2023年8月
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2023.8.3
見えないボクと盲導犬アンジーの
目もあてられない日々
原作/栗山龍太, 文/栗山ファミリー, 企画構成・イラスト/エイイチ
栗山龍太とは、2007年の Raul Midon の
コンサートの帰り道に出会った。
その日のエントリーが これ。
ホントに不思議な出会いだった。
それから、彼と食事をしたり家に遊びに行ったり、
(彼はシンガーソングライターでもあるので)
ライヴに参加させてもらったりしていたが、
この数年は、会っていなかった。
先日、久しぶりに電話があった。
「本が出ました」というので、
早速、買って読んでみた。
(Amazon 売れ筋ランキング、
本/社会保障部門で1位!)
初めて彼に会った日、彼はパームという
盲導犬と一緒だった。
私は、盲導犬なんて、接したことがなかったから、
その賢さにビックリしたことをこの本を読んで思い出した。
本書では、現在の彼の盲導犬である
アンジーが半分主役のように書かれているが、
パームのあとの盲導犬ダイアンの話は、泣いてしまう。
もちろんそのダイアンにも会ったことがある。
視覚障害者のあるあるをユーモラスに
語ることで、障害者への理解を深めると同時に
将来、障害を持った時の心の保険になればという
目的もあるようだが、それらと同時に
社会への問題提起も含まれている。
例えば、ファミレスや回転寿司で増えた、
タッチパネルによる注文方式。
考えたこともなかったのだけど、
あれって目が見えない人には、
注文できないんだ。
便利なようで、全く不便なんだな。
なんだか時代はどこに向かっているのか、
普段、何も考えていない自分に気付かされた。
視覚障害についても、彼と会っている時は、
色々気付かされるけど、普段は考えつかない。
「笑いを通して目の見える人と
見えない人の理解を深まれば」という言葉が
あったが、その意図は達成していると思う。
★★★★▲
2023.8.4
60歳のある日に思うこと その3
昨夜、深夜にテレビをつけたら
石崎ひゅーいというシンガーソングライターが、
出演しており、『虹』という曲を唄うのを聴いた。
ちなみに「ひゅーい」は本名らしい。
何かの書類に名前を書くときに「ひゅーい」と
書くと、「本名を書いてください」と
数回言われたことがあると言っていた。
それはさておき、『虹』は、彼が菅田将暉に
提供した楽曲らしい。
その曲を聴きながら、しみじみと
自分が年老いたことを感じた。
サビの歌詞は、
「一生そばにいるから
一生そばにいて
一生離れないように
一生懸命に結んだ目がほどけないように
硬く繋いだ手を離さないから」
というものだった。
私も一時は歌詞も書いていた。
今となっては、恥ずかしいが、
シンガーソングライターになりたいと
思っていた時期もある。
(なぜ、それが恥ずかしいことなのかは、
ここでは触れない。)
こんな歌詞は私には、
もう死ぬまで書けないと思った。
そんなに多くはないけど、私も
恋の歌(ラヴ・ソング)を書いた。
それは、10代から30歳ぐらいの時ね。
20代で「一生そばにいるから」と言われて、
結婚した夫婦も60過ぎてなおも
「一生そばにいて」と唄える夫婦は
中々いないのではないか。(偏見?)
いや、最後まで添い遂げるつもりでいても、
「一生そばにいて」とは、今更書かないだろう。
(これも偏見?)
そんなわけで、20代30代で書けた歌詞は
60歳では書けないと、当たり前のことを
痛切に感じたのだった。
若いって、
素晴らしい。
そして、60歳になると
若い時に書けなかった歌詞が
書けるんだろうけど、
あんまり出てこなくなるんだなぁ。
私の場合。
ここ に自作の詞を載せてあるけど、
実はもっとあるんだ。
ぼちぼちアップしようと思っていて、
ほったらかしになっている。
どこかにノートがあるはずだから、
探してみよう。
2023.8.6
山下達郎
PERFORMANCE 2023
昨年から今年にかけて、山下達郎のコンサートの
抽選に先行発売、一般発売、キャンセル待ち
合わせて28回連続で外れた。
2017年、18年、19年は3年連続で
(それでも何回も応募して)当選したのだけど、
昨年からどうも運に見放されたような感じだった。
首都圏は、公演回数も多いのだけど
それ以上に競争率が高いと見た私は、
8月5日(昨日)の山形の公演に申し込んだ。
山形なら、昼間、妻の両親を訪ね、
夜コンサートを楽しむことが出来、一石二鳥なのだ。
見事に私の読みが的中し、
昨日のコンサートに当選したのだった。
しかも前から 11列目!
会場は、やまぎん県民ホール(山形県総合文化芸術館)。
残念ながら、妻の両親の面会は、
施設の都合で土日は、不可だったのだけど。
今年のツアーは、6月30日の埼玉に始まり、
11月6日の沖縄まで全国 18都市 39公演。
昨日は、12公演目だった。
達郎アニキは、今年70歳になった。
4年ぶりだったのだけど、以前よりさらに
パワーアップしているようなステージだった。
ご本人が「山形の人ってこんなだっけ?」と
言うほど、ノリの良いお客さんで、
とっても楽しいショーだった。
今年は、1976年から1982年までに
達郎が RCA/AIR YEARS にて発表したアルバム
8枚が5月から順に アナログ盤、カセットテープで
発売されている。
それらが、オリコンのベスト10に入っているのだという。
当時を知らない若いリスナーが増えているからだ。
もちろん「おなじみさん」も多い。
70歳になって全国ツアーを続けていることも
発表から40年以上経ったアルバムが、
再びチャートイン(それも当時の記録以上)
するなどという誰も想像しなかったことが
起きているんだ。
そんなわけで、今年のツアーでは、
RCA/AIR YEARS 時代の曲が多かった。
個人的には、『SILENT SCREAMER』から
『BOMBER』のメドレーには痺れたね。
そこからの『LET'S DANCE BABY』も最高。
そして、『蒼氓』には今回も落涙。
『Groovin'』(The Young Rascalsのカヴァー)
では、70歳にちなんで 8分音符70回のブレイク。
そうだ、大事なことを忘れていた。
開演前、ステージにセットされているギターが、
白い JAMES TYLER だったので、
佐橋さんらしくないなと思っていたら、
なんと長らくバンドにいたギターの佐橋(佳幸)さんが、
卒業され、新しいギターは鳥山(雄司)さん!
