2022年
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2022.1.7
飛 蚊 症
飛蚊症。
「ひぶんしょう」と読む。
先日まで知らなかった言葉だ。
大晦日の夜、大阪の実家で食事中、突然
左目の前に糸くずのようなものが見えた。
まつ毛に何か付いているのだろうと、
思って手で取ろうとしたが、全く取れない。
姉が「それ、飛蚊症。私も何度もなった」と言った。
彼女の場合、放っておくと自然に消えるそうで、
しばらくするとまた現れるらしい。
調べてみると、老化現象のひとつで、
眼球の中の硝子体(しょうしたい)に
濁りが出来る結果、視界に浮遊物が映るらしい。
髪の毛が白髪になるように、
心配のない(放っておいてもよい)飛蚊症と
眼球の病気の場合があるらしいので、
念のため、眼科で検査をした方が良いらしい。
出始めた1〜2日は、気になったが、
そのうち慣れてしまった。
今日で一週間になるが、当初より
浮遊物の色が薄くなっていたように感じる。
浮遊物の数が増えたり、視力が落ちてきたりすると
病気のサインかもしれないようだ。
もう少し、様子を見てみよう。
分かりやすい、参天製薬の飛蚊症の説明
↓
飛蚊症 見え方に異常ありませんか?
2022.2.11
引っ越しました
数日更新をサボったのは、
引っ越しのためでした。
約4年間住んだ家から、先日引っ越しました。
年末に急に引っ越しを決めたので
バタバタでした。
って、急でなくても引っ越しは
毎回バタバタやけど。
1995年の暮れに大阪から上京して、
東京での6つ目の住まい。
前回(4年前)の引っ越しは、
上の階からの水漏れ事故があって、
引っ越しせざるを得ないことになった。
今回は、更新の際、大家さんが
賃料1万円の増額を要求してきた。
2年前の更新で、1万円の値上げに
同意したのにまた上げてきたので
いくらなんでもそれはないやろ、と
値上げを拒否したら、出ていくことになった。
まあ、こんなこともありますわ。
さて、4年前の引っ越しでは、
物件探しから、引っ越し業者の選定、
引っ越しの荷物の整理で感じたことなど、
結構な数のエントリーをここに書いたのだけど、
今回は不思議と書こうと思わなかった。
なので、今日初めて書いている。
先日、本やCD、DVDをブックオフに
持ち込んで処分したのだが、
170点ほどで 22,000円ほどだった。
なんとなく、3万円以上にはなるような
期待があったので、ちょっとガッカリしたのだけど、
4年前のエントリーを読むと、
「171 点で、23,750円」で「予想より大幅に
多かった」と喜んでいる自分がいる。
なんだか、自分の感覚があてにならない。
4年前の引っ越し関連エントリー
引っ越し先は、築20年ほどでまだ古くはなく、
オートロックや宅配ボックスの設置された
低層のマンション。
前の賃料より1万円以上安い。
何よりも駅が近くなったのは、嬉しい。
同じ区内の引っ越しで、前の住居とは隣町。
歩いても15分程度だと思うけど、
それでも何か雰囲気が違う。
私としては、新たに飲食店を開拓するのが楽しい。
すでに、お気に入りのピッツェリアを見つけたよ。
あと、駐車場が遠くなったのは、残念。
前の家の駐車場がホントに近くて便利だったのと
比べるから、そう思うのであって、もともと
こういうもんだと思えば大したことではない。
2022.2.17
ヴァイオリンと父、尾高さん
昨日の諏訪内晶子さんのヴァイオリン・
リサイタルを聴いて感じたことを
もう少し書いておきたい。
このリサイタルは、全くのソロ(独奏)で、
ステージの上には(クラシックなら当たり前だが)
何の装飾もなく、ただ譜面台がひとつ
置いてあるだけだった。
演奏の素晴らしさ、楽器グァルネリ・デル・ジェズの
素晴らしさ、楽曲の素晴らしさはもちろんのこと、
ホールの素晴らしいリバーヴ(残響)も相まって、
ソロでありながら、音量的にもハーモニー的にも
全く不足を感じなかった。
(前から5列目だったこともあるかも知れないけど)
これは、期待・予想以上だった。
昨日、諏訪内さんの演奏を聴きながら、
父のことを思い出した。
昨年4月、90歳で死んでまった父は、
若い頃、ヴァイオリンを弾いていた。
実家には今も、父のヴァイオリンが、
3挺(ちょう)か4挺ある。
その中のひとつ、ストラディバリウスに似た
名前のモノは、生前、父から形見にもらう約束を
したのだが、実家に置きっぱなしになっている。
父は、若い頃どこかの楽団で
ヴァイオリンを弾いていたらしい。
子供にヴァイオリンを教えたりもしていたようで、
母が奉公先の子供のヴァイオリンのレッスンの
付き添いをしていたので、父と知り合ったというのが
両親のなれ初めらしいが、母から聞いた
話ばかりで、父からは何一つ聞いたことがない。
そう言えば、父のヴァイオリンの演奏を
私は一度も聞いたことがないし、
何がきっかけでヴァイオリンを始めたのか、
どうしてやめてしまったのかも、聞いたことがない。
昨日のリサイタル中、そんなことを
思いながら、聴いていた。
父は専門的な教育を受けていなかったので、
諦めざるを得なかったと、母から聞いたことはあるが、
本人とは、何も話したことがないのだ。
今も実家には、色んな楽器が置いてある。
ヴァイオリンの他、チェロやホルン、
クラリネットやフルートなど。
これらは、父が仕事の関係でお払い箱になった
楽器を引き取ってきたものだと思う。
そこに私が中学時代に吹いていたトランペットや
リコーダー、クラシックギターなども混ざって
ガラクタ楽器ばかりが飾られている。
あれら、今後、どうするんやろな。
幼稚園の頃には、家に足踏み式のオルガンがあった。
小学校5年生になってもカラーテレビではなく、
白黒テレビで友達に馬鹿にされたのに、
そんなものは、あったんだ。
そのオルガンもおそらく古いものを父がどこかから
引き取ってきたんだろう。
オルガンがあったおかげで、私はかなり早い時期に
「ドレミ」を理解し、小学1年生か2年生で
リコーダーで最初の作曲をした。
私の音楽好きは、父の影響(DNA?)であることは
間違いない。
昨日のリサイタルでもらったたくさんのチラシの中に、
NHK交響楽団と諏訪内晶子さんのコンサートの
チラシがあった。
指揮者は尾高忠明さん。
父は、大阪の某オーケストラの事務の仕事していた。
そこに客演だったのか、何度も尾高さんが
指揮に来ていた。
子供の頃、そのオーケストラの定期演奏会には
何度も行ったことがあり、尾高さんの指揮も
ナマで何度か聴いたことがある。
その楽しそうに指揮棒を振る姿は、
子供心にも印象的で、一時期、指揮者に
なりたいなんて、夢を持ったのも尾高さんの
影響があったと思う。
父にねだって、定期演奏会のプログラムに
尾高さんにサインを書いてもらったこともあった。
昨日もらったチラシに写っている、尾高さんは
私の記憶の尾高さんとは、全く違い、
ずい分とお年を取られていて驚いた。
当たり前だ、私の記憶は50年前のものだもの。
ああそうか、開演前に尾高さんのチラシを
見たことも、リサイタル中に父のことを
思い出した伏線になっているんだな。
昨日は、5列目の左ブロックだったけど、
明日は、6列目の右ブロックです。
違う角度で観られるのも一興かな。
ああ、なんだか尾高さん指揮のN響と
諏訪内さんの演奏会も聴きに行きたくなってきた。
ところで、今日の今日まで、
諏訪内さんは「すわうち」さんだと思っていたら、
「すわない」さんだったよ。
2022.3.20
執着について考える その1
先月、自宅の引っ越しをした。
引っ越しのたびに、人生に絶対必要でもないのに
持っている物の多さがイヤになるのだが、
それらを捨てることは、これもまたイヤで、
年齢と共に持ち物が増え続けてきた。
今年は、還暦。
そろそろ人生も後半に突入するし、
今回の引っ越しを機会に、
少し物を減らそうと試みている。
引っ越し前には、本、CD、DVDなどを170点ほど
ブックオフに持ち込んで処分したが、
先日、引っ越し後の荷物整理で、
212点の本、CDを処分した。
本は40〜50冊だったと思うので、
CDが160〜170点ぐらいだろう。
しかし、まだ数百枚のCDを所有していて、
積み上げられたCDを毎日、選別して数枚ずつ、
ブックオフに持って行く用の箱に入れている状況だ。
当たり前のことなのだが、
ブックオフの買取価格は、
悲しくなるほど安い。
特に本。
これはもう仕方ない。
CDは稀に1000円以上の値が付くものもあるが、
多くは、30〜300円ぐらいで、
100円以下のものも結構多い。
ネット・オークションに出せば、
少しは高く売れるのは知っているが、
