2016年 エッセイ
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2016.2.16
座りっぱなしはあかん
先日読んだ記事は、興味深かった。
「座りっぱなしで体を動かさない」ことを
「セデンタリー(Sedentary)」というらしい。
運動不足というだけではなく、
長時間じっとしている状態を指すようだ。
この 座りっぱなしが「寿命を縮める」と
注目されている、という記事で、
オフィスワーク(1日座りっぱなし)が多い私には、
ちょっと怖い内容でもあった。
少し引用する。
「セデンタリー、すなわち動かない生活は、
タバコと同じくらい体に悪く、がんや心血管障害など
命にかかわる病気の原因になることがわかってきた。
2012年にWHO(世界保健機関)は、
1日10時間以上座っている人は4時間以下の人に比べて
病気になるリスクが40%も高くなると発表している」
「406万8437人を対象に、がんとセデンタリーの関係を
調べた研究がある。それによると、セデンタリーが
1日2時間増えるごとに、大腸がんの発症リスクが8%ずつ、
肺がんの発症リスクが6%ずつ高くなる」
「ウオーキングなど中程度の運動を毎日15分する人は、
まったく運動しない人に比べて『病気による死亡率』が
14%減り、寿命が3年延びる。
さらに1日90分までは、運動時間が15分増えるごとに
死亡率が4%ずつ減り、毎日90分運動する人は
運動しない人に比べて死亡率が35%も低かった」
とにかく、座りっぱなしは身体に毒で、
米国シリコンバレー企業の中には、この数年、
立ったまま仕事ができるスタンディングデスクの
導入が流行しているらしい。
毎日少しでも身体を動かすことが良いようだ。
たとえ「1日15分」でも大きな効果があるらしい。
「毎日15分で寿命が3年延びる」はホンマかいなと思うけど、
確かにセデンタリーは、身体に良くないというのは
納得できる。
以前、テレビ番組で、日本の田舎の山村に住む、
お年寄りのことを取り上げていたのを観たことがある。
そこは、山の斜面に村があり、山の斜面に畑を作っていた。
お年寄りは、男女問わず80歳代にも関わらず、
畑仕事をされていた。
毎日、その坂道を昇り降りすることによって
足腰が鍛えられていることが、健康・長寿の秘訣では
ないかというような内容だった。
それを観てというわけでもないが、
私はなるべく階段を使うように心がけている。
東急五反田駅は4階にあるのだが、朝も帰りも
階段を使っている。
もう5~6年にはなると思う。
最初のころは、情けないことに4階まで昇ると息切れしたけど、
毎日続けるとすぐにそんなこともなくなった。
15分の運動ではないが、こんなことの積み重ねが、
60歳70歳になった時に、違いとなって現れるんやないかと、
思っているのだが どうだろう。
やれへんよりは、ましだろうが、
もうちょっと、運動した方がええわな。
元記事 「1日15分のウオーキングで寿命が3年延びる」
2016.2.18
責 任
ここのところ、自民党議員の言動が
問題視されている。
今日も丸山議員の「奴隷」発言が報道されていたね。
そんな続いている政治家の問題(?)発言を受けて、
先日の『報道ステーション』で、ある記事が紹介された。
書いたのは、スポーツ・ライターの方だったように思うが、
名前も覚えていないし、
掲載された新聞が何だったかも覚えていないが、
印象的だったので書いておこう。
内容は、政治家の発言が、スポーツ界に置き換えると、
どれだけ異常かというような指摘だった。
例えば、北方領土担当大臣が「歯舞(はぼまい)」の
漢字が読めないのは、プロ野球のコーチが
「筒香(つづごう)選手」の名前が読めないようなものだとか、
環境大臣が、除染の長期目標を「何の科学的根拠もない」と
発言(後に撤回)したのは、バッティング・コーチが
コーチングの内容について、理解していないようなものだとか
いうものだった。
そんな中、なんとなく釈然としなかったことを
ズバリと指摘していたのは、金銭授受問題で辞任した
甘利前経済再生担当大臣の
「私自身は全く関与していなかったけど、
秘書のせいと責任転嫁するようなことはできません」
という旨の発言に対しての部分だった。