ちょっと意外な組合せな気もしたけど、
鳥山さんならなんでも弾けるもんね。
ギターは、前述の白い JAMES TYLER。
時々見かける(ギブソンではない)
335タイプのセミアコ(ペグが6連タイプ)。
ボトルネックを使う時は、
Fender のテレキャスター・デラックスだった。
個人的には、JAMES TYLER の音が
現代的過ぎて、それならレスポールの方が、
良かったのにと思ったけど、アームも
使っていたから仕方ないか。
アンコールでは、最近出たばかりのシングル
『Sync Of Summer』、そしてお決まりの
『Ride On Time』、
『恋のブギ・ウギ・トレイン』。
最後は、いつも通りしっとりと
『YOUR EYES』。
アンコールを入れて、2時間50分(休憩なし)。
15前、60歳を過ぎた小田(和正)さんの
コンサートに行って、2時間以上唄っても
声が変わらないことに驚いた覚えがあるけど、
もう 70歳の概念が変わってしまうね。
そういえば、2014年に観たローリング・ストーンズ。
あの時、ステージを端から端まで動き回りながら
唄っていたミック・ジャガーが70歳だった。
今回は、妻も同行したのだけど、
達郎初体験の彼女も大満足でした。
[ MEMBERS ]
山下達郎 (Vo, Gt, Key)
鳥山雄司 (Gt)
難波弘之 (Key)
柴田俊文 (Key)
伊藤広規 (B)
小笠原拓海 (Drs)
宮里陽太 (Sax)
三谷泰弘 (Cho)
ハルナ (Cho)
ENA (Cho)
@やまぎん県民ホール(山形県総合文化芸術館)
会場のやまぎん県民ホールは、2019年に
完成したホールでまだ新しく、良いホールだった。
ちなみに、この当選のあと東京でも観たいと思い
9月の NHKホールに申し込んだけど、ハズレました。
ジョン・ウィリアムズ
フルオーケストラコンサート
このコンサートのチケットを買ったときには、
ジョン・ウィリアムズが9月に来日することは
まだ発表されていなかった。
ジョン・ウィリアムズ本人は出ないけど、
彼の楽曲をフルオーケストラで聴こうという
コンサートで、私は興味を持ってチケットを買ったんだ。
9月の本人来日を知っていたら、
行こうと思わなかったかも知れない。
山形から戻ってきて、昼食。
そのままコンサート会場の東京国際フォーラムへ。
し、しかし旅の疲れか、コンサートが始まる
15分ぐらい前から、強烈な睡魔が・・・。
始まってもそれは続き、結局頭から最後まで
目を開けて聴いた曲は、終わりの2曲のみ。
(インディー・ジョーンズの『レイダース・マーチ』と
スター・ウォーズの『王座の間〜エンド・タイトル』)
う〜む、惜しいことをした。
目覚めて聴いたこの2曲だけでも
素晴らしかったので、できれば全曲
ちゃんと聴きたかった。
『スーパーマン・マーチ』、『ジョーズのテーマ』、
『未知との遭遇』なども部分的にしか
聴いてないけど良かったし。
これで9月のジョン・ウィリアムズ、
ご本人のコンサートに行く気になったので
チケットを買おうとしたら、売り切れてた。
なんだか、マヌケだ。
今日もらったチラシに10月の
「ジョン・ウィリアムズ・トリビュート」が
あったので、それを買ったよ。
演奏は、ボストン・ポップス・エスプラネード・オーケストラだ。
[ 出 演 ]
指揮: 佐々木新平
管弦楽: 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
「シンドラーのリスト」ヴァイオリン:荒井里桜
ナビゲーター:市川紗椰
<プログラム>
スーパーマン・マーチ 「スーパーマン」より
JFKのテーマ 「JFK」より
ジョーズのテーマ 「ジョーズ」より
ネバーランドへの飛行 「フック」より
追憶 「シンドラーのリスト」より(ヴァイオリン:荒井里桜)
さゆりのテーマ 「SAYURI」より
地上の冒険 「E.T.」より
--- 休憩 ---
ジュラシック・パークのテーマ 「ジュラシック・パーク」より
小惑星の原野 「スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲」より
レイア姫のテーマ 「スター・ウォーズ エピソードIV/新たなる希望」より
未知との遭遇から抜粋 「未知との遭遇」より
ヘドウィグのテーマ 「ハリー・ポッターと賢者の石」より
ハリーの不思議な世界 「ハリー・ポッターと賢者の石」より
レイダース・マーチ 「インディ・ジョーンズ/レイダース 失われたアーク《聖櫃》」より
王座の間〜エンド・タイトル 「スター・ウォーズ」より
時間の都合で退場したが、アンコールにスター・ウォーズの
『帝国のマーチ(ダーズ・ベイダーのテーマ)』が演奏された。
@ 東京国際フォーラム・ホールA
2023.8.11
夢みる校長先生
ユニークな小中学校、6校の校長を
紹介した映画『夢みる校長先生』を観てきた。
日頃から一般的な小中学校の教育に
疑問を抱いている私には、
とても希望に満ちた映画だった。
オオタヴィン監督のドキュメンタリー映画を観るのは、
『いただきます みそをつくるこどもたち』、
『夢みる小学校』に続いて3本目。
本作は、『夢みる小学校』のスピンオフとの
位置づけだが、スピンオフ的な面も分かるが、、
完全に独立したテーマのようにも感じた。
60年前から通知表がない、
伊那市立伊那小学校(長野県)の
福田校長。
校則をなくし、定期テストを廃止した、
世田谷区立桜ヶ丘中学校(東京都)の
西郷校長。
宿題を廃止した、
武蔵野市立境南小学校(東京都)の
宮崎校長。
通知表をなくした、
県茅ヶ崎市立香川小学校(神奈川)の
國分校長。
校長室をなくした、
横浜市立日枝小学校(神奈川県)の
住田校長。
コロナ禍から子供たちを守った
日光市立足尾中学校(栃木県)の
原口校長。
通知表がない、伊那小学校は、
60年の歴史があるが、それ以外は、
すべて校長が、その改革を起こした。
公立の小中学校の校長には、
通知表をなくすことも、宿題をなくすことも、
校則をなくすことも出来るほどの
権限が与えられている。
もちろん、この映画には語られていない
負の面もあるに違いない。
しかし、個性を無視し、同じような人間を
作り上げようとする教育や、
「通知表=他人との比較」で、子供たちを
評価し、ラベリングすることの弊害より、
こういう教育の方が、明らかにプラス面の
方が多いと思うのだ。
それらの改革は、校長が本気で
今までの教育に疑問を持ち、
批判や非難を恐れず、本気で
取り組まないと可能ではないだろう。
本当に子供たちの未来、日本の未来に
コミットした本物の教育者でなければ、
なし得ないだろうなと思った。
足尾中学校の原口校長は、
コロナ禍にあって、感染症の文献を
調べ上げ、科学的なデータや情報を集め、
ほとんどの小中学校が行事を中止する中、
運動会や修学旅行を行った。
マスクも強制ではなく、生徒の自由な選択にしたが、
足尾中学校の感染者はゼロだったという。
その「覚悟」の凄さに、感動してしまった。
★★★★▲
オフィシャルサイト
ナレーター:小泉今日子
テーマ曲:RCサクセション
プロデューサー・撮影・監督:オオタヴィン
2023年/日本/82分
制作・まほろばスタジオ
***** ***** ***** *****
映画の感想ではないけど、
通知表がない、伊那小学校に
子供を入れるため、移住してくる人も
少なくないというくだりを観て、
最近読んだ新聞記事を思い出した。
それは、宿題や定期試験をなくすという
大胆な改革をしてきた東京都千代田区立
麹町中学校が、学力向上を理由に
方針を転換しようとしている記事だった。
2014年に就任した工藤校長が改革を
実行したのだが、20年3月に退任、
後任の校長が今年3月までいたが、
今年の4月から新しい校長が就任した。
映画で、公立小中学校の校長の
権限の大きさを知ったが、方針転換は
どうやら、校長の交代と関係がありそうだ。
その自由な校風を求めて、
麹町中学校に子供を入学させるために
都外から転居してきた家族もいるようで、
波紋を呼んでいるようだ。
その記事で気になったのは(麹町中学校は、
制服も体操服も着用自由だったらしい)、
中学校側の説明会で
「地域の人たちは制服を着た
規律正しい生徒たちの姿を求めている」
という内容があったらしい。
なんだそれ。
地域の人たちって誰だ?
