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つつみしんやのひとりごと  
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2010.1.6



今日は、近所のカレー屋さんで、スープカレーを食べた。

以前にも書いたが、私はカレーなど香辛料の入っているものを

食べると、物凄く汗をかく。

今日も、注文前にメニューを見ているだけで、

汗が流れ落ちてきそうになった。

嘘ではない。

今、これを打っているだけで、「カレー」 「香辛料」 という言葉に

反応し、頭のてっぺんは、汗が玉になっている。

夏ならまだしも、今日のように寒い日にハゲ頭からダラダラと汗を

流しているのは、はっきり言って、かっこ悪い。

が、カレーは好物なのだから、仕方がない。

びしょびしょになったハンカチを見ながら、

「カレー汗かき大会があったら、優勝するのに」 と思った。

そんなん ないか?





2010.1.7

ハゲです!

いよいよ、禁断のテーマに触れるときが来た。

一番最初に、鏡を見て (あれっ?) って思ったのは、20歳の時だ。

そう、20歳の頃から、抜け毛が始まったのだ。

枕カバーに残された抜け毛を見て、母が カロヤン (育毛剤) を

買ってきたのが、21歳。

でも 20代前半は、まだ人が気付くほどでは、なかった。


27〜28歳の頃には、だいぶん生え際が後退していた。

もう、どんなにセットしたって、カッコよく決まらなくなってきた頃だ。

取り残されたように1本だけ、おでこから ひょろっと生えていたのを

当時の彼女が見つけて、 「波平さんやぁ」 と大笑いしていたなぁ。

28〜29歳の頃には、こんなこともがあった。

高校時代の同級生 (女子) と10年ぶりぐらいに会うことになった。

別に下心があったわけではないが、やはり異性に会うのだから、

それなりにオシャレをしたい私は、ふだんは使わない ムースを

何年ぶりかに使い、髪の毛をセットしたのだ。

想像していただけると思うが、ムースを使うと髪の毛が、

何本かずつ 束になるので、ムースをつけていない時より、

地肌がよく見え、薄毛が目立つことになるのだ。

出かけ際に ムースをつけてしまった私は、

(わぁっ!やばい!失敗した!) と思ったが、

頭を洗っている時間などない。

仕方なく、そのまま出かけた。

その同級生とは、喫茶店で会ったのだが、

向かい側に座った彼女の視線が、会話中、チラッ チラッ と

私のおでこより上、生え際あたりに、行くのがイヤでイヤで・・・。

これって、体験した人にしか分からないだろうな。

自分のライブをビデオに撮って、楽しみに観たら、

ギターを弾きながらうつむいた時に、スポットライトが 頭頂部の

地肌に反射しているのを観て、ショックだったっけ・・・。

(ザビエルか、俺は) って。

でも、若ハゲが、それほど深刻ではなかった私は、

カツラをかぶろうと 思ったことはない。

まあ、汗かきだし、めんどくさがり屋だから 無理だけど。

で、薄毛を目立たなくするには、短髪にするのが一番だと気付いた。

少ない髪を一生懸命セットして、バーコードにしたって、

みすぼらしいし、ハゲは隠せないどころか強調することになる。

だから、私の髪型は、30歳頃から、どんどん短かくなっていき、

ついに34〜35歳の頃、スキンヘッドになった。

おかげで、気楽になった。

おまけに、自分で剃っているので散髪代もかからない。

冬は、寒くて帽子なしでは外出できないけどね。


電車なんかに乗っていると、物凄く分かりやすいカツラを

かぶっている人を時々見かける。

たまに テレビにも出てくるよね。

お医者さんだったり、何かの専門家だったりする人で

誰が見ても一目で ヅラだと分かる人、いるでしょ。

そういう人を見るたびに、その人の耳元で ささやきたくなる。

「隠しているつもりかも知れないけど、強調してますよ。

私はハゲてます、ハゲを隠してますって、言ってるようなもんですよ。」

ってね。

どうせかぶるんなら、ばれないような上等なものをかぶればいいのに、

一番ひどいのは、頭に黒い粉ふってるようなおっさんも見たことあるもん。

大きなお世話だろうけど、気になるんだな、これが。

ハゲ族としては。


昨日、J-WAVE (FMラジオ) の 「PLATON」 という番組で

「カツラ」 の話をしていた。

ゲストは、自身も "カツラー" であり、

カツラーに関する本を数冊出版さている、作家の小林信也さん

小林さんは、10年以上カツラを隠したあげく、カミングアウトした人で

「隠している」 時の、つらさも充分 承知されている。

そして、「カミングアウトしてから」 の 気楽さも、自由さも。

彼は、こう言った。

「隠そうとするから、問題になるんです。

これからカツラをつける方は、周りの方に 『ちょっと薄くなってきたから

カツラをつけることにしたんだ』 と言ってから、つけて下さい。」

そんなこと、言うぐらいだったら、カツラをつけなくても良さそうだが、

やはり、見た目は髪の毛がフサフサある方が、若々しいし、

彼に言わすと、カツラをかぶらないと 「裸で出歩くみたい」 だそうだ。

なるほど、周知の事実としてのカツラなら、

(ばれるんじゃないか、ばれるんじゃないか) と ビクビクすることもない。


もし、目の前で知人が カツラを落としたりしたら、どうするか。

ということも話題になっていた。

ちょっと、何て言えば良いか 分からないよね。

「やっぱり」 は禁句。

「えっ?分かんなかったぁ〜」 というのが、正しいリアクションだそうだ。

まあ、その辺は優しさだろな。

あるいは、(私には何も見えていません) という態度をとることらしい。

そうすると、カツラーは、皆には見えていないんだ、と安心するらしい。


それから、カツラーたちのよくある話で、エッチのクライマックスで、