野球のことを詳しく知らないので、どこのチームの
何という監督だったか忘れたが、シーズンの成績が悪く、
辞任が決まった記者会見で、その監督は、
ただ「私の力不足で」と辞任の理由を述べた。
実際には選手の故障が続くなど、監督の力量とは
関係ない(とも言える)原因もあったのだが、
そんな時でも、プロ野球の監督はその全てに
責任を負って辞めるのであって、けっして
「選手が故障したので」とか「私自身のせいではないけど」と
いうようなことは言わない。
大臣が辞任する際に
「私自身は全く関与していなかったけど」と言うのは、
スポーツの世界から言えば考えられない。
というような内容だった。
民間企業だって、社員や部下の責任を取って
代表者や幹部が辞任をする際に、
「(社員がやったことで)私は知らなかったけど、
責任だから辞めます」なんて言わへんもんね。
秘書がやったことであろうと、それも含めて
「大臣」という責任だということを
その記事は指摘していたのだった。
甘利前大臣は、
「政治家としての矜持に鑑み、本日ここに閣僚の職を辞する」
と言ったけど、本当の「矜持(きょうじ)」ってなんやろと
考えさせらます。
問題発言とされるものの中には、私には、
ただの揚げ足取りにしか見えないものもあるし、
報道に悪意さえ感じるものもある。
が、結局、政治家という仕事は、周りにいつも
足を引っ張ってやろうという敵が待ち構えているので、
一字一句に細心の注意を払い
発言せねばならない仕事ということなのだろう。
2016.3.24
鷹匠とブルース・ロック
歯痛に悩まされていた週末、夜中にNHKテレビで
『地球イチバン』という役所広司がナビゲーターを
務める番組を観た。
眠れないので、痛みを抑えるために冷水を口に含みながら、
何気なく観始めた番組であって、観たのは全くの偶然だ。
歯が痛くなければ、間違いなく観ていない。
内容は、モンゴルの少女鷹匠のドキュメンタリーだった。
私は「鷹匠」という言葉さえ知らなかった。
「たかじょう」と打ち込んでも
PCでは変換されないところを見ると
一般的な単語ではないようだ。
「鷹匠」というのは、鷹を使った狩猟を行う人のこと。
番組では、地球最古4000年もの間「鷹狩」を続ける
モンゴルの遊牧民、カザフ族に初めて現れた、
女性(13歳の女の子)鷹匠に密着取材を行った。
この女の子がどことなく横綱白鵬に似ていて、
親近感を覚えた。
モンゴルの大平原の丘の上から、
何時間もじっと獲物(キツネ・ウサギ)が現れるのを待ち、
獲物が現れるとタイミング良く、鷹を放つ。
タイミングがずれると、あっという間に獲物は、
穴の中に隠れてしまう。
最低気温、マイナス40度の極寒の地での狩りは、
生半可なものではない。
少女の鷹狩りデビュー戦では、
彼女は鷹を放つことができなかった。
しかし、2度目のチャレンジで、
獲物(キツネ)をしとめたのだ。
鷹が獲物をしとめると、まず鷹にご褒美として、
獲物の肉を与える。
キツネの毛皮は、極寒の地では重要な防寒具だ。
先進国でオシャレに毛皮を着ているのとは、
根本的にわけが違う。
13歳の女の子が、父親とともにキツネの皮を剥ぐ様子は、
日本では想像さえできない光景だが、
そこには、残酷さは微塵もなく、
ただただ、生きることの厳しさしかない。
人間本来の生きる強さと逞しさを見たようで、
感動的であり、大変に興味深い内容だった。
さて、話は全く違うが、来週金曜日は、楽しみにしている
テデスキ・トラックス・バンドの武道館公演だ。
今年発売されたニュー・アルバム『Let Me Get By』は、
もちろん購入して聴いていたが、先日、このアルバムの
”DELUXE EDITION” なるものが売られていることを
発見した。
見ると2枚組になっており、ディスク2には、
ボーナストラックスが8曲収められている。
(結局、そのうち2曲は私が買った日本版に
すでに収録されていたけど。)
毎度のことながら、音楽業界いうやつは、
ファン泣かせな売り方をしよる。
で、購入したのだが、今日届いて、
開けてみて驚いた。
ボックスセットということで、
ボックスのデザインはギター・アンプを
あしらったもの。
そのボックスに納められている
ディスク2の紙ジャケにビックリ。
なんと鷹匠である。
しかもどう見てもモンゴル人ではないか?