制服を着ていれば規律正しいのか?
それとも規律正しく見えるのか?
確かにまだ課題は多いだろうと思う。
特に担任がいない(麹町中学校は
固定した学級担任制を廃止した)
というのは、難しいのは想像できる。
しかし、それとて過去のやり方との
違いによる戸惑いなのか、本当に
担任がいた方が生徒のためになるのか、
十分に検証、議論されたのだろうか、どうなんだろう。
多少の軌道修正は分かるが、
マイナス面があったからと言って、
(校長が変わったから)方針が
元に戻るというのは、いかがなものかと思う。
記事によると中学校は、「まだ決定ではない」と
言っているらしいが、もっともっと
議論が必要なのではないかと感じた。
[ 参考エントリー ]
2019.8.17 いただきます みそをつくるこどもたち
2022.7.10 夢みる小学校
ABSTRACTION
抽象絵画の覚醒と展開
セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ
アーティゾン美術館で開催中の
「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」
を観てきた。
アーティゾン美術館は、ブリヂストンの創業者、
石橋正二郎(1889-1976)が1952年に作った
ブリヂストン美術館を改称し、2020年に
ミュージアムタワー京橋にオープンした。
展示室は、3フロアあり今回の展覧会では、
264もの作品が展示されていた。
タイトルの通り、抽象絵画がメインだったけど、
抽象絵画については、どうも素晴らしさが
よく分からない。
今回もただの模様にしか見えなかったり、
その辺の壁と何が違うねん、という感じだったり
する作品も多かった。
結局、印象に残ったのは、
展示の前半にあった(抽象絵画以前の)
風景画だった。
モーリス・ド・ヴラマンク 「運河船」(1905-06)
ラウル・デュフィ 「トルーヴィルのポスター」(1906)
ヴァシリー・カンディンスキー 「3本の菩提樹」(1908)
そして、絵画でなく彫刻だけど一番気に入ったのがこれ。
コンスタンティン・ブランクーシ 「接吻」(1907-10)
なんだか、強烈。
ふたりが抱き合って、隙間なく密着して、
接吻を交わしている。
まわした手は、しっかりと相手を
抱きしめているんだ。
あと、柴田敏雄という写真家の写真。
説明文に「柴田は活動の初期より、自らの写真が
『絵画的』あるいはそのイメージが『抽象的』と
呼ばれることを意識してきた」とあったのだけど、
確かにそう言われればそうだ。
でも、「絵画的」とか「抽象的」ということよりも
この被写体なら 私がその場にいたとしたなら、
きっとシャッターを切るだろうと思ったので、
共感できたんだと思う。
新潟県南魚沼郡湯沢町(2022)
山形県尾花沢市(2018)
2023.8.12
怪物(2回目)
ちょうどひと月ほど前に観た、
是枝裕和監督の映画『怪物』。
ちょっと難解なところもあり、
一度観ただけでは理解しきれないなと
思っていたので、再び観てきた。
今回は、妻も一緒。
驚くほどに一度目と印象が違った。
二度以上観た映画は、何本もあるけど、
二度目の方が良かったと思える映画は、
もしかしたら初めてかも知れない。
いや、二度目の方が良かったというより、
かなり大きく感想が変わってしまった。
それは、一度目の鑑賞の感想が、ほとんど
枝葉末節に関することのように感じられるほどだった。
一度目に観たときに
「ラストに感動とは呼べない、意味不明な
カタルシスめいたものを確かに感じた」と
書いたが、今回は完全にカタルシスと
呼んで良いと思った。
何しろ、ラストシーンで感動し、
落涙してしまったのだから。
一度目には泣かなかったのに
二度目で泣いた映画も初めてだと思う。
また、一度目には気付けなかった
伏線や仕掛けを発見することも出来た。
これは、もしかしたら観れば観るほどに
味わい深く、発見がある作品かもしれないな。
★★★★★
前回は、★4つだった。
二度目の方が★の数が多いのも
初めてではないかな。
[ 関連エントリー ]
2023.7.11 怪 物
ラグジュアリーな花火鑑賞
今日は、神宮外苑花火大会が開催され、
1万発の花火が、東京の空に打ち上げられた。
その花火を六本木のリッツカールトン東京の
53階のスイート・ルームから鑑賞するという
ラグジュアリーな機会に恵まれた。
六本木に住む友人に招待されたのだが、
そのラグジュアリーな空間に、
私なんぞは、場違い感が半端ない。
花火が始まる前に中華をたらふく食べて
行ったのだが、会場となっている
スイート・ルームにはたくさんのドリンクと
美味そうなフードが並べられており、
(もちろん食べ放題 飲み放題)
思わず「お持ち帰りは出来ませんか?」と
言いたくなるほどだった。
(安心してください。言っていません。)
会場には、結構たくさんの人々がいたけれど、
皆、どういう素性の人だろう。
パンピーよりお金持ちであることには
間違いないだろうな。
ところで、花火といえば、空を見上げるものだと
思っていたけれど、なんと53階から観ると、
見下ろすことにもビックリ。
花火より高い所から眺めているのだ。
まだまだ知らないことがあるんだね。
2023.8.14
米沢の冷やしラーメン
妻の両親に会いに山形へ行ってきた。
ふたりで同じ施設にいる両親は、
元気そうだったけど、
もう私のことは覚えていないようだった。
お母さんは、施設にいて「幸せ」と言っていた。
あんな風に何もかも全てを受け入れられるよう
歳をとりたいと思った。
前日は、妻の姉夫婦の家のベランダで
米沢牛のバーベキュー。
家の畑で撮れたジャガイモやトマトも美味しかった。
今日のお昼は、冷やしラーメンが食べたくなり、
調べた店に車で行くと、行列が出来ていて、
駐車場も満車。
仕方なく別の店を探すことに。
走っていて、見つけた「吾妻屋」で昼食。
「冷やしラーメンセット」は、サラダ、煮物、
お新香、ミニ豚丼(またはミニカツカレー)が
セットで1,280円。
(冷やしラーメンだけなら 880円)
結構なボリュームです。
ラーメンのスープが、薄味でとてもあっさり
しており、ごくごく飲める感じ。
ラーメンは、滅多に食べないけど、
夏の冷やしラーメンは良いね。
妻は、「冷やしゲソ天そば」950円。
地元の人で賑わってました。
近所だったら、定食も食べに行くのにな。
お漬物も美味しかった。
2023.8.15
ロビー・ロバートソン 逝去
Robbie Robertson
8月9日、ロビー・ロバートソンが、
死んじゃった。
享年 80歳。
ロビー・ロバートソンは、カナダ出身の
ギタリスト。
ロニー・ホーキンスや、ボブ・ディランの
バックバンドを経て、THE BAND で
1968年に『Music From Big Pink』で
デビューした。
ニュース記事に「長い闘病の末」とあったけど
病名は見当たらない。
マーティン・スコセッシ監督の映画
『Killers of the Flower Moon』
(10月公開予定)の音楽を
仕上げたとの記述も読んだので、
仕事は最近までしていたんだろう。
ちなみに『Killers of the Flower Moon』は、
ジェシー・プレモンス、レオナルド・ディカプリオ、
ロバート・デ・ニーロらの出演。
アメリカ先住民が殺された実話を元にした
予告編を観た限りちょっとヘビーな作品のようだ。
ロビー・ロバートソンは、ユダヤ人とアメリカ
先住民族の血を引く。
彼の最後の仕事になったというのも
なんだか意味深だな。考え過ぎか?