女性の両手首を押さえてしまう (頭にしがみつかれないためね) とか、

カツラーの見分け方 (起きたら一番先に無意識に頭に手をやる、

抜け毛に毛根がない、髪型がいつも同じ、彼女との関係の発展が遅い、

等々) とか、ご本人が、カツラーならでは、また、たくさんのカツラーを

取材されたからこその貴重な話が聞けて、面白かった。


番組中、リスナーから、

「カツラ歴10数年で、結婚して10年経ちますが、妻にも子供にも
言っていません。
カミングアウトしたいのにどのタイミングですればいいのか、分かりません。」

という投書があった。

小林さん曰く、「奥さんは気付いているでしょう」。

私もそう思う。

私の知人 (60代) に 今は使っていないが、40代の頃、

カツラを着用していた方がいる。

彼は、当時200万円もするカツラを使っていたそうで、

誰にもばれていない、と思っていたそうだ。

私は、その頃の彼を知らないのだが、当時から知っている人の話によると、

周りの人は、みんな知っていたという。

だから、よほど精巧なものを着用していない限り、

ばれていないと思ったら、大間違いだ。

ちなみにその方は、ある人 (女性) から 言われたらしい。

「みんな知ってるよ」 と。

言った人がスゴイよな。


いずれにしろ、人生、隠し事は少ないに越したことない。

(カツラがばれないか) を気にしていては、今、ここに、生きるのが 難しい。

そして、小林さんも言っていたが、

何よりも、自分の「ハゲ」 や 「ヅラ」 を笑いのネタに出来るのは、

最高の武器だ。





2010.2.1

夢の中でもネタ探し

夢を見た。

四国のどこか、行ったことのない町で、

ホームセンターのような店に、なぜかエクステリアの部品を

買いに行く。

するとその店に なんと25年前のバンドのメンバーが働いている。

もう、20年くらい会っていない人だ。

そして、彼に会った瞬間、

「えっ〜!なんで ここにおるの?」 と、めちゃくちゃビックリしながら、

(このこと、ひとりごとに書こう、え〜ネタできた) と、

思っている自分がいた。


目覚めてから、

夢の中にも関わらず、そんな風にネタ探しをしている自分に

ちょっと驚いた。

自分では意識していなかったけど、

そんなにネタに苦しんでいるのか?





2010.3.29

春財布

2週間ほど前、財布を買い替えた。

前に使っていた物は、5年ほど使っただろうか、

大分、くたびれてきた上に2〜3ヶ月前、ファスナーの

取っ手の部分が折れてしまい、開け閉めに不便なので

携帯ストラップの紐の部分をつけて使用していた。
    ↓


財布としての機能には問題がないし、愛着があるので、

買い替えを延ばしてきたのだが、

いよいよ買い換えようと決意した。

今までは いつも二つ折りの財布を使ってきたのだが、

今回初めて、長財布を買うことにした。

というのも、私の知っているお金持ち全員が

長財布だと気付いたからだ。

お金持ちで二つ折りの財布を持っている人は、

(いるんだろうけど) あんまり見ない。

長財布を持っている人の財布には、福沢諭吉が

何人も住んでいる。

で、私も形からお金持ちの仲間入りをしようと思い立ったのだ。

中々、デザイン・機能ともに希望のものがなかったが、

ようやくインターネットで見つけ、購入。
    ↓


面白いもので、財布が違うだけで、支払時の気持ちが違う。

中身は増えていないのに、なんとなく、

たくさん入っているような気になるから、不思議だ。

そして、引き寄せの法則的には、

このお金持ってる感 (実際に持ってるかどうかではなく) が、

お金を引き寄せるのだという。

確かにその感覚は、大事だと思う。

で、2、3日前、近所のよく行く寿司屋でお会計の時、

板前に 「財布変えましたね?」 と言われた。

それを聞いていた常連のお客さんが、

「春に財布を替えるのは、『張る (春) 財布』 と

言って良いのですよ。(お金でパンパンに張るの意)

逆に秋に財布を替えると、『空き(秋) 財布』 と言って

良くないのです。」

と、教えてくれた。

もちろん、ただの語呂あわせなのだが、

そんなこと知らずに、春に財布を替えた者としては、

なんとなく、気分が良いではないか。





2010.4.8

音楽と漫画

昨日、久しぶりに会った友人が、本屋で、ある本の表紙を見て、

どうしても私に見せたくなり、買わずにはいられなかった、と

一冊のコミックをくれた。

本屋では、コミックはビニールに包まれて置いてあるので、

中身を見ることもできず、レコードでいう 「ジャケ買い」 だ。

で、その本の表紙がこれだ。
   ↓


アップ。
 ↓


しかもタイトルが 「音楽と漫画」 。

内容は、彼(↑) がバンドをやるお話。

シュールで、ナンセンスでよろしい。


何も言わずに 妻に表紙を見せたら、

「しんちゃんと私?」 だって。

幸せなやつ。





2010.4.20

キテマス。

仕事での話。

毎月一度、20日前後に銀行員の方に来ていただいて、

月々の支払の処理をしている。

昨日は、その日だった。

いくつかの振込みがあるのだが、ある振込み 2件は、

1枚の払戻伝票に合計金額を書くことになっている。

これは、毎月支払い合計額が違うのだが、

その金額が今月は、なんと!

555,555 円 だったのだ!

電卓を見た私は、思わず声をあげた。

そして3回、検算した。

確立は、10万分の1!


仕事でない話。

私は、ほとんど毎日、近所の T 急ストア (なんで頭文字?) でランチを買う。

T 急ストアでは、買い物するたびにポイントカードに

ポイントが貯まり、貯まったポイントは1点1円として使える。

いくら、貯まったかは、買い物した時にもらう レシートに

「前日までのポイント」 として表示される。

今日もそこで、ランチを買った。

そして、何気なくレシートを見てみると、

  前日までのポイント  777


ねっ?

