LAGUNA MOON MELLOW FLAVOR  LIVE GUITAR  LINK LYRICS


 つつみしんやのひとりごと  2018年 12月
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2018.12.2

鹿児島 一泊旅行

妻の会社の旅行で、鹿児島に行ってきた。
総勢13名のにぎやかな旅だった。

昨日の朝、始発で羽田へ向かった。
6:25初の JAL 鹿児島行きの機内からの
朝焼け。



富士山。



さて、これはどこでしょう?



答え:高知県、室戸岬

いよいよ、九州。
宮崎県の海岸線(小丸川の河口付近)。



2014年の GW に初めて訪れて、
ずっとまた行きたいなと思っていた
「泉の鯉」(宮崎県小林市)で、ランチ。





4年半ぶりの鯉の刺身。



写真は3人前。
この刺身に鯉こく(あら汁のようなもの)が
ついて、一人前1200円。



メンバーのほとんどの人が、
鯉の刺身は、初めてだったようで、
喜んでもらえたようで良かった。

靴を脱いで座敷で食すのだが、
置いてあるスリッパも鯉。



その後、霧島神宮をお参りし、
鹿児島市内のホテルへチェックイン。
夜は、郷土料理店で宴会。

翌日(今日ね)は、朝、鹿児島市側から
桜島を見るが、残念ながら、
雲がかかっていてイマイチな景色。



その後、知覧特攻平和会館へ。



2009年の6月以来、二度目。
今日は、知覧町出身の語り部
(川床剛士参事)の講和(約30分)を
聴くことが出来た。
知覧特攻平和会館のウェブサイトによると
川床さんは、「陸上自衛隊に任官し指揮官、
幕僚、教官職等を歴任、定年退官後は、
地元企業を経て平成12年10月から
語り部として従事」されているとのこと。

50倍の競争率を勝ち抜いて、
せっかく憧れの戦闘機パイロットに
なったのに、戦況の悪化から、特攻隊に
ならなければならなかった当時の若者たち。
17〜18歳の特攻兵の出撃前日だという
写真に写る笑顔の話や、特攻兵が婚約者あてに
書いた最後の手紙の話は、涙なしでは聴けなかった。

昼食は、知覧特攻の母「鳥濱トメさん」の
お孫さんがやられている「知覧茶屋」で。


ところで、総勢13名の旅と書いたが、
2005年に妻とU子さん2人で、
始めた会社が、今では株式会社と
社団法人の2つの法人になり、
10人以上の規模になっていることに
改めて驚いている。
このひとりごとでは、変わった妻で
おなじみかもしれないが、彼女は
このところ、「全国行脚」と称して
日本のあちこちを飛び回っており、
ほとんど家にいない。
今回の旅行も、昨日、鹿児島で合流したが、
その2日前から奄美大島に行っていた。
その前は、大阪〜高松、今週末は、
石川とまるで全国ツアーのようなのだ。

7月に出版した『超解釈 サルトルの教え』も
早くも第2刷が発行された。
これは、結構スゴイことのようだ。





2018.12.5

たまにはラーメン

ラーメンは、そんなに好きではなくて、
たぶん一年に10回も食べないと思う。
麺なら、パスタ、そば(たまにうどん)の方が
食べる機会が多い。
たまに気まぐれで、食べたことのない
ラーメン店に入って食べてみることもあるが、
もう一度行こうと思う店は滅多にない。

そんな私が、時々食べたくなるラーメンが、
五反田の「支那そば はせべ」。
今日は、ちょうどお昼に五反田で仕事が
あったので、久しぶりに食べてきた。
注文は、いつも「ねぎラーメン」(税込900円)。
脂っこくなく、スッキリしているのに
コクがあるスープ。
一口飲んで、「うん、旨い」と一人うなずく。
チャーシューをスライスしたあとの
端っこの方の小さなかたまりが二切れ入っている。
これが、味がよく染みていて旨い。
少ししか入っていないので余計に旨い。
チャーシューメンに入っている、
まん中の方のスライスより、旨いんじゃないかと思う。
麺は、やや太めの縮れ麺。
こんなにリピートしているラーメンは、ほかにない。
といっても、元々ラーメンを食べる回数が
少ないので、回数はそんなに多くはないけれど。



あとは、たま〜に食べたくなる、
「神座(かむくら)」。
ここは、30年以上前、1号店が
大阪道頓堀にオープンした当初から知っている。
その店は、カウンターだけで数席しかなかったが、
すぐに行列ができるようになった。
今では、関東から近畿にかけて
50店舗以上に発展している。
「神座」も独特のスープで、やはりどちらかというと
スッキリ系で旨い。

こってりしたスープが好きな人もいるだろうが、
私はスッキリ系のスープが好きだな。





2018.12.7

キューバの写真

キューバの写真を A4にプリントし、
額に入れて飾ってみた。



この写真では、伝わらないだろうけど、
自分で言うのもなんだが、とても良い。
これなら、人に見せても恥ずかしくないだろう。
専門家が見たらどう思うか分からないけど。

旅行中は、自由時間が少なくて
思う存分写真を撮れなかったのだけど、
4年前のイタリア旅行の時の写真と比べると
使えそうな写真が多いのには驚いた。
これは、私の腕が上がったというより、
明らかにキューバという国自体が
フォトジェニックである証拠だろう。
鮮やかな色の自動車、古い建物、
強い日差し、青い空、黒い肌、そして、
日本がもう失ってしまった何か・・・。

やっぱり、もう一度、キューバに行きたいなぁ。
今度は、正露丸持って行こ。

写真の専門書を読んでいると、
プリントまでして、撮影が完了すると
いうような事が書いてる。
撮って、PCのモニターで眺めているだけではなく、
紙にしてみないとその写真の良し悪しは
分からないということなのだろう。
確かにモニターで見ていると、
良い感じなのにプリントするとイマイチだったり、
それほど良いとは思えなかった写真が、
プリントすると凄く良く見えたりする。
上の写真は、モニターで見ていた時より、
プリントしてみると数段印象が上がった例。

撮った時に、上手く撮れたと思う写真は、
悪くはないけど、時間が経つと、
それほど面白くないということにも気付いた。
あまりに作為的なもの、狙ったものは、
ただきれいなだけで、絵葉書のようになってしまい、
「作品」としてのパワーに欠けるのかも知れない。
ちょっと、色々分かってきた。





2018.12.8

ピアソラ 永遠のリベルタンゴ
ASTOR PIAZZOLLA INEDITO/
PIAZZOLLA, THE YEARS OF THE SHARK


ピアソラのドキュメンタリー映画を観てきた。
音楽、特にタンゴに詳しくない人でも
「リベルタンゴ」は耳にしたことがあるだろう。
その作曲者が、アストル・ピアソラだ。
1921年、アルゼンチン生まれで、
1992年に71歳で亡くなっている。
作曲家であり、バンドネオン奏者でもある。
バンドネオンというのは、アコーディオンに似た
楽器だが、鍵盤がなく代わりにボタンが
並んでいる。

2007年に梅林さん(sax, fl)とデュオを始めた時に
初めてピアソラの名前を聴いた。
それまで、タンゴに興味を持ったことなど
なかったのだが、ピアソラの「タンゴの歴史」という
フルートとギターのデュオ曲にチャレンジしたのだ。
「タンゴの歴史」は、4曲からなる組曲なのだが、
「I. Bordel(売春宿) 1900」と
「II. Cafe(カフェ)1930」は、なんとか
弾けるようになり、ライヴでも演ったことがあるが、
「III. Nightclub(ナイトクラブ) 1960」と
「IV. Concert d'aujourd'hui(現代のコンサート)」は、
やりかけたものの難しくて、途中でやめてしまった。

