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つつみしんやのひとりごと  BOOK
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2007.10.31



iPodを持ち歩くようになってから、読書をしなくなったのだが、久しぶりに本を読んだ。

水野敬也著 「夢をかなえるゾウ」

おもしろくて、ほとんど一気に読んでしまった。

もう、成功哲学や自己啓発の本は、(いくら読んでも成功しないのが分かったから)

読まなくていい、と思っていたが、これは面白い。

自己啓発といってもこれは、ガネーシャという大阪弁の神様が登場するコメディしたての小説だ。

成功に関して書かれている内容は、目新しくないのかも知れないが、

楽しくどんどん読めて、即、自分の生活に活かせる項目がいくつもある。

そして、その手の本を「いくら読んでも成功しないのが分かったから」と書いたが、

なぜ、成功しないのかも、分かりやすく書かれている。

もちろん、この本を読んだからといって誰もが「成功」するわけではない。

そもそも、「成功」って人によって違うだろうし。

そんなことを含めてもこの本は、面白いと思う。


私もこの本の主人公と同じく、自分を変えたいと思っていた時期があった。

20代前半の頃、私の本棚には、「大物になる本」なんていうタイトルの本が並んでいた。

今なら、「そんな本読む奴は、絶対大物ちゃうで。大物はそんな本読めへんで。」と思うのだが、

あの頃は、そういう本を読めば自分も大物に「なれる」と信じていたし、

自分は「こんな本読んで勉強してるぞ」と友達に誇っていたものだ。

今思えば、いかに自分が小物かを吹聴していたようなもので、ちょっと トホホ な感じだ。





2008.3.23

チーム・バチスタの栄光

先日観た映画 「チーム・バチスタの栄光」 の原作を読み終えた。

「このミステリーがすごい!」 大賞 を受賞し、映画化までされた

作品だから、当然面白かった。

映画では、竹内結子 演じる田口という医者が原作では、

男性だったり、細かい部分が映画とは違い

原作ならではの面白さがあった。

白鳥という役人を映画では、阿部 寛 が演じていたが、これは、

イメージにピッタリだった。

でも、推理小説はやはり犯人が分かってちゃダメだな、と思った。

その分だけ、面白さは損した気分。

知らなかったら、もっと面白かっただろう。

著者は、海堂 尊、これがデビュー作(2006年)で、

その後も精力的に執筆を続けているようだ。

「チーム・バチスタの栄光」 は病院が舞台でかなり専門的な

記述が出てくるので、どうやってこういう知識を得るんだろ、と

思っていたら、現役の医師らしい。

なるほどね。


この 「ひとりごと」 を書き出して文章を書くことに少し興味が

沸いてきたのだが、こういう優れた作品を読むと、自分の文章が

まだまだ幼稚だな、と思ってしまう。





2008.5.18

スリ

「神様がくれた指」 (佐藤多佳子著)を読んだ。

読みたかったというわけではなく、妻の物で たまたま家にあったので

半身浴しながら、数日かけて読んだのだが、これが面白かった。

タイトルの神様がくれた指とは、スリの指のこと。

主人公は2人いて、そのスリと占い師。

占い師が、ひょんなことからスリと知り合いになり、

ある事件に巻きこまていく。

面白いもので主人公のスリが仕事(スリ)をするシーンでは、

見つからないように、つかまらないように、と思いながら、読み進めた。

犯罪の成功を祈るなんて、とんでもない話だ。

でも、そんな気持ちになるぐらい、文章がうまい。

まあ、スリの被害にあったことがあれば、

そんなこと言ってられないのだろうけど。

スリルがあって、映画にしても、面白そうなストーリーだ。

そして、エンディングがすがすがしくて、良かった。

あと、電車に乗っている時、かばんの持ち方に気をつけるようになった。





2008.5.21

私は男より預金通帳が好き

韓国では、ちょっとした貯蓄ブームを巻き起こしたという本。

妻に勧められたので読んでみた。

原作は、韓国のカン ソジェ。

1973年生まれの放送作家。

彼女が27歳の時、自分が5年間 働いて貯金がろくにないことに

気づき、それから2年と10ヶ月間で1000万円貯める、壮絶(?)な話。

お金を増やす方法は投資などではなく、ひたすら節約。ひたすら貯金。

健康を害してまでやる価値があるかどうかはともかく、

彼女が変化していく様は、興味深い。

最後には、達成したものだけが知りえる世界が広がっている。

私が一番印象に残ったのは、お金持ちを軽蔑していた彼女が、

自分がお金を持つことで、お金持ちに対する考え方が変わっていくくだり。

特に、お金持ちはケチだと思っていたのに、お金を持つと

使わなくても幸せなんだ、という発見は、なるほどと思った。

そして、彼女はステキなお金の使い方にも目覚める。

誰もができる貯蓄方法ではないが、

自分の無駄遣いを省みさせられる内容だった。

ハウツー物ではなく、エッセイという感じなので、

それを読めば1000万円貯める秘訣が分かるわけではない。

いや、秘訣といえば秘訣かな。

原文もそうなのだろうが、訳が素晴らしい。

親しみやすく、サクサク読み進められる。

ちなみに妻も私も貯金は、苦手だ。


私は男より預金通帳が好き





2008.5.22

JAZZ

最近、久しぶりに読書欲が出てきたので、

昨日は高円寺に行くまで電車の中で読もうと五反田の本屋で

「マイルスに訊け!」(中山康樹 著)を買った。

マイルス・デイヴィスの語録集で、文字数は少なかったので

往復の電車の中で読み終えてしまった。

印象に残ったのは、

・ふり返るな。謝るな。説明するな。同じことをくり返すな。

・そこにあるものは演奏するな。そこにないものをやれ。
 誰もが知っているものは演奏するな。誰も知らないものをやれ。

・オレがやったことは、他の連中がコピーしたとき、はじめて理解される

JAZZを本格的に聞き出したのは、この数年のことなので

知らなかったのだが、マイルスは、自分をジャズミュージシャンと

呼ばれることを 嫌ったらしい。

彼は、ジャズをやっているとは思っていなかったようだ。

ジャズという言葉は、白人が勝手につけた差別用語だと思っていたようで

自分の音楽は、「ブラックミュージック」 だと言っていたらしい。





2008.6.5

引き寄せの法則

友人に勧められて 「引き寄せの法則」 という本を読んでいる。

20代後半ぐらいからだっただろうか、所謂 “精神世界” や

“あっちの世界” に関する本を数多く読んだ。

そして、この数年はその手の本から遠ざかっていたのだが、

久しぶりに興味を持ったので読むことにした。

内容は、以前何かで読んだことも含まれるのだが、

それらを分かりやすく、総括的に書かれている感じ。

一言でまとめると、「全ての経験は、自分が引き寄せている」 と

いうことだ。

うれしいことも、いやなことも、全部だ。全部。

違う言い方をすれば、

「人は、自分の関心のある出来事を引き寄せる」 とも言える。

病気のことばかり考えている人は、病気になる。

失敗の心配ばかりしている人は、失敗する。

繁栄に関心のある人は、繁栄する。

楽しいことを考えている人は、楽しい人生。

文句ばっかり言ってる人は、文句を言わなければならないような

出来事が次々起こる。

全部、自分の思考が起こしている(引き寄せている)というのだ。

「いや、そんなことないだろ、俺はいつも成功することを考えてきたのに

ダメだったぞ」 という方、なぜ、ダメだったかも説き明かされます。

私達の毎日の思考は、そのほとんどが無意識で、

自分が何について思考しているか、気付いていない。

だから、欲しくない経験も引き寄せてしまう。

いや、気付いていてもその思考が、自分の人生に起こってくることと

関係あるとは、思っていない。

もし、今日の自分の思考が、明日の自分(の経験)を作り出すと

したら、自分がどんなこと思い考えているか、注意を払うだろ?

私自身、読み始めてから、自分の思考に注意を払うようになったが、

なんと、ネガティヴな思考の多いことよ!

で、ネガティヴな思考に気付いたら、

さっさと違うことに関心を向けることが肝のようだ。

自分が心地よい、楽しくなることに。

今までイヤなこと考えていたのに、それに気付いたからと言って、

パッと考えを変えるのは、初めは難しい。

それで、思いついたのが、ずっと欲しいギターのことを 考えることにた。

それが、手に入ることをね。

これなら、簡単に関心の対象を変えられる。

ちょっと実践してみて、スゴイことになってみるよ。

またの報告を乞うご期待。


「実践してみて・・・」 と書いたけど、人は誰でも、そのことを知っていようと

知らずにいようと、その法則に従って引き寄せ続けているのだから、

「実践してみて・・・」 というのは、正しくないな。

もう、誰もが実践しているのだから。


引き寄せの法則

引き寄せの法則 オフィシャルサイト





2008.10.5

1日3時間しか働かない国

たまたま書店で 平積みしてあるのを見て、読んでみたくなって

買った 「1日3時間しか働かない国」

著者 シルヴァーノ・アゴスティは、イタリアではそこそこ有名な

作家・映画監督のようだ。

帯には、「イタリアでベストセラーの未来社会モデル、

大人の寓話、本邦初訳!」 とある。

何か、感動するような話を期待して読んだのだが、

私にはちょっと期待はずれだった。

1日3時間以上働く人はいない国、キルギシア。

偶然このキルギシアを訪れた主人公が イタリアの友人に向けて、

その国の素晴らしさを手紙で伝える、という話だ。

もちろんそんな国があったら、素晴らしいとは思うけど、

あまりに現実離れしていて、途中からちょっと抵抗が出てきた。

ここに書かれている理想の社会にワクワクしないほど、

私は、現代社会に毒されているのかもしれない。

訳者あとがきにはこう書かれている。

「読み終えるのに時間はさほどかからないが、

読み終えた後には長い時間考えさせられる小説なのである」。

人間らしい暮らし・社会とは何か、

私たちはこれからどんな世界を創って生きたいのか、

考えさせられる、というより、考えた方がいいな、と思わされる。





2008.10.12

その日の前に

数日前、会社の Y さんが、「泣くよ、これ」 と言って、

一冊の文庫本を差し出した。

重松清の 「その日の前に」 という短編集だ。

確かに・・・泣いた。

半分以上、電車の中や喫茶店で読んだのだが、

ちょっと困ってしまった。

と言っても、あふれそうな涙を指でぬぐうぐらいだったのだが、

後半の2話は、やばい。

家で一人の時に読んで良かった。

もう、嗚咽・・・。

涙と鼻水で、ティッシュの山。

たぶん、今まで読んだ本の中で一番泣いたと思う。

これから読まれる方は、くれぐれも通勤電車では読まないように。


7つの短編のうち、後半3話は、続いている。

そして、そのほかの話も、上手い具合につながっている。

映画化され、11月に公開されるようだが、

これは、観るかどうか、ビミョウだな。

あまりに原作がすばらしいので、映画を観てガッカリしたくない。

先に映画を観るパターンの方が、良かったな。

「手紙」 や 「西の魔女が死んだ」 など、映画先で原作も良かったからな。


タイトルの 「その日」 は、愛する人が亡くなる日。

この数年、妻や夫を亡くした人を身近に数人見てきた。

誰にも 「その日」 は、必ずいつか来る。

自分が先に逝くにしろ、誰かが残る。

普段、考えないけど、絶対避けられない別れが、

まるで 「覚悟しとけ」 と言わんばかりに強烈に迫ってくる作品だ。

そして、生きること、死ぬこと、死による別離の意味を考えざるをえない。

答えのない、問いかけを。


もうひとつ、この作品について、エピソードがある。

3つめの物語 「潮騒」 を読み始めて、3〜4ページで、

(あれ? この話、知ってるぞ) と思った。

重松清 という作家の名前は、知っていたが、

作品を読むのは、初めてだ。

ちょっと考えて思い出した。

昨年3月、劇団一の会の公演を観に行ったのだが、

その時は 芝居ではなく、「語りの楽しみ」 というタイトルで、

3つあった演目の一つが、この 「潮騒」 の朗読だったのだ。

ちょっとスゴイ偶然。

それは、末期癌を宣告された男の話。

あんまりそういうこと心配するのは、引き寄せの法則からいって

望ましくないことなので、深く考えないことにした。





2008.10.18

歴史小説

私は、高校を日本史の単位を落として卒業した。

同じく高校時代、ある学期の中間テストか期末テストの

世界史の点数が、4点だった。

もちろん、10点満点ではない、100点満点だ。

0点でなかったのがうれしくて、今も覚えている。

何しろ面白くなくて、ほとんど試験勉強などしたことがなかったのだ。

そんな風に、私と 「歴史」 との相性は悪い。

ゆえに歴史小説など読んだことがない。

たまに、坂本龍馬のことなど、TV で観て興味を持ったこともあるが、

歴史小説は、長編ものが多く、また歴史への苦手意識もあって、

手をつけたことがなかった。

ただ、時代劇は、嫌いではない。

数年前、池波正太郎の 「剣客商売」 全19冊を読破したこともある。

映画もこの数年、「武士の一分」 「隠し剣 鬼の爪」

「蝉しぐれ」 などを観ている。

まあ、時代劇と歴史小説は、全然別物だが。

その歴史苦手の私が、このたび、初に歴史小説を読み始めた。

司馬遼太郎の 「坂の上の雲」 。

明治維新から、日露戦争あたりの時代を舞台にした大河小説。

全8冊。


時々来るメールマガジンがあって、それは記事が面白いので

必ず目を通すのだが、そこで 「坂の上の雲」 のことを紹介していた。

面白そうだなと、Amazon で見てみたら、

そのカスタマーレビューが、凄かった。

 「司馬遼太郎にありがとうを言いたい気持ちになった」
 「出会えて本当によかった」
 「歴史に残る作品」
 「問答無用でおすすめします。」
 「学生時代に読んでいれば、今とは違った道に進んでいたかもしれない」
 「『文芸春秋』で日本人に読んでほしい歴史書1位」
等々。

これは、えらいもんに出会ってしまった。

読むしかないやろ。

ということで、早速、帰り道、本屋さんへ寄った。

文庫本を手に取ると、帯には、

「NHK スペシャルドラマ 2009年放送開始」 とある。

私が読んだメールマガジンには、そのことは触れていなくて、

全く違う話で紹介されていたので、これはタイムリーな偶然だろう。

1巻目の半分ぐらい読んだが、これは、面白そうだぞ。





2009.4.20

なぜ牛丼屋でジャズがかかっているの?

先日、著者 (守屋純子) のライヴ会場で購入した本、

「なぜ牛丼屋でジャズがかかっているの?」。

読みやすい内容で、ほとんど一気に読み終えた。

タイトルからして、数年前に読んだ 「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」

のような内容を勝手に期待したが、

なぜ牛丼屋でジャズがかかっているについては、

冒頭の2ページで触れられているだけだ。

あとの内容は、牛丼屋とは関係ない、彼女のジャズとの出会いであったり、

プロになるまでのエピソードであったり、外国へ演奏旅行に行った

紀行文であったり、色々だ。

普段知ることができない、プロミュージシャンのナマの声なので

中々面白かったし、勉強にもなった。

国による、JAZZへの関わり方の違いとかも興味深い。

興味のある方はどうぞ。


なぜ牛丼屋でジャズがかかっているの?





2009.6.29



1994年6月27日の松本サリン事件で、被害にあわれ、

警察とマスコミに犯人扱いされ、大変な人権侵害を被られた

河野義行さんのことを 数日前にテレビで観た。

6月27日は事件から、ちょうど15年ということで

それに合わせての報道とスペシャルドラマだった。

その河野義行さんの昨年の著書、

命あるかぎり―松本サリン事件を超えて」 を

番組を観てすぐに Amazon で頼んだ。

今日届いたのだが、一気に読み終えた。

少し前、「足利事件」 で、菅家利和さんの冤罪被害が

ニュースをにぎわせていたが、

本書には、なぜ冤罪事件がなくならないか、

どこに問題があるのかも指摘されていて、分かりやすい。

この本を読むと、なぜこの人がこんな目に遭うのだろうか、と疑問がわく。

と同時にそういう人だからこそ、背負った使命も大きいのかとも思う。

昨年、奥さんが14年間意識不明のまま亡くなられた。

どれだけ、奥さんのことを愛しておられたかも、

痛いほど伝わってくる。

結局、奥さんは、殺されたことになるのだが、

それでも彼は、加害者を憎んでいない。

それぐらい、この人の生き方は、シンプルで明確。

タイトルの 「命あるかぎり」 の後には、

「楽しく生きる!」 という文章が続くのだろう。

私が彼の立場だったら、とてもじゃないが、

犯人たちを赦せないだろう。

でも、それでは楽しい人生は ないんだな。

「家族がテロの被害にあって殺されたり、

自分が犯人扱いされたりして、何が楽しい人生ですか!」

って、思う人は、楽しくない人生だもんな。





2009.6.30



昨夜は、一冊本を読んだことを書いた。

実は、もう一冊、同時に購入した本があり、

それも、昨夜 寝る前に一気に読んだ。

20〜30分で読み終える読みやすい本だった。

タイトルは、「大切なキミに贈る本」 (石井裕之 著)。

ヒーリングというかセラピーというか、

読む者に力を与える本だ。

印象に残った言葉は、

 「人に与えることで、やがてそれが自分に戻ってくるのだ」 と
 言う人がいる。でも、そうではない。
 与えることそのものが、すでに幸せなのです。


う〜む、である。


以前は、割とスピリチュアル系の本をたくさん読んだのだが、

この数年は、めっきり減った。

知識やハウトゥは、あまり役に立たない、そんなにたくさんいらない、

ということが分かったせいもあるが、本のタイトルや宣伝コピーに

惹かれなくなったせいもある。

例えば、今作。

内容は、悪くないと思うのだが、タイトルの見出しが、

「必ず幸せになれる『読むセラピー』」 、

そして帯には、「幸せになるほんとうの方法」 と書いてある。

約47年間生きてきて、今思っていることは、

「幸せ」 とは、「なる」 ものではない、ということ。

「幸せな人が読む本」 と書いてあった方が、よっぽど、

興味をそそられると思うのだが、どうだろう?





