2025年 映画・演劇・舞台 etc
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2025.1.8
ミュージック
Music
ベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀脚本賞)を
受賞した作品。
監督(脚本・編集も)は、アンゲラ・シャーネレク
というドイツの女優、映画監督、脚本家。
1962年生まれとあるから私と同じ年だ。
タイトルが「ミュージック」だし、予告編を観た上で
期待して観に行ったのだが、なんとも難しかった。
始まって、45分ぐらい経っても、
ストーリーが分からない。
登場人物の人間関係が分からない。
なにしろ、ほとんどセリフがない。
あまりにも説明をはしょり過ぎ。
ついに途中で20分か30分ぐらい寝落ちしてしまった。
目覚めてからも、相変わらずセリフは少なく
唐突に場面が変わり、繋がりも分からず、
何が言いたいのかも分からず。
ずっと推測し続けなければならない映画だった。
ちょっと違うけど、昨年観た
『悪は存在しない』を思い出した。
あの映画も高評価だったけど、
私には全く分からなかった。
本作もベルリンで銀熊賞を受賞している。
こんなに評価されている作品の良さが
分からないということは、もしかしたら、
私は現代の評価に全く 付いて行って
いないのかも知れないな。
まあ、途中20~30分も寝てしまったら、
正確な評価なんてできないけど。
もう一度 観直そうとは思わなかった。
★★▲☆☆
2023年製作/108分/ドイツ・フランス・セルビア合作
原題:Music
劇場公開日:2024年12月13日
2025.2.2
リンダ・ロンシュタット
サウンド・オブ・マイ・ヴォイス
Linda Ronstadt: The Sound of My Voice
2022年公開時、劇場で観たいと思いながらも
見逃してしまったリンダ・ロンシュタットの
ドキュメンタリー映画『リンダ・ロンシュタット
サウンド・オブ・マイ・ヴォイス』を 観た。
高校生の頃、リンダの『It's So Easy』が
大好きでシングル盤のレコードを買った。
当時のお小遣いでは、LP は中々買えなかったんだ
この映画は、リンダの生い立ちに始まり、
LA に出てバンド(トリオ)でデビュー、
その後、ソロになってからの活躍から、
パーキンソン病になり、思うように声が
出なくなり、引退することまでが描かれている。
ご本人はもちろん 登場人物は、ジャクソン・ブラウン、
ライ・クーダー、ドン・ヘンリー、ボニー・レイット、
ドリー・バートン、エミリー・ハリス、J.D.サウザー、
カーラ・ボノフなど 超豪華。
そのほかにも演奏シーンや写真では、
グレン・フライ、ニール・ヤングも。
ドリー・バートン、エミリー・ハリスとのトリオの
ライヴ(TVショー)では、バックバンドに
デビット・リンドレーやリーランド・スカラーらしき
姿も見え、ウエスト・コースト・ミュージック
ファンにはたまらない内容となっている。
若い頃、イーグルスはリンダのバックバンドだったと
雑誌で読んだような気もするが、
ドン・ヘンリーご本人の口からそのことが
語られるのを聴けることは貴重だろう。
リンダが、ただのカントリーロックや
ロックンロールに収まらず、オペラまで
歌っていたのは知らなかったので驚いた。
1983年にジャズ・スタンダードを唄った
アルバム『What's New』を聴いた時には、
まだ若かった私は、退屈だと思った。
オペラの公演中に母親が亡くなり、
死に目に会えなかったリンダは、
母親が好きだったジャズを唄おうと思ったのが
あのアルバムのスタートだったんだな。
レコード会社の反対を押し切り、
ネルソン・リドルに直接、編曲を頼み、
実現させたんだ。
オペラ、ジャズの後1987年には、
父親から教わった曲を歌いたいと、
自身のルーツでもあるメキシカン・ミュージックの
アルバム『ソングス・オブ・マイ・ファーザー /
Canciones De Mi Padre』をリリース、
ツアーを行った。
これも当初はレコード会社の反対にあったようだが、
リンダは決めたら突き進む人だったんだ。
結果、アルバムは歴代1位のスペイン語の
アルバムになったという。
ミュージシャンのドキュメンタリー映画というと
酒やドラッグ、異性関係などの
ダークサイドも描かれることが多い。
もちろん、その人の生き方が音楽に現れるのは
間違いないけれど、『ホイットニー
オールウェイズ・ラヴ・ユー』のように
ダークサイドに焦点をあてた映画は
観ていてしんどいし、観たくない。
本作は、リンダの恋愛についても触れているが、
あくまでも彼女の音楽が中心で、好感が持てる。
引退した彼女の言葉が印象的だ。
「たくさんの夢を叶えられて私は幸運だった。
死んだあとのことはどうでもいいの。
大事なのは存命中よ。
何をするか。どう生きるか。」
リンダは、現在 75歳。
最後には2019年に撮影された、
いとこと甥とのハーモニーが聴ける。
ところで『It's So Easy』は、リンダのオリジナルだと
思っていたら、1958年のThe Crickets
(バディ・ホリーがいたグループ)がオリジナルだった。
作詞作曲は、バディ・ホリーとノーマン・ペティ。
あまり売れなかったみたいだ。
1977年のリンダのカヴァーは、
ビルボード・チャートの5位に入った。
リンダのヴァージョンの方が、ややテンポが遅く
重たい感じで好きだな。
★★★★▲
2019年製作/93分/アメリカ
原題:Linda Ronstadt: The Sound of My Voice
劇場公開日:2022年4月22日
Amazon Prime Video で鑑賞
2025.3.1
スケアクロウ
Scarecrow
俳優のジーン・ハックマンが亡くなった。
1930年生まれで、95歳だった。
ジーン・ハックマンの出ている映画は、
何本か観ているけれど、中学生の時に
テレビで観た『スケアクロウ(Scarecrow)』
(1973年)が、すぐに頭に浮かんだ。
と言っても、一緒に出ていたのが アル・パチーノ
だったことも覚えておらず、内容も全く覚えて
いなかったのだけど、なぜか観たことが
記憶に残っている作品だ。
おそらく、中学生の私に何か感じるものが
あったんだろうと思う。
で、40数年ぶりに観てみた。
ジーン・ハックマン演じるマックスと
アル・パチーノ演じるフランシスは、
ふたりともちょっとクセが強くて、ポンコツなところがある。
6年の刑を終えて出所したマックスと、
5年の船乗り生活を終えたフランシスが偶然出会い、
マックスは、一緒に事業をしようとフランシスを誘う。
マックスは、ピッツバーグの銀行にお金を
預けており、ふたりでピッツバーグを目指す。
途中でフランシスは、5年ぶりに
妻とまだ会ったことのない子供に会いに行くが......
