TOP LAGUNA MOON MELLOW FLAVOR  LIVE GUITAR  LINK LYRICS


 2021年
    感想・ご意見は→ shinya◇shin223.com
    メールをくださる方は、上記アドレスの◇を@に変えて送ってください。(スパムメール対策)



2021.1.17

信じられへん。

高校の同級生だったK君が亡くなった。
金曜日の朝、ふだん通りに出勤して倒れ、
そのまま逝ってしまったようだ。
脳ではなく、心臓だったらしい。

もう何年も前のことだけど、K君は、
私の実家の近くの市民病院に勤めていた。
彼は、医者なのだ。
たまたま診察された母は、K君のことを思い出して、
私の同級生だということが分かった。

その後、K君は整形外科医院を開業した。
それも私の実家のある市内で、実家から歩いて
14〜15分程度のところだった。

その後、母だけでなく、父や姉も
K君に診察してもらうことになった。
家族が同級生の患者になるというのが、
不思議な感じがした。

K君とは、高校2年生の時に同じクラスだった。
彼は、勉強もスポーツも出来て(ラグビー部だった)、
ちょっとやんちゃで、おまけに
リーダーシップもあり、魅力的な男だった。
彼と私は、いつも一緒につるんでいるグループでは
なかったけれど、それでも私はK君の家に泊まった
ことがあるし、何人かで悪さをして
一緒に停学処分になったこともあった。

卒業してからは、会うことはなかったけれど、
4年も浪人して国立の医大に合格したと
聞いた時は、感動せざるを得なかった。

15年前(2006年)に同窓会で25年ぶりに
再開したときには、高校の頃のやんちゃな
イメージはなく、優しい笑顔のドクターになっていた。

それから、2011年、2017年と同窓会の度に会った。
あまりゆっくり話時間はなかったのだけど、
2017年の同窓会で話した時、
「(医者は)ずっと勉強や」と言っていたのが
印象に残っている。

一昨年、妻の本を読んで感想をメールで送ってくれた。
さすがは、医者になるような頭脳の持ち主は、
書くことが違うな、と思える感想だった。
そのメールを改めて読みなおしてみた。

妻の本は、サルトルの哲学を
かみ砕いた著書なのだが、
K君の恩師にドイツの哲学者カントを専門にされていた
先生がいたらしく、その恩師のことを
「12歳年上で享年58歳」と書いてあった。
奇しくも K君も 58歳で逝ってしまった。
その先生とは、「一緒に酒を飲み、バカなことも
していましたが」とあったが、先生への尊敬が
うかがわれる文面だった。

その時のメールのやりとりで、
「大阪に帰った時に一緒に飲もう」と約束した。
正月に帰省したときは毎年自分の家族に
会うことだけで終わってしまうので、
友達に会うためだけに大阪に帰ろうかなどと
考えていたけど、去年からのコロナで
すっかり忘れていた。
そして、実現せずに彼は逝ってしまった。
こういうの、悔い 残るなぁ。

K君、
約束果たせずごめんな。
またいつかな。





2021.1.18

続・信じられへん。

昨日、高校の同級生のK君が亡くなったことを書いた。
金曜日の夕方、K君と同じ中学出身の H君から
連絡をもらったときは、にわかには信じがたく、
リアリティもなく、ショックや悲しみも
実はそれほど感じられなった。

それが、昨日、K君と今も親しい S君から電話で
どんな風に発見されて、病院に運ばれてどうだったか、
細かい事情を聞いて、K君の死が
だんだんとリアルになってきた。

そして、時間が経つほどに思っていた以上に
自分が衝撃を受けていることを感じ始めた。
今日は昨夜、自分が書いたこの「ひとりごと」を
読んでも泣けてきた。
書いてるときは、そんなことなかったのに。

数人の同級生とメールや LINE で連絡を取ったが、
皆一様にショックを受けており、
ひとつには、同級生の集合的無意識が、
衝撃を受けているんだと思った。

この、自分が思っている以上に実は応えているんだ、という
感覚を以前にも体験したことがある。
東日本大震災から数か月あとも、
自分ではどうしようもない大きな悲しみというのか、
波にのまれているような感覚があった。
それに似ている。