2009.8.1

そうじ力

一昨日、寝る前に 何気なく本棚を見て、一冊の本を手に取った。

舛田光洋著 「夢をかなえるそうじ力」 という本だ。

数年前、妻に勧められ、読んだのだが、

もう、深夜の1時をまわっているにも関わらず、読み始めてしまった。

1時間ぐらいで読めてしまう本だ。

ちょっと乱暴にまとめてしまうと、

「そうじをすると運気が変わる、良くなる」 ということが

実例を交えて書かれている。

例えば、ニューヨークでは、1980年代、地下鉄の落書きを

5年間かけて、きれいに消したそうな。

その結果、2年後から犯罪が減り始め、最終的には、75%も減ったらしい。

これは、「ブロークンウィンドウ理論」 というものが、基になっている。

「ブロークンウィンドウ理論」 に関する説明を抜粋すると、


 1969年に行われた、スタンフォード大学の心理学者、

 フィリップ・ジンバルド教授による大変興味深い実験です。

 まず、街の中で比較的治安の良い場所を選びます。

 そこで1週間、「ボンネットを開けっ放しの状態で放置した」 自動車と、

 ボンネットを開けっ放しの状態に 「窓ガラスが割れている状態を加えた」

 自動車の、2つのパターンの様子を見ました。

 そこには、歴然とした差があらわれたというのです。

 ボンネットを開けているだけの状態では、

 1週間、特に何も起こりませんでした。

 しかし、その状態に窓ガラスの破損を加えただけで、なんと、10分後には

 バッテリーが持ち去られ、続いてタイヤもすべて持ち去られました。

 さらには落書きや投棄、破壊が行われて、1週間後には完全に

 スクラップ状態にまで破壊されたのです。

 窓ガラスが割られている状態をプラスするだけで、それがなかった状態と

 くらべて、略奪を受けたり、破壊される可能性が非常に高くなるのです。

 しかも、投棄や略奪、破壊活動は短期間のうちに、

 急激にエスカレートしていくということが分かったのです。

 「壊された窓」 という言葉から、この理論は 「ブロークンウィンドウ理論」

 と名付けられました。

 車の窓が割られている状態が、マイナスの磁場をつくり上げ、

 同質のものを引き寄せ、それはどんどん、エスカレートしていくという

 大変興味深い実験です。


「引き寄せ」 という言葉が登場したが、部屋が汚れていると、

マイナスな思考、現象を引き寄せるというのだ。

そうじをすることで、マイナスの運気を断ち切り、

「夢をかなえる」 ことができるとまで書いている。

著者は、この 「そうじ力」 本を十数冊出しており、

その合計は、200万部を越えているという。

それだけ、多く人に支持されるには、効果があるのだろう。

何かを変えたい人には、お勧めする本だ。


私の場合、引っ越して2週間、まだ少しだが片づけが残っていて、

今日も少し片付けた。

部屋がきれいになっていくのは、確かに気持ちが良い。


夢をかなえる「そうじ力」

舛田光洋 そうじ力研究会ホームページ





2009.8.14

坂の上の雲

読み終えた。

全8巻。

昨年10月に読み始めて、10ヶ月もかかってしまった。

明治維新から、日露戦争を舞台にした小説なのだが

途中、間があいて、(このままでは挫折してしまう) と

思ったこと数回。

違う本に手を出してしまったことも数回。

こんなに時間がかかってしまったのは、

小説と言っても、著者は、史実に忠実に日露戦争のことを

伝えようとしているので、あまりにも戦闘シーンが多く、

大勢の人達が死んでいくのがつらいのと

またそれが無意味な戦闘が多く、読むのがしんどかったためだ。

なので戦闘シーンが続くと読むペースが落ちた。

特に陸軍の戦闘。

8巻に入って、日本海大海戦はサクサクと読み進めたのは、

もうすぐ戦争も (この本も) 終わりと思えたからかもしれない。

読み終えて、たくさん思うことがあるが、思いつくままに書いてみたい。


司馬遼太郎はこの作品を書くのに、調査に5年、新聞に

連載しながら、書き終えるのに約5年費やしたという。

ちょうど、今の私の年齢 (47歳) の時、書いていたのだ。

その間、ほとんど人とも会わず、彼は40代をこの作品に

捧げたようだ。

ちょっと想像を絶する調査の作業。

昔、高校の先生が、

「本は一行書くのに、10冊読まなければならない」 と

言っていたが、まさに気の遠くなるような作業だったろう。

「明治維新」 「日露戦争」 「バルチック艦隊」 「日本海大海戦」 など、

言葉だけしか知らないことばかりだったが、

なぜ、日本がロシアを相手に戦争をしなければならなかったのか、

とても勝ち目のない大国相手にどうして勝つことができたのか、

よく分かった。

そして、その勝利がその後の昭和のおかしな時代をつくり上げる

大きな要因になったであろうことも。

日露戦争後の日本について、あとがきに、こんな文章がある。


 むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、
 その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として
 日本人の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。
 やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて
 敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。
 敗戦が国民に理性をあたえ、勝利が国民を狂気にするとすれば、
 長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものは
 まことに不可思議なものである。



日露戦争。

それにしても、よくやったし、よく勝ったもんだ。

あの時、負けていたら、おそらく日本はロシアの属国になり、

今とは違う歴史になっていただろう。

勝因は、当事国の軍隊、司令官の違いだけでなく、

国際世論が弱小日本国の味方だった (というより

ロシアが嫌われていた) とか、いくつかあるのだけど、

決定的に違うのは、闘う背景だ。

ロシアは、皇帝の軍隊、日本は国家の存亡を賭けた国民の軍隊。

(その後、日本軍は天皇の軍隊へと変わっていくことになるが。)

日本は、負けると国が滅びるのだ。

皇帝の私的欲望のための侵略戦争とは、命の賭け方が違う。

そしてそれは、作戦と司令官のあり方に如実に表されている。

読んでいて、ロシアの司令官の無能さに驚かされると同時に

そのために闘うロシア兵が気の毒になった。

(日本も陸軍にちょっと問題があったけど、触れると長くなるので

やめておく。)

総じて、明治の人達の心意気、勇気、愛国心、そういうものが

誇りに感じられる。

今、「愛国心」 と書くと何やら余計な要素が混じりそうだが、

江戸時代、藩はあっても日本という国など庶民にその概念さえ

存在しなかったのが、維新とともに 「国」 になった。

それまで、百姓の島だったのに欧米と同じように、軍隊を持ち、

国家となった、その国への思いである。

ひとつ間違ったら、欧米諸国の植民地にされかねなかった時代を

必死で日本という国を守りあげた、その思いのことだ。


そして、もうひとつ素晴らしいのは武士道精神。

何ヶ所か、武士道精神が描かれた箇所があるが、そのひとつ。

終戦後、日本海軍の司令官、東郷平八郎が、負傷し捕虜になった

ロシア海軍のロジェストウェンスキー提督を見舞う。


 「閣下」
 と、東郷はひくい声で語りかけた。
 「はるばるロシアの遠いところから回航して来られましたのに、
 武運は閣下に利あらず、ご奮闘の甲斐なく、非常な重傷を
 負われました。今日ここでお会い申すことについて心から
 ご同情つかまつります。われら武人はもとより祖国のために
 生命を賭けますが、私怨などあるべきはずがありませぬ。
 ねがわくは十二分にご療養くだされ、一日もはやく
 ご全癒くださることを祈ります。
 なにかご希望のことがございましたらご遠慮なく申し出られよ。
 できるかぎりのご便宜をはかります」
 東郷の誠意が山本から通訳される前にロジェストウェンスキーに
 通じたらしく、かれは目に涙をにじませ、
 「私は閣下のごとき人に敗れたことで、わずかにみずからを
 慰めます」
 と答えた。
 かれは戦闘概況をロシア皇帝に伝奏したいがその便宜を
 はかってもらえまいか、と東郷に頼んだ。
 東郷にはそれを許可する権限はなかったがすぐさま承諾した。



最後に、終戦後、連合艦隊の解散式で東郷が読み上げた

「連合艦隊解散ノ辞」 の一部が印象に残ったので紹介する。

これは、今作の重要な登場人物でもある 秋山真之が作った

有名な文らしい。


 神明はただ平素の鍛錬に力(つと)め戦はずしてすでに勝てる者に
 勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安(やすん)ずる
 者よりただちにこれをうばふ。
 古人曰く、勝つて兜の緒を締めよ、と



これって、ふだんの生活にも当てはまるよね。


「坂の上の雲」、11月から NHK でドラマ化されるので観てみたい。

なんと3年がかりで放送するようだ。





2009.10.22

はじめて考えるときのように

先日、仕事で往復2時間電車に乗ることがあった。

駅の売店で、何か雑誌でも買おうかと思ったら、

目に付いた文庫本があったので、買ってみた。

野矢茂樹 著、「はじめて考えるときのように

〜「わかる」ための哲学的道案内〜」 という本だ。

挿絵が多く、本当に往復の2時間で読み終えることが

出来る本だった。

著者は、哲学者で東大大学院の助教授をされている方だ。

哲学の本というと何やら難しそうだが、この本は、

タイトルに 「道案内」 とあるように、分かりやすく書かれている。

印象に残ったのは、「論理」 というものについて書かれたくだりで、

「よく、夢は非論理的だなんて言われるけど、あれは嘘だ」 という話。

非論理的というのは、例えば、「丸い四角」 や 「結婚している

独身者」 のことで、「家にいたのにドアを開けるとジャングルだった」

なんていうのは、非現実的で、不自然だが、非論理的ではない。

夢の中でも 「丸い四角」 には出会えないから、非論理的な夢など

ない、夢は、徹頭徹尾、論理的だ、と説いている。

なるほど、非論理的とは、そういうことか、と初めて知った。

その他にも、「考える」 とは、何をすることか、どこですることか、

など、興味深い話がいくつかあって面白かった。





2009.11.7

怒らないこと

数日前、書店で偶然見つけた本 「怒らないこと」。

アルボムッレ・スマナサーラというお坊さんの本だ。

別にいつも怒っているわけではないし、腹が立つことが

そんなにあるわけではないが、なんとなく興味があったので購入した。

「怒り」 は人間の大きな問題だ。

怒っている時は、けっして幸せではない。

著者は、怒りを弱いこと、恥ずかしいこと、汚いゴミ、

間違いの塊りとまでと言い、怒らない人生を推奨している。

まあ、怒りたくて怒っている人は、そんなにいないと思うのだが、

冒頭から、「怒りたいから、怒っているのです」 と

辛らつに切り込んでくる。

人は、「より良い人間になりたい」 と思っている。

が、それは正直な気持ちではないという。

正直な気持ちは、「私は正しい」 だと。

そして、その 「私は正しい」 というエゴが、怒りを生むと。

怒りは、暴力や殺人や戦争を生むと。

これ一冊読んだだけでは、もちろん怒らない人にはならないが、

元仏教徒 (前世、修行僧と言われたことがある) としては、

日々、意識してみることにしよう。

怒らなければ、穏やかでいられるもんね。





2009.12.31

朗読者

映画 『愛を読むひと』 の原作 『朗読者』 を読んだ。

再読である。

11月に映画を観て、もう一度 読もうと思っていた本だ。

以前は、本を読み終えると、裏表紙に小さく読み終えた日付を

記入していた。

この本には、「2001.1.3」 とある。

ほぼ9年ぶりの再読だ。

映画の感想 を読むと、「疑問があるので原作を読み直し、

疑問を解消したい」 と書いているが、何が疑問だったのか、

もう忘れてしまった。

原作の方には、映画では描ききれていない 細かな事象まで、

書かれているせいか、読後の疑問はない。

映画より原作の方が、少し、ヘヴィに感じた。

そして、読んでいる最中、映画のイメージが邪魔に感じた。

何作か、映画の後、原作を読んだ作品があるのだが、

映画のイメージが、邪魔に感じたのは初めてだ。

なので、映画のイメージ、特に、ケイト・ウィンスレットの

イメージが消えた頃、もう一度、読んでみたい。





2010.1.30

怒らないこと

数日前、友人から

「成城の書店で 『起こらないこと』 が、2位になっていた」 と

メールが来た。

彼は、私が読んだ 『怒らないこと』 を偶然にも読んでいて、今月、

著者のアルボムッレ・スマナサーラの講演会にも

一緒に行った友人だ。

今日、散歩がてら大崎まで歩き、その本を見つけた書店へ

寄ってみたら、なんとその書店では、新書の1位になっていた。

世の中、怒りに悩まされている人が多いということか。





2010.1.31

As A Man Thinketh

昨日、書店で ジェームズ・アレン著、

『「原因」と「結果」の法則』 という本を発見。

タイトルに惹かれ購入。

というのは、先日のアルボムッレ・スマナサーラの講演で、

「人生に起こる全てに原因がある」 という話を

聴いたところだったからだ。

薄い、読みやすい本なので、昨日のうちに読みきった。

この本は、1902年というから、100年以上前に

書かれた本なのだが、聖書に次いでのベストセラーとも

言われているようだ。

自己啓発本のバイブルとも言われているようで、

今までその手の本を結構読んできたのに

知らなかったのが不思議。

って、ただの勉強不足か。

内容は、非常にシンプル。

ひと言で言うと、「人生は、あなたの思っている通りになる」 。

そして、どうすれば良いかも書かれている。

ナポレオンヒルの 『思考は現実化する』 とか、

色んな自己啓発本の原点がここにある、という感じ。

最近流行った 『引き寄せの法則』 だって、

この本の21世紀版みたいな感じ。

古い本なのに 2003年初版というのは、どうしてだろうと思ったら、

すでに 『考えるヒント 生きるヒント』 というタイトルで 1997年に

出版されている。(出版社は違うけど 同じ訳者)

もしかしたら、その前にも何度か訳されて出ていたのかも知れない。

で、ちょっと調べていたら、なんと 和訳を全文 載せているサイト を発見。

これは、個人で訳された方がサイトに無料で公表しているもので、

こちらのタイトルは、『考えた通りに』。

原題の 『As A Man Thinketh』 は、そういう意味なのか。

訳者が違うので買った本と読み比べてみたら、文体の違いで

受ける印象が違う。

『考えた通りに』 の方は、(まだ全部読んでないけど) ストレートな印象、

本の 『「原因」と「結果」の法則』 は、分かりやすい表現を使った、

という印象。

両方、読んで理解を深めることにしよう。

ちょっと仏陀の教えにも通じる、良い本です。





2010.2.1

As A Man Thinketh - 2

(昨日の ひとりごと 「As A Man Thinketh」 を読んでからお読みください。)

ウェブ版 『考えた通りに』 を読んだ。

書籍 『「原因」と「結果」の法則』 と続けて読んだために

より理解できたように思う。

そして、いっそう 仏陀の教えに近いものを感じた。

それにしても 翻訳 という作業は、難しそうだ。

同じ原文が、訳者によってずい分違う訳になる。

もちろん、言いたいことは同じなのだろうが。

『「原因」と〜』 で、「理想家」 と訳されていたことが、

『考えた〜』 では、「夢想家」 となっていた。

『考えた〜』 を翻訳された高橋さんは、プロの翻訳家ではない分、

出版社の考えや意見が入り込んでいないだろう。

その分、純粋かも知れないし、偏っているかもしれない。

『「原因」と〜』 は坂本さんという方が訳者だが、

出版社の考え・意見が反映されている分、公平かも知れないし、

偏っているかも知れない。

また、その文体によっても受ける印象が変わってくる。

著者の言いたいニュアンスをそのまま読み取るのに

一番良いのは、原文で読むことなんだろうけど、今んとこ無理。


さて、「As A Man Thinketh」 のエッセンスのひとつは下記の文章に

集約されているように思う。

 私たちが手にするものは、私たちが手にしたいと願い、祈るものではなく、
 私たちが公正な報酬として受け取るものです。
 私たちの願いや祈りは、私たちの思いや行いがそれと調和したもので
 あるときのみ叶えられるのです。
  『「原因」と「結果」の法則』 より

 人は、願ったり祈ったりしたものを得るのではなく、
 受けるに値するものだけを得る。
 願いや祈りは、それが考えや行動と調和した時にのみ満たされ、
 聞き入れられるのだ。
  『考えた通りに』 より


これは、「私が受け取っている人生は、

わたしが 『思っている・考えている』 人生そのものです」 と

いう意味だ。

種 → 花 → 果実

という自然の法則は誰も否定しない。

リンゴの種からは、リンゴしか実らない。

けっしてみかんは実らない。

その法則が、人生にもある。

正しい良い考えからは、悪い結果は生まれない。

逆も然り。

種 → 花 → 果実

を人生に置き換えると、

考え・思考 → 行動 → 結果(環境)=喜び or 苦痛

ということになる。

つまり、「日頃の考えを改めよ」 ということだ。

これは、『引き寄せの法則』 にそのまま当てはまる。

いや、アレン (著者) は、「日頃の考えを改めよ」 とは、説いていない。

「人生はあなた次第だ」 と教えてくれているだけだ。


12月に健康診断したら、中性脂肪と尿酸値の値がよろしくない。

このままだと、病気になるだろう、という数値だ。

お腹も出て、完全にメタボだ。

もはや、ヘビメタだ。

で、痩せなければならないのだが、運動はしたくないし、

食事も減らしたくない。

何もしたくないのだ。

そして、何も努力なしに状況を改善できる方法が、

あるんじゃないかと、探している。

が、ないのだな、これが。(当たり前)


