2009年 4月
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2009.4.4
比 較
「幸せだ」 と思うときってどんなとき?
私は、誰かと、自分の生きている環境や状況、ポジションを
比較して幸せだと思うことがある。
でもそれは、本当に心から 「幸せ」 って感じているのではなく、
結局、誰かとの比較の上で、
「あの人に比べれば、自分は不満なんて言うべきじゃない」
「幸せだと思わないとね」 と
概念的に 「自分は幸せだ」 と言い聞かせているふしがある。
比較は、やはり比較なのだ。
子供の頃、きらいな食べ物を残そうとすると、母親に
「食べるものがない時代があった」 とか、
「世界には食べるものがない人達がいる」 とか言われ、
食べるものがあるだけ、幸せだと教えられた。
確かにそう。
それはそれで 一つのレベルでは 全くそうなのだが、
何か違うような気がしてきたのだ。
先日、歩いていて、足の不自由な男性とすれ違った。
彼は、両手に松葉杖をつきながら、ほとんど両足を引きずるかのように
ゆっくり歩いていた。
怪我をして、そうなったのではなく、おそらく生まれた時から
足が不自由だったんだろう と勝手に思った。
そして、すれ違いざまに、
「普通に歩けるのは、幸せなこと。
五体満足で生まれたことに感謝しなくちゃ。」
と、反射的に思った。
その直後、
「じゃあ、彼は不幸なのか?
彼は、生まれてきたことに感謝できないのか?」
と疑問がわいた。
そして、彼より、恵まれているとか、幸せだとか思う自分が、
傲慢に思えてきた。
自分より、つらい状況にいる人を見ないと、
自分の恵まれた環境・状況に気がつきもせず、感謝もない。
だから、そのことを気付かせてくれる良い機会であることには、
違いない。
でも、誰かと比較して、自分を 「幸せ」 だと思うのは、
もうやめにしたい。
現実的には、社会は相対的に成り立っているし、
比較しないなんて、不可能なんだけど、
比べなくても、幸せであり、感謝のある人でいたい、と思った。
以前、何かの本で読んだ。
「比較が不幸を生む」 と。
比較して、幸せを確かめるなら、その逆もあるわけだからね。
2009.4.5
闇の子供たち
江口洋介、宮崎あおい、妻夫木聡、佐藤浩市らの出演する、
タイを舞台に 幼児売春、人身売買、臓器売買をテーマにした
社会派映画 『闇の子供たち』。
重いテーマを扱った作品で、この映画を作った意義を評価される一方で、
どうも、実際に横行しているらしい幼児売春と、
フィクション部分の臓器売買が境界線なく描かれ、
そのことが、批判の対象にもなっているようだ。
この映画に出てくる、心臓移植は実際には闇の手術では不可能だとか、
タイの医者はエリートだから、そんなリスクを負わない、とか
フィクションを事実のように描くな、と批判している側の人は言う。
今作も、その部分はフィクションだと謳っているようだが、
私は本当のことは分からない、と思う。
そんなこと、あって欲しくない。
臓器移植のために生きた子供が殺され、臓器が売買されるなどと
いうことが、あってよい筈がない。
しかし、某国では、物乞いのためには身体が不自由な方が、
お金をもらえるからと、わが子の手足を切断する、
という話を聞いたことがある。
平和に暮らしている私たちからは想像を絶することが世界のどこかで
行われている。
作品のストーリーがフィクションか ノンフィクションかより、
自分たちの心の闇を見つめることがテーマのように思う。
知らない社会問題をこういう作品を通して知らされることは、
良いことだと思う。
が、残念ながら、今作は何かが中途半端な印象をぬぐい切れない。
最後の桑田佳祐の歌も、要らんと思う。
阪本順治監督作品は、過去に2本 (『顔』 『亡国のイージス』) 観ているが、
私はあまり相性がよくないようだ。
2009.4.6
中村雅俊
中村雅俊の長男(役者)が、大麻所持で逮捕されたことについて。
お昼のワイドショーで、芸能レポーターが
「子供の頃の育て方に問題があったんじゃないでしょうか」
作詞家が
「(息子の)顔を見れば、役者としての苦悩が見えない。
甘やかされてたんでしょうね」
と言っているのを聞いて、腹が立った。
この人達は、何を知っていて、こんなことをTVで言えるんだろう。
そんな風に反応する私は、特別、中村雅俊のファンというわけではないが、
三田佳子の息子の時とは明らかに違う反応で、我がことながら興味深い。
三田佳子の時は、あまり同情心がわかなかったが、
中村雅俊は、かわいそうで、思わず 「しっかり〜!」 と 応援したくなる。
男だからか?