その時間と手間を考えると、やっていられない。
オークションの場合、すぐに売れればいいいけど、
そうとも限らないので、売れるまでの間、
管理し続けるのも面倒だ。
で、手っ取り早く現金化できるブックオフの登場になる。
とはいうもの、欲と興味で何点かはオークションに出してみた。
主に楽譜。
アマゾンなどショップで売りに出ている程の金額で
なくてもよいけど、ブックオフの買取よりは、
高い値が付けばよいと思うのだが、
ついつい欲が出てくる自分を観察している。
持っていたことも覚えていない楽譜なのに、
少しでも高く売りたいのだな。
今年に入ってこれまでに27冊の楽譜が
落札された。
1冊ずつ出品しているものもあるけど、
面倒なので、3冊セットや5冊セットなど
組にしても出品してきた。
先日落札された楽譜は、もともとは2千円+税
だったけど、ショップでは大体1万円前後で
売られている。
アマゾンでは、安いのは6,800円だが、
268,114円という意味の分からない価格で
出品している業者もいる。
とてもじゃないが、そんな値打ちのあるものとは
思えない。
私は、1,000円になれば良いやと思って、
1,000円スタートでオークションに出品したところ、
3,900円もの値が付いて驚いた。
ラッキーだった。
(続く)
2022.3.21
執着について考える その2
自分の物への執着について
書こうと思ったのに 昨日書いた「その1」では、
オークションでいくらで売れたとか、ブックオフは
買取価格が安いとかくだらない話題になってしまった。
誤解の良いよう補足しておくと、ブックオフが
他店に比べて買取が安いという意味ではない
(というかそんな比較はしたことがない)。
買った時の値段や、私が思うその物の価値に
比して個人的に「安いと思う」というだけのことだ。
リサイクルショップなら、どこでも大差ないだろう。
さて、自分の所有物を整理し、手放していく。
この最中の自分の心理は興味深い。
あまりの片付かなさに
「え〜い、もう全部処分だ」と思ったかと思うと
「ちょっと待てよ、これとこれは置いておこう」と
ちまちま見直す自分がいる。
しかし、ほとんどの物は、ただ所有しているというだけで、
そのもの自体を見直したりすることは
こういう機会がなければしない。
むしろ、持っていることさえ、自分でも
分かっていないものも多く、知らないうちに
なくなっていたとしても気が付かないかも知れない。
そんなものにどうして執着するんだろう。
さすがにギターは、持っていることを
忘れているようなことはないし、
処分のハードルが高いので、前回書いたように
まずは CD と楽譜を減らしている。
どちらも、デジタル化してしまえば、
いつでも聴ける(見られる)ので、
比較的、手放すのは易しい。
デジタル・データを保有するわけだから、
完全に手放したわけではないのだけど。
本に関しては、ほぼ読み直すことは
ないだろうと思っている。
どうしてもまた読みたいものだけ、
手元に置いておけばよいだろう。
手放した後で、また読みたくなれば
買えばよいだろうし。
そして、今後 新たに買う本は、デジタルで
購入しようかと考えている。
それなら、場所は取らないもんね。
で、CD 。
一定の棚に入るだけ(200枚ぐらい)残して
他は全て処分しようと整理を始めた。
残す CD は大好きなアーティストの
ものにしたいのだが、この大好きなアーティスト、
つまり、CD を所有していたいアーティストが
多すぎて、それらの CD だけで、結構な枚数に
なってしまうことが判明した。
例えば、Char 関連だけで160枚以上ある。
エリック・クラプトン関連は、60枚以上、
そこに、上原ひろみ、トミー・エマニュエル、
マーカス・ミラー、テデスキー・トラックス・バンド、
マイク・スターン、ギジェルモ・リジェット、
ジェフ・ゴラブ、マーティン・テイラーなどなど。
これでは、当然 棚に入りきらない。
おまけに、もう今では手に入らない
BOX の限定版もある。
それらは、これまた手放すのが惜しい。
こんなことしていては、一向に減らないではないか。
で、思い直し、全ての CD を手放す「方向」で
取り組んでいる。
なぁ〜に、全部、配信で買ったと思えば良いことよ、
と自分に言い聞かせている。
データはあるのだから、聴きたければ、
いつでも聴けるんだもの。
音楽物のDVD に関しても、ほとんどは一度観たら、
観ないのだし、YouTube を探せば、
いくら時間があっても足りないぐらい、
色んな動画が、観られるのだからと、
気を静めているところです。
この、CD、楽譜がなくなるだけで、
かなり身軽になる。
まあ、本当にゼロにできるのかどうか、
自信ないけど。
DVD は、少しは手元に残すことになるだろう。
もともと本にはそれほど執着はないので、
処分するのは難しくない。
問題は、ギター、音楽機材ですな。
これは、またゆっくり考えよう。
2022.4.10
コロナ物語 その1
水曜日の夜になって、のどに軽い違和感を感じた。
痛いというほどではない。
身体が少しだるい。
その日は、珍しく21時にはベッドに入ったのだが、
夜中に何度も目が覚めた。
どうも調子が悪かった。
翌日、木曜日朝、熱はないのだけど、
身体がだるい。
のどにはやはり痛いというほどではないが、
違和感がある。
大事を取って、会社を休むことにしたが、
この日は、一日しんどかった。
と言ってもめちゃくちゃしんどいというほどではないけど。
何度も熱を測ったけど、ピストル式の体温計だと、
測るところで体温が違う。
36.7度だったり、37.1度だったり色々だ。
まあ熱があるとしても微熱というやつだが、
身体は、熱っぽい感じがしてた。
私は、この年になっても 15時間とか18時間とか、
眠れる人なのだが、眠りが続かない。
少し寝たかな、と思って時計を見ると、
1時間しか経っていない、そんなことの繰り返しで、
一日を長く感じたよ。
日曜日に大阪に帰省する予定があった。
私がコロナ陽性だとしたら、さすがに86歳の母に会うのは
まずいだろうと思ったので、
翌金曜日、検査を受けることにした。
新橋で「無料PCR検査会場」というのを
見たことがあった。
ネットで調べると、私の家からだと学芸大学駅前が近い。
渋谷の駅前にもあるが、渋谷は人が多くて、
何となく行きたくない。
金曜日の朝、熱はない。
大分、楽になった感じだ。
学芸大学駅を降りると改札口に
「PCR検査」と書いたプラカードを持った若いお兄ちゃんがいた。
「検査を受けたい」と申し出ると案内してくれた。
事前にネットでチェックしていた場所とちょっと違うところだった。
検査というのは、小さなプラスチック容器に唾液を入れるのだが、
唾液が出にくい人のために、梅干しやレモンの写真が貼ってあったよ。
検体をチェック(唾液の量が足りているか)してもらったら、
係のお兄ちゃんが
「では2〜3日後に検査結果がいきます」と言った。
「いや、今日中に結果が知りたい」というと、
「2〜3日後だと無料ですけど、今日中だと
2万〇千円かかります」と言ったので、
「いやいや、13時までの受付で当日21時までに
結果って書いてるよ」とスマホでそのサイトを見せた。
すると、「ここじゃないですね。駅の反対側に
もう1カ所ありますのでそちらです」とのこと。
案内された時に
「ネットで見た場所とちょっと違う」と思ったのも
そのはずで私は違う検査場に行っていたのだった。
結局、私は2カ所で検査を受けることになった。
無料でその日に分かる検査があるのに、
2万いくら払うのは、ちょっと高いもんね。
これで、2つの検査結果が違ったら、
どうするんやろなどと考えながら、
2つ目の検査会場に向かった。
ここでは、さっきの検査会場の検査より
唾液をたくさん入れろと指示された。
さっきの会場では、唾液採取用に使った
ストローを感染予防の観点から、
ビニール袋に入れてからゴミ箱に入れるのに対し、
ここは、そのままゴミ箱行きで、検体の方を
ビニール袋に入れて提出した。
こんなことでも検査の主催者によって(?)
対応が違うのは面白い。
2回の検査を終えたのは、午前11時ごろだったろうか。
前日に比べかなり回復した感があり、
「ああ、これは十中八九コロナではないな」と
高をくくった。
午後は、家で ゴロゴロと DVD を観て過ごした。
21時までの結果報告ということだったが、
20:21、スマホ(SMS)に通知が届いた。
「PCR検査センターからおしらせです。
AA***** の検査結果は、『陽性(+)』でした。
必ずこちらに電話番号でログインしてご確認ください。
http://pcr〜〜〜〜」
ガーン!
よ、陽性!
