感想・ご意見は→
shinya◇shin223.com
メールをくださる方は、上記アドレスの◇を@に変えて送ってください。(スパムメール対策)
2011.1.5
お正月 in 京都
今年は、初めてお正月を京都で過ごした。
いつもは、大阪の実家で過ごすのだが、
両親ともに高齢になり、何かと負担をかけてしまうので
旅館なら気楽ということになったのだ。
ところが、お正月に宿泊なんて 初めてのことで、
中々 旅館が決められない。
というか、知らないのだな。
そこで、20年ほど前、あるイベントで親戚が集まったことのある
聖護院 御殿荘 という旅館にしようということになり、
昨年の夏ごろ 予約しようとしたら、元旦はもう満室だった。
2日以降は、空き室があったので、
今年は、2日と3日は皆 (両親、姉家族、私達 合わせて 7人) で
その聖護院に泊まることになった。
で、(どうせなら、元旦も京都で過ごしたいな) と思い、
これは妻と2人なので、気軽に適当なホテルを予約した。
そしたら、意外と良いホテルだった。
ホテルマイステイズ京都四条 というホテルで、
「ミシュランガイド京都・大阪・神戸2011」 にも
紹介されているらしい。
まだ新しいようで 室内もきれいだったし、チェックアウトが
11時というのもうれしい。
朝食がおせち料理だったのだが、これも1500円とは
思えぬ豪華な食事。
楽天で予約したのだが、楽天トラベルでの評価も高い。
残念だったのは、ソファの上に数片 ポテトチップスと
つまようじが1本落ちていたこと。
そういうところで評価が落ちるのは、いかにも もったいないなと思う。
京都観光は、元旦は、三十三間堂、京都タワー、八坂神社。
2日は、太秦映画村、3日は、平安神宮、清水寺、と周った。
祇園商店街の看板は 京都風どす
地上100メートルの展望台 京都タワーからの景色
映画村のオープンセットにて
聖護院の部屋からの朝焼け (3日の朝)
2011.1.30
へんな編み物
編み師 203gow (ニイマルサンゴウ) という 人をご存知か?
昨日、たまたまテレビで観たのだが、
マフラーやセーターなど実用的なものではなく、
へんな編み物ばかり編んでいる人だ。
既に何度もテレビで取り上げられたり、
個展を開いたり、色んなイベントに参加しておられるようで、
ご存知の方もいるだろうが、私は知らなかった。
どんな作品かというと、
ブッダ
きのこ (地面のコケも編んでいる)
納豆 (糸ひいとるで)
お年玉 (これは実際に使えそう)
ししおどし (風情がありますな)
なんか、凄いなぁ。
完全にオリジナルな分野、世界を確立してるよなぁ。
上の写真のほか、水道の蛇口、『犬神家の一族』 の
池から突き出している足など、確かにへんな編み物ばかり。
今は、一筆編みといって、編み出しから最後編み終わるまで、
一度も毛糸を切ることなく、形にすることをやっているそうで、
その一筆編みで編んだタコだったかイカだったかも
テレビで観たが、(どうやってあの足を編んだんやろ?) という
感じで、これはちょっと編み物が出来るからと言って
誰でも出来ることではないのは明白。
才能っちゅうやつやろな。
*写真は、ご本人のブログ、その他のサイトから、
勝手に拝借しております。
編み師☆203gow のブログ
2011.2.6
私は、根っこ
私は木の根っこです。
なのに、枝と勘違いして、上を向いて生えてしまいました。
自分が根っこだったと気づいたときは、手遅れでした。
なんとか、土の中に戻ろうと一生懸命伸び、
数年かかって、やっと土の中に戻りました。
成せばなるですね。
家の近所の街路樹君のお話でした。
2011.3.17
ディズニーの力
今日は、仕事で神奈川県の星川と平塚へ行ってきた。
仕事で関係のあるビルの地震による被害の確認だ。
被害は多少の補修が必要なものの 大したことはなかった。
平塚に着いたのは、午後3時ごろだったが、
物件のあるところは、計画停電の真っ最中だった。