泣虫だからか?
彼のキャラクターがそう思わせるのか?
よく分からないが、やっぱり、
『われら青春!』 『俺たちの旅』 『俺たちの勲章』 など、
子供の頃、影響を受けたから、味方したいのかな。
いずれにしろ、一日も早く息子が更正し、
彼に笑顔が戻ることを願う。
「中村雅俊」 と検索したら、面白い記述を発見した。
『ウィキペディア(Wikipedia)』 によると、
『われら青春!』の主役は松田優作で内定していたが、
萩原健一の降板に伴って松田が『太陽にほえろ!』に
出演することになったために主役の座が空き、
急遽出演が決まった。
文学座の1期先輩である松田が番組プロデューサーに
推薦したと言われている。
『俺たちの勲章』 で共演していたが、二人は先輩後輩の仲だったのだ。
かなわないが、松田優作の 『われら青春!』 も観てみたい。
2009.4.8
修行みたい
今度の日曜日は、半年振りの Laguna Moon のライヴ。
昨年10月に、私の母校 (高校) の同窓会東京支部総会で演奏して以来で、
一般のライヴとしては、昨年の4月以来、1年振りとなる。
フルートの梅林さんが、ほとんどタイに行きっぱなしなので、
10月の時も一度のリハーサル、
今回も一昨日に3時間ほどと、明日 数時間だけの予定だ。
プロなら、それだけで十分なのだろうが、
私の場合は、そうはいかない。
一昨日のリハで、久しぶりに演奏した曲が、弾けないのだ。
これだけ、ギターを弾いていて、技術的には、
少しずつではあるが、進歩していると思っているのに、
以前弾けたことが弾けない。
もちろん、初めて弾けるようになったときよりは、
今回弾けるようになる方が、少ない練習量で済むだろう。
だが、例えば、1年以上前に10時間で習得したことが、
今、1時間で出来るかといえば、そうでもないのだ。
たぶん、5〜6時間は かかるだろう。
いつも弾いてないと 振り出しに戻るみたいだ。
一流の演奏を聴いていて、自分もああいう風に弾きたい、
弾けるようになると、勝手に思っているので、自分の実力とのギャップに
イライラして、昨日、ひとりで練習していて、ギターをぶっ壊したくなった。
壊さないけど。
自分の集中力、運動能力 (楽器演奏は運動だ)、リズム感の乏しさに、
もう、やっぱり無理なのかな、とあきらめそうになる。
あきらめないけど。
なんとなく、修行みたいになってきたぞ。
こんな風に弾ける日が来るのか!? (Bireli Lagrene&Sylvain Luc)
2009.4.11
森山良子
1994年に 森山良子・玉置浩二 名義で
『手の中に・・・』 というシングルCD がリリースされた。
その頃、玉置浩二が好きだった私は、その CD も購入した。
もちろん、森山良子 というシンガーのことは知っていたが、
森山良子といえば、『この広い野原いっぱい』 のイメージが強く、
おとなしめの優等生フォークシンガーという印象だったこともあり、
それまで積極的に聴いたことがなかった。
その清純なイメージは、『手の中に・・・』 でも 変わらなかったが、
美しく澄んだその声を、私は好きになった。
といっても、ベスト盤をレンタルして聴いてみたぐらいで、
それ以上、聴くことはなかった。
昨年暮れ、あるミュージシャンと飲んでいて、
その方が、森山良子の話をした。
酔っ払っていて、内容はほとんど覚えていないのだが、
「森山さんのコンサートは良い」 というような内容だった。
その時、(一度、コンサートに行きたいな〜) と思った私は、
その数日後、コンサートがないかチェックしてみた。
ちょうど、今年3月から始まるコンサートツアーがあり、
4月11日の東京公演のチケットを申し込んだ。
なんと、前から3列目の真ん中あたりという、特等席が取れた。
前書きが長くなったが、今日は、そのコンサートに行ってきたのだ。
会場は、渋谷 オーチャードホール。
2部構成で、1部はニューアルバムからの選曲。
休憩をはさんで、2部は、ヒット曲やJAZZもまじえての選曲。
結論から言うと、期待以上に素晴らしかった。
おとなしい音楽を想像していたが、曲によっては、
激しく、パワフルで、踊りながらというものもあり、
良い意味で裏切られた感じ。
今年、61歳とは思えない。
(というか、昨年の小田和正でも そんな風なことを思ったが、
結局、還暦を迎えてもまだまだ若く、元気で十分やれる、