アメリカン・ニューシネマと言われる作品の一つで、
いわゆるロードムービーだ。
マックスとフランシスは、途中、仲たがいもあるのだけど、
お互いを想う友情がどんどん深められていく。
もしかしたら、ティーンだった私はその友情物語に
憧れのようなものを抱いたのかも知れない。
アル・パチーノは、若い頃からいい男だ。
ジーン・ハックマンは、二枚目ではないけど、
良い味を出している。
ハリセンボンの春菜には、ぜひ
「ジーン・ハックマンじゃねえよ」というのも
レパートリーに加えて頂きたい。
★★★▲☆
1973年製作/112分/G/アメリカ
原題:Scarecrow
Amazon で鑑賞
2025.3.8
名もなき者
A COMPLETE UNKNOWN
1961年、無名だったボブ・ディランは、
ミネソタからニューヨークに出る。
そして、フォーク・シンガーとして
時代の寵児となる。
本作は、ディランがニューヨークに着いた
ところから始まる。
ディランは、入院中のウディ・ガスリーに会いに
行くが、偶然、そこにはウディの友人である
ピート・シーガーもいた。
その出会いをきっかけにディランは、売れていく。
映画は、1965年のニューポート・フォーク・
フェスティバルで、エレキギターを持ち観客の
大ブーイングを浴びるまでの物語。
ボブ・ディランを演じるのは、ティモシー・シャラメ。
5年かけて歌、ギター、ハープ(ハーモニカ)を
トレーニングしたという記述も読んだが、
アカデミー賞主演男優賞ノミネートも納得の演技。
ピート・シーガーを演じるのは、エドワード・ノートン。
確かにエドワード・ノートンなのだけど、
エンドロールのクレジットを読むまで気付けなかった。
すっかり歳を取ったんだな。
エドワード・ノートンというと、私には
『真実の行方』や『アメリカン・ヒストリーX』、
『25時』のイメージが強すぎる。
ジョーン・バエズ役には、モニカ・バルバロ、
ジョニー・キャッシュ役にボイド・ホルブルック、
ふたりとも雰囲気があって良かった。
ボブの恋人シルヴィ役にはエル・ファニング。
監督は、ジェームズ・マンゴールド。
『フォードvsフェラーリ』の監督だ。
時代が60年代前半ということで、
キューバ危機、ケネディ暗殺、ベトナム戦争、
公民権運動など、歴史的背景を知っている方が、
より理解が深まると思うが、さほど詳しくない
私のような浅い知識でも十分付いて行けた。
映画で描かれていることが全て事実だとは
思わないが、エレキギターを持って登場した
ディランに非難があったというのは有名な話。
フォークギター一本の弾き語りこそが
フォーク・ソングだと思われていて時代に
エレキギターを持ちこんだボブ。
今では、演奏形態ではもうジャンルを決められないし、
そんな聴衆も少ないだろう。
きっと、ディランがやったことは一種の革命で
その後のロックやポップ・ミュージックに
大きな影響を与えたのだろうと思う。
私のような特別、ディランのファンでない者でも
『Blowin' in The Wind(風に吹かれて)』は
もちろん知っているが、どちらかというと
ザ・バンドの『I Shall Be Released』、
エリック・クラプトンの『Knockin’ on Heaven’s Door』、
ダイアナ・クラールの『Wallflower』などのように
カバーで知った曲も多い。
140分はあっという間で、良かったのだけど、
ディランがエレキギターを持つに至る心境の
変化みたいな部分をもう少し丁寧に
描いて欲しかったと思う。
勝手なイメージを持たれ、期待に応えなきゃ
いけないことに嫌気がさしていたのは、
十分 分かったけどね。
そして映画を観て、ノーベル文学賞の授賞式に
欠席したことは改めて、さもありなんと思ったのでした。
IMAXで鑑賞(2500円)。
★★★★☆
2024年製作/140分/G/アメリカ
原題:A Complete Unknown
劇場公開日:2025年2月28日
2025.5.7
教皇選挙
CONCLAVE
奇しくも今日5月7日(日本時間)の夜から
実際に次のローマ教皇を決める選挙が始まったのだが、
その「教皇選挙」を題材にした映画を観てきた。
タイトルはそのものずばり『教皇選挙』。
アカデミー賞の8部門でノミネート、
「脚色賞」を受賞した作品だ。
映画の公開時期と、ローマ教皇の死が
重なったこともあってか、映画はヒットしており
今日も平日にも関わらず、13:45からの回が
ほぼ満席だった。
TOHO シネマズで観たので、TOHOウェンズデイ
(水曜日は1300円)ということも手伝ったかも
知れないが、実際に満席の回もあるらしい。
監督は、エドワード・ベルガー(ドイツ出身)。
「『西部戦線異状なし』の……」とあったので
さぞかし高齢の監督かと思ったら、1970年生まれと
いうから、まだ55歳だった。
『西部戦線異状なし』は、ずい分古い映画なので、
そう思ったのだけど、エドワード・ベルガーが
監督したのは 2022年で、この映画は、
1930年公開の映画、1979年放送の映画に次ぐ
三度目のリメイクだったようだ。
(一度目、二度目の監督はすでに他界している。)
さて、『教皇選挙』。
「制作に4年費やした」と監督は述べたらしいから、
まさかローマ教皇の死に合わせて作ったわけではあるまい。
私のようなローマ教皇やバチカンにさして興味のない人間には、
ローマ教皇の死去がなくても、十分に面白い映画だと思う。
映画は、ローマ教皇が死んだところから始まる。
