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ART -3
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2024.6.25

信州撮影の旅 その1

先週、4泊5日で長野県に行ってきた。
前半の目的は、妻が行きたがっていた、
奥蓼科にある御射鹿池(みしゃかいけ)を観に行くこと。
後半2泊は一人旅で、写真撮影の旅だった。
今回の撮影テーマは、森を撮ること。

月曜日の夕方、前日から仕事で長野入りしていた
妻と善光寺で落ち合った。
善光寺は、今年2月に 妻の仕事に
付いてきた時に訪れているので2回目だ。

その日は、宿(諏訪湖)への移動で
終わったが、翌日は一日中雨だった。
雨の中、無理やり観に行った御射鹿池がこれ。



この1、2分後には、霧で池は全く見えなくなった。

雨の蓼科高原



そのあと、諏訪湖湖畔にあるハーモ美術館へ。
小さな美術館だが、ルソーやダリ、シャガール、マティス、
ピカソなどを所蔵している。
妻が、昨年あたりから、ルソー、ルソーと言い出した。
それまで良いと思ったことのないルソーだったが、
不思議なもので、何度も観ていると、
段々と良さを感じるようになるんだな。

展覧会に行く楽しみは、好きな作品を
ナマで観ることはもちろんだが、それまで知らなかった
自分が好きなタイプの作家・作品に出会えることもある。
今回の出会いは、フランスはパリの画家、
ポール・アイズピリ(1919-2016)の『大運河』。



なんともこのヘタウマ感が良い。
この人の絵は、もう一枚花の絵が
展示されていたのだけど、断然この『大運河』が良かった。


つづく





2024.6.26

信州撮影の旅 その2

信州旅行の3日目。
前日の雨がウソのように晴れた。

前日の霧に包まれた御射鹿池で
満足できなかった私は、もう一度御射鹿池に訪れた。
これが、その日の写真。





御射鹿池は、言ってしまえばただの農業用水のため池。
1930年代に人工的に作られた池だ。
有名にしたのは、東山魁夷(画家)の
1972年の作品『緑響く』。



現実の御射鹿池には、馬なんていない。
そこは東山の創作なんだけどね。

雨の日と晴れの日と、連続2日間で
全く違う表情を見せてくれた御射鹿池。
天候だけではなく、おそらく季節によっても
様々な景色を楽しませてくれるのだろう。

前述の東山魁夷の『緑響く』。
以前から知ってはいたが、特別素晴らしいとも
思っていなかったのが、実際の御射鹿池を
見てみると急に関心が湧いてきた。

で、最終日、信州旅行の締めくくりに
長野県立美術館の東山魁夷館に行ってきたよ。
その話は、また後日。


つづく





2024.6.27

信州撮影の旅 その3

信州旅行4、5日目に撮影した写真。

長野県大町市の鷹狩山(たかがりやま)の
山頂にある小さな金毘羅神社への石段。
とても神秘的な雰囲気で、ちょっと畏怖さえ感じる。



同じく大町市にある唐花見湿原( からけみしつげん )。





ここでは、山道で迷いかけてちょっと焦った。

次は、適当に車を走らせてて見つけた風景。



鹿島槍スキー場から観た山々。



5日目は、またも雨。(ええ、雨男です)
雨の中綱湖(なかつなこ)。



適当に車を走らせてて見つけた風景。







今回、森を撮りたいと思ったのは、
昨年 写真展で観た、瀬尾拓慶(せおたくみち)の
森の写真に影響を受けてのことだが、
当然、そんなに簡単に森の良い写真が
撮れるわけもない。
私が撮ったものは、車で行けるところまで行って
たかだか数分から数十分歩いた程度で、
本当の森の中になど、足を踏み入れたとは言えないんだ。
これは、もっと本腰を入れて、
時間をかけないとダメだな、と思った。
でも、「熊に注意」なんて立て看板を見た途端、
ビビッて引き返してしまう自分なのでした。

さて、最終日はあいにく天候が悪かったのだが、
長野駅前で借りたレンタカーを
返すために長野市内まで戻った。

御射鹿池(みしゃかいけ)を見たがために
東山魁夷(ひがしやまかいい)の絵に急に
関心度が上がった私は、長野県立美術館にある
「東山魁夷館」へ向かった。

東山魁夷(1908−1999)は、
横浜で生まれ、3歳から神戸で育った。
そして、戦後は千葉の市川に自宅とアトリエを
持った人なので、なぜ長野に「東山魁夷館」が
あるのか疑問でもあった。