ということなのだな。もちろん、健康であればだけど。)
TVで観るより、彼女はずっとパワフルで、
まじめでおとなしい人と 勝手にイメージしていたが、
ひょうきんで、おちゃめな MC で笑わせてくれた。
エンターティナーなのだな。
バックバンドも素晴らしかったし、何よりも歌がうまい。
今年1月、孫が生まれたそうで、
彼女自身が、平和で幸せな人であるから、
こんな歌が歌えるのだと感じた。
また、歌を聴きながら、こんなにも多く人のことを
思い浮かべたコンサートもなかった。
そういう意味でも、良いコンサートだった。
いや〜行って良かった。正解。
サポートメンバー
ギター:三好"3吉"功郎
ベース:佐藤慎一 (パンフレットによると納浩一の日もあるようだ)
キーボード:古川初穂
ドラムス:藤井摂
インターネットって、ホントに凄いな、と思うのは、
こういうのを簡単に発見した時。
↓
森山良子・玉置浩二 「手のなかに」
2009.4.13
Laguna Moon Live
昨日は、Laguna Moon の LIVE だった。
お出でくださった皆さん、bar dAZE の皆さん、ありがとうございました。
昨日は、初めての試みがふたつあった。
ひとつは、梅林さんがソプラノ・サックスを吹いたこと。
彼は、アルト・サックスが本職なのだが、このユニットでは、
アルト・フルートとギターというコンセプトで、3年間やってきた。
私は、以前から (サックスも吹いて欲しいな) と思っていたので
実現してうれしい。
もうひとつは、ギターデュオ Mellow Flavor の相方、山ちゃんを
ゲストに迎えて、3人での演奏。
これも、以前からいつかやってみたいと願っていたことなので、
実現して良かった。
3人だと強力だな、と私は思ったが、聴いていた人達は
どうだったのだろう。
LIVE の後、3人で 音楽談義、JAZZ 談義に
盛り上がり、気がついたら、2時過ぎだった・・・。
クライマーズ・ハイ
1985年8月12日の日航ジャンボ旅客機墜落事故を取材する
地元新聞社 (架空) のデスクの物語。
感想は、ひと言で言うと、
「私には、新聞記者はできない」。
ま、当たり前だけど。
あんな風に毎日、命を削って働くなんて、とても無理。
スクープ記事を書くことが、どうしてそんなに重要なのか、
私のような スロウな人間には 分からない。
ところで、あの事故のことは、よく覚えている。
当時23歳、プラスチック工場で夜勤のアルバイトをしていた。
朝8時すぎ、毎日夜勤明けの車の中で、浜村淳のラジオを
聞いていた。
事故からしばらくは、毎日その話題が続いた。
忘れられないのは、事故から数日後、ヴォイス・レコーダーが
発見され、パイロットの墜落 (衝突) 直前と思われる叫び声が、
録音されていたという話。
その話を聞きながら、強烈に胸を締めつけられ、涙がこぼれたことが
忘れられない。
(後日、それは、衝突直前の悲鳴ではなかった、と訂正されたが。)
今作は、事故を描いた映画ではないが、
やはり、事故のすさまじさが表現されている。
原作者、横山秀夫は、当時、現地群馬県の地方新聞社の記者として、
御巣鷹山に登ったらしい。
映画の新聞社は架空だが、言ってみればあそこにいた人なのだ。
原作は読んでいないが、きっとリアルなんだろうな。
映画としては、聞き取りにくいセリフが多かったのが、
残念だが、2時間25分を長く感じないほどの緊張感。
ちょっとテーマが、ぼやけた感がしないでもないが、
地方新聞社の中央への嫉妬、コンプレックス、スター記者へなること、
スクープを抜くことへの執念みたいなものは、痛いほど伝わってくる。
1985年、まだ携帯もパソコンもなく、足で、原稿を運んだ時代だ。
2009.4.15
覚えない
JAZZ というのは、面白く、深い音楽だ。
先日、フルートの梅林さんが興味深いことを言っていた。
彼は、たくさんの曲を覚えているようなので、
「全部、覚えているのですか?」 と訊いた。
その答え。
「覚えてないよ。覚えると忘れるでしょ。」
確かに。
覚えると、しばらく演奏しないと忘れる。
しかし、それは、曲を忘れたのではなく、コード進行を 忘れるのだ。
忘れるのは、音楽ではなく、概念なのだ。
なので、覚えなければ、忘れることもない。
曲は、知っているのだから、サウンドの流れに身を任せれば、
(コードを) 覚えていなくても演奏は出来るわけだ!
