LAGUNA MOON MELLOW FLAVOR  LIVE GUITAR  LINK LYRICS


 つつみしんやのひとりごと  2024年6月
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2024.6.2

2 5 年

今日は、結婚記念日。
銀婚式だ。
もう25年も経ったの?
そう思わずにはいられない。

これからの25年は長いように思うのだけど。
過ぎ去った25年は、あっという間だ。
歳と共に時間が過ぎるスピードが増している。
これから残りの人生は、瞬く間なんだろうな。

銀婚式には、「25年という年月を経ることで、
いぶし銀のような美しさを醸し出す夫婦」という
意味があるらしい。
醸し出しているやろか?
いぶし銀のような美しさ。

今日は結婚記念日であると同時に、
妻の誕生日で、彼女は60歳になった。
忘れないように、妻の誕生日に入籍したんだ。
まだ妻と個人的に知り合う前、
初めて彼女を見かけたときのことを
覚えているが、私が30歳になるかならないかの
頃で、彼女は 27歳か28歳だっただろう。
その時は、お互い大勢の中の一人で、
言葉も交わしていない。
あの時は、まさか結婚するなんて、
微塵も想像できなかっただろう。

人生は、不思議いっぱいだな。

25年だからと、特にどうということはないのだけど、
妻の明るい性格のおかげで、
結婚以来変わらず、楽しくやれている。
知的な話から、バカ話まで、何でも話せて、
そしてふたりとも健康で、楽しい日々は何よりだと思う。
世の中には不仲な夫婦もいることを思うと
私はラッキーだと思う。
たまに腹も立つし、ケンカもするけど。

あと何年続くか(生きるか)分からないけど、
このまま終わりまで続けばよいと思う。
でも、どちらかが先に逝く日が来るんだな。
まだ、想像できないし、したくないけど。

*** *** *** ***

この「ひとりごと」は、スタートして17年が経った。
始めたときは、何年やろうと思わないで始めたけど、
まさか17年も続けられるとは思わなかった。
18年目に突入だ!




自意識(アイデンティティ)と創り出す思考

ロバート・フリッツ、ウェイン・S・アンダーセン (著)




「IDENTITY(アイデンティティ)」を「自意識」と
訳すのが、適切なのかどうかは少し疑問が
あるのだけど、著者が言いたいことは分かる。
「自意識」に「アイデンティティ」とルビを振っている箇所と
振っていない箇所があるのは、意図的なのかどうか
書いてないので不明だけど、それも気になる。

時々「自己肯定感」「自己イメージ
が低いと良くない、
自分が自分をどう思っているかが、重要だという話を聞く。
だから「自己肯定感」を上げようというわけだ。
「自己肯定感」は、「自己承認」でも
同じような意味だろう。

しかし、著者は、自分のことが好きか嫌いかと、
人生で何を成し遂げるかは関係ない、と説く。
自分を嫌いなら嫌いで良い、と。
そのことよりも、人生で大切なことは、
「何を成し遂げたいか」だと。

そして、むしろ自意識が高い方が、
自分に優しく出来ないとも。
自分を「まだまだだ」と思っている人は、
自分にムチを打ち続けるだろう。
成果を出しても「まだ足りない」というわけだ。

著者の指摘のように、何かを成し遂げようとするとき、
その目標にフォーカスするのではなく、
自分自身に注意があることが私にも多々ある。
私の場合、それは演奏であったり、
写真撮影のとき、顕著に発現する。
演奏時の自分の心理は、とても興味深い。
良い音楽を創り出すことよりも、自分を良く
見せることにエネルギーを使っているなんて、
しょっちゅうだ。
音楽も写真も趣味で、仕事じゃないのが微妙だけど。

もちろん、(もう退職したけど)仕事上でも
「良く思われたい」とか「出来ると思われたい」とか、
自動的に出て来た覚えはある。
でも、アイデンティティが脅かされるほどの
場面はなかったような気がするな。
覚えていないだけかも知れないけど。
演奏時の邪念は、本当に音楽の邪魔だ。

いずれにしろ、自分をどう思っているかは、
人生では確かにあまり重要ではない。

なぜ、人は自意識に囚われてしまうか、
どういう仕組みになっているかを
この本では構造力学という観点から説いている。
一度読んだだけでは、十分に理解したとは
言えないので、この構造の部分だけでも
もう一度読み直して、自分のモノにしたいと思う。

途中、ちょっと中だるみ感があったけど、
後半持ち直した感じ。
書いてあること、全てに同意はしないけど、
役立つ部分も多いと思う。

ちなみにオビに「自分が何者かなんて関係ない」という
文言があるが、これは哲学で問う「自分は誰か」とは、
レイヤーが違う。
オビに書かれている「自分」は、
「自分が自分のことをどう思っているか」のことであり、
哲学の方は、「自ら創作する、投企する自分」のことだ。


★★★★☆





2024.6.4

Bernard Purdie
バーナード・パーディ




レジェンド、バーナード・パーディのライヴを観てきた。
誕生日は、1939年6月11日 とあるので、
来週でなんと85歳である。
共演したアーティストは、アレサ・フランクリン、
ニーナ・シモン、ホール&オーツ、スティーリー・ダン、
ジェームス・ブラウン、マイルス・デイヴィス、
B.B.キング、アル・クーパー、ジョー・コッカー、
トッド・ラングレン、ジェフ・ベックなど
「地球上で最も多くのレコーディングに参加したドラマー」
とも言われているバーナード・パーディなのだが、
私はナマで観るのは初めて。

今回の来日は、東京2日、横浜、大阪、
計4日8公演。

女性に付き添われてゆっくり登場したパーディ。
その女性は、大阪出身でニューヨークで活動する
ピアニスト、信実美穂(のぶさねみほ)さんだった。
他のメンバーも見るからにベテランという人ばかり。
ヴォーカルとハープに、ロブ・パパロッジィ。
ギターは、ジョージ・ナーハ。
ベースに、ダン・ブーン。

1曲目は、ビートルズの "Ticket to Ride"。
その他 曲名が分かるものは、
"Comin' Home Baby"、"The Chicken"、
"Feels Like Rain" (John Hiatt) 、
"What a Wonderful World" など。
アンコールは、スティーリー・ダンの "Home at Last"。

"Ticket to Ride"は、歌ではなくハープで。
"The Chicken" は、ハイパーな演奏をたくさん聴いて
しまったせいか、テンポもゆったり目だったせいか、
ベーシストのせいか、やや緩い印象だった。

