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つつみしんやのひとりごと 2008年 3月


2008.3.1

宇宙人

昨日のひとりごと 「エスパーか!」 読んでくれた読者(友人)から

ある本に書かれていたと、こんなメールをいただいた。 

(以下原文のまま。本人承諾済み。)

 電車に乗って、「この中に宇宙人がいたら、念を送るので

 こっちを見てください」と念じて、じっと見つめる人がいたら、

 その人は宇宙人なんやそうである。

 宇宙人は普段は人間の格好をしてるから、

 パッと見ではわからんらしい、と書いてあった。

 ちなみに、自分も思い出した時に電車でやってみたら、

 二度くらいこっちを向いてる人がおった。

 「宇宙人かも」と思って、念じてみたら、反応が今イチで、

 やっぱり違ったかも。

 多分おっさんやったから、どっちでもええわ、と思って

 真剣さを欠いたので、向こうが怒ったんかも。

 電車に乗ったら今度奥様とやってみ。

 物凄い反応があるかも。


反応あったら、こわいがな。




JVC Jazz Festival


オーチャードホール(渋谷Bunkamura)へ、

JVC Jazz Festivalを観に行ってきた。

昨日の夜、今日の昼、夜、と3回公演があったのだが、

今日の夜の部。

出演は、JUNKO ONISHI(ピアノソロ)、

HARVEY MASON Trio
 featuring Very Special guests PAT MARTINO and TONY MONACO

そして、THE CRUSADERS だ。

THE CRUSADERS、今回のメンバーは、

JOE SAMPLE (Key), WILTON FELDER (Sax), RAY PARKER,Jr. (G),

NILS LANDGREN (Tb), NICK SAMPLE (B), STEVE GADD (Ds)

前から7列目で、良い席だったが、どうもPA(音響)が悪く、もったいなかった。

JOE SAMPLE は、69歳、WILTON FELDER も高校の仲間というから、

同じぐらいかな。

STEVE GADD も60歳すぎてるし、もうこの3人で円熟、円熟。

演奏、大人、大人。

あれは、若者にはできない演奏だ。

その前に演奏した、HARVEY MASON Trio の3人もそれぞれ

いい歳だろうけど、こっちは勢いがあって、なんとなく対照的で面白かった。





2008.3.2

えっ?違うの?

何がって、「リーボック」 だ。

そう、あの運動靴の。

信じていたのは、私だけか?

皆は、知っていたのか?

「リーボック (Reebok)」 は、韓国の「李(リー)」 さんと

「朴(ボク)」 さんが共同で作った会社だ、という話。

たぶん、20年くらい前に誰かに真顔で聞かされ、そのまま信じていた。

誰に聞いたか忘れたが、その人も信じていたんじゃないかな。

真面目に話された覚えがあるもん。

それとも、その人はジョークだってこと知っていたのか?

今日、TV(サンデージャポン) で「20年前のジョーク」と言っていたのを

聞いてあわてて調べてみたら、やっぱり嘘だった。

私一人だけが信じていたとしたら、あまりにも悲しいし、アホみたいだ。

だから、「私も信じてました!」 っていう人、良かったらメールください。


ちなみに、「Reebok」 は、イギリスの会社。

陸上選手でもあったジョセフ・ウィリアム・フォスターが

自身の足に合ったスパイクを制作したのが始まりで、

1900年に「J・W・フォスター社」を設立し、

1958年には社名を「リーボック」に変更した。

「reebok」 とは、アフリカに棲息する大鹿、ガゼルのこと。

2005年にはドイツのアディダス社に買収された。

(以上、Wikipedia を参考にまとめた。)





2008.3.3

Roger Voudouris

今から25年ぐらい前、CDのない頃、まだLPレコードだった時代、

たまに輸入盤屋やイベント会場で、レコードのセールをやっていた。

主に、カットアウト盤 (メーカーが在庫処分のためジャケットに傷をつけて

安く処分するもの) だったりするのだが、3枚で1,000円とかだと、

レンタルするより安いので、ジャケ買い(ジャケットだけ見て買う)も

結構したものだ。

どんな音楽が知らずに買うのだから、当然、はずれもあるが、

時々、大当たりに出会う。

そんな当りの1枚が、Roger Voudouris のデビューアルバム

「ROGER VOUDOURIS」 というアルバムだ。

当時、彼の名前すら知らなかったが、ジャケットになんとなく惹かれ

輸入盤セールで買ってみた。

結果、適度にROCK&適度にPOPで凄く気に入ったのだ。

LP時代、おそらく日本ではリリースされていなかただろうし、

その後のCD化もないだろうとあきらめていた。

それが、数ヶ月前、何気なく検索してみたら、日本で数年前、

AOR名盤セレクションとしてリリースされていたことを発見した。

が、そんなマニアックなもの、当然、もうすでに廃盤だ。

Amazonで見てみると、中古盤が1枚あるにはあったが、なんと9,800円だ!

ちょっと買う気にはなれない。

探していればそのうち、見つけられるだろうと、気長に探すことにした。

ちなみに、彼は(私の知る限り)3枚アルバムをリリースしていて、

アメリカを旅行した際、残りの2枚のカセットテープを見つけ購入したのだが、

デビューアルバムの「ROGER VOUDOURIS」 と比べるとあまり面白くない。

その2枚もCD化されており、それらなら、安く入手可能なのだが。

で、先日、久しぶりにYahoo Auction で検索してみると、

出ているではないか!

