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つつみしんやのひとりごと 2014年 11月
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2014.11.1

ジャック・ブルース 逝く

早いなぁ、もう11月や。

今年もあと2ヶ月・・・。

さて、またもや、ミュージシャンの訃報だ。

10月25日、ベーシストの Jack Bruce が

逝ってしもた。

享年71歳。

ニュースには、「長い闘病生活の末」、

「肝臓の病気を患っていた」 とあるが、

いつ頃からだろうか。

というのも、一昨年8月、ジャック・ブルース (b)、

Char (gt)、屋敷豪太 (drs) の トリオの

ライヴを観たのだ。

その時のエントリ―が これ

もしかしたら、あの時には既に悪かったのかもしれない。

ジャック・ブルースといえば、エリック・クラプトン、

ジンジャー・ベイカーとのロック・トリオ、

クリームが有名だが、個性の強い3人のバンドで

長続きしなかった。

1966年から68年の2年間の活動だったが、

3500万枚のアルバムを売り上げたという。

R.I.P.




春風亭一之輔 独演会
2014 落語一之輔 一夜


昨日は、ひと月ぶりに落語を聴きに行った。

会場は、よみうり大手町ホール。

今年オープンしたらしい新しいホールで、

キャパは、500人程度。

見るからにクラシック音楽用に作られたような

ホールだが、各席には簡易のデスクも備えられており、

コンサート以外にも使えるようになっている。


さて、この 春風亭一之輔 独演会は、

5年間やる予定だという。

今年は一夜だけだが、来年は二夜、再来年は三夜と

一夜ずつ増やしていくと5年でちょうど十五夜になる

企画のようだ。


一之輔のことは、今年4月に 「雛鍔 (ひなつば)」 を

聴いて、ファンになって以来、昨日で3回目の独演会。

この人は奇才だな、やっぱり。

21人抜きの真打昇進も納得だ。

「文七元結 (ぶんしちもっとい)」 は好きな人情話だが、

意外なことにナマで聴くのは初めてだった。

一之輔が一席目のマクラで 「文七元結」 を

やりたくないようなことを言っていたのは、

難しいということなのだろうか。

もしかしたら、あまり好んで演られないのかもしれない。

江戸っ子の、ええ噺やねんけど。


仲入りのあとは、

落語ではなく林家正楽という人の紙切り。

地味な演芸のようだが、

芸自体はホントに素晴しい。

作品が出来上がるたびに会場からは、

「おおぉぉ〜」 という声がもれる。

下書きもなく、ハサミだけを使って

あれだけのものを数分のうちに切るのは、

芸術だと思う。

あんなもん、練習で身につくものではないだろう。


【演 目】
「附子(ぶす)」 三笑亭夢吉 (二つ目)
「蝦蟇 (がま) の油」 春風亭一之輔
「青菜」 春風亭一之輔
〜 仲入り 〜
(紙切り) 林家正楽
「文七元結」 春風亭一之輔

@ よみうり大手町ホール


(追記)
一之輔が 「文七元結」 を嫌がっていたわけは、
この日が初演だったからのようだ。





2014.11.2

イタリア旅行 2
イタリア・トイレ事情


初めてのイタリアは、たくさんの発見や

驚きがあった。

アマルフィの美しさ、ポンペイやローマの遺跡の

壮大さ、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の迫力と

厳かさも書きたいが、それ以外にも

この 「ひとりごと」 ならではのイタリア事情を

紹介したいと思う。


まずは、トイレ。

やはりトイレは文化やから、押さえとかなな。

旅行会社から もらった小冊子には、

イタリアには、公衆トイレが少ないこと、

有料トイレがあること、公衆トイレには

便座がないものがあることが書かれていた。

そして、便座がないことについて

「少々覚悟が必要です」 と書いてあった。

どんな覚悟やねん、と思っていたのだが、

1日目、バーリ空港のトイレでいきなり

そいつに出会った。



これ、空港のトイレですぜ。

妻に聞くと、女性用トイレにも

便座はなかったそうだ。

同じくバーリ空港のトイレの小便器。



写真では分かりにくいが、かなり高い位置に

設置されており、子供には無理だな。

私は身長が174センチだが、便器まで

5〜6センチほどしか余裕がなかったので、

小柄な160センチぐらいの日本人には、

使えないだろう。

私の足が短いだけかもしれないが。

小便器の高さは、ここだけではなく、

行く先々でそうだったので、もしかしたら

イタリア全体がそうなのかも知れない。

子供用に1つだけ低いのが設置してあるところも

あったけどね。


これは、ナポリからカプリ島へ行くために乗った

船のトイレ。



やはり便座はない。


カゼルタの王宮のトイレ。



これまた便座はない。


次は、アマルフィからローマへバスで移動中、

休憩のために寄ったガソリンスタンドのトイレ。

便座はあったのだが・・・。




ホテルのトイレは、もちろん便座付きだ。

安心してね。

ローマで泊まった Grand Hotel Palatino のトイレ。




それから、ローマの三越のトイレ。

さすがに日本企業のトイレは優秀だ。

もちろん、便座付きで きれい。

 

三越は、ハンドドライヤーがダイソン製。





初めて見たよ、ダイソンのハンドドライヤー。

さすがはダイソン、風が強力でした。


バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の外にあったトイレ。



ここのトイレもきれいでした

便座もついてたし。


有料トイレは2度使用した。

確か、有料トイレには便座があったように思う。

これは、アルベロベッロの有料トイレの

入口に貼られていた料金表。



使用料は、50セント (約70円)。

DOCCIA (ドッチャ) は、シャワーのことで、

料金は 2ユーロ50セント (約210円)。


これは、カプリ島で入った有料トイレ。



きれいでした。


小便器の位置が高いと書いたが、

アメリカに行ったとき、便座に座ったら、

高くて足がつかなかったことがあったなぁ。

高くて座るのにも苦労したっけ。

アメリカには、高い大便器もあるのだ。

外国に行くと、日本のトイレの素晴らしさが

よく分かります。


ちなみに私は覚悟がないので、

便座のないトイレでは、用を足しておらず、

その体験レポートはできません。

あしからず。





2014.11.2

イタリア旅行 3
自動車事情


イタリアの自動車は、小型車が多かったな。

ほとんど小型車。


渋いね〜




これは新しそう



プジョー(フランス)



