BOOK-2
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2016.2.14
7本指のピアニスト
西川悟平
先日、偶然、西川悟平というピアニストの
存在を知った。
ニューヨークで活躍するクラシックの
ピアニストだ。
クラシックのピアニストになる人というのは、
3〜5歳でピアノを習い始めるのが普通だが、
彼がピアノを始めるのは、15歳。
そんな、遅い(と言われる)時期にピアノを
始めた彼が、ピアニストになるまでの
ストーリーも凄いのだが、その後が壮絶。
20代後半で、ディストニアという病気にかかり、
いったんはピアニストの道を絶たれる。
ディストニアは神経障害による病気で、
治療法は確立されていないのだ。
色んな部位に発症するようだが、
彼の場合は、指が動かなくなった。
医者にピアニストとしての再起は不能と
言われるが、彼は懸命なリハビリにより、
奇跡的に7本の指でピアノを弾けるようになった。
興味がわいたので、昨年刊行された彼の著書、
『7本指のピアニスト』を取り寄せた。
完全に引き込まれ、気がついたら2時間半、
一気に読み終えた。
もの凄い本だった。
最後のエピソードには、嗚咽さえもらしてしもた。
人の言葉が、人の人生を変えていくこと。
私たちの知らない世界があること。
生きるということはエキサティングであること。
そして、不可能を可能にすること。
そんな本です。
改めて、あきらめない限りは不可能はないと
知らされます。
そして、矛盾しているようやけど、
人生は自分では、どうしようもないことも。
彼の場合は、指は動かなくなるけど、
驚く程、色んな幸運が転がり込んでくるのも事実。
ただ、じっとしていて、幸運に恵まれたのではなく、
その背景には、とんでもない努力と、
彼の生い立ち、ポジティヴな生き方など、
色々が絶妙に作用しているように読み取れます。
「人生って、不思議なものですね」って、
歌があるけど、まさに。
来月、その西川悟平のライヴがあるので、
体験してきます。
ここで、彼の簡単な経歴が読めます。
興味ある人はどうぞ。
2016.7.8
家日和
奥田英朗 著『家日和』を読んだ。
この人の本は、初めて。
6つの短編集なのだが、
サクサクと読める話で、面白かった。
ネット・オークションにハマる主婦の話。
会社が倒産したサラリーマンの話。
別居した夫婦の話。
内職先の若い担当者との淫らな夢を見る
主婦の話。
勝手に転職してしまう夫の話。
ロハスにはまった妻を持つ夫の話。
それぞれ面白いが、別居した夫婦の話
『家においでよ』が特に良かった。
その夫の行動に共感を持つからだろうか。
ラストも好きだな。
★★★★▲
2016.7.23
ひとさじのはちみつ
半年ほど前だったか、贈り物に桐の箱に入った、
ハチミツの詰合せ(3本入り)を頂いた。
桐の箱はもちろん、オシャレな瓶と
その透き通ったハチミツの色が
高級品であることを表していた。
普段からハチミツを食べる習慣がなかったので、
とりあえずは、そのままになっていた。
先日、たまたま、
『ひとさじのはちみつ』という
ハチミツについて書かれた本のことを知った。
ハチミツが身体に良いという内容のようだった。
ハチミツが身体に良いというのは、
以前から なんとなく知っていたが、
家に箱入りのハチミツがあることを思い出し、
その本を買ってみた。
著者は、前田京子。
石鹸やはっか油についての著書のある人だ。
ハチミツが素晴らしい食品であることは、
十分に分かったが、
ハチミツのお風呂や化粧水、パックのことなど
完全に女性向けに書かれた本のようだった。
驚いたのは、ハチミツで歯を磨くことや、
目薬としても使えるというあたり。
ハチミツでは虫歯にならないらしい。
どちらも、試そうとは思わないけど、
毎日、ハチミツを摂取することは、
ずい分身体に良さそうな感じだ。
その効用ゆえにハチミツは大昔から、
薬として使われてきたのだという。
ただし、精製、加糖、加熱など加工された
ハチミツではダメで、天然の純粋ハチミツで
ある必要がある。
それらは、当然、お値段もそれなりになってくる。
この本で初めて知ったニュージーランドの
マヌカのハチミツ。
先日、近所のスーパーで見つけたが、
小さな瓶で 3000円以上していた。
ハチミツには、素晴らしい栄養があるらしいが、
ビタミンCは足りないらしい。
で、ハチミツとレモンという組合せは
最強になる。
なるほどねって感じ。
★★★▲☆
2016.9.26
チルドレン
高校1年2年の担任だったK先生は、
強力に読書を勧める先生だった。
「週に1冊読め」というのが口癖で、
時々「堤は、今、何を読んでますか?」
なんて訊かれた。
私が「筒井康隆です」と答えると
先生は、ちょっと困った顔をしていた。
おそらくだけど、先生は筒井康隆を
1冊も読んでいなかったと思う。
なんせトルストイを読めというような
先生だったからな。
一時期は、よく読書していた時期もあったのだが、
最近は、あんまり本を読まなくなった。
読んでも、写真か音楽か落語に関する本が多く、
小説は年に数冊かな。
その、たくさん小説を読まない私が好きな
作家の一人が、伊坂幸太郎だ。
彼の小説は、11本が映画化されている。
映画人が、映画にしたくなるような
小説ということなのだろうと思う。
11本のうち、5本は観たのだが、
観ていなかった、というか
映画になっていることを知らなかった
『チルドレン』を読んだ。
解説に「短編集のふりをした長編小説」と
いう表現があるのだが、うまく言い表している。
5つの短編が収録されているのだが、
登場人物が共通していて、
数人の違う人の立場で書かれており、面白い。
1作1作も面白いが、5作全部読むと、
貫かれていることがあり、妙な共感がある。
妙なというのは、主要登場人物である、
陣内という男に対する共感だ。
陣内は、現実にいたら、
あんまり付き合いたくないなと思う一方で、
どこかで憧れを抱いてしまうような
面のある男だ。
映画にしたら面白いやろなと
思いながら読んだのだが、読後調べてみたら、
2006年に WOWOW でドラマ化され、
後に劇場公開されていたのだった。
その劇場公開作で、陣内の役をしたのは
大森南朋で、ちょっと私の持ったイメージとは
違うのだが、観てみたい。
★★★★☆
2016.10.25
怒 り
先月観た映画『怒り』の原作を読んだ。
著者は、『悪人』『さよなら渓谷』の吉田修一。
映画の感想には、
「イマイチ犯人の『怒り』が何なのか
残念ながら、映画からは読み取れなかった」
と書いた。
原作を読んで分かったのは、
この作品のテーマは
「怒り」ではないということ。
いや、映画を観てもそれは分かっていたのだが、
前述のような感想を記した自分を観てみると、
ちょっとずれた観点で観てしまったような気がする。
また、犯人が誰だが分かっていて読んだので、
3人の男の誰が殺人犯なのかという
サスペンス的要素については、
言及しづらいのだが、
やはり本作の本質は、そのサスペンス的な
部分でもないことも感じた。
本作のテーマは、信じること。
そして、その難しさ。
「愛している = 信じている」ではない、
その難しさ。
信じたいのに信じきれない難しさ。
それらをいくつかの人間関係を背景に
描いている。
男と男、男と女、恋愛だったり、父娘だったり。
原作には、映画には描かれていない
「信じることの難しさ」も描かれている。
600ページ近い原作を140分程度の映画で
描き切るのには、そもそも無理があるので、
仕方がない面もあるのだろうが、
映画を観たあとに原作を読んでみると、