しかも、その日の夜、終了予定のオークション。

これは奇跡だ。

しかも、開始価格1,000円で、私が見たとき、2人入札していて、1,800円だった。

発売当時(2000年) 2,100円のものだが、そんなことは言っていられない。

私は、3,500円ぐらいまでなら 出してもよかろうと 落札する覚悟を決めた。

結果、2,860円で落札したのだ!

バンザ〜イ!

そのCDが、今日届いた。

今、聴きながらこれを書いている。

ああ、懐かしいなぁ、ゴキゲンやなぁ〜。


あと、CD化を望むのは、やはり、25年ぐらい前、輸入版セールで買った

Cissy Houston のこれまた「CISSY HOUSTON」 というアルバム。

1977年リリースだ。

彼女は、ホイットニー・ヒューストンの おかんだが、

私がこのLPを買ったのは、ホイットニーのデビュー前で、

Cissy Houston という名前も聞いたことがなかった。

ジャケットを見て、「黒人」 という理由だけで買ったのだ。

そのLPには、エルトン・ジョンの「Your Song」 やアニーの主題曲

「Tomorrow」 なんかのカバーが入っていて、そりゃあ最高なのだ。

関係者様。是非是非、CD化してください。





2008.3.4

リーボック 続編

一昨日の「ひとりごと」に、

「リーボック (Reebok)」 は、韓国の「李(リー)」 さんと 「朴(ボク)」 さんが

共同で作った会社だ、という話をず〜っと信じていたと書いた。

まさか、皆それがジョークだと知っていて、

私だけが信じていたのではあるまいな、と不安になり、

「自分も信じていたよ」 という方、メールください、と書いたのだが、

1通も来なかった。

1、2通ぐらいは反応があるかと思ったのだが・・・。

これって、皆、ジョークだと知っていたってこと?

そして、「えぇぇー!そんなん信じてたん?アホみたい〜」って

思ったってこと?

それとも、実は自分も信じてたけど、ジョークだって知ってた振りを

してるってこと?

あるいは、誰もその日の「ひとりごと」、読んでないってこと?

どうなの? 実際。


でも、あれが、ジョークだったって言うのだから、

「サントリー」 は、創業者が 「鳥井さん」 だとか、「ブリジストン」 は、

創業者が 「石橋さん (ストーンとブリッジ)」 だとかいう有名な話も、

「もしかして冗談?」 と不安になる。(私だけか?)

で、一応調べてみたが、上記ふたつは本当のようだ。

ただ、「サントリー 」は、「鳥井さん」 をひっくり返したのかと思っていたが、

そうではなく、「サン」 は太陽のことで、サントリーの前身 「寿屋」 で

売っていた、赤玉ポートワイン の 「赤玉」 つまり太陽 (サン) に

自分の名前・鳥井 (トリイ) を結び付けて命名したものらしい。

調べていると、そんな有名企業の社名の由来ばかり、

載せているサイトを発見した。

色んなサイトがあるもんだ。

カッターナイフの 「オルファ」 が、「折る刃」 から 来てるのは知っていたが、

「カシオ」 は、創業者が 「樫尾さん」 だというのは、知らなかった。





2008.3.5

シャンソンって、SOUL MUSIC やん

昨日、エディット・ピアフ というフランスの歌手の人生を描いた映画、

「エディット・ピアフ〜愛の讃歌」 を観てきた。

先日のアカデミー賞で、エディット役のマリオン・コティヤール が

主演女優賞を受賞した作品だ。

(外国映画の主演女優賞はソフィア・ローレン以来、47年ぶりらしい。)

アカデミー賞って、「これは、賞取るなぁ〜」 って納得できるものと、

「何が良かったんやろ?」 と良く分からないものがあるが、

これは、前者。

すばらしい。強烈。マリオン万歳!って感じ。

映画としても満足。

エディット・ピアフ、ひと言で言うと、

過激で、過酷で、純粋で、強烈で、リアルで、自由で、奔放な人生・・・

(ひと言ちゃうやん)

