海外旅行
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2014.10.21
イタリア
明日から、人生初めてのヨーロッパ旅行に
行ってくる。(妻と)
ナポリ、アマルフィ、ローマと
南イタリアの旅だ。
7ヶ月も前に申し込んでいて、
ゆっくり下調べをしようと思っていたけど、
全く何もしないで、前日になってしまった。
大体、こんな感じやね。
私の人生。
イタリア語で 「ありがとう」 も言えないので、
今日慌てて、簡単なイタリア語ガイドブックを
買ったほど。
まあ、パックツアーで、添乗員がいるので
大丈夫やろと思うけど。
痛風発症のおかげで、
食事には注意が必要だが、
旨いもん食べたいもんね〜。
この時期、ポルチーニ茸の旬だと聞いた。
楽しみ〜。
ワインも楽しみやなぁ〜。
旅行中は、このひとりごとのアップは
お休みさせていただくことにしました。
現地からのアップも考えたけど、
これ書くの、結構 時間を使うので、
旅行中は旅行に専念することにしました。
29日に帰国なので、
楽しいイタリア・レポートを待っていてください。
では、行ってきます。
Ciao!(チャオ!)
「チャオチャオっと 食べちゃお〜」 って
コマーシャルあったなぁ。
2014.10.29
無事帰国
6泊8日のイタリアの旅から、
無事帰国した。
いやぁ、1万キロは遠いねぇ。
雨男の私なのに
今回はホントに天候に恵まれ、
楽しい旅ができた。
たくさんリポートしたいことがあるけど
今日は早く休みます。
アマルフィの海岸
2014.10.30
イタリア旅行 1
世界遺産めぐり
人生初のヨーロッパ、イタリア旅行は、
「世界遺産めぐり」 の旅だった。
「だった」 と書いたのは、申し込んだのが
3月で細かい内容は、忘れてしまっていたのだ。
1日目、成田から10時間以上かかってローマ、
レオナルド・ダヴィンチ空港に着いた。
成田での離陸が40〜50分は遅れていたような
気がするので、実際のフライトの時間は分からない。
ローマで イタリアの国内線に乗り換えなのだが、
この乗り換えの飛行機の到着がずい分遅れたために、
空港で4時間ぐらい 待たされた。
そこから、バーリ空港まで1時間以上飛び、
空港から1時間半ほどバスに揺られ、
アルベロベッロという聞いたこともない街の
ホテルに着いたのは、現地時間の夜中の2時、
日本時間の朝の9時だった。
成田で搭乗したのが、13時だったので、
20時間の旅だ。
機内ではほとんど眠れず、
ホテルに着いたときは、結構 ヘトヘトで
(なんで、こんな遠いところまで来てしもたんやろ) と
思ったのだが、翌日、旅行会社からもらった日程表に
「南イタリア世界遺産めぐり」 と書いてあることに
気づき、(世界遺産なら遠いところにあるやろな) と
変な納得の仕方をしたのだった。
今回まわった世界遺産は下記。
・アルベロベッロのトゥルッリ (プッリャ州)
・マテーラの洞窟住居 (バジリカータ州)
・ポンペイ遺跡 (カンパニア州)
・アマルフィの海岸 (カンパニア州)
・カゼルタの王宮(カンパニア州)
・ローマ歴史地区 (ラツィオ州)
他にもあったかも知れない。
とにかく下調べ・予習なしの旅だったので、
現地ガイドさんが付いて、イヤホンガイドを使って、
説明をしてくれるのだが、今見ている教会が
どこの何という教会なのか分かっていない状態。
特に教会や聖堂はたくさん観たので、
覚えられなかった。
そのほか、世界遺産ではないが、
青の洞窟で有名なカプリ島へも行った。
青の洞窟は、船に揺られ目の前まで行ったのに
波が高く、洞窟に入ることができず、
残念ながら見られなかった。
宿泊地は、アルベロベッロ 1泊、ナポリ 2泊、
アマルフィ 1泊、ローマ 2泊。
ツアーは、新婚旅行3組、中高年夫婦4組 (私たちを含む)、
姉妹1組、友達同士 (女性) 1組、計9組18人と
添乗員さん (女性) を合わせて19人の ツアーだった。
ところで、今朝は、9日ぶりに出社したのだが、今日
受け取った郵便の中に こんな切手を貼ったものがあり驚いた。
↓
なんと、3日前に観てきたローマのコロッセオ。
う〜ん、シンクロニシティ。
2014.11.2
イタリア旅行 2
イタリア・トイレ事情
初めてのイタリアは、たくさんの発見や
驚きがあった。
アマルフィの美しさ、ポンペイやローマの遺跡の
壮大さ、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の迫力と
厳かさも書きたいが、それ以外にも
この 「ひとりごと」 ならではのイタリア事情を
紹介したいと思う。
まずは、トイレ。
やはりトイレは文化やから、押さえとかなな。
旅行会社から もらった小冊子には、
イタリアには、公衆トイレが少ないこと、
有料トイレがあること、公衆トイレには
便座がないものがあることが書かれていた。
そして、便座がないことについて
「少々覚悟が必要です」 と書いてあった。
どんな覚悟やねん、と思っていたのだが、
1日目、バーリ空港のトイレでいきなり
そいつに出会った。
これ、空港のトイレですぜ。
妻に聞くと、女性用トイレにも
便座はなかったそうだ。
同じくバーリ空港のトイレの小便器。
写真では分かりにくいが、かなり高い位置に
設置されており、子供には無理だな。
私は身長が174センチだが、便器まで
5〜6センチほどしか余裕がなかったので、
小柄な160センチぐらいの日本人には、
使えないだろう。
私の足が短いだけかもしれないが。
小便器の高さは、ここだけではなく、
行く先々でそうだったので、もしかしたら
イタリア全体がそうなのかも知れない。
子供用に1つだけ低いのが設置してあるところも
あったけどね。
これは、ナポリからカプリ島へ行くために乗った
船のトイレ。
やはり便座はない。
カゼルタの王宮のトイレ。
これまた便座はない。
次は、アマルフィからローマへバスで移動中、
休憩のために寄ったガソリンスタンドのトイレ。
便座はあったのだが・・・。
ホテルのトイレは、もちろん便座付きだ。
安心してね。
ローマで泊まった Grand Hotel Palatino のトイレ。
それから、ローマの三越のトイレ。
さすがに日本企業のトイレは優秀だ。
もちろん、便座付きで きれい。
三越は、ハンドドライヤーがダイソン製。
初めて見たよ、ダイソンのハンドドライヤー。
さすがはダイソン、風が強力でした。
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の外にあったトイレ。