キテルでしょ?!

(何が?)





2010.4.21

やっぱり、キテマス

昨日のひとりごとを読んでから読んでね。


今朝、昨日 〜 一昨日の流れからして、もしかしたら、と

思い体重計に乗ってみた。

そしたら、あんた、キマシタがな。

77.7 kg!

3日連続、ぞろ目。


ねっ?

やっぱり、キテルでしょ?!

(だから、何が?)





2010.4.22

夫婦50割引

「夫婦50割引」 は、

ご存知のように夫婦どちらかが50歳以上であれば、

二人で2000円で映画が観れるという うれしいサービスだ。

元々は、3年間のキャンペーンだったようだが、

2007年6月のキャンペーン終了後も恒常的なサービスとして

続けている映画館が多い。

自分には、まだまだ関係ないサービスと思っていたら、

私も今年48歳。

なんと再来年の8月で ゴ、ゴ、ゴジュッサイ!


そう、夫婦50割引も そこまで来ているのであった。

夫婦50割引といえば、以前こんな話を聞いた。

私の知り合い (男性) が、奥さんではない女性と映画を観に行った。

彼は、50歳を過ぎていたので、免許証を示し、

夫婦ではないのだが、夫婦50割引を 申し出た。

その時の会話。

窓口の女性 「ご夫婦ですか?」

彼       「ええ、夫婦ですよ。今ここでキスしましょうか?」

連れの女性 「いやだぁ!」

窓口の女性 「ご夫婦に間違いありません」





2010.5.15

酩酊

昨日は、ある食事会があり、ワインを飲んだ。

かなり飲んだようで、後半ほとんど記憶がない。

妻が一緒だったので、様子を聞くと、かなり饒舌だったようで

初対面の方に対して、かなり トホホ な発言をしていたようだ。

初対面のOさん、ごめんなさい。

だが、妻の話では、普段 (しらふ) の私より面白かったようで、

ちょっと複雑。





2010.6.1

3周年

おおぅ!

なんと今日で この 「ひとりごと」 も3周年を迎えた。

コングラッチュレイショ〜ン!


昨日、鑑賞した映画 『ジュリー&ジュリア』 の ジュリア・チルドレンは、

外交官の夫の仕事で、パリに住んだ際、何かやること (趣味?) を

見つけようといくつかの習い事を始めるが、どれもしっくりこず、

やがて 本格的な料理を習い始める。

それが後々にアメリカで大ベストセラーになり、アメリカの食卓を

変えたとまで言われた料理本の出版へとつながっていく。

1960〜70年代、彼女は、テレビの料理番組でも成功している。

そして、そのレシピを1年がかりで再現し、ブログにアップし続けた

ジュリー・パウエルは、そのブログの人気を足掛かりに、

本の出版、映画化と正にアメリカンドリームな成功を収めた。


私の趣味は、音楽で、ギター演奏、音楽鑑賞だが、

このサイトの更新にもこれだけ 時間を費やしているし、

(読んで想像する以上に書くのに時間がかかっている)

3年も続いているのだから、趣味の一つと言えるかもしれない。

(自分ではあんまり、趣味だと思ってないけど。)

ジュリーのように、そのうち、「出版しましょう」 という話が来るのを

待っているのだが・・・。





2010.6.8

祝!初 メール

この 「ひとりごと」 を始めた当初、数人に 一般的なブログのように

「コメントを書き込めるようにして欲しい」 と言われた。

そのたびに、「意見や感想があったら メールで送って欲しい」 と

答えてきたし、ここにもそう書いた。

あえて、簡単にコメントの書き込めるブログのスタイルをとらなかった

理由は、ワンクリックで コメントが書き込めるシステムより、

わざわざメールを送るという行為には、それなりの動機と積極性が

必要だろうと思ったからだ。

わざわざ、メールを送ってまで、私に言いたい、

そんなメッセージを待っていたし、メールを送りたくなるような、

「ひとりごと」 を目指してきたわけだ。

今まで、3年間で250通ぐらいのメールをもらったが、

それは、全て友人知人からで、知らない人からのものは なかった。

だが、今日、ついに知らない方からのメールが届いたのだ!

五反田に勤めている人で、近くに出来た 「RISTRANTE ANGELO」 を

検索していて、ここへたどり着いたらしい。

試しに 「RISTRANTE ANGELO 五反田」 とググッてみると、

ぎょえ〜! なんと1位に 「ひとりごと」 が!

それは、さておき、その方からのメッセージは、

「これからも頻繁に読みに来ますので続けてください!」 と

いうものだった。

どんな内容であれ、知らない人からメールが届くのが、

ひとつの目標であったわけだが、しかもそれが、

励ましのメールで、3年目にして達成されたのだ!

ありがとう!○○さん!

おめでとう!俺!





