2020年
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2020.1.3
あけまして
おめでとう
ございます
本年もどうぞよろしくお願いします。
お正月は大阪に帰省してました。
高齢の両親(2人合わせて173歳!)が
健在なのは有難いが、それはそれで
何かと問題も出てくる。
どこの家庭もそうだろうけど、
我が家もご多聞にもれずって感じです。
さて昨年最後のドジとラッキー。
大阪往復の新幹線チケットは、
毎年インターネットで購入している。
発売日(乗車日の1カ月前)前に
申し込みが出来る「事前予約」という
システムがあり、それは、
第3希望まで申し込めて、
発売日に抽選発表がある。
大体はチケットが取れるのだが、
今年は第3希望まで全てハズレてしまった。
慌てて取ろうとしたが、希望時間帯
(午前9時台)の指定席はすでに
売り切れだった。
もっと早い時間にすれば空いていたのかも
知れないが、それも面倒なので、
たまにはいいかと思い、
はりこんでグリーン席を買った。
大晦日、9時30分 品川駅発
新大阪行きのチケットを持って家を出た。
乗り遅れてはいけないと、
早目に家を出たもので、
9時には品川駅の新幹線ホームに到着していた。
ちょっと早過ぎたな、と思いながら
ベンチに腰掛け、私は本を読み始めた。
隣りに座っていた妻が「来たよ。乗るよ」と
立ち上がったので私も立ち上がり、
乗車の列に並んだ。
新幹線の扉が開き、列車に乗り込もうとした際、
電光掲示板の「9:37」という文字が目に入った。
「あれ?」っと思った。
乗るのは「9:30発」のはずだ。
ああ〜!やってしまった!
読書に集中して、乗り過ごしてしまったのだ。
妻はなぜか「9:37発」だと勘違いしていたらしい。
とにかくその「9:37発」に乗り込んだ。
こうなっては、もう自由席で行くしかない。
多分、自由席もすでに満席だろうから、
立っていくしかないだろう。
せっかく買ったグリーン席が
ムダになってしまったと思いながら、
自由席への車両に向かって歩き始めた。
ちょうどそこにいた乗務員さんに
ダメ元で事情を説明し、空いてる席はないか、
尋ねてみた。
すると、東京駅から乗ってくる予定だった
お客さんが、乗ってこなかった席があると言う。
しかも、グリーン席で新大阪まで2席。
確認してもらうとやはり品川駅からも
乗って来なかったようで空いていた。
乗務員さんの機転と計らいで、無事
グリーン席に座って新大阪まで行けたのだった。
凄い強運。
しかし、おそらくこの強運は妻だろう。
私はそういう運をあんまり持っているとは思えない。
それから、新幹線の乗務員の仕事ぶりにも感心したね。
もちろん、グリーン席券を買っていないのに座る
不届き者を取り締まることもあるだろうから、
ちゃんとチェックしているのだろう。
でも、品川駅の時点で東京駅から
乗ってくるべき客が、乗っていないことを、
把握していたのには、ちょっと驚いた。
もしかしたら、当然のことなのかも知れないけど。
今年は、姪の結婚式と出産、父の卒寿、
姉の還暦と賑やかな年だ。
皆が健康で無事であるよう祈ります。
2020.1.6
43年ぶり−5
家族ぐるみへの発展
大阪に住んでいた中学1年生の時、
同じクラスになり仲良くなったのだが、
2年生になる時に学校が分離したため、
それっきり会うことがなかった、O君。
O君とは小学校が違ったので、
本当にその1年間だけの付き合いだった。
その O君が、昨年8月にこのサイトを
見つけて連絡をしてきてくれた。
そして、何度かのメールのやり取りのあと、
9月に実に43年6ヶ月ぶりの再会を果たした。