ここのトイレもきれいでした
便座もついてたし。
有料トイレは2度使用した。
確か、有料トイレには便座があったように思う。
これは、アルベロベッロの有料トイレの
入口に貼られていた料金表。
使用料は、50セント (約70円)。
DOCCIA (ドッチャ) は、シャワーのことで、
料金は 2ユーロ50セント (約210円)。
これは、カプリ島で入った有料トイレ。
きれいでした。
小便器の位置が高いと書いたが、
アメリカに行ったとき、便座に座ったら、
高くて足がつかなかったことがあったなぁ。
高くて座るのにも苦労したっけ。
アメリカには、高い大便器もあるのだ。
外国に行くと、日本のトイレの素晴らしさが
よく分かります。
ちなみに私は覚悟がないので、
便座のないトイレでは、用を足しておらず、
その体験レポートはできません。
あしからず。
2014.11.2
イタリア旅行 3
自動車事情
イタリアの自動車は、小型車が多かったな。
ほとんど小型車。
渋いね〜
これは新しそう
プジョー(フランス)
ヨーロッパらしい
これまた渋い
メーカーは、フィアットやアルファロメオは
分かったが、イタリアの車メーカーを
知らないので他は分からない。
フェラーリやランボルギーニなどは、
街中を走っておりません。
意外と日本車は少なく、滅多に見なかった。
トヨタ。
結構、多く見たのがスマート。
メルセデス・ベンツの2人乗り小型車だ。
それからミニ (BMW) も割と見たけど、
ミニが大きく感じるほど小型車が多かった。
イタリアで小型車が人気なのは、
道路事情、経済的問題など
いくつかの要因があるようだ。
日本では見かけなくなったが、
結構走ってたのが三輪車。
アルベルベッロで
カプリ島で
カプリ島で
マテーラで
ローマで
さすがにローマでは少なかったけど。
2014.11.3
イタリア旅行 4
駐車場事情
イタリアでは小型車が多いことは書いたが、
駐車場の問題も小型車が多いことと
関係があるのかもしれない。
というのは、どうも駐車場が
足りていないように感じたのだ。
コインパーキングのようなものは、
見かけなかったし、田舎はさて置き、
都会では駐車場がないので、当然路上駐車が増える。
ローマでは、停めるところが少ないためか、
キチキチに詰めて駐車している。
「どうやって、車出すんやろ?」 という感じだ。
当然、小さい車の方が駐車しやすい。
添乗員さんの話によると、
イタリアでは、サイドブレーキは引かないらしい。
キチキチに詰めて駐車するため、
車を出すときは、前の車と後ろの車に
自分の車を当て、押して隙間を広げ
車を出すというのだ。
完全に ひっついてます。
↓
向きも関係ありません。
↓
横向きにだって停めちゃいます。
↓
もちろん、駐車していない道路もあったし、
駐車禁止の表示も見かけました。
↓
2014.11.4
イタリア旅行 5
イタリア人事情 その一
第2次世界大戦時には、日独伊三国同盟を結び、
日本とイタリア、ドイツは仲間だったわけだ。
ドイツ人と日本人は、勤勉・真面目というところが
共通しているし、イタリア人と日本人はハートフルな
ところが似ていると、旅行中に添乗員さんから聞いた。
イタリアと日本は、島か半島かの違いはあれど、
緯度も似たようなもんで、四季もあって気候も近い。
イタリア人は、基本的に人懐っこいと聞いた。
そして、家族や友達・仲間を大切にすると。
戦争に行くぐらいなら、家族といたいと、
脱走兵が多かったという ホンマか嘘か分からん話もある。
駐車した車を出すのに前後の車にボンボン当てて、
隙間を作るという話からも分かるように、
結構、ええかげんというか、ゆるい人達のようだ。
ちょっと南国風。
イタリア軍については、こんなジョークがある。
日独伊の捕虜がいた。
ドイツ軍は逃げ方を模索し、日本兵は自決、
イタリア兵は静かに捕虜同士で子供を作っていた。
他国がしのぎを削って兵器開発をしている間に、
戦場で美味しいものを食べるために
フリーズドライ製法を開発した。
軍隊の備蓄のワインが弾薬よりも多い。
イギリス軍兵士がイタリア軍に捕虜にされた際、
将校も兵卒も例外なくフルコースを振舞われた。
将校は処刑前の最後の晩餐かと諦めてさえいたのに、
将校用にワインが付いてなかったことを後で丁重に
謝罪までされた。
潜水艦に乗っているのにも関わらず、
まともな照準器すら付いていない英国の漁船に敗北した。
ナポリの港で軍艦を盗まれた。
中東戦争中に乗っていた戦車を泥棒に盗まれた。
元ネタ はこちら。
ちょっとバカにされている感がないでもないが、
そういう 大らかな人たちなのだ。
上記のジョークにも見て取れるが、
イタリア人の基本は、イタリア語で
「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ」
(Mangiare, Cantare, Amore)
意味は、「食べて、歌って、愛して」。
それが、イタリア人の人生観。
うまいもん食べて、歌って、愛し合う人生。
ええよなぁ。
けっして、「一生懸命働いて」 などという風ではない。
多くのイタリア人が、「宝くじ当たれへんかなぁ」 と
生きているという。
そのあたり、かなり私に近い。
そんなわけで、どうも憎めないのがイタリア人なのだ。
つづく。
イタリア旅行 6
カンツォーネ
先日、旅行から戻り9日ぶりに出社したら、
コロッセオの切手を貼った郵便物が届いて
驚いたと書いたが、今日は勉強を見ている
中学2年生男子が、何度も 「サンタルチア」 を
イタリア語で歌っていた。
私がイタリアに行ってきたことを
話したせいもあったかもしれないが、
何でも近々独唱のテストがあるらしい。
最近は、中学生にイタリア語を丸暗記させ
歌わせているようだ。
どいうわけか、そんな風に私は
イタリア付いているのでした。
カンツォーネいいなぁ。
アマルフィを出たあとだったか、
添乗員さんがバスの中で、カンツォーネの
CDをかけてくれた。
それが、自分でもちょっと驚いたのだが、
何かに触れてしまったようで、
感動してうるうるしてしまったのだ。
日本人でも知っている有名なベタベタな
選曲なのだが、イタリアの空気の中で聴くと、
何とも言えないおおらかさと力強さを
感じたのであった。
2014.11.5
イタリア旅行 7
イタリア人事情 その弐
昨日の続き。
では、実際に接したイタリア人は
どうだったかのかを書こう。
まず、驚いたのがローマ空港でのこと。
入国の際、係員は私たちのパスポートさえ
見なかったのだ!
