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つつみしんやのひとりごと  
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2009.2.15

一流であること

今月号の雑誌 「Guitar Magazine」 にギタリスト Pat Metheny の

インタビューが載っている。

彼は、いくつかのプロジェクトで演奏しているのだが、

インタビュアーの 「特にやりがいのある活動は?」 という問いに

こう答えている。

  「最近、子供の友達のパーティで、『ハッピー・バースデイ』 を

  プレイすることになった。そのために、スタジアムで1万人の

  オーディエンスのためにプレイする時とまったく同じように、

  2時間ウォームアップしたよ。

  プレイする機会は、どんな場合でも僕にとっては等しく

  貴重なものであり、常に光栄に思うんだ。」

先日、これを読んで感動したのだが、今日、たまたまTVで

同じような言葉に出会った。

それは、『ソロモン流』 という番組で、

東京・表参道にあるレストラン 「BENOIT」 の料理長を務める

小島景さんに密着したドキュメンタリーだった。

その中で、高級食材のフォアグラを仕込む彼に、

番組スタッフが、 「今、どんな心境ですか?」 と質問する。

その質問の意図を測りかねたように、彼はこう答えた。

  「材料が、ニンジン1本だろうが、フォアグラだろうが、

  『おいしくしてやる』 っていう思いに違いはないですよ」

また、彼の師であり、フランス料理界の巨匠であるアラン・デュカスに

味見をしてもらう時に、同じように 「今、どんな心境ですか?」 と、

番組スタッフが質問する。

  「普通ですよ。誰に食べてもらう時でも、普段やっている味を

  食べてもらうわけですから、相手が誰でも特別なことはないです」


う〜む。

相手によって、自分が違ってしまう私は、まだまだだな、

と思ったのであった。




2009.2.20

思ってはいけないこと

TVをつけたらちょうど イチローが映っていた。

もうすぐ始まる WBC について、

「メンバーの座を勝ち取りたい」 と話すイチローに

インタビュアーが、言った、

「(あなたが) メンバーからはずれることは、ないと思いますよ」

という言葉に、彼は こう答えた。

「私以外の誰が そう思ってもいいことです。

でも、私がそう思ってはいけない。

それが、(私という) 個人のスタンスです。」

非常に明確。

私が、彼の立場だったら、

「いやいや、そんなことないっすよ〜」 とか、

本当は、そうは思っていないのに、薄っぺらい謙遜の言葉をはきそうだ。

が、彼の言葉には、

自分が世間からどう見られているかを知っていて、

世間の人がどんな風に自分のことを見ようとも それは、

その人の自由であることを認めていて、

人 (自分)は、ついつい傲慢になってしまうことを知っていて、

その傲慢さが一番危険であることを知っている、

そんな いくえもの深さを感じた。

やっぱり、ちゃうなぁ。

一流は。





2009.3.2

名を名乗れ

あきらかに携帯電話 (以下、携帯) からのメールに多いのだが、

時々、差出人本人の名前がないメールを受け取る。

携帯同士のやりとりだと、誰から来たのか表示されるため、

携帯からの発信の際に本文に名前を入れない人が多い。

私は、携帯のメールはほとんど使わないので、

相手が携帯でもPCのアドレスを教える。

するとたまに、本文を読んでも誰からか分からないメールが

届く。

発信者のアドレスは、明らかに携帯のアドレスだ。

今までに数回、

「恐れ入りますが、どなた様でしょうか?」 という

メールを返信した。

幸い、ほとんどの無記名のメールは、その内容か

アドレスから、発信者を判別できるが、それでもやはり、

名前がないのは、受取る側としては好ましくないし、

時には失礼な印象さえ持つこともある。

おそらく、日常のメールのやり取りが携帯同士の人は、

そんな不便を感じないのだろう。

仕事でパンの通信販売の管理をしているが、

そこでも、無記名のメールが届く。

友達同士ならまだしも、そういう場面でも無記名であることに

いよいよ、何か手を打たないと、後々トラブルに発展しかねないな、

と思うようになった。

例えば、「パンの配送日を変更してください」 というような

内容のメールが無記名なのだ。

もちろん、そのやり取りの背景や、発信者のアドレスから

お客様を特定することは可能だが、数が増えてくると

こちらが、間違わないとも限らないし、

送信者の確認のために時間を費やすのは、時間の無駄だ。

携帯のメールを活用している方々、

受け取った相手は、必ずしも携帯とは限らず、

PCで受ける人もいるので、必ず名乗るようにしよう。

いや、相手が携帯であっても、記名した方が良いだろう。

本文最後に記名するのでも良いが、

特に普段メールのやり取りのない相手には、

本文の最初に 「○○です」 と名乗るのがスマートだ。





2009.3.3

商売気がないっちゅうことか

1月の中ごろ、お気に入りの革ジャンを修理に出した。

裏地が、ボロボロになってきたのでそのリフォームだ。

お店に預ける際、「何日ぐらいかかりますか?」 と聞いたら、

「2〜3週間だけど、これに合う裏地を買いに行かなきゃいけないので

もう少し、かかるかも」 というような答えだった。

「仕上がったら電話を入れます」 とのことだったので

私は、「平日の昼間なら会社の方が、連絡がつきます」 と

自宅と会社の二つの電話番号を告げた。

数日前のこと、(もう ひと月半も経つのにまだ出来ないのかな)

と思い、電話を入れてみた。

返ってきた答えにビックリ。

「とっくに出来ています。電話しなくてすいません」

修理に出したのが、オフシーズンならまだしも、

革ジャンって冬に着るもんでっせ。

そのうち、春、来まっせ。

商売でやっているのに、なんで電話を入れないのか不思議だ。

なんでか、聞いてみたい。

聞かないけど。

いっそのこと、

「ちょうど仕上がったところです」 と嘘を言ってくれた方が、

「とっくに出来ています」 と言われるよりは、救われたな。

嘘も方便というだろ。





2009.4.4

比 較

「幸せだ」 と思うときってどんなとき?

私は、誰かと、自分の生きている環境や状況、ポジションを

比較して幸せだと思うことがある。

でもそれは、本当に心から 「幸せ」 って感じているのではなく、

結局、誰かとの比較の上で、

「あの人に比べれば、自分は不満なんて言うべきじゃない」

「幸せだと思わないとね」 と

概念的に 「自分は幸せだ」 と言い聞かせているふしがある。

比較は、やはり比較なのだ。

子供の頃、きらいな食べ物を残そうとすると、母親に

「食べるものがない時代があった」 とか、

「世界には食べるものがない人達がいる」 とか言われ、

食べるものがあるだけ、幸せだと教えられた。

確かにそう。

それはそれで 一つのレベルでは 全くそうなのだが、

何か違うような気がしてきたのだ。


先日、歩いていて、足の不自由な男性とすれ違った。

彼は、両手に松葉杖をつきながら、ほとんど両足を引きずるかのように

ゆっくり歩いていた。

怪我をして、そうなったのではなく、おそらく生まれた時から

足が不自由だったんだろう と勝手に思った。

そして、すれ違いざまに、

「普通に歩けるのは、幸せなこと。

五体満足で生まれたことに感謝しなくちゃ。」

と、反射的に思った。

その直後、

「じゃあ、彼は不幸なのか?

彼は、生まれてきたことに感謝できないのか?」

と疑問がわいた。

そして、彼より、恵まれているとか、幸せだとか思う自分が、

傲慢に思えてきた。

自分より、つらい状況にいる人を見ないと、

自分の恵まれた環境・状況に気がつきもせず、感謝もない。

だから、そのことを気付かせてくれる良い機会であることには、

違いない。

でも、誰かと比較して、自分を 「幸せ」 だと思うのは、

もうやめにしたい。

現実的には、社会は相対的に成り立っているし、

比較しないなんて、不可能なんだけど、

比べなくても、幸せであり、感謝のある人でいたい、と思った。


以前、何かの本で読んだ。

「比較が不幸を生む」 と。

比較して、幸せを確かめるなら、その逆もあるわけだからね。





2009.4.6

中村雅俊

中村雅俊の長男(役者)が、大麻所持で逮捕されたことについて。

お昼のワイドショーで、芸能レポーターが

「子供の頃の育て方に問題があったんじゃないでしょうか」

作詞家が

「(息子の)顔を見れば、役者としての苦悩が見えない。

甘やかされてたんでしょうね」

と言っているのを聞いて、腹が立った。

この人達は、何を知っていて、こんなことをTVで言えるんだろう。

そんな風に反応する私は、特別、中村雅俊のファンというわけではないが、

三田佳子の息子の時とは明らかに違う反応で、我がことながら興味深い。

三田佳子の時は、あまり同情心がわかなかったが、

中村雅俊は、かわいそうで、思わず 「しっかり〜!」 と 応援したくなる。

男だからか?