東山にとって、長野は「作品を育ててくれた地」で
あったということで、長野県に数多くの作品を寄贈した。
現在、その収蔵作品数は、970余点だというから驚きだ。

「東山魁夷館」では、年中東山の作品を観られる
わけだが、作品数が多いので、数カ月に一度
作品を入れ替えている。
私が訪れた日は、「東山魁夷館コレクション展 2024 第2期」。
残念ながら、『緑響く』(所蔵作品)は、
第1期に展示されていたようで実物を観ることが叶わなかった。

でも、1930年代、ドイツ留学時に描いた作品や、
1960年代にドイツ・オーストリアの街を描いた作品、
「白い馬の見える風景」シリーズの作品など
見ごたえのある展覧会だった。
展示数も多すぎず、ちょうど良い。
他の作品も観てみたい。

夕方完全に雨が上がり、晴れたときの
長野県立美術館。



『緑響く』は、複製を買ってきて額に入れて飾ったよ。







2024.8.30

Immersive Museum TOKYO vol.3
印象派と浮世絵 ゴッホと北斎、モネと広重




先日「ベルサール新宿南口」という会場で
開催されている「Immersive Museum TOKYO
vol.3」に行ってきた。

「Immersive」というのは、「没入型」という意味。
特別な音響効果と壁面・床面全てに投影された
アートを「没入型」に体験するというもの。
床に置かれた椅子に座って、また
大きなクッションに寝そべって、
壁面に映し出されるアートを観るんだ。



「vol.3」とあるように今開催されているのは、
第三弾だけど、観に行くのは始めて。

今回は「印象派と浮世絵 ゴッホと北斎、
モネと広重」というテーマ。
ゴッホやモネに、葛飾北斎や歌川広重らの
浮世絵を対比させるという企画。
あの時代の西欧の画家が、日本の浮世絵に
影響を受けていたのは有名な話で、
ゴッホは浮世絵の模写も残している。

ちゃんと時間を計っていないけど、
20分か30分ぐらいかな。
あっという間なので、2回観たよ。

冒頭は「熈代勝覧(きだいしょうらん)」という
江戸日本橋を描いた絵巻が、動画になって映し出される。
これは、面白かった。
隅々まで見ていたいと思ったほど。

そのあと、浮世絵と西洋絵画の似ている構図のものや
同じ題材を描いたものを並べたり、重ねたりして
映し出される。
浮世絵が印象派に与えた影響を表現しているのだと
思うけど、中には、「これはたまたま似てるだけやろ」
「それとこれを並べるのは無理があるやろ」と
思うものあった。
それでも、西洋と東洋の視点や表現の違いを
あんな風に観るのは興味深い。
何より、あれを創るのに膨大な時間とエネルギーが
費やされているだろう。
そして、テクノロジーの進歩があってこその
21世紀型のアートの見せ方だと思ったのでした。
ゴッホやモネが生きていたら、なんて言うんだろうな。

ただ、「没入」したかと言われると、微妙かな。
あと、スマホで撮るのは自由だったので、
ずっと動画を撮っている人が、何人かいて、
その人たちは、せっかく目の前に大きく映し出されて
いるにもかかわらず、手に持ったスマホ越しに
観てたので、なんだかなぁという感じがした。
まあ、人のことですけど。




公式サイト

動画





2024.10.26

風景との対話
東山魁夷 著




初版は1967年。
私が購入したものは、2023年の57刷りだ。
オビには原田マハさんの推薦文が記載されている。
「本書は若かった私に進むべき道を示してくれた。
いま、私はその道を歩んでいる。」
60年近く読み継がれている名著なのだ。

昭和の時代には、こういう文章が多かったのかも
知れないが、この情報過多の時代には、
とてもゆったりした文章に感じられる。
読み始めてすぐに 2年前に読んだ 鬼海弘雄 著の
『眼と風の記憶 写真をめぐるエセー』を思い出した。

『風景との対話』は、東山魁夷の私的な独白で、
戦争でどん底を味わったころから、戦後、
魁夷が画家として、どのように美と向き合っていたか、
その旅の記録であり、実際の旅行の随筆も多い。

