2023年10月
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2023.10.1
年寄りは黙っていられない
先日「年寄りは話したい」というエントリーを書いた。
今日のお題は、そのシリーズになりそうな
「年寄りは黙っていられない」だ。
先日、石川県立美術館に川瀬巴水の
版画を観に行ったときのこと。
展示室に入ってすぐ、私のあとに50代ぐらいの
女性と70〜80代老婆の二人組が入ってきた。
美術館というのは、基本的に私語は慎むものだと
思うのだが、この二人が全く周囲を気にしないような
風で話しているので、係員が静かにするようにと、
注意をした。
しかし、ほんの一瞬、声を潜めはしたものの
二人はまた話し出した。
明らかにうるさい。
気が散る。
巴水の版画を前に、私は全く集中できなく
なってしまった。
いくら集中しようと思っても、二人の声を聞いてしまう。
あかん、これはまずいパターンだ。
特に老婆は、まるで頭の中に浮かんだ言葉を
全て発しているかのように聞こえる。
キャプションを声を出して読み、
それに対するどうでも良い反応を声に出す。
明らかに鑑賞の邪魔だ。
早くいなくならないかなぁとしばらく我慢したけど
たまらなくなって、係員に近づき
「あの二人、注意してもらえませんか?」と言うと
「そうですよね、ひどいですね」と言った。
そう思っているなら、さっさと注意しろよと思ったけど、
それは言わなかったよ(おとな)。
係員は、二人に近づき小声で何かを言った。
係員が二人から離れたあと、老婆は女性に聞いた。
「何?話しちゃダメなの?」
「話してもいいけど、トーンを落としてくださいって」と
全くトーンを落とさず話す女性。
もしかしたら、老婆の耳が遠いのかも知れない。
それにしても「話してもいいけど、トーンを落としてください」
じゃないだろう。
「ほかのお客様の邪魔になりますので、
私語はご遠慮ください」とか
「やめてください」とか言わないとこの二人には
通じないよと思った。
その後も、相変わらず話し続けるので、
(たぶん、黙るということが出来ない)
その二人を先に行かせることにして、
私はしばらくその場に留まっていた。
すると、次に70歳くらいの男性と50代くらいの
女性の二人組がやってきた。
この男性もこれまた喋る喋る。
連れの女性に解説して聞かせるんだ。
おいおい、またかよ。
東京の美術館ではあんまりないぞ。
地方ではこんな風なのか?(偏見?)
私は、「うるさいよ」というサインのつもりで
わざと振り向いて話している彼らを数回見たのだけど、
そういう人たちって、おそらく全く無意識なんだろうね、
全く気が付かないようだった。
しまいには、その男性の携帯電話が鳴る始末。
そういう人、いるよねぇ〜的な。
係員は、また私に何か言われるかも知れないと
思ったのかも知れない。
しばらくすると、その二人組に注意をしていた。
このことで思うことは、二つある。
一つ目は、歳を取ると黙っていられなくなるんじゃないか。
そういえば、今年88歳になる私の母も、
ずっと喋っている。
例えば、テレビを観ていると、その内容に対する
反応を全て声に出しているかのように見える。
あれは、自覚の低下なのだろうか。
それとも、何でも喋って良いんだという
心の解放なんだろうか。(そんなわけないやろ)
私もそうなっていくんだろうか。
もう一つは、たかが その程度のノイズで、
集中して鑑賞が出来ない、私のマインドの弱さだ。
こういうのって訓練で高めることが出来るんだろうか。
そんなこと、訓練する気も暇もないけど。
ふたつ目の展示室に移ったら、まだあの老婆と女性の
二人組が、話しながらそこにいて、げんなりした。
そうこうしていると、私の電話が鳴った。
安心してください、もちろんマナーモードにしてあります。
仕事の電話だった。
超小声で話しながら、展示室を出て、
ソファの置いてある廊下で、1、2分話して
電話を切った。
すると、私が老婆たちに注意をしてくれと
頼んだ係員が近づて来ていて
「すいません、通話は禁止なんです」と
注意されてしまった。
そこには「通話禁止」の立札があったけど、
全く目に入っていなかった上に、
ああいうスペースでは、声が響くから、
たぶん、声がでかかったんだね。
人のこと言えんわな。
ひぇ〜。
202310.1
「個の発展」シンポジウム vol.8
ART de シンポジウム
〜表現すること 生きること〜
滋賀県にある社会福祉施設「やまなみ工房」の
施設長である山下完和(まさと)さんと、
妻がトークするというシンポジウムに行ってきた。
「やまなみ工房」のことは、
全く知らなかったのだけど、
障害者の人が作る作品が海外でも
評価されているアートセンター&社会福祉施設だ。
元々は、一般的な作業所と同じように
障害者の人たちが下請けの作業をする
施設だったようだが、ある時、落ちていた紙を
拾って落書きを始めた利用者(施設に来ている
障害者)が、あまりにも生き生きと絵を
描いているのを見て、一方的に作業を
押し付けてやることは、彼らの望んでいることでは
ないのではないかと思ったことがきっかけで、
それぞれの人が、本当にやりたいことは
何かという模索が始まったのだという。
それは人によって、絵だったり、粘土細工だったり、
刺しゅうだったり様々だが、それらがやがて
「アート」と呼ばれるようになり、今では中には
数百万円で取引されている作品まであるという。
驚いたのは、元々そういう素養があったかどうかは、
分からないので、本人がしっくりくる表現方法が
見つかるまで、色んなものを提供してみるらしいのだが、
それに3年とか長いと10年かかる人もいるのだという。
そのことを山下さんは「待つこと」が必要だと言った。
周りから「あーしろ、こーしろ」ではなく、
もちろん提案はするんだろうけど、
本人が自発的にやり始めないと本来の目的には沿わない。
本来の目的というのは、
「その人が穏やかで楽しく過ごすこと」だ。
それまで、「自立支援」という名目で、
少しでも効率よく作業を出来るように
「がんばらす」ことをしていたらしいが、
それって、結局、その人たちのためではなく、
周りの大人たちの都合なんだな。
35年間、粘土細工で人形を
作り続けている人がいる。
作った人形の数は、10万体を超えるという。
しかも、35年前の作品と今年作った物は、
見分けがつかないほど同じらしい。
35年前は、一障害者が作ったなんでもない人形が、
今ではアートと呼ばれるようになった。
35年間続けたから、10万体作ったから、
アートになったのか、
35年前は、アートではなかったのか?
そうすると、そもそもアートって何だ?
という疑問が出てくる。
世の中では、アートと呼ばれた瞬間から、
値が付き、時には高額で取引される。
いや、逆かも知れない。
値が付いた時から、その作品はアートになるのかも知れない。
彼らは、自分の作品が世界に認められることも、
高値で売られることも望んでいないらしい。
ただ、作りたいモノを作る。
そこにあるのは、純粋な欲求だけなのかも知れない。
そして、仲間や施設のスタッフに見てもらうことで
満足する。
しかし、世の中は甘くない。
生きていくためにはお金が必要だ。
そのためには、それらの作品が、
社会と繋がる必要がある。
山下さんは、彼らの作品を世の中に
紹介することに関して、とても積極的だった。
そのことに関して彼はこう言った。
「待っていても来ない」
今でこそ、「やまなみ工房」は認められて
来ているようだが、以前は「近づくとうつる」などと
心ない言葉を言い、福祉施設には近づくべきではないと
思っていた人たちがいたようだ。
これっては全て無知から来るんだろうけど。
数年前、展覧会を催したら 900人の来場者があったが、
小中学生はほんの数十人だったらしい。
で、翌年、山下さんは市内の全ての小中学校で
展覧会を開催した。
「待っていても来ない」からだ。
前述した「待つこと」と
「待っていても来ない(から自ら出て行く)」という
パラドクスが、印象的だった。
作品は、まるでプロのアーティストの作品のようだ。
そして、「えっ?障害者が作ったの?」という
自分の反応を否めない。
なぜだろう?