映画の中では、彼女の子供時代から、亡くなる47歳までを行ったり来たり

するので、ちょっと戸惑うが、良く見ると、それがいつのことか分かる。

というのも、彼女のメイクで年齢が分かるのだ。

映画の中でマリオンは、エディットの20歳から亡くなる47歳までを演じる。

47歳といっても薬と病気で身体はボロボロで、もっと老婆に見えるのだが、

そのメイクがまたスゴイ。

病気のシーンなど、髪の毛、抜いて演じてたらしい。

本物みたい。

と思ったら、アカデミー賞の メイクアップ賞も受賞していた。

本人か?と思うリアルさは、数年前、ジェイミー・フォックスが、

やはりアカデミー賞を受賞した、レイ・チャールズの人生を描いた

「Ray」 に通じるものがある。


そういえば、高校時代、音楽の授業で 「愛の讃歌」 を歌った。

確か、歌のテストの課題曲で、すごく歌うのがイヤで、半分ふざけて

歌っていた覚えがある。

その 「愛の讃歌」 がピアフの曲だということも昨日初めて知った。

「愛の讃歌」 といえば、日本では、越路吹雪の

「あなたの燃える手で〜あたしを抱きしめて・・・」

という歌詞が有名だが、

高校の音楽の教科書に載っていたのは、

「清水が沸くように〜静かにあふれくる・・・」 という別 Version 。

映画を観て、ますますあの曲は、聴くものであって、

誰もが歌うものではない、と思った。

ちなみにこの歌、ピアフが不倫相手に歌ったもの。

そんな歌、高校で教えてたんや・・・





2008.3.6

LIVE 再開

あさっては、3ヶ月ぶりのLIVE。

山口豊&つつみしんや ギターデュオ に ゲストヴォーカル 木本陽香。

おかげさまで、予約をたくさん頂いており、ありがたいことだと

しみじみ感じ入っております。

また、来たいと思ってもらえるような、トークを、いや、演奏をお聞かせします。

そして、9月以来、半年振りの Laguna Moon のLIVEが決定。

4月6日の日曜日。

今回は、初の試み、ゲストにベーシスト 田村直也を迎えての LIVE。

どんなLIVEになるやら、楽しみ。





2008.3.9

謝々

昨日のLIVEにお越しくださった皆様、ありがとうございました。

おかげさまで、満席、楽しいLIVEができました。

次回は、4/6です。

是非またお出でください。

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それにしても ・ ・ ・

なんと奥の深いことか。

やれば、やるほど、出来ていないことが見えてくる。

何かの本で 「もし、あなたが何かを “知っている” と思ったら、

大海の一滴ほども知ってはいない」 というような言葉を

読んだ覚えがあるが、まさしく、そういう感じ。

一番怖いな、と思うのは、「知らない」 ということに気付いていないこと。

演奏で言えば、「出来ていない」 ことに気付いてなくて、

「出来てる」 と思っている(かん違いしている)こと・・・。

若い時は、「出来てる」 と思っていた。

実は、出来ていない。

それが、プロとアマとの決定的な差だ。

あまりに練習すべきことが多くて、イヤになることもある。

「こんなん一生かかっても、出来るようにならへんで」 と投げ出したくなる。

でもそんな時、イチローの言葉を思い浮かべる。

「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行く
ただひとつの道だと思っています」


彼は、ひたすら毎日、小さなことを積み重ねてきたんだろうな。

そして彼は、こう言う。

「僕はいつも一生懸命プレーしていますが、今日はよい結果が出なかった。
でも、だからといって後悔もしていないし、恥ずかしいとも思っていません。
なぜなら、できる限りの努力をしたからです」


私は、まだまだ恥ずかしい。





2008.3.11

贅 沢

昨夜は、食いしん坊 3人組で、贅沢な夕食をとった。

熊本県の天草から生きた車えびを50匹ほど取り寄せ、

さっとゆでて、唐辛子を入れた醤油で食したのだ。

生きてるなら、刺身だろって?

いやいや、ほんの数十秒、えびの色が赤く変わったら、取り上げて

熱いうちに食べると、これがなんぼでも食べられそうにうまい。

刺身だと、飽きるでしょ?

えびの頭につまったミソもうまい。

お酒も用意したが、飲むのもそっちのけで食い続けたわい。

食いしん坊の頭(かしら)の話によると、

なんでも、そういう食べ方をする料理が香港にはあるらしい。

私の子供の頃の誕生日には、よく母がエビフライを作ってくれた。

えびは私にとってのご馳走だ。

だが、最近は、プリン体が多いというのでやや控えている。

が、昨日は、十数匹をペロリと頂いた。

ところで、「えび」 をPCで変換すると、「海老」 と 「蝦」 が出てくるが、

違いをご存知か?

「海老」 は、水底を歩行するえび、イセエビ とかね。

「蝦」 は、サクラエビ や クルマエビ のように水中を泳ぐえび。

字を見た感じ、「蝦」 より 「海老」 の方が、おいしそうに感じるのは私だけか?





2008.3.12

LOST シーズン3

見終えた。

「LOST シーズン3」 まで、「シーズン1」 から、全部で72話。

無人島に旅客機が墜落し、生き残った人々に色んな事件が

起こっていくストーリーで、それぞれの登場人物の過去や

意外な関係が、少しずつ明らかにされていく。

途中、あまりにも謎が多すぎたり、普通じゃないような状況に、

ちょっとイライラした回もあったが、全体としては面白かった。

「シーズン3」 の最終回は、彼らが救助される前で終わっているので、

「シーズン4」 で、まだどうなるか分からないな。

早く、続きを見たいが、たぶん 「シーズン4」 がレンタルショップに

並ぶのは、半年先か、来年だろうな。

2010年の 「シーズン6」 まであと3年で完結するということだ。

はよ見せてくれな、忘れてしまうで!





2008.3.13

コンビ名

山口豊とのギターデュオに名前をつけようと思い、

何がいいか、数日間考えていた。

「mellow」 という英単語が好きで、使いたいなと思っていたので

mellow flavor 豊潤風味 に決めた。

訳すと、「豊潤風味」 。

「芳醇風味」 でも 「円熟風味」 でも良いのだが、「豊潤」 が一番エッチでしょ?