アレンは、「自己犠牲なしには、何も得られない」 と言う。

小さな達成には小さな犠牲を、大きな達成にはそれなりに

大きな犠牲が必要だと。

全く、理にかなっている。

メタボ・肥満は、心 (原因) が創り出した結果だ。

その心を変えずに、結果 (環境) だけを変えようというのは、

自然の法則に逆らっているので、無理なのだな。

そんな簡単なことも分からんのか、と自分の愚かさにあきれる。

心を変えると、行動が変わる。

それは、食べることを我慢することかも知れないし、

運動することかも知れない、

いずれにしろ何か自分の欲望を犠牲にすることだ。

そして、それは心を鍛錬することでもある。


心を変えずに環境を変えたい。

卑近な例だったが、多くの人が人生において、

このような自然 (宇宙) の法に逆らったことを

繰り返し続けているようである。

目を覚まさねば。





2010.7.18



もう、ひと月半以上になるが、

毎朝、「グリーンスムージー」 なるものを飲んでいる。

簡単にいうと野菜 (緑の葉野菜) とフルーツを合わせた

ジュースなのだが、フレッシュの野菜を使う点、

同じ野菜を続けて飲まない点など、青汁とは根本的に違う。

これは、ヴィクトリア・ブーテンコ という人が、提唱している

いわば健康法なのだが、妻がたまたま、そのブーテンコさんの

講演会に行き、感動したのがきっかけ。

最初に出された時は、あんまり飲みたくなかったのだが、

今では日課になってしまった。


飲み始めて、2週間ぐらいで、急に食欲がなくなり、

食事の量が減り、同時に食べたいものに変化が生じた。

とにかく、野菜 (緑の葉) が食べたい。

肉は、あんまり、欲しくない。

体重は、(努力なく) 3キロほど落ちた。

これは、グリーンスムージーを飲み始めた人に多く見られる変化らしい。

興味のある方は、

ヴィクトリア・ブーテンコ 著 『グリーン・フォー・ライフ』

お読みいただきたい。

なぜ、ジュースにする必要があるのか、どんな葉野菜が良いのか、

飲むとどうなるのか、など興味深い記事が満載。

読み物としても面白いし、例えば、葉野菜で充分、

アミノ酸が摂取できることなど、今までアミノ酸 (タンパク質)は

肉や大豆からしか摂れないと思っていたのに

ちょっとびっくりの内容も。

また、食品にPH (ペーハー) を記すべきというくだりも興味深い。


グリーンスムージーのことは、私が話しても ほとんど人が興味を示す。

だが、実践する人は少ない。

妻は、色んな人にこれを勧めているようだが、話すだけでは、

ほとんどの人が実践しないが、目の前で作って飲んでもらうと、

多くの人は、やり始めるという。

まあ、私は自分で作っているわけではないので、

えらそうには言えないが、

実際、飲んでみると、イメージしていたほどまずくない、

というか、段々、おいしくなってくる。

ただ、日本の多くの野菜は、農薬が使われているので、

そのことへの対処は必要だ。


先日、たまたまテレビで観たのだが、

アメリカの大学でサルを 2匹飼育していて、

同じ年 (人間なら70歳代) なのに1匹は、ものすごくしわや

白髪で老けていて、もう1匹は、めちゃくちゃ若々しい。

あるひとつの条件以外は、全く同じに飼育しているという。

その唯一違う条件とは、若々しい方のサルのえさは、

カロリーが30%減だ。

なるほど、腹八分目、というのは、本当に健康・長寿の秘訣なのだ。

また、同じ番組で石垣島で平均年齢90歳の7人兄弟 (全員健在) の

こともやっていたのだが、彼らの食事は、非常にカロリーが低く

なおかつ、なんとかという 野草を毎日食べていて、それが、

めちゃくちゃポリフェノールの含有率が高いらしい。

なんでも、長寿遺伝子というのは、誰しもが持っているらしいが、

ふだんはそれが働いていないらしい。

だが、一定の条件になるとその遺伝子が働き出し、

細胞の老化スピードを遅くするのだという。

まだまだ研究段階のようだが、その条件というのが、

カロリー制限と ポリフェノールにあるようだ。


素人考えだが、カロリーの面でもポリフェノールの面でも

グリーンスムージーは、的を得ているように思う。


 参考サイト あなたの長寿遺伝子のスイッチをオンにする





2010.8.18

生きがいの創造

『決定版 生きがいの創造 (飯田史彦 著)』 を読んだ。

この本を読むきっかけは先月のひとりごとに書いた

こんなシンクロニシティ がきっかけ。

本書は、1996年に出版され、50万部以上の

ベストセラーになった初版を 大幅加筆 & 全面修正し、

2006年に出版されたものであるため タイトルに 『決定版』 と付く。

帯には、

「スピリチュアルな科学研究から読み解く人生のしくみ」

とある。

受け入れられる人 と 受け入れられない人が

はっきり分かれる内容だ。

私は、抵抗なく読めたし、なんとなく知っては いたことが

整理されて良かった。

もし、人生に大きな悩みを抱えていたら、

この本で救われたかも知れない。

本書、および著者の別の本へのレビューは、多くの人が、

「良かった」 「救われた」 「楽になった」 と書いている一方で、

ボロクソに書いている人たちも 少数いる。

私は、いくつかの批判を読み、その “負のエネルギー” に

気分が悪くなった。

で、はっと 気付いた。

本書のテーマのひとつでもあるんだけど、

「愛 と 赦し」。

なるほど、そういうことか。


えっ、何のことか分からん?

では、ご一読を。





2010.9.19

死を見つめて生きるために

2005年の1月にお世話になっていた人が死んだ。

47歳だった。

普通、「亡くなった」 と書く所だと知っていて、

抵抗がありながら、「死んだ」 と書いた。

そのわけは、先ほど 読み終えた本

「死を見つめて生きるために (ジョゼフ・シャープ著)」 に

書かれている。

この本は、その人が死んだ数ヵ月後に

「死」 について 学びたいと思い、

もう一冊、「死ぬ瞬間 (エリザベス・キューブラー・ロス著)」

とともに購入した。

だが、2冊とも、5年間、1行も読むことなく本棚に飾られていた。

昨年の引越し時に処分することも出来たが、

なんとなく、持ち続けていた本だ。

数日前、突然この本が目に入り、読み始めた。

素晴らしい本だった。

どうして、この本を見つけたのかも覚えていないが、

おそらく 「死」 というキーワードで見つけたんだろう。

著者のジョゼフは、自らエイズで死の宣告を受けており、

病院で末期患者のための牧師をつとめている。

と言っても、出版から10年経った今、彼が生きているのかどうかも

分からない。

(検索してみたが、日本語では見つけられなかった。)

「死」 と聞くと、皆さんは何を思い、何を感じるだろうか?

ジョゼフは、私たちは、「死につつある」 と書いている。

不治の病に侵されたり、余命数ヶ月の宣告を受けなくても、

生まれた時から、ずっと、「死につつある」 のだと。

だが、私たちは、「生」 と 「死」 を分けて生きている。

ずっ〜と 「生」 で、いつか、遠い未来、最後に 「死」 が

あるもんだと思って生きている。

「死」 は、敗北であり、終わりであり、忌まわしく、

避けるべきものとして生きている。

(5年間、この本を読まなかったのは、正に避けてきたと言える。)

でも、実際は、いつも 「死につつある」。

「いつか」 ではなく、「いつも」 死 と隣り合わせにいる。

そのことは、概念では 分かっていても、

いつも 「死」 とともには 生きていない。

今の自分と 「死」 は、全く関係がないかのように生きている。

日々、死を、死につつあることを、意識して生きることは、

今を豊かに生きることに他ならない。

では、どうすれば 「死」 を意識して生きることができるのか。

本書には、そのための実習がいくつか紹介されている。

その一つが、禁句とされている 「死ぬ」 という言葉を

意識的に使ってみることなのだ。

英語でもやはり、「died」 は、直接的過ぎるので、

「passed away」 と 婉曲的に言うようだが、

それは、「死」 を否定し、避けている証拠。

意識的に 「死ぬ」 「死んだ」 という言葉を使うことによって

自分にどんな反応、抵抗、感情が起こるのかを観察してみる。

どれくらい、避けているかを観察してみることが、

まず必要なようだ。

なんで、わざわざ 「死」 と親密になるのか?

人は、必ず死ぬ。

そして、自分以外の愛する人の死を経験し、

自分も死ぬ。

死ぬのが自分であれ、家族や友人であれ、

死ぬ前に正直に死と向き合い、分かち合わなければ、

相手とも自分とも 本当の親密さは生まれない。


非常に共感できる本だった。

一回 読んだだけで、理解したとは言い難いし、

多少、抵抗のある箇所もあった。

読んでいる最中は、分からなかったが、

その抵抗は、「死」 を怖れているからに他ならない。

「死ぬ」 というのは、「無常」 ということだ。

ブッダの教えに通じる部分も多い。


素晴らしい内容の本なのに、今では絶版になり、

文庫本化もされていないのは、タイトルのせいで、

あんまり売れなかったんだろうな。

「死を見つめて生きるために」 (原題 : LIVING OUR DYING )

これじゃ、限られた人しか手に取らないだろう。

でも、人が手に取りやすいように、タイトルを婉曲的な表現にすると、

内容と矛盾するもんな。

難しい所だ。


新品は、入手不可だが、中古本なら入手できる。
  ↓
「死を見つめて生きるために 」


確かに、

人生は、見渡せば 「生」 と 「死」 の繰り返しだらけだ。

人間のことだけじゃなく、

す べ て 。





2010.9.19

優しい子よ

連休の予定がキャンセルになり、夜更かしをして読書。

大崎善生 著 「優しい子よ」 を読んだ。


私は、ブログや雑誌などで書評を読み、

興味を持った本は、とりあえず Amazon の ショッピング・カートに

保存することにしている。

カートには、CD と本 合わせて、50〜60の候補が

常にある状態。

結局、買わずにカートから削除するものもある。

「優しい子よ」 は、数年前にカートに保存したのだが、

つい先日、ようやく購入した。

どこで、見つけたのかも覚えている。

いつも読んでいるサイトのこのエントリーだ。

なんと 2006年07月15日 とあるから、

4年も前に 読みたいな、と思った本なのだ。


4つの短編小説が収められていて、

奇しくも テーマは、生と死 だ。

(「奇しくも」 と書いたのは、その前に読んだ本が、

「死」 を扱っていたから。)

さて、タイトルにもなっている 「優しい子よ」。

読み始めて数ページ、物語が展開する前に、もう泣いてしまった。

重い病気の少年から主人公 「私」 の妻へ、手紙が届くのだが

その手紙がなんとも無垢で、泣かせる。

私は、著者のことを全く知らなかったので、

(よく、こんな手紙書けるな、この人、凄いな) と思っていたら、

なんと、実話だった。

つまり、本当にその少年が書いた手紙だったわけだ。

残りの短編も、実在した 萩元晴彦 というテレビ・プロデューサーの

話2編と、著者自身に子供が誕生する話で、全部、私小説。

全部良い話。

特に1話目が、強烈で感涙必至。


少年の無垢な手紙を読んで思い出したことがある。

私は、音響の専門学校に通ったのだが、

そこで文章表現という授業があった。

名前は忘れたが、放送作家の方が先生だった。

ある日の授業で、先生が小学4年生 (だったと思う)の

女の子の新聞への投書を読んだ。

内容は、全く覚えていないが、先生が

「とにかく純粋で素晴らしくて、思わず泣いてしまった」 と

紹介したことは覚えている。

そして、読み始めた先生 (たぶん40歳代) は、

数行読んだだけで、嗚咽もらし始めた。

それが、突然、口に手をあてて 「う゛ぇ〜ぇ〜」 という感じで、

ちょっとビックリだった。

私を含め聞いている生徒 (18〜19歳) は、

先生が何で泣いているのか、

どこがそれほど泣くほどのことなのか理解できずに、

困ってしまった。

でも、純粋さが分かるには、純粋でない必要があるんだと

この歳になれば分かる。





2010.9.20

特価新本

昨日、購入から5年を経て読んだと書いた

「死を見つめて生きるために」

気になったので、Amzon で購入履歴を調べてみると、

注文日は、「2005/6/1」 とあった。

(Amazon では、会員登録していると、過去10年間の

購入履歴を見ることができる。スゴイ。)

何が気になったのかというと、

なんとなく、新品なのに安く買ったような記憶があるので、

それを確かめたくなったのだ。

履歴を見ると、やはり、税込み2730円のところ、

1092円で購入していた。

(ちなみに、 E・キューブラー・ロスの 「死ぬ瞬間」 と

同時に購入していることも確認できた。

こちらは、定価で。)

なんで安かったのかは、覚えていなかったが、

新品なのに半額以下で購入したその本には、

底に赤く ○に 「B」 というスタンプが押されている。

これが、安かったことと関係あるんだろうと、調べてみると、

本の底の5ミリ丸の朱印 (○にB) は、出版社 (又は問屋) が

「新本特価」 の印として押印したものだと分かった。

「新本」 とは 「古本」 とは違って一度も消費者に

購入されていない本という意味だ。

昔、LPレコード (輸入盤) にジャケットの一部に切り目を入れて、

カットアウト盤 と称して、安く売っていたものがあった。

この切り目は、たくさん作り過ぎたための売れ残りなどを

「新品だけど安く売っていますよ」 という目印のようなものであり、

また、傷を付けることで安くしているんだと 解釈できた。

どうも 「新本特価」 はLPレコードの 「カットアウト盤」 のような

もののようだ。

車でも ディーラーで試乗用に使われただけで、未販売のものを

「新古車」 と呼んで売ってるよね。


そういうわけで、「死を見つめて生きるために」 は、

安かったのだが、これ、ホントに売れなかったんだろうな。

その要因が、タイトルのせいだとしたら、皮肉なことだ。

良い本なのに。





2010.10.3

ジャズの壁を超える100のアイディア

布川俊樹 著、「ジャズの壁を超える100のアイディア」

読んだ。

布川さんは、コンテポラリー・ジャズ・ギタリスト。

教則本も CD も持っているし、ナマでも観たことがある。

それは 誰かのバックだったり、イベントだったりで、

彼のライヴではなかったけど。

さて、本の方は面白かったが、基本的にギターに関する

記述が多いので、ジャズ好きでもジャズギターを弾くか

学んでいる人向けだと思う。

100 のアイディアは、Q&A 形式で書かれている。

これは、彼のウェブサイトに届いた質問の中から選ばれたようで、

例えば、彼女かギターか悩んでいる 高校生の質問などもある。

分かるなぁ、その悩み。

私も悩んだ。

っていうか、そんな選択を迫られたことは 一度もないのに、

勝手に (どうしよう?) って、思ってた。

そして、どっちも失った。

まあ、悩んでいる時点で、ミュージシャンとしては成功しませんな。


面白いもんで、本を読んでると彼の演奏を聴きたくなり、

何度か聴いた。

今も、『The Blood Trio』 という2004年発表の

ギタートリオ作品を聴きながら書いている。

メンバーは、

布川俊樹 (g)、納浩一 (b)、山木秀夫 (ds)

良いです。

今度、彼のライヴに行こ。





2010.10.22

悪 人

先月、映画をを鑑賞した 「悪人」の 原作を読んだ。

映画の方は、良かったけど ちょっと物足りない感があったが、

その物足りなさを原作は、充分に埋めてくれた。

原作は、2006年から2007年にかけて、

朝日新聞にて連載されたそうで、いくつかの賞を受賞し、

映画化も手伝ってか、今では210万部を突破している。

(私は借りて読んだけど。)

映画の印象がまだ残っているので、その情景を

思い浮かべながら読み進んだが、もし映画を観ていなかったら、

違うイメージを持ったのだろうか。

映画より、ひとりひとりの登場人物の人間像が

詳しく描かれているので、より理解しやすかった。

2時間の映画と 読んだら4〜5時間かかる本と比べると

映画の方が制限があるもんな。

この作者、吉田修一という人の本は、初めて読んだけど、

賞を取ったり、映画化されたりするだけあって、

やっぱり、巧い。(作家やねんから当たり前か。)

なんでこんなもん書けるんやろな。

書けるもんなら、いつか小説を書いてみたいもんだ。


「結局、誰が一番悪人やった?」 みたいな問いかけは、

あまりにも不毛で、人間の悲しさ、業 (ごう) を描いた作品だと思う。

カットしている部分があるものの、ほとんど原作通りの映画だったが、

終わり方が、映画と原作はちょっと印象が違い、

原作の方が、消化不良というか、スッキリしない感が強い。

それは作者の意図だろうけど。





2010.11.7

シズコさん

佐野洋子 著、『シズコさん』 を読んだ。

佐野さんは、絵本 『100万回生きたねこ』 で有名な

絵本作家、エッセイストだが、実は彼女について

この本を読むまで何も知らなかった。

ただ、『100万回生きたねこ』 というタイトルは

聞いたことがあって、なんとなくずい分前に 誰かに薦められて

読んだような気もするが、定かではない。


10日ほど前、妻に 「この本、いいよ」 と手渡された。

本書は、佐野さんが70歳になる歳 (2008年) に

出版されたもので、内容は ご本人の母親と関係を書いたものだ。

タイトルの 『シズコさん』 は、母親の名前だ。

(えっ?そんなことまで書いていいの?) と思うような、

内容もあり、自分と自分の家族の暴露本のようでもある。

が、もちろん暴露することが目的ではない。


子供のときから、母親をずっと嫌いで、

年老いて呆けた母を捨てた自責と罪悪感がつづられているのだ。

痛々しくて (すごいもん読んでる) という感じだった。

その呆けた母親は、2006年、93歳で亡くなる。

娘と母親の関係は、息子と母親の関係とは、

当然 違うのだろう、充分には理解出来ていないと

思うが、人間とは、なんと哀しく切ないものか、と思う。

母親との関係が良好ではない娘は

(皆、隠しているようだが) 意外に多くいるようで

その人たちが読むと、すごいインパクトがあるようだ。


そして奇しくも、私がこの本を読んでいる途中、

一昨日 (11月5日) に佐野さんは乳がんのため亡くなった。

最後の一行を読むと、本書は、

彼女が言いたかったことを 全部 吐き出した 遺書のようにも思える。


良い本です。


ちなみに 読んでると同じ話が何度も出てくるが、

それは、連載エッセイの単行本化だからのようだ。


シズコさん 〔単行本〕   シズコさん 〔文庫本〕





2010.11.21

空白の叫び

文庫版で 上・中・下 の3冊。

貫井 徳郎 著 長編 『空白の叫び』 を読み終えた。

14歳の中学生3人の物語で、育った環境も性格も違う

3人がそれぞれ殺人を起こしてしまう。

少年犯罪を扱っており、

ミステリー要素も充分あるが、社会派小説的でもある。

大きく分けて3部構成で、

1部は、その事件を起こすまでの物語。

2部は、少年院での物語。

ここで3人は出会う。

そして3部は、少年院を出てからの物語。

14歳の少年がどうして殺人にいたるかを描く

1部は、大変読み応えがある。

共感できるところ、共感できないところ、

自分の反応を確かめながら読むのも楽しかった。

2部は、少年院での悲惨な生活。

二度と少年院に戻ってきたくないと思うほど

その生活は、えげつない。

本当にこんな風なのだろうか、

人間の悪意はここまでひどいのか、と考えさせられる。

悪意は、ゆがんだ正義であったりするのが

また たちが悪い。

3部、出院後 3人が再会し、ある企てを実行する。

残念ながら、3部に入って突然 リアリティがなくなった感じがした。

惜しい。

物語のカラーは変わっていないようだが、

なぜかエンタテメント的要素が加わったかのように、

現実実がなくなった。


本作は、2000年の少年法改正以前を舞台にしており、

14歳の少年は殺人を犯しても1年もしないで

出てこられる。

作品中にも書かれているように少年院は

罪を償う所ではなく、更生する場なのだ。

(2000年の少年法改正で、それまで16歳以上と

されていた刑事罰対象が14歳以上に引き下げられ、

2007年の改正でおおむね12歳以上と引き下げられたらしい。)