ピアソラは、タンゴの革命児と言われ、
ダンスのためだったタンゴに変化をもたらし、
踊れない、音楽としてのタンゴを誕生させた。
1950年代には、早すぎたのだろうか、
そのことが、祖国アルゼンチンでは
受け入れられず、ずい分と攻撃されたようだ。
しかし、アルゼンチンより先に
ヨーロッパで認められ、今では
タンゴの革命児として世界中で認められている。

映画は、没後25周年となる昨年、
母国アルゼンチンで開催された回顧展に
あわせて、制作された。
生前、ピアソラの娘、ディアナが録音した
ピアソラへのインタビューをもとに、
息子のダニエルが、父ピアソラの人となり、
その思い出を語る。

ピアソラが、バンドネオンを始めた
少年時代のいきさつ(父親が買って与えた)に
始まり、1950年、一度はタンゴをやめたのに
フランスに留学中、師ナディア・ブーランジェの
勧めで、再びタンゴに戻ってきて、
新しい音楽を始めるエピソードなど、
古い映像も交えながら、
ピアソラという人をミュージシャンと
してだけではなく、父親として、
一人の人間として、描いていく。
音楽が一番の人で、あまり家族を
大切にしなかったかのような一面も
垣間見れるが、基本的に子供たちは、
父ピアソラが好きだったのが、伝わってくる。

「過去はゴミだ」と言い、昨日書いた楽譜を
破り捨てたエピソードが、息子ダニエルに
よって語られるが、それは気に入らない
作品だったからじゃないのかと思った。
本当に毎日、昨日書いた楽譜を捨てていたら、
バンドで演奏する曲がないもんね。

若い頃のピアソラは、ちょっとお茶目な男前だが、
年を取ってからは、ひたすら渋い。
そして、享年71歳は、ちょっと早かったなと思う。

ダニエルが、始終、憂いを含んでいるような
表情なのが、ちょっと気になった。
ダニエルが、ピアソラに向かって
酷いことを言い、それから10年くらい
口を利かなかった時期があった。
もしかしたら、そのことと関係あるのかな。

映画本編とは、関係ないけど。
映画のチラシに使われている写真が、
私の好きな写真家、ソール・ライターの作品の
ようだと思っていたら、映画の中で
何枚もソールの写真が使われていた。
ソールといえば、1950年代のニューヨークの
写真が有名だが、ピアソラも50年代に
ニューヨークに移り住んでいた時期がある。
その関係かなとも思ったが、
先日のキューバ旅行の写真を見ても、
自分の写真にソールの影響を感じていた
矢先だったので、ソールの写真が出てきた時には
ちょっと驚いた。

もうひとつ、夏に妻が『超解釈 サルトルの教え』
という本を出したのだが、
ピアソラが娘ディアナに向かって、
「あの頃のお前は、サルトルが好きで
実存主義にハマってた」というような
ことを言ったので、これまた驚いた。

ピアソラを観に行ったのに、
ソール・ライター、サルトルと、
不思議なつながりを感じたのでした。

私には「音楽ドキュメンタリーは、
眠くなる」というジンクスがある。
そして、今日も来ました睡魔君。
でも、なんとか最後まで起きて観たよ。


★★★★▲





2018.12.11

JULIAN LAGE TRIO
ジュリアン・ラージ・トリオ


昨年1月にライヴを観て、
「年に何十本もライヴに行くけど、
こういう豊かで幸せな気持ちになるライヴは、
ずい分久しぶりな気がする」と書いた、
ジュリアン・ラージ・トリオのライヴ。
予想をはるかに上回る素晴らしさで、
落涙のライヴだった。
また、昨年11月には、
JULIAN LAGE & CHRIS ELDRIDGE 名義の
アコースティック・ギターのデュオ・ライヴも観たが、
これまた驚異の調和を聴かせてくれた。

そんなジュリアンの1年ぶりのライヴ。
コットン・クラブで4日間8公演の、
最終ステージを観てきた。

期待通り今日も、スペシャルなひと時だった。
なんだろう、この表現力。
繊細でワイルド。
激しいのに優しい。
もちろん技術が優れていることは
言うまでもないが、技術があれば
誰でもあんな風に演奏できるわけでもない。
いわゆるジャズっぽい曲は少なくて、
8ビートであっても、そこはただの
ギターインストにはならない辺りは、
ジュリアンの表現力の多彩さと
インプロヴィゼイションのなせる業か。
やはりスピリットはジャズということか。
曲によっては、アバンギャルドな一面も。

途中、ジュリアンのギターの
弦が1本切れるというアクシデントがあった。
笑いながら「じゃあ、ベースのジョージを
フューチャーして」と言い残し、
ステージそでで弦を張り替え始めるジュリアン。
ジョージは、何ごともなかったかのように
ベース・ソロを弾き始める。
しかし、これが実は、次の曲の長めの
イントロだった。
数分で弦を張り替えたジュリアンの、
戻って来方もなんか分からんけど、良い。

ジュリアンは、たぶん昨年と同じテレキャスター。
曲は、最新アルバム『Modern Lore』からが中心。
アンコールは、『Arclight』の収録の
バラード "Ryland"。

アンコール入れて70分ほど。
あっという間だった。
もっと聴きたかったな。

ベースは、昨年と同じ Jorge Roeder。
ドラムスは、当初、昨年と同じく
Eric Doob の予定で発表されていたが、
Kenny Wollesen に変更されていた。
バンドのふたりは、ジュリアン(もうすぐ31歳)に
比べ、大ベテランだろう。
やはり、昨年同様、素晴らしい調和だった。
この「調和」が、ジュリアンの音楽の
魅力のひとつだと思った。


[ MEMBERS ]
Julian Lage (g)
Jorge Roeder (b)
Kenny Wollesen (ds)

@ Cotton Club
2nd show








2018.12.12

アイアイ・ミュージック・フェア

先日(12月9日)、妻の仕事の関係の
クリスマス・イベントに2組のライヴ出演をした。

ひとつは、アイアイ・バンドと言って、
妻の仕事の仲間たちで歌と演奏を披露するというもの。
それには、私の書下ろしの『アイアイの唄』という
オリジナル・ソングの発表もあった。
普段、音楽活動はしていない、
言ってみれば素人の集まりのバンドだったが、
聴きに来てくれた人の中には、
感動して涙を流している人もいたほどだった。
改めて、音楽って凄いなぁ。



もう一つは、なんと9年ぶりとなる
PICOちゃん(vo)との共演。



PICOちゃんとは、2001年から2002年にかけて、
「Peace Of Mind」というユニット名で
活動していたのだが、もう、16年も前のこと。
最近、彼女がアイリッシュにハマっているとの
ことで、数曲アイリッシュの曲を演り、
ティン・ホイッスル(アイリッシュの笛)を
吹いてもらった。
素朴で、良い音です。

そして、今週末もまた、アイアイ・バンドは、
イベントです。




MAT COFFEE

知り合いが、会社の近所にカフェをオープンしたので、
先日、ランチに行ってみた。
ちょっと歩くかと思ってたら、
思っていたより、めちゃ近所。
これは、嬉しい。



パストラミ・ビーフ・サンド。
結構、ボリュームあります。





2018.12.13

キューバの写真 2

会社の廊下は、さしずめプチ写真展状態です。
(3枚ともキューバで撮った写真。)







