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BOOK-5
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2026.1.2

闘う菩薩道
我が使命いまだ尽きず
佐々井秀嶺 著




2023年7月に佐々井秀嶺(しゅうれい)さんの
記事を読んだ。
佐々井さんは、60年近くインド中部のナーグプルに
住み、仏教の復興に尽力されている人。
インド仏教界の最高指導者の一人が
日本人だということに驚いた。
その記事には、2022年秋に、従業員1千人を
抱える日本人の元社長が得度を受けた
話しが出てくる。

その記事を読んだ後、妻の仕事の関係で
小野龍光さんを知った。
龍光さんは、以前は年商100億超えの
IT企業の CEOだった人。
前述の記事に出てくる元社長に違いない。

龍光さんは、数字を追い続ける生き方に
疑問を持ち、CEO を辞めて 友人に誘われた
インド旅行で、佐々井秀嶺上人に出会う。
佐々井さんは、1億人以上と言われる
インド仏教の頂点に立つ指導者。
1967年にインドに渡って、現在まで
インド仏教の復興に尽力されて来た方だ。
佐々井さんは、人生に迷っている龍光さんに
(その時はまだ「龍光」という名前をもらって
なかったけど)、「坊主になったらどうだ?」
と提案する。
龍光さんは、それまでの全てを捨て得度する。
出家だ。
龍光さんのお話しは2度か3度聴く機会が
あったが、とても素晴らしかった。

龍光さんの師匠となった佐々井さんの本を読んだ。
『我が使命いまだ尽きず 闘う菩薩道』

この本は、2010年に出版された『必生 闘う仏教』と
2015年に出版された『求道者 愛と憎しみのインド』の
2冊をまとめた上に、第三部として新たに
追加された部分も含めて、再出版されたもの。
クラファンで資金を募っての再出版だ。

読み応えのある本で、知らなかった仏教のこと、
インドのことを知ることができた。
もちろんこの本一冊で何かが分かったとは
思わないけど。

インドといえば、30年ぐらい前に
知人に聞いた話しを思い出す。
彼はインドを旅して来たが、街中で手や足のない、
物乞いする子供を見たと言う。
手や足のない子供の方が、同情を買い
沢山恵んで貰えるというので、親が手足を切るのだと聞いた。
日本人の感覚すれば、信じられない話しだが、
見て来た人が言うのだし、この手の話しは他でも
見聞きしたことがあるので、嘘ではないのだろう。

話しを本に戻そう。
インドのカースト制度というのは、
ヒンドゥー教の身分制度のことで、
1950年にインドの憲法で禁止されたが、
禁止されたのは「差別行為」であって、
カーストそのものは現在でも受け継がれているらしい。

「不可触民」と呼ばれる最下層の人々は、
人間扱いされず、大変ひどい差別を受けてきた。
今もその差別はなくなっていないようだ。
生まれた身分で一生が決まってしまう
ひどい制度だ。
そのヒンドゥー教が力を持つインドで、
人間の平等を謳う仏教は、当然、
一部の人間にすれば目障りな宗教だろう。
佐々井上人は、そのインドで人々のために
闘い続けてきた。
仏教なのに「闘い」というのは、違和感が
ありそうだが、本書を読めば「闘い」であることが
よく分かる。
本のタイトル通り「闘う菩薩道」なんだ。

龍光さんに出会ったあと、インドに行き、
佐々井上人と会って、得度した人を知っている。
彼女は衣(ころも)を着ていると
「内なる平和の状態」でいられるという。
信号無視もしないし、電車でも立っているし、
急がないし、ゆずる心があるという。
私は得度しないが、何となくだけど分かる。

その「内なる平和」のずっと先には
世界平和があるんだろう。


★★★★☆





2026.2.7

意味がなければスイングはない
村上春樹 (著)




村上春樹の小説は、過去に3冊読んだが、
今はあまり好きではない。
もう覚えていないけど『ノルウェイの森』は
面白かったような気がする。
それから『国境の南、太陽の西』を読んだ。
これは面白かったんだろうな。
30代だったと思うが、二度読んだ覚えがある。
そして、『1Q84』。
これで嫌いになった。
『1Q84』を読んだ感想に、その表現が
「外国文学を日本語に訳したような
言い回し」のようだと書いた。
(それはある意味当然とも言えることで、
村上春樹は翻訳家でもある。)
その表現がまどろっこしいというのか、
わざといらしいというのか、とにかく
読んでいてひっかかったんだな。
それが好きな読者もいるのかもしれないけど。