2019年にドキュメンタリー映画
『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』を
観たときはとても感動して、
その映画の元になったロビーの自伝
『ロビー・ロバートソン自伝ザ・バンドの青春』まで
買って読み始めたのだけど
途中で止まってしまい、気になりながらも
そのままになっている。
読まなきゃね。
これで、ザ・バンドのメンバーは、
ガース・ハドソンひとりになってしもた。
合掌。
以前も紹介したけど、この動画最高です。
The Weight | Featuring Ringo Starr and Robbie Robertson
[ 関連エントリー ]
2020.11.12 ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった
2019.12.8 アイリッシュマン THE IRISHMAN
2018.5.1 ラスト・ワルツ THE LAST WALTZ
2023.8.16
群馬県立近代美術館
妻がどうしても観たいものがあるというので
群馬県立近代美術館に行ってきた。
彼女が観たかったのは、この美術館の
コレクションである、ピカソの『ゲルニカ』の
タピスリ(タペストリー)。
原画(1937年作)(349.3×776.6cm)と
ほぼ同寸大で織られたこの作品は、
ピカソの死後 1983年に製作された。
織りは、ジャクリーヌ・ド・ラ・ポーム=デュルパック。
原画は、スペイン・マドリードの
王妃ソフィア芸術センターに所蔵されているらしい。
このタペストリーは、世界に3つしかなく
その1つが、日本のこの美術館に所蔵されている。
劣化を防ぐため、年中展示されているわけではなく、
いつでも観られるものではないようだ。
今回は、7月8日から 8月27日までの
コレクション展示で公開されていた。
実物は、見上げるほどの大きさで
結構な迫力だった。
他にコレクション展示で、気になった作品は、
ジョルジュ・ルオー(1871-1958)というフランスの
画家の『秋(Autumn)』という1938年の作品。
やや重たいトーンなのだけど、何か惹かれるものがあった。
企画展の会場では、オーストラリアの
アーティスト「ディーン・ボーエン展」が開催中だった。
サブタイトルは、
「オーストラリアの大地と空とそこに生きる私たち」。
せっかくなので、こちらも鑑賞してきた。
絵画、版画、彫刻、映像と様々だった。
何がとは説明しにくいのだけど、
何かがオーストラリア人らしいと
思ってしまう作品群だった。
子供が描いたような絵も多く、
面白といえば面白いのだけど、
個人的には部屋に飾りたくなるような作品では
なかったな。
花をもつレディ / Lady with Flowers
鑑賞後、美術館のすぐそばの蕎麦屋
「彼方此方」で昼食。
夏季限定 とまとチーズカレーそば 1,130円
冷やしダシそば 780円
2023.8.17
あこがれの テレキャスター・シンライン
2005年に楽器ショーに行った時、
衝動買いしてしまったのが、Fender の
Telecaster Thinline(1975年製)だった。
とても気に入っていたのだけど、2009年に
Gibson Byrdland を購入したあと、
罪悪感を薄めるため(?)に売ってしまった。
私が入手した時から、18年が過ぎたが、
今ではあの時の倍の値段で取引されている。
古いギターなので状態の良いものは
どんどん値段が高くなり、もう一度
手に入れたいと思っても中々難しい。
手放したことを後悔している数少ないギターだ。
Fender でも 日本製かメキシコ製なら
それほど高価でもなく、新品でも中古でも
手に入るのだが、どうもその気にならない。
最近、アメリカ製が再発売されたのだが、
それは、新品で 35万円ぐらいするんだ。
欲しいけれど、やはり躊躇してしまう。
18年前に私が買ったビンテージより高いし。
で、Fender に こだわらず、日本製の
70年代のコピーモデルで良いのが出てくれば
そんなに高くなければ、欲しいなと思っていた。
ところが、最近、日本製ビンテージも
値段が上がってきていて、70年代当時
5万円だったモデルが(状態が良ければ)
店頭価格で10万円を超えているものもあるのだ。
ちょっと前までは、国産の中古品が、
元の値段より高くなることなんて
なかったと思うのだけど、とうとう
そういう時代に突入したんだな。
で、先日、ネットで見つけてしまった、
AriaProU の TE500N というモデル。
1976年製らしい。
47年前のビンテージだ。
品番に 500 とあるように発売当時の価格は5万円。
ショップだったら、今なら10万円近くしたかも
しれないけど、売主が個人だったおかげもあり
それほど高くなく入手できた。
買うの、大分迷ったけどね。
AriaProU TE500N BACKAROO
人生初の AriaProU。
ボディーは、ホワイトアッシュで、
このように目の詰まった木目のものが
欲しかったんだ。
トップは2ピースでバックは3ピース。
以前所有していた Fender の76年製は、
トップは1ピースだった。
(バックは、写真が残っておらず記憶もない。)
また、Fender はトップを裏からくりぬいて、
バックで蓋をしていたのに対し、
この TE500N は、ボディサイドのちょうど真ん中で
トップとバックを貼り合わせている。
サウンドにどんな違いがあるか分からないけど。
おそらくフレットの打ち直しは
していないんじゃないかと思うが、
フレットの減り具合を観ると
年代の割にはそんなに弾かれていないように思う。
ネジ類のさびも少ない。
傷はそれなりにあるが、それは当然のことなので構わない。
というか、傷はビンテージギターの貫禄だろう。
76年製にとしては、全体的に状態の良い方だと思う。
前オーナーの話では「ポットがCTS、
コンデンサーがVitamin-Qにアップグレード」
されているとのことだが、それは前々オーナーが
施したことらしい。
YouTube でコンデンサーでどれくらいギターの
音が変わるかという動画を観たことがあるけど、
結構違うんだな。
まあ、聞き比べないと分からないし、
この手のことには、私は明るくないのだけど。
ネックプレートには、シリアルナンバーの他に
「MATSUMOKU」「MADE IN JAPAN」と
刻印されている。
「MATSUMOKU」というのは、
長野県にあったマツモク工業という
ミシンやギターを製造していた OEM の会社。
アリアプロ2の他にもグレコやフェルナンデス、
オービル、フェンダージャパンなども製造していた。
フジゲンと並んで日本を代表するギター製造会社
だったが、1987年に工場を閉鎖し解散したようだ。
70〜80年代の日本製の中古ギターの
取引の際、「マツモク製」とわざわざ書くほど
マツモク製は作りが良いと評判なんだ。
シリアルナンバーは「B76」から始まっている7桁。
これがもしかしたら、76年製の証しかも知れない。
実際に音を出してみると(家の中なので
あまり大きな音ではないけど)、中々に
ええ感じに枯れている印象。
やはり新品だとこの味はしない。
そして、弾きにくかったらイヤだなと思っていたが、
全く問題なし。
何の調整もしなくて良いほどだ。
気付くとテレキャスタータイプは、