ちなみに この日4月8日の
東京都 新型コロナ 感染者数は 8112人。
前週比130人増だったが、
時間的に私は人数に入っていない。
(続く)
2022.4.11
コロナ物語 その2
抗原検査で再検査
検査の時に会場でQRコードを読み込み、
簡単なWeb問診を受けるのだが、熱もなく、
その時点では、のどの痛みも咳もなかった私は、
症状「なし」にチェックをした。
検査結果通知には、症状「あり」と回答した陽性者には
「提携医療機関より翌日の夜までに電話聴取があります」
と書かれていた。
症状「なし」と書いた私の場合は、
自分から連絡するということなのかなと思い、
検査結果通知に書いてあった
「新型コロナ・オミクロン株コールセンター」と
いうところに電話をしてみた。
もう21時前だったので、電話がつながらないかなと
思ったけど、つながったよ。
どうすれば良いですか?と訊けば、
「東京都福祉保健局のウェブサイトで、
診療機関一覧の中から、自分が行ける
クリニックを探して、受診してください」とのこと。
「軽症や無症状でも受診しなければならないのですか?」
と訊くと、
「そうです。一度は受診してください」と言われた。
翌日は土曜日なので、歩いて行ける距離で
土曜日も受付けている所を探したら、2軒あった。
どちらにしようかなと思ったけど、
院長先生の写真を見て、優しそうな方を選んだ。
土曜日朝、熱は 37.3度。
9時過ぎ、クリニックに電話。
事情を説明し、予約をした。
もう一度検査をするという。
15分ほど歩いてクリニックへ向かう。
今度の検査は、PCR検査ではなく抗原検査。
インフルエンザの時に検査する、
綿棒を鼻の穴に突っ込むあれだ。
もう熱も出ているし、前日夜には咳も出始めたので、
もう間違いないだろうとは思ったけど、
やはりここでも陽性。
現在の東京都の体制では陽性になると(軽症・
無症状の場合)宿泊療養と言って、
指定されたホテルに 10日間滞在することになっている。
ホテルでは食事が、日に三度提供され、
毎日体調のチェックを行うので、急変した時に
対応が早く、放置されるリスクがない。
一方、自宅療養を選んだ場合は、
一人住まいの場合、様態が急変した時に
(自分で連絡できないほど悪化した場合)
発見されず、放置されてしまう可能性もゼロではない。
食事は家にあるもの、ウーバーイーツなどの宅配
(置き配 出来るもの)でするか、
希望すれば、「配食」というフォローアップが
受けられる。
「10日間家にいればいいんだろ。
じゃあ、10日分の買出しに行ってくる」
というわけにはいかないのが厄介だ。
私は、すでにどこにも出入りしてはいけないので、
買い物にももう行けないわけだ。
前日(金曜日)の私の検査結果「陽性」を受けて、
妻は、近所のホテルへ避難した。
どうも、これは間違っていたようで、
私が宿泊療養に入り、妻は濃厚接触者なので
7日間自宅から出てはならない、という
ことであったようだ。
が、念のため検査に行った妻も「陽性」と
判断されたので、土曜日夜、自宅に帰ってきた。
もう、うつる心配はしなくていい。
2人の自宅療養生活が始まった。
(続く)
コロナ物語 その3
まさかの陰性?
金曜日に2カ所の会場で PCR検査を受けたと書いたが、
もう一つの会場の結果通知が、土曜日に届いた。
2〜3日と言われてたけど、1日で。
結果は、陰性!
まあ、PCR検査の精度ってあんまり高くなくて、
70%という記述も読んだことがあるけど、
わが身に起こるとなんだか複雑だ。
だって、50% ですぜ。
この「陰性」結果の検査しか受けていなくて、
タイミングが1〜2日ずれていれば、
私はコロナウイルスを配達しに
大阪へ帰省していた可能性もありうる。
まあ、その後の自分の症状を見ると、
もう一度検査しようと思った可能性も大だけど。
でも、もっと軽症か無症状だったら、
「陰性」を信じただろうな。
PCR検査も抗原検査も100%ではないけど、
発症してから検査すれば、かなりの確立のようだ。
私の場合、金曜日の検査時には、
大した症状がなかったということと、
「その1」に書いたけど、検体(唾液)の
量が少ない方が「陰性」だったので、
その量では、ウイルスが含まれていなかった
ということなのだろう。
もちろん、私はもう「陽性」で間違いない。
(続く)
2022.4.13
コロナ物語 その4
対応の違い
土曜日、妻は私が行ったのと同じ学芸大学駅前の
PCR検査会場で検査をした。
(私はその前日の金曜日にそこで検査した。)
土曜日の夜、妻に検査の結果が、 SMS で入ると
同時に 検査センターから電話が入り、陽性の旨と
「保健所には検査センターから通知します」と
いうことを伝えられたらしい。
(私には検査センターからの電話はなかった。)
その翌日には、保健所から妻に電話で
状況の聴取があった。
(私には保健所からの電話は一度もない。)
日曜日、私が前日に受診したクリニックから、
電話があった。
健康状態のチェックのための電話だが、
休診日なのに電話をしてくれるのだ。
私のような、軽症者にまで休日なのに
時間を割くなんて、それはそれは、
医療従事者は大変だなと思った。
前日に、妻がホテルに泊ったことなどを
看護師さんに話していたので、
妻も陽性だったことを伝えた。
妻も受診する必要があると思っていた私は、
電話を妻に替わり、彼女は月曜日の受診の予約をした。
そのあと、保健所から妻に電話があった。
彼女が「明日(月曜日)クリニックへ受診しに行く」と
伝えたところ、保健所の人からは
「クリニックへは行かないでください。
一歩も家を出てはいけません。
必要なことがあれば、サポートします」
と言われたらしい。
同じ所で、PCR検査を受けたにもかかわらず、
どうして、こういう違いが起きたのか分からない。
ただ、私は電話がなかったおかげで、クリニックに行った。
そのおかげで熱と痛みを下げる薬、喉の腫れを抑える薬、
咳を止める薬を処方された。
土曜日の朝の時点では、咳止めがいるほどの
咳は出ていなかったので、私は「いらない」と
言ったのだけど、先生が「出しておきますね」と
処方してくれたのだ。
おかげで、熱や咳が出始めてすぐに薬を
服用することが出来た。
自宅療養だと保健所のサポートがあるとはいえ、
症状が悪化してから、連絡して、薬の手配と
なると、どうしても時間がかかってしまう。
私はたまたま薬を処方されたからよかったけど、
こういう面では、宿泊療養の方が心強いと言える。
(すぐに薬をくれるらしい。)
そして、妻への保健所の対応を見ると、
私は陽性と判明後、クリニックに行くべきでは
なかったのかも知れないが、私の電話を受けた
クリニックとしては、診察しないわけにはいかなかったと
いうことだろう。
いや、待てよ。
「新型コロナ・オミクロン株コールセンター」は、
私に「クリニックで受診しろ」と言ったが、
妻に電話をしてきた保健所は、
「家を出るな」と言ったわけだから、
対応が違うということになる。
よく分からんな。
私は、処方された薬のおかげもあって、
咳は、2〜3日でほぼ収まった。
その薬は、遅れて症状が出ている妻が服用している。
彼女は、薬を処方されていないから、
薬があって助かったと言える。
私に、検査センターから電話があったのは、
検査から4日目(火曜日)だった。
保健所には届けたかどうかの確認だった。
その日、検査に関わっているクリニックからも
状況確認の電話があった。
4日目・・・。
もう私は、回復に向かい始めてるよ。
ちょっと遅いと思ったけど、それだけ
現場ではいまだに混乱があるんだなと思った。
(続く)
2022.4.14
コロナ物語 その5
自宅療養は不便か?
東京都の場合、コロナに感染すると、
入院するほどの症状でない場合、
宿泊療養か自宅療養を選択することになる。
宿泊療養は、都が用意してくれた
ホテルで 10日間過ごすことになる。
宿泊療養は、PC と スマホがあれば、
多くの用を片付けることが可能だろうし、
体調にもよるが、テレビやネットで娯楽を
楽しむことも出来る。
そして、日に3回食事が与えられ、
具合が悪くなれば、医療スタッフが対応してくれる
ことになっているらしい。
軽症・無症状の者にとっては、10日間の
隔離は不便を強いられるが、感染対策のためには
仕方がないし、食事などのフォローがあるのは、
ありがたいことだ。
私は、持ち運べる PC が会社にあるので、
取りに行くことも出来ず、10日間、
仕事の連絡が取れなくなるのも困るし、
家にいれば、いくらでもやれることがあるので、
自宅療養を選んだ。
でも、家族に子供や高齢者がいたら、
宿泊療養を選ぶしかないんだろうなと思う。
我が家は、妻とふたりそろって陽性に
なったおかげで、孤独な療養生活を送らずに済んだ。
10日間、体調がそんなに悪化しなかったとして、
問題は食事だ。
友人数人が、食べ物などの買い出しを
申し出てくれた。
ありがたいことだ。
でも、友人にお願いするまでもなく、
今では、あらゆるものが宅配可能だ。
そしてそれらは、希望すれば、コロナ対策で、
非接触で配達される。
自宅療養になって、初めて、
ウーバーイーツを頼んだ。
注文時に「置き配」「非接触」を選べば、
玄関に置いて行ってくれる。
支払は、注文時にクレジットカードや
PayPay などで済ますことが出来る。
試しにスーパーマーケットの宅配も利用してみた。
イトーヨーカドー。
驚いたことに、配達料が 110円だった。
それは、たまたまキャンペーン中だったみたいで、
今は 330円だけど、330円でも、部屋まで
運んでくれるのは、ありがたいよ。
梱包も丁寧だし。
ドリンク類は、重いから特に助かるね。
日曜日に、保健所からの電話で、
妻が「食配」のサポートを聞かれた時、
まだ、スーパーマーケットの宅配を
思い浮かんでいなかったので、頼んでみた。
2日後(火曜日)、段ボール箱2箱分の
食料とミネラルウウォーター(2リットル)6本と、
パルスオキシメータ(貸出)が届いた。
(これは、全部妻の分として。)
「食配」って、毎日、自宅まで弁当運んでくれるのかと
一瞬思ったけど、そんなわけないわな。
送られてきた食料は、基本的に保存食。
インスタントラーメン、缶詰、パックのご飯、パスタ、
レトルト食品(おかゆ・どんぶりの素・カレー・
パスタソース)、味噌汁、カロリーメイト、ソイジョイ、
紅茶、コーヒー、ポカリスエット、野菜ジュース、などなど。
1週間分ということだが、結構な量だ。
写真はひと箱だけど、こういうのが2箱ね。
生野菜とか生卵とか、そういうのはない。
それは、仕方ないとして、これが無料で
配られるわけだから、日本はええ国やなと思う。
今は、ネットでビデオも観られるし、
自宅療養も 体調さえ悪化しなければ、
思ったほどの不便ではないのでした。
ただ、運動不足にはなるね。
パルスオキシメータ
酸素飽和度 99、脈拍 87
酸素、足りてます。
(続く)
[ 参考サイト ] 東京都福祉保健局
自宅療養者フォローアップセンターから健康観察を受ける方へ
2022.4.15
コロナ物語 その6
健康状態の記録
前回まで曜日で書いていたけど、
1週間たってしまい、分かりにくいので、
何日目という記述に変更する。
私は、水曜日の夜から具合が悪かったので、
4月6日(水)を1日目とし、隔離期間終了日の
4月16日(土)を11日目とする。
一番しんどかったのは、2日目で、
ほとんど寝てばかりだった。
熱は高くなかったけど、身体は熱っぽく、
頭がぼぉーっとしてた。
3日目(検査に行った日)には回復した感も
あったが、4日目が一番熱が高く、37.8度。
(大したことない。)
そのあたりから咳も出だした。
咳は、4日目夜あたりが一番ひどかったように思う。
5日目には、熱も下がり、咳もましになってきた。
が、5日目の深夜、足がだるくて何度も
目が覚めた。
夜中には、足だと思っていたが、
お尻の下半分がだるいというか、痛いというか、
言葉にしがたい症状だった。
6日目以降は、この痛みが問題になった。
妻は「坐骨神経痛だ」という。
そう言えば、数週間前妻は
「坐骨神経痛が痛い」と言っていた。
同じ症状だというのだ。
ネットで調べると、まさにその症状だ。
座っているときは、まだ良いのだけど、
寝ようと横になると眠れないほどに痛かった。
夜中に布団から出て、YouTubeで
「坐骨神経痛」と検索し、すぐにできそうな
ストレッチをいくつか試してみた。
でも楽にならない。
「痛みが3秒で消える」という動画もあった。
本当に痛みが消えるのだけど、
その姿勢でいなければならず、ずっとは無理。
で、これは痛み止めを飲むしかないと思ったが、
数年前には痛風対策で常備していた痛み止め
「ロキソニン」は痛風発作の心配がなくなって
しまったので、もう今はない。
ふと 今回処方されている薬の説明文に
「痛みを和らげたり熱を下げる」と
書いてあったのを思い出した。
その薬(カロナール錠)について、ググってみると
腰痛、筋肉痛などにも効くと書いてあるではないか!