「mellow」 という言葉は、70年代後半、

音楽の世界で 「Soft & Mellow」 という言葉が使われ覚えた。

「Soft & Mellow」 の代表はといえば、

George Benson の 『Breezin'』 (1976年) だろう。

まさにソフトでメロウな音楽で、名盤だ。





2008.3.15

嵐の湯

昨日は、久しぶりに友人と六本木にある 「嵐の湯」 へ行ってきた。

「嵐の湯」 は、もともと山形県東根温泉にあるのだが、その直営店が

六本木にあるのだ。

温泉といってもお湯につかるわけではない。

室内は45℃、湿度80%。

私は、サウナに入ってもどうかすると汗が出るのに10分ぐらいかかり、

辛いのだが、「嵐の湯」 は、すぐに汗が吹き出す。

なんでも、ミネラルを含んだ蒸気が、2ナノの大きさだそうで、

2ナノの蒸気から見ると人間の身体はすき間だらけなわけで、

その熱い蒸気が直接身体に入り込むので、汗がすぐに出るらしい。

で、10分ぐらい入ったら、5分休憩というのを、3回ほど繰り返す。

そのミネラルと温熱のたくさんの効果が報告されていて、本まで出ている。

入浴料は3000円とちょっと高めだが、山形まで行くことを考えると

安いだろう。

ちなみに昨年、山形の「嵐の湯」 へ行ってきたが、六本木でも

ほぼ同じ環境を提供されている。

汗をかきたいけど、サウナは苦手という方は、是非試してもらいたい。

イメージとしては、岩盤浴のようだが、岩盤ではなく石が敷き詰められている。

岩盤欲は、あの岩盤が他人の汗まみれで不衛生に感じた人も、

「嵐の湯」なら、敷き詰められた石が営業中、

しょっちゅう洗われているので心配ない。

興味のある方は、どうぞ。↓

さくらんぼ東根温泉 たびやかた嵐湯

嵐の湯 六本木店





2008.3.16



「春が来たなぁ〜」っていう感じの、気持ちの良い暖かい一日だった。

今日は、Mellow Flavor (山口豊&つつみしんや ギターデュオ) で

初めて、路上パフォーマンスをしてきた。

駒沢公園に行ったのだが、動いていると暑くて、日向では半そでで

良い位の気候だった。

立ち止まってゆっくり聴いてくれた人は、少なかったが、

大塚で、ライブハウスをやっているという人が、「是非、出演してください」 と

名刺をくれた。

途中、休憩もしながら、4時間近くやったのだが、投げ銭の合計は、

350円だった・・・。

そのうち250円は、外国人の子供がいれてくれた。





2008.3.17

竹内結子

今日、友人が、「面白いから」 と本を貸してくれた。

映画にもなった 「チーム・バチスタの栄光」 だ。

夜、品川に行ったので、「映画でも観るか」 と品川プリンスシネマへ行ったら、

ちょうど 「チーム・バチスタの栄光」 が始まる時間だったので観ることにした。

「ダ・ヴィンチ・コード」、「手紙」 と映画を観た後で原作を読んだのだが、

どちらも映画とは違う原作の魅力があり、映画→原作の順番が良かったので、

「チーム・バチスタの栄光」 も映画を観てから原作を読むことにした。

で、どうだったかというと、映画としては、(えらそうにいうと)まあまあ。

特別面白かったわけでもないが、「失敗した〜」 っていう感じでもない。

それなりに面白かったし、意外と、吉川晃司 が良かった。

「これから、観ようかな」 っていう人がいたら、止めもしないが、

薦めもしない感じ。

そして、原作に期待。

で、映画の内容云々より、主演の 竹内結子 について書きたい。

私が彼女を認識した覚えがあるのは、2002年のTVドラマ「ランチの女王」 。

それまでも、なんとなく顔ぐらいは知っていただろうが、私はTVドラマを

あまり観ないので名前まで、はっきりとは分かっていなかった。

いずれにしろ、2002年の時点で彼女は、すでにかなり売れていたはずだ。

で、その「ランチの女王」を、毎回観たわけでもないのだが、

竹内結子 というとあのドラマの中の、元気で明るく可愛いイメージが

取れないのだ。

それが、最近の彼女の顔見るたびに、「どうも違うな・・・」 という感じがして

しかたがない。

それは、記者会見でも、CMでも、映画の宣伝でみる1シーンでも。

私の考えすぎかもしれないが、結婚、離婚を通して、きっと、かなり

辛い思いをしたんじゃないか、それがあの顔に出ているんじゃないか、

と勝手に思ってしまうのだ。

今回の映画で彼女が演じた役は、特別明るいキャラというわけではない。

が、映画の中の彼女を見てもその顔に、その表情に、

「寂しさ、冷たさ、悲しさ」 というようなものを感じてしまったのだ。

(そんな私生活が現れるようでは、役者としては失格なのだが。)

早く、昔の彼女の表情に戻って欲しいと思う。

私の考えすぎなら良いが。


チーム・バチスタの栄光 オフィシャルサイト





2008.3.18

LIFE IS ・・・

例えば、職場や何かの活動のグループに

いわゆる 「合わない」 人がいたとする。

20代の頃は、「その人」 が問題だった。

「なんでこんな奴がいるんだ」 「一体何を考えとるんじゃ」

「よくこんなことができる(あるいはできない)な」

などと反応し、そういう人を許容できず、腹を立てた。

その頃は、「自分が」 反応しているにも拘らず、

それは、外の世界が原因だと思っていた。

(というかそう思っていることさえも知らなかった。)

