LAGUNA MOON MELLOW FLAVOR  LIVE GUITAR  LINK LYRICS


 つつみしんやのひとりごと  2025年5月
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2025.5.1

JOHN SCOFIELD SOLO



昨年の来日公演から、一年も開けずに
ジョン・スコフィールド(略して「ジョンスコ」)が来日。
ジョンスコのライヴは何度か観ているが、
ソロ・ギターのショーは初めて。
確かコロナ禍でセッションができなくて
始めたんじゃなったかな。

ソロ・ギターのアルバムは未聴で、
YouTube では演奏を聴いたことがあった。
ルーパーを使うことも知っていたけれど、
実際に聴くと思っていた以上に素晴らしかった。
最後は、スタンディング・オベイションで
今日が公演最終日だったジョンスコは
「wonderful audience」と何度も言っていた。

ジョンスコは、ルーパーを駆使し、
ディレイやモジュレーション系も使い、
独特の世界を聴かせてくれた。
特にルーパーは、ルーパー音がデクレシェントして
いったり、リバース音が流れたりと、
現代ならではのソロ・ギター演奏だった。

一番印象に残ったの曲が、スタンダードで
聞き覚えのある曲だったけど、タイトルが思い出せない。
スイングやグルーヴは、自分が創り出すものだと
改めて痛感した。

ジョンスコは、1978年、Charles Mingus に
録音に呼ばれてスタジオに行った時の
想い出話をしてくれた。
私の聞き間違いでなければ、要約するとこんな話。
それは20人以上の録音で、録音してからコントロール
ルームでプレイバックを聴こうとしたけど、
コントロールルームが混んでいたので家に帰ったんだ。
チャールズと話さずに。
そしたら、チャールズは死んじゃった、
というような話だった。
そして、チャールズ・ミンガスの
"Goodbye Porkpie Hat" を演奏。
(調べてみると、1977年の録音だったみたい。)

ほかには "Blue In Green"(Miles Davis)、
自分は「Bad singer」だと言って唄った(というか
歌詞を読んだというかラップみたいにも聞こえた)
"There Will Never Be Another You"。
これも良かったなぁ。

本編最後は、"Danny Boy" からのロックっぽい
リフに乗せて、ジョンスコが暴れまくる!
アンコールでは、「my favorite song」と紹介した
"Alfie" をしっとりと聴かせてくれた。

終演後、機材の写真を撮りにステージに近づいたら、
セットリストもあったのだけど、その通りではなかったみたい。
件の曲のタイトルは見当たらず。

ギターは、いつもの黒の Ibanez。
機材は分かる範囲で、ルーパーは、Boomerang。
オーバードライブは、たぶん CENTAUR(ケンタウルス)。
コーラスは、たぶん JAM Pedals の Water Fall。
アンプは、Fender の Deluxe Reverb を2台。

(写真は、暗くてきれいに写らないので無理やり
見えるように編集してます。)








ジョンスコもキャリアは50年を超え、
現在 73歳。
もはや巨匠の貫禄ですわ。


[ MEMBER ]
John Scofield (g)

@ Blue Note Tokyo
2nd show


エリック・クラプトンの8公演を含め、
25日間に15回のライヴ、コンサートに行くという
怒涛のライヴ月間が今日で一段落ついた。
まあ、自分でもよくやるなぁと思うが、
「やりたいことは全部やる」と決めた。
満足です。





2025.5.2

安野光雅

今年1月に丹後(京都)を旅した。
1月25日のエントリーに私はこう記している。

「丹後に行こうと思いたったのは、昨年10月の中頃だった。
インターネットで偶然、安野光雅という画家を知り、
丹後に安野光雅館があることを知ったら
どうしても 行きたくなったんだ。」

先日、自分の書いたこのひとりごとを
読んでいたら、4年前に安野光雅について
書いているのを発見した。
2021年2月24日のエントリーにこう記している。

「先日、テレビを点けたら、
NHK の日曜美術館という番組で
安野光雅さんという画家の特集を放送していた。
私は、安野さんのことを知らなかったが、
その細かい画風にとても惹かれた。
早速、絵本を買ってみた。
「旅の絵本 VIII」に描かれた日本の風景は、
どこか懐かしく、コミカルな面もあり、
飽きさせない。
ストーリーがあるようで、ないような、
不思議な絵本。」