駅は停電していなかったが、駅からすこし離れたところから
停電していた。
そのことは、あらかじめ調べていて、分かっていたことなので
いいのだが、実際に停電するとどうなるかは、
やはり現場で体験すると違う。
ある八百屋さんは、店内真っ暗のまま営業されていて、
(たくましいなぁ) と 感じた。
信号が消えているので、大きな交差点では警官が
交通整理に出ていたが、当然全ての信号のある交差点を
カバーすることなど不可能なので、信号の消えた警官のいない
交差点も多い。
(これは危ないな) と思った。
まだ 日中の停電だから、ましな方だろうけど。
帰りのJR東海道線は、本数を減らして運行しているせいか、
混んでいるように感じた。
(いつも乗る電車ではないので よく分からない)
五反田に戻ってくると、JRと東急池上線との連絡改札口は
封鎖されていた。
私は、昼前からずっと外にいたので何があったのか分からない。
あとで分かったことだが、午後3時半に計画停電とは別に
今夜 大規模停電が起こる可能性が発表されたらしい。
(実際は、起こらなかったけど。)
その影響か 池上線も本数を減らして運行していたようで
ホームへの入場制限をしていたようだった。
ふた駅のことなので、私は歩いて帰った。
商店街を歩くとほとんどの店が、看板などの照明を
消して営業している。
(普段から、これでもええやんか。
エコやし、経費も抑えられるし)
なんて思いながら歩いていると、いつもと変わらず
こうこうと看板など店頭の照明を点けている店も数軒ある。
この人たちは、一体 何考えてるんやろ。
無関心なのか、無神経なのか、無知なのか、利己的なのか、
単に楽観的なだけなのか、のん気なだけなのか、理解に苦しむ。
あれだけ、「買占めはやめましょう」 とテレビや新聞で言っているのに、
今朝もスーパーとドラッグストアに 開店前から行列が出来ていた。
あの人たちは、ニュースを観ていないのかな。
今日、たまたま話したおじいちゃんは
買占めしている人たちのことを 「非国民」 って言ってた。
また、絶対 出てくるやろなと思ていた 「義捐金詐欺」 が
とうとう 現れたようだ。
警察庁では、
「公的機関・団体が、一般家庭等に対して、個別に
電話・ファックス・訪問等によって義援金等の振込を
求めることは通常あり得ない」 と警告しているとのこと。
ちょっとは 明るい話を。
平塚からの帰りの電車で、うまい具合に途中で座れた。
私の前に立っていた50代とおぼしき 割と男前のおっちゃんが
仕事だろうか家族宛てだろうか、一生懸命、携帯電話で
メールを打っていた。
その電話機から ぶらさがっていたストラップと
そのおっちゃんのギャップが、あまりにも微笑ましかったので
こっそり携帯で写真を撮った。
↓
ちょっと分かりにくいので ズームアップ。
↓
おっちゃん、ミッキーやで!
2011.4.10
走
昨年の1月、突然、妻が走り出した。→ そのときのエントリー。
あれから1年あまり、彼女は毎週のように日曜日は走っているようだ。
始めたとき、「フルマラソンを走るまでやる」 と豪語していた彼女、
最初は、2キロも走れなかった彼女、
そんな彼女が今日、なんと10キロマラソンに出場し、完走した。
しかも、途中、一度も歩かなかったという。
私は、彼女の走る勇姿 (?) を写真に収めようと
会場の古市場陸上競技場 (神奈川県川崎市) へ出向いた。
何も知らずに行ったのだが、「PARACUP 2011」 という
結構、大きなイベントだった。
いくつかのレースがあり、今年は合計4500人ほどの人が走ったようだ。
世界の子どもたちを支援することを目的に開催される
チャリティーマラソン大会で、その収益から昨年、一昨年は
1千万円を各団体を通じて世界の子どもたちに届けているという。
走る妻と友人Sさん (後ろのおっさん2人は知らん人)
ゼッケンには名前やニックネームを書くのだがこんな人も!
大会関係者なのか、ずっとこの姿勢でランナーを撮影してた女性カメラマン
このかっこで10キロ! 暑〜っ!