なぜ「障害者が作った」と言わなければならないのだろう。
障害者って何のことだろう。
山下さんはこう言った。
「胃潰瘍の人が作った作品、とか言わないですよね」
ここで作品を観られます。
ARTWORKS
山弦 2023 ツアー
「アナオリベスト・発売記念ツアーですって!」
2020年の小倉さんの還暦記念ライヴでの
再演がきっかけで復活した 山弦
(小倉博和と佐橋佳幸のギター・デュオ)。
昨年は、7月と10月にそのライヴを観たが、
約1年ぶりにライヴに行ってきた。
佐橋さんは、山下達郎バンドを卒業したので、
達郎のライヴでは観られなかったしね。
昨年のライヴのエントリーを読むと、
2回とも「小倉さんのギターの音の方が、
生っぽい」と感想を書いているのだけど、
今日は、ふたりとも良い音だったな。
小倉さんの方が、やや甘いというか丸い音、
佐橋さんは、シャープなキレの良い音という感じ。
曲は、全曲オリジナル曲。
『SONG FOR JAMES』、『春』、『Life』、
『島そだち / Island Made』、『Coast To Coast』、
『祇園の恋 (GION)』など。
あいかわらず、話し出すと暴走する小倉さんの
MCが面白い。
タイトルの「アナオリベスト」というのは、
最近発売された、アナログ(LP)の
オリジナル曲のベスト盤のこと。
聴いてみたいなぁ、アナログで。
でも、プレイヤーがないねん。
買っても良いけど置くとこがないねん。
悩ましいのぅ。
[ MEMBERS ]
山弦:
小倉博和 (gt)
佐橋佳幸 (gt)
(音響) 飯尾芳史
@ Billboard LIVE TOKYO
2nd show
[ 参考リンク ]
<公演開催記念インタビュー>山弦
2023.10.2
100km ウォーク 完歩への道 その15
マインドのからくり
100キロ・ウォーク本番まで3週間を切った。
8月29日から練習を開始し、この5週間で
16回、合計 200キロ以上歩いた。
時間にして約45時間。
こういう数字が自分をとても力づけてくれるんだ。
今日は、20キロ歩いたのだが、今までで
一番調子が良かった。
30分の食休憩を含んで、4時間半。
身体のどこも痛くならず、歩き終えても
大した疲れを感じなかった。
ほとんど汗をかかなかったほど、温度と湿度が、
ウォーキングに最適だったこともあるだろうが、
5週間の練習の成果もあるんじゃないかと思う。
タイトルに「マインドのからくり」と書いたけど、
ウォーキングしていて、気が付いたことがある。
例えば「今日は10キロ歩こう」と思って歩いた
10キロと「今日は15キロ歩こう」と思って
歩いた10キロでは、疲れ方が違うんだ。
目標が10キロの日は、10キロ歩いたことで
マインドが満足というか達成してしまうんだろう。
でも、目標が15キロの日の10キロは、
まだ途中・通過点なので、全然終わっていないんだ。
だから当然、15キロの日は、10キロ時点で
マインドも満足するわけにもいかない。
これって「マインドの設定」じゃないか。
「10キロ歩く」というマインドの設定と
「15キロ歩く」というマインドの設定で、
同じ10キロを歩いても疲れ方が違うんじゃないか。
おそらく、心理学的にはこんなこと、
とっくに証明されていて「今さら何を」と
いう感じなのかも知れないけど、
自分の体験を通して気付くと、
書物で知るより、理解の深みが違う。
それで、思いついた。
「あ、そうか、ということは、
100キロ歩く本番当日、120キロ歩くつもりで
スタートすれば、良いんだ!」
しかし、すぐにこれはダメだと気が付いた。
そんなこと言ったって、マインド君は
「歩くのは100キロだ」と知っているから
だまされないよ。
2023.10.6
ボストン・ポップス
on the Tour 2023
ジョン・ウィリアムズ・トリビュート 日本公演
アメリカの名門オーケストラ、ボストン・ポップスの
コンサートに行ってきた。
総勢70名以上のフルオーケストラで、
20年ぶりの来日だという。
東京、大阪合わせて7公演。
今日は、その初日だった。
プログラムが「ジョン・ウィリアムズ・トリビュート」と
「スター・ウォーズ:ザ・ストーリー・イン・
ミュージック」と10月10日だけのプログラムと
3種類あり、日によって違うのだが、今日のプログラムは
「ジョン・ウィリアムズ・トリビュート」。
実は、9月にジョン・ウィリアムズ ご本人の
来日公演があったのだが、それを知る前に
8月6日の(ジョンは出演しない)
「ジョン・ウィリアムズ・フルオーケストラコンサート」
というタイトルのチケットを買っていた。
その後、9月の来日公演を知ったわけだが、
チケットがちょっと高くて、どうしようかと
迷っているうちに、売り切れてしまったんだ。
それで、この「ジョン・ウィリアムズ・トリビュート」の
チケットを買ったという経緯。
コンサートは、予想以上に素晴らしかった。
曲と曲の間に、ジョンが解説する映像が
スクリーンに映し出される。
ジョンの音楽への情熱と愛情が、
ビンビン伝わってくる。
そして、より音楽への理解が深まるんだ。
指揮者のスコアと並んでモニターが置いてあり、
映像が流れる曲では、曲始まりのキューや
テンポが表示されていた。
つまり、映像に合わせて演奏するという
正に映画音楽なライブ演奏だったわけだ。
その中でも『未知との遭遇』は、特に素晴らしかった。
映画を観たのはもう45年近く前で
あんまり覚えていないのだけど、
あの映像とオーケストラの生演奏だけで
ひとつの作品として完成しているかのようだったよ。
それと、『オリンピック・ファンファーレとマーチ』。
これまた感動的な映像と音楽で、素晴らしかった。
モニターにテンポまで表示されるのは、
音楽と映像をシンクロさせる必要があるからなんだ。
終わりの「ジャン!」っていう音との
映像の中の役者のしぐさが、
ピタッと合っている「生演奏」は、
初めて聴いたんじゃないかと思う。
そして、『スーパーマン・マーチ』、『未知との遭遇』、
『レイダース・マーチ(インディ・ジョーンズ)』、
『スター・ウォーズ・メイン・タイトル』などの
楽曲のパワーを改めて痛感した。
高校生の時、6つの高校の吹奏楽部が
集まって行う「六校祭」という合同演奏会があった。
その時、演奏したのが『スター・ウォーズ』だった。
でも、本番当日、どういうわけか途中で演奏が
止まってしまうというアクシデントがあり、
指揮をしていた他校の生徒が、気の毒だった覚えがある。
私は、トランペットだったけど、
出だしのファンファーレからして
トランペットの見せ場だったので、
『スター・ウォーズ』は思い出深いんだ。
アンコールは、やはり『スター・ウォーズ』から、
『カンティーナ・バンド』。
上原ひろみもカバーしてたあの曲。
オーケストラ・バージョンはまた違うね。
オーケストラのメンバーは、見たところ
若い人は少なくて、ある程度の年齢の人が
多いように見えた。
つまり、ベテランということかな。
指揮者のキース・ロックハートは、
1995年に第20代のボストン・ポップス・
オーケストラの指揮者に指名された。
その前任者は、(1980年から1993年まで)
ジョン・ウィリアムズだったんだ。
ゲストにヴァイオリンの服部百音。
彼女の音だけスピーカーから出てくることが、
やや違和感があって、慣れるまで少し時間がかかった。
「彼女の音だけ」と書いたけど、
実際は他の楽器の音も出てるんだけど、
ソロの時のヴァイオリンが、スピーカーから
出てくると、それだけ浮いたような感じに
聞こえてしまうんよね。
演奏は、素晴らしかったけどね。
8月の「ジョン・ウィリアムズ・フルオーケストラ
コンサート」、9月のご本人の来日公演、
10月のボストンポップスと、ジョン・ウィリアムズ、
そして、 今日配られていたチラシの中に、
1月6日の「ジョン・ウィリアムズ ウインド・
オーケストラ・コンサート」のものがあった。
ジョン・ウィリアムズ関連のコンサートが
こんなに多いのは、それだけ彼の音楽に
人気があるからなんだろう。
今日もほぼ満席だったよ。
国際フォーラムホールA ってキャパ5千人で、
3日間ですぜ。
[ 出 演 ]
指揮 キース・ロックハート
演奏 ボストン・ポップス・エスプラネード・オーケストラ
ヴァイオリン 服部百音
@ 東京国際フォーラム ホールA
【ジョン・ウィリアムズ・トリビュート】 プログラム
1. スーパーマン・マーチ
ビデオ [ジョーズについて]
2. 『ジョーズ』のテーマ
(ビデオ) [アーウィン・アレン/ タワーリング・インフェルノについて]
3. 『タワーリング・インフェルノ』メイン・タイトル
(ビデオ) [未知との遭遇について]
4. 『未知との遭遇』より”未知との遭遇”
5. 『遥かなる大地へ』より”Suite”(ヴァイオリン/服部百音)
(ビデオ) [SAYURIについて]
6. 『SAYURI』より”会長さんのワルツ”(ヴァイオリン/服部百音)
(ビデオ) [作曲過程について]
7. 『ハリー・ポッターと賢者の石』より”ハリーの不思議な世界”
--- 休憩 20分---
(ビデオ) [オリンピックについて]
8. オリンピックファンファーレとテーマ
(ビデオ) [シンドラーのリストについて
9. 『シンドラーのリスト』のテーマ(ヴァイオリン/服部百音)
10. 「Les enfants de la Terre 〜地球のこどもたち〜」
作曲/服部隆之(ヴァイオリン/服部百音)
11. 『インディ・ジョーンズ』 より”レイダース・マーチ”
(ビデオ) [オーケストラへの感謝について]
12. 『イーストウィックの魔女たち』から「悪魔のダンス」
13. 『スター・ウォーズ エピソー55/帝国の逆襲』より”ダース・ベイダーのマーチ”
(ビデオ) [ヨーダについて]
14. 『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』より”ヨーダのテーマ”
(ビデオ) [スター・ウォーズ エピソード9について]
15. 『スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒』より”レイのテーマ”
(ビデオ) [最大の喜びについて]
16. 『スター・ウォーズ』 メイン・タイトル
EC. 『スター・ウォーズ』より"カンティーナ・バンド"
2023.10.8
小曽根真&アヴィシャイ・コーエン
The Amity Duet
チック・コリアを通して出会った、小曽根さんと
アヴィシャイ・コーエンは、その出会いから
20年を経てようやく共演が実現した。
今年から来年にかけて、
このデュオでワールド・ツアーを周る。
このデュオのワールド・プレミアが
今年2月にブルーノートであったのだけど、
それを私は配信で観た。
その時に「ワールドツアーに出る」という
アナウンスが小曽根さん自身からされたのだが、
私は「東京公演もあるだろうから、
これは絶対観にいかなあかん」と書いた。
昨日は、そのツアーの3日目だという公演を
埼玉県川口市にある川口総合文化センター
リリアに観に行ってきた。
メインホールではなく、パイプオルガンの設置された
600席ほどの音楽ホール。
ソールドアウトの公演だ。
右端の方だったけど、F列(前から6列目)で
演奏中の小曽根さんの顔も良く見える
良い席だった。
1曲目スタンダード・ナンバー
『On Green Dolphin St』に始まり、
途中休憩を挟んで、アンコール、
アビシャイのヴォーカルをフューチャーした
『I Didn't Know What Time It Was』まで
130分ぐらいかな。
最後は、スタンディング・オベイションの
素晴らしい演奏だった。
2部の1曲目で演奏した、小曽根さんの
新しい曲のピアノ・ソロ『Origin of Star』
(と言ったと思う)も良かった。
タイトルの通り、星野源さんに捧げた曲。
小曽根さんは(いつもだけど)その演奏を
とても楽しんでいるのが伝わってくる。
アビシャイとの演奏は「とてもインスパイアされる」と
ご本人も言っていたけど、あのレベルになると
もう、どこへでも行けるんだろうなと感じた。
アビシャイはベースの音も良かった。
PAのこともあるだろうけど、とてもクリアで
聴きやすい。
そして、1曲しか唄わなかったけど、
ヴォーカルも良い。
ぜひ、ライヴCD、DVDの発売を!