教皇が亡くなると、次の教皇を選挙で決めるのだが、
その選挙のことを「コンクラーベ(CONCLAVE)」といい、
映画の原題にもなっているし、セリフにも出て来る。
このコンクラーベは、枢機卿(すうききょう)の投票に
よって決まるのだが、投票総数の3分の2以上を
得る人物が出るまで、投票が繰り返される。
映画では、108人の枢機卿による投票で、
何日にもわたって、何度も投票が繰り返され、
「コンクラーベ」って「根競べ(こんくらべ)」みたいと
思ったが、もちろん「根競べ」とは関係ない。
映画の公式サイトには、用語解説があり
語源も含めこう書かれている。
【教皇選挙/コンクラーベ】
「新教皇を選出する選挙。
名称の由来はラテン語のCUM(共に)
+CLAVIS(鍵)=「鍵と共に」で、「秘密の場所」を指す。
数日に渡る選挙期間中、枢機卿(投票者であり
候補者でもある)は隔離され、外部との接触や
電子機器の使用を禁じられる。」
(ちなみに、今日から始まったという、
現実のコンクラーベには、教皇庁の発表によると、
133人の枢機卿が参加、89票以上を得た人が
次の教皇に選ばれるらしい。)
ローマ教皇になるような人は、どんな人格者かと
思うのだが、映画で描かれている枢機卿達は、
ごくごく普通の「人間」。
ローマ教皇になりたい野心家は、票を金で買う。
他候補の足を引っ張る。
政治でも教会でも人間の考えることは同じだ。
「教会」と「信仰」は違うのだ。
主人公のローレンス枢機卿は、
選挙の管理人であり、自らも候補者で投票者。
自身は、教皇になりたいとは思っていないが、
誰がなっても良いとは思っていない。
数人の候補者をめぐって物語は進んでいくが、
途中まで先が読めない、エンターテイメント・
ミステリーに仕上がっている。
さて、誰が教皇に選ばれるのか。
面白い映画だったが、前半、人の名前が覚えられず
よく意味が分からなかった。
これから見ようと思う人は、公式サイトで
せめて登場人物の相関関係図を予習してから
見ることをお勧めする。
あと「枢機卿」。
これも漢字が読めなくて「〇▽◇きょう」と
ごまかしながら見ていたが、前述の通り
「すうききょう」と読む。
教皇に次ぐ高位聖職者のこと。
公式サイトには、期間限定OPENとして
「キーワード徹底解説」もある。
ネタバレなので「本編鑑賞後にご覧ください」と
なっているが、これは復習としてとても親切。
全く気付かなかったことも書かれており、
大変理解が深まります。
出演は、主人公のローレンス枢機卿に
『シンドラーのリスト』『イングリッシュ・ペイシェント』の
レイフ・ファインズ。
ベリーニ枢機卿に『プラダを着た悪魔』のスタンリー・トゥッチ
ジャン・レノかと思ったテデスコ枢機卿は、
イタリアのセルジョ・カステリットという俳優だった。
★★★★☆
2024年製作/120分/G/アメリカ・イギリス合作
劇場公開日:2025年3月20日
2025.7.8
国 宝
久しぶりの映画。
大ヒット上映中との謳い文句の映画『国宝』。
公開から1カ月以上経った平日の昼間だというのに
8割以上の席が埋まっていたので、
大ヒット上映中は本当なのだろう。
本作、3時間近くあるが、その長さを感じさせない、
素晴らしい作品であった。
ただ感動したというだけでは済まない、
感想を言語化するのが難しいような
複雑な思いが湧いてくる。
歌舞伎という伝統芸能の世界に生きる男達、
芸と同時に世襲に翻弄される男達。
役者として日本一になるために
悪魔と取引する主人公。
その何百年も続く歌舞伎界の頂点を目指す若者を
出演する俳優が、一年半稽古を積み、文字通り、
命を懸けて、命を削って、歌舞伎役者を演じた作品である。
その本気度と覚悟が伝わってきて圧倒される。
辛口の歌舞伎ファンが観てどう思うのかは
分からないけど、喜久雄が演じる曽根崎心中の
お初のシーンは強烈でそこだけでも観る価値がある。
ほかの歌舞伎の舞台のシーンも全て素晴らしい。
しかし、それでも、本作は歌舞伎を見せる映画ではない。
歌舞伎を見せたいなら、歌舞伎役者を使えば良かったはずだ。
これは「歌舞伎界にいる人間」を描いた作品なのだと思う。
出演は、任侠の家に生まれた立花喜久雄役に吉沢亮。
この人、顔は見たことがあるな、という程度で
映画を観るのは初めてだったけど、本当に素晴らしい。
歌舞伎役者の御曹司として生まれ、喜久雄の
ライバルになる俊介役に横浜流星。
この人は、ダメ男から、ボクサー、歌舞伎役者と
何でも演れるね。
その俊介の父親であり、上方歌舞伎の名門の当主・
花井半二郎に渡辺謙。
その妻に寺島忍。
寺島忍の役は、彼女以外に思いつかないほどのハマり役。
そのほか、田中泯、永瀬正敏、高畑充希、森七菜、など。
監督は、『フラガール』『悪人』『怒り』の李相日(りさんいる)。
原作は、吉田修一の小説『国宝』。
気になったのは、喜久雄や俊介が歌舞伎の世界を
一旦離れ戻って来た時の歌舞伎界や関係者の
様子をもう少し描いて欲しかった。
(まあ、テーマからすれば重要ではないのだけどね。)
そうすると、もっと長くなるか。
おそらく原作には、細かく書かれているのだろうから
原作を読むかな。
★★★★▲
2025年製作/175分/PG12/日本
劇場公開日:2025年6月6日
2025.7.25
国 宝
映画『国宝』を観てきた。2回目。
邦画でも洋画でも2回か3回観た方が良い。
2回観るなら、何年も経ってからではなく、
公開中に続けて観る方が良いんだな。
1回目の記憶があるうちに観ると、