泣虫だからか?

彼のキャラクターがそう思わせるのか?

よく分からないが、やっぱり、

『われら青春!』 『俺たちの旅』 『俺たちの勲章』 など、

子供の頃、影響を受けたから、味方したいのかな。

いずれにしろ、一日も早く息子が更正し、

彼に笑顔が戻ることを願う。


「中村雅俊」 と検索したら、面白い記述を発見した。

『ウィキペディア(Wikipedia)』 によると、

 『われら青春!』の主役は松田優作で内定していたが、
 萩原健一の降板に伴って松田が『太陽にほえろ!』に
 出演することになったために主役の座が空き、
 急遽出演が決まった。
 文学座の1期先輩である松田が番組プロデューサーに
 推薦したと言われている。

『俺たちの勲章』 で共演していたが、二人は先輩後輩の仲だったのだ。

かなわないが、松田優作の 『われら青春!』 も観てみたい。





2009.4.15

覚えない

JAZZ というのは、面白く、深い音楽だ。

先日、フルートの梅林さんが興味深いことを言っていた。

彼は、たくさんの曲を覚えているようなので、

「全部、覚えているのですか?」 と訊いた。

その答え。

「覚えてないよ。覚えると忘れるでしょ。」

確かに。

覚えると、しばらく演奏しないと忘れる。

しかし、それは、曲を忘れたのではなく、コード進行を 忘れるのだ。

忘れるのは、音楽ではなく、概念なのだ。

なので、覚えなければ、忘れることもない。

曲は、知っているのだから、サウンドの流れに身を任せれば、

(コードを) 覚えていなくても演奏は出来るわけだ!

なるほど!

と言っても、どうして良いか分からない。

ここから先は、才能か?





2009.4.29

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

外苑前で開催されている、ダイアログ・イン・ザ・ダーク (以下DID) に

参加してきた。

「目以外の何かで、ものをみようとしたことがありますか?」

DID のパンフレット、一行目のコピーだ。

DID は、8人のグループと

アテンドと呼ばれる案内役で 約90分ほど、

真っ暗闇の中を 探検していくプログラム。

パンフには、「ソーシャルエンターテイメント」 と書かれている。

アテンドは、視覚障害者。

参加者は、一緒に行った妻以外は、初対面の人達だ。

真っ暗闇は、文字通り 真っ暗闇で、通常の生活では、

体験することのない暗さだ。

自分が、目を開けているのか、閉じているのか分からないほど

本当の闇だ。

ふだんの生活で、夜、明かりを消したとしても、少しは光があるので

ぼんやりとは見えるだろう?

でも、DID の中では、自分の手を目の前に持ってきても全く見えない。

その中をアテンドとグループの人たちの声を頼りに 進んでいく。

ただそれだけのことの中に、驚くのほどの 感動と発見 がある。

これをお読みの皆さんにも ぜひ参加して欲しいので、

あえて、私の感想やくわしい内容は書かない。

アテンドが、「これで終わりです」 と言ったときに、

(え〜!もっと続けたい!) と思ったほどの体験だ。

ウェブサイトのトップページに

「ずっとまっくらな中にいたくなる」 と書かれているのは、

大げさな宣伝文句ではない。

ぜひ、体験してみてください。

素晴らしいです。


DID は、1989年にドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの

発案で生まれ、今まで世界25か国・約100都市で開催され、

2009年現在で600万人以上が体験したという。

日本でも1999年以降、毎年開催され、約3万6千人が体験したということだ。

私は、たまたま、いつも読むブログで知ったが、

特別 コマーシャルしているわけでもなさそうだし、

知る機会も限られている。

知ることが出来て、参加出来て良かったと心から思えるものだ。

詳しい案内と、申込は、こちら → ダイアログ・イン・ザ・ダーク





2009.4.30

ダイアログ・イン・ザ・ダーク その2

昨日は、ダイアログ・イン・ザ・ダークの感想をひかえたのだが、

やっぱり、少し書いておきたくなった。 (自分のためにも。)

たくさんの驚き・感動と発見があったのだが、

まず、暗闇は怖くない、ということ。

時々、目が見えなくなったらどうしよう、とか、

光がない世界なんて怖い、とか、考えることがあったが、

もしかしたら、光がない世界は、怖くない。

「もしかしたら」 と書いたのは、本当に視力を失った時にどうかは

分からないからだが、少なくとも昨日の90分間は、怖くなかった。

光を失うことへの恐怖、

それは、光のある世界にいて、「光を奪われる」 と思うから、

恐ろしいのであって、

光がある世界と、光がない世界が、全く別のものだとしたら、

恐怖など存在しないのではないかと思ったのだ。

その全く別の世界を DIDで体験した。


そして、目が見えることで、いかに余計なことを考えるか、

ものごとの本質と関係のないことに支配され、影響されているか、

を体験した。

私たちは、視覚による情報が、いかにも重要であることのように

生きている。

が、いったん、視力を失ったとたん、そのほとんどに意味がなくなる。

ルックスがどうか、何色の服を着ているか、そんなことに意味はない。

(着ている服の色が心理に影響がある、という研究をTVで

見た覚えがあるが、視覚障害があってもそうなのだろうか?)


そして、人との関係だ。

DID の中では、人 (しかも初対面の知らない人) と、

かなり近い距離にいた。

おそらく、明るかったら耐えられないほど、近くに。

しかし、暗闇の中では、むしろその方が、安心感があるのだ。

明るいところにいたら、発生し得ないであろう、親近感を体験した。


それから、音。

明るいところにいると、音と音を出している物質を、常に一体として

認識しているが、見えないと音だけが存在する。

あたりまえの事だが、これも体験したことのなかったこと。

空中に音だけが、存在するのだ。

不思議。


暗闇から出てきたときに、ごちゃごちゃした現実に引き戻された

落胆に近いものを感じた。

まさに 「ずっとまっくらな中にいたくなる」 。


もうひとつ、アテンド (案内役) が素晴らしかった。

昨日、私たちの担当に当たった方は女性で、

生まれつきの視覚障害と言っておられたが、

ほんの短時間に8人の名前を覚え、

誰がどこにいるか、まるで見えているかのように

案内を進めていく。

彼女の案内を受けていると、

彼女の視覚以外の感覚が、研ぎ澄まされているのが、

よく分かる。


私たちは、見えることで、多くのことを見失っているんだ。

視覚に頼りすぎ。

もっと違う感覚を使お。

でも、どうやって?


参加費は、8000円で、曜日、時間によっては割引があり、

4000〜8000円と開きがある。

平日の昼間は安いので狙い目。

ちなみに、昨日は祝日だったが、17:20スタートの回で、

6000円だった。

完全予約制なので、詳しくは 公式サイトで。

う〜む、しばらくしたらもう一度参加したい。





2009.5.4

発表会

昨日は、赤坂のBフラットで、私の通う JAZZギター道場の発表会だった。

発表会は、年2回、春と秋にある。

春の発表会は都内で、秋の発表会は合宿も兼ねていて、

毎年、越後湯沢で行われている。

私は、昨年の秋の発表会は、参加しなかったが、

一昨年の秋、昨年の春に続いて、3度目の参加。

道場は、師匠 宮之上貴昭の他、4人の師範代がいて、

生徒は、100人ぐらいいる。

その発表会なので、生徒の演奏だけで、5時間ぐらいかかる。

その後、師範代と師匠のライヴがある、という一日がかりのイベントだ。

私の演奏は、練習不足でイマイチに終わった。

が、多くの生徒と先生方の演奏を聴くのは、良い勉強になった。

中でも印象的だったのは、一昨年の発表会では

ギターを始めて間もなかった当時高校1年生だったM君。

高校3年生になった彼の演奏は、誰が聴いても全生徒の中で一番だった。

もう、プロでしょ、っていうレベル。

M君のお父さんも道場生で、昨日、少し話す機会があったのだが、

「めちゃくちゃ練習してるんでしょうね?」 と言ったら、

ちょっとうれしそうに

「(あの演奏聴いたら) どれだけ勉強してないか分かるでしょ?」 と

言っていた。

勉強せんでええよ。

あんなに弾けるようになるんだったら。

なんでも、椅子に腰掛けたまま、ギターを持って寝てる時もあるらしい。

幸せだよ。

そこまで打ち込めるものに出会えて。

それにしても、2年であんな風になるとは・・・

これから先、どうなるんやろ。




自然教育園

目黒駅から、7〜8分歩いたところに 自然教育園 がある。

約6万坪の園内には、森林・草原・池沼・湿原など色々な環境があり、

さながらどこかの山の中のような感じだ。

数年前に一度、ある仕事の下見で、一人で行ったことがあるのだが、

その時、東京のど真ん中にこんな自然があるのか!と感激した覚えがある。

それ以来、訪れる機会がなかったのだが、

今日、妻と散歩がてら行ってきた。

なんと今日は、みどりの日ということで、通常300円の入園料が無料!