[ MEMBERS ]
Makoto Ozone (Pf)
Avishai Cohen (B, Vo)
@ 川口総合文化センター リリア 音楽ホール
(埼玉県川口市)
開演前
アヴィシャイのベース
[ 関連エントリー ]
2019.3.2 AVISHAI COHEN TRIO
2019.8.31 TOKYO JAZZ 2019
2023.2.26 AVISHAI COHEN TRIO "Shifting Sands"
2023.10.8
白鍵と黒鍵の間に
6年ほど前、南博という
ジャズ・ピアニストのことを知り、
彼の著書『白鍵と黒鍵の間に』を読んだ。
続けて彼の著書 『鍵盤上のU.S.A.』、
『マイ・フーリッシュ・ハート』を読み、
彼のライヴにも行ったので、結構ハマったんだ。
でも、その聴きに行ったライヴがややアヴァンギャルドな
印象で、氏のアルバム『Like Someone In Love』の
ような抒情的で美しいサウンドを期待していた私には、
ちょっと期待外れだった覚えがある。
これは仕方ないけどね。
で、あれから6年経って、
その『白鍵と黒鍵の間に』が映画化され、
公開された。
解説には、「南博の回想録『白鍵と黒鍵の間』を
大胆にアレンジして映画化」とあったので、
これは原作とは別物と考えた方が
良いかも知れないと思いながら観に行ってきた。
原作のことは、ほとんど覚えていないのだけど、
当時のエントリーを読み直すと、
蘇ってくる部分もあるんだ。
ピアニスト南博を演じるのは、池松壮亮。
池松が、博と南の二役を演じる。
博と南は、同一人物なのだけど、音大の教授(?)に
「ジャズをやりたければキャバレーにでも行け」と
言われ、真に受けて銀座のキャバレーに
飛び込むのが博。
3年間 銀座でピアノを弾いて、
キャバレーではなく、クラブでピアノを
弾くようになったのが南。
いずれにしろ、誤解を恐れず言うならば、
ミュージシャンとしては、底辺の仕事で、
演奏はアーティスとしてではなく
お客を喜ばせる BGM のため なんだな。
後半、どんどん展開がシュールになっていくので、
原作がどうだったかもう一度読んで
みないと、と思った。
音楽は、エンディングテーマを南博が
口笛とピアノで演奏してるが、劇中の音楽は、
魚返明未(おがえり あみ)が担当。
これが、中々良い。
魚返は井上銘とのデュオのCDを聴いたことがあるが、
それ以外は、知らなかった。
池松壮亮は、ピアノをある程度弾けるんじゃないだろうか。
その他の出演者も楽器演奏のシーンに
変な違和感がなかったのは良かった。
編集が良いのかも知れないけど。
シンガー役のクリスタル・ケイはもちろん
本物のシンガーだが、サックスの松丸契も
本物のプレイヤーだ。
そのほかの出演は、森田剛、仲里依紗、
高橋和也、佐野史郎、など。
★★★▲☆
[ 関連エントリー ]
2017.8.15 白鍵と黒鍵の間に
2017.8.24 鍵盤上のU.S.A.
2017.11.14 マイ・フーリッシュ・ハート
監督:冨永昌敬
製作国:日本
上映時間:94分
2023年製作
2023.10.92023.10.10
生誕120年 棟方志功展
メイキング・オブ・ムナカタ
今日は東京国立近代美術館で
開催中の棟方志功展に行ってきた。
棟方は、国際的な版画家だが、
彼は「版画」を「板画」と書いて
「はんが」と読ませたらしい。
同じ版画でも、先日観に行った川瀬巴水とは、
全く違う世界、全く違う芸風、全く違う表現で
比較の対象にさえならない。
今回は、生誕120年の大回顧展ということで、
本の表紙、挿絵、絵葉書サイズの作品から、
大きな壁画のようなものまで、
結構な数の展示だった。
その膨大な数の作品の中にいて、
作品の迫力もさることながら、
棟方の枯れることのない表現への
強烈な熱情に心を打たれた。
私が特に惹かれたのは、釈迦の弟子や
菩薩、観音を描いた作品。
力強い単純な線だけなのに
優しさや厳しさが現れていて、
仏像を眺めているかのような気持ちになる。
いや、その本質を抽出しているので、
仏像以上にストレートかも知れないなどと思う。
ゴッホの「ひまわり」を見て洋画家を志し、
「ゴッホになりたい」と言った棟方。
ゴッホの影響はもちろん感じられたが、
影響を与えた側として、
手塚治虫は棟方の影響を受けたのでは
ないかなどと思う作品もあった。
また、棟方と土門拳は交流があり、
土門が撮った棟方の作業中の写真も
展示されていて、なぜか嬉しくなってしまった。
作品から受ける印象の通り、
見るからに朴訥とした風情の棟方。
1975年、72歳で没。
ところで、最近の美術館は、混んでいる。
これはひとつには SNS での広告が
成功しているんだろうと思う。
例えば、アートに関係ある投稿を見たり、
「いいね」を押したりすると、自動的に
アートに関する投稿が出てくるようになる。
それは有用な情報でもあるし、
アートの世界が盛り上がっているのは
良いことだと思うのだが、
美術館が混んでいるのは、
ゆっくり鑑賞したい者としては、
ちょっと複雑だな。
問うとはどういうことか
梶谷真司 著
「問う」ことは「考えること」。
問わないということは、言われたことを
そのまま吟味せずに受け入れることになる。
あるいは、疑問があっても問わないで
その場をやり過ごしていると、
つまりは考えなくなる。
人間にとって、もっとも危険なのは、
思考停止だが、残念ながら「問うこと」
「質問すること」は、世の中一般では
歓迎されないことが多いので、
私たちは問うことを躊躇する。
その背景には、「質問することは
抵抗的に感じられる」ということがある。
例えば、宿題を出された生徒が先生に
「なぜ、宿題をやらなければならないのですか?」
と質問したとしよう。
この質問に全ての生徒が納得のいくような
答えをできる先生は、そうそういないだろう。
何かを言い返せばそれは
「口答え」というレッテルを貼られてしまうかも知れない。
つまり、抵抗的で、そして何よりも「めんどくさい」。
結果、「つべこべ言わず黙ってやれ!」となりかねない。
質問をするタイミングや言葉遣いにもよるだろうが、
何しろ質問は歓迎されない場面が多い。
そして、人生には、答え(正解)のない問いが多い。
「だから、考えても仕方がない」という人もいるが、
「だから、考え続けることが大事」という考えもある。
この本の「はじめに」で2021年に元首相で
オリンピック委員会会長だったM氏の、
問題になった発言に言及している。
著者は、誰も問うべきことを問いもせず、
これを「女性差別」だとか分かりやすい
批判にしてしまっているという。
著者によると、その問うべき問いを進めていくと、
女性差別ではない、M氏が抱える本質的な
問題が浮かび上がってくるという。
つまりは「つべこべ言わず、オレの言うことを聞け」
という「反民主主義的」な考えだ。
もちろん、M氏がそんなこと意識しているわけでは
ないだろうが、無意識だからこそ、
問題だということも言える。
私は、妻の会社が提供している連続の講座に
参加しているが、他の参加者に比べて
質問が多い。
それは、疑問を解消するためであり、
より深く理解するためであるのだが、
一緒に参加している友人には
「めんどくさい」と映るらしく、よく
「質問ばかりしていて、めんどくさい」と言われる。
私にすれば質問が出てこない方が不思議なのだが。
しかし、特に哲学者が書いた本を読んでいると、
そんなこと考えたこともなかった」というようなことに出会う。
まだまだ、当たり前だとか常識だとか
思い込んでいて、疑問を持たないことも多い。
なぜか。
結局、講座に参加中に出てくる疑問は、
積極的にたてた(考えた)問いではなく、
放っておいても出てくる、反応に過ぎないんだ。
そんなこと考えもしなかった、というようなことに
疑問を持つことが大事なんだな。
★★★▲☆
2023.10.11
小曽根真&アヴィシャイ・コーエン
The Amity Duet
先日、埼玉の川口総合文化センター音楽ホールで
観た、小曽根真&アヴィシャイ・コーエンの
デュオを再び観てきた。
今夜は、東京四谷の紀尾井ホール。
川口総合文化センター音楽ホール同様、
クラシックがよく演奏されるホールだ。
アヴィシャイ・コーエンはイスラエル出身なのだが、
自国が大変なことになっていることに
心を痛めていることだろう。
今日は、小曽根さんもそのことに少しだけど
言及したよ。
音楽は、平和の象徴だ。
武器ではなく、楽器を持とう。
さて、本日のライヴ、セットリストは
先日(10月7日)と全く同じ。
同じ曲だとは言え、当然、演奏は違う。
やるたびに新しいケミストリーが生まれるんだろう。
できれば、違う曲も聴きたかったけど、
同じ曲を演っていても、本人たちは
新しく演奏しているので、楽しいんだろうな。
今日も小曽根さんは、幸せそうだった。
10月7日の川口総合文化センターも
今日も前から6列目という良い席で
聴くことが出来た。
今日、バルコニー席だった友人は、
かなり聴き辛かったようで残念だった。
クラシック用に設計されたホールでの
PAを入れたコンサートは、席によって
かなり聴こえ方が違う。
同じ料金なのに難しいところだ。
ちなみに川口総合文化センターでの
チケットは、7,000円だったけど、
今日は、12,000円。
同じ内容なのに 5,000円も違うねん。
もう一つ、ちなみに、10月7日のライヴでは、
終演後ロビーに貼り出されたセットリストに
2部のスタンダードが、
『Polka Dots and Moonbeams』と
書かれていたのだけど、実際にプレイされたのは
『Everything Happens to Me』だった。
あれは、直前に本人たちが変更したのかな。
また、小曽根さんのソロ曲もタイトルが
書かれていなかった。
今日は、ちゃんと書いてあったよ。
[ SETLIST ]
1. On Green Dolphin Street
2. Gesture#2 (Avishai)
3. Snap Shot (Makoto)
4. Remembering (Avishai)
5. O'berek (Makoto)
--- 休憩 ---
6. Origin of The Stars (Piano Solo)(Makoto)
7. Lazy Uncle (Makoto)
8. Everything Happens to Me
9. Martrix (Chick Corea)
10. The Ever Evolving Etude (Avishai)
Ec. I Didn't Know What Time It Was
[ MEMBERS ]
Makoto Ozone (Pf)
Avishai Cohen (B, Vo)
@ 紀尾井ホール
The Amity Duet 小曽根真&アヴィシャイ・コーエン
--- 日本ツアー・スケジュール (全8公演) ---
2023年10月5日(木) 名古屋・メニコンシアターAoi
2023年10月6日(金) 松本市音楽文化ホール ザ・ハーモニーホール
2023年10月7日(土) 川口リリア・音楽ホール
2023年10月9日(月・祝) あわぎんホール(徳島県郷土文化会館) 1階ホール
2023年10月10日(火) 武蔵野市民文化会館 小ホール
2023年10月11日(水) 紀尾井ホール
2023年10月13日(金) 住友生命いずみホール(大阪)
2023年10月14日(土) 北九州市立響ホール
100km ウォーク 完歩への道 その16
250km 達成
いよいよ100キロ・ウォークの本番まで
あと10日となった。
8月の終わりから、練習を始めた。
本番までに 250キロ歩こうと目標を立てたのだが、
今日、10キロ歩いたので、250キロを達成した。
残り10日あるので あと50キロは歩いて、
合計 300キロ歩いて本番に臨みたい。
100キロ完歩のために、妥協はせず、
思いついたことは、全部やることにした。
まず、昨日から、断酒した。
本番まで11日間アルコールを摂取しない。
これは、腸の調子を整えるため。
もう行かなくて良いかな、と思っていた
整体にも行くことにした。
今日、行ってきたのだが、やはり身体を
ほぐしてもらうと違いが分かる。
今日の10キロは、かなり調子よく歩けたよ。
本番前日にも最終調整に行く予定だ。
あとは、残りの10日間、あまりがんばり過ぎず、
落ち着いて、故障のないよう練習を重ね、
当日を迎えよう。
気になるのは天気だけだね。
晴れてくれ〜!