そういう人がいる限り、世の中は良くならないかのような

自分の 「正義」 「こうあるべき」 に支配されていて、

しかも、支配されていることも知らなかった。


30代になると、ちょっとだけ賢く(?)なって、

「そういう人がいることは、どうしようもないことで、

例えば、その人がいなくなったとしても、次にも同じように自分に

合わない人、許せない人が 人生には現れるもんだ」

と思うようになった。

例えば、その人がイヤで、職場を変わったとしても 新しい職場で

内容は違っても 同じように自分と合わない人が必ずいるということが

理解できるようになった。

その頃は、そういう人に 「自分が反応している」 のは理解できるが、

やはり、反応の種、元、は 「その相手」 であり、「自分」 ではなかった。

だから、20代〜30代に通じて言えることは、どこかでその相手を

否定していて、相手を 「直そう」 とか 「変えよう」 とか

「これじゃいかん」 とか、そんな思いや考えが無意識にあったように思う。


40代になって、自分が反応してしまうその相手に、反応していない人も

いることに ようやく気づいた。

いや、そういう人がいることは、20代からも知っていたが、

反応する自分こそが真実で、反応しない人は

「ちょっとおかしいんちゃうか」 と思っていた。

でも、反応しない人がおかしい人ではなく、まともな人だとすると、

反応している自分がおかしい、ということになる。

いや、別に 「おかしい」 わけではないのだが、

必ずしも反応する自分が真実ではない ということに行き着くわけだ。

それに相手も自分のことを同じように 「合わない奴」 「難しい人」 って

思っているかもしれない、という想像もできるようになった。

ここまで来てようやく、その 「反応」 は、「その相手」 のことではなく、

「自分」 の中でだけに 起こっていることだと、理解できるようになった。

つまり、相手がそのままでも、ひっかからない、反応しない自分も

可能だ ということを、ようやく理解し 「始めた」。

それは、言い換えれば、「その人がその人のままでOKな自分」

「この世界でOKな自分」 ということだ。

そんな話は、30代でもさんざん聞かされてきたことなのだが、

どうも概念の域を超えなかったようだ。

理解し始めた とは言え、それでもやはり ほとんどの場合、

一々反応してしまうのだが、少しずつではあるが、その度合がゆるく、

又、その回数が少なくなっていっているような気がするのだ。

20代だったら、絶対許せなかっただろう場面で、大した反応もなく

通り過ぎていくようなことが、たまに起こってくるのだ。

きっと、こうやって少しずつ成長というか進化していくのかも知れない。


50代、60代になったら、もうちょっと反応しなくなって、

もう少しだけ人生のからくりが、理解できるようになるのかもしれない。

それが、「年を重ねる」 ということなら、大いに結構だ。

年を取れば取るほど人生は、穏やかに楽になっていくわけだ。

現実には難しい 爺さん、婆さん もいるようだが、

そうならないように 年を重ねたいし、重ねる道があるように思う。

そんな風に考えると、150歳ぐらいになると、ほとんどのことで

動じなくなり、200歳ぐらいになると全く動じない、人生のマスターに

なれるような気がする。

が、残念ながら、肉体の方がそこまでもたない。

年とともにある程度は、反応も緩やかになるだろうが、

私たちの寿命では、人生をマスターするには どうにもこうにも短すぎるのだ。

で、「反応」 をしない自分を磨きつつ、

もう一つのリリースへの道も歩むことになる。

それは、「反応」 しなくなることではなく、

「反応」 に、振り回されない自分を手に入れること。

以前、読んだラジニーシの本に、こんな風なことが書かれていた。

(本が手元にないので大分違うかもしれないが、私の記憶ではこんな風だ。)

 あなたは、空だ。
 感情は、雲だ。
 雲はやがて流れ消えてなくなる。
 雲が消えればそこには、晴れた空がある。
 あなたは、雲ではない。

つまり、人は、感情が起こってくる 「場」 ではあるが、「感情自体」 ではない、と

分かりやすく説いていた。

毎日のように、「カッとなって」 人を傷つけた、殺した、というニュースを聞く。

怒りは、雲であって、自分自信ではないと、掴むことが出来たなら、

犯罪も減るだろう。

あるセミナーでは、感情と行動を区別することで、

「感情を持つ」 ことを説いていた。

「腹が立っているから、仕事ができない」 ではなく、

「腹が立っている。そして、仕事をする」 というわけだ。


反応しない自分にしろ、反応 (感情) に振り回されない自分にしろ、

手に入れるための道のりは、遠く険しい。

頂上にたどり着くまでに、ほとんどの人が死んでしまう。

「どうせ、死ぬのだから」 と自暴自棄に生きることもできる。

が、生まれたからには、頂上に向かって昇り続ける、

それが人生という旅だろう。


ふっ、今日は、なぜか哲学的な夜だぜ・・・。





2008.3.20

Purpose of Life

「食べるために働いているのですか?働くために食べているのですか?」

と聞かれたら、何と答えるだろう?