なんと4年前に安野光雅を知り、
絵本まで買っていたのだ。
その絵本は、翌年の引っ越しの際に
荷物を減らすために、ブックオフで処分した。



もう本当に記憶力が劣って来ていて、
ミュージシャンや画家、写真家など新たに知る
人の名前を覚えられなくなっていてる。

あの絵本の画家の名前は? と訊かれても
全く出てこなかっただろう。
もちろん絵本のことははっきり覚えている。

1月の丹後旅行での安野光雅館の感想を私は
「安野は、たくさんの絵本の挿絵を書いているが、
絵本の挿絵より、ヨーロッパや京都を
描いた絵の方が断然良い」と書いている。
が、そこにあった絵本の挿絵は、
私が買った絵本の絵とは違ったんだ。
挿絵は本当に挿絵だけれど、私が買った
「旅の絵本」は、挿絵という感じではなく、
細かい、圧倒的な絵だった。
あの絵本のような絵があれば、きっと気が付いた
はずなのだけど、そこで観た挿絵は、その絵本と
ちょっと違う画風のものだったので、
全く結び付かなかった。
分かってから見ると、共通点があるんだけどね。


洛中洛外の一枚「鴨川上流」

4年前のエントリーにも
「京都の丹後に安野光雅館、
島根県津和野町に安野光雅美術館がある。
どちらも行ってみたい」と書いている。

ちょっと自分のことなのにびっくりして呆れた。
でも安野光雅が、色んな絵を描いていることが
分かって良かった。
今度は、島根県の安野光雅美術館に行こう。


[ 関連エントリー ]
2021.2.24 安野光雅
2025.1.25 丹後の旅 1





2025.5.3

そんなに重要ですか?

私の母は、今年11月の誕生日で 90歳を迎える。
父も姉も亡くなり、母は今、大阪の老人ホームにいる。
私が誰か分からないほどボケてはいないが、
記憶力はかなり落ちている。

ちょっと前に実家を整理していて、
母の生命保険の証券を発見した。
「個人年金保険証券」と書かれていて、
時期が来ると年金がもらえるようなタイプのようだが、
死亡保険金についても記載があった。
保険に詳しい人が見れば分かるんだろうけど、
この保険が今も生きているのかどうか私には分からなかった。

今も有効な保険なら、父も姉も死んだので、
受取人の名前を変更する必要もあるので、
母に聞いてみたが、母はその保険のことを
全く覚えていなかった。

私は、保険証券に書かれたフリーダイヤルに
電話をし、自分が保険契約者の長男であること、
死亡保険金受取人の一人であること、
母がこの保険について覚えていないことを説明し、
この保険が、今も有効なものなのかどうかを尋ねた。

が、電話口の担当者は、本人でないと教えられないという。
手元に証券があるので、情報は全て分かっていて、
私が保険に疎いものだから、保険が有効かどうかだけで
良いんですと言ってもダメ。
「ご本人に電話してもらうことはできますか?」
「母は、スマホの使い方を理解しておらず、登録していない
番号にかけるのは、難しいです」というと
「少々お待ちください」と上司と相談しているのか待たされる。
(やり取りの中で、2、3回待たされた。)
しかし、やはり教えてもらえなかった。
最終的に「ご本人と一緒に電話できますか?」というので
大阪に帰った時に本人の目の前で電話をかけることにした。

もし、保険が消滅しているなら、それだけ教えてくれたら、
もうその件について、電話する必要もないし、解決なので
なんと融通が利かないんだろうと思ったが、
おそらく規則なのだろう、電話口の担当者に
文句を言っても仕方がない。
でも、私はこらえきれず、
「これで母と電話して、その保険が終わっていたら
爆笑ですね」と言ってしまった。

それから一週間ぐらい後、大阪の老人ホームから
件のフリーコールに電話をし、母に電話を変わった。
母の本人確認の後、息子の私にこの保険のことを
委任しても良いかを尋ねられ、母が「はい」と答えると
ようやく担当者(前に話した人と同一人物かどうか
分からない)は、ようやく教えてくれた。

その保険は「すでに支払い済みで消滅しています」と。

「ねえねえ、保険屋さん、
今電話で話した人が、あんな質問(生年月日と
住所ぐらいだった)だけで、何で本人だって分かるの?」
と、言おうかと思ったけどやめた。

さて、皆さんはどう思う?
この「保険は消滅しています」という情報は、
そんなに大事な、守られなければならないことなんやろか?
私の想像力の欠如かもしれないので
それを私に言うことで、どんな好ましくない事態が
起きうるのか誰か説明して欲しい。

もし母が死んでから保険証券を見つけたとしても、
「ご本人でないと教えられません」と言うんやろか?
それは、あまりに皮肉が過ぎますか?





