TOP LAGUNA MOON MELLOW FLAVOR  LIVE GUITAR  LINK LYRICS



ART -2
    感想・ご意見は→ shinya◇shin223.com
    メールをくださる方は、上記アドレスの◇を@に変えて送ってください。(スパムメール対策)



2023.3.19

富士と桜
―北斎の富士から土牛の桜まで―
@ 山種美術館




勤め先オフィスから歩いて数分のところに
山種美術館という美術館があることは
以前から知っていたのだが、行ったことがなかった。
最近、美術館巡りに目覚めたので、
こんなに近所にある美術館に行かない手はないと
思い行ってきた。

開催中の展覧会は
「富士と桜 ―北斎の富士から土牛の桜まで―」。
富士山の世界遺産登録10周年記念の
特別展でもある。

日本人の大好きな、というより
もう日本人の心と言ってもよい、
富士山と桜。

有名なところでは、チラシにもなっている
葛飾北斎の「冨嶽三十六景」の
「凱風快晴(がいふうかいせい)」から
聞いたことのない画家のものまで。
古くは18世紀(江戸時代)のものから
21世紀(2001年)のものまで
作品56点が展示されていた。

その中で一番気に入ったのが、
奥村土牛(おくむらとぎゅう)(1889ー1990)
という画家の「吉野」という作品。



なんと奥村が88歳の時の作品。
いつまででも観ていられると思ったほど、
これには魅了された。
桜の美しさと儚さが見事に描かれていて
観ていると、なんだか心が落ち着いてきて
整えられる。
そしてちょっと心が明るくなる感じ。
結構大きな作品で、正確な大きさは
分からないけど、横幅が150〜200センチ
ぐらいあったのではないかと思う。

館内は撮影禁止だったけど、1枚だけ
なぜか撮影OKの写真があった。
それがこれ。



横山大観、65歳の時(1933年)の
作品「富士山」。
横山大観は生涯で富士山を
1500点描いたという。
今回の展覧会では4点が展示されていた。

私のように美術に詳しくない人間が、
こうやって、美術展に出向くのは、
まだ知らない作品、画家に出逢える楽しみがある。
記憶の残る作品、画家は少ないけど、
今回は、奥村土牛という人を知ることが出来た。

奥村土牛「醍醐」1972年(83歳)


小松均「赤富士図」1977年(75歳)


比較的、作者が高齢になってからの作品が多く、
もしかしたら、富士や桜は、
人間としての年月を経ないと書けないの
かも知れないと思ったのでした。





2023.4.5

エゴン・シーレ 死と乙女
Egon Schiele : Tod und Madchen




今年2月に東京都美術館へ
「エゴン・シーレ展」(4月9日まで開催中)を
観に行ったが、その時は エゴンが映画に
なっていたことを知らなかった。
展覧会のあと、色々調べていて、
映画『エゴン・シーレ 死と乙女』のことを知った。
これは観なきゃと思っていたのだが、
ようやく鑑賞したよ。

映画は、2016年の製作で
日本では2017年に公開されている。
エゴンを演じるのは、ノア・ザーヴェトラという
オーストリアの俳優。

映画で描かれているのは、
エゴンがウィーン美術アカデミーを
退学した後、仲間達と新たな芸術集団を
立ち上げた1910年から、
スペイン風邪で 亡くなる1918年まで。

その間の、エゴンのモデルを務めた女性たち、
妹のゲルティ、ダンサーのモア、
長年の恋人でもあったヴァリ、
妻になったエディット、
エディットの姉のアデーレとの関係や
裁判でシーレの絵が猥褻だと有罪判決を
受け投獄されたことなどが描かれている。

ヴァリと別れたあと、エディットと結婚しており、
展覧会で実物の絵を観た印象では、
その作風の変化から、エディットと結婚して
心が落ち着いたのかなと勝手な想像を
していたのだが、映画の中のエゴンは、
絵への執着のために女性に対しては、
全く身勝手でゲスな男として描かれていた。

考えてみれば、それぐらい偏った人でなければ
あんな絵を描くことはできなかっただろう。

エゴンは、エディットと結婚しても、
ヴァリとは別れたくなかったのだが、
傷ついたヴァリは、エゴンのもとを去る。
その後、ヴァリは従軍看護婦になり
1917年に派遣先で23歳の若さで病死してしまう。

映画を観る限り、エゴンがエディットと
結婚するのは、金のためのように見えるのが
なんともやりきれない。
「金のため」というのはイコール
「絵を描くため」なんだけど。

もし、ヴァリと結婚していたら、あるいは
結婚しなくても、兵役が終わるまで、
待っていてくれと言っていたら、
ヴァリは死なずに済んだのかも知れない。
などと、平凡な男は思うのでした。