というわけで、解熱剤として処方されたと思うのだけど、
坐骨神経痛に役に立ったという展開でした。
7日目は、薬が切れると痛みが始まって、
やはり夜は、薬を飲まないと眠れないほどだったのだが、
7日目夜に妻がパーレという施術をしてくれたことと
ストレッチのかいもあってか、8日目以降は
7日目ほどではなくなった。
でも、やはり痛い。
コロナと坐骨神経痛の関連性はないと思うけど、不明。
普段の姿勢の悪さが、影響しているのかも知れない。
4日目に受診したクリニックからは、
5日目以降、日に一度、毎日電話があった。
患者の容態が急変していないか、
チェックしてくれているのだ。
その電話も、昨日(9日目)に
容態が悪くない人は、2日前に終わって良いとの
ことで、終わりますと告げられた。
受診した日(4日目)から毎日、スマホで
厚生労働省の「My HER-SYS(マイハーシス)」という
「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理
支援システム)」に体温や酸素飽和度、
体調などを送っている。
私には毎日、入力フォームから入力するよう
リマインドのショートメールが届いているが、
保健所と直接コンタクトを取った妻は、
LINE で送っているらしい。
画像は、「My HER-SYS」の履歴画面。
これを書いている現在(10日目の午後)は、
コロナの症状としては、熱・咳はないが、
喉に少し痰が絡んでいて、時々鼻水が出る程度。
身体は、元気だ。
坐骨神経痛は、軽くある。
いよいよ明日で隔離期間も終わる。
10日って長いような気がしたが、
始まってしまえばあっという間だったな。
この機会に片付けようと思っていたことの
ほんの一部しか出来なかった。
まだ1日半あるけど。
2022.4.16
コロナ物語 その7
残念だったこと 良かったこと
ようやく今日で隔離期間を終える。
昨日も書いたけど、あっという間だった。
でも、自宅にいたからで、ホテルに閉じ込められて
いたら、もっと長く感じたのかも知れない。
結局、感染もとについては、唯一、
あそこでうつったな、と思うことはあるのだが、
その相手は陽性になっておらず、確実ではないし、
今となっては、確かめようもない。
まあ、私も妻にうつした感染源だし、
誰から感染したかは、どうでも良いことだけど。
残念だったのは、この自宅療養期間中に
チケットを取っていた2つのライヴに
行けなかったこと。
一つは、4月8日の
「塩谷哲 Special Duo Live with 小沼ようすけ」
@ブルーノート東京。
もう一つは、昨日(4月14日)の
「小島良喜 solo」
@ 目黒 BLUES ALLEY JAPAN。
どちらも楽しみにしていたのに残念だ。
今考えれば、誰か行ける人に譲ることも
出来たのに、そんなことさえ思いつかなかった。
もったいないことをした。
それから、10日は父の命日で、
大阪に帰省する予定だったが、これは来月に延期。
うち(実家)は、宗教がとても中途半端なので、
宗教的なセレモニーはせず、家族だけで食事をして、
故人を偲ぼうということになっていた。
まあ、これは延期すればよいことなので、
特に問題はないけど。
あと、11日に妻が出演するイベントに
リアル会場で参加の予定だったが、
それは、ZOOM で試聴した。
妻は、具合の悪い時期だったが、
出演時間を減らし、数分間、ZOOMで出演した。
タイトルに「残念だったこと 良かったこと」って書いた。
良かったことなんて、ないのだけど、
この期間、結婚して、というか人生で一番自炊したね。
私は普段、90%以上外食か中食なのだけど、
この期間、私も妻も交代で、食事を作った。
それは意外に楽しかった。
なんとなく、老後の生活のイメージ。
スーパーの宅配は、とても便利だし、
配送料も安いけれど、どうしても商品の選択肢が限られている。
イトーヨーカドーとライフ、合わせて4回利用したけど
毎回、ちょっと高いなぁって感じたのは、
もともとの値段設定が、店頭より高いのかも知れないな。
でも、便利な時代になったよ。
混んでなければ、午後に注文しても、
その日のうちに届くんだから。
「坐骨神経痛」は、今日(11日目)は、
全く痛くなかった。
嘘のように消えた。
たぶん、昨夜から痛くなかったんだと思う。
昨夜は、久しぶりにアルコールを飲んだ。
それが効いたか?(そんなわけない。)
明日、整体を予約してあるので、行ってくるけど。
お酒を飲みたいと思えるほどに回復したということだが、
体調は、98%ぐらいの感じかな。
あともう一息だけど2〜3日もすれば、
この感じも消えるだろう。
味覚や臭覚に症状はでなかったし、
大したことはなくて良かった。
これなら、過去にひいた風邪で
熱が39度とか出て、もっとしんどかった
ことが何度もある。
もう7〜8年、そういう風邪もひいてないけど。
「コロナ物語」は今回で完了とする。
また書きたいことが出てきたら、追加するけどね。
皆さんも気を付けて。
2022.4.18
コロナ物語 その8
追記
コロナ自宅療養期間中3〜4日、
ひどい坐骨神経痛に悩まされた。
昨日、整体に行ったのだけど、
「この辺りが痛かった」と言うと
整体の先生が言うには、
「それは坐骨神経痛ではない」と。
でも、かかとの一部を押されて「痛い?」と
聞かれて「痛い」と言うと
「ここが痛いのは坐骨神経痛だ」と言う。
つまりは、あの痛みは原因不明だった。
コロナの症状は、結構、多岐にわたるので
結局は、コロナの影響かも知れない。
2020.5.4
渋滞のゴールデンウィーク
毎年、ゴールデンウィークは、
旅行を楽しみにしているのだけど、
昨年、一昨年はコロナのおかげで
どこへも行かずだった。
今年は、国内であればほとんど制限も
ないようだし、そろそろいいんじゃないかと、
思ったが、まだ遠くに行くことには
なぜか考慮があった。
近場なら良かろうと思い、一泊旅行で
千葉に美味い海鮮を食べに行こうと、
鴨川市小湊にある「海鮮問屋の宿
くろしお」という宿を予約した。
昨日の朝 10:30頃、車で自宅を出発。
ちょっと出発が遅かったが、
木更津のアウトレットに寄って、
海岸沿いに走れば、
良い時間に宿に着くだろうと考えた。
途中までは すいすいと走ったが、
大井町競馬場を過ぎた辺りから混み出した。
そして、羽田空港の手前で
全く動かなくなった。
渋滞ではなく、停滞だ。
30分ぐらい動かなかったように思う。
ナビは、(たぶん)湾岸環八入口から、
高速に入るように示していたと思うのだが、
その入口の合流のための渋滞かなと思った。
が、それにしては全く動かなさすぎる。
隣りを走る高速道路はトロトロとだが、流れている。
数十分前に 白バイが一台 サイレンを鳴らして
追い抜いて行ったので、もしかしたら、
高速入口前で事故でもあったのかも知れないが、
その白バイ以外にパトカーも救急車も来ない。
出発して、既に2時間が経ったが
まだ羽田空港を過ぎていない。
通常なら、自宅から30分もあれば行ける距離だ。
ナビを見ると、高速の入口まではもちろん、
そこから先も木更津まで半分以上、
渋滞の赤色を示している。
ふと、隣りを走る高速入口の
電光掲示板を見ると
「海ほたるまで120分」と見えた。
ゲッ!