3人の石工の話。

有名な話でご存知の方も多いと思う。

色んなところで聞いたり読んだりしたが、少しずつ違っていて

どれが元々の話か分からないが、概ねこういう話だ。

旅人が3人の石工に 「何をしているのか?」 と尋ねると、

1人目の石工は、「見ての通り石を積んでるんだ」

2人目の石工は、「食うために働いてるんだ」

3人目の石工は、「あそこに世界一の教会を建てているんだ」

と答えた。

この話を引用した講師や著者は、

「どの答えも間違ってはいないが、成功したければ、3人目のように

大きな目的を持って仕事に取り組め」

と説いていたり、どれが良いとは言わず、単に

「あなたはどうのように仕事に取り組んでいますか?」

と問いかけてきたりする。

多少使い方は違うものの、結局、3人目の答えが一番で、

「成功したいなら (または、有意義に生きたいなら)

そのように大きな目的を持て」 という風に使われていた。

私自身、そうありたいと、この話を初めて聞いた20代前半の頃より、

ずっと思っていたが、ここ数年、考えが変わってきた。

「行為=目的」 これが、今の私の理想だ。

冒頭の質問に答えるなら、

「食べるために食べ、働くために働く」 だ。


何のために音楽をやるのだろうと考えた時期があった。

そのたびに、色々な目的を創った。

「自己表現のため」

「音楽を通して人を力づけるため」

または 「癒すため」

あげくの果てに 「人類の進化を促すため」 だったり

「人々をいざなうため」 だったり (どこへ?)。

そんなことを考え始めたのは、3人の石工の話もそうだが、

「好きで音楽やっている人と、人の役に立つために音楽やっている人とでは、

どちらが大きな仕事を達成するでしょう?」

というような質問に出会ったからだ。

もちろん大きな仕事を達成したいと思っていた。

それで、目的を創るのだが、創った時は、なんとなくうれしくて、

自分がひと回り大きくなたような気がするのだが、

数日もすればそんなことは忘れてしまい、

また何かの壁に当たったときに、「何のためにやってるんや?」 と

自問自答を繰り返してきたのである。


それで、今のところ、私の結論は、こうだ。

・大きな目的を創らなければ、やりがいのない(やりたくない)ような
 仕事は所詮面白くないのだから、別にやらなくて良い。

・たとえば 「〜のため」 という目的を掲げても良いが、あくまでもそれは、
 (後付の)モチベーションを上げるためのテクニックにすぎず、
 その行為が自分のものになっていない場合、結局モチベーションは
 維持できない。

・面白いこと、好きなことは、目的なんかなくてもやる。

・「なんでやってるの?」 「何のためにやってるの?」 の質問に
 「好きだから」 「やりたいから」 に勝る答えはない。


時々、「人々にメッセージを伝えるため」 に活動していると言う芸術家がいる。

その人がそう言うのは否定しないが、それは、私は後付だと思う。

その人が、最初に歌を唄った時、最初に演奏した時、最初に踊った時、

最初に演じた時、最初に絵を描いた時、そしてそれが楽しい、面白い、

やりたいと感じた時、それが、その人がその行為を続けている 「元」、「源」

なんじゃないか。

その瞬間に 「〜〜のため」 なんてなかったはずだ。

好きだから、やりたいからやってきたそのことが、

人々の役に立つようになって、

例えば、「チャリティのため」 に演奏することはできるだろう。

「祈りのために」 演奏することはできるだろう。

いや、正確に言うと、「祈りのため」 に演奏するのではなく、

「演奏すること自体」 が、その人にとっての 「祈り」 なのだ。

けっして、祈りの 「ために」 演奏するのではない、と私は思う。

以下は、あるサイトで見つけた、

加藤登紀子が毎日新聞のインタビューに答えた言葉の一部だ。

  鳥はなぜ飛んでいるの? 飛ぶように生まれてきたから。
  人間はなぜ生きているの? 生きるようにできているから。
  理由なんていらない。
  おなかがすいたら食べる。けがすれば癒やす。
  生きることに目的も理由もいらない。
  生きることの中に答えがある。それが命だから。






2008.3.20

ノーカントリー

今年、アカデミー賞を4部門受賞した 「ノーカントリー」 を観て来た。

原題は、「No Country for Old Man」 。

たぶん、「アメリカは今や年寄りの住む国ではない・・・」

そんなメッセージなんじゃないだろうか。

映画は、やや難解。

娯楽として、無条件に楽しめる作品ではない。

監督は、コーエン兄弟。

以前観た、彼らの作品 「ファーゴ」 を観終わった時と同じような

すっきりしない感じ、不条理感が残った。

アメリカの銃や麻薬や殺人のことを十分に理解しないと、

何故、この映画が賞賛されるのかは分からないのかもしれない。

それにしても、助演男優賞を受賞した ハビエル・バルデム は怖かった。

どこかで観たことあると思っていたら、「海を飛ぶ夢」 の人だった。

全く、別人。

バナナマンの日村かと思った。





2008.3.21

リーボック 続編

ちょっと前に、「リーボック (Reebok)」 は、

「李(リー)」 さんと「朴(ボク)」 さんが共同で作った会社だ、

という話を信じていた、と書いた。

20年くらい本気で信じていたものだから、私以外にも

そういう人がいるはずだと思い、数人に直接聞いたが、

皆、ジョークだと知っていたらしい。

「えっ?ホントにホントに俺だけ?」

あまりにも間抜けすぎて、ちょっと足がガクガク震えるような感じ・・・

数人に聞いた中で、一番ショックだったのは、妻だ。

彼女も、きっと間違いなく、「李」さんと「朴」さんの会社だと

信じていると思っていたら・・・・・

なんと、「リーボックはイギリスの会社なのにそんなわけないでしょ」 と

言い出した。

あぁぁあぁぁ〜、

ホントに私だけ・・・

世界、ひとりっぼち。

でも、さすがは我が妻、その後に彼女はこう言った。

「それで、その李さんと朴さんって 中国人なの? 韓国人なの?」


そんなんどっちでもええやろ!





