BOOK-3
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2022.1.27
人を幸せにする写真
幸せになれるかもしれないと思ったあの日のこと
写真家 ハービー・山口さんの新しい本が発売された。
昨日届いたばかりで、まだ読んでいないのだけど、
パラパラとめくっていると、一つの写真が目に留まった。
2019年8月25日に長野県の小海町高原美術館に
ハービーさんの写真展を観に行った。
その日が、写真展の最終日で、
会場にはハービーさんご自身の姿があった。
元々の予定にはなかったのに、
その数日前に来館が決まったらしい。
私たち夫婦は、ハービーさんと一緒に写真撮ってもらい、
ランチまで同席させていただくという幸運に恵まれた。
午後からは、90分ほどのギャラリートークもあった。
そして、そのあと、その場にいた者全員で
屋外に出て、ハービーさんに写真を撮ってもらったのだった。
その日のエントリーには、
「どこかで私の写っている写真が見られるかもしれない」
と書いたのだけど、このたび発売された本には、
その写真が収録されていたのだ。
間違いなく、私たちが写っている。
(一番左端のふたり)
この写真を観るたびに、あの日のことを
思い出すんやろな。
写真は、思い出を再創作させてくれるんやな。
[ 関連エントリー ]
2019.8.25 未来への世界地図 ハービー・山口 写真展
2022.4.29
夜と霧(新版)
ヴィクトール・E・フランクル
ある心理療法家の記事に
その人が何度も読み返す本として、
『夜と霧』のことが出てきた。
ナチスの強制収容所に入れられた
ユダヤ人心理学者の著書。
日本語版は、1956年に霜山徳爾
(しもやまとくじ)の訳で出版された。
2002年に 池田香代子訳で、
新版が出版されたが、霜山訳版も
重版され続けている古典的名著。
私が読んだのは「新版」の方。
読み終えるのに数カ月かかってしまったけど、
人間の極限状態における心理と
人間とは何かを書いた大変興味深い内容だった。
強制収容所での生活は、文字からだけでは、
想像を絶するであろうとしか書けないような暮らし。
その中で、人間であり続けるとはどういうことなのか、
また、人間でなくなってしまうとはどういうことなのか、
人間は、何のために生き続けられるのか、
何があれば生き続けられるのか、等々、
数々の問いかけを突き付けられる、
心理学と言うよりは、哲学的な本だ。
旧版訳者と新版訳者のお二人のあとがきも良い。
これが、益々この本に深みを与えている。
最後には、予想しなかった感動を覚えたが、
一度読んだだけでは、何パーセント理解できたか
はなはだ 心もとない。
心理療法家が、繰り返し読むと
書いていたのもよく分かる。
迷ったときに何度も読み返すべき本だろうと思う。
★★★★★
2022.5.2
すごい左利き
加藤俊徳 著
Kさん夫婦は右利きなのに
息子3人のうち次男と三男が左利き。
2人とも とてもユニークなので、
この本を見つけたとき、「そのユニークさは
もしかしたら左利きと関係あるのかも」
と思いつき、読んでみた。
結論は、「そうかもしれないし、
そうじゃないかもしれないなぁ」という曖昧な
ところに行きついた。
本のタイトルは、
「1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き
『選ばれた才能』を120%活かす方法」。
左利きは、10人に1人くらいらしい。
世の中の多くは、右利き用に作られて
いるため、左利きは物心ついた時から
何かと不便を強いられ、そのために
自然と工夫することを覚える。
なるほど確かにそうだろうな。
著者自身も左利きで、ご本人の経験に
基づいた内容も多い。
しかし、左利きはこうだ、という記述の中には、
「あんたはそうだったかもしれないけど、
左利き全員がそうじゃないだろう」とか
「そんな人、右利きにもいてるで」とか
そんな反応(抵抗)を感じることも多かった。
Amazon のレビューを読むと、
高評価の一方で、左利きの読者の
低評価も目立つ。
内容に自慢(に聞こえる)が多いことが
その一因だが、それと同時に
なんとなく著者の主観による、
左利きびいきの話に終始している印象なのだ。
「左利きがすごい」のではなく、すごい人は、
左利きにも右利きにもいるんじゃないかと
言いたくなってくるんだな。
もうちょっと、科学的エビデンスがあれば、
説得力も違ってくるのだろうけど。
まあ、そういうエビデンスがあったとしても
一般人向けに書かれた本なので、
こういう書き方になるのかも知れないな。
参考文献には英語の専門書(?)が
ずらりと並んでいるんだけどね。
かといって、参考になることもなかったわけではない。
左手は右脳と、右手は左脳と繋がって
いるらしいので、両方をバランスよく
動かすことによって両方の脳を
バランスよく発展させることができるらしい。
私は右利きだけど、ギター演奏では左手も使う。
おかげで、左手もある程度(ピアノや
ギターを弾かない人よりは)自由に
動かせる(と思う)。
でも、左手をもっと使う(例えば文字や絵を
書くとか箸やフォークを使うとか)ことによって
まだ使っていない右脳が、動き出すかも知れない。
そんなことを思ったのでした。
★★★☆☆
2022.5.5
人を幸せにする写真
幸せになれるかもしれないと思ったあの日のこと
今年1月に発売されてすぐに買ったけど、
読んでいなかったハービー山口さんの
フォト・エッセイ『人を幸せにする写真』を読んだ。
収録されている写真の1枚に、
私たち夫婦が写っていることは、ここに書いた。
(小さくて見えないけど。)
この本を読んでいて、自分の写真に足りないものというか、