このままだと ここから木更津まで
2時間半か3時間かかることになる。
クーラーを入れないと暑いような天気で、
飲み物を何も持っていない。
このまま 高速に入ってしまうと、
今から2時間半から3時間は
水も飲めず、トイレにも行けない。
おそらく海ほたるの駐車場も満車だろう。
そうなると、(出発して既に2時間が
経過しているので)5時間 車内にいることになる。
プランを変更するなら、今しかない。
動かない車の中で、違う道を行く方法、
自宅に車を置きに戻り 電車で行く方法、
そして、このまま当初のプラン通り行く方法を
検討した結果、引き返すことに決定した。
既に12:30を過ぎており、
喉も乾いたし、オシッコもしたいし、
お腹も空いてきた。
ちょうど羽田空港への分岐点だったので、
そこでUターンすることにした。
2時間かけて進んだ距離は 15キロほど。
帰りは、ガラガラで30分もかからなかったよ。
車を置いて自宅に戻り、
少し身軽にして再度出発。
昼食を取り、15時東京駅発
特急 わかしお 11号に乗り、勝浦まで。
勝浦で乗り換えで、安房小湊(あわこみなと)に
着いたのは、16:50分ぐらいだった。
宿まで タクシーに乗ろうとしたが、
タクシー乗り場に車の姿はない。
バスの時刻表を見たが、バスもない。
仕方なく宿まで20分程歩くことに。
宿に到着したのは、17:15ぐらいだった。
朝、家を出てから、実に7時間近くが
経過していたのであった。
もちろん混むとは思っていたけれど、
まさかここまで酷いとは思わなかった。
甘く見過ぎでいた。
特に今年は2年ぶりの制限のない連休だ。
人々(私たちを含めて)の解放感は
爆発的なことに気づくべきだった。
基本的にゴールデンウィークの旅行は、
飛行機か新幹線で移動し、現地で
レンタカーを借りるというスタイルなのだが、
千葉なら近い という考えが甘かった。
ゴールデンウィークに車で出かけるのはもうやめよう。
そういえば、10年ほど前、ゴールデンウィークに
妻の実家の山形まで車で行ったことがある。
新幹線を利用すれば、ドア・トゥ・ドアで、
3時間半から4時間程度で着くところ、
8時間かかったのを思い出した。
2022.5.19
「つつみは最近、何を読んでいますか?」
最近、読書をしている。
こういうのをマイブームと呼ぶのだろうか。
本を読むのは好きだけど、
それよりやりたい事が多くて、
年間数冊程度しか読まない私が、
ひと月ほど前から、続けて読むようになった。
ゴールデンウィークのおかげもあるけど
この1カ月ほどの間に4冊読み終えた。
引っ越しのあと、物を減らすために、
手元に置いておく本と処分する本の
区別をするために整理し始めたのが
きっかけになった。
そして、読んだ本が面白いと、
続けて違う本を読もうと思うが、
読み始めた本があまり面白くなく
途中で止まってしまうと、読書という
行為自体が止まってしまうんだと気付いた。
20代の頃には、ろくに仕事もせずに
安アパートに引きこもって、
数カ月間、本ばかり読んでいた時期もあった。
あの時が人生で一番読書した。
きっかけは、失恋だった。
人間を一番成長させるのは、
恋愛だと何かで読んだことがあるが、
なるほど、そうだと思う。
高校時代の恩師、菊井先生は、
よく私たちに「本を読みなさい」と言った。
週に一冊、年間50冊読めと。
先生が薦めるのは、トルストイの『戦争と平和』、
『アンナ・カレーニナ』などだったが、この2冊は、
卒業から40年以上経った今もまだ読んでいない。
死ぬまでに読もうと思うかどうかも分からない。
(たぶん読みそうにない。)
他にもたくさん薦めたられた気がするけど、
何しろ興味のない本ばかりだったので、覚えていない。
ある日、先生が訊いてきた。
「つつみは、最近何を読んでいますか?」
私が、「筒井康隆です」と答えると、
先生は、何も言わずに ちょっと困った様な
顔をされたのが、印象に残っている。
筒井康隆、面白いんだけどな。
たぶん、菊井先生は読んでいなかったんだろうな。
今でも忘れられないのが『家族八景』。
人の心を読み取る能力を持つ少女、
七瀬が、お手伝いさんとして8軒の家で働く物語。
その家族の心理を全部、読み取ってしまうのだ。
読んだのは、高校卒業後だったかもしれないけど、
人の心の中が、赤裸々に語られるのが、
とても強烈だったのを覚えている。
『家族八景』は、続編があって、
『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』と続くのだが、
『家族八景』のインパクトが大きかった分、
だんだん面白くなくなっていった覚えがある。
もしかしたら、今読んだら、違う感想を持つかもしれない。
2022.6.1
祝! 15周年
2007年6月1日、
この「ひとりごと」をスタートさせました。
なんと 15年です。
「もう」なのか「まだ」なのか、
15年の感覚が分かりません。
と、思ったら、分かりました。
「もう」でもなく「まだ」でもなく、
「ただ」15年なのだと思います。
次の15年、続けたら
私は75歳になります。
生きてたら。
どんな世界になっているんでしょうか。
争いごとのない世を望みます。
何千年も大した進歩のない人間が、
少しは賢くなっていると良いのですが、
15年では足りませんか。
というか、15年前より
私は少しは賢くなったのかな。
健 康 診 断
今日は、もう10年以上毎年受けている
健康診断に行ってきた。
血液検査、検便、検尿、血圧、
心電図、視力、聴力、胸部レントゲン、
胃のバリウム検査などだ。
このバリウム検査というのが、毎年イヤだ。
昨年は、大腸ポリープを取って数ヶ月だったため、
バリウム検査はやらなかったので、
今日は、2年ぶりだった。
バリウム検査は、発泡剤とバリウムを飲んで、
ゲップを我慢しながら検査台の上で、
検査技師の言うままに、
何度も何度も転がらなければならない。
俯瞰して見ると(何をやっているのか
知らなければ)異様な世界だ。
検査台の上で逆さにされたり、
何度も回れと言われたり、
ゲップを我慢しろと言われたり、
21世紀なのにこんな検査なのかと思ってしまう。
そして、検査の後には、バリウムを
排出するために下剤を飲まなければならない。
下剤の効きが治まるまでは、怖くて出かけられない。
いつ、ヤツがやって来るか分からないからな。
検査としては、内視鏡の方が断然優れているが、
これはこれで別のツラさがある。
一番楽なのは、麻酔で寝ている間に
内視鏡検査をやってもらうことだろうな。
それは、費用が高い上、
麻酔は麻酔で別の問題もあるんだろうな。
視力・聴力検査では、検査時に、
昨年の数値も分かるしくみになっている。
両方とも昨年より、落ちていた。
視力は、年によって良くなったり
悪くなったりしているので、それほど気にはならないが、
耳が悪くなっていたのは、ショック。
検査なので、凄く小さい音量なのだけど、
左耳が 1000Hz の音を聞き取れなかった。
自然なことだけど、老化なんでしょうな。
2022.6.3
23周年
昨日は、妻の誕生日で私たちの結婚記念日。
久しぶりに島津山(品川区東五反田)の
リストランテ・アンジェロでディナー。
年に1〜2回程度だけど、
オープン当初(2010年)から、通い続けている
お気に入りのリストランテ。
料理の創作が素晴らしいんだ。
さて、妻は、58歳になった。
結婚は、23年。
結婚前に1年間 同棲期間があったので
妻とは、24年 一緒に住んでいる。
私は、23歳で実家を出て一人暮らしを
始めたので、ついに両親と暮らした時間を
妻と暮らした時間が上回った。
結婚って、他人(妻)と暮らした方が、
肉親と暮らすより長くなるねんな。
考えれば、当たり前やけど。
だから、何だと言うことはないのだけど、
そんな風に考えると、
人生って不思議。
そして、言い古された言葉やけど、
長いようで短い。
だって、もう23年ですぜ。
2022.6.13
コロナ物語 その9
後日談
4月に新型コロナ感染症に罹った。
4月7日から16日まで(自宅)療養期間だった。
夫婦そろって感染した。
というか、妻には私がうつしたんだろうけど、
2人ともあまり大したことにならずに済んだ。
3〜4日ほど前、妻と私宛に保健所から封書が届いた。
「感染症の予防及び感染症の患者に対する
医療に関する法律に基づく感染症患者等の
届出及び就業制限について」という
長ったらしい表題の書類。
A4サイズで裏表。
日付は、4月9日になっている。
要は、法律に基づき、病原体を保有しなくなるまでの
期間、就業が制限されますよ、というお知らせだ。
制限される業務は、飲食物の製造・販売や
接客業など多数の者に接触する業務。
この制限のある業務に従事した者は、
50万円以下の罰金に処せられることがあるらしい。
あんまり現実的ではないけど。
ちなみに私は、これらの業務に該当しない。
でも、10日間自宅療養した。
私は、何の法律に従ったんだろうか。
自分でも分かっていない。
まあ何でもええねんけど。
保健所の指導があるわけだから、
何か根拠となる法律か何かがあるんだろう。
それにしても、4月9日付の書類が、
2カ月遅れて届くとは。
「遅くなってゴメンね」的な文書も
添えられていたけど、保健所の混乱ぶりが窺える。
そういえば、同じ PCR検査所で1日違いで、
検査をしたのに、妻にはすぐに保健所から
電話があったけど、私には電話がなかった。
そのあたりも保健所の多忙・混乱の現れかも知れない。
今日の東京都の新規感染者数は、960人。
1000人を下回るのは1月11日以来だという。
一番多かった2月2〜3日には、
1日の新規感染者が2万人を超えていたんだから、
そこから考えると、ようやく、コロナとの
共存が出来るようになったということだろうか。
また、増える日が来なければいいけど。
2022.6.29
腎臓がいかれたか?