ギターのジョージ・ナーハは地味目な演奏ながら、
うーむ、と聴かせるソロ。
バーナードのドラムは、音楽的。
当たり前だけど。
リズムが気持ち良いのはもちろん、
歌心があるというのかな。
グルーヴ・マスターの印象があるけど、
なんだかこの人の人気の高さが分かるような気がする。
ずっと歌詞かドラムのフレイズを口ずさみながら
叩いていたよ。
演奏を聴いていると85歳なんて思えない。

たぶん、最後の来日になるだろうな。
観られて良かった。


[ MEMBERS ]
Bernard Purdie / バーナード・パーディ (Dr)
Rob Paparozzi / ロブ・パパロッジィ (Vo, Harp)
Miho Nobuzane / ノブザネ ミホ (Pf)
George Naha / ジョージ・ナーハ (G)
Dan Boone / ダン・ブーン (B)

@ Billboard Live横浜
2nd show


****** ****** ******

Tighten Up (Coolin’ 'n Groovin’)

こちらは、1993年に奇跡のメンバーで行われた
日本でのライヴの模様。
これは、DVD として発売されており、
デヴィッド・T・ウォーカーが参加しているので、
私も所有しているが、最高である。
ライヴに行かなかった(知らなかった)ことが悔やまれる。
("Tighten Up" は、Archie Bell & the Drells のカヴァー。
オリジナルは、1968年のリリース。YMO もカヴァーしている。)

Bernard Purdie (d)
Chuck Rainey (b)
David T.Walker (g)
Sonny Phillips (org)
Bill Bivens (ts)
Virgil Jones (tp)
Pancho Morales (conga)
Lou Donaldoson (as)

ちなみにギターは、コーネル・デュプリーの予定だったが、
来日直前に体調不良でキャンセル。
急遽、デヴィッドが トラとして参加したのだ。

このライヴ映像を観ると、バーナードがぐいぐい
リーダーシップを取っている感じだけど、
今日の MC は、全部ロブ・パパロッジィ。
6月2日の東京公演1日目では、はじめに
バーナードが挨拶をしたようだけど、
今日はひと言も話さず。
セットリストも決まっていなかったようで、
ロブが指示を出しているように見えた。





2024.6.5

JOHN SCOFIELD TRIO



久しぶりの ジョン・スコ。
調べてみると2019年以来 4年ぶり。
2012年、2015年、2019年とブルーノート東京
公演の最終日 2nd show を観たのだが、
今日もブルーノート東京 3日間6公演の
最終ショー(満席)を観てきた。
なんだか最終ショーだと、メンバーも
「これで終わりだ」と思い、特別な何かが
起こるような気がするんだ。
そんなのないかも知れないけど。

ジョン・スコは、72歳。
ギターは、ブラックのアイバニーズ。
メンバーは、ビル・スチュワート(Dr)と
ヴィセンテ・アーチャー(B)。
2019年の来日には、"COMBO 66" という
バンド名義だった。
今回のトリオにジェラルド・クレイトン(Key )が
加わると "COMBO 66" となるわけだ。

ジョン・スコは以前にも2時間近く演った
覚えがあるけど、今日もアンコールを入れて、
1時間50分近かった。
ブルーノートで、2部あるのにこんなに演るのは
ジョン・スコぐらいしか知らないよ。
もちろん1部では、そんなに長くできないだろう。
だから、これは2部ならではだな。

今日は、スイッチが5つぐらい並んだペダルを踏むのに、
スイッチの感覚が狭くて隣のスイッチも触ってしまうからか、
そのペダルを踏むときだけ、右足の靴を脱いで、
靴下になって踏んでたのが面白かった。
そのペダルは、ループやリバースのディレイ音に使ってた。
後ろの方の席だったら、足元は見えなかっただろうな。

激しいのや速いのも良かったけど、印象に残ったのは、
昨年亡くなった米国のピアニスト・コンポーザー、
Carla Bley の『Lawns(ランス)』。
アンコールで演った、やはり Carla Bley の
『Ida Lupino(アイダ・ルピノ)』。
この2曲は、とても美しく、良かった。
Carla Bley って名前しか知らなくて、
ちゃんと聴いたことがなかったんだけど、
これを機会に聴こうと思ったよ。
その他で曲名が分かるのは『TV Band』、
『Mo Green』、『Stairway To The Stars』。
アンコールの2曲目は、『Blue Monk』。


[ MEMBERS ]
John Scofield (g)
Vicente Archer (b)
Bill Stewart (ds)

@ Blue Note Tokyo
2nd show





2024.6.6

ブランクーシ 本質を象る



昨年8月、東京は京橋にある
アーティゾン美術館で、
「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」
という展覧会を観た。
抽象絵画を中心にした展覧会だったのだけど、
その展覧会で私が一番気に入ったものが、
コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)という
ルーマニア出身の彫刻家の『The Kiss(接吻)』だった。





そのブランクーシの展覧会が、同じアーティゾン美術館で
開催されているので、観に行ってきた。
ブランクーシの創作活動の全体を美術館で
紹介するのは、日本では初めてだという。

展覧会のタイトルは、
「ブランクーシ 本質を象る」
「象る」が読めなくて、調べたよ。
「かたどる」と読むんだな。

「本質を象る」とはどういうことなんだろう。
そもそも、「本質」とはなんぞや。
以前、写真を撮るときに土門拳の影響で
「本質を撮るってどういうことやろ?」と
自分に問いかけながら撮影していた時期があった。
いや、今でも基本的に頭の隅にそのことは
いつも意識している。
で、本質が撮れているかと訊かれれば、
今のところ「分からない」と答えるしかない。
ということは、本質なぞ撮れていないのだろう。

絵画や彫刻の場合、おそらく、そのものの本質を
抽出すれば、非常に単純な線や形であっても
観る人にそれが何か伝わるのではないかと考えている。
写真の場合は、もっと難しいけど。