ヨーロッパらしい



これまた渋い


メーカーは、フィアットやアルファロメオは

分かったが、イタリアの車メーカーを

知らないので他は分からない。

フェラーリやランボルギーニなどは、

街中を走っておりません。

意外と日本車は少なく、滅多に見なかった。

トヨタ。




結構、多く見たのがスマート。



メルセデス・ベンツの2人乗り小型車だ。


それからミニ (BMW) も割と見たけど、

ミニが大きく感じるほど小型車が多かった。


イタリアで小型車が人気なのは、

道路事情、経済的問題など

いくつかの要因があるようだ。


日本では見かけなくなったが、

結構走ってたのが三輪車。


アルベルベッロで



カプリ島で



カプリ島で



マテーラで



ローマで

さすがにローマでは少なかったけど。





2014.11.3

イタリア旅行 4
駐車場事情


イタリアでは小型車が多いことは書いたが、

駐車場の問題も小型車が多いことと

関係があるのかもしれない。

というのは、どうも駐車場が

足りていないように感じたのだ。

コインパーキングのようなものは、

見かけなかったし、田舎はさて置き、

都会では駐車場がないので、当然路上駐車が増える。

ローマでは、停めるところが少ないためか、

キチキチに詰めて駐車している。

「どうやって、車出すんやろ?」 という感じだ。

当然、小さい車の方が駐車しやすい。

添乗員さんの話によると、

イタリアでは、サイドブレーキは引かないらしい。

キチキチに詰めて駐車するため、

車を出すときは、前の車と後ろの車に

自分の車を当て、押して隙間を広げ

車を出すというのだ。


完全に ひっついてます。
  ↓



向きも関係ありません。
  ↓



横向きにだって停めちゃいます。
  ↓



もちろん、駐車していない道路もあったし、

駐車禁止の表示も見かけました。
  ↓





痛風物語 2

イタリア旅行に行く4日前に痛風を発症した。

尿酸値が高いことの自覚はあったが、

発症は初めてのこと。

風が吹いても痛いとはよく言ったもので、

確かに痛くて、医者へ行くのにもスローモーションの

ようにしか歩けなかった。

薬を飲むと全く痛みを感じなくなったから、

薬ってスゴイし、ある意味怖いよね。


さて、痛風などというものは、

日常の不摂生、自己管理不行き届きの果だと

自分を戒めるしかないのだが、

もし、発症が4日遅れて、旅行の初日だったら、

確実にこの旅行はキャンセルだった。

当日キャンセルの場合、たぶんお金は1円も

戻らないんじゃないかな、

ちゃんと調べてないけど。

あるいは、5日6日ずれて、旅行中に発症したと

考えるとぞっとする。

ツアーだったので皆さんに迷惑をかけることになるし、

言葉の通じない病院での診察は、

それだけでも気分を萎えさせる。

そんなわけで、旅行4日前の発症は、

旅行に行っても大丈夫だと確認できる期間もあり、

私は運が良かったと思うに至ったのだ。


発症から2週間。

ずっと薬 (痛み止め) を飲んでいたが、

この3日間は飲んでいない。

昨日一昨日は痛みも全くなかったが、

今日は、少し痛む。

発症日 (10月18日) に血液を採ったので

昨日、結果を聞きにクリニックへ行ってきた。

驚いたことにずっと高かった中性脂肪値は、

正常になっていた。

といっても正常値 「35〜149」 のところ、

私の値は、「149」 なのだけど。

昨年9月の健康診断時には 「223」

今年の5月でも 「162」 あったのだから、

「149」 には、ビックリだ。

ドクターいわく、尿酸値以外は全て正常とのこと。

その尿酸値、よっぽど高かったのかと思いきや、

「8.2」 だった。

「8.2」 は、5月の健康診断時と同じ。

過去には、「9.3」 や 「9.7」 という時も

あったことを考えると、やはり、「7.0」 以上が

何年も続いた結果の発症ということだろう。

(尿酸値は、「7.0」 までが正常値。

人によっては 「6.5」 で発症することもあるらしい。)


これからは、尿酸値を下げるための治療なのだが、

薬に頼ると薬を飲んでいるという安心感から、

あまり食生活に気を配らないような気がして、

とりあえず3ヶ月間、薬に頼らず、

自力でやることにした。

3ヶ月後に尿酸値が下がっていなければ、

薬を飲むしかない。

でも、たまには美味しいものも食べたいし、

お酒も飲みたいなぁ・・・。





2014.11.4

イタリア旅行 5
イタリア人事情 その一

第2次世界大戦時には、日独伊三国同盟を結び、

日本とイタリア、ドイツは仲間だったわけだ。

ドイツ人と日本人は、勤勉・真面目というところが

共通しているし、イタリア人と日本人はハートフルな

ところが似ていると、旅行中に添乗員さんから聞いた。

イタリアと日本は、島か半島かの違いはあれど、

緯度も似たようなもんで、四季もあって気候も近い。


イタリア人は、基本的に人懐っこいと聞いた。

そして、家族や友達・仲間を大切にすると。

戦争に行くぐらいなら、家族といたいと、

脱走兵が多かったという ホンマか嘘か分からん話もある。

駐車した車を出すのに前後の車にボンボン当てて、

隙間を作るという話からも分かるように、

結構、ええかげんというか、ゆるい人達のようだ。

ちょっと南国風。


イタリア軍については、こんなジョークがある。

日独伊の捕虜がいた。
ドイツ軍は逃げ方を模索し、日本兵は自決、
イタリア兵は静かに捕虜同士で子供を作っていた。

他国がしのぎを削って兵器開発をしている間に、
戦場で美味しいものを食べるために
フリーズドライ製法を開発した。

軍隊の備蓄のワインが弾薬よりも多い。

イギリス軍兵士がイタリア軍に捕虜にされた際、
将校も兵卒も例外なくフルコースを振舞われた。
将校は処刑前の最後の晩餐かと諦めてさえいたのに、
将校用にワインが付いてなかったことを後で丁重に
謝罪までされた。

潜水艦に乗っているのにも関わらず、
まともな照準器すら付いていない英国の漁船に敗北した。

ナポリの港で軍艦を盗まれた。

中東戦争中に乗っていた戦車を泥棒に盗まれた。



元ネタ はこちら


ちょっとバカにされている感がないでもないが、

そういう 大らかな人たちなのだ。

上記のジョークにも見て取れるが、

イタリア人の基本は、イタリア語で

「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ」
(Mangiare, Cantare, Amore)

意味は、「食べて、歌って、愛して」。

それが、イタリア人の人生観。

うまいもん食べて、歌って、愛し合う人生。

ええよなぁ。

けっして、「一生懸命働いて」 などという風ではない。

多くのイタリア人が、「宝くじ当たれへんかなぁ」 と

生きているという。

そのあたり、かなり私に近い。

そんなわけで、どうも憎めないのがイタリア人なのだ。


つづく。




イタリア旅行 6
カンツォーネ


先日、旅行から戻り9日ぶりに出社したら、

コロッセオの切手を貼った郵便物が届いて

驚いたと書いたが、今日は勉強を見ている

中学2年生男子が、何度も 「サンタルチア」 を

イタリア語で歌っていた。

私がイタリアに行ってきたことを

話したせいもあったかもしれないが、

何でも近々独唱のテストがあるらしい。

最近は、中学生にイタリア語を丸暗記させ

歌わせているようだ。

どいうわけか、そんな風に私は

イタリア付いているのでした。


カンツォーネいいなぁ。

アマルフィを出たあとだったか、

添乗員さんがバスの中で、カンツォーネの

CDをかけてくれた。

それが、自分でもちょっと驚いたのだが、

何かに触れてしまったようで、

感動してうるうるしてしまったのだ。

日本人でも知っている有名なベタベタな

選曲なのだが、イタリアの空気の中で聴くと、

何とも言えないおおらかさと力強さを

感じたのであった。





2014.11.5

イタリア旅行 7
イタリア人事情 その弐


昨日の続き。

では、実際に接したイタリア人は

どうだったかのかを書こう。

まず、驚いたのがローマ空港でのこと。

入国の際、係員は私たちのパスポートさえ

見なかったのだ!

私たちが日本人団体旅行客だとわかると、

審査なしのフリーパス!

ええの? そんなんで!

この中に紛れてるかもしれんで、テロリスト。

そんなことは、ないのだけど、

添乗員さんいわく、

「赤いパスポートの威力です」。

もちろん、同じアジア人でも国際的に評判の悪い

××人はそうはいかないようだった。

いや、日本人はお行儀が良いとしても、

パスポートチェックもしないのは、

イタリアだからじゃないのか?

海外旅行経験が乏しいので、ほかの国で

どんな風なのか知らんけど。

出国時は、一応パスポートを見たけど、

スタンプは なし。

そういうわけで、私のパスポートには

成田での出国と入国のスタンプはあるものの

イタリアでの出入国のスタンプがないため、

どこに行ってきたのか分からないという

状態になっている。

それにしても、日本人がそれだけ

国際的 (イタリアだけ?) に認められているとしたら、

海外で日本人の評判を下げるような言動は

慎まなければならないと思ったのであった。


次にイタリアで感じたことは、道端やカフェで

話しているおっさんが多いこと。

日本では、井戸端会議といえば女性のことだと思うが、

イタリアで女性が話し込んでいるのは

ほとんど見なかった。

例えばこんな風。





これはアルベロベッロでの風景。

こんな風におっさん達が何やら深刻そうに話しているのだ。

このおっさん達を写真に入れて、と妻が言うので、

さりげなく妻をおっさん達の近くに立たせ、

撮影しているとおっさん達に気づかれた。





写真撮ってもOKかと聞くと、

この笑顔です。





ね、人懐っこいでしょ。


平日の昼間っから、一体何を話しているのかと思うが、

添乗員さん話のよると、皆、幼馴染らしいのです。

つまり、ず〜っと友達なのね。

イタリアは男社会で、女は家にいろ、というわけで

男たちが外で話しているということです。





2014.11.6

イタリア旅行 8
イタリア人事情 その参


イタリア人の人懐っこさは、

子供たちもこの通り。




考えてみると、ナポリやローマでは、

あまり子供を見かけた覚えがない。

この写真は、カプリ島でのショット。

中学校の休憩時間だったのだろうか、

窓から顔を出して騒いでいるので、

カメラを向けたら、こんな風。




次は、アルベルベッロのトゥルッリと呼ばれる

石の家に住むおじさん。




渋いね。

トゥルッリでは、16〜17世紀に建てられたもので

世界遺産に登録されている。

世界遺産に住んでいるというのもスゴイが、

わずかのチップで、観光客に家の中を見学させてくれるのだ。


マテーラでのショット。




「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ

(食べて、歌って、愛して)」 なのだ。


ローマの結構人通りが多い通りの歩道に

絵を描くアーティスト。(クリックで拡大)