仮装大賞を受賞したらしい
2011.4.15
ホッピーで・・・
なんか、なごむよな。
ホッピー飲んだことない人は、一度飲んでみてね。
2011.4.19
気泡緩衝材
気泡緩衝材。
「きほうかんしょうざい」 と読む。
一般に 「エアキャップ」 「プチプチ」 と呼んでいる、
梱包の際、ショックを和らげるために使う包材のことだ。
↓
今回、調べて初めて知ったのだが、
「エアキャップ」 も 「プチプチ」 も商標なのだ。
他にもメーカーによって、「エアパッキン」 「エアクッション」
「エアマット」 など、名称が違うらしい。
それはさておき、先日頂いたある物に使われていたものが、
これ。
↓
なんと、ハート形。
指先でプチプチつぶすと ちょっと胸が痛い。
ああ、ブロークン・ハート。
2011.5.5
山中湖 & 伊豆 旅行
二泊三日で、旅行に行ってきた。
この旅行の予約後、あの震災が起こったために
一時はキャンセルも考えたのだが、色々考えた末に
やっぱり行くことにした。
3日 朝7時に出発したものの山中湖まで (空いていれば
1時間半ぐらいのところ) 6時間もかかってしまった。
なんと、中央道55キロ渋滞!
やはり、ゴールデンウィークに車で出かけるものではない。
昨年もGWに車で 妻の実家の山形へ向かい、
苦い思いをしたのに すっかり忘れていたのであった。
さて一泊目は、山梨県。
山中湖近くの 「鉄板焼き&ワインの旬宿 夢野樹」 という宿。
昨年の春オープンしたばかりの まだ建物も新しい宿。
客室は6室だけで オーナーは元ホテルマン夫妻。
夕食は、地元の山菜、手作り紫蘇豆腐などの前菜、
虹鱒のムニエル、そして 山梨県産のワインビーフ
(ブドウの皮などを食べさせているらしい) の鉄板焼き。
とても感じの良いオーナーで気持ちよく過ごせた。
午後からあいにくの雨で3日の日は全く富士山が見えなかったが、
翌4日は晴れたので目覚めると部屋の窓から
富士山が!
部屋からの景色。
昼食は、静岡県の沼津港の魚市場へ。
ここには、たくさんの海鮮料理店が並ぶ。
連休中は、4日からの営業だったためか、駐車場に入るのに
1時間近くも並んだ。
お店がたくさんあり、客がたくさん並んでいる店から
ガラガラの店まで色々。
どこに入ってよいのか迷う。
そんなに差があるとは思えないし、
並んでまで食べる気はないので、適当にある店に飛び込んでみると、
なんと昼時にも関わらず、客が一人もいない!
扉を開けて、一瞬、戸惑っている私に、お店の方々の
「いらしゃいませ!」 という言葉とともに
(逃しませんよ!) と言わんばかりの熱い視線が・・・。
仕方なく、半泣きになって席に着いた。
結局、料理は普通においしく、私たちが入店後、
ほぼ満席になったので、たまたま、ガラガラだったんだろう。
3色 (生シラス・桜海老・アジのたたき) 丼 と 桜海老のかきあげ
海鮮丼
食後、沼津を出て、伊豆半島へ。
二泊目の宿は、伊豆半島東海岸、静岡県賀茂郡河津町にある
「汐風の宿 海堂」。
なんとベランダのすぐ前が海。
(津波が来たら 一巻の終わりやな) と
思いながらも、やはり海は良い。
砂浜で近所の親子だろうか、野球をしている。
お風呂は、海の見える温泉。
そして、料理に定評のある宿。
ご覧の通りの豪華な海鮮料理。
生きてるアワビのバター焼き。贅沢。
く、食いきれない・・・。
しかも食事は、やはり海の見える個室だ。
ここは、3室のみ限定の宿。
目の前が海水浴場になっており、夏に来ても
きっと良さそうなロケーション。
私たちが訪れた2日間はサーファーたちが
サーフィンを楽しんでいた。
夜は、波の音を子守唄に休める。
妻は、「波の音ってうるさいね」 と言っていたが、
私はどちらかというと心地良かった。
そんな感じで 今年のGW旅行は、
ええ感じで終わるはずだったが、2日目の深夜、トラブル発生。
続きは、また明日。
2011.6.14
犬の散歩
会社の近所で見かけたおばさん。
なんと 7匹の犬を散歩させていた。
紐がもつれないか心配。
2011.8.17
山形レポート ダリヤ編
妻の実家のある 「川西町」 は、ダリヤの町だ。
駅前のサイン
町には日本一の 「ダリヤ園」 があるのだ。
ダリヤ園の広さは、2.1ヘクタールで、園内には 650品種、