私の率直な感想は、「こんな14歳おれへんやろ」 だ。

それは、自分の14歳を思い起こしてのこと。

14歳や15歳で、これだけ冷静に自分を観察し、

人のことを観察し見抜くなんて、考えられない。

性的なことにしても自分の14歳時には考えられないことだらけ。

もしかしたら、皆そうで、私がひとり子供だったのかも

知れないが。

3人の殺人犯のうち、唯一 神原 だけが、

責任転嫁が甚だしく、子供っぽいと言えば言えなくもないが

あまりに短絡的で、彼には共感できなかった。

一番、たちが悪い。


もしかしたら、少年犯罪の撲滅を意図しての作品かも知れないが、

これを読めば、逆に少年犯罪はなくならないような

気がするのが何とも皮肉だ。





2010.12.15

さよなら渓谷

今年、映画を観、原作も読んだ 『悪人』。

その 『悪人』 と同じく 吉田修一 著の 『さよなら渓谷』 を読んだ。

これまた、犯罪がらみの男と女の物語で、

ミステリー的要素もあり、面白かったが、

明るい話ではないので、読んで幸せな気分になるものではない。

登場人物の俊介と内縁の妻 かなこの関係は、

ちょっと想像を超えるもので、Amazon のレビューを読むと、

そこには共感できない人も多いようだが、

私は 小説としては、充分に受け入れられるものだった。

あとがきにも書かれているが、

これは、映画にしたら良いんじゃないか、と思う作品。

ラストに かすかな救いと希望を見ることができるので、

映画化には そこんとこ うまく表現してほしいね。





2010.12.26

告白

今年8月、映画を観た 『告白』 の原作を読んだ。

原作は、湊かなえ著、彼女のデビュー作のようだ。

デビュー作でありながら、

2008年度の週刊文春ミステリーベスト10で第1位に、

このミステリーがすごい!で 第4位にランクイン、

2009年に本屋大賞を受賞した。

映画の方は、観てから4ヶ月経っているからか

あんまり覚えていない。

まずそのこと (自分の記憶力のなさ) に驚く。

で、自分の感想 (ひとりごと) を読んでみる。

 人間のダークサイドにばかり焦点を当てていて、
 ヘビイで、救いがあるとは思えないのだが、
 ずっしりと見ごたえのある作品。

なるほど、原作にも救いはない。

原作を読んで思い出したのだが、

映画のラスト、松たか子演じる 主人公の森口が、

娘を殺された復讐で 犯人に対し ある行動に出る。

その行動が (映画の中で) 本当のことなのか、

犯人を懲らしめるために嘘を言ったのか、判断つきかねた。

原作もやはり、犯人にそのことを言って終わる。

読んでいれば分かるが、森口は 脅しでそんなことを

言うような人ではなく、本当にやる人だ。

だが、私は、どこかで彼女にそんなことをしないで欲しいと

甘い願い、希望、を抱いてしまったようだ。

あとがきに 映画化した中島哲也監督のインタビューが

載っており、そこで彼は、

「本の登場人物が、本当のことを言っているとは限らない」

と発言していた。

なるほど、これは 嘘で、これは本当で、と判断するのは

読者の自由だ。

そういう風に考えると、森口の最後の言葉をどう読むかも

自分次第、自分だけの 『告白』 が出来上がるわけだ。

著者がどういうつもりで書いたかも関係なく、

解釈は読者に委ねられる。

結局、読者は自分の読みたいように読むことになる。

その解釈を 望んでいるかどうかは、別として。


本作の感想はね。

ひと言で言うと、

人間は哀しい。





2011.5.12

グーグルで必要なことは、
みんなソニーが教えてくれた


ひと月ぐらい前かな、偶然、ブックオフで見かけ、

面白そうだなと思い、購入した本。

著者は、辻野晃一郎。

彼は、ソニーに22年間勤め、退職後、グーグルに入り、

その後、グーグル日本法人社長を務めた人。

(グーグルは、3年で退職している。)

ソニーという会社がどうして、一代で世界的企業にまで

成長したのか。

そして、どうして、この10年ほどで、世界の先端から

遅れていったのか。

例えば、ウォークマンは なぜ、iPod に負けたのかなど。

興味深い話が読める。

著者は ソニー時代、大変、愛社精神のあった人で、

ソニーを去るのも苦渋の決断であったであろうことは、

文面にあふれている。

しかし、そのためか、

(自分は、こんなにがんばったのに、会社が悪いから、

経営陣が悪いから、ソニーはこんな風になったんだ)

という風に 読めなくもない。

実際、そうなんだろう。

彼が、ソニーにつくした様子は充分読み取れるし、

それが報われなかったことも、良く分かる。

でも例えそうだとしても、そんな風に感じてしまったこと

がちょっと残念だ。

まあ、そう感じるしかないのかも知れないが。


そして グーグルは、完全に21世紀の新しい会社。

社長に就任後、社内のエレベーターの中で、

若い社員に 「どうですか?新しい仕事には慣れましたか?」 と

声をかけられたという。

それぐらい、社員が何でも自由に言いたいことを

言い合える会社だということなのだ。

また、コンピューターとインターネットが産業世界まで

大きく変えてしまったこと、日本が高度成長してきた

古いやり方では、世界から取り残されてしまうであろうことなど、

社会経済オンチの私にも良く分かった。

私は、あまりソニーと相性が良くなく、残念ながら、過去に

「ソニー製品は 早期に故障する」 という印象を

持ってしまった。

もちろん、たまたま故障が重なっただけなのだろう。

そのせいで、積極的にソニー製品を選ぶことはなかった。

それでも、昔は、ウォークマン (カセット)、DAT、MD など、

ソニー製品を使っていたものだ。

でも・・・

この本を読み終えて、改めて身の回りを見てみると

いつの間にか、使っているソニー製品は、ひとつもなかった。

時代は、変わったんやな。


本は、面白かったけど、

タイトルと内容にちょっと違和感を否めない。


グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた





2011.6.26

悼む人

Y さんに薦められて、『悼む人』 を読んだ。

著者 天童荒太 の作品を読むのは初めて。

というか、名前も知らなかったが、本作は、

2008年直木賞受賞作品だ。

キーワードは、

「亡くなった方は誰を愛し、誰から愛され、

誰に感謝されていたのか?」

主人公の 坂築静人(さかつき しずと) は、

亡くなった人のことをけっして忘れまいと、全国の

事故や事件の現場を訪れ、故人を悼 (いた) んで周る旅をしている。

冥福を祈るのではない、ただ、心に刻む、

そのことを 「悼む」 と呼んでいるのだ。

ポロリと泣かされる部分もあり、考えさせられる部分もあり、

読み応えのある作品だった。

だが、読み進めるうちに 勝手に結末を期待していたのだろう、

終わり方にちょっと不満が残った。

でも、私の期待していた通りの結末だったら、

甘っちょろくて、直木賞は受賞しなかっただろう。


興味深いのは、殺人事件について、

被害者のことより、加害者のことを覚えているというくだり。

なるほど、確かにそうだ。

憎い加害者のことは、名前まで覚えている事件も、

亡くなった被害者のことは、何も覚えていない。

というか、知らない。

この本を読むまでは、そのことに気付いていなかった。

それが、良いとか悪いとかではなくね。


本作品のメッセージは、「故人のことを忘れてはならない」 ではなく、

「故人は、数字や記号で語られるだけではなく、

その一人一人に人生があった。

愛した人がいて、愛された人がいて、感謝している人がいたことを、

忘れないで欲しい。」

ということなんだろうか。

しかし、これを常々意識することは つらいことだ。

今回の震災について、テレビで被害者数を見たときより、

たった一人の家族を亡くした体験談を聞いたときの方が、つらい。

数字に人生は見えないけど、体験談は人生そのものだから。

なので、被害者について、その一人一人の人生に思いを寄せると、

その悲しみと無念さに 押しつぶされてしまいそうになる。

しかし、目をそらせても、多くの命が奪われたことには

変わりがないのだ。


う〜む、考えさせられる作品だ。





2011.10.6

人生がときめく片づけの魔法

Y ちゃんが、友人宅を訪れたところ、

あまりに片付いていたので、どうしたのかと尋ねたところ、

この本を読んだとのことで、Y ちゃんも早速読み、

その後、私にくれた。

断捨離も流行っているようだが、

この本の著者 近藤 麻理恵 は、独自の論理を展開しており、

非常に説得力がある。

何よりも、

 一度片づけたら二度と散らからない。
  リバウンド率ゼロ。


というコピーが凄い。

いや、正直、読む前は (そんなことないやろ) と

思っていたが、読んでみると、(確かにそうかも) と

思ってしまった。

そのかわり、この片付けは 本気で取り組まなければ

ならないし、覚悟がいる。

今まで、数冊 片付けに関する本は 読んだことがあり、

片付けることが 人生にプラスになることは、

知っていたが、中々、捨てられないし、片付けられなかった。

が、この本通りにやればきっと片付くだろう。

「断捨離」 などの言葉に象徴されるように、

片付けというと、「捨てる」 ことに注意が行くが、

本来、片づけで選ぶべきは、『捨てるモノ』 ではなく、

『残すモノ』
」 というフレーズが 印象的だった。

また、なぜ、片付けても また散らかるのか、

どうすれば、片づけを終わらせることができるのかは、

非常に分かりやすく、目からウロコの記述も。

この本、なんと、100万部突破だ。


実は、近々 1週間のファスティング (断食) を計画中だ。

今年は、減量、断食、片付け、と何か転機だろうか。

片付けは、もうちょっとしてからね。

(って、「いつかはない」 って、この本にも書いてあるんやけど。)


人生がときめく片づけの魔法





2012.1.11

ラーメン屋の看板娘が経営コンサルタントと
手を組んだら


ラーメン店 1500店以上の経営に携わってきた

経営コンサルタントが書いた本。

一時は繁盛店だったラーメン店の立直しを通じて、

飲食店の集客&売上アップを導く方法を説いている。

小説仕立てなのが、はじめのうちは気になったが、

専門的なことを、誰にでも読みやすく分かりやすく

書くことには、成功している。

タイトルと表紙は、好みの分かれるところだろうが、

内容は 大変分かりやすく、興味深い。


日本人の物作りの力は素晴らしい。

だが、高品質なものが必ずしも売れているわけではない。

それを著者は、日本人の 「謙虚さ」 「奥ゆかしさ」

「品質を極める姿勢」 が裏目に出ているじゃないか、と書いている。

多くの職人さんが、「モノが良ければ売れる」 「美味けりゃ売れる」 と

思っているが、現実には大しておいしくないラーメン店に

行列が出来ていたりする。

「美味しい」 は、売れるための1つの条件にしか過ぎない。

では、他に何が必要か?


私は、パン屋の運営に少なからず関係していて、

いつも、「こんなに美味しいんだから、もっと売れてもいいのに」 と

思っていたので、この本は大変勉強になった。


ラーメン屋の看板娘が経営コンサルタントと手を組んだら
木村 康宏 (著)






2012.1.28

乱反射

貫井徳郎 著 『乱反射』 を読み終えた。

文庫本版で 599ページ とやや長編。

貫井徳郎の作品は、『空白の叫び』 に続き2つ目だ。

『空白の叫び』 は、社会派小説的だったが、

本作も社会派というか、考えさせられる題材だった。

数人の登場人物は、極めて普通の人たち。

なんでこんなに人間の内面を書けるのかなと思うほど、

心理描写がうまく、ほとんどの人の感情が分かる。

自分がその立場なら、そう思うかどうかは別としてだけど。

何気ない小さなエゴイズムの連続の先に、

ある悲しい事件が起こるという設定は、興味深い。

そして、その小さなエゴイズムのためにささいな悪事を

働いた人たちは、その事件に責任がないという理不尽さも

よく分かる。

いや、この小説ではそれがモラルに反した悪事だったから、

テーマになるのだが、これが悪事ではなく、

親切であったとしても、何か好ましくない事件の原因になりうる。

そう考えると人生は元々理不尽で、「なんでこうなったか」 などという

原因あるいは犯人探しはナンセンスなんだと思わされる。

著者のテーマからはちょっと反れるかもしれないけど。


ラストの十数ページは、涙なしでは読めなかったが、

最後の旅のエピソードはなかった方が、インパクトがあったと思う。

ただ、そうすると救いがない小説になりそうだ。

その部分を付け加えたことで、主人公夫婦の再生が

描かれ、希望を生んだ最後になっているので、

ここは、賛否のあるところだろう。

「風が吹くと桶屋が儲かる」 という言葉を

途中で思い浮かべたが、

実際の人生はそんなに簡単ではないのだな。


私には、『空白の叫び』 よりリアリティがあった。

第63回日本推理作家協会賞を受賞しているが、

これは推理小説ではなく、人間ドラマだ。


★★★★▲





2012.2.15

私は、いかにして「日本信徒」となったか

昨年11月と今年1月に講演を聴いた、

呉 善花 (オ・ソンファ) さんの

『私は、いかにして「日本信徒」となったか』 を読んだ。

講演のことは、ここここ に書いたが、

講演を聴いてぜひ本も読みたいと思っていたのだ。

彼女には、すでに多くの著書があるが、本書は 2003年に

出版されたものの改訂版で、昨年出版されたものだ。

講演を聴くまで、私の知っている日本と韓国の違いといえば、

例えば日本の正座は韓国では、囚人の座り方だとか、

韓国ではお茶碗を持って食べると行儀が悪いとか、

日本とは似ているようで、文化・風習が全く違うという程度だった。

本書では、なぜ、日本と韓国が分かり合えないのか、

なぜ、韓国には反日感情があるのか、などが著者の体験を通じて、

深く掘り下げて、素晴らしく書かれている。

結果、彼女は韓国では 「売国奴」 と言われ、

反国家的要注意人物となっているらしい。

読むと、彼女こそ、韓国と日本の溝を埋めることが出来る人だと

思うのだが、現実はそう簡単ではないようだ。

それでも、少しずつ少しずつ、両国間の氷が解けることを

祈らずにはいられない。

韓国人のことだけでなく、日本を知るためにも勉強になるし、

外国人と付き合うということが、どういうことかを知る良書。

そして、彼女自身が、非常に貴重な人だと思う。


★★★★▲





2012.3.5

酵素医療

酵素ファスティングを勧めてくれた Aさんが、

「読んだらいいよ」 と貸してくれたのが、

鶴見隆史 著 『スーパー酵素医療』 という本だ。

内容は、酵素こそ生命に最も重要な栄養というコンテクストで、

なるほど、と思うことも多い。

これを読むと、現代人はいかに間違った食生活をしているかを

省みざるを得ない。

また、西洋医療の間違い、限界もよく分かる。


簡単にまとめると、こういうことだ。

酵素は消化のためと、代謝のために使われる。

体内にある酵素、体内で作られる酵素の量は決まっているので、

消化に多量の酵素が使われると、代謝の分まで酵素がまわらない。

動物が病気になると何も食べずにじっとしているのは、

体内の酵素を消化ではなく、代謝 (病気を治すこと) に

使うためだ。

だから、身体の具合が悪く、食欲がない時に、

「栄養を摂らなきゃ」 と、無理やり食事を摂るのは、

間違っているのだ。

食欲がないのは、身体からの 「今は食べないで」 という

サインというわけだ。


健康な状態であっても、現代の食生活では食べたものを完全には

消化できず、それらが様々な弊害をもたらし、

あらゆる病気の原因になっているらしい。

著者の鶴見クリニックでは、断食と食生活の見直し、

酵素サプリメントの摂取と物理療法で、

あらゆる病気を治しているようだ。

中には、素人目には直接食生活と関係ないと思ってしまうような、

腰痛やリュウマチなども含まれる。

また、癌にも症状改善などの報告もある。


では、普段の生活で酵素を無駄遣いせず、

十分に摂るためには、どうしたらいいか?