2018.12.17

CUBA・MEXICO Tour Report #6
雨男とピラミッド


11月に行ったキューバ・メキシコ旅行。
まだ色々書きたいと思っているうちに
もう帰国してからひと月以上経ってしまった。
そのうち、何を書きたかったか忘れてしまうで。

さて、私はいつの間にか雨男になり、
旅行に行けば、実に8割ぐらいの確率で
旅行中に一度は、雨に見舞われるようになった。
屋久島、八丈島を訪れた際には、
嵐を呼び、帰りの飛行機が飛ばず、
延泊を余儀なくされた。
別名「嵐を呼ぶ男」との異名も持つ(嘘)。

そんな私が、7泊もする海外旅行で、
雨に遭わないわけがないと思っていたのだが、
キューバでは、晴天に続く晴天。
2回ほど、バスで移動中に軽く雨が降ったが、
目的地に着くと、そこは降っていないという、
奇跡の旅だった。

ついに雨男返上かと思いきや、
旅行最終日のメキシコでついに雨が。

ランチを食べるレストランに着くころには、
雨が降り始めていた。
その日の予定は、午後からティオワンカン遺跡の
ピラミッドへ登るという。
数日にわたる体調不良で、その前夜の夕食も
食べていなかった私は、疲れと遺跡への
興味のなさから、心の底でこのまま
どしゃ降りになり、ピラミッド見物が、
中止なればいいと自分勝手なことを思っていた。

しかし、雨は上がらず、中途半端な降り方のため
ピラミッド見物も中止にならなかった。
雨の中、売店で薄いビニールの雨がっぱを購入した
ツアー一行は、ティオワンカンの遺跡のメイン
「月のピラミッド」 「太陽のピラミッド」 を
目指したのだった。

遺跡に入ってすぐ、高校生の遠足だろうか
メキシコ人らしき学生の団体に会った。
その中の女子3人と男子1のグループが、
私に「一緒に写真を撮ってくれ」と
言ってきたので、撮ってもらうことにした。
「キミたちの写真も撮らせてくれ」と
頼んで撮ったのがこの写真。



一緒に撮れば良かったと後になって思ったが、
その時はふと「カメラを渡してはいけない」という
旅行者への注意書きを思い出したのだ。
写真を撮ってあげるからと言われ、
カメラを渡すとそのまま走って逃げられる
こともあるからだ。
でも、この子たちだったら、
そんな心配なかったのにな。

ちなみに「写真を撮らせてほしい」とか
そんな会話は、全部スペイン語なので、
私には全く分からないのだけど、
不思議なことに、ほとんど雰囲気だけで
通じ合えるのだね。

この子たちと写真を撮った時は、
雨は一時 止んでいたのだけど、
その後、また降り出した。

小雨降る中、結構歩いて
「月のピラミッド」に到着。



このピラミッドは、途中までしか登れないのだが、
階段の一段一段がやたらと高く、
急こう配なので、ロープにつかまって登り降り
しないととても危険だ。



登った上で記念撮影。
雨のピラミッド登頂記念。



前列、右から3番目の紺色のウインドブレーカーを
着ているのが私。
他の人が来ているピンクの雨ガッパは、
現地の売店で調達したもので、
何人かは、買ってすぐ、着ている時点でどこかが
破れてしまうというとんでもないカッパだった。
後ろに見えるのは、「月のピラミッド」の
頂上部だが、現在は登れない。

「月のピラミッド」から「死者の道」と
呼ばれる大通りを2キロほど歩いたところに
あるのが、「月のピラミッド」より
大きい「太陽のピラミッド」。
(世界で3番目に大きいピラミッド。)



こちらは、頂上まで登れる。
頂上まで登れるピラミッドとしては、
世界一の大きさらしい。(高さ65m)

もうツアーの皆もさすがに登る元気がなく、
元気な3人だけが登りに行ったよ。
もちろん、私も妻もバスに戻った。

遺跡には、興味がないと書いたけど、
話を聞くと、このティオティワカン遺跡は
実に興味深い。
紀元前に繁栄した都市なのだけど、
文字が残っていないので、何もかも謎らしい。
「テオティワカン」という名前でさえ、
12世紀にこの遺跡を発見したアステカ人が
命名したのだという。
今では、世界遺産です。

マヤ文明やインカ文明は、聞いたことがあったけど、
ティオティワカン文明は、全く知らなかった。
でも、写真を見た知り合いの一人は、
「ティオティワカンに行ってきたんですか!」
と言ったので、やっぱり知ってる人は知ってるんやね。

雨のため、遺跡の写真がほとんどないです。





2018.12.18

恵比寿ルルティモ寄席 2018
supported by 渋谷道玄坂寄席


2013年に落語にハマって以来、
2014年からは、毎年30本以上の落語会に
行っていたけど、今年はちょっとペースが落ちた。
今まで 150回近く落語会に通い、
通算600席以上の落語を聴いたおかげで、
ようやく あれもこれも聴きたい、
という状態から落ち着いてきたという感じ。
落語会以外にも CDやDVDで聴いた落語は、
のべ1000席を超えるから、
我ながらよくハマったと思う。
20年分を5年間で聴いたような気がする。
飽きたわけではないけど、
最近は、落語をほとんど聴いていない。
あ、この前、鹿児島からの帰りの飛行機の中で聴いた。
確か「禁酒番屋」だったけど、
誰だったか覚えていない・・・やばい。

というわけで、2カ月ぶりの落語会。
まずは前座・橘家門朗(もんろう)の
「道灌(どうかん)」。
この噺は、あんまり面白いと思えないけど、
前座の修行だから仕方がないか。
この人は、落ち着いた芸風です。

今日の目当ては、兼好、白酒、一之輔と、
私にとっては、オールスターのような会なのだが、
その一人目、三遊亭兼好は「庖丁」。
なんと、これだけ落語を聴いてきたのに、
まだ初めて聴く演目があったとは嬉しい!
兼好、好きやなぁ、どんどん面白くなってるぞ。

続いて、一之輔で「子は鎹」。
別名「子別れ」。
一之輔では、4〜5回聴いているが、
ちょっと久しぶりな感じ。
一之輔の演じるご隠居も好きだが、
子供もいい。
憎たらしいのにかわいい。
この噺は、ハッピーエンドで良い。

休憩を挟んで、白酒の「火焔太鼓」。
白酒の「火焔太鼓」は、
CD では聴いたことがあったが、
高座は初めて。
ハチャメチャな感じが良い。

さて、白酒が終わった時点で、
スタートから2時間以上経っている。
ちょっと長い会だ。
トリは、三代目橘家文蔵の「鼠穴」。
もう、ちょっとお腹いっぱいな感じのところへ
ヘビーな大ネタ。
でも、さすがトリを取るだけの人です。
とたんに噺に引き込まれました。

終わったら、(開始から)3時間5分ほど
経ってました。


[ 演 目 ]
「道灌」 橘家門朗(もんろう)(前座)
「庖丁」 三遊亭兼好
「子は鎹」 春風亭一之輔
〜 仲入り 〜
「火焔太鼓」 桃月庵白酒
「鼠穴」 橘家文蔵