10万本のダリヤが咲き誇っている。
「咲き誇っている」 と言っても、いつも咲いているわけではない。
8月〜11月上旬が、シーズンのようだ。
さて、今回、このエントリーを書くにあたって、
「ダリア」 だと思っていたのに、川西町にあるのは 「ダリヤ」 園だと
気付いた。
ここでは、川西町式に 「ダリヤ」 と書いているが、
調べてみると 日本では、「ダリア」 が一般的らしい。
スペルは、「Dahlia」 なので、その方が自然なのかも知れないが、
川西町ではダリヤ園開演当時 (昭和35年) から、「ダリヤ」 と呼び、
ダリアにあやかった商品の呼称まで 「ダリヤ」 となっていたため、
TV番組で 「『ダリア』 を 『ダリヤ』 と (勘違いして) 呼ぶ町」 と
報じられたこともあったようだ。
ウィキペディアによると、当時の川西町長は、
「今から 『ダリヤ』 をすべて 『ダリア』 と変更するとなると莫大な予算が
かかり、また町民にも 『ダリヤ』 の名で慣れ親しまれているので、
今後も 『ダリヤ』 のままでとおす」 とコメントしたらしい。
とある。
「(今さら変えられないので) 今後も 『ダリヤ』 のままでとおす」 と
いうアバウトな感じが、なんとなく 山形らしいというか、
妻の故郷らしい、と思ってしまった。
山形では、私が聞き取りにくい言葉 (方言) も多い。
もしかしたら、「ダリア」 を 「ダリヤ」 と訛っているのかも知れない。
それはさておき、ダリヤ園のレポートをしよう。
私がダリヤ園を訪れるのは、たぶん、3度目か4度目ぐらいだと思う。
なにしろ、妻の実家からは、歩いていける距離なのだ。
8月の半ばだと まだ咲いている花は少ないのだが、
それでも、たくさんの種類のダリヤが咲いている。
650種ある、その全てに名前が付けられているようだ。
たとえば、こんな風に。
↓
これは、「思春期」 という名前のダリヤ。
650もあると 名前も平凡なものからユニークなものまで様々。
いくつか写真を撮ってきたので紹介しよう。
歓喜
幸福
お色気
禅
セクシーポーズ
美鈴
彩乃
そして、ダリヤ園の周辺には、自然がいっぱい。
カモ
側溝には、蛇
これは、川西町の名物、ダリヤパン。
↓
ダリヤをかたどり、なんと、あんことジャムが入っている。
このパンは、川西町の 「パリドール・サノ」 というパン屋さんのオリジナル。
まだまだ奥深い、山形レポートは、続く・・・。
川西ダリヤ園 ホームページ
2011.8.18
山形レポート 井上ひさし編
作家・劇作家であった 井上ひさし は、川西町生まれ。
1934年生まれで、妻のお母さんの同級生だった。
1999年に 川西町名誉町民、そして昨年、亡くなった後、
山形県民栄誉賞が贈呈された。
昨年11月には、町の施設内に 井上の展示施設もオープンした。
残念ながら、その展示施設には 今回は訪れなかったので、
次回はぜひ行ってみようと思う。
そういうわけで、川西町には、「ひょっこりひょうたん島」 の
キャラクターが、あちらこちらに存在しているのだ。
山形レポート 番外編
この番外編では、山形の色々、妻の実家近辺などを紹介しよう。
山形に行って、初めて見たのがこの道路。
何か分かるだろうか?
道路のセンターに穴が開いていて、
水 (地下水) が出てくるようになっている。
これは、夏に打ち水をするためではない。
冬に雪を溶かすためのものだ。
地下水は温度が高いので雪を溶かしてくれるというわけだ。
錆びたような色に見えるのは、地下水が鉄分を多く含むためらしい。
これは、妻の実家近くを通る鉄道、米坂線。
米坂線は、米沢駅から新潟県の坂町駅までの約90キロを走る。
全線単線で、1日10本ほどしか走っていない。
米沢行きの最終は、19:37だ。(早!)
散歩中、ちょうど走る列車を撮影。
これが、最寄り駅の 「羽前小松駅」。
もちろん、自動改札などない。
のどかだ。
米坂線は、1日10本と書いたけど、バスは1日3本。
行き先が 2ヶ所あって、6本あるように見えるのは、
反対車線の時刻表も書いてあるため。
近くの温泉に併設されたお土産屋さんで売っていたタマネギ。
1袋、10キロで1000円。(安!)
たかはたの道の駅で売っていた きゅうり。(太!)
病院の看板の横に 「天の国は近い」 。(怖!)