結局、エゴンに関わった女性は誰一人、
幸せでないんだ。
後半、ヴァリから届く手紙が悲し過ぎる。

タイトルになっている「死と乙女」は、
エゴンとヴァリ、ふたりが描かれた作品。



わずか28歳で人生を終えたエゴン、
絵も強烈だが、その短い生涯も悲しく、強烈でした。


★★★▲☆


2016年製作/109分/R15+/オーストリア・ルクセンブルク合作
DVDで鑑賞





2023.5.3

マティス展
HENRI MATISSE
The Path to Color




東京都美術館で開催中のマティス展に行ってきた。
昨年11月に国立西洋美術館で開催されていた
「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン
美術館展」でも何点かマティスの作品を観たのだけど、
今回は、世界最大規模のマティスコレクションを誇る
パリのポンピドゥー・センターから約150点を紹介が
展示されている。

アンリ・マティス(1869 ー 1954)は、
フランスの画家。
フランス語では「H」は発音しないので
「Henri Matisse」は「アンリ・マティス」だ。
「Hermes」が「ヘルメス」なのは良いとして、
「Hello Kitty」は「エロ・キティ」になるらしい。

そんなことはおいといて。

11月に何点かのマティスの観たときに、
「ニースのアトリエ」とか、好きな絵もあったのだけど、
晩年の切り絵の作品は、あんまり良いと思えず
今回の展覧会はそれほどの期待を持たずに行った。
しかし、これが良かった。
とても良かった。

マティスは、冒険家でその時々によって、
全く違う技法で絵を描いている。
とても同じ人が描いたとは思えないほどだ。
多くの長く生きた画家は、時代と共に
作風が変化するのは、もっともな話しではあるが、
マティスの変化はとても興味深い。
私がイマイチ良さの分からなかった
切り絵にしても、そこにいたるストーリーを
知るとまた観方も違ってくるのだな。
マティスといえば、「フォービズム」の代表らしいが、
確かに色彩が強烈だ。

この展覧会で、観覧中2回感動を覚えた。
そのひとつがこれ。



「オレンジのあるヌード」(1953)。
写実的な絵も描いていたマティスが、
進化し続け、行きついた先がこのシンプルさだ。
3つのオレンジは、切り絵だ。
写真で観ると、この作品のどこが感動なんだと
思ってしまうが、実物を観ていると、
意味不明に涙が出てくるほどだった。

そして、もう一つの感動は、1948年から51年に
かけて手がけた、南フランス、ヴァンスの
ドミニコ会修道院 ロザリオ礼拝堂。
マティスは、この礼拝堂の建築設計、内装、
装飾、什器、祭服などを担当した。
この礼拝堂が素晴らしい。
保守的(だろうと私は思っている)な
宗教界が、よくこういうデザインや装飾を
取り入れたなと思う。
マティスにとって この仕事は、
「仕事に(自分が)選ばれた」のであり、
アーティスとしての集大成でもあったのだ。
マティスは、この礼拝堂を作るにあたり、
「神を信じているかどうかにかかわらず、
訪れた人の精神が高まり、考えがはっきりし、
気持ちそのものが軽くなるような場」にしようと
している。
と同時に、マティスはこの仕事で、
自分を100%表現した。

たまたま、妻の創った今年のテーマが
「自他共楽」だった。
これは毎年開催されている「新年創作の会」
という講演会で、妻が語った言葉なのだが、
まさにマティスのロザリオ礼拝堂は、
自分と他者との共楽を実現したのだ。
私は、このことにいたく感動を覚えた。

商業デザインではなく、アートとして、
そういうことを成した例はもちろん、
他にもあるだろうが、ロザリオ礼拝堂の
コーナーに書かれていたキャプションと、
音声ガイドの内容も素晴らしく、
なんだか初めてアートと社会の現実的な
結びつきを観たような体験だった。

その礼拝堂の外壁には、円形の聖母子像が
あるのだが、そのデッサンも展示されていた。
(1951)



これなどを観ると、キース・ヘリングの作風の
元はマティスだったのではないかと思ってしまった。

同じ作品を何度も描き直したマティス。
「座るバラ色の裸婦」(1935-36)という作品は、
13回も描き直して、こんな仕上がり。



まだ途中ちゃうの?という作品。
色んな意味で、想像を超えている。

図録は、表紙違いが3種類あった。
「座るバラ色の裸婦」のものを入手(3,300円)。







2023.7.7

千紫会 公募 万紅展

友人のT君は、もう長く「書」をやっている。
昨年11月に「丹治思郷 生誕百年 記念展」
行ったが、T君は丹治先生の弟子だった。
「だった」というのは、2015年に丹治先生は、
91歳で亡くなられた。

国立新美術館(六本木)で開催中の
「千紫会(せんしかい)公募 万紅(ばんこう)展」に
T君の書が展示されているというので、観に行ってきた。



千紫会は、丹治先生の先生(金田心象)の
先生にあたる鈴木翠軒(すいけん)が
作った会で、前身の「鈴木翠軒一門展」から
数えると今年で80年の歴史を持つ。
今日はT君(現在は三重県在住)も
会場に来る予定で、久しぶりに会えると思っていたら、
コロナに罹ったらしく、来れなくなってしまった。