そして今日は、O君の東京出張に合わせて
2回目の再会の場を設けたのだが、
そこには、彼の娘さん Mちゃん と
私の妻も参加し、2回目にして
家族を巻き込んでの宴席となったのだった。
Mちゃんは、東京在住2年目なのだが、
なんと私の家から歩いて10分ほどの
所に住んでいる。
これまた不思議な偶然だ。
とても 聡明な娘さん(29歳)で、
父と娘の互いの愛と尊敬を感じる
素晴らしい、楽しいひと時だった。
今日もあっという間に3時間半が過ぎた。
考えてみれば、この4人が一緒にいることは、
とんでもない奇跡だ。
あり得ないような奇跡なのだ。
あり得ないということは、
あり難い奇跡なのだ。
次回は、ぜひ O君の奥さんも交えて
5人で会おうと別れた。
感謝。
[ 関連エントリー ]
2019.8.18 43年ぶり
2019.8.20 43年ぶり−2
2019.8.28 43年ぶり−3 不思議な偶然編
2019.9.19 43年ぶり−4 初体験編
2020.1.8
枕 と 夢
年末(12月30日)に枕を替えた。
私は枕に特に不便は感じていなかったが、
妻が買い替えるというので
ついでに私の分も替えてもらった。
その夜、もの凄い夢を見た。
知らなかった音楽の秘密を初めて知り、
夢の中でもの凄く驚いて感動して目が覚めた。
起きた瞬間に記憶が薄れ、詳しいことは、
言葉では説明できない。
説明できないのに、妻に
「もの凄い夢見たで」と話したぐらい
インパクトのある夢だった。
その日(大晦日)から3泊は大阪だったので、
その夢と枕が関係あるとは気づかなかったが、
東京に戻ってから、2日続けて、
今まで見たことのないような夢を見た。
それらは、とても不思議で、
インパクトのあるストーリーだった。
大阪での3泊を除くと3日続けての
不思議な夢だ。
ふと、枕を替えたからかな?と思った。
妻に「夢、変わってない?」と訊くと、
彼女も同様に枕を替えてから、
いつもと違う夢を見ると言い出した。
こうなると、関連付けずにはいられない。
「枕 夢」「枕を替える 夢を見る」と
ググってみたが、「枕の夢を見る」ことに
関する記述はヒットするものの
枕で夢が変わることは見つからなかった。
(キーワードがまずいのかもしれない。)
その、買い替えた枕はテンピュール(TEMPUR)。
デンマーク製で、今まで使っていたモノよりも
高価だが、アウトレットで 40%OFF だった。
いわゆる低反発の枕で、とても寝心地が良い。
私は冷たい枕が好きなのだが、
これは適度にひんやりしているのも心地よい。
まだ1週間程の使用だが、松井秀喜が
15年使い続けているというのも分かる。
この数日は、慣れてきたためか、
使い始めの3日間ほど、
インパクトのある夢は見ていない。
いや、夢は見ているような気もするのだが、
覚えていない。
起きた瞬間に忘れさせられるような感じもある。
とにかく、何かが変わったように感じている。
夢の質が変わるということは、
眠りの質が変わるということだろうかね。
不思議な体験だ。
2020.2.13
シリちゃん
昨日、夜中に酔っ払って スマホを
触っていたら「シリ」(Siri:iPhone の音声
アシスタント機能)が起動してしまった。
思わず「何してんの?」って訊いたら
「ゲームのお手伝いをしています」と言いやがった。
私はゲームなどしていないので、
(厳密にはその直前、カードゲームを
していたけどシリに手伝ってもらってるとは
思ってなかったので)
「嘘つき!」と言ってやった。
そしたら、「私は、嘘をつくようには
出来ていません」と来やがった。
なんや、こいつ、ご主人様に口ごたえかと、
思わず「やかましい!」と言うと・・・
どうなったと思う?