まず、生 (なま) のものを食べること。

ロウ・フード (生の食べもの) という食事法がある。

極力、加熱したものは食べない方が良い。

なぜなら、加熱すると酵素は死んでしまうからだ。

人間だけが、加熱した食品を摂っている。

そのことによって、人間だけが多くの病気にかかるようになった。

野生の動物には、人間の成人病のようなものはないらしい。

ところが、ペットフードと呼ばれる人間が考案した加工食品を

食べている犬や猫は、人間と同じような病気にかかるらしい。

生で食べるのは、野菜や果物だけではない。

魚や肉も生の方が、望ましいらしい。

私は、肉は生より加熱した物の方が、消化に良いと勝手に

思いこんでいたが、どうやらそれは間違っていたようで、

生の方が、消化にも良いし、酵素もあるというわけだ。

ただ、魚や肉の場合、問題は病原菌と寄生虫。

そのことを除けば断然生の方が良いらしい。

(寿司屋の板前の話では、魚も肉も加熱した方が栄養は損なわれるが、

消化には良いということなので、本当はどっちか分からないし、

観点によって変わるのかも知れない。)


それから、納豆や味噌、漬物など発酵食品を食べること。

毎日、生の野菜や果物を豊富に摂り、発酵食品を積極的に食べ、

肉や魚、アルコール、砂糖は最小限にとどめ、

ストレスをためないことが、身体には良いらしい。

(そりゃそうだ。)

本当は、食べない方が良いものがいっぱいあるが、

現代の生活では、そういうわけにもいかないので、

そこは、自分でコントロールし、工夫するしかない。

今は、寒いのでちょっとお休みしているが、一昨年に始めた

グリーン・スムージーも葉物野菜とフルーツを生で摂ることを

基本にしており、つながることも多い。


本書は、2003年発行なので、多少 酵素医療も進歩しているかも

しれない。

著者の鶴見隆史氏は、これ以外にも数冊酵素に関する書籍を

出されているので、興味のある方は、読んでみてください。

何を食べているかではなく、何を消化吸収しているか、

そこがポイントだ。


私は、子供の頃から胃腸が丈夫でないと、自分で思っていて、

便秘も下痢も珍しいことではないのだが、

断食後のこの2週間ほどは、便の出方が気持ち良いとでも言おうか、

概ね腸が正常に働いている感じがする。

これは、断食の効果と、断食後もほとんど毎日、

酵素を少量飲んでいることによるのかもしれない。

いいよ。

断食。

この酵素断食の興味のある方は、メールくだされば、

詳しい情報をお送りします。





2012.3.30

食べない人は病気にならない

以前、酵素断食に取り組む前に読んだ

『脳がよみがえる断食力』 の著者、山田豊文の

昨年7月出版の本、『食べない人は病気にならない』

読んだ。

酵素断食を勧めてくれた、A さんが 『スーパー酵素医療』

続いて、「読んだらいいよ」 と貸してくれたのだ。

ただの健康法に収まらず、最後には幸福、生き方、

死に方にまで触れていて、共感できる内容だった。


この本を読んでいて、思い出したことがある。

今から25年ほど前、「サプリメント」 という言葉さえ、

まだ一般的でなかった頃のこと。

「現代の食生活では、充分な栄養を摂取できないので、

足りないものを栄養補給食品で補おう」 という考えで、

サプリメントが、日本にも浸透し始めた。

その頃、こんな話を聞いた。

「カルシウムは、精神の安定に必要な栄養素です。

カルシウムが不足すると、イライラします。

成長期にカルシウムが不足すると、非行に走る率が

高まります。

少年院に収容される少年には、牛乳嫌いが多いそうです。

不良少年 (ヤンキー) が、ウンコ座りしているのは、

カルシウムが足りなくて立っていられないからです。」

最後のくだりは、冗談だろうし、少年院云々の部分も、

本当かどうか分からない。

でも、この話をほとんど真に受けて聞いていたように思うし、

牛乳がカルシウム摂取に効果的だということも信じていた。

あれから、時代は変わり、健康維持・食生活改善に

興味のある方なら、牛乳が身体に良くないことは、すでにご存知の通り。

カルシウムは、摂取の仕方を間違うと、やっかいなことになる。

動脈硬化の血管をはさみで切ると、バリバリと音がするらしい。

私は、動脈硬化というのは、コレステロールが血管にこびりつき

起こるものだと思っていたが、それだけではバリバリ音が

するほどではないようだ。

そこまで血管が硬くなる原因は、カルシウムだというのだ。

だからと言って、カルシウムが毒だとは勘違いしないでね。

カルシウムは、必要な栄養素。

でも、摂取の仕方を間違うと、カルシウムが本来あるべきところで

ないところ (血管) に存在してしまうということなのだ。


本書には、牛乳を含む動物性タンパク質の摂取量が

多い国ほど、臀 (でん) 部骨折率が高いというデータも載っている。

そういえば、乳製品の消費量が高いどっかの国は、

骨粗しょう症が多いというのも聞いたことがある。

牛乳だけでなく、乳製品全体が身体に良くないらしい。

『グリーン・フォー・ライフ』 には、「パルメザン・チーズは

PH −34で非常に酸性」 という記述があった。

(アルカリ性食品が身体に良いのは周知の通り。)

これは、困ったね。

牛乳は、飲まなくてもいいけど、たまにはチーズやバターは

食べたいもんね。

まあ、理想の食生活なんて現代社会では、ほぼ不可能なので、

だからこそ、生活全般に気をつけようという、

提言がこの本なのだ。

生活全般というのは、食生活はもちろん、

水、空気、睡眠、呼吸、運動、姿勢など。

そして、断食をしてデトックスしようというわけだ。

でも、やっぱり、一番は、過食をやめること。

そして、乳製品、白砂糖、精製油、食品添加物を

極力摂らないことね。


私が小学生のころの給食には、毎日、牛乳が出てたし、

毎日ではなかったかも知れないけど、マーガリンがよく出てた。

マーガリンに含まれるトランス型脂肪酸は、今では毒扱い。

ニューヨークのレストランで、マーガリンの使用が禁止されても、

日本では、“大人の事情” があるらしく、中々、その危険性の

報道さえ控えられていた。

やっと、この2〜3年は変わってきたようだけど、

諸外国に比べると、遅い。

なんでやろな、日本。

以前、その手の油の危険性の講演を聴いたことがあるが、

その講師の先生は、家に 「殺すぞ」 と脅しの電話がかかってくると

言っておられた。

怖っ。


カルシウムの例のように、何が本当かというのは、

時代とともに変化している。(真実は、ないってことだ)

現在、最先端と言われていることも、10年20年経ったら、

どうなっているか分からないということを、承知の上で、

自分のセンスにあった道を選ぶしかないのだろう。


この本を読んでいる数日間に、偶然、テレビで観たり、

人から聞いたり、ネットで読んだりした話とシンクロする

内容が、いくつか本書に書かれていた。

「口呼吸ではなく、鼻呼吸をしましょう」

「安らかな死の迎え方」

「日本人の死生観が変わってしまった」

といった内容のことだ。

そのシンクロニシティも興味深い。





2012.4.24

必読書

これは、全国民 必読ですな。

中村 仁一著 『大往生したけりゃ医療とかかわるな

アマゾンのサイトには、たくさんのレビューが寄せられている。

一部、否定的な意見もあるが、これらのレビューを読めば、

この本を読んだ方が良いのも分かるだろう。

著者は、医師で、点滴注射も酸素吸入もいっさいしない

数百例の 「自然死」 を見届けてきた。

だから内容にも説得力あり。

何よりも、癌は痛くないって知らなかった。

癌で苦しむんじゃなくて、治療で苦しむみたい。


自分の死に際、鼻や身体にチューブをつながれて、

スパゲティ状態で死にたくない人、人間らしく死にたい人は、

本書を読んで、自分がどんな風に死にたいか、考えよう。

先日観た映画 『エンディングノート』 に、主人公の

「私は、うまく死ねるだろうか」 という言葉があった。

年老いてからの癌なら、凄く上手に死ねるようだ。

ただし、治療をしなければね。

やはりここでも最終的に語られるのは、(死ぬまで)

「どう生きるか」って話なんだ。


素晴らしい内容だったが、ただ一点、本書の内容に

同意できなかったのは、

「食事は薬だと思って、食欲がなくても食べる」 というところ。

これには、同意できないな。

断食派 (?) の私としては。

でも、それ以外は、面白いし、考えさせられるし、

勉強になるし、大変お薦めです。


★★★★★





2012.4.27

パラレルワールド・ラブストーリー

東野圭吾 著

『パラレルワールド・ラブストーリー』。

文庫本の帯には、

 アイディアが生まれたのは20代。
 小説にしたのは30代。
 そして今ではもう書けない
 ―― 東野圭吾


とある。

まあ、よくこんなストーリーを思いつくもんだ。

途中まで、一体何がなんだか分からない。

同じ登場人物で、別の2つの話が進んでいく。

タイトルから、パラレルワールドの話かと思って読んでいくと、

実は・・・・って感じ。

サスペンスらしく、ハラハラドキドキもあり、

「ラブストーリー」 とあるように恋愛の苦しさもあり、

最後には、なぜか分からんけど、じ〜んとくるものあり、

面白かった。

冒頭に書いた、著者の帯の言葉、

「今ではもう書けない」 は、どういう意味だろう。

著者は、今、50代だ。

この恋愛のタッチは、若いときにしか書けない、

という意味だろうか。


「自分なんていない。あるのは、自分がいたという記憶だけ」

というセリフがある。

その記憶が、本当だと 思っているだけ。信じているだけ。

でも、考えてみると、本当かどうかなんて、確かめようがないねんな。

えっ?人に訊けば分かるって?

その人の言ってることも、本当のことかどうか分からへんで。


★★★★☆





2012.5.1

日本を、信じる

1922年生まれの2人、瀬戸内 寂聴 と

ドナルド・キーン の対談集 『日本を、信じる』 を読んだ。

2人合わせて、180歳。

だが、年寄りの話という感じはしない。

長く生きてきたからこそ、また、色んなことを経験し、

知っているからこそ、話せる話は興味深い。

なにしろ今も、2人とも現役で飛び回っておられる。

その2人が、日本について語る。

尼さんと、無宗教者の対談というのも、興味深い。

タイトルの 『日本を、信じる』 は、日本の何を信じるのか?

単に震災からの復興という意味だけではない、

もっと大きな意味で、このタイトルをつけられたのだろう。


最近、日本国籍をとられたキーン氏の話では、

戦後、日本に来たとき、日本人は敵国であったアメリカ人の

自分を憎んでいるであろうと想像したらしいが、

全くそういうことは感じなかったらしい。

なんだろう、日本人の日本人らしさが、

そこに象徴されているような気がする。


★★★★☆


『日本を、信じる』 瀬戸内 寂聴, ドナルド・キーン





2012.5.17

100円のコーラを1000円で売る方法

たまたま、本屋さんで平積みしてあるのが目についた本。

私の好奇心を刺激するタイトルだ。

著者は、IBM のマーケティング・マネージャー。

内容は、私が期待していたものとは、ちょっと違ったが、

知らなかったことも多く、読みやすい書き方で、

サクサク読めた。

少し前に読んだ、『ラーメン屋の看板娘が経営コンサルタントと

手を組んだら』 同様、ドラマ仕立て。

読んでいて分かりやすい反面、不必要な記述も目立つ。

こういうドラマ仕立てが、流行りなのだろうか。

内容は専門的でも、薄っぺらい印象を受けなくもない。

要は、マーケティングに関する本なので、一般人には

知識の役に立っても、実際に生かす場面はあまりないだろうが、

商売をしている人には、考えさせられることもあるだろう。

さて、どうやって、100円のコーラを1000円で売るのでしょうね。

興味にある人は、読んでみて。

でも、がっかりするかも。

それより、「キシリトールガムがヒットした理由」 や

「なぜ 『省エネルック』 は失敗して 『クールビズ』 は

成功したのか?」 の方が、興味深かった。


★★★▲☆


100円のコーラを1000円で売る方法





2012.6.5

フィッシュストーリー

先日、映画 『ポテチ』 を観て、原作も読みたくなったと

書いた。


その 『ポテチ』 を含む 伊坂幸太郎の 4つの短編集を読んだ。

収録されているのは、『動物園のエンジン』、『サクリファイズ』、

表題作の 『フィッシュストーリー』、そして 『ポテチ』 だ。

『フィッシュストーリー』 も映画化されており、2009年に観た

観てから3年も経っていたので、(あ、そんな話やったっけ?) って

感じで、これまた、もう一度映画の方を観てみたくなった。

『ポテチ』 は、ちょっとだけ、違うところがあったけど、

もう、ほとんど映画のまんま。

やっぱり、原作も良かった。

伊坂幸太郎の他の作品も読みたくなった。

結構、独特。


★★★★☆





2012.6.14

アヒルと鴨のコインロッカー

先日、伊坂幸太郎の 短編集 『フィッシュストーリー』 を

読んだことは書いたが、2008年に映画で観た、

『アヒルと鴨のコインロッカー』 の原作も読みたくなり、

買って読んだ。

映画は、4年以上前に観たのだが、印象に残っている作品だ。

細かいことは忘れたと思っていたが、読んでいると、

登場人物は、濱田岳だし、瑛太、そのままだった。

他の出演者は覚えていないので、この2人が印象的だったんだな。

これ、映画を観てなくて、全く知識なしに読んだら、

きっと もっと感動したやろなと思う。

映画の方も、近々 DVD 借りて、もう一度観てみようと思う。

ちなみに原作は、吉川英治文学新人賞受賞作。


伊坂幸太郎の作品は一部しか知らないが、

本作、『重力ピエロ』、『フィッシュストーリー』、『ポテチ』 には、

共通するものがある。

その共通項が、結構好きだな。





2012.6.17

聖女の救済

東野圭吾 著 『聖女の救済』 を読んだ。

ガリレオ・シリーズの長編だ。

読んでる最中は面白くて、結構 集中して 読んだけど、

読み終えての感想は、(ちょっとなぁ〜) って感じ。

完全犯罪か?というトリックを解き明かしていくのだが、

そのトリック自体が、実行するには、あまりにも非現実。

そのことは、文中にも書かれてあるのだけど、

どう考えても、無理。

実行するには、リスクが大きすぎるのと、

そのトリックを仕込む犯人の心情もまた、

理解できない。

いや、殺意を抱くのは分からないではないけど、

でも、この方法はないでしょう、と思ってしまうのだった。

まあ、世の中には理解不能なことする人って、

いるからね。


★★★▲☆


聖女の救済 (Amazon)





2012.6.21

宿命

数日前に 東野圭吾 著 『聖女の救済』 を

読んだところだが、続けて 同じく東野圭吾 著の

『宿命』 を読んだ。

『聖女の救済』 は、面白かった割りに、

読後の感想がイマイチだったのに比べ、

『宿命』 は、良かったね。

面白かった上、最後に衝撃が走った。

「一番気に入っている意外性は、ラストの一行に

あります」 と、著者自身の言葉が、解説に書かれているが、

確かにその一行には、(ぎょえ〜っ!) と、

声をあげそうになった。

読みながら、色々推測したことは、全部はずれ。

これって、ミステリーには大事なことやね。

観てないけど、2004年に WOWOW でドラマ化されたよう。


★★★★★





2012.11.18

その時までサヨナラ

昨日今日 (土日) と山形 (妻の実家) へ行ってきたのだが、

往復の新幹線の中で何か読もうと、金曜日に本屋へ寄った。

平積みしてある 『その時までサヨナラ』 という本が

目に入った。

帯には、「久しぶりに泣ける本に出会えました」 と

書いてある。

この 「泣ける」 というのは何でしょね。

人は、どこかで 泣きたいと思っているだろうな。

映画を観たり、本読んだりして、泣くと

なんか心が洗われたような気がするもんな。

自分の人生につらいことが起きて泣くのは、

イヤやけど、観客読者として泣くのは OKってことか。

それでも、悲しすぎたり、つらすぎて、泣くのは

あんまり好きとちゃうけど。

で、『その時までサヨナラ』 は、良さそうな本だったので、

読んでみようと思い購入した。

土日に読むはずが、金曜日の夜にちょっと読み始めたら、

止められなくなって、結局、夜中までかかって読みきってしまった。

面白かったが、4分の3ぐらい読んでも、

泣きそうになる気配がなく、(こんなんでは泣けへんやん) と

思ったのが、最後の30〜40ページで

やられてしまった。

結構、泣いた。

泣きたくて読んだくせに、泣かされると

悔しいような、うれしいような。


仕事中心の生活で、妻や子供のことを

大事にしてこなかった男が主人公で、

彼にある出来事が起こり、変化が芽生える。

あんまり書くと、読む楽しみがなくなるので、

書かないけど、映画にしたら良さそうだなと思ったら、

すでにWOWOWで、ドラマ化されていた。

映画にするなら、1ヶ所だけ変えた方が良いと思う部分が

あるけどね。

ネットのレビューを読むと、

「先の展開が読めた」 とか 「予想通りの展開」 とか

(少数だが) 書いている人がいて、びっくりした。

私は、全く予想がつかなかったけどね。

まあ、読み終わってみれば、「ありがちなストーリー」 と

言うのも分からないではないけど、読んでいる最中は、

面白くて 没頭できたよ。


山田悠介 著 『その時までサヨナラ』


★★★★☆





2013.1.6

1Q84

村上春樹著、『1Q84』 を読み終えた。

やっと・・・っていう感じで。

文庫本で6冊の長編だ。

1〜2冊目は、比較的すいすいと読み進んだが、

3〜4冊目で、なかだるみ。

5冊目からは、さっさと読み終えようと、

“ガンバッテ” 読んだ。

特に6冊目は、昨夜 徹夜で一気に読んだ。

手をつけてから、ひと月以上は、かかったと思う。


『1Q84』 は、2009年に刊行され、大ヒットした。

私は特に興味はなかったが、たまたま妻が読んだ文庫本が

家にあった。

妻に 「面白い?」 と訊くと、

「好き嫌いが分かれると思う」 という答えが返ってきたが、

読んでみることにした。

感想は、「ガンバッテ読んだ」 という表現が、

物語っている通り、私にはそれほど面白いとは、

思えなかった。

実際、賛否両論のようだ。

ストーリーは、ミステリーとSFに少しハードボイルドとエロを

足したようで、前半は比較的 面白く読めたが、

読み終えて、(何が言いたかったんだろう?) って

思った。


村上春樹って、小説のストーリーとか以前に

その文体、表現で、好き嫌いが分かれると思う。

場合によっては、非常に美しいと思う表現も

あるのだが、(くどい、必要ないやん) と思う表現も多い。

なんというか、外国文学を日本語に訳したような

言い回しとでもいおうか。

ファンは、そのあたりの表現を楽しめるのだろうな。

もう、ずい分前になるが、『ノルウェイの森』 と

『国境の南、太陽の西』 を読んだが、その時は、

それなりに面白いと思った覚えがあるのだが、

本作は残念。


★★▲☆☆





2013.1.15

カラスの親指

先月、映画を観た 『カラスの親指』 の原作を読んだ。

道尾秀介 という人が著者で、この人の本は初。

先日、『1Q84』 (村上春樹著) を読み終えたところで、

続けて読んだので、めちゃくちゃ読み易かった。

映画を観てから、原作を読んだ作品は、

『アヒルと鴨のコインロッカー』、『フィッシュストーリー』、

『ポテチ』、『告白』、『悪人』、『チーム・バチスタの栄光』、

『西の魔女が死んだ』 など、この数年増えてきている。

逆に原作を先に読んでから映画を鑑賞するという

パターンは、あまりない。

私が、そんなにたくさん読書しないというのが、

最大の理由だと思うが、思いつくところで、

トホホな映画だった 『手塚治虫のブッダ』 と

『愛を読むひと』 ぐらいかな。

さて、先ほどあげた、映画を観てから原作を読んだ作品は、

いずれも映画も原作も楽しめたんじゃなかったかな、

と思う。

無責任な書き方だが、あんまり覚えてないのだ。

しかし、この 『カラスの親指』 は、逆の方が良かったな、

と思った。

映画は、

 ネタを分かった上で、もう 1回 観てみたくなる作品

と評した。

それは、一度目の鑑賞では、映画に散りばめられている

伏線に気がつけないだろうけど、ネタが分かった上で

観るとその色んな伏線を見つけられるという楽しみが

あると思ったからだ。

が、原作を読んでいると、ネタが分かっていると、

つまらないことに気がついた。

特にこれは、詐欺の物語なのでね。

(もしかしたら、映画の内容を忘れた頃に読めば、

良かったのかもしれないけど。)