こんなアーティストがいっぱいいるのだろうな。

日本やったら、間違いなく 警察に止められます。


同じくローマの観光客で賑わう通りで。




チップを入れると、奇声を上げながら

手に持った何かが入っている缶 (?) を振り、

音を出す。

ただ それだけなのだが、面白い。

楽な大道芸だ。


不思議だったのはこの人たち。(ローマ)




イタリア人には見えないが、

右手の棒の上に、人が座って

宙に浮いているように見える。

実は、これ、通りの反対から撮影したので、

近くで見ていないのだが、

上の人も顔の表情が動いていて

生きている人だというのは分かった。

近くで確認すればよかったな。

(上の写真をクリックすると大きく見れる別の写真が出ます。)



ローマのカフェでジェラートを食べ、

店の写真を撮っていたら、店員さんが

「自分を撮れ」 とポーズ。




このあと、奥の兄ちゃんもポーズをとったけど、

写真はキレイに撮れなかった。


イタリア旅行最後の夜はローマ。

ツアーで一緒だった、Yさん夫婦と食事に出かけた。

Yさんたちは東京在住で、年齢は私たちより

少し上で、とても品のあるご夫婦。

ご主人が、どこのレストランが美味しいか

ちゃんと調べて来られてて、何も調べていない

私たちは、ナポリでも一緒に食事をさせて頂いた。

イタリアでは、とにかく量が多いので、

2人だと2品しか頼めない。

人数が多いと色々シェアーできるので良いのだ。

ローマでは、以前、Yさんの娘さんが

新婚旅行で訪れた時に美味しかったというレストラン、

「DA FRANCESCO (ダ フランチェスコ)」へ。

ここは、予約がないと入れないような人気店。

予約時間に行ったけど、結局 20分ぐらいかな

店の前で待たされた。

店の用心棒みたいな大柄の男が

「あと5分」 とか言うのだけど、全くええかげん。

そのへんもイタリアらしい。

で、テーブルを担当してくれたのが、

何かが 池乃めだか似のこの人。




料理もサービスも笑顔も 最高でした。


全般的に、イタリア人は日本人のことを

好意的に思っているんだと感じたね。

こちらが日本人だと分かると、

知っている日本語を並べ立てたりして。

まあ、お金いっぱい使ってくれるということも

大きい要素だろうけど。

そんなこと関係なしに、日本びいきなのだろうか。

三国同盟のよしみで。


三国同盟といえば、

こんなジョークもあります。

ドイツ人が日本人に呼びかけた。
「次はイタリア抜きでやろうな」


(ドイツはイタリアに裏切られた歴史がある)

それに対し、日本人は30秒ほど考えて、
「遠慮しときます」

イタリア人が日本人に呼びかけた。
「次はドイツ抜きでやろうな」

それに対し、日本人は即答!
「嫌だ!」


元ネタは こちら

なんか、イタリア人は散々な書かれ方やけど、

今回の旅行で、私はイタリアもイタリア人も

大好きになりました。





2014.11.7

ジョゼと虎と魚たち

昨日、映画 「ジョゼと虎と魚たち」 を観てきた。

これは 犬童一心監督の2003年の作品で、

目黒シネマで、犬童一心監督特集として

「メゾン・ド・ヒミコ」 と2本立てをやっていたのだ。

「メゾン・ド・ヒミコ」 は 2008年に劇場で観たが、

「ジョゼと〜」 は観ていなかったのでこの機会に鑑賞。

(昨日は、「ジョゼ〜」 のみ鑑賞。)


11年前の作品とあって、主役の妻夫木聡が若い。

大学生役だ。

上野樹里、新井浩文も若い。

そして、ヒロインの池脇千鶴が良い。

とても良い。

舞台は、大阪。

原作は未読だが、田辺聖子の小説なので

原作でも大阪が舞台なのだろう。

池脇千鶴は大阪出身なので、大阪弁も問題なし。

これ、非常に重要ですね。

役者の下手くそな大阪弁ほど興ざめするものはない。

上野樹里も、大阪弁が自然だった。

「スウィングガールズ」 のイメージ (東北弁) が

強かったので意外だったが、調べてみると

兵庫県出身で納得。

妻夫木くんは、九州 (かな?) 出身の役なので

大阪弁は話さない。

新井浩文 (青森県出身) の大阪弁は微妙に変。

他にも数人 「やめてくれ〜!」 と

言いたくなるような大阪弁があった。

これは、減点ですわ。


さて、肝心の映画の内容の方だが、

途中まで、というか終わる直前ぐらいまで

すごく良かった。

★5つ確定っぽかったのに、

あの終わり方は、イヤやなぁ。

個人的には・・・。

以下ネタバレ。

恒夫 (妻夫木) は、身体障害者のジョゼ (池脇) を

捨てて、というか逃げるように 家を出ていく。

それはええねん。

若い2人に別れが訪れたのはしゃーない。

嫌やったんは、その後、元カノ・香苗 (上野) と

よりを戻していることが分かること。

そのくせ、恒夫はその香苗の前で、

ジョゼと別れてきたことに、

感極まって泣き出すねん。

香苗なしで、恒夫一人で泣いたら、

私もきっと一緒になって嗚咽を漏らしたと思う。

香苗は、可愛いけど ちょっとイヤな女やったし、

なんか、ジョゼを捨ててあの女のもとに行ったことが

すごくイヤやった。

まあ、非常に評価の高い作品なので

好みの問題なのでしょうけど。


くどいけど、池脇千鶴のジョゼは、ホントに良いです。

切なくて 胸を締め付けられます。


★★★★☆





2014.11.8

イタリア旅行 9
スーパー事情


旅先でスーパーマーケットに行くのは 面白い。

海外に関わらず、国内でも地方によって

売っているモノが違うのは興味深い。

妻の実家のある山形のスーパーマーケットへ行くと、

大阪や東京では見かけない食材が

売っていたりして、買い物をしなくても

見ているだけでも楽しめる。

特に海外となれば、なおさらだ。

イタリアでは、ナポリ、アマルフィ、

ローマで、スーパーマーケットへ行った。

写真はナポリの Carrefour (カルフール)という

スーパーマーケットでのもの。

Carrefour はフランスの

スーパーマーケットチェーンで、

日本にも進出してきたが、イオンに売却し

撤退したようだ。

まずは、これ。



柿だ。

4個で 1.16ユーロ。

日本から入ってきたらしく、

商品名もそのまま 「KAKI」。




意外だったのは、ズッキーニ。



日本では、1本あたり120〜150円ぐらいだと

思うが、1.98ユーロ (約270円以上) と高い。

赤ワイン1リットルの方が (Carrefour ブランドだが)

1.39ユーロ (200円以下) と安い。



1リットル、200円やで!

ほんまに、ワインは安い。


ほんでさすがはイタリア、

オリーブオイルやオリーブの瓶詰めの種類は、豊富。






写真は、並んでた商品のほんの一部。


チーズもこの通り。




ローマのスーパーで見かけた

パック入りの握り寿司。



あんまり食べたいとは思えへんなぁ。


日本ブランドは、ほとんど見なかったが、

唯一 グリコのポッキーが、「MIKADO」 という

和風 (?) なネーミングで売られていた。

ちゃんと 「Glico」 って書いてあって、

あのマークも入ってたよ。


あと、「イタリア人事情」 にも通じるけど、

レジの人がのんびりやね。

列が出来てても、急いだりしている風には

見えなんだ。

客の方ものんきなんでしょね。





2014.11.8

痛風物語 3

痛風を発症してから、3週間が経った。

尿酸値を下げる薬を飲んで 治療専念すべきところ、

薬はイヤなので、自力で取り組むことにした。

旅行から帰ってきてからこの10日間は、

野菜中心の食事を心がけ、

自分なりのいくつかのルールを設け、

食事の節制を始めた。

すると1週間で4キロ痩せた。

合わせてダイエットにも 取り組もうと思うが、

ここからは落とすのが 大変だろうな。

食事を節制していると書いたが、

会食の時は、お酒も食事も気にしないでいいように

(今のところ) 普段は結構ストイックな

節制にしている。


昨日は、お気に入りの

青山椿 (和食) での会食だったが、

出てくるものが凄かったね。

エビ、イカ、カニ、白子・・・。

これらは、痛風の原因となるプリン体を

多く含む食品だ。

そう、プリン体のオンパレード。

エビ、イカ、カニと続いて、

白子が出てきた時には、笑ってしもた。

つまりは、痛風になっていなければ、

これらを無意識に食しているということだ。

(昨日は、意識して食べたけど。)