ハービーさんと自分の決定的な違いを発見した。
ハービーさんは、シャッターを切る時、
被写体になってくれた方の幸せを祈る。
そして、その写真を観た人が、
優しい気持ちになれるよう、
希望を持てるよう、
幸せな気持ちになれるようにと
50年以上、写真を撮り続けている。
私は、レンズの向こうの人のためでもなく
写真を観る人のためでもなく、
自分のために写真を撮っている。
もちろん、私の撮った写真を観た人が、
幸せな気持ちになってくれたら、嬉しい。
でも、目的はそのためではなく、自分のエゴが、
「良い写真を撮れた」と満足するがために
撮っているような気がするんだ。
この目的の違いは、結果に大きな違いを
もたらせるだろう。
見えないどこまでを見ているか、
それが将来に大きな違いを生むんだと思う。
それは、人にかける言葉の一つ一つや
態度でもそうなんだけど、日頃、私は、
そんな影響を考えずに ぼぉ〜っと生きているのでした。
そして、写真に写っている人の表情は、
写真を撮っている人の反映なのだと思う。
相手が、つまらない表情しかしないのなら、
それは自分の責任なんだ。
★★★★▲
2022.5.16
ロバート・ツルッパゲとの対話
ワタナベアニ 著
面白い本に出会った。
先日、新宿 紀伊國屋書店で、
写真集のコーナーを見ていた時のこと、
気になる表紙の本を見つけた。
タイトルは『ロバート・ツルッパゲとの対話』。
その時は、『ツルッパゲ』をちゃんと
読んでおらず、ロバート何某との対話の本かと
思いパラパラ立ち読みすると、何やら
面白そうなので買って帰った。
写真集のコーナーにあったので、
写真に関する本だと思って。
帰って、改めて見てみると 帯には
「君たちに足りないのは哲学だよ。
知らんけど」と書かれていた。
著者のワタナベアニ氏は、
写真家で、アートディレクター。
だから、写真集のコーナーに平積み
されていたんだろうけど、内容は、
ほとんど写真と関係ない。
少しだけ、写真の話も出てくるけど、
基本的に関係ない。
日本人が、いかに自分で考えずに
生きているか、つまり私たちにいかに
「哲学」が欠如しているかを
バッサリと切った内容で、
当然、賛否があるのだが、
私は痛快に面白かった。
そして、自分がいかに考えずに
生きているのかに直面させられた。
結構、それなりに考えているつもりでいたので、
これはちょっと盲点を突かれた感じ。
でも、「自分が気付いていなかったことは
本で読んでも理解できない」
「うっすら感じてわかってはいたけれど、
自分の中で言語化できていなかったこと
だけが、本を読んだことで理解できるのです」
と、書いてあって、ちょっと救われた気になった。
ええ、単純です。
内容はあんまり、ロバート・ツルッパゲとの
対話ではなく、ロバートは時々出てくる程度。
でも、そんなことはどうでも良い。
もっと若い時に読みたかった、と思ったけど
その感想は、ダサいんだな。
そして、若い時に読んだとしても今のようには
感じられなかっただろう。
この年になったから、分かるんだと思う。
泣きたくなるような内容もあり、
珍しく手元に置いて、時々、読み直したい本です。
★★★★★
2022.5.19
「つつみは最近、何を読んでいますか?」
最近、読書をしている。
こういうのをマイブームと呼ぶのだろうか。
本を読むのは好きだけど、
それよりやりたい事が多くて、
年間数冊程度しか読まない私が、
ひと月ほど前から、続けて読むようになった。
ゴールデンウィークのおかげもあるけど
この1カ月ほどの間に4冊読み終えた。
引っ越しのあと、物を減らすために、
手元に置いておく本と処分する本の
区別をするために整理し始めたのが
きっかけになった。
そして、読んだ本が面白いと、
続けて違う本を読もうと思うが、
読み始めた本があまり面白くなく
途中で止まってしまうと、読書という
行為自体が止まってしまうんだと気付いた。
20代の頃には、ろくに仕事もせずに
安アパートに引きこもって、
数カ月間、本ばかり読んでいた時期もあった。
あの時が人生で一番読書した。
きっかけは、失恋だった。
人間を一番成長させるのは、
恋愛だと何かで読んだことがあるが、
なるほど、そうだと思う。
高校時代の恩師、菊井先生は、
よく私たちに「本を読みなさい」と言った。
週に一冊、年間50冊読めと。
先生が薦めるのは、トルストイの『戦争と平和』、
『アンナ・カレーニナ』などだったが、この2冊は、
卒業から40年以上経った今もまだ読んでいない。
死ぬまでに読もうと思うかどうかも分からない。
(たぶん読みそうにない。)
他にもたくさん薦めたられた気がするけど、
何しろ興味のない本ばかりだったので、覚えていない。
ある日、先生が訊いてきた。
「つつみは、最近何を読んでいますか?」
私が、「筒井康隆です」と答えると、
先生は、何も言わずに ちょっと困った様な
顔をされたのが、印象に残っている。
筒井康隆、面白いんだけどな。
たぶん、菊井先生は読んでいなかったんだろうな。
今でも忘れられないのが『家族八景』。
人の心を読み取る能力を持つ少女、
七瀬が、お手伝いさんとして8軒の家で働く物語。
その家族の心理を全部、読み取ってしまうのだ。
読んだのは、高校卒業後だったかもしれないけど、
人の心の中が、赤裸々に語られるのが、
とても強烈だったのを覚えている。
『家族八景』は、続編があって、
『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』と続くのだが、
『家族八景』のインパクトが大きかった分、
だんだん面白くなくなっていった覚えがある。
もしかしたら、今読んだら、違う感想を持つかもしれない。
2022.5.25