妻が子供の頃、寝ぼけて歩いていった肉屋さん。
なんでも昼寝中、気が付いたらこの店内にいたそうだ。(驚!)
2011.8.21
渋い趣味
先日、このエントリーで紹介した ヒカル 君。
お父さんが、YouTube の この 『The Dock Of The Bay』 を
聴かせて以来、毎日のように 「ドガオバベェ (を観せろ)」 と
せがむそうだ。
お父さんは、合わせて 『Stand by Me』 も 毎日観せた。
ヒカル君、今では、「When the night」 と言えば、
「has come」 と答えるようになった。
私は、ヒカル君のことを
「2歳の誕生日を前に、初めて覚えた洋楽が 『The Dock Of The Bay』 と
『Stand by Me』 なんて、渋すぎる」 と 思っていた。
先日、数日ぶりに ヒカル君に会うと、お父さんに
「おつぅたんこんばんわ」 とせがんでいる。
「ドッグオブベイ?」 と聞いても
「おつぅたんこんばんわ (がいい)」 と答える。
そして、森昌子の 「お月さん今晩は」 を 何度も 何度も 繰り返し、
観るのであった。
もちろん、教えたのは お父さんだ。
ヒカル君は、オリジナルの 藤島桓夫 ではなく、
森昌子 ヴァージョン がお気に入り。
歌詞が 「お月さんこんばんは」 のところに来ると、
そこだけ合わせて一緒に歌うのだ。
初めて、好きになった日本人歌手が 森昌子 とは、
やはり ヒカル君は渋すぎるのだった。
森昌子版 「お月さんこんばんは」 をじっと鑑賞するヒカル君
2011.8.26
天上天下唯我独尊
最近、時々 この 「ひとりごと」 に登場するヒカル君。
そのヒカル君の弟、タイラ君 (4ヶ月) にカメラを向けると、
このポーズをとってくれた。
この写真では、あまり感じないが、タイラ君は、
生まれて1〜2ヶ月は、まるで全てを悟った仙人のような
顔をしていた。
そんなタイラ君なので、このポーズにも納得。
2011.9.2
大阪レポート
先週末、高校の同窓会で大阪へ帰省したことは書いた。
土曜日の夜は、両親と食事の約束をしたが、
それまで少し時間があるので、久しぶりに大阪の街を
ブラブラしながら、写真を撮ろうと思っていたら、
あいにくのどしゃ降りだった。
(私は、かなりの確率で、旅先で雨が降る。)
結局、ミナミの地下街と ビックカメラで時間をつぶした。
(なんで、大阪まで来て ビックカメラやねん) と思いながら。
私が大阪にいた頃は、大阪には まだ ビックカメラは、
なかったのに、あの頃の (ミナミの) プランタン が、
ビックカメラになっていたのだ。
翌日曜日は、めちゃええ天気。
同窓会は2時からなので、それまで、ブラブラしながら、
写真を撮った。
ミナミを歩いていて、気がついたのだが、
大阪って、店の看板とかディスプレイが東京とは違う。
この一角だけかも知れんけど、
ベタベタ大阪な ミナミの町並みを紹介。
かに (割と有名、東京にもあるかに道楽)
昔は、大きなえびも道頓堀にはあったけど、
今はなくなっていた。
たこ (ご想像通り、たこ焼き屋です)
ふぐ (大阪では有名なふぐ料理店です)
龍 (お店の名前が金龍なので・・・)
このあたりまでは、まあ良しとしてだんだんすごくなってくるよ。
牛が宙に浮いている (ホルモン焼き)
寿司 (回転寿司)
たぬき (お好み焼き屋 なんで?)
赤鬼 (これもたこ焼き屋)
家族 (ホルモン焼き。宙に浮く牛と同じ店です)
100円玉 (コインパーキング)
おっさん (もう、何の店か分かりません)
何かがスゴイよな。
ちなみに最後の 「おっさん」 は、串カツ屋。
番外編 として、最後に皆さんにも考えていただきたい写真を一枚。
これも、ミナミを歩いていて発見した、沖縄料理店の前にあった
おばちゃんの人形。
ねえ、「キムラ君」 って何?