J.W.Black、FRETKING、AriaProUと
3本 手元にあるのだけど、
本家(Fender)が1本もない。
過去には、Fender USA を2本、
Fender Japan 1本持っていたんだけどね。
(その他 テレモデルは、 Bacchus や
YAMAHA のマイク・スターン・モデルもあった。)
結局、買っては手放しを繰り返していると、
手元に残っているのは、本当に好きなギター
ばかりになるから、そういう意味では、
あの 75年製以外は、それほどでもなかったと
いうことになるな。
さて、このギターは、どうなるかな。
2023.8.20
ウルトラセブンの思い出と第12話
今年は「ウルトラセブン」の放送55周年らしい。
放送は、1967年10月から 1968年9月。
私が幼稚園に入る半年前から、
園児だった9月までの放送だったわけだ。
「ウルトラセブン」と聞くと、
すぐにあの日のことを思い出す。
その日、どういうわけか母と姉は家におらず、
父と私とふたりだった。
父は、台所で夕食の準備をしていた。
私は「ウルトラセブン」を観ながら、
どうなったかをいちいち、父に聞こえるよう、
実況中継風に声に出していた。
子供のしそうなことなので想像してもらえると思う。
すると、父が言ったんだ。
「そんな風に言うてるとお父ちゃんも
観たくなるやないか」と。
言葉は正確ではないけど、そんな風なこと。
子供の私は、別に何かの目的があって
言っていたわけではなく、ただテレビを観ての
反応で喋っていただけだっただろう。
その私の実況中継風解説(?)を聞いて
父が「ウルトラセブンを観たい」と言ったことに
どういうわけか驚いた私は、55年経った今も
はっきりとそのことを覚えているんだ。
その日のウルトラセブンに登場した怪獣が
何だったか、晩ごはんが何だったかとかは
全く何も覚えていないのに、
あの父の言葉だけが強烈に心に刻まれたんだな。
もちろん、父がなぜそう言ったのかも分からない。
ただ私がうるさいので黙らせようとしたのかもしれない。
いや、本当に観たかったりして。
話は変わるが、「ウルトラセブン」について
時々、話に出るのが 第12話 のことだ。
もうずいぶん前に何かで読んだか、誰かに聞いた。
第12話には「被ばく怪獣」が出てきて、
放送後問題になり、それから再放送時にも
放送されたことがないと。
いわゆる、まぼろしの回になってしまったわけだ。
「被ばく怪獣」と聞いて、
原爆被爆者をネタにしたように聞こえた。
それはあかんやろ。
円谷さんもなんでそんなことしたのかな。
よく考えなかったのかな、と思ってた。
でも、今となっては「放送禁止になった」と
聞いたので、原爆被爆者と結び付けたんだと思う。
今なら「被ばく」は原爆だけではないからね。
しかし、先日、その件の真相を知って驚いた。
まず、放送時には何の問題も起きていない。
第12話は、被爆者が怪獣になる話ではないし、
番組内では「被ばく怪獣」という言葉は出てこない。
自分の星の爆弾実験で、放射能を浴びたスペル星人は、
血液が侵され、代わりとなる血を求めて地球に
やってきたというストーリーだったらしい。
では、なぜこの第12話が放送禁止、その後の
ビデオ化やDVD化の際にも欠番となってしまったのか。
この経緯が、ちょっと怖いんだ。
詳しくは、この記事を読んでちょうだい。
↓
封印されたウルトラセブン「第12話」
53年前の朝日新聞がきっかけで55周年でも欠番
おそらく、私は5歳の時に、この一度だけ放送された
第12話をテレビで観ただろうと思うが、
当然何も覚えていないわな。
確かめようのないことだけど、
私が父とふたりだったあの日が、第12話だったりして。
ちなみに私はウルトラセブンより、
ウルトラマンの方が好きです。
でも、一番好きなのは何と言ってもアンヌ隊員です。
2023.8.21
山下達郎
PERFORMANCE 2023
その2
8月5日に山形県のやまぎん県民ホールで
山下達郎のコンサートを観たことは ここ に書いた。
実は、ずっと追加で書きたいことがあったのだけど、
書かなきゃ書かなきゃと思っているうちに
2週間以上経ってしまい、何を書きたかったのか
分からなくなってしまった。(汗)
ただ、あとから思い出しても凄いパフォーマンスだった
ということは間違いなく、今までに 1,000本以上の
コンサート、ライヴを観てきたがその中でも
ベスト10に入るステージだったと思う。
長らくファンを続けている人が多いのも、
新しくファンになる若い人が多いのも
納得なのだった。
ネットにセットリストがアップされていたので、
転記しておく。
このアップされていたセットリストが非常に細かく、
例えば、『ドーナツ・ソング』のイントロ部分で
『LOVELAND, ISLAND』を数小節唄ったあと
「今日はこの曲はやりません」なんて、
達郎氏が言ったことを『LOVELAND, ISLAND』と
『ドーナツ・ソング』のメドレーと書いている。
いやいや、これはメドレーとは言わんやろ、
というのが私の見解なので、元の情報を
私なりに、つまり別曲のフレーズを数小節
唄っただけというのは、記載せずにまとめた。
そして、確か『ドーナツ・ソング』では、
『Willie And The Hand Jive』のフレーズも
出てきたんだけど、それはなぜか書いてないんだな。
2023年8月5日 @やまぎん県民ホール
[ SETLIST ]
1. SPARKLE
2. 雨の女王 (RAIN QUEEN)
3. ドーナツ・ソング
4. 土曜日の恋人
5. SOLID SLIDER
6. FUTARI
7. 潮騒
8. Groovin' [The Young Rascals]
9. Bella Notte
10. Have Yourself A Merry Little Christmas [Judy Garland]
11. クリスマス・イブ
12. 蒼氓
13. SILENT SCREAMER〜BOMBER〜SILENT SCREAMER
14. LET'S DANCE BABY
15. CIRCUS TOWN
EC
16. Sync Of Summer
17. Ride On Time
18. 恋のブギ・ウギ・トレイン
19. YOUR EYES
LiveFans より
みんな喋りたいねん
8月5日、山形での山下達郎のコンサートが
終わったのは、21時前だった。
事前の調査では、会場周辺のめぼしい飲食店は、
ほとんど20時か21時には閉まってしまうので、
もしかしたら、食べるところがないのかも、と
覚悟していたが、山形駅周辺は、
小さいながらも繁華街で、数店の居酒屋が
21時を過ぎても営業をしていた。
で、とあるチェーン店の居酒屋に入った。
東京でも(入ったことはないが)観た覚えの
ある店舗で、山形まで来てチェーン店は
ないやろ、と思ったが迷っているうちに
閉まってしまうとまずいので、その店に入ったんだ。
結構、混んでいて「奥の個室の大きなテーブルで
相席でも良いですか?」と聞かれ、OK した。
たぶん、14人ぐらい座れそうな大きなテーブルだった。
ほぼ同時に入店した、私たちと同年代の夫婦が、
ふた組と若い男性が一人、そして私たち夫婦、
計7人が相席になった。
私は、すぐに私たちを含む4組全員が
達郎のコンサートの帰りだと気付いた。
買ったばかりのコンサートグッズを持っていたり、
