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 2023年
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2023.1.2





大晦日から今日まで、大阪に帰省し、
87歳になった母に会ってきた。
私も60歳になったわけだが、
この頃はもう、友人と会っても「老い」と
直面する話ばかりだ。

なるほど、年をとる、老いるということは、
こういうことで、人はこうやって、老いを感じ、
死に近づいてゆくのかと実感している。

自分は何歳で死ぬのかは分からないけど、
生きている間は、ボケずに健康でいたいもんだ。
そんな風に考えているのに、元旦から
ギックリ腰になってしまった。
幸いそれほどひどくはないけど、
腰が痛いと、急に弱気になり、無口になる。

まあ、ふだん喋りすぎなので、
それぐらいが良いのかも知れない。
アルコールは、大晦日は、それなりに飲んだけど、
昨日は夕食事にビールの小瓶を1本だけ。
今日は一滴も飲んでいない。
珍しく、あんまり飲みたくない。
今年は、もうちょっと身体と向きあった方が良さそうだな。





2023.2.5

100km ウォーク 完歩への道
その1


もう15年以上前だと思う。
ある人のブログを読んでいた。
まだ小学校低学年の息子さんがいる
お父さんが、子供が大きくなった時に
どんな父親だったのかを知ってもらう目的で
書いているブログだった(と思う)。
現在は、閉鎖されており もう読むことはできない。

なんだか面白かったので、そのブログを
継続的に読んでいた覚えがあるのだが、
そのブログで 100kmウォーク というものを知った。

100kmウォークは、全国各地で
開催されているイベントで、
24〜25時間かけて100km を歩くというもの。
つまり、ほぼ1日、昼夜を問わず
歩き続けることなるわけだ。

それに参加したそのブログの筆者の
完歩後の感想にいたく感動し、
いつか自分も挑戦してみたいものだと、
思ったけど、現実的ではなかった。

それが、昨年の暮れ、あることをきっかけに
挑戦してみようという気になった。
妻の会社が提供している 20回の連続講座に
参加中なのだが、その講座の中で
自分のギリギリのプロジェクトを創るという
課題があった。
やりたいことはいっぱいあるのだけど、
自分のギリギリ、淵に立つようなことというと、
基本的に楽に生きたい私には、
思いつかなかったのだけど、
講座のリーダーと話している最中に
ふっと「100km ウォーク」が浮かんでしまった。
それまで、全くと言ってよいほど
100kmウォークのことなど忘れていたのに。

で、出てきてしまったからには、
やるしかないな、と思って調べてみると、
東京100kmウォーク(東京エクストリーム
ウォーク100)は、2022年11月12〜13日に
開催されていたことが分かった。
その時点では、まだ12月だったので、
1年近くあれば、なんとかなるかなと
思ったのだが、その後、2023年は
6月3〜4日に開催だと知ることになる。

私のマインドは、秋以降にセットされてたので、
6月の参加は、迷ったのだけど、
地方の大会に出るのも面倒だし、
6月まで4ヶ月以上あるし、
どうせやるなら6月でいいや、と出場を決めた。

と言っても、まだ申込みの受付も
始まっていないのだけど。

というわけで、先日から少しずつ練習を始めた。
15〜20年ぐらい前は、健康のためにと
1時間ぐらい歩くことはよくあったのだけど、
最近は歩いてもせいぜい20〜30分と、
かなりの運動不足だったので、
まずは、先日5km 歩いてみた。
数日後に6km、昨日は7km歩いた。
この調子で 少しずつ距離を伸ばし、
本番に備えようと考えている。
7km 程度なら、大したことはないのだけど、
100km というと未知の世界で想像がつかないけどね。

心配は、足より腰。
正月に軽いギックリ腰をやったし、
歩いていても少し腰に負担を感じるんだ。

大体、1km11分ぐらい、
時速でいうと 5.3〜5.5km ぐらいのペースだけど、
100km 休みなくは歩けないし、最後まで
そのスピードで歩けるかどうかも分からない。
やはり 24〜25時間みておいた方が良いのだろうな。

「東京エクストリームウォーク100」は、
小田原(小田原城址公園)を出発し、
東京(有明ガーデン)がゴールとなる。
ビギナーズ部門(34km 制限時間8.5時間)
というのもあるけど、それでは面白くないので
チャレンジ部門(100km 制限時間26時間)
にエントリーするつもり。

さて、どうなることやら。



東京エクストリームウォーク100





2023.2.11

残された時間 取捨選択

2年前の4月10日、
私の父は90歳で他界した。
90歳なら十分長生きだろうと思う。
余命3カ月から6カ月と宣告されてからも
自宅で普通に暮らしていて、病院のベッドの
上の暮らしになったのは、終わりの
3週間ぐらいだったと思う。
余命宣告から4カ月だった。
大した苦しみもなく逝った(ように見える)。
悪い死に方ではなかったと思う。

この寿命というやつだけは
神のみぞ知る世界。
例えば私達夫婦と友人I夫婦の両親、
合わせて8人いるわけだが、
一昨年、私の父が死ぬ時点では、
8人全員が、80オーバーで存命だった。
健康かどうかは別として、
寝たきりでもなく、8人とも普通に
自宅暮らしていた。
現在は、6人存命でそのうち5人が
病院か施設にいる。
この2年でかなり様子が変わってしまった。

一方で、同級生の中には、
40代で両親を亡くしたという者もいる。
誰もが 80過ぎまで生きられる訳では
ないのは明白だ。
問題は「何歳まで生きていられるかではなく
何歳まで健康でボケずに周囲に迷惑を
かけずに生きていられるか」だけど。

親たちの高齢化、変化とともに、昨年、
還暦を迎えた私は、急に人生の終わりを
意識するようになった。
30代、40代の頃も人生が有限で
あることは、十分に知っていたつもりだったが、
あの頃とは違う「死」の身近さを感じている。

とはいえ、死を恐れているわけではない。
ただ、生への執着は終わっていないんだな。
やりたいことがたくさんあるのだ。
もしかしたら、20代の頃より
多いような気さえする。
そのくせ、20代のようなエネルギーはない。
やっかいなことよ。

20歳の頃、書店に行って
その膨大な数の本を前に、
死ぬまでに これらの本の何冊を
読めるんだろうと何度も思ったことを覚えている。
あの頃は、今よりもずっと多く本を読んでいたからね。
レコード店に行って、この膨大なレコードのうち、
死ぬまでに何枚聴けるんだろうと思ったことも
一度や二度ではない。

とはいえ、若いころは自分が死ぬことを
知ってはいても 現実味がなかった。
人生の終わりは、ずっとずっと先のことで、
まるで永遠に人生が続くかのようにさえ
思えていたので、人生で経験できる書物や
音楽が、世界に存在するそのほんのわずかで
しかない、ということさえ どこか他人事のような
ところがあったような気がする。

しかし最近は、それがリアルだ。
はなから、全ての書物や音楽を
制覇することは、不可能だと知っているけど、
生きている間に少しでも多く、聴きたい音楽を、
聴きたいし、観たい映画を観たいし、
読みたい書物を読みたいし、
行ってみたい街を旅してみたいし、
まだやっていないやってみたいことをやってみたい。
私のバケットリストは結構な量になりそうだ。
(ずい分と欲張りだ。)
でも、その多さに圧倒され、
残された時間の短さに絶望してしまう。
あーこんなん生きている間に無理やん、
全然無理やんって。

父と同じように私が90歳まで、
仮にボケもせず元気で生きたとて、
やれることはたかが知れているのだ。

「命をかけるとは時間をかけることだ」って、
どこかで読んだけど、まさに命は
時間のことだと思うようになった。
そうすると、何に時間を使うのか、
何に時間を使わないのか、を考え出す。
残りの人生、重要なのは
「取捨選択」だと思うようになった。

その一方で、時間ではない(時間に
とらわれない)人生の充足もあるのでは
ないかとも思ってしまう。
相変らず欲張り。

そして、マジで歳とったと思う。





2023.2.12

残された時間 は 取捨選択 なのか?

昨日の続き。

昨日は、残された人生が有限なので、
やりたいことをやってから死ぬためには、
やることを取捨選択する必要がある、
という主旨のことを書いた。
最後に「その一方で、時間ではない
(時間にとらわれない)人生の充
足もあるのではないかとも思ってしまう」
とも書いた。

今から30年ぐらい前に友人が何気なく
言った言葉が今も忘れられない。
それは、輪廻転生がある前提なのだけど、
何度も何度も生まれ変わり、
魂の進化をした上、最後の人生として
この世に生まれたのときの話。
本当に魂が進化した人が、
最後の最後に送る人生は、
特別なものではなく、
どこか田舎の農家に生まれ、毎日、
農作物を育てることと収穫に生きる
農夫のような人生ではないだろうか、
と言ったのだ。

なぜだか、今もその言葉が私の心に
残っている。
もし、その通りだとしたら、
全く時間にとらわれない、やりたいこととか
時間が云々という人生とはかけ離れた、
静かで安定した迷いのない生活、人生が
存在しているような気がするのだ。
時間が〜と言っているうちは、
まだまだ魂が進化していないのだとも
いうことが出来る。

一方で、おそらく、今の時代に生きているから、
残りの人生の時間などというものを
気にするのであって、時計やカレンダーの
なかった時代には、「時間」という観念さえ
今のようではなかったのではないか。
つまりは、そのことから自由であったのでは
ないかと思うのでした。





2023.3.2

100km ウォーク 完歩への道 その2
ウォーキング・シューズ購入


6月に100キロ・ウォークに挑戦しようと
思っている。
1月29日に初めて、このために「歩く」という
練習を始めて、この1ヶ月間で計9回
トータル 約54キロを歩いた。
普段はいている Columbia のスニーカーで
歩いていたけど、さすがに本番(100キロ)は
これでは歩けないかも知れないので、
ウォーキング用のシューズを買うことにした。

何が良いのか分からないので、
ABC Mart で、見つけた New Balance の
MW880 というモデルを購入した。



ランニング・シューズで 100キロ歩くという記事も
読んだのだけど、ウォーキングに的を絞って
開発された靴の方がなんとなく楽に
歩けそうな気がしたので、これにした。
定価 12,100円を 10% OFF 10,890円で入手。
New Balance の靴は初めて買った。
ウォーキング用のシューズ、確かに軽くて歩きやすい。
(ような気がする。)





2023.3.10

顔 見たい

先日、近所の飲み屋のカウンターで、
ひとりで飲んでた時のこと。

後のテーブルに若い女性のふたり組が
座っていた。
別に聞きたくないけど、話し声が聞こえてくる。

片方の女性が言う。
「私、高校の時、モテてたの。
大げさではなく、ホントにモテてた。
半年に一回告白されてたよ。」
「私ってね、人を思いやることしかできないの」
「私、自分のハードルを下げることで、
コミュニケーションを円滑にしてるの」
などなど。

どんな顔してる人なんかなぁ、
あー顔見たい。
で、お会計の時、それとなく、
というより、意図的にがっつり見てしまった。

コメントは控えますね。

こういう人間観察で、
コットンきょんは YouTube ネタ
作ってるんだろうなぁ。





2023.3.11

100km ウォーク 完歩への道 その3
初の20km


初めて 20kmに挑戦した。
4日前、12kmを歩いたので、次は15〜16km
ぐらいかなと思ったけど、20kmに挑戦した。
少しずつ距離を延ばすのは、
100km歩ききるために成功体験を
積み重ねるためでもある。
いきなり 40kmや 50km に挑戦して
挫折したら、100km 歩くのイヤになりそうなので
自信を付けるために少しずつ距離を
伸ばすことにしたんだ。

今日の距離は、20.6km。
途中 10kmぐらいで、喫茶店に入って
25分ほど休憩した。
その休憩時間を含んで4時間28分。
休憩時間を除くと4時間歩いたわけだ。
12km 以上は未知の体験で、
さすがに3時間(15km)以上歩くと
身体の一部が悲鳴とまでは言わなくても
ちょっと 声をあげだしたね。
なるほど、100kmは手ごわそうだ。





2023.3.12

100km ウォーク 完歩への道 その4
インソール問題


先日、100km ウォーク用にウォーキング・シューズ
(New Balance MW880)を購入した。
この靴は「幅広サイズ」となっていたので、
買う時に、「幅が広くないものはありますか?」と
店員に訊いてみたのだが、ないという。
28センチのものを試着してみて少し大きいような
気がしたのだが、靴ひもをきつく結べばいいやと
思って、そのまま買ってしまった。

実際に歩いてみると、27.5 センチも
試着してみれば良かったと少し後悔した。
まあ、インソールを敷くという手もあるかと思って
調べてみると、ウォーキング用のインソールが
あることを発見した。
レビューを読むと、賛否が分かれている。
合う合わないは個人差がありそうなので、
これは、試してみないと分からないと思い購入した。
(2,420円)

[アシマル] インソール ウォーキングII

届いてすぐに装着してみると、土踏まずの部分が痛い。
土踏まずのアーチを保つためにプラスチックが
入っているのだが、それが当たって痛いのだ。
(ああ、これは失敗した)と思ったけど、
説明書きに「足になじむまで少し時間がかかる」と
いうようなことが書いてあったので、しばらく試すことにした。

元々入っているインソールは、
外すように書いてあったので、外したが、
元々のインソールより厚みがあったため、
サイズ感はちょうど良くなった。

インソールを入れて歩いて、10〜20分ほどで
当初の痛みは感じなくなった。
なるほど、足になじんだということなのだろう。
そして、少し歩きやすくなったような気がした。
思い込みの効果かも知れないけど。

しかし、昨日 20km歩いてみて、
結構、足(足首から下)が疲れたので、
このインソールが本当に良いのかどうか疑問が
湧いてきた。
というのは、もともとこの靴は、ウォーキングに
特化して作られた靴なのに、インソールを
替える必要があったのだろうか、ということだ。
インソールを入れようと思ったのは、
靴が少し大きいなと感じたからであって、
ちょうど良ければその発想はなかったんだ。
なので、元々のインソールでも 20kmの
距離を歩いてみないと比較が出来ないんだな。
インソールを替える前、12km歩いた時は、
それほどの疲れは感じなかった。
これが、インソールのことなのか、
単純に距離のことなのかが分からない。
なので、次回 20km歩くときはインソールを
元のものに戻して歩いてみようと思う。





2023.3.21

100km ウォーク 完歩への道 その5
20km2回目
インソール問題

100km ウォークに向けて、週に2回は
歩こうと思っているのだけど、
先週の火曜日に 12km 歩いてから、
1週間ぶりのウォーキングとなった。

10日前に初めて 20km 歩いたのと
同じコースを今日は、逆周りで歩いてみた。
前回、20.6kmと書いたけど、もう一度
キョリ測で測ってみたら、20.08km だった。