展覧会のチラシやウェブサイトには
ブランクーシ自身の言葉だと思われる
「真なるものとは、外面的な形ではなく、
観念、つまり事物の本質である」という言葉がある。

この言葉は、「本質」というのは、
その物体側にあるものではなく、
「観念」、つまり観ている側の心(頭)にあると
言っているようにも受取れる。

またブランクーシは、
「単純さとは美術における目標ではない。
対象の真の意味に迫ろうとすることで
単純さに到達するのである」という言葉も残している。

これは、前述のように、余計なものを削ぎ落していき、
最後に残ったものがそのものの「本質」と
言っているように受取れる。

私は『The Kiss』のようなブランクーシの作品が
多く観られると期待して展覧会に臨んだのだが、
『The Kiss』のようなテイストの作品は他にはなく、
ブランクーシの目指した(?)極度に単純化された
作品が中心だった。
(彫刻作品は 約20点、絵画、写真を加えて約90点。)

こういうのね。



私は『The Kiss』(1910年以降)は、
十分に愛し合う男女の本質を表していると思うのだが、
その後、1920年代の作品を観ると、
もっとシンボル化されたような作品が多かった。
あまりに単純化され、何か分からなんだ。

例えばこれは1924年(1972年鋳造)の
『The Cock(雄鶏)』という作品だが、
私にはもう鶏には見えない。



こちらは彫刻ではないが、1930年の『Bird(鳥)』



鳥? ちょっと無理がないか。
「船」なら分からなくもないが。

かろうじて『Torso of a Young Man
(若い男のトルソ)』は、男性性器を
表しているんだろうと思ったけど、それとて
作品名を見てからのこと。
(「トルソ」は、人間の胴体のこと。)



真ん中が、『若い男のトルソ』

そんなわけで私の「本質とはなんぞや?」の
探求は続くのだった。




石橋財団コレクション選
特集コーナー展示 清水多嘉示




「ブランクーシ 本質を象る」と同時開催で
「石橋財団コレクション選
特集コーナー展示 清水多嘉示」が開催中だった。

清水多嘉示(しみずたかし)(1897-1981)の
ことはこの度初めて知った。
画家を志してフランスへ留学した清水は、
パリでアントワーヌ・ブールデル(フランスの
彫刻家)の作品と出会い、彫刻に目覚めた。
そして、絵画と彫刻の二刀流で成功を収めた。

絵画の方は、マティスやセザンヌにも影響を
受けたようだ。

清水多嘉示 『ギターと少女』(1925年頃)



アンリ・マティス 『オダリスク』(1926年)



アンリ・マティス 『樹間の憩い』(1923年)



そして、マティスの影響を超えての作品。
清水多嘉示 『憩いの読書』(1928年)



フランス留学最後の年に描かれたものらしい。
これがなんだかとても良かった。


「材料の相違はあっても、エレメント(要素・本質)に
於いては絵も彫刻も同じである。
粘土を手にすると、絵筆をもつのとは、いささかも変わりはない」


この清水の言葉が解説にも使われていたのだが、
ネットでその前半部分も見つけたので、貼り付けておく。
こちらのサイトから拝借した。)

一体世間では、絵の仕事と彫刻の仕事を別物のように
考えたり、『絵は分かるが、彫刻はどうも』という人に
会ったりして、こちらがまごつく事がしばしばある。
造形芸術はいうまでもなく、形(フォルム)で内容を表現する。
従って芸術作品に於ける形(フォルム)は、
自然の表面の形ではなく、物の本体を的確に
形に置き換えたものでなくてはならない。
(芸術は精神世界を離れては成り立たない。)
絵だけなら分かると言うのは、絵の色彩に幻惑されて居て、
本当は何も分かっていないと言える。
つまり材料の相違はあっても、エレメント(要素・本質)に
於いては絵も彫刻も同じである。
粘土を手にすると、絵筆をもつのとは、いささかも変わりはない。

清水多嘉示 −ブ−ルデル解説より−



ここでも
芸術作品に於ける形(フォルム)は、
自然の表面の形ではなく、物の本体を的確に
形に置き換えたもの
」などという謎めいた表現が
本質についても触れているように思う。

それにしても、美術館は やはり平日の日中が空いていて良い。




ありふれた教室

Das Lehrerzimmer




ドイツ映画『ありふれた教室』を観てきた。
アカデミー賞国際長編映画賞に『パーフェクトデイズ』、
『関心領域』とともにノミネートされていた作品だ。
(受賞は『関心領域』)

主人公は、中学1年生のクラスの担任、
仕事熱心な若手教師カーラ・ノヴァク。
校内で多発する盗難事件をきっかけに
カーラは、犯人に罠をかける。
このことが明るみに出て、学校は予想も
つかない事態に陥っていく。

ちょっと息が詰まるような場面もある。
サスペンス映画ではないけど、先が読めず
「結末どうなるんやろ?」と思っていたら……

ここからネタバレ。

事件は、解決しないまま終わる。
「うーん、そこで終わるかぁ」という感じだったけど、
薄っぺらく解決するよりは、この方が良い。
ここまでこじれたら、ハッピーエンドとかないやろし。

何より、教師という仕事の難しさを痛感した。
そして、「正義」の難しさも。
国民性の違いもあるだろうから、
同じシチュエーションでも、日本なら違う展開に
なるような気もする。
(こんなにややこしくならないような気がするが、
それは甘い考えか。)

これも所謂オープンエンディングなので、
観客各々に、あの結末の先を考えるよう
問題提起されているように感じた。

主役ノヴァクを演じるレオニー・ベネシュが良い。
ちょっと『トーク・トゥ・ハー』に出ていたスペインの
レオノール・ワトリングを思い出した。美人。
生徒オスカー役のレオナルト・シュテットニッシュも
素晴らしい。
本作がデビュー作とのことだが、表情だけでも素晴らしい。

なお邦題は『ありふれた教室』だが、
原題は「職員室」の意。


★★★★▲


2022年製作/99分/G/ドイツ
原題:Das Lehrerzimmer
劇場公開日:2024年5月17日





2024.6.7

市民ケーン
Citizen Kane




20世紀の名作映画ランキングで
必ずといって良いほど上位に出て来る
映画『市民ケーン』(1941年)。
オーソン・ウェルズの初監督、初主演作品だ。

タイトルは知っていたけど、観たことはなかった。
友人に感想を求められ、観たのだけど、
正直言ってそんなに面白いとも良いとも思えなかった。
これは、時代が大きいと思う。
80年以上前の作品だもの。

調べてみると、この映画ではそれまで誰も
やっていなかったような撮影や演出の手法が
取られており、それらが評価のひとつになっている。
それらは今では当たり前のようになっているものもあるんだ。
パンフォーカスや時間的配列の再構築などね。
それらを25歳のオーソン・ウェルズが
やってのけたということで、
また評価に加算されているように感じる。