より深く理解できるし、新しい発見がある。
何年も経ってから観るとほとんど覚えていないことも
あるし、「良かった」という記憶だけで観ると
知らずにハードルを上げてしまっていて、
それほどでもなかったりするんだよな。
さて、本作は続けて観たので2回目の方が良かった。
というのも、1回目はどういう意味なのか、
どうなっていくのか分からないで観ているわけだけど、
2回目は背景が分かって観るので、
観方も1回目とは違うわけだ。
例えば、永瀬正敏がヤクザの親分役で出演しているが、
1回目は何者か分からず、途中でヤクザだと分かったが、
2回目は最初からヤクザだと知って観ているわけだ。
すると、永瀬のヤクザっぷりが最初から
凄いことに気付く。
1回目観た時より迫力があって驚いた。
そんな風に背景を知って観るのと、
「これ、どういうことやろ?」と探りながら観るのとでは、
映画への没入度も違うことに気付いた。
その他、1回目には見過ごしていた細かい演出にも
気付いたりして、1回目観たときより、
これはスゴイ映画だと思ったよ。
1回目は思わなかったけど、原作も読みたくなった。
★★★★★
2025年製作/175分/PG12/日本
劇場公開日:2025年6月6日
2025.7.26
木の上の軍隊
1945年、沖縄県の伊江島で、
戦争が終わったことを知らないまま、
約2年もの間ガジュマルの木の上に隠れて
生き延びた日本兵ふたりいた。
その実話から着想を得た井上ひさしが、
原案を作った舞台「木の上の軍隊」が
映画化された。
沖縄県では、6月に先行公開されたが、
全国では昨日公開された。
終戦を知らずにジャングルで生きたと言えば
グアム島のジャングルに28年間潜伏した
横井庄一さん、フィリピン・ルバング島の
ジャングルに29年間潜伏した小野田寛郎さんを思い出す。
実際には、横井さんや小野田さん以外にも
何人もの日本兵が、終戦を知らずに
ジャングルの中で飢えや病気で亡くなったのだと思う。
木の上で闘い続けたふたりの兵士のことは、
伊江島では誰もが知っている話のようだが、
私はこまつ座(井上ひさし関係の作品を上演する
劇団)の「木の上の軍隊」も知らなかったので、
今回の映画で知った。
映画では、実話をもとに創作も含まれているので、
お名前や細かいことは事実と違う点もあるようだが、
沖縄戦から80年の節目の年に公開された
映画のメッセージとしては、充分でずい分と
心を揺さぶられる映画だった。
そのふたりの兵隊、宮崎県出身の厳格な
少尉役に 堤真一。
伊江島で生まれ育った、新兵に山田裕貴。
ふたりとも素晴らしかった。
実際に痩せていく姿が痛々しく、
きっと撮影もハードだったことだろう。
虫が苦手で、虫関係はNGにしていたという
山田裕貴が、食べるものがなくなり、
ウジ虫を食べるほどの魂のこもった演技を見せる。
反戦の意味はもちろん、
あの戦争を忘れないこと。
生きることを諦めないこと。
先人たちが生き延びたから、
尊い命が続いていること。
平和が大事というのは、
言葉にすると陳腐だけど
人間は、愚かにも闘い続けている。
これは過去の話ではなく、現代にも通じる話だと思う。
昨日観た「国宝」とは違う意味で、
涙腺決壊だった。
監督・脚本を手がけたのは、
沖縄出身の平一紘(たいらかずひろ)。
★★★★★
2025年製作/128分/G/日本
劇場公開日:2025年7月25日
[ 参考動画 ]
『木の上の軍隊』メイキングドキュメンタリー(語り 山田裕貴)
『木の上の軍隊』公開記念舞台あいさつ
ところで、井上ひさし関係の作品を上演する
劇団は「こまつ座」という。
山形県出身の今年亡くなった妻の母は、
井上ひさしと小中学校の同級生だった。
妻の実家の近くのシャッターや壁には、
井上ひさし原作の「ひょっこりひょうたん島」の
イラストがいくつも見られる。
その町の名が「小松」なので「こまつ座」と
名付けたらしい。
郷土愛やな。
F1 エフワン
「トップガン マーヴェリック」に続く
ジョセフ・コシンスキー監督の作品と聞いて
きっと面白いだろうと思っていた映画『F1』。
年老いたカーレーサー、ソニー・ヘイズ役に
ブラッド・ピット。
若いルーキーのレーサー、ジョシュア・ピアス役に
イングランドのダムソン・イドリス。
F1 チームのオーナーで、ソニー・ヘイズの旧友
ルーベン役にスペインのハビエル・バルデム。
チームのマシン開発担当ケイト役に
アイルランドのケリー・コンドン。
という風に出演者は国際色豊かだが、
映画は、とてもアメリカ的。
レースシーンは、結構な迫力でドキドキハラハラ。
ラヴ・ロマンスは控えめで、レース展開と
人間模様に重点を置いた感じ。
まあ、ブラピがカッコ良い。
もう61歳ですぜ。
ソニー・ヘイズは、走る理由を(正確ではないけど)
「レース中、静寂に包まれ、時間が遅く感じ、
空を飛んでいるように感じる瞬間があって
その瞬間を味わいたくて走る」と言う。
これってレースの映画、『ラッシュ/プライドと友情』、
『フォードVSフェラーリ』、『グランツーリスモ』の
どれかで似たようなセリフがあったと思う。
本物の F1レーサーが何人も本人役で
出演しており、レース会場も世界を周る。
(鈴鹿もチラッと出て来る)
とにかくお金がかかってます。
(製作費は3億ドルを超えるという話もある。)
音楽は今や映画音楽の巨匠ハンス・ジマー。
音楽でももの凄く盛り上げます。
レッド・ツェッペリンやクィーン、
(詳しくないけど)ヒップ・ホップなどの
挿入歌も楽しめる。