シリ は、
何も言わずに
自動的に
終了しました。
ちょっと寂しかった・・・。
で、シリをもう一度 起動して
「ごめんね」って言うたら、
「気にしないでください」やて。
AIが人間の話し相手になる日は、
もう来ているよ。
2020.2.22
結 婚 式
ずい分更新をサボってしまった。
今日は、渋谷のホテル(結婚式場)で
姪の結婚式と披露宴があった。
新婦(姪)は、妻の姉の娘で 25歳。
新郎は40歳。
15歳差というと、ちょっとした年の差婚なのかも
しれないけど、新郎が若く見えるので、
見た感じは、15歳も離れているとは見えない。
数回、一緒に食事をしたけど
新郎はとっても優しそうで、イイヤツだ。
妻と結婚した時、姪はまだ4歳だった。
姪と私は、血は繋がっていないわけだけど、
今日のように親族が集まると
おおそうか、親戚が増えたのかと思ったね。
そして、何度出席しても結婚式は、特別な瞬間。
人生の新しい誓いと門出だからね。
今日は、人前結婚式というものだった。
人前結婚式では、参列者は証人ということで
式に立ち会うことになる。
そういえば、2年前の甥の結婚式も人前だったが、
信仰もないのに神前で式を挙げることに
違和感を持つ若者が増えたということなのか。
厳かなムードより、カジュアルに楽しくやりたいと
いうことなのか。
時代の流れなのか。
神社や教会で式を挙げる人がいなくなったわけでは
ないので、皆が皆というわけではないのだろうけど。
ロビーには、額に入れられた新郎新婦の写真が
おしゃれに飾られていた。こういうのも今風だ。
ところで、私たち夫婦は結婚式を挙げていない。
参列して、見ている分には良いが、
自分が式を挙げるのは、
恥ずかしすぎて耐えられない、と思ったのだ。
幸い妻も式を挙げることに、
こだわりはなかったので、
スタジオで記念写真だけ撮って終わった。
2020.3.2
身体のこと
2週間前の水曜日、
ちょっと食欲がなくて夕食を抜いた。
その日は、特に具合が悪いわけではなかった。
ギターを弾いたり、写真の編集をしたりしていて、
集中して夕食を食べるタイミングを失い、
食べないことが時々あるので、
その日もそんな感じだった。
翌日、胃に違和感があり、昼食も食べず、
眠いのとしんどいのとで、早退して、
午後3時ごろから寝た。
翌々日が姪の結婚式で、
翌日は山形から義父が出てきたので、
夕食は一緒に食べたが、
50数時間何も食べていなかったのに
食欲はなかった。
しんどいのは治ったけど
ずっと空腹感がなく、食べようと思えば
食べられるけど、食欲が湧かない。
こんなこと珍しい。
2月19日の体重は、79.6キロだったのに
昨日(3月1日)は、75.7キロまで落ちた。
数カ月前にも似たような症状の日が
あったのだけど、その時は1日寝たら治った。
調子が悪くても、そんな風に大体1日で
回復するのだが、今回はちょっと長いびいたので、
念のため、先週の水曜日に医者に行った。
特に検査をするわけでもなく、
お腹を触診しただけで、薬を出された。
私の説明と触診から、胃に炎症を
起こしているとの判断のようだった。
1週間薬を飲んで、改善が見られなかったら、
次の検査をしましょう、ということだった。
胃の違和感は、2週間前のそれとは
違うが完全になくなったかといえば、
そうでもなく、旺盛な食欲が
戻ってきたわけでもない。
でも、特に具合が悪いというわけでもない。
なんだか変な感じだが、今日も夕食を
食べなかった。
昼食は食べたし、夕食も
食べようと思えば食べられるし、
食べることを我慢しているわけではないが、
減量しようと思ってもなかなかできずにいたので、
この機会にもう少し体重を落とそうという
魂胆もある。
食欲のある時は、食事を抜こうと思っても
中々できないからね。
今年で58歳。
もう、そんなに食べなくても良い年に
なってきたのだろうか。
でも、また調子が戻ってくると
きっと食い意地が張るに違いない。
2020.6.2
21年
6月2日は、妻の誕生日で私たちの結婚記念日。
早いもので、結婚して21年が経った。
実際には入籍前に1年間同棲していたので
一緒に暮らして 22年になる。
親と暮らしたのが、23年半ほどなので
もうすぐそれを超えることになる。
21年か、早かったなぁ。
よくドラマや映画で、年老いた夫婦が、
何十年もの結婚生活を「あっという間だったねぇ」
なんて言うのを聞いたことがあるけど、