で、あらためて、すでに購入済みでもあった
『Let Me Get By』のジャケットを見てみると、
(全く気にしていなかったけど)
飛んでゆく鷹の足には、紐のようなものが
付いており、左端には鷹を飛ばしたと思われる
鷹匠(?)の手が描かれていたのだった。
う~む、なんでしょう。
人生で初めて知った鷹匠の、このシンクロニシティ。
先に購入していた、日本版の解説には、
鷹匠の話はもちろん、ジャケットのデザインに
関しても一切触れられておらず、
何やらますます謎めいてしまった。
来日後のインタビューで何か分かると良いのだが。
2016.4.7
高校 入学式
昨日の小学校入学式に続いて、
今日は、K 君の高校の入学式に撮影に行ってきた。
高校の入学式も自分の入学式以来だから、
38年ぶりだ。
K 君が進学したのは、
現役で東大に合格する生徒がいるような
進学校である都立高校。
昨日の小学校の入学式と比べて、
感じる印象が全く違うことが興味深かった。
小学校の入学式は、なんというか、
お祭り気分と言ってもいいような、
ただただ、おめでたい感じ。
でも、今日の高校の入学式は、
もっと厳格というのか、独特の緊張感があったな。
それは、親にしても子供にして同じだろう。
これから、立派な大人になっていく、いや、
なっていかなければならない、あるいは、
そんな期待を背負っている、15歳の少年少女の緊張は、
小学校に入学する6歳児のそれとは、
比べることが出来ないだろう。
もう、めでたいだけではない、重さとでも言おうか。
K 君の、今まで見たこともない神妙な表情も印象的だった。
昨日は、2クラス60人弱で、
少子化を感じたと書いたが、
今日の高校は8クラス × 40人で320人の新入生。
そう言えば、私の高校も同様に8クラスだったけど、
1クラスは、47人ぐらいだったように記憶している。
私たちの時代は、男子と女子とは別々に、
それぞれ出席番号順(苗字のあいうえお順)に
並んだものだが、今日の高校では、
男女混合で、あいうえお順に並んでいた。
これも、男と女、どちらを先にするかとか、
ややこしい問題を回避するためなのだろうかね。
参列しながら、一生懸命、自分の高校の入学式を
思い出そうとしたが、何も思い出せなかった。
入学式の前か後か、校庭に並んでいた時に
自分の前に立っていた T 君がやたら大きく、
オールバックの髪型が、丸坊主の中学から進学した
私には、ある種の脅威だったことだけは覚えている。
その後、その T 君とは、仲良くなるのだが。
残念ながら今日は、あいにくの雨だったので、
レポート写真はなし。
2016.4.14
人生の不思議
友人 K の話。
彼は、三重県松阪で育った。
子供の頃は、親父さんの勤務先の社宅に住んでいたらしい。
その社宅内にKと同じ年のAがいた。
Aの親父さんは、Kの親父さんの同僚で、
家族ぐるみの付き合いだったという。
KとAは、同じ小中高校に通った。
Kは大学進学で松阪を離れ、それからAとも
会うこともなかったらしい。
現在、K の両親は山口県在住で、
数年前、山口の実家に帰った際に、
両親や子供たちと秋吉台へ観光に出かけた。
その際、秋吉台の駐車場で、偶然、
AとAの親父さんに会ったというのだ。
親父さん同士もおそらくずい分久しぶりだっただろうが、
KとAは、実に30年ぶりの再会だったという。
それからは、連絡を取り合うようになったらしいが、
約半年後、Aの親父さんは他界した。
まるで、亡くなる前にKの家族に会っておきたかったかのような
再会だったという。
実は、人生は奇跡に満ちているのかも知れない。
2016.6.30
ほぼほぼ
「ほぼほぼ」って使いますか?