★★★★☆
2025年製作/155分/G/アメリカ
原題:F1 The Movie
劇場公開日:2025年6月27日
2025.7.29
『木の上の軍隊』と 山田裕貴
俳優、山田裕貴(やまだ ゆうき)、34歳。
この数年、テレビではドラマやコマーシャルで、
よく顔を見るようになった。
「目」が印象的な人だなと思っていたが、
映画『木の上の軍隊』を見て、俳優として興味が湧いた。
『木の上の軍隊』の感想を書いたエントリーにも
映画関連の YouTube 動画をふたつ紹介したけれど、
それ以外にも何本もこの映画に関する、
山田裕貴のインタビューなどを見て、
すっかりファンになってしまった。
発言を聞いていると、頭の良い人だと思った。
(完全に上から目線だけど。)
何本か動画を観ていて、彼がオールナイトニッポンの
パーソナリティ(月曜深夜)を務めていることを知った。
そして、昨夜のゲストが『木の上の軍隊』で
上官役として初共演した堤真一だと知り、
これは聴かなあかんと思い、数十年ぶりに
オールナイトニッポンを聴いたよ。
今は、ラジオがなくてもインターネットで聴けるんやね。
番組は、ふだん聴けないような話が満載で
とても面白かった。
堤真一って、坂東玉三郎の黒子をしてたんだ。
山田がぶつける質問の、堤の回答がいちいち深い。
堤真一が、坂東玉三郎に言われたらしい。
「上手い役者になりなさんな。
良い役者になりなさい」
これは、ミュージシャンはもちろん、
色んな職業に当てはまるなぁ。
山田は『木の上の軍隊』で、実在した、
沖縄県出身の佐次田秀順さんをモデルにした
安慶名(あげな)セイジュン という役演じている。
何かの動画で、虫が苦手で、虫NG だった彼が、
ウジ虫を食べるまでにいたる心境の変化を語っていた。
それは、撮影中にアリが自分の身体に登ってくるのを
見て、平和な普段の生活の中でなら、イヤだと
思っただろうけど、銃弾が飛び交い、いつ爆弾が
降ってくるか分からない環境では、虫のことなんて
なんでもない、どうでもよい、と思ったという言葉を聴いた。
虫がこわいと言えるなんて、なんて安全で幸福な
生活を送っているのかと、思い知ったという。
実際、メイキング映像には、撮影前半に
虫に触れず NGを出す彼が残っている。
たぶん誰もがウジ虫を食べられないけど、
本当に空腹になって、死ぬかもしれないとなったら、
食べるのが人間なんだと思った。
ちなみに、味はアサリの薄い味のような感じらしい。
(一部の民族では、重要なタンパク源だと
聞いた覚えがある。)
いや、虫を食べられることが重要なのではなく、
今の日本がいかに平和であるか、そして、
戦争が起きるとこの当たり前がすべて失われてしまう、
そのことへの意識を常に高めておかねばならないと思ったんだ。
戦争することのメリットって、誰にもない。
武器商人は儲かるのかも知れないけど、
それさえ、深い意味では、不幸でしょう。
『木の上の軍隊』は多くの人に観て欲しいと思う。
日本人だけではなく、外国の人も。
2025.7.29
最後の戦斗機
終戦後アメリカ軍が日本に上陸し、
我が国を占領したことは多くの日本人が
知っていることだろう。
マッカーサー元帥が厚木に降り立った、レイバンの
サングラスとパイプを加えた写真は有名だ。
沖縄の占領は、1972年まで続いた。
私は当時10歳だったが、薄っすらと
沖縄返還のニュースを観た覚えが残っている。
また、小学生の頃 少しだけだけど、
切手を集めていたことがあり、集めた切手の
中には小笠原諸島復帰(1968年)の
切手を持っていた覚えがある。
しかし、本州がいつまで米軍の占領下だったのかと
問われると、明確に知らない自分がいた。
調べてみると、1952年(昭和27年)4月28日の
サンフランシスコ講和条約発効で、GHQ は
活動を終了し解体された。
さて、1956年に製作された日活映画
『最後の戦斗機』。
終戦から11年後に作られた映画だ。
この時代、映画製作に関わる人々は
GHQ の監視はなくなったとはいえ、
どんな思いでこの映画を製作したのだろう。
明らかに、戦争・帝国日本軍に対する
アンチなセリフもある。
なぜ死なねばならないのか、という問いは、
同時になぜ戦うのかという問いでもある。
主人公の「死ぬのが恐いのではないのです。
犬死にしたくないのです」という言葉は、
当時、国に命を捧げた多くの兵士の本音では
なかっただろうか。
もちろん、そんなこと上官に向かって
口には出来なかっただろうけど。
戦闘シーンは、本物のニュース映像だろう。
画質は悪いものの迫力はある。
一部模型らしきシーンもあるが。
特攻に出撃するも、二度も生還してしまう
葉山良二演じる白井中尉。
特攻に出撃するということは、生きて帰って来るな、
ということでもあった。
彼の心の葛藤は、あまり細かく描写されておらず、
ストーリーは淡々と描かれている印象を受けるのは、
70年近い時代の感覚の差か。
感情を最も吐露するのは、白井に想いをよせる
海軍士官倶楽部「ちよもと」の女中、あきこ。
彼らは、何のために命を捧げたのか。
何のためにほとんど効果のない作戦に出向き
何のために海に散ったのか。
これは、人類がずっと向き合うべき課題だと思う。
そして過ちは繰り返され続けている。
今年は終戦80年。
★★★▲☆
1956年製作/90分/日本
公開年月日:1956/10/17
Amazon Prime Video で鑑賞
2025.9.1
鬼灯町鬼灯通り三丁目
久しぶりに芝居を観て来た.