2023.10.13
渡辺貞夫オーケストラ公演
公演中止
明日は、宇都宮市文化会館(埼玉県)へ、
「渡辺貞夫オーケストラ」の公演を
観に行く予定だった。
来週、ブルーノート東京でも2日間の
公演があるのだが、両日とも予定が
埋まっていたため、宇都宮まで行くことにしたんだ。
しかし、今日のお昼過ぎに
「公演中止」のメールが届いた。
「渡辺貞夫氏の体調不良のため」とある。
調べてみると、今日の高崎芸術劇場
(群馬県)の公演も中止になっている。
うーむ。
どんな具合なんだろう。
なにしろ、90歳だからな。
来週のブルーノートについては、
まだ中止の発表はされていないけど、
ちょっと心配なのでした。
2023.10.14
100km ウォーク 完歩への道 その17
3分の1歩いてみた
今日は、渡辺貞夫オーケストラの公演を
観に行く予定だったけど、昨日、
中止の発表があった。
ご本人の体調不良だ。
昨日、見たときには、来週のブルーノート
公演は、まだ中止になっていなかったけど、
今日、見てみると中止になっていた。
大丈夫だろうか、心配だ。
今日予定されていた公演は、
会場が宇都宮市文化会館だったので、
帰り道、埼玉の南与野駅で降りて、
歩いて帰ろうかとも思ってたんだ。
本番前に30キロを歩くなら、今日が、
最後の日だと思っていたので。
南与野駅からだと、自宅まで
30キロぐらいだから
ちょうど良いかなと思ったのだけど、
そうすると家に着くのが、
夜中の3時か4時になる。
時間のことは別にいいんだけど、
その頃には雨の予報が出ていたので、
どうしたもんかと、考えていたら、
貞夫さんの公演が中止になったんだ。
それで、早い時間(と言っても
午後3時半ごろだけど)に出発して、
二子玉川駅、溝の口駅、武蔵小杉駅、
大森駅などを経由して、33.4キロを歩いた。
6月の準備期間に 30キロは2回歩いたけど、
33.4キロは今までの最長距離。
100キロの3分の1だ。
途中、新丸子駅付近で食事休憩35分を
とって、トータルで7時間52分。
中々良いウォーキングだった。
20キロを超えたあたりからは、
脳内で何かが分泌されていたのだろうか、
いくらでも歩けるような気がしたよ。
天気予報よりも早く、
途中で雨が降り出すこと3回。
でも、本降りにならずに済んだ。
足も腰も特に問題なし。
これなら、100キロも歩けそうな気がする。
まあ、そんなに甘くはないやろけど。
歩きながら考えた。
100キロってことは、
=10万メートル
=1千万センチメートル
=1億ミリメートルですぜ。
本番まで あと6日。
2023.10.16
谷村新司 逝去
10月8日に谷村新司が永眠したと発表された。
腸炎で療養中だったらしい。
享年 74歳。
ちょっと若いな。
6月からのアリスのツアーを延期していたらしい。
やりたかっただろうなぁ。
中学生か高校生だったころ、
チンペイ(谷村新司)のラジオ
(MBS ヤングタウンだったと思う)は
時々聞いた覚えがある。
チンペイのちょっとエロい話が、中高生には
刺激的で面白かったような記憶がある。
谷村新司といえば、私には
『昴』や『サライ』ではなく、アリス、
それもブレイク前のアリスが印象深い。
唯一買ったアリスの LP は、
高校生の時に買った『ALICE VI』だった。
『冬の稲妻』の収録されていたな。
あの曲でなんだか路線変更をしたような
感じで、そのあと、『ジョニーの子守唄』とか
『チャンピオン』とかヒット曲を出したんだ。
でも私は、そういうヒット曲よりも、
そんなに売れなかった『さらば青春の時』とか
『帰らざる日々』とかの方が好きだったな。
あと『遠くで汽笛を聞きながら』もね。
あのイントロと間奏、エンディングの
ギター・ソロはコピーしたよ。
オリジナルで弾いていたのは、矢島賢だったんだな。
それから『今はもう誰も』。
あの時代、この曲で、「Csus4」という
ギターのコードを覚えた人も多いはずだ。
なんだか、どんどんと昭和が遠い時代に
なっていくね。
でも、音楽は唄われ続け、聴かれ続けるから
素晴らしいなと改めて思う。
毎年思うことなのかも知れないけど、
今年は訃報が多いと感じる。
今年、私がここに書いただけでもこんなにいるよ。
(カッコ内は享年)
ジェフ・ベック (78)
高橋幸宏 (70)
バート・バカラック (94)
ボビー・コールドウェル (71)
坂本龍一 (71)
アーマッド・ジャマル (92)
ティナ・ターナー (83)
ロビー・ロバートソン (80)
谷村新司 (74)
合掌。
2023.10.17
100km ウォーク 完歩への道 その18
季節を感じ愉しむ
100キロウォーク本番までいよいよあと4日。
今日は、15キロ歩いたよ。
だいぶん、涼しくなってきて、汗もかかないので、
歩くのには良い気候だ。
今回、歩き出したのは、8月の終わりだった。
以前、坂本龍一が「音楽なんて空気の振動
ですから、それは自然界にもあるものです」と
いうようなことを言っていたのを思い出して、
歩いている時に耳を澄ますと、
いくつかの虫の鳴き声に、時々、
風の音、風で草木が揺れる音が加わる。
遠くに走り去る車のエンジン音が聞こえる。
歩きながら、そんな風に聞こえてくる音を
楽団員に見立てて、指揮をしながら
歩いてみると、なんとも豊かな気分を味わえた。
つい先週ぐらいまでは、
公園など草木のある場所の近くを通ると、
様々な虫の鳴き声を聞くことが出来たけど
今日は、虫の鳴き声は聞こえてこなかった。
ああ、こんな風に季節が移り変わることを
実感できるんだと思った。
当たり前のことなのに普段は気付かない、
いや気付けないことに気付けて、
忘れていた何かを久しぶりに
見つけたような気がした。
秋の夜は、人を詩人にしよるのぅ。
2023.10.18
TEDESCHI TRUCKS BAND
テデスキ・トラックス・バンド
2019年以来約4年ぶりの
テデスキ・トラックス・バンド。
2019年6月の TOKYO DOME CITY HALL
公演は、3日あったうち2日観に行った。
「今回は、全部観てやる!」と、発売早々に
今日と 20日、21日のチケット3日分を
取ったのだけど、その後、100キロウォークの
日程発表があり、21日が重なってしまった
前日20日もちょっと厳しい。
というわけで苦渋の決断で、
20日と21日は、諦めたんだ。
その後、22日に追加公演が決まったんだけど、
100キロ歩いた日にライヴに行く自信がないので
これも涙をのんだ。
というわけで、今回は1回だけの TTB。
今日は、ジャパン・ツアーの初日。
会場は、2019年と同じ TOKYO DOME CITY HALL。
ここは、観やすくて好きだな。
もちろん席によるけど、今日はアリーナの15列目。
端っこの方だったけど、まあまあかな。
音もとても聞きやすかった。
4年前とメンバーは、少し入れ替わっているように
思うが、ウドー音楽事務所のサイトって、
メンバーのこと書いてないのよね。
ググっても今のところ発見できず。
来日前のデレクのインタビューを読むと、
ドラムの一人(TTB はツインドラム)が
J.J.ジョンソンから アイザック・イーディ に
替わっている。
他にも新しく参加したメンバーもいるようだが、
詳しくは、分からない。
演奏は、あいかわらず超ゴキゲンで、
最強のライブ・バンド、ここにありって感じだった。
デレクは長いインスト(『Pasaquan』?)で、
ブロックインレイ、ブランコテールピースの
チェリーレッドのES-335を使用。
スーザンは、濃いグリーンのテレキャスター
(いつものかな)と、数曲でサンバーストの
レスポールを使用。
前回も感じたけど、スーザンはかなり上手くなったと思う。
何年か前に観たときは、どうしてもデレクの
ソロに比べて しょぼい感じがしたけど、
今日なんかは、もう全く引けを取らないもんね。
毎日、デレクとステージに立っていれば、
そうなるんやなぁ。
もちろん、デレクのプレイは別格だけどね。
1曲目は『Hear My Dear』だったかな。
そのほか『Midnight in Harlem』、
『Part Of Me』、『Made Up Mind』など。
(曲名が言えない。)
『Bell Bottom Blues』が聴けたのは、良かったなぁ。
『Beck's Bolero』からの『Freeway Jam』は、
感動したなぁ。
アンコール2曲を入れて 130分ぐらい。
かなり、ゴキケンなライブでした。
あー、20日、21日も観たいなぁ。
@ TOKYO DOME CITY HALL
[ 関連エントリー ]
2019.6.16 TEDESCHI TRUCKS BAND 2
2019.6.14 TEDESCHI TRUCKS BAND
2016.4.1 TEDESCHI TRUCKS BAND
2014.2.11 TEDESCHI TRUCKS BAND その2
2014.2.6 TEDESCHI TRUCKS BAND
2013.2.3 神業 DEREK TRUCKS
2012.2.8 TEDESCHI TRUCKS BAND
[ 参考記事 ]
テデスキ・トラックス・バンドが語る来日の抱負、夫婦の絆、クラプトンやジェフ・ベックへの敬意
(2023.10.25 追記)
setlist.fm のサイトにセットリストが
アップされていたのでここに記載しておく。
1. Hear My Dear
2. Fall In
3. I Am the Moon
4. Circles 'Round the Sun
5. Pasaquan
6. Just Won't Burn (Susan Tedeschi song)
7. Part of Me
8. Bell Bottom Blues (Derek and the Dominos cover)
9. Outside Woman Blues (Blind Joe Reynolds cover)
10. Let Me Get By
11. I Walk on Guilded Splinters (Dr. John cover)