確かにその功績はあるのだろうけど、
それは映画自体ではなく、付随する要素なので、
ただの観客には、あまり興味がないことかも知れない。
特に80年以上前だし。(2回目)

感想。
金と権力で世界をコントロールしようとする、
イタイ男の物語だと思った。
「いくらお金があっても権力があっても幸せではない」と
いうのは、もう語りつくされたテーマだろうけど、
人間の永遠のテーマだろうな。
主人公ケーンは、大金持ちだったけど、
さびしい男だった。
ケーンがあんな風になってしまったのは、
母親の愛情に飢えていた、とかいうことになるのだろうな。
子供の時に(ある意味)親に捨てられるのだから。
母親の愛は、お金では埋められないんだな。

妻を所有物として扱うなどそのゆがんだ愛情表現は、
今ではやばいほどの一昔前の男尊女卑の表現だ。

ケーンの最後の言葉が「薔薇のつぼみ」で、
その意味を解明しようと物語は進む。

以下ネタバレ。

エンディングで、「薔薇のつぼみ」は、子供の頃、
母親と別れる際に遊んでいた「そり」に
書かれた文字だと明かされる。
大富豪の心にあったのは幼い頃の母親との
想い出だった、という解釈も可能なのだが、
私はどうもピンとこない。
「薔薇のつぼみ=母親」とは思えないからだ。

気になるので調べてみると、
こういう記事を見つけた。

「『市民ケーン』は実在の人物がモデルになっています。
当時のアメリカの(悪名高い)メディア王、ハーストです。
『市民ケーン』にはダブルミーニングの仕掛けが
施されていて、謎の言葉「薔薇のつぼみ(rosebud)」は、
ハーストが愛人とHする際の口癖だったそうで
(つまり、「薔薇のつぼみ」は愛人の秘部を意味するわけです)、
監督のオーソン・ウェルズは、悪どいメディア王ハーストに対して、
こうした映画作品の形で意趣返しの反撃を行なったわけです。
この作品を観た観客は皆、「薔薇のつぼみ」の謎を
知りたがるという仕掛けです」


それは、分からんわぁ。

このモデルになったハーストとは、ひと悶着あったようで
上映妨害運動が展開されたようだ。
「薔薇のつぼみ」が、本当にハーストに関連してのこと
だったとしたら、そら怒るわな。
そういう意味では、オーソン・ウェルズは(内容も
作り方も)アグレッシヴだったんだろう。
ただ、私にはちょっと説明臭い作りに感じた。
今リメイクしたら、もっと面白く作られるだろうな。

内容とは関係ないけど、加齢のメイクはコントのようだ。
モノクロだから耐えられるけど。
オーソン・ウェルズが20代から50代までを演じていることを
評価している記事もあるけど、
まあ、80年前だからということで。

あと、タイトルがなんで「市民(Citizen)」なんだろうな。


★★★☆☆





2024.6.12

桂ざこば 死去

芸能人や著名人の訃報を知った時の私の反応だが、
全く気にならずに「へぇ、そうか」という程度のときと
思わず「えっ!」と声を上げてしまうときがある。
今日の訃報は、後者だった。

桂ざこば。
享年76歳。
ぜん息だったらしく、昨年秋から、
入退院を繰り返していたようだ。

東京の落語家を聴く機会が多く、
上方の落語家を聴く機会は少ないのだけど、
それでも、ざこば師匠の高座は、生で6回観た。
最後に観たのは、2019年2月24日。
桂米團治の「還暦&噺家生活四十周年記念
独演会」での「上燗屋」だった。

子供の頃、私は大阪在住だったから、
テレビでも馴染みがあった。
その頃は「ざこば」ではなく「朝丸」だったけど。
「動物いじめ」は小学校で流行ったなぁ。
そうそう「ウィークエンダー」にも出ていたなぁ。

私のざこば師匠の印象は、
情に厚くて、涙もろくて、器用でないけど、
まっすぐで、ストレートで、一生懸命。
ちょっと危なっかしい。
そして、師匠の米朝このことが大好きだった。
うーん、まだまだ、落語聴きたかったなぁ。
残念です。

合掌。


昨年12月には「アホの坂田」の坂田利夫、
先月は(芸人ちゃうけど)キダタロー、
漫才師の今くるよ、と大阪の重鎮が
続けて亡くなっている。
なんだかさびしくなるなぁ。





2024.6.13

全ては世代交代の時

東京都知事選が近い。
前回、前々回の都知事選で誰に投票したのか
覚えていない程度の都政への関心度だ。
威張って言うようなことではない。

もしかしたら、前回、前々回のどちらか、
あるいは両方に小池さんに投票したかも知れない。

正直、誰が都知事になっても大した違いはないので、
その時その時の印象で投票していたことを否めない。

が、今回は違う。
こんなに都知事選に興味を持ったことはなかった。
都知事選に限らず、国会議員の選挙でも
こんなに関心を持ったことはない。
選挙に行くのは、選挙権を得るために多くの
血が流されたことを思い、国民の義務を果たそうと
思うからであって、支持する政治家や政党が
あるからではなかった。

きっかけは、石丸伸二 元安芸高田市長の出現だ。
いつ頃からか、SNS に石丸市長の動画、
(それも短いやつ)が、目に付くようになった。
当初、石丸さんのことを快く感じていなかった。
なんだか、ずけずけとキツイことを言って、
炎上しているように見えたからだ。
何者か分からなかったんだ。

しかし、内容に耳を傾けると、印象が変わって行った。

まず、こんなに「発言の内容が分かる」政治家はいなかった。
話すとき「えーっと」とか「あー」とか言わない。
発言に濁り、迷いがない。
そして、言葉遣いは辛辣でも言っていることはご尤も。
それが私の彼への認識の変化の始まりだった。

岸田総理の答弁に限らず、
多くの大臣、議員の答弁にイライラしてきた。
なんで、はぐらかすねん。
なんで、質問に答えへんねん。
いや、あんな風でなければ政治家など
務まらないのだろうと諦めていた。
それが、政治家なのだと。