21年が、30年になっても40年になっても、
やっぱり早かったなぁと思うんだろうな。
結婚50年は、私は 87歳か。
生きてるかどうかちょっと分からんけどな。
今夜のディナーは、五反田の
リストランテ・アンジェロで。
予約時に何も言わなくても
今日は妻の誕生日だと分かって下さっていて、
ちゃんと演出してくださるのは嬉しいね。
年に1〜2回しか行けないけど、
私たちには、特別なお店です。
お料理も食べたことのないものの連続で大満足。
もうひとつ。
6月1日は、2007年にこのひとりごとを
始めた日。
そう、昨日で13年経ちました。
結婚生活の半分以上の期間、
書いてきたとは、これまたびっくり。
ちょっとここんとこ、コロナの影響もあって、
更新をサボり気味ですが、
まだまだ続けようと思います。
14年目も よろしくお願いします。
2020.6.15
懐かしの阪奈通信
昨年8月、中学時代の同級生のO君から
メールが届き、不思議な偶然をいくつも体験し、
9月には 43年ぶりに再会を果たした。
自分でも信じられないけど、
40数年ぶりに友達に会うなんてことが、
再来年に還暦を控えるような歳になると
起きてくるんやな。
なんとも、人生の不思議と奇跡を体験させて
もらったのだった。
そして、今日。
件名「ご無沙汰してます。」という
1通のメールが届いた。
何と送り主は、K君だった。
(本当は、苗字のイニシャルで
O君と書きたいのだけど、
前述のO君と混乱するので
ここではK君と呼ぶことにする。)
たまたま、このホームページを見つけてくれたらしく
懐かしくて、メールを送ってくれたのだという。
メールにあった名前を見たとき、
まさか!と思って、ひっくり返りそうになるほど
驚いた。
K君は、小学校6年間のうち、
1、2、5、6年で同じクラスだったように
記憶している。
小学校を卒業すると同時に
奈良県へ引っ越していったので、
中学は離れ離れになった。
でも、ずっと連絡を取り合っていた。
奈良の家に泊まりに行った覚えもある。
私が大阪、彼が奈良在住だったので、
「阪奈通信」という新聞を互いに何度も書いた。
(大阪と奈良を結ぶ「阪奈道路」という道があるのだ。)
新聞と言っても、互いに相手だけに向けて
書く手紙なのだが、手紙という形式ではなく、
学級通信のような形で「阪奈通信」と
して情報を交換し合っていた。
中学生がやりそうなことだ。
言ってみれば、文通なのだけど、
そんな意識は なかったな。
そういえば、カセットテープにラジオ番組の
ように録音したものも送り合っていた。
お気に入りの音楽も入れて。
タイトルは、なんだったかなぁ。
「欽ちゃんのドーンとやってみよう」に
あやかって「Kちゃんのドーンとやってみよう」、
私のは「しんちゃんのドーンとやってみよう」
だったような気もするが、全然違うかもしれない。
もう手元にはないけど、あったら、恥ずかしくて
聴けないだろうな。
「情報を交換し合っていた」と書いたけど、
私はK君からいっぱい教えてもらった。
例えば、BCL(海外の日本語短波放送を
聴くこと)だったり、音楽もたくさん教えてもらった。
Jeff Beck、Deep Purple、Rainbow などを
教えてくれたのは、K君だった。
また、チューリップや長渕剛なども
改めてその良さを教えてくれたのも
K君だったと思う。
K君は、高校に進学すると同時に大阪に
戻ってきたので、また時々会うようになった。
その頃には、K君もギターを始めていたので、
もっぱら音楽の話をしていたんやないやろか。
そういえば、たぶん高校に入って間もなくの頃、
K君が書いた詞に私が曲を付けた。
ちょっと切ない歌詞で、私としては
チューリップみたいだと自負していて、
姉に歌って聞かせたら、
「童謡みたい」と言われて へこんだ覚えがある。
もしかしたら、この曲は作っただけで、
K君には聞いてもらっていないかもしれない。
きっとどこかに楽譜があるはずだ。
探してみよう。
高校時代、私は、軽音楽部と吹奏楽部
(アンサンブル部と呼んでいた)をかけ持ちしていた。
6つの高校の吹奏楽部が合同で開く
「六校祭」という演奏会があった。
その中にK君の通う高校も含まれていたのだが、
合同練習が K君の高校で行われた時、
練習中に便意を催した私は、
練習を抜けて、トイレに行った。
用を足して、個室から出ると、そこにK君がいた。
そんな縁がある人。(どんな?)