なるほど!
と言っても、どうして良いか分からない。
ここから先は、才能か?
2009.4.18
守屋純子 Three Saxophones
昨日は、渋谷 JZ Brat へ 「守屋純子 Three Saxophones」 を
観に行ってきた。
メンバーは、守屋純子(p)、近藤和彦(as,ss)、小池 修(ts)、
宮本大路(bs)、高瀬 裕(b)、安藤正則(ds)。
守屋純子の音楽は聴いたことがなかったが、
2005年、セロニアス・モンク・コンペティション作曲部門で、
東洋人としてまた、女性として初の優勝を果たしたことは、
雑誌の記事で知っていた。
今回、たまたま、 JZ Brat の招待券をいただいたので、
行ってみることに。
音楽は、編成からして、私が普段聴くものとは違っていて、
演奏される曲も 「スタンダードで〜」 と紹介されても
知らない曲ばかりだったが、3本のサックスのアンサンブルは、
美しく、楽しかった。
特に彼女のオリジナルと紹介された曲が、印象に残った。
なるほど、作曲部門で優勝するわけだ。
が、CDではなく、彼女の著書 「なぜ牛丼屋でジャズがかかっているの?」 に
サインをしてもらって、買ってきた。
2日続けての JAZZ LIVE。
今日は、Blue Note へ、FOURPLAYを観に行ってくる。
2009.4.18
FOURPLAY
FOURPLAY は、Bob James (key)、Larry Carlton (g)、
Nathan East (b)、Harvey Mason (ds) の4名からなる Fusion Band。
今日は、彼らの LIVE に行ってきた。
Bob James 以外のメンバーは、それぞれ 別々にナマで聴いたことが
あるが、このバンドで聴くのは初めて。
スムースジャズ、フュージョン界のスーパーバンドらしく、
6日間、12公演もあるのに、会場 Blue Note Tokyo は、満席。
もう、メンバーが登場しただけで、凄い歓声、盛り上がり。
よほどのファンなのだろう、まだ演奏してないのに立ち上がって
拍手している人も数人。
演奏の方はと言うと、当たり前だが、さすがに上手い。
以前、確か 「このバンドにはリーダーがいない」 とメンバーの
誰かのインタビュー記事を読んだ記憶がある。
バンドのリーダーはいないのかもしれないが、
ステージを観ると、Nathan East が中心のような印象を受けた。
4人とも世界の一流なのだが、特に Nathan のプレイが光っていた。
残念ながら、Larry Carlton は、イマイチな場面が数回あった。
彼らの曲は、アンサンブルを考えられたものが多く、
JAZZ にしては、アドリブが短かいと感じた。
FOURPLAY は結成当時 (1990年)、ギターが Lee Ritenour だったが、
1998年に Larry Carlton に交代した。
Lee Ritenour が抜けた後、Jonathan Butler も候補に挙がっていたらしい。
Jonathan でも面白かっただろうな。
2009.4.19
ラースと、その彼女
アカデミー賞脚本賞に ノミネートされた作品。
原題 : LARS AND THE REAL GIRL 。
心に深い傷を負っていて、人付き合いができないラース。
ある日、兄夫婦の家に、彼女が出来たと連れてくる。
なんとそれは、等身大のセクシャルな目的の人形。
兄夫婦は、始め戸惑うが、医者の言うとおり、
その人形、ビアンカを人として扱うことにする。
やがて、町の人々も ビアンカを 人として扱いだす。
そんな中、ラースは少しずつ、癒され 立ち直っていく。
良い映画だ。
悲しいわけではないのに、説明のつかない涙がこぼれる。
人間の素晴らしさに触れるからだろうか。
現実だとしたら、そこまで周囲の人の協力はないだろう、と
思う場面もあるが、これはファンタジーなので、そこは良い。
説明くさくないところも良い。
(このシーンは、こういう意味だろう) と、観ている者の
想像力をかきたてる。
役者陣も音楽も GOOD。
画家と庭師とカンパーニュ
原題:DIALOGUE AVEC MON JARDINIER/
CONVERSATIONS WITH MY GARDENER
フランス映画。
パンに 「カンパーニュ」 という名前のものがある。
予告編を観て、画家と庭師の話だとは知っていたが、
邦題に 「カンパーニュ」 と付いているので、パンが重要な役割かと