2025.5.4

硲伊之助展
@アーティゾン美術館




京橋にあるアーティゾン美術館に行ってきた。
開催中の3つの展覧会(硲伊之助展、
ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ、
石橋財団コレクション選 コレクション・ハイライト)
のうち、硲(はざま)伊之助展に興味があった。
硲伊之助展では、本人の作品とともに
マティスやピカソ、ゴッホなどの作品も展示されていた。

硲伊之助(1895−1977)は、製作活動の傍ら
西洋美術の紹介にも尽力し、マティスの日本での
はじめての展覧会(1951年)の実現のため
作家との交渉に携わるなど、実務家としての
一面もあわせもっていたという。

マティスを師としたのも分かる作品も数点あったが、
私が一番気にったのは、チラシにも使われている、
「燈下」というこの作品。



1941年の作というから太平洋戦争の始まった年の作品。
キャプションには、こうあった。

「アデリアとの関係が破綻した後、硲のミューズと
なったのが、この石塚二味子(ふみこ)であった。
たびたび作品のモデルをつとめた石塚は、
ソプラノ歌手志望であったというが、絵も描いており、
(中略)才能あふれる石塚はのちに30代で亡くなり、
その直後、硲は最愛の人が眠る墓のそばへ
わざわざ引っ越したといわれる。」

「最愛の人」であったことが分かるほど、
この絵の中の女性は、生き生きとしており、
眼差しがリアルで、魂が宿っている。

硲の作品は、風景画も良かったが、
この「燈下」の他にも、「黄八丈のI令嬢」や
「A・K像」(海部公子の像)など、
魅力的な肖像画が数点展示されていた。


黄八丈のI令嬢(1944年)


ボナティ氏像(1947年)


A・K像(1959年)


こちらは、1951年、硲が関わった日本初の
マティス展のポスター。
何と地味な、と思うが、マティスの直筆の
メッセージも書かれている貴重なものだ。





マティスからの直筆の書簡も展示されていた。

硲は晩年、石川県加賀市に移り住み、
九谷焼を創作した。

56・4センチ、7,880グラムもある
「九谷上絵 鳥越村採石場大皿」(1975年)



九谷焼で、描かれているのも日本の風景だと
思うが、不思議となぜか異国情緒も感じる。

硲伊之助のことは、このたび知ったが、
東京での回顧展は初めてだという。





2025.5.6

アルトラ 買いました

当たり前のことだが、歩いたり走ったりするのに、
靴はとても重要なツール。
しかし、スピードや快適さを追い求めるあまりに
現代の靴は、本来の人間の足が持っている力を
奪ってしまっている。
『歩く マジで人生が変わる習慣』 (池田光史著)
読んでそんな風に感じた。
その本で、知ったアルトラ(ALTRA)という
アメリカのシューズ・メーカーがある。
昨年のフルマラソン用に買ったアシックスの
シューズは、ちょっとクッションが良すぎるような
気がしていたのだが、その本を読んで、
俄然 アルトラのシューズに興味が湧いた。
銀座に世界初となるアルトラのフラッグシップ
ストアが、この2月にオープンしていたので、
GW中の一昨日に行ってきた。

ショップに到着したのは、午後3時ごろだったと
思うが、入店の人数を制限しており、外に
5〜6人が並んでいた。

20〜30分ぐらい待っただろうか、
ようやく店内に入れたが、それからもスタッフが
先に来ている客の対応が終わるまで、しばらく待った。

マラソンの初心者であることを伝え、
スタッフの説明を聞いてから、試着してみた。

アルトラの靴は、「ゼロドロップ」といって、
かかととつま先の高低差がないものがある。
それが理想なのだけど、かかとが高い靴に
慣れている者がいきなりゼロドロップの靴で
走ると足を傷めることがあるので、徐々に
慣らしていった方が良いらしい。
そういう初心者向けの靴があるんだ。
4ミリかかとが高い「EXPERIENCE」という
シリーズで、適度なクッションもある。