美味しいものは、痛風患者の敵なのだ。

そら、贅沢病と言われるわな。


食事の節制だけでは、不安なので

何か良いサプリメントはないかと調べたら

色々あるわあるわ。

尿酸値を下げるといわれている栄養素は

いくつかあるのだが、中でも

アンセリンという成分が、効果が高いようだ。

面白いことに このアンセリンは、

マグロやカツオの筋肉に 多く含まれているらしい。

カツオといえば、プリン体高含有食品の代表の一つ。

マグロもプリン体は低くはない。

で、お値段もそれほど高くなく、

評判の良い、アンセリンのサプリを購入。

レビューを読むと、尿酸値が劇的に下がった人も

結構いるようで、効果が期待できる。

次回の検査が楽しみだ。





2014.11.9

春風亭小朝と清水ミチコの大演芸会
〜 落語とピアノバラエティー


これは面白そうだと思って、

大分前に チケットを取ったけど、

会場が サンシティ越谷市民ホール という

埼玉県のホールだった。

といっても、電車に揺られるのは

50数分のことで大して遠くもないねんけど。


小朝の落語は、3度目だったが

清水ミチコのステージは初めて。

たまにテレビで見ると面白いので、

舞台なら、テレビで見られない芸も

楽しめるだろうと期待。


まずは、春風亭ぽん吉 (前座) が、落語

「真田小僧 (さなだこぞう)」 を一席。

続いて小朝が、登場。

面白いけど、マクラ長いなぁと思っていたら、

それが 「越路吹雪物語」 という演目だった。

越路吹雪のことは、ほとんど知らなかったが、

彼女の歌を聴きたくなるような噺だった。

途中で 「愛の讃歌」 を流したり、

照明を変えたり、演出も憎いが

何より彼の話術の高さを感じた。

前座くんは、10分か15分ほどの演目の間に

これでもかというほど、かんでいたけど、

小朝は、水が流れるがごとく話していく。


15分休憩を挟んで、清水ミチコ ショー。

ステージ真ん中にピアノを置いて、

モノマネの弾き語り。

いやぁ、面白かった。

歌もピアノも上手い。

モノマネ100人やりますと言ってたけど、

100人はやってないかな。

某女優の音程を外す歌真似や、

森山良子など大爆笑だった。

それに、井上陽水、忌野清志郎、

美輪明宏、秋川雅史 など男性の声も出せる。

芸達者やなぁ。

休憩を抜くと、前座を含めて

正味95分ほどのショーで、

ちょっと物足りない気はしたけど

(小朝をもう1席聴きたかった)

十分、笑いました。




イタリア旅行 10
街の色々


イタリアで、何度か 「B&B」 と書かれた、

サインを見た。

写真は、マテーラのもの。



私は 何のことか知らず、

まさか昔の漫才コンビとは関係ないだろうとは

思ったが、実は 「Bed & Breakfast」 の略だった。

つまり、「お布団と朝食はありまっせ」 という

比較的低料金の宿泊施設のことなのだ。


これもマテーラで撮影。



ドアの右上の看板に注目。

アップにしてみると



そう 、「Shibuya」 と書かれた

カフェ・ミュージック・ショップだ。

この感じだとやはりクラブ系かな。


お次は、カプリ島の屋台のようなお店のメニュー。



右側のメニューをアップにしてみると。



日本語。

ローマには、日本語メニューを

おいているレストランもあります。


ローマは、海からは少し距離があるのに

なぜか (たぶん) カモメがいる。

何かエサでも探しているのだろうか。

早朝の裏通りでのゴミ箱にいたカモメ。



昼間の (たぶん) カモメ。





カモメと違うんやろか。


さて、イタリア旅行レポートも10回まで

来てしまったが、まだ数回分はネタがある。

もう飽きたという方もいるかも知れないが、

最後までお付き合いください。

これからは、いよいよ観光編だ。





2014.11.10

KENTO’S の思い出

先日、約30年ぶりにケントスへ行った。

正確には 1985年以来、29年ぶりだ。

なぜ、85年と はっきり覚えているかは

後述するとして、今回行ったのは、

六本木のケントス。

ケントスは、オールディーズの生演奏を

聴かせるライブハウス。

金曜日の夜だったせいか、

9時過ぎに入店するも ほとんど満席。

ちょうど、演奏が終わった直後だったようだが、

15分もすると、次の演奏が始まった。

すると、店内のダンス・フロアとは呼べない、

狭い通路で 次々とおじさん おばさんが、

踊りだした。

平均年齢60歳ぐらいでしょうか。

ネクタイしたおじさん達、フィーバーしてます。



なんかスゴイ。


ケントスは、80年代には全国展開していたようだが、

現在は、かなり店舗数は減ったようだ。

1985年に私が行ったのは、

大阪ミナミのケントスだった。

(残念ながら、大阪ミナミのケントスは、

1999年に閉店、大阪・梅田のケントスも

2011年に閉店したようだ。)

なぜ85年に行ったことをハッキリ覚えているか。

85年の10月から12月にかけて、私は、

まる2ヶ月かけて アメリカを西海岸から

ニューヨークまで、横断した。

当時、私は23歳。

夢と希望よりも 迷いに溢れた若者だった。

アメリカへの一人旅も 自分を持て余したすえの

選択だった。

ニューヨーク・アウトの1年オープンのチケット持ち、

いつ帰国するのかも決めず、

最初に泊まるロスのホテル以外何も決めずの旅。

英語も喋られない自分が どうなるのかも

不安だった。

その旅に出る少し前だったと思う。

私はある女性とミナミのケントスにいた。

たまたま、隣の席に座った人達 (男性1人と

女性2人の3人組だったような気がする)

と話が合い、近々アメリカへ一人旅に

出ることなどを、(たぶん) 熱く語った。

すると、その男性 (私よりは年上で

30歳前後という感じだっただろうか) が、

餞別だと言って、

その場でティッシュに包んだお金をくれた。

私は初対面の人の、その心に打たれ、

お酒も手伝って その場で泣き崩れた。

そんなことがあったので、

あの日のケントスのことは、よく覚えているのだ。


あぁ、青春。





2014.11.11

ネイザン・イースト
Nathan East


1955年生まれだから、

来年で還暦を迎えるネイザン・イースト。

ネイザンは、エリック・クラプトン、

マイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストン、

スティービー・ワンダー、チャカ・カーン、

ダイアナ・ロスなどなど、そうそうたるメンバーの

アルバムやステージでベースを弾いてきたベーシスト。

小田和正など日本人の録音にも

数多く参加している。

音楽に詳しくない人でも彼のベースは、

必ずや耳にしているはずだ。

そのネイザンが今年、キャリア40年目にして初の

ソロ・アルバムを発表した。

今日は そのネイザン名義のライヴを観てきた。

メンバー:
ネイザン・イースト / Nathan East (Vo, B)
ケイレブ・ジェイムス / Kaleb James (Key)
マイケル・トンプソン / Michael Thompson (Gt)
ジェームズ・イースト / James East (B)
ジャック・リー / Jack Lee (Gt)
スティーヴ・フェローン / Steve Ferrone(Drms)
ノリヒト・スミトモ / Norihito Sumitomo (EWI, Sax, Key)
Guest : TOKU (Tp)