@ 恵比寿ガーデンホール


2016年の12月19日に
この「恵比寿ルルティモ寄席」を聴きに
行っている
のだけど、メンバーが今日と同じ。
その日の演目は、
「権助魚」 橘家門朗(前座)
「ねずみ」 三遊亭兼好
「文七元結」 春風亭一之輔
「二番煎じ」 桃月庵白酒
「芝浜」 橘家文蔵
だった。
「文七元結」「芝浜」とは、これまた
凄い演目で、この日は3時間20分でした。





2018.12.19

に じ

12月9日と15日、妻の仕事の関係の
クリスマス・イベントに2週続けて出演した。
アイアイ・バンドという名前で組まれた、
バンドと言っても、シンガー12名に、ピアノ、
パーカッション、そしてギターの私という
15人編成での演奏だった。

シンガーの中に中学生の女の子が
2人含まれていて、
彼女たちは、「にじ」を歌った。

「にじ」は、幼稚園などで歌われている
いわゆる童謡のような曲で、
どういうわけか、この曲を聴いて
泣いてしまう大人が多いようだ。

そのイベントの時も、客席を見ると、
何人もの人が涙を流していた。
もう、涙と鼻水で、ズルズルになっている
おばちゃんもいた。

その中学生の無垢な歌声は、伴奏している
私でさえ、真剣に聴いてしまうと
ちょっとヤバそうだった。
真剣に聴き入らないように伴奏するなんて、
言語道断、全くもっておかしな話だが。

もちろん、誰が歌っても泣けるわけではない。
大人のシンガーの中には、
聴衆を感動させたいと思っている人も
少なくないだろう。
でも、「感動させよう」と思って、
人は感動させられるものではない。

件の中学生は、「感動させよう」なんて、
そんな邪(よこしま)な考えは、
これっぽっちも持っていないだろう。

でも、その無垢な歌声は、
ちょいと汚れてしまった大人の心の
ひだに染み入ってくるのだな。

「無垢」だとか「純」だとか「ピュア」だとか
分かったように書いてしまうけど、
本当のところ、こいつらの正体を
私は、分かっていない。

それは、演奏の技術とか歌唱力とかと
関係ない、目に見えないものなのだ。

私もピュアに演奏したい、
そう思うほど、不純なのだった。





2018.12.20

SALENA JONES
来日40周年記念 〜 Love and Music 〜
サリナ・ジョーンズ


死ぬまでに一度は観ておきたいアーティスト、
今夜は、サリナ・ジョーンズ(74歳)。
初来日が1978年。
今年、初来日から40年目を迎えたサリナの
来日40周年記念ライヴを観てきた。

バンドは、日本版レギュラー・グループだという
日本人のベテランの面々。
数日前にチェックしたところ、今日明日の東京
コットンクラブ2日間4公演は、ソールドアウトだった。

すでに、
12/11 名古屋ブルーノート
12/13 広島 Live 19
12/16 福岡 Gate’s7
12/18 大分ブリックブロック
と西日本4都市を周ってきており、
バンドとの息もええ感じだった。

曲は、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、
マイケル・フランクス、ジョビン、
キャロル・キングから、尾崎豊まで!
予想以上に素晴らしい歌で、感動的だった。
(2010年にジャパニーズ・ポップスを
カバーしたアルバムを出しており、
尾崎の "I Love You" は、そのアルバムに
収録されている。)

そして、まさか "The Christmas Song" で
泣かされるとは思わなかった。
クリスマス・ソングの中では、
"The Christmas Song" が一番美しい曲だと
ずっと思っているけど、何度も自分でも
演奏してきたし、今さら泣くなんてね。
それだけ、サリナの歌が素晴らしいんだ。
そして、「Merrry Christmas and
Happy New Year」という言葉が、
こんなに心に沁みたのは初めてだと思う。

アンコールで演った "You've Got A Friend" も
ヤバかった。
もの凄い説得力。
歌なのだけど、もう、歌ってないのね。
人気の高さも納得のステージでした。
見た目も小柄でチャーミングな人でした。

また、バンドが素晴らしい!全員。
ギターの道下和彦氏は、
名前はずっと知っていたけど、
聴くのは初めてだった。
とてもきれいなギターを弾く人で、
また聴きたいと思ったね。
ギターは、PRSのシンラインとゴダンのエレガット。


[ MEMBERS ]
サリナ・ジョーンズ (vo)
道下和彦 (g)
中村健吾 (b)
秋田慎治 (p)
藤井学 (ds)

@ Cotton Club
2nd show




[ SETLIST ](たぶん合ってる)
1. I Believe In You
2. The More I See You
3. Antonio's Song
4. I Love You
5. All OOr Nothing At All
6. Ain't Got Nothing But The Blues
7. Imagine
8. From This Moment On
9. My Love
10. Jobin Medley (Ipanema, Meditation, Agua De Beber)
11. The Christmas Song
12. Teardrops From My Eyes
Ec. You've Got A Friend

セットリストは、こちらのサイトで発見。





2018.12.23

家へ帰ろう
EL ULTIMO TRAJE/THE LAST SUIT


映画『家へ帰ろう』。
シネスイッチ銀座で14:40からの上映を
観る予定だったが、30分ほど早く劇場に
着いてしまった。
前の回には、上映後にトークイベントが
あったようで、まだその途中だった。
「良かったら空いている席に
お座りください」と劇場の人に勧められた。
中に入ると噺家の林家木久扇さんが、
映画についてインタビューを受けており、
マスコミのカメラが何台も入っていた。
なんで木久扇さんなのか、
不思議な感じがしたが、
話を聴いていると、ご自身が幼少期に
東京大空襲で自宅を焼かれるという
戦争体験をされていることが分かった。
それに、映画の主人公と年齢が近いと
いうこともあるのかもしれない。
映画を観る前に内容に触れられると、
ちょっと困ったけど、上映後の
トークショーなので、仕方がないね。

さて映画は、アルゼンチンに住む88歳の
じいさんアブラハムが、1945年に別れた
恩人でもある友人に約束の品(スーツ)を
渡すために、ポーランドまで旅をするという物語。

アブラハムは、自宅を娘たちに売り払われ、
老人ホームに入れられることになっていたのだが、
友人との約束を思い出し、
家出同然にポーランドへ向かう。
アブラハムは、ポーランド生まれのユダヤ人で、
戦争中、ナチスの収容所から逃げ出した。
その時に救ってくれた友人に
自分が仕立てたスーツを渡すのが目的だ。

途中、色んな人と出会い、その人たちに助けられ、
アブラハムは、ポーランドを目指す。

「ポーランド」と口に出したくないとか
例え通過するだけでもドイツに入りたくないとか、
アブラハムの当時の体験の過酷さ強烈さを、
映像ではなく、言葉で訴えてくる。

映画は、予想を裏切らない結末で、
冷めた言い方をすれば、ファンタジーなのだが、
それでもこの結末を望んでしまう。
アブラハムが道中に出会う女性が皆
魅力的なのも良い。
あ、これもファンタジーか。
でも、ホロコーストがらみの
ファンタジーというのも変な感じだな。

原題は、「最後のスーツ」という意味だが、
邦題は、「家へ帰ろう」。
「いえ」ではなく「うちへ帰ろう」だ。
イマイチな邦題が多い中、これはヒットだな。
なんで「家へ帰ろう」なのか、
映画を観れば分かる。
とっても良いタイトルだと思った。