私たちが日本人団体旅行客だとわかると、
審査なしのフリーパス!
ええの? そんなんで!
この中に紛れてるかもしれんで、テロリスト。
そんなことは、ないのだけど、
添乗員さんいわく、
「赤いパスポートの威力です」。
もちろん、同じアジア人でも国際的に評判の悪い
××人はそうはいかないようだった。
いや、日本人はお行儀が良いとしても、
パスポートチェックもしないのは、
イタリアだからじゃないのか?
海外旅行経験が乏しいので、ほかの国で
どんな風なのか知らんけど。
出国時は、一応パスポートを見たけど、
スタンプは なし。
そういうわけで、私のパスポートには
成田での出国と入国のスタンプはあるものの
イタリアでの出入国のスタンプがないため、
どこに行ってきたのか分からないという
状態になっている。
それにしても、日本人がそれだけ
国際的 (イタリアだけ?) に認められているとしたら、
海外で日本人の評判を下げるような言動は
慎まなければならないと思ったのであった。
次にイタリアで感じたことは、道端やカフェで
話しているおっさんが多いこと。
日本では、井戸端会議といえば女性のことだと思うが、
イタリアで女性が話し込んでいるのは
ほとんど見なかった。
例えばこんな風。
これはアルベロベッロでの風景。
こんな風におっさん達が何やら深刻そうに話しているのだ。
このおっさん達を写真に入れて、と妻が言うので、
さりげなく妻をおっさん達の近くに立たせ、
撮影しているとおっさん達に気づかれた。
写真撮ってもOKかと聞くと、
この笑顔です。
ね、人懐っこいでしょ。
平日の昼間っから、一体何を話しているのかと思うが、
添乗員さん話のよると、皆、幼馴染らしいのです。
つまり、ず〜っと友達なのね。
イタリアは男社会で、女は家にいろ、というわけで
男たちが外で話しているということです。
2014.11.6
イタリア旅行 8
イタリア人事情 その参
イタリア人の人懐っこさは、
子供たちもこの通り。
考えてみると、ナポリやローマでは、
あまり子供を見かけた覚えがない。
この写真は、カプリ島でのショット。
中学校の休憩時間だったのだろうか、
窓から顔を出して騒いでいるので、
カメラを向けたら、こんな風。
次は、アルベルベッロのトゥルッリと呼ばれる
石の家に住むおじさん。
渋いね。
トゥルッリでは、16〜17世紀に建てられたもので
世界遺産に登録されている。
世界遺産に住んでいるというのもスゴイが、
わずかのチップで、観光客に家の中を見学させてくれるのだ。
マテーラでのショット。
「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ
(食べて、歌って、愛して)」 なのだ。
ローマの結構人通りが多い通りの歩道に
絵を描くアーティスト。(クリックで拡大)
こんなアーティストがいっぱいいるのだろうな。
日本やったら、間違いなく 警察に止められます。
同じくローマの観光客で賑わう通りで。
チップを入れると、奇声を上げながら
手に持った何かが入っている缶 (?) を振り、
音を出す。
ただ それだけなのだが、面白い。
楽な大道芸だ。
不思議だったのはこの人たち。(ローマ)
イタリア人には見えないが、
右手の棒の上に、人が座って
宙に浮いているように見える。
実は、これ、通りの反対から撮影したので、
近くで見ていないのだが、
上の人も顔の表情が動いていて
生きている人だというのは分かった。
近くで確認すればよかったな。
(上の写真をクリックすると大きく見れる別の写真が出ます。)
ローマのカフェでジェラートを食べ、
店の写真を撮っていたら、店員さんが
「自分を撮れ」 とポーズ。
このあと、奥の兄ちゃんもポーズをとったけど、
写真はキレイに撮れなかった。
イタリア旅行最後の夜はローマ。
ツアーで一緒だった、Yさん夫婦と食事に出かけた。
Yさんたちは東京在住で、年齢は私たちより
少し上で、とても品のあるご夫婦。
ご主人が、どこのレストランが美味しいか
ちゃんと調べて来られてて、何も調べていない
私たちは、ナポリでも一緒に食事をさせて頂いた。
イタリアでは、とにかく量が多いので、
2人だと2品しか頼めない。
人数が多いと色々シェアーできるので良いのだ。
ローマでは、以前、Yさんの娘さんが
新婚旅行で訪れた時に美味しかったというレストラン、
「DA FRANCESCO (ダ フランチェスコ)」へ。
ここは、予約がないと入れないような人気店。
予約時間に行ったけど、結局 20分ぐらいかな
店の前で待たされた。
店の用心棒みたいな大柄の男が
「あと5分」 とか言うのだけど、全くええかげん。
そのへんもイタリアらしい。
で、テーブルを担当してくれたのが、
何かが 池乃めだか似のこの人。
料理もサービスも笑顔も 最高でした。
全般的に、イタリア人は日本人のことを
好意的に思っているんだと感じたね。
こちらが日本人だと分かると、
知っている日本語を並べ立てたりして。
まあ、お金いっぱい使ってくれるということも
大きい要素だろうけど。
そんなこと関係なしに、日本びいきなのだろうか。
三国同盟のよしみで。
三国同盟といえば、
こんなジョークもあります。
ドイツ人が日本人に呼びかけた。
「次はイタリア抜きでやろうな」
(ドイツはイタリアに裏切られた歴史がある)
それに対し、日本人は30秒ほど考えて、
「遠慮しときます」
イタリア人が日本人に呼びかけた。
「次はドイツ抜きでやろうな」
それに対し、日本人は即答!