小池さんの記者会見を見ても、
何かスッキリしない。
この人も、なんで記者の質問に答えないんだろう、と思う。
都知事選に立候補した蓮舫さんは、
人の批判しかしていないように見える。
もちろん、そうではないだろう。
どこかで政策やビジョンも語っているのだろうと思う。
でも聞こえてこないんだ。
立候補の表明に人の批判は聞きたくないで。
あんたが、何を成そうとしているかを聞かせてくれ。

石丸さんは批判もあるけれど、
確実に彼の姿勢が伝わってきたんだ。
真面目で、真剣で、ブレないその姿勢が。

テレビでは、小池・蓮舫の話が多いけど、
ネットでチェックしていれば、テレビでは得られない
情報も簡単に手に入る時代だ。

石丸さんに対し、当然アンチな人もいる。
でも、そのアンチの評論を聞くと、なんだか古臭いか、
はなから批判(?)してるかにしか聞こえない。
「なるほど」とは思わせてくれないんだ。

一方で、その批判(ほとんど誹謗・中傷)に対する
石丸さんのコメントには、「なるほど」と共感できるんだ。

もう、日本は変わらなければならないと何年も
前から言われているのに、なんだか、
政治家を見ていると、国民として誇りを持てない。

でも、石丸さんなら何かやってくれそうな気がするんだ。
もちろん甘い期待という可能性だってあるけど、
他の人より、明らかに投票し甲斐があると思う。

安芸高田市の市議会の動画も合計すると
数時間分観たよ。
こんなに政治に関心を持ったのは、61歳で初めて。
それ自体、石丸さんの意図なんだと思う。

だから、都知事はぜひ石丸さんになってもらいたい。
みんなで石丸さんに投票しよう。

話は違うけど、東京都千代田区立麹町中学校が
ダンス部に対し、「ヒップホップ禁止令」を出したことが
問題になっている。

麹町中学校といえば、2014年に着任した工藤校長が
様々な改革を行ったことで、有名になった。
例えば、宿題や定期試験の廃止や
制服や体操着の着用自由化などだ。

しかし、工藤校長が2020年に退任後、2023年に
新たに着任した校長が、それらの改革を見直し始め、
24年度の新入生からは、標準服の着用が
復活したという。

新聞によると、PTAのひとりは
「他のクラスの教室には入らない、
登下校は届け出た通学路以外は通ってはダメ、
授業中、保健室の利用法など細かくルールを
定めて文書化するなど、学校主導で
生徒への指導強化が進んだ」と話しているという。

なんやそれ。
時代を逆行してるで。

おまけに、ダンス部へのヒップホップの禁止だ。

麹町中ダンス部はここ数年、毎年5月の体育祭と
10月の文化祭でヒップホップダンスを披露してきた。
それを目指して、練習を重ねてきた生徒達が
いるにもかかわらず、学校側は、
「今年から体育祭でダンス部のヒップホップ発表の
場を設けない」ことを決定したんだと。
生徒から、生き生きさを奪うのが
教育と呼べるのだろうか。

校長の権限の大きさは、知っているけれど、
反対する先生いなかったのか。
いたけど、校長は耳を貸さないのか。

いずれにしろ、そんな時代遅れの校長は
即やめるべきだ。

60年前、ビートルズも不良と言われたけど、
今では教科書に載ってるで。

全ては、世代交代すべきなんだ。

ふだん、政治に関心が薄く、
政治的な発言なんて皆無な私が
そんな風に思うのでした。





2024.6.14

あかんな

小池都知事が、カイロ大学を卒業していようと
してなかろうと、私はどっちでも良いと思っている。
もっと言ってしまえば、学歴詐称をした人が、
政治家であっても、その人が政治家として
全うであれば、私個人は気にしない。
しかし、法律(公職選挙法)はそうではない。
だから、政治家は法律を守るべきだ。

11日、小池さんを若い頃から知る、
朝堂院大覚(ちょうどういんだいかく)という
人が記者会見をした。
その様子をYouTubeで観たけど
「小池百合子さんはカイロ大学を
卒業していない」と明言した。
小池さんの父親と関係のあった人で、
小池さんがカイロ大学を進級できず
やめたあと、援助した話などをリアルに語った。

小池さんが立候補を表明する前日のことだった。
これは波乱を呼ぶのではないかと思ったが、
テレビでは何も言わない。
四六時中テレビに噛り付いているわけではないけど、
テレビでは流れているのを観ていない。

はて?
あんなに明確に言ったのだから、
話題になってもおかしくないし、
「朝堂院さんの言っていることは、本当ですか?」
と小池さんに訊くのは必至だと思ったのだけど。

それとも朝堂院さんの言っていることって、
全くのでたらめなのか。
そんなに誰も相手にしないような人には
見えなかったんだけど。

そしたら、立候補表明の記者会見で、
小池さんに訊いた記者がいたんだね。
「昨日、朝堂院 大覚さんがね」と
その記者が話し出すと
小池さんはそれをさえぎるように
「ありがとうございました」と強制終了!
そのあとすぐに別の記者が、どうでも良い
服の色の質問に移った

いやいや、これはあかんやろ。
あからさまやん。

そして、記者会見は、一方的に終了。
テレビには流れないが、その記者会見後
知事が退席したあと、記者が
「きちっと記者会見を開いてください。
一部の記者に限定しないでください」
「知事、逃げないでください」と叫ぶが無視。
そのあとも「めちゃくちゃな会見」
「記者会見になってない」
「もう一回やり直そう」と、都の担当者に
「知事に交渉してきてください」と迫る映像もある。
が、知事が出て来なかったようだ。

都合の悪いことには答えない、という
姿勢が見え過ぎて呆れる。
テレビは、小池 VS 蓮舫の構図ばかり報道している。
なんか分かりやすい。
これはあかんで、というのが分かりやすい。

石丸さんの記者会見とは違いすぎる。





2024.6.24

ディア・ファミリー



予告編を観ただけで、想像がつくストーリーの
映画『ディア・ファミリー』。
でも 結構泣かされたよ。
ここ数年では一番泣いたかも知れない。

生まれつき心臓に疾患がある娘を持つ夫婦と
その家族(娘たち入れて5人)の物語で
実話をベースにしたフィクション。
諦めない父親とポジティブな母親。
娘は二十歳まで生きられないと知った父親は、
自分で人工心臓を作ることを決意する。
医学の素人が、人の命に係わる研究と開発に
臨むわけだ。
まあ、これが茨の道だわな。