アブラハム役のミゲル・アンヘラ・ソラが
とても良い味を出している。
撮影時には、68歳だったようだが、
メイクで88歳になり切っとります。

ホテルの女主人役のアンヘラ・モリーナ、
ドイツ人文化人類学者役のユリア・ベアホルト、
看護師役のオルガ・ポラズ、3人とも良いです。


★★★★▲




パッドマン 5億人の女性を救った男
PADMAN


本日、2本目の映画『パッドマン』。
「パッドマン」の「パッド」は女性の生理用品のこと。

北インドの村に住むラクシュミは、
愛する妻が生理の時に汚れた布を
使っていることを知り、市販の生理用ナプキンを
買ってくるが、そんな高価なものは使えないと
妻につき返されてしまう。
なんでも自作してしまう器用なラクシュミは、
自分で生理用ナプキンを作り出すが、
これが大問題に。(以下ネタバレ)

まず、この映画は実話を基にしているのだが、
2001年の時点で、インドでは生理中の女性は、
5日間、家の中に入らずに過ごすという
古い慣習に生きてることにビックリ。
当時のナプキンは、高価なこともあるのだろうけど、
その使用率は、12%で、ナプキンを
知らない女性も多く、生理自体がとても
恥ずかしいことであった。
そんな風なので、ラクシュミがナプキンを
自作しているなど、家にとっては
大きな恥であったのだ。
ラクシュミにしてみれば、女性に
使ってもらって、改善点を聞いて、
よりよいものを作りたい一心だが、
妻でさえも協力を拒んでしまうほど、
閉鎖的だったのだ。

もともとは、妻が不衛生な布を使うことで、
病気になるのではないかという心配から
始まったことなのに、その妻の理解も得られず、
終いには、家族はバラバラになり、
ラクシュミは、村を出ることになる。

村を出ても、あきらめないラクシュミは、
借金をしてまで、安価なナプキンを
作ることに取組むが、使ってくれる
女性が現れない。
そんな時、偶然、強力な協力者パリーが現れ、
彼女の力もあって、ついには、
工科大学の発明の賞を獲り、
国に認められ、国連に呼ばれ
講演をするまでに成功する。

というサクセス・ストーリーなのだが、
諦めなければ成功するとか、
続けていれば協力者が現れるとか、
そういう要素よりも、そのサクセスの
背景の方が気になった。
ラクシュミは、確かに安くて清潔な
ナプキンを産み出した。
それどころか、その工場を女性達の
職場とすることで、雇用までをも産み出した。

しかし、彼は村人に変態扱いされながら、
ナプキン作りに励んでいた時と
何も変わっていない。
ただ、大学の賞を獲ったとか、新聞に載ったとか、
テレビに出たとか、国連に呼ばれたとか、
周りの同意が変わって行ったことによって、
村人の態度が、180度変わってしまった。
変態、変人扱いから、村のヒーローだ。

いや、村人を責めることは私には出来ない。
きっと私もあの村人の一人だろうから。
この映画を観て、一番怖かったのはそのことだ。
人が何のために、何をしているのかなんて、
何も知らないくせに批判し、評価し、
自分が正しいと信じ込み、
分かったような気になっている、
そんな自分が、あの村人の中にいるような気がしたのだ。


最初は、理解を示そうと努力した妻も、
ある意味、ラクシュミを見捨てる。
それは、彼女には可哀そうな言い方だろう。
特にインドの女性にとって、死にたくなるほど
恥ずかしい目に遭わせたわけだから、
理解しろというのは、男の勝手だろう。
でも、ラクシュミが成功したら、
電話をかけてくるというのは、
虫が良すぎないか、と思ってしまう私は、
女心が分かっていないか?

ラクシュミに協力するパリ―が、
とても美しい魅力的な人で、
ラクシュミに惹かれているのだけど、
妻を愛しているラクシュミのことを
想って身を引く。
父親に「なぜ愛していると言わない?
なぜ引き止めなかった?」と訊かれ、
パリーは「私が引き止めたら、
彼はつまらない男になってしまう」と答える。
え〜っ、そういうもんなのか?と
お子ちゃまな私は、思ったのでした。

パリ―可愛かったなぁ・・・。
ラクシュミの妻、ガヤトリも美人なのだけど、
ラクシュミのことを理解してあげられない時点で、
だんだん可愛くなくなってくるのね。
観客(男)は、勝手なもんよ。

後半、国連でのスピーチは特に感動的。

ところで、本作は実話に基づいているのだけど、
冒頭に、登場人物などについて「脚色してます」と
テロップが出ます。
どのあたりまで、実話なのかなぁ。


★★★★★





2018.12.25

逸 脱

もうホットな話題ではないけど、
(ホットな話題という言い方、もう死語やん)
日野皓正(ジャズ・トランぺッター)が、
コンサートの本番中に中学生ドラマーから
スティックを取り上げ、ビンタをした事件。
もう1年以上前の事件やねんけど、
今さらだが、この件についてちょっと書きたい。

私が知る限り、これに対して大きく分けて
2つの考えがあった。

ひとつは、和を乱したのだから、中学生は
叱られて当然だという考え。
その中にはあれは、ビンタされても仕方ない、
という考えもあった。

もう一つは、ジャズは「逸脱」の音楽だから
勇気を持って「逸脱」した少年は賞賛こそされても
叱られるようなことはしていない。
日野さんの方が間違っているという考え。

ただし、その考えを主張している人も、
「逸脱」だけして「回復」出来なかった点においては、
中学生が未熟であり叱られても仕方がないとしている。
(ジャズは「逸脱」したら「回復」するのが前提での話です。)
しかし、私はこの意見はおかしいと思っている。
なぜなら、中学生は「回復」出来たかもしれないのに、
日野さんに途中で止められてしまったからね。
「回復できなかった」と決め付けるわけにはいかないだろう。
もう一つ言うと、「回復」できなかったことを
叱られて当然とする考えにも疑問がある。
まあ、それは、置いといて。

当初、私は日野さん擁護派だったのだけど、
この「ジャズは逸脱だから、中学生は
間違っていない」という意見を読んでから、
ちょっと考えてしまった。

先に書いたようにその人の意見は、
一部突っ込みどころがあるにしても、
「ジャズは逸脱」に対しては概ね同意できるからだ。

「概ね」と書いたのは「逸脱」の定義が
人によって違うと思うからだ。
「逸脱」を辞書で引くと
「本筋からそれること」
「本筋や決められた枠から外れること」
とある。
「あやまって抜かし落とすこと、抜けること」と
いうのもあったけど、この場合には該当しないだろう。

「逸脱」といっても、なんでもかんでも
めちゃくちゃやればジャズになるというものではない。
「逸脱」という言葉に矛盾するかのようだが、
ちゃんと「逸脱」の型のようなものがある。
そして、「逸脱」したことが、
カッコ良くなければ、その意味がないのだ。
そして、誰も見せたことがないような「逸脱」ほど
価値があるように私には思える。
みんながやっていることは、
もう「逸脱」とは呼べないからね。

中学生の行動は「約束、予定にない身勝手な行動をし、
和を乱した」という解釈も可能だが、
「決められた枠から外れた」わけだから、
ジャズ的に「逸脱」していた、とも言えるわけだ。

事件は、ビンタに焦点が当たっていたけど、
ここでは、ビンタの是非は問わないことにして、
日野さんが、中学生のドラムソロを止めたことに
ついて、ジャズとしてどうなのか考えてみたい。

こんなもの正解はないのだろうけど、
どうも私はこの「逸脱」という言葉が登場したことで、
迷路に入ってしまった。

なぜなら、中学生はジャズ的に「逸脱」していたけど、
日野さんが叱ったことも尤もだと思っていたからだ。
そうすると、どうしても矛盾してしまう。
ジャズの大家なのに、ジャズの精神とも言える
「逸脱」を止めるとは、一体どういうことだ?