印象に残った一節を備忘録として記しておこう。

【p.109】
絵になる場所を探すという気持を棄てて、
ただ無心に眺めていると、相手の自然のほうから、
私を描いてくれと囁きかけているように感じる風景に出会う。
その、何でもない一情景が私の心を捉え、
私の足を止めさせ、私のスケッチブックを開かせるのである。

【p.116】
「平凡なものを緻密に見れば、非凡な発見がある」

(このふたつの文は、写真家ソール・ライターの
言葉を思い出させてくれた。)

【p.146】
人間が造った街であるのに、人間が住みにくくなるとは
どういうことだろう。

【p.174】
(村上華岳〈むらかみかがく〉の手記より)
岸にせせらぎの音を立てて流るる河水よ、
お前は休みなしに何処へ行く、
「私は海へ行く」
海へ去ってそれからどうする、それで終いではないか。
「私は水蒸気となり雨となりまた河と流れ、
斯くの如くまた海にそそぐ」
水よそれは何のためであるのか、徒らなことではないか、
「私は何のためだか知らない、
唯こうやって居るのが私の悦びである」

(いいなぁ。この文。
村上華岳は、大正から昭和の日本画家。
「徒ら」読めなかったよ。「いたずら」です。)

【p.269】
中学生の頃、作文に「希望」という課題が出た時、
軒下をきれいな水が流れる小さな町で、
こぢんまりした本屋を営み、可愛らしい奥さんを
貰って、平和に暮したいという意味のことを書いて、
受持の先生に叱られたことがある。

(それは、受持の先生が間違っている!)

【p.273】
(作品「冬華」について)
私は迷ったが、作品の強さというものは、
決して色調とか、構図とか描き方に在るのではなく、
その画面の中に籠る作者の心の強さに
あることに気づき、これを私の表現しようとする
内容にしたがって、白とグレーの画面に仕上げた。

【p.274】
展覧会も生きものであるから。その傾向も
変化してゆくのは当然である。
しかし、毎年、今年の傾向は、などと云われるのが
不思議でないところを見ると、ファッション・ショーに
近くなりすぎているように思われる。
たしかに、世界の変転は目まぐるしいが、
作家の仕事は、一般的傾向とか、
自分以外の作家の傾向に煩わされないところに
価値があるのではないだろうか。

【p.297】
(自分の作品を指して)
芸術作品は、それを生んだ作家のいとおしみや、
それを迎えた世間の好意のすべてを
剥ぎ取った後に、その真価を問われる運命を持つものだ。
その厳しさに耐え得る作品があっただろうか。
しかし、これからだとも云える。


魁夷は、1962年(私が生まれた年)、54歳の時、
デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、
フィンランドをめぐる写生旅行に出ている。
彼は、1930年代にドイツに留学した人であるが、
その頃にもデンマークへ行ってみたいと思っていたようだ。
しかし、西洋美術の勉学のためとなると、どうしても
イタリアやフランスのような国に足が向ていいたのだという。
後半の北欧を描いた作品に付けられた、短いエッセイを
読んでいて、初めてデンマークに行ってみたいと思った。
魁夷の観た60年以上前のデンマークとは、
大きく様変わりしてしまっているかもしれないけれど。


★★★★☆





2024.10.29

大塚国際美術館

パブロ・ピカソの「ゲルニカ」は、縦・約3.5m、
横・約7.8mもの巨大な作品だが、
そのほぼ原寸大の陶板複製作品が、
東京駅近くの丸の内オアゾに展示されており、
無料で観ることができる。
これを制作したのは、大塚オーミ陶業という会社で、
その陶板複製作品1000点以上が、
展示されている徳島県鳴門市にある
大塚国際美術館に行ってきた。

一昨日の日曜日、妻の会社が企画した現地集合・解散の
イベントで、全員で16人だったかな。
東京から私たち夫婦以外にも10名以上の人が
参加していたよ。

絵画作品は、どうしても経年劣化が免れないが、
陶板複製は半永久的な耐久性を持つらしい。
見た目も原画の所有者からお墨付きをもらうほどだと
いうので、楽しみに行って来た。