以下、ネタバレ含む。

結局、人工心臓は、娘には間に合わず、
膨大な経済の壁に阻まれ断念するが、
娘との約束で、バルーン・カテーテルという
ものの開発に成功する。
それも、実用されるまでに所謂大人の事情に
翻弄されるんだ。
人間、というか医者でさえ、患者の命より
優先するものがあるという、現代社会の
悲しい縮図でもある。

娘の命は救えなかったけど、多くの
人の命を救った夫婦の物語。
なんだろう、なんだか分からんけど
頑張ろうと思える作品。

大泉洋は、上手いの知ってるけど
本作でも大泉に泣かされるよ。


★★★★★





2024.6.25

信州撮影の旅 その1

先週、4泊5日で長野県に行ってきた。
前半の目的は、妻が行きたがっていた、
奥蓼科にある御射鹿池(みしゃかいけ)を観に行くこと。
後半2泊は一人旅で、写真撮影の旅だった。
今回の撮影テーマは、森を撮ること。

月曜日の夕方、前日から仕事で長野入りしていた
妻と善光寺で落ち合った。
善光寺は、今年2月に 妻の仕事に
付いてきた時に訪れているので2回目だ。

その日は、宿(諏訪湖)への移動で
終わったが、翌日は一日中雨だった。
雨の中、無理やり観に行った御射鹿池がこれ。



この1、2分後には、霧で池は全く見えなくなった。

雨の蓼科高原



そのあと、諏訪湖湖畔にあるハーモ美術館へ。
小さな美術館だが、ルソーやダリ、シャガール、マティス、
ピカソなどを所蔵している。
妻が、昨年あたりから、ルソー、ルソーと言い出した。
それまで良いと思ったことのないルソーだったが、
不思議なもので、何度も観ていると、
段々と良さを感じるようになるんだな。

展覧会に行く楽しみは、好きな作品を
ナマで観ることはもちろんだが、それまで知らなかった
自分が好きなタイプの作家・作品に出会えることもある。
今回の出会いは、フランスはパリの画家、
ポール・アイズピリ(1919-2016)の『大運河』。



なんともこのヘタウマ感が良い。
この人の絵は、もう一枚花の絵が
展示されていたのだけど、断然この『大運河』が良かった。


つづく





2024.6.26

信州撮影の旅 その2

信州旅行の3日目。
前日の雨がウソのように晴れた。

前日の霧に包まれた御射鹿池で
満足できなかった私は、もう一度御射鹿池に訪れた。
これが、その日の写真。





御射鹿池は、言ってしまえばただの農業用水のため池。
1930年代に人工的に作られた池だ。
有名にしたのは、東山魁夷(画家)の
1972年の作品『緑響く』。



現実の御射鹿池には、馬なんていない。
そこは東山の創作なんだけどね。

雨の日と晴れの日と、連続2日間で
全く違う表情を見せてくれた御射鹿池。
天候だけではなく、おそらく季節によっても
様々な景色を楽しませてくれるのだろう。

前述の東山魁夷の『緑響く』。
以前から知ってはいたが、特別素晴らしいとも
思っていなかったのが、実際の御射鹿池を
見てみると急に関心が湧いてきた。

で、最終日、信州旅行の締めくくりに
長野県立美術館の東山魁夷館に行ってきたよ。
その話は、また後日。


つづく





2024.6.27

信州撮影の旅 その3

信州旅行4、5日目に撮影した写真。

長野県大町市の鷹狩山(たかがりやま)の
山頂にある小さな金毘羅神社への石段。
とても神秘的な雰囲気で、ちょっと畏怖さえ感じる。



同じく大町市にある唐花見湿原( からけみしつげん )。





ここでは、山道で迷いかけてちょっと焦った。

次は、適当に車を走らせてて見つけた風景。



鹿島槍スキー場から観た山々。



5日目は、またも雨。(ええ、雨男です)
雨の中綱湖(なかつなこ)。



適当に車を走らせてて見つけた風景。







今回、森を撮りたいと思ったのは、
昨年 写真展で観た、瀬尾拓慶(せおたくみち)の
森の写真に影響を受けてのことだが、
当然、そんなに簡単に森の良い写真が
撮れるわけもない。
私が撮ったものは、車で行けるところまで行って
たかだか数分から数十分歩いた程度で、
本当の森の中になど、足を踏み入れたとは言えないんだ。
これは、もっと本腰を入れて、
時間をかけないとダメだな、と思った。
でも、「熊に注意」なんて立て看板を見た途端、
ビビッて引き返してしまう自分なのでした。

さて、最終日はあいにく天候が悪かったのだが、
長野駅前で借りたレンタカーを
返すために長野市内まで戻った。

御射鹿池(みしゃかいけ)を見たがために
東山魁夷(ひがしやまかいい)の絵に急に
関心度が上がった私は、長野県立美術館にある
「東山魁夷館」へ向かった。

東山魁夷(1908−1999)は、
横浜で生まれ、3歳から神戸で育った。
そして、戦後は千葉の市川に自宅とアトリエを
持った人なので、なぜ長野に「東山魁夷館」が
あるのか疑問でもあった。

東山にとって、長野は「作品を育ててくれた地」で
あったということで、長野県に数多くの作品を寄贈した。
現在、その収蔵作品数は、970余点だというから驚きだ。

「東山魁夷館」では、年中東山の作品を観られる
わけだが、作品数が多いので、数カ月に一度
作品を入れ替えている。
私が訪れた日は、「東山魁夷館コレクション展 2024 第2期」。
残念ながら、『緑響く』(所蔵作品)は、
第1期に展示されていたようで実物を観ることが叶わなかった。

でも、1930年代、ドイツ留学時に描いた作品や、
1960年代にドイツ・オーストリアの街を描いた作品、
「白い馬の見える風景」シリーズの作品など
見ごたえのある展覧会だった。
展示数も多すぎず、ちょうど良い。
他の作品も観てみたい。

夕方完全に雨が上がり、晴れたときの
長野県立美術館。



『緑響く』は、複製を買ってきて額に入れて飾ったよ。







2024.6.28

LAWNS

先日観たジョン・スコフィールド(gt)のライヴで、
とても良い曲だと気にいった『Lawns』。
発音は「ラーンズ」か「ランズ」かな。
「芝生」という意味なんだけど、
シンプルなメロディなのにホントに美しく、切なく
ついつい繰り返し聴いてしまうような曲だ。