12. Swamp Raga (The Derek Trucks Band cover)
13. Midnight in Harlem
14. I Want More ー Beck's Bolero (Jeff Beck cover)
Encore:
15. Soul Sweet Song
16. Made Up Mind
他の日のセットリストも見てみると、
日替わりのセットリストで、あらためて
このライヴ・バンドの凄さを知った。
『Why Does Love Got to Be So Sad?』や
『Keep On Growing』(ともに Derek and
the Dominosのカバー)を演た日もあった。
観たかったなぁ。
2023.10.19
Blicher Hemmer Gadd
Japan Tour 2023
スティーヴ・ガッド BHG プロジェクト
スティーヴ・ガッド(Dr)、
ミカエル・ブリッチャー(Sax)、
ダン・ヘマー(H.Org)3人による
ライヴを観てきた。
ガッドは、今年1月にも「STEVE GADD
BAND 10th ANNIVERSARY TOUR」で来日。
素晴らしい演奏を体験したことも
記憶に新しいが、今回は全く違う
メンバーとの来日だ。
ガッド以外のふたりのことは、
今回の来日でその名前を知ったほど、
私は何も知らなかった。
サックスのミカエルとオルガンのダンは
ふたりともデンマーク人らしい。
そのせいか、ミカエルの英語は、とても
聞き取りやすかった。
珍しく7〜8割は意味が分かったよ。
だけど、彼が自己紹介した時は、
「ミカエル・ブリッチャー」とは聞こえず、
「マイケル・ブレッカー」って聞こえたので、
ギャグかと思ったよ。
何の予習も知識もなく、観に行ったライヴだったが
とても素晴らしかった。
上品で上質、ファンキーでソウルフルなジャズ。
ミカエルのサックスは、とても柔らかい音。
好きだな、彼のトーン。
アルトとテナーと吹いたけど、特にテナーが良い。
それから、ダンのオルガン。
ハモンドオルガンって時々、ジョワン ジョワ〜ンって
鳴らす人がいるけど、ダンの演奏はとても上品。
こんなトーンなら、いつまででも聴いていたいと
思ったほど 包み込むようで優しい感じ。
そして、そこにガッドのドラム。
3人だけなので音の絡みの立体感が際立つ。
なんだか誰と演っても、ガッドが叩くと
ガッド・ワールドだなぁ、と彼の個性の
ユニークさを改めて感じたのでした。
アンコールを入れて、70分ぐらいかな。
曲は、ニューアルバム収録の
『It will be alright』、『Susanna』、『Snow』など。
ミカエルがティーンエイジャーの娘との
難しさを曲にした(と言ったと思う)
『I Love It When You Smile』は、
美しい曲だった。
このトリオはまた観たい。
CD も聴こう。
それにしても、スティーヴ・ガッド、
78歳ですぜ。
[ MEMBERS ]
Steve Gadd (Drums)
Michael Blicher (Saxophone)
Dan Hemmer (Hammond organ)
@ Billboard Live Tokyo
2nd show
Blicher Hemmer Gadd オフィシャルサイト
2023.10.20
100km ウォーク 完歩への道 その19
ついに明日!
いよいよ100キロ ウォーク本番が
明日と迫ってきた。
この8週間で合計24日、約325キロ、
71時間を歩いたことと
春には心配していた腰の調子が
良くなったことは、大きな自信へと繋がった。
やれることはやったので、あとは歩くだけだ。
明日は、朝 7:45に神奈川県海老名市の
相模三川公園をスタートし、26時間以内に
東京は江東区の新豊洲Brilliaランニング
スタジアムにゴールする。
到着は明後日の朝ということだ。
時間をオーバーすると失格だ。
とにかくリタイアはしないで時間内に
歩ききることが目標なんだ。
100キロ歩ききった時にどんな景色が
見えるんだろう。
今から、楽しみだ。
東京エクストリームウォーク
2023.10.23
100km ウォーク 完歩への道 その20
完歩したぜ!(1)
100キロ 歩いた。
時間は、26時間31分。
26時間は切れなかったけど、
とにかく完歩した。
応援してくれた方、心配してくれた方、
ありがとうございました。
ビギナー部門(34キロ)に参加した友人の
K彦と、妻のサポートには特に力づけられました。
この場を借りて感謝を述べたい。
ありがとう。
元はと言えば、15年以上前に読んでいた
とあるブログで 100キロウォークのことを知った。
その方の 100キロ完歩した時の感想を読んで、
とても興味を持った覚えがあるんだ。
いつかチャレンジしたいな、とは思ったものの
本気でやろうと思ったことは、一度もなかった。
昨年から今年にかけて参加した、ある講座の
プロジェクトを何にしようかと迷っている時、
講師に「自分が淵に立つような、ギリギリの
プロジェクトが良い」と言われ、どういうわけか、
「100キロウォーク」が思い浮かんだ。
思い浮かんだ瞬間、「ヤバイ」と思った。
なぜなら、思い浮かんだ以上、やるしかないからだ。
昔読んだブログの主の感想を思い出そうとした。
それは、「100キロ歩ききった時にあったのは
達成感ではなく、●●●だった」というもの。
しかし、肝心のこの●●●が何だったか
どうしても思い出せなかった。
3月に東京の100キロウォーク、
「東京エクストリームウォーク100」に申し込んだ。
春の大会は、6月の3日4日に予定されていたが、
台風の影響で、当日中止になった。
その時は、万全の状態とは言えず、
不安があったので、正直、中止になったことで
ほっとしたことも否めない。
それで、もう一度 仕切り直して、
秋の大会に出場することにしたんだ。
この2ヶ月間で、準備のため 325キロ歩いた。
思いついたことは、全てやった。
「あれをやらなかったから完歩できなかったんだ」
「あれをやっておけばよかった」とあとで思うかも
知れない可能性を完全につぶすためだ。
11日間アルコールを断ち、胃腸の調子を整えた。
数日前から、刺身や寿司など生魚は控えた。
当日、腹具合が悪いなんて最悪だからな。
行かなくても良いかな、と思った整体にも行った。
おかげで「これだけやったんだから、完歩できる」
という気持ちになれた。
10月20日夜、海老名の駅前のビジネスホテルに
チェックインした。
自宅から行っても、スタート時間に間にあうのだが、
少しでも睡眠時間を確保するために
ホテルを予約したんだ。
いかにも100キロウォークの参加者だと思われる
人たちが何人も泊まっていたよ。
眠りについたのは、22:30ぐらいだった。
21日、6時に起床
神奈川県立相模三川公園がスタート地点。
1,000人以上の人が歩くので、混雑を
避けるために 3分おきに50人ずつスタート。
最初のグループは、7時30分スタートの
予定だったが、10分ほど早まってスタートした。
私のスタートは、7時44分だった。
スタート前の私
(続く)
2023.10.24
100km ウォーク 完歩への道 その21
完歩したぜ!(2)
コースは、神奈川県立相模三川公園を
スタートし、平塚まで南下。
江の島まで海沿いを歩き、北東、横浜方面へ。
横浜から第一京浜を東京へ向いて北東へ。
品川、銀座、築地を通って、
新豊洲 Brillia ランニングスタジアムがゴールだ。
歩き出した時に考えていたのは、
完歩したら、その報告を誰と誰に
LINE を送ろうかとか、どんな文面で送ろうか
というようなことで、歩けるだろうか、
という不安は全くなかった。
完全に「完歩する前提」で歩いている自分に
気が付き、自分に自分が力づけられた。
達成からスタートというやつだな。
今まで練習で歩いた最長が 33.4キロ。
それ以上は未知の世界だった。
40キロ、50キロぐらいまでは、
30キロの延長のような感じで、
想定内とも言えた。
しかし、70キロを超えると別次元だった。
まず、足(足首から下、特に足の裏)が痛い。
ふくらはぎや太もも、お尻の筋肉にも
疲れは出始めていたけど、それほどきつくはなかった。
しかし、足首から下の痛みは初体験のものだった。
80キロを超えるとまた違う世界に入った。
歩いていてリズムに乗るとそれほどでも
ないのだけど、一度休むと、
次に歩き出す時にもの凄くエネルギーを使う。
リズムに乗るまで、数百歩歩かなければ
ならない感じだった。
70キロから80キロ前後というと横浜市内を
通過中で、朝の3時から5時ぐらい。
私は、幸い一度も眠気に襲われずに
済んだが、道端でしゃがみこんで仮眠をとる
参加者を何人か見かけた。
寒さも心配するほどではなかった。
朝5時ぐらいは、12度ぐらいだったが、
歩いていればさほど寒くはない。
また、これぐらいの距離になると、明らかに
身体のどこかに支障をきたしたと思われる
歩き方をしている人を何人か見た。
その人たちは、もうゆっくりしか歩けない
状態なので、私は追い越していくことになる。
みんな完歩できたのだろうか。
確か 80キロ台だったと思うけど、
私の速度が落ちてきていたんだろう、
結構、抜かれたんだ。
これではいけないと思い、
8人ほどのあるグループから
遅れないように付いて行った。
いわゆるペースメーカー的な人がいると
歩きやすいことがよく分かった。
このグループには、たぶん30分ぐらいは
付いて歩いたと思う。
そのうちトイレ休憩でコンビニに入ったりで、
自然に離れ離れになった。
一度もリタイアしたいとか思ったことは
なかったのだけど、80キロあたりで、
弱虫な自分が顔を出してきた。
「もうあかん、足痛い、いやや」
その時、思った。
これ、何かに似てる。
何かは思い出せなかったけど、
大体、いつも途中でイヤになるんだな。
そんな弱い自分が出てきたところで、
やめるわけにはいかないんだ。