『鬼灯町鬼灯通り三丁目』。
「鬼灯町」は、「ほおずきまち」と読む。
とても観がいのある素晴らしい作品だった。
先日、偶然観た『徹子の部屋』のゲストが
音無美紀子と村井国夫のご夫婦だった。
村井さんは、それなりにお年を召された感じ
だったけど、音無さんは75歳とは思えぬ
いで立ちでさすがは女優さんだと思った。
たぶん舞台が始まる前で、そのプロモーションも
あっての出演だったのだろうが、番組内で
アナウンスされたそのお芝居を観てきたのだ。
赤坂レッドシアターは、初めてだったけれど、
150席ぐらいの芝居小屋としては、ちょうど良い大きさ。
テレビで知ってから、チケットを取ろうとした時、
すでに多くの日程が売り切れていた。
今日の昼の公演は追加公演だったので、
まだ空席があり、ラッキーなことになんと
前から4列で目という良い席が買えた。
舞台は、戦後最大の引き揚げ港
博多のどこか小さな町、という設定なので、
鬼灯町は架空の町なのだろう。
ステージには、昭和感たっぷりの畳の部屋に縁側、
庭には井戸があり、鬼灯の実がいっぱいなっている。
子供の頃、夏休みに宮崎の祖父母の
家に行くと庭に鬼灯の実がなっていて、
中を空にして膨らまして遊んだ覚えがある。
物語は、終戦から1年経った1946年夏、
松尾大吉という男が満州から復員し、
自宅に戻ったシーンから始まる。
終戦後、1年2年と経って復員して来たら、
自分は戦死したことになっていたなんて話しは、
当時珍しくなかったんじゃないだろうか。
妻がほかの男と既に再婚していたとかね。
本作でも、大吉は戦死したことになっていて、
すでに葬式も済まされた後だった。
おまけに大吉の家には、空襲で焼け出された
二人の女、番場と小梅が居候していた。
妻・弥生とは戦争のどさくさで結婚しており、
結婚後3日で大吉は出征した。
弥生が帰りを待っていたのは、どさくさで結婚した
大吉ではなく元々結婚の約束をしていた、
番場の息子・裕介だった。
そんな4人の共同生活が始まるのだが……
という物語。
登場人物は、4人。
出演は、音無美紀子、有森也実、森川由樹、
浅井伸治の4名。
それぞれの立場で、心に戦争の傷を負い、
それぞれに苦しみを抱え、戦後を逞しく生きた。
こんな人々が本当にいたんだろうなと思わされた。
時にはユーモアも交え、反戦のメッセージもあり、
「生きる」ことへの力強さも感じる脚本で、
4人の役者さんが本当に素晴らしかった。
最後には、未来への希望もあったしね。
息子の帰りを待つ母・番場役の音無さんは、
75歳とは思えない滑舌、声、台詞まわしも素晴らしかった。
番場を慕う小梅姉さんには、有森也実。
私の世代では『東京ラブストーリー』の人だ。
彼女も良かったなぁ。
死んだと思っていた夫が帰ってきた若い妻・
弥生に森川由樹。
この人は初めて観たけれど、迫真の演技で
とても良かった。
そして、復員兵の大吉は浅井伸治。
ちょっと三枚目な感じなのだが、
それがとても役にハマっていたよ。
以前、芝居を何本か観たのだけど、
最近はすっかり観に行かなくなっていた。
印象としては、芝居は映画以上に
当たり外れがひどく、面白くない舞台を何本か
観て芝居から足が遠のいてしまっていたんだ。
本作のような作品であればどんどん観たいと思った。
涙あり笑いありのとても満足な芝居だった。
ただ一つ、気になったのは満州から復員した
大介の台詞。
「中国人に親切にされて助かった」までは
気にならなかったけれど
(実際そういう人もいるだろうし)
「中国人はみんな良い人だ」は、
それ要らんなぁと思った。
その台詞なくても成り立つからね。
親中派の政治家が多いと噂され、
中国との関係が色々言われている昨今、
誰かの息がかかっているのか、誰かに対する
忖度かと思わず訝ってしまうのは、考え過ぎかね。
私がネットの情報に踊らされているのかね。
トム・プロジェクト プロデュース
『鬼灯町鬼灯通り三丁目』
作・演出:東憲司
出演:音無美紀子 有森也実
森川由樹 浅井伸治
2008年初演、2010年再演で15年ぶり。
戦後80年の今夏、キャストを一新しての上演。
@赤坂レッドシアター
2025.9.14
最後のピクニック
広告には「韓国では単館公開規模ながら
異例の大ヒット」という言葉があったので
興味を持った映画『最後のピクニック』。
人生の終わりを迎えようとしている
老人達の人生と友情の物語。
はっきりと年齢は出てこないけれど、
80代のイメージ。
老人ホームのこと、遺産のこと、家族のこと、
健康のこと、死に方のことと、様々なことが描かれている。
主役のウンシムを演じるナ・ムニ、
その友人グムスンを演じるキム・ヨンオクの
ふたりがとても良い味を出している。
どこにでも いそうなおばあちゃんだが、
映画が進むにつれ可愛く見えてくるから不思議。
残念なのは、途中で結末が分かってしまうこと。
それは脚本のせいではない。
予告編やポスターにある「二人が決めた答えを、
あなたはどう思いますか?」という言葉だ。
映画を観る前は「どういう答えを出したのだろう?」と
思っただけだったが、映画の途中で
その言葉がヒントになり、結末が見えてしまった。
こういうの、広告作る人たちにホントに考えて欲しいなぁ。
宣伝が、せっかくの映画鑑賞にマイナスになるなんて、
広告を作る人たちも望んでいないでしょうに。
ラスト15分前にトイレ(大きい方)を我慢できずに
一旦退場し、10分間ほど抜けた。
一番肝心なところを見逃してしまった。
その部分は終わってから一緒に観た妻に
聞いたけど、なんとなく評価しにくくなったので、