ピアニスト・コンポーザーのカーラ・ブレイの曲で、
1987年にリリースされた『Sextet』という
アルバムに収録されている。

この曲、先日のライヴで、初めて聴いたと思っていたけど、
多くのミュージシャンにカバーされていて、
私のミュージック・ライブラリー(結構な数)を
チェックしてみると、その中には、そのジョン・スコフィールドや
佐山雅弘(pf)が演奏したヴァージョンがあったよ。

つまり、聴いてはいたけど、その素晴らしさには
気付けていなかったんだな。
他の人のヴァージョンもいくつかチェックしてみた。
中には、テンポ良く演っているヴァージョンもあるけど、
個人的な好みでは、この曲は極力シンプルに、
つまりドラムやホーンは入れず、そして、ゆっくりと
演るのが良いと思う。
その方が、メロディのシンプルな美しさと
切なさが際立つんだ。

渡辺香津美(gt)もカバーしていたよ。
香津美のアルバムは全部聴いたと思っていたけど、
なぜか聴いていなかった『Mo'Bop III』に収録されていた。

Shiho(vo)は、このメロディに歌詞をつけて歌っている。
作詞は、Shanti(vo)。
勝手に歌詞をつけて発表するわけにはいかない。
事務所なりレコード会社なりが、権利者側と
コンタクトをとり承認を得るのがスジなんだろうけど、
本人まで届かず、会社同士の話で終わるなんて
イヤだと思った Shiho は、なんとかつてをたどって、
カーラの旦那のスティーヴ・シャロウに間接的だけど、
コンタクトを取るんだ。
すると、そのコンタクトを取ってくれた人あてに
スティーヴから「カーラと一緒に聴いたよ」という返事が届く。
カーラからは、こんなメッセージが。

I am most grateful that Shiho has taken such care with my song.
She has cared for it with great sensitivity,
and has provided my child “Lawns” with new life.
I offer her my thanks, and “Lawns” does too.
Shiho が私の曲をとても大切にしてくださったことに、心から感謝しています。
彼女はとても繊細に曲を大切にし、私の子供「Lawns」に新しい命を与えてくれました。
私は彼女に感謝し、"Lawns" も感謝しています。


ええ話やなぁ。
この話はこちらより。

この曲は、ドレミで言うとドレミファソだけで作られている。
ソは一度出てくるだけで、使わなくても良いぐらいで、
ほぼ4つの音からなる。
盛り上がるサビもない。
でも、多くのミュージシャンやリスナーが
この曲に魅了されている。
こんな音数で、名曲が作られるということにも驚くが、
そこは当てがわれる絶妙なコードとの関係もあり、
この世界が出来上がっているのだと思う。
作曲者のカーラ・ブレイのセンスの素晴らしさに脱帽だ。

ソロ・ギターで演れないか、模索中だが、
あまりにシンプル過ぎて、つまらない演奏に
なってしまいかねない。
やはりセンスが問われるのだな。
近いうちに YouTube にアップするよ。


心を落ち着かせたい時に、ぜひ聴いて欲しい。
 ↓
Carla Bley - "Lawns"
"Sextet" 収録のヴァージョン。

Carla Bley and Steve Swallow - Lawns
カーラ&スティーヴ夫妻によるデュオ

Rudiger Krause Carla Bley Steve Swallow Lawns
夫婦+ドイツのギタリスト(Rudiger Krause)

John Scofield Trio - Lawns - Live @ Blue Note Milano
これも ベースは、Steve Swallow。テンポちょい速めで軽快。





2024.6.29

違国日記



新垣結衣主演の映画『違国日記』。
予告編を観てもあまり食指が
動かなかったのだけど、
ムビチケを貰ったので、観て来たよ。

新垣演じる35歳の小説家・高代槙生
(こうだいまきお)の大嫌いだった姉が
(事実婚の)夫と共に交通事故で亡くなった。
姉家族とは付き合いはなかったが、
15歳の姪・朝(あさ)が親戚をたらい回しに
なることを心配した槙生は、葬式の場で
朝を引き取り一緒に暮らすことを決める。
あまりにも性格の違うふたりの共同生活が
始まるのだけど、どこまで行っても槙生は、
姉(朝の母親)のことを許せない。
その姉の娘だと思うと朝との関係も難しい。

そんなストーリーなのだが、両親を目の前で
交通事故で突然亡くしたにしては、
朝にあまり深刻さがない。
もちろん多少のショックは描かれては
いるのだけど、なんだかリアリティがない。
物語全体としても、リアリティに欠ける。
なんか、ちょっと軽い。
途中で「これ、原作コミックとちゃうか」と
思ったら、やっぱりその通りだった。
(ヤマシタトモコの同名漫画)
主人公の名前、高代槙生(こうだいまきお)や
姪っ子の名前、田汲朝(たくみあさ)が、
もう少女漫画っぽいもんな。

だからと言って映画が良くなかった訳ではない。
最初はギクシャクしていたふたりが
少しずつ家族になっていく様子は、
なんだか応援したくなる感じだし、
高校生になった朝のティーンならではの葛藤や、
槙生の不器用な生き方にもエールを送りたくなったよ。
悪い人が、出てこないのも良いね。

でも、槙生がどうして、姉のことをそこまで
嫌っていたかは、最後まで分からなかった。
高圧的だったとか、ああ言われたとか
こう言われたとか、出て来るんだけど、
そこまで嫌いになる理由としては、なんかもの足りない。
一瞬、槙生と槙生の母親との会話で何かが
明かされそうになるんだけど、そのままスルー。
たぶん、原作ではもっと姉妹の歴史に
触れられているんだろうと推測する。

朝を演じた早瀬憩は、オーディションで選ばれた。
現在17歳。
脇を固める、夏帆、瀬戸康史も良い味を出していた。
監督は、瀬田なつき。
この人の作品は、初めて観た。

タイトルの『違国日記』は「異国」ではないのが、
なんとなくだけど、分かるような気がする。
勘違いかも知れんけど。


★★★★☆


2024年製作/139分/G/日本
劇場公開日:2024年6月7日





2024.6.29

ハービー・山口 写真展
HOPE 2024 ― 希望を撮り続けた50年 ―




渋谷のヒカリエに寄ったので、
8〜9階で何か展覧会をやっているかなと
観に行った見たら、なんとハービー山口さんの
写真展をやっていた。(8階の一部で)
ハービーさんが、日本写真芸術専門学校の
校長に就任されたらしく、その記念展だった。
入場は無料!