前回の 20kmで、ウォーキング用のインソールに
疑問が生じたので、今日は元々 靴
(New Balance MW880)に付いていた
インソールに戻して 歩いてみた。
結果、20km 歩き終えたあと、
前回と比べて驚くほど足が疲れていない。
前回は、歩き終えたあと、足首から下に
かなりの疲労を感じたのだけど、
今日は、まだまだ歩けると思ったほど、
足も気持ちも疲れていなかった。
これがインソールのことなのか、身体(足)が
ウォーキングに慣れてきたのかは不明だが、
あのウォーキング用のインソールは、やめることにした。

今日も 10km ぐらいで休憩をとったので、
次回は休憩なしで 20km 歩いてみようと思う。

1月29日に始めたウォーキングは、
合計 120km 25時間を超えた。
大会出場(6月3日)までに 練習で 250km 歩こうと
目標を立てたが、それはクリアできそうだ。





2023.4.8

「買って完了」がもたらすこと

オフィスに書籍や楽器など私物を
結構置いていたのだが、近々、
オフィスを引っ越すことになりそうなので、
家に持って帰ったり、処分したりと
整理を始めた。

オフィスから自宅に持って帰った本を
本棚に並べようとしていて、発見した。
同じ本が家にもあるのである。



『成功する音楽家の新習慣』。
この本が2冊ある時点で、
私は成功する音楽家ではない。
だって、2冊とも1ページも
読んだことがないんだもの。

1冊は、ネットで購入したようだ。
自宅にあったのものには、
書店のカバーが着けられたままだったので
書店で買ったんだな。
たぶん、ネットで買った後に、
書店で見つけて思わず購入したんだろう。
1冊3千円以上 (2,800円+税) するのに。
どれくらいの期間を開けて買ったのかは
分からないけど、すぐではなかったことに
しておこう。
そして、その、行動は伴わないくせに
「成功したい」という意欲だけは
認めてあげよう。(呆)

なんだか自分に落胆して、
整理を進めていると・・・



『インタビュー・ファイル・キャストvol.46』。
2012年発行の上原ひろみの
ロング・インタビューが掲載された号だ。
これも、買っただけで読んでいない。
その行動の伴わない「読みたい」という
意欲だけは認めてあげよう。(呆)

・・・なんだか、複雑な心境です。

我ながら、情けない。





2023.4.16

100km ウォーク 完歩への道 その6
20km3回目


本当は、今日は 25km に挑戦しようと
思っていたのだけど、今日の予定を
プラン通りにやらないせいで、
ウォーキングのスタートが
夜の8時過ぎになってしまった。
これでは、25km 歩くと、
夜中までかかることになる。
10km か 15km に減らそうかと思ったけど、
せめて 20km は歩こうとスタートした。

前回、前回と同じコースで、今日はスピードが
落ちないよう気を付けて歩いたら、
10分以上縮まったよ。
休憩 25分を入れて、4時間15分。
休憩を除くと3時間50分、時速 5,217m だった。
信号待ちや踏切待ちもあるので、
実際はもう少し早い。

今日は、途中から右足の小指が痛み出した。
インソールを1枚足したことで、
足の指の収まりが悪かったのかも知れない。
それと、右足のひざの裏に違和感あり。
痛みというほどではないが、このまま
長距離歩くのはあまり良くないような感じ。
左足は全く問題なし。

中々調整が難しいな。
100km の完歩は、当日のコンディションに
かなり左右されるような気がする。

来週の日曜日は、30km に挑戦予定。





2023.4.25

100km ウォーク 完歩への道 その7
30km に挑戦


一昨日(日曜日)についに 30kmを歩いた。
今回は、友人のK彦も一緒に。
K彦は、私が「100km ウォークに
一緒に出ないか」と誘った人。
彼は、出場する気はないのだけど、
歩くことに興味を持ち、この2カ月ほどの
間に 20km ほどを3回歩いたらしい。
彼がいつもゴールにしているのは、温泉。
歩いた後のサウナ、そしてサウナのあとの
ビールが、病みつきになってしまったようで、
今回の 30kmコースも彼がプランしてくれた。
(もともと、サウナも酒も好きな人です。)

私は自宅を 7:33 に出発し、
約 8.5km 歩いて、桜新町駅(世田谷区)で
K彦と合流した。
ゴールは、上星川(横浜市保土ヶ谷区)の
「満天の湯」というスーパー銭湯。

1時間ぐらいごとに 10分前後の休憩を取り、
センター北(横浜市都筑区)駅前の
ショッピング・モール内でランチ休憩(約50分)。

「満天の湯」に到着したのは、16:05 だった。
自宅から トータルで 31.4km。
所要時間は、8時間半。
時速は、3,687メートル。
休憩の合計が 105分ほどだったので、
それを除くと 6時間36分で時速 4,640m。

最後に星川駅が見えたときは、感動したよ。
嬉しかったなぁ。



当初、誰かと一緒に歩くのは、
ペースの違いがあるだろうから、
ストレスになるんじゃないかと思い、
その日、桜新町を出発するときに、
離れてもいいから、自分のペースで歩き、
休憩地点で おち合おうと決めた。

ところが、結局ずっとふたりで話しながら歩くことになった。
心配していたペースの違いも気にならなくて、
ずっと話していることで、ずいぶんと時間が
短く感じられた。
もしかしたら、ひとりで 20km 歩くのよりも
つらくなかったかも知れない。
一緒に歩いてくれる人がいるというのが、
こんなに心強いとは知らなかった。

途中、自然の残っている地域を歩き、
風の音や鳥の声を聴きながら歩くのも
乙なもんだと思った。

31km歩いた翌日も思ったほどの
身体の痛みもなかった。
練習の成果もあるだろうけど、
歩いた後の温泉も良かったと思う。
湯舟の底から結構な勢いで泡が出ている
風呂があって、そこでずい分と足の疲れが
取れたように思う。

そして、一週間前に 20km歩いた時に
気になった足の小指の痛みも、
歩いた後の足の裏のひりひり感もなかった。

1月の終わりごろ、まずは5km 歩くことから
練習を始めたが、この日曜日の 31km で、
トータルの歩行距離は、236km、
時間は 50時間を超えた。
いきなりたくさん歩いて、身体を痛めたり、
心が参ったりしてはいけないからと、
成功体験を積み重ねて、100km 完歩の
自信を付けようと考えてきたが、
今のところ、ええ感じで進んでいる。

何より、歩くことが好きになってきたというのが
自分でも最大の驚きなんだ。
だから、100km が終わったあとも、
時々、温泉まで歩くのも良いなと思う。
老後(?)の趣味がひとつ増えた。

100km ウォーク本番は、
もしかしたら、暑さや雨なども考えられるし、
26時間という時間制限があるので、
かなり厳しいだろうと心して、
あと39日、練習に励みます。

本番は、6月3日(土)
小田原城址公園を午前7時にスタートします。
ゴールは、6月4日(日)有明ガーデン。

本番まであと39日!





2023.5.5

100km ウォーク 完歩への道 その8
30km 2回目


昨日 30km(二回目)を歩いた。
4月23日に 30km 歩いた時と同じく
友人のK彦も一緒だ。

今回も コースはK彦が考えてくれた。
表参道に集合し、芝公園、築地、浅草、
上野などを経由し、ゴールは
十条(北区)の十條湯という銭湯。
品川区(自宅)を出発し、渋谷区、港区、
中央区、台東区、文京区、北区まで
増上寺や築地本願寺、東京タワー、
六義園など東京の名所をめぐる
はとバスツアーのようなコースだった。

途中、築地の場外でランチをと思ったが、
とんでもない人出で諦めた。
ランチは、浅草で。
浅草も もの凄い人出だったよ。
上野公園も前日より人が多かったように感じた。
ゴール後、風呂・サウナに入り、アフターは
居酒屋と寿司屋をはしごした。

私は自宅から表参道までも歩いたので、
総距離は 30.5km。
時間は、8時間54分だった。
休憩は、合計でおそらく90〜100分程度だと
思うのだが、前回の 31km より時間がかかった。
理由は分からない。
喋りながら歩いているので、ひとりで歩く時より、
スピードは遅いのは間違いない。
3日前に 15km を休憩なしで歩いたが、
2時間50分だった。
そのスピ―ドで歩けば、休憩を2時間取ったとしても
8時間程度歩けるはずなんだよな。

途中 20km 程度で足より腰に来た。
前回も、到着地の銭湯で、靴下を脱ぐのが
つらいほど腰にダメージがあった。
もし、100km をリタイヤすることがあるとしたら
足ではなく腰だなと思う。
しかし、昨日は風呂に入ったあとは、
腰はほとんど気にならない程度に回復していた。
今日も筋肉痛はなし。

本番まであと29日!


表参道から十條までのコース






2023.5.7

100km ウォーク 完歩への道 その9
腰が問題か


3日前、30Km 歩いた。
歩いている最中、腰に痛みがあったが、
歩き終えた後の痛みは大したことはなく、
翌日も気になることはなかった。

だが、昨日と今日は、どうも腰が良くない。
昨日、写真展を観に行った際、
立って観ていると大した時間ではないのに
腰に痛みを感じた。
ギックリ腰のような痛みではなく、
神経痛のような痛みだ。
そして、たまにその痛みは、おしりから左足の
太ももの裏あたりにも現れた。
単発で ビリビリ来る感じだ。
今日も車を運転中、何度かその痛みを感じた。

3日前の 30Km で腰のどこかを
損傷したのだろうか。
日常生活に支障があるほどではないが、
このままでは 100km ウォークに臨むのには、
無理があるような感じだ。

もう一つ、無理があったのかもと思うのは、
その 30km の3日前に休憩なしで
結構なスピードで、15km を歩いたことだ。
あれも、ちょっとやり過ぎた感じがある。
はりきり過ぎか、オレ。

1月の終わりから練習を始め、
歩いた総距離は 280km、60時間を超えた。
当初の目標は本番までに 250km だったので、
それはクリアした。
ここまで練習してきて、練習中の故障で
本番を断念するのは、なんとも避けたい。
整形外科か整体に行って診てもらってこようか。

本番まであと26日!





2023.5.8

不思議なつながり

一昨日、東京都写真美術館で開催中の
「土門拳の古寺巡礼」展で
「特別対談 内弟子が語る『古寺巡礼』」という
イベントに参加することが出来た。
土門拳の内弟子であった藤森 武さんと
堤 勝雄さんの対談(というより、
トーク・セッションという感じ)だった。
そこで、司会者がふたりを紹介するときに
「熊谷守一(くまがいもりかず)」の名前を口にした。
その時は、藤森さんだったか堤さんだったか
覚えていなかったけど、とにかくおふたりのうち
どちらかが、熊谷守一を撮ったんだと思った。
熊谷守一(1880 - 1977年)は、
日本のフォーヴィスムの画家。
(フォービズムについては、先日、
アンリ・マティスで学んだところだ。)

熊谷守一(モリ)については、2018年に
映画『モリのいる場所』を観て知った。
主演は、山崎努、樹木希林。
この熊谷という画家が人物としても
作品もとてもユニークで、印象に残っている。
その映画の舞台は、豊島区にあった
モリの自宅だったのだが、現在は豊島区立の
熊谷守一美術館 となっている。
その映画を観たエントリーを読むと、
熊谷守一美術館に「近いうちに行ってみたい」と
書いているが、そんなことはすっかり忘れていた。

写真展で対談を聴いた2日後の今日、
勤務先の近くの食堂で昼食を取っていると、
偶然 友人のHが店に入ってきた。
Hはその店の近くの絵画教室に通っている。
私は、普段より遅い時間に昼食を取っていたし、
毎日その食堂で食べているわけではないので、
そこで会う確率は、かなり低い。

食事をしながら、Hの何かの話の中に
熊谷守一が出てきた。
その2日前に熊谷の名前を聞いたばかりだったので、
不思議な感じがした。
気になったので、調べてみると
熊谷の写真を撮ったのは、藤森さんの方で、
写真集まで出版されていた。



そして、自分が書いた5年前の映画の感想には、
映画の中に「モリを撮影するカメラマン」が
登場することを書いていた。
おまけに、モリについて「その物の本質を観る、
という面では写真家の土門拳に通じるものを感じた」
とまで書いているのだ。

なんだか、ぐるっと周って全てが繋がっている感じがした。
熊谷守一美術館に行かなきゃ。


[ 関連エントリー ]
2018.5.19 モリのいる場所
2023.5.7 土門拳の古寺巡礼





2023.5.17

100km ウォーク 完歩への道 その10
股関節が問題だった


5月4日に 30キロ歩いた。
4月に 30キロ歩いた時も、歩き終えた直後は、
くつ下の着脱が難しいほど腰が曲げられなかった。
5月4日の方が腰の痛みはマシだと思っていたが、
2日後3日後にも腰の疲労(?)は
残っており、100キロ本番へに対し、
ネガティブな感情が湧いて来ていた。
それまでは、結構イケると思ってたのだけど。

それからも、毎日ではないのだけど、
腰からお尻にかけて、微妙な
痛みというほどでもない違和感があり、
腰を痛めるのが怖くて、練習も
5キロ程度を一回歩いただけだった。

こんな身体の状態とメンタルで、
100キロ本番に臨める訳がない。
で、やはり専門家に診てもらおうと思った。
この数年間、身体の調子が悪い時、
いつもケアしてもらっていた整体師さんが、
遠くへ転居してしまったので、ネットで探した。
プロ野球選手などアスリートが、
行っている整骨院を見つけたので、
今日、初めて行って来た。

再来週に 100キロウォークに出場すること、
30キロで腰を痛めたこと、今、日常生活に
支障のあるような痛みはないけど
このままでは 100キロ完歩に不安があること
など背景を話し、少し身体を診てもらったら、
原因が分かった。

股関節の可動域が狭いため、それを
カバーしようと腰をそらして歩いていたようなのだ。
「私は、30キロ歩いたあと、腰が痛いけど、
一緒に歩いた友人は、内腿が痛いと言うのです」
と言うと、「腰が痛い方が問題です」と
言われてしまった。

腰に負担をかける歩き方は、
5キロや 10キロでは分からないのだけど、
30キロになると明らかに
腰への悪影響が現れるということだろう。

たっぷり1時間以上身体をほぐしてもらった上、
股関節を柔らかくするための
いくつかのエクササイズを教えてもらった。

施術後は、明らかに股関節の可動域が
広がった感じで、ちょっと光が差して来たよ。
当日まで、しっかりエクササイズをし、
身体を柔軟にして本番に臨みたい。
身体を作るため、来週と再来週
(本番前日)の予約もして来た。

スタミナや筋力の方にばかり注意が
行っていたけど、柔らかさも重要だったんだな。
素人だから、腰のことにしてしまっていたけど、
考えてみたら腰が痛くなる原因が問題だもんな。
それが股関節だとは、思いもつかなかったわ。

話しは変わるが、もう 10年以上も前に
「真向法」という体操を知った。
真向法は、股関節を広げることで
様々な身体の不調を解消する健康法だ。
私が 40代だった時に、随分年上(たぶん
当時60歳ぐらいか)の男性が真向法を
やっていて、その人がほとんど180度に
開脚しているのを見て驚いた。
その人も若い頃から、やっていたのではなく、
その数年前から身体の不調を改善するために
始めたというような話だった。
その時は興味を持って真向法の本まで買ったが、
一度も取り組むこともなく、その本も
今では手元にはない。
健康法、あるあるやな。

これからの高齢の人生、
真向法とかヨガとか太極拳とか、
何か取り入れた方がいいだろうなと思った次第。

本番まであと16日!
さて、完歩できるのか?