原作の持つ重厚さ、悲しさ、力強さが
映画では十分に描かれていたとは言い難い。
もっとも、映画を観て、ストーリーを
知った上で原作を読んだわけで、
映画を観たことが、原作を読む際の
理解の助けになっていないわけがないので、
「映画では十分に描かれていたとは言い難い」
なんて言いきってしまうのは、
不公平な感じもする。
順番が逆だったら、映画の感想も
変わってくるかもしれないからね。
映画を観て疑問だった点が、
原作を読んで全てクリアになった
わけではないのだが、そんなこと
疑問のままで構わないと思えるほど
原作にはパワーがあった。
読んでスッキリする物語ではないが、
「信じる」ということについて、
考えさせられる。
「『信じる』ということについて
考える」と言うことは、
相手が信じた通りでなかった時に
その相手をも受け入れられるか、
ということも含んでいるように思う。
そんなこと考えてる時点で、
「相手のこと信じてへんやんか」とも
思うが、信じるということは
裏切られても良いと腹をくくることの
ような気もするのだった。
難しいけど。
★★★★★
2016.10.27
借金2000万円を抱えた僕に
ドSの宇宙さんが教えてくれた
超うまくいく口ぐせ
30〜40代には、ニューエイジ、
スピリチュアル、自己啓発系の本を
結構読んだものだが、最近はほとんど
読まなくなった。
読まなくても大丈夫になったというのかな。
でも、なぜか惹かれたこの本は面白かった。
この長ったらしいタイトルの本
「借金2000万円を抱えた僕に
ドSの宇宙さんが教えてくれた
超うまくいく口ぐせ」をなぜ知ったか
数日前のことなのに思い出せない。
アマゾンの読者レビューをいくつか読んで、
すぐに注文し、届いた翌日には、
読み終えていた。
著者が商売に失敗し、
2000万円の借金を抱えた状態から、
どうやって全額返済に至ったのか、
どうやって幸福をつかんだのか、
「宇宙の法則」を使って
どのように人生の大逆転をしたのか、
その秘密を全て明かしてくれる。
そして、それを信じる者だけに
宇宙は力を貸してくれる。
タイトルだけでは、薄っぺらい内容かと
思ってしまいそうだが、
どうしてどうして、なかなか深い。
著者が、パワーストーンのブレスレットで
商売していることで、マイナスなイメージを
持ってしまう人がいるようだが、
そのことで、本質を見誤るともったいない。
ナポレオンヒルやカーネギー、
引き寄せの法則、ホ・オポノポノなど、
内容は、すでにどこかで読んだことのあること、
知っていることがほとんどなのだが、
今まで読んだ中では、一番わかりやすく、
実践もしやすいのではないかと思う。
★★★★★
2017.4.17
火喰鳥 羽州ぼろ鳶組
本作がデビュー作となる 今村翔吾 著の
時代小説「火喰鳥(ひくいどり)羽州ぼろ鳶組」。
時代小説は滅多に読まない私が、
これを読んだのには訳がある。
著者の今村翔吾の母親は、
私の姉の中学時代から40年以上の友人で、
私の高校の先輩でもある。
そして彼女の弟(著者の叔父に当たる)は
私の中学時代の友人でもある。
著者本人とは面識がないが、
そんなわけで、読んでみようと思った。
江戸の火消の話で、ちょっとマニアックと
言えなくもない。
若い人がこんな時代小説を書くことは
素晴らしいと思うが、
難しい漢字が多くて読みにくかった。
初めて出てきたときにはルビが振られていても
あとから出てきたときには、
その読み方を憶えていないのだ。(年?)
また、「偽り」とか「瞬く」とか読めるのに
ルビが振ってあるものもあるのに
ルビがなくて読めない(自信がない)
漢字も結構あった。
「大団扇」
「捕方」
「儂」
読めますか?
私は、読めませんでした。
「おおうちわ」
「とりかた」
「わし」です。
まあ、時代モノを読んでいる人には、
当たり前の漢字なのかもね。
「不世出(ふせいしゅつ)」や
「稀代(きだい)」は読めなくもないが、
普段使わない言葉だから、自信がない。
「吝嗇家(りんしょくか)」なんて、
ルビが振ってあっても意味が分からないものも。
(けちんぼうの意味)
これは、私の勉強不足と言ってしまえば、
それまでだが、サクサクと読み進むことが出来ず、
集中力がいるので、続編が出ても読もうとは思えない。
そういう意味では、好き嫌いが分かれるだろう。
ストーリーはサスペンス仕立てでまあまあ面白く、
主要登場人物数人のキャラクターも
分かりやすい点は良いと思う。
火事のシーンは、言葉で表すのは難しいだろう。
映画『バックドラフト』を観ていたので、
朱土竜(あけもぐら)のことはイメージ出来たけど、
知らなかったら、難しかったと思う。
映画かテレビドラマになると面白いかもな。
それにしても、この小説を書くために、
どれほど江戸の火消やその時代のことを
調べたのだろうと思うと気が遠くなるような
作業に感じた。
★★★▲☆
2017.5.9
ブッタとシッタカブッタ 1
悩めるブタ、シッタカブッタを主人公に
人生を説く4コマ漫画。
もし、私が20歳の頃に読んでいたなら、
何が書いてあるのか、
全く理解できなかったのではないかと思う。
4コマ漫画と侮るなかれ。
結構、深い。
聞いたことのあるような話といえば
それまでだが、人間の苦悩の
本質ともいえる諸々が、
見事にシンプルに表されている。
タイトルから分かる通り、根っこは仏教だ。
そんな漫画がシリーズ累計200万部突破という。
それだけ、求めている人がいるということだが、
一方で、檀家が減り、
困っているお寺が多いというような
報道も目にする。
ブッダの教えとお寺とは、
切り離されてしまったということだろうか。
★★★★☆
そういえば、数日前、寺の住職(男性)が
83歳の母親に灯油をかけ火をつけた事件があった。
言語道断過ぎて コメントできない。
2017.8.15
白鍵と黒鍵の間に
ジャズピアニスト・エレジー銀座編
南 博 (著)
ひと月ほど前だったか、
南博というジャズ・ピアニストの
アルバム "Like Someone In Love" を聴いた。
南氏のことは、知らなかったのだけど、
友人が CD をプレゼントしてくれたのだ。
CDが良かったので、知らべているうちに
氏が、本も数冊書いていることを知り、
面白そうだなと読んでみたら、大当たり。
『白鍵と黒鍵の間に』は、クラシックピアノを
学んでいた氏がジャズと出会い、
ジャズ・ピアニストを目指し、
小岩のキャバレー、六本木のバー、
そしてバブル真っ盛りの頃、
銀座の高級クラブでのピアノを弾いていた時の
ことから、アメリカ、バークリーに
留学するまでのことが書かれている。
特に銀座での数々のエピソードは、
その世界にいた人しか体験し得ないことばかり。
こういう体験を通して、本物の
ミュージシャンになっていくのだろう。
まさに非合理や理不尽こそが、人を育てるのだと思う。
それは、何も音楽や芸の世界だけに
限ったことではないだろうけど。
誰も聞いていないクラブでの演奏を続ける中、
無意識にピアノを弾くようになり、
そのことに危機感を覚えつつ、
どうすることも出来なかった時、
一種の悟りが訪れる。
答えは、何気ないところにある。
おそらく、そのままクラブのピアニストで
一生を終えるピアニストもいるだろう。
そして、それが悪いことでもない。
しかし、クラブのピアノ弾きに終わらずに、
そこから抜け出したい、本物のジャズを
学びたいという情熱が、枯れることはなかった。
そして、その情熱と行動力が、
自分自身の未来を切り開いていくのだな。
続編も出ているので、それも読んでみようと思う。
★★★★▲
2017.8.24
鍵盤上のU.S.A.