本作には評価なしね。
2024年製作/114分/G/韓国
英題:Picnic
劇場公開日:2025年9月12日
ふつうの子ども
本日2本目の映画は日本映画、
呉美保(お みぽ)監督の『ふつうの子ども』。
小学4年生のごくごく普通の男の子、
上田唯士(ゆいし)は、同じクラスの
三宅心愛(ここあ)の環境問題に関する
作文の発表を聴き、心を奪われる。
彼女に好かれたいがために
唯士も環境問題について学び始める。
そのうち、同じクラスの問題児、
橋本陽斗(はると)を含む3人で、
大人たちに対し環境問題を
訴えるべく「活動」を開始する。
自動車に乗るな、電気を使うな、
牛肉を食べるな、などのメッセージを訴える活動だ。
その活動が思わぬ事件を引き起こす。
主演・助演ともに、キーになる子役3人
嶋田鉄太、瑠璃、味元耀大が素晴らしい。
ドキュメンタリーかと思うほど自然な演技に驚愕だ。
ハイライトは、件の3人の保護者が
学校に呼び出されての会議室でのシーン。
ここでは、子ども3人だけではなく、
それぞれの母親の個性も露わになる。
どの母親も実際にいそうだ。
映画だから笑って観ていられるが、
当事者だとしたら笑っていられないだろう。
タイトルは、「ふつうの子ども」だが、
その「ふつうの子ども」が持つ純粋さと
危うさが上手く描かれた作品だと思う。
グレタ・トゥーンベリへの風刺も感じられたし、
環境活動家は、テロリストと紙一重というのは
子どもだけではなく大人へのメッセージでもあると思う。
残念だったのは主人公の唯士は、ボソボソ喋る
キャラなので、聞き取れない台詞が数回あったこと。
大人の出演は、風間俊介、蒼井優、瀧内公美、等。
★★★★☆
映画鑑賞後、本作品の理解を深めるために
読むと良い呉監督のインタビュー。
↓
『ふつうの子ども』呉美保監督インタビュー
未完成な親と未完成な子どもが織りなす人間讃歌
2025年製作/96分/G/日本
劇場公開日:2025年9月5日
2025.9.15
雪 風
今年は終戦80年という区切りの年で、
様々な戦争関連の映画が上映されている。
私が今までに観た戦争映画で、一番恐いと思う
『ジョニーは戦場へ行った』(1971年)も
8月に 4K版でリバイバル公開された。
恐くてもう一度、観ようとは思わないけど。
(『ジョニーは戦場へ行った』については
こちらに書いていますのでお読み下さい。)
さて、そういうわけで、今日は先の戦争を
描いた映画を二本観てきた。
一本目は『雪風』。
戦艦や潜水艦、戦闘機、戦車がメインの
映画はあったけれど、駆逐艦の物語は、
珍しいのではないかと思う。
出演は艦長寺澤に竹野内豊、
先任伍長早瀬に玉木宏、
その他、田中麗奈、中井貴一、奥平大兼、
石丸幹二、ちょい役で有村架純など。
雪風は、実在した駆逐艦だけど、
本作は史実を基にしたフィクションということで、
どこまでが史実で、どの部分が創作なのかは分からない。
雪風は戦争中、ミッドウェイ海戦やレイテ沖海戦など
数々の作戦に参加しながら、沈められることもなく
帰還したので、海軍では幸運艦と呼ばれた。
駆逐艦は、小型ゆえの機動性を生かし、
戦艦の護衛、物資運送、沈没船の乗員救助などに活躍した。
雪風は、1945年戦艦大和の海上特攻の際も護衛した。
このあたりは、史実なのだろうが、登場人物の
細かい背景などはフィクションだと推測する。
寺澤艦長は、元々米英との対戦には
反対だった人として描かれている。
武士道を重んじ、特攻について、
人の道に外れると断罪する。
当時、思っていたとしても、軍人がそんなことを
口にできたのかどうかは疑問。
後半、沖縄特攻に関する軍部の指令に対し、
異を唱える士官が多くいたことも驚きなのだが、
実際、意味のない作戦だと思いながら、
行かずにはいられなかった人も多かったのかも知れない。
寺澤の台詞にもあるが、始めたらやめられないのが戦争だろう。
沖縄への連合艦隊の特攻について、
中井貴一演じる司令長官、伊藤整一が、
軍部の指令を持って来た者に
「成否は関係なく、死ねというのか」
と言うシーンがある。
「一億総特攻のさきがけとなれ」という言葉に
「了解した」と応えた伊藤は、大和と運命を共にする。
本土の空襲を受けるまでに劣勢で
東京を焼き野原にされた日本の軍人は、
一体どこまで戦えると思っていたのだろう。
どこまで戦う意味があると思っていたのだろう。
そんなこと考えられないくらい狂っていたのだろうか。
戦争の無意味さは、本作からも十分感じとれたが、
残念ながら、映画としては思うところが多い。
まずカメラワークがまずい。
寄りの構図が多過ぎる。
カメラを引くと余計なものが映ってしまうので、
それを防ぐために寄っているかのように思えた。
雪風が、沈没した艦の乗組員を救助するシーンは、
数回出て来るが、ほとんど同じで、観ていて
セットで撮影したんだろうなと思ってしまった。
あとこの時代なのに CGもちょっと弱い。
これらは、全て予算との関係なのかも知れないけど。
そして、何よりラストに興醒めのシーンがあった。
ネットを見ると、これには私だけではなく、
マイナス評価をする感想が散見された。
(ここには書かないけど)あんな演出は要らんと思う。
良い題材、良いキャストなのにもったいない。
最後の有村架純(寺澤の娘)のシーンも蛇足に感じた。
(有村架純は好きやで。)
娘は父親の意志を継いだんだと、
言いたいことは分かるけどな。
別になくても充分やん。
そのシーンの前に「10年後」というテロップが出る。
直前に1970年の万博が映っていたので、
1980年ということか?