いつ頃からか、耳にするようになった言葉「ほぼほぼ」。
例えばこんな場面で耳にするようになった。
仕事を依頼している先から、
その進捗状況についての報告の電話。
「その件は、ほぼほぼ 完了しております。」
「ほぼ 完了しております」と
「ほぼほぼ 完了しております」とでは、
「ほぼほぼ」の方が、限りなく100%に
近い印象を受ける。
「何気に」や「きれいく」「みたく」などは、
どうも抵抗があり私は使わないが、
「ほぼほぼ」は、あまり抵抗がないので、
私ももしかしたら、無意識に使っているかもしれない。
そんな「ほぼほぼ」に関する記事を読んだ。
一般人だけではなく、大臣や教育評論家までが使い、
今や、国語辞典の「ほぼ」の注釈には、
「俗に、重ねて使う」と付けくわえられているらしい。
「ほぼほぼ」は、出現から意外に早く、
ほぼほぼ 市民権を得た言葉のようだ。
2016.7.1
高齢化の波
先日、Char のデビュー40周年のコンサートに行った。
Char は、今年61歳なのだが、あることに気づいた。
それは、61歳が特別なことではなくなっているということ。
2008年に還暦を迎えた小田和正のコンサートに行き、
その変わらぬ歌声やパワフルさに驚いたものだ。
でも、Char の61歳が特別でなくなったのには、
理由がある。
この数年間、多くの高齢のアーティストを観るにつけ、
60代なんて若いと思うようになったのだ。
60代のアーティストは、もう特筆するほどでは
なくなってしまった。
私が若い頃から聴いているアーティストで、
現在も第一線にいる人達は、
ほとんど60歳以上になってしまった。
例えば、この数年で観た60代のアーティストは、
森山良子、上田正樹、石田長生、山岸潤史、
渡辺香津美、ゴンチチの2人、高中正義、沢田研二、
Janis Ian、Leon Russell、Larry Graham、
Larry Carlton、Lee Ritenour、Jackson Brown、
John Scofield、Mike Stern、Tom Scholtz、
Jack Bruce ・・・と 快挙にいとまがない。
石やんとジャック・ブルースは、死んでしもたけど。
世の中では、60歳定年だとか65歳定年だとか、
言ってるけど、音楽の世界には定年などないのだ。
70代のアーティストも多く観ている。
Eric Clapton、Paul McCartney、Jeff Beck、
Mick Jagger、Keith Richards、Charles Watts、
David T. Walker、Steve Gadd、Ron Carter
与世山澄子、鈴木勲、潮先郁男、舘野 泉・・・
ああ、Donald"Duck"Dunn と Johnny Winter は、
2人とも70歳だったけど、死んでしもた。
そして、驚くことに最近は、70代でさえ
まだ若いと感じることも多くなった。
それは、80代のアーティストを観ることも
珍しくなくなったからだ。
この数年で観た80代のアーティストは下記。
Toots Thielemans (har)(2005年/82歳)
Jim Hall (g)(2012年/82歳)
Omara Portuondo (vo)(2013年/83歳)
Burt Bacharach (vo,key) (2014年/85歳)
Lou Donaldson (sax)(2014年/87歳)
Ahmad Jamal (pf)(2014年/84歳)
中牟礼貞則 (gt) (2015年/81歳)
Helen Merrill (vo)(2015年/85歳)
渡辺貞夫 (sax)(2015年/82歳)
Sam Moore (vo)(2015年/80歳)
11年前に観た トゥーツ・シールマンス が、
80代のステージ、初体験だった。
最後かもしれないと思って観に行ったけど、
その後も来日していたような気がする。
トゥーツは、2014年3月に引退したようだけど。
80代になると、もう存在が特別やなぁ。
上記の80代の中で 他界したのは、
ジム・ホールだけ。
そして、先日観に行った、
Charles Aznavour(92歳)。
ついに90代に突入したのだ。
先日、 Charさんが、
「デビューした時は、61歳まで演ってるなんて、