数日前、朝起きると背中に痛みがあった。
変な姿勢で寝てたのかな、と思ったが、
起きてしばらくすると、痛みは消え、
そのことは忘れてしまった。
翌日、また同じように痛みがあったが、
その日も起きて数十分もすると
痛みは無くなった。
今日で3日目だろうか、もしかしたら、
4日目かも知れない。
やはり、目が覚めると背中が痛い。
今日は、今までより痛みが酷い感じがする。
痛みは腰の少しうえの左側にある。
あーこれ、きっとどっか(内臓)悪いな、と思った。
起きてすぐ、ネットで調べると、
起床時に背中の左側に痛みがある場合、
腎臓に問題がある疑いがあると出てきた。
「腎臓かぁ、どこにあるか、何してくれてる臓器か、
全然知らんなぁ」と思いながら、
深刻な病気だったら、面倒なので
検査をすることにした。
痛風(高尿酸値症)の治療で通っている
クリニックで、症状を伝えると、
尿検査と血液検査をしてくれた。
結果は・・・・、
異常なし。
もし、腎臓に異常があれは、尿になんらかの
形で現れるらしいが、何もない。
血液検査の炎症のマーカーも数値はゼロ。
体内のどこにも炎症を起こしていない、
ということらしい。
医師は、念のため、エコーで診てみましょうと
言うので、エコー検査もしたが、
これまたどこにも異常は見られない。
「もしかしたら、癌だったりして」と
ひとり密かに盛り上がっていたのが、
バカみたいに、どこも悪くないと言う。
医師の見立てでは、筋肉のことではないかと。
寝てる姿勢なんかの影響で。
確かにたくさん寝ると起きた時、
背中が痛いんやけど、その痛みとは
違うと思ってんけどな。
痛みどめと(炎症はないと言いながら)炎症を
抑える薬を処方された。
数日飲んで様子を見ましょうとなったのだけど、
もらってきた薬は、ロキソニンだった。
ロキソニンを飲むほどは痛くないねんな。
まあ、しばらく様子をみよう。
それにしても。
どこも悪くなかったのは、喜ぶことだろうに
なぜかちょっと不満なのは、どういうことだろう。
2022.7.1
腎臓がいかれたか? その2
起床時の背中の痛みの原因は、
腎臓なのではないかと素人ながらに疑ったが、
検査の結果、腎臓に異常は認められず、
筋肉のことだろうということになった。
体調が優れない時や、身体のどこかが
痛いときに行く整体がある。
いつも、K先生を指名して
もう何年も診てもらっている。
と言っても、今年は2回目だし、
空くときは1年以上行かないこともある。
一度、K先生がお休みの日があって
「違う人でも まあいいや」と思って
施術を受けたら、これが全然良くなかった。
痛いし、気持ちよくないし。
施術する側の技術なのか、
いわゆる相性なのか からないけど。
昨日、60分K先生に身体をほぐしてもらったおかげで
今朝は、昨日の朝に比べてかなり痛みが、軽かった。
昨夜は、酔っぱらって10時ごろに寝てしまったのだけど
夜中に何度も目が覚めては、「あ、背中 痛ない」と
半分無意識に確認していた。
たぶん5〜6回かもっと目が覚めているので、
あんまり熟睡できていないのかも知れない
結局、朝起きたときは、痛かったんだけど。
11時間ぐらい寝たので、寝過ぎのせいもあるかもな。
K先生に「寝返りしてますか?」と訊かれた。
以前、腰が痛い人は寝返りの回数が少ないと
いうのをテレビで観たことがある。
寝返りを打たないことで、長時間同じ姿勢で
寝ていることになり、身体の一部が圧迫されたり、
血流が悪くなったりすることで、
背中や腰が痛くなる。
そのテレビ番組を観たときに、若いころに比べたら、
私も確実に寝返りが減っていると感じた。
K先生に「寝返りしてますか?」と訊かれて
気が付いたのだが、夜中に何度も目が覚めるのは、
同じ姿勢でいることに身体がつらくなって
寝返りを打つためなんだ。
寝ていて無意識に寝返りを打つのではなく、
目が覚めて(といっても半分寝ているような状態)
自分で(半)意識的に寝返りを打つのだな。
もう、我慢できなくなって目が覚めるのだろうから、
すでに身体にはそれなりの負担がかかっていると
いうことではないだろうか。
う〜む。
年を取ると身体が色々変化してきよるのぅ。
なんとか、自然に寝返りを打てないものかね。
あと、寝る前にやると良いという体操があるらしいので
調べてみようと思う。
2022.7.3
どうしよう
幻聴が止まらない・・・
昨日は落語会で有楽町へ出かけるのに
JR山手線に乗った。
うまい具合に席が空いていたので座った。
私は、読書をしていたのだが、
しばらくすると、音楽が聞こえてきた。
私の左の方から聞こえる。
誰かがスマホのスピーカーから音を出して
いるような音だ。
公共の場所で、そういうことしたらあかんやろ、
と思いながら、見渡したが犯人は分からなかった。
品川駅で、席が空くと私の左隣に座っていた
若い女性が、一つ席を移動した。
単に空いたから引っ付いて座っている必要は
ないので移動しただけかも知れないけど、
なんとなく変な感じがした。
(あ、オレ、臭いのかな)とも思った。
音楽は一向に止まない。
もしかしたら、イヤホンから漏れる音か?
それにしては、でかすぎるぞ。
イヤホンからこんだけ漏れてたら、耳壊れるで。
有楽町に着いたので、電車を降りた。
落語会の会場に着いて席に座った。
一息つくと、今度は何やら英語のラジオの
ような音声、男性の喋り声が聞こえてきた。
こんなとこで誰が何をしてんねん、と
周囲のスマホを観ている人を見渡したが、
それらしき人は、見つからない。
ふと、凄く近くでその音が鳴っていると気づいた。
電車の中の音楽といい、これはどういうことや?
えっ?
俺の幻聴?
まさかぁ〜。
念のため、席を立って会場を出てみた。
外に出て、音が聞こえなければ、
会場内の誰かのスマホの音ということになる。
ロビーに出て耳を澄ますと・・・
聞こえるではないか!
さっき、席について聞こえていた、
英語の男性の喋り声が、聞こえるのだ!
ヤバイ!
俺の頭の中で鳴ってるんや!
こんなはっきり、幻聴が聞こえるなんて、
かなりおかしくなってるということか!
と、思った瞬間、ふと、ポケットの中の
スマホを取り出すと、スマホが BBC ラジオを
流してました。
どっひゃ〜!