聞こえてくる話の内容ですぐ分かったんだ。
私達は、東京からの参戦だったけど、
この人達は山形の人なのだろうか、と
聞きたくなったのだけど、ああいいう場面で、
日本人は滅多に話さない。
おそらく西洋人だったら、すぐに「ハーイ」なんて
言って、話し始めるんだろうけど、日本人って、
奥ゆかしいというのか、シャイというのか、
何かきっかけがあれば別だけど、
ホントに話す人が少ない。
かくいう私もその一人。
何度か「皆さん、山形の方ですか?」と
喉まで出てくるのだが、これが中々言えない。
でもその時は、その不自然な空気に耐え切れず、
ついに言葉を発した。
聞くと、一組の夫婦は青森から、
もう一組の夫婦は秋田から、若い30代の男性は、
山形の日本海側(酒田だったかな)から。
そして、それから みんな喋るわ、喋るわ。
その時、思ったんだ。
「なんや、みんな喋りたかったんや」と。
私が口火を切るまでは「もしかしたら、
知らない人と話すのはイヤなんじゃないか」とか、
余計な心配をしたのだけど、全く心配不要。
特に全員、達郎のコンサート帰りという、
共通の話題もあったからね。
私達が東京では、抽選に当たらないので
山形まで来たと話すと、青森の人達は、
驚いて、初めて申し込んで当選したと言い、
秋田の人達は、ご主人がファンクラブに入っているので
いつも複数の会場に申し込むのだと言っていた。
山形の若者は、鉄道や地理好きで、
マニアックな話しを聞かせてくれた。
誰も、名前も聞かないし、その日その場限りの
歓談だったけど、一期一会というのかな、
とても楽しいひと時を過ごすことが出来た。
ああいう場面では、誰かがきっかけさえ作れば、
みんなあんなに和んで楽しく話すんだな。
これは、別々のテーブルだったら、
起きなかったことだろう。
同じテーブルだったからこそ、変な居心地の悪さが
あって、結果、良い時間になったんだと思う。
日本人も、というか私だけど、もうちょっと、
軽く話せるようになるといいな、と思ったのでした。
2023.8.23
人間関係のおかたづけ
ひと月ほど前になるのだけど、妻の会社で
時々開催しているシンポジウムのゲストが
堀内恭隆(やすたか)さんだった。
堀内さんは、今年『人間関係のおかたづけ』
という本を出版された。
シンポジウムは、堀内さんとアナウンサーの
中村由紀さんと妻、3人による
「人間関係のおかたづけ」についての
トーク・セッションだった。
見ず知らずの赤の他人に道を訊かれたら、
凄く丁寧に応じるのに、なぜか家族を
大切にしない。
どうでもいい人を大事にし、
大切にすべき人を大事に扱わないのは、
何かが間違っていないか。
もちろん、他人に不親切にしようという
話しではない。
とても興味深いセッションだったので、
『人間関係のおかたづけ』を読んでみた。
人生の多くの悩みのひとつが人間関係。
堀内さんは自身が、人間関係のストレスの
限界まで行き、普通の人はとてもやらない
「人間関係のリセット」をした人。
ある日、全てのアポイントをキャンセルし、
SNS のアプリをスマホからすべて削除し、
メールソフトのアドレス帳の全てのアドレスを
削除し、名刺、過去の写真、もらった
プレゼント、土産品など全てを捨てたのだという。
ここまでやれる人は中々いないよね。
私には難しいな。
(というかそこまで追い込まれていない。)
で、その結果、どうなったと思う?
めちゃくちゃスッキリしただけではなく、
全く困らなかったんだって。
(なんとなく想像できるけど。)
で、自分にとって本当に大事な人間関係が
見えるようになったんだって。
それまでは、周りの評価を気にして、
依頼や期待に応えることに
人生(=時間とエネルギー)を
使っていたんだと、分かったという。
そこから、この人間関係の「おかたづけ方法」を
編み出すわけだけど、これが気付きそうで、
中々気付けなかった方法。
ハウ・トゥーといえば ハウ・トゥーだけど、
その背景にしっかりした哲学があるんだ。
それは、決して人をないがしろに扱うと
いうことではなく、自分を大切にし、
本当に大切な人との関係を大事にし、
自分の人生を幸せに生きるということ。
最近よく聞く「アンコンシャス・バイアス」が
誰の人間関係にも全く無意識に効いている。
それを一旦ぶち壊して、一人一人との関係を
バイアスのない状態から観直す、というような感じ。
そのためには、「箱理論」という手法を
使ったワークが必要だけど、これには
多少の抵抗を伴うんだな。
本を読み終えただけで、しっかりと
取り組んだわけではないけど、
そのワークをやってみる甲斐はあると思う。
当然、私もめんどくさい人間関係に
わずらわされることがあるからね。
人間関係の悩みの多い人にはお勧めです。
★★★★▲
人生を変える新しい整理整頓術 人間関係のおかたづけ
2023.8.24
7年ぶりの歯の治療
2016年3月にもの凄い歯の痛みを
体験した。
「今までの人生で一番痛かったのは
いつですか?」と問われれば(そんなこと
問われる機会はないやろけど)
迷いなくあの時の歯の痛みを答えるだろう。
(ちなみに2番は、アニサキス事件だ。)
先日、お盆休み中、焼肉を食している最中に
左の下の奥歯に違和感を感じた。
「痛い」というほどではないのだけど、
思いっきり噛むことができなかった。
あ、これはいよいよ来たな、と思った。
というのも、件の歯は2016年の治療時に
「5年もつか10年もつか分かりません」
と、言われていたのだ。
あれから、7年が過ぎている。
いよいよ、その時が近づいているのだなと、
思ったのだが、その違和感は、2日ほどで
治まり、その後は普通に噛めるようになった。
とはいうものの、もうあの痛い思いを
したくないので、この機会に歯医者に行くことにした。
10年ほど治療と定期検診で通っていた歯科が
あるのだけど、コロナと引っ越しで通院が
不便になったことを理由に2年以上、
定期検診にも行っていなかった。
この機会に、通いやすい歯科を探そうと
ネットで検索したところ、自宅のすぐ近くに
とても評判の良い歯科医を発見した。
行ってみると、とてもキレイで新しい。
見たこともない最新の機器がある。
開業してまだ1年半だという。
きっと、歯科の世界も進歩しているんだ。
驚いたのは、歯のレントゲンを撮る時、
前の歯医者だとレントゲン室の扉を
完全に閉めて撮影していたのに、
そこでは、先生が扉を開けたまま、身体を
半分レントゲン室に入れたまま撮影をした。
思うにレントゲン撮影も進化し、撮影する
部分以外では、X線を浴びないように
なっているのではないかと、素人ながらに思った。
で、院長に(その時は 2016年と明確では
なかったので)5〜6年前に治療した
経緯を説明し、痛みはないけど、診て、
必要であれば治療して欲しいと伝えた。
そして、その歯の治療が始まり、
現在、2回その歯科に通って、
次回の予約も入っている状態だ。
今日このことを書くために、あの激痛事件は
いつだったのかと探してみて、2016年3月の
「ひとりごと」に見つけたわけだ。
そのエントリーを見つけるまでは、
(2016年だったか2017年だったか
2018年だったかも覚えていなかった。)
そして、そのエントリーを読んで驚いてしまった。
今回治療を始めた左の奥歯が、
その時の激痛の歯だと思い込んでいたのだが、
その時のエントリーを読むと、なんと!