2010.6.17

告白! 決めたこと その1

小学校3年生の頃のことだ。

私の家は門限が 5時だった。

「5時には、家に帰ってきなさい」 というルールだったのだ。

だが、夏の5時といえば、まだまだ明るい上、

友達は、門限などなく、遊んでいる。

ある夏の日、6時ごろまで遊んで帰った。

玄関で母が、「(門限という) 約束を破ったので、謝るまで

家に入れない」 と言った。

(どうして、自分ちだけ、5時に帰らなければならないのか)

納得していなかった私は、(謝るもんか!) と 家を出た。

8時ごろまで、外で頑張っていたが、お腹も空いてきたし、

謝って家に入れてもらおうか、と思い、玄関を開け、

「お母さん」 と母を呼んだ。

「何?」 と出てきた、鬼のような母の顔を見た瞬間、

やっぱり謝りたくないと思い、

「なんでもない」 と言って、また外に出た。

父を味方に付けようと、駅で父の帰りを待つが、

そんな日に限って 父は帰ってこない。

私は、あきらめ、また、家の前でひとりで、

謝りたくない自分と (たぶん) 葛藤していた。


10時を過ぎた頃、母が出てきた。

「着いておいで」 というので、着いていくと、

近所の遅くまで開いている お好み焼き屋 へ入っていき、

お好み焼きを食べさせてくれた。

その時、私は、「母に勝った」 と思った。

私は、謝らなかったが、母の方が、折れたのだ。

それから、母が、人に対して、私のことを

「この子は、納得していないことには、絶対 『はい』 と

言わない子だから・・・」

と言っているのを (そうそう、そうだよ。僕は、納得しないことには、

『はい』 と言わないよ。) と、自分への誉め言葉として、

聞くようになった。

その時から、「納得しないことはノー」 は、私の中で

正しいことになった。

その時に決めた 「納得しないことはノー」 は、その後、

約20年間、私の価値判断、生き方の一つになった。

自分がそのことに縛られ、不自由に生きていることを

発見するまでの間。


自分が、「正しい」 と思っていることが、実は、正しいことでも

何でもなく、過去のある出来事の時に出てきた反応で、

決めただけのことだとしたら、人間はなんと、不自由で、

滑稽で、今ではなく 過去を生きていることか。


私は、たまたまそのことを気付かされる機会があったが、

その機会がなかったら、と思うと、ちょっと ぞっとする。





2010.6.22

告白! 決めたこと その2

3歳か4歳のときのこと。

当時住んでいたアパートの前で、私はひとりで車のおもちゃで

遊んでいた。

その車のおもちゃは、たぶんブリキか何かだったのだろう、

塗装がはげて、ずい分汚かったように思うが、

私の大のお気に入りだった。

母に、幼稚園へ姉を迎えに行くので 「一緒においで」 と言われ、

私は、そのお気に入りの車をアパートの前に置いたまま、

母と出かけた。

戻ってきた時には、その車のおもちゃは、そこから無くなっていた。

そのときのことは、覚えていない。

だから、無くなったこと自体は、もしかしたら、

そんなにショックだったんじゃないかも知れない。

だが、その後にショックが訪れる。

翌日だったか、数日後だったか、近所の某ちゃんちへ、

遊びに行ったとき、その子のおもちゃ箱の中に、

私は自分のその車のおもちゃを発見した。

そのとき、「これ、僕のだから、返して」 と言えるような

子供だったら、その後の私の人生も今とはずい分違ったものに

なっていただろう。

私は、自分で何かを言うことなど、思いつきもせず、

母に取り返して来てもらおうと、

某ちゃんちで、その車を見つけたことを母に話した。

そのとき、母はこう言った。

「もういいでしょ、あんなボロボロの車。」

言葉は、正確には覚えていないが、そんな内容のことだ。

母に助けを求め、その助けに答えてくれるものと

信じて疑わなかった私は、どうやらそのときに、決めたようだ。

「自分は分かってもらえない」 と。

もちろん、そんなことで、そんなことを決めたなんて、

自分では、知らずにその後30年ほど生きた。

あるプログラムで、自分の人生の目的を探求したことがある。

その中で、私は自分が、「分かってもらう」 ために、

生きてきたことを発見した。

そのときの衝撃は、今も忘れられない。

情けなくて、バカバカしくて、涙が止まらなかった。

あれも、これも、自分は、誰かに分かってもらうために

やってきたことだと、全てのつじつまがあったのだ。

誰かとは、両親だったり、友達だったり、彼女だったり・・・。

そして、「分かってもらう」 ためには、

「分かってもらえてない」 必要がある。

だから、すでにいつも、「分かってもらえてない」 ところに

自分は立って生きてきたのだ。

相手が分かってくれているかどうかとは関係なく。

なんということに、エネルギーを費やして生きてきたことか。

真実だと、疑ったことのなかった 「分かってもらえない」 は、

実は、自分がでっちあげた幻想だったのだ。


今でも、時々、「分かってもらおう」 とする、

「分かってもらえない」 自分に気付くことがある。

(あ〜あ、やれやれ) と思うが、自覚があることは、素晴らしい。

自覚があれば、その向こう側に行くことが可能だからね。





2010.7.8

なんと2通目!

この 「ひとりごと」 を始めて3年、

先月、初めて見知らぬ方からのメールが届いたことを書いた。これ。

そして、あれから、1ヶ月。

なんと、今日、またもや見知らぬ方からのメールが!!!

そんなに続けて、見知らぬ方からのメールが 届くなんて

思いもしなかった私は、メールを読み始めたとき、

「え″っ!」 と、横で聞いた妻に、

「誰かが亡くなったという知らせのメールでも届いたかと 思った」 と

言わせるほどの 激しい驚きの声を上げてしまった。

今度の送り主は、沖縄在住の女性で、やはり 検索中、

たまたま当サイトへたどり着き、半年余り、読んでくださって

いるとのこと。

そして、これからも読みますとのコメント。

ああ、スゴイ。

何がスゴイって、こういうことが起こることがスゴイ。

私の全く知らない人が、どこかで私の文章を

読んでくれているということが、スゴイ。

これは、想像していた以上にエキサイティングだ。

そして、ありがたいことに、今まで見知らぬ方からいただいた

2通とも、批判や中傷ではなく、肯定的なメールであった。

本当に感謝です。

今回、メールをくださった方は、

「勇気を、ふりしぼり キーを打っております。」 という文章から

始められていた。

さあ、今、これを読んでいる、私の見知らぬあなた。

勇気を持って、メールを送ってみよう!