あと原作は読んでいないけど
『海辺のカフカ』の演劇を観に行ったことがある。
もう10年以上前のことで
記憶としては残っているのは、
「よく分からなかった」
「宮沢りえの声が小さくて聞き取りにくかった」
だけだ。
だが、当日の感想を読むと「終わった時には、
ゆる〜い感動とたっぷりと文学的作品を味わった
ような満足があった」と書いているので、
それほど良くなかったわけではないようだ。
記憶は当てにならないな。

いずれにしろ、もう彼の小説は読もうと
思わないのだが、音楽エッセイを見つけ、
評判が良かったので、興味が湧いて読んでみた。

名前を聞いたこともないクラシックのピアニストから、
シューベルト、ポップス(ブライアン・ウィルソン)、
ロック(ブルース・スプリングスティーン)、
ジャズ(スタン・ゲッツ、ウィントン・マルサリス)、
フォーク(ウディー・ガスリー)、
Jポップ(スガシカオ)などについて、
書かれているのだが、知らないことばかりだった。
まず、その守備範囲の広さに驚く。
このジャンルなら詳しい、という人はいるだろうけど、
何でも来いだ。

ファンの間では周知のことなのかも知れないけれど
村上春樹が作家になる前、 JAZZバーを経営していた
ことも知らなかった。
本書を読めば分かるが、かなりの音楽通である。
とんでもない数の音楽を聴いてきたことは
間違いないだろう。

そして、その語彙、表現力の豊富さ。
カタカナ言葉は多いが、鼻につく「外国文学を
日本語に訳したような言い回し」はあまり感じなかった。
この「ひとりごと」に音楽ライヴのレポートを
書くことが多い私としては、むしろその表現力の
豊かさ、幅広さに圧倒された。

例えば少し長くなるが、こんな表現だ。
「僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を
燃料として、世界を生きている。
もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、
太陽系第三惑星上における我々の人生は
おそらく、耐え難いまでに寒々しいものに
なっているはずだ。だからこそおそらく僕らは
恋をするのだし、ときとして、まるで恋を
するように音楽を聴くのだ」

「太陽系第三惑星上における我々の人生」
なんて、ちょっと仰々しいといえなくもないが、
「血肉ある個人的記憶を燃料として、
世界を生きている」や「まるで恋を
するように音楽を聴く」は、気に入ったね。

ご本人が「あとがき」にこう書いている。
「言い訳をするのではないが、音楽について
感じたことを文章のかたちに変えるのは、
簡単なことではない。それは食べたものの
味を、言語的に正確に表現することの
難しさに似ているかも知れない。」

音楽を言語的に正確に表現するには、
ボキャブラリーの豊富さとそれを使いこなす
するどい感性と、背景となる膨大な知識と
リスニングの量が必要だ。
彼はそれを備えていると思う。

そして、本書の素晴らしさは、
その章を読めば、その名前さえ聞いたことのない
音楽家について、「その音楽を聴きたくなる」
というマジックだ。
実際に聞くかどうかは置いといてだけど、
聴きたくなるのは間違いない。

昨年、ブルース・スプリングスティーンの映画
『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』を観た。
その映画も知らないことばかりだったけれど、
本書を読んだことで、あの映画の意味が、
より一層深く理解できた。
たぶん、私がアメリカという国にとって
ブルース・スプリングスティーンがどういう存在か
よく理解していなかったんだと思う。
それが本書を通じて、全部じゃないだろうけど
ある程度理解できた。
その証拠と言っては何だが、ブルースが
トランプ政権の米移民税関捜査局(ICE)に
よる強制捜査により死者が出たことへの
抗議曲を発表したことについて
「なるほど、そうだろう」と思ったのは、
本書のブルースの章を読んでいたからだ。
ちなみにブルースは、その曲を
1月24日(土)に書き下ろし、
1月27日(火)にレコーディング、
1月28日(水)に配信リリースした。
そして、iTunesトップソングチャートで首位を獲得した。
とんでもないスピードである。
その歌詞には、ICE に殺害された
アレックス・プレッティとレネー・グッドの名前も出てくる。
日本のミュージシャンにはほとんどいない、
政治的とも言える音楽の活動だ。