「右の奥歯」だと書いてあるやないか!
2日にわたって「右」と書いてるので、
間違いではないだろう。
すると、今回治療を始めた左の歯は、
あの歯ではなかったということだ。
なんとええ加減な記憶だろう。
そして、この左の奥歯はいつ治療したのか、
どこの歯科で治療したのかも全く覚えていない。
たぶん、10年ほど通っていた歯科だと
思うけど、明確ではない。
そういうわけで、5年もつか10年もつか
分かりません、と言われた歯はいまだ健在です。
[ 関連エントリー ]
2016.3.20 歯が痛い!(1〜3まであります)
優しく、そして 正しく
歯科医を替えて、2度目の治療時。
若い女性歯科衛生士に
「今日は治療の前に歯のお掃除をします」と
言われた。
この歯のお掃除、あんまり好きな人は
いないだろう。
こびりついた歯石をガリガリやられるのは
あまり気持ちの良いものではない。
歯石の除去が2年半ぶりぐらいだったので、
結構、塊で取れたよ。
掃除のあと、歯科衛生士が言った。
「歯周病の検査ををやりますけど、
やったことありますか?」
私は、歯石の除去以上に
この歯周病の検査が嫌いだ。
歯周病検査は、歯と歯茎のすき間
(歯周ポケット)の深さや出血の有無を
確認する検査。
歯周ポケットに何やら細い器具を
突っ込んで、その深さと出血の有無を
チェックするのだが、私の経験では、これが
検査をしてくれる人によって、全く痛さが違う。
顔をしかめなければならないほど、
何度もチクチク痛みを感じる人と、
ほとんど痛くない人がいるんだ。
素人考えだけど、痛くする人は
必要以上に歯周ポケットにその器具を
突っ込んでいるのではないかと推測している。
そうすると、実際のポケットが3ミリだったと
しても、より深く突っ込むので4ミリと
記録されてしまうことになるのではないかと
全く素人ながらに思っていたのだ。
「歯周病の検査ををやりますけど、
やったことありますか?」と言われて、
とっさに私は、ここで牽制しておくことを思いつき、
「ええ、何度もやっています。あれって検査する人に
よって痛い人と、全然痛くない人がいますよね?」
と言ってみた。
歯科衛生士の彼女は
「そうですね、使う器具によっても
違うかも知れないです」と言うので、
私は「優しくしてくださいね」と言ってみた。
彼女は「優しく、正しくやります」と言ったので
私が「正しさはいいので、優しくお願いします」と
言うと彼女は「私には正しさの方が大事です」と
言われてしまった。
もちろん、この会話は笑いながら
和気あいあいと進んだ。
数本の検査を終えて、彼女が
「どうですか?」と聞いてきた。
全く痛くなく、スピードも早く感じたので、
「素晴らしい。全く痛くない」と応えると
彼女は嬉しそうだった。
(見えてないけど雰囲気で感じた。)
そんな なんてことのない会話で、
ふだん楽しくない歯周病検査の時間さえ、
そこはかとなく満たされた時間として
過ぎてい行くことにコミュニケーションの持つ
パワーに改めて感じ入ったのでした。
2023.8.26
YouTube 視聴回数 激減!
前回、私の YouTube チャンネルについて
ここに書いたのは、合計視聴回数が
5万回を超えた3月27日のことだった。
(YouTube 視聴回数5万回突破!)