2011.9.5
キムラ君の正体
数日前のエントリー 「大阪レポート」 で書いた、
沖縄料理店の前で見た 「キムラ君はじめました」 の
サイン。
「キムラ君って何?」 と書いたら、
大阪の読者 (同級生) が、メールをくれた。
「『キムラ君』 は 『キムチ』 と 『ラー油』 を使った
メニューのことで、検索したら、すぐヒットします」
とのことだったので、調べてみた。
大阪、千日前のうどん店が キムチとラー油を使ったメニュー
「キムラ君」 を始めたのがきっかけで、周辺の飲食店も
オリジナルの 「キムラ君」 を提供し始めたらしい。
「キムチ」 と 「ラー油」 で、「キムラ君」 とは、気付かなかったが、
大阪人が考えそうなことだ。
詳しくは、この なんば経済新聞の記事 にあるが、
記事には、「香川県や石川県でも 『キムラ君』 を提供する
飲食店がある」 と書かれている。
この記事が書かれたのは、6月なので、もしかしたら、
もうすでに東京にも 「キムラ君」 を出しているお店が
あるかのしれない。
食べてみたいな。
って、「キムチ」 「ラー油」 って 書いてたら、
頭のてっぺんに 汗 出てきたやんか。
2011.10.5
何してんのやろ
数日前、渋谷で不思議な人を見た。
渋谷駅前のスクランブル交差点に向かって、
足を大きく開き、腕を組み、目を閉じ、立っているのだ。
年の頃なら、40代かな。
iPhoneで撮影
この写真は、信号が赤の時、後ろから撮ったもの。
信号が青になると、大勢の人が彼に向かって歩いてくる。
しかし彼は、その人の流れの中で、微動だにせず、
ただ同じ姿勢で、そこに立ち続けているのだ。
通り過ぎ行く人々に、不思議そうに見られ、
外人や若い女の子が、面白がって写真を撮っていた。
「何をなさっているのですか?」 と 訊いてみたかったが、
小心者の私には訊けなかった。
新しいタイプの修行やろか。
なんとなく満足そうな表情が印象的だった。
2011.10.6
Apple
今年4月に購入した iPod が故障した。
ウェブサイトに書かれた トラブルシューティング を
試したが、復旧しないので 仕方なく、修理に出そうと
渋谷の Appleストア へ向かった。
奇しくも今日、Apple 創業者で前最高経営責任者の
スティーブ・ジョブズ会長が死去したと発表されたばかりだ。
夜の8時半頃で閉店間近の Appleストア へ着くと
お店の前には、追悼の花が たくさん置かれており、
手を合わせる人も見られた。
私は、iPod、iPhone ユーザーだが、特別 Apple ファンと
いうわけではない。
コンピューターは、Windows だし、
スティーブ・ジョブズ についても 何も知らない。
ただ、その花を見て、彼の功績と影響力の大きさを
感じた。
(ああ、世界は偉大な人を失ったんだな) と思った。
「芸術とテクノロジーを両立させた現代の天才。
数百年後の人々は、レオナルド・ダビンチと
並び称するだろう」
ソフトバンクの孫正義社長の哀悼のコメントだ。
花を手向けに来たサラリーマン風の男性
手を合わせていた女性2人組
今回、iPod を修理に出すのに、(購入して数ヶ月だし、
保証が利くはずだから) と ずい分、保証書を探した。
結局、見つからなくて、調べてみたら iPod には
保証書はなく、購入後1年間は保証期間であることが分かった。
本来、Apple ストアで修理を依頼するには、
予約が必要なようだが、予約をしていない私の依頼を
特別に受け付けてくれ、簡単な故障状況の説明を聞いただけで、
新品に交換してくれた!
もちろん 無料。
名前と電話番号、メールアドレスを訊かれただけで、
購入の証明にと持っていった、Amazon のメールの
コピーも必要なかった。
iPod 本体には ネジなどがなく、
基本的に 分解して修理するタイプの製品ではないそうだ。
それにしても、その気前の良い、そして早い対応に感動した。
Apple の成長の要因は、製品の素晴らしさだけではなく、
こういうサービスにもあるのかも知れない。
2,3日前、デスクの上の小物入れに
保証書を探していて出てきた、Apple のステッカーを
貼ったところだった。
↓
ジョブズ氏の冥福を祈る。
合掌。
2011.11.1
夢ある社会?