しかし、とても不思議で興味深い。
彼が死んだことを知らされていなかったら、
私は何も感じていないはずだ。
いや、無意識レベルで感じているけど、
自覚できないだけなのか。

この「死」という情報のパワーと不思議さ。
本当に彼が死んだのかどうか、
自分の目で確かめたわけではない。
乱暴に言ってしまえば、本当かどうか分からないんだ。
しかし、確実に私の精神になんらかの
影響を及ばしている。
一体、これは何なんだろう。

会えないとなると、急に恋しくなるのはなぜだろう。


それから、もうひとつ。
私たちは、生、生、生、生、・・・と続いて、
最後に、死 が来ると思って生きているけど、
実は、いつもいつも、毎瞬毎瞬、生まれてから
死ぬまでずっと、生死、生死、生死、生死・・・と
生きていて、たまたま「生」なだけで、
どの瞬間にも「死」になりうるんだということを
ついつい忘れてしまう。

時々、知っている人の死に遭遇すると、
そのことを思い出させてもらうことができる。

「死」は「生」に引っ付いてくるもので、
忌まわしいものではないけど、
悲しいことには違いない。

できれば、学校の卒業を祝うように
人生の卒業を祝えるようでありたい。
悲しいけどね。
悲しみながらね。


数人の同級生と連絡を取ったと書いたが、
ひとりの友人は、高校2年の時に K君から
授業中に、「克己」という二文字を紙に書いて渡され、
真剣な目で「自分だけが唯一の敵や」と教えられたのが
強烈で忘れられないと、教えてくれた。

克己・・・。
58歳の私は、意味どころか、読み方も分からんかった。





2021.1.19

「二度としません」
「当たり前です」


先日、夜中の1時過ぎに車で帰宅した時のこと。
私は、自宅近くに駐車場を借りているのだが、
その私の駐車スペースに見知らぬ車が
駐まっていた。

以前も一度、同じように夜に帰ってきたら、
誰かが駐車していたことがあった。
クラクションを鳴らすと、駐車場の前の家に
遊びに来ていた若者が出てきた。
もちろん、すぐに動かしてもらうことができたが、
人が契約している駐車場に駐めるとはけしからん!
と思ったけど、謝っている相手に
文句を言っても仕方ないと思い、
その時は何も言わずに穏便に済ませた。

そんなことがあったので、またその家の客人かと思い、
間を開けて2度、クラクションを鳴らしてみたが、
誰も出てくる気配がない。
真夜中なので、何度も鳴らすわけには、いかない。

さて、どうしたものか。
私が、有料駐車場に駐めに行くのは
いくらなんでもアホみたいだ。
5分ほど待って、誰も出て来ないので、
これはあかんなと思い警察を呼ぶことにした。

生まれて初めて、110番に電話した。
事情を説明すると、すぐに警官が向かいますとのこと。
警官が来てどうしてくれるんやろ、と思いながら、
待っていると、10分ほどでチャリンコに乗った
若いお巡りさんがやってきた。
こういう時、ホントにありがたいね、警察って。

お巡りさんと話していると、道の向こうから、
40歳前後位の男性が「すいませ〜ん」と
言いながら、走ってきた。

(私の)車が停まっていて、警官が懐中電灯で
自分の車の中を照らしている様子をみて、
状況を瞬時に理解したのだろうな。

「すぐそこの知合いのうちに来ていまして・・・」

関係ない。
そんなもん、人の駐車場に車を駐めていい
理由にならん。

しかもだよ。
その駐車場のすぐ横に、コインパーキングが
あるんやで。
本人にしたら、ほんの数分と思ったのかも知れないけど、
(実際は、私が到着してから15分ほど経っていた)
ほんの数分なら、数百円のことなので、
コインパーキングに駐める方が、警察呼ばれるより
よっぽどええと思うねんけどな。