この件に「逸脱」を持ち出した人は、日野さんが、
中学生を怒ったことを「不当」とバッサリ切っていた。
(この人は、たまたま読んだブログの筆者で、
個人的に議論する気はないので
ここでは、リンクも張りません。)

が、私はそんな単純なことに思えなかった。
なぜなら、その後、この件でマスコミに
マイクを向けられた日野さんは、
「君たち、ヒマなの?」みたいな
大人な対応から大きく『逸脱』した言葉を発したからだ。

日野さんにとっては、世間が大騒ぎするほどの
ことではなかったんだろう。
その考えも昨今の「暴力」や「パワハラ」に関する
世論からは、大きく外れて(逸脱して)いるように見える。

釈然としなかったこの件をたまたま思い出した私は、
サルトル先生に質問してみた。

妻が今年7月に『超解釈サルトルの教え』という本を
出版したのだが、それ以来彼女は、
「サルトル塾」というものを開いている。
「サルトル塾」は、塾生の人生の悩みや問題に
サルトル先生になりきった妻が答えるという
いわば悩み相談のようなものなのだ。
私は数回参加してみたが、
毎回、妻の突飛とも言える答えが面白い。
よくもそんな発想が湧くなぁという回答をするのだ。

で、先日、何気なくこの「日野さんと逸脱」に
ついてどう思うか、訊いてみたのだ。

彼女の答え。
まず、中学生は「逸脱」している。
そして、
日野さんも「逸脱」している。

なるほど。
そのアイディアは浮かばなかった。
私は何かスッキリした。
そうか、2人とも逸脱してるんや、と。

数年間に、東京ジャズで日野さんのステージを観た。
ご本人やファンの方には申し訳ないが、
私には全く良さが分からず楽しめなかった。
それぐらい日野さんの音楽は、「逸脱」していた。
私の好みではない方向に。

その日のエントリーに私は、
「正直、(何やってるのか分からん) って感じで、
あんまり楽しめなかった。
普通に演奏することに飽きると (?)、
あんな風にやりたくなるのだろうか。
ずっ〜と不協和音が鳴ってるような感じ」と
書いている。

つまり、そんな人が中学生の「逸脱」を
怒るとは思えなかったのだ。
私の勝手な解釈だが、
中学生が試みた「逸脱」は、
自分のバンドでやるべきことだったのかも知れない。
日野さんにすれば、
「お前、百年早いぞ!」ということだったのかも
知れない。
気に入らないことには、観客の前でも
ビンタを食らわすぐらいの人だ。
これを「逸脱」と言わずしてなんという。

「逸脱」は、練習してするものでもないし、
さあこれから「逸脱」するぞ!と言って
するものでもない。
そんなものは、予定調和の一部だ。
だから、中学生も日野さんも「逸脱」していたと
言えると思う。

もしかしたら「日野さんは間違っている」と
書いている人は、
「逸脱」は音楽の上のことであって、
「社会的に『逸脱』しても良いわけじゃない」と
反論するかもしれない。
日野さん(いわば監督)が、口頭で止めても、
暴走する中学生を社会的な「逸脱」とせず、
音楽的なことというのなら、
口頭で注意しても止めなかった中学生を
実力行使で止めた日野さんだって、
ご自分の音楽の舞台だったのではないか。
ええ、ええ、分かってるよ。
ここに「暴力」という要素が加わるために、
この言い分には、無理があることは。


断っておくが、この件に正解はない。
日野さんの怒りを当然だという人と
不当だという人との意見は、
どこまで行っても平行線だろう。

そして、「逸脱」しているかどうかも、
何が「逸脱」かも、人によってその解釈が
違うだろう。

しかし、私のモヤモヤは晴れたので
良しとすることにした。

この事件を思うとどうしても
映画『セッション』のことを思い出してしまう。

2015年にアカデミー賞3部門他、
多くの受賞をした作品で、3年前に観た時には、
何がそんなに評価されたのかよく分からなかった。
名門音楽大学の生徒 (ドラマー) と
鬼教授の物語なのだが、あまりに狂気で
物語に着いていけなかったというのが本音。
一緒に観た妻はとにかく大絶賛だったのだけど。

日野さんのビンタ事件の私なりの落とし所が
見えたところで、もう一度この映画を観てみた。
(Amazon Prime Video 便利やねぇ。)

すると、なんとも痛快な作品だった。
最後には、感動してウルウルしてしまったよ。
自分でもビックリ。
★5つに昇格。
やっと、教授の言っていることが聞こえた感じ。
まさに「逸脱」の映画です。
教授も生徒もね。





2018.12.26

佐山雅弘

今日まで知らなかったのだけど、
ジャズ・ピアニストの佐山雅弘さんが、
11月14日にお亡くなりになっていた。
兵庫県尼崎市出身、享年64歳。

闘病中だということは、知っていたけど、
数カ月前、雑誌「JAZZ LIFE」のインタビューでの、
若い人たちと組んだ新しいトリオの話を読んで、
まだまだ活躍されそうな感じを受けていたので、
亡くなったという記事を見て、目を疑った。
その記事からは、新しいトリオに意欲を
燃やしておられる様子が伝わってきた。
ずいぶん痩せられていた写真は、
ちょっとショックだったけど。

私は、佐山さんの演奏は、2006年にライヴで一度
小島(良喜)さんとのデュオを観たのと
CD 2枚聴いたことがある程度で、
そんなに詳しくはないんだ。
でも、それ以外にもポンタさんと演ってるのとか、
ジョニー(吉長)と演ってるのとかも聴いたこともあるけど。
今回の訃報で知ったのだけど、RCサクセションの
サポートも演ってたって。

ご本人のウェブサイトの最後の挨拶にある、
「僕という者は僕が出会った人々で出来ている」という
言葉に泣いてしまいました。

ウェブサイトでは、今年、8月21日に行われた
ピアノ・ソロ・ライヴ、70分ほどの動画も観られます。
亡くなる3カ月前とは思えない演奏です。
YouTubeは こちら

途中で「自分のオリジナルになるとピアノの音が変わる」と
話されているのだけど、確かに本編最後の曲
"Matador" など、ピアノが喜んでいるように聴こえてくる。
いや、ピアノが喜んでいるんじゃなくて、
佐山さんの何かが、ピアノに伝わって、
佐山さんとピアノの関係が、
違う次元に行ってしまうんやないやろか。
そんな気がした。
その次元のままのアンコールの
"Hymn To Freedom"(自由の讃歌)も
素晴らしい。

64歳って、若すぎるよなぁ。
合掌。





2018.12.28

写真がついに!

今月初めに渋谷と恵比寿の間、
明治通り沿いに、知人がカフェをオープンした。

MAT COFFEE


何かオープン祝いをと思い、
額に入れた写真を持っていたら、
快く店内に飾ってくれることになった。
1枚のつもりが、結局3枚も!