「読んでるよ」 のひと言でいい!


あ、私の知っている人も、メールちょうだいね。





2010.8.7

告白! 私の反撃

今日は、私の誕生日。

48歳になってしまった。

精神的に、少しずつ、成長というか進化してる部分も

あるけど、基本的にティーンエイジャーのときと

変わってないような気がする。

なので、精神と肉体の年齢差が、どんどん広がって行く感じ。


さて、昨日は、ちょっとイジメのことに触れた。

私の場合、イジメられたわけではないが、

子供の頃、何度かひどい扱いを受けたことがある。

今日は その体験を書こう。


そもそも、私の小中学校時代は、

特定の誰かをクラスの全員で無視したり、

不登校や自殺にまで追い込むような、

そんな陰湿なイジメはなかった。(と思う。)

もっと子供ならではの、その場限りの悪ふざけの延長や、

子供特有の残酷で幼稚な言動に、今から見れば、

イジメとも言えるようなことがあったんじゃないかな、と思う。

繰り返しになるが、私はイジメられたとは、思っていない。

でも、もし、私が彼らに無抵抗だったら、

その後、何度も同じような扱いを受けた可能性はある。


1つ目。

小学校6年生の時、K君と下校中のこと。

私が言った何かに対して、彼は、私のほほを 引っぱたいた。

言った内容は覚えていないが、彼が本気で怒って

私を 引っぱたいたのではなく、私の言ったことが気に入らなかったので

軽く手が出てしまったんじゃないかと (今となっては) 思う。

それに、彼の方が身体も大きく、力も強かったので、

まさか私が反撃に出るとは、思わなかっただろう。

キレタ私は、その場で彼に掴みかかり、殴り合いのケンカになった。

もちろん、力で勝っている彼にボコボコにされたのは、言うまでもない。

それから、数日、彼と口をきかなかった。

私から、謝ることはないと思っていたが、

数日後、(謝るのではなく、普通に) 彼に声をかけた。

彼は、うれしそうに私を受け入れてくれた。

その時の彼のうれしそうな顔があまりに印象的だったので

はっきり覚えている。

(あ、K君、僕と仲直りしたかったんや) って。


2つ目。

中学1年生のとき。

隣のクラスに野球部で、体が大きくて、力も強い T がいた。

T は普段から、えらそうにしていて、手を洗ったら、

その辺のクラスメートの制服で手を拭くような、イヤなやつだった。

ある日、廊下を歩いていると正面から T が歩いてきた。

普通は彼が来たら、怖いし、面倒にはしたくないので、

道を開けるのだろうが、私は、彼のことを嫌いだったので

よけることなく歩いていた。

真正面まで来て、2人が向かい合って 立ち止まった時、

T が言った。

「どけ!」

「お前がどけや」

彼は、私を見下ろし、右手で私の首の皮をつかみ、

思いっきりひねりながら (めちゃ痛い!)、こう言った。

「お前て、誰に言うとんねん」

キレタ私は、同じように彼の首の皮を 思いっきり ひねりながら、

「お前て、お前に言うとんじゃ」

次の瞬間、私の体は宙を舞っていた。

私は1発のパンチも彼に入れることができず、

ボコボコにされたのだった。


3つ目。

同じく、中学1年生のとき。

塾の帰り、4〜5人で自転車に乗っていた。

信号待ちで停まっている時、H と K が話している話題に

私が口をはさんだ。

H は、それが 気に入らなかったらしく、

「お前は、黙ってろ」 とか何とか言いながら、

私のほほを引っ叩いた。(またや)

普段から、えらそうにしていた H にキレタ 私は、

掴みかかろうとした。

すると、H は、ここでは、勝負を出来ないから家まで来い、

と言った。

そこから、H の家までは、たぶん50〜60メートルだっただろう。

H の家は大きな家で、庭も広かった。

家に着き、自転車を停めた彼はチェーンを手に向かってきた。

完全にファイティング状態の私は、アドレナリン出まくりなので、

チェーンを持っている相手が、全く怖くない。

「そんなもん、持たなケンカもでけへんのか」

とバカにすると、H は、チェーンを捨てた。

飛びかかった私は、彼に馬乗りになり、(今回は) 彼をボコボコにした。

ボコボコにしながら、(あれ?こいつ弱い) と思ったのを覚えている。

何しろ、いつも、ボコボコにされる側だったから、

相手に馬乗りなんて 初めてだからね。

そのうち、騒ぎを聞いて家から出てきた H の母親に止められた。

「やめなさい。友達でしょ!」

すると、H が、「こんなやつ、友達ちゃうわい!」

(それにしても、35年も前のこと、我ながらよく覚えてるなぁ。)

私の胸には今も、H に噛まれた傷跡 (H の歯形) が残っている。

彼の必死の抵抗の痕だ。


余談だが、信号待ちの時、一緒にいた数人は、

ケンカを見物することもなく、帰ってしまったんだろうな。

そんなもんなのか?