それでも、登場人物のイメージは、

映画の出演者のままのイメージで

違和感がなかった点は良かった。

最初から、阿部寛と村上ショージが、出てきた感じ。

原作を読むと、映画は ほとんど原作の通りに

作られていたのが分かる。

細かい設定やエピソードが違うところもあるが、

基本的に原作通り。

と、思っていたら、オチの付け方が違う。

これは、原作を読んでから映画を観た方が、

きっと面白かっただろうと思う。

「だまされた〜」 って思えたかも知れない。

いずれにしろ、現実的ではないけど、

壮大な詐欺の物語で面白い。


★★★★☆





2013.1.20

永遠の0

百田尚樹 著、『永遠の0 (ゼロ)』 を読んだ。

妻に薦められて何も知らずに読み始めると、

戦争中のゼロ戦乗りの物語。

戦争ものを読むなんて、彼女には珍しいことなので、

訊いてみると、ある人に 「ぜひ、読んでください」 と

薦められたらしい。

物語は、終戦から60年目の年、26歳の健太郎が、

特攻で戦死した祖父、宮部久蔵のことを調べるという形で

展開していく。

著者にとっては、本作がデビュー作となっているが、

100万部を突破し、漫画化もされた作品らしい。

いやいや、スゴイ小説だった。

何度、泣いたことか。


私は小学生の頃、戦闘機や軍艦、戦車などが好きだった。

小学生の知識だから、大したことはないのだが、

本作に出てくる零戦はもちろん、一式陸攻、桜花、

メッサーシュミット、スピットファイア、グラマンなども、

写真を見れば、(たぶん今でも) 名前を言い当てられる。

自信ないけど、ミッドウェー海戦で沈んだ空母、

赤城、加賀、蒼龍、飛龍もあの頃なら、

言い当てられたような気がする。

そんなわけで、戦闘シーンも結構リアルに読めた。

本作は、反戦小説という印象は受けないが、

戦争の悲惨さ、無意味さは、充分にあらわしていると思う。


アマゾンでも評価は高いが、低評価のレビューを読むと、

過去の戦記ものから多く借用しているようなことが

書いてある。

そうだろう。

フィクションとはいえ、太平洋戦争を舞台に小説を書くなら、

過去の文献を参考にするのは、当然だろう。

だから、すでにそういう物を読んできた人には、

物足りなく、また、ただのコピペに見えてしまうのだろうが、

私には充分考えさせられ、感動する物語だった。

ただ、浅田次郎氏の 『壬生義士伝』 に

酷似しているとの指摘が多かったので、それも

読んでみたい。


今年の12月には、映画が公開されるようだが、

映画のサイトにあるキャスティングを見ると、

(ちょっとイメージちゃうなぁ〜) という人もいる。

原作を先に読むと、自分の抱いたイメージと違う役者が

その役を演ずると違和感を持ってしまうのだが、

その違和感を吹き飛ばすような映画であって欲しいと願う。

映画のサイトの著者自身のメッセージによると、

 『永遠の0』 のテーマは 「戦争」 ではありません。
 「人は何のために生きるのか」 「誰のために生きるのか」 を
 原題の人々に問いかけた物語です

とある。


ところで、おそらく40歳以上の人なら、

今から17年前のことは、鮮明に記憶にあるだろう。

17年前というと、1996年1月。

私は、ちょうど東京に引っ越して来たばかりだ。

なぜ、「17年前」 と書いたかというと、

私は、1962年生まれで、終戦から17年目の夏に生まれたのだ。

今から17年前が、そんなに昔でないように、

1962年は、まだ、戦争の傷跡が見られた。

いや、私の記憶にあるのは、1965〜66年だろうから、

終戦から 20年ほど経っていたはずだ。

当時、大阪の京橋というところに住んでいたが、

駅前や商店街で、白い傷病服を着た傷痍軍人を

何度か目にした覚えがある。

片足のひざから下がない人が、ある方のひざから下を

ずるずる引きずりながら、ひざで歩いている姿は、

今でもハッキリ覚えている。

3歳か4歳の私には、衝撃だった。

そして、何かが怖かった。

戦争は、遠い過去のことではないのだ。


★★★★★





2013.2.6

127時間

2011年6月に映画を観て、大変衝撃を受け、

すぐに原作本を買った 『127時間』。

買ってすぐに読み始めたのだが、

十数ページ読んだところで、そのままになっていた。

約1年半ぶりに最初から読み直し、

先日、読み終えた。


2003年、アメリカ・ユタ州の峡谷で、

アーロン・ラルストンという アウトドア好きな青年が、

右手を岩にはさまれ、身動きできなくなってしまう。

水も食料もすぐ底をつき、

行き先を誰にも言わずに来たので、救助も来ない 。

そんな極限状態の中、アーロンは事故から6日目に

脱出に成功する。

これ、実話で、原作はアーロン自身の執筆による、

『Between a Rock and a Hard Place』。

日本語タイトルは 『奇跡の6日間』 だったが、

映画 『127時間 (原題:127 Hours)』 の公開に合わせて

文庫化時に 『127時間』 と 改題したようだ。


映画を観てから1年半以上も経つので、

細かいことは覚えていないとはいえ、

あの、岩に右手を挟まれた状況などは、

やはり、映画の記憶のおかげで

リアルに思い浮かべることが出来た。

アーロンが、岩から脱出後、フラフラになりながら、

自力で9キロ以上歩き、ハイカーに出会うシーン、

「もうぼくは、ひとりではない」 とう1行は、強烈だ。

極限状態で起こる、幻覚や幽体離脱も

生半可なものではないのが良く分かる。

幻覚については、映画だと少し混乱した覚えがあるが、

本だと これは幻覚だ というのが分かり易い。

映画では描かれていない、アーロンのママや

友人たちの心配、警察の捜索なども詳しく書かれており、

アーロンの生還は、正に奇跡だと思わずにはいられない。

また、助かった後も、治療が大変だったことが書かれており、

救助されて終わりではなかったことも、映画を観ただけでは、

分からないことだった。


私の大好きな映画 『ショーシャンクの空に』 に

主人公アンディのこんなセリフがある。

 “必死に生きるか、必死に死ぬかだ”

その言葉を思い出しながら読んだ。

映画同様、心の奥底を揺さぶられる作品。


★★★★★





2013.3.8

その「正義」があぶない

小田嶋隆著、「その『正義』があぶない」 を読んだ。

これは、日経ビジネスオンラインというサイト

著者のコラムを集めたもので、お金を出さなくても

ネットで読める。

実際、その収録コラムのいくつかは、ネットで既読だったが、

書物として読みたかったので 購入した。

日経ビジネスオンラインでは、複数の人のコラムを

読むことが出来る。

2年ぐらい前からだろうか、いつもいつも

読んでいるわけではなく、たま〜に読む程度だが、

読み始めた頃は、誰が書いているかには、

注意を払っておらず、コラムの内容にだけ関心があったが、

読み始めて、しばらくしてあることに気付いた。

何度か (このコラム、おもろいなぁ) と思ったコラムの著者が

この小田嶋さんだったのだ。

彼の全ての考え・意見に同意できるわけではないが、

その観点や切り口は、(なるほど) と思わされたり、

考えさせられたりする。

収録されたコラムは、2009年から2011年、

つまり震災・原発事故をはさんだ期間に書かれたものから

選ばれている。

テーマは、政治、スポーツ、芸能、社会問題等、多岐に渡る。

しかし、やはりタイムリーな方が読んでいて興味深い。

最新のコラムもキレている。

彼のコラムを読んでいると、文章表現者としての

心構えと言うか、覚悟、責任についても

考えさせられるのだった。

刺激的です。





2013.3.10

人生生涯小僧のこころ

塩沼亮潤さんは 「千日回峰行」 という、往復48キロ、

高低差1,300メートルの山道を1,000日間歩き通すという

荒行をやり遂げた人だ。

48キロを1,000日ということは、4万8000キロ

歩いたことになる。

登るのは、奈良県吉野の大峯山で、冬は山に入られないため、

5月から9月の間に行い、9年間かけて1,000日を達成する。

一度始めると途中でやめる事はできない掟があり、

やめるには、自ら死を選ぶしかない。

例えば、足を滑らせて骨折でもすれば、行を続けることは

出来ない。

その時は、携帯している紐で首をつるか、

短刀で腹を切るしかない。

また、山には熊や猪などの獣の他、マムシという危険もある。

大雨の日も、雷の日もある。

土砂崩れもある。

大峯山の 「千日回峰行」 は、1,300年の歴史で

満行者が2人しかいないという、とんでもない修行なのだ。


最近、偶然、その塩沼亮潤さんのことを知った。

凄く興味があったので、その塩沼亮潤さんの書いた

「人生生涯小僧のこころ」 を読んだ。

1,000日の道のりは、とてもじゃないが本1冊に

書ききれることではないだろう。

それは、読んでいて分かる。

ほとんどが、行間からこぼれてしまっている。

読者は、その淡々とした語り口から、行のすさまじさを

読み取るしかない。

といっても、書いてあることだけでも十分強烈なのだけど。


何度も命の危険に遭いながら、幻覚を見ながら、

1,000日を満行した時、彼を何を思っただろう。

達成感? もう明日から歩かなくて良いという解放感?

いやいや、そんな凡人が思いつくことではない。

その終わった瞬間のことを書いた1行には、心が震えたね。


平成11年、千日回峰行を終えた彼は、

翌年、『四無行 (しむぎょう)』 に臨む。

四無行とは、9日間の間、「断食 (食わず)、

断水 (飲まず)、不眠 (寝ず)、不臥 (ふが・横にならず)」 を

続ける行。

これまた、命を落とす危険のある限界の行だ。

行に入る前は、死を覚悟する。

生きて終われるか、死ぬかは神仏の判断に

ゆだねるのだ。

行に入るまで精神的、肉体的に十分な準備をし、

お寺のサポートもあって、やり遂げられることだが、

想像を絶する。

4つの中では、「断水 (飲まず)」 が一番つらいらしい。

9日間の断食は、想像できるが、水も飲まないというのは、

考えられないもんね。

正に命がけだ。


お釈迦様は、苦行を否定したというが、

彼は、この2つの苦行を喜んで楽しんだようだ。

そんな危険なことをやってまで、彼は何を得たかったのか、

何を得たのか。

タイトルの 「人生生涯小僧のこころ」 は、

「生涯、小僧のこころを忘れない」 というより、

「生涯小僧の心を生きる、実践する」 という意味だ。

大変、考えさせられ、自分の自堕落さ、我の強さを

省みさせられる内容だった。


四無行を終えられた後、亮潤さんは、故郷の仙台に

慈眼寺を開山された。

昭和43年生まれとあるから、まだ44歳だ。

一度、ナマでお話を聴きたい。





2013.3.16

七回死んだ男

西澤保彦著 『七回死んだ男』 を読んだ。

何かで紹介しているのを読んで、

面白そうだと思い、購入したのだ。

SF仕立てのミステリー。

同じ日が何度もくり返される、といえば、

映画 『恋はデジャ・ブ』 を思い出すが、

あとがきに著者自身が書いているように、

本作は、『恋はデジャ・ブ』 に触発され、

生まれた作品のようだ。

主人公、高校生の久太郎は、何度も同じ日を

繰り返すという特異体質 (?)。

祖父を死から救おうとするが、

何度やっても祖父は死んでしまう、という物語。

後半、(もしかしたら、オチはこうかな?) と

想像したエンディングではなかったが、

さほど、ハッピーエンドというわけでもなく、

スッキリした終わり方でないのが、少々残念かな。

でも、面白かったよ。


★★★★☆





2013.3.17

大峯千日回峰行 と 比叡山千日回峰行

先日読んだ 塩沼亮潤さんの 「人生生涯小僧のこころ」

感銘を受け、千日回峰行について、もっと知りたくなり、

「大峯千日回峰行 修験道の荒行」 を読んだ。

これは、塩沼亮潤さんと板橋興宗 さんの共著で、

板橋さんが塩沼さんにインタビューする、

対談形式で 読み易く、一日で読んでしまった。

板橋興宗さんは、禅宗の僧侶。

やはり、お坊さんだが、塩沼さんと宗派は別だ。

この本の出版時 (2007年) で80歳で、

塩沼亮潤さんは、まだ40歳にもなっていない。

年齢もだが、僧侶としても 全然タイプが違うという感じ。

一人でストイックに行じる印象のある塩沼さんに対し、

「自分はなまけものだから、人と一緒に修行しないと」 と

言う80歳の板橋さんの方が、普通っぽい感じがする。

板橋さんのことは知らなかったが、多くの著書が

あるようだし、素晴らしい方なのだろう。

でも、本人も 「老婆心」 と言っておられるように、

塩沼さんへのアドバイス (というか希望?) が、

(本には) 不要に感じた。

人に向かって 「えらそうにしないでね」 と言う人を見ると、

言ってる人が、えらそうに見えてしまうという からくりに

陥ってしまい、そこのところは 素直に読めなかったのだ。

まあ、読み手 (私) の受け取り方の問題だろうが。

内容的には、先に読んだ 「人生生涯小僧のこころ」 と

重なる部分も多く、塩沼亮潤さんという方のお人柄と

千日回峰行については、より理解が深まった。

はっとさせられる文章もいくつかあった。


この本を注文する時に、

「行 比叡山 千日回峰」 という DVD も頼んだ。

千日回峰行について、調べていて見つけたものだが、

千日回峰行は、吉野山だけではなく、

比叡山でも行われているのだ。

塩沼亮潤さんは、小学校5年生の時にNHKの

テレビ番組で酒井雄哉 (さかいゆうさい) さんの

千日回峰行のことを観て、

回峰行者になろうと決めたという。

意識していなかったが、一緒に購入したDVDが、

まさに NHK特集のその番組だった。

「1979年1月5日放送」 と記載されており、

1968年生まれの塩沼さんは、当時 小学5年生だ。

では、なぜ、塩沼さんは比叡山ではなく、

吉野山を選んだのか。

比叡山より吉野山の方が、距離も長く、標高差もあり

非常に厳しい。

それを知った塩沼さんは、自分が楽だと思う方を

選んだしまったら一生後悔すると思い、

厳しい吉野山を選んだという。


DVD を観ると、吉野山に比べて楽そうだという

比叡山でも、普通の人には 無理だと思った。

実際、満行者は10年に1人程度だという。

山に入れる期間が短い吉野山では、9年間かけて

1000日を満行するが、比叡山では7年間だ。

1〜3年目は40キロを100日、4〜5年目は200日、

6年目は60キロを100日、そして、7年目は、

80キロを100日と40キロを100日歩くという。

ほんまかいな、の世界だ。

これでも、比叡山の方が まだ楽なのか。


酒井雄哉さんは、40歳で出家。

50歳を前に千日回峰行への挑戦だった。

行の間に50歳を超える。

その満行者のほとんどが、30代だったということで、

周囲は反対したという。

しかし、酒井さんは、満行した。

それどころか、千日の満行では物足りず、

翌年には2度目の千日回峰行に入り、

1987年、60歳という最高齢で2度目の満行を達成した。

つまり、14年2000日 やったってわけだ。

歩いた距離は、地球2周分。

2度の回峰行を達成した者は1000年を越える

比叡山の歴史の中でも 3人しかいないらしい。

っていうか、普通やろうと思えへんやろ。


DVD は、前述したとおり 1979年の放送で、

酒井さんの1回目の5年目の記録だ。

吉野山の回峰行と違い、比叡山では 700日終わると、

断食、断水 、不眠 、不臥の 「四無行 (しむぎょう)」 に入る。

(比叡山では、「堂入り」 と呼んでいる)

その模様もカメラに収められている。

こういう 宗教の、しかも、一行者の撮影の許可が

よく取れたな と思って観たが、観た後、

付属の解説を読むと、簡単ではなかったことが分かる。

NHK のディレクターは、延暦寺の了解をとるまでに

毎週のように延暦寺に半年通った。

それで、酒井さんと直接会えたが、酒井さんから

取材許可を取れるまでにさらに半年 通いつめたとある。

それも、凄いなぁ。


それにしても、小学5年生の子供が、

この番組を観て、自分も人の役に立てるよう、

千日回峰行者になりたいと思うということが凄い。

思っただけでなく、本当にやってしまうところが

もっとスゴイ。


私が、回峰行に興味を持つのは、

単なるあこがれだと思うが、

19〜20歳の頃、何にも打ち込んでおらず、

エネルギーを持て余していたのか、

大阪ミナミの夜の街を徘徊しながら、

当時の親友の S 君と 「山に こもりたいのぅ」

なんて話していたのを覚えている。

(このままでは いかん) と、心のどこかで

思ってはいるものの、どうして良いか分からず、

結局、ダラダラと過ごしていたような気がする。

あの頃 (今も)、山になんてこもれる根性も

気力も体力も なかったやろけど。

今だって、楽して暮らしたい、楽しいことだけしたい、

と思っている私だ。

そういう自分だから、命がけで行している姿を

見ると、なんというか、考えさせられるわけだ。

今の自分の人生は、全くOKなのだけど。





2013.3.26

今できることをやればいい

先日観たDVD 「行 比叡山 千日回峰」 の行者で、

今は阿闍梨 (あじゃり) となられた、酒井雄哉さんの

著書 『今できることをやればいい』 を読んだ。

阿闍梨とは、指導する高僧のことだ。

この本は、一昨日、歌丸の落語を聴きに横浜まで行く、

その往復の電車の中で読みきれるほど、

読み易かった。

「〜〜〜なんだ」 とか 「〜〜のはずだよ」 とか

「〜〜じゃないかな」 といった言葉遣いで、

読者にやさしく語りかける口調の文章だ。

人生に悩む若い人向けに書かれたようで、

どちらかというと、50歳を過ぎたおっさんが読む本では

ないのだろうが、それでも、感謝の心の欠如を

気付かされた。

酒井雄哉 阿闍梨は、86歳だ。





2013.7.1

伝説のヨガマスターが
教えてくれた
究極の生きる智恵


ちょっと興味があるけど、手をつけていないものって

ありますか?