@ Billboard LIVE Tokyo


私は、ネイザンをエリック・クラプトン、TOTO、

Fourplay などで観てきた。

Fourplay では、音楽的リーダーシップを

感じたこともあるが、やはり今日のライヴは

特別で、予想以上に素晴らしかった。

素晴らしすぎて、ちょっとうるうるしてしもた曲も

2曲ほどあった。

まず、バンドがええもんね。

日米韓、ブラック、ホワイト & イエロー混合バンドだ。

メンバーのジェームズ・イースト (B) は、

ネイザンの弟。

兄弟してベーシストなのね。

マイケル・トンプソンのツボを押さえたプレイも

良かったし、ゲストで2曲参加した TOKU の

トランペットも良かった。

曲は、アルバムから 「101 Eastbound」

「Sir Duke」 「Overjoyed」 「Daft Funk」 などの

他にスタンダード (曲名失念!) なども。

ネイザンは、ボディに大きな日の丸と

小さな星条旗、ユニオンジャックのシールが

貼られた、白のヤマハ 6弦ベース。

マイケル・トンプソンは、見たことのない

ヘッドシェイプのストラト・タイプ。

ジャック・リーは、赤いディアンジェリコと

ローランドの古い (?) ギターシンセ。


メンバーの通り道 近くだったので、

ネイザン、スティーヴと握手。

そういえば、90年代に ネイザン、スティーヴの

コンビでクラプトンのバックをやったことも

あったなぁ。






2014.11.12

イタリア旅行 11
アルベロベッロ


イタリアはブーツのような形をしているが、

そのヒールの付け根のあたりに

アルベロベッロ (Alberobello) という街はある。

私は、今回の旅行までその街の存在すら

知らなかったのだが、この街にある

「トゥルッリ (Trulli )」 と呼ばれる石造りの伝統家屋は

世界遺産に登録されている。

トゥルッリは主に17世紀に建てられたもので

現在も人が住んでいたり、お店として

使われていたりする。







さながら おとぎの国のようだな光景だ。

中はこんな風。



これは実際に住んでいる方のおうちに

入れてもらい、中を見学させてもらったのだ。



クリックで拡大


とても平和な感じで良いところでした。





2014.11.14

春風亭一之輔 落語会

職場の近くの G-Call Club サロンでの落語会。

出演は、春風亭一之輔。

先月も一之輔の独演会に行ったが、

今日は今年5回目で、最もナマで観ている噺家だ。

それぐらい好きということね。

今日は、小さな会場の上に前から2列目で聴いた。

ほんの3〜4mほどの距離。

こんなに近くで聴くのは初めて。

今週あたりから放映されているユニクロの

テレビ・コマーシャルに出演されているらしく、

一席目のマクラでは、そのCMにまつわる裏話。

「そんな話、していいの?」 という話も。

これは、一之輔に限ったことではないのだけど、

噺家って、結構きわどい話をするのね。

そんなこと言うて、ええのかなぁと思うような。

でも、たぶんやけど・・・、

噺家って、もしかしたら、何言うても

許されるんちゃうかと最近思てんねん。

「えっ〜!そんなん冗談に決まってますやん!」 って

言えば許されるんちゃうかと。


さて今日の演目は、「短命」 と 「寝床」 の2席。

「短命」 は、誰のを聴いて知ってたのか思い出せないが、

「寝床」 は、CDや高座で、それこそたくさんの人のを聴いた。

それだけ、人気のある演目なのかもしれない。

それにしても、やはり面白い。

好きやなぁ、この人の落語。

まだ36歳なのだけど。

ウェブサイトの自己紹介によると、

初高座が2001年7月21日、

鈴本演芸場で 演目が 「子ほめ」 とある。

もし、映像があるならぜひ観てみたいが、

こういう人は、最初から上手かったんちゃうかな。

美空ひばりやスティービー・ワンダーが、

子供の頃から歌が上手かったように。





2014.11.15

イタリア旅行 12
マテーラ


アルベロベッロから 少し移動して行ったのが、

マテーラ (Matera) 。

私は この街のことも知らなかったが、ここは、

「サッシ」 と呼ばれる洞窟住居で

やはり世界遺産に登録されている。




2万年前の洞窟住居。



2万年前って、・・・石器時代?

(今は、人は住んでいません。)





2014.11.15

徳武弘文
Rock ' N ' Roll Night:Respect Les Paul & Mary Ford
Special Guest : 細野晴臣・高橋幸宏


初めて 徳武弘文 のライヴを観てきた。

@ ビルボードライブ東京。

徳武弘文は別名 「Dr. K」。

イニシャルに 「K」 はないのに

なんで 「ドクターK」 なんやろ? と思っていたら、

この凄い動画の中でその謎が解き明かされた。

「トクタケ」 が言いにくいにので

「トクタケ」 → 「ドクタケ」 → 「ドクターケー」 に

なったというのだ。

レスポールさん、ホンマに分かったんやろか。

それはさておき、この映像すごいよなぁ。

2008年3月31日 at N.Y. Iridum Jazz Club。

日本人で、こんな風にレスポールのステージに

飛び入りした人、他にいてるんやろか。

レスポールといえば、2008年に彼の

ドキュメンタリー映画を観て、感銘を受けたものだ

その時、レスポールはまだ存命中 (93歳) で、

週一でニューヨークのクラブ (Iridum Jazz Club) に

出演していたが、その後、2009年に亡くなった。

徳武弘文は、そのレスポールにも大きな影響を

受けたらしく、今日のライヴは、

Respect Les Paul & Mary Ford

と銘打たれたものだった。

私は、Les Paul & Mary Ford のことは、

ほとんど知らないのだが、

それでも、ギターの音が歪んでいない頃の

古き良きアメリカン・ミュージックを

たっぷり聴かせてもらった。

「ピーターガン」 や 「キャラバン」 などの

ギター・インストも。

徳武のギターは、ビグスビー付きのグレッチ、

レスポール、テレキャスター。

3本ともええ音してましたねぇ。

なんか、泣くような音楽ちゃうねんけど、

途中でウルウルしてしもた。

それから、ペダル・スティールがまた

ええ音してんねん。

この尾崎さんていう人、知らんかったけど、

ええなぁ。

ペダル・スティールも弾きたいなぁ。

あ、ペダル・スティールっちゅうのは、

あのハワイアン・バンドで弾いてる、

置き型のギターです。

アンコール、最後は 「バイアコンディオス」。

ええ曲やなぁ。


【 メンバー 】
鉱石ラヂヲ(Crystal Set):
 徳武 弘文 / Hirofumi Tokutake (Gt)
 六川 正彦 / Masahiko Rokukawa (B)
 高杉 登 / Noboru Takasugi (Drms)
 尾崎 孝 / Takashi Ozaki (Pedal Steel Gt)
 三浦 秀美 / Hidemi Miura (Vo)
 TOMOKO / Tomoko (Vo)
 青柳マミ / Mami Aoyagi (Vo)
スペシャルゲスト:
 細野 晴臣 / Haruomi Hosono
 高橋 幸宏 / Yukihiro Takahashi