「嫌だ!」
元ネタは こちら。
なんか、イタリア人は散々な書かれ方やけど、
今回の旅行で、私はイタリアもイタリア人も
大好きになりました。
2014.11.8
イタリア旅行 9
スーパー事情
旅先でスーパーマーケットに行くのは 面白い。
海外に関わらず、国内でも地方によって
売っているモノが違うのは興味深い。
妻の実家のある山形のスーパーマーケットへ行くと、
大阪や東京では見かけない食材が
売っていたりして、買い物をしなくても
見ているだけでも楽しめる。
特に海外となれば、なおさらだ。
イタリアでは、ナポリ、アマルフィ、
ローマで、スーパーマーケットへ行った。
写真はナポリの Carrefour (カルフール)という
スーパーマーケットでのもの。
Carrefour はフランスの
スーパーマーケットチェーンで、
日本にも進出してきたが、イオンに売却し
撤退したようだ。
まずは、これ。
柿だ。
4個で 1.16ユーロ。
日本から入ってきたらしく、
商品名もそのまま 「KAKI」。
意外だったのは、ズッキーニ。
日本では、1本あたり120〜150円ぐらいだと
思うが、1.98ユーロ (約270円以上) と高い。
赤ワイン1リットルの方が (Carrefour ブランドだが)
1.39ユーロ (200円以下) と安い。
1リットル、200円やで!
ほんまに、ワインは安い。
ほんでさすがはイタリア、
オリーブオイルやオリーブの瓶詰めの種類は、豊富。
写真は、並んでた商品のほんの一部。
チーズもこの通り。
ローマのスーパーで見かけた
パック入りの握り寿司。
あんまり食べたいとは思えへんなぁ。
日本ブランドは、ほとんど見なかったが、
唯一 グリコのポッキーが、「MIKADO」 という
和風 (?) なネーミングで売られていた。
ちゃんと 「Glico」 って書いてあって、
あのマークも入ってたよ。
あと、「イタリア人事情」 にも通じるけど、
レジの人がのんびりやね。
列が出来てても、急いだりしている風には
見えなんだ。
客の方ものんきなんでしょね。
2014.11.9
イタリア旅行 10
街の色々
イタリアで、何度か 「B&B」 と書かれた、
サインを見た。
写真は、マテーラのもの。
私は 何のことか知らず、
まさか昔の漫才コンビとは関係ないだろうとは
思ったが、実は 「Bed & Breakfast」 の略だった。
つまり、「お布団と朝食はありまっせ」 という
比較的低料金の宿泊施設のことなのだ。
これもマテーラで撮影。
ドアの右上の看板に注目。
アップにしてみると
そう 、「Shibuya」 と書かれた
カフェ・ミュージック・ショップだ。
この感じだとやはりクラブ系かな。
お次は、カプリ島の屋台のようなお店のメニュー。
右側のメニューをアップにしてみると。
日本語。
ローマには、日本語メニューを
おいているレストランもあります。
ローマは、海からは少し距離があるのに
なぜか (たぶん) カモメがいる。
何かエサでも探しているのだろうか。
早朝の裏通りでのゴミ箱にいたカモメ。
昼間の (たぶん) カモメ。
カモメと違うんやろか。
さて、イタリア旅行レポートも10回まで
来てしまったが、まだ数回分はネタがある。
もう飽きたという方もいるかも知れないが、
最後までお付き合いください。
これからは、いよいよ観光編だ。
2014.11.12
イタリア旅行 11
アルベロベッロ
イタリアはブーツのような形をしているが、
そのヒールの付け根のあたりに
アルベロベッロ (Alberobello) という街はある。
私は、今回の旅行までその街の存在すら
知らなかったのだが、この街にある
「トゥルッリ (Trulli )」 と呼ばれる石造りの伝統家屋は
世界遺産に登録されている。
トゥルッリは主に17世紀に建てられたもので
現在も人が住んでいたり、お店として
使われていたりする。
さながら おとぎの国のようだな光景だ。
中はこんな風。
これは実際に住んでいる方のおうちに
入れてもらい、中を見学させてもらったのだ。
クリックで拡大
とても平和な感じで良いところでした。
2014.11.15
イタリア旅行 12
マテーラ
アルベロベッロから 少し移動して行ったのが、
マテーラ (Matera) 。
私は この街のことも知らなかったが、ここは、
「サッシ」 と呼ばれる洞窟住居で
やはり世界遺産に登録されている。
2万年前の洞窟住居。
↓
2万年前って、・・・石器時代?