その頃は、調子よく視聴回数が伸びていて、
1ヶ月半ほどで1万回に達していた。
5万回から6万回への1万回も
2ヶ月ほどで達成したのだが、その後、
6月の中頃から視聴回数が減り出した。
これは、Youtube 始めた2021年5月18日
から、今日(8月26日)まで全期間のグラフ。
こちらは、視聴回数が増え始める少し前、
2022年10月1日から今日までのグラフ。
今年の6月の中頃から減り出し、
7月に入ると10〜20回程度に落ち着いた。
調子のよかった時は、一日の平均が
170回を超えていたことを考えると、
10分の1に減ってしまった。
減った原因は、おそらく新しい動画を
アップしていないからだろう。
最後にアップしたのが3月26日の
『Country』なので、その3ヶ月後から
減り出したことになる。
今年はもうすぐ9月なのに
この1曲だけしかアップしていない。
まあ、このいう世界は常にアップしている
ことが重要で、何もしないで数字が
伸びるほど甘くはないわな。
練習中の曲、やりたい曲はまだまだ
あるので、ボチボチやっていきます。
8/26 現在
合計視聴回数 67,004回
チャンネル登録者数 291
総再生時間 1237.8時間
視聴回数 67,004回のうち、
4万回は『Tears in Heaven』。
2023.8.27
群馬県立近代美術館 再び
今月16日に妻がどうしても観たいというので
群馬県立近代美術館のコレクションである、
ピカソの「ゲルニカ」のタペストリーを観てきた。
そのコレクション展は、今日までだったのだが、
もう一度観たいというので、最終日の今日
再び観に行ってきた
1937年4月スペイン内戦中スペインの
ゲルニカという町がナチス・ドイツ軍に
空爆を受けた。
スペイン出身のピカソはそれを知り、
戦争による恐怖、悲しみ、苦しみを描いた。
あえてモノトーンで描くことで、戦争の悲惨さ、
救いのなさを表しているのだという。
「ゲルニカ」は現在、マドリード市内の国立ソフィア王妃
芸術センターにコレクションされているが、
ピカソが監修して作られた「ゲルニカ」のタペストリーが
世界に3つあって、そのひとつが、
群馬県立近代美術館にコレクションされているのだ。
「ゲルニカ」の実物は、マドリードまで行かないと
観られないが、実物とほぼ同じ大きさ
(縦 3.28 メートル、幅 6.8 メートル)の
このタペストリーが日本で観られるというわけだ。
今日は、最終日で次にいつ観られるのか
分からないということもあって、
先日訪れた時よりも、この作品の前に人が多かった。
美術品は、何も知らずに観て、
何だか分からないけど いきなり心を
鷲掴みにされ感動するものと、
その背景を知って、じわじわその凄さや
素晴らしさが分かってくるものがあるように思う。
私にとっての「ゲルニカ」は後者で、
前回観てから「ゲルニカ」に関して、
いくつかの記事を読んで、理解が深まった上で
観たので前回よりも作品が、
心に迫りくる感じだった。
宇都宮美術館
「芸術家たちの南仏」
群馬県立近代美術館から 栃木県宇都宮まで
100キロほど 足を延ばして、宇都宮美術館で
開催中の企画展「芸術家たちの南仏」を観てきた。
19世紀末以降、南仏で過ごした
芸術家は多かったんだな。
(ゴッホもアルルに1年以上滞在し、
「ローヌ川の星月夜」「夜のカフェテラス」など
有名な作品を何枚も残している。)
第二次大戦中は、事情があって
南仏にとどまった芸術家もいたようだ。
そして、戦後は、何人もの芸術家が
南フランスにアトリエを構えたんだな。
本展では、セザンヌ、マティス、ピカソ、
シャガールなど約30人の作品、
150点が展示されていた。
頻繁にというほどではないが、美術館に
行くようになったのは、ここ最近のことで、
まだまだ名前も知らない画家も多い。
最近になって自分の反応の面白い変化を
体験している。
例えば、ピカソの絵は(実物ではないけれど)
子供の頃から、何度も目にしているが、
一度も良いと思ったことがなかったし、
ピカソの何が素晴らしいのか、全く分からなかった。
しかし、ちょっと前からなんとなく
ピカソの良さが分かってきた感じがしていた。
そして、今日、ピカソのある作品を観ている
最中に突然「この人天才や」というのが
突きあげてきたのだった。
マティスもモネもそう、以前は全然良さが
分からなかったけど、観るたびになんだか好きになっていく。
これって、肯定的に捉えると、
「作品を観る目が育ってきたのかな」とも思う。
でも、シャガールは一向に良さが分からない。
いつかシャガールの良さが分かる日が来るのだろうか。
まあ、音楽でもそのアーティストの曲なら
全てが好きということにはならない。
楽曲により 好き好きがあるように
絵画でも彫刻でも同じアーティストの
作品の中に「これが好き!」というものが
ひとつでもあれば良い方だと思う。
1枚でも多くそういう絵に出会えると嬉しいな。
絵画ではないけど。
美術館の庭に展示されていた
「中身に支えられたチューブ」
クレス・オルデンバーグ 1985年
群馬県立近代美術館は「群馬の森」、
宇都宮美術館は「うつのみや文化の森」と
どちらも素晴らしい森に囲まれたところにある。
群馬の森
うつのみや文化の森 草の広場
2023.8.31
100km ウォーク 完歩への道 その13
チャレンジ再び
今年6月3日から4日にかけて、
参加する予定だった、100 キロ ウォーク
「東京エクストリームウォーク 100」は、
台風2号の影響で、当日の午前5時に
開催中止が決定した。
その準備と練習のため、2月から5月の
4ヶ月間で 320 キロほど歩いた。
しかし、5月の初めごろに歩いた 30 キロで
腰を痛め、その後も万全とは言い難い
状況だったので、台風のせいで中止になったが
正直、ほっとしたという感じだった。
次回の「東京エクストリームウォーク 100」は、
10月21日 (土)、22日 (日) 。
やはり、一度チャレンジすると決めたのだから、
歩かないと自分で納得がいかない。
ということで、申し込んだは良いが、
ずっと 暑くて練習する気にならなかった。
あれよあれよといううちに
本番まで2ヶ月を切ってしまった。
これはヤバイと思い、いよいよ歩き出した。
春に歩いていた頃は、
「歩くのが好きになった」とか書いていたけど、
5月31日に最後の練習で 10 キロ歩いてから、
一度も歩いていなかった。
何が「歩くのが好きになった」だ。
いい加減なもんや。
まあ、腰の痛みが収まったら、
暑い夏になってしもたというのが言い訳や。
で、3ケ月ぶりに歩きました。
一昨日 11 キロ、本日 12 キロ。
3ヶ月も歩いてないと、身体は完全に
歩き始める前に戻ってるね。
春に歩いていた頃は 10 キロなんて平気だったのに、
一昨日は、思った以上に疲れたよ。
そして、昨日一日開けて、今日 12 キロ。
1時間ほど歩いたあたりから、すねの辺り
(ふくらはぎではなく、足の前側)と
お尻に一昨日の筋肉の疲れ(筋肉痛?)を感じた。
こんなの春には感じたことなかったんちゃうかな。
特にお尻の筋肉の負担が大きいと気付いた。
歩きながら、お尻の筋肉に触ると分かるけど、
歩くという行為には、結構 お尻の筋肉を使うんやな。
一昨日と今日の夜の東京は、
それなりの気温だったと思うけど、
台風の影響もあるのか時折 風が吹いて、
暑くてどうしようもない、というほどではなかった。
それでも、しっかり汗を かいたけど。
というわけで、10月21日まで、再び歩きます。
目標、本番までに 250 キロ!
2ヶ月ないので、250 キロは、ちょっと難しいかもな。
今度は、腰を痛めないよう、十分、
ストレッチや準備体操に注意して歩こうと思う。
ちなみに 10月にテデスキー・トラックス・バンドの
来日公演が、18日、20日、21日とあって、
3日ともチケットを買っていたのだけど、
涙を呑んで、大会の前日 20日と当日 21日は諦めたよ。
前日は、観に行こうかとも思ってたけど、
万全の準備のために やめました。
22日に追加公演が決まったんやけど、
25 〜26時間かけて、100 キロ歩き終えた日の
夜は観に行く自信がないな。
なので今回は、18日だけで我慢します。
20日と 21日のチケット、キャンセルは
できないし、今やヤフオクなどでも売れないし、
どうしたものかと思っていたら、ちゃんと、
困ったときに転売できるサイトを発見。
「チケジャム」というサイトなのだが、
無事2枚とも行きたい人に買ってもらえて
無駄にならず、助かりました。