会社の中には何枚も飾っているけど、
不特定多数の人が目にする場に
飾られるのは、これが初めて。

なんか、うれしいな。

先日、ホテルの客室に飾ってもらうことに
なったと書いたけど、
そっちの方は150枚ぐらいあるので、
額が間に合わず、2〜3月頃になりそうだ。

壁に飾られたキューバの写真


トイレに飾られたアメリカの写真


渋谷に出かけられたら、
ぜひ足を延ばしてコーヒーを飲みに、
写真を観に MAT COFFEE に行っておくれ。
明治通り、東交番前の交差点を
少し恵比寿方面に行ったあたりです。

MAT COFFEE でググってみたら、
オープンに関わった業者さんの紹介ページに
なんと私の写真も!→ こちら
この業者さんがコンクリートの壁に
飾ってくれたのです。

ところで、このトイレに飾られたアメリカの写真。



1985年のアメリカ横断旅行の際、
ロスアンゼルスで撮影したもの。
その旅行では、800枚以上撮影したが、
子供がちょうど振り返った瞬間で
撮った瞬間に「良いのが撮れた」と
思ったことを覚えている数少ない写真。
(なんで振り返ったんやろ?)



70年代の終わりに、日本でも紙おむつが
販売されるようになっていたが、
その代名詞ともいえるのが、
米国P&G社の「パンパース」だった。
この母子が持つ、「Pampers」と書かれた
大きな箱を見たときに、子供が大きな
紙おむつを引きずっているのが
絵になると思ったのだな。

この男の子も、今では35〜36歳に
なっているんやなぁ。

85年だからもちろんフィルムのカメラで撮影。
2年ほど前にネガをデジタル・データに
変換したのだ。
オリジナルは、カラー写真なのだけど、
30年以上、ネガをテキトーに保管していたので、
ネガが痛んでいて、染みのようなものが
出ている写真が結構あった。
修正で、ある程度は消せるけど、
完全には(私の腕では)無理。

この写真もカラーでプリントすると
黄色いシミが出てしまう。
でも、モノクロにするとあんまり気にならない。
空の部分をよく見ると、
シミが見えてしまうけど、
もうちょっと修正できそうだな。




Don't Worry Be Curry!


オフィスの近所のカレー屋さんの看板。
入ったことはないのだけど。



何度かこの看板を見て、「変なの」って
思っていたけど、ある日気が付いた。

これって、
"Don't Worry Be Happy" のパロディやん!
と。

"Don't Worry Be Happy" は、
1988年の Bobby McFerrin の曲。
ずいぶん前に何かのテレビCMに
使われていたので、
聞き覚えのある方も多いだろう。
たくさんのカヴァ―ヴァージョンもある。

"Don't Worry Be Happy"

"Don't Worry Be Happy" って
普通の英語なので、この歌のタイトルを
もじったのかどうかは分からないのだけど。





2018.12.29

日日是好日

映画『日日是好日』。
今年亡くなった樹木希林の遺作だと
思っていたら、来年公開の映画
(『エリカ38』)がもう1本あるようだ。

さて『日日是好日』。
気になっていたのをようやく観てきた。
勝手に樹木希林が主役の映画だと
思って観に行ったら、
主演は黒木華でした。

『日日是好日』の読み方も分からず、
映画館の窓口で「ひびなんとか、下さい」と
言ってしまったが、
「にちにちこれこうじつ」と読むのだった。
むしろ「これこうじつ」は考えれば読めたのに
「日日」が間違っていたとはね。

さて、映画はおそらく私が20代の頃に
観ていたら、つまらないと思ったであろう、
ストーリーで、これは大人にならないと
分からない色んな深さがあると感じた。

映画の大半は、お茶のお稽古のシーン。
大きな事件もなく、主人公の典子に
大学卒業、就職試験、失恋などの節目は
あるもののそれらは全て、ほんのわずかな
カットと典子のモノローグで過ぎていく。

そして、大学生時代にお茶を始めた
典子の24年間の変化を、
彼女のセリフと表情、しぐさで
見事に描いていく。

この映画を観て、お茶を始めようと
思う人もいるのだろうな。
あまりに時間がゆっくりで、
私は耐えられないと思ったけど。
私達現代人は、急ぎ過ぎている。
もっとゆっくり生きた方が、
実は豊かなのだ、と思ったね。

数年前、何かで読んだ。
インターネットの普及で、現代人の情報量は
以前の5千倍になったと。
3日前の話題は、もう時代遅れだ。
そんな私達だからこそ、本当はお茶のような
時間の流れ、今をたっぷり味わう、
イコール 今を生きることが
必要なのだろうな。

雨の日は雨を聴く。
雪の日は雪を見て、
夏には夏の暑さを、
冬は身の切れるような寒さを。
五感を使って、全身で、
その瞬間を味わう。

だからこそ、「日日是好日」なのだと
典子は、24年のお茶のおけいこを
通して掴むのだった。

お稽古のたびに床の間の掛け軸が
違っているのも素晴らしい。
お茶の武田先生は、その日にふさわしい
掛け軸に毎回(もしかしたら毎日?)
替えられていたのだろう。
「日日是好日」に通じることなのだ。

本作は、原作者 森下典子の自伝エッセイの
映画化ということで、主人公の名前も典子だ。
そして、森下は今でも武田先生のお茶今教室に
通い続けているのだという。

樹木希林や黒木華が、
お茶未経験者だというのも凄い。
特に樹木希林。
やっぱり女優さんって色んな事
やってはるんやなぁと思ったけど、
映画のために習得した所作だと知って驚いた。
さすがです。

世の中には「すぐわかるもの」と
「すぐわからないもの」の二種類がある。
すぐわかるものは、一度通り過ぎれば
いいけど、「すぐわからないもの」は、
長い時間をかけて、分かってくる。
というような言葉が出てくるが、
そんなことでさえ、概念的に分かったような
気になっている自分の浅はかさを感じた。

「お湯の音と水の音は違う」というのも発見。
本当に違うねん。

典子が子供の頃にフェリーニの『道』を
観た時、まるでわからなかったのに、
大人になって観たら素晴らしくて、
感動したというセリフがある。
私は、数年前に『道』のDVDを借りて
観たのだけど、そんなに素晴らしいとは、
思った覚えがない。
これは、もう一度観てみようと思う。

最後に。
「日々是好日」ではなく、「日日是好日」と
書くのは、「同じ日は二度とやってこないことを
意味するからであり、それぞれの『日』は
意味合いが違う」と書いている人がいた。
「日々」ではなく「日日」。
それだけでも "かなり" 深いと思う。


★★★★▲




スーパー・ギター・トリオ
鈴木直人 × 馬場孝喜 × 井上銘


今年もたくさんライヴに行った〜。
今年61本目、最後のライヴは、
8月にも観たギター・トリオ、
鈴木直人 × 馬場孝喜 × 井上銘 だ。

今夜も個性のぶつかり合い、
三人三様の自己表現の爆発で、楽しめた。
馬場さん、銘くんは同じ Westville の
セミアコだけど、馬場さんのは、
メイプルトップで、銘くんのは
スプルーストップ(らしい)。
アンプもセッティングも弾き方も違うから、
単純に比較はできないけど、
馬場さんの方がよりエレクトリックで
銘くんの方がウォームなトーンだった。
なるほどね、って感じ。
鈴木さんは、前回は Sadowsky の
セミホローだったけど、今日は
まだ見るからに新しい Sadowsky の
美しいフルアコ。
当然、一番アコースティックなサウンド。
トーンだけでも3人の個性が表れていた。

曲は、"Phase Dance", "Norwegian Wood",
"Love Sale" など。
偶然か3拍子が多かった。
アンコールでは、前回同様 "Spain"。
今夜は、ヴォーカル・ゲストなし。

まあ、3人とも自由ですな。
互いに影響しあい触発しあい、
どんどんケミストリーが
起こっていく。
ライヴの醍醐味、満喫しました。




[ MEMBERS ]
鈴木直人 (gt)
馬場孝喜 (gt)
井上銘 (gt)