(今は、人は住んでいません。)
2014.11.16
イタリア旅行 13
カプリ島 その壱
カプリ島を訪れたのは、旅行3日目。
ナポリの港から、朝8時35分の船で出発。
船のチケットの半券
カプリ島は、「青の洞窟」 で有名らしい。
青の洞窟は、海に面した洞窟で
太陽光が海底に反射し海中を通るため、
とてもきれいな青色に見えるという自然現象だが、
これはカプリ島だけではなく日本にも存在する。
岩手県宮古市の浄土ヶ浜と沖縄県の恩納村だ。
2年前、三陸を旅した時に浄土ヶ浜の
青の洞窟には訪れたのだが、満潮時だった上に、
前日の雨で海が濁っており、残念ながら
きれいな青は見られなかった
さて、カプリ島の青の洞窟。
まず、ナポリから 約45分、やや大きい目の船で
カプリ島の港に着くと、今度はやや小さめの船に
乗り換え、揺られること約20分。
洞窟の前まで行くと、数人ずつに分かれて
小さなボートに乗り換える。
青の洞窟に入るためには、海面にある
小さな隙間を通らなければならないので、
小さいボートに乗り換えて頭をかがめて、
その隙間を通るのだという。
一度に洞窟に入るボートの数は限られるので、
人が多い時には、船の上で2時間待たされることも
あるという。
この日は波が高く、隙間を通るには危険で
青の洞窟は見られないだろうということが、
ナポリを出る時点で発表されていた。
それでも、一応船に乗って洞窟の入口まで行くのは、
遠くからはるばるやって来た観光客を
納得させるためなのだろうか。
時間つぶしのためだろうか。
私や妻は、「見られない」 と分かった時点で、
「別に近くまで行かんでもええのに」 と
思ってしまったのだが。
案の定、波が高く船は揺れる揺れる。
事前に揺れるという情報は得ていたので
私も妻も念のため、乗り物酔い止めの薬を服用。
船酔いでそのあとの観光が台無しになることは
避けたいもんね。
波は高く、どれが青の洞窟の入口か
よく分からないほどだった。
どうも青の洞窟には縁がないらしい。
港に戻り、次は島内の観光だ。
青の洞窟を見られなかったおかげで、
当初のプランにはなかった、カプリ島の最高峰ソラーロ山へ
リフトで登ることになった。
山の高さは589メートル、リフトの長さは
1000メートル以上あるようだ。
乗る時間も15分か20分ぐらいと長い。
安全ベルトなどはなく、簡単なバーだけの安全対策で、
景色は美しいが、高所恐怖症の人には怖いだろう。
リフトに乗っているのは妻
山頂からの景色がこれ。
ちょっと曇り空だったのが残念だが、
それでもきれいな眺めだった。
この数日前までは、暖かかったらしいのだが、
この日は、結構寒かった。
アメリカ人観光客らしき男たちは、
半袖や半パンが多かったけど、平気なんやろか。
これは、山頂の柱にあった彫刻 (?)。
バルタン星人に見えてんけど・・・。
2014.11.18
イタリア旅行 14
カプリ島 その弐
カプリ島レポートの続き。
私は雨男で、ほとんど旅行で雨が降っている。
たぶん8割以上だろう。
悪天候のため、帰りの飛行機が飛ばず延泊したことも
2度あった。(屋久島、八丈島)
今回のイタリア旅行では、本当に天候に恵まれたが、
このカプリ島で、少しだけ雨に降られた。
ソラーロ山の山頂にいた時、
小雨が降り出したのだ。
本当に小雨で、傘をさすほどではなかったが、
気温が低かったため、山を下りるときの
リフトでは結構寒かった。
山を降りてしばらくすると雨は完全に上がり、
青空が広がり始めた。
こんな風です。
カプリ島は島の外周が17キロあるのだが、
私たちが訪れた所は、ほんの少しだけで、
滞在時間も数時間。
できれば、気候の良いときに1〜2泊ゆっくり
過ごしてみたい、そんな島だった。
地中海と空。
海の色がきれいです。
ナポリ港へ帰るときに乗った船。
2014.11.22
イタリア旅行 15
ナポリ その壱
今回のイタリア旅行では、4つの街で
計6泊したのだが、ナポリの印象は
(2泊したのだけど) なんとなく薄い。
ナポリから、カプリ島へ行ったり、
ポンペイへ行ったりしたのだけど、
ナポリの街自体をそんなに観ていない
からかな、と思う。
写真は、ナポリの朝。
ホテルの11階だったかのレストランで
朝食を食べたあとに撮影した。
朝日の左に見えるのがヴェスヴィオ火山。
紀元79年に大噴火し、ポンペイは火砕流に
より埋まってしまった。
ご覧のようにナポリからも近い。
風向きによっては、ポンペイではなく、
ナポリが埋まってしまったかもしれなかったらしい。
ナポリの街は遺跡だらけ。
どこを掘っても遺跡が出てくるような街だ。
当然、新しい工事をすると遺跡に引っかかる。
写真は遺跡調査のため、工事が何年も
長引いているらしい地下鉄の駅。
城のような建物の向こうは、ナポリ港。
カプリ島へ向かう船から見たナポリ。
この景色だけで 歴史を感じるなぁ。
ナポリ大聖堂
中は撮影禁止。
サンタキアラ教会の修道院のマヨルカ焼き
天神橋筋商店街か!と突っ込みたくなるほど
細くて長い商店街。
2014.11.24
イタリア旅行 15
ナポリ その弐
ナポリは、印象が薄いと書いたが、
写真を見ていると色々思い出した。
サンタキアラ教会近くの壁の落書き。
ナポリの旧市街地は、世界遺産に登録されている。
ここが世界遺産地域なのかどうかは知らないが、
歴史ある街にこういう落書きがあるのは、
非常に残念だな。
まあ、あと1000年もすればこれも遺跡に
なるんやろけど。
「何が LOVEだ!」 とおじさんは怒りたい。
落書きだけではなく、ナポリはそこここにゴミが落ちていて、
ちょっと街が汚い印象だったのも残念。
落ちるんちゃうかというぐらい野菜を載せた
販売トラック。
こちらは、上の写真とは違うトラック。
トマトの色が鮮やかだ。
札には 「TUTTO A 080」 と書いてある。
「TUTTO」 は 「全部」 という意味のようだが、
全部で 80セントはないだろうし、
全部どれでも 80セントという意味にしても
大きさがまちまちなので変だ。
まさか、荷台の全てで 80ユーロなわけないし、
どういう意味やろな。
ナポリは、ローマ、ミラノに次ぐイタリア第三の都市。
そんな都会で、こういうトラック販売が
見られるのはうれしいね。
2014.11.25
イタリア旅行 16
ポンペイ その壱
ポンペイには行きたかったわけではないが、
申し込んだツアーのコースに入っていた。
今年は、映画 「ポンペイ」 が公開され、
6月には劇場へ観に行った。
その時には、今回のイタリア旅行は
既に申し込み済みだったわけだが
その日のエントリーには、
10月にポンペイへ行く予定だとか、
そんなこと一言も書いていない。
旅行に申し込んだのは3月のことで、
ローマとアマルフィ以外、
どこへ行くかも覚えていなかったので、
私は 自分がポンペイへ行くことも知らずに
この映画を観たようだ。
その日には違う映画を観ており、
そのエントリーには、そっちの映画が目当てで、
「ポンペイ」 は、時間調整のために観たと書いてある。
また、13〜14年前、東京で開催された
ポンペイ展に行ったこともある。
それは、仕事がらみだったけど。
いずれにしろ、どうもポンペイに縁があるとしか
思えない。
ポンペイは、西暦79年にヴェスヴィオ火山の
噴火により消滅した都市で、18世紀に発掘されるまで
1700年もの間、火山灰に埋まったままで、
その所在さえ知られなかったらしい。
次の写真は、ヴェスヴィオ火山を
ポンペイから撮影したものだ。
山がふたつあるように見えるが、これが元々は
富士山のようにきれいな形をしていたのに、
噴火で頂上部分が吹っ飛び、こんな形に
なったということだ。
噴火の大きさ、凄まじさを感じずにはいられない。
ポンペイは現在は、内陸部にあるが、
当時は、海に面しており、港町でもあり、
商業都市としてずいぶんと栄えていたらしい。
興味深いのは、これ。
2千年前にすでに車道と歩道が分かれているのだ。
車道といっても、もちろん馬車道のことだ。
おまけに横断歩道もある。
これは、飛び石のあいだを馬車の車輪が
通れるように作られている。
そして、本当に多くの馬車が行き来したのだろう。
石の道になんと轍 (わだち) が出来ている。
2014.11.26
イタリア旅行 17
ポンペイ その弐
ポンペイ遺跡の続き。
写真は、非常にきれいに残っているカウンター。
このまま、すぐに使えそう。
2000年前には、完成していた窯。
見た感じ、今と同じでしょ。
この時代には、ピザはまだなかったようなので、
パンとか焼いてたのかな。
このマークは、何でしょう?