思って観たら、「カンパーニュ」 とは、フランス語で田舎や田園という
意味だったようで、パンは関係ない。
田舎風のパンのことは 、正確には、「パン・ド・カンパーニュ」 と言うようだ。
勉強不足。
映画は、数十年ぶりに会った男二人、画家と庭師の友情物語。
劇的なストーリーというわけではないが、
観終えて、すがすがしく心洗われる作品。
こんな友人を一生に何人持てるのだろうか。
パリ郊外と思われる、田舎の風景も良い。
ちなみに これがパンの カンパーニュ(写真提供 Panetteria ARIETTA )
2009.4.20
なぜ牛丼屋でジャズがかかっているの?
先日、著者 (守屋純子) のライヴ会場で購入した本、
「なぜ牛丼屋でジャズがかかっているの?」。
読みやすい内容で、ほとんど一気に読み終えた。
タイトルからして、数年前に読んだ 「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」
のような内容を勝手に期待したが、
なぜ牛丼屋でジャズがかかっているについては、
冒頭の2ページで触れられているだけだ。
あとの内容は、牛丼屋とは関係ない、彼女のジャズとの出会いであったり、
プロになるまでのエピソードであったり、外国へ演奏旅行に行った
紀行文であったり、色々だ。
普段知ることができない、プロミュージシャンのナマの声なので
中々面白かったし、勉強にもなった。
国による、JAZZへの関わり方の違いとかも興味深い。
興味のある方はどうぞ。
なぜ牛丼屋でジャズがかかっているの?
2009.4.22
路上演奏
今日は、山ちゃんとギターデュオ、Mellow Flavor で、
久しぶりに路上演奏。
夜9時ごろから、五反田の駅前で演奏を始めたら、
1時間ぐらいで、警官に 「苦情が来ていますので・・・」 と
止められた。
駅からちょっと離れたところに移動し、演奏していたら、
やはり1時間ぐらいで、別の警官に 止められた。
今度は、名前、住所、生年月日、電話番号まで聞かれた。
やはり、「苦情がきましたので・・・」 と言われた。
ギターだけで、そんなにうるさいわけでもないのに
一体、誰が苦情を言うのだろうか。
本当だとしたら、公道でそういうことをしているだけで、
許せない人達がいるんだろうな。
「本当だとしたら」 と書いたのは、本当に苦情が来るとは
思えないような場所で演奏していたからだ。
でも、警官の口ぶりは2度とも、「苦情が来ているので、
指導しないわけにはいかないので」 という風だった。
確かに苦情が来れば、警察は動かなければならないもんな。
投げ銭は、3300円ぐらい集まった。
1000円札を入れてくれた方が、2人もいた。
一人のおじさんは、3〜4曲聴いて、1000円入れてくれたけど、
もう一人の女性は、通りすがりに1000円入れてくれた。
感激。
2009.4.23
ワインの試飲会
仕事で ベーカリーに関わっていることは、何度か書いたが、
今後、ベーカリーだけではなく、カフェやレストランなどにも
関わっていく可能性が出てきた。
久しぶりに会った京都の友人にそんな話をしていたら、
「だったら、オーガニックのワインを輸入している会社を
同級生がやっているから、紹介しよう」 と、
京都に本社、渋谷に東京オフィスのあるワイン輸入商社を
紹介してくれた。
今日は、その会社主催のワイン試飲会に行って来た。
会場は、銀座のホテルの一室。
ワインの試飲会なんて、初体験。
白、赤、ロゼ、スパークリング、合計40本近くのワインが出品されていた。
私は、結局8種類ほど飲んだだけで、ギブアップ。
続けて何種類か飲むと、味が違うのは分かるけど、
どれがおいしいのか分からなくなってくる。
正しい試飲の仕方を知らないし (そんなものがあるのかどうかも知らない)、
私は元々、ワインに詳しいわけでもないので、
よく分からなかっただけかもしれない。
とはいうものの、時々、「このワインはうまい!」 というものに
出逢うから、味が分からないわけではないだろう。
今日飲んだワインは、フランスのもので、価格も2000〜5000円ぐらいが
多く、オーガニックだと高いんじゃないかと思ったが、それほどでもなかった。
今回は、すぐにビジネスと結びつくわけではないが、今後何かの時に
役に立つだろう。
そんな感じで、飲食店の内装専門の業者、商業店舗の仲介業者、など
今まで接点のなかった方々と会う機会が増えてきた。
これから、面白いことになるぞ。
2009.4.25
ほめられたい?