そら、電車で隣に座った人、離れるわ。
ポケットの中で、何かの拍子に ON になったようでした。
やれやれ。
2022.7.4
サムライ
(『プロジェクトX』のナレーション風に読んでください。)
* * * * * * * * * * * * * * *
ポールは、南フランスの小さな村で育った。
高校生の時、アジアの歴史の授業で
日本のサムライのことを知った。
いつか日本へ行ってサムライに会いたいと思った。
それから、10年後、パリのホテルの
ビュッフェで働いていた時だった。
国際的にビジネスを展開している
日本人実業家に声をかけられた。
ポールの仕事ぶりに惚れて、
日本で働いてみないかという誘いだった。
あまりの突然のことに、
その場では答えることが出来ず、
「家族と相談します」とだけ答えた。
以前からポールの日本好きを知っていた妻は、
「あなたならやれるわよ」と背中を押してくれた。
1994年9月、ポールはついに日本の地に降り立った。
仕事が軌道に乗れば、家族も呼び寄せる予定だった。
日本語はろくに喋れなかったが、
日本へのあこがれと、やる気だけは十分だった。
来日して、数年間その実業家の経営するレストランで
働いたあと、どうしても学びたかった日本料理の
店に修行のため入った。
師匠である長谷はとにもかくにも厳しかった。
あまりの厳しさに、若い日本人が長続きせず、
次々と辞めていった。
しかし、ポールはどんなに怒鳴られても
叱られても、辞めなかった。
ただただ、和食を、長谷の腕と味とを 学びたかった。
毎日毎日、「はい」と「すいません」の繰り返しだった。
5年ほど勤めたとき、2週間の休暇をもらい、
フランスに里帰りすることになった。
明日から休暇だという日、長谷はポールに
「これは日本の餞別だ」と言って、
一通の封筒を渡した。
お金が入っているんだろうと予測がついた。
5千円かな1万円かなと思うポールの期待を裏切り、
封筒には5万円が入っていた。
驚きだった。
フランスから戻ると、長谷はポールに閉店後
店に残るように言った。
他の従業員が帰ったあと、
長谷とポールの特別授業が始まった。
長谷は、魚の捌き方から、出汁の取り方など
遅くまで丁寧に教えた。
そんな日が何日も続いた。
終電がなくなると、長谷はポールも一緒に
タクシーに乗せ、自宅まで送った。
それから2年、ポールは次の店に移ることになった。
店を辞める日、ポールは長谷からあるものを贈られた。
刺身包丁だった。
同僚が「それ、7万円するよ」と教えてくれた。
ポールにとって、長谷は神様のような存在だった。
その人に認められたと思った。
その後、ポールはパリの三ツ星ホテルのシェフだった
フランス人と南仏風料理のビストロを始めた。
しかし、家ではフランス料理は食べない。
家では、もっぱら和食しか食べない。
自宅に招かれる日本人の友人は、
フランス料理が食べれるのかと思って期待するが、
ポールは和食しか出さない。
そんな日には、師匠にもらった刺身包丁が活躍する。
料理人の包丁は、サムライのカタナ。
ポールにとって、長谷は日本で初めて
出会ったサムライなのだった。
完
* * * * * * * * * * * * * * *
(あとがき)
最近、あるフランス人に聞いた話を
ベースに書いてみました。
名前や細かい点は、私の創作です。
2022.7.12
義父に会いに
義父に会いに妻の実家のある山形に行って来た。
義父は3週間ほど前、脳梗塞で倒れて
救急車で運ばれて入院していたんだけど、
今はコロナのせいで面会が出来ない。
今日、入院している病院から別の病院に
転院するので、移動の時なら会えるという。
転院後はまた面会出来なくなるというので、
この機会にと思い、妻と会いに行って来た。
義父は、今年90歳になった。
元大工の棟梁で、細かいことにこだわらない
豪快な人だ。
なにしろ、あの女(私の妻)を育てた人だ。
昨年、義母が施設に入らざるを得なくなり、
義父は一人暮らしになった。
昨年、一昨年は、コロナのため 山形には行けず、
今年GWに会ったのは、約2年ぶりだったけど、
少し弱気になった印象だった。
昼間は活動的でも義母がいなくなり、
ひとりだと家にいると話し相手も
なく寂しかったのかも知れない。
今日は、ほんの2ヶ月半ぶりだったけど、
少し痩せていた。
GWには施設がコロナ感染対策で、
面会を禁止しており、義母には会えなかった。
今日は、義母にも会ってくるつもりだったが、
また会えなかった。
老人介護施設は、クラスターが発生すると
大変だから、仕方ないけど。
2月だったか、妻が一人で行った時は
ガラス越しに会えたので、今日もガラス越しでも
良かったのにな。
2022.8.7
ついに 還暦!
今日(8月7日)が誕生日で
ついに 60歳になった。
一昨日、友人のK彦から、
還暦祝いのワインが送られてきた。
スロベニアのワインだという。
「スロベニアってチェコ?」って思ったけど、
あれは チェコスロバキア ですな。
スロベニアってどこにあるかも知らんかった。
1991年に ユーゴスラビアから独立した、
イタリアの東に隣接する人口 200万人程度の
小さな国だ。
ワインは、還暦にちなんで「SIXTY」という銘柄。
1.5 リットルの大きな瓶。
普通のワインの2本分です。
「VINAKOPER(ヴィナコペル)」が
ワイナリーだろうとググってみると、
スロベニア語のウエブサイトが見つかった。
グーグルは、簡単に日本語に訳した表示ができるので、
以前だったら、全く分からなかったことが簡単に知れて便利だ。
「SIXTY は、スロベニア・イストリアの
代表的な品種の一種です」とあるので、
ぶどうの名前なのだな。
ありがたく頂きます。
昨日の夕食は、妻が目黒のイタリアン
「laugh」を予約してくれていた。
「laugh」は少し前に、通りがかりに見つけて
入ってみたら、美味しかったので、
また行きたいと思っていたレストラン。
数日前、妻に「6日はどこに食事に行くの?」と
尋ねても何やら意味不明な態度で、
中々お店の名前を言わない。
そんな妻の挙動不審さから、
何か企てているな、とは感じていた。
お店に行ってみると、ガラス張りの店内の
通りから良く見える席に、
明らかに変なグループが座っている。
金髪や赤い髪ののカツラを被った人達。
瞬間に分かった。
姉だ。
大阪から、姉、姪、甥、甥の嫁さんの
4人が、お祝いに来てくれていた。
全く予想しないサプライズだった。
この人たち(特に姉62歳)は、
やたらと被り物が好きで、
毎年のように、正月には被り物を
被っては、大笑いしている。(平和です)
姉が母からの手紙を持ってきてくれたのだが、
そこには、子供がふたり(姉と私ね)とも
還暦を迎えることが出来た感謝が綴られていた。
なるほど、子供が還暦になるまで、
生きられる親はそう多くはない。
事実、父は昨年私が 58歳のときに
逝ってしもたもんな。
その父が、還暦を迎えたときの
家族の食事会のことを思い出した。
父は、若い頃ヴァイオリンを弾いていたし、
模型作りも好きだったので、
ミニチュアのヴァイオリンの製作キットを
プレゼントした覚えがあるが、
完成品を見たことがない。
自分が 60歳になった今なら分かるが、
もう視力が衰えていて、細かい作業が
苦痛だったので、作らなかったんだろうなと思う。
そう言えば、文庫本を贈っても、
「字が小さい」と言って読まなかったな。
父の還暦は、もう 32年前のことだ。
なんだか、自分が 60歳になったという現実が
ピンと来ていないのだけど、
周囲からの祝いや、父の還暦を思い出して、
今までの誕生日にはなかった感慨に浸っております。
2022.8.21
マナーが悪い!のは誰?
昨日は、横浜の関内ホールへ
落語(春風亭一之輔)を聴きに行った。
落語の話ではないが、仲入り(休憩)中の出来事。
私の数列後ろ(だと思う)の席の男性が、
そこそこ大きな声で突然言った。
「マスクを付けろよ!」
新型コロナ感染予防のため、場内では
マスクの着用を求められているが、
どうやら、その男性の近くの席の人が
マスクをしていなかったようだ。
男性は、自分の発言により
一層興奮してしまったらしく、より大きな声で
「(落語の)途中でスマホを見たり、
マナーが悪いんだよ!」と怒鳴った。
怒鳴られた人(声の感じから若い男性)は、
「すいません」と謝っている。
しかし、男性の怒りは、収まらないらしく、
まだ、あーだこーだ、と言い続けていた。
すると、その男性の連れらしき女性の声。
「大声を出さないで。その方がマナーが悪い。」
それでも男性は、まだ
「あいつがマナーが悪いから、△×¥〇*〜」と
言い続けている。
連れの女性は、よほどイヤになったんだろう。
「私帰るよ」とまで言い出し、ようやく男性の声が収まった。
(女性の声は、普通のトーンで大声ではなかった。)
どんな顔のオッサンが大声出しているのか
振り返って見てみたかったけど、
万一、目があってトラブルになるのも面倒なので、
ここは大人らしく見ずに過ごした。
落語中にスマホを見るのも、あの空間で
マスクをしないのも 確かにマナーが悪いと思う。
しかし、それに対して大声を出したら、
そらぁ連れの女性が言うように
「あんたも、マナー悪いで」ということになる。
たぶん、落語中のスマホが気になって、
腹が立っていた上に休憩中にマスクを
外しているのを見て、爆発してしまったんだろうな。
注意するにしても、大声出すほどのことではなかっただろうに。
以前、何の映画だったか忘れたけど、
映画館で隣りの席の若者が、上映中に数回スマホを見た。
その度に気が散って、ストレスを感じた。
私の場合、怒りというほどではなかったけど、
何かひとこと言ってやろうと思い、
映画が終わってから席を立つ前に、
(コロナ以前だったので)顔をその若者に近づけ、
めっちゃ大阪弁でドスを利かして低い声で言うてやった。
「にいちゃん、映画の途中で、スマホ見たらあ・か・ん・で」。
すると若者は、「はい!」って言うてた。
あの人は、あれから絶対に映画の途中で
スマホを見ていない(はず)。
2022.10.7
ちょっと怖かった話
Kさんの小学6年生の息子、T君との会話。
T君 「ねえねえ、かほちゃんって誰?」
私 「えっ?かほちゃん?」
T君 「そう、かほちゃん。こないだ隣にいた人」
10日ほど前、近所の行きつけの居酒屋で
偶然隣に座った20代の女性が「かほちゃん」だった。
かほちゃんに会ったのは、その日が最初で最後。