2008.3.22

明日への遺言

観てきた。

これまた評価が真っ二つに分かれている映画だ。

第二次大戦後、戦争末期に名古屋を無差別に空爆した

米軍捕虜を処刑したとして、B級戦犯として裁判にかけられた

岡田資中将(藤田まこと)の物語。

彼は、全責任は自分にあるとし、部下を守ろうとする。

そのリーダーとしてのあり方や、責任の取り方は素晴らしく、

大勢の人が知るに値すると思う。

が、映画として私の感想は、イマイチだ。

竹野内豊のナレーションが不評だが、私はそんなに気にならなかった。

それよりも岡田中将の部下を演じる人たちの演技や、

「なんで、獄中でポッチャリしてるの?」 と映画の関係ないところに

ひっかかり、やや白けてしまったので残念。

岡田中将の家族も 富司純子以外は要らない感じ。

家族愛も描きたかったのだろうが、なんとなく興ざめ。

なので、残念。

もうちょっといい映画に出来たんじゃないかって感じ。

でも、絶賛している人達もいるわけだから、感じ方の違いなのだろう。


戦犯裁判。

さんざん殺し合いをした後、裁判で人を裁く・・・

人間って愚かだ。





2008.3.23

チーム・バチスタの栄光

先日観た映画 「チーム・バチスタの栄光」 の原作を読み終えた。

「このミステリーがすごい!」 大賞 を受賞し、映画化までされた

作品だから、当然面白かった。

映画では、竹内結子 演じる田口という医者が原作では、

男性だったり、細かい部分が映画とは違い

原作ならではの面白さがあった。

白鳥という役人を映画では、阿部 寛 が演じていたが、これは、

イメージにピッタリだった。

でも、推理小説はやはり犯人が分かってちゃダメだな、と思った。

その分だけ、面白さは損した気分。

知らなかったら、もっと面白かっただろう。

著者は、海堂 尊、これがデビュー作(2006年)で、

その後も精力的に執筆を続けているようだ。

「チーム・バチスタの栄光」 は病院が舞台でかなり専門的な

記述が出てくるので、どうやってこういう知識を得るんだろ、と

思っていたら、現役の医師らしい。

なるほどね。


この 「ひとりごと」 を書き出して文章を書くことに少し興味が

沸いてきたのだが、こういう優れた作品を読むと、自分の文章が

まだまだ幼稚だな、と思ってしまう。





2008.3.24

告白! 驚くべき行動

あれは、今から、15年ほど前、まだ大阪に住んでいた、

30歳の頃の話。

大阪キタで友達と一杯飲んだ帰り、地下鉄御堂筋線に乗っていた。

誰かと一緒だったような気もするが、記憶が定かではない。

車内は、座れないで立っている人がまばらにいるぐらいの混み様。

時間は、きっと夜の9時か10時頃だったろう。

淀屋橋駅で、年の頃なら20代半ばから 後半ぐらいのOLらしき3人組が

乗ってきた。

彼女たちも会社帰りに一杯やってきたのか、ちょっと酔っているようで

上機嫌だ。

私は座っていたのだが、

たまたま、左隣の席が一人分だけ空いていた。

3人組の一人が、「わたし、座るぅ〜」 と、そこへ座る。

すると、もう一人がふざけながら、その座った女性のひざの上に

「わたしも座るぅ〜」 と言いながら、座った。

そして、残りのもう一人も同じように

「わたしも座ろ〜」 と、その二人目のひざの上に座った。

その時だ。

何を考えたのか、私はすくっと立ち上がり、

「俺も す〜わろっと」 と言いながら、その3人目の女性のひざの上に

座ってしまったのだ!

もちろん、知らない人達だ。

座った瞬間、「しまったぁ!」 と思ったが もう遅い。

地下鉄の座席で大人4人が重なって座っている異様な光景。

一瞬 焦ったが、彼女たちは、私のそのノリに喜んでくれ(?)、

「難波(ミナミ)で飲みなおそう」 と誘ってくれた。

残念ながら、私は、持ち合わせがなかったので (情けない・・・)

なんとか適当な理由を言い、お断りした。

それにしても、あんなことを公然と無意識にやってしまうとは、

我ながら、オソロシイ。

が、オモシロイ。

ただ、周りの人たちに対してちょっと恥ずかしかった。





2008.3.26

赤ちゃんはどうしてできるの?

読者の皆さんは、赤ちゃんがどうしてできるか、

いつ、どうやって知っただろう?

私は、あまりの衝撃に その時のことを今でもハッキリと覚えてる。

あれは、小学4年生の時、

大阪から東京へ親戚の結婚式へ行った帰りの新幹線の中でのこと。

あまりに退屈で、大人たちが読んだ後の週刊誌のマンガだけを

拾い読みしていた。

その中の一つに、性教育を扱った真面目なマンガがあった。

中学生の娘 (だったと思う) に

「赤ちゃんは、どうしてできるの?」 と質問された親の困惑を

描いたもので、最初、親はなんとか ごまかそうとするのだが、

最後には、娘にセックスのことを真面目に教える、というストーリーだった。

親が娘に教える記述だから、当然 子供にも分かりやすい表現で

書かれていたのだ。

それまで、どうして赤ちゃんが出来るかなんて考えたこともなかった。

結婚したら、自然に出来るぐらいに思っていた。

それが、なんと ●●●● を ●●●● に ●● すると言う。

小学生にとって何が衝撃って、その行為を両親がしたってこと。

しかも2回も!(うちは、二人姉弟だから2回もしたんだと思った。)