近所を散歩していて見つけた。
東京電力の変電所の塀だ。
「夢ある社会へ」 という言葉がはがされていて、
見るからに なんとも 心苦しい。
今回の原発事故後に、はがされたものかどうかは不明だが、
「夢ある社会」 は、どこへ行ったのか。
i-phoneによる夜間の撮影のため見にくいです。
2011.11.5
無 記
一昨年の11月に関西在住の旧友に 14年ぶりに会った。
そのときのエントリーがこれ。
その再会をきっかけに、昨年は、彼が東京に来た3月と5月に
会った。
しばらく、会ってないような気がしたので、先日久しぶりに
メールをしたら、11月に東京に来るという。
そういうわけで、昨夜、約1年半ぶりに会うことになった。
7時に会って、気がついたら12時!
積もる話で 5時間が あっという間に過ぎた。
今回の上京も、書展のためだったのだが、
今回の彼の作品はこの2点。
ついつい、「何て書いてあるの?」 という質問をしてしまうのだが、
「読むのではなく、感じてください」 と言われた。
そりゃそうだ。
読むために書くなら、もっと読みやすく書くもんな。
これは感じるもんだ。
と、書いておきながら、解説するのも変だが、
上の方が、「回心 (えしん)」、
下の方は、「無記」 と書かれている。
どちらも、仏教書から見つけた言葉らしく、
「回心」 は、簡単に言うと 「窮すれば通ずる」 という意味。
「無記」 は、「判断しない」 ということらしい。
私は、この 「無記」 という言葉に惹かれた。
調べてみると、釈迦は、
「この世界は、どうなっているのか?」
「霊魂は存在するのか?」
「死んだ後は、どうなるのか?」 というような質問には、
一切、答えなかったらしい。
なぜならば、答えのない問題を議論することで、
仏教の実践から外れてしまう弊害を避けるためだったという。
それは、よく 「毒矢の例え」 で語られるらしい。
ある人が毒矢に射られたとして、医者が治療の前に、
毒矢は誰が射たのか、その者は何という名で、
どんな身分の者なのか、また、どんな材質の弓で射たのか、
などが明らかになるまで治療をしないとしたら、
その間にその人は死んでしまう。
今、やることは何なのか、その一点のみが重要だ、という教えのようだ。
茂木健一郎氏が、「無記」 について、分かりやすく書いていたのを
見つけたので、興味のある方は、読んでみてください。
↓
無記
2011.11.14
寿司屋でプロポーズ
先週の金曜日のこと。
よく行く近所のお寿司屋さんで、ちょっとしたイベント (?) があった。
常連客のカップル、2人とも、20代。
彼らは、この11月11日で付き合い始めて7年になるという。
その節目の日に、彼は彼女にプロポーズすることを決意。
ただ、プロポーズするだけではなく、
彼女にサプライズを用意したいと考えた彼は、
お寿司屋さんの顔見知りの常連客を集め、
自分と彼女の友達をこっそり集めた。
1階には、常連客。
2階には、自分たちの友人を十数人控えさせ、
何も知らない彼女を連れて、8時ごろ来店。
もちろん、席は決まっていて、カウンター席に予約がしてある。
いつもより、混んでいる感じで、
「予約してて良かったね」 などと言いながら着席。
ちなみに私は、彼の隣の席。
しばらくすると、店員が裏から彼の携帯に電話をかける。
彼 「あ、仕事の電話だ」 と席を立ち、店の表に出る。
何も知らない彼女は、周囲の常連客たちと話をしている。
すると、突然、店内の照明が落ち、真っ暗に。
(実際には、真っ暗というほどではなかったけど)
すぐに照明がつくと、カウンターの中には、
今まで立っていた板前ではなく、彼が白衣を着て立っている!
彼女 「えっ〜!?何してるの?」
彼 「何、握りましょう?」
そんなやり取りの後、彼が、神妙に話し出し、
「僕と結婚してください!」 と指輪を差し出したのだ。
彼女がその指輪を受け取ると、店内拍手喝采!
そして、2階に隠れていた友人たち十数人が、
「おめでとう〜!」 と登場。
彼女は、何がなんだか分からない状態。
私は、写真を撮ろうとしていて、うまく撮れないことに焦っていたけど、
なんとかこの決定的瞬間は押さえた。
ちょっと彼らの顔は出せないけど、
カウンター越しに指輪を差し出す彼と受け取る彼女の手だけ、披露。
考えてみれば、他人のプロポーズの現場に立ち会うことって、
そうそうないよね。
っていうか、人生初めてでした。(たぶん、その場にいた人みんな)
お2人には、きっと良い思い出になったことでしょう。
お幸せに!