で、購入した靴「EXPERIENCE FLOW」がこれ。






靴の形が足の形

靴底の厚みを「スタックハイト」というらしい。
この靴のスタックハイトは、つま先側が 28ミリ、
かかとが 32ミリで、ドロップ(厚みの差)が
4ミリというわけだ。

調べてみると、昨年買ったアシックスの
「GEL-KAYANO 31」は、靴底の最大の厚さが
約 40ミリと記載があった。
かかと側のデータが記載されていないので、
ドロップは分からない。
一昨年、100キロウォークのために買った、
ニューバランスのウォーキング・シューズ
「MW880」は、調べてみたけど、
「スタックハイト」は、公表されていないようだ。

ALTRA の店では、靴に値札が付いていなかった。
事前にネットで見た感じでは、2万円台前半という
印象だったが、EXPERIENCE FLOW は、17,600円。
ちなみに、アシックスの GEL-KAYANO 31 は20,900円、
ニューバランスの MW880 は、12,100円。(全て税込)

今年もフルマラソンを走ることにした。
先日、11月の福岡マラソンに応募したが、
人数が多いと抽選になる。
6月の末には結果が出る予定だ。

暖かくなってきて練習を再開していたので、
昨日 新しい靴で走ってみた。
クッションの少ない分、少し足に衝撃があるような
気もするが、5キロ程度のスロージョグでは、
あんまり分からない。
でも、気分が大事だからね。

ところで、アルトラのショップで店員に
「どこで(アルトラを)お知りになりましたか?」と
訊かれた。
お店には前述の本『歩く マジで人生が変わる習慣』が、
置いてあったので「あの本で知りました」と
答えると「そういうお客様、多いです」と言っていた。
そうだろうなと思う。
歩くことに興味があって、実際に歩いている人なら、
本を読めば「その靴、履いてみたい」と思うだろう。
ただ、本では「アルトラの宣伝か」と思うほどの
書き方もされていたのは少し気になった。
著者が、それだけ アルトラに惚れ込んだと
いうことだろうけど。

お店に行ったのが日曜日だったので混んでいたけど、
平日ならそれほどでもないらしい。





2025.5.7

教皇選挙
CONCLAVE




奇しくも今日5月7日(日本時間)の夜から
実際に次のローマ教皇を決める選挙が始まったのだが、
その「教皇選挙」を題材にした映画を観てきた。
タイトルはそのものずばり『教皇選挙』。
アカデミー賞の8部門でノミネート、
「脚色賞」を受賞した作品だ。

映画の公開時期と、ローマ教皇の死が
重なったこともあってか、映画はヒットしており
今日も平日にも関わらず、13:45からの回が
ほぼ満席だった。
TOHO シネマズで観たので、TOHOウェンズデイ
(水曜日は1300円)ということも手伝ったかも
知れないが、実際に満席の回もあるらしい。

監督は、エドワード・ベルガー(ドイツ出身)。
「『西部戦線異状なし』の……」とあったので
さぞかし高齢の監督かと思ったら、1970年生まれと
いうから、まだ55歳だった。
『西部戦線異状なし』は、ずい分古い映画なので、
そう思ったのだけど、エドワード・ベルガーが
監督したのは 2022年で、この映画は、
1930年公開の映画、1979年放送の映画に次ぐ
三度目のリメイクだったようだ。
(一度目、二度目の監督はすでに他界している。)

さて、『教皇選挙』。
「制作に4年費やした」と監督は述べたらしいから、
まさかローマ教皇の死に合わせて作ったわけではあるまい。
私のようなローマ教皇やバチカンにさして興味のない人間には、
ローマ教皇の死去がなくても、十分に面白い映画だと思う。

映画は、ローマ教皇が死んだところから始まる。
教皇が亡くなると、次の教皇を選挙で決めるのだが、
その選挙のことを「コンクラーベ(CONCLAVE)」といい、
映画の原題にもなっているし、セリフにも出て来る。
このコンクラーベは、枢機卿(すうききょう)の投票に
よって決まるのだが、投票総数の3分の2以上を
得る人物が出るまで、投票が繰り返される。

映画では、108人の枢機卿による投票で、
何日にもわたって、何度も投票が繰り返され、
「コンクラーベ」って「根競べ(こんくらべ)」みたいと
思ったが、もちろん「根競べ」とは関係ない。