高校2年生の冬だったと思うが、
K君とお揃いのスタジャンを買った。
互いがそのスタジャンを着ていて、
これまた偶然、街中でバッタリ会った。
それぞれ、友達と一緒だったので、
私はちょっと恥ずかしかったなぁ。
それにしても、こんなことよく覚えているなぁ。
記憶が間違っていなければ、その日
会ったのが最後のような気がする。
高校卒業後は、なんとなく連絡が途切れてしまったので、
今日の連絡は約40年ぶりだったよ!
人生はスゴイ!
2020.7.7
父 卒寿
7月7日は、父の誕生日だ。
1930年生まれの父は、
今日 90歳になった。
昨日今日と、その祝いと姉の還暦祝い
(誕生日は8月だけど)も兼ねて、
大阪に帰ってきた。
ここのところ、東京都のコロナ新規感染者数は、
100人を超えており、数日前に小池都知事が、
「都民の皆様には不要不急の他県への
移動は控えていただきたい」と
述べたことは承知の上だ。
父が、「コロナのことがあるから、
(東京から)来ないでほしい」と言えば
見送るつもりでいたが、
父は、移動する私たちのことを
心配はしていたが、そうは言わなかった。
ところで、父の卒寿祝いは
不要不急なのだろうか。
別に絶対に必要ではないだろうが、
父の高齢を考慮すると
いつ落ち着くか分からないコロナの収束を
待っていては、祝いの機会を逃すかもしれない。
そう思うと「不急」とは言えない。
でも、誤解を恐れずに言えば、
究極は、不要不急でない用事などない。
まあ、そんなに深刻に考えた上のことでも
ないのだけど、とにかく大阪に行ってきた。
せっかくの90歳の祝いなのだから、
普段食べられないような
ご馳走をと思うが、当の本人は、
「唐揚げが食べたい」という。
いつでも食べられるやんか、と思うが、
食べたいのだから仕方がない。
よくよく考えてみると、
ご馳走を食べたいのは、この私なのだな。
で、姉が揚げた特製(?)唐揚げに
自家製ローストビーフ、ポテトサラダという
メニューとなった。
それにしても90歳ってスゴイな。
世界中で生まれた人の中で、
一体、何パーセントの人が、
生きて90歳の誕生日を迎えるだろうな。
たすきは、「本日の主役」ね。
2020.8.16
あてにならない記憶
今年2月、ビデオで
『ミッドナイト・イン・パリ』という映画を観た。
(その日のエントリー)
先日、自分が書いた過去のエンントリーを
読んでいて、偶然見つけてしまった。
なんと、2012年7月に 私はこの映画を
すでに観ていたのだった。
しかも、劇場で鑑賞したのだった。
(その日のエントリー)
普通、覚えていなくても途中で、
「あれ?これ観たことあるぞ」と
気付きそうなものだけど、
最後まで全く気付かず、
始めて観たように観終えた。
我ながら、ビックリした。
以前、『さよなら渓谷』という小説を読んだ
2年半後にその小説が原作の映画
『さよなら渓谷』を観たが、原作を
読んだということに全く気付かなかった。
恐ろしいのは、映画を観た翌月、
原作を読みたくなって読んだのだが、
読み終えても、以前読んだということに
これまた全く気付かなかった。
映画を観て、原作を読もうと思うほどの
ストーリーなので、それなりに記憶に残りそうだと
思うのだけどね。
もう自分の記憶は、あてにならないな。
2020.8.26
並外れて喜ぶ会社
7月に新しい会社を立ち上げた。
私もそのメンバーの一人だ。