ついてるね〜。

だが、連休中ということもあって、ちょっと人が多かった。

前に行った時は、平日だったので、ガラガラだった。

ひと気がない分、自然を感じたのだが、今日はちょっと観光地っぽかったな。

でも、東京に住んでいても知っている人は少ないようだし、

休みの日にちょっと散歩するのに良いと思う。

目黒にいること、忘れるよ。

一度、試してみておくれ。


どういうわけか、自然教育園のサイトがエラーになるので
国立科学博物館のサイトをリンクしておく。
  ↓
国立科学博物館附属自然教育園





2009.5.10

人間の嗅覚

ダイアログ・イン・ザ・ダーク に行ってきたことは、数日前に書いた。

目が見えないと聴覚や嗅覚、第六感が研ぎ澄まされているんだろうと

いうのは、容易に想像できるが、ちょっとビックリするような話を、

視覚障害のあるアテンド (案内役) の方に聞いた。

その方の知人 (視覚障害者) の話だが、

なんと、コンビニをにおいで嗅ぎ分けられるというのだ。

初めて行ったコンビニが、ローソンなのかセブンイレブンなのか

においで分かるらしい。

ローソンとセブンイレブンでにおいが違うというのは、

売っている商品群の違いということなのか?

犬の嗅覚は、人間の数千倍という話は聞いたことがある。

その人の場合、数千倍とはいかなくてもかなり鋭い嗅覚だろう。

普通の人が感じない色んなにおいが、気にならないだろうかと、心配だ。

それは、余計なお世話だが、

人間の感覚は私たちが思っている以上に凄いのだ。





2009.5.12

失敗する権利

親は、子供に幸せになって欲しいし、失敗して欲しくないので、

「あれは、やってはいけない」 「これは、やっちゃダメ」 と言う。

ありがたいことだ。

が、親といえども、子供の失敗する権利を奪って良いわけがない。

人間には、成功する権利も、失敗する権利もあるのだ。

そして、失敗の方が学ぶことが多い。

もっと言えば、「成功は良くて、失敗は良くない」 という考えそのものが、

実は失敗より、人を不幸にする。





2009.5.18

人間には自分が見えない

先日、朝、電車に乗ると幼稚園児ぐらいの女の子二人と

それぞれの母親らしき、30代ぐらいの女性二人の四人組が 乗っていた。

めちゃくちゃ混んでいたわけではないが、通勤時間なので

それなりに混んでいた。

通勤時の車内というのは、一人で乗っている人が多いせいか

ほとんど話し声はない。

私が乗り込んだとき、その母親と思われる女性の一人が、話していた。

その人がほとんど一方的に話し、もう一人は相づちを入れる程度だ。

大声ではないが、周りに気を使って小声という風でもなく、

普通の声 (音量) で 話していた。

周りに、他に話している人は いないので、彼女の声だけが、

その周辺の乗客には 聞こえていただろう。

しばらくすると、子供が何かを言った。

多少、大きな声だったかも知れないが、子供のことだし、

私は気にならなかった。

すると、今まで話していた、その子の母親 (らしき女性) が、

子供に向かって、こう言った。

「○○ちゃん、電車の中ではどうするんだった?」

「・・・しずかにするぅ」

「今、どうだったの?」

「 ・・・・・ 」

子供は黙ったが、その女は 又、しゃべりだした。


妻と電車の中で 話しているとき、

ごくまれに 妻に 「声、大きいよ」 と注意されることがある。

そして、たびたび、妻に 「声大きいよ」 と注意することがある。

私たちも似たようなものか・・・。




2009.5.28

大阪の喫茶店

「ミィージュー」 って何か分かる?

私が20歳の頃、アルバイトしていた大阪ミナミの喫茶店では、

ミックスジュースのことを 「ミィージュー」 と呼んだ。

「オーダーお願いします。ミィージュー、ワンです」 ってな感じ。

いつだったか、ミックスジュースは、関西ローカルの飲み物だと

何かで聞いた覚えがある。

ミックスジュースは、大阪では、必ずどこの喫茶店にも

あったメニューだ。

最近では、スターバックスのようなスタイルの喫茶店が増え、

昔ながらの喫茶店は、すっかり減ったので、

大阪でも減ったかも知れないが。

私がアルバイトしていた店のレシピは、確か、

バナナ、みかん(缶詰)、パイン(缶詰)、桃(缶詰)と牛乳と砂糖を

ジューサーで混ぜ合わせてたような気がする。

結構、おいしいんだよな。


では、「ミーコー」 はどうだ?

そう、ミルクコーヒーのことだ。

まだ 「カフェオーレ」 という呼び方が、一般的でなかった

私が18歳の頃のこと。

私は、大阪 上本町6丁目の喫茶店でアルバイトしていた。

その頃、3日に一度ぐらい来店しては、

「ミーコー2つ」 って注文するカップルがいたんだ。

でも、これは、言う人少なかったかもな。


では、もうひとつ、極め付けに。

「キューピット」 っていう飲み物は、ご存知か?

これも大阪の喫茶店で出していたもの。

カルピスのコーラ割りだ。

今度、自宅で試してみてね。





2009.5.29

大阪の喫茶店 その2

昨日のひとりごとを読んで、大阪出身で東京暮らしの

長い読者 (友人)が、

「大阪では、レーコー とか、クリソ とか言ってたな」 と

メールをくれた。

ご存知の方も多いと思うが、「レーコー」 は、

アイスコーヒーのことで、「冷コーヒー」 から来たと思われる。

では、「クリソ」 は?

クリームソーダのことだ。


大阪と東京では、言葉の略し方がちょっと違う。

マクドナルドは、東京では (全国的に?) 「マック」 というが、

大阪では、「マクド」 と言う。

この文面では、イントネーションが表現できないので、

皆がどう読むかちょっと心配だ。

東京の人なら、「マ」 にアクセントを置きそうだが、

大阪では、「ク」 にアクセントを置く。

ゲームセンターは、東京では 「ゲーセン」 というが、

私たちは、「ゲムセ」 と呼んでいた。

こちらも 同じく アクセントは、「ム」 だ。

もしかしたら、時代とともに大阪でも呼び方が変わっているかも

知れないが。


そういえば、若い頃は、「お茶飲みに行こう」 というのを

「ちゃー、しばこ」 と言っていたな。

今でも言うのかな?

大阪の若者たち。


うむ、言葉は、文化だな。





2009.5.30

マスク着用しますか?

インフルエンザのニュースも減り、休校していた学校が再開したりと、

ちょっと落ち着いてきたのかな、と思ったら、

今日、新たに千葉県でも感染者が出たりと、まだ予断を許さぬ状況だ。

さて、先日、興味深い報道を見た。

今月、神戸市ではその85%の人が、マスクを着用したというデータが

あるそうだ。

しかし、その効果については、

「自分への感染を防ぐ効果は低いと思う」 という人が38%と4割近い。

なのに何故、85%もの人が、マスクを着用したのか。

「マスクをしなければいけないような周囲の雰囲気を感じる」 と

答えた人が58%いる。

「効果はないと思うけど、皆してるから、私もしとこ」

「マスクしてないと、意識低いみたいに思われるから、私もしとこ」

(たぶん) そんな人が6割近くもいるのだ。

なんとなく、日本人らしいと感じるのは私だけか?

ちなみに

「マスクは新型インフルエンザの予防にほとんど役に立たない」 と

言っている専門家もいるようで、

効果があるとしても、正しい使い方をしないとダメなのだが

ほとんどの人が正しい使い方を知らないようだ。





2009.6.14

逆説の10か条

有名な言葉なのでご存知の方も多いだろう。

マザーテレサで有名になったようが、彼女の言葉ではなく、

ケント・M・キースという1949年生まれのアメリカ人が作者で、

マザーテレサ の コルカト (カルカッタ) にある 「孤児の家」 の壁に

書いてあった言葉だそうだ。

原文が英語なので訳し方によって、かなり印象が変わる。

例えば、「anyway」 を 「気にすることなく」 って訳しているものが

あったが、全部それだと無理がある。

いくつかの訳を読んだが、下記の訳が一番良いと思った。

ネット上で見つけたもので、訳者は分からない。

原文とあわせて紹介する。

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「逆説の10か条」 ケント・M・キース

The Paradoxical Commandments
Finding Personal Meaning In a Crazy World
by Dr. Kent M. Keith

1. 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
  それでもなお、人を愛しなさい。

 People are illogical, unreasonable, and self-centered.
 Love them anyway.