41歳からの哲学
池田晶子 著
池田晶子は、1960年生まれの文筆家・哲学者。
2007年に46歳で逝去した。
腎臓癌だった。
彼女のことは、最近まで知らなかった。
つい数カ月前のことなのだけど、
どこで、この人のことを知ったのか、
何を読んで知ったのか、全く覚えていない。
もしかしたら、書店で見つけて立ち読みして
面白そうだと この本を買ったような気もする。
さて、先日読み終えた
『ロバート・ツルッパゲとの対話』に続いて、
哲学である。
『41歳からの哲学』は、週刊新潮の連載を
収録した哲学エッセイ。
「これはただのエッセイであって、哲学ではない」と
いう人もいるようであるが、私のような
哲学入門者(初心者?)には、
十分に哲学な内容であった。
2003〜2004年に連載されたもので、
内容的には、その頃の時事問題を扱っているため
タイムリーな話題ではないものもあるが、
いずれもそのトピックの根本は、今も変わらぬ
「人間であること」である。
様々な事柄をバッサリ切って捨てる様は、
私には痛快でもあるが、
周波数が合わない人には、
受け付け難いんだろうな、とも思う。
専門的な哲学書は読んだことがないけど、
なんだか、少しだけ「哲学する」ことが
分かったような気がする。
というより、自分に「哲学すること」が
足りていない、と言った方が正確か。
今まで、全く疑問を持たなかったことに
「どうして?」「なぜ?」と問いを持つ。
分かったような気になっているが、
実は何も分かっていないのである。
終わりなき真理の追及。
それは、世界を知り、自分を知ることに他ならない。
当たり前だと思っていることに
不思議や神秘があるのだな。
★★★★▲
2022.6.16
わかりあえない他者と生きる
差異と分断を乗り越える哲学
マルクス・ガブリエル (著)
マルクス・ガブリエルは、ドイツの哲学者。
1980年生まれだから まだ42歳だ。
2009年に史上最年少の29歳でボン大学の
正教授に就任したという経歴の持ち主。
そのガブリエルの本を初めて読んだ。
家には、ガブリエルに限らず、
妻の哲学書が何冊もあるのだけれど、
私は一向に読もうと思わなかった。
でもようやく最近、哲学入門あたりの
本を読み始めた。
この本は、なんとなく書店で手に取ってしまった。
タイトル「わかりあえない他者と生きる」に
惹かれたこともあるし、表紙に書かれた
「人間関係の束縛から自由になる」と
いう文言も気になった。
さて、哲学者の本である。
簡単ではない。
今まで考えたこともないような
観点・視点を知ることになる。
理解できたのは、たぶん7〜8割りだろうか。
残りの2〜3割は、今の私には
よく分からない。
もっと勉強しないと、完全に理解することは
難しいと思う。
「ソーシャルメディアが私たちを非人間化し
分断する」という考えは共感できる。
私たちは考えをかなり操作されていると
思った方が良さそうだ。
「本当に安定的に存在しているのは変化だけ」
パラドクスのようであるが真実だ。
変わらないものなんて何ひとつない。
「マネージメントとは、アンガーマネージメント
(怒りの自己管理)に尽きる」
ああ、それなぁ。
全くそうやな。
ガブリエルの言い分は、面白い点も多いが
中には机上の理想論にしか思えないこともある。
現実的に思えないのは、私の勉強不足か。
彼は学者であって、実現する人ではないからか。
ただし現実的には思えないアイディアであっても
その発想のもとは、ユニークで斬新で
「なるほどそうかも知れない」と思わせるところが
彼の人気の元なのかも知れないな。
2022.6.25
小田嶋隆さん死去
小田嶋隆。
とてもユニークな視点の文章なので、
一時は、日経ビジネスオンラインの
コラムを楽しみにしていた。
いつも賛否を巻き起こしていたけど、
僕は好きなコラムニストだった。
彼のコラムを集めた書籍
『その「正義」があぶない』も買って読んだ。
いつ頃からか、日経ビジネスオンラインの
無料で読める記事に制限が出来て、
たぶんそれからだろう、なんとなく読まなくなっていた。
たまに思い出したように読むこともあったけど、
この数年は、すっかり読まなくなっていた。
昨日、その小田嶋さんが、亡くなった。
今月、『東京四次元紀行』という
小説を出版されたばかりだった。
2019年に脳梗塞になり、その後
入退院を繰り返していたらしい。
享年 65歳。
ちょっと若いなぁ。
合掌。
2022.7.11
魂とは何か さて 死んだのは誰なのか
池田晶子 著
過日読んだ『41歳からの哲学』が
面白かったので、池田晶子の
『魂とは何か』を読んだ。
タイトルには副題のように
「さて 死んだのは誰なのか」と続く。
そして、オビには
「その人が、その人である不思議」と記されている。
読み始め、20〜30ページは、
「何書いてあるか皆目分からんやないか」と
分不相応な本に手を出してしまったかと、
思ったが、40〜50ページあたりから、
面白くなった。
「魂」についての考察がかなり面白かった。
が、また後半、難しい部分もあったので、
全体として理解できたのは、半分ぐらいだろうか。
いや、半分も分かっていないかも知れない。
ただ面白いもので、読み進めるうちに、
最初は分からなかったことが、だんだん
掴めてきたりすることもあった。
例えば、著者が「魂」とは何かを問うている中で
「私の魂か、私が魂か、あるいは魂の私か」という
記述がある。
はじめに出てきた時は、何のことか全く
理解できなかったが、終わりごろに出てきた時には、
その意味が理解できるようになっていた。
この問いの答えはないのだけどね。
2022.7.24
子どもの頃から哲学者
世界一おもしろい、哲学を使った「絶望からの脱出」!