2023.6.1

100km ウォーク 完歩への道 その11
開催間近・台風接近


GWに 30キロを歩いて、腰の調子が悪くなり
すっかりネガティヴになった私は、整骨院に通い出した。
(と言っても、2回行っただけだけど。)

1回目(2週間前)に整骨院の先生に
「股関節の可動範囲が狭い」
「そのことをカバーしようと腰を反らして歩いている」
と指摘を受けた。

2週間ストレッチをしてきて、股関節は
かなり柔らかくなったような気がしている。
(「かなり」と書いたけど、元々が硬すぎたので、
実際には大したことはない。)
そして、本番前日の明日も整骨院の予約を
入れている。
最終的な身体の調整のつもりだ。

先日見つけた、夏島隆さんという
メディカルトレーナーの『10秒でほぐす』という
本を読んでいると、普段の立ち方、
歩き方、座り方で知らず知らずのうちに
身体に負担をかけていることが分かってきた。
まあ、「10秒でほぐす」のは私には難しいけど、
参考になることがいくつも書いてあった。

実際に自分の姿勢に注意をし出すと、
仕事中、椅子に座っていて、無意識に
背中を反らしていることに何度も気が付いた。
コンピューターに向かって仕事をしていると
ついつい、猫背姿勢になってしまう。
その姿勢に気付くと今度は、
背筋を伸ばそうとして、背中を反らしてしまう。
その姿勢が、少し気持ち良い、というか
楽なんだな。
だから、それからしばらくは、背中を
反らしたままで仕事を続けるんだ。
しかし、自分が楽な姿勢は、実は
身体には負担をかけていることが多いようだ。
その本にも指摘があったけど、
背筋を反らしたり、胸を張ることが
正しい姿勢だと勘違いしている人は多いようだ。
正しい姿勢とは、最も身体に負担がない姿勢。
つまり、地球の重力の影響を最も受けない
姿勢のことなんだな。

そんなわけで、立っている時、歩いている時、
座っている時にその姿勢に注意を払うように
なってきた。

まだ、腰には不安があり、100キロ 完歩できるか
どうか不安なまま、当日が近づいてきた。
そして、台風2号もやってきた。

昨日、100キロウォークの開催事務局から
メールが届いた。
「6月3、4日開催の東京エクストリームウォーク
100 は、3日午前5時時点で気象庁から大雨、
洪水、暴風・強風、波浪、高潮警報、
特別警報のいずれかが発令されている場合、
中止とし、速やかにHPで発表します」
さらに
「大会途中でも、大雨、洪水、暴風・強風、
波浪、高潮警報、特別警報のいずれかが
発令された場合、発令が予想される場合は、
主催者の判断により中止とする場合があります」
とある。

今日の時点では、天気図を観ると、
6月3日の午後から夕方あたりに、
ちょうど神奈川県から東京都の南に
台風がいそうな予想だ。
そうなると、台風の勢いが よほど
衰えない限り、中止の色が濃い(と思う)。

この4ヶ月間で、約320キロ、70時間近くを
歩いたことで、十分に準備をした、という自分だ。
だから、途中、腰さえ不調にならなければ、
なんとか完歩できるのではないかと、
(甘いかも知れないけど)思っている。

しかし、仮に中止にならなかったとしても、
それなりの雨の中を 100キロ歩くのは、
心が折れそうでかなり気が進まない。
腰のことだけでも不安なのにそこに雨まで
加わると、正直心の中で「中止になってくれ」と
思う自分が現れ出した。

3日は、朝7時スタートの組なので、
前日(明日ね)の夜はスタート地点である
小田原のホテルを予約してある。
そして、中止かどうかの決定が、
当日3日の朝5時。
とっても微妙ね。

まあ、明日の夕方まで様子を観よう。





2023.6.3

100km ウォーク 完歩への道 その12
開催中止


天候に恵まれれば、今頃私は、
横浜市内あたりを歩いていただろう。

残念ながら、台風2号の影響で、
「東京エクストリームウォーク 100」は、
開催中止となった。
午前5時時点で神奈川県に大雨警報が
発令されていたためだ。
(出発地が神奈川県小田原市)
中止のメールは、午前5時1分に送信されている。

東京は、昼には完全に雨が上がっていたので、
台風が半日早ければ、開催は叶っただろう。

主催者は、なんとか開催の可能を探っていたようで、
100キロ中止決定後も、午前7時時点で
警報等が解除された場合は、33キロの「練習会」を
実施しようとしていたが、その開催も叶わなかった。

私は、昨日の18時の時点で「中止になる」と
判断し、小田原へは行かなかった。
仮に開催されても雨の中を歩ききる自信が
なかったこともある。
ここにも書いてきた通り、まだ少し腰に
不安があったので、開催中止は、
ちょっと安心した面があるのも否めない。
でも、ここまで練習も積んできたし、
歩くことが好きになってきたので、
ウォーキングは続けようと思う。
そして、改めて 100キロ・ウォークに挑戦するつもりだ。

次回の「東京エクストリームウォーク 100」は、
10月21日 (土)、22日 (日) に決定している。
今回の申込者には、割引があるとの発表もあった。

しかし、大会の前日 20日と当日 21日、
両日ともテデスキー・トラックス・バンドの
コンサート・チケットを買ってるんだよな。
まあ、前日はコンサート観てから、
小田原に移動すれば良いか。
遅くなるけど。
当日(21日)は、コンサートは諦めるか。
実は、東京公演は3日間あって、
3日ともチケットを買ったので、21日の公演を
観なくても2回観れるんだが、どうしようかなぁ。

いずれにしろ、今回のような不安のない
コンディションで臨みたいね。





2023.6.20

60歳のある日に思うこと

なんとなく、さしたる理由もなく、
「ひとりごと」の更新を1週間サボっていた。
書くネタがないわけではないのだが、
最近 身辺がにわかに気ぜわしくて、
ついつい更新がおろそかになってしまっている。

気ぜわしさの言い訳は、いくつかある。
会社が移転することになったが、
移転先が決まっていなかったこと。
(これはやっと決まったけど。)
移転の準備があれこれとあること。
年内で退職するための準備があること。
(これが結構やっかいだ。)
なるべく早く片付けなければならない、
頼まれている仕事がいくつかあること。
練習しようと思っている曲の練習が
はかどっていないことなどだ。

世間にはもっとたくさんの重要な案件を
抱えている、本当に忙しい人達もいるだろうから、
私の忙しさなど、大したことではないのは
分かっているし、一度にできる仕事は、
ひとつなので焦っても仕方ないことも
重々分かっている。
年を取って、随分と(良い意味で)鈍感に
なって来たように思うのだが、この程度で
「気ぜわしい」と思うということは、
まだまだだなと思う。

気ぜわしさの背景の一つかもしれないが、
先月、大阪にいる姉(62歳)に癌が見つかった。
あまりよろしくない状況なのだが、
驚くほどに本人は冷静だ。
こういう時は、本人より周りの人間の方が
あたふたするものなのかも知れない。

弟の私が言うのもなんだが、
その落ち着きっぷり(というか受け入れ方)は、
天晴れとも言えるほどだ。
本人は「もっと若かったら、ショックだったと思う」
と言っているから、年齢というのも大きな
要素だろうけど、姉に比べて、
明らかに色んなことに執着の強い私が
もし癌の宣告を受けたら、
あんな風に笑っていられる自信はない。

老いや死は、生まれた瞬間から
ずっと変わらず私たちの人生には
身近だったはずだけど、60歳を過ぎると
こんなにも現実的になるんだな。

以前「死を見つめて生きるために」という本を
読んでから、ことあるたびに
「私達はいつも 死につつある」と
意識していたつもりだった。
が、姉の癌宣告は、それはとても概念的な
理解でしかなかったと気付かせてくれた。

その本の感想に私は、
「死ぬのが自分であれ、家族や友人であれ、
死ぬ前に正直に死と向き合い、
分かち合わなければ、相手とも自分とも
本当の親密さは生まれない」と書いた。
これを書いたのは、本を読み終えた直後で、
それなりの理解や洞察があったんだろうけど、
どんなレベルで何を理解し
そう書いたのかなんて、覚えていない。
しかし、姉の癌宣告のおかげで
その言葉の意味を体験したよ。

2年前に父が死んだけれど、
それは90歳の老人の死であり、
十分に準備の時間を与えられた死であり、
言ってみれば当たり前の死であり、
受け入れ難いものではなかった。
つまり、父の死さえ、どこか概念的だったのでは
ないかと思えてきた。

例えば、子供の頃や若い頃に親を亡くしたり、
配偶者や子供や親しい友人の死に遭った人なら、
もっと「死」が強烈で身近な体験なのかもしれないが、
幸い(なのか?)私は、そういう経験がない。
この歳まで生きてれば、それなりの数の
親戚や友人、知合いの死を経験したわけだけど、
その人たちと死を前に、本当に親密な
関係であったかと問われると「ノー」なんだ。
中には癌で死ぬと分かっている人もいたけど、
その人と、死について話したことなど一度もなかった。

これからの人生できっと、本当に親密な人の
死を経験し、今までとは違う人生の
レッスンが始まるんだと思う。
それは、先に逝く立場であれ、
残される立場であれね。
本当にもう「死」を忌まわしいなどとと
避けている場合じゃないんだ。

どういう死に方をするかは、
自分では選べないと思うけど、
その時までどういう風に生きるかは、
自分次第だろう。
残りの人生は、毎日、毎分毎秒
今この瞬間も短くなり続けていて、誰も
そのカウントダウンを止めることはできない。

生まれてくる時と、死にゆく時は、
ひとりだが、その生と死の間の
「人生」というものは、人間はひとりでは
生きられない。
自分以外の人たちによってのみ
人生は、形付けられ、彩られ、
深みを与えられる。
その仕組みの絶妙さに
改めて感嘆するのだった。





2023.6.21

世界中に存する善きものすべてに感謝

昨日、死について少し書いた。
2010年9月に読んだ『死を見つめて生きるために』
という本の感想にリンクを貼ったのだけど、
そのリンクが開くのに時間がかかり、
まず、そのページのトップが表示される。
奇しくもそのトップのエントリーが
「遺書」というタイトル
なんだ。

このエントリー、13年も前に書いたことで
全く覚えていなかった。
読んでみるとその年の8月に46歳で
亡くなった今 敏 (こん さとし) さんという、
漫画家・アニメ監督の最後のブログ
(タイトル「さようなら」)について書いていた。
古いブログは閉じられてしまっているものも
少なくないが、このブログは今も読むことができる。
 ↓
2010年8月25日(水曜日)さようなら

読み直してみても 13年前に読んだことさえ
思い出せなかったが、当時と同様に
感動してしまった。

自分なら、死ぬ直前にこんなに冷静に
書けるんだろうか。
死んでから、「あ、あれも書いといたら良かった」
「これも書いといたら良かった」って
後悔するんやないかとバカなことを考えてしまった。

最後を締めくくる、
「世界中に存する善きものすべてに感謝」という
言葉の美しさと尊さにも心が清められる思いだ。

果たして、46歳にして
「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。
余命長くて半年」と宣告される衝撃は
どれほどのものか。

「妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは
受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった」

「筆舌に尽くし難い」という言葉は、
こういう時のためのものだろう。

しかし、両親への言葉や奥さん、友人への
感謝の言葉を読むと、人間はどんな時でも
崇高で気高い存在でいることも可能なんだと
教えてくれているのだった。

親に対し、
「幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝」
なんて言葉、出てこないよ。





2023.7.3

真夜中の辞典

先日、深夜に YouTube を観ていると
坂崎幸之助(アルフィー)と北山修が
出ている映像を見つけた。
北山修は、名前に聞き覚えがあったが、
誰だか思い出せなかった。

北山は、ザ・フォーク・クルセダーズ(略して
フォークル)のメンバーだった人で、
作詞家、精神科医、心理学者だ。
見つけた映像は、2010年の九州大学、
定年退職を記念しての「さよならコンサート」の
映像で、何本にも分かれて YouTube に
アップされている。

ゲストには、杉田二郎、南こうせつ、
デビュー前のフォークルのメンバーなど。
語られる内容は、とても興味深かった。
その映像を観ていて分かったけど、
フォークルの大ヒット曲
『帰って来たヨッパライ』のセリフ、
「なぁ〜お前、天国っちゃううとこは
そんなに甘いもんやおまへのや
もっとまじめにやれ」という神様の声が、
北山だったんだ。

北山についてググっていると、
「自切俳人(じきるはいど)」という
文字が目に入った。
彼の芸名の一つだ。
その途端、何十年も意識の奥深くに眠っていた
記憶が突然飛び出してきた。
「自切俳人!」
「ジーキルハイドの オールナイトニッポン、
ジーキルハイドの オールナイトニッポン」という
ジングルまで頭の中で流れ出した。

中学生時代、その語り口に惹かれ、
何度も聴いたラジオ深夜放送が
「自切俳人のオールナイトニッポン」だった。
当時は、自切俳人が『帰って来たヨッパライ』の
人だとは知らなかった。
オールナイトニッポン以外で自切俳人の
名前を聞くこともなかったように思う。

北山修の検索の結果の中に
「真夜中の辞典」という言葉があった。
再び深い記憶が反応した。
「真夜中の辞典!」

「真夜中の辞典」は、
「自切俳人のオールナイトニッポン」の中の、
聴取者から募集した言葉で辞典を作ろうと
いうコーナーで、楽しみにしていた覚えがある。
中学2年生だったと思うけど、
私も思いついたことがあって、ハガキを送った。
自切俳人の放送は、木曜日だったようだが、
25時からの放送まで中学生の私は、
毎週、起きていることはできなかった。
ハガキを送った翌週は、聴かずに寝てしまったんだ。
しかし、放送日の翌日、
姉が学校で友人から聞いたらしく、
「昨日、眞也のハガキ読まれてたらしいで」と言った。

もう記憶が曖昧だけど、ハガキを送ったことは、
誰にも、姉にも言ってなかったような気がする。
だから、姉がそんなことを言うのは、
本当に私の名前がラジオで言われたのかも
知れないと思いながらも現実味がなかった。

それから数日後に、放送局から景品が
送られてきた。
番組でハガキが採用されると、
何か景品が送られてくるのだ。

それは当時人気のあったアイドル、
松本ちえこの顔がデザインされた Tシャツだった。
私は、特に彼女のファンでもなかったので、
あまりうれしくなった覚えがある。

話しはそれるが、松本ちえこがどんな活動をしていたか
全く覚えていないので調べてみると、
バスボン・シャンプーの CM で人気が出て
その後、『恋人試験』という曲がヒットしている。
同年代の人には「あーそうそう」という感じだろう。

『真夜中の辞典』は、自切俳人(北山修)
監修で 1978年に出版されていた。
本になっていたなんて、知らなかった。
聴取者から募集した言葉を編集したものとあるので、
もしかしたら、私の投稿が載っているかも知れない。
何を書いたか全く覚えていないし、名前が
載っているかどうかも分からないのだけど、見てみたい。

手に入らないかと探してみると
ヤフオクやアマゾンで、5000円前後している。
う〜ん、どうしようかと迷っていると
メルカリで 1650円で発見!
即、購入!