色んなサイトがあるもんだ。
ほめられサロン。
半ば、くだらないと思いつつも、悪い気はしない。
一度、試してみて。
↓
ほめられサロン
2009.4.25
ベートーベン・ウィルス
妻は、ほとんど毎日のように韓国ドラマを観ている。
そのうち、韓国語を話し出すんじゃないかと思うほど。
彼女に言わすと、日本のドラマよりも役者も上手いし、
ストーリーも良くできているらしい。
私は、韓国ドラマに興味がないのでほとんど観たことがない。
TVで 『宮廷女官チャングムの誓い』 を少し観たぐらい。
で、ふだん勧めない彼女が、
「これは面白い。観ないと後悔する」 とまで言ったのが、
『ベートーベン・ウィルス〜愛と情熱のシンフォニー〜』。
まあ、「観ないと後悔する」 というのは、おかしな文章で、
後悔しようがないのだが。
で、観ました。
全18話。
面白くないわけではなく、それなりに面白いのだが、
特別凄いわけでもない、と感じたので、半分見終えたあたりで、
どこが、そんなに面白いのか妻に訊いてみた。
すると、私が思いつきもしないような独自の解釈を
彼女は語り始めた。
やっぱり・・・。
2009.4.28
グラン・トリノ
クリント・イーストウッド 主演 兼 監督作品 『グラン・トリノ』。
クリント・イーストウッドは、来月で79歳だ。
この作品で俳優業は引退し、今後は監督業をメインに
活動するらしい。
さて、『グラン・トリノ』。
良い映画だったのだが・・・
1時間20分あたりで、便意がピークに達し、
やむなくトイレへ。 トホホ・・・
(なんで、こんな時に〜) と思いつつ、座席へ戻ると、
ストーリーが展開した後。
どうも、起承転結の 「転」 あたりで、席をはずしてしまったようだ。
最悪。
それでも、ラストはグッときた。
もう1回 ちゃんと観たい。
音楽 (息子のカイル・イーストウッド) も良かった。
2009.4.29
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
外苑前で開催されている、ダイアログ・イン・ザ・ダーク (以下DID) に
参加してきた。
「目以外の何かで、ものをみようとしたことがありますか?」
DID のパンフレット、一行目のコピーだ。
DID は、8人のグループと
アテンドと呼ばれる案内役で 約90分ほど、
真っ暗闇の中を 探検していくプログラム。
パンフには、「ソーシャルエンターテイメント」 と書かれている。
アテンドは、視覚障害者。
参加者は、一緒に行った妻以外は、初対面の人達だ。
真っ暗闇は、文字通り 真っ暗闇で、通常の生活では、
体験することのない暗さだ。
自分が、目を開けているのか、閉じているのか分からないほど
本当の闇だ。
ふだんの生活で、夜、明かりを消したとしても、少しは光があるので
ぼんやりとは見えるだろう?