荷を運んでいる絵から想像つく通り、
いわゆる運送屋さんの看板らしい。
ポンペイは当時、港町・商業都市として栄えた。
そんな街には、男の欲望を満たすものが必須だろう。
で、これは、売春宿の壁に描かれた メニュー。
かなり、具体的です。
この絵を指さして、
「俺、これがいい。これでお願いします」 って
注文してたんやろか。
これらの絵は、マグネットになってお土産屋さんで
売っていたので、世界中から来るオヤジ達が
面白がって買っていくんやろな。
その お土産屋さんにて。
日本語ガイドとか売ってると、
うれしいような悲しいような、複雑な気分。
まとめ。
ポンペイ遺跡はスゴイです。
現地イタリア人ガイドさんのおかげで、
かなり色んな興味深い話が聞けた。
文明の高さにもビックリ。
行くまで興味がなかったけど、一見の価値ありです。
そして、
火山噴火は怖いです。
2014.11.30
イタリア旅行 18
憧れのアマルフィ
旅行から戻ってから、もう1ヶ月も経ってしまった。
早いなあ。
昨日は、その旅行で知り合った、Yさん夫妻と
旅行の反省会 (?) という名目で食事。
ローマで一緒に食事をした人たちと
東京で食事をするというのも不思議な感じがした。
人の出会いというのは、面白いなあ。
さて、長引いているイタリア旅行レポートも
あと数回分はネタがある。
最後まで、書ききりたいと思うので
どうか読んでいただきたい。
実は明後日からマニラ (フィリピン) へ
行く予定なので、イタリア・レポートが終わる前に、
フィリピン・レポートが、始まるかもしれない。
* * * * * * * * * * *
ポンペイをあとに、アマルフィへ向かった。
アマルフィは、2009年に公開された、織田裕二、
天海祐希 主演の映画 「アマルフィ 女神の報酬」 で、
日本人にも すっかり人気スポットになったらしい。
事実、私もあの映画で 「アマルフィ」 という
美しい街の名前を覚えた。
映画を観たときに、
「こんなところに 一回は行ってみたい」
と思ったのを覚えているが、ホンマに行けるとはね。
先日、旅行から戻ってからだが、
その映画を DVD でレンタルして再び観てみた。
映画の舞台のほとんどはローマで、
アマルフィはほんの少しだったことに驚いた。
でも、それだけアマルフィの印象が
強烈だったということだ。
まあ、タイトルのせいもあるかもしれんけど。
映画で織田裕二扮する外交官 黒田らが
泊まったホテルの前もバスで通ったけど、
映画で見るより小さなホテルだった。
さて、一回は行ってみたいと思った景色がこれだ。
写真では十分に伝わらないかもしれないが、
とにかく、美しいね。
これが泊まったホテル。
13世紀の修道院を改造したというホテルだ。
中庭
部屋
商店街も歩いていて楽しい。
アマルフィは、レモンのお酒が名産品なのだが、
そのレモン酒の他、バルサミコ酢なども売っている、
酒屋のようなあるお店に入った。
私たち (夫婦) が日本人だと分かると、
お店のおばちゃんがこんなメモを差し出しながら、
バルサミコ酢を試飲させてくれた。
織田裕二さんが来店したお店です。
その際、このバルサミコ酢を試飲しました。
映画の撮影の時だろうが、
そらぁ、いろんな店に入ったと思うで。
織田裕二も、天海祐希も、佐藤浩市も。
しかも!
織田裕二は、ここで 「試飲した」 だけで、
買ったとは書いてないやんか。
といいながらも、この店で土産品を買う妻であった。
ホテルの部屋からの地中海と朝焼け。
2014.11.30
イタリア旅行 19
カゼルタ宮殿
でかい。
とにかく広い。
そんな印象のガゼルタ宮殿。
世界遺産だ。
左側が覆われているのは、修復中だったようだ。
正直言って、途中で飽きてしもたぐらい
いっぱい見るとことがある。
18世紀に建てられたらしいが、
どんだけの権力、金やねん、という感じ。
こんな部屋が数え切れないぐらい続きます。
映画 「アマルフィ 女神の報酬」 で、
サラ・ブライトマンがコンサートをしたホール。(たぶん)
印象的だったのは、この柱の傷。
第二次世界大戦中の空襲の跡だ。
修復せずにそのままにしてあるのだという。
2014.12.16
イタリア旅行 20
ローマ その壱
もう、帰国してからひと月半以上経ってしまった。
イタリア旅行レポート、早く終わらな、
年またいで しまうがな。
さて、いよいよローマだ。
6泊8日のこの旅行、
ほとんどはガイドさんが付いて、
観光地・世界遺産を巡ったわけだが、
最後の2泊のローマでは
終始自由行動というプランだった。
おそらく イタリアにも少し慣れてきた頃だし、
ローマでは各々行きたい所も違うだろうし、
移動もそんなに難しくないだろうということでの
自由行動だったんだろうな。
確かにその方が良かったように思うが、
ガイドさんがいない分、知識的には不足だな。
まず、ローマといえば、コロッセオなどの
古代ローマの遺跡 (世界遺産) は必見だろう。
歴史の重みを感じずにはいられない遺跡の数々。
首を取られた像。
一体だけならそれほど気にならなかっただろうが
首のない像が何体も並ぶ光景は
ちょっと異様。
こういう時、ガイドさんがいてくれると
なぜ首がないのか解説してもらえるのだが。
この石畳を古代ローマ人が歩いていたと思うと、
なんとも不思議な感慨があった。