@ bar dAZE (原宿)





2018.12.30

音楽映画のハードル

映画『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒットしている。
それは、QUEEN にとっても 映画界にとっても
良いことなのだけど、私にはちょっとした
違和感があった。

「ボヘミアン・ラプソディ、良かった〜」とか
まだ観ていない人から「凄く良いらしいね」という
言葉を聞くと、「良い映画ほかにもあるのになぁ」
という反応があったのだ。

それは、『ボヘミアン・ラプソディ』が
良くなかったと言う意味ではなく、
『ボヘミアン・ラプソディ』だけが
特別にずば抜けて良いわけではなく、
(もちろん良かったけど)
他にも良い映画たくさんあるのに、
なんでこれだけがそんな特別に
言われるんだろうという違和感だった。

今年に限って言えば、
『グレイテスト・ショーマン』も
『ボヘミアン・ラプソディ』ほどではないが、
数人から「良いらしいね」という言葉を
聞いたが、その他の私が素晴らしいと
思った映画の評判は耳にしたことがない。

私は、年平均60本の映画を劇場で
鑑賞している。(この10年間の平均)
DVD は含まない。
もっとたくさん観ている人もいるだろうが、
年60本は、日本人の平均よりは多いと思う。
そうすると、当然 素晴らしい映画にも
たくさん出会えるわけだ。

だからなぜ『ボヘミアン・ラプソディ』が
そんなに特別なのか分からなかったのだ。

先日、車を運転中、FMラジオをつけると
その番組のゲストに 中井 圭 という
映画評論家が出ていた。

中井氏の今年のベスト3を選ぶというので
聴いていると1本目は、
『君の名前で僕を呼んで』。
ああ、残念、何度か予告編は観たけど、
これは観ていないので何とも言えない。

2本目『スリー・ビルボード』。
私の評価は、★4つ半だったけど、
確かに記憶に残る良い映画だったので納得。

3本目、何がくるかなと思っていると、
『判決、ふたつの希望』。
イエス!これは、私も★5つ。

『判決、ふたつの希望』なんて、
テレビコマーシャルもしていなかったし、
エンタテイメント作品でもないので、
かなり観た人の数は限られるだろう。
でも、凄く考えさせられる良い映画だった。

それで、中井氏が興味深いことを言っていた。
「音楽映画はハードルが低い」と。
「ハードルが低い」というのは、
それだけ観に行きやすい=観に行く人が
多いということだ。
それには、知名度が関係している。
例えば、『オペラ座の怪人』(2004年)は、
日本でもヒットしたが、
知名度が 97%だったという。

厳密には、すべての音楽映画の
ハードルが低いわけではないだろうが、
知名度は大きく関係しているのは、
容易に想像できる。

この話を聴いて、なるほどそういうことかと
腑に落ちた。

QUEEN の映画が公開されれば、
普段それほど映画を観ないかも知れない
QUEENファン、昔のQUEENファンが、
劇場に足を運ぶことになるだろう。
観た人が感動すると、当然、
周囲の人に話すだろう。
普段たくさん映画を観ない人ほど
そのインパクトも大きいだろう。
その結果、口コミで評判が広がり、
ヒットにつながるというわけだ。

『スリー・ビルボード』や『判決、ふたつの希望』
よりも『ボヘミアン・ラプソディ』の方が、
圧倒的にハードルが低いだろう。

それで気が付いた。
私が違和感を抱いた、
「ボヘミアン・ラプソディ、良かったわ〜」と
言う人は、普段、映画の話をしない人
(=あまり映画を観ない人)だったのだな。

そう考えると、
『ボヘミアン・ラプソディ』以外にも
ええ映画いっぱいあるのに、なんで
『ボヘミアン・ラプソディ』だけこんなに
言われるんやろ?
という疑問は簡単に解けたのだ。
他の映画をあんまり観ていないっちゅうことだ。

なぜそこに反応してしまったのかということには、
私がミュージカルよりもヒューマンドラマの方が
好きだということもあるのだが。

繰り返すが、『ボヘミアン・ラプソディ』が
つまらないと言っているのではない。
私は、★5つを付けたし、
その証拠に、今日2回目を観てきたんだから。

今年『ボヘミアン・ラプソディ』以外
良かった映画がない人は、
もっと映画館で映画を観よう!




ボヘミアン・ラプソディ
BOHEMIAN RHAPSODY
 2回目

『ボヘミアン・ラプソディ』、
2回目の鑑賞である。
1回目同様、いやもしかしたら、
1回目よりも感動したかもしれない。
1回目の感想にはフレディが、苦悩したことを
「天才も人間なんやなぁ。
凡人と同じように苦悩はあるんや」と
書いたのだけど、今日はそんな風には
思わなかった。
そこよりも、フレディが誰であったか、
誰として生きたかということが
心に迫ってきた。

ライヴエイドのリハーサルで、
自分がエイズであることをバンドのメンバーに
告げるシーンは、やはり一番の山場だ。
「自分が誰であるか」の宣言は、本当に感動的。

それから、ライヴエイド当日、
両親に会いに行ったシーンも良い。
父親に「善い思い、善い言葉、善い行い」をするよう
育てられたフレディは、若い頃、父親に向かって
「それで、何かいいことがあった?」と
憎まれ口をきくのだが、そのシーンでは、
「アフリカの子供たちを救うんだ」と
胸を張って、父親に言う。
父親との確執が解けたような瞬間だった。

数日前に「逸脱」というエントリーを書いたが、
フレディ・マーキュリーも逸脱しています。
音楽も生き方もね。
(ジャズのアドリヴにおける逸脱とは
ちょっと意味が違うけど。)


レディ・ガガの出演する映画
『アリー/ スター誕生』も公開中だ。
レディ・ガガという名前は、QUEEN の
『ラジオ・ガガ』をもじって付けられた芸名
だというのは有名な話だが、この時期に
この2つの映画が公開されている不思議を
ライヴエイドのシーンで、フレディの歌う
"RADIO GA GA" を聴きながら思った。


★★★★★




今年の映画


さて、10年間の映画の年平均鑑賞数は60本と書いたけど、
この10年では今年が一番少なく(のべ)33本だった。

【私の今年の★★★★★(星5つ)映画】(観た順)

『15時17分、パリ行き』
『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』
『ダンガル きっと、つよくなる』
『ラスト・ワルツ』
(ドキュメンタリー)
『ブリグズビー・ベア』
『泣き虫しょったんの奇跡』
『判決、ふたつの希望』
『エリック・クラプトン〜12小節の人生〜 』
(ドキュメンタリー)
『ボヘミアン・ラプソディ』
『パッドマン 5億人の女性を救った男』

【私の今年の★★★★▲(星4つ半)映画】(観た順)

『私が殺したリー・モーガン』
(ドキュメンタリー)
『blank13』
『スリー・ビルボード』
『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』
『万引き家族』
『テイク・エブリィ・ウェーブ』
(ドキュメンタリー)
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ☆アディオス』
(ドキュメンタリー)
『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』
(ドキュメンタリー)
『家へ帰ろう』
『日日是好日』

おお、音楽ドキュメンタリーが、5本もあった。
『テイク・エブリィ・ウェーブ』はなんと
サーフィンのドキュメンタリーでした。

33本しか観なかったのに★4つ半、5つが、
合わせて20本もあるというのは、
かなり良い映画の確率が高かった年だと思う。



ひとりごと