その『真夜中の辞典』が、今日届いた。

結果から言うと、執筆者という名目で
数百人の名前が連ねてあるのだが、
残念ながら、私の名前はなかった。

あとがきには「放送で読まれた原稿が
全て掲載されているのではなく、
活字にして見ごたえのあるものを
掲載させて頂いています」とある。
残念ながら、中学生の原稿は、活字には
耐えられないレベルだったんだろうな。



それにしても、45年も経ってこの本を
手にするなんて、スゴイなと思う。
入手したものは、年代の割には
痛みの少ない良品でした。


[ 参考 ]
ザ・フォーク・クルセダーズ:
1967年の解散を記念に制作した自主制作盤のアルバム
『ハレンチ』に収録されていた『帰って来たヨッパライ』が、
ラジオで流れたのをきっかけにフォークルは、
解散ではなくプロへの道を歩むことになる。
デビュー前のフォークルのメンバーは、北山修、
加藤和彦、平沼義男であったが、平沼は家業を次ぐことを
決めており、プロデビューを断った。
平沼の代わりにはしだのりひこが参加。1968年『帰って来た
ヨッパライ』は、史上初のミリオンヒットとなった。





2023.7.16

60歳のある日に思うこと その2

20代の頃、こんな話を聴いた。
70代だか80代だかの芸術家の話。
「その芸術家が亡くなったあと、
彼のアトリエには、20年分ぐらいの
材料があった。」
その話を聴いた20代の私は、
そういう生き方に憧れた。
人生を諦めるのではなく、
永遠に続くかのように生きることに
憧れたのだ。

60歳を過ぎて、まだまだやりたいことが
ある自分を観ていて、
「いいじゃないか、やりたいことが
たくさんあって」と思う一方で、
今まで思わなかった考えが出てきた。

それは、「生への執着」じゃないか、
「やりたいことがたくさんあるなんて、
エゴ以外の何物でもないじゃないか」
という考えだ。

じゃあ、その対局にあるのは、
どんな考えかと問われると
答えに窮してしまうのだけど。

その考えに至るには、
母親の物への執着や、
自分の物への執着がきっかけだった。

現在20本以上のギターを所有していて、
それでも、まだ欲しいと思う。
「何も欲しいと思わないよりは、
欲があるのは、いいじゃないか」
と思う一方で「なんだこの執着は」と
俯瞰する自分もいるんだ。

これからの残りの人生は、
手に入れる人生ではなく、
手放す人生なんだ。
そういう時期に入ったんだ、
と思うこの頃。
でも、中々手放せないんだけどね。





2023.7.30

笑顔の行方

家の近くを歩いていた時のこと。
私の数メートル前を赤ちゃんをだっこした、
父親らしき男性と5歳ぐらいの女の子が歩いていた。

女の子は、おもむろに振り向くと
言葉にできないほど、めちゃくちゃかわいい
笑顔で私を見た。

もちろん会ったこともない知らない女の子。
そんな笑顔で見つめられる覚えは、
私にはなかったが、子供が笑顔でいるのに
無愛想な顔もできない、と思った私は、
彼女にこれまた精一杯の笑顔で応えた。

精一杯の笑顔を送りたくなるほど
彼女はかわいかったんだ。

女の子との距離は3メートルほどだったろうか。
その時、私の背後に人の気配がした。
自転車に乗った女性が近づいてきて、
私を抜いた。
その瞬間、女の子の笑顔が
私に向けられたものではなく、
その(母親とみられる)女性に
向けられたものであることを悟った。

そう、神様は何の理由もなく
60歳のおっさんに
天使の笑顔を送ったりはしないのだ。
いや、待てよ。
ほんの少しでも女の子の笑顔に
癒された私はラッキーか。
ちょっと恥ずかしかったけど。

安心してください。女の子は母親の方を
見ていたので、私の笑顔には気付いていません。
たぶん。





2023.8.4

60歳のある日に思うこと その3

昨夜、深夜にテレビをつけたら
石崎ひゅーいというシンガーソングライターが、
出演しており、『虹』という曲を唄うのを聴いた。
ちなみに「ひゅーい」は本名らしい。
何かの書類に名前を書くときに「ひゅーい」と
書くと、「本名を書いてください」と
数回言われたことがあると言っていた。

それはさておき、『虹』は、彼が菅田将暉に
提供した楽曲らしい。
その曲を聴きながら、しみじみと
自分が年老いたことを感じた。

サビの歌詞は、
「一生そばにいるから
一生そばにいて
一生離れないように
一生懸命に結んだ目がほどけないように
硬く繋いだ手を離さないから」
というものだった。

私も一時は歌詞も書いていた。
今となっては、恥ずかしいが、
シンガーソングライターになりたいと
思っていた時期もある。
(なぜ、それが恥ずかしいことなのかは、
ここでは触れない。)

こんな歌詞は私には、
もう死ぬまで書けないと思った。

そんなに多くはないけど、私も
恋の歌(ラヴ・ソング)を書いた。
それは、10代から30歳ぐらいの時ね。

20代で「一生そばにいるから」と言われて、
結婚した夫婦も60過ぎてなおも
「一生そばにいて」と唄える夫婦は
中々いないのではないか。(偏見?)
いや、最後まで添い遂げるつもりでいても、
「一生そばにいて」とは、今更書かないだろう。
(これも偏見?)

そんなわけで、20代30代で書けた歌詞は
60歳では書けないと、当たり前のことを
痛切に感じたのだった。

若いって、
素晴らしい。

そして、60歳になると
若い時に書けなかった歌詞が
書けるんだろうけど、
あんまり出てこなくなるんだなぁ。
私の場合。

ここ に自作の詞を載せてあるけど、
実はもっとあるんだ。
ぼちぼちアップしようと思っていて、
ほったらかしになっている。
どこかにノートがあるはずだから、
探してみよう。





2023.8.20

ウルトラセブン思い出第12話

今年は「ウルトラセブン」の放送55周年らしい。
放送は、1967年10月から 1968年9月。
私が幼稚園に入る半年前から、
園児だった9月までの放送だったわけだ。

「ウルトラセブン」と聞くと、
すぐにあの日のことを思い出す。

その日、どういうわけか母と姉は家におらず、
父と私とふたりだった。
父は、台所で夕食の準備をしていた。
私は「ウルトラセブン」を観ながら、
どうなったかをいちいち、父に聞こえるよう、
実況中継風に声に出していた。
子供のしそうなことなので想像してもらえると思う。

すると、父が言ったんだ。
「そんな風に言うてるとお父ちゃんも
観たくなるやないか」と。
言葉は正確ではないけど、そんな風なこと。

子供の私は、別に何かの目的があって
言っていたわけではなく、ただテレビを観ての
反応で喋っていただけだっただろう。

その私の実況中継風解説(?)を聞いて
父が「ウルトラセブンを観たい」と言ったことに
どういうわけか驚いた私は、55年経った今も
はっきりとそのことを覚えているんだ。

その日のウルトラセブンに登場した怪獣が
何だったか、晩ごはんが何だったかとかは
全く何も覚えていないのに、
あの父の言葉だけが強烈に心に刻まれたんだな。

もちろん、父がなぜそう言ったのかも分からない。
ただ私がうるさいので黙らせようとしたのかもしれない。
いや、本当に観たかったりして。

話は変わるが、「ウルトラセブン」について
時々、話に出るのが 第12話 のことだ。

もうずいぶん前に何かで読んだか、誰かに聞いた。
第12話には「被ばく怪獣」が出てきて、
放送後問題になり、それから再放送時にも
放送されたことがないと。
いわゆる、まぼろしの回になってしまったわけだ。

「被ばく怪獣」と聞いて、
原爆被爆者をネタにしたように聞こえた。
それはあかんやろ。
円谷さんもなんでそんなことしたのかな。
よく考えなかったのかな、と思ってた。
でも、今となっては「放送禁止になった」と
聞いたので、原爆被爆者と結び付けたんだと思う。
今なら「被ばく」は原爆だけではないからね。

しかし、先日、その件の真相を知って驚いた。

まず、放送時には何の問題も起きていない。
第12話は、被爆者が怪獣になる話ではないし、
番組内では「被ばく怪獣」という言葉は出てこない。
自分の星の爆弾実験で、放射能を浴びたスペル星人は、
血液が侵され、代わりとなる血を求めて地球に
やってきたというストーリーだったらしい。

では、なぜこの第12話が放送禁止、その後の
ビデオ化やDVD化の際にも欠番となってしまったのか。

この経緯が、ちょっと怖いんだ。
詳しくは、この記事を読んでちょうだい。

封印されたウルトラセブン「第12話」
53年前の朝日新聞がきっかけで55周年でも欠番


おそらく、私は5歳の時に、この一度だけ放送された
第12話をテレビで観ただろうと思うが、
当然何も覚えていないわな。
確かめようのないことだけど、
私が父とふたりだったあの日が、第12話だったりして。

ちなみに私はウルトラセブンより、
ウルトラマンの方が好きです。
でも、一番好きなのは何と言ってもアンヌ隊員です。







2023.8.21

みんな喋りたいねん


8月5日、山形での山下達郎のコンサートが
終わったのは、21時前だった。
事前の調査では、会場周辺のめぼしい飲食店は、
ほとんど20時か21時には閉まってしまうので、
もしかしたら、食べるところがないのかも、と
覚悟していたが、山形駅周辺は、
小さいながらも繁華街で、数店の居酒屋が
21時を過ぎても営業をしていた。

で、とあるチェーン店の居酒屋に入った。
東京でも(入ったことはないが)観た覚えの
ある店舗で、山形まで来てチェーン店は
ないやろ、と思ったが迷っているうちに
閉まってしまうとまずいので、その店に入ったんだ。

結構、混んでいて「奥の個室の大きなテーブルで
相席でも良いですか?」と聞かれ、OK した。
たぶん、14人ぐらい座れそうな大きなテーブルだった。

ほぼ同時に入店した、私たちと同年代の夫婦が、
ふた組と若い男性が一人、そして私たち夫婦、
計7人が相席になった。

私は、すぐに私たちを含む4組全員が
達郎のコンサートの帰りだと気付いた。
買ったばかりのコンサートグッズを持っていたり、
聞こえてくる話の内容ですぐ分かったんだ。

私達は、東京からの参戦だったけど、
この人達は山形の人なのだろうか、と
聞きたくなったのだけど、ああいいう場面で、
日本人は滅多に話さない。
おそらく西洋人だったら、すぐに「ハーイ」なんて
言って、話し始めるんだろうけど、日本人って、
奥ゆかしいというのか、シャイというのか、
何かきっかけがあれば別だけど、
ホントに話す人が少ない。

かくいう私もその一人。
何度か「皆さん、山形の方ですか?」と
喉まで出てくるのだが、これが中々言えない。
でもその時は、その不自然な空気に耐え切れず、
ついに言葉を発した。

聞くと、一組の夫婦は青森から、
もう一組の夫婦は秋田から、若い30代の男性は、
山形の日本海側(酒田だったかな)から。
そして、それから みんな喋るわ、喋るわ。

その時、思ったんだ。
「なんや、みんな喋りたかったんや」と。
私が口火を切るまでは「もしかしたら、
知らない人と話すのはイヤなんじゃないか」とか、
余計な心配をしたのだけど、全く心配不要。
特に全員、達郎のコンサート帰りという、
共通の話題もあったからね。

私達が東京では、抽選に当たらないので
山形まで来たと話すと、青森の人達は、
驚いて、初めて申し込んで当選したと言い、
秋田の人達は、ご主人がファンクラブに入っているので
いつも複数の会場に申し込むのだと言っていた。
山形の若者は、鉄道や地理好きで、
マニアックな話しを聞かせてくれた。

誰も、名前も聞かないし、その日その場限りの
歓談だったけど、一期一会というのかな、
とても楽しいひと時を過ごすことが出来た。

ああいう場面では、誰かがきっかけさえ作れば、
みんなあんなに和んで楽しく話すんだな。
これは、別々のテーブルだったら、
起きなかったことだろう。
同じテーブルだったからこそ、変な居心地の悪さが
あって、結果、良い時間になったんだと思う。
日本人も、というか私だけど、もうちょっと、
軽く話せるようになるといいな、と思ったのでした。





2023.8.24

7年ぶりの歯の治療

2016年3月にもの凄い歯の痛みを
体験した。
「今までの人生で一番痛かったのは
いつですか?」と問われれば(そんなこと
問われる機会はないやろけど)
迷いなくあの時の歯の痛みを答えるだろう。
(ちなみに2番は、アニサキス事件だ。)

先日、お盆休み中、焼肉を食している最中に
左の下の奥歯に違和感を感じた。
「痛い」というほどではないのだけど、
思いっきり噛むことができなかった。
あ、これはいよいよ来たな、と思った。
というのも、件の歯は2016年の治療時に
「5年もつか10年もつか分かりません」
と、言われていたのだ。
あれから、7年が過ぎている。
いよいよ、その時が近づいているのだなと、
思ったのだが、その違和感は、2日ほどで
治まり、その後は普通に噛めるようになった。

とはいうものの、もうあの痛い思いを
したくないので、この機会に歯医者に行くことにした。

10年ほど治療と定期検診で通っていた歯科が
あるのだけど、コロナと引っ越しで通院が
不便になったことを理由に2年以上、
定期検診にも行っていなかった。

この機会に、通いやすい歯科を探そうと
ネットで検索したところ、自宅のすぐ近くに
とても評判の良い歯科医を発見した。

行ってみると、とてもキレイで新しい。
見たこともない最新の機器がある。
開業してまだ1年半だという。
きっと、歯科の世界も進歩しているんだ。
驚いたのは、歯のレントゲンを撮る時、
前の歯医者だとレントゲン室の扉を
完全に閉めて撮影していたのに、
そこでは、先生が扉を開けたまま、身体を
半分レントゲン室に入れたまま撮影をした。
思うにレントゲン撮影も進化し、撮影する
部分以外では、X線を浴びないように
なっているのではないかと、素人ながらに思った。

で、院長に(その時は 2016年と明確では
なかったので)5〜6年前に治療した
経緯を説明し、痛みはないけど、診て、
必要であれば治療して欲しいと伝えた。

そして、その歯の治療が始まり、
現在、2回その歯科に通って、
次回の予約も入っている状態だ。

今日このことを書くために、あの激痛事件は
いつだったのかと探してみて、2016年3月の
「ひとりごと」に見つけたわけだ。
そのエントリーを見つけるまでは、
(2016年だったか2017年だったか
2018年だったかも覚えていなかった。)

そして、そのエントリーを読んで驚いてしまった。

今回治療を始めた左の奥歯が、
その時の激痛の歯だと思い込んでいたのだが、
その時のエントリーを読むと、なんと!
「右の奥歯」だと書いてあるやないか!