美術館は、徳島空港から車で30分ほど。
とても良いところにある。
四国と淡路島の間にある大毛島(おおげじま)で、
紀伊水道に面している。
今では、橋を通って、淡路島、本州と繋がっている。

まず、この美術館、そして作品を作った、
その労力×時間×費用(=情熱)に感動する。
そこに至る素晴らしいストーリーは、公式サイトに
大塚国際美術館初代館長 大塚正士の言葉
「一握りの砂」として残されているので、
ぜひお読みいただきたい。

一握りの砂

美術館ではあるが、アミューズメント・パークというか
テーマ・パークというか、よりアートを身近に
楽しんでもらおうという企画がたくさんあり、
日曜日ということもあってか、多くの来場者で
にぎわっていた。

開業は、1998年とあるから今から26年前。
私は観ていないのだが、2018年大晦日に
米津玄師(徳島県出身)が、「NHK紅白歌合戦」に
出演した。
大塚国際美術館内のシスティーナ・ホールから
生中継だったらしい。
システィーナ・ホールは、ミケランジェロが作成した、
バチカンのシスティーナ礼拝堂を
原寸大に立体再現したというもの。
大塚国際美術館は、その放送をきっかけに、
全国的に有名になり、来場者が増えたと、
地元の方に聞いた。
そして、その米津のイラスト(CDシングル『Limon』の
ジャケット)も陶板になり展示されていたよ。

陶板複製作品は、確かに素晴らしいと思ったが、
ゴッホやピカソ、ルソーなど実物を観たことのあるものも
あったので、それらの実物を見たときの印象と比較すると
やはり実物にはかなわないと思った。
まあ。当然かもしれないけれど。
なんだろう、あえて言葉にするなら、
この複製品を作った職人たちの魂は感じるのだけど、
元の絵を描いた画家の魂は宿っていない、という感じかな。
記憶にある印象より、色が、少し淡く感じたこともある。
(作品によるけどね。)
ただ、経年劣化がないというのは、
もしかしたら数百年後、実物はもの凄く色あせていたり、
朽ち果てて見られなくなっていても、この陶板は
変わらずにあり続ける可能性がある。
それは、アートの歴史にとって凄いことだと思う。

初代館長の言葉にもある通り、若者・学生がここで
作品を鑑賞したことが、その将来、実物を観ることに
繋がればそれは素晴らしいことだと思う。

ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の修復前と修復後が
同じ部屋に向い合わせに展示されていた。
印刷でしか観たことがなかったが、驚くほど でかかった。
ちょうど、部屋に入った時、美術館のスタッフだろうか
作品の解説をしているところだった。
あの作品は、過去の修復で上塗りがされていていた。
その上塗りを水で剥がして、オリジナルに戻すのに
20年もかかっているのだという。
そして、その上塗りの絵具の下に「最後の晩餐」の
真実が隠されていたという、ミステリーのような話だった。
その解説がとても面白く、「最後の晩餐」にも
興味が湧いたよ。

ゴッホのコーナー






2024.11.22

笹尾光彦展
花のある風景




この方のことは、この展覧会の広告を
見るまで知らなかった。
一目見てマティス大好きというのは分かるが、
ここまで徹底すれば、これはもうひとつの
芸風になるんだな。
中途半端が一番良くない。



同じような構図で背景に飾られている絵とか、
周囲の小物などが違う絵が何枚も。
これもワンパターンを通り過ぎれば
シグネチャー的なのかも知れない。
もちろん、色んな絵を描かれているけど
この展覧会は「花のある風景」というテーマなので
そういう絵が集まっているんだろうけどね。





作品には、1枚数万円から十数万円の値が
付けられていた。
飾れる壁があるなら、手の届く値段だけど、
わが家には飾れる壁がない。





会場は、渋谷のヒカリエ8階にある
Bunkamura Gallery 8/ 。
ここは、いくつかのブースに区切ってあって、
色んな展示をしている。
今は、古い渋谷写真展も開催中だった。
入場無料というのは嬉しいね。

笹尾光彦さんは、たぶん80歳を過ぎていると
思われるが、広告代理店で活躍したあと、
56歳で本格的に画家になる決心をした人。
もちろん、それまでも絵は描いていたようだけど。

とても鮮やかな色使いで、「赤の画家」とも
言われているらしい。



@ Bunkamura Gallery 8/







 ひとりごと