな曲なので、感激。

Mikarimba Version は、見つからないので、

Michel、Gadd、Anthony Jackson の Version をどうぞ。
  ↓
Cantabile



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