ブルースの例は、たまたまだけど、とにかく
音楽・音楽家への洞察と愛に溢れたエッセイだった。


★★★★▲





2026.3.1

本日は、お日柄もよく
原田マハ 著




『本日は、お日柄もよく』は、原田マハさんの
2010年発表の小説。

スピーチライターという職業があることを、
この本を読むまで知らなかった。
スピーチライターというのは政治家や企業の
社長などのスピーチの原案を考えたり、
アドバイスをしたりする人。

OLだった主人公が幼馴染の結婚披露宴で
ある人のスピーチに感動したところから
人生が大きく変わり出すストーリー。

根が皮肉な私は「現実はそんな甘ないで」とか
「そんなうまいこといくかいな」とか思いながら
読み進めたが、それでもちょっと泣かされてしまった。
そして私が「現実はそんな甘ない」とか
「そんなうまいこといかない」と思うことが、
世界では時々本当に起きていることも知っている。
事実は小説より奇なり、だ。

言葉の持つ力と、言葉にならない時の人の力は、
誰もが知りたい、欲しいことではないかと思う。
本書にそのヒントが散りばめられている。

ところで、登場人物が国政選挙に立候補し、
街頭演説する場面で、次の様な文言があった。

「いますぐ、まっすぐ。政権交代!民衆党」と
白字にくっきりと黒く太いゴチック体で書かれたのぼり


一瞬、その文字の色が白なのか黒なのか混乱した。
いやよく読めば「黒く太いゴチック体で書かれた」と
あるので文字は黒色なのだけど、その前にある
「白字」が混乱の元だった。

この場合、白い背景に充てる漢字は、
「白字」ではなく「白地」ではないかと思った。
でないと「白字に黒字で書いた」という、
訳の分からない文章ができてしまうやないか。

原田マハさんや編集者が間違うとは思いにくいので
「白地」だと思っていたのは私の勘違いなのかと
Googleに質問してみた。

Googleの回答は次の通り。

「白い背景」は、一般的に白地(しろじ)です。
それぞれの言葉の意味は以下の通りです。
白地(しろじ):
白い背景、地の色が白であること(例:白地に黒字)
白字(しろじ/はくじ):
白いもので書かれた文字、色抜きされた文字


やっぱりそうだよなぁ。
どう考えても「白地」は「白い地(背景)」
「白字」は「白い字」だもんな。
何故「白字」を使ったんだろうな。

それはさておき。
本当に政治家にスピーチライターが
関わっているのだとしたら、失言の多い政治家は、
スピーチライターのアドバイスや忠告を
聞けない人ということか、優秀なスピーチライターが
ブレーンにいないということになるのかな。

高市総理の「働いて、働いて、働いてまいります」も
ご本人ではなく誰かが考えたのかな。
奈良出身の初の総理ということで、
奈良のお土産屋さんには、「早苗ちゃんクッキー」が
売られていたし「働いて、働いて、働いてまいります」と
書かれたクリアフォルダも売ってたよ。





2026.3.23

走ることについて語るときに僕の語ること
村上春樹 著




先月、村上春樹の音楽エッセイ
『意味がなければスイングはない』を
読んだ流れで本書のことを知った。
今年3年連続3度目となるフルマラソンを
走るつもりでいる私は、本書の存在を知り、
「これは読まねば」と思ったのだ。

まず、タイトルについて触れておきたい。
前述の『意味がなければスイングはない』は、
ジャズ・リスナーならお気づきの通り、
デューク・エリントンの超有名曲
『スイングがなければ意味はない
(It Don't Mean a Thing If It Ain't Got That
Swing)』に由来する。
そして『走ることについて語るときに僕の語ること』は
村上春樹氏が敬愛する作家、レイモンド・カーヴァーの
短編集のタイトル『愛について語るときに我々の
語ること(What We Talk About When We Talk
About Love)』が元になっている。
『走ることについて語るときに僕の語ること』は、
日本語としてはいささかまどろっこしい言い回しの
ように感じるが、そういう背景があったんだ。