ジャズピアニスト・エレジー アメリカ編
南 博 (著)
先日読み終えた、ジャズピアニスト南博氏の
『白鍵と黒鍵の間に』が面白かったので、
その続編となる『鍵盤上のU.S.A.』を読んだ。
『白鍵と黒鍵の間に』では、
銀座でのピアニスト時代のことを書いていた。
その銀座の高級クラブの仕事で稼いだ金で、
南氏は、アメリカへ渡る。
ボストンにあるバークリー音楽大学で
ジャズの勉強をするためだ。
『鍵盤上のU.S.A.』では、そのボストンでの
タフでハードな日々が記されている。
『白鍵と〜』でも、氏のジャズに対する
情熱をひしひしと感じたが、本書も然り。
気になる生徒には片っ端から声をかけ、
セッションを申し込んだというあたりや、
日本にいた時から大好きだったという、
スティーヴ・キューンにレッスンを申込み、
数か月がかりでそのレッスンが実現するくだりを
読むと、芸を向上させるのは、諦めない粘りと
行動力なのだと改めて思う。
先日観た映画『ファウンダー ハンバーガー帝国の
ヒミツ』に描かれていたマクドナルド創業者
レイ・クロックとも共通するが、
一般の人と、何かを極める人との違いを
ひと言で言い表すならば、「情熱」なのだと思う。
彼らは、言い訳をしない。
音楽の話だけでなく、アルゼンチン出身の
アマンダとの恋の物語も、青春を感じ、
胸の奥が疼いた。
私は、ボストンには行かなかったけど、
1985年の10〜12月、2ヵ月かけて、
西海岸から東海岸までアメリカを横断した。
23歳だった。
南氏が、アメリカに渡ったのが、1988年の12月。
おそらくは、私が見たのとそんなには違わない、
ニューヨークの街並みを目にしたんだろうな。
そんなこともあって、私のアメリカの記憶も
刺激され、懐かしさとも郷愁とも言えない
独特の想いが込み上げるのであった。
ある夜、ボストンの街で黒人のベガ―(乞食)に
小銭をせびられ、アパートの前まで跡をつけられる。
扉の外で怨念の言葉を発するベガ―に対し、
南氏が、心の中で
「あんた達の音楽をオレは今勉強してるんだぜ」と
呟いたというくだりを読んで
私はメンフィスでの出来事を思い出した。
↓
2009.2.28 Memphis
南氏のピアノは、CD では数枚、
そのプレイを聴いたけど、
ライヴはまだ未体験。
近いうちにライヴを聴きに行きたいな。
★★★★▲
ところで、昨夜、妻が
「誰に私淑しているの?」と訊いてきた。
「私淑する」とは、直接教えを受けていないけど、
その人に影響を受け、模範とすることをいう。
困難や問題に当たった時、
「その人だったらどうするだろう」と考えることで、
自分にない答えを導き出すことが可能になる。
ぱっと訊かれて私には即答できる人がいないが、
彼女は吉田松陰なのだという。
そんな話をしたあと、寝る前に
読みかけの『鍵盤上のU.S.A.』を少し読んだ。
数ページ読むと、
なんと「私淑」という言葉が登場した。
「私淑」なんて言葉、滅多に目にすることはない。
妻が「私淑」について、さんざんシンクロニシティな
話を聴かせてくれたあとに、出てきた「私淑」。
これまた シンクロニシティ。
ただ、直接ピアノのレッスンを受けた先生のことを
「私淑すれば〜」と書いていたので、
この使い方は間違っているようだ。
「私淑」は、
面識のない人を師と仰ぐことなので、
直接指導を受けた場合は、使わないようだ。
2017.9.15
あなたは「言葉」でできている
ひきた よしあき (著)
2ヵ月ほど前に買って、
「積んどく」になっていた本
『あなたは「言葉」でできている』を読んだ。
2時間ぐらいで一気に読める、
読みやすい本。
たった2ヵ月前のことなのに
どうして、この本を買ったのか覚えていない。
なんとなく、レビューを読んで
良さそうだと思って買ったような気がするが、
そもそもどうして、この本のレビューを
目にしたのかは全く覚えていない。
やばいか、オレ。
ま、そんなことはどうでもよいことだな。
ほとんど毎日のようにこの「ひとりごと」で
文章を綴っている私には、
「言葉」というものは、重要な表現手段であり
ツールであり、そして、出来あがった文は
作品でもある。
この本で著者は、文章の書き方の
ハウツーというよりは、
豊かな文章が書けるように、
あるいは 話せるようになるための、
ワークのようなものから、
ちょっとした心がけまで
日々の訓練ともいえるものを
紹介している。
これを実際のセミナーで
ワークも取り混ぜながら、
一日かけてやれば、
数万円の参加費が徴収できるであろう
内容だと思うが、それが
たった1,620円で手に入るのね。
あとは、実践するかどうかだけだろう。
多くの割合を占めた「エピソードノート」に
ついては、55歳の今からやるのは、
まるでもう一つ趣味を増やすもののようだと
思うが、やればきっと面白く
新しい発見があるだろうと思うし、
自分を知るのに大いに役立つだろう。
私は、似たようなことの一部を
この「ひとりごと」で
「告白」と称してやってきている。
「告白」に書いたエピソードは、
自分の記憶にある印象的な事件ばかりだが、
「エピソードノート」を書けば、
自分が忘れているようなエピソードも
出てくるんじゃないかと思う。
著者の教え子のエピソードが
いくつか紹介されているが、
そのひとつ「お父さん新聞」は、
短い文章だけど、
思わず落涙のエピソードで、秀逸。
言葉の力強さを感じざるを得ない。
自分の人生にも
そういうエピソードがあればと思うが、
高校生になってウンコをちびったような話の方が、
自分らしいのかもしれない。
ただ、私の場合、深みに欠けるので、
もうちょっと 掘り下げた方がいいよね。
★★★★☆
あなたは「言葉」でできている
2017.11.14
マイ・フーリッシュ・ハート
南 博 (著)
ジャズ・ピアニスト 南博氏の3冊目
『マイ・フーリッシュ・ハート』を読んだ。
1冊目は、ジャズとの出会いから
バブル期の銀座の高級クラブでの
ピアニスト時代のエピソードを綴った
『白鍵と黒鍵の間に
ジャズピアニスト・エレジー銀座編』。
2冊目は、銀座でピアノを弾いて貯めたお金で
アメリカのバークリー音楽大学へ留学していた
頃のエピソードを綴った
『鍵盤上のU.S.A.
ジャズピアニスト・エレジー アメリカ編』
2冊とも面白かったが、3冊目も然り。
これは、南氏が人生という楽曲の上で
自分をインプロヴァイズしてきた記録でもある。
誰であっても人生は、
いわば即興で生きているのだが、
そこに色んな望まぬ要素も絡んで来て、
思わぬ方向に転がったり、また時には
幸運に恵まれたりする。
人それぞれにそれを支えるものが
あるのだろうけど、氏の場合は、
「音楽」とその「仲間」が、
ある意味、人生のガイドとなり、
今にたどり着いているのだと思った。
ある意味、その三部作の完結編的
位置づけに感じたね。
最後は、ちょっと感動して泣いてしもたよ。
マサシ君という人が登場する章があるのだけど、
これがなぜか数か所「サトシ君」になっている。
明らかに編集か校正のミス。
内容とは直接関係ないけど、こういうのは
どうかと思うなぁ。
小説で言えば、登場人物の名前を
間違ってんねんからね。
先日、初めて観に行った氏のライヴは、
思っていたものとは違ったので、
ぜひ "My Foolish Heart" を含めて
スタンダードの演奏を聴きたいと思う。
★★★★▲
2017.11.17
我が師、おやじ・土門拳
写真家・土門拳の一番弟子・牛尾喜道氏と
二番弟子・藤森武氏が、
師匠とのエピソードを 2014年から
2年間アサヒカメラに連載したコラムを
まとめた『我が師、おやじ・土門拳』。
読み終えて、タイトルが
「わが師・土門拳」ではなく、間に
「おやじ」という言葉が入っている意味が
よく分かった。
牛尾氏は、土門が50歳(1959年)の時、
藤森氏は、土門が53歳(1962年)の時に
とった内弟子だ。