2. 何かよいことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと
  人に責められるだろう。
  それでもなお、良いことをしなさい。

 If you do good, people will accuse you of selfish ulterior motives.
 Do good anyway.

3. 成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
  それでもなお、成功しなさい。

 If you are successful, you will win false friends and true enemies.
 Succeed anyway.

4. 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
  それでもなお、良いことをしなさい。

 The good you do today will be forgotten tomorrow.
 Do good anyway.

5. 正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
  それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。

 Honesty and frankness make you vulnerable.
 Be honest and frank anyway.

6. 最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も
  小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。
   それでもなお、大きな考えをもちなさい。

 The biggest men and women with the biggest ideas can be shot down
 by the smallest men and women with the smallest minds.
 Think big anyway.

7. 人は弱者をひいきにするが、勝者の後にしかついていかない。
  それでもなお、弱者のために戦いなさい。

 People favor underdogs but follow only top dogs.
 Fight for a few underdogs anyway.

8. 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
  それでもなお、築きあげなさい。

 What you spend years building may be destroyed overnight.
 Build anyway.

9. 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し
   伸べると攻撃されるかもしれない。
   それでもなお、人を助けなさい。

 People really need help but may attack you if you do help them.
 Help people anyway.

10.世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを
  受けるかもしれない。
  それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

 Give the world the best you have and you'll get kicked in the teeth.
 Give the world the best you have anyway.

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タイトルの 「The Paradoxical Commandments」 は、

「逆説の戒律」 ということだろうが、

「Finding Personal Meaning In a Crazy World」 は、

どういう意味だろう。

「狂った世界で個人的な意味を見つけること」 では、

何が言いたいのか分からない。

どなたか適切な訳を知っていたら、教えてください。





2009.6.16

悟 り

たまたま、つけたテレビ (NHK) で、

宮崎奕保 (みやざきえきほ) さんという お坊さんの特集をやっていた。

宮崎さんは、永平寺78代貫首で、昨年、106歳の天寿を全うするまで

修行僧の先頭に立って 座禅一筋の生涯を貫いた方だ。

曰く、(正確には覚えてないけどこんな内容)

  禅いうたら、殊更何かあるように思てるが、
  歩いても禅、しゃべっても禅。
  スリッパ脱ぐのも禅。
  脱いだスリッパがまっすぐでなかったら、
  それは、自分がまっすぐでないということ。
  全ては自分の心の表れや。


う〜、耳が痛い。

そして、一番印象に残った言葉がこれ。

  いつ死んでもええと思えることが、
  悟りやと思ってた。
  それは、間違いやった。
  平気で生きていることが、悟りや。

  平気で生きることは難しい。
  死ぬときが来たら、死んだらええんや。



半年ほど前、映画 『禅』 を観て、

道元禅師のことを知りたいと思ったのに

何もしていないな・・・。





2009.6.20

Bali Cafe

渋谷に Monkey Forest という バリ島料理のお店がある。

バリ島料理では有名なお店らしい。

今日は、そこで FIZ (Pico+桜井俊也) のLIVE があり、

お店の視察を兼ねて PA (音響) のアシストに行ってきた。

お店の視察、というのは、私もそこで LIVE 出演をという

目論見があったからだ。

LIVE は、ランチタイムと夜の営業の間の時間を使って

行われた。

オーナーの N さんとも挨拶が出来たので、

LIVE も今後考えていきたいのだが、

その前に、バリ島料理って食べたことがなかったので、

近々、夜に食べに行こうと思う。

今日は、LIVE の後、ランチを食べさせていただいたのだが、

中々、私好みの味でおいしかった。

店内は、バリから持って来たと思われる、美術品や調度品が

たくさん飾られている。

これは、そんな中の一つ。

バリのお雛様だろうか。

誰かに似ているような気がする。




店先の植木鉢には、小さなピーマンのような植物が実を付けていた。



この実の赤や黄色をぼぉ〜っとながめながら、自然の色ってスゴイな〜なんて

思っていたら、昔、何かで読んだこんな言葉を思い出した。

 「空を見て、青がもうちょっと こうだったら良いのにとか、
 葉っぱを見て、緑がもうちょっと濃かったらとか、
 薄かったら良いのにとか、思わないでしょう?
 自然 (宇宙) は完璧なのです。
 あなたもその自然 (宇宙) の一部なのですから、生まれつき完璧なのです。」





2009.6.23

沖 縄

昨日、奇しくも、沖縄に関することを書いた。

今日6月23日が、沖縄戦の終結の日とは、知らずに。

2005年、初めて沖縄に訪れた際に、平和祈念公園に訪れ、

軍人・民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなった全ての人々の氏名を刻んだ

祈念碑を見て、その数の多さと、アメリカ兵の名前も刻まれていることに

衝撃を受けた。

今日のニュースで知ったが、沖縄には、いまだに2500トンの

不発弾が 地中に残るという。

今年の1月にも糸満市で不発弾の事故があり、負傷者が出ている。

沖縄県内の不発弾事故では、1974年に那覇市小禄で園児4人が死亡、

87年に那覇市長田で1人が死亡、89年に伊江村東江上で1人が

死亡しているという。

戦後は、まだ終わっていないんだ。


2006年沖縄を訪れた際、Jazz Singer の与世山澄子さんのお店に

彼女のLIVEを観に行った。

沖縄には「コーヒーシャープ」 (Coffee Shop) という看板があるのを

本で読んで知ったいたが、与世山さんのお店の中の手書きの張り紙に

「沖縄のミュズィシャン」 と書かれていたのを見て、

ここはかつてアメリカで、英語を聞こえるままにカタカナにしたんだな、

としみじみ感じたのを思い出した。


祈 平和





2009.6.25

メールの返信

「このメールには、普通、何か返事するだろ?」 というようなメールに

返事をくれない人が、たまにいる。

Eメールというのは、(たぶん) 届くことが100%確実ではない上、

受信した本人がそのメールを見落としている可能性もある。

または、もしかしたら、返事を送ってくれたのに何らかの事情で、

こちらが受信できななかった可能性もある。

送った身としては、せっかく、メールを送ったのに

相手が読んでくれたかどうかさえ分からないのは、スッキリしないものだ。

でも、「メール読んだ?」 と メールで聞くほどのことでもないし、

まして、電話で確認するほど重要なことでもない。

だからといって、開封確認請求のメールは、なんとなく強制的というか、

失礼な感じがして、好きでない。

じゃあ、送ったんなら、自分の役目は全うしたということで、

気にしなければいいじゃないか、というと

やっぱり、レスポンスがないと、相手が読んでくれたのかどうか

気になってしまうし、小心者の私は、

相手が、私のメールを見落としていて、

(または、なんらかの事情で届いてなくて)

「なんや、返事来ないじゃないか」 と快く思っていないんじゃないかと

思うと、これまた 落ち着かない。

そして、(読んだなら何なりと返事しろよ) と相手への文句もある。


話が終わっていないのにメールの返信をしないというのは、

口頭の会話に例えれば、そこで相手を無視するようなものだ。

口頭なら普通、何か返事するでしょ、「うん」 だけでも。

なので、せめて、「メール読みましたよ」 「届いてますよ」 という

メッセージだけでも送って欲しいものだ。

私が、メールを見落としたり、返信を忘れたりする可能性もあるわけだが、

そういうことのないように、家と会社、2台のPCでメールを受信する上、

読んでもすぐに返信しないメールは、未開封にして、

置いておくという くせ をつけている。

それでも 妻に対しての返信を怠り、時々注意されるし、

まれに送ったと思っていた返信が送られていなかった、ということもある。


なので、本当は、返信があろうがなかろうが、平気な人でいたい。

「返信すべきだろ」 「返信しないのは無礼じゃないか」 と

人をジャッジするのではなく、必要なら、相手を悪化することなく、

「メール読んだ?」 と聞ける人でいたい。

これは、相手のことでなく、私自身の問題だからね。

ああ、リリースへの道は遠いな。





2009.6.26



ずい分前に 三浦綾子さんの本で読んだ。

息子を殺された母親が、その犯人を赦し、出所後、

同じ部屋で 寝れるほどの人間関係をつくったという話。

(念のためだが、同じ部屋で寝る、というのは、男女の関係ではない。)