さて、毎年フルマラソンを走り、100キロ・ウルトラ
マラソンを完走し、トライアスロンにも出場する村上氏。
最近知ったのだが、2024年に大病を患い、
1ヵ月の入院を余儀なくされ、
体重が 18キロも落ちたらしい。
以前は、毎日1時間のランニングが日課だったようだが、
病気のあとの今はどうなんだろう。
あまり、メディアに出たり私生活を表に出す人では
ないようなので、詳しいことは分からないが。

本書は、2005年の夏から 2006年の秋にかけて
50 代の時に書かれたもの。
ストイックさや努力家であることが伝わって来る。
ご本人は「メモワール(自伝・回想録)」のような
ものだと位置づけておられるようだが、
確かに小説を読んでも知ることのできない
「村上春樹」という人物のことを知ることができると思う。

一時、彼はフルマラソンを3時間以内で走った
本格的なランナーで、私のような超ノロマなランナーとは
比べ物にならないが、それでも「走る」という
行為は同じで、共感できることも多かった。
おそらくマラソンに挑戦していなければ、
そんな共感もなかっただろうし、何より
この本を手に取らなかったに違いない。

本書では、氏が 50代になって以前のように
走れなくなり、年齢と体力の衰えを感じるような
ことが書いてある。
一方、60歳を過ぎて走り始めた私はスタートの
レベルが低すぎたおかげで、63歳にしてまだ
伸びしろを感じている。
この年になって衰退ではなく、進化・成長を
感じることができる(分野がある)というのは、
ラッキーなことだと思う。
スタートのレベルが低いのも悪くない。

そして、どういうわけか後書きの最後の文章で
泣きそうになるほど感動してしまった。
本書にそういう感動を期待も予想もしていなかったので、
これは虚を突かれた感じです。


★★★★▲


<気に入った文章>(文脈も大事だけど)

今のところ僕はまだ、音楽とコンピュータを
からめたくはない。友情や仕事とセックスを
からめないのと同じように。

学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、
「もっとも重要なことは学校では学べない」
という真理である。

そこでは、走るという行為がほとんど形而上的な
領域にまで達していた。行為がまずそこにあり、
それに付随するように僕の存在がある。
我走る、故に我あり。

生きることのクオリティーは、成績や数字や
順位といった固定的なものにではなく、
行為そのものの中に流動的に内包されて
いるのだという認識に(うまくいけばという
ことだが)たどり着くこともできる。





2026.4.14

ネガティブ・ケイパビリティ
答えの出ない事態に耐える力
帚木蓬生(ははきぎほうせい)著




最近知った言葉「ネガティブ・ケイパビリティ」。
これは「どうにも答えの出ない、どうにも
対処のしようのない事態に耐える能力」
あるいは「性急に証明や理由を求めずに、
不確実さや不思議さ、懐疑の中に
いることができる能力」のこと。

世の中では、スピーディに問題を解決する能力、
答えを出す能力こそが素晴らしいと
信じられており、学校教育では、その能力を
身につけることを目的としている。
それは、ポジティブ・ケイパビリティだ。

著者は、精神科医であり、小説家でもある。
精神科を訪れる患者は、一人ひとり違っており
対応に正解などない。
その時、求められるのが正に
ネガティブ・ケイパビリティだと説く。
著者自身が、ネガティヴ・ケイパビリティを
知ったおかけで救われ、精神科医を続けて来られたと。

本書は、そのネガティヴ・ケイパビリティの
重要性を色んな方面から語る。
特に紫式部がいかに優れていたかの件は、
(その分野に興味のない私には)読み続けることに
正にネガティヴ・ケイパビリティを求められた。
でもおかげで、死ぬまでには『源氏物語』を
読まなあかんなと思ったよ。

戦争が起きるのは、為政者の
ネガティヴ・ケイパビリティの不足だという。
ドイツのメルケル首相の「寛容とヒューマニズム」、
米国のトランプ大統領の「不寛容」の対比も分かりやすい。
不寛容の行きつく先は、戦争だと著者はいう。
(実際、トランプは戦争を起こしてしまったね。)
確かに人類の戦争の歴史は、不寛容の歴史だ。
それは、即ちネガティヴ・ケイパビリティの欠如でもある。