(牛尾氏は18歳、藤森氏は20歳だった。)
一番弟子、二番弟子と書かれてはいるが、
それ以前の土門拳の弟子の数は、
分かっていない。
たぶん、土門本人にも分からないだろうと
いうことだ。
土門拳については、数冊本を読んでいたので、
その写真への情熱と厳しさは、
ある程度知っていた。
この本を読んで 新たに土門拳の
人としての魅力も知ることができたが、
強烈だったのは、師弟関係の絆と
弟子たちの写真と師匠へのコミットである。
弟子たちには、撮影中にたびたび
土門から拳骨が飛んできたという。
あるいは、ステッキが向こうずねに
入ろうとも、弟子たちは痛みをこらえ、
土門の撮影の助手を続けた。
2〜3ヶ月前、ジャズ・ミュージシャンの
日野皓正氏が指導した中学生が本番中に
アンサンブルを乱したので体罰を与えたと
マスコミが騒いだ。
中学生と 大人になって弟子入りした
牛尾氏や藤森氏とを
一緒にしてはならないと思うし、
時代に50年以上の開きがあるので、
世の中の同意も常識も変わってしまっている。
土門の言動は、現代なら「パワハラ」と
言われるかもしれない。
そして、暴力は良くないと思う。
それでも、弟子たちにとっての
この修行時代が、彼らを一人前に
育てたように思えてならない。
何よりも、師匠を語る二人の言葉からは
師匠への感謝しか読みとれず、
怒鳴られたことや殴られたことへの
恨みは微塵もないのである。
そして、土門がそういう言動に出たことに
対しても全ては、自分が助手として未熟で、
先生の足を引っ張っていたからだと
100% の責任を取っているのだ。
一切の責任転嫁がない。
二人の言葉からは、師匠への尊敬と
愛しか感じられないのである。
それはひとえに 土門の器の大きさであり、
人柄であることも疑いようがない。
とはいうものの、それは本書の感想として
感じることであり、私であれば、
3日も持たなかったであろうと思う。
牛尾氏の弟子入りのエピソードを読むと、
こんな人の弟子になんかなるもんかと
思ったかもしれない。
そういう低い次元では語られない、
もの凄い世界があったのだと思う。
以前、笑福亭鶴瓶が語る、松鶴師匠の
話を聴いて、そんな風に 信頼できる、
全てを預けられる師匠を持てた人は、
幸せだなと思ったことがあるが、
土門拳もそういう師匠であった。
牛尾氏は、土門との関係を
「師匠と弟子を超えて、親以上に、
親と子の間柄で結ばれている」と書いている。
土門の拳骨で頭が少し陥没しているという
藤森氏は「昔に戻ったら、もう一度
土門の弟子をやりますか?」という問いに
「今度はもっとうまくやる」と答えている。
★★★★★
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2016.3.10 写真
2016.4.28 土門拳 腕白小僧がいた
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2018.8.15
知性を磨く
「スーパージェネラリスト」の時代
田坂広志 著『知性を磨く』。
「スーパージェネラリスト」が
何であるかの説明は省くが、
私なんぞは、そういう者に
なれそうにないし、目指す気もない。
でも、著者が言わんとしていることは、
私なりのレベルで理解できる。
全てとは言えないけど。
第一話は「なぜ、高学歴の人物が、
深い知性を感じさせないのか?」という
表題で始まる。
そこでは「知性」と「知能」を区別し、
第二話以降では、「知識」と「知恵」を
区別する。
今まで深く考えたことがなかったが、
なるほど、似て非なるものであることが
分かりやすく書いてある。
「割り切り」と「腹決め」など
自分が何か決める時の指針になりそうな
区別もあった。
また、印象に残ったのは
「愛情とは、関係を絶たぬことである」
という言葉。
二十五話まであって、途中ちょっと
興味が薄れたものの最後まで読んだ。
最後の三話あたりは、また興味が湧いた。
「我々は、世界を『解釈』するに
とどまってはならない。
我々は、世界を『変革』する力を
身につけなければならない」
という力強いテーマの本だった。
★★★★☆
2018.11.16
ハーレムの熱い日々
吉田ルイ子
ちょっと前に写真家の吉田ルイ子さんの
本のことを思い出した。
私が21〜22歳の頃だから、
今から34〜35年前に友人に勧められて知ったのが、
吉田ルイ子さんだった。
彼女の著作を2〜3冊読んだ覚えがあるが、
その中の一冊が「ハーレムの熱い日々」だった。
急に読みたくなり、新たに買い直し、
30数年ぶりに読み返してみた。
吉田さんがカメラを始めた当時から、
1960年代のハーレムの黒人達を
生き生きとした文章と写真でとらえている。
近代アメリカの歴史を知るにも
教科書よりよほどリアルに迫ってくる。
その時代、その場にいた日本人が
書いたという点でも興味深い。
黒人解放闘争を展開したブラックパンサーは、
映画『フォレストガンプ』にも登場するのだが、
本作と合わせると良く分かる。
白人より劣ると自ら思い込んでいた黒人が、
「ブラック・パワー」に目覚めていく様子が
よく分かる。
"Black is Beautiful" だ。
もしかしたら、黒人アーティストの中に
1950年代、白人のような髪型を
していた人がいたのに、
60年代後半あたりから、
いなくなっていくように見えるのも
60年代後半に高まりを見せた黒人の
公民権運動の影響なのかもしれない。
1967年、米国の公共広告賞を取った写真
「貧困のポケットの中に何が入っている?」
強烈な写真だ。
写っているのは、実際にハーレムに住む少年。
受賞後、当時の日本の写真雑誌にも紹介されたが、
撮影者が日本人とは紹介されなかったという。
★★★★☆
2019.1.17
「みんなの学校」が教えてくれたこと
学び合いと育ち合いを見届けた3290日
先日講演を聴いた木村泰子先生の著書
「『みんなの学校』が教えてくれたこと
学び合いと育ち合いを見届けた3290日」を
読んだ。
ドキュメンタリー映画『みんなの学校』にも
描かれていない、先日の講演でも聴けなかった
話も多く、木村先生の教育の素晴らしさと
必要性をより感じると同時に、その難しさも
より一層感じることができた。
子供と向き合うのに、正解はない。
いつもいつもこれで良いのかと
自問自答し続ける。
誰一人、昨日と同じ人はいない。
何一つ、昨日と同じことはない。
毎日子供が違う。
過去に作られた概念や観念が、
何の役にも立たない所か、足を引っ張る。
教師は「教える専門家」ではなく
「学びの専門家」。
教師自身が日々学び続けるのだ。
いや、教師だけではない。
大人がみんなそうであれば良いのだろうな。
こんな小学校で6年間を過ごしたなら、
私も少しは違った人になれたんじゃないか。
そんなこと、今さら言っても仕方がないのだけど、
この本に出てくるような、大人(先生)に対する
信頼や安心は、私にはなかったような気がする。
大空小学校には、不登校も学級崩壊もなければ
モンスターペアレンツもいない。
モンスターペアレンツは、
学校が作り出しているのだという。
『みんなの学校』は、文部科学省の
「特別選定作品」に選ばれたのに、
文部科学省は学校自体を
見直そうとしないのだろうか。
しかし、この本を読んでの感想は、
大切なのはそんな批判ではなく、
私自身の古い考え方を改めること、
毎日チャレンジすることなんだと思った。
★★★★★
2019.2.22
日日是好日
「お茶」が教えてくれた15のしあわせ
昨年の暮れに観た映画『日日是好日』の
原作を読んだ。
著者は、森下典子さん。
樹木希林が出演していなかったら、
この映画を観ようとは、思わなかっただろう。
この映画を観なかったら、間違いなく
この本を読もうとは思わなかっただろう。
映画にも原作にも「一期一会」という言葉が
登場するが、こういうことなのかもしれない。