著:苫野一徳
ネットで何かを調べていた時、たまたまこの著者の
ことを知り、この本を取り寄せた。
まあ、これは哲学書とは言わないだろうけど、
子供の頃から、生きづらい人が、
哲学と出会って、考え方 生き方が変わって
行くという意味においては、哲学入門書でもある。
苫野一徳(とまのいっとく)さんは、
1980年生まれとあるから、まだ42歳。
現在は、熊本大学教育学部准教授。
中学、高校の頃の話しを読むと、
同じクラスだったら、
絶対に友達になってないやろな、と思う。
というか、彼は友達がいなかった、と書いている。
十代の頃から、こんなに考え、悩む人がいるのかと
私は自分の能天気さというか、
思考停止具合がちょっと不安になるが、
最近、60歳を前にして、ちょっとは
考えるようになった。
こんな本を読もうと思うぐらいは。
いや、若い頃から、色々考えていたよ、
哲学者の本も読んだけど、
全く何が書いてあるか分からなかった覚えがある。
著者名(日本人)も覚えていない。
今から思うと、考える器が小さいので、
大した答えを得られなかったんだな。
もう一つ、そういうヤツは、考えるお題が乏しいんだ。
哲学者は、「言われてみれば確かにそうやな」という
ことを考えるが、一般人は、そんなこと思いつきも
しないので、結局「何言うてるか分からん」となる。
著者の若い頃の体験を、哲学者が具体的に
どう呼んでいるかという風にも書かれているので、
全く哲学に疎い人にもわかり易いと思う。
印象に残ったのは、
「不幸の本質、それは欲望と能力のギャップにある」
という一節。
確かに。
そして、その不幸から抜け出す、3つの方法を
彼は提示する。
コンテクストを「欲望」という観点から視るのも
なるほど、という感じでした。
★★★★☆
2022.10.5
風のマジム
原田マハ 著
先日、沖縄産のラム(酒)があることを知って、
購入して飲んでみたことを ここに書いた。
その沖縄産のラムを造っている
ベンチャー企業の話が、原田マハさんの
小説になっているので、読んでみた。
実在する「沖縄産ラムを造った女性」の
話を基にしたフィクションで、
登場人物も会社名も変えてある。
フィクションとはいえ、金城さんという
実在する女性を取材して書き上げた
小説だから、実際にラムが出来上がるまでの
苦労は本当に大変だっただろうと想像に難くない。
私は、沖縄産のラム「コルコル・アグリコール」を
飲んだ感想を「ちょっと青くさいというのか、
表現が難しいのだけど、田舎っぽい、
いや南国の香りとでも言うのかな」と書いた。
この小説では、ラムのことを「風の酒」と表している。
一口飲むと辺りに風が吹く酒だと。
ラムには、製造過程が2種類ある。
一般的なラムは、砂糖の精製の途中でできる、
廃糖蜜から造る「インダストリアル・ラム」。
そして、もう一つは搾ったサトウキビの
搾り汁から造る「アグリコール・ラム」。
当然、「アグリコール」の方がコストがかかる。
そのため、アグリコール・ラムは少ない。
私が過去に飲んだラムは(たぶん全部)
インダストリアル・ラムだったんだろう。
この沖縄産「コルコル・アグリコール」で
初めて、「アグリコール・ラム」を飲んだ。
サトウキビの搾り汁から造られるため、
私の感想は「青くさい」「田舎っぽい」
と書いたのだけど、「風が吹く酒」とは
言い得て妙だ。
原田マハさんの文章が上手い。
何度もウルウルしてしまうシーンがあり、
苦労の末、ついに南大東島で出来上がった
ラムを主人公が飲むシーンでは、
泣いてしまったよ。
この小説は、フィクションだと知っていても、
なんだかすっかり、沖縄南大東島産の
ラムのファンになってしまった。
いつか、南大東島に行きたい。
★★★★▲
2022.10.19
知ることより考えること
池田晶子(著)
池田晶子著の『知ることより考えること』。
彼女の本は、『41歳からの哲学』、
『魂とは何か』に続いて3冊目。
『知ることより考えること』は、2005〜06年に
週刊新潮に連載されたコラムをまとめたもの。
その時代のトピックを題材にしているため、
タイムリーではないのだが、扱っていることは、
この人間であることに変わりない。
相変わらず、バッサバッサと
色んなこと(人)を切って行く。
例えば、小中学生の間で株がブームになっていることや、
アンチエイジングや、ホリエモンや、テレビでよく見た
某霊能者のことなどを、言葉というのは、
刃物だなと感心するほどに切り捨てる。
心地よいと同時に、こんな批判的なことを書いて、
大丈夫かと不安になる場面もあった。
実際、結構な反論が届いていたんだろうことは、
その文章の端々から感じ取られる。
彼女は、1960年生まれで、2007年に46歳で
腎臓癌で亡くなったのだが、この連載時(2005〜
2006年)に相当、当時の世の中を憂いているのが分かる。
子供向けの投資教育セミナーに参加した子供の
「お金持ちになりたい。
貯金が50万になったらデイトレードを始め、
1億円稼ぎたい」という言葉に、
「端的に私は、死にたいと感じた。
こんな世の中にこれ以上生きていたくない」
と書いている。
また、ホリエモンの逮捕後、子供向け株教室の
教師の「金の儲け方だけではなくて、法を守る
ことの大切さも教えなければ」という言葉を受けて
「こういう馬鹿に育てられた子供が、出てくる時代である。
生きていたくない」と書いている。
哲学というのは、「考える」ということなのだけど、
思うに池田は、「考える」ことに長けていたあまり
ずい分と生きづらかったのではないだろうか。
そのことが、彼女の命を縮めたような気がしてならない。
当の本人は、生への執着も死への恐怖も
なかったようなので、こんなこと言うと
笑うかもしれないけどね。
他人の人生ではなく、自分の人生を生きること。
神秘は、外にあるのではなく、
自分の存在が神秘なのだということ。
当たり前すぎて、ふだん意識できないこと、
疑問さえ持たなくなっている世間のおかしさを
気付かせてくれます。
★★★★☆
2022.11.1
眼と風の記憶
写真をめぐるエセー
鬼海弘雄 著
鬼海弘雄(きかいひろお)は、
写真家。(1945−2020)
今年の春、近所のピッツェリアで
写真集『東京ポートレイト』の表紙が
偶然 目に入り鬼海のことを知った。
その写真集は、浅草の人々のポートレイト集で、
とても興味深いものであった。
その鬼海著の『眼と風の記憶』。
サブタイトルに『写真をめぐるエセー』とあった。
「エッセイ」ではなく「エセー」。フランス語だ。
いわゆるフォトエッセイかと思って購入したら、
写真は少なくて、小さくて、
紙質と印刷のせいでちょっと見にくく、
本文と直接関係ないような写真が多かった。
そこは期待が外れたけど、エセーは良かった。
ほとんど写真や撮影のことには触れていないのだけど、