ネガティヴ・ケイパビリティの入り口は
「親切」であり「共感」であり「寛容」だと説く。
「人間の最高の財産は、Empathy です」という
言葉にも説得力がある。

粘り強さや耐性は、能力のひとつだとは
認識していたけれど、ネガティヴ・ケイパビリティは、
それらより文脈が広く大きい。
もっと普遍的とでも言おうか。

安易に答えを求めず、不思議や不安定・不確実の
中に居続けることが「能力」だというのは、
この歳になって初めて得た区別であった。

その能力は、自然に身に付くものでも、
一朝一夕に身に付くものでなく、
不断の努力によって、培われるものなんだ。

この区別を知ったおかげで、不思議と今まで
「これで良かったのだろうか」と思っていたことが、
そこにいること(答えのないこと)が、妥当で
適切であるように思え、幾分気が楽になった。

「おわりに」に書かれているボルバ女史(ミシェル・
ボルバ / 米国の心理学者・教育コンサルタント)の
ルワンダでの体験談は、心を打たれます。


★★★★☆


著者の帚木蓬生(ははきぎほうせい)氏は、
前述の通り、小説家。
以前観た笑福亭鶴瓶、綾野剛らの出演する映画
『閉鎖病棟 ―それぞれの朝―』の原作者でもある。
その映画の感想を読んでみると、
「テーマは、永遠に正解がないような
哲学的な問いにあるように思うのだが、
いかんせん設定が良くない」と書いている。
もしかしたら、今観たら違う感想を持つかもしれないけど、
どうせなら原作を読んだ方が良いよな。





2026.4.25

やさしい『唯脳論』
養老孟子・楳図かずお 著




「唯脳論」というのは、この世は(この場合、
人間にとっての世界)は、全て脳が作っている、
脳に支配されている、というような考え方だ。
解剖学者である養老孟司さんと
マンガ家の梅図かずおさんの対談形式で、
唯脳論を紐解いていく。

考えたことがなかったけれど、確かに現代人、
特に都会に住む現代人は、
脳が作った(創った)世界に住んでいる。

今、家の中を見渡してみると人工物しかない。
自然は一切ない。
何一つないんだ。
仮に観葉植物や生花があったとしても
それらさえ自然ではない。
人工物しかないのは、人間が世界を
コントロールしようとしてきた歴史の証なんだな。

人工物しかない、ということは全ての物が、
まず元々は人間の脳の中にあって、
こういう物があったらいいな、便利だな、と
いうことから、具現化された物だということ。
家(建物)もそうだし、机も椅子もパソコンも
何もかもがそうだ。
これ、当たり前のことを言ってるんだけど、
その裏側で本来のあるべき重要なことが失われている。
というか、見過ごされている。
それは「自然」。

どういうことかと言うと、例えば未来は
不確実なものであるはずなのに、人間は何もかも
コントロールしたいものだから、明日のことも
明後日のことも、来月のことも予定が決まっていて、
そうなるもんだと生きている。
疑いなく。

でも、本当は違う。
明日、何が起きるか分からない。
それを思い出させてくれるのが、時々起きる天災。
「忘れた頃にやってくる」というやつ。
地震や台風、大雨、がけ崩れなど、
人間ほ全くもって自然を思い通りになんてできていない。
でも、普段は何もかも制御しているかのように生きている。
その制御できているかのように勘違いしているのが脳。
「脳」=「人間」だわな。

そういうと「脳だけではない、人間は心もある」と
いう人がいるらしいが、心も脳の機能だからな。

これを書いているのも「脳」。
これを読んでいるのも(あなたの)「脳」。
どう書くか、どう読むか、どう話すか、どう聞くか、
全てそれぞれの人の脳の「癖」次第。
そして、人間には共通の脳の癖がある。
何かを議論する前に、その人間の脳の癖を
共有しないことには、議論は不毛な訳だ。
だって、人によって、あるいは国によって、
脳の癖が違うから。