これが今回のT君の作品「自他共楽」。



額の高さは、150センチほどあるだろう。
妻が毎年年明けに講演している「新年創作の会」の
今年のテーマが「自他共楽」だったのだ。
和歌をさらさらと書いた書が多い中、
とても力強さを感じる書でした。


ところで、今日7月7日は、父の誕生日。
生きていたら、93歳だ。





2023.8.11

ABSTRACTION
抽象絵画の覚醒と展開

セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ




アーティゾン美術館で開催中の
「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」
を観てきた。

アーティゾン美術館は、ブリヂストンの創業者、
石橋正二郎(1889-1976)が1952年に作った
ブリヂストン美術館を改称し、2020年に
ミュージアムタワー京橋にオープンした。



展示室は、3フロアあり今回の展覧会では、
264もの作品が展示されていた。

タイトルの通り、抽象絵画がメインだったけど、
抽象絵画については、どうも素晴らしさが
よく分からない。
今回もただの模様にしか見えなかったり、
その辺の壁と何が違うねん、という感じだったり
する作品も多かった。

結局、印象に残ったのは、
展示の前半にあった(抽象絵画以前の)
風景画だった。


モーリス・ド・ヴラマンク 「運河船」(1905-06)


ラウル・デュフィ 「トルーヴィルのポスター」(1906)


ヴァシリー・カンディンスキー 「3本の菩提樹」(1908)


そして、絵画でなく彫刻だけど一番気に入ったのがこれ。


コンスタンティン・ブランクーシ 「接吻」(1907-10)

なんだか、強烈。
ふたりが抱き合って、隙間なく密着して、
接吻を交わしている。
まわした手は、しっかりと相手を
抱きしめているんだ。



あと、柴田敏雄という写真家の写真。
説明文に「柴田は活動の初期より、自らの写真が
『絵画的』あるいはそのイメージが『抽象的』と
呼ばれることを意識してきた」とあったのだけど、
確かにそう言われればそうだ。
でも、「絵画的」とか「抽象的」ということよりも
この被写体なら 私がその場にいたとしたなら、
きっとシャッターを切るだろうと思ったので、
共感できたんだと思う。


新潟県南魚沼郡湯沢町(2022)


山形県尾花沢市(2018)





2023.8.16

群馬県立近代美術館

妻がどうしても観たいものがあるというので
群馬県立近代美術館に行ってきた。
彼女が観たかったのは、この美術館の
コレクションである、ピカソの『ゲルニカ』の
タピスリ(タペストリー)。



原画(1937年作)(349.3×776.6cm)と
ほぼ同寸大で織られたこの作品は、
ピカソの死後 1983年に製作された。
織りは、ジャクリーヌ・ド・ラ・ポーム=デュルパック。
原画は、スペイン・マドリードの
王妃ソフィア芸術センターに所蔵されているらしい。
このタペストリーは、世界に3つしかなく
その1つが、日本のこの美術館に所蔵されている。
劣化を防ぐため、年中展示されているわけではなく、
いつでも観られるものではないようだ。
今回は、7月8日から 8月27日までの
コレクション展示で公開されていた。
実物は、見上げるほどの大きさで
結構な迫力だった。

他にコレクション展示で、気になった作品は、
ジョルジュ・ルオー(1871-1958)というフランスの
画家の『秋(Autumn)』という1938年の作品。
やや重たいトーンなのだけど、何か惹かれるものがあった。

企画展の会場では、オーストラリアの
アーティスト「ディーン・ボーエン展」が開催中だった。



サブタイトルは、
「オーストラリアの大地と空とそこに生きる私たち」。
せっかくなので、こちらも鑑賞してきた。



絵画、版画、彫刻、映像と様々だった。
何がとは説明しにくいのだけど、
何かがオーストラリア人らしいと
思ってしまう作品群だった。
子供が描いたような絵も多く、
面白といえば面白いのだけど、
個人的には部屋に飾りたくなるような作品では
なかったな。


花をもつレディ / Lady with Flowers


鑑賞後、美術館のすぐそばの蕎麦屋
「彼方此方」で昼食。


夏季限定 とまとチーズカレーそば 1,130円


冷やしダシそば 780円





2023.8.27

群馬県立近代美術館 再び



今月16日に妻がどうしても観たいというので
群馬県立近代美術館のコレクションである、
ピカソの「ゲルニカ」のタペストリーを観てきた。
そのコレクション展は、今日までだったのだが、
もう一度観たいというので、最終日の今日
再び観に行ってきた



1937年4月スペイン内戦中スペインの
ゲルニカという町がナチス・ドイツ軍に
空爆を受けた。
スペイン出身のピカソはそれを知り、
戦争による恐怖、悲しみ、苦しみを描いた。
あえてモノトーンで描くことで、戦争の悲惨さ、
救いのなさを表しているのだという。