彼はまさか警察沙汰になるとは
思っていなかったようで、
私に対し、絵にかいたような平謝りで
「二度としません」と言うので
「当たり前や」と言っておいた。

こんなん、ややこしい人に当たってたら、
金巻き上げられることになるよ。
自分で言うのもなんだけど、
私で良かったと思うよ。

たったこれだけのことでも、110番した以上、
私も名前や住所を控えられた。

夜遅かったので、私は相手に
「警察の取り調べを受けてください。
私は帰ります」と言ったら、
お巡りさんは、笑っていた。

あの後、彼はお巡りさんにしぼられたかもね。
法律的にどういう扱いなのか分からんけど、
まあ、あの程度なら注意だけだろう。
そうすると、彼は本当に二度としないのだろうかね。





2021.3.2

死について

今年の1月15日に高校の同級生のK君が亡くなった。
突然死だった。
彼の死について、二日に渡ってここに書いた

そのエントリーに
「卒業してからは、会うことはなかった」と
書いたけど、思い出したことがある。
あれは、私が20歳になる年のこと。
高校を卒業して2年目の5月。
K君と同級生数人で、一度だけサーフィンに
行ったことがある。
今となっては恥ずかしいが、
私は 19〜20歳の頃、中古のサーフボードを買って、
何度かサーフィンをしに、和歌山の磯ノ浦や
三重の伊勢に行ったことがある。
なぜ恥ずかしいかというと、私はほとんど泳げないのだ。
波のないプールなら25メートルぐらいは泳げただろうけど。
そんなヤツが海に入って良いわけなかろう。

今思うと命知らずなアホな若者だったのだが、
それはさておき、K君を含め確か同級生4〜5人で
伊勢に行ったように記憶している。

サーフィンは、朝早くに海に着くように
夜中に出発する。
出発したのは、1982年5月13日の夜で
波乗りをしたのは、5月14日だ。
なぜ、日付まで覚えているかというと、
(覚えているわけではない)
サーフィンから帰ってくると、自宅に
(母方の)祖母が亡くなったのですぐに ××× に
来なさい、という母の書置きがあったのだ。

その時、その日の早朝、サーフボードに
ワックスをかけていて、そのワックスを落としたところ、
どこに行ったのか見つからなかったことと、
祖母の死がなぜか関係あるように思ったことを
覚えている。

祖母は、明治41(1908)年生まれだったので
74歳だったのだが、今の74歳からは
考えられないほどの老人だった。

たぶん、亡くなる1〜2ヵ月前に
母に促されて、入院中の祖母を見舞いに行った。
母にすれば、最期なので会っておきなさい、という
意味だったのだろう。
それまで私は、身内の死を体験したことがなかった。
祖母の死についても深く考えることもなく、
リアルでもなく、見舞いも母に言われて、
半ば仕方なくであったと思う。

しかし、病室に入った私は、それまでの人生で
受けたことのない衝撃を受けることになる。

ベッドに横たわる祖母は、
もう生きているとは思えないほど
骨と皮だけだった。
がい骨、そんな表現がピッタリなほど。
人間って、死ぬとき、こんな風になるんやと思った。

記憶が定かではないが、祖母はもうその時、
意識がなかったのではないかと思う。

股の間から出ている管が、
彼女が自分では何も出来なくなっていることを
物語っており、私は「人間の最期」を見たと思った。

その衝撃で、涙が止まらなくなり、
病室で、嗚咽を漏らし続けた。

私は、祖母とゆっくり話したこともない。
一緒に住んだこともないし、
彼女が、どんな人間であったか、
母から聞いた以外に何も知らない。

祖母に死が近づいていることよりも
私には、人間の最後を見たという体験が
ただただ強烈だった。


ここからは、もしかしたら余談かも知れない。

私は、祖母が亡くなる数カ月前に
19年の人生で最大の失恋をした。
そのことと祖母の死は、何の関係もないと
思っていた。

それから、9年後、私は28年の人生で
最大の失恋をした。(ちょくちょく失恋してます)
今度は、結婚式の日取りも決まっていたのに、
婚約破談という イタイ失恋だった。
その時、父方の祖母(92歳)が入院中だったのだが、
(不謹慎だが)「あ、逝くな」と思った。
すると、祖母はその4カ月後に亡くなった。