でも、DID の中では、自分の手を目の前に持ってきても全く見えない。
その中をアテンドとグループの人たちの声を頼りに 進んでいく。
ただそれだけのことの中に、驚くのほどの 感動と発見 がある。
これをお読みの皆さんにも ぜひ参加して欲しいので、
あえて、私の感想やくわしい内容は書かない。
アテンドが、「これで終わりです」 と言ったときに、
(え〜!もっと続けたい!) と思ったほどの体験だ。
ウェブサイトのトップページに
「ずっとまっくらな中にいたくなる」 と書かれているのは、
大げさな宣伝文句ではない。
ぜひ、体験してみてください。
素晴らしいです。
DID は、1989年にドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの
発案で生まれ、今まで世界25か国・約100都市で開催され、
2009年現在で600万人以上が体験したという。
日本でも1999年以降、毎年開催され、約3万6千人が体験したということだ。
私は、たまたま、いつも読むブログで知ったが、
特別 コマーシャルしているわけでもなさそうだし、
知る機会も限られている。
知ることが出来て、参加出来て良かったと心から思えるものだ。
詳しい案内と、申込は、こちら → ダイアログ・イン・ザ・ダーク
バーン・アフター・リーディング
前作 『ノーカントリー』 が少々難解だった、コーエン兄弟の作品。
ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、ジョン・マルコビッチ、
フランシス・マクドーマンド、ティルダ・スウィントン、と超豪華キャスト。
で、おバカなストーリー。
コメディなのだろうが、日本人にはあんまり笑えない感じ。
所々、面白かったけど。
印象に残ったのは、ブラピの使い方が贅沢やなぁ、ということと、
彼の演じるおバカキャラぶり、と彼の見た目の若さ。
20代に見えたけど、45歳だからね。
メイクだろうけど。
全体的にあんまり緊張感のない映画だった。
同じストーリーで、もっと面白くできただろうけど、
これがコーエン兄弟の 「味」 なんだろう。
2009.4.30
ダイアログ・イン・ザ・ダーク その2
昨日は、ダイアログ・イン・ザ・ダークの感想をひかえたのだが、
やっぱり、少し書いておきたくなった。 (自分のためにも。)
たくさんの驚き・感動と発見があったのだが、
まず、暗闇は怖くない、ということ。
時々、目が見えなくなったらどうしよう、とか、
光がない世界なんて怖い、とか、考えることがあったが、
もしかしたら、光がない世界は、怖くない。
「もしかしたら」 と書いたのは、本当に視力を失った時にどうかは
分からないからだが、少なくとも昨日の90分間は、怖くなかった。
光を失うことへの恐怖、
それは、光のある世界にいて、「光を奪われる」 と思うから、
恐ろしいのであって、
光がある世界と、光がない世界が、全く別のものだとしたら、
恐怖など存在しないのではないかと思ったのだ。
その全く別の世界を DIDで体験した。
そして、目が見えることで、いかに余計なことを考えるか、
ものごとの本質と関係のないことに支配され、影響されているか、
を体験した。
私たちは、視覚による情報が、いかにも重要であることのように
生きている。
が、いったん、視力を失ったとたん、そのほとんどに意味がなくなる。
ルックスがどうか、何色の服を着ているか、そんなことに意味はない。
(着ている服の色が心理に影響がある、という研究をTVで
見た覚えがあるが、視覚障害があってもそうなのだろうか?)
そして、人との関係だ。
DID の中では、人 (しかも初対面の知らない人) と、
かなり近い距離にいた。
おそらく、明るかったら耐えられないほど、近くに。
しかし、暗闇の中では、むしろその方が、安心感があるのだ。
明るいところにいたら、発生し得ないであろう、親近感を体験した。
それから、音。
明るいところにいると、音と音を出している物質を、常に一体として
認識しているが、見えないと音だけが存在する。
あたりまえの事だが、これも体験したことのなかったこと。
空中に音だけが、存在するのだ。
不思議。
暗闇から出てきたときに、ごちゃごちゃした現実に引き戻された
落胆に近いものを感じた。
まさに 「ずっとまっくらな中にいたくなる」 。
もうひとつ、アテンド (案内役) が素晴らしかった。
昨日、私たちの担当に当たった方は女性で、
生まれつきの視覚障害と言っておられたが、
ほんの短時間に8人の名前を覚え、
誰がどこにいるか、まるで見えているかのように
案内を進めていく。
彼女の案内を受けていると、
彼女の視覚以外の感覚が、研ぎ澄まされているのが、
よく分かる。
私たちは、見えることで、多くのことを見失っているんだ。
視覚に頼りすぎ。
もっと違う感覚を使お。
でも、どうやって?
参加費は、8000円で、曜日、時間によっては割引があり、
4000〜8000円と開きがある。
平日の昼間は安いので狙い目。
ちなみに、昨日は祝日だったが、17:20スタートの回で、
6000円だった。
完全予約制なので、詳しくは 公式サイトで。
う〜む、しばらくしたらもう一度参加したい。