全く想像できなかった」と言ってた。
そりゃそうだ。
当時、61歳のロック・ミュージシャンなんて
いてなかったわけだからね。
でも、61歳と92歳では親子ほど離れている。
つまり、一世代違うわけやから、
まだまだっちゅうことや。
これからは、本当に高齢化社会だけど、
音楽は歳をとっても、聴けるし演れる。
大事なのは、身体、健康。
あ、でも、健康だけじゃなく、
歳をとって大切なものは 4つあるそうな。
・健康(身体と心)
・経済(お金)
・人間関係(家族・友人)
・生きがい(仕事・趣味など)
(注)文中に書いた年齢は、ライヴを観た時の年齢です。
2016.7.14
貴重なご意見
先日、アマゾンで衣類の防虫剤「ムシューダ」を購入した。
普段は、近所のドラッグストアで購入するようなものだが、
夜中にクローゼットの中のものがずい分古く、
効果がないことに気づき、買うのを忘れそうなので、
その場でネットで注文したのだった。
クローゼットのポールに引っかけるタイプ2箱と、
タンスに入れるタイプも1箱、ついでに注文した。
(そうすれば送料無料になるので。)
最近のアマゾンの配送は、大変届くのが早い。
平日は、会社で受け取るようにしているのだが、
その時も深夜に注文したら、翌日の昼間に届いた。
これなら、お急ぎ便で受けとる有料会員に
なる必要がない。
ただし、受取り日時の指定はできないけど。
さて、届いた商品を開けて見ると、
クローゼット用は問題がなかったが、
タンス用が「32個入」とパッケージに書いてあるにも
関わらず、半分の16個しか入っていない。
(これは不良品だ)と思った私は、
その日の夜、ネットで交換の手続きをした。
驚いたのは、やはり深夜に交換の手続きをしたにも
関わらず、翌日、その交換品が届いたことだ。
で、開けてみると、なんとまた16個しか入っていない。
最初の反応(えっ~、うっそ~、またぁ~?)。
しかし、落ち着いて(そんなことがあるもんか)と
よくよく見てみると・・・
1個ずつ個装されていると思っていたら、
2個ずつ入っているやないか!
ゲッ!
失敗した。
パッケージを見てみると、
「内容量 32個(2個入×16包)とちゃんと記載してある。
そう、私の不注意で16個しか入っていないと
勘違いしたのだった。
まぬけである。
商品は、着払いで返送済みだ。
もちろん、アマゾンに罪はない。
せめて、送料は私が払うべきだ。
通信販売なので、そういうこともあるとはいえ、
手間だってかかっているわけだ。
申し訳ない。
どうしたものかと考え、アマゾンに謝罪のメールを送った。
「送料は支払います」と書いて。
24時を過ぎて、そのメールを送信したのだが、
朝起きてみると、4時に返信があった。
すごいスピードだ。
なんでも24時間体制で問い合わせに対応しているのだという。
担当者の回答は、「私が連絡したことへの礼」に続き、
以下の旨のことが書かれていた。
「商品詳細ページ内の情報が不足していたために
私に迷惑をかけた。」
「より分かりやすい商品詳細ページに改善するため
貴重なご意見として該当部署に連絡する。」
そして、返送料は不要、
「お心遣いだけ頂戴させていただければと存じます」とあった。
う~む。
素晴らしい対応だ。
私のまぬけな勘違いクレームにこの対応である。
そして、そのメールの末尾には、こうあった。
Amazon.co.jp は、お客様からのご意見により、
地球上で最もお客様を大切にする会社を目指しています。
2~3年前、アマゾンから注文していない商品
(CD3枚)が届いたことがあった。
それは、アマゾン自体からではなく、
マーケットプレイスでの販売によるもので、
海外の店舗からの発送だった。
返品するにもどうしてよいか分からず、
電話で問い合わせした。
問合せをした後も、
同じ商品が2度送られてくるという
スゴイ事態になった。(合計3回届いた。)
想像するに、本物の発注者が、
「まだ届いてないで」と発信するものだから、
発送元は、2度3度と発送したのではないかと思う。
どういうわけか、送り先が私の住所氏名に
なってしまっていたのだろう。
アマゾン側は、その間違いを先方に
簡単には連絡できなかったようで、
担当者と数回にわたるやり取りになったのだが、
その時の電話の対応も、けして悪いものでは