森下さんは、特に強烈な欲求があったわけではなく、
母親に勧められて、お茶を始めた。
何度かやめようと思うが、お茶を通して
生きるということ、自由になることを手に入れていく。
出会った瞬間に「これだ!」って思えるような
ドラマティックな人生も中にはあるかもしれないけど、
ほとんどの人生は、なんとなく出会い、
なんとなく始まり、なんとなく続いていくものが
多いんじゃないだろうか。
私がこの本と出会ったように。
「なんとなく」は適切な表現かどうか分からないけど。
映画も良かったけど、それ以上に原作は良かった。
なぜか良く分からないけど、何度か涙がこぼれた。
感動したとかそういうんじゃない。
とても大切なことが書いてあると思った。
それをここで言葉にすると、
あまりにも薄っぺらく、安っぽくなる。
著者のように10年20年かけて、
自分で気づき、発見してきたことなら、
こういう(この本のような)形でなら、
人に伝えても良いかもしれないが、
数時間で読んだ私が、簡単にまとめて
言葉にできるようなものではない。
映画の感想にも書いたけど、
若い時には分からなかったことだと思う。
年を取るって、毎日未来が減っていくんだけど、
その分、若い時に知りえなかったことが
ちょっとずつやけど、分かってくるのだな。
★★★★★
2019.3.31
うらさだ
さだまさしと ゆかいな仲間たち
2月25日の武道館落語公演に
出演した さだまさし を観て、
さださんのことに興味がわき、
ついには、6月のコンサートの
チケットまで買ってしまった。
以前、グレープ時代のさださんの曲
『フレディもしくは三教街』について
書いたことがあったが、私はさださんの
ファンと言えるほど彼の音楽を
聴いてきていない。
だが、ここにきて、彼の音楽というより、
さだまさしという人間に興味を持ってしまった。
コンサート回数は日本一の4300回超だとか
歌手としてだけではなく、作詞作曲家、
小説家としての活動もあれば、
35億円の借金を背負い、返済したという
経歴もある。
とにかく稀有な存在であることは違いない。
『うらさだ』は、さださんを知る14人が
それぞれの視点から人間さだまさしを
語るという企画の書籍。
さださんを知る14人とは、
笑福亭鶴瓶、立川談春、高見沢俊彦、
鎌田實、小林幸子、ナオト・インティライミ、
カズレーザー、泉谷しげる、レキシ、
若旦那、堀江貴文、井上知幸(放送作家)、
飯塚英寿(NHKプロデューサー)。
ここに案内人の寺岡呼人が加わる。
今日、読み終えたのだが、
奇しくも昨夜たまたま点けた TV で
『今夜も生でさだまさし』を
やっていた。
年度末のスペシャルだったらしく、
「平成最後のさだ祭り」ということで
24時過ぎから4時まで生放送。
途中からだったけど、ゲストも豪華で
結局最後まで観てしまった。
『うらさだ』で読んだことと
『生さだ』を観て感じたことを合わせ
分かったことは、さださんの
行動力、柔軟性、視野の広さ、信念の強さ、
優しさ、強さ、そういったものだ。
柔軟でありながら、ぶれないというのは、
ありそうで中々に難しいのではないか。
そういう面が、人を惹きつけて
止まないのではないか、と思ったのでした。
その姿勢に見習うべきことも多い。
コンサートが楽しみだ。
★★★★☆
2019.7.2
いちのすけのまくら
春風亭一之輔著の『いちのすけのまくら』。
いつ買ったっけ?と見てみると、
2018年1月30日 第一刷発行とある。
たぶん発売されてすぐに買って、
3分の1ぐらい読んで
ほったらかしになっていた。
そんな感じで、
読もうと思って買った本が
かなり溜まっているのに、
また新しい本を買ってしまったりする。
困ったもんだ。
さて『いちのすけのまくら』。
もうひと月ぐらい前になるかな、
また最初から読み直し始めて、
ようやく読み終えた。
短いエッセイ集のようなものなので、
少しずつ読むにはちょうど良い。
「まくら」というのは、落語の本題に
入る前に話すフリートーク部分のことで、
言っていればイントロだ。
「まくら」でその日の客の反応を
伺いながら、演目を決めたりするそうだ。
つまり落語家は、何を演るか演目を
決めずに高座に上がることも珍しくないのだ。
なぜ「まくら」というのか。
頭に付くから。
落語らしいね。
内容は、2014年〜2017年に週刊朝日に
連載されたものをまとめたもので、
実際に高座やラジオで喋ったりしているようだ。
一之輔の高座は、もう50回近く観ているが、
知らない話が多く、面白かった。
一之輔ファンなら、文句なく楽しめます。
巻末には、落語通の俳優、東出昌大との対談も収録。
東出と一之輔は、NHK(Eテレ)の
『落語ディーパー!』で共演したり、
東出自身がドラマで落語家役を演じたりしている。
★★★★▲
2019.10.12
この世を生き切る醍醐味
樹木希林
『この世を生き切る醍醐味』。
昨年3月、亡くなる半年ほど前に
行われた、樹木希林さんの3日間7時間に
及ぶロング・インタビューをまとめた本だ。
一映画ファンとして、彼女の演技、
出演作品には、本当に楽しませもらったし、
その発言のユニークさや、
内田裕也氏との一風変わった
結婚にも興味があったが、
読み終えて、何というか、
色んな疑問が解けたような気がする。
ああ、だから、あの演技なのだ。
ああ、だから、あの結婚なのだ。
ああ、だから、あの発言なのだ。
と、いう風に。
希林さんだけではなく、娘の也哉子さんの
インタビューも収められており、
より「樹木希林」という人を知ることが出来る。
人との関わり、家族との関わり、子育て、
モノとの関わり、仕事との関わり、
そして自分との関わり、人生との関わり。
也哉子さんも書いているが、
こんな風には、生きたくても
中々生きられない。
でも、刺激的だ。
そして、こんな風に生きられたら、と憧れる。
だから、希林さんは魅力的なんだ。
一般に考える「芸能人」とは、
かけ離れた生活でありながら、
「芸能人」であることの覚悟も凄い。
也哉子さんのそれらの受け継ぎ方も
腹が座っている。
以前、 宮崎奕保 (みやざきえきほ) さんという
僧侶の言葉「悟りとは平気で生きること」に
衝撃を受けたことがある。
平気で生きる。
そういう意味では、希林さんは、
悟っていたんだと思う。
「諦観・諦念」と言ってもよい、そういう
感覚を持っていたんじゃないかと思う。
モノに溢れた生活を送る今の自分には、
耳の痛いことも多かったし、
人生も後半戦に入った私としては、
大変 考えさせられた。
そして、彼女の映画をまた観たくなった。
役所広司と共演した『わが母の記』の
希林さんのことを
「座っている姿だけで、凄い」と書いた。
彼女は、役所演じる小説家の母親役なのだが、
年を取るごとにどんどん小さくなっていくのだ。
撮影当時、彼女はまだ60代だった。
一体どうしたら、そんなことが出来るのかと
思っていたが、そのことについても
触れられていて、その回答がまたスゴイ。
また、内田裕也氏のことを良く知らないまま、
余り良い印象を持っていなかったのだけど、
ちょっと印象が変わったよ。
これを読んで、希林さんのことを
もっと知りたくなった。
★★★★★
2019.11.6
師いわく
春風亭一之輔
落語ファンになってから、あまりの面白さ、
素晴らしさに5年余りで50回、100席 以上の
高座を聴きに行ってしまった、春風亭一之輔。
最近は、回数が減ったものの、
一時期は、月一ペースだった。
さて、その一之輔が悩み相談にこたえる、
『師いわく』。
知らずに購入したが、小学館のウェブマガジン
P+D MAGAZINE で連載中の
「師いわく ~不惑・一之輔の『話だけは聴きます』」
という悩み相談の書籍化だった。
読もうと思えば、無料で ウェブで
読めるのだが、ただで読むより、お金を出して
本で読む方がありがたみを感じるのは、気のせいか?