ああ、ビグスビー付いたギター欲しいなぁ。





2014.11.16

イタリア旅行 13
カプリ島 その壱


カプリ島を訪れたのは、旅行3日目。

ナポリの港から、朝8時35分の船で出発。


船のチケットの半券


カプリ島は、「青の洞窟」 で有名らしい。

青の洞窟は、海に面した洞窟で

太陽光が海底に反射し海中を通るため、

とてもきれいな青色に見えるという自然現象だが、

これはカプリ島だけではなく日本にも存在する。

岩手県宮古市の浄土ヶ浜と沖縄県の恩納村だ。

2年前、三陸を旅した時に浄土ヶ浜の

青の洞窟には訪れたのだが、満潮時だった上に、

前日の雨で海が濁っており、残念ながら

きれいな青は見られなかった


さて、カプリ島の青の洞窟。

まず、ナポリから 約45分、やや大きい目の船で

カプリ島の港に着くと、今度はやや小さめの船に

乗り換え、揺られること約20分。

洞窟の前まで行くと、数人ずつに分かれて

小さなボートに乗り換える。

青の洞窟に入るためには、海面にある

小さな隙間を通らなければならないので、

小さいボートに乗り換えて頭をかがめて、

その隙間を通るのだという。

一度に洞窟に入るボートの数は限られるので、

人が多い時には、船の上で2時間待たされることも

あるという。

この日は波が高く、隙間を通るには危険で

青の洞窟は見られないだろうということが、

ナポリを出る時点で発表されていた。

それでも、一応船に乗って洞窟の入口まで行くのは、

遠くからはるばるやって来た観光客を

納得させるためなのだろうか。

時間つぶしのためだろうか。

私や妻は、「見られない」 と分かった時点で、

「別に近くまで行かんでもええのに」 と

思ってしまったのだが。

案の定、波が高く船は揺れる揺れる。

事前に揺れるという情報は得ていたので

私も妻も念のため、乗り物酔い止めの薬を服用。

船酔いでそのあとの観光が台無しになることは

避けたいもんね。

波は高く、どれが青の洞窟の入口か

よく分からないほどだった。

どうも青の洞窟には縁がないらしい。


港に戻り、次は島内の観光だ。

青の洞窟を見られなかったおかげで、

当初のプランにはなかった、カプリ島の最高峰ソラーロ山へ

リフトで登ることになった。

山の高さは589メートル、リフトの長さは

1000メートル以上あるようだ。

乗る時間も15分か20分ぐらいと長い。

安全ベルトなどはなく、簡単なバーだけの安全対策で、

景色は美しいが、高所恐怖症の人には怖いだろう。


リフトに乗っているのは妻


山頂からの景色がこれ。










ちょっと曇り空だったのが残念だが、

それでもきれいな眺めだった。

この数日前までは、暖かかったらしいのだが、

この日は、結構寒かった。

アメリカ人観光客らしき男たちは、

半袖や半パンが多かったけど、平気なんやろか。


これは、山頂の柱にあった彫刻 (?)。



バルタン星人に見えてんけど・・・。





2014.11.18

イタリア旅行 14
カプリ島 その弐


カプリ島レポートの続き。

私は雨男で、ほとんど旅行で雨が降っている。

たぶん8割以上だろう。

悪天候のため、帰りの飛行機が飛ばず延泊したことも

2度あった。(屋久島、八丈島)

今回のイタリア旅行では、本当に天候に恵まれたが、

このカプリ島で、少しだけ雨に降られた。

ソラーロ山の山頂にいた時、

小雨が降り出したのだ。

本当に小雨で、傘をさすほどではなかったが、

気温が低かったため、山を下りるときの

リフトでは結構寒かった。

山を降りてしばらくすると雨は完全に上がり、

青空が広がり始めた。

こんな風です。



カプリ島は島の外周が17キロあるのだが、

私たちが訪れた所は、ほんの少しだけで、

滞在時間も数時間。

できれば、気候の良いときに1〜2泊ゆっくり

過ごしてみたい、そんな島だった。

地中海と空。



海の色がきれいです。

ナポリ港へ帰るときに乗った船。







2014.11.18

健さん

死んでしもたな。

健さん。

83歳。

私の親父と同級生。

(同じ年という意味ね。知り合いじゃないよ。)

昔の彼女が健さんのファンで、

映画 「ブラックレイン」 の撮影が大阪であった時、

ある日、彼女の住んでいたマンションの前の広場に

ロケ隊の車が止まっていた。

もしかしたら、健さんを会えるかもしれないと

2時間だったか3時間だったか、

寒空の下で、健さんが現れるのを待ち続け、

ちらっと見ることができた、と嬉しそうに

話していたのを思い出した。

その 「ブラックレイン」 を最後に松田優作は

逝ってしもた。

そして、健さんも逝ってしもた。


健さんといえば、若い頃 テレビで観た、

「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」 が好きやったなぁ。

またひとつ、昭和の火が消えました。

合掌。





2014.11.19

殉 愛

友人が、夫婦で同じ日に2冊買ってしまったと、

1冊プレゼントしてくれた 「殉愛」。

今話題 (?) の、やしきたかじんと彼の最期を

看取った女性のノンフィクションだ。

著者は 「永遠のゼロ」 「海賊とよばれた男」 の

百田尚樹。

3日ほどかけて読み終えたが、

正直、あんまり あと味の良い話ではない。

それはたかじんが死んでしまうからではない。

内容も何も知らずに読み始めたとき、

前半を読んで、結構ウルウルする場面もあり、

感動する話を期待してしまった。

半分ぐらい読んだときに、「殉愛」 って

どう言う意味やろうと検索してみた。

それで、知った。

「殉愛」 って入れると、いっぱい出てきたのだ。

この本と、すでに放映された特集番組のことで

ドタバタが起こっていることを。

知らんでもよかったようなことだが、

そのいくつかの報道を読み、いや〜な

気持ちになった。

たかじんの側近の人が本の内容に

反発しているとか、その女性はイタリア人と

結婚していたので重婚じゃないかとか、

そういう内容だった。

何が真実かなんて、どうせ分からんのやから

どうでもええねんけど、

(なんやこれ、感動する話ちごて、

揉め事かいな) という感じで、

なんか白けてしまった。

それから後半を読み進めると、

前半でも やや気になっていた人物の描き方に

ますます、引っかかりだした。

その人物は、たかじんにとても近い人だったが、

非常に酷い男として書かれている。

女性とたかじんの愛の物語を書くのには、

必要以上に悪者として書いてある印象で、

うがった見方をすれば悪意すら感じる。

そして、その本人にインタビューした風には

書かれていなかった。

それにたかじんの実の娘のことも

よく書いていない。

実際にその人たちは、そういう風なのかも知れない。

でも、そこまで 書く必要があるのか私には分からない。

そら、反発買うわな、って感じ。

そして、世間の批判に著者の百田氏が

ツイッター で反論したことも疑問だ。

本出したら、賛否あるのは当たり前なのに

「何も知らん者が、匿名で人 (その女性のことね) を

傷つける。人間のクズみたいだ。」

とツイッターで、本の内容を批判した人を

批判したようだが、そういう声が上がることも

予想せずに出版したのだろうか?

百田氏はお金を出して本を買った読者を

「クズ」 呼ばわりしたことで、

自らの評判と品位を落としてしまったようだ。

私は、百田氏とその女性がなんのために

この本を世の中に出したのかが、分からない。

これでは、色々言われるのも仕方ないなぁと思う。

それと、たかじんはこの本出すことを望んだやろか?

芸能人やしきたかじんを生きてきた男が、

ホンマにプライベートな弱った自分を

世間に知らしめたかったんやろか?

それも疑問。


ちなみに、数日前、アマゾンの 「殉愛」 のページを

見たときは、評価の ★ の数が 1つと 5つが

100ちょっとずつで、同じぐらいだった。

今日見ると、★5つが152に対し、★1つが

407と、どんどん評価が下がって行っているようだ。

その女性がイタリア人と結婚していたことを、

百田氏は自身のツイッターで認めた。

そのことを書かなかったのは、

自分のミスだと宣言している。

そのこともあってか、読むのも辟易するような

レビューが連なっている。

(ので、少ししか読んでいません。)

たかじんの死後のその女性に対する

週刊誌などのバッシングも酷かったようだが、

この「殉愛」 の内容、そして百田氏、

その女性に対するバッシングも凄い。

何なんでしょう。

この有り余った負のエネルギーは。


本の内容ではなく、この現象に
★☆☆☆☆


たかじんは面白くて好きやったのに 残念。




MUSICAL マザー・テレサ
愛のうた


マザー・テレサの生涯を歌で綴った

ミュージカルを観てきた。

@ シアター1010ミニシアター (北千住)

妻の知人が出演しているのだ。

大人と子役合わせて20人ほどが出演し、

セリフは 98% は歌だ。

私は、どちらかというとセリフが歌になっている

ミュージカルは好きではないのだが、

それほど嫌な感じはなく観ることができた。

というのも、普通にセリフを喋っていて、

突然歌い出すのではなく、始めっからずっと

歌なので、ストーリーのあるコンサートのような

感じだったのだ。

演奏は、ヴァイオリン、ピアノ、アコースティック・

ギターというトリオ。

作曲、アレンジも大変だっただろうし、

役者さんたちが歌を覚えるのも大変やったやろな、

という舞台。

特にマザー・テレサ役の土居裕子は、歌も上手く

説得力もあり、マザー・テレサが乗り移っているような

迫力の演技だった。

あの人に面と向かって何か言われたら、

「できません」 とは言えないねって感じ。

内容は、マザー・テレサの人柄を知るには

十分な物語で、非常に強いメッセージがあった。

パンフレットに、脚本・作詞・演出・振付をした

ハマナカトオルのこんな言葉があった。

「(前略) これからの世界には、マザー・テレサが必要だと

考えています。資本主義社会に生きている私たちの

頭のどこかに、マザー・テレサを住まわせた方がいいと

思っています。(後略)」

なるほど、この舞台は 「世の中にマザー・テレサを」 が

コンセプトなんだと納得。

途中、「大丈夫。あとは神様がなんとかなさってくれる」

というマザー・テレサのセリフがある。

その時は、なんとポジな、と笑ってしまったが、

考えてみたら、そこに至るまでに彼女は、いつもいつも、

大変な苦難を乗り越えてきており、そして最後に

「人事を尽くして天命を待つ」 の心境に至っているのだな。

私は鉛筆。

描くのは神様。

そこまで言い切れる、エゴのないマザー・テレサ。

今更ですが、参りました。







2014.11.20

フュージョン・フェスティバル・
イン・トーキョー vol.1


フュージョンってギターだけの音楽と違うねんけど、

今日のコンサートは、完全にギターが主役だった。

出演:
<Guitar>
 野呂一生
 渡辺香津美
 リー・リトナー
<Support>
 清水興(Bass)
 則竹裕之(Drums)
 安部潤(Keyboards)