たまたま、マスターの娘さんと同じ名前だというので
話が盛り上がり、記憶に残ったが、そうでなければ
名前を覚えている程ではなかったかもしれない。
私 「なんでお前がかほちゃんを知ってるんだ?」
T君 「知ってるよ。見てたもん」
そんなわけがない。
私は、もう一度 T君に訊いた。
私 「なんで知ってるねん?言えよ」
T君 「知ってるよ。いつもしんちゃんのこと見てるから」
そんなわけないのは分かっているが、
彼が、居酒屋で偶然、私の隣に座った
かほちゃんのことを知っているのは、どうも気持ちが悪い。
私は、T君をつかまえて、
体のあちこちをくすぐりながら
「なんで かほちゃんを知ってるのか、言え!」と迫った。
大声で笑いながら「言う言う」とT君。
でも、手を止めると「言わないよ〜」とおどける。
そんなやりとりがしばらく続いた後、
T君が「かこちゃん」と言った。
そう、「かほちゃん」のことではなく
「かこちゃん」のことだった。
2〜3週間前、T君は、私も知っている
「かこちゃん」に会った。
「かこちゃん」は女子大生で、小6の男子にすれば、
普段あまり接触のない若いおねえちゃん。
彼は、すっかり「かこちゃん」のことを気に入ってしまったようだった。
その「かこちゃん」の話をしようとしたらしいのだが、
出だしが「かほちゃんて誰?こないだ隣にいた人」だった。
彼が「かほちゃん」と言い間違えたのか、
私が訊き間違えたのか分からないけど、
なぜか「こないだ隣にいた人」と言ったもんだから、
私は完全にあの居酒屋で会った「かほちゃん」の
ことになってしまったのだった。
あ〜謎が解けて良かった。
2022.10.18
いっつもお腹 空いてるもん
来月で 87歳になる母が入院中だ。
いまだにコロナの影響で、普段は面会が出来ないが、
昨日は、入院中の母に特別に会えるというので
一昨日、昨日と大阪の実家に帰省していた。
母は、今月4日、家の中で転んだ。
念のため、病院に行き、検査を受けたらしいが、
異常はなかった。
その日の夜、再び家の中で転んだらしい。
今度は、自力で立ち上がることが出来なかったので、
一緒に暮らす姉が救急車を呼んだ。
面白いもので、救急隊員の姿を見た母は、
立ち上がったという。
火事場の馬鹿力みたいなものだろうか。
救急隊員を見た途端、何かのスイッチが
入ったのかも知れない。
しかし、結局 救急病院に搬送され、入院となった。
昨日、車いすに乗って病院の待合室に現れた
母は、私が思っていた以上に元気そうだった。
痩せてはいるが、顔色も悪くなかった。
本人は、入院が嫌らしく、もう退院できると言うが、
また転ぶんじゃないか、階段から落ちて
骨折でもしたら大変だと思うと、中々難しい。
糖尿病を持つ母は、インシュリンを打っていたのだが、
この入院で、血糖値が安定し、インシュリンを
打たなくて良くなった。
ほんまかいな、と思ったが本当だ。
病院の規則正しい生活、
栄養を考えられた食事のおかげだろう。
間食も一切ないのが良かったに違いない。
しかし、86歳になっても結構よく食べる母には、
おやつもないし、病院の食事は、量が少ないようだ。
「インシュリン打ってないの?」と訊いたら
「うん、いっつもお腹空いてるもん」と答えた。
質問の答えとしては、愉快だったが、
自宅での暮らしの食生活が、糖尿病を
悪くしていたことが、露呈してしまった。
家にいると それだけ食べてしまうということだ。
そう言えば、昨年他界した父も、
晩年、あまり食べなくなって、糖尿病が治った。
「食べない方が、健康なのだ」と、
年中食べ過ぎの私は、自分を省みるのでした。
2022.10.26
「絶望」は「舌望」である
昨夜は会食があり、ワインをグラスで
確か5杯飲み、ええ感じになって、
22:30頃には床についた。
珍しく、夜中に何度も目が覚めた。
この頃、不思議な夢をよく観るようになったのだが、
今朝もとても不思議な夢を見た。
記憶があるのは、夢の途中からで、
それまでも結構長いストーリーがあったような
気がするのだけど、覚えていない。
覚えているのは、こんなシーンからだ。
飛行場らしき所でどこかからの帰りの
飛行機の切符を買った。
搭乗口に行くと、なぜか潜水艦の乗り口で、
若い兵士数人がが泣きながら、
潜水艦に入っていく。
彼らは、潜水艦の特攻隊のようだ。
「潜水艦に入っていく」と書いたけど、
ハッチから入っていくのではなく、
砂漠の砂に吸い込まれるような感じで
顔が沈んでいく。
夢の中では疑問を持たなかったが、
それはそれで怖い。
そして、兵士に向かって 上官らしき人が言う。
「戦争は、終わった。もう、死ななくていい」と。
兵士たちは、戦争が終わったこと、
死にきれなったことを嘆いて 泣いているようだった。
その時、突然、どこからか
「『絶望(ぜつぼう)』は、
『舌望(ぜつぼう)』である」
という言葉が出てきて目が覚めた。
音声とともに「絶望」「舌望」の漢字も見えた。
夢の中で、声の主からその言葉の説明があったのか、
夢の中で、自分でその言葉を解釈したのかは、
曖昧なのだけど、つまりは こういうことだ。
「絶望」とは「舌望」のことである。
人は、「望みを絶たれた」とき、「舌を望む」。
「舌を望む」、すなわち誰かと「話がしたい」という意味である。
「人は、絶望したときに、話がしたいんだ」という
分かったような分からないような、メッセージだ。
妻が、「絶望」に関する本の執筆中なので
そんな夢を見たのかも知れない。
念のため、広辞苑を開いてみたけど、
「舌望」なんて日本語はないので、
完全にどこかからやってきた新語である。
なんだろうね。
2022.11.1
歳を取ると
もうすぐ87歳になる母は、
時々、不思議なことを言うようになった。
正月だったか、実家にいる時、テレビを
観ているとペットフードのCMが流れた。
TV 「ちゅ〜る ちゅ〜る チャオちゅ〜る、
ちゅ〜る ちゅ〜る チャオちゅ〜る、
いなばチャオちゅ〜る!」
母 「おいしそぅ!」
ペットフードを「おいしそう」というのも
可笑しいが、そのタイミングが
あまりにも絶妙だったので、大笑いした。
先日のこと。
電車の優先席に座る老夫婦らしき二人。
駅に停車中、婦人がスマホを口元に近づけて
小声で何か囁いている。
車内なので、周りを気にしてのことだろう。
電話をしているのかな、と思ったら
次の瞬間、スマホが結構な大音量で
「恵比寿から〇〇駅に行くには〜〜」と
自動音声で案内を始めた。
どうやら、囁いていたのは、スマホに
乗換案内を訊いていたようだった。
私は彼女の前に立っていたので、
その音量に少し驚いたのだけど、
ご本人はその音量に全く動じた様子はなく、
自動音声の案内を最後まで聞いていた。
おそらく耳が遠いので、スピーカーの
音量はそれなりに設定されているのだろう。
周りを気にして、スマホに小声で話していたことと
なんだかバランスが取れず、滑稽に見えた。
歳を取るとなんだかチグハグになるんだなぁ。
明日は、我が身だ。
2022.11.12
付和雷同と温故知新
先日、夢の中で「『絶望』は『舌望』である」という
メッセージ(?)を受け取ったことは、ここに書いた。
昨日は、夢の中で突然「付和雷同」という
言葉が出てきて、目が覚めた。
見ていた夢のストーリーは、
全く覚えていないのだけど、あいかわらず
不思議なストーリーだったような気がする。
そして、そのストーリーとは、脈絡なく突然
どこかから「付和雷同!」と聞こえてきて、
夢の中で夢を見ている自分が、
「あ、またなんかお告げや」と思ったら
目が覚めてしまった。
「付和雷同」って、普段使えへんやん。
意味何やったか忘れてたから、
起きてから、辞書で調べたよ。
付和雷同:
主義主張を持たず、軽々しく他人の説に同調すること
どういうことやねん。
今朝もストーリー覚えてないねんけど、
夢の中で突然、言葉がやってきた。
今朝の言葉は「温故知新!」
なんやねん、この四文字熟語シリーズ。
「温故知新」が出てきた夢とは
たぶん違う夢やったと思うねんけど、
英語を喋る夢も見た。
外国の駅みたいな構内の中で、
係員らしき女性に声をかけられる。
「イエス様を知っていますか?」
相手は、英語で話しかけてくてるねんけど、
私はちゃんと理解できる。
ヨーロッパの人でちょっとなまった英語やった。
宗教の勧誘やと思った私は、
「I'm not christian」と答えた。
彼女は、少し困ったような顔をしたので、
「話は聞いてもいいよ」と英語で答えた。
(何と言ったか覚えてない)
彼女 「Do you know who is he?」
私 「Little bit」
彼女に(英語で)「どんなことを知っているの?」と
聞かれ、さて英語で何と言えば良いかと
考えている所で目が覚めた。
変な夢。
2022.11.29
私が独身だったらな
こんな Eメールが届いた。
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こんにちは、私は相手を探しています27歳です
私は誠実な女性で、責任感があり、
孝行心があります。
普段の余暇は旅行、読書、写真、運働が好きです。
私は自分の時計店を持っています。っていて
私のパートナーには、向上心があって、礼儀正しく、
真剣にコミュニケーションできる男性がほしい!
年上なら離婚して配偶者を亡くしてもいい。
あなたも独身なら、私のプライベートなlineを追加してください
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「私は自分の時計店を持っています。っていて」は、
原文のまま。
そして、LINEのIDとともに女性の写真が添付されていた。
私は、向上心があって(たぶん)、
礼儀正しく(おそらく)
真剣にコミュニケーションできる(きっと)男性だ。
私が独身だったらな〜、
って、あほかぁ!
2022.12.30
年末のご挨拶
本年もこの「ひとりごと」をご愛読いただき
ありがとうございました。
大晦日には、更新できそうにないので、
本日が本年最後のアップとなります。
このサイトを始めて、気が付けば15年半が過ぎました。
40代だった私は還暦を迎えました。
今も15年前と変わらず、気ままに、幸せに、
のほほんと暮らしております。
ありがたいことに、大きな病気やケガもなく、
人生に大した問題もなく楽しく過ごしております。
感謝です。
来年もよろしくお願いいたします。
みなさま 良いお年をお迎えください。