私にはいつも、いくつかあって、その中で、

ついにやり始めたことが、ジャズ・ギターだったり、

この ウェブサイトだったり、一眼レフカメラだったり

するわけです。

今、ちょっと興味があるけど、手をつけていないものの中に

「断捨離」 と 「ヨガ」 があるのだが、

ヨガの先生と、断捨利の先生が書いた本を発見したので、

読んでみた。

伝説のヨガマスターが教えてくれた究極の生きる智恵」。

著者は、ヨガ研究家の龍村修 (ガイア・シンフォニーの

龍村仁監督の弟)と、断捨離の提唱者、やましたひでこ。

お2人には、沖正弘という共通のヨガの先生がおり、

哲学的にも通じることが多いようだ。

私は、「断捨利」 の本は、読んだことはないが、

やましたひでこさんのメルマガは読んでいる。

これが中々深くて、面白い。

まあ、「断捨離」 は実践しなければ、何の意味もないのだが。

さて、本書タイトルにある 「究極の生きる智恵」 とは何か。

読んでみると、(なんだ、そんなことか) と思うようなことだが、

自分が実践できているかと問われれば、

「ごめんなさい」 というしかない。

簡単で、誰でも知っているようなことこそ、

実践するのは、難しい。


こんな本を読むと、人生の3分の2ぐらいを過ぎた今、

いよいよ、残りの人生の生き方を考えねば、と思う。

一昨日は飲みすぎて、昨日 (日曜日) は、

二日酔いで 何もできなかった。

そんな人生を送っていては、いかんやろ。

だが、飲みたい。

食いたい。

困ったものだ。





2013.8.31

さよなら渓谷

7月に映画を観た 『さよなら渓谷』 の原作を読んだ。

著者は、『悪人』 の吉田修一。

幼児殺害事件の容疑者の隣に住む、男女の物語。

感想は、映画を観たときより、作者が言いたかった

ことが分かったような気がした。

映画の表現が足りなかったのか、映画を観た上で

原作を読んだおかげで、より理解が深まったのかは、

分からないが。


大学時代に、魔が差したのか集団レイプ事件を

起こしてしまった尾崎俊介と、その妻の物語。

ネタバレになるが、その妻 (といっても籍は

入れていない)が、そのレイプの被害者なのだ。

なぜ、被害者と加害者が一緒に住めるのだ?

一見、非現時的なようだが、犯した罪を

悔やみ続ける俊介と、レイプ事件の後、

ひどい人生を歩むことになった、かな子となら、

あり得ると思える。

レイプするのもされるのも人生の闇だが、

そんな中でも光を見出すこともできる物語。

ハッピーエンドではないが、この2人には、

すべてを乗り越えた先にたどり着いて欲しいと

心底思う。


★★★★☆





2013.9.6

真夏の方程式

7月に映画を観た 『真夏の方程式』 の原作を読んだ。

作者は、『手紙』、『容疑者Xの献身』、

『麒麟の翼』 などが 映画化されている 東野圭吾。

映画を観た時のエントリーには、こう書いた。

 『容疑者Xの献身』 が 素晴らしかったので、
 期待していたが、ちょっと前作には及ばず、という感じ。
 解き明かされていくトリックが、
 あんまり大したことないのと、
 ある殺人が、キーになっているのだが、
 その殺人の動機が、イマイチ理解できなかったことが
 作品のパワー不足と感じた。


しかし、原作を読むと 「作品のパワー不足」 は、

感じなかった。

映画で不完全燃焼だった部分が、

すべて腑に落ちた。

そして、映画より原作の方が、作品として重い。

かなり、重くて深い。

やはり、これだけの長編小説を2時間にまとめるのは、

難しいということか。

結末を知っていて読んでも、引き込まれたので、

知らずに読んだら、もっと面白かっただろう。

ただ、小学5年生の少年・恭平 が、しっかりし過ぎというか、

そんな大人びた5年生おるかぁ? と思ってしまった。

あと、結末の印象が映画とは少し違うように感じたのは、

映画は、多少アレンジされていたのだろうか。


★★★★☆





2014.2.2

たましいの場所

早川義夫。

1960年代後期にデビューした、

ジャックスというバンドのヴォーカルだ。

当時、幼かった私はジャックスを知らない。

ジャックスは、あんまり売れなくて解散。

早川義夫は、音楽を止めて、その後、

本屋のオヤジになった。

「ジャックス」 というバンド名も

「早川義夫」 という名前も日本のロックの

歴史を書いた雑誌の記事で見たことがある程度で、

音を聴いたことはなかった。

その早川義夫の書いた 『たましいの場所』 という

エッセイを読んだ。

きっかけは、先日亡くなった佐久間正英氏の

ブログにこの本のことが書かれており、興味を持ったのだ。

彼の歌を聴いたことはなかったのだけど、

この本は、いっぱいメモりたいような

言葉に溢れていて、好きになった。

なんというか、その弱さや醜さを

さらけ出す文章は、切なくて美しい。


★★★★▲


早川義夫は20年以上やめていた音楽活動を

1994年に再開した。

彼の音楽については、また明日。





2014.3.4

ランドセル俳人の五・七・五

2週間ほど前、偶然 テレビのドキュメンタリー番組で、

俳句を詠む、11歳の不登校の少年を知った。

その少年、小林凛 (りん) 君の詠む俳句が、

あまりにも強烈で、私の琴線に触れた。

すぐに、その著書 「ランドセル俳人の五・七・五」

アマゾンで注文したが、届くまでに2週間もかかり、

昨日ようやく届いた。

どんなんかなと、ページを開いたら、

一気に読み切ってしまった。(1時間ほどで読める)


凛君は、予定日より3ヶ月早く、

944グラムで生まれた。

そのため、小学校入学当時、まだぎこちない歩き方だったり、

身体の割に頭が大きいことなどから、

かなり、ひどいイジメを受けていたようだ。

母親と祖母は、何度も学校と話し合うが、

イジメは 一向に改善されなかった。

本には、母親と祖母の手記も載せられているが、

あまりに ひどいイジメ、学校の対応、先生の態度に、

閉口してしまう。


凛君の楽しみは、俳句を詠むこと。

本書には、彼が8歳から11歳の間に書いた

俳句が載せられている。

その句が、とてもじゃないが、

その年齢の子供が書いたと思えないほど、素晴らしい。

中には、なんでか分からんけど泣けてしまうものまである。

いくつか紹介しよう。


 春の虫 踏むなせっかく 生きてきた (8歳)

 抜け殻や 声なき蝉の 贈りもの (9歳)

 紅葉で 神が染めたる 天地かな (9歳)

 万華鏡 小部屋に上がる 花火かな (10歳)

 ブーメラン 返らず蝶と なりにけり (10歳)

 いじめ受け 土手の蒲公英(たんぽぽ) 一人つむ (11歳)



3年生の時に詠んだ 「紅葉で 神が染めたる 天地かな」

という句は、朝日新聞の 「朝日歌壇」で

大人の句に混じって入選。

その後も入選を繰り返し、その世界では

「天才児が現れた」 と 評判になっていたようだ。


テレビのドキュメンタリーでは、

なくならない イジメのため不登校を選択した凛君が

彼の俳句を国語の授業に使っている小学校へ、

訪れるシーンがあった。

そのクラスは、イジメなどないような

平和で楽しいクラスに見える。

凛君は、そのクラスに迎え入れられ、

一緒に授業を受け、一緒に給食を食べる。

本当に楽しそうに笑いながら、

しまいに彼は泣き出してしまう。

笑いながら、泣いてしまうのだ。

学校って こんなに楽しいところだったんだと

初めて体験したかのようで、またそれが、

彼の小学校生活の壮絶さを物語っているようで、

なんとも心を揺さぶられる印象的なシーンだった。


彼は、俳句を作ることでイジメに耐えてきた。

自分の生きる場所を見出した。

小学校に入る前から、句を詠み出したのだから、

イジメがなくても彼の才能は、開花したのかもしれない。

でも、現実にはイジメというダークサイドがあり、

彼の素晴らしさが溢れていることが、

なんとも切なく心苦しい。


もう一つ。

そのドキュメンタリー番組にも登場していたが、

凛君とお母さんの英会話の先生、ショーンの話も

本に出てくる。

そのショーンの言葉。

「日本では、コミュニケーションの苦手な子が
うまく挨拶できなかったりすると、その親は
『すみません、こんな子なので』 と言うでしょう?
なぜ、『アイム・ソーリー』 と謝るのか。
アメリカでは、違います。
『アンダスタンド・ヒム (彼を理解してください)』
と言うんです」


なんか、国民性の違いが象徴的に表れていて、

興味深い。





2014.6.10

まさき君のピアノ
橋本安代 著


自閉症の息子を持つお母さんが書いた、

ノンフィクション。

2011年3月、東日本大震災後の宮城県女川町。

自閉症のまさき君が避難所でピアノを弾いた話は、

当時のニュースにもなったようだが、私は知らなかった。

いや、あの頃は毎日のように、避難所からの映像が

流れていたので、このニュースを観たとしても

記憶に残らなかったかもしれない。


本書は、ただ 「自閉症の少年が避難所でピアノを弾いた」

というだけの内容ではない。

母と自閉症の息子の感動的な実話だ。

残念ながら、著者は昨年夏、

大好きな息子たち(3人) を 残して他界。

さぞや心残りであっただろう。

合掌。


まさき君のピアノ (Amazon)


★★★★★





2014.8.25

大人エレベーター

「大人エレベーター」 という本を読んだ。

「サッポロ生ビール黒ラベルの大人気 CM がついに書籍化!!」

ということらしいが、残念ながらその CM を見た覚えがない。

なんでも 2010年にスタートし、5年目を迎えたらしいが。

まあ、見たことあるけど、意識してないので

覚えていないだけかも知れん。

そんなことはさておき、その CM には、

色んなゲストが登場するようだ。

CM なので短く編集されているわけだが、

実際の撮影では、妻夫木聡がゲストと

数時間にもおよぶ対談をしているらしい。

本書は、その対談をまとめたもので、

ゲストは、中村勘三郎 & Char、リリー・フランキー、

仲代達矢、スガ シカオ、白鵬、佐野元春、

高田純次&岸部一徳、斉藤和義、竹中直人、

古田新太、奥田民生、中村俊輔。

この人達に妻夫木が 「大人とは?」 「人生とは?」

「愛とは?」 そんな質問をぶつけていく。

私は、Char 目当てでこの本を購入したが、

一番読み応えがあったのが、白鵬。

さすがは、横綱。

この人、ホンモノの日本人ちゃうか、と思った。

それから、独特の世界で話す、佐野元春も印象的。

あとええ感じで テキトーな高田純次。

ここに登場する多くの人の共通点は、

自由で、常に前向きで、向上心があり、

深刻さはなく、仕事を愛している。

そんな感じやな。

結構、面白かった。


「大人って何ですか?」 って訊かれたら

何と答える?





2014.8.28

あるがままに自閉症です
〜東田直樹の見つめる世界〜


先日、NHK で放送された、

「君が僕の息子について教えてくれたこと」 という番組を

(途中からだったけど) 偶然観た。

東田直樹 という自閉症の若者が、13歳の時に書いた、

「自閉症の僕が跳びはねる理由」 という本が、

世界20カ国以上で翻訳され、ベストセラーに

なっているという、そのドキュメンタリー番組だった。

自閉症の青年が、アメリカに招かれ、

講演までするという ちょっと驚きの内容だった。

早速、その本 「君が僕の息子について教えてくれたこと」 を

買おうとしたが、アマゾンでも楽天ブックスでも品切れ。

中古本は、13,000円以上になっている。

とりあえず注文はしたものの、いつ入庫か

未定のようなので昨年12月に発売された、

「あるがままに自閉症です 〜東田直樹の見つめる世界〜」

購入、読んでみた。

本書は、彼が18歳の時のブログに加筆修正したもので、

1時間もかからず読み切れるが、結構、衝撃的だ。

50歳も過ぎると、

「人って、こういう時、こうする」 とか

「人間って、こういうもん」 とか、知らず知らずのうちに

勝手な思い込みを信じきってしまっているもんだ。

著者が書いていたのは、私の知らない、

想像もつかない世界・視点・考え方だった。

ぜひ 読んでいただきたいので、

具体的な例を書く事は差し控えるが、

なんというか、知った風に生きている自分の

足元が すくわれたような感さえある。

ひぇ〜って感じ。


番組は、9月13日に再放送されるので、

興味のある方はぜひ。
  ↓
再放送 詳細





2014.9.8

跳びはねる思考
会話のできない自閉症の僕が考えていること

先日、「あるがままに自閉症です」 という本を読んだ、

東田直樹の最新刊 「跳びはねる思考」 が、今日、届いた。

今夜は、梅林さんとのデュオの練習日だったが、

往復の電車の中で、(90分ほどで) 一気に読み終えた。

著者・東田直樹は、重度の自閉症の22歳の若者。

その世界では、有名な人だったようだが、

先月放送されたNHKのドキュメンタリーで、

一層、注目を浴びることになったようだ。

番組は、彼が13歳の時に書いた、

「自閉症の僕が跳びはねる理由」 という本が、

世界20カ国以上で翻訳され、ベストセラーに

なっているというドキュメンタリー。

その番組を見て、件の 「自閉症の僕が跳びはねる理由」 を

楽天ブックスで注文したところ、注文から3週間を経て、

この度ご注文の商品につきまして、
ご注文が殺到したことにより、
弊社においてご注文時の納期での発送が
適わない状況に至りました。


とのメールが届いた。

アマゾンでも 「在庫切れ・入荷時期は未定」 と

なっている。


「あるがままに自閉症です」 も目からウロコの

内容だったが、「跳びはねる思考」 も然り。

とてもじゃないが、普通に人と会話どころか

挨拶もできない、じっとしている事もできない、

時々、奇声を発したり意味不明の行動をとる人が

書いたとは思えない。

だが、本書を読むと、その理解できない行動に

意味があり、ただ、知らないだけなんだと

気付かされる。

そして、文章が詩的で上手い。


インタビューも載っているのだが、

「学び」ということについての質問に

彼は、こう答えている。

人生にとって重要な学びは
ふたつあるのではないでしょうか?
ひとつ目は、勉強をして、考える力を
身につけること。
ふたつ目は、自分の幸せに気づくことです


22歳の時、オレ、絶対こんなこと

言われへんかったで。

(自分と比べんでええねんけど)


佐々木俊尚 (ささき としなお) という

ジャーナリストのあとがきも良い。


★★★★★


番組は、9月13日に再放送される。





2014.9.16

自閉症の僕が跳びはねる理由

8月17日に注文をしたので、

ちょうど1ヶ月かかって、今日届いた、

東田直樹著 「自閉症の僕が跳びはねる理由」

彼の本を読むのは、これで3冊目だが、

この本は、彼が中学生の時に書いたもの。

(現在 彼は22歳。)

58の質問に著者が答える形式で、

書かれている。

テレビ番組も観たし、本も2冊読んだので、

多少の知識はあるものの、やはり、驚きだ。

「自分は何かを知っていると思ったら、

大海原の一滴も知らないと思え」 というような

言葉を何かで読んだ覚えがあるが、

自分は、何も知らないんだということを

実感する本でした。


巻末の短編小説がこれまた秀逸。

世界各国で翻訳され、出版されるのも

頷ける内容です。


★★★★★





2014.10.30

蜩ノ記

イタリアへ行く往路の機内で、

先日、映画を観た 「蜩ノ記」 の原作を読んだ。

葉室麟の直木賞受賞作だ。

映画は、とても良かったのだが、

一部理解できない部分があったので、

その部分の補足もあり、読んでみようと

思ったのだ。

結果、その不明確だった部分も含めて

より映画のことが理解できたのはもちろんだが、

映画と原作では、少し描き方が違っていたのが

印象に残った (私の勘違いでなければだが)。

具体的な言及は避けるが、

それは、結構大きな要素だと思う部分で、

映画には描かれていたあるシーンが、

原作にはなかったのだ。

どちらが、良い悪いはないのだが、

映画の方が理不尽に描かれており、

観る者はそのやりきれなさに

心を動かされるように感じた。


★★★★☆





2014.11.19

殉 愛

友人が、夫婦で同じ日に2冊買ってしまったと、

1冊プレゼントしてくれた 「殉愛」。

今話題 (?) の、やしきたかじんと彼の最期を

看取った女性のノンフィクションだ。

著者は 「永遠のゼロ」 「海賊とよばれた男」 の

百田尚樹。

3日ほどかけて読み終えたが、

正直、あんまり あと味の良い話ではない。

それはたかじんが死んでしまうからではない。

内容も何も知らずに読み始めたとき、

前半を読んで、結構ウルウルする場面もあり、

感動する話を期待してしまった。

半分ぐらい読んだときに、「殉愛」 って

どう言う意味やろうと検索してみた。

それで、知った。

「殉愛」 って入れると、いっぱい出てきたのだ。

この本と、すでに放映された特集番組のことで

ドタバタが起こっていることを。

知らんでもよかったようなことだが、

そのいくつかの報道を読み、いや〜な

気持ちになった。

たかじんの側近の人が本の内容に

反発しているとか、その女性はイタリア人と

結婚していたので重婚じゃないかとか、

そういう内容だった。

何が真実かなんて、どうせ分からんのやから

どうでもええねんけど、

(なんやこれ、感動する話ちごて、

揉め事かいな) という感じで、

なんか白けてしまった。

それから後半を読み進めると、

前半でも やや気になっていた人物の描き方に

ますます、引っかかりだした。

その人物は、たかじんにとても近い人だったが、

非常に酷い男として書かれている。

女性とたかじんの愛の物語を書くのには、

必要以上に悪者として書いてある印象で、

うがった見方をすれば悪意すら感じる。

そして、その本人にインタビューした風には

書かれていなかった。

それにたかじんの実の娘のことも

よく書いていない。

実際にその人たちは、そういう風なのかも知れない。

でも、そこまで 書く必要があるのか私には分からない。

そら、反発買うわな、って感じ。

そして、世間の批判に著者の百田氏が

ツイッター で反論したことも疑問だ。

本出したら、賛否あるのは当たり前なのに

「何も知らん者が、匿名で人 (その女性のことね) を

傷つける。人間のクズみたいだ。」

とツイッターで、本の内容を批判した人を

批判したようだが、そういう声が上がることも

予想せずに出版したのだろうか?

百田氏はお金を出して本を買った読者を

「クズ」 呼ばわりしたことで、

自らの評判と品位を落としてしまったようだ。

私は、百田氏とその女性がなんのために

この本を世の中に出したのかが、分からない。

これでは、色々言われるのも仕方ないなぁと思う。

それと、たかじんはこの本出すことを望んだやろか?

芸能人やしきたかじんを生きてきた男が、

ホンマにプライベートな弱った自分を

世間に知らしめたかったんやろか?