映画の公式サイトには、用語解説があり
語源も含めこう書かれている。

【教皇選挙/コンクラーベ】
「新教皇を選出する選挙。
名称の由来はラテン語のCUM(共に)
+CLAVIS(鍵)=「鍵と共に」で、「秘密の場所」を指す。
数日に渡る選挙期間中、枢機卿(投票者であり
候補者でもある)は隔離され、外部との接触や
電子機器の使用を禁じられる。」

(ちなみに、今日から始まったという、
現実のコンクラーベには、教皇庁の発表によると、
133人の枢機卿が参加、89票以上を得た人が
次の教皇に選ばれるらしい。)

ローマ教皇になるような人は、どんな人格者かと
思うのだが、映画で描かれている枢機卿達は、
ごくごく普通の「人間」。
ローマ教皇になりたい野心家は、票を金で買う。
他候補の足を引っ張る。
政治でも教会でも人間の考えることは同じだ。
「教会」と「信仰」は違うのだ。
主人公のローレンス枢機卿は、
選挙の管理人であり、自らも候補者で投票者。
自身は、教皇になりたいとは思っていないが、
誰がなっても良いとは思っていない。

数人の候補者をめぐって物語は進んでいくが、
途中まで先が読めない、エンターテイメント・
ミステリーに仕上がっている。
さて、誰が教皇に選ばれるのか。

面白い映画だったが、前半、人の名前が覚えられず
よく意味が分からなかった。
これから見ようと思う人は、公式サイト
せめて登場人物の相関関係図を予習してから
見ることをお勧めする。
あと「枢機卿」。
これも漢字が読めなくて「〇▽◇きょう」と
ごまかしながら見ていたが、前述の通り
「すうききょう」と読む。
教皇に次ぐ高位聖職者のこと。

公式サイトには、期間限定OPENとして
「キーワード徹底解説」もある。
ネタバレなので「本編鑑賞後にご覧ください」と
なっているが、これは復習としてとても親切。
全く気付かなかったことも書かれており、
大変理解が深まります。

出演は、主人公のローレンス枢機卿に
『シンドラーのリスト』『イングリッシュ・ペイシェント』の
レイフ・ファインズ。
ベリーニ枢機卿に『プラダを着た悪魔』のスタンリー・トゥッチ
ジャン・レノかと思ったテデスコ枢機卿は、
イタリアのセルジョ・カステリットという俳優だった。


★★★★☆


2024年製作/120分/G/アメリカ・イギリス合作
劇場公開日:2025年3月20日





2025.5.18

STILL ON THE RUN
THE JEFF BECK STORY




2023年に死んでしまったジェフ・ベック。
そのジェフのドキュメンタリー、
『STILL ON THE RUN ― THE JEFF BECK STORY』
2018年の DVD 発売と同時に買って観たけど、
もう内容も忘れていたので、もう一度観直した。

登場するのは、ジェフ本人はもちろん、
エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、
ロッド・スチュワート、ロニー・ウッド、
デヴィッド・ギルモア、スラッシュ、
ジョー・ペリー、ヤン・ハマー、ヴィニー・カリウタ、
ロンダ・スミス、タル・ウィルケンフェルドなどなど超豪華。
全員が、ジェフをべた褒め。
しかし、ビデオを観終えると、
そのべた褒めにも納得してしまう。
それだけ、ロック界、エレキギター界にジェフが
与えた影響は大きい。

ジェフは、何歳になっても永遠のロック小僧だった。
そして、孤高の人。イノベーター。
ストラトキャスターの可能性を広げた人。
ビデオを観ながら、ジェフの功績を改めて確認したよ。

興味深かったのがロッド・スチュワート。
1960年代後半、ジェフ・ベック・グループの時代。
レコーディング・スタジオらしき場所で
ロッドが マネージャーのミッキー・モストに
「どんな風に歌えばいい?」と訊くシーンがある。
私にすれば「あのロッドが?」である。
ミッキーは「好きなように」と答える。
それに対しロッドが
「そうしてみるけどイマイチなら止めてくれ」という。
なんて謙虚なんだ。
ロッドにそんな時代があったことに驚く。

90年代だったと思うが、チャゲ&飛鳥の本か
インタビューで読んだことがある。
チャゲ&飛鳥が MTV(?) のイベントか
何かの収録で確かロンドン(だったと思うがこれも怪しい)に
行った際、ロッドも出演したらしい。
その時、ロッドはリハーサルには登場せず、
リハでは代わりのシンガー(ロッドのリハ用?)が唄い、
ご本人は本番だけ唄ってさっと帰って行った。
そんな風に読んで、さすがはスーパースターは、
リハなんかしないんだ、と感心した覚えがあった。
そんなイメージだったので、若いころのロッドが
「どんな風に唄えばいい?」なんて訊くことに
驚いたんだ。