「この足の痛さを受け入れてみよう」とか
「足の痛みを抵抗せずに感じてみよう」とか
色々やってみるけど、一向にそこから
抜けられない。
で、思いついたのは、数を数えること。
「い・い・ち・い、に・い・い・い、さ・あ・ん・ん」
という風に4歩でひとつの数字を数えた。
「ひゃく・にじゅ・い・ち、ひゃく・にじゅ・に・い」
「せん・にひゃく・さんじゅ・さん、
せん・にひゃく・さんじゅ・し」てな感じで。
これはとても有効で、何も考えずただ数を
数え続けることで、足の痛さに注意がいかず、
問題にならずに歩けるのだった。
7時50分ごろ、京急北品川駅を過ぎた。
7時55分に品川駅近くの八山橋に
「90.1km地点 ゴールまで約10キロ」という
案内を持ったスタッフが立っていた。
80キロあたりでは、26時間を切るのは
難しいな、無理やなと思い始めていた私だが、
「ゴールまで約10キロ」という案内を見て
突然「間に合うかも!」と思った。
私のスタートは、7時44分。
9時44分までにゴールすれば26時間以内だ。
日が昇り暑くなって来ると思ったので、
そこでウインドブレーカー、長袖Tシャツを
脱いで、半袖になった。
そうこうしている間に信号待ちもあり
5分ほど経過。
あと、115分で10キロ。
時速6キロで歩けば間に合う。
時速6キロは かなり早い。
練習時に調子が良くても時速6キロで
10キロを歩けたことなどない。
しかし、何かに火が付いた私は、
それまでには考えられないスピードで歩き出した。
あとで考えると時速6キロもなかったと思うんだけど、
とにかく、また、数を数えながら。
自分でもこんな気力と体力がどこに
残っていたのかと思うほどスピードだった。
「行ける、これなら行ける!」と思った。
(続く)
2023.10.25
100km ウォーク 完歩への道 その22
完歩したぜ!(3)
実際には、とても時速6キロでは
歩けていなかったんだと思うけど、
何人も何十人も抜いていると、
その気になって、イケると勘違いするんだな。
あの大通りの信号の長いことが
こんなにもヤキモキしたことはないよ。
こっちは、1分2分を競っているのに。
銀座4丁目の交差点で、
「あと4キロ」との案内があった。
その時点で、確か9時15分ぐらいだった。
それまで「行ける!」と思って調子よく
歩いていたのに「えっ?あと30分で
4キロ?無理やん!」と思ってしまった。
それでも、なんとか1分でも早くと
思い歩き続けたのだが、勝どき橋の手前で
「橋を超えてから2キロ」と言われ、
ついに心が折れた。
9時30分だった。
「橋を超えてから2キロ」って、
勝どき橋だけでも数百メートルあるのが
見た目で分かったんだ。
いや、例え残り2キロだとしても
15分では無理だ。
とうとう「心が折れた」
違う表現をするなら
「マインドがギブアップした」だし
「(26時間で歩くんだという)意図が切れた」
するとどうだ。
途端にまるで忘れていたことを
思い出したかのように足の痛みが、襲ってきた。
もう、スピードは、急速に落ち、
この8キロの間に抜いた何人もの人が
今度は、私を追い抜いていった。
もう歩けないほど、足が、足の裏が、痛い。
結局、あの勝どき橋の手前から
ゴールまでは、2.7キロぐらいだったのだが、
それに45分ほどかかって、ゴールした。
記録は、26時間31分。
申込み要項には「制限時間26時間」と
書いてあったけど、別に26時間を過ぎても
失格ではなく、完歩した証明を発行してくれた。
それにしても、これほど分かりやすく、
マインドが身体に影響があることを
体験したのは初めてだった。
あそこで心が折れなかったら、
もっと早くにゴールしていたのは間違いない。
ダメだと思った途端、ウソのように
痛みがやってきたんだ。
事務局の発表によると、
私が歩いた「WESTコース100km部門」は、
参加者数1,340名、ゴール者数1,135名で
84.7%の完歩率。
以前 70%ぐらいと何かで読んだ覚えが
あったので、かなりの高割合ではないだろうか。
同時に千葉スタートの「EASTコース100km部門」
というのもあったのだが、そちらは
参加者数378名、ゴール者数296名(78.3%)。
34キロのビギナーズ部門は、
参加者数717名、ゴール者数690名(96.2%)。
(いずれも速報値)
(続く)
2023.10.26
100km ウォーク 完歩への道 その23
完歩したぜ!(4)
「完歩したぜ!(1)」に、
15年以上前に読んでいた
とあるブログに書かれていた、
100キロウォーク完歩後の感想を
思い出せなかった、と書いた。
最後の3キロ弱をトボトボというか、
チビチビというか、ヨロヨロ歩きながら考えた。
あの「100キロ歩ききった時にあるのは
達成感ではなく、●●●だった」の
●●●は何だったんだろう、と。
その時の私の心境は、
「もう歩きたくない!」だった。
いや、それではないな、と思いながら
ゴールしてやっと「●●●」を思い出した。
「100キロ歩ききった時にあるのは
達成感ではなく、
『もう歩かなくていい』だった」んだ。
あのブログを読んだときの私は、
きっと「やったぁー100キロ歩いたぞ!」という
達成感こそが、完歩した時の心境だと
思っていたのだが、「もう歩かなくていい」と
思うなんて、どんな世界だろうと
想像が付かなかったんだな。
華やかな印象の達成感に比べると
ゴールした時の気持ちが「もう歩かなくていい」
なんて、なんとも地味で意外だったし。
確かに私もゴールした時、「やったぁ!」
「ゴールしたぁ!」という達成や感動よりも、
「おわったぁ」「もう歩かんでいい」「もう歩きたない」
それが口から出てくる言葉だった。
ゴールの瞬間
妻は、ゴールで私を迎えてくれたのだが、
私がゴールするまでの数十分間、
次々とゴールする人を何人も見ていたそうだが、
「やったぁー!ゴールだぁ!」というような感じで
ゴールする人はほとんどいなくて、皆一様に疲れていて
「もう歩かなくていい」とか「二度とやらない」とか
言いながらゴールする人もいたらしい。
私も笑顔でゴールする心境ではなかったけど、
迎えてくれるスタッフの方々が明るく
ハイテンションなので、あまり無愛想にするのも
憚られ、無理に完歩の喜びを表現しなくちゃ、
と思ったほどだった。
完歩のあと、何人もの方に「すごい」という
言葉を頂いたのだけど、歩いてみると
自分では、別にすごくはないんだな。
足が痛いだけで。
なんだか、煙草をやめたいのに
中々やめられなかった頃、
「煙草やめたらすごいな」と思っていたのに
実際に禁煙に成功したら、
ただ煙草を吸わなくなった、以前と同じ
すごくない自分がそこにいただけだった、
というのに似ているんだ。
100キロ歩いても、100キロ歩いた自分が
いるだけで、歩く前の自分とは
変わらないことは知っていた。
本番の10日ほど前、100キロウォークの
参加者対象のオンライン・イベントがあって、
そこでアシックスの人が、「チャレンジしようと
思ったことがすごいんです」と言っていた。
これは歩いてみてから思ったことだけど、
もし、すごいことがあるとしたなら、それは
「歩いたこと」ではなく、アシックスの人が
言っていたように「100キロウォークに
チャレンジしてみようと思った」ことだと思った。
そう考えると、みんなが「すごい」と
言ってくれることも腑に落ちるんだ。
「100キロ完歩」は結果だけど、
その前に「100キロ歩こう」と決めなければ
その結果はないわけで、やっぱり 歩いたことより、
決めたことの方がすごいような気がするんだな。
そして、あの講座のプロジェクトがなかったら、
チャレンジしていないわけで、
100キロウォークを知って、15年以上経って
ようやくチャレンジしたということについては、
「全ての業(わざ)には時がある」という
聖書の言葉に頷くのだった。
実際に歩いてみて思ったことは、
6月の大会が中止にならずに実施され
参加していたとしてもおそらく
リタイアしていただろう、ということ。
もう、今回とは心構えが全然違う。
あの時は、腰に不安があり、本番前に十分な
練習も出来ず、100キロ持つだろうか、という
弱気な自分だった。
きっと、途中で腰痛でダメになっただろうし、
それが原因で、もっと腰を痛めたかも知れない。
だから、6月の中止は、本当に良かったと
今となっては思う。
中止が決定した当日、6月3日の
エントリーを読み返すと
「改めて 100キロ・ウォークに挑戦するつもりだ」
「今回のような不安のないコンディションで
臨みたい」と書いているが、その通りになったわけだ。
子供の頃、体育の授業ぐらいしか
運動をしたことがなく、大人になってからも
運動とは縁のない生活をして61年。
体力もなく、根性もない私でも完歩できたのは、
準備もあったけど、これまた「僥倖」だなと思う。
6月の大会に出るために練習したことも
今回の準備に十分生かされたし、
100キロ歩いても、マメのひとつも出来なかったんだもの。
それに驚いたことに、歩き終えた翌日も翌々日も
全く筋肉痛がなかった。
歩き終えたときは、太もももふくらはぎも
ガクガクする感じで、明日絶対筋肉痛やな、と
思ったんだけど。
何が良かったんだろうか。
毎日リンゴ酢を飲んでいることかも知れないし、
途中で infinity Balance のマルチパワーテープを
太ももやふくらはぎに貼ったことかも知れないし、
お尻が痛くなってきた時にバンテリンを
貼ったことかも知れないし、
LIFEWAVE のパッチを貼って歩いたので、
それが良かったのかも知れない。
あるいは、100キロでは筋肉痛にならないほど
鍛えられていたのかも知れない。(それはない)
とにかくあらゆることが良い方向に働いての
完歩だったと思えてならない。
ところで、100キロって何歩ぐらいなんだろうかと
スマホに入れている万歩計を見てみると、
10月21日が、94,824歩。
22日が、55,664歩で2日間で 16万歩も
歩いていたよ。
グラフは、5万歩までしかないやん!