「ゲルニカ」は現在、マドリード市内の国立ソフィア王妃
芸術センターにコレクションされているが、
ピカソが監修して作られた「ゲルニカ」のタペストリーが
世界に3つあって、そのひとつが、
群馬県立近代美術館にコレクションされているのだ。

「ゲルニカ」の実物は、マドリードまで行かないと
観られないが、実物とほぼ同じ大きさ
(縦 3.28 メートル、幅 6.8 メートル)の
このタペストリーが日本で観られるというわけだ。
今日は、最終日で次にいつ観られるのか
分からないということもあって、
先日訪れた時よりも、この作品の前に人が多かった。


美術品は、何も知らずに観て、
何だか分からないけど いきなり心を
鷲掴みにされ感動するものと、
その背景を知って、じわじわその凄さや
素晴らしさが分かってくるものがあるように思う。
私にとっての「ゲルニカ」は後者で、
前回観てから「ゲルニカ」に関して、
いくつかの記事を読んで、理解が深まった上で
観たので前回よりも作品が、
心に迫りくる感じだった。




宇都宮美術館
「芸術家たちの南仏」




群馬県立近代美術館から 栃木県宇都宮まで
100キロほど 足を延ばして、宇都宮美術館で
開催中の企画展「芸術家たちの南仏」を観てきた。

19世紀末以降、南仏で過ごした
芸術家は多かったんだな。
(ゴッホもアルルに1年以上滞在し、
「ローヌ川の星月夜」「夜のカフェテラス」など
有名な作品を何枚も残している。)

第二次大戦中は、事情があって
南仏にとどまった芸術家もいたようだ。
そして、戦後は、何人もの芸術家が
南フランスにアトリエを構えたんだな。

本展では、セザンヌ、マティス、ピカソ、
シャガールなど約30人の作品、
150点が展示されていた。

頻繁にというほどではないが、美術館に
行くようになったのは、ここ最近のことで、
まだまだ名前も知らない画家も多い。
最近になって自分の反応の面白い変化を
体験している。
例えば、ピカソの絵は(実物ではないけれど)
子供の頃から、何度も目にしているが、
一度も良いと思ったことがなかったし、
ピカソの何が素晴らしいのか、全く分からなかった。
しかし、ちょっと前からなんとなく
ピカソの良さが分かってきた感じがしていた。
そして、今日、ピカソのある作品を観ている
最中に突然「この人天才や」というのが
突きあげてきたのだった。

マティスもモネもそう、以前は全然良さが
分からなかったけど、観るたびになんだか好きになっていく。
これって、肯定的に捉えると、
「作品を観る目が育ってきたのかな」とも思う。
でも、シャガールは一向に良さが分からない。
いつかシャガールの良さが分かる日が来るのだろうか。

まあ、音楽でもそのアーティストの曲なら
全てが好きということにはならない。
楽曲により 好き好きがあるように
絵画でも彫刻でも同じアーティストの
作品の中に「これが好き!」というものが
ひとつでもあれば良い方だと思う。
1枚でも多くそういう絵に出会えると嬉しいな。


絵画ではないけど。
美術館の庭に展示されていた
「中身に支えられたチューブ」


クレス・オルデンバーグ 1985年


群馬県立近代美術館は「群馬の森」、
宇都宮美術館は「うつのみや文化の森」と
どちらも素晴らしい森に囲まれたところにある。

群馬の森


うつのみや文化の森 草の広場






2023.9.28

川瀬巴水
旅と郷愁の風景




先日、たまたま観ていたテレビ番組に
1枚の木版画が映し出された。
川瀬巴水(かわせはすい)(1883〜1957)
という人の「笠岡の月」という作品だった。
月が描かれていないのに題名に「月」があり、
月明かりを感じさせるその作品に何故か惹かれた。

川瀬巴水についてネットで調べてみて、
益々興味が湧き、版画集を一冊買った。
『巴水の日本憧憬』は、巴水の版画
一枚一枚に、林望がその感想とも言える
文章を寄せた版画集。
帯には「痛切な懐かしさ、滅んだものへの憧憬
私たちはもはやこういう景色を見ることはできぬ」
という林の言葉が書かれている。
その言葉通り、とてもノスタルジックな作品で、
行ったこともない場所なのにそこを知っているかの
ような不思議な感覚に襲われた。

版画集を観て、実物を観たくなり、
近々展覧会はないか、あるいは東京で常設で
観られるところはないかと探したところ、ちょうど
石川県立美術館(金沢市)で展覧会が開催中だった。

金沢かぁ、遠いなぁ。
そのうち東京でもやるだろうと、一旦は諦めたのだが、
一昨日、瀬尾拓慶(せおたくみち)の作品展を
観て気が変わった。
これは、画集ではなく、実物を観なければならぬ、と。
しかし、展覧会の会期は、10月1日までで、
週末はすでに予定が詰まっており、行ける日がない。
行くとしたら、今日しかない。
残りの人生、やりたいと思ったことはやるんだ!
ということで、行ってきました。
金沢、日帰りで。