もともとは、妻たちが創った社団法人の
一部門の独立がスタートだった。
妻とその相棒のU子氏は、15年前に
株式会社をスタートさせて以来、
この15年間で、株式会社、社団法人、
NPO法人、合わせて7つの関係法人を
設立してきた。
先月、新たに立ち上げた法人には、
その社団法人とは関係のない人も役員に迎えて、
全く新しいスタイルでスタートした。
業種は、成人対象の教育プログラムの提供だ。
いわゆるセミナー、研修と呼ばれる分野で、
企業対象、個人対象に様々な
プログラムを提供し、「個の発展」を目指す。
「個の発展」は、個人の「個」を発展させて、
その人がその人らしく、自分の人生に
責任を取り生きていくことを目指す。
意外に自分の人生のハンドルを握っていない
人が多いのだな。
最初の商品は、「人間であることの機能」を
通して、自分を探求するプログラム
「ファンクション・ワークス」。
すでに開催は始まっており、
私はスタッフとして2回、
参加者として1回 参加した。
ここで提供する「人間であることの機能」は、
もちろん一つのものの見方に過ぎないが、
その観点から観てみると、
自分の知らない自分が紐解かれてゆく。
私の場合、「まさか、自分が!」と思うような
自分が露呈されてしまった。
時々、小学生の時から
「自分はなぜ生まれてきたのか」
「何のために生きているのか」という
哲学的な問いを持っていたという人がいる。
私の妻などもその一人で、
その延長線上に、哲学書コーナーに
置かれるような本を執筆する人生があるのだと思う。
私は、そんなこと考えたことはなかった。
子供のころから、いつも目の前のやりたいことを
やることに興味があって、
「何のために生きているのか」
などという問いを持ったことはなかった。
いくつかのセミナーに参加してきて
その中で「自分は誰なのか」を探求したり、
創作したりしてきたが、それは表面的で
あったように思う。
その時、その時は十分に意義があったけど。
そんな私もここに来て、ようやく自分の正体の
「片鱗」を見たような気がする。
「何のために生きているのか」という疑問は
持ったことがなかったけど、自分を知ることは面白い。
終わりがなく、興味深い。
知っているようで知らない自分。
自分を知ることは、そんなに簡単ではない。
一番、見えないのは自分だからね。
そして、他人のことも実は何も知らないのだけどね。
新しい会社の名前は、
クヴェルアカデミー(Kvell Academy)株式会社
「Kvell」の意味は、
「並外れて喜ぶ, 並外れて誇りに思う」。
2020.11.4
ロック・スターの住む街 4
不思議な体験
ギタリストのチャーさんは、戸越に住んでいる。
昨年夏、チャーさんの夢を見た日、
近所の戸越銀座商店街でバッタリと会った。
というか、すれ違った。
彼が夢に出てきたのを妻に話したら、
目の前にいたので、ビックリしたという不思議な
体験だった。(その日のエントリー)
今日は、晩飯を商店街で食べようと
ブラブラしていて、考えるともなく、
なんとなくチャーさんのことが思い浮かんだ。
す、すると、それから1分もしないうちに
何気なく見た飲み屋の中にチャーさんが座っていた。
しょっちゅう戸越銀座商店街を歩いているけど
いつもいつもチャーさんのことを考えるわけではない。
なんだか、今日も不思議な体験だった。
2020.12.15
たくわん?