それは、キリスト教の信者の話で、信仰によって、

人はそこまで愛を持てる、というような話で、実話だった。

そんな人がいるのかと、驚きだったので覚えている。



1994年6月27日に長野県松本市で、猛毒のサリンが散布された。

死者7人、重軽傷者約600人を出した。

その松本サリン事件で自らも被害にあいながら、

犯人扱いされた河野義行さんのことを今朝のテレビで観た。

夜の9時から、スペシャルドラマが放映されたが、そちらの方は、

一部しか観られなかった。

奥さんも被害にあい、意識不明になりながらも、

彼は、警察とマスコミに犯人扱いされ、深刻な人権侵害を被った。

翌1995年3月、東京で地下鉄サリン事件が起こり、

真犯人がオウム真理教だと判明するまでの約9ヶ月もの間。


その河野さんが、犯人の一人の謝罪を受け入れ、今では、

友人として付き合っている。

その犯人とは、実行犯ではないものの河野さんの家の隣の駐車場に

撒かれたサリンガスを噴霧する車を製造した人物だ。

裁判で有罪になり、10年の刑期を終え、2006年出所後、河野さんを

謝罪に訪れた。

それから、1〜2ヶ月に一度、彼は河野さん宅を訪れている。

マスコミの 「どうして、加害者とつきあえるのですか?」 との問いに

河野さんは、「あなたがたとも付き合っているじゃないですか」 と

答えたという。

彼にとっては、加害者は、オウムだけじゃない。

警察もマスコミも加害者なのだ。

彼は、こう言った。

「私は、元オウム信者、警察、マスコミ、加害者と呼ばれる人たちを

うらんだり、憎んだりしていない。

なぜなら、自分の人生をつまらないものにしたくないから。」



昨年8月5日、河野さんの妻、澄子さんが14年間意識不明のまま亡くなり、

事件の犠牲者は8人になった。





2009.6.28

ギターと瞑想

以前、私が学んだ瞑想法は、ヴィパッサナーといい、

ゴータマ・ブッダが悟りを開いたといわれる瞑想法だ。

ヴィパッサナーは、ひたすら身体の感覚を観察し続ける、

という瞑想なのだが、その簡単そうなことが実に難しい。

先日、メトロノームを鳴らしながら、ギターの練習をしていた時、

ふと、その瞑想にすごく似ていることに気付いた。

ちょっと邪念が入ってきたり、集中が途切れると、メトロノームと

合わなくなる。

リズム感の良い人であれば、そんなこともないのだろうが、

私は、あまりリズムが良くないもので、あっという間に

メトロノームとずれてしまう。

JAZZ は、相手 (一緒に演奏している人) を聴く音楽とも言われる。

メトロノームを聴くことは、相手を聴くことにも通じる。

相手を聴きながら、自分を表現していくのだ。

その表現には、当然テクニックが要求される。

テクニックがないと、相手を聴く余裕などなく、

自分ひとりの演奏になってしまう。

聴くことと、演奏すること、この二つを同時に、

高いレベルでやることが必要なのだ。

やっぱり、精神なのだな、最後は。


ヴィパッサナー瞑想





2009.7.8

まぎらわしい走り方

数日前、朝、出勤のため家を出るとちょうどバスがやってきて、

私を追い越した。

バス停は、数十メートル先にある。

ふだんは、バスには乗らず駅まで歩くのだが、

その日は、家を出たのが少し遅かったため、バスに乗ることにした。

私は、ダッシュしてバスを追いかけた。

運転手は、ミラーに映る走ってくる私を見たのだろう、

乗り降りが済んでも発車せず、私が乗り込むのを待ってくれた。

おそらく、ほんの数秒だったが、私のために発車が遅れた。

さて、バスが発車し、次の停留所に停まったとき、

前から一人の女性が 全力で走ってくるのが見えた。

バスの運転手は、当然彼女を待った。

私は、自分が遅刻しそうなので バスの発車が遅れることにいらだち、

心の中でその走ってくる女性を責めた。

(お前のせいで遅れるかもしれないじゃないか) と。

なんと女性は、扉の開いたバスの横を通り過ぎ、

バスの後方へなおも走り続けた。

そう、彼女はバスに乗り遅れまいと 走っていたわけではないのだった。

運転手は、走り去る彼女を確認後、扉を閉めバスを発車させた。

彼女を待ったためにバスは、発車が遅れた。

それも、ほんの数秒のことだ。

頭では彼女が悪くないのは分かっていても、

(まぎらわしい走り方すんな) と、彼女にちょっと腹が立った。

自分は、バスを少々待たせてでも乗りたい。

でも、人を乗せるために、発車が遅れるのはイヤ、とは、

なんと自分勝手なことよ。


その数日後、こんなことが起こった。

私は、またバスに乗ろうとダッシュしていた。

私が乗りたいバスの反対車線 (反対方向) のバス停にも

ちょうどバスが来ていた。

反対向きのバスの運転手が、明らかに、走っている私を見て、

発車させずに待っているのが、私にも分かった。

私は、(ちゃうねん!ちゃうねん!) と心の中で叫びながら、

そのバスの横を走り抜けた。

数日前、まぎらわしい走り方をしていた女性に腹を立てた私は、

今度は、自分でバスを引き止めてしまったのだった。

本当は、「まぎらわしい走り方」 なんて誰もしていないんだけどね。





2009.7.9

ガイジン

昨日、銀行で、40歳代ぐらいの外人女性を見かけた。

タンクトップを着た白人で中々カッコのよい人だった。

背中に小さく漢字のタトゥーを入れているのが見えた。

(何て彫ってるんだろう?) と気になったので

さりげなく近づいてみると、「我愛人」 と彫られていた。

外人だけに 「ガァイジン」 ですか?


と、ここまで書いて、もしや中国語では? と検索してみた。

どうも中国語では、「愛人」 は、配偶者のことのようだ。

女性が、「我愛人」 と彫っているということは、「私の夫」 という意味か。

「我愛人」 検索にひっかかってきたブログに、、

私と同じように、その金髪女性を見かけたことを

書いている記事があった。

しかも 今年の6月14日の記事なので、

おそらく私が見た外人と同一人物だろう。

そのブロガーも同じように、「ガイジン」 のしゃれかな? と書いていた。

すると、コメント欄に

「その方知ってます。
『我愛人』の次に「募集」が書いてあります。(見えませんでしたか?)」

と書き込まれていた。

見えなかった。

「募集」 は、タンクトップの中だろう。

そうか、結婚相手募集ってことか。

でも、そうだとすると、結婚相手見つかったら、

あのタトゥーは、どうするんだろ?





2009.7.12



前々から思っていたのだけれど、

Boz Scaggs って













高田純次に似てるよね。





2009.7.22

Yes or No

後ろを歩いていた若者2人の話し声が聞こえてきた。

女 「それで、付き合ってるの?付き合ってないの?」

男 「どっちかって言うと、付き合ってる、かな」

女 「何それ。そこは責任取らなきゃダメよ。イエスかノー、どっち?」

男 「じゃあ、ノーだ」

思わず、後ろを振り向き、突っ込みそうになった。

「お前、それは 『イエス』 だろ!」って。

あいつ、あの女に気があったのかな。

それにしても、男って弱いよなぁ。





2009.7.23



一昨日、初めて新居から通勤した。

朝は何も感じなかったのだが、帰り、五反田駅で池上線に

乗った瞬間、異様な感じがした。

帰宅時間で電車はそれなりに混んでいたのだが、

その乗客のほとんどが、「宇宙人!」 って感じたのだ。

それも、結構、強烈に。

見渡すと、例えば ウィル・スミスの 『MIB』 に出てくるような

ちょっとブサイクな宇宙人が いっぱい乗っていたのだ。

もちろん、見た目は普通の人間だが、彼らは人間のふりを

している宇宙人だ。

今まで そんなこと感じたことはなかったので、

ちょっとビックリした。

昨日、今日は もう何も感じなくなってしまったのだが、

あれは何だったんだろう・・・。

池上線沿線には、宇宙人が多いのだろうか。





2009.7.24

シンクロニシティ!