悩みの内容は、真面目なものから、
どうでもいいようなものまで様々だが、
一之輔の回答がユニークで素晴らしい。
私の妻も「サルトル塾」と称して
悩みや相談に答える会を催していて、
凡人が思いつかないような、
回答を繰り出してくるのだが、
一之輔もそれと同じような感じ。
やはり、21人抜きで真打に昇進する
ような人は、ちょっと違う。
もっとも一之輔の場合、
噺家というコンテクストだから、
妻のそれとは、違うけどね。
聞き手のキッチンミノル(写真家)の
ゆるさも手伝って、中には実は深いことを
言っているのに、軽〜く読めてしまうあたりも
深刻さがなくて良い。
ただ、読者の中には、その回答の深さに
気付けない人もいるのではないかと
全く大きなお世話な、余計な心配をする私だった。
★★★★☆
2019.11.21
たゆたえども沈まず
原田マハ 著
先月、パリのオルセー美術館でゴッホの
『ローヌ川の星月夜』を観て以来、
すっかりゴッホにハマってしまって、
映画やドキュメンタリーを観ている。
今夜は、小説『たゆたえども沈まず』
(原田マハ 著)を読み終えた。
タイトルの『たゆたえども沈まず』というのは、
パリ市の紋章にラテン語で書かれている標語、
"Fluctuat nec mergitur" の訳。
「たゆたえども」なんて使ったことのない言葉だが、
「揺れはするけど、沈没はしない」という意味で
水害(セーヌ川の氾濫)と幾多もの
戦乱や革命など歴史を乗り越えてきたパリを
象徴した言葉であるらしい。
さて、本作。
主な登場人物は、ほとんどが実在した人々。
ゴッホ、弟のテオ、ポール・ゴーギャン、
ゴッホの絵のモデルにもなったタンギー爺さん、
そして、19世紀後半、フランスで浮世絵など
日本美術品を広めた(売り捌いた)日本人画商、
林忠正とその片腕、加納重吉。
(重吉は、もしかしたら架空の人物かも知れない。
ググってみたけど未確認。)
実際にゴッホやテオと忠正に
交流があったのかどうかは分からないとのことで
ストーリーは、史実とフィクションが入り混じっている。
ゴッホを含め多くのヨーロッパの画家が、日本文化、
特に浮世絵の影響を受けたことは有名だ。
ゴッホは、浮世絵の模写までしており、
日本に憧れを持っていたことは、分かっている。
当時のジョポニスムの流行は、
本作が、フィクションだと分かっていても
本当にこんな風だったんじゃないかと
思わされてしまう。
主人公は、ゴッホというよりはテオと重吉。
ゴッホ兄弟の人生に深く、忠正と重吉が
関わり合っているように描かれている。
ゴッホの絵は、生前1枚しか売れなかったと
言われている。
私は、そんなことないだろうと勝手に
思っているのだけど、テオの立場が
この小説のようだったら、そういうことも
あり得るかもな、と思ってしまった。
ゴッホのピストルによる自死、
その半年後のテオの死という、
分かり切った結末に向かっていても、
後半は涙なしには読めなかった。
ピストルの一件には、
意外な背景が設定されていた。
タイトル『たゆたえども沈まず』の意味、
表紙『星月夜』の意味も読めば分かるのだが、
忠正が初めて、『星月夜』と対面するシーンが、
なんとも感動的だ。
この本を読んでから、パリに行っていたら、
もっと違った見方が出来たような気がするが、
今となってはもう遅いな。
また行くしかないか。
今度はもっとゆっくりと。
★★★★▲
2019.11.26
ゴッホのあしあと
日本に憧れ続けた画家の生涯
原田マハ 著
19世紀末、パリで日本美術を広めた、
日本人・林忠正とゴッホ兄弟との交流を
小説にした、『たゆたえども沈まず』が
とても良かったので、著者の原田マハさんが、
『たゆたえども沈まず』に続けて出版した
『ゴッホのあしあと 日本に憧れ続けた画家の生涯』
を読んだ。
著者の小説は、初めて読んだので
他の作品は知らないのだけど、
ゴッホ以外にもピカソやルソーの
小説を書いておられる、
美術関係に詳しい方のようだ。
ゴッホは好きだけど、小説にするには、
日本人にイメージが定着し過ぎていて、
避けていたという著者が、なぜ小説を
書こうと思ったのか。
それは、林忠正という人がいたことを
知ったことに始まる。
浮世絵などの日本文化から
印象派、後期印象派の画家達が
受けた影響は、私がぼんやり知っていた
レベルのものではなく、とんでもないほど
多大な影響だった。
そこに大きな功績を残したのが、
林忠正だったのだ。
生前、絵の売れなかったゴッホは、
今や天文学的数字でその作品が
取引される画家となった。
一方、林忠正は、生きていた時は、
世の中に知られていたけど、
世界に日本文化を紹介した功績や、
祖国の近代化に多大な貢献をしたことは、
現代では、ほとんど知られていない。
その林の日本における復権が
小説のひとつの目的であったという。
私が買った『たゆたえども沈まず』は、
第10刷で、帯には「6万部突破」と書かれていた。
少なくとも、6万人のうちのほとんどが
林忠正のことをこの小説を通じて
知ったことだろう。
私を含めて。
そういう意味では、著者の目的は、
果たされたと言えると思う。
今後もこの小説は、ゴッホの絵に魅せられた
人々が手に取ることだろうし。
もう一つの目的として、ゴッホの「狂気の人」という
イメージを覆したかったとある。
自分の耳を切ったとか、精神病院に入院したとかいう
エピソードから、どうしてもエキセントリックな
イメージを抱いてしまいがちなのだが、
著者は「ゴッホはまともだった」と説く。
テオへの手紙の丁寧なフランス語に始まり、
相当な読書家であったとか、
色とりどりの毛糸を使って、
色彩を決めていたとか、
おそらく調べれば調べるほど
知れば知るほど、
ゴッホがまともであった、
証拠が見えてくるのだろう。
驚いたことの一つは、耳切り事件。
左の耳を剃刀でスパッと切ったのだと思っていた。
医者が書いたスケッチが残っていて、
それを何かで見た覚えがある。
(最近 立て続けに映画やドキュメンタリーを
観たので何で観たのか分からなくなっている。)
しかし、本書には耳たぶの先っぽを
切っただけだと書いてある。
何か根拠があるのだろうけど、
ネタ元には触れていない。
軽くググったところ、耳たぶの先だけという
記述は確かに見つかったが、
一方で、ゴッホを診たフィリックス・レー医師の
書いた耳全体が切り落とされている
スケッチが存在していることも発見した。
私が何かで見たのもこのスケッチだと思われる。
ただ、そのスケッチは、1930年(事件から
42年後)に書かれたものだけど。
なんか 謎だらけやなぁ。
本書は、ゴッホのことを知る手がかりも
多く書かれているが、小説
『たゆたえども沈まず』のネタバレのような
ことも書かれているので、
出来れば小説を読んだ後で
手に取るのが良いだろう。
『たゆたえども沈まず』の読後のレビューに
登場人物の加納重吉について、
実在の人物か架空の人物か分からないと
書いたけど、彼は架空の人物であった。
ちょっと前に観た映画
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』。
1969年、カルト教団に襲われ惨殺された
女優シャロン・テートを、その映画の中では、
殺されずに済んだストーリーに書き換えていた。
代わりにリック(ディカプリオ)と
クリフ(ブラピ)にカルト教団を
めっちゃくちゃにやっつけさせる。
まるで、映画の中で仇を討つみたいに。
全然 世界は違うのだけど、
『たゆたえども沈まず』では、
日本に憧れたゴッホ兄弟に日本人を
寄り添わせることで、亡きゴッホの
力になり、慰めようとしている。
『ワンス〜』は映画愛に、
『たゆたえども〜』はゴッホ愛に溢れている。
そういう愛の昇華もあるのだな。
アルルはもちろん、
もう一度、パリにも行きたくなる本。
★★★★☆
2019.12.24
ゴッホと〈聖なるもの〉
正田倫顕 (著)
ちょっと難しくて、読み終えるのに時間が
かかってしまった 正田倫顕(しょうだともあき)著、
『ゴッホと〈聖なるもの〉』。
書いてあることの何割を理解できたのか、
かなり心もとないのだが、理解できた部分については、
大変興味深く面白かった。
宗教(キリスト教)、宗教的なもの、
聖なるものの観点から、ゴッホの絵を
読み解いていくのだが、読みながら、