なかった覚えがある。
稀に、商品のレビュー欄に
アマゾンの対応の悪さが書かれていることを目にするが、
それは本当にレアなケースなのだろうと思う。
別にアマゾンの回し者ではないが、
今回の私への対応は、こちらの恥ずかしいミスを
「貴重なご意見」と扱う企業態度に、
私はなんとなく良いことをしたような
錯覚さえ覚えてしまったのだった。
大丈夫。
勘違いしないから。
ただのまぬけだと、心得ております。
広告ではありません。
2016.7.19
「知らない」ということは
「なかった」ということ
夜の10時過ぎ、池袋から JR 山手線に乗った。
そんなに混んではいなかった。
スーツを着たサラリーマン風の40歳ぐらいの
男性が、前かがみに座っていた。
変な姿勢だなと思って見ると、
足元に嘔吐物があった。
どうやら寝ているようだ。
飲み過ぎて嘔吐し、
そのまま寝てしまったのか、
それとも、寝ながら吐いたのかも。
嘔吐物の量は、それほど多くはないが、
ひと目でそれと分かるぐらいはあった。
その長イスには、彼しか座っておらず、
向かいのイスにも誰も座っていなかった。
私は、少し離れた所に腰掛けた。
駅に止まるたびに乗り込んでくる人達が
彼の周りの空いている席を目指してくるが、
ゲロ(とうとう書いちゃった)に
気付くとその周辺を避けて遠ざかってゆく。
原宿駅に近づいた頃、
一人のおじさん(60歳前後か)が、彼に近づいた。
ちゃんと見ていなかったけど、
声をかけて起こしたようにも見えた。
原宿駅に着くと、
そのゲロ男(そんな言い方せんでもええねんけど)は、
降りていった。
その男が降りたあと、
おじさんは、ティッシュを2~3枚取り出すと
そのブツの上に置き、足で拭き始めた。
近くにいた男性が、ティッシュを2~3枚追加で置く。
車内をクリーンにしようとする、
知らない者同士のコンビネーション。
なんか、良い。
ひと通り足で吹き終えると、
おじさんは、今まで誰も座らなかったそのイスの
端に腰掛けた。
床には、汚物にまみれたティッシュがそのままだ。
一応、気持ちだけ端っこに寄せた感じで。
さすがに、おじさんもそのティッシュを
片付けはしなかったのだ。
そんなもん片付けようないけど。
電車が渋谷に着くと、人が乗り込んできた。
さっきまで、誰も座らなかったイスに
何人もの人が腰掛けた。
ゲロ男が座っていたあたりにも
何も知らない乗客が座った。
もちろん、シートは汚れていないので、
何も問題はないし、臭いもしていなかったので、
誰も気がついていないようだ。
近くの床になんか汚そうな、ティッシュが
数枚あるだけで、それ以外はなんの異常もない。
おそらくだけど、
おじさんが拭く前からその車両にいた乗客は、
おじさんが拭いてくれたからといって、
そのイスに座る気にはならなかっただろう。
ブツをナマで見ているからね。
それに、テッシュで軽く拭いた程度では、
床はまだ汚れているわけだし。
でも、渋谷で乗ってきた人達は、
見てないから、知らないのだ。
そうすると、座るんだな。
知らんから当たり前やけど。
おじさんの行動にも感心したが、
こういうのも「知らぬが仏」っていうのかなぁと
思ったのでした。
2016.7.26
常識の崩壊
今まで自分が何の疑問なく、
そういうものだと思い込んでいたことが、
崩れていくことは、ショックであると同時に
新しい自分になったかのような気がして、
不思議な心地良さもある。
思い込みの外側に出て、初めて、
「自分が思い込んでいた」だけで、
「真実ではなかった」ことに気が付くのである。
その心地良さは、
「枠の外」に出られたことで発見する洞察への喜びと、
一種の解放感なのかもしれない。
私は、不動産の仕事をしているが、
度々、家賃の滞納者に連絡をする機会がある。
「家賃入ってません。払ってください。」
「いつ、振込みますか?」
「いくら、振り込めますか?」
連絡の内容は、大体そういう趣旨だ。
私はいつも、こう思って電話をしていた。
「払う約束をしたのだから、支払いが遅れるのなら、
払う側が連絡してくるもんだろ」と。
それは、常識であり、人の道であり、
信頼関係を維持するために必要なことだと。
そう「すべき」ことだと思い込んでいると
知らないぐらいに 思い込んでいた。
その「すべき」ことをしない、
相手への非難が心の中にあったのだ。