2011.12.29
24日から27日まで沖縄へ行ってきた。
沖縄からも、この 「ひとりごと」 を更新しようと思って、
コンピューターを持って行ったのだが、
普段、更新している自宅のPCではなく、
仕事で使っているノートPCを持って行ったため、
更新のための設定がされておらず、アップ出来なかった。
まとめてのアップになるが、お付き合いください。
沖縄 一日目 (12月24日)
無事、飛行機も飛び、沖縄、那覇空港に到着。
今回は、妻のビジネス・パートナーである、Y子さんの
家族 (4人) と合計6人の旅行だ。
(Y子さんの子供たち2人は、週1回、私が算数、国語などの
勉強を見ているし、ご主人も16〜17年前から知っている。)
今日は、那覇到着後、まず牧志公設市場へ行き、魚を購入。
その魚は市場2階の食堂で調理してもらえる。
買ったのは、アオブダイ、夜光貝、マングローブガニ。
それらを、お刺身、チリソース炒め、バター炒め、甘酢あんかけなどに
調理してもらった。
気候は、この数日の最高気温が20度前後だから、
やはり暖かいね。
公設市場の2階の喫茶店のおばちゃんの話では、
冬の最低気温も10度を切ることがないということだから、
やっぱり、南国だ。
そして、以前、来た時も感じたが、沖縄は日本というより、
「アジア」 という感じがする。
ここは、1945年から1972年まで27年間も
アメリカ領だった。
その間に強烈にアメリカの影響を受けたわけだ。
だから、どことなくアメリカっぽさも感じるのだが、
やっぱりここは極東の島なわけで、アメリカよりもアジアなのだ。
沖縄 二日目 (12月25日)
スゴイ名前の公園を発見!
ウィキペディアには、
地元の報道番組では風物詩として
「小中学生らによって漫湖公園で写生大会が行われました」などと
報じることがまれにあり・・・
とある。
音声だけ聞いたら、びっくりするで。
「まんこ こうえん で、 しゃせい たいかい」 て・・・。
沖縄 三日目 (12月26日)
今日は、ホエールウォッチングを申し込んでいたのだが、
海が荒れていて船が出せないとのことで、昨日の夕方、
キャンセルになった。
生きた野生の鯨など、そうそう観る機会はないので、
残念な話だが、キャンセルになったと聞いた時、
ちょっと安心したのは、なんでだろう。
昨夜、酔っ払って早く寝たせいだろうか、
今朝は、珍しく5時半に目が覚めた。
せっかくなので、夜明けの写真を撮ろうと、
海まで車を走らせた。
太平洋のDaybreak (適当に走ってたどり着いた海で撮影)
もっと、ドラマチックな写真を撮りたかったけど、
1回ぐらいでそうそう良い写真が撮れるほど甘くはないのだな。
今日のお昼は、前回 (5年前) の沖縄旅行でも
食した有名店 「首里そば」 。
首里そば(中、500円)、煮付け(450円)、ジューシー(炊き込みご飯、200円)
全部を一人で食べたんちゃうよ。
その後、首里城見学。
ホエールウォッチングは天候の都合で中止になったのに、
この通りのお天気。
夜は、那覇の民謡酒場で民謡を鑑賞しつつ、
アグー豚のしゃぶしゃぶ。
沖縄 四日目 (12月27日)
最終日の今日は、妻と Y子さんは仕事。
Y子さんの子供たちとご主人は、お昼すぎの飛行機で東京へ戻った。
私は、彼女たちの運転手となり、那覇から約1時間半、本部町まで
運転。
本部町には、きしもと食堂という沖縄そばの老舗の超有名店がある。
5年前にも行ったのだが、その時の私の調査では、沖縄一だった。
2〜3年前、新宿伊勢丹の沖縄展にきしもと食堂が出店した時にも
食べたのだが、沖縄で食べたときほどの感動はなかった。
今日は、せっかく近くまで出向いたので食べに行ったのだが、
初めての時ほどの感動はないものの、やはり東京で食するよりは、
美味い。
それからは、夕方、彼女たちをピックアップする 沖縄市まで
移動しながら、写真撮影。
(その写真は、また後日。)
夜、21:10那覇発、23:20羽田着のANA で戻ったのだった。
今度は、写真撮影のためだけに行きたいな。