脳、つまり、自然でないことに支配されて。
それをよしとして生きてきたがために、
人類にはひずみが起きている。
人間自体が本来自然の一部なのに、
そこから遠ざかりすぎているからな。

唯脳論。
これは、「人間とは何か」を知る、
良い手がかりだと思うね。
まずは、人間の脳の仕組みを知ることは良いことだ。
昨年読んだ『あいては人か 話が通じないとき
ワニかもしれません』
もそうだったけど。

実は本書の内容は、期待していたものとは
違ったのだけど、それでも面白く読めたよ

ルビがあるのは、日本語だけというくだりも面白かった。
確かに英文にはルビはないよな。
「BOOK」は「ブック」としか読めない。
ルビ不要だ。

でも日本語の漢字は違う。
重複(ちょうふく)
重要(じゅうよう)
重い(おも・い)
重ねる(かさ・ねる)
「重」の次にくる文字で「重」の読み方が変わってしまう。
これは中国語にも韓国語にもないことらしい。
私たちは全く無意識のうちに
この恐ろしく複雑なことをやっている。
日本語を学ぶ外国人に同情するね。

脳のある部分を損傷すると失読症という
病気になるらしい。
その部分を損傷すると、世界の人々は
字が読めなくなるのだけど、日本人は
そこをやられても漢字を読むのには
不自由しないというのだ。
でも仮名は読めなくなるらしい。
養老さんによると、漢字の読みがひとつでは
ないのがその原因ではないかというのだ。
こういう、普段全く注意を払わないところに、
日本人のオリジナリティのルーツがあるのかも知れない。


★★★★☆





2026.5.5

胸の小箱
浜田真理子 著

(再読)




終活というのか 断捨離というのか
とにかく持ち物が多いので減らそうとしている。
目に見えて大きくは中々減らないのだけど、
本棚や CD、DVD の棚は少しずつ空いてきている。

先日、本棚を見ていて、
浜田真理子さんの本『胸の小箱』が目に入った。
浜田真理子さんは、島根県松江市出身、
在住のシンガーソングライタ―。
私は、2004年頃、渋谷のタワーレコードの
試聴コーナーで、彼女の歌声を初めて聴き
その場で CD を購入したのが彼女を知ったきっかけ。

『胸の小箱』は、2014年発売の浜田さんのエッセイ。
これも処分しなきゃと思っていたが、
今までおいていたのには理由がある。
2015年1月、浜田さんがゲスト出演するライブで、
その日、たまたまこの本を持っていた私は
ご本人にサインをしてもらった。
「つつみ様 Love & Peace Mariko」と
書いていただいたので、処分するのに抵抗があったんだ。
でも、そんなこと言っていたら、
いつまで経っても片付かない。

今では音楽はダウンロード、本は電子書籍の
購入も増えているが、実物を購入することもある。
しかし、本にしろ CD にしろ、手放す前提で
手に入れている。
年を取ってきて、所有欲というものが、
かなりなくなってきた。(except guitars)

なので最近は、サインをしてもらえる機会が
あっても、辞退させていただくことにしている。
相手が「サインしましょうか?」と言うのに
「いえ、結構です」と断るのも勇気がいるし、
それはそれで、中々心苦しいものがある。
こういう時は、サインしてもらうのが
礼儀の様な気もする。
そういう時、多くの場合は名前を聞かれ、
名前を書いてくださる。
私宛ての名前があるがために、そのサイン入りの
本や CD の処分に困るぐらいなら、
サインなしの方が気が楽だと思うようになったのだ。
手放すことが決まっているのに、
「つつみ様へ」とサインをいただくことも気が引けるし、
サイン入りの方が、値打ちが上がるかもしれないと、
サインをもらうのは、もっと不埒な感じがしてできない。

そんなわけで、ライブ会場で、CD を買うと
サインを貰える機会が時々あるのだけど
そういう時でもサインを貰う列には並ぶことがなくなった。

前置きが長くなったが、サイン入りの本を
手放すことへの複雑な気持ちを持ちつつ
『胸の小箱』をメルカリに出そうと決意し、
出品のための写真を撮り準備をした。

それから、2、3時間後だったと思う。
某プレイガイドから、あるライブのお知らせが届いた。
なんと浜田真理子さんのライブ。
浜田さんのライブの通知は、
ずい分久しぶりのような気がする。