それも疑問。


ちなみに、数日前、アマゾンの 「殉愛」 のページを

見たときは、評価の ★ の数が 1つと 5つが

100ちょっとずつで、同じぐらいだった。

今日見ると、★5つが152に対し、★1つが

407と、どんどん評価が下がって行っているようだ。

その女性がイタリア人と結婚していたことを、

百田氏は自身のツイッターで認めた。

そのことを書かなかったのは、

自分のミスだと宣言している。

そのこともあってか、読むのも辟易するような

レビューが連なっている。

(ので、少ししか読んでいません。)

たかじんの死後のその女性に対する

週刊誌などのバッシングも酷かったようだが、

この「殉愛」 の内容、そして百田氏、

その女性に対するバッシングも凄い。

何なんでしょう。

この有り余った負のエネルギーは。


本の内容ではなく、この現象に
★☆☆☆☆


たかじんは面白くて好きやったのに 残念。





2014.12.1

自分の小さな「箱」から
脱出する方法


4〜5ヶ月前、六本木のミッドタウンの本屋さんに

ふらりと時間つぶしのために入った時、

平積みされている、ある本を見つけた。

それは、

「日常の小さなイライラから解放される『箱』の法則」

という本で、サブタイトルが

「感情に振りまわされない人生を選択する」 という

ものだった。

別に日常的にイライラしているわけではないが、

何気なく、手に取り最初の方を2〜3ページ

立ち読みし、買わずに立ち去った。

それから1ヶ月ほどして、

またミッドタウンへ行く機会があった。

ミッドタウンには、ビルボードライブ

(ライブハウス) があるので、時々行くのだ。

同様に時間つぶしにその本屋へ入ったとき、

件の本をのことを思い出した。

ひと月程前、立ち読みしたその続きが

ちょっと気になっていたのだ。

タイトルもちゃんと覚えていなかったので、

もし、まだあそこに平積みされていたら買おう、

なければ、縁がなかったんやと思おうと

そのコーナーに行ってみると、果たしてその本は、

ひと月前のようにそこに平積みされていた。


その本、「日常の小さなイライラから解放される

『箱』の法則」 (以下、オレンジ本という) は、

言わば自己啓発的な本で、「箱」 という区別を使って、

日常生活におけるイライラの解消、

人間関係の改善について書かれていた。

読んでみて、非常に興味を持ったのだが、

イマイチ、その 「箱」 という区別が掴みきれなかった。

自分の人生に使うには、不十分だ。

アマゾンで調べてみると、

この本より先に出た

「自分の小さな 『箱』 から脱出する方法」

(以下、緑本という) の方が評価が高く、

オレンジ本より良いというレビューが目立った。

それならと、その緑本を購入した。

購入してから、2ヶ月近く経ってしまったが、

ようやく読んだ。


感想。

素晴らしい。

結構、深いぞ。

「箱」 を意識するだけで、

また、自分が今、人を何として扱っているかを

意識するだけで、世界が違うのが分かる。

今日現在、アマゾンの316件のレビュー中、

200件が星5つだというのも頷ける内容だ。

「衝撃」 「人生観が変わる」 「とにかく素晴らしい」

「今まで読んだ中で一番心を揺さぶられた」 など、

この本に影響を受けた読者の多さが分かる。

最近はあまりこの手の本に

食指が動かないのだが、この本はヒットやね。

おそらく、2〜3日のセミナーにすれば、

10〜20万円はするだろう内容だが、

本なら税込1728円だ。

興味のある方には、ぜひお薦めする。


★★★★★





2014.12.12

富者の遺言

もう、3〜4ヶ月前だったか、

どこかの本屋で偶然目にして買った本、

富者の遺言」。

先日の旅行の飛行機の中でようやく読んだ。


著者は、ファイナンシャルアカデミーという

お金の学校の代表を務める泉正人氏。

事業に失敗した若者と謎の老人の会話を

通して、お金とは何か、またお金との関係を

紐解いていく。

サブタイトルに

「お金で幸せになるために

大切な17の教え」 とある。

17章に分かれているので、

17の教えと言えなくもないが、

1つか2つ心に残る言葉があれば、

読んだかいはあるだろう。

印象に残ったのは、

「お金を運んできてくれるのは、

絶対に自分以外の他人」 という言葉。

つまり、お金は信用の表れだというのだ。

金利が良い例。

大きなお金を動かしている人は、

多くの人に信用されているだろう。

そして、

「人を信用できなければ、

信用は得られない」 という言葉。

私はどうも無意識に、「信用してくれたら、

自分も相手を信用する」 という風に

相手の出方を見ているような気がする。

そうではなく、自分が人を信用することが

先なのだな。

それから、お金は所有できないという話。

お金は川の流れのようなもので、

今たまたま自分の手元にあるけど、

自分のものではないという考え。

ああ、「金は天下の回りもの」 とは、

そういう意味だったのかと、

妙に腑に落ちたのだった。


★★★▲☆





2014.12.15

「食べる」 について考える

ここ数年、どんどん食べる量が減っている。

若い頃のようには、食べられない。

でも、美味しいもんを食べるのは大好きだ。

趣味の一つと言っても良い。

そんな私が、10月の痛風発症を機会に

食べることについて、考えている。

痛風になったのは、食生活が原因だ。

また、成人病と言われるもののほとんど

(もしかして全部?) も食生活が原因だと

言われている。

「品物を山ほど食う」 に病ダレを付けると

「癌」 という漢字になると、聞いたこともある。

世間では、色んな健康法があふれかえっており、

情報が多すぎて、何が正解なのか分からない。

いや、そもそも正解なんちゅうもんは、

ないのだろう。

ある人に合った健康法が、

他の人にも有効だとは限らない。

それは、同じ食事をしていても、

病気になる人とならない人がいることを考えれば、

分かることだ。

つまり、自分に合う方法を模索するしかないのだと思う。


巷にある健康法のうち、私が気になるのは、

「食べない」 方向のものだ。

断食が体に良いことは、半ば常識になりつつあると思う。

私も酵素断食を2011年に9日間、

2012年に10日間行い、

その良さは実感している。

断食は一時的に食べることをやめて、

断食期間が終わると、元の食生活に戻っていくが、

ここにきて、「断食」 ではなく、

「不食」 という言葉に出会った。

不食 (または、少食・微食) は、栄養学的には

ありえない量の食品摂取で生きることを言う。

例えば、一日青汁1杯だけとか、

スゴイ人になると、何も食べない。

断食とは、似て非なるものだ。

私が読んだ本は、

食べない人たち (「不食」が人を健康にする) 」。

食べなくても生きていけるのかどうかなんて議論は、

ナンセンスなのでやめておこう。

この本は、かなり、スピリチャルな分野で、

一見怪しいようにも思える。

しかし、食料自給率が40%の日本で、

もし日本人の食べる量が半分になったら、

自給率は80%になるわけだ。

そんな単純なもんではないだろうし、

育ち盛りの子供は、

やはりしっかり食べる必要があるだろう。

生まれた時から、不食というのは

イメージしにくいもんね。

本にも書いてあったのだが、

昨今の異常気象を鑑みると

いつまでも外国が食料を売ってくれるとは

限らない。

そうすると、不食 (または、少食・微食) は、

これからの日本にとって 重要な可能性の一つかも

知れないとも思う。

不食とまではいかなくても、

50歳を過ぎたら炭水化物は摂らなくてよいとか、

1日1食でよいとか、

色んな人が色んなことを言う。

私は、若い頃からほとんど朝食を食べなかった。

朝ギリギリまで寝ていて

食べる時間がなかったから、という情けない理由だ。

食べるより寝る方が良かったのだ。

記憶が確かではないが、

中学や高校時代から、食べなかった日が

多かったように思う。

中学1年生の夏、水泳の時間に隣のクラスの女子が

亡くなった。

しばらくは、水泳の授業はなかったが、

その後、水泳の授業がある日は、

必ず朝食を食べて来るようにと指導があった。

その時に、私は

「めんどくさいなぁ、はよ起きやなあかんやん」 と

思った覚えがあるので、中学時代には、

毎日朝食を食べる習慣はなかったということだ。

大人になってからも、基本的に朝は食べない。

食べるよりギリギリまで寝る方がよいということもあったが、

歳を取ってくると、本当に要らないと思うようになった。

1日2食でもカロリーが十分に足りているのは、

自分の腹の脂肪を見ればわかる。

午前中の空腹は、気にならない。

旅行に行った時など、朝食を食べることもあるが、

毎日食べると確実に太るだろう。

朝食を食べないと頭が冴えない、という考えもあるが、

食べない方が頭が冴えるという、逆の考えもある。

もちろん、子供の時はしっかり食べた方が

良いだろうと思うが。


さて、この本を読んで、

不食ともではいかなくても、できることなら、

少食を目指したいと思った。

ただ、本来食い意地がはっているので、

どこまで減らせるか分からないけど、

気長にやってみようと思う。


人間は 「見えるものを信じている」 と

思っているようだが、昔なにかの本で読んだ、

「信じているものしか見えない」 という言葉に

真実味を感じている。

つまり、食べなければ餓死すると信じ込んでいる人は、

食べなければ餓死する。

食べなくても死ねへん、と信じ込んでいる人は、

死なないというわけだ。

ただ、その信じ込みは、深い深い無意識に

刷り込まれているので、

そんなに簡単に変えることができないのだな。





2015.1.24

胸の小箱

今年、すでに2度もライヴを体験した

浜田真理子。

先日、彼女のブログを久しぶりに

読んで知ったのだが、昨年11月に

彼女のエッセイ 「胸の小箱」 が発売されていた。

早速、取り寄せて読んだ。

一昨日、ライヴに行ったのだが、

ちょうど読み終えたところで、

カバンに入ってたので、

ご本人にサインを頂いた。

さて、本の内容は彼女の唄と

同じような印象だった。

「彼女の歌を聴くと、

自分も何かを表現したくなる」 と

以前書いたことがあったが、

彼女の本を読むと、

自分も若い頃のあれこれを

書いてみたくなった。

書かないけど。

なんでって、恥ずかしいから。

そう、書きたくなるねんけど、

あんな風に赤裸々に語るの恥ずかしい。

それに、実在の人物が登場してしまうわけで、

読む人が読んだら、誰のことか

分かるわけで・・・。

そんなこと気にしてたら、

本なんか書かれへんよな。

って、私が書いても、

本になんかなれへんねんから、

何を心配してんねんっちゅうことやねんけど。

ああ、話を戻そう。

1月6日、浜田真理子のライヴに行ったとき、

店の中に書き初めが飾ってあった。

お店に言われて、イヤイヤ書いたと

本人は言っていたけど、その言葉が

「足して一 (いち) 」 だった。

(足して一・・・、どういう意味やろ? ) と

思っていたら、「本の中に書いてあります」

とMCで言っていた。

確かに、書いてあった。

「足して一」、そういうことか。

興味のある人は、読んでちょうだい。


本には、彼女の人生のほんの一部が

書かれている。

たぶん、ここに書けない、書いていない、

ホントに色んなことがあったんだろうと、

思わされる。

もちろん、誰だって生きてたら、

色々あるのは当たり前やけどね。

ああ、こういう人だから、

ああいう歌を唄うのかと、腑に落ちること、

また、この人そうなんかぁ、と

意外だったことなど 色々。

歌と同様、このエッセイも好きやな。


★★★★★





2015.4.2

ひまわりの海

舘野泉というピアニストのエッセイ、

『ひまわりの海』 を読み終えた。

舘野さんのことは、ここに書いた が、

脳溢血で倒れたあと、左手のピアニストとして、

復帰された。

エッセイは、倒れられる前、演奏会で、

巡った世界各地のことを書いたのが半分と、

残りの半分は、倒れたあとの

闘病と復帰の記録だ。

演奏旅行のエッセイは、日本の田舎町から、

あんまり聞き馴染みのない国での演奏まで、

彼の音楽に対する真摯な姿勢と人柄が

伺える内容で、知らないクラシック音楽家の

名前や曲名がたくさん出てきて、

退屈しそうなのだが、ゆっくり、

大切に読みたいと思うエッセイだった。

倒れてから闘病のくだりは、

その不安や悔しさは、きっと文章に

書かれている以上で、想像を絶するものだっただろう。

当初、左手のための曲を弾くことに抵抗のあった

舘野さんが、やがて、作曲家の友人に、

左手のためのピアノ曲を書いてくれと依頼し、

ついには左手だけの曲でステージに立つに至る。

きっかけは、舘野さんの息子さんが贈った

楽譜だった。

それは、ブリッジという作曲家が、

戦争で右手を失った友人のピアニストのために

書いた曲だった。

その曲を弾いた時のことを舘野さんは、

こう書いている。

「音にしてみると、大海原が目の前に現れた。

氷河が溶けて動き出したような感じであった。

左手だけの演奏であるが、そんなことは意識に

上がらず、ただ生き返るようであった。

〜 (中略) 〜

音楽をするのに、てが一本も二本も関係はなかった。」


左手の演奏会のあと、観客に

「左手だけの演奏を余儀なくされ、

もどかしく、口惜しくはないか」 と訊かれ

「口惜しくないとは言えないだろう。

今まで弾いてきた音楽を、どうして

忘れ去ることができようか。

〜 (中略) 〜

しかし、これもありのままを正直に

申し上げるが、今感じているのは

音楽の喜びだけである。

〜 (中略) 〜

演奏をしている時には、片手で弾いて

いることさえ忘れている。

充足した音楽表現ができているのに、

どうして不足など感じることがあろう。」


両手で演奏できない口惜しさなら想像できる。

それとて、想像の域を出ないが。

だが、ただ、音楽ができることの喜びに充満した

この言葉は、私に知らない世界を提示してくれた。

人は、ないものを見るから不幸なのだ。

その状況になって、失ったものに

嘆き悲しむ人生も可能だろうし、

全く新しくチャレンジを始めることもできる。

人間というのは、無限に素晴らしいと

思ったのであった。


そして、片手で弾こうと両手で弾こうと、

音楽は、音楽だ。

片手で弾くのは、難しくないかとか、

疲れないかとか、そんなことは、

音楽とは関係のない聴衆の興味本位の

関心事でしかない。

目が見えなかったら、片手で弾いているのか、

両手で弾いているのかなんて、

分からないのだ。

私は、このエッセイを読み終えて、

「左手の」 といちいち書く自分が

恥ずかしくなった。


もうひとつ、印象的なエピソードを。

舘野さんが復帰後、まだ長いプログラムは、

弾けないと思っていた頃、

日本のあるコンサートで全ての曲を引き終えると、

2時間近くになっていた。

フィンランドの奥さんに電話で

「凄く長いプログラムで、2時間近くも

かかったんだよ」 と言うと奥さんは

「あら、あなた、また枠からはみ出しちゃったのね」

と言って大笑いされてしまったとある。

「枠からはみ出したというのは、小学生の頃、

習字の時間に書く字が大きくて、いつも紙から

はみ出していたことを言われたのである。

たびたび先生に母が呼び出されて

注意を受けたそうだが、母は、

『いいよ、字ははみ出すぐらいの方が

いいじゃないか。枠にはまらない方が面白いよ』 と

言ってにこにこしていた。」


ああ、こんなことを言ってにこにこしていられる

母親がどれほどいるのだろうか。

私の母なら、きっと 「枠に収まるように書きなさい」 と

言ったに違いない。

いや、それがいけないわけではない。

そんな母に不満があるわけでもない。

ただ、枠からはみ出すような人間は、

枠からはみ出すことが許される環境で、

育つんとちゃうかと思ったのである。

舘野さんは、枠からはみ出しているもんね。








2015.4.9

あ ん

先日 試写会で観た映画 『あん』 の

原作を読んだ。

2時間半、一気に。

著者は、ドリアン助川。

なんとなく、聞き覚えのある名前やと

思ったら、「叫ぶ詩人の会」 の人。

「叫ぶ詩人の会」 は、1990年結成なので

当時、テレビか何かで知ったんだろう。


さて、『あん』 の原作。

やられました。

後半の数十ページは、涙と鼻水で

ズルズルになりながら読んだ。

ああ、こういうことだったのかって感じ。

非常に深いテーマとメッセージだった。

残念ながら、映画では描ききれていないと思う。

原作にも出てくるセリフが、

そのまま映画にもあったけど、

原作の方が、伝わってくるもんがあったね。

ラストシーンも違った。

原作のラストの方が、余韻があって良いと思った。


映像より文章の方が強いわけではないだろう。

叶わぬ望みだが、違う監督・脚本で、

映画を観てみたいと思った。


★★★★★





2015.5.7

仕事は楽しいかね

デイル・ドーデン著 『仕事は楽しいかね』

偶然、閉鎖された空港で出会ったマックスという

老人に 「仕事は楽しいかね?」 と質問され、

そこから一晩かけて、成功の秘訣を聴くという物語。

原題は " The Max Strategy "。

直訳すると 「最大の戦略」。

読後には、『仕事は楽しいかね』 という

日本語タイトルは、ちょっとどうかなと思ったが、

かといって 「最大の戦略」 では、

あまりにも陳腐な印象だし、

「成功の秘訣」 なんてのも同様に

薄っぺらくてふさわしくない。

何の 「戦略」 かというと、仕事の、いや、

これは人生の戦略だろう。

ここに書かれていることは、仕事だけではなく、

あらゆることに試すことができるだろう。

いわゆる自己啓発、成功哲学、

ビジネス書の類なのだが、

あまり野心のない私でも、(これ実践したら、

人生おもろいかも) と思ってしまった。

刺激的で、一気に読んでしもた。


★★★★★





2015.5.8

寝ずの番

まだ大阪に住んでいた22〜23歳の頃、

FMの深夜放送で、そのやる気のないような

話しっぷりを聞いたのが、中島らもを

知ったきっかけだった。

20代から30代にかけて、

大好きで、彼の本を何冊も読んだ。

一度は観たいと思っていた、劇団

リリパットアーミー (中島らも主宰) を

一度も観ることなく、らもさんは、

2004年に酔っ払って階段から落ちて、

そのまま帰らぬ人となった。

死に方まで、「中島らも」 である。

そのらもさんの本を久しぶりに読んだ。

『寝ずの番』。

iPad に電子書籍をダウンロードしたのだが、

意外に短かった。

調べてみると、電子版は短編3篇だけだが、

単行本には、9篇も収められている。

これは、あかんと思う。

同じタイトルで売ってるんやから、

全部入れな。

Sony Reader Store で買ったのだが、

確認したら、(9篇かどうかは分からんけど)

3篇以上 収録されているものも

売られているやんか。

しかも同じ値段で。

どういうことやねん!


それはさておき、3篇だけやったけど

久しぶりの らもワールド、笑わせてもらいました。

ちょっと品がないので、万人にはお勧めしませんが。


これ、落語家の葬式が舞台やねんけど、

2006年に映画にもなってるの知らんかった。

マキノ (津川) 雅彦監督で、中井貴一 や

長門裕之、木村佳乃らが出演しているようだ。

これは 観な。


★★★★▲



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