2日にわたって「右」と書いてるので、
間違いではないだろう。
すると、今回治療を始めた左の歯は、
あの歯ではなかったということだ。
なんとええ加減な記憶だろう。

そして、この左の奥歯はいつ治療したのか、
どこの歯科で治療したのかも全く覚えていない。
たぶん、10年ほど通っていた歯科だと
思うけど、明確ではない。

そういうわけで、5年もつか10年もつか
分かりません、と言われた歯はいまだ健在です。


[ 関連エントリー ]
2016.3.20 歯が痛い!(1〜3まであります)




優しく、そして 正しく


歯科医を替えて、2度目の治療時。
若い女性歯科衛生士に
「今日は治療の前に歯のお掃除をします」と
言われた。
この歯のお掃除、あんまり好きな人は
いないだろう。
こびりついた歯石をガリガリやられるのは
あまり気持ちの良いものではない。

歯石の除去が2年半ぶりぐらいだったので、
結構、塊で取れたよ。
掃除のあと、歯科衛生士が言った。
「歯周病の検査ををやりますけど、
やったことありますか?」

私は、歯石の除去以上に
この歯周病の検査が嫌いだ。
歯周病検査は、歯と歯茎のすき間
(歯周ポケット)の深さや出血の有無を
確認する検査。
歯周ポケットに何やら細い器具を
突っ込んで、その深さと出血の有無を
チェックするのだが、私の経験では、これが
検査をしてくれる人によって、全く痛さが違う。
顔をしかめなければならないほど、
何度もチクチク痛みを感じる人と、
ほとんど痛くない人がいるんだ。
素人考えだけど、痛くする人は
必要以上に歯周ポケットにその器具を
突っ込んでいるのではないかと推測している。
そうすると、実際のポケットが3ミリだったと
しても、より深く突っ込むので4ミリと
記録されてしまうことになるのではないかと
全く素人ながらに思っていたのだ。

「歯周病の検査ををやりますけど、
やったことありますか?」と言われて、
とっさに私は、ここで牽制しておくことを思いつき、
「ええ、何度もやっています。あれって検査する人に
よって痛い人と、全然痛くない人がいますよね?」
と言ってみた。
歯科衛生士の彼女は
「そうですね、使う器具によっても
違うかも知れないです」と言うので、
私は「優しくしてくださいね」と言ってみた。

彼女は「優しく、正しくやります」と言ったので
私が「正しさはいいので、優しくお願いします」と
言うと彼女は「私には正しさの方が大事です」と
言われてしまった。
もちろん、この会話は笑いながら
和気あいあいと進んだ。

数本の検査を終えて、彼女が
「どうですか?」と聞いてきた。
全く痛くなく、スピードも早く感じたので、
「素晴らしい。全く痛くない」と応えると
彼女は嬉しそうだった。
(見えてないけど雰囲気で感じた。)

そんな なんてことのない会話で、
ふだん楽しくない歯周病検査の時間さえ、
そこはかとなく満たされた時間として
過ぎてい行くことにコミュニケーションの持つ
パワーに改めて感じ入ったのでした。





2023.8.31

100km ウォーク 完歩への道 その13
チャレンジ再び


今年6月3日から4日にかけて、
参加する予定だった、100 キロ ウォーク
「東京エクストリームウォーク 100」は、
台風2号の影響で、当日の午前5時に
開催中止が決定した。

その準備と練習のため、2月から5月の
4ヶ月間で 320 キロほど歩いた。
しかし、5月の初めごろに歩いた 30 キロで
腰を痛め、その後も万全とは言い難い
状況だったので、台風のせいで中止になったが
正直、ほっとしたという感じだった。

次回の「東京エクストリームウォーク 100」は、
10月21日 (土)、22日 (日) 。
やはり、一度チャレンジすると決めたのだから、
歩かないと自分で納得がいかない。
ということで、申し込んだは良いが、
ずっと 暑くて練習する気にならなかった。

あれよあれよといううちに
本番まで2ヶ月を切ってしまった。
これはヤバイと思い、いよいよ歩き出した。

春に歩いていた頃は、
「歩くのが好きになった」とか書いていたけど、
5月31日に最後の練習で 10 キロ歩いてから、
一度も歩いていなかった。
何が「歩くのが好きになった」だ。
いい加減なもんや。
まあ、腰の痛みが収まったら、
暑い夏になってしもたというのが言い訳や。

で、3ケ月ぶりに歩きました。
一昨日 11 キロ、本日 12 キロ。

3ヶ月も歩いてないと、身体は完全に
歩き始める前に戻ってるね。
春に歩いていた頃は 10 キロなんて平気だったのに、
一昨日は、思った以上に疲れたよ。

そして、昨日一日開けて、今日 12 キロ。
1時間ほど歩いたあたりから、すねの辺り
(ふくらはぎではなく、足の前側)と
お尻に一昨日の筋肉の疲れ(筋肉痛?)を感じた。
こんなの春には感じたことなかったんちゃうかな。
特にお尻の筋肉の負担が大きいと気付いた。
歩きながら、お尻の筋肉に触ると分かるけど、
歩くという行為には、結構 お尻の筋肉を使うんやな。

一昨日と今日の夜の東京は、
それなりの気温だったと思うけど、
台風の影響もあるのか時折 風が吹いて、
暑くてどうしようもない、というほどではなかった。
それでも、しっかり汗を かいたけど。

というわけで、10月21日まで、再び歩きます。
目標、本番までに 250 キロ!
2ヶ月ないので、250 キロは、ちょっと難しいかもな。

今度は、腰を痛めないよう、十分、
ストレッチや準備体操に注意して歩こうと思う。

ちなみに 10月にテデスキー・トラックス・バンドの
来日公演が、18日、20日、21日とあって、
3日ともチケットを買っていたのだけど、
涙を呑んで、大会の前日 20日と当日 21日は諦めたよ。
前日は、観に行こうかとも思ってたけど、
万全の準備のために やめました。
22日に追加公演が決まったんやけど、
25 〜26時間かけて、100 キロ歩き終えた日の
夜は観に行く自信がないな。

なので今回は、18日だけで我慢します。

20日と 21日のチケット、キャンセルは
できないし、今やヤフオクなどでも売れないし、
どうしたものかと思っていたら、ちゃんと、
困ったときに転売できるサイトを発見。
「チケジャム」というサイトなのだが、
無事2枚とも行きたい人に買ってもらえて
無駄にならず、助かりました。





2023.9.2

血中脂質お酢ウォーキング

2014年10月に「痛風」を初めて発症した。
それから5年間、尿酸値を下げる薬を
飲まずに自力でなんとかしようと試み、
結局、5年間で5回も発症し、
2019年6月ついに薬を飲み始めた。

薬を飲み始めて、もう4年以上になる。
その間、年に数回 採血し、尿酸値を
測ってもらっている。
ついでに気になる脂質関係と血糖値も。

今日の話題は痛風でも尿酸値のことではなく
脂質の話。

健康診断を受け始めた 2007年から、
昨年まで 15年間、全ての血中脂質の数値が
正常値だったことが一度もなかった。

血中脂質の検査項目は、
(検査の時、クリニックにもよるが)
「中性脂肪」「総コレストロール」
「HDLコレステロール」「LDLコレステロール」
「Friedewald式」がある。

それらの数値から、「non HDL(総コレ−HDL)」
「LDL/HDL」が計算できるので、
これらも正常かどうか観ることができる。

例えば、中性脂肪は「30〜149」が正常値と
されているが、この15年間、20数回の検査で
ほとんどが異常値で、一番高い時には、
「235」という時もあった。

総コレストロールは、220未満が正常値のようだが、
たまに200未満の時もあったが、
これまた度々240を超えることもあり、
ほとんどの検査時で基準値を超えていた。
その他の脂質の数値も然り。

全ての数値が、基準以内であったことなど、
この15年間、一度もなかったのだ。

しかし、今年の5月31日の血液検査の
結果は、次の通りで全てが正常だったのだ。

中性脂肪 122
総コレステロール 212
HDLコレステロール 54
LDLコレステロール データなし
non HDL(総コレ−HDL) 158
Friedewald式 134

(もちろん尿酸値も 5.6 で問題なし)

トマトジュースを飲んでみたり、
特茶を(1年以上)飲んでみたり、
DHA&EPA のサプリを飲んでみたり、
色々試したけど、よくならなかったのに。

なぜ改善したのか。
思い当たることは、ふたつ。
一つ目は、お酢。

たぶん2月ぐらいからだと思うけど、
毎日 リンゴ酢を飲むようになった。
というのは、尿酸値、血中脂質以外に
もう一つ気になるのが、血糖値。
私は、血圧は全く問題がないのだけど、
血糖値はやや高めで、両親ともに
糖尿病だったので、余計に気になっている。
で、お酢を飲んで糖尿病を治した人が
いると聞いて調べてみると、結構な効果が
期待できると分かった。

血糖値の上昇を抑える効果はもちろん、
体脂肪・内臓脂肪の減少、疲労回復、
高血圧の改善、整腸作用など
とても健康的なのだ。

私が飲んでいるのは、内堀醸造の
「有機りんごの酢」。
これを水か炭酸水で割って飲む。
他社のものも試したけど、これが一番飲みやすい。
ドリンク用に売っているものは、
飲みやすくするために糖分が足されているので
お勧めできない。

5月の血液検査の結果では、
血糖値は、118 と以前とあんまり変わらず
やや高めで、糖尿病予備軍状態のまま。
しかし、血中脂質は改善されたのだ。
これにはリンゴ酢が、効いたのではないかと思うのだ。

そしてもうひとつ、血中脂質改善に
関係あるのではないか、と考えられるのが、
ウォーキングだ。
100キロ ウォークを目指し、2月から
週に数回 歩いていた。
それまでの数十年間で一番、運動(といっても
ウォーキングだけど)していた期間だと言える、
5月末の血液検査。
このウォーキングが、身体に影響していない
はずはないと思うのだが、どうだろう。

リンゴ酢は、今もずっと続けているけど、
ウォーキングは3ヶ月サボっていたので、
8月の終わりあたりに採血していれば、
ウォーキングの効果かどうか分かったんだろうけど、
また、歩き始めたので、分からないな。

いずれにしろ、残りの人生、
美味しいものも食べたいし、やりたいことも
いっぱいあるので、身体は大事にしないとね。

年内にまた検査をするので、
脂質の数値が維持されていれば、
リンゴ酢+ウォーキングの効果ということかな。





2023.9.19

100km ウォーク 完歩への道 その14

約ひと月後に迫った 100km ウォークのため、
8月29日から練習を再開した。
練習と言っても、ただ歩くだけやねんけど。

1回に最低 10km は歩くことにして、
昨日まで3週間で、10回、合計約 118km歩いた。
時間にして、約 25時間。

歩いていると分かる事は、全く同じ体調の日はなく、
腰だったり、膝の裏だったり、太ももだったり、
その日によって、違和感のある場所が違う。
生き物は、というか生き物に限らず万物は、
日々変化し続けているのだから、
そりゃそうだと 改めて諸行無常を知る。

100km を歩き切る自信はまだない。
歩くたびに感じる、腰や足の違和感が、
10km 20km なら大丈夫だけど
果たして 100km になった時にどの程度の
ダメージになるのか、全く想像がつかない。
身体に故障さえなければ、なんとか歩けると
思うのだけど、自分は精神の方も
そんなに強い方だとは、思えないので
そこも少し不安。
その不安を払拭するためのように、
歩いている面もある。
でも、まあ身体さえ持てば、完歩できるだろうと
多少楽観的に構えている。

春に歩き始めた当初は、靴のことでも
試行錯誤があったけど、今は靴は安定していて
足首から下が痛くなるようなことはなく、
今は問題はない。

この3週間の最長は、15km だけど、
そろそろ 20km 歩こうかと考えている。
本番までに一度は、30km も歩きたい。

あとはね、本番までに体重を落としたい。
あと5キロぐらい。
やっぱり、身体が重いとその分負担だと思う。
ぽっちゃりしたマラソンや競歩の選手がいないのは、
当たり前なのだけど、そういうスポーツをしていると
身体が細い、という仕組みを考えると、もう少し
体重は、落とした方が良いと思うんだ。

でも、困ったことに食欲あるんです。
この頃。





2023.9.21

得体の知れないストレス

ひと月ほど前から、歯の治療に通っている。
今日はその5回目で、治療していた歯に、
ジルコニアというセラミックの被せものを被せてもらった。
保険は利かなくて高かった(税込143,000円)けど、
これが一番良いらしい。
食べることが好きな私には、歯は重要だからね。
残りの人生のためにも張り込んだよ。

さて、歯科治療が好きな人はあんまりいないと思うけど、
私は何十回やっても、苦手だ。
口の中に何か器物を突っ込まれ、
何をされているのかよく分からない上に
あの歯を削るような機械音。
それで、歯科医が「あっ」とか「あれっ?」とか
言おうものなら、たちまち不安で仕方なくなる。
まあ、そんなこと言う先生は、
めったにいないけどね。(以前、いたけど。)

今回の先生は、優しくて、技術もありそうで、
信頼できるのだけど、あの口を開けている
状態が数分続くと、時々、軽いパニックに
なりそうなことがあって困る。
実際にはパニックになんてならないのだけど、
ごくまれに一旦中断してもらい、
うがいをして一息ついて、再開してもらうこともあった。

何も起きていないのに、歯の治療ぐらいで
パニックになりそうだなんて、
なんと脆弱なメンタルだろうと我ながら情けなく思う。

今日は、治療の前に歯科衛生士さんに
掃除(歯石を除去?)をしてもらうことになっていた。
いつも通り、掃除が始まって、1分ほどで、
手を上げて作業を止めた。
なんだか動悸が激しい。
いや、ドキドキ・バクバクするほどではないけど、
結構なストレスで、口を開けていることに耐えられなかった。
「すいません。今日は無理です。
出直しても良いですか?」
思わずそんな言葉が口をついて出た。
こんなことは初めてだ。

優し歯科衛生士さんは、
「いいですよ。無理しないでくださいね。
では、今日はお掃除はやめておきましょう。
先生が来るまで時間があるので、
ゆっくりしていてください」と言ってくれた。

数分、心を落ち着かせようと
この得体の知れないストレスを観察したが、
なんだか分からない。
今日は、治療もやめた方がいいんじゃないか、
と不安になって来た。

ひとつには、診察台の角度。
あれが、水平に近いほどストレスがかかるというのは、
すでに体験して知っている。
それと、目隠しのために眼の上にタオルを
置かれるのだが、それもストレスの原因になると感じた。