浜田さんの歌は大好きで、
数えてみると過去にライブに5回行っている。
最後が 2023年2月だったので、
3年以上行っていない。
このタイミングでライブの通知が来るか? と思ったが、
こういうシンクロニシティには素直に応じる主義なので、
その通知のあったライブ(6月25日)は申し込んだ。

そして、11年前に読んだ『胸の小箱』の
自分の感想を読み返してみた。
もう一度読みたくなった。
そのライブの通知がなければ、もう一度読もうとは
思わなかっただろう。

で、メルカリへの出品を一旦見送って、
11年ぶりにもう一度読んでみた。
驚いたことに、いや、驚くことではないのかも知れないが、
内容は全く何も覚えていなかった。
初めて読んだも同然だった。

感想。
やはり、歌にも文章にも「その人」が表れるんだな。
読み直してみて、浜田さんの歌を聴いた後のような
心持ちになった。

「わたしは絶望なんか歌いたくないし、
そんなことを歌ったこともない。
どれほど先でもいい、針で突いたような
穴ほどでもいいから、光が見えなければ
歌う甲斐がないとさえ思っている」

彼女の歌の根底にあるのは、希望。
どんなに暗い歌であっても、
根底に流れているのは「光」なので
いつまでも聴いていられるし、
時々、聴きたくなるんだな。
そして、だからこそ彼女の歌声には
「Joy」を感じるのだと思った。

若い頃、ジャズピアニストを目指していた彼女は、
クラブで弾き語りをするうちに気持ちに変化が現れる。
テクニック重視の演奏にあまり興味がないことに
気づいた彼女は自分の音楽の嗜好をこう綴っている。

「メロディのよさ、歌詞のおもしろさ、コード進行の意外さ、
それらを丁寧に味わいながら楽しんで
演奏しているようなものが好きなのだ」

いいねぇ。
私もそういうの好きだ。
(時々、バリバリのテクニックのものも聴くけど。)

後半は、アルバム『But Beautiful』の録音時の
エピソードなのだけど、読みながら
『But Beautiful』を聴くと、これまた録音時の
スタジオの風景が目に浮かぶようで、大変面白かった。

久しぶりの6月のライヴもとっても楽しみになった。


★★★★★


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2013.5.21 浜田真理子 〜LIVE But Beautiful TOUR〜
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2026.5.11

ファーストラヴ
島本理生 著




直木賞を受賞したので、書店に平積みされていた。
オビに書かれた「なぜ娘は父親を殺さなければ
ならなかったか?」という文に魅かれて買った覚えがある。
奥付けを見ると、2018年の発行なので、
約8年間も読まずに本棚にしまわれていたことになる。
買う時は読む気満々なのだけど、そんな本が何冊もある。

島本理生の小説は、初めて読んだ。
主人公は、臨床心理士・真壁由紀。
父親を包丁で刺殺した就職活動女子大生。
その動機は一体何か。
ちょっとミステリーというのか、推理小説的。

読み始めに軽い違和感、というか抵抗があったのは、
登場人物の名前。
主人公、真壁由紀はまだ良いとして、
その旦那が、真壁我聞(まかべがもん)。
父親を殺す女子大生が、聖山環菜(ひじりやまかんな)。
弁護士が、庵野迦葉(あんのかしょう)。
なんか少女漫画っぽい。
まあいいけど。

あまり後味の良い作品ではないが、
引き込まれて、それなりに面白かった。
昨年読んだ姫野カオルコの『彼女は頭が悪いから』を
思い出した。
全く内容は違うのだけど、なんだか「性の問題」
「性被害」という点では、共通しているものを感じる。
男性が女性を軽く見ているというか、
尊重していいないというか、分かってないというか。

裁判の判決は、私はどうもスッキリしないものがある。
被告の変わりようも、ちょっと劇的過ぎないか。

2020年にテレビドラマ(主演:真木よう子)に
なったようだし、2021年には映画化(主演:
北川景子)もされている。(監督は堤幸彦)
観てみようと思う。


★★★▲☆







ひとりごと