それだけじゃない。
ジェフ・ベック・グループが、フィルモアイースト
(ニューヨークのコンサート会場)に出演した際には、
ロッドが出てこなかった。
ジェフは、その日のことを「ロッドが出てこなかった
伝説の夜」と言った。
ロッドは「アンプの陰に隠れていた」と明かす。
「本当の話(absolute true story)」だと。
その理由がまた驚き。
アメリカで黒人シンガーのように唄うことに
ビビッていただんだ。
本物がたくさんいるのに、物を投げつけられるかも知れない。
「インチキ!(fake)」ってやじられるかも知れないと。
あのロッドが、そんなに弱気なことがあったのか、と
これまた新鮮な驚きだった。
(その夜のギグがどうなったのか知りたいけど、
その部分には触れられていない。)
英語で何と言っているのか分からないので、
この字幕の訳がどこまで本人の話したニュアンスを
表現しているかどうかは分からないのだけどね。

ウッド・ストックのコンサートへの出演が決まっていたのに、
ジェフとロッドがうまく行かなくなっていた時期で、
これまたジェフは、直前に出演をキャンセルしてしまう。
(ヤードバーズ時代にもツアー中にやめて帰ってしまった。)
そのことを、ジェフもロッドも「出演しなくて正解だった」と
振り返っているのも興味深い。
それだけウッドストックのコンサートに
大きな意味があったということでもあるのだけど、
出演していたらしていたで、きっと伝説のステージに
なっただろうな。

ジェフベック・グループのあとに組んだ BBA
(Beck, Bogert & Appice)が行き詰まり、
これまた解散したあと、アルバム『Blow by Blow』の
ヒントを得るのが、ラジオから流れてきた
マイルス・デイヴィスのアルバム『JACK JOHNSON』での
マイルスとジョン・マクラフリンの共演だった。
シンガーを求めて、どのバンドも長続きしなかったジェフが
シンガーはもう必要ない、と気付く瞬間の話だ。
BBA の解散で「みじめな人生に逆戻り」と感じていた
ジェフは「扉が開いたのを感じた」と言う。

アルバム名を『Blow by Blow』と名付けたのは、
プロデューサーのジョージ・マーティンで、
ジャズでは即興のことを「Blow」と呼ぶことから
付けたらしい。
発売当時、邦題は『ギター殺人者の凱旋』。
意味不明や。
高校生の時に LP レコードのオビに
大きくそう書かれていたのを買った覚えがあるよ。

DVD はジェフの言葉で終わる。
「家のあちこちにギターを置いている。
弾くのを忘れないように。
ギターは絶え間ない挑戦だ。
手に取るたびに覚えたてのふりをする。
効果あるよ」

ボーナス・ディスクのライヴ映像(2007年の
モントルー・ジャズ・フェスティヴァル)は、
演奏は素晴らしいのだけど、音質があまり
良くなくて、迫力が伝わってこないのは残念。
ベースがタル・ウィルケンフェルドなのは嬉しいけど
ベースの音が物足りないねん。


私がジェフの演奏で大好きな
『Cause We've Ended As Lovers』は、
邦題を「哀しみの恋人たち」という。
粋な訳だと思う。
私なりの意訳は「うちら、別れたんやから」。
スティーヴィ−・ワンダーが、
元奥さんのシリータに書いた曲。
シリータの唄う歌詞の意味は分からないのだけど、
私には原曲よりジェフの演奏の方が、
哀しみ度が高く、エモーショナルに感じる。
この曲を録音した時、ジェフは30歳だった。

Syreeta - Cause We've Ended As Lovers

Jeff Beck - Cause We've Ended as Lovers
Composer : Stevie Wonder
Producer : George Martin
Drums : Richard Bailey
Keyboards : Max Middleton
Bass : Phil Chen





2025.5.19

福井の旅−1

もう一週間以上経ってしまったのだけど、
先日2泊3日で福井に行ってきた。
妻が仕事で行くのに私も便乗したんだ。
北陸は、石川県と富山県には行ったことがあったけど
福井県は初めてだった。
2020年のゴールデン・ウィークに
福井旅行を企画し予約もしていたのだけど、
コロナのためにキャンセルしたことがあった。