4つ目

中学2年生のとき。

冬。

大阪では 珍しく雪が積もった。

友達と2人で下校中、3年生の2人が、突然、雪を投げてきた。

たぶん、相手は誰でも良かったんだろう。

雪を丸めて、弱そうな下級生を 待っていたところへ、

運悪く、私達が通りかかったのだ。

やつらは、思いっきり投げたんだろう、その上、

こちらは、無防備で不意にぶつけられたのだから、

雪と言えども、結構、痛い。

その痛さゆえ、キレタ私は、かばんをその場に放り投げ、

持っていた傘を右手に

「お前ら、3年生や思て、そんなことして、ええと思てんのんか!」

と、その2人に向かって行った。

何しろ、こちらはアドレナリン出まくりだ。

怖いものなどない。

自分で言うのもなんだが、かなりの迫力だったと思う。

すると、彼らは、急に態度を変え、

「ゴメンゴメン、冗談やんけ〜」 とヘラヘラしながら、

私達の制服の雪を はたいてくれた。

突然、豹変した相手に、私は戸惑いながらも、

「う、うん」 と彼らに雪を払ってもらったのだった。


振り上げた拳の持って行き場がなくなったようで、

自分としては、ちょっとマヌケな感じだった。

でも、もし彼らが謝らずに、私を挑発するようなことを

言っていたとしたら、間違いなく、私は傘を振り回して

彼らに怪我を負わせていただろう。

そう思うと、謝ってくれて本当に良かった。


以上、4つの事件を書いてみた。

これらの相手で、その後、私にちょっかいを出した者はいない。

無抵抗だろうとバカにしていた相手が、本気で向かってきたら、

例えば、ケンカでは勝ったとしても、次からはバカにできないよね。

「攻撃は最大の防御」 と言うけど、「反撃も最大の防御」 なのだ。

ただ、反撃するためには、一回は、攻撃されるねんけど。





2010.8.9

告白! 負けるケンカ

一昨日、 「告白! 私の反撃」 を書いていて、

もう一つ思い出した事件がある。

それは、 「告白! 私の反撃」 に書いた事件とはちょっと違う。

私が先に手を出したのだ。

中学2年生の時のこと。

私は、学級委員でホームルームの時間に教室の前で議長を

務めていた。

一番前の席に、E が座っていた。

当時、私たちには、番長というような区別はなかったが、

いわば、E は私の学年ではそういうような存在だった。

つまり、彼に逆らうような生徒は いなかったのだ。

私は、小学校時代から、何度も E の家に遊びに言っていたし、

中学時代も E とは仲が悪かったわけではない。

議題は忘れたが、私が議長をしていたその時間、

一番前の席の E と意見が割れた。

一触即発のムード。

その時、E が言った。

「じゃかましい!後で勝負付けるたぁら!」

キレタ 私は、思わず、

「何言うとんねん!今、勝負付けたぁら!」

と、彼に飛び掛った。

彼を押し倒し、馬乗りになったのだが、

彼は、全くの無抵抗だった。

あまりの無抵抗さに 私は、

(えっ?やる気ないの?) と力をゆるめた。

すると、彼は低い声で こう言った。

「それで、終わりか。」

次の瞬間、私は彼の猛打を受け、リング (?) に沈んだのであった。

結局 私は、彼を押し倒しただけで、一発も殴ることなく、

ボコボコにされたのだ。

ちなみに彼は、空手だったか柔道だったかを習っていた。

だが、ボコボコにされ、ひくひく泣く私を見ながら、

こっそり、「つつみくん、かっこええ」 と言っていた女子の声を

私は聞き逃さなかった。

それから、私は、「勝つと分かっているケンカはしないのさ」 と

言うようになった。


それにしても、あんなにボコボコにされるんなら、

一発ぐらい殴っておきたかったな。





2010.8.11

告白! 大人への道

数日前の 「告白! 私の反撃」 と、一昨日の

「告白! 負けるケンカ」 を読んで、たくさんの読者から色んな反響が

寄せられた。

というのは、ウソで、2人の人から、コメントをいただいた。

一人は、私のことを 「そんなにコワイ人だったのか」 というもの。

もう一人は、私のことを

「殴り合いのケンカをしたことがある人に見えない」 というもの。

この違いも面白い。

さて、その2つの記事で、小学6年生から中学2年までの

ケンカのいくつかを書いた。

実際、中学2年の時には、割とよく遊んでいた S と悪ふざけをしていて、

途中で本気になってそのまま殴り合いのケンカになったことも

2〜3回はあった。

別に私がケンカ早いとは思わないのだが、

今思うと、その頃は、そんな風な時期だった。

そして、中学3年生になり、(もう、ケンカはしない) と

決めたのを覚えている。

それは、別に大人になったわけでも何でもなく、

ただ、「内申書に書かれたら進学に影響する」 という

(今から思うと) ちっぽけで くだらない 理由だった。

だが、不思議なことに3年生の時に、ケンカしたいのを

ぐっと我慢したような覚えはないので、

私が 「ケンカをしない」 と決めたとたん、

「そういうことが起こらなくなった」 とも言える。

そう言えば、中学を卒業してすぐの春休み、大阪ミナミで、

友達と2人で歩いていて、カツアゲ にあったことがあるが、

その時は ビビッて何もできず、いくらかの小遣いを不良に

巻き上げらて終わった。

つまり、基本的には、弱虫なのだ。

さて、ケンカはしないと決めてから 私は気の長い温厚な人間になったのかと

言えば けしてそんなことはない。

だが、あの頃のように、ストレートに怒りを表現することが

できなくなったような気はする。

高校2年生の時のこと。

学年でクラス対抗の合唱大会があった。

私は、指揮者を務めることになった。

私の父が音楽関係の仕事をしていたため、たまたま指揮棒を

持っていたので、それを借りて、練習時から指揮をしていた。

ある日、練習の合間だったと思うが、クラスの数人で

(冬だったので) ストーブを囲んで雑談していた。

その時、クラスメートの N が、その指揮棒を持って、

先っぽをストーブに押し付けて焼いているのに気がついた!