(続く)
2023.10.27
100km ウォーク 完歩への道 その24
完歩したぜ!(5 番外編)
1,000人以上も参加していると、
色んな人を見かけたよ。
サンダルで歩いていた人(男性)をふたり。
ふたりとも割と前半に私を追い抜いて行った。
ひとりは、かかとに紐があるタイプだったけど、
もう一人は、ビーチサンダルのようなサンダル。
サンダルで100キロ歩くことに
チャレンジしたのかなぁ。
あのふたりは、完歩したのかなぁ。
ワイシャツで歩くおじさん。
土曜日は、良い天気で結構暑かった。
ワイシャツの下にアンダーシャツは、
着ていないようで、汗でべったりと
ワイシャツが身体に引っ付いていたよ。
スタート早々、そんな歩き方で、
100キロ持つの?というような歩き方の人を
数人見たけど、70キロ、80キロの時点でも、
その歩き方で歩いていた人もいた。
大体、そういうのは若い人だった。
若さは、やっぱり偉大だなと思う。
後半、手をつなぐ夫婦らしきカップルを
何組か見た。
もう手をつないでないと歩けなんだろうな。
立ったまま壁にもたれて寝ている人を見た。
まさか、本当には眠っていないだろうけど、
体験談で「歩きながら寝れると知った」
なんていうのも読んだことあるから
どうだか分からないな。
スタートして、20〜30分ぐらいかな。
ゼッケンを付けていない男性2人組が
どうやら、ビギナーズ部門の参加者らしく、
この群れに付いて歩いていれば、
スタート地点に行けると勘違いしていたことに
気付いた様子。
(ビギナーズ部門はスタート時間が遅い。)
焦っただろうな。
だいぶん、遠くまで来てたよ。
以前読んだ体験談に「マメができる」とか
「爪が割れる(はがれる)」というのがあった。
マメは分かるけど、爪が割れるって
どんなんだろうと思っていた。
実際に途中のチェックポイントの救護の
テントから「爪が割れたんです」という声が
聞こえてきたよ。
ひぇ〜。
カメラを持っていたら、写真を撮りたいなぁ
という場面が何度もあったね。
特に茅ケ崎、湘南ね。
写真撮りに行こう。
100キロ歩いた靴、New Balance MW880。
春の練習から入れるとこの靴で
合計500キロぐらい歩いた。
記録魔の私は、途中、トイレ休憩したりする時、
全部、メモ帳に何分留まっていたかを記録してた。
それを合計すると290分あった。
タイムは、26時間31分の記録だけど、
そのうち4時間50分は、休憩で歩いていない
時間なんだ。
100キロを26時間31分だと時速3,771メートルだけど、
休憩時間を除くと時速4,612メートルで、
悪くないスピードだと思う。
ただ、100キロというけれど、多少誤差は
あるだろうから、本当に100キロなのか分からないね。
ゼッケン
「完歩したぜ!(2)」で、
「それまでには考えられないスピードで歩き出した。
あとで考えると時速6キロもなかったと思うんだけど、
とにかく、また、数を数えながら」と書いた。
その数は、3千を超えていたよ。
数字ひとつで4歩 歩いていたから、
1万2千歩以上数えていたことになるな。
最後に。
100キロ歩いてみて得たこと。
一番は、「100キロ歩ける」ということ。
なんだか「?」な感じだが。
100キロ完歩した人が大勢いるのは、
知っていたけど、自分が歩けるかどうかは
歩いてみるまで、分からなかったわけだ。
しかし、やってみたら、私でも歩けた。
出来ると思っていたことが出来るのは、
当たり前でそれはたぶんチャレンジとは
言わないだろう。
出来るかどうか分からないからこそ、
チャレンジ=挑戦 というわけだ。
そういう意味で「100キロ歩けた」ことは、
貴重な体験だった。
これは、今後の人生に影響があるだろうと思う。
60歳を過ぎて、年にひとつ何かに
チャレンジしようと決めた。
少なくとも70歳まで11年間はやりたい。
そのためには健康でいなきゃね。
で、(そんなつもりではなかったけど)
60歳で、初の写真展開催。
61歳で、100キロウォーク完歩。
さて、62歳は何をやろうかね。
って、すでに考えていることはあるんだけど、
本気でコミットしたら発表するよ。
100km ウォーク 完歩への道
Fine(フィーネ)
2023.10.27
Yamaha Drums and Zildjian Presents
STEVE GADD Drum Clinic 2023
先週、スティーヴ・ガッド BHG プロジェクトの
ライヴを観てきたが、今日はそのスティーヴの
ドラム・クリニックに行ってきた。
ドラマーでもない私がドラム・クリニックになぜ?
という感じだが、超一流のミュージシャンの話は
楽器が何であろうと、ためになるものなのだ。
ましてや大好きなスティーヴのクリニック。
ライヴでは観られない姿が観られることは
間違いない。
会場は、初めて行った渋谷ストリームホール。
キャパは、200人強という感じか。
ステージの中央にドラムセットが配置され、
その左右(ステージ上)にも10席ずつぐらい
特等席が設けられていた。
スティーヴのドラミングは、真上から、
横から、そして、足元を後ろからと、
3つのカメラで映しているのを
後ろのスクリーンに映し出されたので、
とてもよく見えたよ。
で、どうだったかというと、とても面白かった。
78歳のスティーヴの語る、音楽への
愛と情熱は、感動さえ覚えた。
70年代にスタッフで来日して以来の
YAMAHA との関係も素晴らしいと思った。
コロナで練習時間が増えたので
新しいスティッキングを考え、それを本にして
出す計画だという。
どこまでもいっても探求、改善の精神は、
どんな分野の人であれ、見習うべきだろう。
そのスティッキングは、あるフレイズを
少しずつずらしていく(ディプレイスメントと
言っていたように思う)。
これがスゴイ。
もうなにやってるか分からん。
とてもじゃないが、ギターで あんなこと
出来そうにない。
ギターで思い出した。
質疑応答で「ギタリスト、ベーシストに
望むことはありますか?」と聞かれ、
ギタリストに対してはひとこと
「tone down(音を下げろ)」
これには場内爆笑。
世界中どこでもギタリストの音は
でかいと見える。
ベーシストに対しては、「ベースは、
ギターのようにも弾けるし、パーカッションの
ようにも弾けるけど、ベースを弾いてくれ」
そして、「他の人の音を聴くように」と。
場内には、ギタリストもベーシストも
少数だけどいたので、
「ギタリスト、ベーシストともめたくはないんだ。
I Love Guitarist, Bass Player」って
気を遣ってたのも面白かった。
気を付けていることは、食事。
野菜を食べ、肉、パスタ、パンは
食べ過ぎないようにしている。
運動も大事。
2年前までは、走っていたけど奥さんが
腰を痛めて一緒に走れなくなってからは
走っていないけど、また再開したいとのこと。
やっぱり健康。足腰やな。
そして、これからの夢(ヴィジョン)は?と
聞かれ「生きていたい。毎日目が覚めるように」
「音楽は、エネルギーをくれるので、
音楽をしていれば睡眠は要らない」
とまで言っていた。
とにかく、ドラムを叩き音楽をクリエイトすることが
生きている、ということなんだなと聴こえたよ。
私ももっとギターを練習するよ。
開演前
11月は、マイケル・ランドウらとの
Steve Gadd Band でヨーロッパツアーだ。
また来日して欲しい。
必ず観に行くから。
2023.10.28
我が母校、我が校歌
高校の入学式、15歳の時に初めて聞いた
私の母校の校歌は、「変な曲」だった。
メロディが変、リズムが変、
覚えにくい、唄いにくい曲だった。
それから、在学中はもちろん、
同窓会に参加するたびに、
その校歌を唄ってきたわけだが、
今日の昼過ぎまで、一度も良い曲だと
思ったことはなく、一貫してその曲は、
私にとって「変な曲」でしかなかった。
今日は、その高校の卒業生で構成される
「清友会」の東京支部の総会だった。
今日のメインは、卒業生である高山博さんの講演。
高山さんは、私より4年先輩にあたる。
作編曲家であり、文筆家でもあり、
ビートルズに関する著書などを出されている。
2015年には、高校時代に故菅沼孝三氏らと
組んでいたバンド、“CHARISMA(カリスマ)"という
プログレ・バンドのアルバム『邂逅(かいこう)』を
リリースされている。
最新刊は、昨年出版された『ビートルズ 創造の多面体』。
できれば、今日ご本人にお会いする前に
その本を読み終えていたかったのだが、
全然間に合わず、途中までしか読めていない。
途中まででも読んで分かることは、
高山さんの音楽的な背景の奥深さだった。
そんな高山さんが、あの「変な」校歌について
語ってくれるというので、楽しみにしていた。
講演の時に少しキーボードを弾きながら