福井へは北陸新幹線で行ったけど、
富山を過ぎ、金沢を過ぎ、その先が福井なので
東京から3時間以上かかるんだ。
思ったより遠い。

まず1日目。
福井駅近くの「越前ふくい美術館」。
小さな美術館で企画展示は、
「東山魁夷 京洛四季」と
「蔦屋重三郎 浮世絵黄金期を築いた人たち」を
開催中だった。

東山魁夷の作品は、川端康成に
「今のうちに京都を描いておかないと
なくなりますよ」と促され描いたという作品数点のほかに
ヨーロッパや信州で描いたものも展示されていた。
有名な「緑響く」と同じ長野県の御射鹿池
(みしゃかいけ)を描いた「緑の詩」も
展示されていおり、緑色の鮮やかさが際立っていた。
同じように池に映る木々を描いた「静映」や
比叡山を描いた「曙」も良かった。
浮世絵の方は、あまり興味が湧かないなぁ。

緑の詩


静映



美術館の後は、13世紀に道元禅師によって
開かれた有名な禅の道場「永平寺」へ。
今も多くの僧侶が修行を重ねているお寺だが、
内部を見物することができる。
予備知識なしで行ったのだが、
とても大きな立派なお寺で驚いた。
ちょっと高野山を思い起こさせる感じ。









昼食は福井駅前の「くずし割烹 ぼんた ハピリン店」で
福井の贅沢二色丼(甘エビとイカ)2,750円+酢メシ110円
ぼんた御膳(ソースかつ丼とおろし蕎麦)1,320円

ソースかつ丼のかつは、薄切のポークで
甘辛いソースに染み込んだごはんの進む味。
今まで食べたことのあるソースかつ丼とは違っていた。

夕食は勝山の「割烹 峰」。
目当ての食堂が貸し切りだったため、
急遽調べて飛び込んだ店だったのだが、
これが大当たり。

甘エビ 1,100円


ソースかつ丼(中)1,000円



東京では味わえない価格でとても満足。
近所ならリピ確定の店。
昼も夜も甘エビにソースかつ丼というチョイスに
なってしまったが、その他、エビフライや、
エビクリームコロッケも大変美味しかった。
エビ三昧の日でした。





2025.5.19

福井の旅−2

福井の旅、二日目の午前中は妻の講演会に参加。
福井県勝山の人が妻を呼んでくれて実現した会。
初めて来た方も数人おられたが、
皆さん熱心な参加だった。

スタッフ達と昼食の後、解散。
泊まっていたホテルの近くに立派なお寺が
見えたので行ってみると「越前大仏」という
立派な大仏様のお寺だった。



このお寺、大仏は、勝山出身の実業家多田清
(相互タクシーの創業者)という人が
観光目的の寺院として建立。
その後に宗教法人化したらしい。
事業で成功したからと言って、こんなに大きな
(境内の敷地 22ヘクタール)ものを造ることに驚きだ。



大仏は、像高が 17メートルあり、奈良の大仏より
2メートル余りも大きく、坐像としては日本一。
(茨城県の牛久大仏は、立っている大仏で
120mあり世界一らしい。)



大仏の左右と後の三方の壁には石仏、
金仏を合せて1,281体が安置されており結構な迫力。



こんなに立派なのにあんまり有名でないのは
やはり歴史がないためだろうか。
最初からお寺だったわけではなく、最初は観光施設として
作られたということも関係があるのかも知れない。
(1987年に観光施設として創建、2002年に宗教法人認可。)


五重塔の上から大仏殿を臨む

福井旅行の後、越前大仏の話をしていたら、
たまたま兵庫県香美町出身の人がいて、
その日から聞いたのだけど、
この大仏を作った多田さんという人、
名前が名前だけにただ者ではなく、
奥様の郷里の兵庫県の北西部、香美町にも
「但馬(たじま)大仏」なるものを作られたんだ。
ビックリ。

これがまたでかい。
しかしこちらは、観光施設ではなく、
元々あったお寺を拡充したとのこと。
こちらには、15メートル超えの大仏が三体。
勝山と但馬、合わせていったいいくらのお金を投じたのだろう。
機会があれば、但馬大仏にも訪れてみたい。







ひとりごと