私は、動揺した。

驚きと、怒り、父に叱られるという思い、色んな感情が

一度に押し寄せた。

音楽家にとっての楽器や指揮棒は神聖な道具、

それをストーブで焼くなど、言語道断。

私は彼に何を言ったか覚えていない。

ただ、私がひどく動揺しているのを見て、N は、

(これは、やばい、ただ事ではない) と感じたに違いない。

困ったような、表情で私を見たのを覚えている。

私は、彼を殴りたい衝動にかられた。

中学2年生の時だったら、間違いなく飛び掛っただろう。

しかし、私は殴らなかった。

それどころか、その時の私は、彼に対して 言葉でさえ十分に怒りを

表現することができなかった。

それが、成長したということなのかどうか、今でも分からない。

しかし、私は、中2の時のように彼を殴りたかったと

今 考えても思う。


殴りたいぐらい腹が立った。

しかし、心のどこかで、合唱大会の前にクラスの 「和」 を乱しては

いけない、という思いもあった。

しかも、指揮者である私が。

しかし、殴ったからと言って必ずしもクラスの和が乱れたわけでも

ないだろうとも (今では) 思う。

あの事件は、なんというか、純粋な何かを大事にするより、

物分りの良いつまらない大人への第一歩であったような気がしてならない。


あ、私は、けして、暴力を認めているわけではないので、誤解なく。

その辺の所、読み取ってね。





2010.8.20

告白! ギターを始めたきっかけ

人に限らず、出会いは突然訪れる。

私は、今の実家に小学3年生になってすぐの頃 引っ越した。

引越し先は、同じ町内だったので転校はしなかった。

新しい家の3軒先に2歳年上の進 (しん) ちゃんがいた。

進ちゃんは、どこかの町から転入してきて 間がなかった。

私も “しんちゃん” だったからというわけではないが、

引っ越してすぐに 彼と仲良しになった。

進ちゃんが中学生になるまでの2年間、ホントによく遊んでもらった。

進ちゃんが中学に入って、あまり遊ぶこともなくなった6月のある日、

彼がフォーク・ギターを持って遊びに来た。

彼は、中学の軽音楽部に入っていた。

玄関で進ちゃんが、弾き始めて2ヶ月だというギターを

披露してくれた。

曲は、吉田拓郎の 「落陽」 。

始めてたった2ヶ月で こんな風に歌いながら弾けるように

なるものなのか!と 驚いている所へ、母が台所から出てきて、

こう言った。

「進ちゃんかいな。ラジオかと思った。」

その言葉は、私に益々インパクトを与えた。

(ラ、ラジオに聞こえたのか!) と。


私の父は音楽好きで、たまたま家にクラシック・ギターが

あったものだから、早速 私は、ギターを始めたのだった。

小学5年生の時だ。


その数日後だったと思うが、進ちゃんが今度はレコードを

持ってきた。

ビートルズの 「Hey Jude」 と 「Let It Be」 のシングル2枚だ。

それまで、洋楽に全く興味のなかった私は衝撃を受けた。

特に 「Hey Jude」 の後半のリフレイン、Paul のシャウトに

ゾクゾクした覚えがある。


あれから、37年。

今、これを 「Hey Jude」 を聴きながら書いているが、

改めて、ビートルズってホンマにすごいな。





2010.8.28

ミュージシャン と バンドマン

今は、「その区別は違うな」 と思うのだが、

20〜30代の頃は、演奏家には 2種類いると思っていた。

一つは、「ミュージシャン」、もう一つは、「バンドマン」。

ミュージシャンの方は、文字通り 音楽家で、

楽器演奏で音楽をクリエイトしている人達。

バンドマンの方は、やりたくない音楽を お金のために

仕方なく演奏していて、音楽をクリエイトしているとは

言えない人達。


なぜ、こんな区別を持ったか.。

私はギターを弾くが、23〜24歳の頃、

あるラウンジの生バンドの仕事を 何度かしたことがある。

レギュラー・メンバーではなく、

トラ (代役 : エキストラの略) として頼まれての出演。

大好きなギターを弾いて、お金がもらえるなんて、

なんてステキなこと、とも思えるが、

演奏する音楽は、ロック好きだった私にはつらい、演歌や歌謡曲。

しかも、お客さんの歌の伴奏。

ヘタクソで酔っ払いの客の歌にも合わせなければならない。

これが、結構大変。

まず、初見 (始めて譜面を見て演奏すること) が 利かなければ

ならない。

そして、お客さんの声域に合わせるので、

色んなキーで演奏しなければならない。

それに、お客さんの歌のリズムがめちゃくちゃで、

小節を無視したりしても すぐに合わせなければならない。

つまり、合わすということは、歌をよく聴き、他のメンバーの音も

よく聴いている必要があるわけだ。

今思うと、これほどスゴイ訓練はない。

もちろん、皆が皆、ヘタなわけではなく、

中には、とても上手いお客さんもいたよ。

でも、自分の歌が めちゃくちゃなことを棚に上げ、

バンドの方を振り返り、

「こらぁ、ちゃんとやらんかぁ!」 という

たちの悪いおっさんもいた。


酔っ払いの伴奏をするのも

やりたくない音楽を 演奏するのもイヤだった上に、

そこで一緒に演奏ていた人達が、

楽しそうには見えなかったことで、

(こんな仕事はしたくない) と思うようになった。

中には休憩時間中に酒を飲み、「飲まな やってられへん」 と

言いながら、演奏していた人もいた。

結婚して子供もいる人たちの中には、

もう自分がやりたい音楽をやることは、

あきらめているかのように見える人もいた。

ある人は、こんな風に言った。

「楽器持って家 出たら、嫁はん、お金持って帰ってくると

思いよるからなぁ」

やりたい音楽をやるということは、

お金を使う (スタジオ代とか) ということだから、

やりたいけど 出来ない、というわけだ。

そこで私は、音楽を仕事としている人の中に、

「ミュージシャン」 と 「バンドマン」 という2種類の人たちが

いることを知ったわけだ。

バンドマンではなく、ミュージシャンになりたい、と思っていた私は、

バンドマンになってしまうと、好きな音楽ができなくなると思い、

それ以来、そういう仕事はやらなくなった。

(というか、話も来なかったんだけど。)