話すというので、開場前の準備から
手伝わせて頂き、準備をしながらも、
興味深い話の連発だった。
以下、準備中に聞いた話と本番の講演で
聞いた話と混ざってのレポートだ。
私は今日までその校歌を誰が作曲したかに
全く注意を払っていなかった。
作詞は、崎山徹(本校の先生だった人らしい)。
作曲は、池内友次郎(1906ー1991)。
私は、池内友次郎のことを全く知らなかったが、
高山さんの話によると、クラシック音楽を
演っている人なら知らない人はいない、
というほどの人。
高浜虚子(俳人)の次男で、
日本人で初めてパリの国立音楽学院に
留学した人。
あの坂本龍一も池内友次郎の教科書で
作曲を学んでいるという。
なぜ、そんな人が我が母校の校歌を
作曲することになったのかは、分からないが。
母校は、開校120年以上の歴史を持つ。
1900年に高等女学校として開校し、
戦後、1948年に共学の高校になった。
件の校歌はその時に作曲されたもののようだ。
そして、池内友次郎について、検索して驚いた。
ウィキペディアによると、「1958年、相愛女子大学
音楽学部作曲科主任となる」と書いてあったのだ。
私の父は、相愛女子大学に勤めていた。
そこで事務をやり、相愛オーケストラの事務もしていた。
おそらく、父が相愛に勤め出したのは、
1960年代に入ってからだったと思うのだが、
もしかしたら、池内友次郎と父は
会っているかもしれないんだ。
そして、高山さんの校歌の解説を聴くうちに、
「変な校歌」の素晴らしさと凄さが分かってきた。
校歌は、混声四部合唱で書かれているのだが、
それを高山さんが、ピアノ(伴奏)と
弦楽四重奏で打ち込んで来たものを
講演の途中で流された。
それを聴いて、何と美しい曲なんだ、と
初めて思ったのだった。
そのあと、参加者全員で合唱した時には、
泣きそうになるほど感動してしまった。
楽曲の素晴らしさが分かったと同時に、
解説が素晴らしいと、ここまで違って
聴こえるものなのか、ということにも
感動を覚えたのだった。
もうひとつ 驚いたこと。
その「清友会」支部総会で、恒例に
なっている『きょうの日はさようなら』も
みんなで唄ったのだけど、驚いたことに
3番まで歌詞を見ずに唄えたよ。
「変な」素晴らしい校歌を聴いておくれ。
清水谷高等学校校歌
[ 参考エントリー ]
2022.12.29 邂 逅
こはる改メ 立川小春志
真打昇進披露興行
立川談春の一番弟子こはるが、
今年5月に真打に昇進し、
小春志(こしゅんじ)に改名した。
今日から5日間昼夜 10公演ある
その真打披露興行、初日の夜の部に
行ってきた。
二つ目のこはるを初めて聴いたのは、
2014年の「目黒のさんま」だった。
それから数回観ているが、
ついに真打に昇進したんだ。
女性の噺家はまだまだ少ない。
彼女は中性的で、大師匠の談志が
弟子入り後1年近く男性だと思って
いたというエピソードがあるほど。
真打披露興行というと、たくさんの
ゲストを招いて、口上の時にも
7〜8人並んでいることも珍しくない。
でも、師匠(談春)と小春志、
そして、ゲストの柳亭市馬の3人のみと
いうのが、なんとも談春らしいと思った。
ゲストは、毎公演替わるのだけど、
全部このスタイルで演るんだろう。
トップバッターは、師匠である談春。
マクラは、ゲストの市馬との関係など。
演目は「黄金の大黒」。
私にはやや地味な演目の印象。
続いて、柳亭市馬。
小春志は、談春に弟子入りしたばかりに
いらぬ苦労をしたと愛のあるディスり。
演目はやや渋めの印象の「三十石」。
休憩を挟んで、口上。
ほとんどトークショー。
でも、最後にはきっちり、市馬師匠、
談春師匠ともに締めてくれたね。
トリは、小春志の「子は鎹」。
真打になって、どんな心境なのかとか、
聴きたかったけど、マクラなしで、本編に突入した。
熊五郎の男っぽさを出そうとしてか、
セリフの荒っぽさが、心なしか雑に聞こえたのは私だけかな。
まだ41歳。
これからが楽しみだね。
[ 演 目 ]
「黄金の大黒」 立川談春
「三十石」 柳亭市馬
--- 仲入り ---
御披露(口上) 談春、市馬、小春志
「子は鎹」 立川小春志
真打認定書
立川こはるを
真打と認め
昇進を機に
立川小春志と
改名させる
女性に
共感を得る
芸を望む
令和五年五月
立川談春
「こはる改メ 立川小春志 真打昇進披露」
10月28日(土)〜11月01日(水)
昼の部 開演 13:00(12:30 開場)
夜の部 開演 18:00(17:30 開場)
出演:こはる改メ 立川小春志 立川談春
@有楽町朝日ホール
ゲスト:
10/28(土)昼:柳家三三
10/28(土)夜:柳亭市馬
10/29(日)昼:柳家喬太郎
10/29(日)夜:さだまさし
10/30(月)昼:立川志の輔
10/30(月)夜:春風亭一之輔
10/31(火)昼:立川志らく
10/31(火)夜:桂宮治
11/01(水)昼:笑福亭鶴瓶
11/01(水)夜:春風亭昇太
2023.10.29
一週間ぶりのウォークとフェンダー
100キロウォークから、あっという間に
1週間が過ぎた。
ウォーキングに関して、いくつかの情報を得たが、
歩くことは身体にも心にも良いようだ。
何よりもこれから年老いていく上で、
認知症の予防にもなるらしい。
どうせ生きるなら、心も身体もまともで
いたいので、ウォーキングは続けていきたい。
で、今日、1週間ぶりに少し歩いた。
新宿に出かける用事があったので、
新宿から歩いて帰って来たんだ。
ちょうど9キロぐらい。
9キロを「少し」と書いている自分に驚く。
100キロウォークに挑戦する前なら、
9キロは「少し」などでは けっしてなく、
「ええー9キロも歩くのー?」と思っただろう。
面白いな、と思う。
人間、基準が変われば気持ちも変わるんだ。
そして、基準は自分しだいで「変えられる」んだ。
明治通りを歩いていると、ちょっと前に原宿に
オープンしたフェンタ゛ーの旗艦店
「FENDER FLAGSHIP TOKYO」の前に出た。
もちろん、そこがオープンしたことは、
知っていたけど近づくと危険(?)なので、
近づかないようにしていたんだ。
でも、せっかくなので覗いてみることに。
ギターを販売しているのだけど、
楽器店というよりは、リアルな
カタログのような印象だった。
展示されている楽器は、全て試奏させて
もらえるということなので、それは良いと思う。
ただ、今や試奏もヘッドフォンなんだな。
確かに楽器店で、試奏する時、
隣りのアンプで試奏しているのヤツが
うるさ過ぎるということは、楽器店あるあるだから、
ヘッドフォンならその心配はない。
でも、なんだかロックからは、どんどん
遠ざかっているようにも思えて微妙な心境だ。
たくさんのアーティストとフェンダーの写真が
展示されているのも嬉しい。
マイケル・ランドウ(これは最近だな)
肩こってんねんポーズのエリック・クラプトン
(これは70年代だろう)
店内には、カフェもあり、フェンダー好きには
たまらない空間だと思うけど、
あまりに贅沢な作りに、何年持つか
心配になったよ。
大きなお世話だけど。
ギターは買わなかったけど、
世界中でここでしか売っていない
オンライン販売もしていない、
しかも国産品と言われ、
購買意欲をそそられた私は、
ハット(帽子)を購入。
ええ、ええ、そうです、単純です。
2023.10.30
為 念
仕事でもらったメールに
「為念ご確認させていただきたい」という
文言があった。
「為念」。
「念の為」の打ち間違いかと思ったが、
そんな打ち間違いはしにくい。
念の為、調べてみた。
あるのだな「為念」という言葉。
初めて知った。
「ためねん」または「ねんのため」と読むらしい。
つまり、意味は「念の為」「万が一に備えて」
「確認のため」ということらしい。
「なかんずく」を「就中」と書いたり、
「さすが」を「流石」と書いたり
「いわゆる」を「所謂」と書いたりするのと
同じだろうか。
けど、なぜ「念為」ではなく
ひっくり返って「為念」なんだろうな。
漢文から来てるからなのかな。
日本語は難しいな。
ちなみにネットでは、あまり一般的でないので
「ビジネスでは使わない方が良いでしょう」
というサジェスチョンもあったよ。
2023.10.31
カレーはスポーツだ! #66
上々スパイシー豚カレー/東印度カレー商会(不動前)
★★★★▲
時々、食べたくなるんだなぁ、ここのカレー。
近所に引っ越してきて、1年9ヶ月。
もう10回ぐらい食べてると思う。
今日は「上々スパイシー豚カレー(辛口)」
1,300円に「豚肉増し」400円で合わせて1,700円。
豚肉が結構なボリュームです。
ご飯は、「半分」と注文してこれです。
そして、カレーで十分なのでほとんど食べられないけど、
毎度、食べ放題のおばんざいに、
途中でルーの追加サービス。
嬉しい限りです。