そのうち、落ち着いてきたので、
歯科衛生士さんに
「大丈夫です。再開してください」と頼んだ。
「タオルはかけないでください」と頼もうかと思ったら、
覗いた先生が「タオルはかけないで」と指示をした。
やはり、あのタオルがダメな人がいるんだなと思った。

ところが、再開してすぐ、
「今日はダメだ」と思い、再び中断した。

参った。
こんなことは初めてだ。
いったい自分の内で何が起こっているんだろうと
観てみるが、全く分からない。

そのうち先生がやってきた。
今日は「被せるだけなんですけどね」と言うので
もう一度 チャレンジしてみることにした。
チャレンジとは大げさだけど。

すると、今度は平気でいられた。
あれ?さっきまであんなに耐えられなかったのにと、
口を開けながら考えた。

それで、分かったんだけど、あのストレスの正体は、
たぶん、口を開けていることでもなく、
歯を触られていることでもなかった。
掃除の時に水を吸うホースを口に
引っかけるのだけど、それが唇にかけられている
時にあの耐えられない状態になるんじゃないかと思った。

もちろん今までも、あれがある時、
快適ではなかったけど、これほどのストレスに
感じたことはなかったんだけどね。
なんだか、弱っているのかしら。
今日だけのことならいいんだけど。

で、今日で奥歯の治療は完了したのだけど、
次回は、欠けている前歯の治療なんだ。
そのあとは、寝る時用のマウスピースを作る。
まだ、数回は通院しなきゃならないし、
半年に一度は、定期検診で
あの掃除のストレスに耐えなきゃいけないんだ。
考えると ちょっと憂鬱。





2023.10.2

100km ウォーク 完歩への道 その15
マインドのからくり


100キロ・ウォーク本番まで3週間を切った。
8月29日から練習を開始し、この5週間で
16回、合計 200キロ以上歩いた。
時間にして約45時間。
こういう数字が自分をとても力づけてくれるんだ。

今日は、20キロ歩いたのだが、今までで
一番調子が良かった。
30分の食休憩を含んで、4時間半。
身体のどこも痛くならず、歩き終えても
大した疲れを感じなかった。
ほとんど汗をかかなかったほど、温度と湿度が、
ウォーキングに最適だったこともあるだろうが、
5週間の練習の成果もあるんじゃないかと思う。

タイトルに「マインドのからくり」と書いたけど、
ウォーキングしていて、気が付いたことがある。

例えば「今日は10キロ歩こう」と思って歩いた
10キロと「今日は15キロ歩こう」と思って
歩いた10キロでは、疲れ方が違うんだ。
目標が10キロの日は、10キロ歩いたことで
マインドが満足というか達成してしまうんだろう。
でも、目標が15キロの日の10キロは、
まだ途中・通過点なので、全然終わっていないんだ。
だから当然、15キロの日は、10キロ時点で
マインドも満足するわけにもいかない。

これって「マインドの設定」じゃないか。
「10キロ歩く」というマインドの設定と
「15キロ歩く」というマインドの設定で、
同じ10キロを歩いても疲れ方が違うんじゃないか。
おそらく、心理学的にはこんなこと、
とっくに証明されていて「今さら何を」と
いう感じなのかも知れないけど、
自分の体験を通して気付くと、
書物で知るより、理解の深みが違う。

それで、思いついた。
「あ、そうか、ということは、
100キロ歩く本番当日、120キロ歩くつもりで
スタートすれば、良いんだ!」

しかし、すぐにこれはダメだと気が付いた。
そんなこと言ったって、マインド君は
「歩くのは100キロだ」と知っているから
だまされないよ。





2023.10.11

100km ウォーク 完歩への道 その16
250km 達成


いよいよ100キロ・ウォークの本番まで
あと10日となった。
8月の終わりから、練習を始めた。
本番までに 250キロ歩こうと目標を立てたのだが、
今日、10キロ歩いたので、250キロを達成した。
残り10日あるので あと50キロは歩いて、
合計 300キロ歩いて本番に臨みたい。

100キロ完歩のために、妥協はせず、
思いついたことは、全部やることにした。
まず、昨日から、断酒した。
本番まで11日間アルコールを摂取しない。
これは、腸の調子を整えるため。

もう行かなくて良いかな、と思っていた
整体にも行くことにした。
今日、行ってきたのだが、やはり身体を
ほぐしてもらうと違いが分かる。
今日の10キロは、かなり調子よく歩けたよ。
本番前日にも最終調整に行く予定だ。

あとは、残りの10日間、あまりがんばり過ぎず、
落ち着いて、故障のないよう練習を重ね、
当日を迎えよう。
気になるのは天気だけだね。
晴れてくれ〜!





2023.10.14

100km ウォーク 完歩への道 その17
3分の1歩いてみた


今日は、渡辺貞夫オーケストラの公演を
観に行く予定だったけど、昨日、
中止の発表があった。
ご本人の体調不良だ。
昨日、見たときには、来週のブルーノート
公演は、まだ中止になっていなかったけど、
今日、見てみると中止になっていた。
大丈夫だろうか、心配だ。

今日予定されていた公演は、
会場が宇都宮市文化会館だったので、
帰り道、埼玉の南与野駅で降りて、
歩いて帰ろうかとも思ってたんだ。
本番前に30キロを歩くなら、今日が、
最後の日だと思っていたので。
南与野駅からだと、自宅まで
30キロぐらいだから
ちょうど良いかなと思ったのだけど、
そうすると家に着くのが、
夜中の3時か4時になる。
時間のことは別にいいんだけど、
その頃には雨の予報が出ていたので、
どうしたもんかと、考えていたら、
貞夫さんの公演が中止になったんだ。

それで、早い時間(と言っても
午後3時半ごろだけど)に出発して、
二子玉川駅、溝の口駅、武蔵小杉駅、
大森駅などを経由して、33.4キロを歩いた。

6月の準備期間に 30キロは2回歩いたけど、
33.4キロは今までの最長距離。
100キロの3分の1だ。

途中、新丸子駅付近で食事休憩35分を
とって、トータルで7時間52分。
中々良いウォーキングだった。
20キロを超えたあたりからは、
脳内で何かが分泌されていたのだろうか、
いくらでも歩けるような気がしたよ。

天気予報よりも早く、
途中で雨が降り出すこと3回。
でも、本降りにならずに済んだ。

足も腰も特に問題なし。
これなら、100キロも歩けそうな気がする。
まあ、そんなに甘くはないやろけど。

歩きながら考えた。
100キロってことは、
=10万メートル
=1千万センチメートル
=1億ミリメートルですぜ。

本番まで あと6日。





2023.10.17

100km ウォーク 完歩への道 その18
季節を感じ愉しむ


100キロウォーク本番までいよいよあと4日。
今日は、15キロ歩いたよ。
だいぶん、涼しくなってきて、汗もかかないので、
歩くのには良い気候だ。

今回、歩き出したのは、8月の終わりだった。
以前、坂本龍一が「音楽なんて空気の振動
ですから、それは自然界にもあるものです」と
いうようなことを言っていたのを思い出して、
歩いている時に耳を澄ますと、
いくつかの虫の鳴き声に、時々、
風の音、風で草木が揺れる音が加わる。
遠くに走り去る車のエンジン音が聞こえる。
歩きながら、そんな風に聞こえてくる音を
楽団員に見立てて、指揮をしながら
歩いてみると、なんとも豊かな気分を味わえた。

つい先週ぐらいまでは、
公園など草木のある場所の近くを通ると、
様々な虫の鳴き声を聞くことが出来たけど
今日は、虫の鳴き声は聞こえてこなかった。
ああ、こんな風に季節が移り変わることを
実感できるんだと思った。
当たり前のことなのに普段は気付かない、
いや気付けないことに気付けて、
忘れていた何かを久しぶりに
見つけたような気がした。

秋の夜は、人を詩人にしよるのぅ。





2023.10.20

100km ウォーク 完歩への道 その19
ついに明日!


いよいよ100キロ ウォーク本番が
明日と迫ってきた。

この8週間で合計24日、約325キロ、
71時間を歩いたことと
春には心配していた腰の調子が
良くなったことは、大きな自信へと繋がった。
やれることはやったので、あとは歩くだけだ。

明日は、朝 7:45に神奈川県海老名市の
相模三川公園をスタートし、26時間以内に
東京は江東区の新豊洲Brilliaランニング
スタジアムにゴールする。
到着は明後日の朝ということだ。
時間をオーバーすると失格だ。
とにかくリタイアはしないで時間内に
歩ききることが目標なんだ。

100キロ歩ききった時にどんな景色が
見えるんだろう。
今から、楽しみだ。


東京エクストリームウォーク





2023.10.23

100km ウォーク 完歩への道 その20
完歩したぜ!(1)


100キロ 歩いた。
時間は、26時間31分。
26時間は切れなかったけど、
とにかく完歩した。

応援してくれた方、心配してくれた方、
ありがとうございました。
ビギナー部門(34キロ)に参加した友人の
K彦と、妻のサポートには特に力づけられました。
この場を借りて感謝を述べたい。
ありがとう。

元はと言えば、15年以上前に読んでいた
とあるブログで 100キロウォークのことを知った。
その方の 100キロ完歩した時の感想を読んで、
とても興味を持った覚えがあるんだ。
いつかチャレンジしたいな、とは思ったものの
本気でやろうと思ったことは、一度もなかった。

昨年から今年にかけて参加した、ある講座の
プロジェクトを何にしようかと迷っている時、
講師に「自分が淵に立つような、ギリギリの
プロジェクトが良い」と言われ、どういうわけか、
「100キロウォーク」が思い浮かんだ。
思い浮かんだ瞬間、「ヤバイ」と思った。
なぜなら、思い浮かんだ以上、やるしかないからだ。

昔読んだブログの主の感想を思い出そうとした。
それは、「100キロ歩ききった時にあったのは
達成感ではなく、●●●だった」というもの。
しかし、肝心のこの●●●が何だったか
どうしても思い出せなかった。

3月に東京の100キロウォーク、
「東京エクストリームウォーク100」に申し込んだ。
春の大会は、6月の3日4日に予定されていたが、
台風の影響で、当日中止になった。
その時は、万全の状態とは言えず、
不安があったので、正直、中止になったことで
ほっとしたことも否めない。
それで、もう一度 仕切り直して、
秋の大会に出場することにしたんだ。

この2ヶ月間で、準備のため 325キロ歩いた。
思いついたことは、全てやった。
「あれをやらなかったから完歩できなかったんだ」
「あれをやっておけばよかった」とあとで思うかも
知れない可能性を完全につぶすためだ。
11日間アルコールを断ち、胃腸の調子を整えた。
数日前から、刺身や寿司など生魚は控えた。
当日、腹具合が悪いなんて最悪だからな。
行かなくても良いかな、と思った整体にも行った。
おかげで「これだけやったんだから、完歩できる」
という気持ちになれた。

10月20日夜、海老名の駅前のビジネスホテルに
チェックインした。
自宅から行っても、スタート時間に間にあうのだが、
少しでも睡眠時間を確保するために
ホテルを予約したんだ。
いかにも100キロウォークの参加者だと思われる
人たちが何人も泊まっていたよ。
眠りについたのは、22:30ぐらいだった。

21日、6時に起床
神奈川県立相模三川公園がスタート地点。



1,000人以上の人が歩くので、混雑を
避けるために 3分おきに50人ずつスタート。
最初のグループは、7時30分スタートの
予定だったが、10分ほど早まってスタートした。
私のスタートは、7時44分だった。

スタート前の私


(続く)





2023.10.24

100km ウォーク 完歩への道 その21
完歩したぜ!(2)


コースは、神奈川県立相模三川公園を
スタートし、平塚まで南下。
江の島まで海沿いを歩き、北東、横浜方面へ。
横浜から第一京浜を東京へ向いて北東へ。
品川、銀座、築地を通って、
新豊洲 Brillia ランニングスタジアムがゴールだ。



歩き出した時に考えていたのは、
完歩したら、その報告を誰と誰に
LINE を送ろうかとか、どんな文面で送ろうか
というようなことで、歩けるだろうか、
という不安は全くなかった。
完全に「完歩する前提」で歩いている自分に
気が付き、自分に自分が力づけられた。
達成からスタートというやつだな。

今まで練習で歩いた最長が 33.4キロ。
それ以上は未知の世界だった。
40キロ、50キロぐらいまでは、
30キロの延長のような感じで、
想定内とも言えた。

しかし、70キロを超えると別次元だった。
まず、足(足首から下、特に足の裏)が痛い。
ふくらはぎや太もも、お尻の筋肉にも
疲れは出始めていたけど、それほどきつくはなかった。
しかし、足首から下の痛みは初体験のものだった。

80キロを超えるとまた違う世界に入った。
歩いていてリズムに乗るとそれほどでも
ないのだけど、一度休むと、
次に歩き出す時にもの凄くエネルギーを使う。
リズムに乗るまで、数百歩歩かなければ
ならない感じだった。

70キロから80キロ前後というと横浜市内を
通過中で、朝の3時から5時ぐらい。
私は、幸い一度も眠気に襲われずに
済んだが、道端でしゃがみこんで仮眠をとる
参加者を何人か見かけた。
寒さも心配するほどではなかった。
朝5時ぐらいは、12度ぐらいだったが、
歩いていればさほど寒くはない。

また、これぐらいの距離になると、明らかに
身体のどこかに支障をきたしたと思われる
歩き方をしている人を何人か見た。
その人たちは、もうゆっくりしか歩けない
状態なので、私は追い越していくことになる。
みんな完歩できたのだろうか。

確か 80キロ台だったと思うけど、
私の速度が落ちてきていたんだろう、
結構、抜かれたんだ。
これではいけないと思い、
8人ほどのあるグループから
遅れないように付いて行った。
いわゆるペースメーカー的な人がいると
歩きやすいことがよく分かった。
このグループには、たぶん30分ぐらいは
付いて歩いたと思う。
そのうちトイレ休憩でコンビニに入ったりで、
自然に離れ離れになった。

一度もリタイアしたいとか思ったことは
なかったのだけど、80キロあたりで、
弱虫な自分が顔を出してきた。
「もうあかん、足痛い、いやや」
その時、思った。
これ、何かに似てる。
何かは思い出せなかったけど、
大体、いつも途中でイヤになるんだな。
そんな弱い自分が出てきたところで、
やめるわけにはいかないんだ。
「この足の痛さを受け入れてみよう」とか
「足の痛みを抵抗せずに感じてみよう」とか
色々やってみるけど、一向にそこから
抜けられない。
で、思いついたのは、数を数えること。

「い・い・ち・い、に・い・い・い、さ・あ・ん・ん」
という風に4歩でひとつの数字を数えた。
「ひゃく・にじゅ・い・ち、ひゃく・にじゅ・に・い」
「せん・にひゃく・さんじゅ・さん、
せん・にひゃく・さんじゅ・し」てな感じで。
これはとても有効で、何も考えずただ数を
数え続けることで、足の痛さに注意がいかず、
問題にならずに歩けるのだった。