カラーで収録されたゴッホの絵を観ていくと、
今まで気が付かなかった、というより、
何を見ていたんだろうと思う程、彼の絵には
不自然さや矛盾が多いことを知った。
著者は、それらをゴッホの宗教的背景から、
一つ一つ解釈していく。
ゴッホは牧師になろうとして挫折し、
伝道師になろうとして挫折している。
そのあと、画家を目指すのだが、
父親が牧師であったことを含めて、
宗教の影響がないわけがないだろうことは
想像がつくが、何しろ奥が深い。
中には「深読みし過ぎやで」「考えすぎちゃう?」
と思うものもあったが、著者は、
ゴッホ自身が気づかずに(無意識に)
描いてしまったことにまで言及していく。
(これ、凄い話やな。)
色使いの変化や、初期には多く描かれた
教会が描かれなくなっていくこと、
サンレミでいくつも描かれた太陽が、
オーヴェールでは描かれなかったこととか。
宗教とは関係がないが、
私の中で、ぼんやりと疑問だったことがあった。
それは、ゴッホに模写が多いこと。
浮世絵はもちろん、ミレーやドラクロワなど、
数多くの模写を残している。
なんとなく、オリジナル作品を描くのが
画家だと思っていたので、どうして、
他人の作品を模写するのだろうと、不思議だった。
そのことについて、ゴッホは
「音楽家が(自作の曲ではなく)ベートーヴェンの
曲を演奏する時、個人的な解釈を
付け加えるように(過去の誰かの優れた作品を
素材として)自分の解釈で即興的に
色をのせていく」という旨のことを手紙に書いている。
さらに「(模写は)勉強になるし、なんといっても
時々慰めを与えてくれる」と書いている。
そうか、音楽家が他人の書いた曲を
自分流に演奏するように
画家が、他人の描いた絵を
自分流に描いたって、それはコピーではなく
創作なんだ、と腑に落ちたのだった。
そして、「慰めを与えてくれる」というくだり。
好きな絵を好きな色で描くことは、
きっと喜びであったに違いない。
それにしても、一人の画家の絵を観るのに、
これだけの背景を学び、解釈するのは、
専門家でしか なしえないと思うが、
ゴッホの作品は、絵であって、ただの絵ではないという
その世界の深淵さをチラリと垣間見たのでした。
ゴッホ探求はしばらく続きそうだ。
★★★★☆
2020.2.4
エフォートレス・マスタリー
〜あなたの内なる音楽を解放する〜
日本での初版発行が、2019年12月10日で
あったため、最近書かれた本かと思っていたら、
1996年に書かれた本だった。
日本語になるのに、どうして20年以上も
かかってしまったのだろうか。
でも、20年前だったら、私はこの本を
途中で投げ出してしまったかもしれない。
そういう意味では、タイムリーに出会った。
『エフォートレス・マスタリー(Effortless Mastery)』
は、ピアニスト・作曲家のケニー・ワーナー
(Kenny Werner)が、ミュージシャンのために
書いた精神的な指南書。
いわゆるスピリチュアルな本で、
読者を選ぶかも知れないが、
「瞑想」が出てくるまでの前半は、
「スピ系」が苦手な人でも参考になることは多いだろう。
しかし、「瞑想」するしないは別にしても
結局、聴くにしろ、演奏するにしろ
表面的ではなく 音楽を深めていくと、
スピリチュアルな体験を伴うことになる。
本当の音楽の素晴らしさは、
その分野なしにはあり得ないだろう。
私は、いつ頃からかは覚えていないけど、
たぶん20年ぐらいは前から、
音楽には秘密があって、一流の演奏家達は、
その秘密を知っていると思っていた。
彼らは別に秘密にして隠しているわけでも
ないのだけど、私からしてみれば、
理解することも掴むことも容易ではない
ことなので、秘密同然に思っていた。
この本には、その秘密ともいえる
演奏の鍵が記されている。
そして、これを読んだからといって、
途端に劇的に演奏が上手くなるわけでは
ないのだけど、私には演奏上の精神安定剤の
ような役割の本であった。
読み始めから読み終えるまで、
1ヶ月以上を要したのだけど、
その間にも自分の演奏に変化を感じ始めた。
まあ、まだ練習中だけのことなので、
勘違いかも知れないけど、勘違いでも構わない。
この感覚は大事にしたい。
この感覚を失わないためには、
この本を繰り返し、読む必要があると感じている。
何よりも、一回読んだだけで理解できるほど
浅い話ではないしね。
タイトルの「Effortless Mastery」は、
直訳すると「楽(簡単)な熟達」。
苦労なしにマスターすることだ。
もちろん練習なしにマスターする
近道はないのだけど、
多くのプレイヤーが間違った練習方法、
間違った心構えで演奏に向き合って
いることを ケニーは指摘している。
今年で私は58歳。
元気でいれば、あと20年くらいは、
ギターを弾いていられるだろう。
その間に、どこまで行けるかだ。
2014年にケニーは、バークリー音楽大学の
「エフォートレス・マスタリー研究所」
芸術監督に就任した。
そんな研究所があることにもビックリ!
★★★★★
2020.7.22
ノストラダムスの大予言
『ノストラダムスの大予言』という本がされたのは、
1973年なので、小学5年生の時だった。
なんとなく、中学生の時だと思っていたが、
記憶は当てにならないね。
「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」
というフレーズが、恐怖を誘い、大ブームになった。
フランスの占星術師ノストラダムスが、
16世紀に書いた予言集には、
ナチスの出現や、第二次大戦のことなどが
書かれていた。
そのノストラダムスが、1999年7月に
人類が滅亡すると予言していたというのだから、
70年代の日本人にとっては、恐怖である。
自分で買ったのかどうか覚えていないけど、
我が家にも1冊あった。
このたび、表紙の絵を見たら見覚えがあったので
間違いない。
たぶん、友人Yの影響で自分で買ったんだと思う。
でも、途中で怖くなって読むのをやめた覚えがある。
ホントに恐ろしくなったんだ。
そのベストセラー『ノストラダムスの大予言』の
著者、五島勉(ごとうべん)さんが6月に
亡くなっていたという記事を読んだ。
享年90歳。
2018年に公開された、『文春オンライン』での
ロングインタビューが追悼で再公開されているので
読んで見た。
知らないことばかりだった。
そもそも、『ノストラダムスの大予言』を
書いた人の名前さえ知らなかった。
当時、この本を読んでノイローゼになった人まで
いたという。
しかし、どうやら最後まで読むと
人類全滅の話ではなかったらしいのだが、
私と同様に最後まで読まなかった人が
多かったのだという。
困ったもんだね。
そして、「大予言」シリーズは1998年まで
全10冊も刊行されていたとは、これまた知らなかった。
【追悼】伝説のベストセラー作家・五島勉の告白
「私がノストラダムスを書いた理由」作家・五島勉インタビュー #1
前編後編あります。
2021.2.24
安野光雅
先日、テレビを点けたら、
NHK の日曜美術館という番組で
安野光雅さんという画家の特集を放送していた。
私は、安野さんのことを知らなかったが、
その細かい画風にとても惹かれた。
番組を観終えてから、調べると
1926年生まれの安野さんは、
昨年12月24日に94歳で亡くなっていた。
1926年は、元号が大正から昭和に変わった年。
12月25日に昭和になったので、
大正生まれだったわけだ。
国際的にも評価を受けていた人で、
受賞も多い。
番組では、実際に絵を描いているシーンも
映っていたが、その絵は緻密でありながら、
不思議と緩さもある。
早速、絵本を買ってみた。
「旅の絵本 VIII」に描かれた日本の風景は、
どこか懐かしく、コミカルな面もあり、
飽きさせない。
ストーリーがあるようで、ないような、
不思議な絵本。
季節ごとの彩も心を和ませるし、癒される。
巻末には、原子力発電の問題に触れらており、
描かれた風景は、電気がほとんどなかった時代だと
説明があった。
電気が普及して、ずい分便利になった。
でも、電気がなかった時代が、
不幸せだったわけではないんだな。
京都の丹後に安野光雅館、
島根県津和野町に安野光雅美術館がある。
どちらも行ってみたい。
2021.5.4
あした死ぬかもよ?