イタリア人によるとナポレオンは、
色んなものをイタリアから奪って行ったらしい。
ナポレオンは、この凱旋門もフランスに
持っていこうとしたらしいが、
それが出来なかったので、パリにあの
エトワール凱旋門を造ったということだ。
このフォロ・ロマーノ付近は、
街中にも遺跡が散らばっており、
ローマ帝国の大きさ、力を感じた。
そして、コロッセオ。
ここは、観光客が皆行くのでとても混んでいる。
割と朝の早い時間に入ったので
そんなに並ばなかったが、観終えて外に出たときには
えらい長い列が出来てた。
中に入るとこんな感じ。
一番高いところから見るとこんな風です。
本来は、競技をする床があったわけだが、
それは今はない。
反対側から見ると途中まで床を作ってあるのが
よく分かる。
ここで、グラディエイターの試合が
行われていたわけだ。
2014.12.18
イタリア旅行 21
ローマ その弐
フォロ・ロマーノ、コロッセオを見たあとは、
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の
屋上に上がった。
ここは、私の買ったガイドブックには
載っていなかったが、添乗員さんが
「行ったほうが良い」 と教えてくれたスポット。
下から見る限り、屋上に上がれるとは
思えなかったのだが、建物の裏手に回ると、
こんな風にエレベーターが設置されているのだ。
エレベーターは2007年に設置されたらしい。
屋上からは、ローマの街を一望できる。
素晴らしい眺めだ。
観光客だろうか、女性が体操のような
美しいポーズをとって、男性がその写真を
撮っていた。
私が気づいたとき、ちょうど写真を撮り終える
ところだった。
私も写真を撮らせて欲しかったので、
「One more、one more」 と言うと、
再びポーズをとってくれた。
アップ
女性のポーズが終わると、
今度は男性が、逆立ち!
なんか、しゃちほこみたい。
妻にもポーズをとってくれと言うと。
2014.12.19
イタリア旅行 22
ローマ その参
ローマといえば、映画 『ローマの休日』。
あの映画で、ローマに憧れた人は
世界中にいるのだろうな。
でも、あまりにもベタなので 「真実の口」 は、
見に行かなかった。
映画で グレゴリー・ペック演じる新聞記者が
手を入れて抜けないふりをした、
あの 「真実の口」 ね。
でもやっぱり、スペイン広場は
押さえておこうと、行ってみた。
オードリー・ヘプバーン演じる王女が
ジェラートを食べたあの場所ね。
で、行ってみて、超がっかり。
人、人、人、人だらけ。
渋谷か!
まあ、何を隠そう私たちも
同様に観光客の一人やねんけど。
これはテルミニ駅の構内。
この駅には、改札口がない。
ブラブラ歩いていると、いきなりホームなので
びっくり。
列車は、ちょっと日本の新幹線ぽいね。
2014.12.19
イタリア旅行 23
バチカン
世界最小の国が バチカン市国 だと覚えたのは、
小学校の時では なかっただろうか。
「市」 が 「国」 だということは、
子供には驚きと同時に、
面白かったような記憶がある。
イタリア旅行7日目 (最終日) は、
朝10時半ごろホテルのロビーに
集合で空港への移動だった。
前日、夕食を共にしたY夫妻に
「バチカン、見ておいた方がいいよ」 と
言われ、早起きしてタクシーで
バチカンへ向かった。
ホテルからバチカンまでは、
車で15〜20分ぐらいだったと思う。
これが サン・ピエトロ大聖堂。
ピエトロってったって、ドレッシングとは関係ない。
右手前のグレーは、椅子だ。
たぶん、ここで法王のお話を聴くのだろう。
中は撮影自由。
入場は無料だけど、セキュリティ・チェックはあり。
こんな写真では、雰囲気は伝わらんね。
とにかく壮大です。
そして、像がなんというか、力強い。
↑
これと、全く同じ像が先日行った、
フィリピン、マニラの教会にもあったよ。
当たり前やと思うけど、
バチカン市国には軍隊はない。
このガードマン (?) は、スイスからの傭兵らしい。
カメラを向けてもピクリとも動かないし、
もちろん笑顔などふりまかない。
帰るころ (9時すぎぐらいかな) には、
こんな風に長蛇の列。
観光は、朝早くから動くのが良いのだな。
バチカンは、独立国だけどイタリアからの
入出国は自由で検問などない。
っていうか、どこからバチカンか分からん。
最後に大聖堂の3人のエンジェルの写真。
2014.12.20
イタリア旅行 24
イタリア食事事情 その壱
イタリア料理は美味しいね。
大好き。
日本にいても普段からイタリアンは、
割とよく食べるのだけど
本場のイタリアンのレポートをしよう。
全体的に余計な味付けをしていない印象。
西洋の料理に砂糖を使わないから、
ドルチェに甘い物を食べると
今回初めて知った。
和食には、砂糖が使われているので、
もともとデザートというものが
なかったのだろうな。
志の輔師匠の本に イタリアで食べた
ムール貝が 「今まで日本で食べた
ムール貝は何だったんだと思うほど
美味しかった」 というようなことが
書いてあって、ぜひ食べてみたいと
思っていた。
ナポリでの一泊目の夕食は、
BERSAGLIERA (ベルサリエーラ) という
リストランテで、メニューの中から
料理を選べるコースだったので、
迷わずムール貝をチョイス。
旨い!