@ 豊洲PIT

新しく出来たホールだ。

前から4列目のええ席でした。

1曲目、ギタリスト3人が並んで、

Weather Repor の 「Birdland」 で始まった。

フージョン祭りということで、色んな人の曲を

演るのかと思ったら、人の曲はこれ1曲で、

あとは3人の曲だった。

2曲目ステージのギタリストは、

野呂だけが残り、まず 「Asayake」。

イントロで、一部のお客さんが立ち上がります。

あい変わらず、人気あるんやなぁ。

その後、野呂コーナーで5曲演り、香津美の登場。

ギタリスト2人で 「Fight Man」 (Casiopea の曲)。

それから、香津美コーナー。

「Splash」 「Lonesome Cat」 など4曲演奏後、

リーが登場し、一緒に 「Unicorn」。

それから、リーのコーナー。

「Matchmakers」 など4曲演奏。

途中1曲に野呂が参加。

そして、もう一度ギタリスト3人が揃って

「Manhattan Flu Dance」。

この曲、私、高校3年生の文化祭で演りました。

おお、怖。

次にたぶん カシオペアだと思われる曲を

1曲演って、ラストは 「Rio Funk」。

アンコールは、「Captain Caribe」!


ギターは、香津美が PRS のシングル・カッタウェイと

最近発売された History の渡辺香津美 シグネイチャー・

モデル 「Tidewater」。

リーは、チェリーサンバーストの Gibson レスポールと

ヤマハのサイレント・ガット。

野呂は、ヤマハの自身のモデルと、

1曲でヤマハのホロウSG のフレットレスを使用。


トータルで、たっぷり150分、楽しめました。

サポートの3人が素晴らしいね。

ギタリストは、出たり入ったりやけど、

サポートの3人は、出ずっぱり。

フュージョンなのでキメだらけ。

リーは、則竹が気にったのか、

何度もドラムとのデュオのパートを作ってた。

ギターは、好き好きが分かれるやろけど、

この3人では、私はリーが一番好きやな。

一人アメリカ人で アウェイなはずやけど、

貫禄あって、めちゃくちゃ余裕があって、

全体をリードしてるという印象やった。

レスポールの音も良かった。


お客さんは、ネクタイ締めたおじさんが多かったね。





2014.11.22

明治神宮

先日、ずいぶんと久しぶりに明治神宮へ行った。

1996年の元旦以来だから、ほとんど19年ぶりか。

私は、1995年の12月25日に東京へ

引っ越してきた。

年末は、引越しの片付けに追われ、

元旦に気持ちも新たに、東京なら明治神宮やろと、

初詣に出向いた。

行って後悔した。

あまりの人の多さに、前にも進まず、

帰るにも戻ることもできず、身動きが取れないのだ。

私は信心深い方ではないので、毎年

決まって初詣をするということはない。

行っても行かなくてもどっちでもOKの人だ。

大体、人が多いのは好きではないので、

混んでいる時にはどこへも行きたくない。

そんなわけで、明治神宮への初詣は、

それが最後になった。

今回は、お世話になっているKさんの息子の

七五三の撮影だった。

親戚でもないのに 厳かな儀式 (ご祈祷) にも

参列させて頂いた。

参列者の中には、地方から来られている方もおられ、

七五三だけではなく、他のご祈祷もあった。

ご祈祷は神楽殿で行われたが、撮影禁止だ。

といっても、ご祈祷中は座って聞いているだけなので、

大した写真は撮れないのだけど。


写真は神楽殿ではなく、本殿へ向かう鳥居。




本殿前の大木。



何の木でしょう。

まるで、漫画に出てくるような形の立派な大きな木でした。




良い天気で よかった。





2014.11.22

イタリア旅行 15
ナポリ その壱


今回のイタリア旅行では、4つの街で

計6泊したのだが、ナポリの印象は

(2泊したのだけど) なんとなく薄い。

ナポリから、カプリ島へ行ったり、

ポンペイへ行ったりしたのだけど、

ナポリの街自体をそんなに観ていない

からかな、と思う。


写真は、ナポリの朝。



ホテルの11階だったかのレストランで

朝食を食べたあとに撮影した。

朝日の左に見えるのがヴェスヴィオ火山。

紀元79年に大噴火し、ポンペイは火砕流に

より埋まってしまった。

ご覧のようにナポリからも近い。

風向きによっては、ポンペイではなく、

ナポリが埋まってしまったかもしれなかったらしい。


ナポリの街は遺跡だらけ。

どこを掘っても遺跡が出てくるような街だ。

当然、新しい工事をすると遺跡に引っかかる。

写真は遺跡調査のため、工事が何年も

長引いているらしい地下鉄の駅。



城のような建物の向こうは、ナポリ港。


カプリ島へ向かう船から見たナポリ。



この景色だけで 歴史を感じるなぁ。


ナポリ大聖堂



中は撮影禁止。


サンタキアラ教会の修道院のマヨルカ焼き




天神橋筋商店街か!と突っ込みたくなるほど

細くて長い商店街。







2014.11.22

bar dAZE
Go Fes


今日は、原宿 bar dAZE のマスター、

剛ちゃんのバースディ・ライブ・パーティー、

名づけて 「Go Fes.」 だった。

フェスということで、4組の演奏があった。

私はシンガーのリリーとデュオで、

カーペンターズの 「I Won't Last A Day Without You」 と

ゴスペラーズの 「永遠に」の2曲を演奏した。

リリーとは、4年前のやはり剛ちゃんの

バースディ・パーティで、共演したことがあるが、

それ以来だった。

毎回のことだが、剛ちゃんの人がらだろう、

次から次へと人が訪れ、大盛況。

多くの人が ずっと立ち見、立ち飲み状態だった。

紹介があるまで気がつかなかったのだが、

東ちづるさんが、来ていて 彼女が今やっている

プロジェクトの紹介 (宣伝?) をして行った。

東京やなぁ。





2014.11.23

落語立川流創立30周年
特別公演 談志まつり 2014


一昨日から今日まで3日間、

「落語立川流創立30周年 特別公演

談志まつり2014」 が、有楽町のよみうりホールで

開催された。

21日金曜日は夜のみの公演だったが、

昨日今日は昼夜2公演、3日間で合計5公演。

毎回出演者も違い、サブ・タイトルも違う。

私が観に行った今日の夜の部、つまり最終公演は、

「談志の遺言」〜俺を超えて行け〜

というサブ・タイトルだった。

私は落語好きだが、実は談志師匠のことが

あまり好きではない。

あれだけの人だから、素晴らしいのだろうと、

何回か CD を聴いたり、DVD を観たりしたが、

どうも私には楽しめなかった。

ここで批判する気はないので、

何がダメかは書かないけど、

簡単に言うと、周波数が合わないのだな。

ただ、落語自体はホントに上手いと思う。

その私がなぜに 「談志まつり」 なのかということだが、

談志師匠の弟子、志の輔師匠が大大大好きなのだ。

この人の落語は、ほんとに楽しめて

今年は独演会に3回行ったほど 大好きだ。

今日はその志の輔師匠が出演するので、

チケットを取ったというわけ。

「まつり」 ということで、立川流一門の人が

大勢出演した。

噺家6人の他、談志師匠に気に入られていたという、

スタンダップコメディの松元ヒロ (政治批判ネタで

面白かった) や トーク・コーナーのゲストなど、

まつりにふさわしい盛り沢山な内容だった。

お目当ての志の輔師匠の演目は、「新・八五郎出世」。

私の大好きな演目のひとつだ。

大勢出演したので、志の輔師匠のマクラが

ほとんどなかったのは残念だったが、

初めての噺家を何人も聴けたのは良かった。

印象に残ったのは、立川キウイ。

16年も前座だったというが、

全てが芸の肥やしかネタになるのが

芸人の世界だな、と思った。


【演 目】
一、「はじめてのお弔い」 立川志の八
一、「大安売り」 立川らく里
一、「反対俥 ー 談笑追善バージョン ー」 立川キウイ
一、「がまの油」 立川談笑
〜 仲入り 〜
一、トーク (ミッキー・カーティス、山藤章二、
   吉川潮、高田文夫、立川談笑)
一、「夢金」 立川ぜん馬
一、スタンダップコメディ 松元ヒロ
一、「新・八五郎出世」 立川志の輔