旅行中、一度でも雨の降る確率80%を誇る
雨男らしく、金沢は一日中雨。
東京は降っていないけど。

それはさておき。
やはり行ったかいがあった。
1918(大正7)年の「塩原三部作」から、
絶筆となった1957(昭和32)年の
「平泉金色堂」まで、180点もの作品を観ることが出来た。
版画なので、あまり大きくはないのだけど、
やはり、実物は本で観るのとは、わけが違う。

版画については、全くの無知であったが、
川瀬巴水の版画は「新版画」と呼ばれるジャンル。
「版元」と呼ばれる、プロデューサー的な人がいて、
絵師、彫師、摺師とがチームになって作る。
巴水の版元は渡邊庄三郎だった。

巴水は、画家としてはスタートが遅かったせいもあり
あまり良い評価を得ていなかったのだが、
1918年、巴水35歳の時に、伊東深水の
木版画「近江八景」を観て感銘を受けて
版画作成に興味を持った。
これが版元、渡邊庄三郎との出会いだ。
大きなターニング・ポイントなんだ。

巴水の才能を見抜いた庄三郎は、
新版画の風景画を巴水に委ねた。
最初の版画の作品は、今回も展示されていたが、
栃木県塩原を描いた「塩原三部作」。
これが素晴らしい。

180点も観ると、好きなものとそうでもないものと
自分の好みのパターンが分かってくる。
版画らしく、輪郭線のしっかりしたもので
奥行や広がりを感じるもの、中に小さく人が
描かれているものなどが好きなんだと分かってくる。
面白いことに、雪の絵はあまり好きでない。
なぜか子供の頃見た、せんべいかあられの
カンカンに描かれていた絵を思い出すんだ。
ソール・ライターの写真には、雪の写真で
好きなものもあるんだけどね。

そのソール・ライターが撮りそうな構図だったり、
わたせせいぞうは、巴水を好きだたんじゃないか、
影響を受けたんじゃないかと思う版画だったり、
どうしても江戸時代の浮世絵を連想してしまい、
その影響力の大きさを感じたりと、
色々な発見のある展覧会だった。

巴水は、スティーブ・ジョブズのお気に入りだったようで、
来日の際、作品を買って帰ったらしい。
「痛切な懐かしさ」は日本人独自のものだと
思うのだが、外国人から観ても、
何か感じるものがあるんだろうなと思っていたら、
スティーブ・ジョブズについても触れられている
コーナーがあった。
そこには、スティーブ・ジョブズは若い頃から、
巴水の版画を購入しており、少なくとも25枚の
所有が確認されていると書かれていた。
その作品群は、西洋人が気に入りそうな
図柄ではなく、どちらかというと地味な、
日本人が好きそうなものが多いとも書かれていた。
スティーブ・ジョブズには、日本人の郷愁に
近い感性があったのかも知れないな。

巴水については、急に色々知ったので、
ここにもたくさん書きたいのだけど、そんなことは、
ググれば分かることなのでこれぐらいにしておこう。

最後に。
版元、渡邊庄三郎と川瀬巴水は、
特別な関係で、その関係性についての
記述がいくつかあった中に仕事の関係を超えて
家族のようであったという文言があった。
また、どのような作品に仕上げるかについて、
最後まで意見が合わず、両者が譲らないと、
作品を2種作ることもあったと。
資料の展示として、巴水が庄三郎に送った
手紙も展示されていたのだが、
なんだかこのふたりのパートナーシップに
いたく感動してしまったよ。
庄三郎あっての巴水だったんだと思う。





202310.1

「個の発展」シンポジウム vol.8
ART de シンポジウム
〜表現すること 生きること〜


滋賀県にある社会福祉施設「やまなみ工房」の
施設長である山下完和(まさと)さんと、
妻がトークするというシンポジウムに行ってきた。

「やまなみ工房」のことは、
全く知らなかったのだけど、
障害者の人が作る作品が海外でも
評価されているアートセンター&社会福祉施設だ。

元々は、一般的な作業所と同じように
障害者の人たちが下請けの作業をする
施設だったようだが、ある時、落ちていた紙を
拾って落書きを始めた利用者(施設に来ている
障害者)が、あまりにも生き生きと絵を
描いているのを見て、一方的に作業を
押し付けてやることは、彼らの望んでいることでは
ないのではないかと思ったことがきっかけで、
それぞれの人が、本当にやりたいことは
何かという模索が始まったのだという。
それは人によって、絵だったり、粘土細工だったり、
刺しゅうだったり様々だが、それらがやがて
「アート」と呼ばれるようになり、今では中には
数百万円で取引されている作品まであるという。

驚いたのは、元々そういう素養があったかどうかは、
分からないので、本人がしっくりくる表現方法が
見つかるまで、色んなものを提供してみるらしいのだが、
それに3年とか長いと10年かかる人もいるのだという。