ホントにとても良かった。
収録されたエセーは、2006年から2012年まで
山形新聞に掲載されたもの。
鬼海は、山形県寒河江市の出身だ。
文章が何というか、とてもゆっくりなんだ。
現代人が失ってしまったんじゃないかと思う
時間の流れ方を感じる。
内容は、どうということはない、
鬼海の日常や、子供の頃の回顧が
ほとんどなのだけど、読んでいると、
とてもゆっくり時間が流れる感じがするんだ。
例えばこんな風。
「炬燵(こたつ)に入って、普段よりは数倍に
膨らんだ新聞を読んでいた。ベランダで洗濯物を
干していた妻が、今朝も指先がかじかむほど
寒いと言って部屋に戻ってきた。
『ハイ』と声がしたので振り向くとぽいとミカンを
放り投げてきた。受けたミカンは、箱ごと外に
置かれていたせいで、雪合戦の珠のように
冷たかった。」(130p)
炬燵に入っていて、もらったミカンが冷たい。
似たような体験が、私の子供の頃にあったんだろう、
絵が浮かぶというより、心の中の何かが共振する。
何とはいうことのない風景なのに、
懐かしさに似た何とも言えぬ心持ちと
安堵のようなものを覚える。
鬼海は、1945年生まれ。
高度成長の日本と共に大人になった世代だ。
家に、白黒テレビが届いた日のことや、
牛に代わって、初めて小型耕運機が田んぼを
耕した日のことを覚えているという。
私よりは、17歳も年上なのだけど、
昭和30年代生まれの私には、ギリギリ、
何か感じ取れるものがあるのかもしれない。
9月に開催した写真展のタイトルを「僥倖」と
したことは、ここにも書いた。
「僥倖」という言葉を初めに知ったのは、
池田晶子の著書だったのだが、その本の次に
読み始めたこの本の2行目に「僥倖」という
言葉が出てきたんだ。
それは、もう何カ月も前のことだったので、
この本を読み終えるのにもずい分と
ゆっくりの時間をかけたことになる。
激しく情報が交差する世界に住んでいると、
心は、デジタルの欠片もない、このエセーのような
ゆっくり流れる世界を求めているのかも知れない。
★★★★▲
[ 関連エントリー ]
2022.4.29 『東京ポートレイト』鬼海弘雄
2022.12.26
三流シェフ
10日ほど前、テレビで偶然、
三國清三(みくにきよみ)さんの特集を観た。
三國さんは、東京・四ツ谷にあるフランス料理
レストラン「オテル・ドゥ・ミクニ」オーナーシェフ。
今年、68歳になった三國さんは、37年続いた
「オテル・ドゥ・ミクニ」(現在客席は80席のようだ)を
今年いっぱいで閉め、70歳になったら、
8席だけの小さなレストラン「三國」を
オープンするという。
一体どんな人なんだろうと興味が湧いた。
私は存じ上げなかったが、その道では
かなり有名なシェフらしい。
そのテレビの特集は、ちょうど『三流シェフ』という
タイトルの三國さんの本が発売される
タイミングでもあったのだ。
早速、購入し読んだ。
本には、三國さんのまるで小説かドラマのような
半生が書かれていた。
こんな人おるんや!って感じ。
スイスの日本大使館の料理長になるエピソードは、
ドキドキだし、その後の8年間のフランスでの修行も凄い。
帰国してから。ご自身の料理を目指すが、
コンサバなフランス料理の国内の評論家からは
「あれはフランス料理ではない」と叩かれる。
しかし、ミクニの料理は、人気を呼び、
やがて、フランス人に、世界に認められることになる。
ご自身が語りたくなかったというミシュランとの
関係も興味深い。
料理という世界の限りない奥深さと
一流料理人の哲学を垣間見ることが出来る良い本です。
残念ながら、もう「オテル・ドゥ・ミクニ」の予約は
取れないけど、2年後に「三國」がオープンしたら、
絶対に行こうと思う。
この人の料理を食べてみたい。
その三國さんは、「オテル・ドゥ・ミクニ」の
YouTubeチャンネルで、惜しみなくご自身の
レシピを 公開されている。
まあそれを観ても中々、あんな風には
作れないだろうけどね。
★★★★★
【新刊『三流シェフ』制作秘話】
2023.1.17
片岡球子の言葉
精進ひとすじ
先日、横浜のそごう美術館で
「面構 片岡球子展 たちむかう絵画」を観てきた。
そのとき、ミュージアムショップで
『片岡球子の言葉 精進ひとすじ』を
買ったのだが、読みやすい本だったので、
その日のうちに読み終えた。
表紙は、今回の展覧会でも展示されている
「面構」の 徳川家康(1967年)。
前半は、片岡がどこかで語った
言葉を集めたもの。
後半は、1981年に行なわれた
瀬戸内晴美(寂聴)との対談。
本のオビに書かれた言葉は
「絶望ではない。渡ってやろう。」
若い頃、落選し続けた片岡は、易者に、
「鴨緑江(おうりょくこう)をハダシで
渡り切られたらアナタは絵かきになれるだろう」
と言われ、片岡は反射的にそう思ったという。
そして、それからずっと「鴨緑江の向こう岸に
着こうとして勉強しているのです」と書いている。
(鴨緑江というのは、中国と北朝鮮の
国境に流れる川。)
この言葉に象徴されるように、
本書からは片岡の絵を描くことへの
半端ない覚悟と情熱、終わりなき探求と
改善の精神が伝わってくる。
あの「面構」シリーズについては、こう書いている。
そこには人間の魂がのりうつっているものだと
解釈して、その人物を解剖しようという試みです。
「面構」も日本のためにいい仕事をした男性を描く。
これが死ぬまでの画家の仕事だと
覚悟を決めて始めたことです。
面構は死ぬまでやります。
自分で発心して始めたことですから、
途中でやめたら意地が通りません。
「面構」シリーズの背景のほんの一端だけど、
そういう覚悟や思いを知った上で、もう一度 観に行きたい。
今月29日迄なので、行けるかな
1966年当時、「面(つら)」という言葉は
女性は使わなかったらしい。
当時、「面構(つらがまえ)」は「めんこう」
「めんがまえ」と読まれてしまうため、途中から
「つらがまえ」と読み仮名をつけたという。
今、気付いたけど、昨日1月16日が
片岡の命日だった。
(2008年1月16日 逝去。享年103歳。)
合掌。
★★★★☆
2023.4.6
限りある時間の使い方
オリバー・バークマン (Oliver Burkeman) 著
60歳を過ぎて、残りの人生、つまり
私に残された時間について考えるようになった。
若いころは、人生がこれから先に長く長く
伸びているような感じだった。
ともすると永遠に続くかのように。
しかし、60歳になると残りの人生が
日に日に縮んでいくような感じがしている。
残された時間は、限られている。
やりたくないことに時間を費やしたくない。
どうやって有効に使おう。
どうやって満足に生きよう。
まず退職することを決めた。
実際に辞めるのは、もう少し先だけど、