昨日のひとりごとのタイトル 「!」。

「宇宙人」 というタイトルにしても良かったのだが、

それでは、なんとなく面白くなくて、あの(乗客たちが宇宙人!)って

感じた時の 「!」 をタイトルにした。

今朝、出勤時、戸越銀座駅構内に入り、

最初に目に入ってきたのが、このポスターだ。



ちなみに昨日、一昨日は気付かなかった。





2009.7.30

テレビ

その物は、その時間その場所にあるときと、

違う時に違う場所にあるときとでは、その波動が変わる、

といような 話を聞いたことがある。

「波動」 とは、また何やら怪しい話のようだが、

要は、その物の持つエネルギーが変わる、ということなら、

なんとなくうなづける。

私自身、大阪から東京に越してきて、

小さな生活習慣だったり、考え方や行動パターンだったり、

人間関係だったり、変えようと思ったわけでもないのに

変わった覚えがある。

それが、良いことか悪いことかは関係なく、ただ、変わった。

今回、引っ越して、約2週間。

決定的に変わったことがある。

何か。

テレビを観なくなった。

以前も、毎週観ている番組とか なかったのだけれど、

とりあえず、家に帰るとテレビをつけていた感じがするが、

この2週間は以前に比べたら、夜はほとんど観ていない。

妻が点けたのでなんとなく観ることはあるが、

自分からスイッチを入れることは なくなった。

朝は、天気予報やニュースのために点けてはいるけれど、

それさえ、余計な気がするほどだ。

まあ、このテレビ離れもいつまで続くか分からないけど。

でも、実は、お笑い番組だけは、やっぱり観たい。


さて、そんなテレビ離れの私に、

あさっての土曜日に USEN の GYAO NEXT ビデオ見放題の

キットが届くことになっている。

これは、引越しにあわせての営業の電話で 何やらお得ですと

さんざん言われ、良く分からないまま、まあいいやと 申し込んだもので、

私の理解が間違っていなければ、ビデオを借りに行くことなく、

映画が観れるサービスのようだ。

以前、ケーブルテレビを契約していたことがある。

それは、プログラムが決まっていたのだが、

今度のは、観たい時に観たい映画が観れるようなのだ。

(もちろん作品に限りはあるだろうけど。)

便利になったものだ。

そのうち、レンタルビデオの実店舗は、なくなるだろうな。





2009.8.2

PC 初心者

ちょうど10年前から、コンピューターを触りだした。

当時、まだ周りには、インターネットを使っている人が

そんなに多くなかった。

大体、ギター弾きというのは、アナログな人間が多いんじゃないかと

勝手に思っているのだが、私は当初、コンピューターに

抵抗があったので、Eメールに対してもなんとなく良いイメージがなかった。

CDが出来たときも、MDが出来たときも、抵抗があり、

すぐには使わなかったし。(あんまり関係ないけど)

そんな私がコンピューターを使い出したのは、ある人の

「これからは、コンピューターを使えなきゃ」 という助言がきっかけだったが、

それだけでは、高いコンピューターを買ってまでやるのは大変だっただろう。

(そのお金があったら、ギターが欲しいからね。)

我が家には、たまたま妻の VAIO があったので

割と気軽に 「やってみるか」 と取り組み始めることができたのは、

ラッキーだったと思う。

しかも、彼女は ほとんど使っていなかったし。

授業料10万円と決めて、渋谷のパソコン教室に行った。

「10万円分教えてください」 と申込み、基本を習った。

今では、周囲を見渡しても、コンピューターの扱いには

詳しい方になった。

だが、最初の頃は、かなり格闘があったものだ。

皆さんも通ってきただろうが (あるいは通過中だろうが)

まず、言葉が分からない。

「ファイル」 と 「フォルダー」、「インストール」 と 「ダウンロード」

の違いに始まり、「コマンド」 「ダイアログ」 「デバイス」

「ウィザード」 「アプリケーション」 「プロパティ」 など、

それまで聞いたことのない言葉の応酬で、

意味が分からなくて、イライラしたものだ。

もっとも、言葉の意味など分からなくても、メールは打てるし、

ウェブサイトも見ることが出来るんだけど、

仕事で、PCの担当になってしまったために

使えるだけではなく、設定やトラブル解決もする必要に迫られたので、

より格闘が多かったのだ。


前書きが長くなったが、時々のぞく 「らばQ」 で

PCサポートが遭遇した初心者との珍やりとりを見つけた。

あまりに面白いので紹介する。

笑えない人は、まだまだだぞ。


「連中のパソコンは化け物か」
サポート : どんなPCをお持ちですか?
相談者 : 白いやつです。


「箸を持つ方は…」
サポート : 画面の左に出てくるマイコンピューターのアイコンを
       クリックしてください。
相談者 : そちらから見て左ですか? 私から見て左ですか?


「きっとジョブズなら」
サポート : もしもし、どうされました?
相談者 : 印刷ができないんだ。
サポート : ではスタートをクリックしてください、そして…。
相談者 : 専門用語を使わないでくれ。オレはビル・ゲイツじゃないんだぞ!!


「自動認識」
相談者 : もしもし、印刷できないんですが、印刷をしようとすると、
       プリンターが認識されていませんと言われるんです。
       だからプリンターを画面の前に置いたのですが、
       それでも認識しないと言われてしまいます。


「赤っ恥」
相談者 : あの、赤色の印刷が出来ないんですが…。
サポート : カラープリンターをお持ちですか?
相談者 : いえ持ってません。


「聞いてないよ」
サポート : 今、画面には何が映っています?
相談者 : 私の彼がスーパーで買ってくれたクマのぬいぐるみです。


「連打」
サポート : F8を押してください。
相談者 : 何も起こらないんですけど。
サポート : 何をされました?
相談者 : 言われたとおりに、Fのキーを8回押しました。


「部屋が広くてよかった」
相談者 : キーボードが 動かないんですが。
サポート : PCにちゃんと 刺さっていますか?
相談者 : PCの後ろが見られない状態です。
サポート : ではそのキーボードを持ち上げて 10歩後ろに下がってください。
相談者 : やってみます。
サポート : キーボードを持ったまま下がれました?
相談者 : はい。
サポート : それはそのキーボードは 接続されていないということです。
       他にもキーボードがありませんか。
相談者 : ああ、ありました。ああ…こっちは動きました!


「うっかり」
相談者 : あの、ディスクが取り出せなくなってしまったのですが。
サポート : ボタンを押してみましたか?
相談者 : ええ、だけと詰まったままです。
サポート : それは問題ですね。ちょっと待ってくださいね…。
相談者 : あ…ちょっと待ってください…入れるの忘れてました…。
       机の上にディスクがありました…すみません。


「その発想は無かった」
サポート : あなたのパスワードは 小文字でアップルの「a」、
       大文字の「A」、大文字でVictoryの「V」、そして数字の「7」です。
相談者 : 「7」は大文字ですか?


「*****」
(インターネットにつなげない相談者)
サポート : 正しいパスワードを入れてますか?
相談者 : ええ、同僚が入力しているのを見ましたから。
サポート : そのパスワードを言ってもらえますか?
相談者 : 星が5個です。


「なぜか自信満々」
サポート : アンチウイルスソフトに何を 使っていますか?
相談者 : ネットスケープです。
サポート : それはアンチウィルスソフトではありません。
相談者 : すみません。インターネット・エクスプローラーです。


「…と言われましても」
相談者 : すみません、友達にスクリーンセーバーを入れてもらったんですが、
       マウスを動かすたびに消えてしまうんです。


「アットマーク」
サポート : サポートです。どうされましたか?
相談者 : 初めてEメールを書いたのですが…。
サポート : 何か問題でも?
相談者 : どうやって 「a」 の周りに○を書いたらいいですか?



らばQ 「初心者おそるべし!」PCサポートが遭遇した珍質問いろいろ  より





20090.8.3

グッ、ジョ〜ブ

数日前、「穴があったら何か入れたくなるのは、男の本能」 と書いた。

それとは関係あるようで 全く関係ないのだが、

あまりに素晴らしい動画を 発見したので紹介する。

赤ちゃんが、ビリヤードの台の上で玉を適当に投げると、なんと!
  ↓
Billiard Baby

かわいいし、笑えるので、ぜひ見てね。(52秒)

見ている大人たちも大喜び。





2009.8.10

決意

引越し後の片付けは、まだ、地味に続いている。

読まない本を処分するので、整理していたら、

「プレジデント名言録」 という、プレジデント社のビジネス誌

「プレジデント」 に掲載された約200の名言を集めた本に

こんな言葉を見つけた。


 人間が変わる方法は三つしかない。

 
一つは時間配分を変える、

 
二番目は住む場所を変える、

 
三番目は付き合う人を変える。

 この三つの要素でしか人間は変わらない。

 もっとも無意味なのは 「決意を新たにする」 ことだ。

 かつて決意して何か変わっただろうか。

 行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。



 (大前アンドアソシエーツ代表 大前研一さんという方の言葉)