1980年だとすると、有村演じる娘は40歳ぐらいに
なっているはずで、絵と合ってない。
戦後10年という意味なら、娘はまだ大人に
なっていないので違うだろうし。
なんで10年後ってしたのか、これはよく分からなかった。
思うに、ちょっと詰込み過ぎというか、
言いたいこと多すぎという印象。
こういうのは、観客に問題提起、問いかけるだけで
ええんちゃうかと思う。
★★★▲☆
2025年製作/120分/G/日本
劇場公開日:2025年8月15日
長崎 ー閃光の影でー
終戦80年と1か月、本日二本目の映画は、
『長崎 ー閃光の影でー』。
1945年、原爆投下直後の長崎で、
看護学校の学生だった3人の少女達の視線で、
長崎の惨状を描いた作品だ。
当時の看護師たちによる手記「閃光の影で
-原爆被爆者救護赤十字看護婦の手記―」を
原案に作られた。
観ながら、終始「(その悲惨さは)こんなものでは
なかっただろう」という思いが消えなかった。
家族が黒焦げになって死んでいる。
救護所では、目の前で人が次々と死んでいく。
ケガのあとにウジが湧いている。
どんなに悲惨に描こうとしても、
現実に照らし合わせると、どうしても
マイルドな表現になってしまうような気がした。
救護所にいる男性の着ているシャツが
全く汚れていなかったりするのも気になった。
もちろん私は、リアルで現場を見たわけではないし、
この映画ににそういう面でのリアリティを
求めているわけでもないのだけれど、ただただ、
映画で描けるレベルのものではなかっただろうと想像する。
私的に本作のハイライトは、3人の看護学生が
リアカーを押しながら会話するシーン。
原爆で親兄弟を亡くした一人が、
「敵も原爆も絶対に許さない」と言うと、一人が
「許さなくてどうするの?ずっと憎んで生きるの?
勝つまで戦うの?」と問いただす。
「私はそんな風には生きたくない。だから、許したい」と。
台詞は正確ではないけど、そんな内容。
答えのない問い。
許せないけど、
憎み続けたくない。
でもやっぱり許せない。
世界唯一の被爆国である日本には、
原爆が2発落とされた。
亡くなった犠牲者の数は、広島と長崎を
合わせると(正確な数字は分からないようだけど)
1945年だけで 21万人とも言われる。
そして あれから80年経った今、
世界中にある核弾頭の数は、
1万2千発を超えるらしい。
そんなに要るか?
そんなにたくさん核を持って、
人類は、どこへ向かっているのだろう。
核ミサイルをちらつかせないと
平和が維持できないほど
人間は愚かな生き物なのだろうか。
今日観た2本は、楽しい映画では
ないことは分かっていた。
特に『長崎』は、しんどい映画だろうから、
積極的に観たいと思っていなかったのだけど、
改めて、戦争と平和、生きることについて
考える機会となった。
途中、朝鮮人を差別する台詞がある。
看護婦が「朝鮮人は治療しない」と言うのだ。
激しい台詞にドキリとしたが、そういうことも
当時実際にあったのかも知れない。
(日赤の看護師が差別発言をしたという
記録はない、とエンドロールでテロップが出ます。)
このことを描くのは、きわどいと思ったのだけれど、
この差別発言と、先に触れた映画における被害の
リアリティについて、監督の松本准平氏(長崎生まれ)と
プロデューサーの岩本炯沢(けいた)氏(広島生まれ)が
インタビューで語っており、本作品を理解する上で
とても良いので 興味のある方はお読みいただきたい。
↓
若者目線で原爆描く『長崎―閃光の影で―』。
被爆3世の監督・プロデューサーに聞く、戦後80年の思い
主題歌は、長崎出身の福山雅治がプロデュース。
語り手には、10歳のときに長崎で被爆した美輪明宏さん。
ところで、本作の舞台は8月の長崎なのだが、
驚くほどに長袖を着ている人が登場する。
長袖シャツに長袖の背広やジャケット、
中には長袖の黒い詰め襟を着ている人までいる。
当時の服装とか、必ず時代考証がされているはずだけど、
80年前の日本の夏は、今と比べてそんなに涼しかったのだろうか。
そういえば、2015年の映画『母と暮らせば』も
8月9日の長崎のシーンで、主役の二宮和也が
長袖のシャツの上に長袖の詰襟の学生服を
着てて違和感があったのを覚えてるわ。
★★★▲☆
2025年製作/109分/G/日本
劇場公開日:2025年8月1日
冒頭に今日のことを「終戦80年と1か月」と書いた。
でも、8月15日に戦争が終わったわけでは
ないのは、この2本の映画や今年7月に観た
『木の上の軍隊』を観ればよく分かる。
日本政府は、8月14日にポツダム宣言を
受諾し、15日に天皇がラジオで国民に発表した。
8月15日には、一応戦闘は停止されたけれど、
終戦を知らない兵士もたくさんいただろうし、
日本の降伏を受け入れられない兵士も
いたことと思う。
実際に降伏文書に調印したのは、9月2日のこと。
しかし、9月2日に戦争が終わったわけではない。
沖縄の現状や世界を見渡せば、
本当にあの戦争が終わったのかどうか分からなくなる。
2025.9.16
ロバート・レッドフォード
ロバート・レッドフォードが亡くなった。
89歳だった。
私が子どもの頃は、ロバート・レッドフォードは
男前・ハンサムの代表みたいな人だと思っていた。
そんなにたくさんの出演作を観たわけでは
ないけれど、一番印象に残っているのは、
『Sting』(1973年)だな。
ポール・ニューマンとの共演で、ラストシーンは
ぶっちぎりに面白かった覚えがある。
大人になってから、ビデオで観たんだけどね。
2014年に劇場で観た
『オール・イズ・ロスト 最後の手紙』で、
ずい分と顔つきが変わってしまったと感じた。
最後に観た作品は 2016年に観た
『ニュースの真相(TRUTH)』。
ケイト・ブランシェットとの共演で、
ブッシュ元大統領の軍歴詐称疑惑に迫る
実話で面白かった。
1936年生まれだったので、私や妻の両親と同世代。
監督としては、アカデミー監督賞を受賞
(1981年 『普通の人々』)したけれど、
俳優としては、ノミネート(しかも一度)で
終わっているのは、とても意外だった。
別にアカデミー賞を獲ったから、
良い俳優というわけではないけどね。
合掌。
Rest In Peace