そんなに遠い未来じゃない。
現実的なレベルだ。
仕事から解放されたら、かなりの時間を
「手に入れることができる」と考えたんだ。
そんな時、書店でこの本が目に飛び込んできた。
『限りある時間の使い方』。
面白かった。
世の中には、タイム・マネージメントの
ハウツー本はたくさんあるだろう。
ほとんどの本は、どうやって仕事の効率を上げるか、
1日の中で無駄な時間をどうすれば減らせるか、
つまりは生産性を上げようという指南書だろう。
最近、「タイパ」という言葉を耳にするようになった。
「コスパ」はよく使われるが、最近は
「タイパ(=タイム・パフォーマンス)」が
重視されているようだ。
少し前には「時短」という日本語が
使われていたけど、「タイパ」という言葉には
「時間短縮」だけではないニュアンスと
意味を感じる。
YouTube を観ている、小学3年生になった
C君は、再生スピードを2倍にして観ている。
私も内容だけ知りたい動画を観る時、
まれに1・25倍か1・5倍にして再生することが
あるが、通常のスピードで観るよりも
集中力が要求されるので観ていて疲れる。
慣れかも知れないけど。
C君が観ている2倍速の動画は、
8割か9割ぐらい私には聞き取れない。
しかし、彼は理解しながら観ているようだ。
人間の進化、順応性は凄いと思わされる。
2倍速で観れば、1時間の内容を
30分で知ることが出来る。
残りの30分は、他のことに充てられるわけで、
これはタイパが良い、ということになる。
ついには、音楽も倍速で流していたので、
「それは違うやろ」と突っ込んでしまった。
2時間の映画をちんたら観ている暇はないと、
5分ぐらいにまとめたあらすじだけの
動画を観て、その映画を観たような気分に
なっている若者がいるとかいないとか、
どこかで聞いたような気がするが、
そうなると、もうタイパ云々ではなく、
何か大切なことを失ってしまっているとしか思えない。
セリフとセリフの「間(ま)」も、
ただ景色が映るだけのシーンも
作品の一部だからね。
私の場合、そんなにタイパを追及している
訳ではないけど、結局、残りの人生、
つまり残された時間の使い方を考えると、
やりたいことをひとつでも多くやるには
効率的にやることを考えることになってしまう。
そのくせ、10時間や12時間以上
寝るのも好きだから、困ったもんだ。
そんな私にこの本は、ピッタリだった。
掃除機、洗濯機、乾燥機、食洗器、
新幹線、航空機、電話、コンピューター、
インターネットなどなど、たくさんの
時短を実現したものが20世紀に発明されたのに
私たちは、100年前の人々より
時間に追われているのはなぜか。
効率を上げれば、時間が手に入ると
信じているからだ。
しかし、実際には、仕事の効率を上げると、
仕事が増える。
そして、全てのタスクをこなすのは不可能だ。
すると、もっと効率を上げようと考え出す。
このスパイラルから抜け出さないと
本当の意味で、自分のために自分の人生を
生きることは出来ないんだ。
「僕たちはけっして時間を手に入れることが
できない。なぜなら僕たち自身が、時間だからだ」
という一文は、とても示唆に富んでいる。
読み終えたあと、「もう一度読もう」と
思う本に時々出会う。
(実際には、ほとんど読み直さないんだけど。)
この本も、すぐにでも読み直したいと思ったけど、
読もうと思って買ってある本が何冊もあるので、
読み直すとしたら、退職後かな。
残りの人生が、まだある程度あるうちに
読み直さなきゃ。
★★★★▲
2023.6.25
残虐記
桐野夏生 著
最近読んだ何かの記事に
小説『残虐記』のことが、出てきた。
とても興味が湧いて読みたくなった。
10歳の少女が、男に一年余りに
わたって監禁される。
彼女は、助けられた後、その監禁されていた間に
何があったのか、男に何をされたのかについて
一切口を閉ざした。
誰にも理解してもらえないと思ったからだ。
助かった後は、周囲の人々の
想像を浴びることになる。
事件も酷いのだが、その憶測や想像
も十分に少女を傷付けるのだった。
実際にも似たような事件があった。
新潟少女監禁事件は、9歳の
少女が約9年2か月間にわたり
監禁された。
朝霞少女監禁事件では、
13歳の少女が約2年間監禁された。
本当にあったことのことを事実と言うなら、
事実は本人以外は、知り得ないんだ。
そして、その事実と呼ばれることにさえ、
当事者それぞれの視点、思惑、
受け取り方が加味され、現実には
事実ではない部分をも私達は、
事実だと思い込んでいる。
『残虐記』でも、主人公景子の視点は分かるが、
犯人のケンジが何を考えていたかは
全て景子の視点を通った推測のようにも
読み取れる。
これは、あくまでもフィクションであろうが、
実際に一年以上少女が監禁された事件が
あったと考えると背筋が寒くなるのだった。
いくつか、どうも解せない点があるのは、
仕方ないか。
★★★▲☆
本とは、関係ないけど。
父が60歳を過ぎたころだったと思うけど、
文庫本をプレゼントすると「字が小さい」と
喜ばれなかった覚えがある。
当時は「読めるやろ」と思ったものだが、
ついに私も
「文庫本は字が小さくて読みにくい」
と思うようになったよ。
大人になったでしょ。
2023.7.24
森村誠一 死去
作家の森村誠一氏が亡くなった。
享年90歳。
彼のことは、そのいくつかの作品名でしか知らず、
どういう人だったか全く知らなかった。
私が、中学生のとき、証明三部作
(『人間の証明』『青春の証明』『野生の証明』)
が発表されており、角川映画のブームもあって
印象に残っている。
映画『人間の証明』、『野生の証明』は、
観たが、若い頃に一冊ぐらいは
その著書を読んだような気もするが、
全くタイトルを思い出せない。
今日、その訃報のニュースをテレビで観て、
彼がとても平和を望んでいたことを知った。
『人間の証明』は、ジョー山中の唄う
主題歌も好きだけど、映画はなんとなく
微妙な印象だ。
今さらだけど、ぜひ原作を読んでみたいと思った。
『悪魔の飽食』もね。
合掌。
2023.8.3
見えないボクと盲導犬アンジーの
目もあてられない日々
原作/栗山龍太, 文/栗山ファミリー, 企画構成・イラスト/エイイチ
栗山龍太とは、2007年の Raul Midon の
コンサートの帰り道に出会った。
その日のエントリーが これ。
ホントに不思議な出会いだった。
それから、彼と食事をしたり家に遊びに行ったり、
(彼はシンガーソングライターでもあるので)
ライヴに参加させてもらったりしていたが、
この数年は、会っていなかった。
先日、久しぶりに電話があった。
「本が出ました」というので、
早速、買って読んでみた。
(Amazon 売れ筋ランキング、
本/社会保障部門で1位!)