ず〜っと、(あんな風になりたくないから、ああいう仕事を

しなかったんだ) と思っていた。

でも、先日、そうじゃないことに気付いた。


私は、怖かったんだ。

「出来ない自分」 に直面したくなかったんだ。

色んなジャンルの音楽を どんなキーでも即座に演奏する、

なんてこと、とてもじゃないけど、出来ない。

トラでやっている間は、バンドのメンバーも大目に見てくれていたが、

レギュラーとなると そうはいかなかっただろう。

ずい分叱られることになっただろうし、

クビになっていた可能性も充分にある。

「出来ないこと」 は、「やりたくないこと」 だと決め付け、

そこで 出来るようになることが、自分の演奏の幅を広げること、

未来の自分の能力、財産になるとは考えずに、

自分の未来を小さく考えることしか出来なかった私。

そして、その根底にあったものは、「恐れ」 だった。


一流のミュージシャンの中にも、若い頃、そういう仕事を

していた人たちがいることも知っていたから、

「そういう仕事をする = ミュージシャンになれない」

という式は、成り立たない。

なぜなら、彼らは どんな仕事をしていても

「ミュージシャンである」 からだ。

むしろ、そういう仕事で 鍛えられたであろうことは、

今なら、容易に想像できる。

「でも 20代の頃、私がやりたかったことは・・・」 と言い出せば、

自分の選択は、いくらでも説明が出来そうだが、ひと言で言うと、

“私は、最初から ミュージシャンではなかった” んだ。


これは、過去の自分を非難してるわけでも、反省しているんでもない。

なぜなら、全てこれで良かったと思っているから。

ただ、気付いた内容に驚いたから 書いているだけだ。

あまりに自分が自分のことを知らなさすぎる。

そして、それは、若い頃だけじゃなく、今でもそうなんだろうな、と思う。


さて、冒頭に “今は、「その区別は違うな」 と思う”  と書いた。

今はこう思う。

 演奏家には 2種類いる。
 クリエイティヴに演奏する人と そうでない人。

じゃあ、「クリエイティヴに演奏する」 ってなんだ?

それは、長くなるので またの機会に。





2010.8.29

CREATION

昨日の続き。

「クリエイティヴに演奏する」 とは、どういうことか。

まず、言葉の意味を確認してみよう。

「クリエイティヴ (creative)」 は、辞書を引くと

 創造 [創作, 独創] 力のある, 創造的な

とある。

「クリエイション (creation)」 の形容詞だ。

では、「創造」 「創作」 とは何か。

 創造 : 新しいものを初めてつくり出すこと

 創作 : 新しいものをつくり出すこと


とある。

つまり、「クリエイティヴ (創造的) に演奏する」 とは、

その演奏の一瞬一瞬に新しい音楽を生み出すことに他ならない。

練習したことを 「再現」 するのではなく、

練習したことは全て手放して 音楽を 「創造」 する。

その創造に立ち会った時に、聴き手は感動するんやないやろか。

自分で演奏していても、たま〜にそういう瞬間がある。

(あ、うまくいった!) と思った瞬間に

執着が芽生える。

2回目には、それを再現しようとしてしまう。

そこには、「創造」 は、ない。

今度は失敗したとする。

2回目には、その失敗を避けようとし、つまらない演奏をしてしまう。

そこには、「創造」 は、ない。

うまくいったことに執着し、失敗を嫌悪する創造的ではない

自分がいるだけだ。


では、どうすれば創造的に演奏できるのか。

どうすれば、過去から、演奏するのではなく、

いつもいつも、新しい自分で演奏できるのか。

これは、人生の課題と全く同じだ。

自分を観察する限り、創造の邪魔をしているのは、

「恐れ」 に他ならない。

失敗を、批判を、非難を、人にどう思われるかを

恐れなければ、かなり、創造的になれるんやないやろか。

修行は続く。





2010.12.7

なぜ、出ない!

今朝の夢。

私は、劇場みたいなところにいる。

誰かの講演か何かだったようだが覚えていない。

座席は、なぜか便座でもある。

私は、大便をしたかったのだが、

トイレに行く暇がなく、(座席で出来るからいいや) と

ズボンとパンツを下げて、最前列の席についた。

両隣の席は空いていて、一つあけた左隣に

見知らぬ人が座っていた。

その見知らぬ人が、私の方を見たのであわてて前を隠した。

そして、用を足していると、うんこが途中まで 出て止まってしまった。

一生懸命、気張るのだが、途中から動かないのだ。

めちゃくちゃ、気持ちが悪い。

(なんで、半分だけ出て止まってしまうねん!)

と、必死に気張るが 出ない。

そうこうしているうちに焦ってきて 目が覚めたら・・・




















パンツが思いっきり、お尻に食い込んでたわ。



あ〜よかった。

うんことちごて。





2010.12.25

ねごと

子供の頃は、よく寝ぼけた。

2階で寝たのに、目覚めたら1階の居間にいたこともあった。

私の妻は、子供の頃、寝ぼけて近所の肉屋までいったらしい。

そこまでいくと、寝ぼけてるのではなく、夢遊病のようだが。


大人になるとともに寝ぼけることはなくなったが、

寝言はたまに言うようだ。

私は、たま〜にだが、自分の寝言で目が覚める。

夢の中で しゃべっているんだが、

興奮のあまり、実際に声を出してしまうんだ。

昨日の未明も、大声を出して目が覚めた。

「それを集団リンチって言うんや!」

と、言って目が覚めたのをはっきり覚えているのだが、

どんな夢だったかは、全く覚えていない。

集団リンチって・・・

どんな夢やってんやろ・・・。



ひとりごと  ひとりごと