7時50分ごろ、京急北品川駅を過ぎた。
7時55分に品川駅近くの八山橋に
「90.1km地点 ゴールまで約10キロ」という
案内を持ったスタッフが立っていた。



80キロあたりでは、26時間を切るのは
難しいな、無理やなと思い始めていた私だが、
「ゴールまで約10キロ」という案内を見て
突然「間に合うかも!」と思った。
私のスタートは、7時44分。
9時44分までにゴールすれば26時間以内だ。
日が昇り暑くなって来ると思ったので、
そこでウインドブレーカー、長袖Tシャツを
脱いで、半袖になった。
そうこうしている間に信号待ちもあり
5分ほど経過。
あと、115分で10キロ。
時速6キロで歩けば間に合う。
時速6キロは かなり早い。
練習時に調子が良くても時速6キロで
10キロを歩けたことなどない。
しかし、何かに火が付いた私は、
それまでには考えられないスピードで歩き出した。
あとで考えると時速6キロもなかったと思うんだけど、
とにかく、また、数を数えながら。
自分でもこんな気力と体力がどこに
残っていたのかと思うほどスピードだった。
「行ける、これなら行ける!」と思った。


(続く)





2023.10.25

100km ウォーク 完歩への道 その22
完歩したぜ!(3)


実際には、とても時速6キロでは
歩けていなかったんだと思うけど、
何人も何十人も抜いていると、
その気になって、イケると勘違いするんだな。
あの大通りの信号の長いことが
こんなにもヤキモキしたことはないよ。
こっちは、1分2分を競っているのに。

銀座4丁目の交差点で、
「あと4キロ」との案内があった。
その時点で、確か9時15分ぐらいだった。
それまで「行ける!」と思って調子よく
歩いていたのに「えっ?あと30分で
4キロ?無理やん!」と思ってしまった。
それでも、なんとか1分でも早くと
思い歩き続けたのだが、勝どき橋の手前で
「橋を超えてから2キロ」と言われ、
ついに心が折れた。
9時30分だった。
「橋を超えてから2キロ」って、
勝どき橋だけでも数百メートルあるのが
見た目で分かったんだ。
いや、例え残り2キロだとしても
15分では無理だ。

とうとう「心が折れた」
違う表現をするなら
「マインドがギブアップした」だし
「(26時間で歩くんだという)意図が切れた」

するとどうだ。
途端にまるで忘れていたことを
思い出したかのように足の痛みが、襲ってきた。
もう、スピードは、急速に落ち、
この8キロの間に抜いた何人もの人が
今度は、私を追い抜いていった。
もう歩けないほど、足が、足の裏が、痛い。

結局、あの勝どき橋の手前から
ゴールまでは、2.7キロぐらいだったのだが、
それに45分ほどかかって、ゴールした。

記録は、26時間31分。
申込み要項には「制限時間26時間」と
書いてあったけど、別に26時間を過ぎても
失格ではなく、完歩した証明を発行してくれた。



それにしても、これほど分かりやすく、
マインドが身体に影響があることを
体験したのは初めてだった。
あそこで心が折れなかったら、
もっと早くにゴールしていたのは間違いない。
ダメだと思った途端、ウソのように
痛みがやってきたんだ。

事務局の発表によると、
私が歩いた「WESTコース100km部門」は、
参加者数1,340名、ゴール者数1,135名で
84.7%の完歩率。
以前 70%ぐらいと何かで読んだ覚えが
あったので、かなりの高割合ではないだろうか。

同時に千葉スタートの「EASTコース100km部門」
というのもあったのだが、そちらは
参加者数378名、ゴール者数296名(78.3%)。
34キロのビギナーズ部門は、
参加者数717名、ゴール者数690名(96.2%)。
(いずれも速報値)


(続く)





2023.10.26

100km ウォーク 完歩への道 その23
完歩したぜ!(4)


「完歩したぜ!(1)」に、
15年以上前に読んでいた
とあるブログに書かれていた、
100キロウォーク完歩後の感想を
思い出せなかった、と書いた。

最後の3キロ弱をトボトボというか、
チビチビというか、ヨロヨロ歩きながら考えた。
あの「100キロ歩ききった時にあるのは
達成感ではなく、●●●だった」の
●●●は何だったんだろう、と。
その時の私の心境は、
「もう歩きたくない!」だった。
いや、それではないな、と思いながら
ゴールしてやっと「●●●」を思い出した。

「100キロ歩ききった時にあるのは
達成感ではなく、
『もう歩かなくていい』だった」んだ。

あのブログを読んだときの私は、
きっと「やったぁー100キロ歩いたぞ!」という
達成感こそが、完歩した時の心境だと
思っていたのだが、「もう歩かなくていい」と
思うなんて、どんな世界だろうと
想像が付かなかったんだな。
華やかな印象の達成感に比べると
ゴールした時の気持ちが「もう歩かなくていい」
なんて、なんとも地味で意外だったし。

確かに私もゴールした時、「やったぁ!」
「ゴールしたぁ!」という達成や感動よりも、
「おわったぁ」「もう歩かんでいい」「もう歩きたない」
それが口から出てくる言葉だった。

ゴールの瞬間


妻は、ゴールで私を迎えてくれたのだが、
私がゴールするまでの数十分間、
次々とゴールする人を何人も見ていたそうだが、
「やったぁー!ゴールだぁ!」というような感じで
ゴールする人はほとんどいなくて、皆一様に疲れていて
「もう歩かなくていい」とか「二度とやらない」とか
言いながらゴールする人もいたらしい。
私も笑顔でゴールする心境ではなかったけど、
迎えてくれるスタッフの方々が明るく
ハイテンションなので、あまり無愛想にするのも
憚られ、無理に完歩の喜びを表現しなくちゃ、
と思ったほどだった。

完歩のあと、何人もの方に「すごい」という
言葉を頂いたのだけど、歩いてみると
自分では、別にすごくはないんだな。
足が痛いだけで。
なんだか、煙草をやめたいのに
中々やめられなかった頃、
「煙草やめたらすごいな」と思っていたのに
実際に禁煙に成功したら、
ただ煙草を吸わなくなった、以前と同じ
すごくない自分がそこにいただけだった、
というのに似ているんだ。
100キロ歩いても、100キロ歩いた自分が
いるだけで、歩く前の自分とは
変わらないことは知っていた。

本番の10日ほど前、100キロウォークの
参加者対象のオンライン・イベントがあって、
そこでアシックスの人が、「チャレンジしようと
思ったことがすごいんです」と言っていた。

これは歩いてみてから思ったことだけど、
もし、すごいことがあるとしたなら、それは
「歩いたこと」ではなく、アシックスの人が
言っていたように「100キロウォークに
チャレンジしてみようと思った」ことだと思った。
そう考えると、みんなが「すごい」と
言ってくれることも腑に落ちるんだ。
「100キロ完歩」は結果だけど、
その前に「100キロ歩こう」と決めなければ
その結果はないわけで、やっぱり 歩いたことより、
決めたことの方がすごいような気がするんだな。

そして、あの講座のプロジェクトがなかったら、
チャレンジしていないわけで、
100キロウォークを知って、15年以上経って
ようやくチャレンジしたということについては、
「全ての業(わざ)には時がある」という
聖書の言葉に頷くのだった。

実際に歩いてみて思ったことは、
6月の大会が中止にならずに実施され
参加していたとしてもおそらく
リタイアしていただろう、ということ。
もう、今回とは心構えが全然違う。
あの時は、腰に不安があり、本番前に十分な
練習も出来ず、100キロ持つだろうか、という
弱気な自分だった。
きっと、途中で腰痛でダメになっただろうし、
それが原因で、もっと腰を痛めたかも知れない。
だから、6月の中止は、本当に良かったと
今となっては思う。

中止が決定した当日、6月3日の
エントリーを読み返すと
「改めて 100キロ・ウォークに挑戦するつもりだ」
「今回のような不安のないコンディションで
臨みたい」と書いているが、その通りになったわけだ。

子供の頃、体育の授業ぐらいしか
運動をしたことがなく、大人になってからも
運動とは縁のない生活をして61年。
体力もなく、根性もない私でも完歩できたのは、
準備もあったけど、これまた「僥倖」だなと思う。
6月の大会に出るために練習したことも
今回の準備に十分生かされたし、
100キロ歩いても、マメのひとつも出来なかったんだもの。
それに驚いたことに、歩き終えた翌日も翌々日も
全く筋肉痛がなかった。
歩き終えたときは、太もももふくらはぎも
ガクガクする感じで、明日絶対筋肉痛やな、と
思ったんだけど。
何が良かったんだろうか。
毎日リンゴ酢を飲んでいることかも知れないし、
途中で infinity Balance のマルチパワーテープを
太ももやふくらはぎに貼ったことかも知れないし、
お尻が痛くなってきた時にバンテリンを
貼ったことかも知れないし、
LIFEWAVE のパッチを貼って歩いたので、
それが良かったのかも知れない。
あるいは、100キロでは筋肉痛にならないほど
鍛えられていたのかも知れない。(それはない)
とにかくあらゆることが良い方向に働いての
完歩だったと思えてならない。

ところで、100キロって何歩ぐらいなんだろうかと
スマホに入れている万歩計を見てみると、
10月21日が、94,824歩。
22日が、55,664歩で2日間で 16万歩も
歩いていたよ。





グラフは、5万歩までしかないやん!

(続く)





2023.10.27

100km ウォーク 完歩への道 その24
完歩したぜ!(5 番外編)


1,000人以上も参加していると、
色んな人を見かけたよ。

サンダルで歩いていた人(男性)をふたり。
ふたりとも割と前半に私を追い抜いて行った。
ひとりは、かかとに紐があるタイプだったけど、
もう一人は、ビーチサンダルのようなサンダル。
サンダルで100キロ歩くことに
チャレンジしたのかなぁ。
あのふたりは、完歩したのかなぁ。

ワイシャツで歩くおじさん。
土曜日は、良い天気で結構暑かった。
ワイシャツの下にアンダーシャツは、
着ていないようで、汗でべったりと
ワイシャツが身体に引っ付いていたよ。

スタート早々、そんな歩き方で、
100キロ持つの?というような歩き方の人を
数人見たけど、70キロ、80キロの時点でも、
その歩き方で歩いていた人もいた。
大体、そういうのは若い人だった。
若さは、やっぱり偉大だなと思う。

後半、手をつなぐ夫婦らしきカップルを
何組か見た。
もう手をつないでないと歩けなんだろうな。

立ったまま壁にもたれて寝ている人を見た。
まさか、本当には眠っていないだろうけど、
体験談で「歩きながら寝れると知った」
なんていうのも読んだことあるから
どうだか分からないな。

スタートして、20〜30分ぐらいかな。
ゼッケンを付けていない男性2人組が
どうやら、ビギナーズ部門の参加者らしく、
この群れに付いて歩いていれば、
スタート地点に行けると勘違いしていたことに
気付いた様子。
(ビギナーズ部門はスタート時間が遅い。)
焦っただろうな。
だいぶん、遠くまで来てたよ。

以前読んだ体験談に「マメができる」とか
「爪が割れる(はがれる)」というのがあった。
マメは分かるけど、爪が割れるって
どんなんだろうと思っていた。
実際に途中のチェックポイントの救護の
テントから「爪が割れたんです」という声が
聞こえてきたよ。
ひぇ〜。

カメラを持っていたら、写真を撮りたいなぁ
という場面が何度もあったね。
特に茅ケ崎、湘南ね。
写真撮りに行こう。

100キロ歩いた靴、New Balance MW880。



春の練習から入れるとこの靴で
合計500キロぐらい歩いた。

記録魔の私は、途中、トイレ休憩したりする時、
全部、メモ帳に何分留まっていたかを記録してた。
それを合計すると290分あった。
タイムは、26時間31分の記録だけど、
そのうち4時間50分は、休憩で歩いていない
時間なんだ。
100キロを26時間31分だと時速3,771メートルだけど、
休憩時間を除くと時速4,612メートルで、
悪くないスピードだと思う。
ただ、100キロというけれど、多少誤差は
あるだろうから、本当に100キロなのか分からないね。

ゼッケン


「完歩したぜ!(2)」で、
「それまでには考えられないスピードで歩き出した。
あとで考えると時速6キロもなかったと思うんだけど、
とにかく、また、数を数えながら」と書いた。
その数は、3千を超えていたよ。
数字ひとつで4歩 歩いていたから、
1万2千歩以上数えていたことになるな。

最後に。
100キロ歩いてみて得たこと。
一番は、「100キロ歩ける」ということ。
なんだか「?」な感じだが。

100キロ完歩した人が大勢いるのは、
知っていたけど、自分が歩けるかどうかは
歩いてみるまで、分からなかったわけだ。
しかし、やってみたら、私でも歩けた。
出来ると思っていたことが出来るのは、
当たり前でそれはたぶんチャレンジとは
言わないだろう。
出来るかどうか分からないからこそ、
チャレンジ=挑戦 というわけだ。
そういう意味で「100キロ歩けた」ことは、
貴重な体験だった。
これは、今後の人生に影響があるだろうと思う。

60歳を過ぎて、年にひとつ何かに
チャレンジしようと決めた。
少なくとも70歳まで11年間はやりたい。
そのためには健康でいなきゃね。

で、(そんなつもりではなかったけど)
60歳で、初の写真展開催。
61歳で、100キロウォーク完歩。
さて、62歳は何をやろうかね。
って、すでに考えていることはあるんだけど、
本気でコミットしたら発表するよ。



100km ウォーク 完歩への道
Fine(フィーネ)





2023.10.28

我が母校、我が校歌

高校の入学式、15歳の時に初めて聞いた
私の母校の校歌は、「変な曲」だった。
メロディが変、リズムが変、
覚えにくい、唄いにくい曲だった。
それから、在学中はもちろん、
同窓会に参加するたびに、
その校歌を唄ってきたわけだが、
今日の昼過ぎまで、一度も良い曲だと
思ったことはなく、一貫してその曲は、
私にとって「変な曲」でしかなかった。

今日は、その高校の卒業生で構成される
「清友会」の東京支部の総会だった。
今日のメインは、卒業生である高山博さんの講演。
高山さんは、私より4年先輩にあたる。
作編曲家であり、文筆家でもあり、
ビートルズに関する著書などを出されている。
2015年には、高校時代に故菅沼孝三氏らと
組んでいたバンド、“CHARISMA(カリスマ)"という
プログレ・バンドのアルバム『邂逅(かいこう)』を
リリースされている。
最新刊は、昨年出版された『ビートルズ 創造の多面体』。
できれば、今日ご本人にお会いする前に
その本を読み終えていたかったのだが、
全然間に合わず、途中までしか読めていない。
途中まででも読んで分かることは、
高山さんの音楽的な背景の奥深さだった。