そのことを山下さんは「待つこと」が必要だと言った。
周りから「あーしろ、こーしろ」ではなく、
もちろん提案はするんだろうけど、
本人が自発的にやり始めないと本来の目的には沿わない。
本来の目的というのは、
「その人が穏やかで楽しく過ごすこと」だ。

それまで、「自立支援」という名目で、
少しでも効率よく作業を出来るように
「がんばらす」ことをしていたらしいが、
それって、結局、その人たちのためではなく、
周りの大人たちの都合なんだな。

35年間、粘土細工で人形を
作り続けている人がいる。
作った人形の数は、10万体を超えるという。
しかも、35年前の作品と今年作った物は、
見分けがつかないほど同じらしい。
35年前は、一障害者が作ったなんでもない人形が、
今ではアートと呼ばれるようになった。
35年間続けたから、10万体作ったから、
アートになったのか、
35年前は、アートではなかったのか?
そうすると、そもそもアートって何だ?
という疑問が出てくる。

世の中では、アートと呼ばれた瞬間から、
値が付き、時には高額で取引される。
いや、逆かも知れない。
値が付いた時から、その作品はアートになるのかも知れない。

彼らは、自分の作品が世界に認められることも、
高値で売られることも望んでいないらしい。
ただ、作りたいモノを作る。
そこにあるのは、純粋な欲求だけなのかも知れない。
そして、仲間や施設のスタッフに見てもらうことで
満足する。

しかし、世の中は甘くない。
生きていくためにはお金が必要だ。
そのためには、それらの作品が、
社会と繋がる必要がある。

山下さんは、彼らの作品を世の中に
紹介することに関して、とても積極的だった。
そのことに関して彼はこう言った。
「待っていても来ない」

今でこそ、「やまなみ工房」は認められて
来ているようだが、以前は「近づくとうつる」などと
心ない言葉を言い、福祉施設には近づくべきではないと
思っていた人たちがいたようだ。
これっては全て無知から来るんだろうけど。

数年前、展覧会を催したら 900人の来場者があったが、
小中学生はほんの数十人だったらしい。
で、翌年、山下さんは市内の全ての小中学校で
展覧会を開催した。
「待っていても来ない」からだ。

前述した「待つこと」と
「待っていても来ない(から自ら出て行く)」という
パラドクスが、印象的だった。

作品は、まるでプロのアーティストの作品のようだ。
そして、「えっ?障害者が作ったの?」という
自分の反応を否めない。
なぜだろう?
なぜ「障害者が作った」と言わなければならないのだろう。
障害者って何のことだろう。
山下さんはこう言った。
「胃潰瘍の人が作った作品、とか言わないですよね」


ここで作品を観られます。
ARTWORKS





2023.10.9

生誕120年 棟方志功展
メイキング・オブ・ムナカタ




今日は東京国立近代美術館で
開催中の棟方志功展に行ってきた。

棟方は、国際的な版画家だが、
彼は「版画」を「板画」と書いて
「はんが」と読ませたらしい。
同じ版画でも、先日観に行った川瀬巴水とは、
全く違う世界、全く違う芸風、全く違う表現で
比較の対象にさえならない。

今回は、生誕120年の大回顧展ということで、
本の表紙、挿絵、絵葉書サイズの作品から、
大きな壁画のようなものまで、
結構な数の展示だった。
その膨大な数の作品の中にいて、
作品の迫力もさることながら、
棟方の枯れることのない表現への
強烈な熱情に心を打たれた。



私が特に惹かれたのは、釈迦の弟子や
菩薩、観音を描いた作品。





力強い単純な線だけなのに
優しさや厳しさが現れていて、
仏像を眺めているかのような気持ちになる。
いや、その本質を抽出しているので、
仏像以上にストレートかも知れないなどと思う。





ゴッホの「ひまわり」を見て洋画家を志し、
「ゴッホになりたい」と言った棟方。
ゴッホの影響はもちろん感じられたが、
影響を与えた側として、
手塚治虫は棟方の影響を受けたのでは
ないかなどと思う作品もあった。
また、棟方と土門拳は交流があり、
土門が撮った棟方の作業中の写真も
展示されていて、なぜか嬉しくなってしまった。

作品から受ける印象の通り、
見るからに朴訥とした風情の棟方。
1975年、72歳で没。




ところで、最近の美術館は、混んでいる。
これはひとつには SNS での広告が
成功しているんだろうと思う。
例えば、アートに関係ある投稿を見たり、
「いいね」を押したりすると、自動的に
アートに関する投稿が出てくるようになる。
それは有用な情報でもあるし、
アートの世界が盛り上がっているのは
良いことだと思うのだが、
美術館が混んでいるのは、
ゆっくり鑑賞したい者としては、
ちょっと複雑だな。





2024.3.15

川瀬巴水
旅と郷愁の風景


先月、妻の仕事に付き合って香川県高松に行った。
香川県は、人生初だった。
私の楽しみは、旅先でおいしいものを食べること。
香川県のうどんは旨いというのは聞いていたけど、
確かに旨かったね。
2店舗で食べたけど、両方ともおいしかった。