初めて彼に会った日、彼はパームという
盲導犬と一緒だった。
私は、盲導犬なんて、接したことがなかったから、
その賢さにビックリしたことをこの本を読んで思い出した。
本書では、現在の彼の盲導犬である
アンジーが半分主役のように書かれているが、
パームのあとの盲導犬ダイアンの話は、泣いてしまう。
もちろんそのダイアンにも会ったことがある。
視覚障害者のあるあるをユーモラスに
語ることで、障害者への理解を深めると同時に
将来、障害を持った時の心の保険になればという
目的もあるようだが、それらと同時に
社会への問題提起も含まれている。
例えば、ファミレスや回転寿司で増えた、
タッチパネルによる注文方式。
考えたこともなかったのだけど、
あれって目が見えない人には、
注文できないんだ。
便利なようで、全く不便なんだな。
なんだか時代はどこに向かっているのか、
普段、何も考えていない自分に気付かされた。
視覚障害についても、彼と会っている時は、
色々気付かされるけど、普段は考えつかない。
「笑いを通して目の見える人と
見えない人の理解を深まれば」という言葉が
あったが、その意図は達成していると思う。
★★★★▲
2023.8.23
人間関係のおかたづけ
ひと月ほど前になるのだけど、妻の会社で
時々開催しているシンポジウムのゲストが
堀内恭隆(やすたか)さんだった。
堀内さんは、今年『人間関係のおかたづけ』
という本を出版された。
シンポジウムは、堀内さんとアナウンサーの
中村由紀さんと妻、3人による
「人間関係のおかたづけ」についての
トーク・セッションだった。
見ず知らずの赤の他人に道を訊かれたら、
凄く丁寧に応じるのに、なぜか家族を
大切にしない。
どうでもいい人を大事にし、
大切にすべき人を大事に扱わないのは、
何かが間違っていないか。
もちろん、他人に不親切にしようという
話しではない。
とても興味深いセッションだったので、
『人間関係のおかたづけ』を読んでみた。
人生の多くの悩みのひとつが人間関係。
堀内さんは自身が、人間関係のストレスの
限界まで行き、普通の人はとてもやらない
「人間関係のリセット」をした人。
ある日、全てのアポイントをキャンセルし、
SNS のアプリをスマホからすべて削除し、
メールソフトのアドレス帳の全てのアドレスを
削除し、名刺、過去の写真、もらった
プレゼント、土産品など全てを捨てたのだという。
ここまでやれる人は中々いないよね。
私には難しいな。
(というかそこまで追い込まれていない。)
で、その結果、どうなったと思う?
めちゃくちゃスッキリしただけではなく、
全く困らなかったんだって。
(なんとなく想像できるけど。)
で、自分にとって本当に大事な人間関係が
見えるようになったんだって。
それまでは、周りの評価を気にして、
依頼や期待に応えることに
人生(=時間とエネルギー)を
使っていたんだと、分かったという。
そこから、この人間関係の「おかたづけ方法」を
編み出すわけだけど、これが気付きそうで、
中々気付けなかった方法。
ハウ・トゥーといえば ハウ・トゥーだけど、
その背景にしっかりした哲学があるんだ。
それは、決して人をないがしろに扱うと
いうことではなく、自分を大切にし、
本当に大切な人との関係を大事にし、
自分の人生を幸せに生きるということ。
最近よく聞く「アンコンシャス・バイアス」が
誰の人間関係にも全く無意識に効いている。
それを一旦ぶち壊して、一人一人との関係を
バイアスのない状態から観直す、というような感じ。
そのためには、「箱理論」という手法を
使ったワークが必要だけど、これには
多少の抵抗を伴うんだな。
本を読み終えただけで、しっかりと
取り組んだわけではないけど、
そのワークをやってみる甲斐はあると思う。
当然、私もめんどくさい人間関係に
わずらわされることがあるからね。
人間関係の悩みの多い人にはお勧めです。
★★★★▲
人生を変える新しい整理整頓術 人間関係のおかたづけ
2023.10.10
問うとはどういうことか
梶谷真司 著
「問う」ことは「考えること」。
問わないということは、言われたことを
そのまま吟味せずに受け入れることになる。
あるいは、疑問があっても問わないで
その場をやり過ごしていると、
つまりは考えなくなる。
人間にとって、もっとも危険なのは、
思考停止だが、残念ながら「問うこと」
「質問すること」は、世の中一般では
歓迎されないことが多いので、
私たちは問うことを躊躇する。
その背景には、「質問することは
抵抗的に感じられる」ということがある。
例えば、宿題を出された生徒が先生に
「なぜ、宿題をやらなければならないのですか?」
と質問したとしよう。
この質問に全ての生徒が納得のいくような
答えをできる先生は、そうそういないだろう。
何かを言い返せばそれは
「口答え」というレッテルを貼られてしまうかも知れない。
つまり、抵抗的で、そして何よりも「めんどくさい」。
結果、「つべこべ言わず黙ってやれ!」となりかねない。
質問をするタイミングや言葉遣いにもよるだろうが、
何しろ質問は歓迎されない場面が多い。
そして、人生には、答え(正解)のない問いが多い。
「だから、考えても仕方がない」という人もいるが、
「だから、考え続けることが大事」という考えもある。
この本の「はじめに」で2021年に元首相で
オリンピック委員会会長だったM氏の、
問題になった発言に言及している。
著者は、誰も問うべきことを問いもせず、
これを「女性差別」だとか分かりやすい
批判にしてしまっているという。
著者によると、その問うべき問いを進めていくと、
女性差別ではない、M氏が抱える本質的な
問題が浮かび上がってくるという。