そんな高山さんが、あの「変な」校歌について
語ってくれるというので、楽しみにしていた。

講演の時に少しキーボードを弾きながら
話すというので、開場前の準備から
手伝わせて頂き、準備をしながらも、
興味深い話の連発だった。

以下、準備中に聞いた話と本番の講演で
聞いた話と混ざってのレポートだ。

私は今日までその校歌を誰が作曲したかに
全く注意を払っていなかった。
作詞は、崎山徹(本校の先生だった人らしい)。
作曲は、池内友次郎(1906ー1991)。

私は、池内友次郎のことを全く知らなかったが、
高山さんの話によると、クラシック音楽を
演っている人なら知らない人はいない、
というほどの人。
高浜虚子(俳人)の次男で、
日本人で初めてパリの国立音楽学院に
留学した人。
あの坂本龍一も池内友次郎の教科書で
作曲を学んでいるという。
なぜ、そんな人が我が母校の校歌を
作曲することになったのかは、分からないが。

母校は、開校120年以上の歴史を持つ。
1900年に高等女学校として開校し、
戦後、1948年に共学の高校になった。
件の校歌はその時に作曲されたもののようだ。

そして、池内友次郎について、検索して驚いた。
ウィキペディアによると、「1958年、相愛女子大学
音楽学部作曲科主任となる」と書いてあったのだ。
私の父は、相愛女子大学に勤めていた。
そこで事務をやり、相愛オーケストラの事務もしていた。
おそらく、父が相愛に勤め出したのは、
1960年代に入ってからだったと思うのだが、
もしかしたら、池内友次郎と父は
会っているかもしれないんだ。

そして、高山さんの校歌の解説を聴くうちに、
「変な校歌」の素晴らしさと凄さが分かってきた。

校歌は、混声四部合唱で書かれているのだが、
それを高山さんが、ピアノ(伴奏)と
弦楽四重奏で打ち込んで来たものを
講演の途中で流された。
それを聴いて、何と美しい曲なんだ、と
初めて思ったのだった。
そのあと、参加者全員で合唱した時には、
泣きそうになるほど感動してしまった。

楽曲の素晴らしさが分かったと同時に、
解説が素晴らしいと、ここまで違って
聴こえるものなのか、ということにも
感動を覚えたのだった。

もうひとつ 驚いたこと。
その「清友会」支部総会で、恒例に
なっている『きょうの日はさようなら』も
みんなで唄ったのだけど、驚いたことに
3番まで歌詞を見ずに唄えたよ。


「変な」素晴らしい校歌を聴いておくれ。
清水谷高等学校校歌


[ 参考エントリー ]
2022.12.29 邂 逅





2023.10.29

一週間ぶりのウォークとフェンダー

100キロウォークから、あっという間に
1週間が過ぎた。
ウォーキングに関して、いくつかの情報を得たが、
歩くことは身体にも心にも良いようだ。
何よりもこれから年老いていく上で、
認知症の予防にもなるらしい。
どうせ生きるなら、心も身体もまともで
いたいので、ウォーキングは続けていきたい。

で、今日、1週間ぶりに少し歩いた。
新宿に出かける用事があったので、
新宿から歩いて帰って来たんだ。
ちょうど9キロぐらい。
9キロを「少し」と書いている自分に驚く。
100キロウォークに挑戦する前なら、
9キロは「少し」などでは けっしてなく、
「ええー9キロも歩くのー?」と思っただろう。
面白いな、と思う。
人間、基準が変われば気持ちも変わるんだ。
そして、基準は自分しだいで「変えられる」んだ。

明治通りを歩いていると、ちょっと前に原宿に
オープンしたフェンタ゛ーの旗艦店
「FENDER FLAGSHIP TOKYO」の前に出た。
もちろん、そこがオープンしたことは、
知っていたけど近づくと危険(?)なので、
近づかないようにしていたんだ。
でも、せっかくなので覗いてみることに。



ギターを販売しているのだけど、
楽器店というよりは、リアルな
カタログのような印象だった。



展示されている楽器は、全て試奏させて
もらえるということなので、それは良いと思う。
ただ、今や試奏もヘッドフォンなんだな。
確かに楽器店で、試奏する時、
隣りのアンプで試奏しているのヤツが
うるさ過ぎるということは、楽器店あるあるだから、
ヘッドフォンならその心配はない。
でも、なんだかロックからは、どんどん
遠ざかっているようにも思えて微妙な心境だ。



たくさんのアーティストとフェンダーの写真が
展示されているのも嬉しい。



マイケル・ランドウ(これは最近だな)



肩こってんねんポーズのエリック・クラプトン
(これは70年代だろう)



店内には、カフェもあり、フェンダー好きには
たまらない空間だと思うけど、
あまりに贅沢な作りに、何年持つか
心配になったよ。
大きなお世話だけど。

ギターは買わなかったけど、
世界中でここでしか売っていない
オンライン販売もしていない、
しかも国産品と言われ、
購買意欲をそそられた私は、
ハット(帽子)を購入。
ええ、ええ、そうです、単純です。







2023.11.19

Conhecendo um Brasileiro
ブラジル人との出会い


11月2日から7日まで4泊6日で
アメリカに行ってきた。
38年ぶりにニューヨークとメンフィスを訪れたんだ。
忘れないうちにそのレポートを書きたいと思いながら、
あっという間に10日が過ぎた。
今日もアメリカのレポートではないのだけど。

帰路は、メンフィスからダラスまで国内線で飛び、
ダラスで羽田行きに乗り換えたのだけど、
ダラスの空港で、同じ JAL に乗る外国人に
声をかけられた。
彼ら(夫婦)は、ブラジル人。
日本が大好きで、彼の方は5回目の
来日だという。
3年前から日本語を勉強しているらしいが、
ひらがなやカタカナは読めるという。

LINE を交換し、滞在中に一度会いましょうと
いうことになり、先日、会ってきたよ。
ブラジル人と話すのは、彼らが初めてだったと思う。
ブラジルは、ポルトガル語。
ポルトガル語なんて「こんにちは」も
「ありがとう」も知らない。
ご主人の方は、英語も話せるみたいなのだけど、
私の英語力が心もとない。
そんな言葉の問題があるので、どうなるかなと
思っていたけど、スマホにインストールできる、
無料の翻訳アプリのおかげで、ずい分と
色々話すことが出来たよ。
ホントに便利な時代になった。

彼らと会うので、慌てて翻訳アプリを入れたのだけど、
こんなことならアメリカでもアプリを使えば、
もっとスムーズだったのにと思った。
アメリカでは、自力の英語でなんとかなると
思っていたんだけど、ホテルでもレストランでも、
全く話にならなかった。

ブラジル人夫婦に話を戻そう。
彼は、エンジニアでコンサルティングもしているよう。
ブラジルの地下鉄の工事などに関わっているようだ。
名刺をもらったので、調べてみると、
よく分からないけど、なんだかプロフェッショナル。
元々は、日本の企業のマネージメントを学ぶために
日本に興味を持ち、日本を好きになったらしい。
奥さんは、精神科医でアーティスト!
特殊な画材で書いた絵の写真を見せてもらった。
ここに紹介したくて、ネットで探したけど見つからないんだ。

住んでいるのは、サンタカタリーナ州ジョインビレ。
リオデジャネイロ や サンパウロ からさらに
南に下った美しい街だ。
「ブラジルは、怖いイメージがある」と伝えたら、
「ジョインビレはとても安全だ」と言っていた。
「海の見えるアパートを持っている。
そこを使ってい良いから、
ブラジルに遊びにおいで」に言われたよ。

そんな色んな話の中で、一番驚いたのは、
音楽の話をしていた時、「楽器は弾かないの?」
と訊かれた時のこと。
「ギターを弾くよ。YouTube チャンネルが
あるから観てみて」と私のチャンネルの
QR コードを示した。
それを読み込んで、私のチェンネルを観た
彼の顔色が変わった。
(なんかめちゃくちゃ驚いてるなぁ、
そんなに意外だったのかなぁ)と思う私に
彼はこう言った。

「このチャンネルは、すでに登録している」

私のチャンネルの登録者数は、たがが290人ほど。
もちろん外国の人もいるのは知っているけど、
チャンネル登録してくれていた人と、
偶然ダラスの空港で出会うでしょうか?
その人と連絡先を交換して、日本で再会するでしょうか?
これには、ちょっとビビったね。

私の YouTube、ブラジルで友人に広めてくれるらしいから、
がんばって新しい曲もアップしなきゃ。


世界中で行ってみたい国が3つあって、
キューバとスペインとアルゼンチンなのだけど、
キューバは2018年に実現した。
あとは、スペインとアルゼンチンだ。
もし、ブラジル行きが実現したら、
アルゼンチンも行きたいなぁ。


タイトルの「Conhecendo um Brasileiro」は、
ポルトガル語で「ブラジル人との出会い」。

ポルトガル語の「ありがとう」は、
「オブリガード(obrigado)」。
音楽用語の「オブリガート(obbligato)」
(イタリア語)に似ている。
ブラジル人の彼に「似ている」と言ったら、
「同じだよ」と言っていた。
(彼はイタリア語も話す。)
音楽用語の「オブリガート」は、メロディ(主旋律)を
引き立たせるための別のメロディ(副旋律)のことだが、
調べてみると、イタリア語の「オブリガート」には
「感謝」の意味もあるようだ。
スペルが微妙に違うものの、
イタリア語の「オブリガート」と
ポルトガル語の「オブリガード」は、
同じ語源なんだろうな。
そうすると、主旋律(メロディ)に対して、
副旋律が感謝を表現しているということになり、
そんなところにも音楽の秘密が隠れているのか
と思ったのでした。





2023.11.19

お尻が痛い

昨年4月新型コロナウイルスに感染した時、
感染5日目あたりから数日間、
夜眠れないほどお尻の辺りに痛みがあった。
その時は、坐骨神経痛だと勘違いしていたが、
そうではなかったようで、5日間ほどで
痛みは治まった。

10日ほど前から風邪を引いている。
症状が違うのでコロナではないと思うが。

最初に症状を感じたのは、11月10日。
7日にアメリカから帰国して、疲れていた上に
10日は、2時間ほどの睡眠で滋賀に
日帰りの用があった。
その日、ちょっと調子が悪いなと思ったのが始まり。

翌日11日土曜日は、一日家でゆっくりしたけど、
その次の日(11/12)は、銀座から(9キロぐらい)
歩いて帰るぐらい元気があった。
月曜日(11/13)の夕方に熱があるなと
感じたので、夜の予定をキャンセルして帰宅。
熱は、37℃を少し超えたぐらいで大したことはないが、
身体はしんどい。
翌11/14は、仕事を休んで一日中寝ていた。

咳もほとんどなく、鼻水も大したことはない。
でも、風邪だろうと思う。
金曜日の夜にまた熱が出た。(37.3℃)

今日は、大阪に母の米寿の祝いに行く予定だったが、
いくらなんでも、風邪を引いているのに
高齢の母と癌患者の姉に会うわけには
いかないのでキャンセルした。
そういえば、昨年のコロナの時も大阪行きを
延期したな。
普段こんなことないんだけどね。

で、お尻が痛いんだ。
お尻の筋肉。
痛いというか、だるいというか、
正確に表現できないんだけど。
2、3日前からどんどん痛くなって行って、
今日の昼間がピークだった。
あのコロナの時、坐骨神経痛と勘違いした
やつと似ている。一緒かも知れない。
お尻の筋肉が痛くて寝ていられない。
座っていたり立っているとマシなんだけど、
寝ると痛いんだ。
バンテリンを貼ったら、少し楽になったけど。

なんだろうね、これは。
「風邪 お尻 痛い」とか検索しても
それらしきことは、ヒットしない。
私だけの症状かな。

風邪をひくと関節が痛かったり、だるかったり
することはあったけど、お尻は新しいよな。

先々週の金曜日(11/10)を引き始めだと
すると今日で10日目だから、そろそろ
回復期に入ると思いたい。


(2023.11.20 追記)
今回の風邪のことで記録のため、
昨日書かなかったことを書き加えておく。

風邪だと感じ始めた、10日の夜からだったか
翌11日からだったか不明確だが、家にあった
風邪薬(「パブロンエースPro」だったと思う)を服用した。
たぶん、2〜3日にわたり、6〜7回。
飲むと風邪の症状がましになったような気がした。
だから、12日は銀座から歩いて帰る気に
なったんだと思う。
しかし、その薬が合わなかったのか、
13日あたりから、ふくらはぎ、ふともも、
腹、背中に発疹が出てきた。
いつもではないが、こいつが痒い。

痒みは、4〜5日続いた。
今は、痒みは収まったけど、発疹のあとは
まだブツブツに残っている。
そういえば、以前にも似たようなことが
あったが、薬が何だったか覚えていない。
風邪薬が合わなかったのか、
単に身体が弱っていたのか、分からないが、
薬のほかに心当たりもない。
合わなかった薬は、ちゃんと記録しておく
必要があるね。

お尻の痛さは、昨夜寝る頃には、
ほとんど気にならない程度になり、
湿布も貼らなくて済んだ。
なんだったんだろうな。





2023.11.26

たまには良いことがある

1年に1回か2回、宅配ピザを食べたくなる。
もっと美味しい所があるかも知れない、
と、いくつかのお店を試したけど、
意外と、美味しくない店もあって
結局、ピザーラに戻ってしまう。
まあ、どこまで行っても、宅配ピザは
宅配ピザの味で、美味いピザを食いたければ、
美味いピッツェリアに行って食うのが
一番だけどね。

昨日は、出かける気がしなくて、
家でゆっくり ワインでも飲もうと思い、
ネットでピザ(ピザーラ)を注文したんだ。
商品を選んで、最後のお買い上げボタンを
押した後、何やら抽選が始まり、
数秒後に「当たり!」と表示された。



何のことかと思うと、
「ピザーラ感謝祭 100人に1人無料!」
という抽選に当たったようなのだ。
ホンマかいな、と思っていると、ちゃんと
「当選おめでとうございます」という
メールも届いた。
で、代金、2,138円が無料になった。

あまり、くじ運は強い方ではないと、
自分では思っているのだけど、
たまにはこういうこともあるんだな。
こんなことなら、もっと頼めばよかった、
と思うのは、品のない証拠だ。

そういえば、25年ぐらい前、ビックカメラの
実店舗で、会計時にやはり
「100人にひとり無料」というのをやっていた。
それをやっていた期間に私も数回、
買い物をしたけど、もちろん当たったことなど
なかったんだけど、当時の知り合いが、
渋谷のビックカメラで、PCを買ったときに
当たったんだ。
総額20万円以上だったと思う。
無料になるのは、乾電池一個であろうと、
10万円、20万円する家電であろうと、
おそらく機械的に選ばれているのであって、関係ない。
でも、お店としては、あまり高額の時に
あたりが出るのは、望ましくなかっただろう。
その人が、PCを無料で入手してしばらくしたら、
ビックカメラの「100人にひとり無料」は、
「最高10万円まで」にルールが、変更されたよ。
ほかにも、高額買い物時に当たった人が
いたんだろうな。







 ひとりごと