もう一つの旅の楽しみは、写真撮影。
普段は撮れないような被写体、場面に出会うことは、
旅の醍醐味でもある。

最近は、それに加えて現地の美術館も
チェックすることもある。
高松には、高松市美術館と
県立ミュージアムのふたつの美術館がある。
調べてみると、私が行った日は、高松市美術館で、
開館35周年記念特別展として、
なんと「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」が開催中だった。

その展覧会は、どうしても観たくて昨年9月に
会社を休んで日帰りで、石川県立美術館まで
観に行った展覧会だ。
同じ展覧会が、ちょうど高松で開催中だったんだ。
こんなラッキーもあるんだ。
僥倖ですな。

で、二度目の鑑賞となる展覧会を楽しんだ。
やっぱり好きだな、川瀬巴水。

先日、インスタに関するエントリーで、
高松で撮った この写真をここにもアップした。



これを撮った日の昼間に、
川瀬の『馬込の月』を観たんだ。



で、思わずシャッターを切ったんだ。
やはり良い作品をたくさん観ること、
先人の作品に触れ、影響を受けることは、
インスピレーションの源になるんだな。


[ 関連エントリー ]
2023.9.28 川瀬巴水 旅と郷愁の風景





2024.3.19

川瀬巴水
旅と郷愁の風景


先日のエントリーをアップしたあと、
発見したのだけど、川瀬巴水の
「旅と郷愁の風景」、東京でも開催されます。

4月5日から6月2日まで、
八王子市夢美術館で。


八王子市夢美術館





2024.4.2

美術家たちの沿線物語
小田急線篇
京王線・井の頭線篇






世田谷美術館に行ってきた。
開催中の展覧会は、
〈美術家たちの沿線物語〉シリーズ、
「小田急線篇」と「京王線・井の頭線篇」。
「小田急線篇」の方は企画展で、
「京王線・井の頭線篇」の方は、
ミュージアム・コレクション展だった。

世田谷を走る私鉄沿線ゆかりの美術家たちの
作品を展示するシリーズのようで、
ほとんどが日本人アーティストのもの。
砧公園の近くには、東宝の撮影所もあったので、
撮影所関連のものも展示されていた。

知らない画家や写真家、彫刻家の作品が
多かったが、写真家では浅井慎平氏が
70年代後半から80年代前半に撮影した、
チャック・ベリーやタモリ、渥美清のポートレイトも
展示されていた。
このチャック・ベリーは、良いなぁ。



展示されていたものは、モノクロで「PARCO」の
文字も入っていなかった。

あと知っている人では、写真家の荒木経惟
(のぶよし)と画家の片岡球子ぐらいかな。
やっぱり、片岡球子は強烈で好きだな。

こういう展覧会の楽しみは、今まで知らなかった
好みのアーティストに出会うことだ。
今回の収穫は、版画家、畦地梅太郎
(あぜち うめたろう)(1902-1999)だ。
3点ほど展示されていたが、作品名を
メモらなかったので分からなくなってしまった。
こんな感じの作風。





一目見てなぜだか
『The World of GOLDEN EGGS』
思い出したよ。





2024.4.6

山種美術館
「花・flower・華 2024」




約1年ぶりの山種美術館。
昨年3月に「富士と桜」という展覧会に行き、
奥村土牛(おくむらとぎゅう)の『吉野』という
桜の絵を観て、好きになったので、
また観られるかなと思って行ったのだけど、
今回はなかった。残念。
土牛の『醍醐』(チラシになっている作品)は、
観られたけどね。

日本人画家の作品展なので、
掛け軸になっているような絵も多かったが、
私はやはり洋画の方が好きなのがよく分かった。
掛け軸になっているような絵の良さはあんまり分からないし、
今まで日本画で良いなと思った人は、あんまりいない。
片岡球子は、好きだけどね。
(彼女は、西洋画的だけど日本画に入るらしい。)
版画は、川瀬巴水、棟方志功とか好きな人いるけど、
版画には、和と洋の区別はないのかな。

今回の展示の中で良かった洋画は、
梅原龍三郎の『薔薇と蜜柑』、『向日葵』、
中川一政の『薔薇』だな。


梅原龍三郎 「薔薇と蜜柑」 1944年





2024.6.6

ブランクーシ 本質を象る



昨年8月、東京は京橋にある
アーティゾン美術館で、
「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」
という展覧会を観た。
抽象絵画を中心にした展覧会だったのだけど、
その展覧会で私が一番気に入ったものが、
コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)という
ルーマニア出身の彫刻家の『The Kiss(接吻)』だった。





そのブランクーシの展覧会が、同じアーティゾン美術館で
開催されているので、観に行ってきた。
ブランクーシの創作活動の全体を美術館で
紹介するのは、日本では初めてだという。