そんなにたくさんの展示数ではなかったけど、
1970年代から最近のものまであった。
多くは、知っている写真だったけど、
やはり、写真集のような小さな写真ではなく、
大きくプリントされ、額装された写真は、
迫力と説得力が違う。
何度観ても良い。

ハービーさんの家のアルバムから、
子供時代の写真まで展示されていたよ。
(これは初めて観た。)

ヒカリエは会場01で、会場02として、
日本写真芸術専門学校のギャラリーでも
同時開催中なのだが、今日は行かなかったので、
会期中(7月7日まで)に行こうと思う。


@ヒカリエ8/02/CUBE




今森光彦
にっぽんの里山



渋谷から家まで(5キロぐらい)歩いて
帰ろうと思い、途中で恵比寿ガーデンプレイスに
立ち寄った。
東京都写真美術館で、面白い写真展を
やっていたら観ようと思ったんだ。

今森光彦さんの「にっぽんの里山」という
写真展を開催中だった。
今森さんのことは存じ上げなかったが、
先日、信州へ森や山の撮影旅行に
行ったこともあり、どんな写真なのか
興味が湧いたんだ。

特別、予想や期待もしていなかったのだが、
これが驚くほど素晴らしかった。
風景写真で、あんなに感動するとは
思っていなかった。

今森さんは、人間と自然が共存している
ところを「里山」と呼んでいる。
所謂ネイチャーフォトは、人間や人工物を
含まない自然のみを写したものを指すことが
多いようだが、今森さんの写真には、
人や畑、田んぼ、家畜なども写っている。
昆虫やカエルなんかも。
それらが、正に大自然と共存している姿を
美しく、壮大なスケールで捉えているんだ。

北は北海道から、南は沖縄の離島まで、
春夏秋冬のテーマに分けられた写真たち。
自然の大きさと、人々の営み、
その力強さに圧倒され、落涙するほどの
写真もあった。
外国に行かなくても、日本でこんな
奇跡の風景が撮れるんだと思った。

それらの写真を撮るために、その地に
何度通ったのだろう。
何時間待ったのだろう。
私が、ちょっと行って撮ってきたような
なんちゃってフォトとは、もう根源からして
違いすぎて、完全にノックアウトされた。
そして、自分もそんな写真を撮りたいと思った。

美しい自然風景は、ともすると
絵葉書のような写真になってしまう。
もちろん絵葉書のような写真だって、
そう簡単に撮れるわけではないのだけどね。
今森さんの写真は、そのレベルを超越して
神々しささえ感じるのだった。


朝霧の棚田 新潟県十日町市

展覧会図録を買ったけど、展示されていたものと
色も大きさも迫力も違いすぎるな。
上の「朝霧の棚田」なんて、横3メートルも
あったから、凄い迫力だった。


@東京都写真美術館 2F展示室




WONDER Mt.FUJI 富士山
〜自然の驚異と感動を未来へ繋ぐ〜




東京都写真美術館では、4つの展覧会を開催中だった。
「今森光彦 にっぽんの里山」と、もうひとつ、
「WONDER Mt.FUJI 富士山
〜自然の驚異と感動を未来へ繋ぐ〜」という
写真展を観た。
18人の写真家の作品が数枚ずつ展示されていた。

「にっぽんの里山」は入場料が700円で、
「WONDER Mt.FUJI 富士山」は、1200円。
(セットで 1710円だった)
こちらの方が高かったんだけど、
「にっぽんの里山」が良すぎたせいと、
なんだかちょっと奇をてらった展示に感じられ、
私の評価はイマイチ。
中には良いと思う写真もあったけどね。


@東京都写真美術館 B1F展示室





2024.6.30

東京都知事選
あと一週間


二週間ほど前にも、東京都知事選について書いたが、
かつてここまで選挙に関心を持ったことはなかった。
面白いんだよ。
毎日、数十分から多ければ数時間、
YouTubeで都知事選関連の動画を観ている。
多くは、石丸伸二候補の街頭演説や
誰かとの対談などだが、一応、小池さんや
ほかの候補の話も(少しだけど)チェックしている。

政見放送も全員ではないけど、十数人分観た。
中には全くふざけているとしか思えない、
選挙をバカにしているかのような、
最後まで聞くに耐えないものもあった。
多くの人が政治に関心を持ち、立候補することは
悪いことではないが「何でこんな人が?」という人も
立候補していて、なんだかやり切れない気持ちになった。
昔 聞いた「人数が増えるとモラルが下がる」という
言葉を思い出した。

石丸伸二候補について言えば、
安芸高田市長時代、昨年10月の財政説明会の
動画も観たけど、専門用語の解説を交えながらも
全くの素人にも分かりやすい説明は素晴らしいと思った。
そして、ある市民の(質問というよりは)主張に
対する回答も、普通の政治家ならけっして
言わないような内容・言葉で、
この人 ホンマに凄いなと感心してしまった。

先週の公開討論会(小池百合子/石丸伸二/
田母神俊雄/蓮舫)。
現職小池さん対三人の構図になった。
相変わらず質問に答えない小池さんのタヌキぶりも
見られたが、彼女の明らかな失言もあった。
この討論会などもテレビでも放送すれば
良いと思うのだけど、テレビはもう報道という意味で
ダメになってしまったんだな。
その後も、公開討論会のオファーもあったらしいが、
もう小池さんが討論会には出ないらしく、実現しないだろう。
誰が都知事に相応しいか、浮き彫りになると思うので、
もっとやれば良いと思うんだけどね。

今日の東京新聞の電話調査の結果では
「小池百合子氏がややリード 蓮舫氏が続く
石丸伸二氏は追う展開」となっている。
「現職は強い」と言われてきたけど、
小池さんは「ややリード」という表現になっている。
「やや」ということは、なんだか勢いが
弱ってきたんだろうか。
虚偽の学歴記載の疑いで、東京地検に
刑事告発されてるし、それとは別に
都民175人が、公選法違反容疑で
東京地検に告発している。
まあ、獄中から立候補している候補者もいるけどね。

石丸さんは、毎日10か所以上の街頭演説を続け、
多いと3千人近く集まっているというから、
かなり盛り上がって来ているようだ。
あと一週間、これは目が離せない。

誰に投票するか、決めかねている人は、
(決めている人も)石丸さんの動画を観てね。
面白いよ。



ひとりごと