確かに日本で食べるムール貝とは
違うね。
なんというか日本のムール貝は、
冷凍丸出しでちょっと痩せている
印象だけど、ここで食べたのは
プリプリ。
こちらは、同じリストランテでの
海の幸のトマト煮。
ちなみにメニュー記載の値段を見ると
ムール貝は8ユーロ、海の幸のトマト煮は
18ユーロです。
ナポリ2泊目の夜は、ナポリピザを。
定番のマルゲリータ。
もう1枚は、「おすすめを」 と
オーダーするとこの店のオリジナルらしきピザ。
具を巻いてちょっと変わった形のピザ。
サラダはあんまり工夫がない。
美味しいドレッシングがあるのかと思ったら、
オリーブオイル、バルサミコ酢、
塩コショウで食すのだった。
2014.12.21
イタリア旅行 25
イタリア食事事情 その弐
カプリ島の La Pigna というレストランの
お魚料理。
ここのスタッフにはひょうきん者がいる。
私が 「トイレはどこですか?」 と訊くと
深刻そうな顔で 「トイレはないんだ」 と言う。
「えっ?」 と 私が驚いていると、
隣にいた別のスッタフが、
ちょっとあきれたように
「冗談です。あちらです」 と案内してくれた。
ポンペイの Zi Caterina という
リストランテ・ピッツェリアでのランチ。
イタリアでは、意外にパンがどこでも美味しい。
右の NATIA はミネラル・ウォーター。
ボンゴレ・スパゲティ。
痛風患者泣かせのイカと海老のフリット。
全部食べたけど。
日本では、リストランテとピッツェリアは、
区別されている感があるが、イタリアでは
両方書いてある店が結構あった。
大体どこも量は多いね。
多過ぎるぐらい。
あと多くの店で 盛りつけが とってもええかげん。
量はまちまちだし、ボンゴレなんかは、
あさりの量が かなり多い人や少ない人など
バラバラ。
そのあたりのええかげんさはイタリアらしい。
2014.12.22
イタリア旅行 26
イタリア食事事情 その参
アマルフィでの夕食はホテルのレストランで。
なんていうのか名前忘れたけど、
めちゃくちゃ太いパスタ。
白身魚とお肉。
レモンクリームのかかったシュークリーム。
これが一番美味しかった。
カゼルタの Le Colonne という
リストランテでのランチ。
↑
もうなんだったか覚えてない。
ローマでの一泊目の夕食。
自由行動だったけど、
添乗員さんに付いて
atelier というレストランへ行った。
ここは、TOMOKO さんという
日本人が始められたとかということで、
日本人スタッフもおり、安心。
ワインも安くて美味しい。
添乗員さんに勧められたラムが絶品。
付け合せのポテトがまた旨い。
ローマでは自由行動が多かったが、
ちょっと困ったのが食事。
どこに入っても良いのだが、
そうそう機会のあることではないので、
できればハズしたくない。
でも、どこが美味しいのか分からんというわけだ。
それでも、迷った挙句、入ったのがこの店。
HOSTERIA LA VACCA M'BRIACA。
裏通りにあるんやけど、アタリ。
ここのアラビアータは美味かった。
写真奥の カルボナーラ はイマイチ。
ローマの最後の夕食は、DA FRANCESCO。
ツアーで知り合った Y夫妻と4人で
行ったのだが、楽しくて美味しくて、
料理の写真はない。
でも、どういうわけか、
ワインはちゃんと撮ってた。
これは、最終日ローマ空港内で
食べたもの。
メニューを見てもどんなもんが
出てくるか分からんのは困ったね。
2品とも予想と違ってた。
外国にたくさん行っている添乗員さんに
「どこの料理が一番美味しいですか?」 と
訊いたら、「イタリア」 と答えていた。
なるほど、イタリア料理は美味しい。
「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ」
「食べて、歌って、愛して」 の人達だから
食事は重要やもんね。
2014.12.22
イタリア旅行 27
イタリアよもやま話
イタリアといえば、オリーブだが
向こうで見てびっくりしたのが
そのオリーブの木。
これはアルベルベッロで見た木だが、
とにかくでかい。
なんとも貫禄充分。
このギタリストは、ナポリのレストランで撮影。
女性シンガーと2人で店内で演奏するのだが、
日本人は、こういう時、チップをあげることに
慣れてないねんな。
彼らがテーブルまで来ても 若い人たちは、
チップを出さない。
もちろん強制じゃない。
私も20代だったら、出さなかったやろな。
お金ないもんね。
でも、今ならちょっとは出せるようになった。
ほんの気持ちで、こんな風に
テーブルに付いてサービスしてくれる。
ここのレストランでは、もう一人、
ちょっと疲れたようなおっちゃんが、
バラの花を売りにテーブルを回ってきた。
1本、5ユーロ (約700円)。
バラの花は、男性が女性に愛の証に
贈るもので、カップルで来た男性としては、
買わないわけにはいかないのだろうけど、
ほとんどの客は見向きもしない。
まぁ、ホテル泊まりで明日の朝には
出発するので、買ってもしゃーないと
いうこともある。
でも、ちょっと可哀想になったので
1本買ってあげたけど、バラはしおれかけてたね。
音楽といえば、路上でアコーデオンを
演奏する人を何度か見かけた。
どういうわけか、「マイ・ウェイ」 を
演奏しているのに2度出会った。
(マイ・ウェイって、ポール・アンカでしょ。
アメリカの曲ちゃうの?) と思って、
帰ってきてから調べたら、原曲はフランスの
クロード・フランソワという人の作曲だった。
歌詞もフランス語で付いてるけど、
ポール・アンカの書いた詞とは、
関係ないようだ。
イタリアの曲ではなかったわけやけど、
ああいうドラマティックなメロディは、
イタリア人は好きなのかもね。
話は、全く違うが ガソリン・スタンド。
2つとも、ローマのガソリン・スタンド。
給油機は、歩道にあって、
こんな風に道路に面してあるのだ。
土地の問題でしょうかね。
この Agip (イタリアの石油会社) の
マークがいいね。
2014.12.24
イタリア旅行 28 (最終回)
写真編
27回にわたりお送りした、
イタリア旅行レポート。
今回で最終回となるが、
いかがだっただろうか。
まとめて読みたい人は、
過去ログ、カテゴリー別の中に
「イタリア旅行2014」 というリンクを
作ったので、ぜひ。
これであなたもイタリア通。(うそ)
人生初のヨーロッパ旅行は、
大変に思い出深いものになった。
今度、ヨーロッパに行くとしたら、
スペインや南フランスもいいが、
もう一度、イタリアを訪れてみたいと思う。
今回、カメラは一眼レフ (Nikon D7000) と
コンデジ (SONY DSC-RX100) の2台を
駆使し8日間で 3000枚以上の写真を
撮った。(帰ってからの整理も大変)
そんな中から何枚か、紹介して
イタリア旅行レポートの終わりにしよう。
カプリ島
猫 マテーラで
プーマのような雲
ナポリ
アマルフィ
カゼルタの王宮
ローマ