ところが、最近 考えが変わってきた。
色々言いたいことはあるが、
結論を書くと、
「どちらが連絡しても良い」
ということだ。
片方に「すべき」があるわけではないということだ。
不動産賃貸借に限らず、契約というものは、
お互いがその条件に同意して、契約を結ぶわけである。
言ってみれば、フィフティ・フィフティの関係なのだ。
契約書に「賃料の支払いが遅れる場合、
借主は事前にそのことを貸主に通知すること」
なんて条項はない。
そんなこと書くと、
延滞することが前提のようになってしまう。
つまり、少々乱暴な言い方になるけど
支払いが遅れるときに
借主が連絡しなければならない道理はないわけだ。
賃料が支払われなかったら、
「支払われてませんよ。
いつ支払いますか?」と
貸主から連絡すれば良いだけのことなのだ。
「借主が連絡をしなければならない道理はない」と
書いたけど、あるとしたら、誠意とか、
前もって「遅れる」と言っておく方が
貸主に対して親切だとか、そういうことは
あるだろう。
また、不履行をしているのは借主だから、
借主が連絡するのが礼儀だろうという考えもある。
連絡のあるなしで、貸主側の印象も違う。
でも、礼儀とか、筋とか、心理的なこととか
そういうことは一旦手放してみることにする。
私の考えが変わったのには、
もう一つの背景がある。
「行動を起こすのは、困った側」という論理だ。
賃料が支払われなかった場合、
実は、困るのは借主ではなく、貸主だ。
ならば、「支払え」と催促するのは、
貸主の仕事であるのは、当然のことだ。
(借主は、追い出されたら困るかもしれないけど、
その前段階の話ね。)
世の中で、行われている民事裁判は、
困っている側が、訴えを起こしているのが、
ほとんどだろう。
実際、過去に私の会社でも賃料を支払わない、
テナント(法人)を訴えたことがあるが、
先方は(お金には困っていただろうけど)
賃料を支払っていないこと自体には、
困っていなかったと思う。
そして、数ヶ月かかって追い出したけど、
結局、滞納賃料は回収できなかった。
つまり、借主からすれば、
数ヶ月、ただで借りたという結果なのだ。
困るどころか えらい得をして、
出て行ったとも言えるわけだ。
そんなこんなで、以前、私が常識のように
思っていた「賃料が遅れるなら借主が連絡すべき」
という考えは、崩壊してしまったのだ。
これは、何も不動産賃貸契約に限ったことではない。
金銭の消費賃貸借契約でも同じことだ。
多くの人がそうであると思うのだが、私も
「借りた方が分が悪い」という思い込みが
かなり深層心理にまで強くあった。
(今でも無意識についついその基礎の上に
考えてしまうほど。)
ところが、自己破産して債務を免除されると
「借りた」のではなく「もらった」ことに
なってしまう。
その時、困るのは、当然、貸した側だ。
つまり、「借りた方が分が悪い」と書いたが、
考えようによっては、「借りた方が強い」と
言えるわけだ。
これまた、乱暴に聞こえるかもしれないけど。
貸した金が返ってこなかった場合、
返せなかった(借りた)側に責任があるのは
当然だが、同じだけの責任が
貸した側にもあるのだ。
その(返せない)人に貸した責任がね。
借金は、借りた方の分が悪い。
借りたお金を返せないのは、
100%借りた側が悪いこと。
そんな思い込みが、「借金を苦に自殺」という
事態を招いてきたのではないだろうか。
思い込み、常識の崩壊は、
自由、リリースへの道なのだと思う。
その思い込みから完全に自由になるのは、
中々、難しそうなのだけど。
あ、責任を放棄すれば良いとか、
いいかげんになれば良いと
言っているのではないので、
誤解なきよう。
と、ここまで書いて、
私自身が人に借金をしていた時、
「今月は支払えません」とか「遅れます」と
ちゃんと連絡をしていたかというと、
全くそんなことはなかったことを思い出した。
それは、「借りた方の分が悪い」から
解放されていたわけではなく、
ただ相手に甘えていたのと、
ええかげんなだけだったと思う。
自分にそういうところがあるから、
そういう人に引っかかるんやろな。
・・・なんか、うまくまとめられなかった。
2016.9.11
911 から 15年
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件から