つまりは「つべこべ言わず、オレの言うことを聞け」
という「反民主主義的」な考えだ。
もちろん、M氏がそんなこと意識しているわけでは
ないだろうが、無意識だからこそ、
問題だということも言える。
私は、妻の会社が提供している連続の講座に
参加しているが、他の参加者に比べて
質問が多い。
それは、疑問を解消するためであり、
より深く理解するためであるのだが、
一緒に参加している友人には
「めんどくさい」と映るらしく、よく
「質問ばかりしていて、めんどくさい」と言われる。
私にすれば質問が出てこない方が不思議なのだが。
しかし、特に哲学者が書いた本を読んでいると、
そんなこと考えたこともなかった」というようなことに出会う。
まだまだ、当たり前だとか常識だとか
思い込んでいて、疑問を持たないことも多い。
なぜか。
結局、講座に参加中に出てくる疑問は、
積極的にたてた(考えた)問いではなく、
放っておいても出てくる、反応に過ぎないんだ。
そんなこと考えもしなかった、というようなことに
疑問を持つことが大事なんだな。
★★★▲☆
2024.3.6
超解釈 キルケゴールの教え
「絶望」を考え抜いた哲学者に学ぶ
「詰んだ」人生から抜け出す方法
今年、1月24日に発売された愚妻の
2冊目の著書。
「愚妻」というのは、「愚かな妻」という意味ではなく、
「愚かな私、の妻」という意味なんだな。
愚かなのは、妻ではなく 私なんだよ。(最近知った)
そんなにへりくだらんでもええやん、
と思うのだけど、初めて使ってみたよ。
デンマークの哲学者、キルケゴールの哲学を
妻が勝手に超解釈して書いた本。
前作『超解釈 サルトルの教え』に続いて、
光文社から出版された。
私は、書店に並ぶより前に、原稿のチェックのため、
2回読み、発売されてからも読んだので、
3回読んだことになる。
4つの種類の「絶望」のストーリーを2つずつ、
計8つのストーリーから構成されており、
どのチャプターから読んでも良いように作られている。
「絶望」についての書なんだけど、
結局「希望」の書になるというのが、
哲学のあるべき姿なのだと思う。
この手の本に限らず書物は、読み手の解釈、
センスによって評価が大きく変わる。
役に立たなかった、つまらなかったと思う人は、
それで仕方ないが、本書に出会うことで、
絶望から抜け出られるヒントを得られるような
人々にこそ、読んで欲しいと思うね。
丸わかり 実家じまい
昨年12月に叔母がなくなり、
叔母の家を売却する必要が出てきた。
私は、一応 不動産業に携わっていたので、
不動産売買には、素人より少しは
知識があると思うが、仕事で関わってきた
物件とは性質が違うので、
どうしたものかと思っていたところに
この本『丸わかり 実家じまい』が
発売された。(1月11日発売)
偶然、本書の編集者である田中さんと
妻の仕事を通じて、知り合いだったこともあり、
読んでみた。
現在日本では、空き家が増え続けている。
にもかかわらず、経済を優先するためか、
新築の家も増え続けている。
東京都内ならまだしも、地方の空き家は、
ひどい場合には売ろうにも値段がつかないほどで、
「不動産」ならず「負動産」と呼ばれているそうな。
本書には、そんな実家をどのように処分するのが
良いか、どんな選択肢があるのかから、
不用品回収業者や不動産仲介業者の選び方、
税金対策まで様々な提案がなされている。
人によって、全ての内容が参考とはならないとは
思うが、実家をどうしようかと思案している人には、
なんらかのヒントが得られるものと思う。
★★★★☆
2024.3.8
まんがで読破
死に至る病
キュルケゴール作
今年1月に妻の本が出版された。
『超解釈 キルケゴールの教え』というタイトルだ。
キルケゴールは、19世紀にデンマークで
生まれた哲学者。
日本では、「キルケゴール」とも「キュルケゴール」とも
表記されるが、ここでは「キルケゴール」と書くことにする。
キルケゴールの代表的な著書の一冊に
『死に至る病』というものがある。
妻の著書にも出て来るのだが、興味はあっても、
どうも難しそうで読む気になれなかった。
先日、『死に至る病』がまんがになっているのを知った。
2009年の発行で既に絶版のようだった。
中古本を探してみたら、メルカリで良い状態のものを
見つけたので購入してみた。
1時間ほどで読み終えたが、とても分かりやすかった。
そもそもキルケゴールの言う「絶望」は、
私達が普段言う「絶望」とはちょっと意味が違う。
なんとなくは、違うのだろうと思っていたけど
明確な区別は、なかったんだ。
どうやら、私達が普段使う「絶望」は、
「自分(または誰か・何か)に失望している」
状態を指すことが多いように思った。
妻の著書は、キルケゴールが現代にいたら、
相談に対してこう答えるんじゃないか、
という設定で書かれた本で、
キルケゴールの哲学については、
大まかには書いてあるとものの
詳しくは解説されていない。
できれば、キルケゴール本人の著書を
読むのが望ましいが、中々そういう気にも
なれないという人には、このまんがはとても
役立つと感じた。
先日、妻の著書『超解釈 キルケゴールの教え』について、
「本書に出会うことで、
絶望から抜け出られるヒントを得られるような
人々にこそ、読んで欲しいと思うね」
と書いたのだけど、キルケゴールの絶望という
観点からみると、自分が絶望していることに
気づいていない人も多い。
また、絶望していると思っているけど、
それは、(キルケゴールのいう)絶望ではなく
前述の通り、単に自分に失望しているだけ
という場合も多いように思う。
なので、妻の著書を読んで興味を持たれた方で、
いきなりキルケゴールは、敷居が高いと思う人には、
このまんがはお勧めだ。
★★★★☆