そんなことを知ってしまった小学4年生の男子が

黙っていられるはずがない。

数日後、クラスの女子んちへ遊びに行った時、

私は5、6人の女子を前に、性教育の授業をしたのであった。

かなり自慢げにその知識を披露した。

でも、今から考えると、女子たちは、とっくに知ってたのかも・・・。





2008.3.29

クレジットカード不正使用

昨夜、家の留守番電話にクレジットカード会社より、

「電話をください」 とメッセージが残っていた。

何だろう? と思って今日かけてみたら、

私のクレジットカード(以下 「カード」 という)が不正使用された

疑いがあるので、その確認だという。

一昨日から昨日にかけて、インターネットで5000円のゲームを

数十回、合計14万円分 購入したことになっているらしい。

もちろん、覚えがない。

カード会社側には、怪しい購入を発見するシステムがあるらしく、

セキュリティがかかり、カードは昨日の時点で、使用できないよう

止められた。

新しいカードが届くまで (カード番号は変更される) 一週間ほど

カードが使えないこと、パスワードを変更しなければならないこと、

インターネットの通販サイトに登録してあるカード番号はもう使えないので

登録しなおす必要があること、この3点が私の被害で、

ゲーム代金(料金?)は 支払わなくて良い。

私は、カードを使いすぎることの無いよう、使うたびに手帳に

メモしているので、いつ、いくら使ったか分かるが、

もし、月に数十万や、百万円以上 カードを使う人で、

被害金額が数万円だったら、カード会社も本人も見落とすかも知れないな

と思った。

もちろん、何度も使われればそのうち発覚するだろうが。

私だって、今回の金額が5000円とかで一回きりだったら、

「何に使ったっけ?」と思っても、それ以上追求しなかったかも

知れない。

そう思うと、犯人の欲深さが犯罪を発覚させてくれる、ということか。

私は、月に必ず数回インターネットでカードを使う。

そのほとんどは、Amazon のように繰り返し使用するサイトだが、

たまに一回だけ使用するサイトもあったりする。

最近は、楽譜のダウンロードにアメリカのサイトでも使用するように

なった。

全部英語なのでちょっと不安だが、数回使った。

今回、どのサイトから私のカード番号が漏洩したのか分からないが、

カード会社が怪しい購入履歴をいち早く発見してくれて良かった。

きっと自動的に検出されるのだろうが、金額や回数が少ないと

100%発見されるわけではないだろうから、要注意だ。

読者諸氏も カードの明細は毎月確認されたし。

そして、各サイトのセキュリティの向上と、何よりも

そういう悪いことをする人がいなくなることを望む。





2008.3.30

我が家の性教育

3.26に書いた 「赤ちゃんはどうしてできるの?」 を読んだ読者から

最近の小学校では、4年生で、男女一緒に身体の変化や生理や精通や

男性が勃起することなんかを習う、とメールを頂いた。

そ、そんな専門用語を並べられても困るのだが、時代は変わったな。

さすがに、具体的なセックスのやり方は習わないようだが、

そこまで習えば、想像つくよなぁ・・・。

年頃になれば、異性やセックスに興味を持つのは、極めて正常なこと、

健全なこと。

そう言えば、私のおかんは、私が中学1年の頃、

「女の人の裸の写真、見たかったら、堂々と見て ええねんで。

隠れて見んでも ええねんで。」って、言ってた。

隠れて見るから、楽しみが倍増するのを知らんかったんやろか。

第一、どんな顔して、おかんの前でエロ本見るねん。





2008.3.31

カンナさん大成功です!

韓国のアカデミー賞で最多12部門ノミネートを成し遂げた

ラブコメディー、「カンナさん大成功です!」 を観てきた。

原作は、日本のコミックらしい。

身長169センチ、体重95キロのヒロインが、

全身整形で美貌を手に入れ、スター歌手としてサクセスしていく、

というストーリーで、笑いあり、涙ありで楽しめた。

帰ってきて、ヤフーのユーザーレビューを見てちょっとびっくりした。

いつものように賛否が分かれているのだが、思った以上に

「否」 の意見・感想が多い。

「韓国映画に絶望」 「大失敗」 「救いようがない」 「ダサい」

「気分悪かった」 「ばか丸出し」 「つまんない」 等々、スゴイ意見が続く。

もちろん、「良かった」 という声も多くあり、

全体としては、4.24 点 (5点満点)と高得点なのだが、

否定的意見の数が私の予想をはるかに上回っている。

なぜか。

私には、けっして、美容整形を称えている映画には思えなかった。

整形して自分を見失ったヒロインが、整形前の自分を受け入れることでのみ

自分を取り戻す、そんな風に思えて、「整形したって幸福ではないよ」 という

整形に対するアンチテーゼにさえ解釈できる内容だった。

が、否定的意見の多くは、「整形万歳」 の映画だと観たか、あるいは、

「整形」 というものに過剰に反応し、娯楽として観られなかったようだ。

確かに結局、彼女は大成功してしまうので、

「整形を否定しているわけではない」 「整形万歳」 とも取れるだろうし

本来どういう風に感じるかはその人の個性なので、

何が正しい、ということはないのだろうけど、

同じ映画を同じ国民が観たって、こんなにも違う解釈をするのかと

今回はいつも以上に考えさせられた。


映画の内容と関係ない話になってしまった。




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