15年が過ぎた。
事件から、しばらくして在日米国人から、
「あれは陰謀だ」という話を聞いた。
にわかには信じられない話だが、
確かにビルの崩れ落ち方など、
不思議な点はあった。
WTCが崩壊する映像を見ながら、
(えっ?こんな風に崩れるの?)と
思ったことは覚えている。
とはいえ、素人。
「ジェット機の燃料が・・・」
などと言われると
そういうもんなのか、とも思った。
今でも、陰謀説はあるようだけど、
本当のところはどうなんでしょう。
いつか真相が暴かれるんでしょうか。
永遠に闇なんでしょうか。
WTCのテロの被害者数は、
ウィキペディアによると、2,749人とある。
日本人も含まれている。
テロにしろ、何者かの陰謀にしろ、
何の関係もない人々が
被害に遭ったことには違いない。
こういった悲劇が繰り返されないよう祈るとともに
被害に遭われた方々への哀悼の意を表します。
写真は、私のアメリカ一人旅(1985年)の
思い出です。
見上げたWTC
WTC展望台からの景色
2016.9.24
敬称略
父兄に配られた小学校運動会のプログラムに
「かけっこ」の出場者表が載っていた。
父兄としては、自分の子や孫が何番目に走るのか
前もって知りたいだろうから、
そのための表だと思われる。
そこには、レースのナンバーと、
児童の名前が書かれていあるのだが、
その表の上に「敬称略」とあった。
それ、要るかなぁ?
それとも「我が子を呼び捨てにした」と
クレームを付けるモンスター・ペアレンツが
いるのだろうか。
そう言えば。
「父兄」と書いたけど、その表記も問題があり、
最近は使われなくなったと、何かで読んだ。
確かに保護者は、「父」「兄」だけではなく、
「母」も「姉」もいるからね。
なので、最近では「父兄会」などとは言わず、
「保護者会」と呼ぶようだ。
両親がいなくて祖父母に育てられている
子供もいるので、「父母会」だと、
具合が悪いことがあるらしい。
「父兄」の中に、母親は含まれていなかったわけでは
ないと思うが、時代とともに表記が問題になって
きたんやろな。
「男尊女卑の名残」という人もいるようだが、
それはちょっと考えすぎちゃうのと思う私は、
ぬるいのでしょうか。
いずれにしろ「父兄」という言葉は、
ほぼ死語になりつつあるということか。
2016.10.5
ハワイ土産のアロハ・シャツ
このアロハは、私の両親が初めての海外旅行、
ハワイに行った時の土産だ。
驚くことに私はこのシャツを20年近く着ている。
通常、洗濯を繰り返すうちに、
シャツはくたびれ、色あせ、ヨレヨレに
なっていくのだが、このシャツは
本当に丈夫だった。
おそらく100回ほど洗濯しているだろう。
ようやく、襟のところが擦り切れ、
小さな穴があいた。
「KAHALA」というブランド。
調べてみると、1936年創業のハワイで
最も歴史のある老舗アロハ・ブランドだった。
日本でも入手可能だが、
軽くだけどチェックしたところ、店によって
3,900円から13,824円とずい分と幅がある。
どういうことやろな。
このシャツの良さは、丈夫なだけではなく、
洗濯後乾いた時にシワがないのだ。
アロハは、数枚持っているけど、
そういうシャツは少ない。
「KAHALA」ではないけど、近所で
安かったので買ったアロハ(1,500円)が、
やっぱりシワにならない。
それも、Made in Hawaii だ。
その2枚しかデータがないけど、
ハワイ製のシャツは、
そういうものなのだろうか。
それにしても、よく着たなぁ。
これだけ着れば値打ちあるよなぁ。
今年でおシャカにするけど
ご苦労さま、ありがとうです。
2016.12.28
世界一とは
先日、体操金メダリストの内村航平が、
テレビで言っていた。
今から40年以上前にオリンピックに
3大会出場し、金メダル8、銀メダル3、
銅メダル1を獲った加藤澤男さんに
19歳の時に言われ、衝撃を受けたという言葉を。
「結局、世界一になるやつは、
世界一練習してるんだよ」
自分が、世界一練習していると
胸を張って言える人だけが、
世界一の権利を得るのだ。
権利だけで、まだ世界一ではない。
なにしろ、世界中に世界一を目指している
連中がいるのだからね。
世界一、練習してる・・・か。