あまりに面白くて 大笑いしてしまった。

自分が何度も無意味な 【決意】 をした覚えがあるからだ。

特に若い頃は、もう、思い出したら恥ずかしいくらい、決意した。

その決意の瞬間には、涙を伴うほどの決意も何度もあった。

しかし、確かに、何も変わらなかった。

あんなに真剣に決意したことでさえ、守らない自分は、

ダメな男だと思うことも 度々あった。

しかし、決意は無意味だったんだね。

それにしても、色々決意したな〜。

受験勉強、マジメに学校へ行く、仕事、音楽、ダイエット、

英会話、貯金・・・・

あ、一つだけ、達成したものがある。

禁煙。

でも、これも、何十回も失敗 (決意) しての果てに成功した。

やめられなかった頃は、

(もし、タバコをやめることができたら、すごいことだ) と

思っていた。

禁煙した自分は、きっと すごい人間だと。

しかし、吸わなくなってみたら、全然すごくない。

がっかりするほど、すごくなかった。

ただ、タバコを吸わない、(タバコを吸っていた頃と同じ ) 自分が

いただけだった。

そして、禁煙に成功したのは、その時の決意が それまでのものより

固かったわけでは ない。

ただ、吸わなかっただけなんだ。





2009.8.14

ゴーギャン

国立近代美術館へ 『ゴーギャン展』 を観に行ってきた。

以前、『ゴッホ展』 に同美術館へ行った時、行列がすごくて、

確か待ち時間が1時間以上だったので、並んで観るほど時間がなく

あきらめて帰ったことがあるのだが、今日はそこそこ混んでいたものの

『ゴッホ展』 ほどではなかった。


ゴーギャンは、1848年生まれで、結婚もし子供にも恵まれ

普通の人生を送っていた人のようだが、34歳の時に

脱サラをして、画家になった人だ。

今回の 『ゴーギャン展』 では、53作品が展示されていたが、

私は、彼のタヒチ関連の絵ではなく、

彼が画家を本気で目指した、1982〜83年に描かれた

「オスニー村の入口」 という作品が一番良かった。
  ↓


この画像では分からないけど、めちゃくちゃ力強い作品。


代表作といわれる 「我々はどこから来たのか 我々は何者か

我々はどこへ行くのか」 含め、どうもタヒチの絵は、

私には、太陽とか生命力とかそういうものより、

重苦しく、暗い印象だった。

その 「我々はどこから来たのか〜」 にしても多分に哲学的メッセージが

込められているようだが、それも小難しい感じがした。

今回、音声ガイドを使って観てまわったのだが、

あれは、作品の理解を深めるためには役に立つが、

何もないところからその作品を鑑賞するには、

大いに邪魔になる、と思った。

例えば、「我々はどこから来たのか〜」 に白い鳥が

描かれているのだが、音声ガイドで、

「この奇妙な白い鳥は、言葉がいかに無力なものであるかということを

暗示しています」 とか言われてしまうと、もう、そういうことになってしまい、

自分の感性で絵を感じることができなくなるのだ。

たぶん、私はその白い鳥を見ても、(なんでここに鳥を書いたんやろ?)

ぐらいにしか思わないだろうが、正解のような解説を聞くよりは、

その方が良いだろう。

そして、さんざん自分自身で感じた後に、解説や音声ガイドを

使うのが正しい見方のような気がした。

そういう風に味わうには、53作品は多すぎるけどね。

いずれにしろ、100年以上前の絵が異国の地で

こんなに多くの人に愛されているのは、すごいことだな。


「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 の
禁断の実をとるポーズで撮影。

  ↓






2009.9.3

たこ焼き

大阪人の家には、必ずたこ焼き器があるというのは、

まんざらうそではない。

今、私は、持っていないが実家にはあった。

さて、少し前、近所に たこ焼き屋 がオープンした。

数日間は、客が並んでいたが、そろそろ落ち着いてきたようで

空いていたので買ってみた。

今どき、木の船に入っている。

ちょっと大きめ 8個で 500円。

味は、まあまあ。

たこは、小さい。

私の記憶では、幼稚園の時 (1968年)、5個で10円だったから、

この41年で、たこ焼き価格は、1個 2円から、1個 62.5円に

値上がりしたことになる。

31倍。

消費税を抜いたとしても約30倍。

ちょっと調べてみたところ、

1968年の物価は、下記の通り。

 【交通】国鉄普通旅客運賃 上野−青森2060円、新橋−大阪1730円。
 【飲食】ビール127円(5月)130円(9月)、牛乳21円、かけそば70円入
 【たばこ】ピース(10本入)50円(5月)。
 【新聞購読料】朝日新聞朝夕刊セット月決め660円(11月)
 【初任給】大卒 3万290円


30倍値上がりしたものは、あんまりなさそうだ。

ってことは、今のたこ焼きって高すぎ?


上記の物価は、「ザ・20世紀」 というサイトで、調べたのだけど、

これが、中々面白い。

年毎にヒット曲や映画、流行語、ベストセラー、事件、テレビ番組や、

スポーツの結果などが記されている。

自分が生まれた年に何があったのか簡単に見れる。

例えば、私が生まれた1962年。

ヒット曲は、遠くへ行きたい(ジェリー藤尾)、

いつでも夢を(橋幸夫・吉永小百合)、可愛いベービー(中尾ミエ) など。

アメリカのTOP 1 は、レイ・チャールズの 「I Can't Stop Loving You」

プロ野球は、セ・リーグ 優勝、阪神、パ・リーグ 優勝、東映。

第13回日本シリーズ 優勝、東映。

「スカッとさわやかコカ・コーラ」 というCMもこの年から。

などなど。





2009.9.17

おばちゃん、近いよ!

会社のエントランス部分の掃除を清掃業者に依頼しているので、

週に2回、 おばちゃんが掃除をしに来る。

会社には、テレビドアフォン (インターフォンにモニター画面が

ついてるタイプ) が設置されている。

会社に来た人は、ビルの入口でインターフォンのボタンを押す。

すると、社内ではモニターにその人が映り、こちらは受話器を

取れば話が出来、必要ならば鍵を開けてあげるというしくみだ。

こっちには、相手の顔が見えるが、相手にはこっちの顔は見えないので

カメラがあることに気付かない人も多い。

大体の人は、普通、胸から上がそのモニター画面に映るのだが、

そのおばちゃんは、自分が映っている事を知らないのだろう、

いつも、マイク (カメラ) にかなり近づいて話すもんだから、

こっちのモニターには、彼女の鼻と口だけがドアップで映っている。

そうすると面白いことに、私は反射的に

受話器を耳から10cmくらい離して、応答してしまうのだ。

実際は、近くないのにモニターを見ているとおばちゃんの口が

今にも自分の顔に触れそうな錯覚をおこし、

思わず受話器を離してしまうのだった。

もう、そのおばちゃんが来るようになって1年以上は経つが、

いまだに慣れず、どうしても反射的に受話器を離してしまう。

もし、めちゃくちゃ美人で自分の好みのオネエチャンだったら、

どんな反応するんだろう・・・。





2009.10.6

イチロー

今年、イチローが、9年連続200本安打を達成した。

もう古いニュースのように感じることが、現代の情報量の

多さを思わせる。

さて、今日は、最近読んだイチローの記事から。

今年、4月イチローは、張本勲の持つ、日本プロ野球記録、

通算3085安打を越えた。

(しかも張本氏の観戦する前で。)

その時のインタビューで、彼はこう言った。

 「ヒットになった時、『俺の記録を超えるのはお前だけだ』と
 1995年に張本さんに言われたことを思い出した。
 先見の何とか、というやつですか。そのことに驚く。
 張本さんが見ていた景色がどんなものなのか、
 頂に上がった時に景色を感じてみたかった。
 きょう上がって、すごく晴れやかな感じで、いい景色だった」


14年も前にそんな会話があったことに、ちょっと感動する。

6月、自己新記録の26試合連続安打のとき。

 「それほどのことでもない。不思議じゃない。
 そもそも自分のやっていることが不思議に思えているようじゃ、
 もう終わっているよね」


そして、9年連続200本安打を達成、
ウィリー・キーラーが記録した8年連続200安打を超えたとき。

 「解放された。人(キーラーの記録)との戦いに終わりを迎えた、と。
 頂点に立ってみて、見えた景色はない。ただ解放された。
 人を意識するのは気持ちいいものではない。
 これからは自分と向き合うようになり、ちょっと楽になった。」


すごいなぁ。


イチロー語録 より。





2009.10.13

生きる

先日入った、あるお店のトイレの中に貼ってあったカレンダーに

ガンジーのこんな言葉が書かれていた。


 明日死ぬかのように生きなさい。

 永遠に生きるかのように学びなさい。



ええ言葉やなぁ。





2009.11.8

残りの人生

気がつけば、47歳・・・。

いつまでも、ティーンエイジャーのつもりでいたら、

完全に人生の折り返し地点を過ぎているじゃないか!