展覧会のタイトルは、
「ブランクーシ 本質を象る」
「象る」が読めなくて、調べたよ。
「かたどる」と読むんだな。

「本質を象る」とはどういうことなんだろう。
そもそも、「本質」とはなんぞや。
以前、写真を撮るときに土門拳の影響で
「本質を撮るってどういうことやろ?」と
自分に問いかけながら撮影していた時期があった。
いや、今でも基本的に頭の隅にそのことは
いつも意識している。
で、本質が撮れているかと訊かれれば、
今のところ「分からない」と答えるしかない。
ということは、本質なぞ撮れていないのだろう。

絵画や彫刻の場合、おそらく、そのものの本質を
抽出すれば、非常に単純な線や形であっても
観る人にそれが何か伝わるのではないかと考えている。
写真の場合は、もっと難しいけど。

展覧会のチラシやウェブサイトには
ブランクーシ自身の言葉だと思われる
「真なるものとは、外面的な形ではなく、
観念、つまり事物の本質である」という言葉がある。

この言葉は、「本質」というのは、
その物体側にあるものではなく、
「観念」、つまり観ている側の心(頭)にあると
言っているようにも受取れる。

またブランクーシは、
「単純さとは美術における目標ではない。
対象の真の意味に迫ろうとすることで
単純さに到達するのである」という言葉も残している。

これは、前述のように、余計なものを削ぎ落していき、
最後に残ったものがそのものの「本質」と
言っているように受取れる。

私は『The Kiss』のようなブランクーシの作品が
多く観られると期待して展覧会に臨んだのだが、
『The Kiss』のようなテイストの作品は他にはなく、
ブランクーシの目指した(?)極度に単純化された
作品が中心だった。
(彫刻作品は 約20点、絵画、写真を加えて約90点。)

こういうのね。



私は『The Kiss』(1910年以降)は、
十分に愛し合う男女の本質を表していると思うのだが、
その後、1920年代の作品を観ると、
もっとシンボル化されたような作品が多かった。
あまりに単純化され、何か分からなんだ。

例えばこれは1924年(1972年鋳造)の
『The Cock(雄鶏)』という作品だが、
私にはもう鶏には見えない。



こちらは彫刻ではないが、1930年の『Bird(鳥)』



鳥? ちょっと無理がないか。
「船」なら分からなくもないが。

かろうじて『Torso of a Young Man
(若い男のトルソ)』は、男性性器を
表しているんだろうと思ったけど、それとて
作品名を見てからのこと。
(「トルソ」は、人間の胴体のこと。)



真ん中が、『若い男のトルソ』

そんなわけで私の「本質とはなんぞや?」の
探求は続くのだった。




石橋財団コレクション選
特集コーナー展示 清水多嘉示




「ブランクーシ 本質を象る」と同時開催で
「石橋財団コレクション選
特集コーナー展示 清水多嘉示」が開催中だった。

清水多嘉示(しみずたかし)(1897-1981)の
ことはこの度初めて知った。
画家を志してフランスへ留学した清水は、
パリでアントワーヌ・ブールデル(フランスの
彫刻家)の作品と出会い、彫刻に目覚めた。
そして、絵画と彫刻の二刀流で成功を収めた。

絵画の方は、マティスやセザンヌにも影響を
受けたようだ。

清水多嘉示 『ギターと少女』(1925年頃)



アンリ・マティス 『オダリスク』(1926年)



アンリ・マティス 『樹間の憩い』(1923年)



そして、マティスの影響を超えての作品。
清水多嘉示 『憩いの読書』(1928年)



フランス留学最後の年に描かれたものらしい。
これがなんだかとても良かった。


「材料の相違はあっても、エレメント(要素・本質)に
於いては絵も彫刻も同じである。
粘土を手にすると、絵筆をもつのとは、いささかも変わりはない」


この清水の言葉が解説にも使われていたのだが、
ネットでその前半部分も見つけたので、貼り付けておく。
こちらのサイトから拝借した。)

一体世間では、絵の仕事と彫刻の仕事を別物のように
考えたり、『絵は分かるが、彫刻はどうも』という人に
会ったりして、こちらがまごつく事がしばしばある。
造形芸術はいうまでもなく、形(フォルム)で内容を表現する。
従って芸術作品に於ける形(フォルム)は、
自然の表面の形ではなく、物の本体を的確に
形に置き換えたものでなくてはならない。
(芸術は精神世界を離れては成り立たない。)
絵だけなら分かると言うのは、絵の色彩に幻惑されて居て、
本当は何も分かっていないと言える。
つまり材料の相違はあっても、エレメント(要素・本質)に
於いては絵も彫刻も同じである。
粘土を手にすると、絵筆をもつのとは、いささかも変わりはない。

清水多嘉示 −ブ−ルデル解説より−



ここでも
芸術作品に於ける形(フォルム)は、
自然の表面の形ではなく、物の本体を的確に
形に置き換えたもの
」などという謎めいた表現が
本質についても触れているように思う。

それにしても、美術館は やはり平日の日中が空いていて良い。



 ひとりごと