関係ないかもしれない。
でも、この二つの話を、
祖母が彼女との縁を切ってくれたんだよ、と
言う人もいた。
その人も、大きな失恋の後に、
祖母だったか祖父だったかが亡くなっていた。

実際には、関係あるかないか分からない。
そんなこと関係あるわけないやろと言う人が
ほとんどだろう。
私もそう思う。

でも、実際は、私たちはそのことについて、
知らない。
何も知らない。

死んだらどうなるか、
生まれる前、どこにいたのか、
それともいなかったのか、
ほんとに何も知らない。

分かっていることは、
全員、間違いなく死ぬってこと。


K君の葬儀に弔電を送った。
先日、その礼状のハガキが届いた。
会ったことのない、初めて見る、奥さんの名前に
今までとは また違うリアリティを感じずにはいられなかった。





2021.3.4

内視鏡検査レポート

考えてみれば、昨日と同じ日はないのだから、
人生は毎日初体験の連続ということになる。
というわけで、本日の初体験は、
鼻の穴からの内視鏡検査と、
お尻の穴からの内視鏡検査。

鼻の穴からの方は、胃の検査。
2009年に原因不明の腹痛に悩まされ、
その時初めて、内視鏡検査を受けたが、
口から直径1センチ程度の管を入れる検査で、
結構辛かった覚えがある。
あの頃にも鼻から入れる内視鏡はあったのだけど、
当時は胃の中を観るだけでポリープや組織の切除は、
口から入れる内視鏡でなければならなかった。
あれから12年。
技術の進歩は、身体に優しく、今では鼻からの
内視鏡でもポリープや組織の切除が出来るようなっていた。

そして、お尻の穴から検査は、大腸。
これは、全くの初めて。

実は、一年ほど前から時々、胃の調子が悪かった。
膨満感というのかな、ちょっと胃が張っている感じ。
市販の胃薬を飲めば、数日で症状が
改善するのだけど、この数ヶ月、
その頻度が上がってきた。
明らかに何かが、起きている。
我慢できない痛みではないので、
緊急性はないように思うけど、
胃の調子が悪いと、食事が嬉しくない。
このまま放置して悪化し、ドクターストップで
アルコールが飲めなくなるなんてことになるのは、
絶対に避けたい。
なので、意を決して検査を受けることにしたのだ。

どうせなら、大腸も同時にやっておこうと思い、
ふたつの検査を申し込んだ。
胃だけなら、それほど大変な準備はないのだけど、
大腸を調べるとなると、大腸の中を空っぽに
にしておかなければならない。
そのために昨夜 21:30 頃に下剤3種類を服用。
約3時間後あたりから、トイレ通いが始まった。

今朝は、水1.8リットルに下剤を溶かし、
それを2時間かけて飲む。
6:45 頃から、14〜15分おきに200cc

前日夜の下剤でトイレに行くこと、5回。
朝の下剤では、家を出るギリギリまで、
トイレに行ったり来たりで8回。
横浜(鴨居)のクリニックで検査を受けたのだが、
小一時間かかるので、移動中に催すことを
考えると不安だったが、仕方がない。

途中電車の中で、油断していた。
ピッともれた。
瞬間的に止めたので、幸い下着が汚れるほどではなく、
ギリギリセーフ。
危なかったなぁ。
もうこの時点では、完全に水しか出てないので、
ひとつ間違ったら、ズボンにまで染みてしまう。

最後に鴨居駅のトイレでもう一度、放出。
下剤の説明書には、5〜8回便が出ると
書いてあったけど、合計9回目だった。

10:30にクリニックに着き、受付を済ませると、
すぐに検査が始まった。

「寝てる間に終わった」なんて聞いていたけど、
説明によると、麻酔するのではなく、
鎮静剤なので、受け答えができると書いてあった。
寝てる間に終わる方がいいなぁ、と思っていた。

お尻側の開いた専用のパンツに履き替え、
小さな紙コップの何か(たぶん鎮静剤)を飲んで、
鼻の穴から鼻の痛みを緩和する麻酔(?)を
吸い込んで、ストレッチャーに横たわり、
いよいよ検査室へ運ばれた。