ということで、これからの人生について、色々思ふのであった。

まずは、健康に気をつけねばならない。

先月、東京の秘境 (?)、桧原村に行ってきたことは、

ここにも書いたが、昨日、たまたまTVで、

桧原村の一番山奥に住むご夫婦のことを観た。

ご主人、81歳、奥さん、74歳。

めちゃくちゃ元気。

彼らは、バスの終点から車の通れない山道を1時間歩いた

山奥に住んでいる。

毎日、山の急斜面に作った畑に出るため、

めちゃくちゃ足腰が鍛えられているようだ。

森光子 (89歳) も、毎日ヒンズースクワットを150回やるというから、

年老いてからの健康のカギは、足腰の鍛錬にあるようだ。

といっても、70歳過ぎてから、トレーニングを始めるのは、

きついだろうから、今から習慣化する必要がある。

身体の次は、心。

これからは、「捨てる」 こと。

執着や嫌悪、それから常識なんかもどんどん捨てたい。

つまり、今までの人生で、心や頭に持ち込み、蓄積したものを

捨てていく作業。

心と同時に、物質も。

荷物も減らして、身も心も軽くなることを目指す。

これが、中々難しいのだが、物が減ると心が軽くなることは、

周知のこと。

今日は、古本をブックオフへ持って行き、ギターや小物を

ネットオークションに数品出品。

ああ、少し軽くなった。





2009.11.15

知ってること 体験すること

一昨日、数年前、東京国際女子マラソンのランナーを

偶然見て、感動してしまい、自分の反応に戸惑ったことを書いた。

似たような体験を思い出したので、書いておこう。

もう6年前になるが、友人夫婦2組と6人で群馬県へ

旅行に行った。

上野駅から、蒸気機関車 (D51) が特別に運行していて、それに乗り、

皆でわいわい言いながら、酒を飲み、駅弁を食べての旅だ。

私たちは渋川駅で降り、蒸気機関車の出発をホームから見送った。

機関車の先頭より前で、動き出すのを見たのだ。

物凄く大きな汽笛を鳴らし、ガッチャン、ガッチャン、と

動き出したその汽車を見たとたん、感動して泣けてきたのだ。

もちろん、そんなことで感動するなどとは、

夢にも思っていなかったので、その時も自分の反応に戸惑うと同時に

生の蒸気機関車の発車の迫力が想像を超えていたことにも

同時に驚いていたような感じだ。

「想像を超えていた」 と書いたが、(こんな風だろう) と

想像していたわけでもないので、その表現は正確ではないが。


   その時の写真(2003.5.3)



人生には、時々、こうして思いもよらぬ感動のシーンが訪れる。

最近では、お世話になっている夫婦に生まれた赤ちゃんに

生後4日目に対面した時も、そうだった。

「マラソンランナーが、目の前を走りすぎるのを見た」

「蒸気機関車の発車を見た」

「生まれて間もない赤ちゃんを見た」

文章にすると、全部、知っていることのようなのに、

知っていることと、体験することには大きな違いがある。

これらは、知っているつもりだったのに、体験を知らなかった例だが、

逆もある。

何かを見たときに、私たちは、すぐに知っていることにして、

安心しようとする。

例えば、ある花を見たとき、

「この花、何という名前だった?」

「コスモス」

そんな風に答えを聞いた瞬間に、目の前にある花は、

“知っているコスモス” という花になってしまい、そのもの自体を

味わうこと、体験することをやめてしまう。

その花を体験するには、名前など、必要ないのに。

知識が、体験の邪魔をするのだ。


歳を取れば取るほど、知らないことが不安になるようで

過去に見た、聞いた、すでに知っている何かと同じようなものだろうと、

自動的に脳が、エゴが、処理しようとする。

実際には、昨日と同じ花は、どこにも咲いていないし、

今、吹いている風は、過去に吹いた風とは違うものなのに。

いつも、名前や説明ではない、そのものを感じたいと思うのだが、

今、ここにいる、ことの難しいことよ。





2009.12.9

イチローの言葉

「この一言が人生を変える イチロー思考」 なる本を読みながら、

ふと読んでることが イヤになった・・・。

(そうかぁ〜、イチローはそんな風に考えているのか、

やっぱり一流は違うな〜)

そんな風に、ただただ、私との違いを浮き彫りにし、

その雲泥の差を自虐的に確認するがために、

読んでいるような気がしたのだ。

(だから自分は大したことを達成していないんだ、そりゃそうだ) と

まるで自分の人生の正当化のためのようでさえある。

どうせ、読むなら そこから少しでも自分の人生に役立つような

読み方をしないと意味ないよな。

要は、「手を抜かない」 「妥協しない」 「コツコツやり続ける」

「準備を万全にする」 「目標を高く持つ」 「他人と比べない」 など

全部知っていること。

そのひとつでも、徹底すれば結果は違ってくるんだろう。

ひとつも出来てないもん。





2009.12.19

夢のかなえ方

今日、FM を聴いていたら、ショーンK の番組のゲストに

神田瀧夢 (ろむ) さんという方が、出ていた。

私は知らなかったのだが、日本人で初めて、

全米ネットワーク、ゴールデンタイムでの司会を務めていて、

日本では、無名だが、アメリカではかなり有名なようだ。

10年前に、コネもカネも英語力なく単身渡米し、テレビ番組を持つまでに

いたったのだが、その前は、日本で役者として北野タケシの作品にも

出演している。

最初、渡米した時、ビザの関係があるから、

どこかの事務所と契約を取ろうとしたらしい。

そういうエージェントが載っている本があるらしく、その本には、

どこの事務所も、「電話かけないでください。訪問しないでください。

書面でアポイントを取ってください。」 と書いてあるらしい。

で、彼は、100社に自分のプロフィールを送ったが、

1社も返事がなかったそうだ。

2回目の渡米で、今度は、「来るなと書いてあるけど

直接、行ってみよう」 と飛び込みで事務所周りをしたらしい。

当然のごとく、門前払いで、160社に断られたという。

そして、161社目が、契約してくれた、と。

その後、役者としてではなく、コメディアンとして認められ、

テレビ番組を持つまでになる。

それまで、きっと色んな辛い目にもあっただろうが、

本人は、辛いと思ったことはない、と言う。

彼の目標は、日本ってこんなに素晴らしい国だと

世界中に分からせる映画を、ハリウッドで作ることだと言う。

それが自分の天命だから、何も辛いことなどない。

自分には、やるべきことがあるのだから、と。

「どうしたら、自分の天命が分かるのですか?」 との問に

「これだと思うものを10年は、やること。

それでうまくいかないんだったら、次のことをやってみればいい。

10年でひとつだから、もしかしたら、一生見つけられないかも

知れないよ。

その人は、それが天命。

今の人は、早く変わりすぎ。

最低10年。」


最後の 「NO」 の次が 「YES」 だというのは、

知っているが、160社に断られても、次に行く根性がないと

世界には通用しないのだろう。

よく成功のコツは 「あきらめないこと」 なんていうが、

彼の話を聞いていたら、違うと思った。

「あきらめるか、あきらめないか」 なんて会話自体がない。

そのレベルにいること、その迷いのなさが成功の基だと思う。


神田ロム 公式サイト ”ベストハウス123” で特集された動画も観れます。


と、ここまで書いて、あれっ?と思い出した。

今年の夏に New York にいる友人が、

「アメリカにおもろい大阪人おるで」 と送ってくれたのが これだ。

アメリカ人向けに作っているようで、私としては少笑い程度だったので、

あまり印象に残らなかったのだが、上記のサイトを覗いてみて、

(もしかして) と思い出したのだ。

その友人というのは、New York で R&B を歌っているのだが、

神田瀧夢さんとは、友達らしい。

びっくり。





2009.12.26

勇 気

先日、友人と 「自分は 『勇気』 があるかないか」 という話を

している最中に、興味深いことを発見した。

最初、私は自分のことを 勇気がない、と言った。

例えば、目の前の川で子供がおぼれていたら、

私は、子供を助けるために川に飛び込むだろうか、

泳ぎが得意でない私は、飛び込めずに

ただ見ているだけかもしれない。

そんな特異なケースはさておき、彼は私のことを

「勇気がある」 と言ってくれた。

それは、私が 「○○○を○○している」 とか、

「○○○を○○した」 とかということで、勇気があると

言ってくれたのだが、実は、それらのことをするのに、

私には、全く勇気など必要ないのだった。

私がしていることを友人は、勇気があるというが、

私にはそれらは勇気などなくてもできること。

一方、私はその友人の勇気ある行動を評価するが、

彼には、それは、勇気など なくてもできること。

つまり、『勇気』 というものは、無い時にのみ存在するのであって、

ある時には、存在しない。


これは、『勇気』 だけではなく、『優しさ』 なんかにも通じる。

たまに、人に 「優しい」 と言われた時、

(自分は優しくなんかしていない、やりたいことをやっているだけだ) と思う。

だけど、(どうして、私は こんなに人に優しくできないんだ) と

思うことは、たびたびある。

これって、わたしだけじゃないだろう?

つまり、『優しさ』 も無い時に、浮かび上がってくるんだ。


ちょっと文章にすると分かりにくいけど、通じたかな。

結構、面白い発見だと思うのだけど。


違う言い方をすれば、

「私は、勇気があります」 とか 「私は優しい人間です」 とか

言う人って、あんまり、いないでしょ。

勇気や優しさって、人それぞれに 元々備わっているものだから、

本人には見えないんだと思う。

他人には、それが、勇気や優しさに映るんだけど。







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