2014.11.24

イタリア旅行 15
ナポリ その弐


ナポリは、印象が薄いと書いたが、

写真を見ていると色々思い出した。

サンタキアラ教会近くの壁の落書き。



ナポリの旧市街地は、世界遺産に登録されている。

ここが世界遺産地域なのかどうかは知らないが、

歴史ある街にこういう落書きがあるのは、

非常に残念だな。

まあ、あと1000年もすればこれも遺跡に

なるんやろけど。



「何が LOVEだ!」 とおじさんは怒りたい。


落書きだけではなく、ナポリはそこここにゴミが落ちていて、

ちょっと街が汚い印象だったのも残念。


落ちるんちゃうかというぐらい野菜を載せた

販売トラック。




こちらは、上の写真とは違うトラック。



トマトの色が鮮やかだ。

札には 「TUTTO A 080」 と書いてある。

「TUTTO」 は 「全部」 という意味のようだが、

全部で 80セントはないだろうし、

全部どれでも 80セントという意味にしても

大きさがまちまちなので変だ。

まさか、荷台の全てで 80ユーロなわけないし、

どういう意味やろな。


ナポリは、ローマ、ミラノに次ぐイタリア第三の都市。

そんな都会で、こういうトラック販売が

見られるのはうれしいね。





2014.11.25

イタリア旅行 16
ポンペイ その壱


ポンペイには行きたかったわけではないが、

申し込んだツアーのコースに入っていた。

今年は、映画 「ポンペイ」 が公開され、

6月には劇場へ観に行った。

その時には、今回のイタリア旅行は

既に申し込み済みだったわけだが

その日のエントリーには、

10月にポンペイへ行く予定だとか、

そんなこと一言も書いていない。

旅行に申し込んだのは3月のことで、

ローマとアマルフィ以外、

どこへ行くかも覚えていなかったので、

私は 自分がポンペイへ行くことも知らずに

この映画を観たようだ。

その日には違う映画を観ており、

そのエントリーには、そっちの映画が目当てで、

「ポンペイ」 は、時間調整のために観たと書いてある。

また、13〜14年前、東京で開催された

ポンペイ展に行ったこともある。

それは、仕事がらみだったけど。

いずれにしろ、どうもポンペイに縁があるとしか

思えない。




ポンペイは、西暦79年にヴェスヴィオ火山の

噴火により消滅した都市で、18世紀に発掘されるまで

1700年もの間、火山灰に埋まったままで、

その所在さえ知られなかったらしい。

次の写真は、ヴェスヴィオ火山を

ポンペイから撮影したものだ。



山がふたつあるように見えるが、これが元々は

富士山のようにきれいな形をしていたのに、

噴火で頂上部分が吹っ飛び、こんな形に

なったということだ。

噴火の大きさ、凄まじさを感じずにはいられない。

ポンペイは現在は、内陸部にあるが、

当時は、海に面しており、港町でもあり、

商業都市としてずいぶんと栄えていたらしい。

興味深いのは、これ。



2千年前にすでに車道と歩道が分かれているのだ。

車道といっても、もちろん馬車道のことだ。

おまけに横断歩道もある。



これは、飛び石のあいだを馬車の車輪が

通れるように作られている。

そして、本当に多くの馬車が行き来したのだろう。

石の道になんと轍 (わだち) が出来ている。







2014.11.26

イタリア旅行 17
ポンペイ その弐

ポンペイ遺跡の続き。

写真は、非常にきれいに残っているカウンター。



このまま、すぐに使えそう。


2000年前には、完成していた窯。



見た感じ、今と同じでしょ。

この時代には、ピザはまだなかったようなので、

パンとか焼いてたのかな。


このマークは、何でしょう?



荷を運んでいる絵から想像つく通り、

いわゆる運送屋さんの看板らしい。


ポンペイは当時、港町・商業都市として栄えた。

そんな街には、男の欲望を満たすものが必須だろう。

で、これは、売春宿の壁に描かれた メニュー。



かなり、具体的です。





この絵を指さして、

「俺、これがいい。これでお願いします」 って

注文してたんやろか。

これらの絵は、マグネットになってお土産屋さんで

売っていたので、世界中から来るオヤジ達が

面白がって買っていくんやろな。


その お土産屋さんにて。



日本語ガイドとか売ってると、

うれしいような悲しいような、複雑な気分。


まとめ。

ポンペイ遺跡はスゴイです。

現地イタリア人ガイドさんのおかげで、

かなり色んな興味深い話が聞けた。

文明の高さにもビックリ。

行くまで興味がなかったけど、一見の価値ありです。

そして、

火山噴火は怖いです。





2014.11.30

イタリア旅行 18
憧れのアマルフィ

旅行から戻ってから、もう1ヶ月も経ってしまった。

早いなあ。

昨日は、その旅行で知り合った、Yさん夫妻と

旅行の反省会 (?) という名目で食事。

ローマで一緒に食事をした人たちと

東京で食事をするというのも不思議な感じがした。

人の出会いというのは、面白いなあ。

さて、長引いているイタリア旅行レポートも

あと数回分はネタがある。

最後まで、書ききりたいと思うので

どうか読んでいただきたい。

実は明後日からマニラ (フィリピン) へ

行く予定なので、イタリア・レポートが終わる前に、

フィリピン・レポートが、始まるかもしれない。


* * * * * * * * * * *


ポンペイをあとに、アマルフィへ向かった。

アマルフィは、2009年に公開された、織田裕二、

天海祐希 主演の映画 「アマルフィ 女神の報酬」 で、

日本人にも すっかり人気スポットになったらしい。

事実、私もあの映画で 「アマルフィ」 という

美しい街の名前を覚えた。

映画を観たときに、

「こんなところに 一回は行ってみたい」

と思ったのを覚えているが、ホンマに行けるとはね。

先日、旅行から戻ってからだが、

その映画を DVD でレンタルして再び観てみた。

映画の舞台のほとんどはローマで、

アマルフィはほんの少しだったことに驚いた。

でも、それだけアマルフィの印象が

強烈だったということだ。

まあ、タイトルのせいもあるかもしれんけど。

映画で織田裕二扮する外交官 黒田らが

泊まったホテルの前もバスで通ったけど、

映画で見るより小さなホテルだった。


さて、一回は行ってみたいと思った景色がこれだ。



写真では十分に伝わらないかもしれないが、

とにかく、美しいね。



これが泊まったホテル。



13世紀の修道院を改造したというホテルだ。

中庭



部屋




商店街も歩いていて楽しい。

アマルフィは、レモンのお酒が名産品なのだが、

そのレモン酒の他、バルサミコ酢なども売っている、

酒屋のようなあるお店に入った。

私たち (夫婦) が日本人だと分かると、

お店のおばちゃんがこんなメモを差し出しながら、

バルサミコ酢を試飲させてくれた。



織田裕二さんが来店したお店です。
その際、このバルサミコ酢を試飲しました。


映画の撮影の時だろうが、

そらぁ、いろんな店に入ったと思うで。

織田裕二も、天海祐希も、佐藤浩市も。

しかも!

織田裕二は、ここで 「試飲した」 だけで、

買ったとは書いてないやんか。

といいながらも、この店で土産品を買う妻であった。


ホテルの部屋からの地中海と朝焼け。








2014.11.30

イタリア旅行 19
カゼルタ宮殿



でかい。

とにかく広い。

そんな印象のガゼルタ宮殿。

世界遺産だ。

左側が覆われているのは、修復中だったようだ。

正直言って、途中で飽きてしもたぐらい

いっぱい見るとことがある。

18世紀に建てられたらしいが、

どんだけの権力、金やねん、という感じ。


こんな部屋が数え切れないぐらい続きます。




映画 「アマルフィ 女神の報酬」 で、

サラ・ブライトマンがコンサートをしたホール。(たぶん)




印象的だったのは、この柱の傷。



第二次世界大戦中の空襲の跡だ。



修復せずにそのままにしてあるのだという。




ひとりごと  ひとりごと