最近、ヴォーカル教室に通い出した友人と
話していた時のこと。
彼女が「音楽用語で『たくわん』みたいな言葉が
あるでしょ?」と言い出した。
「たくわん?」と私が聞き返すと
「そう、お漬物みたいな言葉。
お新香だったかな」と言う。
私は、全ての音楽用語を知っているわけではないけど、
ヴォーカル教室に通い出したばかりの生徒の
レッスンに使われる言葉なら、大体知っているはずだ。
「クレシェンド?」「デクレシェンド?」とか
いくつか言ってみたけど、「違う」という。
「どんな時に出てきたの?
楽譜に書いてる言葉?」と訊くと
「リズムの話で出てきた」と言われて、
ようやく思いついた。
syncopation(シンコペーション)。
エイトビートなら、半拍食ったリズムのことだ。
彼女が「タクワン」と言ったのは、
「シンコペーション」という言葉を覚えるのに
「お新香ぺーション」とイメージしたようで、
いつの間にか「お新香」が「たくわん」に
なってしまったようだ。
シンコペーションで、お新香。
なんか、知らない世界が広がったみたいに
面白かった。
2020.12.24
ちゃんと謝りたい
以前、もう1年以上前だったと思うが、
会社の前の駐車場に(たぶん)犬の糞が
始末されずにそのまま置いて行かれると
いうことが数回あった。
それは、月曜日に限って見られるので、
金曜日のたびにに帰る時に目立つところに
「犬の糞をさせないでください。
警察に通報します」というような
貼り紙をして帰った。
数週間すると、貼り紙をしなくても
犬の糞は見られなくなっていた。
昨日のことだ。
私は建物の2階の窓際で仕事をしているが、
ふと窓の外に目をやると、老人が犬を連れて、
会社の前を通り過ぎるところだった。
何気なく見ていると、犬と老人は立ち止まり、
犬が明らかに「その」ポーズをとった。
私は、凝視した。
用を足し終えた犬と老人は、
そのまま歩き出した。
犬のうんこをそのままに!
私は、走って階段を駆け下り、建物を出て
老人を追いかけた。
老人は、近くで見ると80代半ばか後半のようで、
歩くのもヨチヨチなのですぐに追いついた。
「ちょっとすいません」
立ち止まる老人。
人懐こい犬は、私の足に寄って来る。
「今、そこで犬に糞をさせましたよね?」
「えっ?」
「いやいや、私窓から見ていたんですから。
そこに糞があるじゃないですか」
と、20〜30メートル先を指さし、
老人にそこまで行くように促した。
2人でうんこを確認。
「片付けてくださいよ。
時々、犬の糞をそのまま置いていく人が
いるんですよ。
あなたじゃないですよね?
犬が糞をしたのを知ってたでしょ?」
と少し強めに言った。
「いやいや、私は、近所の者です。
車が通り過ぎるのを待っていただけです」
「いいですから、片付けてください。
そして、今後はしないでくださいね!」
老人が、紙でうんこをつかみ取り、
バッグに収めたのを見て、
その場を立ち去ろうとすると、
「ちょっと待ってください」と言う。
「何ですか?」
「ちゃんと謝ってないので謝りたい」
「いやいや、謝って欲しいわけじゃない。
今後はもうしないでください」
と言ってその場を離れた。
何が「ちゃんと謝りたい」だ。
犬が糞をしたのを知ってたくせに!
と思ったが、少し時間をおいて
冷静になってみると、確かに
犬がうんこをする直前に車が通った。
狭い道なので、車をやり過ごすために
老人が立ち止まっていたとしても
不思議ではない。
そして、犬がうんこをしている間も、
うんこをし終えてからも、
一度も老人は犬の方を振り返っていない。
もしかしたら、本当に老人が気づかないうちに
犬はうんこをしたのかもしれない。
だからと言って、うんこをそのままに
していいわけではないけど。