人生最後の日に笑って死ねる27の質問
ひすいこたろう(著)
コロナ君のせいで、昨年に引き続き、
今年のゴールデンウィークも旅行は断念し、
家にいることにした。
昨日、書店に立ち寄った時、目に入った本
「あした死ぬかもよ?」を一気に読んだ。
この本の対象は、還暦を前にしたおっさんではなく、
たぶん20〜30代40代の若者だろう。
今年に入って、友人や父の死があり、
つい2〜3日前にも2018年のキューバ旅行の
メンバーだった男性(たぶん40代)が、
亡くなったと聞いた。
そんなわけで、「死」を身近に感じているので
この本のタイトルが目に入ったのかも知れない。
内容は、簡単にまとめると、人は必ず死ぬ。
死ぬとき後悔しないよう、満足に死ねるよう、
今をどんな風に生きることができるか、
という著者からの提言。
この本を読みながら「このままだと、死ぬ時
後悔しそうだ」と思った人には有効な書物だろう。
いや、後悔しないだろうと思って生きている私にも、
残りの人生をどう生きるかを今一度、考えさせられた。
残りの人生は短い。
読んで良かったと思う。
2012年に発行され、30万部を突破というから、
ロングセラーだ。
こういう「生きるヒント」を求めている人が
たくさんいるということでもあるだろう。
アマゾンを覗くと、概ね高評価なのだが、
否定的なレビューには(内容が)「浅い」「薄い」
という言葉が並ぶ。
確かに誰かの言葉、どこかに書いてあった言葉の
引用が多いので、そう言われても仕方がない部分も
あるのかも知れない。
にしても、そこに引っかかると
この本のポイントは、読み取れないだろう。
一部の人たちには、著者のメッセージは届かないようだ。
驚くことに「宗教」とまで書いている人もいた。
「死という不安を煽っている」と書いている人もいた。
私の読んだ限り、全く宗教ではないし、
全く不安を煽ってなどいない。
著者は、いかに生きるかを説くために
一番強烈な「死」を使った。
「明日死ぬとしても、その生き方で良いですか?」と。
そんなこと考えたことのなかった人、
自分の死は、ずっとずっと先のことで、
(当面)自分は死なない、と思い込んできた人には、
「明日死ぬかもよ」というのは、脅しだったかも知れない。
考えたことのない「死」を突き付けられて、
不安になってしまったのかも知れないな。
生命(いのち)は、必ず死ぬもので、
生きているのは奇跡だと
毎日意識出来たら、残りの人生は
もっと良いものになりそうだ。(今でも良い人生だけど。)
これからは、そういう風に生きてみよう。
って、すぐに忘れるんやろうなぁ・・・
★★★★☆
2021.7.21
モチモチの木
Kさんは、今年で73歳なのだけど、
小学生の息子が3人いる。
1年生、5年生、6年生の3人。
孫ではない。息子だ。
先日、Kさんが、『モチモチの木』という
絵本の話をしてくれた。
小さな子供がいるので 子供向けの絵本を
知ることも多いそうだ。
『モチモチの木』は、おじいさんと5歳の孫、
豆太(まめた)の話。
ふたりは峠の猟師小屋に住んでいる。
豆太は、夜一人で便所にも行けないほどの
怖がりなのだが、ある夜、豆太が目を覚ますと、
おじいさんが 腹痛で苦しんでいる。
ふもとの村まで医者を呼びに行かねばならないが、
夜中に家の外に出るなんてとんでもない。
さて、臆病者の豆太は、どうするのか・・・。
Kさんの話の上手さもあって、
結末には、思わず泣いてしまった。
ぜひ、その絵本を読んでみたいと思い、購入した。
読んでみたら、やっぱり泣いてしまった。
作者は、斎藤隆介という児童文学作家で、
絵は、滝平(たきだいら)二郎という
版画家・切り絵作家。
お二人とももう故人だ。
この絵本は、ちょうど50年前の1971年に
発行されたもので、私が入手したのは、
中古本だったが、1995年の第113刷だった。
現在も販売されているので、超ロングセラーだ。
力強い切り絵には、なんとなく見覚えがあったのだが、
著者によるあとがきに『ベロ出しチョンマ』という
著者の作品名が出てきて、思い出した。
『ベロ出しチョンマ』の絵も滝平二郎だったのだ。
私が小学3〜4年生ぐらいだったと思うが、
国語だったか、道徳だったか定かではないけど
『ベロ出しチョンマ』を授業で読んだ。
教科書に載っていたのではなく、
先生が わら半紙にプリントしてくれたものを
配られて読んだような気がする。
残酷で悲しい話だが、
子供心に何かを感じ取ったんだろう。
私は、授業で読んだその日に帰宅して、
『ベロ出しチョンマ』を母に読んで聞かせた。
読み終えると、母は泣いていた。
まさか、それを読んで大人が泣くなんて
思いもしなかった私には、驚きだったので、
よく覚えている。
と言っても、今日『ベロ出しチョンマ』というタイトルを
目にするまで完全に忘れていたのだけど、
母が泣かなければ、『ベロ出しチョンマ』のことは
記憶に残らなかったかも知れない。
『モチモチの木』にしろ『ベロ出しチョンマ』にしろ
子供は泣くほどには感動しない。
そう考えると、絵本は子供向けと言いながら、
大人のためにあるのかも知れない。
そして、自分たちが心を揺さぶられた絵本を、
子供に読ませたいのが大人なのかも知れないな。
『ベロ出しチョンマ』は、つらい話やけど、
『モチモチの木』はええ話です。
2021.12.29
常設展示室
原田マハ 著
ずいぶん久しぶりに小説を読んだ。
『たゆたえども沈まず』(原田マハ 著)以来
2年ぶりだ。
2019年にパリのオルセー美術館でゴッホの
『ローヌ川の星月夜』を観て、
改めてゴッホに魅せられ、しばらくは
ゴッホ関連の映画を観たり、書籍を読んだ。
『たゆたえども沈まず』は、その時に出会った本で、
史実とフィクションが入り混じった、
ゴッホ愛に溢れる小説だった。
このたび読んだのは、同じく 原田マハ 著の
『常設展示室』という短編集。
妻が読んで、良かったよ と言うので、
そういえば、『たゆたえども沈まず』も
良かったよなぁと思い出した。
『常設展示室』には、6編の短編が収録されている。
それぞれが、ピカソやゴッホ、マティスなどの
名画に絡んで人間ドラマが展開していく。
素晴らしかったのは、
『群青』と『道』。
この2作には泣かされてしまった。
特に『道』。
設定に少し疑問が湧く部分もあるし、
途中で、なんとなく結末も見えてくるのだが、
それを凌駕するほどの結末だった。
映画にしたら、良さそうだと思ったけど、
原作を超えるのは難しいだろうな。
この「泣ける」というのは、
いったいどういうことなんだろうか。
なんで涙が出るのか、自分でもわからない。
悲しいわけではない。
あえて言葉にするなら「切ない」かな。
女優の上白石萌音の推薦文に
「美術館への招待状のような一冊です」とある。
確かに美術館へ行きたくなった。
★★★★▲
2021.12.30
カメラはじめます!
こいしゆうか 著
最初の一眼レフカメラを買ったのは、
2010年9月のことで、もう11年も経つ。
もっと撮影したいと思っているけど、
まだまだ私の撮影数は少なく、
おそらく、この11年でコンデジを合わせて
10万枚撮ったかどうかという程度だと思う。
11年も経てば、カメラを十分使いこなせるように
なっていてもおかしくないが、実は
使いこなしているとは言い難い。
もちろん初心者ではないと思うけど、
結構、行き当たりばったりで撮影していて、
よく分かっていないことも多い。
原因は、絶対的な数の不足だと思っている。
一つのことを学んでも、それを自分の技術として
習得するにはそれなりの数をこなし、
自然に対応できるレベルになる必要があるが、
数が少ないと、一度分かっても忘れてしまい、
その技術を使いたい場面に出会っても
「どうだったっけ?」ということになり、その場で
適当に撮影して済ますということが少なくない。
もう一度、初心に戻り基本から学んだ方が
良いだろうと常々思っていたところ、
大変好評な入門書『カメラはじめます!』を
見つけたので、読んでみた。
ホントは、紙の本の方が好きだけど、
モノが多すぎるので、今回は
久しぶりに Kindle版 で購入。
『カメラはじめます!』は、漫画で、
主人公のこいしさん(著者)が、
カメラを買うところから始まり、
3つのことを覚えるだけで、
それなりの写真が撮れることを学んでいく。
確かにカメラの入門書には、
全くの初心者には、聞きなれない
専門用語が出てくることが多く、
挫折する方も多いのは想像がつく。
この本は、そういう超初心者向けなのだが、
読んでみると知っていそうで分かっていない
ことが、私にもいくつかあった。
もし、全くの初心者でカメラを
始めてみたいという方には、
1冊目の教材としてはお勧めです。