目の前に大きなモニターがあった。
ああ、ここに胃や大腸の中が映し出されるねんな、
と思った。
先生が現れて、一言二言話したら、
そのあとの記憶がない。

鼻に内視鏡を入れられたことも、
肛門に内視鏡を入れられたことも、
知らない。
先生が、内視鏡を動かしながら何かを言い、
腹の中で内視鏡が動いている感じが
したことを かすかに覚えているが、
覚えていると言えるほどリアルではない。
気が付いたら、全てが終わっていた。

終わってからも、鎮静剤のせいで
かなり意識が朦朧としている。
検査の日は、自動車の運転は出来ないと
言われたが、当たり前だ。

しばらく横になって休憩した後、
先生から説明を受けた。

胃は、軽度の胃炎という診断で、
赤くなっている部分の組織を採取したので、
顕微鏡で検査をするとのこと。

大腸は、ポリープを2つ切除。
これも顕微鏡検査で、どういうタイプの
ポリープか調べる。
そして、大腸にも赤い部分があったので、
組織を採取、これも顕微鏡検査。

大腸は、3箇所 傷を付けたことになるので、
それから、何度か血が出た。
尻から血が出るのは、初めてだけど、
気持ちの良いものではないね。
ポリープを切除した傷は、完治するのに
3週間もかかるそうだ。
まあ、一応手術だもんな。

今日から、1週間程は、食事も制限があり、
アルコールは、5日間禁止だ。
今日は、風呂もシャワーも禁止。

後日、検査の結果を聴きに行く。

このクリニックは、内視鏡検査では
先進的なようで、院長の内視鏡検査数は、
国内ダントツ1位だという。
その段取りや、看護師の連携も素晴らしく、
無駄な時間がほとんどなかった。
これは、患者の待ち時間を減らすべく、
工夫を重ねてきた結果だという。

1年後にまた検査を受けるようにと
もらった紙には書いてあった。
検査自体は、本当に知らないうちに
終わっていたという感じでストレスなし。
これは、本当に素晴らしいと思う。

大腸検査のためには下剤を飲まなければならない。
下剤を飲むこと自体は、なんてことはないが、
やはり、トイレに行く回数が多くなるので、
そこは悩ましいな。
今日は、6:45 から下剤を飲みだしたが、
9時すぎの家をを出るギリギリまで
トイレに行ったり来たりで、
移動中もやばかった。
次回は、もっと早く下剤を飲み始めようと思う。
あるいは、午後の検査にすれば、楽かもな。





2021.3.27

超音波検査

先日、胃と大腸の内視鏡検査をした。
その日のエントリー
気になっていた胃は軽い胃炎のようで、
検査の結果は特に異常なしだった。
大腸には、2つのポリープがあったのだが、
いずれも良性でこちらも問題なし。

胃薬を処方してもらい、服用しているが
検査結果を聴きに行った時点では、
なんとなく胃がまだ本調子でない感じがした。
そのことを先生に話すと、お腹の中は
胃だけではなく他の臓器もあるから、
調べてみましょう、ということになり、
昨日、超音波検査をしてきた。
お腹に何やら器具をあて、超音波を当て
エコー(反射波)を読み取ることで
内臓の状況を診る検査だ。

超音波検査を決めてから、2週間近く
経っており、なんとなく胃の調子も戻ってきたような
感じもしていて、もう検査せんでもええかな、と
いう気もしていたのだが、まあせっかくだし、
この際調べておこうと思い直し、検査を受けてきた。

結果は、やはり(?)特に異常なし。
胆のうにちょっと固まりかけの泥みたいなものが
あるらしいが、まだ石(胆石)には なっておらず、
手術するほどでもないとのこと。
石になるといけないので、1年後に
超音波検査を受けなさいと言われた。
それと、やや脂肪肝と言われた。
脂肪肝をググってみると、食べ過ぎ飲み過ぎ、
運動不足が主な原因らしい。

来年60歳なので、今まで以上に、
健康に注意する必要がありそうだが、
飲み食いが好きなので困ったもんだね。
大分、食べる量は減ったのだけど。







 ひとりごと